メッセージBD 2025/11/16
使徒の働き
Arno C.Gaebelein著
THE ACTS OF THE APOSTLES
An Exposition
by Arno C. Gaebelein
はじめに
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
第7章
第8章
第9章
第10章
第11章
第12章
第13章
第14章
第15章
第16章
第17章
第18章
第19章
第20章
第21章
第22章
第23章
第24章
第25章
第26章
第27章
第28章
はじめに
「使徒の働き」*という名で知られる本は、4つの福音書の記録に続いており、正しい場所に記されています。
* 最古の写本である4世紀のシナティコスには、単に「使徒の働き」と書かれています。
新約聖書は、聖書が始まる最初の5冊に対応する5つの区分に正しく分かれています。
4つの福音書は新約聖書の創世記です。ここに偉大な始まりがあり、その後に明らかにされたクリスチャンの教義の基礎となっています。
使徒の働きは出エジプト記です。神は束縛から天の民を導き、彼らを救い出します。
地上の教会の始まりを記述した新約聖書の偉大な歴史書です。
パウロ書簡はレビ記です。
主への聖なるもの、信者たちのキリストへの聖別と立場、信者たちがキリストにあって、キリストの血によって贖いを受けていることは、この書簡の核心的真理です。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、ユダの書簡は、普遍的な書簡として知られています。
神の民の荒野の旅のためのもので、試練と苦しみを語っています。これらは民数記に相当します。
ヨハネの黙示録では、ユダヤ人、異邦人、神の教会に関する預言的な言葉の全容が述べられており、申命記と同じ特徴を持っています。
では、この書は誰によって書かれたのでしょうか?
第三福音書の書き手は、地上における教会の成立と関連する出来事を記述するために聖霊が選ばれた人物であることは疑いありません。
このことは、第三福音書の冒頭を読み、使徒の働きの冒頭と比較すれば明らかになります。
第三福音書の書き手は次のように述べています。
「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿。
それによって、すでに教えを受けられた事がらが正確な事実であることを、よくわかっていただきたいと存じます。」
(ルカの福音書1章3~4節)
使徒の働きの冒頭は次のようになっています。
「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、」
(使徒の働き1章1節)
テオピロが以前に知られていたのは、ルカの福音書と呼ばれる第三の福音書です。
この福音書の著者は使徒の働きの筆跡でもあります。
ルカの名前は福音書にもルカが書いた二つ目の書にもありません。
しかし、ルカがその両方を書いたことは間違いありません。
ルカの名前は使徒の書簡の中に何度も出てきますが、これらの文献が私たちが持っている唯一の信頼できる情報です。
コロサイ人への手紙4章14節には「愛する医者ルカ」と書かれています。
ピレモンへの手紙では、ルカは「私(パウロ)の同労者」と呼ばれています。
偉大な使徒が書いた最後の書簡、テモテへの手紙第二から、ルカはパウロと共にローマにいて、パウロに忠実であったことがわかります。
他の人々は主の囚人であるパウロを見捨てていました。
コロサイ人への手紙4章から、彼はユダヤ人ではなく異邦人であったことがわかります。
なぜなら、パウロは11節でこのようについて述べられているからです。
「割礼を受けた人では、この人たちだけが、神の国のために働く私の同労者です。また、彼らは私を激励する者となってくれました。」
(コロサイ人への手紙4章11節)
エパフラスはコロサイ人の一人で異邦人であり、ルカとデマスの名前が続いています。
二人とも間違いなく異邦人です。
聖霊が異邦人を選んで、私たちの主を人であり、救い主であり、使徒の働きとして描く福音書を書かせた理由は、明らかであり、興味深いものです。
イスラエルは神の賜物を拒んだので、救いの福音が異邦人の手に渡ることになりました。
異邦人が異邦人(テオピロ)に宛てたルカの福音は、異邦人のための福音であり、異邦人ルカが選ばれたのは、エルサレムから異邦人に伝えられた福音の歴史を伝えるためです。
同様に、第三福音書の著者が使徒の働きを与えられた道具であることを示す多くの内証があります。
例えば、この両書には、他の場所ではあまり見られない独特のフレーズや単語が50ほどあります。
これらは、これらの二冊の本が同じ著者であることを証明しています。
それから、使徒の働きから、敬愛される医師ルカが、この書に記録された出来事のいくつかの目撃者であったことがわかります。
彼はトロアス(使徒の働き16章11節)での2回目の宣教旅行中に使徒に合流しました。
この証拠は、「私たち」という小さな言葉に見られます。
「そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。」
(使徒の働き16章11節)
著者は今、使徒と一緒にいます。
ルカは使徒の仲間でした。
彼はパウロとともにマケドニアに行き、しばらくピリピに留まりました。
ルカはパウロと一緒にアジアとエルサレムを旅行をしています。
「彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。
種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。」
(使徒の働き21章5、6節)
ルカもまた、カイザリアで投獄され、その後ローマに赴いた時も、パウロと一緒にいました。
「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まった時、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。
私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。」
(使徒の働き27章1、2節)
ルカが使徒の働きを書き、使徒の働き28章30節に記載されている二年間の終わりに送り出したことは疑いの余地がありません。
「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、」
(使徒の働き27章30節)
しかし、批評家はもっと後の時期を主張しています。
使徒の働きの内容と範囲
最初の節は重要なヒントを与えてくれます。
前者のルカによる福音書はこのように伝えています。
「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、」
(使徒の働き1章1節)
したがって、使徒の働きには、主の働きの続きが、もはや地上ではなく、栄光の中から語られています。
復活し、栄光を受けたキリストの行動は、この書全体を通して簡単にたどることができ、描写しています。
*1章では、ユダに代わって十二使徒が選ばれました。
*2章では、イエス御自身が聖霊を注がれました。
ペトロがこのように宣言している通りです。
「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」
(使徒の働き2章33節)
*そして2章の終わりには、復活された主の他の働きが見られます。
「神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
(使徒の働き2章47節)
*3章では、足の不自由な人を癒すために御自身の御力を示されました。
*この書を通して、私たちはイエスが栄光から行動し、御自身のしもべたちを導き、指示し、慰め、励ましておられるのを見ています。
彼らのために示された、イエス自身と御力によるこれらの美しく多様な証拠があります。
私たちはさまざまな章の中で追跡できることを望んでいます。
そして、この書のまさに入り口に、主が約束されたもう一人の慰め主、聖霊が来られることを示す歴史的な説明もなされています。
ペンテコステの日に、三位一体の第三神格の聖霊が来られました。
聖霊が来られることは教会の力を示すものです。
この出来事の後、私たちは聖霊が彼の民とともに、また彼の民の中にいるのを見ることができます。
主のしもべたちを満たし、導き、適合させ、試練や迫害、教会の働きにおいてしもべたちを維持するために、私たちは地上での聖霊の行動を見ることができます。
聖霊は教会の偉大な管理者です。
聖霊については50回以上言及されており、この書を「聖霊の働き」と呼ぶ人もいます。
使徒の働きには聖霊と働きについての教義は存在していません。
しかし、新約聖書の他の箇所に見られる教義の実際的な例証を見ることが出来ます。
三つ目に、この本では別の超自然的な存在が行動していることが示されています。
それは敵である、サタンであり、兄弟たちの妨げであり、告発者です。
私たちは、サタンが現場に現れ、さまざまな道具を使って、吠える獅子として、または悪知恵を使って狡猾な欺きを行っているのを見ることができます。
サタンはできる限り、福音の進歩を妨害しようとしています。
このことは本書の最も重要な一つの側面であり、現実的に非常に有益です。
このように使徒の働きで際立つ人間の道具とは別に、私たちは3人の超自然的な存在が行動しているのを見ています。
つまり、復活し、栄光に満ちたキリストと聖霊、そしてサタンです。
この書の内容と範囲についてのもう一つのヒントはルカによる福音書の終わりにあります。
そこで復活されたキリストはこのように言われました。
「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」
(ルカによる福音書24章47節)
使徒の働きの1章では、神の御霊が天に上ろうとしている主の命令の全容を報告しています。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
(使徒の働き1章8節)
使徒の働きは、エルサレムから始まったこの宣教がどのように実行されていったのかを示しています。
その証人は、再び、主がイスラエルの民に献げられた十字架につけられた町から始まっています。
私たちは、福音がエルサレムと全ユダヤからサマリヤに、その後に、異邦人に伝えられ、使徒に選ばれた異邦人によってローマ帝国のさまざまな国で告げられているのを見ることができます。
マタイによる福音書22章1~10節の主の例えは、これらの出来事の歴史を預言的に示しています。
最初に招待客が結婚式に呼ばれました。
しかし、彼らは来ませんでした。
これは、主が地上の民の間に住まわれた時、主から地上の民への招きでした。彼らはイエスを受け入れていません。
それから、すべてのものの準備ができていることを保証する新たな提示がありました。
これはまさに使徒の働きの初めにあることです。
エルサレムとユダヤ人の民に再び王国が提示されました。
イエスが死者の中からよみがえったキリストであることを示すしるしと奇蹟が起こったのです。
上記の例えでは、私たちの主は、民が二度目に提示してきたしもべたちをどのようにするかが預言されました。
彼らはみことばを無視して、しもべたちを意地悪に扱い、殺します。
私たちは、エルサレムで起こった迫害の中で、使徒たちが投獄され、他の者たちが殺されたことを知っています。
主はまた、その例えの中で、悪都の運命を預言されています。
その街は燃やされることになっていました。
エルサレムについても、二度目の提示が断られたならば、召使たちは客を招くために道端に出ることになります。
これは異邦人への招待を意味します。
エルサレムはこの書の最前面にあります。
なぜなら、初めはエルサレムにあってまず「ユダヤ人」から始まっているからです。
この書の終わりはローマに連れて行かれ、偉大な使徒がそこで囚人になっているのを見ることができます。
これは非常に重要な、預言的な状況です。
「使徒の働き」の分割
「使徒の働き」の分割は非常に単純で、私たちは3つの部分に分けています。
Ⅰ.1章から7章。これらの章では、エルサレムでの始まりの歴史的な説明、キリストと王国としてのイエスについての国民への新たな証言がなされています。
7章、ステパノの石打ちは、この証言によって締めくくられています。
Ⅱ.8章から12章。これらの章は移行期を示しています。福音はサマリヤに伝えられます。
タルソスのサウロは主を見て改心します。
ペテロは異邦人に福音を宣べ伝えます。ペテロは牢獄に入れられ、奇跡的に救い出されます。
この2つの部分では、ペテロが前景に出ています。彼はほとんどの説教をし、行動しています。
2章ではユダヤ人に伝道し、10章では異邦人に伝道するために天の王国の鍵を使っています。
Ⅲ.13章から18章。これらの章には、使徒パウロの旅行と苦労、さまざまな国での福音の宣べ伝え、このことに関連する出来事と状況について霊感に満ちた記述が含まれています。
ローマへの旅とローマでの滞在によって、この書は締めくくられています。
ベンゲルがグノーメンで与えた別の区分も良いものです。
Ⅰ.ペンテコステ、先行する出来事 ー 1、2章
Ⅱ.割礼を受けた者の間でのエルサレムと全ユダヤとサマリヤでの行動 ー 3~9章12節
Ⅲ.カイザリヤでの行動と、異邦人の受け入れ ー 10、11章
Ⅳ.異邦人の間の最初の旅 ー 13、14章
Ⅴ.エルサレムでの代理と評議会 ー 15章
Ⅵ.パウロの2回目の伝道旅行旅 ー 16~19章
Ⅶ.エルサレムとローマへの旅 ー 19章21節~28章
この偉大な書物の簡単な序文を締めくくるにあたり、私たちはこの書物の内容を注意深く研究することが現在において非常に必要であることを述べたいと思います。
それは私たちを最初に戻すことで、主が地上の教会のために定められた道を示しているからです。
この書に照らして、私たちは今日の混乱と神と神のみことばからの逸脱した暗い描写を発見することができます。
この書物には、私たちの時代に生きる神の民の忠実な残された民のための多くの慰めと方向性を見ることができます。
この本から私たちにもたらされる福音を宣べ伝え、信仰のために立ち上がることにおいて、より多くの忠実さ、より聖なる大胆さへの熱心な勧めが見ることができます。
信者の中で、信者の上で、信者と共に聖霊の働きに従うことは、最も幸いなことです。
私たちの主の恵み深い助けと主の霊の助けによって、私たちはこれらすべての祝福された段階に触れることを望んでいます。
そして、主が使徒の働きのより詳細な研究によって、私たちの読者と著者を祝福にしてくださることを確信しています。
1章
この書の最初の章では、ペンテコステの偉大な日の前に起きた出来事が述べられています。
しかし、復活の日から聖霊の降臨までの50日間にエルサレムで起こった多くの出来事が、すべてこの章で述べられているわけではありません。
ここでは、旧約聖書や福音書の偉大な歴史書と同様に、特定の出来事だけが報告され、他の出来事は無視されています。
人間ではなく、神が御霊によって、何が起こったかの単なる歴史的な説明以上のものを私たちに与えるために、このことが計画されました。
出エジプト記が歴史の中で霊的にディスペンセーション的な真理が予見されているように、この新約聖書の出エジプト記もまた、霊的でディスペンセーション的教訓を教えていることがわかります。
この1章に書かれているペンテコステ以前の出来事は次のとおりです。
I.主の昇天の前に起きた出来事、昇天そのもの、そして主の個人的で目に見える栄光への即位のメッセージについての説明がなされています。
1章1~11節
Ⅱ.祈りの中で待ちわびた仲間として、ユダの代わりにマッテヤが使徒たちに加えられました。
12~26節
1.1~3節この章の最初の3節は序文です。
「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、御自分が生きていることを使徒たちに示された。
(使徒の働き1章1~3節)
「テオピロ(神の友)」は、ルカの福音書と同様に使徒の働きの最初の部分においても「最も優れた人物」と呼ばれています。
2世紀にさかのぼる信頼できる情報源から、彼はアンテオケ市に住んでいた有力で裕福な人物であったことがわかっています。
彼はバシリカと呼ばれる壮大な宮殿を福音宣教のために捧げました。
ルカもおそらくアンテオケ出身です。
彼はテオピロの一族に属していました。
ルカがテオピロから多大な親切を受けた可能性は低いわけではありません。
彼はかつて奴隷であり、テオピロを通して自由人になったと主張する者もいます。
ルカによる福音書と使徒の働きの両方がテオピロに宛てられているからといって、これらの論文がテオピロだけに向けられたものであるという意味ではありません。
ルカはテオピロを優れた人物、責任感のある人物、その名は神との密接な関係を示すものであり、テオピロを通してテオピロが属していた集会、そしてより広い意味では異邦人とキリスト者のすべての教会に向けて語りかけています。
テオピロへの語りかけによれば、ルカによる福音書にはキリストが行い教えたことの始まりがあります。
したがって使徒の働きはこれらの続きなのです。
キリストは地上で始まり、今では状況が変わっています。
キリストは栄光の中の人であり、そこから働きを続けておられます。
この書の冒頭のいくつかの文の中で、主イエスが私たちの目に触れているかを見るのは美しいことです。
愛する医師のペンを導かれた方、それは聖霊です。
私たちの主について、七つのことが述べられています。
1)主の地上の生活おける主イエスの働き、教えがあります。
2)主イエスは聖霊によって使徒たちに命じられています。
3)主イエスは取り上げられました。
4)主イエスは苦しまれました。
5)主イエスは多くの証拠を持って生きておられます。
6)主イエスは40日間、弟子たちに見られました。
7)主イエスは、神の御国に関することを語りました。
この僅かな文の中に、驚くべき事実の数々を見いだすことができます。
十字架の後に復活されたという事実が、この箇所の最大の特徴点となります。
キリストの復活は、福音と教会の土台となる偉大なものだからです。
キリストは、多くの証拠を持って生きておられ、40日間、民に見られました。
この箇所でのみ、キリストが現れた期間が述べられています。
その間、「多くの証拠」が与えられました。
キリストは弟子たちの中に現れました。
キリストは弟子たちと一緒に歩き、弟子たちと一緒に食べ、弟子たちはキリストの体、彼の手と足に触れ、弟子たちは彼が幽霊ではなく、肉と骨の体を持っていることが見出されています。
幸いなことに、キリストは生きている御自身を示しています。
キリストは生きている御方です!
