聖書の語る、死後の永遠の滅び(地獄)
聖書は人間の死後の行く先をもっともはっきり描いている書物です。
私たち人間を造られた神(創造主)がいるのであれば、人間には死後、日本語で言う天国と地獄があるということは、決しておかしな話しではありません。
(もし、神(創造主)がいないのであれば、人間は死んで終わりです。何もありません。)
現在、天国と地獄を語るのはカルト宗教と思われているのが現状ではないでしょうか。(私は彼らが冷静な判断とは思いません。)
また、逆にある宗教は、地獄のを語りたくないあまりに地獄とは実際に存在する場所ではなく、「自分の人生において、自ら招くものだ」と語りました
理解しにくい言葉ですか、それは「悪い行いをすれば、自分の人生の中で悪い結果が待っている。」という、泥棒は刑務所に入るという教えです。
正しく判断しなければなりません。
聖書は地獄を実際に存在する場所として紹介しています。
聖書の書かれた言葉は(ギリシャ語、へブル語、アラム語)で地獄と言う言葉は日本語です。
当然地獄と言う言葉は聖書にはありませんが、死後のさばきを訳すのに聖書訳者が地獄という単語を使ったのでしょう。)
「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、
金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが
見えた。
彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。
しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
新改訳聖書 ルカによる福音書 16章19〜31節
神の御子イエスキリストはこの個所で金持ちと貧乏人のラザロを紹介しています。
イエスキリストは天地を作られた神に預言されたメシアです。
(世界中の冷静、知的な者たちによって信じられています。)
イエスキリストのみが死後を語る事ができたのです。
聖書の中ではイエスキリストは多くのたとえを使って、真理を解き明かしましたがここでは個人名を挙げて説明しています。
(金持ちだから炎の中にいたのではありません。ラザロは貧乏人だから哀れにを受けていたのではありません。)
これは、「たとえ話」ではないのです。現実の話です。
(もし、この話が「たとえ話」だと主張する者があっても、聖書は何回も繰り返し地獄の存在を語り続けています。)
この金持ちは地上では哀れむ心を持っていませんでした。
門前に飢えて死んでしまうような人間がいるのに食べ物を与えませんでした。
しかし、金持ちは「私をあわれんでください。」と叫んでいるのです。
また、「私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。」と叫んでいます。
しかし、帰ってくる言葉には哀れみがなかったのです。
「私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。」
二人の間には完全な断絶がありました。
(人間が死んだ後に、地獄からの救いはありません。聖書にはそのような記述は全くありません。 死後の行き先の選択はこの地上のみなのです。)
金持ちは永遠に終わりない苦しみを味わなければならなかったです。
いや、この金持ちはこれからもっと激しい滅び(聖書で書かれているゲヘナ (最終的なさばき、永遠の火の池)に投げ込まれるのです。
この金持ちはすでに聖書書かれた、約2000年の昔から今もこの炎の中で苦しんでいるのです。
(この金持ちには 感覚があります。苦しい、熱い、舌、冷やす、哀れむ。)
なぜ、人はそこに入らないと行けないのでしょう。
地獄は暗闇です。
「神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。」
新改訳聖書 ペテロ第二の手紙 2章4節
多くの聖書を非難する人たちが聖書の矛盾点として挙げたのが、永遠の火が暗闇ということはあり得ないと攻撃をしました。
炎は光を発するという考えで、最近まで主流とされていました。
私が小学校のころ、二十五年ほどの教育では太陽の黒点というものは太陽の中で温度が低い場所と教えられていました。
しかし、最近は「太陽上にできる黒い場所は逆に温度が高い」と教えられています。
温度がが上がり続けると赤、青、白、黒と変化してゆき、その黒の温度は8000℃以上と言われています。
もし、善人(罪を犯したことのない人)が天国に入り、悪人(罪を犯したことのある人)が地獄に入るのであれば、あなたは地獄に行きます。
しかし、間違ってもそのような場所に入ってはいけないのです。
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
新改訳聖書 マタイによる福音書 5章22節
もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。
新改訳聖書 マルコによる福音書 9章47〜48節
斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。
新改訳聖書 マタイによる福音書 3章10、12節
良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。
新改訳聖書 マタイによる福音書 7章19、20節
ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。
人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、
火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
新改訳聖書 マタイによる福音書 13章40〜42節
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
新改訳聖書 マタイによる福音書 25章41節
すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
新改訳聖書 黙示録 19章20節
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
新改訳聖書 黙示録 20章13〜15節
しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
新改訳聖書 黙示録 21章8節
ハデス、ゲヘナはともにギリシャ語でハデスとは最終的な神のさばきを行うまでの留置所(仮の苦しみの場所)です。金持ちとラザロの話の中で金持ちのいた場所です。
ゲヘナとは神の怒りの現れの場所、刑の執行場所です。
そこは苦しみの場所です。焼き尽くす火があります。(温度は8000℃以上) そこには終わりがありません。千年を瞬間だという場所です。
もし、善人(罪を犯したことのない人)が天国に入り、悪人(罪を犯したことのある人)が地獄に入るのであれば、あなたは地獄に行きます。
しかし、間違ってもそのようなさばきの場所に入ってはいけないのです。
ここより先はある海外のHPを翻訳したものです。
これら永遠の滅びが、世界中の聖書を信じるクリスチャンによって、語られ警告されていることを知ってください。
http://www.geocities.com/Athens/Rhodes/7895/reinhell.html
地獄での支配 by Alan Yusko
私は考えのないこのような言動を何度も聞いたことがあります。
天国のように奴隷のように仕えているぐらいなら、地獄で支配していたい。
このような無知な人の言動は、神、救い、天国のすばらしさを本当に理解していないからです。
地獄の様子を少しでも理解して見てください。
地獄は、燃えている火の池です。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
新改訳聖書 黙示録 20章15節
もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちにはいるほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
新改訳聖書 マタイによる福音書 18章8〜9節
燃えている池の様子をもし思い浮かべようとするのなら、地獄は決して面白い場所ではないことがわかるはずです。
人々は文字どおり、すべてを焼き尽くす永遠の火の池に投げ入れますが、決して、彼らはその炎に焼き尽くされてしまうことはありません。
(永遠に焼かれ続けるのです。)
その燃える火の池に治めたり、支配する人がいるでしょうか。
そのような気楽な場所ではないからです。
地獄は、悲しみ、絶望、泣く場所、および歯ぎしりをする場所だからです。
よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。
新改訳聖書 詩篇 18章5節
しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。
新改訳聖書 マタイによる福音書 8章12節
火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
新改訳聖書 マタイによる福音書 13章42節
そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。
新改訳聖書 マタイによる福音書 22章13節
役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。
新改訳聖書 マタイによる福音書 25章30節
そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
新改訳聖書 マタイによる福音書 24章51節
これらの個所を読んで、地獄が、悪魔とともに人が治めているような幸せな場所に聞こえるでしょうか?
