聖書と中東問題 中東問題は聖書預言を理解するために重要です。
2002/6/27(VER0.2)
聖書と中東問題は切り離して考えることはできません。
多くの方々が聖書は宗教書、道徳書と考えるでしょう。
しかし、聖書は預言書であるということもできます。
この「預言」ということは通常の「予言」という単語とは違います。
予知ではなく、天と地を造られた神の言葉を預かったという意味があります。
そして、聖書の舞台はイスラエル、そしてエルサレムであり、ユダヤ人です。
聖書はユダヤ人の過去、現在、未来に起こるべきことを記し、神のみにしか答えることのできない答えを出しています。
ですから、聖書と中東問題は切り離して考えることはできません。
第一段階 アブラハムへの祝福
神はまず、アブラム(アブラハム)に無条件の祝福を与えました。
「主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
新改訳聖書 創世記 12章1〜3節
アブラム(アブラハム)はイスラエル民族であり、彼からこの民族は起こりました。
まだ、このアブラムに子供がないうちに、神は無条件な祝福を彼に与えたのです。
「わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。」
新改訳聖書 創世記 13章15〜16節
このアブラムの子孫に与えられたのは、現在中東問題の中心地であるイスラエルの地です。
この約束ゆえに、ユダヤ人たちはパレスチナ国家を認めたくないのです。
この約束の特色は
1、無条件である。
2.アブラムの子孫は増える。
3、イスラエルの地はユダヤ人に与えられる。
4、アブラム(アブラハム)、もしくは彼の子孫を祝福する者は祝福され、呪う者は呪われる、地上のすべての民族は、あなた(アブラム(アブラハム)、もしくは彼の子孫)によって祝福される。」
第二段階 モーセを通したもう一つの約束
「イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。
さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。
「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。
さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」
そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。」
新改訳聖書 出エジプト記 1章7〜11節
アブラハムの子孫は神の計画により、エジプトに下り、大きな民となりました。
しかし、神の計画は変わることなく、カナンの地(イスラエルの地)において、祝福されることでした。
神はしもべモーセを起こし、エジプトの王パロから解放を試みますが、簡単には彼らを手放すことはしません。
神はモーセを通してエジプトに10の災害を起こさえ、無理やりパロの手からイスラエルを解放させます。
しかし、イスラエルの民はこれだけの奇跡を見ていながら、約束の地に行く途中で不信仰になりました。
「民はその所で水に渇いた。それで民はモーセにつぶやいて言った。「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのですか。私や、子どもたちや、家畜を、渇きで死なせるためですか。」
新改訳聖書 出エジプト記 17章3節
神はそれでも、彼らを恵みをもって扱い、彼らに水を与え、食べ物を与えました。
しかし、次の場面は違います。
「 三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。---中略
シナイ山は全山が煙っていた。それは主が火の中にあって、山の上に降りて来られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山が激しく震えた。---中略
主が彼らに怒りを発せられないために。」
新改訳聖書 出エジプト記 19章16〜24節
この恐ろしい場面の中から神は、彼らに戒めを与えました。
これが十戒であり、律法です。
一戒 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
二戒 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
三戒 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
四戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
五戒 あなたの父と母を敬え。
六戒 殺してはならない。
七戒 姦淫してはならない。
八戒 盗んではならない。
九戒 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
十戒 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
(出エジプト記20章)
これはアブラハムへの約束とは違い、条件が付きました。
「見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。
もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、
もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。」
新改訳聖書 申命記11章26〜28節
「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。」
新改訳聖書 申命記27章26節
この約束の特色は
1、アブラハムへの祝福と違って、条件が付きました。
つまり、実行すれば祝福される、守らなければ呪われるです。
第3段階 バビロン捕囚
「 彼らは、わたしのことばを聞こうとしなかった彼らの先祖たちの咎をくり返し、彼ら自身も、ほかの神々に従って、これに仕えた。イスラエルの家とユダの家は、わたしが彼らの先祖たちと結んだわたしの契約を破った。」
それゆえ、主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らにわざわいを下す。彼らはそれからのがれることはできない。彼らはわたしに叫ぶだろうが、わたしは彼らに聞かない。」
新改訳聖書 エレミヤ11章10、11節
「律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」
新改訳聖書 ガラテア人への手紙3章10節
イスラエルの民は律法に書かれている戒めをすべて破ってしまいました。
ですから、彼らは呪われてしまったのです。
彼らはバビロンのネブカネゼザル王により、イスラエル民族はバビロンに捕囚の民として連れて行かれました。(紀元前2600年)
神はエレミヤを含む、多くの預言者にそれは神へのそむきの罪の結果であることを語っています。
まさにイスラエル民族崩壊の危機です。
しかし、ここで注意してください。
アブラハムへの祝福はどうなったのでしょうか?