このように多くの証拠を持って御自身を示したことは、議論の余地がありません。
しかし、この40日間も同様に謎に包まれています。
この40日間を空想的に応用し、そのような応用によって非聖書的な教義を教えることは簡単です。
例えば、信仰の根本的な部分を否定する悪説が蔓延していますが、主は復活してから40日間地上におられたように、今も地上におられると考えています。
ラッセル主義もしくが千年の夜明け、エホバの証人と言われる教えによれば、主は1874年に秘密の方法で来られ、40年間ここに留まることになっています。
このような教えをどのように呼ぶことができるとしても、聖書の裏付けが全くありません。
この40日間、つまり試練を意味する日数の間に、主は御自身を現されただけでなく、神の御国に関することも話されました。
これらの機会に弟子たちが主の唇から受けた指示は私たちには知らされません。
以下の節は、別れの交わり、弟子たちへの最後の言葉、主の昇天、そして地上への帰還の約束について述べています。
「彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。
「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。
「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。
それは、父が御自分の権威をもってお定めになっています。
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。
そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。
すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。
あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」」
(使徒の働き1章4~11節)
ペンテコステの日の10日前のことです。
弟子たちはエルサレムにいて、この町で父の約束を待つことになっていました。
その約束は、弟子たちが御父の唇から聞いたものです。
ヨハネの福音書に書かれているように、御父は死の前に彼らに語られ、この約束を彼らに与えられました。
ルカの福音書の終わりにも、御父の約束が間もなく果たされるという事実と同様に、町にとどまるという同じ命令が見られます。
それから主は、ヨハネとその水によるバプテスマについて、彼らが聖霊によるバプテスマを受けることに述べられています。
それは火によるバプテスマはペンテコステの日を指しているのではありません。
その時とは、主はヨハネが語った「火」(マタイに福音書3章12節)であり、その時について述べられていません。
すなわち、キリストの再臨です。
再び、キリストは彼らと共におられ、彼らの中にいる「もう一人の慰め主」を告げられました。
このすべてのことは、聖霊の注ぎについて述べられています。
私たちの研究の偉大な2章に進むのならば、私たちは詳細に従うことになります。
ここで付け加えておきたいのは、父の約束を求めて弟子たちが10日間もエルサレムにとどまって待っていることは、現在の私たちとは違う立場にいるということです。
よく、善意に満ちた霊的な人々が、「御父の約束」が与えられるようにと、何日にもわたって待ち望んで祈りの集会を設けることがあります。
このような期待は間違っています。
父は約束を守られ、聖霊が来られました。
今、父に約束を守るよう求めることは、キリストの死によって平和をもたらすように神に求めることと同じです。
平和が作られました。
聖霊が与えられました。
そして今、私たちは集まった弟子たちが主に語りかけるのを聞いています。
彼らは聖霊との間にどのような祝福された交わりがあるのでしょうか?
イエスは以前の柔和と哀れみをもって彼らに話し、弟子たちはイエスに質問をすることができました。
このように、イエスは変わらずイエスを愛する者たちのために近づくことができるのです。
「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
(使徒の働き1章6節)
これは彼らにとってはごく自然な質問でした。
いまだに彼らはユダヤ人であり、地上の王国を希望として知っていました。
イエスは死者の中から復活し、彼らの考えでは、王国がイスラエルにのために復興する時でした。
イエスを信じてイエスに従っていたこれらの人々の探求心は、しばしば無知と利己主義によって引き起こされたことが宣言されています。
いまだに、彼らは地上の王国がエルサレムを中心とした土地に設立されることを期待していました。
いまだに、彼らはユダヤ人の考えから解放されていません。
他の人たちは、彼らがこの質問をした時、彼らは王国の真実な意味を知らなかったと言っています。
これらの解釈者によると、王国は新約聖書の教会です。
聖霊はこれらの地上の王国の期待を一掃しています。
弟子たちの質問を説明するために、このような理由が与えられています。
この質問は、彼らがまだユダヤ人であり、無知から生じたのではなく、弟子たちの持つ旧約聖書に明らかにされている神の目的についての優れた知識のために尋ねられたものだったのです。
この知識は、現在の信仰を告白している教会には悲しいことに欠けている知識であることを、少数の人々は理解しています。
主は、彼らの無知を責められることもなく、また彼らが誤っていたと告げられることもありません。
そして主はは彼らに仰せられました。
「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父が御自分の権威をもってお定めになっています。」
(使徒の働き1章7節)
この答えは、弟子たちの問いの主題を肯定するものです。
御国は回復されるのだが、時や季節はその時には明らかにされません。
それは父が御自分の権限の下に置かれたからです。
そしてこの答えは多くの暗示に富むものです。
かつて、イスラエルに御国が回復され、神の聖なる預言者たちによって約束された地上における神政の御国の樹立に関連して、時と季節が明示され、御国の到来に先立って、終わりの時には賢い者は悟るべきだと宣言されました。
「多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。」
(ダニエル書12章10節)
しかし主はここで、オリーブ山で語られた終末のように、彼らの注意をダニエルに向けられることはありません。
「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。」
(使徒の働き1章7節)
より優れた望み、天の望みは彼らのものであり、聖徒たちをパレスチナに連れて行くのではありません。
地上の御国を与えられ、栄光にある父の宮に入るための主が来られるという祝福された望みについて、「いつとか、どんなときとかいうこと」は彼らには明らかにされていません。
聖徒たちのために、いつでも来られるのです。
これらの弟子たちは、聖霊のバプテスマによって、すぐに一つのからだ、教会に形成されました。
これを主は予期して、彼らにこの答えを与えられました。
それは彼らを王国の地上の希望から遠ざけました。
将来の他のユダヤ人の弟子たち、そこには完成した教会がこの地上の光景を去った後に召されたイスラエル人の忠実な残された者たちがいます。
彼らは、父が御自身の権威の中に置かれた時と季節を確実に知ることになります。
再び弟子たちはイエスの偉大なる使命を告げ、そのような証人になる前に、聖霊が来られることによって力を受けることになっていました。
ペンテコステの日の出来事に理由があったことは、その日が実際に起きた時に理解することになります。
1節は、私たちの主が昇天し、父のもとに戻られたことを説明しているだけです。
主は取り上げられ、弟子たちは見ていましたが、雲が彼らの目の前でイエスを迎えました。
これは素晴らしい壮観でした!
イエスは、弟子たちが信じていた方、弟子たちと一緒におられた方、弟子たちは愛に満ちた柔和な言葉に耳を傾けていた方、イエスの受難の時が来た時、弟子たちが見捨てた方です。
十字架にかけられて死んだ方、悪人の中に数えられた方、墓に眠っていた方、そして神の御力によって死者の中から甦られた方です。
栄光に満ちた人間のからだを持たれ、40日間、弟子たちと共におられ、栄光と御力を得られ、復活のために御姿を現わされた方です。
イエスは栄光の中に迎えられました。
徐々にイエスは、彼らの中から引き上げられました。
イエスの目は彼らの上に置かれ、彼らの目はイエスを見るだけでした。
今、彼は引き上げられて、なお人間の姿でイエスを見ることができます。
その時、雲が彼を彼らの視界から消しました。
ギリシヤ語の動詞は「取り込む」です。
文字通り「その時、雲が彼を彼らの視界から消したのです。」
この雲がイエスを取り囲み、彼らが最後に見たのは、イエスが雲の中の人間のとして栄光に包まれ、彼らの視界から消えたということです。
そしてその雲は、蒸気の雲ではありません。
それは変身の山、シェキナの山に現われた雲と同じです。
そしてソロモンの神殿を満たした栄光の雲と同じものです。
その雲はイスラエルの過去の歴史の中で、主がその民と共におられることを表向きに示すために繰り返して現れた雲です。
栄光の雲は、イエスを受け入れ、イエスが来た場所、父の御元に彼を連れ戻すために来ました。
イエスが人間の視界から消えた後に起こったことを、どのような人間の舌やペンが描けるものではありません。
シェキナの雲がイエスを迎えに来て、その栄光が始まった場所で、視覚は終わり、信仰が始まります。
イエスが御父の王座の前に来て、イエスが御座に着き、歓迎の言葉で迎えられた時、この聖句が成就しました。
「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」
(ヘブル人への手紙7章17節)
「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」
(詩篇110篇3節)
天の御使いたちも参加し、驚くような輝かしい光景でした。
そして今、イエスは御父と元に戻り、私たちはイエスの御名によって神に近づくことができるのです。
イエスは私たちの代弁者であり、神の前にいる私たちの司祭であり、神の御前に現われておられます。。
イエスがこのように父と共にいるという証拠として、1章の答えのある祈りによってすぐに示されています。
また、さらに大きな証拠は、聖霊の注ぎ、三位一体の第三神格の到来です。
私たちは、この時代に高等な批評家や異教徒によって激しく非難されてきた、この偉大な真理の教えを見過ごしてはなりません。
主イエス・キリストは、栄光に輝く本物の人間のからだ、肉と骨の体を持って天を通過されました。
そのからだとともに文字通りの場所、神の御座に着かれ、今では栄光の中で「人」となっておられます。
現代では普遍的なこの事実の否定は、福音、私たちの救い、天の希望の根幹を揺るがすものです。
主が御自身のからだを残し、からだを父に返されたというこの偉大な真理は、キリストの昇天の記述に紛れもなく見ることができます。
親愛なる読者の皆さん、キリストのご存在、キリストの昇天、栄光の中でのからだの存在が、この偉大な出来事の目撃者の心と同じように、私たちの心にも現実のものとなりますように。
雲がキリストを取り込み、それでも彼らは天を見つめていました。
いまだに、彼らは雲の幻を見ていたのです。
「上って行かれるとき」の行かれるとは動詞で、このことを示しています。
弟子たちは、彼らの救い主、彼らの主、彼らの希望、彼らのすべての輝かしい点から目を離すことができません。
この上向きの視線は、教会のとるべき態度であるべきです。
今、二人の天上の訪問者がその場に現れ、彼らは、疑うことのできない偉大な出来事を宣言します。
そして、彼らはよく知られるキリストの再臨の約束を口にします。
「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
(使徒の働き1章7節)
人間の言葉でこれ以上明確なことばがあるでしょうか?
