メッセージAE 2003/7/8
どのようにピラトは自分の魂を失ったのか?
ヨハネの福音書19章10〜16節
by H.A.アイアンサイド
「そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
こういうわけで、ピラトはイエスを釈放しようと努力した。しかし、ユダヤ人たちは激しく叫んで言った。「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」
そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語でガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。
その日は過越の備え日で、時は六時ごろであった。ピラトはユダヤ人たちに言った。「さあ、あなたがたの王です。」
彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」
そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章10〜16節
新約聖書において、四回、福音とは別にポンテオコス・ピラトはその名で述べられています。
使徒の働き3章13節において記録されているように、足なえの男を癒した後、ピラトのことが語られています。
「アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
」
新改訳聖書 使徒の働き3章13節
使徒の働き4章27節で私たちはこのように読みました。
「事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。
」
新改訳聖書 使徒の働き4章27、28節
使徒の働き13章28節においては、パウロはアンテオケのシナゴーグにおいて、キリストが拒まれたという事実を繰り返し次のように語っています。
「そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。」
新改訳聖書 使徒の働き13章28節
テモテの手紙第一6章13〜14節において、使徒が若い説教者に対して、次のように再び語りました。
「私は、すべてのものにいのちを与える神と、ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエスとの御前で、あなたに命じます。
私たちの主イエス・キリストの現われの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。」
新改訳聖書 テモテの手紙第一6章13〜14節
この男、ポンテオコス・ピラトの名は聖書のみことばの中で著しく大きな場所を占めています。
おそらく、私たちの主イエスキリストの名前に次いで知られた名前ではないでしょうか!
クリスチャンが生きた時代において、特に2世紀が始まるまでの間に何千もの使徒の信条と呼ばれるものの多くがまとめられました。
そして、何百万回もクリスチャンによって、日曜事に読まれました。
「私は全知全能の父なる神を信じます。
そして、御子イエスキリストによって天と地が造られました。
御子は聖霊によって、処女マリアを通して生まれ、ポンテオコス・ピラトのもとで苦しみを受けました。
そして、ピラトのその名は永遠の恥辱の名になりました。
それは私たちの主イエスキリストはピラトの前でさばきを受けたからです。
また、もう一つ私たちの幸いなる救い主の偽りの裁判にあって、ピラトと親密につながりのある名前があります。
それはヘロデです。
ヘロデは堕落した、不道徳な、醜い、哀れな肉体を持ち、邪悪な生き方によって、不名誉な立場を持っていました。
ヘロデがたましいを失ったのは、彼の不道徳の罪のゆえです。
今日、多くの者が同じ罪の宣告を受けています。
箴言ではそのような女についてこのように書いています。
「彼女は多くの者を切り倒した。彼女に殺された者は数えきれない。
彼女の家はよみへの道、死の部屋に下って行く。」
新改訳聖書 箴言7章26、27節
どのような場所であっても、このような不道徳が蔓延しています。
やがて、この不道徳の罪はさばかれます。
やがて、彼らはこれらの罪から渡されるのです。
彼らがそこにいる限り、彼らは主イエスキリストに対する信仰を働かせることは不可能なこととなるでしょう。
「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。
」
新改訳聖書 コリント人への手紙第一6章9、10節
人々がその罪の中にいる限り、救われることができません。
人々が救われる可能性は、自分たちの罪がさばかれるものだと理解した時、彼らはこの罪から救われるのです。
ヘロデは不道徳の罪がその瞬間に、そして永遠にさばかれるものだというその実例になったのです。
しかし、そのような汚れはポンテオコス・ピラトの上には見ることはできません。
聖書にはピラトについて不道徳な人間だとは書かれていません。
もしくは歴史的に見てもこの人に対して、不道徳だとか、わいせつな人間だとかそのような話は聞きません。
しかし、そのことが神の義を得ることから、彼を遠ざけたのです。
それは神を知るということとはまったく別なものです。
そして、今日、私たちの中にも同様なものがあります。
利己的な野心という罪がピラトを滅ぼしたのです。
ピラトはユダヤを支配する長官であり、ローマを代表する王に代わる存在でした。
およそAD26年から37年に至るまでユダヤに滞在していました。
ピラトの特徴は思いあがったプライドと野心によって現されるでしょう。
そして、この野心によってピラトはたましいを失ったのです。
もし、あなたが救われていないのなら、何がキリストからあなたを遠ざけるでしょうか?