無条件の祝福はどうなったのでしょうか?
神はイスラエルを再建させることを初めから計画済みだったのです。
神はこのバビロン捕囚に期間を設けていたのです。
「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。」
新改訳聖書 エレミヤ25章11節
わたしは、わたしのしもべのことばを成就させ、わたしの使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては、『人が住むようになる。』と言い、ユダの町々に向かっては、『町々は再建され、その廃墟はわたしが復興させる。』と言う。
--中略
わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」
新改訳聖書 イザヤ書44章26〜28節
神はアッシリヤの王クロスによって、この捕囚を終わらせ、またイスラエルの国を再建させることを奇跡的に許可されたのです。
神はこの王が現われる前にこのクロスを名を提示し、多くの犠牲を出してまでこの国を再建させたのです。
この段階での要約
1、この捕囚は十戒、律法を破った結果である。
2、神はイスラエル民族を滅ぼさなかった。
第4段階 メシアの登場
イスラエルは再び、約束の地に国を再建しました。
旧約聖書(イエスキリストが現われるまでの聖書)は一貫して、このイスラエルを支配する王、そいて、メシア(救い主)が現われることを預言を通して語ってきました。
(その預言は約300あると言われています。)
この当時、イスラエルはローマの支配下にあり、この支配から救い出してくれるメシアの出現を待ち望んでいました。
この時、イエスキリストは誕生したのです。
しかし、イエスはイスラエル民族のメシア(救い主)として来られたのに彼らはイエスを拒絶
するのです。
「彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章15節
「すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章25節
神の御子キリストをイスラエルは自分の責任で十字架に架けてしまったのです。
イエス自身もイスラエルの運命について嘆いています。
「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。
やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神(キリスト)の訪れの時を知らなかったからだ。」」
新改訳聖書 ルカによる福音書 19章41〜44節
戒めを破ることによってイスラエルは70年間捕囚としてバビロンに仕えました。
しかし、このキリストを十字架に架けるという罪のゆえに彼らは1900年間世界を放浪し、迫害される運命を背負うのです。
イエスの十字架後およそ40年後、AD70年ローマのティトオス将軍によって行われた「エルサレムの崩壊」です。
(世の終わりの時代にはもう一度同じように、エルサレムは軍隊に囲まれるでしょう。)
エルサレムはローマによって征服され、世界上に再び散らされたのです。
まさに「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」と言った言葉の通りになったのです。
それでも、神のアブラハムへの約束はまだ有効なのです。
この段階での要約
1、イスラエルは律法を破った以上の罪を犯し、その咎は自分たちにかかってもよいと宣言した。
2、エルサレム没落はイエス御自身が預言していた。
3、特記すべきことは、以上のことはイスラエルに対しての言葉であり、イエスキリストの十字架の贖いを信じるクリスチャンに対しての言葉ではありません。
第5段階 イスラエルの再建
しかし、この預言を見てください。
「神である主はこう仰せられる。わたしがイスラエルの家を、散らされていた国々の民の中から集めるとき(バビロンだけではない)、わたしは諸国の民の目のまえで、わたしの聖なることを示そう。彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた土地(イスラエル)に住みつこう。」
新改訳聖書 エゼキエル書28章25節
通常なら、世界中に民族が散らされた場合、その民族はその土地の民族に溶け込んでしまうものだが、神はその民族性を保ちました。
また、いったんその土地を離れた民族が1900年という、時代を隔てて、国を再建するなどということは歴史上、いや常識では考えられないことが起きたのです。
また、多くの者たちが聖書の矛盾とも呼んでいました。
しかし、イスラエル国家の樹立という奇跡が1948年5月15日に起きました。
AD1900年前後からシオイズム運動(ユダヤ帰還運動)が活発になりユダヤ人の町「テル・アビブ」が建設されました。
その後に第二次世界大戦が起き、ホロコースト(大量虐殺)による300万〜600万人ユダヤ人犠牲者がでたことは有名なことです。
それを引きがねにしてシオイズム運動(ユダヤ帰還運動)が活発になりイスラエル民族はパレスチナに入って来たのです
しかし、パレスチナには1900年の間にアラブ人たちが住み着いてきました