この御使いのメッセージで明らかにされているように、個人的に、目に見える形で、栄光に満ちたイエスが帰ってくるという単純な事実を、知的な人間が把握できないことはあり得ません。
同じ栄光の雲がイエスを連れ戻します。
そう、同じ場所でさえ明確です。
ゼカリヤはこのように言っています。
「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。
オリーブ山は、その真中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。」
(ゼカリヤ書14章4節)
しかし、ここで述べられている出来事を、教会の希望である祝福された希望と混同しないように注意しなければなりません。
旧約聖書の預言書に記されているように、主の来臨は目に見える来臨です。
地上に支配を確立するために来臨します。
ダニエル書7章14節とヨハネの黙示録1章7節で語られている出来事です。
「この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。
その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」
(ダニエル書7章14節)
「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。
地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」
(ヨハネの黙示録1章7節)
主が昇られたときと同じように来られる時、聖徒たちは主とともに来ます。
「私たちのいのちであるキリストが現われると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現われます。」
(コロサイ人への手紙3章4節)
「その日に、主イエスは来られて、御自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の――そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです。――感嘆の的となられます。」
(テサロニケ人への手紙第二1章10節)
教会の望みは、天の雲の中に来られる主を見ることではなく、空中で主に会うことです。
ここに「同じ有様で」来られるのは、主が国々とイスラエルのために来られることです。
目に見える栄光の現われの前に、主が教会のために来られることは、テサロニケ人への手紙第一4章16~18節に明らかにされています。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、御自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」
(テサロニケ人への手紙第一4章16~18節)
これらの重要な真理を心に留めておくことは良いことです。
これらの間にある混乱は悲惨です。
主はアロンが贖いの日に行った祭司職を行わせるために聖所に入らせます。
私たちの主はメルキセデクの命令に従った祭司です。
白衣を着た二人の約束が果たされると、主が出て来られ、御自分の王座の祭司となられます。
Ⅱ.祈りの中で待ちわびた仲間として、ユダの代わりにマッテヤが使徒たちに加えられました。
「そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」
(使徒の働き1章12~14節)
弟子たちは、主が目に見える形で御父のもとに行かれた祝福の地から悲しんで離れて行きました。
そして今、私たちは彼らの待つ姿を見ています。
弟子たちは主の命令に従い、エルサレムにとどまって御父の約束を待ちます。
弟子たちの待つ姿は、イエスをキリストと信じる弟子たちの集まりとしては、異様なものでした。
10日後、御父の約束が果たされ、聖霊が注がれました。
聖霊がここにおられるようになった今、もう御父の約束を待つ必要はありません。
この時代の信者の集まりは、ペンテコステ以前の弟子たちのような立場には、二度と立つことができません。
したがって、前に述べたように、聖霊の注ぎを待つ祈りの集会を開くことは、正しくはなく、聖書に反することです。
ペンテコステの日に起こったことの繰り返しを期待する人、聖霊が来られることを祈り期待する人は、聖書に反する立場にいます。
弟子たちが屋上の間に集まっているのが見えます。
これは神殿ではなく、個人の家です。
おそらくヨハネの福音書で述べられている部屋と同じだと思われます。
このような広い部屋は、ヘブル人が祈りや黙想するために使用していました。
今でも存在しており、さまざまな都市の個人の家には、祈りのための大きな集会室 (ベト・ミドラシュ) があります。
「屋上の間」という表現は、タルムードの文書でよく使われます。
ペテロの名前が最初に書かれています。
ペテロはこの本の最初の箇所では前面に出てきます。
弟子たちの名前が示され、彼らが一致して絶えず祈りを捧げた後、女性たちも同じように出席していた事実が述べられています。
これらは、ルカによる福音書8章2~3節で述べられている場所と同じであることは疑いありません。
彼女らの名前は述べられていません。
最後に、イエスとその兄弟たちの母マリアが現れます。
聖霊がイエスの母マリアという名を与えたことは、最も重要なことです。
それは、預言の処女であるマリアという一人の女性から生まれた神の子の受肉と祝福された人生の全容を思い出させます 。
「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。
見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を「インマヌエル」と名づける。」
(イザヤ書7章14節)
重要なことは、神の恵みによって創造主である神の子が、神が創造された世界に人間の形で入られるための祝福された器としてマリアが選ばれました。
そして、ここでは待っている他の弟子たちと一緒にいることが述べられています。
マリアは彼らの中で優位な立場を持っていませんが、残された者たちと一緒に父の約束を待っていました。
聖霊が注がれた時、彼女もまた、神の恵みによって一つのからだに一つの霊によってバプテスマを受けるのです。
マリアは主イエス・キリストの他の信者と同じように一員です。
マリアは他のすべての人と同じように誤りやすく、罪深い人であり、堕落したキリスト教によって、彼女を邪悪な教えとしました。
使徒の働きのこの章の後、彼女のことは一度も述べられていません。
聖霊がクリスチャンの教義と特権を明らかにする書簡の中に、マリアの名前を求めることは無駄です。
イエスの母マリアは、神の子の贖いの御業とは全く関係がありません。
それから、私たちの主の兄弟たちのことが述べられています。
彼らは母マリアと共に、私たちの主の務めを妨害しようとしました。
「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ。」と言う人たちがいたからである。」
(マルコの福音書3章21節)
「さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と言った。
すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。
そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」」
(マルコの福音書3章31~35節)
この中の一人も使徒ではありません。
イエスの兄弟たちは、ある時までイエスを信じていなかったことがはっきりと述べられています。
「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」
(ヨハネの福音書7章5節)
彼らが後にどのように信じたのかは私たちにはわかりません。
彼らが待ち受ける仲間の中にいることは、彼らが信じていたことを示しています。
そのころ、ペテロは弟子たちの真中に立って言いました。
(人数は合わせておよそ120人です。)
「そのころ、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていたが、ペテロはその中に立ってこう言った。
「兄弟たち。イエスを捕えた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書のことばは、成就しなければならなかったのです。
ユダは私たちの仲間として数えられており、この務めを受けていました。
(ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
このことが、エルサレムの住民全部に知れて、その地所は彼らの国語でアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになった。)
実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』」
(使徒の働き1章15~20節)
その日がいつなのかは記されていません。
弟子たちの数はおよそ120人でした。
これは明らかにペンテコステ以前の信者の総数ではありません。
復活したキリストが一度に約500人の兄弟たちの前に現れたことを、他の箇所で読むことができます。
「その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。」
(コリント人への手紙第一15章6節)
彼らは間違いなくガリラヤに属しています。
ペンテコステの前であるその日、ペテロは120人の中で立ち上がり、彼らに兄弟として語りかけ、12人の使徒の中に数えられていたユダの悲しい事件を彼らの前で語りました。
ユダの恐ろしい運命が再び語られています。
マタイの説明とここにある言葉の間に矛盾はありません。
彼は首つり自殺をしました。そして縄が切れ、恐ろしいことが起こりました。
そのことがここに報告されています。
使徒ペテロは、弟子たちの前にこの事件を提起する際に、神のみことばを驚くべき方法で引用しており、その霊感を示しています。
ペテロの行動の正当性についての疑問がすぐに生じます。
このような行動は正しかったのでしょうか?
彼は集まった仲間に演説し、ユダの代わりに別の使徒を加えることを提案する権限があったのでしょうか?
それとも彼の行動は、彼の衝動性のもう一つの証拠であり、完全に間違っていたのでしょうか?
私たちは、一部の良い兄弟、聖書の教師がペテロが間違いを犯したと宣言していることを知っています。
ある者たちは、この行動は主の心に従っていなかったと言っています。
そして、彼らはさらに、マッテヤではなく、パウロがユダの代わりに使徒であるべきだったと主張しています。
私たちは彼らの教えに全く同意しません。
ペテロと集まった仲間は間違っていません。
彼は霊感によって行動し、彼らの行ったことは、復活したキリストの心に従っただけではありません。
神のみことばに従い、キリストが彼らの中に存在しているのです。
12人にマッテヤを加えたのは主です。
パウロが第十二使徒であったというのは大きな失言です。
パウロの使徒職は、主によって召された人々の使徒職とは、地上での主の務めのために召された人々の使徒職とは、全く異なっています。
パウロは異邦人の使徒であり、よみがえって栄光に満ちたキリストから、「わたしの福音」と呼ばれる福音と教会の務めとの二重の務めを受けています。
イスラエルの失敗がステパノの石打ちによって完全に明らかになるまで、タルソのサウロは使徒職に召されていません。
12人の使徒が必要であり、12は地上の支配を表す数です。
主の即位の後、エルサレムに再び証しが与えられ、再び王国が提示されることになるからです。
「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。」
(使徒の働き3章19、20節)
十二使徒は、国民への証人として必要でした。
もし、ペンテコステの日に11人の使徒だけが立ち上がったとしたら、神の計画と秩序に反することになります。
もし記録に「ペテロは11人と共に立ち上がった」ではなく、「10人と共に」と記されていたとしたら、それは奇妙な響きになったはずです。
「そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください」
(使徒の働き2章14節)
12人がイエス・キリストの復活をあかしするためにペンテコステに立たなければなりません。
ゆえに、その日の前にもう一人加えられなければなりません。
これに加えて、聖霊が屋上の間での弟子たちの行動を支持したという積極的な証拠があります。
コリント人への手紙第一15章5節では、聖霊は主を見て、主が現れた12人について言及しています。
「また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」
(コリント人への手紙第一15章5節)
その後、パウロは栄光で主を見て、適期に生まれた者として12人とは別に述べられています。
(使徒の働き8章)
パウロは、しかるべき時期から生まれた者として栄光の中の主を見たのです。
彼らの行動の記録を詳しく調べてみると、このことについて主が彼らを導いたことがわかります。
ペトロは聖書の引用から始めます。
ペトロは主に導かれたことを明確に証明する方法で行っています。
ペトロはこのように言いました。
「聖書のことばは、成就しなければならなかったのです。」
(使徒の働き1章16節)
マタイによる福音書16章のペトロとは全く違います。
主が来るべき死を告げた後、ペテロはこのように言いました。
「するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。
そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」
(マタイによる福音書16章22節)
まったく、変わっています。
その時、ペテロには聖書の知識がなかったのです。
弟子たちは聖書を知らず、目も伏せていたと繰り返し言われています。
しかし、ここでペテロは聖書から始めます。
確かにこれは正しい出発点であり、主によって命じられたのです。
彼は詩篇から引用しています。
詩篇69篇25節と詩篇109篇8節は、主によって目的の行動の基礎として与えられました。
これらの詩篇は、起こるべき出来事を預言しています。
「彼らの陣営を荒れ果てさせ、彼らの宿営にはだれも住む者がないようにしてください。」
(詩篇69篇25節)
「彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り、」
(詩篇109篇8節)
主は、他の弟子たちと同様に、ペテロの理解力を開かれました。
ルカによる福音書24章では、モーセの律法と預言者たちと詩篇に書かれていることについて語られたことがあります。
「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、」
(ルカの福音書24章45節)
それは復活された主の賜物であり、ここでは神の聖霊に導かれたペテロが預言的な御言葉を用いています。
すべての仲間は、働きにおいて主と一つになっています。
そうしなければなりません。
主はこのことについて彼らを動かしました。
この働きにおいて。必ず成就しなければなりません。
主はこの出来事において彼らを動かしました。
「ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」」
(使徒の働き1章21、22節)
ここでペテロは使徒の資格を定義しています。
その者はキリストの復活と、キリストが地上での宣教の中で語ったこと、行ったことの証言者でなければなりません。
弟子たちは二人を任命しました。
「そこで、彼らは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。
この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」
そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。」
(使徒の働き1章23~26節)
何とも単純なことす。
どうしてこの行動で自分たちが間違っていたと言えるのでしょうか?
2人が選ばれ、そして彼らは祈りました。
間違いなくペテロは聞こえる祈りを導きました。
そして、祈りは直接的でシンプルなモデルです。
弟子たちは主に語りかけ、主がすでに選択をされていると信じています。
弟子たちが祈るのは、主によって選ばれた者が、今、御自身によって知られるようになることです。
くじは彼らが使うのに完全に合法的であり、聖書はこのことについて語っています。
「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」
(箴言16章33節)
弟子たちはまだ旧約聖書の場所にいたので、くじを引くことは全く正しいことでした。
残念ながら、現在ではそれは違っています。
私たちには、彼の完全な言葉と、彼の意志を明らかにする聖霊があります。
主はマッテヤを選ばれました。
彼の名前は「主の贈り物」を意味します。
このように主はマッテヤに立場を与えられました。
使徒職が完成し、ペンテコステの偉大な日のためにすべての準備が整ったのです。
2章
非常に重要な章が我々の前にあります。
現代ほど、この章を綿密に祈りを込めて学ぶことが求められた時代はありません。
多くの神の民は、神の恵みによってペンテコステの日になされたことを知りません。
彼らは、起こった偉大な出来事の正確な意味と、信者としての分担と役割をほとんど知りません。
この知識の欠如は、私たちが出会うすべての流行や空想的な解釈の原因となることが多くあります。
私たちはこの章を5つの部分に分けることができます。
1~4節、聖霊の注ぎ
5~15節、キリストの臨在の即効性
14~36節、ペテロの演説
37~41節、伝えられた証言の結果
42~47節交わりの中に集まった同胞
最初の部分を取り上げて本文を学ぶ前に、ペンテコステの日の聖霊の贈り物という偉大な歴史的出来事について、いくつかの一般的なことを述べたいと思います。
その記念すべき日に何が起こり、何が成就したのでしょうか?
まず最初に、御父と御子の約束が成就しました。
新約聖書の読者なら誰でも知っていることですが、バプテスマのヨハネが、彼らに聖霊のバプテスマを授けられるイエスについて目撃しています。
(マタイの福音書3章)
主はまた、聖霊の賜物について弟子たちに繰り返し語られました。
ルカの福音書11章に次のようなイエスの言葉があります。
「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
(ルカの福音書11章3節)
この約束は未来の出来事に関係しています。
それはヨハネの福音書7章37節から39節にあります。
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。」」
(ヨハネの福音書7章37~39節)
ゆえに、約束された聖霊は来ることができず、十字架上での偉大な贖いの御業が成し遂げられ、主イエス・キリストが死者の中からよみがえり、栄光の中にその地位を占めるまで、約束は成就されることができなかったのです。
この福音書の後の約束の中で、主は御自身が始めるすることに関連して慰め主の到来について語られています。
彼は、もう一人の慰め主、真理の御霊が彼らの中にいることを約束しました。
しかし、これらの約束は、彼自身が栄光を受けていなければ、成就されることはありません。
私たちはすでに見てきたように、彼は父のもとに立つために出発する前に、父の約束を待つためにエルサレムに留まるように彼らに告げました。
「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
(使徒の働き1章5節)
ペンテコステの日に、これらの祝福された約束のすべてが成就しました。
すべての信者にこのように言われています。
「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」
(ヘブル人への手紙10章10節)
すべての信者は完成した御父の約束を分かち合い、聖霊にあずかっています。
私たちは、聖霊が私たちの尺度によって与えられたのではなく、キリストが人としてが来られた結果であることを強調しなければなりません。
主イエス・キリストが十字架上で成し遂げられたことは、本当に祝福されたことなのです。
私たちには完全には推し量ることのできない御業なのです。
三位一体の神の第三神格が天から降りてきて、罪人を信じる者たちの間に御自分の居場所を設けられました。
それゆえ、主イエスの臨在は、父の約束が完成したという事実だけでなく、尊い血の効力をも証ししています。
また、イエスが栄光において、高き威光の右の座に栄光のうちにおられることをも証ししています。
それゆえ、神に御霊の賜物を求めたり、ペンテコステの日に神が成就された約束を弁明したりすることは誤りです。
御霊のより大きなバプテスマを祈ることも、神に御霊のより多くを与えるよう求めることもよく行われますが、それらは聖書に基づいていません。
すでに神は私たちに御霊を与え、すべての信者に封印し、すべての神の子に聖霊が宿られました。
では、ペンテコステの日の御霊の賜物の目的は何でしょうか?