地獄は、永遠の激しい痛みの場所です
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
新改訳聖書 ルカによる福音書 16章23〜24節
そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。
新改訳聖書 黙示録 14章11節
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
新改訳聖書 黙示録 20章10節
地獄にはうじがいる
私は正確にこのうじが何を意味するかは理解することはできませんが、このうじの存在を知ることができます。
私たちは地獄に極端な激しい痛みがあることをここで痛感することができます。
地獄にいる人の体は焼き尽くされることもない体を持ち、炎の苦しみを永遠に味わうのです。
あなたはもう一度この火の池の様子を心に浮かべるべきです。
死なない(燃え尽くされない)体を持ち、なにかの「うじ」(虫)をあなたのからだを食い尽くします。
あなたの死なない体を餌にして永遠に食いつくす「うじ」を飼うのです。
地獄をとても汚く、苦痛を味わう場所として聖書は描いています。
もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。不具の身でいのちにはいるほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。
もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちにはいるほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国にはいるほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。
新改訳聖書 マルコによる福音書 16章23〜24節
地獄の説明はそれだけではありません。
地獄は確かな場所であり、あらゆる代償を持って避けるべきです。
そこで失われているものの中で仲間や誰かが支配しているのを見ることは出来ません。(悪魔やサタンも)
私は激しい、極端な苦心、孤独を見ることができます。
結論
たとえば、ある人が恐ろしいガンにかかったとしましょう
その人は、死にかけていて、もう生きている時が短いことを知ります。
彼はとうぜん元気がなく、希望もありません。
ところが、突然その時、科学の進歩によってガンの原因が見つけられ、彼の病気の治療方法が見つかったのです。
ところが、その人に必要な薬はすべて彼に与えら、治療されるはずだったが、その人はなんとこの治療を拒んだのです。
それどころかその人は自分が病気になったことに腹をたてています。
この人の判断は知的で冷静でしょうか。
彼にとって治療を拒むことは非常に愚かで死を意味します。
私はほとんどの人がはっきりと「イエス」と言って治療を望むと思います。
しかし、その愚かな病人はあなたです。
救い主イエスキリストを受け入れていないものは死を待つばかりの病人です。
みなさんは末期のガンにかかっています。
そのガンとは罪です。
自分を吟味せずに(調べもせずに)そのままでいるのであれば、神との別れである第二の死、永遠の地獄に入る結果になるでしょう。
あなたには治療が必要なのです。
その時、あなたは人となって十字架の上で死なれた神イエスキリストが必要になるのです。
キリストは罪を悔い改め、キリストのもとへ来る、すべての人が天国に入るために十字架の上で死なれたのです。
その救いというギフトを受け取る信仰は信じ、受け取るだけです。
罪のための治療は、十字架の上で神イエス・キリストの流されたです。
あなたはつぎのような判断をしなければならないのです。
あなたは治療を拒否した末期のガン患者のようであるべきでしょうか?
あなたは、神のイエスとあなたの罪を洗い流すキリストの流された血を退けるつもりなのでしょうか?
あなたは地獄で永遠に自分自身で罪の代償は払わなければなりません
それとも救い主、神のイエスキリストに罪の代価を払って頂くかを、どちらかを選択しなければならないのです。
これが救いです。
神は人が地獄に行くように、はじめから造られていません。
しかし、人は自分で救い主イエスキリストを拒み、地獄で自分の罪の支払うように定めているのです。
これは大いなる決断であり、永遠を決定することです。
みなさんは、天国または地獄のどちらかで永遠を過ごしたいですか。
どちらがあなたのためにあるのですか?
あなたは自分自身で罪の代償を払うのですか?
救い主はあなたのための罪の代償を払うことが出来ます。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
新改訳聖書 ヨハネによる福音書 14章6節
この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。
新改訳聖書 使徒による働き 4章12節
神のキリスト以外に救いはありません。
人が死ぬとき、救いか滅びかが決まります。
御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
新改訳聖書 ヨハネによる福音書 3章36節
あなたは決断すべきです!
あなたは永遠に天国で神と共に過ごすべきです。
それとも、自分で救い主イエスキリストを拒んで、地獄で彼ら自身の罪の支払いをしたいのですか?
あなたは永遠の地獄で滅びるのですか?
明日は遅いかもしれない、今日あなたは決定すべきです。
見上げましょう。
喜びましょう。
イエスキリストがあなたを迎えにきます。
あなたは決定するだけの時間が残されていない。
あなたが望むのであれば、イエスは今すぐにあなたを救う準備が出来ているのです。
このようにあなたが理解し、信じ祈るべきです。
「神のキリスト!
私は罪人であることを認めます。
あなたが私の永遠の人生に入り(ともに過ごし)、私が救われることを求めます。
私は今、私の救い主(真実に私の唯一の救い主)、私の神として私は受け入れます。(私の主人、私の人生の導き手とし)
どうぞ私の人生に来て、私を許し救ってください。
私は、あなたに私の人生を与え、あなたが私を天国に入る人としてくださいますように。
あなたの望むように私がなりますように。
アーメン