あなたが神の御前に来て、哀れな罪人として神に感謝し、恐れることでしょうか?
それとも、主イエスキリストに信頼を置いて、あなたの救い主として告白することでしょうか?
ピラトを滅ぼしたのは次のことです。
ピラトは自分の良心に逆らって、出て行きました。
彼はローマ帝国において、昇進する機会を失いたくなかったのです。
ユダヤ人の階級職に脅威を感じました。
「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章12節
そのように多くの者がピラトに言ったのです。
その生涯において、栄光の道を歩もうとしている主がピラトの裁判の席についたその朝に何が起きたのか、四福音書はそれぞれ違った説明をしていることに私たちは非常に興味を持ちます。
カヤパとカヤパの義理の父、アンナスの前で行われた偽りの裁判の席がその前夜に行われました。
そして、次の朝早く、およそ七時ごろ、主はピラトの前に連れ込まれたのです。
そのローマの支配者は朝食さえも終えていないのに、この暴徒たちは裁判所の扉の前で叫んでいたのです。
誰も、その入り口に足を踏み入れようとする者はいません。
それは過ぎ越しの祭りの準備をしていたからです。
彼らは宗教的に、儀式的に彼らは汚さないように、異邦人の家の中に入ろうとはしませんでした。
それなのに、彼らは神がこのユダヤ人たちに与えた救い主を拒み、異邦人にこの救い主を渡そうとしていたのです。
なんと多くの宗教的な儀式をとても好む者たちが、今日において彼らのようなのです。
このような者たちが自分が神のさばきにふさわしい罪人であること拒み、さばきからの救い主である主イエスキリストを拒んでいるのです。
ピラトは急いで関係者を召集して、裁判を始めました。
主イエスキリストはピラトの前に立ったのです。
歴史家、神学者、そして芸術家たちがこの場面におけるキリストを描こうとしました。
私たちは人々がピラトにキリストを縛るように要求したことを読みました。
通常、芸術家の書くものはキリストの手が縛れているものです。
しかし、ある人が私たちに語るように原文を読むのなら、キリストの首にロープがかけられたことを意味しています。
彼らはキリストの首にロープを要求したということは、人殺しと同じ不面目な目に合わせろと言っているのです。
彼らはキリストを捕まえ、ピラトの前に連れて来られたのです。
長老教会とカトリック教会から枝分かれした教会は牧師の首に「ストール」と呼ばれるものを首にかけることを習慣としています。
それはピラトの前に連れて来られた神の御子の首にかけらえたロープからの由来で、古代からの習慣です。
イエスはそこに立ちました。
「ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。」
新改訳聖書 ヘブル人への手紙2章9節
キリストは人となりました。
そして、人として最も低い場所にいるのです。
キリストは冒涜者として裁判を受けています。
キリストは人々を愛しました。
しかし、彼らはピラトにキリストを十字架に付けるように要求いるのです。
この状況はピラトがユダヤ人たちをなだめようとしていたのです。
ユダヤ人たちはあらゆる場合においても、彼らの持つ律法に従って裁判をする権利を持っていました。
しかし、生死を判断する権利はローマの長官にあったのです。
ユダヤ人たちはイエスを冒涜者として定めました。
しかし、彼らはイエスを裁く権利を持っていなかったのです。
そして、ピラトは本当にイエスが死に値するか確認しようとしました。
ピラトの自然な質問はこれです。
「「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章29節
ユダヤ人たちはローマの法廷にいる間、何も訴えをしていません。
何の訴えもないということは、その囚人の訴えに対して、訴えるだけの価値のないことがわかります。
彼らは答えました。
「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章30節
同じようにこのように言うでしょう。
「あなたが起訴しなければ、あなたは私たちに恥辱を与えるのです。
私たちはこの男が犯罪者であることを確信していなければ、あなたに渡しはしません。」
ローマ人はいつも、ヘブル人をおかしな人種として見ていました。
そのようにピラトも見ていたかもしれません。
ゆえに、このように言ったのでしょう。
「そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章31節
ピラトは驚いて見ていたに違いありません。
ピラトは目の前にいる囚人であるイエスをじっと見つめました。
ピラトは何をしなければならないでしょうか?