この時代の聖霊の働きについて長々と述べることはしませんが、私たちはただ、聖霊の来臨の目的がこの章で報告されている歴史的出来事の中で明らかにされていることを指摘するだけです。
他の目的も示されており、これらは後にパウロ書簡の中で完全に明らかにされています。
使徒の働きは、純粋に歴史的な本として、聖霊の単一の教義を含んでいません。
むしろ、その実際的な側面で明らかにされた教義を示しています。
2つのことが同時に明らかになっています。
聖霊は集まった信者たちに個別に会いに来て、また、共同の働きをします。
その日、各信者は聖霊に満たされていました。
聖霊はそれぞれの人に住む者として来ました。
しかし、また聖霊はすべての家を満たす強力な突風として存在していました。
彼はそれぞれに来ただけでなく、すべての人が聖霊のバプテスマを受け、彼らを一つのからだに統合しました。
コリント人への手紙第一12章13節には、この事実についてのより完全な啓示があります。
「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」
(コリント人への手紙第一12章13節)
一つの御霊とは聖霊であり、聖霊はペンテコステの日に来られたのです。
一つの御霊とは教会のことです。
すべての信者は、その日に御霊によって一つのからだに結ばれました。
それ以来、罪人がキリストの完成した御業を信じるときはいつでも、どこでも、そのバプテスマにあずかり、御霊によって一つのからだにつながれるのです。
確かに多くの信者はこのことすべてについて全くの無知なのです。
しかし、これは神が行っていることの恵みの事実を変えるものではありません。
ルカの福音書2章と使徒の働き2章の間には、興味深い対応関係があり、これを無視することはできません。
ルカの福音書1章では、救い主の誕生が告げられています。
御使いはマリアにこのように言いました。
「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」
(ルカの福音書1章35節)
ルカの福音書2章では、使徒の働きの著者が、処女に与えられた約束の成就を語っています。
そして使徒の働き2章には、同じ約束の成就が書かれています。
聖霊が来て、キリストの奥義としての体である教会が始まりました。
私たちは、ペンテコステが地上の教会の始まりであると言いました。
これはクリスチャンの信者にはよく疑われています。
教会は旧約聖書に始まったと主張する人もいます。
マタイによる福音書の16章は、この間違った主張と信念に完全に答えています。
他の人たちは、教会はペンテコステに始まったのではなく、使徒パウロが活動を始めた後に始まったと教えています。
これまでこの点を強く主張してきましたが、12人の使徒たちは、キリストのからだの一員であることさえも否定されてきました。
弟子たちはずっと王国の地にいたのです。
このような理論や見解は、空想的なだけでなく、非常に混乱し、有害であることを示す必要はありません。
キリストのからだとしての教会やその他の関係に関する教義は、聖霊が注がれた日には明らかにされなかったのは事実です。
実際、いかなる教義も歴史的な説明をする書物にはふさわしくありません。
しかし、これらは教会の始まりがなかったという意味ではありません。
エペソ人への手紙に記述されている建物の基礎は、使徒と預言者です。
彼らは旧約聖書の預言者ではなく新約聖書の預言者です。
その後、異邦人も同じからだの共同相続人として、また約束の共同加入者として加えられました。
その後、使徒パウロという選ばれた道具によって、他の時代には知られていなかった奥義が知られるようになりました。
使徒たちと預言者たちは、エペソ人への手紙3章5節によってそのことを知っていましたが、使徒パウロだけがそのことを明らかにすることは使徒パウロだけに許されていました。
パウロがこの奥義を明らかにする前から、キリストのからだとしての教会が存在していたことは、タルソスのサウロの改心の記述から明らかです。
栄光に満ちたキリストは、ダマスコへの道でパウロを見られました。
パウロはキリストの言葉を次のように聞きました。
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」
(使徒の働き9章4節)
サウロは個人的にイエス・キリストを迫害していたのではなく、キリストを信じる者たちを迫害していたのです。
栄光から来た主は、彼らを御自身の一部として所有されています。
彼らは確かに彼のからだの一部なのです。
もう一度言いますが、聖霊はペンテコステの日に一人一人の信者のもとに来てました。
彼らは聖霊を受け入れ、彼らを一人ずつ満たし、彼らは一つのからだに結合されました。
そして、それはキリストの完成した御業を信じるすべての信者になされました。
信者として、誰もが聖霊を受け、キリストのからだの一員となったのです。
「神の力が示される形や尺度は様々です。
神の臨在の喜びがもたらされる程度も様々です。
しかし、キリストは、現在、キリスト・イエスにある完成した贖いの上に留まっているすべての信者の中に、キリスト自身と同じ様に聖霊が等しく宿っているという事実は変わりません。
そして、私たちはこの事実以上に栄光に満ち、祝福された者なのです。」*
* 聖霊の教義に関する講義。
他にも多くのことが紹介されていますが、ここでは2つだけを述べておきます。
その証言は霊に満たされた弟子たちによって行われ、誰もが彼らが自分の言葉で話すのを聞きました。
そこにいた者たちについてこのように記されています。
「敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、」
(使徒の働き2章4節)
このように彼らは皆ユダヤ人であり、異邦人は一人もいません。
しかし、この出来事は、良い知らせが新しい時代に、天の下のあらゆる国に出て行くことになったことを示しています。
最後に、ペンテコステの日の出来事には、ユダヤ人の民族的な特別な意味があるという事実に注意を喚起します。
イエス・キリストの復活が示されています。
これらのしるしは、イスラエルの民に、彼らが退けたナザレの人イエスこそキリストであり、神の右におられる方であることを示すためのものです。
ペンテコステの日は民への2番目の哀れみのささげ物の始まりです。
このことは、この章とそれに続く章を説明するときに、注意深く学ぶことができます。
さて、本文に目を向けましょう。
I.聖霊の注ぎ
「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
(使徒の働き2章1~4節)
ペンテコステはユダヤ人の祭りです。
この名前は、ギリシヤ語を話すユダヤ人によってこの祭りにつけられました。過越の祭りの間に大麦の束を供えてから50日後に行われたからです。
旧約聖書では三つの名前があります。
「チャグ・ハ・カシール(Chag Ha Kasir)」収穫祭(出エジプト記23章16節)
「チャグ・シャブト(Chag Shavuoth)」七週の祭り(出エジプト記34章22節)
「ヨム・ハ・ビックリム(Yom ha-Bikkurim)」新しい穀物のささげ物(民数記28章26節)
正統派ユダヤ教徒はこれを単に「シャブト(Shavuoth)」と呼びます。
小麦の収穫を祝う日です。
捕囚後、律法の授与、トーラー(律法)の誕生日を記念する伝統的な祝宴となりました。
現在も正統派ユダヤ教徒はこれを守っており、祈りを捧げるだけでなく、出エジプト記に記録されている律法授与の記述をシナゴーグで公に朗読されています。
彼らは預言者エゼキエル書1章とハバクク書3章から読み上げました。
聖霊が注がれた当時、これらは彼らの習慣だったのです。
ユダヤ人が神のみことばのこれらの部分を読んでいた時、突然天から音が聞こえたのも無理はありません。
律法が与えられた当時存在していた外的なしるし、すなわち「嵐」「火」「言葉の声」(ヘブル人への手紙12章18、19節)が、聖霊が降臨した日に明白だったことは、確かに重要な事実です。
「あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。」
(ヘブル人への手紙12章18、19節)
外的なしるしと不思議な業によって、新しい時代が始まったのです。
しかし、律法の時代においても、外的なしるしは常に存在していたわけではなく、単に初めの段階にだけ存在していました。
同じ様に、この新しい時代においても、これらの外的なしるしは始まりの段階にだけ存在していました。
ペンテコステの日に朗読されるエゼキエル書1章とハバクク書3章、特に後者は預言的です。
これらの聖句は、主イエスが目に見える栄光のうちに現れ、イスラエルの民について語られたすべてのことが成就する時を指し示しています。
しかし、それはペンテコステの日に成就したのではなく、現在に至るまで成就していません。
聖霊の注ぎを詳細に見る前に、その出来事が起こった曜日について触れておきたいと思います。
これは興味深い質問です。それは間違いなく主の日でした。この点について書かれた最も優れたものはライトフットによるものです。彼の著書によれば、この発言は誰もが理解できるものではありませんが、ここでは彼の著作である「Horae Hebraeicae」から引用します。
そこで、ペンテコステの日がユダヤ人の安息日だったかどうかを調べてみましょう。
確かに、50日を主の復活から数える人もいることは知っています。
そうであれば、ペンテコステ、つまり50日目は、週の50日目、つまり主の日と重なります。
しかし、ルカが間違いなく従っているように、初穂の束を捧げた時から日数を数えるならば、ペンテコステの日はユダヤ人の安息日に当たることになります。
そこで、ある学者の許可を得て言うのであれば、聖霊がまさにペンテコステの日に弟子たちに注がれたかどうか、疑問に思うかもしれません。
この疑問の理由は、おそらく次のとおりです。
1.「五旬節の日になって」という言葉に曖昧さがあります。
イタリア語では「E nel finire del giorno delta Pentecoste」です。
つまり「ペンテコステが完全に過ぎ去った時」と訳されています。
この句のギリシヤ語では、ペンテコステの日が完全に来たのか、それとも過ぎ去ったのかが不明瞭です。
また、ペンテコステに反する主張がだと思われますが、後者の意味で訳すべきです。*
* ロザラム氏はこれを「ペンテコステの日が満ちようとしていたとき」と訳しました。
この表現から、祭りが進行中だったことがわかります。
2.聖書の中にはいくつかのキリストの型が存在し、その型を見る時に、原型であるキリストは型に縛り付けてはいけません。
このように翌日に延期されたことは、注目すべき点です。
ゆえに、私たちの過越の祭であるキリストが私たちのためにささげ物にされたのは、過越の祭の当日ではなく、その翌日でした。
キリストが眠りについた者たちの初穂となられたのも、初穂の束が捧げられた当日ではなく、その翌日です。
ですから、神が既に述べた事柄を定められた順序と合致し、その翌日、すなわち御自身が墓から復活された日が与えられたのです。
聖霊が、律法が与えられたことを記念する日ではなく、御自身の記念を永遠に守られるべき日に注がれたのです。
3.この日、彼らが一箇所に集まった理由として、主の日を祝うために集まったこと以上にふさわしい理由は考えられません。
その日、間違いなく聖霊が彼らの中に降りてきたのです。
主の日に彼らは皆集まっていました。
どれほどの人数が集まったかは分かりません。
しかし、主を信じる者全員がそこにいたことは間違いないと考えられます。
突然、何かが起きたのです。
天から音が聞こえました。
その音はただの強風ではありません。
文字通りには「激しく、激しい吹きつけ」のようでした。
この強烈な突風は、彼らが座っていた家を満たしました。
すべては瞬く間に起こりました。
この出来事について黙想を続ける前に、教会が地上から去る様子と方法について簡単に触れておきたいと思います。
それは「突然」です。
これは、主御自身の最後の約束、「見よ、わたしはすぐに来る」(文字通り「速やかに」)に従っています。
いつの日か、主は聖徒たちのために突然来られ、彼らを栄光の御前に連れ去られます。
これはテサロニケ人への手紙第一4章13~18節に啓示されています。
教会の誕生は一瞬の出来事であり、奇跡的なものでした。
真実な教会が去るのも一瞬であり、奇跡的なものです。
しかし、これは「突然」という言葉が示す、時間を現わす考えに過ぎません。
家全体を満たした激しい風は、聖霊降臨の最初のしるしでした。
それは外的なしるしとして、信者たちの内に宿り、神の住まいである建物を形作り、建設するために来られた神の御方の降臨を伴っていました。
列王記第一8章2節には、ささげ物が捧げられた後、主の臨在のしるしである雲が家全体を満たしたと記されています。
しかし、ここでは偉大なソロモン神殿の奉献式で起こった出来事よりもさらに偉大な出来事があります。
信者たちが集まった家全体が雲で満たされたことは、これから地上にさらに尊い建物、教会、聖霊を通して神が住まわれる住まいが建てられることを象徴しています。
「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
(エペソ人への手紙2章22節)
聴覚への外的なしるしに加えて、聖霊が来られたことを示す目に見えるしるしもありました。
火のように分かれた舌が彼らの上に現れ、一人一人の上にとどまりました。
家が満たされたことは、イエスの住まいが教会であることを示しています。
しかし、火のように分かれた舌が一人一人の上にとどまったことは、一同がイエスを受け入れたことを証ししていました。
これらには違いがありません。
ペテロ、ヨハネ、ヤコブは、特に多く与えられたのではありません。
これらの信者の中で最も若く、最も弱い者と同じように与えられたのです。
力や影響力ではなく、聖霊なる存在が、尺度に応じて与えられ、神からの賜物として来られました。
炎のように分かれた舌は、キリストと祝福された福音に関する証しが今やさまざまな言語で伝えられることの象徴でした。
もちろん、この炎は文字通りの炎ではありません。
それは神の義と聖さ、そして裁きの象徴です。
舌は「炎のよう」でした。
それでも恵みの証しは義に基づいていたからです。
福音は悪を容認しません。
これは、神が今、聖霊を通して語られる素晴らしい方法でした。
神の哀れみがどのように深くても、人間の弱さ、必要、罪がどのように明らかにされても、聖さは少しでも妥協されるべきではなく、妥協することもできません。
神は決して人間の悪を容認することはできません。
それゆえ、神の御霊は、神の恵みによって与えられながらも、神の義に基づいています。
ゆえに、神は御自分の臨在の特質を際立たせることを喜ばれています。
神は十分に祝福を与えることができました。
これらのことは神の栄光を損なうものではなく、結論として、主イエスの御業の完全さに対する神の証印のほかなりません。
この偉大な賜物は、集まった信者の集まりに与えられただけでなく、教会が形成されたこの時代を通して新しく生まれ変わるすべての人がこの賜物に与えられます。
聖霊は恵みを通して、信者の中にとどまり天の客人となります。