他人の土地(神の目から見ればイスラエルの土地だが。)アラブ人たちが激怒したのも無理もありません。
そして、同時にアラブの18の国々が団結してイスラエルに総攻撃をかけてきたのです。
イスラエルのいるパレスチナ・アラブ人にこう通告しました。
「あなた方は直ちにヨルダン川に西岸地域およびガザに避難せよ。非難が終わった、われわれはイスラエルに総攻撃をかけ彼らをパレスチナから一掃する。この作戦は一週間で終了するから、その後あなた方はパレスチナに戻ることができる。」
結局、彼らはヨルダン川西岸地域より帰ってくることはなくパレスチナ難民としてそこにとどまることになりました。
こうして第一次中東戦争(パレスチナ戦争)が始まりました。
それは1948年のことであった。人口わずか60万のイスラエルが人口8000万のアラブ連合軍と闘い、イスラエルが圧倒的な勝利を収めました。
その結果、イスラエルは共和国の独立を宣言したのです。
その後、イスラエルとパレスチナは第二次、第三次、第四次と戦争を繰り返します。
ところが1990年代に入り互いにしびれを切らしたのか中東和平会議が開催され、和平へと推進する。ところが1995年11月4日、その推進役ともいえるイツハク・ラビン、イスラエル首相がユダヤ人右翼により暗殺されます。
ご存知のように、現在、国家的というよりも、民族的に敵対し、いつ中東和平が成り立つのか不明な状態になっています。
最終合意の内容については、エルサレムの帰属、パレスチナ難民の帰還方法、パレスチナ国家の形態と境界線などの決定が焦点になっていますが、憎しみが憎しみを生むという悪循環に陥っているのが現状です。
確かにイスラエル、ユダヤ人は神にそむき、戒めを守らず、その報いを刈り取ったでしょう。
もう一度言います。
それでも、神のアブラハムへの約束はまだ有効なのです。
この段階での要約
1、神は決してイスラエルを捨ててはいない。
2、旧約聖書の預言が再び動き出したということ。
(特に終末預言につながる部分です。)
第6段階 これからのイスラエル--試練
1、クリスチャンの集団失踪(空中再臨)
聖書では必ず、この時代の終わりにイスラエルにとっては試練の時代、もしくは神を知らないこの世に対してはさばきの時代が来ることを示しています。
多くの人たちはこれを患難時代と呼んでいます。
その預言の数は1700あると言われ、確かに難解なところもありますが、多くは明確に語られています。
しかし、この時代の前にクリスチャンと呼ばれる人たちの集団失踪事件が起きます。
神はこの怒りの時代が来る前に救われた者たちを天に捕り上げます。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第一 4章17節
「また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。」
新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第一 1章12節
2、反キリストの登場
この患難時代は7年間と定められています。
そしてこの時代のスタートは偽のメシアによる和平条約によるのです。
また、和平条約を結ぶには、和平でない状態が続くことが条件であることを忘れてはいけません。
中東問題は泥沼化してゆくでしょう。
世界中がこの中東問題を解決してくれる人を待ちます。
しかし、彼こそが聖書で預言された反キリストです。
彼はユダヤ人に受け入れられます。
「わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書 5章43節
しかし、イスラエルと結んだ契約相手は死です。
「あなたがたは、こう言ったからだ。「私たちは死と契約を結び、よみと同盟を結んでいる。たとい、にわか水があふれ、越えて来ても、それは私たちには届かない。私たちは、まやかしを避け所とし、偽りに身を隠してきたのだから。」
だから、神である主は、こう仰せられる。「見よ。わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは、試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊いかしら石。これを信じる者は、あわてることがない。
わたしは公正を、測りなわとし、正義を、おもりとする。雹は、まやかしの避け所を一掃し、水は隠れ家を押し流す。
あなたがたの死との契約は解消され、よみとの同盟は成り立たない。にわか水があふれ、越えて来ると、あなたがたはそれに踏みにじられる。」
新改訳聖書 イザヤ書 28章15〜18節
その反キリストは3年半の契約をイスラエルとそして、多くの国々と結びます。
「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
新改訳聖書 ダニエル書 9章27節
一週--7年 半週--3年半
おそらく、この和平条約後にロシアとその連合国がイスラエルを攻めてきます。
その時のイスラエルの状態をこのように書いています。
「人の子よ。メシェクとトバルの大首長(聖書の言語ヘブル語でロシュ、もしくはロシア)あるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、言え。神である主はこう仰せられる。メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。