ピラトは法廷に積まれた大理石のように冷たくなりました。
ピラトが苦境に追い込まれた囚人であるイエスによって心が動かされることなく、そして、裁判の席に再び入り、イエスに個人的に要求し、手短に言いました。
「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章33節
イエスの答えは逆にピラトに質問を置きました。
「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章34節
言い換えるのなら、「あなたは本当のことを知りたくて聞いているのですか?
それとも、誰かがあなたに私がユダヤ人の王であるかを聞かれているのですか?」ということです。
その時、ピラトはこのように言いました。
「私はユダヤ人ではないでしょう。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章35節
そして、あなたはピラトの顔が恥辱に満ちたことを見ることができます。
「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章36節
別の言い方をすれば「彼らの要求は私がユダヤ人の王だから私を引き渡したのです」ということになります。
これは真理でしょうか?
ピラトは実際に素直が男でした。
そして、困惑した時、この点を指摘したのです。
ヨハネが書いているようにイエスは良き告白へと導いたのです。
「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、...。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章36節
つまり、現在あるものではないということです。
ピラトはすぐに見て、言いました。
「それでは、あなたは(その時)王なのですか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章37節
イエスは答えました。
「「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章37節
ここにイエスのピラトに対する挑戦がありました。
イエスがカヤパの前に立った時、イエスはここまで答えていません。
カヤパは誓いをかけて言いました。
「私は、生ける神によって、あなたに命じます。あなたは神の子キリストなのか、どうか。その答えを言いなさい。」
イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
すると、大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「神への冒涜だ。これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、今、神をけがすことばを聞いたのです。
新改訳聖書 マタイの福音書26章63〜65節
カヤパは律法に反して、大祭司の衣を引き裂きました。
そして、その瞬間、大祭司としての働きはイスラエルから離れてゆきました。
つまり、イエスはカヤパが誓いにふれるまで答えてはいません。
そこでカヤパは素直なことをしたわけでもなく、真理を知ろうとする願望があったわけでもなく、カヤパはピラトに疑う価値のあることを示しました。
ピラトは素直に見えたでしょう。
それはピラトが本当のことを知ろうとしていたからです。
そして、イエスは忠実にそれを示したのです。
しかし、その時、そのことばの挑戦は閉じたのです。
「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章37節
私はあなたのこころにこのみことばを持ってゆこうとします。
しかし、私に言っているのではありません。
神の聖霊に対して言っているのではありません。
あなたのたましいに対して言っているのではありません。
「私はイエスキリストが神の御子であることを信じることができない。
私はイエスキリストが霊的な王国の然るべき王であることを信じることができない。」
もし、そのように言うことができないなら、あなたは素直は人とはいうことはできません。
もし、あなたが真理を決断するのなら、もし、あなたが現実を決断するのなら、もし、あなたが深くたましいに決断を促し、素直になることが何かを求めるのなら、あなたはイエスが誰であるかを知るべきです。
イエスは他の箇所でこのように言っています。
「だれでも神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。
」
新改訳聖書 ヨハネの福音書7章17節
もし、人が「私は信じたいのですが、どのような方法で信じればよいのか分かりません。」
しかし、その理由を見つけることは難しいことではありません。
もし、あなたがイエスキリストが神の御子であると信じようと告白しようとしているのに、それができないなら...。
もし、あなたがイエスキリストが聖書が真実なる神のみことばであると信じようと告白しようとしているのに、それができないなら...。
それはあなたが聖書が宣言しているような罪の中を生きているからです。
ですから、それゆえにあなたが信じることがあなた自身によって妨害されているのです。
ある人がアイザック・ニュートンに言いました。
「わたしは信じたいと思っています。
しかし、信じることができない。」
彼は言いました。
「時々、私は放心状態になり、私は勉強と努力というろうそくの中に芯切りバサミも持たずに入ってしまいます。
もちろん、ここは本当の光の中ではありません。
しかし、ろうそくの光は消すことが出来なくても、なんとろうそくの光は点灯させることができるのです。」
この芯切りバサミはあなたの生活に隠されています。
そして、あなたは誰にもこの芯切りバサミを渡したくないのです。
もし、あなたが素直にすべての悪から救われたいと願うなら、何の問題なく福音のメッセージに受け入れることができるはずです。
そして、あなたは神の前に来て、悔い改めあなたの悪を認識できるはずです。
「真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章37節
これはピラトに対する挑戦です。
ピラトはその瞬間立ち止まり、自分の前にいる囚人に疲れた声でこの問題を問いかけました。
「真理とは何ですか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章38節
「これは誰がどのような真理を知ることが出来るのですか?」と言っているのと同じです。
ロードベーコンは「ピラトはからかっているようなことを言っている」と書いています。
そして、その答えを待つこともありません。
受肉した真理がピラトの前に立っていたからです。
ピラトは見る目を持っていなかったのです。
ピラトの世的な野心が真理を見えなくしていたのです。
もし、ピラトが「真理とは何ですか?