いまさら、信者は聖霊の来臨を求める必要はありません。
必要なのは、私たちが聖霊の宮であることを信仰によって悟り、この偉大な真理に従って生き、行動することです。
しかし、第三のしるしがありました。彼らは聖霊が語らせるままに、他国の言葉で話し始めたのです。
このように、私たちには三つの大きなしるしがあります。
激しい風が吹き荒れ、舌が炎のように分かれ、異言を話すこと、そして聖霊が内在することの結果でした。
前述のように、風、炎、そして声、これらはシナイでの律法はこれらの付随する兆候の下で与えられました。
これは旧約聖書の他の神の現れにも適応されます。
例えばエリヤの物語では、嵐、火、そして静かな細い声がはっきりと現れています。
これらすべてことは、神の位格、すなわち聖霊なる神が来られたことを示しています。
興味深いタルムードの伝承によれば、神がシナイ山から律法を与えた時、神の声は7つの声に分かれ、その7つの声はそれぞれ別の声に分かれ、神は70の異なる言語で律法を告げ知らせ、地球上のすべての国々で聞かされたとされています。
これは単なる伝承であり、明らかに異なっています。
しかし、ここでペンテコステの日に聖霊を受けたすべての人が他の言語で話すという奇跡が起こりました。
この章のこの箇所には、特に注意を払います。
聖霊の降臨と臨在を示すこの奇跡的な証拠を、できる限り徹底的に検証することが極めて重要です。
最近、さまざまな教派に現れ、使徒信仰、あるいはペンテコステ運動などと名乗る運動が盛んになっています。
これらの運動は、再び聖霊が注がれ、その降臨とともに異言の賜物という同じ奇跡が起こると主張しています。
さて、この主題を詳しく取り上げる前に、この章の次の段落の内容を読んでみましょう。
Ⅱ.神の臨在の直接的な効果
「さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。
彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。
それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。
私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。
またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」
人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。
しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。」
(使徒の働き2章5~13節)
霊感を受けた話から、集まった信者全員が他の言語、つまり異なる言語で話したことは明らかです。
それは聖霊が彼らに話すように与えたものでした。
ペンテコステの日に起こったこの三番目の偉大なしるしは、さまざまな解釈がなされています。
ある人たちはこの奇跡を全面的に否定しています。
ここで、このようなさまざまな見解のいくつかを簡単に紹介しておきます。
いわゆる「教父」たちによって過去に提唱され、現代でも少なからぬ支持者を持つ有力な見解の一つは、奇跡は聖霊に満たされた弟子たちの話ではなく、群衆の聞き方にあるというものです。
この見解によれば、人々はさまざまな言語を聞きましたが、信者たちは自分たちの言語でしか話さなかったことになります。
この見解は、記録にある「めいめいの国の国語で話す」という言葉と正反対のことを述べているため、何も説明を必要としません。
また、批評家の中には、話したり聞いたりしたのは、話者と聞き手の間の「録音テープ」によるものだと主張する者がいます。
しかし、このような愚かな見解は、彼らが最初に話した時には誰も耳を傾けていません。
しばらくして、噂にひかれて群衆が集まってきたという事実によって容易に反論できます。
また、新しい言語、あるいは他の言語は新しい霊的な言語を意味している、もしくは彼らが異例で熱狂的な詩的な表現を用いて話した、などと主張する者もいます。
これらの解釈は、他の解釈と同様に、ここに挙げた簡潔な言葉とあまりにも著しく矛盾しており、これ以上追及する必要はありません。
異言を話すことは、聖霊が彼らに力強く臨んだことによる奇跡でした。
ガリラヤ人たちは少なくとも16か国語、もしかしたらそれ以上の言語を話していました。
「聖霊の突然の力強い導きによって、これらの弟子たちは、自分の思いではなく、聖霊の代弁者として、おそらく当時も知らなかったさまざまな言語で神を賛美したのです。」*
*ギリシヤ語新約聖書の中のディーン・アルボード氏(Dean Alvord - 不動産王)
異言を話すというこの奇跡の意味は、簡単に知ることができます。
それは、それぞれの上に降りてきた、分かれた炎のような舌が口頭で現れたことです。
さらに、この奇跡は、聖霊が天の下のすべての国々に祝福された福音を知らせるために来られたという偉大な事実を告げ知らせるものでした。
この出来事が起こった時、異邦人は一人もいませんでした。
しかし、異邦人の言語がユダヤ人の口から聞こえたのです。
これは、福音がまさに地の果てにまで及ぶことを示しています。
記録には何も記されていませんが、不信仰な群衆にとって、異なる言語が話されているのを聞いて改心したことは、一つのしるしでした。
彼らは驚き、困惑し、またある者は嘲笑しましたが、全く感銘を受けなかった者たちもいました。
ペンテコステの日に起こった大きな成果は、ペテロの口から福音が宣べ伝えられたことです。
すると、次のような疑問が浮かび上がります。
どうして、彼らはこれらの異なる言語で何を話したのでしょうか。
どうして、すべての者が秩序ある講話によって福音を宣べ伝えたのでしょうか?
あるいは、ここでキリストという人物について何かを語られたのでしょうか?
それとも、彼らの発言はむしろ恍惚とした性質のもので、神を賛美し、御名を讃えるようなものだったのでしょうか?
私たちは後者だったと信じています。
それは福音を宣べ伝えたというよりも、神が成し遂げられた偉大な業に対する賛美の爆発です。
間違いなく、すべてのことは混乱することなく、完璧な秩序のもとで行われました。
この賜物は、将来のためにではなく、この機会のためにだけ授けられたのです。
この書全体を調べても、彼らがこれらの異なる言語で話し続けたことは分かりません。
彼らがその後も福音を宣べ伝える際にこの賜物を使い続けたと考えるのは誤りです。
16章から、パウロとバルナバはリカオニア語を理解していなかったことがわかります。
当時、ギリシヤ語が広く使われており、他の言語を使う必要はほとんどなかったのです。
この本には、聖霊の賜物に関連して異言がさらに2回、使徒の働き10章46節と19章6節で述べられています。
最初の箇所では、コルネリオとその家族が福音を信じて聖霊を受け、異言を語りました。
この箇所では、他の言語が使われたとは一言も述べられていません。
その必要はなかったのです。
それは神を賛美する恍惚とした演説でなのです。
19章では、使徒パウロがエペソで見つけたヨハネの弟子たちに手を置いた後、聖霊が彼らに降り、彼らは異言を語り、預言をしました。
ペテロはコルネリオにはそのようにはしていません。
ここでも、異言を聞いたという記述は一言も見当たりません。
異言は預言と対になって語られています。
これらは使徒の働きの中で異言について述べられている3つの例です。
ペンテコステの日、コルネリオとその家族、そしてユダヤ人の弟子たちは散り散りになり、イスラエルの希望を待ち望んでいました。
いずれの場合も、それはしるしであり、特定の目的のためでしたが、異なる方言や言語が述べられているのは最初の例だけです。
• ペンテコステの日に与えられた賜物は、群衆へのしるしでした。
• 10章では、ペテロと使徒たちに異邦人が同じ賜物を受けたという証拠が示されています。(使徒の働き11章15節)
• 19章では、ヨハネのユダヤ人の弟子たちも聖霊を受け、同じ賜物にあずかっていたという外的な証拠が示されています。
使徒たちが訪れた他の場所に関して、この賜物について一言も述べられていません。
また、サマリアにおけるピリポの宣教活動においても、使徒パウロの大旅行においても、上記の例を除いて、異言について一言も述べられていません。
したがって、異言は普遍的でも永続的な賜物でもなく、この三つの事例にだけ、しるしとして現れたことは明らかです。
私たちがこれらの事実を強調するのは、聖霊のより大きな注ぎが現在進行中であり、信者はそれぞれの「自分のペンテコステ」を求めなければなりません。
そして聖霊に満たされている証拠は、異言を話すことだと主張することは、偽りの運動のためです。
このような主張は聖書に反し、この書の歴史的記述によっては全く裏付けられていません。
なぜなら、何千、何万もの人々が救われ、一つの御霊によって一つのからだへとバプテスマを受け、聖霊に満たされたからです。
彼らは一度も異言を話すことはありません。
ステパノは確かに聖霊に満たされた信者でした。
ステパノが異言の賜物を持っていたとは、どこにも記されていません。
しかし、コリント人への手紙第一には、「異言を話す」ことについて深く掘り下げた長い章があります。
この章から、コリントの集会において異言の賜物が広く用いられていたことがわかります。(コリント人への手紙第一14章)
聖霊のさまざまな賜物が列挙されている12章では、異言を話すことと、その異言を解釈することが述べられています。
これらはリストの最後に置かれており、劣った位置づけであることが示されています。
エペソ人への手紙は、聖霊の最高の賜物である知恵の言葉と知識の言葉に恵まれた信者の集まりに宛てられたものです。
しかし、異言については一切触れられていません。
コリントの集会がどのような霊的状態にあったかは、この手紙全体から学ぶことができます。
彼らの歩みは肉欲に満ち、あらゆる悪が容認され、教派主義と虚栄心が蔓延していました。
彼らの霊的な知識は実に乏しく、聖霊はエペソ人への手紙の中でこれほどまでに豊かに啓示されている偉大な真理を、示すことができなかったのです。
パウロはこの手紙の大部分を、彼らの悪い習慣と歩みを正すことに費やさなければなりません。
コリントの人々が異言の賜物を求めていたことは、聖霊がパウロを通してこの賜物について詳しく述べられている章から分かります。
彼らは、神に栄光を帰すためというよりは、見せびらかすために異言を求めていたのではないでしょうか!
当時、女性たちは確かに前面に出てきており、特に警告を受けなければならない状態だったのです。
「教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。
もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。」
(コリント人への手紙第一14章34、35節)。
この現代の運動では、女性が多く前面に出て、多くの場合には説教者や指導者として活動しているように見えます。
しかし、それは神のみことばに直接反する行為です。
目撃者たちは、女性たちがヒステリックになり、床に転がり、あらゆる奇妙な声を発し、かつてのバアルの預言者のように「ああ、神よ、力を与えたまえ!」と叫んだ「異言の賜物集会」があったことを証言しています。
ある友人は、自分が悪魔の中にいるように感じたと言っていました。
けいれん、硬直、そして狂人のように口から泡を吹く様子も見られました。
コリントでも同じことが起こりました。
この章には、そうしたことを示す勧告がいくつか記されています。
「それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、」
(コリント人への手紙第一14章33節)
「ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。」
(コリント人への手紙第一14章40節)
ここではアーサー・T・ピアソン博士のコリント人への手紙第一14章に関する小冊子から引用してみましょう。
(1)未知の言語で話すことは、聞く人には理解できません。
もしそれが本物であれば、神だけがそのことを認識しています。
ですから、たとえ人が御霊によってこのような異言を話すとしても、他のすべての人には奥義を語ることになります。
これがここでの真実な読み方だと私たちは考えます。
(2)異言を話すことは、人々を教えるものではありません。
預言は「徳を高め、勧めをなし、慰め」(コリント人への手紙第一14章3節)に有益ですが、異言の賜物自体は、聞き手に理解できない事柄への驚きと畏怖を与える以上のことはできません。
(3)異言を話すことは比較的望ましくなく、役に立ちません。
異言はすべての聖霊の賜物と現れの中で最下位に位置し、12章8~10節の列挙でも最後尾に挙げられています。
そこには、異言よりも上位にランクされている他の七つの賜物があります。
「ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。」
(コリント人への手紙第一12章8~10節)
(4)異言を話すことの真実な価値は、異言の解釈という付随する賜物にかかっています。
ゆえに、異言の解釈は、前述の賜物群の中でこの賜物と結びついています。
「ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。」
(コリント人への手紙第一12章10節)
実際、語られた言葉を解釈することによってのみ、異言はこのようなレベルにまで高めることができます。
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」
(エペソ人への手紙4章29節)
異言を解釈することなしに異言を話すことは何の益にもなりません。
なぜなら、異言は「黙示や知識や預言や教え」をもたらさないからです。
(コリント人への手紙第一14章6節)
(5)それ以上に、異言は、神秘的なものの空虚な表現に堕落する可能性があります。
それは、多くの「音」または単なる「音楽」のように、単なる混乱したたわごと、あるいはバベルの塔のレベルまで堕落し、その言葉の中で何が意味があり、何が無意味なのか、何が偽りで、何が本物なのかを誰も判断できないようにします。
(6)異言を話すことは、より緊密な交わりというよりは、むしろ分散の手段です。
その傾向は収束的ではなく、発散的です。
バベルの塔で人々が互いの言葉が理解できなり、人々は離散し、散り散りになってしまったように、もし聞き手が「声の意味を理解できない」なら、話し手は彼にとって「野蛮人」、つまり外国人となります。
もちろん、その逆もまた然りです。
(7)したがって、そのような賜物は、共通の共同礼拝を助けるどころか、むしろ妨げとなるのです。
集会におけるあらゆる礼拝と奉仕の力とその容認は、指導者に対する礼拝者の応答性にかかっています。
歌の奉仕、賛美、祈りの奉仕であれ、御言葉を聞くことであれ、信仰のない死んだ言葉として語られたものは、聞き手に「アーメン」と言わせることはできません。
「無学な者」が理解できない言葉を、心はどのようにして理性的に答えることができるのでしょうか?