--中略-- ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。
ゴメルと、そのすべての軍隊、北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍隊、それに多くの国々の民があなたとともにいる。
備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。
多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国(イスラエル)に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる。
--中略--
神である主はこう仰せられる。その日には、あなたの心にさまざまな思いが浮かぶ。
あなたは悪巧みを設け、
こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』
新改訳聖書 エゼキエル書28章
今、イスラエルの民は「多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる」状態です。
しかし、「みな安心して住んでいる」、もしくは「安心して住んでいる平和な国」ではありません。
自爆テロ等の悲劇は続いています。
しかし、聖書の預言通りに偽のキリストによって、和平条約は完成されるでしょう。
H.A.アイロンサイドはこの偽のキリストはパレスチナから出てくるとしています。
それはキリスト(メシア)という称号はユダヤ人のみに使われるからです。
また、この偽のキリストはヨーロッパから出てくる10カ国連合なる国のリーダだとされる意見もあります。
それは黙示録にこのように書かれているからです。
「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。
私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。
その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、
そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。
この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。
そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。
彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。
地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。」
新改訳聖書 黙示録 13章1〜8節
この獣は42ヶ月間、活動されることが許され、神の御名と、その幕屋(ユダヤ教)をののしったとされています。
つまり、先に示したイスラエルと7年間契約し、3年半後に契約を破棄し、ユダヤ人を迫害するという記事と一致します。
おそらく、この者が偽のキリスト(反キリスト)なのでしょう。
ここに大淫婦といわれる女が現われます。
聖書ではキリストを信じる教会を花嫁と呼んでいます。
明らかにこの大淫婦は堕落した教会です。
「ここに来なさい。大水の上にすわっている大淫婦へのさばきを見せましょう。
地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」
新改訳聖書 黙示録 17章1、2節
「あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する(現在形)大きな都のことです。」
新改訳聖書 黙示録 17章8節
この大淫婦と呼ばれる女はこの黙示録が書かれた時代に地上の王たちを支配していた都、ローマであり、堕落した教会です。
この大淫婦はこの反キリストと手を結びます。
「あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。」
しかし、その後、この反キリストはこの堕落した教会を焼き尽くします。
3、ユダヤ人の迫害
この反キリストはユダヤ人を迫害します。
黙示録の中でこのことが抽象的に描かれています。
「自分が地上に投げ落とされたのを知った竜(悪魔)は、男の子を産んだ女(イエスキリストを生んだイスラエル民族)を追いかけた。
しかし、女は大わしの翼を二つ与えられた。自分の場所である荒野に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった。
ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水(軍隊)で押し流そうとした。
しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。」
新改訳聖書 黙示録 12章12〜16節