それを示してください。
それを私にはっきりと見させてください。」
イエスはピラトに真理を明らかにすることはできました。
しかし、ピラトが聞いた「真理とは何ですか」という質問は立ち去って行きました。
さらに、ピラトはイエスが邪悪な人間ではなく、政府に対してどのような犯罪も犯していないということを確信していました。
ピラトは人々にこのように言っています。
「私は、あの人には罪を認めません。 」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章38節
それから、ユダヤ人たちはイエスを激しく訴えています。
ある者はイエスがガラテア人だという事実を述べています。
そして、ピラトはすぐにこのように言いました。
「この人はガリラヤ人かと尋ねて、ヘロデの支配下にあるとわかると、イエスをヘロデのところに送った。ヘロデもそのころエルサレムにいたからである。」
新改訳聖書 ルカの福音書23章6,7節
この態度はピラトが主イエスキリストに対してはっきりとした態度をやめるように決断したかのように思えます。
私たちはイエスがピラトの所へ行って何が起きたかを知っています。
ヘロデ熱い鉄のような心を持つひどく残忍な男です。
彼は幸いなる神のキリストをあざける兵士たちを許し、再びピラトへとイエスを送り返しました。
ピラトは自分自身に「どのようにしたらこのことから逃れることが出来るだろう」と言ったでしょう。
しかし、イエスはここにいます。
ピラトはイエスに対して何かをしなければなりません。
ピラトはイエスが邪悪な人間だとは信じることができません。
しかし、ユダヤ人たちはイエスが犯罪人だと主張しています。
ピラトはどのようにしたら自分を助けることが出来るのかを考えたことでしょう?
その時、ピラトはユダヤ人たちに気に入られていることを思い出しました。
過ぎ越しの祭りの日にユダヤ人の囚人の一人を自由にしてあげるというローマ政府の勅令があったのです。
その時、注目に値するユダヤ人の強盗バラバが牢屋の中にいたのです。
バラバの名前の意味は父の子という意味です。
イエスはまさに御父の子でした。
ピラトはこのように言っています。
「しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章39節
しかし、ユダヤ人たちはみな叫びました。
「この人ではない。バラバだ。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章40節
バラバが愛国者であったかも知れません。
しかし、彼は強盗であり、人殺しです。
ピラトはためらい、考えました。
「ユダヤ人は私を追い詰めている。
私は何をすれば良いのだろうか?
もし、私がバラバを自由にしたとしたら、わたしはイエスに対して何も出来なかったことになる。」
ちょうど、その時にピラトの注意すべき行動が記されています。
それは彼の妻からの伝言です。
「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章19節
それはおそらく、彼女へ送られた記し(奇跡)でしょう。
私たちは歴史の上においても彼女の事を知っています。
彼女の名はクローディアプリクラです。
初代のクリスチャンたちは彼女がクリスチャンになって死んだと言っています。
ピラトはその伝言を知った時、震えたはずです。
ピラトは自分の妻を大事にし、愛していました。
彼女はこの囚人の命のためにピラトに懇願しましたが、人々はバラバを釈放するように叫んでいました。
「しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」
新改訳聖書 ルカの福音書23章18節
ピラトは人々の前に立ち、イエスを指してこのように言いました。
「「それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です。」と言った。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章5節
確かに、人々がイエスを見たのなら、その無罪性ははっきりし、普通なら赤面したはずです。
そして、そのかたくなな心は柔らかくなったはずです。
そして、イエスが犯罪者ではないことが理解できたはずです。
しかし、人々はより激しく叫びました。
「すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ。」と言った。このバラバは強盗であった。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章40節
そして、ピラトはあらゆる時代の男、女すべての人々に響き渡るべき問題をここに置いたのです。
「それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章17節
「もし、私が一人の人間を赦すという特権を持つならば、バラバを赦せと言う事なのか」とピラトは感じ、イエスをどのように扱おうか考えたはずです。
あなたがもし、この問題を決定しなければならないなら、あなたはどうしますか?