話し手がどんなに上手に答えたとしても、聞き手は話された言葉の感情に寄り添うことができず、共同礼拝や聖餐式が不可能となります。
(8)使徒パウロはさらに、解釈を伴わずに異言だけで話すことによって、害を及ぼす可能性さえあることを示しています。
パウロは、全員が異言を話す集会が、信者でない外部の人に非常に悪い印象を与え、彼らを「気違い」(23節)と宣言する様子を描いています。
このような混乱した音の専門用語の中で、パウロは自分が狂人の家にいると感じているのです。
(9)パウロはさらに進み、聖霊によって、そのような賜物が現実に授けられる時、その働きは注意深く規制されるべきであると命じています。
そして、そのような規制のために、彼は二つの明確な律法を与えています。
(a)先の者に従う律法
(b)沈黙の律法
「もし異言を話すのならば、ふたりか、多くても三人で順番に話すべきで、ひとりは解き明かしをしなさい。
もし解き明かす者がだれもいなければ、教会ではだまっていなさい。自分だけで、神に向かって話しなさい。」
(コリント人への手紙第一14章27、28節)
(10)最終的なパウロの主張は、混乱をもたらし秩序をもたらさないものは神によるものではないというものです。
なぜなら、神は混乱の創造者ではなく、法と秩序、そして「平和」への適切な順守の創造者だからです。
したがって、異言を話すことは禁じられるべきではありませんが、切望されるべきではありません。
むしろ、知的で、啓発的で、霊感を受けた教えの御言葉こそが切望されるべきです。
(11)ここでも、異言がまやかしの真似事になりやすいことが暗示されています。
偽造の達人である悪魔は、常に御霊の現れを巧妙に真似事を行います。
神が力強く働く時、悪魔も同じように働きます。
そして、御霊の賜物の中でこれほど容易に「真似」できるものはありません。
言語を分かりやすく解釈する解釈がなければ、それが祝福なのか呪いなのか、敬虔なのか俗悪なのか、誰が見分けられるでしょうか?
解釈だけが異言を啓発的なものにするだけでなく、解釈だけが異言が実体であることが証明できます。
(12)コリント人への「教会では、妻たちは黙っていなさい」というこの戒めは、異言を話すことと関連していると考える人もいます。
当時も今も、中東の女性は特に興奮しやすく、度を越す傾向があります。
家庭生活という隠とん生活から抜け出し、キリスト教兄弟愛という新たな自由の中に導かれると、彼女たちはしばしば激しい狂信に陥ります。
そして、支離滅裂な呟きを伴うヒステリックな狂気を、超自然的な発話能力の賜物と容易に誤解するかもしれません。
グロソラリー氏は、異言の賜物について最近書いたもう一人著者であり、その事柄を簡潔に述べています。
パウロはコリント人全員よりも多くの異言を話していましたが、異言の賜物をそれほど重視していないことに私たちは気づくことができます。
パウロはそれを賜物の中で最後に位置づけ、明らかに幼稚なものの一つとして扱っています。
「私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。
兄弟たち。物の考え方において子どもであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。
しかし考え方においてはおとなになりなさい。」
(コリント人への手紙第一14章18~20節)
(1)異言は他人を教えません。
(2)異言は教会は混乱を引き起こす傾向があります。
(3)異言が理性的な範囲ではなく、霊的な範囲に属するものであるという事実は、危険な混乱を招く原因となりました。
この異言の現象は、悪霊、あるいは当時世間に蔓延していた宗教的な詐欺師やペテン師によって偽装された可能性もあります。
また、身体的原因などによる類似の症状との区別が難しい場合もあります。
この警告は確かに根拠のあるものです。
これはサタンが光の御使いとして現れる範囲であり、主の来臨が近づくにつれて、サタンがこの方向への力を強めていくことが予想されます。
時代の特徴についての演説の中で語られました。*
*「Our Hope」より小冊子として出版されています。
フィリップ・マウロ氏は、この問題に関して、時代に合った発言をしており、それは繰り返し語られる価値があります。
この霊的軍勢の一部である邪悪な霊、すなわち悪魔は、主の最初の降臨の時に異常な活動を示しています。
そして今、主の再臨が近づくにつれ、彼らは再び激しく覚醒します。
霊による「支配」と「取りつき」は、異常な身体的症状、硬直、長時間の意識消失、けいれん、ヒステリー、痙攣性運動、そして何らかの明瞭な言葉が発せられることもあります。
あるいは聖霊の異言の賜物と容易に混同されるような奇妙な音を伴い、今や非常に一般的し、さらに増加してゆきます。
これらの異常な兆候は、もはや心霊術や催眠術などが公然と行われている集まりに限定されず、聖書の教えから逸脱し、刺激と「経験」を求めるように仕向けられ、誤った教師たちが屈服し、「支配」されるよう促され、このように神の民の集まりにおいても起きています。
弱さの代わりに「力」を求め、聖書の明白な教えを無視しています。
使徒の時代に異言を話すという賜物が存在したことは事実です。
クリスチャンであれば、異言で福音を宣べ伝える賜物を人に与える神の力を疑う者はいないと思います。
しかし、私たちは、異言という賜物が教会に留まるべきだとは信じていません。
過去には、この賜物が回復されたという主張が繰り返しなされました。
例えば、イギリスにおけるアーヴィング派の妄想の時代などがあります。
しかし、いずれの場合も、偽物、あるいは敵から語られたものであると理解しています。
今日の「使徒の運動、もしくはペンテコステ運動」は、その高慢な主張と偽りの教義、真実な聖書的知識と知恵の欠如、教会内に新たな分裂を生み出し、あるいは女性指導者や教師の存在など、偉大な偽造者の存在を色濃く残しています。
神の最高の啓示であるエペソ人への手紙は、永遠に残る賜物について語っています。
「ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」
(エペソ人への手紙4章11節)
彼らは今もなお私たちに存在しています。
使徒は言うまでもなく神の人であり、聖霊が新約聖書の偉大な教義と真理を啓示した偉大な賜物です。
ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロ、そして使徒ではなかったものの、聖霊の代弁者である預言者たちもそうです。
伝道者は福音を宣べ伝え、キリストのからだが数において完全となるよう働いています。
彼らは、最後の一人が加わるまで永遠にとどまります。
牧師と教師は神の群れを牧し、聖徒を完成させます。
復活した私たちのかしらであるキリストのこれらの賜物は永遠にとどまります。
しかし、この偉大な手紙には、奇跡的なしるしとなる賜物については一言も記されていません。
時代が終わりに近づくと、聖霊が再び特別な力を発揮して最後の証しをします。
聖霊が時代の終わりに神の国の福音がすべての国々に「しるしと奇跡」を伴って宣べ伝えられると主張する人もいます。
これは部分的には真実に基づいています。
「大患難時代」と呼ばれる期間に神の国の福音宣べ伝えられ、その伝道にはおそらく特別なしるしが伴うと考えます。
しかし、その最後の証しを宣べ伝えるのは、一つのからだの一員であるクリスチャンではなく、ユダヤ人の残された者たちです。
一方、新約聖書の書簡とヨハネの黙示録のすべてが、使徒の賜物と力の回復ではなく、衰退、滅亡、背教こそが、このキリスト教時代の終焉を象徴であることを示しています。
この点において、このことを完全に証明することは全く不可能だと考えます。
集まった群衆へのペテロの壮大な演説の続きを読む前に、驚嘆した群衆を構成していた民族について軽く触れておきたいと思います。
「天下のあらゆる国」という言葉は、異邦人すべての代表者がそこにいたという意味ではありません。
この表現は、当時国外に散らされて暮らしていたユダヤ人と改宗者たちを指しています。
ユダヤ人たちが拡散されたさまざまな国々から、群衆が集まっていました。
異邦人という名の人々はそこにいません。
また、ユダの家から来た人々だけがそこにいたわけでもありません。
十部族もおそらくそこにはいたはずです。
これはペテロの説教からも分かります。
パウロはまずユダの人々とエルサレムに住むすべての人々に語りかけ、それから彼らをイスラエルの人たちとして呼び掛けています。
つまり、神の民が二つの家に分かれていたユダとイスラエルが代表されていた可能性があります。
彼らはパルティア、メディア、エラム、メソポタミアに住んでいたと思われます。
使徒の時代に十部族が知られていたことは、ヤコブがその手紙を「国外に散っている十二の部族」に宛てて書いたという事実からも明らかです。
私たちがこのことについて述べる理由は、時折、誰かがアングロサクソン人種は失われた部族で構成されていると主張する「アングロ・イスラエル」と呼ばれる空想的な理論について問いているからです。
エルサレムで信仰を持つユダヤ人たちに聖霊が注がれた時、そしてペテロが立ち上がって彼らに話しかけた時「全イスラエル」の代表者がそこにいたのです。
Ⅲ.ペテロの演説
「そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。
「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。
どうか、私のことばに耳を貸してください。
今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。
これは、預言者ヨエルによって語られた事です。
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。
主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。
しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』」
(使徒の働き2章14~21節)
賛美と礼拝の声が沸き起こり、群衆がますます増える中、ペトロと共に11人の弟子が立ち上がりました。
それは驚くべき感動的な光景だったはずです。
神に任命された12人、十二使徒が、イスラエルの12部族の代表者たちと向き合っています。
ペトロが代弁者です。
ペトロの言葉は、大胆で、勇気に満ち、率直でした。
ペンテコステ以前のペトロとは違います。
すべては聖霊の降臨によるものです。
主の不在時に証しするためにも、このような大胆さと勇気を持って証しすることは、私たちも祝福された特権です。
なぜなら、私たちも同じ聖霊を受けているからです。
ペテロの説教は福音の偉大な歴史的事実を扱っています。
その核心は主イエスの復活と昇天です。
その範囲の広さと的確さにおいて、実に素晴らしい働きです。
このこと自体、聖霊が来られ、ペテロを通して証しされたことの証拠です。
演説の主要部分は3つの部分に分かれています。
それぞれの部分は聴衆への個人的な演説で始まり、簡潔な言葉で重要な事実を述べ、聖書の一節で締めくくられます。
1.14~22節の説教の冒頭で、ペテロは「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々」と呼びかけています。
そして、酩酊状態の非難に簡潔に反論した後に、ヨエル書を引用します。
この聖書の引用をもって、説教の前半は終わっています。
2.22~28節ここでパウロは彼らを「イスラエルの人たち」と呼び、ナザレ人イエスの生涯、十字架刑、そして復活について簡潔に証言しています。
そして、詩編16篇を引用しています。
3.29~37節最後の部分は「兄弟たち」という言葉で始まり、主イエス・キリストの復活と昇天の結果として聖霊が降臨することを語っています。
メシア詩篇の中で最も簡潔でありながら、最も深い意味を持つ詩篇110篇から引用されています。
説教の主要部分は次の言葉で締めくくられています。
「イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
(使徒の働き2章36節)
その後に中断の後、十二使徒に「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と尋ねたペテロは再び話し始めましたが、すべての言葉は記録されていません。
「ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。」
(使徒の働き2章40節)
聖霊の賜物を受けた後の最初の説教は、御言葉を説くすべての人にとって、素晴らしい模範となります。
神の聖なる御言葉は、キリストという御方を証しする上で中心的な役割を果たしています。
ペテロの説教と現代の多くの説教との違いは、実に驚くべきものです。*
* 老人を笑わせ、若者をクスクス笑わせるような逸話や楽しい小話を、福音の説教において頻繁に用いることは非難されるべきです。
福音はあまりにも厳粛なものなので、陽気さを混ぜるべきではありません。
ここではペテロの演説のこれらのさまざまな部分について簡単に考えてみましょう。
その目的は、すでに述べたように、十字架にかけられたイエスが死からよみがえり、神がイエスを主、キリストとしたことを、聖霊の存在によってイスラエルの家に証明することでした。
その告発によって人々はこのようにあざけ笑いました。
「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」
(使徒の働き2章13節)
この偽りの非難に答えることが、まず必要なステップです。
ペテロは声を張り上げ、大きな声で話しました。
広がろうとしていた混乱のことを考えるならば、それは必要なことです。
ペテロは、まだ午前9時であり、聖霊に満たされた弟子たちが新しいぶどう酒に酔っているなどということはまずあり得ないことを宣言しています。
安息日やその他の祝祭日には、ユダヤ人はその時間より前に飲食をしてはいけません。
この習慣は当時広く守られており、現在でもいわゆる「ハシディム」と呼ばれ、正統派のユダヤ教徒の間では守られています。
会堂での祈りが終わるまでは何も口にしてはいけません。
祈りは正午まで続くこともあります。
この事実は誰の目にも明らかで、反論の余地もなく、この虚偽の告発はたちまち却下されました。
そして今、ペテロは彼らが目撃していたものについて語ります。
彼は旧約聖書の偉大な預言の一つ、ヨエル書を引用しています。*
* 小冊子「Our Hope」の「預言者ヨエル」の解説から引用しています。
ペテロがユダの人々とエルサレムの住民への説教に関係して、ヨエルの預言を引用していることは、聖書の正確さを示しています。
なぜなら、ヨエルの預言はユダとエルサレムに向けられたものだったからです。
次に、ペテロがヨエルの預言を引用する際に用いた言葉に注目してみます。
「これは、預言者ヨエルによって語られた事です。」
(使徒の働き2章16節)
軽率で浅薄な解説者たちはしばしば、ペテロはこれらすべてがヨエルによって語られたことの成就として起こったと述べてきました。
ペテロの言葉には「成就した」という言葉がありません。
もし、ペテロが当時ヨエルの預言の成就を語っていたとしたら、それは真実ではないことを語ったことになります。
なぜなら、ヨエルの偉大な預言はその日に成就しなかったからです。
この預言はペンテコステ以来成就しておらず、この福音時代においても成就することはありません。
ペテロが部分的に引用しているこの偉大な預言は、ユダヤ時代の終わりに成就します。
それはまだ来ておらず、教会が地上にある限り来ることがありえない終わりの時代です。*
*ダニエルの七十週預言のうち、成就すべき残り1週(7年)があります。
この最後の週は教会が完成した後に始まり、この7年間はユダヤ時代の終わりを構成し、現在の教会時代によって中断されます。
ヨエルの預言は主の到来と関連して成就します。
その日が来る前に、預言者が語る目に見える兆候が現れます。
これらはすべてまだ未来のことです。
すべてが成就する前に、ヨエルがこの預言に先立って語った出来事が成就しなければなりません。
さらに、教会は御言葉に示されている方法で地上から取り去られなければなりません。