悪魔、もしくは反キリストはしつこく、この女であるイスラエル民族をつぶそうと荒野に追いかけます。
女には大わしの翼(何か抽象的に描かれていますが、逃げる手段)が与えられ、この反キリストの手から逃げ、荒野に行き、一時と二時と半時の間、つまり、三年半養われます。
反キリストは大水(聖書ではよく大軍隊を大水に例えています)を使って、一掃作戦を使いますが、おそらく、地震などで地が割け、イスラエルは助かるのでしょう。
まるで、アルカイダのビンラビン氏のように逃げ切ります。
世界中の軍隊がハルマゲドン(メギドの丘)に集まってきます。
「万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――
こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。」
新改訳聖書 黙示録 16章14〜16節
ここに間一髪のところでユダヤ人のメシアはこの地上に再来されるのです。
「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
---中略
また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。」
新改訳聖書 黙示録 19章15〜19節
現在、ユダヤ人はイエスキリストをメシアとして受け入れていません。
彼らは今だに、別のメシアを待っているのです。
ユダヤ人が前代未聞の危機に陥る時、彼らはメシアが来て下さるように願うのです。
その時、イエスキリストがユダヤ人を救うためにこの地上に降りて来てくださいます。
「その日、――主の御告げ。――わたしは、すべての馬を打って驚かせ、その乗り手を打って狂わせる。しかし、わたしは、ユダの家の上に目を開き、国々の民のすべての馬を打って盲にする。
ユダの首長たちは心の中で言おう。エルサレムの住民の力は彼らの神、万軍の主にある、と。
その日、わたしは、ユダの首長たちを、たきぎの中にある火鉢のようにし、麦束の中にある燃えているたいまつのようにする。彼らは右も左も、回りのすべての国々の民を焼き尽くす。しかし、エルサレムは、エルサレムのもとの所にそのまま残る。
---中略
その日、主は、エルサレムの住民をかばわれる。その日、彼らのうちのよろめき倒れた者もダビデのようになり、ダビデの家は神のようになり、彼らの先頭に立つ主の使いのようになる。
その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。
わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。
その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。」
新改訳聖書 ゼカリヤ書 12章4〜11節
彼らは来られたメシアを仰ぎ見ます。
ところがその手には釘のあと、腹にはやりのあと、彼らは気がつくのです。
自分たちの祖先が十字架に付けたあのイエスキリストがメシアであることを知り、嘆くのです。
第7段階 これからのイスラエル--祝福
キリストが地上に降りてこられ、この地上は新しい時代となります。
これが聖書で述べている千年王国です。
この王国はキリストご自身が王として支配されます。
その時、旧約の時代の聖徒たちがよみがえり、支配します。
多くの国々はユダヤ人ゆえに祝福を受けるでしょう。
これはクリスチャンがキリストの十字架の贖いを信じて、入る天国とは違います。
ユダヤ人に対して、もしくは、ユダヤ人を中心とした諸国への祝福です。
つまり、第一段階にて語った、アブラハムへの祝福の成就です。
「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
新改訳聖書 創世記 12章2〜3節
イスラエル民族を祝福する者は祝福され、呪う者は呪われるのです。
イエスキリストを王として、至福の時が地上に実現します。
「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。
多くの民が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」それは、シオンからみおしえが出、エルサレムから主のことばが出るからだ。
主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。」
新改訳聖書 イザヤ書 2章2〜5節
結論
この後、この千年王国の民はもう一度、悪魔に導かれ、神に反逆します。
そして、本当に神を信じ、新天新地に入る者と、裁かれる者が分けられます。
聖書は多くの筆記者に書かれ、難解なところもありますが、すべてが一致しており、本当の筆記者が唯一であることがわかります。
また、イスラエルの過去、現在、未来、何をとっても神でなければ約束できないこと、成就できないことで満ちています。
現在の中東問題も聖書の流れの一部でしかありません。
すべてが成就します。
また、聖書がなければ、この中東問題も理解できないでしょう。
聖書のテーマは裁きと祝福です。
今日という日に聖書の語っている裁き、そして救いを受け取る者となってください。
キリストの十字架の意味をぜひ知ってください。