あなたの決断は低く、したたかにあなたの心に要求してくるでしょう?
あなたは今、担いでいう重荷をすべて、自分の足元に置くことが出来ます。
あなたの苦しみは悲しく、疲れきっています。
その妥協という誘惑の甘い声はこのように響き渡りました。
「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章22節
その答えは何でしょうか?
人々に対するためらいはここでは問題になりません。
人々と祭司長たちは声を一つにして叫びました。
「彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」
」
新改訳聖書 マタイの福音書27章22節
ピラトは人々に困り果てて立ち尽くしました。
そして彼は再び、裁判の席に戻り、イエスを呼び出し、もう一度問題を問いかけました。
「あなたはどこの人ですか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章9節
つまり、あなたはどこの生まれでどこから来たのですかということです。
あなたは他の人と何か違うのですか?
あなたは本当に誰なのですか?
私は今日、あなたの裁判をしているが本当に私があなたの裁判官なのか?ということです。
しかし、イエスは何もお答えになっていません。
それはピラトはもうすでに素直にイエスに対して尋ねているのではないという証拠になります。
それはどのような意味があったとしても、ピラトはすでにユダヤ人をなだめ、カイサルに対して忠実を保とうと決断したように思われます。
しかしながら、ピラトはイエスを開放しようと思っていました。
しかし、答えがありません。
そこでピラトは言いました。
「そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章10節
その時、イエスは囚人の立場を取り、このように言いました。
「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章11節
このようにピラトはあらゆる努力を用いて、人々のこころに哀れみ、同情を起こそうとしましたが、期待通りの答えは返っていきませんでした。
ユダヤ人たちはこのように答えました。
「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王だとする者はすべて、カイザルにそむくのです。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章12節
ここに最後の告発がなされました。
この男は自分自身をカイザルに、ポンテオ・ピラトにそむいて反乱を起こそうとしている王です。
もし、あなたがこの男を赦すのなら、私たちはローマのカイザルに告訴します。
私たちはこの男がローマに対して扇動するように教えています。
もし、あなたがこの男を裁かずに自由にするのなら、あなたは自分の地位を失います。
この支配者は水を入れ物に持って来させ、見せびらかすように自分の手を洗いました。
「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章24節
ピラトはもう一度、いばらの冠を頭に載せ、いばらが額に食い込んだイエスを人々の前に連れてきてこのように言いました。
「さあ、あなたがたの王です。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章14節
しかし、人々は叫びました。
「除け。除け。十字架につけろ。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章15節
ピラトはここでもう一度、問題を問いかけています。
「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書19章15節
祭司長たちはこのように叫んでいます。
「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」
ピラトはこの闘争に疲れ果てました。
そこにどんな違いが生じたでしょうか。
ピラトは名も知れないガラテア人のために、カエザルへの自分の名を汚すことを利益としたでしょうか?
ピラトはイエスを十字架に架けるために引渡し、彼らは十字架へ架けるために連れてゆきました。
ピラトは救うためにあらゆる方法を持っていたのです。
しかし、野心という罪に、カエザルに良く思われたという欲望に、人々に見上げられていたいという欲望にしたっていたかったのです。
そのようなものが彼には多く見られます。
ピラトは恥辱から自分を守るためにイエスを十字架の死に渡したのです。
何という結果でしょうか!