「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、御自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」
(テサロニケ人への手紙第一4章15~18節)
ここでペテロの言葉をヨエルの言葉と比較すると、ペテロはヨエルにある「その後に起こる」という表現の代わりに、「終わりの日に」という表現を使用していることがわかります。
したがって、この預言は終末の日に関係しています。
旧約聖書に見られるこの表現は、メシアが王として来臨し、地上の民において御国を樹立する、来るべき時代を指しています。
イザヤ書2章2~4節、ミカ書4章1節、エレミヤ書23章20節、ホセア書3章4~5節などを参照にしてください。
この意味において、ペテロはここでこの表現を用いており、今の現代には全く適応できません。
ペテロは集まった群衆に対し、今彼らが目撃しているのと同じような出来事が起きることを告げているだけです。
その出来事は、メシアの時代において神が約束しておられる出来事です。
メシアが王として来られると、聖霊がすべての肉なる者に注がれます。
彼らが見聞きしたのは確かに聖霊の注ぎでしたが、ヨエルの預言にあるような完全な意味での注ぎではありません。
起こったことは、彼らが十字架につけたイエスが真実なメシアである証拠であり、起こったことは、定められた時にヨエル書に含まれる預言のすべてが成就するという保証となります。
実際に何が起こったのかは、当時のペテロと11人の弟子たちには知られていません。
一つの御霊によってすべての人が一つのからだとなるようにバプテスマを受けたことは、その後になって初めて明らかにされました。
聖霊の賜物が現代に与えられた偉大な目的は、ペンテコステの日に明らかにされたり、述べられたりしたわけではありません。
ペテロが語っているのは、神がメシアの到来に関連して聖霊の賜物を約束されたという事実だけです。
ヨエルの預言の成就に関して、私たちは改めて言います。
それは現代では起こり得ません。教会が地上から取り去られない限り、成就することはありません。
それは主イエス・キリストの目に見える再臨、すなわち神の御国の樹立に先立つ出来事です。ペンテコステは、エルサレムでこれから起こる出来事の前兆に過ぎませんでした。
「イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。
神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。
これは、あなたがた自身がご承知のことです。
あなたがたは、神の定めた計画と神の予知によって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
ダビデはこの方について、こう言っています。
『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』」
(使徒の働き2章22~28節)
ペテロは演説の第二部で、彼らが拒んだメシアの物語の全体を彼らに伝えています。
それゆえ、ペテロはピリポ・カイザリヤで告白したような名前を使うことはせずに、ペテロは「ナザレのイエス」として話しています。
ナザレ人、謙遜な、祝福されたその名前で、彼らはイエスを知っていました。
その名前はイエスの十字架の上にも記されました。
これは弟子たちにとって侮辱となる名称でした。
聖霊の目的は、国民の罪を明らかにし、キリストの屈辱と拒絶を証明し、キリストの復活を宣言することです。
ゆえに、あえて他の名称は用いることができません。
私たちにとって、イエスを「ナザレのイエス」と呼ぶのは不適切です。
私たちは、復活においてイエスが示されたその名前「主イエス・キリスト」として呼ぶのです。
ペテロは過去3年間の出来事を簡単に振り返ります。
これらの出来事は彼らにとって馴染み深いものでした。
このナザレ人イエスは、神として行われた力ある働き、不思議な御業、そしてしるしによって、神から証しを受けた人でした。
イエスの話を聞いた人々の多くは、神の力と奇跡を目の当たりにしていました。
彼らはニコデモのように、神が共にいない限り、誰もこれらのしるしを行うことはできないと確信しています。
「この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」」
(ヨハネの福音書3章2節)
イエスの御業によって主張された通りの存在であることはすでに証明されています。
この同じ論証を弟子たちも用いました。
「父がわたしに成し遂げさせようとしてお与えになったわざ、すなわちわたしが行なっているわざそのものが、わたしについて、父がわたしを遣わしたことを証言しているのです。」
(ヨハネの福音書5章36節)
しかし、つまずきの石は、イエスが十字架につけたことでした。
唾をかけられ、嘲笑され、いばらの冠をかぶせられ、十字架に釘付けにされたイエスが、本当にメシアなのでしょうか?
このような恥ずべき十字架刑で終わることは、イエスが栄光と誉れを受けるべき方ではないことの証拠となるのではないでしょうか?
キリストの十字架こそがつまずきの石でした。
しかし、聖霊はそれを取り除き、答えてくださいます。
ナザレのイエスの死は神の定められた計画と予知によるものです。
メシアの苦しみは旧約聖書の中で完全に明らかにされていました。
メシアはこれらの苦しみを受け、栄光に入らなければなりません。
すべては神の予知によって起こりました。
永遠の昔、世界の創造以前から、神は御自身の計画を定め、御計画に従ってすべてを計画しておられました。
しかしペテロは、彼らが罪の道具であったことも示しています。
彼らは、不法な者たち、つまり彼らがイエスを引き渡した異邦人によって、イエスを十字架につけ、殺害したのです。
このようにキリストの死が描写され、起こっていることの責任は彼らにあります。
しかし、次には、殺された者の復活という大きなクライマックスが続きます。
神はイエスを死からよみがえらせました。
神の力による復活によって、ナザレのイエスがキリストであるという最終的な証拠、いや、最高の証拠が与えられました。
イエスが死の力に捕らわれることは不可能です。
イエスは死からよみがえられたことで「死の苦しみ」から解き放たれました。
イエスは初穂として、死と墓に打ち勝って現れました。
贖われた民は今、このように叫ぶことができます。
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
(コリント人への手紙第一15章55節)
それはこれらの人々に解放がもたらされるためでした。
「一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」
(ヘブル人への手紙2章15節)
ペテロはナザレのイエスがメシアであることを示す3つの大きな証拠を挙げています。
• イエスの人生
• イエスの死は、神の計画と予知にあったことを成就するものです。
• イエスの復活
詩篇16篇から引用しています。
一体どのような人がこの詩篇の中にキリストについての預言を見出すことができたのでしょうか?
聖霊は詩篇に光を当てています。ダビデを通して語った聖霊は、キリストを念頭に置いていました。
ダビデが語ったのは「キリストについて」です。
これはすべての「高位批評家」を黙らせることができ、これ以上の説明は不要です。
ペテロの説教のこの部分で、ペテロはキリストの屈辱から十字架の死、そして復活、そして神のすべての御業に至るまでの道を示しています。
次の段落、ペテロの説教の最後の部分では、私たちは神によって主、メシアとされたキリストを見ることができます。
「ナザレの人イエスは神によって示され、神によって彼らの間に働きかけられ、神の計らいによって死に伝えられ、神によって復活させられ、そして最終的に神によって主、キリストとされました。」
(アルフォードギリシヤ語新約聖書からの直訳)
「兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。
彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。
それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。
神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
ダビデは天に上ったわけではありません。
彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』
ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。
すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」」
(使徒の働き2章29~36節)
この言葉でペテロの説教は最高潮に達しています。
「兄弟たち」とは、ヘブル語で単に「同胞」という意味で、ペンテコステの前に待ち構えていた群衆に語ったのと同じ言葉です。
ペテロは集まった人々に語りかけました。
この愛に満ちた表現は、聖霊が彼を愛で満たし、肉の兄弟たちへの愛情で彼の心が満たされていたことを示しています。
そして、同時にペテロは聖霊によって非常に大胆にされています。
しかしながら、ペテロの大胆さには厳しさはなく、柔和さが特徴づけられ、彼の発言は謙虚で丁寧な言葉で表現されています。
「兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。」
(使徒の働き2章29節)
彼は、詩篇16篇で既に引用した「先祖ダビデ」に関する預言について彼らに語りかけます。
先祖ダビデと呼ばれているのは、この箇所だけです。
それは彼が王族の子孫だからです。
この預言を詳しく述べる理由があります。
そして、ペテロの訴えの根底となっています。
ラビたちは誰も、この詩篇を約束のメシアに適応させようとは考えていません。
当時、確実に知られ、信じられていた古い伝承があります。
その伝承ははこの詩篇を文字通りダビデに適応させていました。
その適応では次の9節の言葉は、虫けらのようなダビデには何の力も持たなかったことを教えています。
「私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」
(詩篇16篇9節)
ペテロはこれらの言葉がダビデ自身を指しているという従来の考えが誤りであることを示しています。
ダビデ王を示すはずがありません。
それはダビデは亡くなり、埋葬されていたからです。
「こうして、ダビデは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。」
(列王記第一2章10節)
モーセの埋葬地は知られることはありませんでしたが、ダビデの墓は記念碑として当時の人々に知られていました。
「そのあとに、ベテ・ツル地区の半区の長、アズブクの子ネヘミヤが、ダビデの墓地に面する所と、人工貯水池と、勇士たちの家のところまで修理した。」
(ネヘミヤ記3章16節)
ダビデは堕落を経験しました。
つまり、預言がダビデ自身を指しているとは考えられません。
しかし、ダビデは預言者であり、彼自身のことではなく、約束された子孫、すなわち彼の腰から生まれて王座に就く者について語ったのです。
ダビデの約束の子は、キリストの他になりえません。
ですから、神のみことばによってこれを「前から知っていた」のです。
ガラテヤ人への手紙3章8節、もしくは同様な表現を参照にしてください。
ダビデは、キリストの復活について語りました。
そして、これらの言葉はキリストにおいてのみ成就したのです。
そして今、ペテロと11人の弟子たち、そして集まった他の信者たちの証言が続きます。
「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」
(使徒の働き2章32節)
彼らはイエスと話し、イエスの体を見て、それが本当の骨肉の体であることを知りました。*
* 現在のさまざまな邪悪な主張の多くはエホバの証人(Millennial Dawn)によって教えられています。
私たちの祝福された主の肉体的な復活の否定の有害性は、これらの言葉を黙想することで完全に明らかにされます。
しかし、ペテロは、イエスの復活の事実を語るにとどまりませんでした。
聖霊は、当時、人の目には見えなかった昇天を証ししました。
ステパノ、タルソのサウロ、そして使徒ヨハネは、後に栄光の中のキリストを見るという特権を得ました。
ここに聖霊の直接の証しがあります。このイエスは神の右に高められたのです。
彼らが見聞きしたように注がれた聖霊の存在は、イエスが父なる神と共に、いと高き御方の右におられることの証拠でした。
再び聖霊は聖書に目を向けさせます。
降臨の日に、御言葉を通して御自身を証しなさったことをはっきりと証明したのです。
ここで彼は、ユダヤ人の間ではメシアについて預言していると知られている別の詩篇を引用しています。
「ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』」
(使徒の働き2章34、35節)
これは尊い詩篇110篇の冒頭からの引用です。
主はこの詩篇を用いて敵を黙らせました。
ペテロの証言により、その詩篇に関する議論の余地のない4つの事実が明らかになりました。
1.ダビデは詩篇を書きました。
2.ダビデは詩篇を聖霊によって書きました。
3.詩篇は主自身について語っています。
4.イエスはダビデの子孫であり、またダビデの主であることが明らかにしています。
マタイの福音書22章41~46節を参照にしてください。
そして今、聖霊はこの詩篇を同様に用いて、キリストは天に昇り、敵がキリストの足台となる時が来るまで、神の右の座に就かなければならなかったことを示しています。
ナザレ人イエスが今や占めていたこの尊い立場、イエスが現実に地上にいたことが、聖霊の注ぎによって完全に証明されました。
そして、この預言が教えている他の事柄も見逃してはなりません。
これらのユダヤ人はこのように思ったのかもしれません。
「ナザレのイエスがメシアなら、なぜ父ダビデの王座に就いて、御国を治め始めないのか?」
詩篇110篇がその答えを与えています。
イエスはまず天に昇り、父の王座に座るはずでした。
敵がイエスに敵対する間、約束された御国をそこで待っているのです。
神のみことばは完璧です。
ここに、拒まれた方が約束のメシアであり、死からよみがえり、栄光の座に着き、御国、父ダビデの王座を待ち望んでいることの完全な証拠があります。
聖霊はこれらすべてを証しされています。
その要約と訴えは厳粛であり簡潔です。
「ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
(使徒の働き2章36節)
十字架につけられた方は主であり、キリストです。
これはペンテコステの日にペテロが語った説教の偉大なテーマです。
そしてこれは今もなお、福音の偉大で祝福されたテーマであり、どのような時に宣べ伝えられても、神の力が伴っています。
• キリストは死にました。
• キリストは復活しました。
• キリストは主です。
• キリストは栄光の中におられます。
• キリストは再び来られます。
Ⅳ.行われた証言の結果
「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。
そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。
そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」
(使徒の働き2章37~41節)
実に素晴らしい結果です。
御言葉が宣べ伝えられました。
聖霊は御言葉を聞く者の心に確信を与える力をもって届けられました。
主は昇天される前に、弟子たちに聖霊の賜物によって力を受けるという約束を残しておられます。
この証しの力は弟子たちに授けられ、ペテロの大胆な証言に完全に現れました。
聖霊はその力強い力によって支えられ、聞き手の思いと良心が突き刺さりました。