「ポンテオピラトによって神の御子が十字架に架けられた」という悪名はこの時代より、永遠に据えられました。
彼の現在、そして未来において、イエスを裁いたという失敗の記憶は永遠において残るでしょう。
その恐怖はピラトの心にあったはずです。
彼はこの4、5年先に自殺をし、永遠へと至ったのです。
イエスはピラトによって十字架に架けられたという責任を永遠に負うことになったのです。
ピラトはその責任を今日においても負っているのです。
そして、永遠に負い続けるのです。
このピラトという男はおおいなる救い主の苦悩の時にキリストの側に立っていたかもしれません。
しかし、彼はキリストを人々の思いを成すために十字架に架けたのです。
私の読者である友へ、私はあなたのこころに問題を問いかけようと思います。
「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章22節
イエスは今日においても同じ裁判を受けています。
神の聖霊はあなたに言っています。
「あなたはキリストをどのように扱おうとしていますか?」
あなたは二つのことをしなければなりません。
あなたはキリストをあなたの救い主として受け取るでしょうか?
イエスを主として受け取るでしょうか?
それとも、イエスを拒み拒否するでしょうか?
あなたは「今は私はそのことについて何もすることがありません。しかしそのことについて考えてみたい」と言うかもしれません。
少なくともこの瞬間において、現実にキリストを救い主として信じることは決断することではなく、受け入れることです。
そして。キリストを拒むということも一つの判断でしょう。
ポンテオピラトは中立を保とうとしてもそれは不可能だったのです。
あなたは中立を保つことはできません。
イエスを人の子として偉大な、最高の人物として認識することはクリスチャンとして十分なことでありません。
また、イエスの教えは他の教えよりもはるかにすばらしいものだと認めるだけでは十分ではありません。
私たちはそれ以上でなければなりません。
あなたはイエスを罪人の救い主として彼に会わなければなりません。
あなたはあなたの罪科すべてをキリストのところへ持って行き、あなたはキリストに信頼を置かなければなりません。
数年前、あるユダヤ人の商人が死にました。
彼には同じ商売をしているクリスチャンの友人がいました。
そして、彼らは何の偏見もなく、何度もイエスキリストを信じることについて話していました。
このユダヤ人の商人はキリストを救い主として受け入れずに死の床にいます。
彼の家族は彼のそばに異邦人は誰も近づかないように望みました。
しかし、クリスチャンの仕事仲間が彼と会いたがっています。
家族は彼が商人の親友だったので、彼を拒むことはできないと思いました。
しかし、彼らはその友人にこのように言いました。
「あなたは彼に宗教のことを話してはいけません。もしくは彼を興奮させるような言ってはいけません。」
友人は入ってゆきベットの横に座りました。
そして、手を取り、ベットのそばでひざをかがめ、静かに神の御そばまでその祈りを捧げました。
すぐにベッドに動きがありました。
この老人は目を開け、座ろうとし、友人の手を取りました。
そして、もがくようにこのように話しました。
「バラバでない。この人だ。」
そして、老人は死んで行きました。
あなたは彼が何をしたか見ましたか?
この老人のこの老人の国の下した判決を覆しました。
老人の国はかつてこのように言いました。
「この人ではない。バラバだ。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書18章40節
しかし、老人は「バラバでない。この人だ」と言いました。
あなたは何と言うでしょうか?
あなたは地上の強盗を望みますか?
この強盗はあなたはの良きものも、純粋さも、聖さもすべて盗んだのです。
もしくは、あなたはイエスキリストをあなたの個人的な救い主として受け取る決意がありますか?
「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章22節
ポンテオピラトは取り返しのつかない恐ろしい過ちを犯してしまったのです。
それはもう取り返しのつかない事実です。
彼は決して、ポンテオピラトによってキリストが十字架に架けられたという恐ろしい宣告から逃れることはできません。
私の読者である友よ。
あなたはキリストを拒むという同じ過ちを犯してはなりません。
あなたはキリストを受け取りましたか?
あなたはあなたの救い主としてキリストを取りましたか?
「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。」
新改訳聖書 マタイの福音書10章32節
あなたはこのような良き証しをすることができますか?
ならば、あなたはこの瞬間、キリストを受け取る準備が出来たのです。
この瞬間にキリストはあなたを受け取ってくださいます。
「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書6章37節
罪はあなたをそんなに簡単にて手放しはしません。
しかし、そんなことは気にしてはいけないのです。
あなたは救われたいと願いますか?
ならば、イエスのところへ行ってください。
「その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
新改訳聖書 マタイの福音書1章21節
2003/7/8 終了