彼らはこれらの言葉をすべて聞いた後、イエスを拒んだ犯した大きな罪を悟りました。
この罪が十分に示され、彼らは恐怖に駆られて叫びました。
「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」
この重大な問いに答えるのに一瞬の猶予もありません。
神から与えられた教えは、すぐにペテロの口から語られました。
良心の呵責にさいなまれたユダヤ人に対するこの答えは、悔い改めとバプテスマが非常に重要な位置を占めており、罪の赦しと聖霊の賜物の約束が付け加えられています。
これらの言葉が正しく理解されていないため、多くの混乱が生じています。
これらの言葉に基づいて、特に水のバプテスマに関する教義が構築されてきましたが、それらは聖書の他のどこにも教えられていないだけでなく、福音に反するものです。
ペテロがユダヤ人の同胞に語った言葉は、水のバプテスマを救いの儀式とするために使われてきました。
水のバプテスマを受け、悔い改め、主イエスを信じて初めて、罪の赦しと聖霊の賜物を得ることができるのです。
私たちはこれらの非聖書的な概念を詳しく述べたり、「バプテスマによる新生」という完全に誤った教義に反論したりするつもりはありません。
しかし、むしろペテロのこれらの言葉が意味するものを簡単に指摘したいと思います。
ペテロがイエスを公然と拒んだ人々に語りかけたことを、私たちは心に留めなければなりません。
彼らもまた、自分たちの過ちを公然と認め、イエスをメシアとして公然と認めなければなりません。
彼らはイエスを不法な者たちの手に引き渡すことでイエスを拒んだのです。
悔い改めとは、イエスに反対し、拒んだ罪を認めることを意味しています。
イエス・キリストの名によるバプテスマは悔い改めの外的な表現です。
したがって、これらのユダヤ人にとって、バプテスマは最初に必要不可欠なものとなりました。
これはヨハネのバプテスマとは異なる点です。
ここで私たちは、ペンテコステの日にペテロが説教したことが、依然として王国と関係があったことを忘れてはなりません。
これは、3章のペテロの2回目の説教からさらに詳しく学ぶことになります。
もう一つの王国が提示されることが国民に対してなされました。
前述のように、聖霊がキリストのからだ、すなわち教会を形成し始めたという偉大な事実は、当時はまだ明らかにされていません。
この国民的な証しにおいて、「悔い改め」という言葉が前面に押し出されています。
彼らが十字架につけたイエスの名において受けたバプテスマは、彼らが今やイエスを所有し、イエスを信じているという証しとなりました。
ペテロがユダヤ人に説教する部分がこの書の最初に特徴を示す部分を過ぎると、悔い改めという言葉はもはや前面に出なくなり、すべての強調点は「信じる」ことに入れ替わります。*
*もちろん、信仰と悔い改めは切り離せない関係にあります。
異邦人への偉大な使徒パウロに啓示され「私の福音」と呼んでいます。
祝福に満ちた福音は、ペテロの「悔い改めよ」という説教と同じように「信仰」、つまり「信じる」ということを重要なものとしています。
罪の赦しと聖霊の賜物は、主イエス・キリストを信じる信仰によって与えられます。
ユダヤ人の場合、バプテスマは条件でした。
異邦人にはそのような条件はありません。
コルネリオと、ペトロが福音を宣べ伝えた彼の家に集まった人々の事例は、このことを正確に物語っています。
ペトロは、罪の赦しと聖霊の賜物のためのバプテスマについて、一言も触れていません。
「彼の名によって」彼を信じる者は誰でも罪の赦しを受けると宣言した時、彼の演説は短く中断されました。
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」
(使徒の働き10章44節)
これは、水によるバプテスマが、これらの信仰を持つ異邦人への聖霊の賜物とは何の関係もないことが明確に証明しています。
異邦人の場合、水のバプテスマはその後に続きました。
主は彼らに、主の御名によってバプテスマを受けるように命じました。
「主を公然と拒んだユダヤ人にとって、バプテスマは常に前提条件でした。
彼らは、自分たちが否認した主を公然と認めなければなりません。」
異邦人の場合、儀式の一切の廃止は、バプテスマについての儀式主義的な教えを直ちに破壊します。
この儀式主義的な教えによれば、コルネリオは新生していない状態で聖霊を受けたからです。
なぜなら、彼はまだ「超自然的な新生、バプテスマ」を受けていなかったからです。*
*Numerical Bible; Acts p. 24.
(数字を象徴的に見た聖書、使徒の働き24ページを参照にしてください。)
ペテロは聴衆に、罪の赦しと聖霊の賜物の約束は彼らとその子孫のためのものであると語りました。
その約束は彼らとその子孫に祝福された確信が与えられます。
そして、彼らの約束は今も守られています。
「私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。
もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。
彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
先祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。」
(ローマ人への手紙9章1~5節)
将来、彼らが国民として大いなる悔い改め、主のために嘆き悲しむ時、聖霊が彼らの上に注がれます。
「その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。
わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。
その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。
この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。ナタンの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
レビの家の氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。シムイの氏族はひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。
残りのすべての氏族はあの氏族もこの氏族もひとり嘆き、その妻たちもひとり嘆く。」
(ゼカリヤ書12章9~14節)
「わたしは二度とわたしの顔を彼らから隠さず、わたしの霊をイスラエルの家の上に注ぐ。――神である主の御告げ。――」
(エゼキエル書39章29節)
この約束は、遠くにいる人々、すなわち主なる私たちの神が召される人々にも与えられています。
遠くにいる人々とは異邦人のことです。
ペテロは、この言葉の深遠な意味を完全に理解することはできなかったはずです。
聖霊はペテロの口にこれらの言葉を授けましたが、ペテロは当時、遠く離れた異邦人も聖霊の賜物にあずかり、共に相続人となることを理解していません。
ペテロが異邦人のところに行くことを可能にするために、主は彼に特別な幻を与えなければなりません。
しかし、この約束は遠く離れた人々、すなわち主が召されるすべての人々に向けられているという記述は、別の意味で重要です。
それは、すべての異邦人が一つのからだとされるわけではありません。
つまり、ペンテコステから始まった時代では、すべての異邦人が神の恵み深い啓示を受け入れるわけではないことを示しています。
御言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けました。そしてその日、およそ三千人が加わりました。
これを詩篇110篇の預言の成就とすることは、これまで繰り返し述べてきたように、正しくはありません。
そこにはこのようにあるからです。
「あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。」
(詩篇110篇3節)
ペンテコステの日は、約束された「戦いの日」ではありません。
今の時代は、主がその力を現す時代ではありません。
主が力と栄光のうちに再臨される時、主の力の日が始まります。
その時、地上の民は喜んで従う民となるのです。
ペンテコステで起こったことは、この国でこれから起こることの前兆にしか過ぎません。
V.友愛の精神で集まった同胞たち
「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
(使徒の働き10章42~47節)
約3000人が追加されました。
一体何に加えられたのか、と質問してみましょう。
はっきりと聖霊のバプテスマによって一つのからだとされた信者たちの集まりに加えられました。
そして今、この偉大な章の終わりに、私たちは、まだ啓示されていなかった教会、すなわち集会が確かに存在していたことを学ぶことができます。
上記の言葉で私たちに描かれているのは、とても貴重な光景です。
これは、聖霊の力が信者たちを一つのからだへと結びつけ、主の祝福された御方を中心に集わせていることを示しています。
ペテロは、拒まれ、十字架につけられ、復活したイエスが主でありキリストであるという偉大な証しを人々に与えました。
このメッセージを信じて悔い改めた者たちは、聖霊によってこのからだに加えられました。
この集まった幸いな人々の描写において、彼らが「使徒たちの教えを堅く守った」という事実が前面に出されています。
指導が必要であり、主は使徒たちに教えるよう命じています。
「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」
(マタイの福音書28章20節)
使徒たちの教えは、もちろん主イエス・キリストに関するものでした。
後に明らかにされるように、彼らは偉大な霊的建物の土台です。
「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエス御自身がその礎石です。」
(エペソ人への手紙2章20節)
教えが最初に置かれていることは、偉大な重要性を示しています。
真実な交わりと祈り、そして正しい生き方は、真理においてのみ可能です。
教会に関する書簡全体を通して、教義は常に最初に挙げられています。
聖霊がパウロを通して与えた最後の勧告の一つに、正しい教えに忠実であるべき勧告があります。
「あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。」
(テモテへの手紙第二1章13節)
パウロがローマ獄中で書いたこの手紙の最後の言葉の一つには、「キリストの教えからの逸脱」が預言しています。
「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」
(テモテへの手紙第二4章3、4節)
これはまさに、現在私たちが見ている光景です。
回復不能な背教が始まり、聖徒たちに伝えられた真実な教義、信仰は放棄されました。
彼らは使徒たちの教えを受け入れ、共に交わりを深めました。
彼らが持つ、授かった交わりは特別な方法で表現されました。
その方法は「パンを裂くこと」によって表現されています。
この書の解説者の中には、この「パンを裂くこと」を共通の食事としている人もいます。
ユダヤ人が使う「パンを裂く」という表現について長い議論をした後、ある良識ある解説者は、次のように結論づけています。
「パンを裂くということは、彼らが一緒に食べることではなく、聖餐(主の晩餐)を意味すると理解すべきです。
シリア語の翻訳者は、そのように明確に訳しています。
コリント人への手紙第一10章16節と使徒の働き20章7節にも、同様の表現があります。
それは、祝福された主が、その記念すべき夜に弟子たちの前で述べられた「わたしを記念してこれを行いなさい」という願いを実行することでした。
この偉大な歴史書の中で、このことが最初に述べられていることは意義深いことです。
聖霊はキリストを讃えるために来られ、まさに主が預言されたことを成し遂げられました。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」
(ヨハネの福音書14章26節)
主が弟子たちに最初に思い出したことの一つは、主がパンを裂き、聖なるからだを捧げることを予告し、流される尊い血の象徴であるぶどう酒を満たした杯を弟子たちに手渡した時になされた、慈愛に満ちた柔和な願いです。
当時、弟子たちはそれが何を意味するのか全く理解していません。
しかし今、苦しみは終わり、キリストは死から甦り、父のもとへ帰られました。
聖霊が来られ、弟子たちの理解力を開かれました。
彼らはキリストによって一つにされ、少なくともしばらくの間は、毎日、主イエス・キリストを記念してパンを裂き、杯を回すために集まりました。
すぐに聖霊がこのよう導かれ、神の御子の死に向かう愛を思い起こすことの喜ばしいことを、聖霊は示されました。
もし私たちがそこにいたら、簡単な集まりを目にしたかも知れません。
そこでは、長い衣をまとった司祭が司式も、準備の礼拝も、儀式もありません。
慣習として聖餐に結びつけられ、覆い隠された主の願いは何もありません。
すぐにはただ共に神を賛美し、御名によって感謝を捧げることで聖なる祭司としての働いていました。
それから聖霊に動かされた者が立ち上がり、感謝を捧げてパンを裂き、全員でそれを分け合いました。
同じように杯も裂かれ、手から手へと回されました。
このパンを裂く行為によって、彼らは主に近づき、主の御人格と主の偉大な愛を常に心の中に新鮮に保つことが出来たのです。
主の晩餐をどのくらいの頻度で守るべきかという命令はどこにも与えられていません。
他の箇所では、彼らが週の最初の日にパンを裂くために集まったことが分かります。
(使徒の働き20章7節)
間違いなく、当時の集まりでは、これらを行うことが慣例でした。
主が墓から去られた日である主日ごとに、主の愛の願いを果たそうとすることに大きな意味がありました。
主の願いが無視されている現状は、キリスト教世界の霊的状態の悲惨な証拠です。
神の御霊にとって、大きな悲しみとなっています。
そして、これらのすべての尊さと簡素さを知りながら、主の晩餐が神の国の儀式と信じて、放棄している人々については何も言うことはありません。
次に祈りについて述べます。
彼らは祈り会を開き、主イエス・キリストの名において神に祈りました。
「そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。」
(使徒の働き2章43節)
集まった人々の中に神の力が現れ、使徒たちを通して多くのしるしと不思議が起こりました。
そして、さらにもう一つ発見があります。
彼らはすべてのものを共有し、所有物や財産を売っていました。
これはエルサレムの集まり特有の特徴であり、彼らが互いがからだであり、一つのからだの存在を証明するさらなる証拠となりました。
それはまるで大きな幸せな家族のようです。
そして、実際、彼らは神の恵みによってこのように結ばれていました。
こうした状況を再現しようとする試みは幾度となく行われてきました。
しかし、それは必ずと言っていいほどの失敗と、主とキリストの大義に対する大きな不名誉をもたらしてきたのです。
初期のエルサレムでは、これらすべてのことは完璧に整えられていました。
私たちはそのように計画されたのは、集まった人々が一体となって形作られた姿を、最も力強く、そして瞬時に伝えるためだったと信じています。
彼らも心を一つにして神殿へ行きました。
彼らはこのように、国民への証しとなるという偉大な使命を果たしたのです。
このように、パンを裂くことは家から家へと行われました。
しかし、この点において彼らは宿営の外にいました。
それでも、彼らには平安がありました。
彼らにはキリストが共にいているだけで十分でした。
歴史的なキリスト教にあふれている神学体系、信条、形式、その他そのようなものは一切なく「キリストだけ」で十分でした。
彼らは喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての人々から好意を得ました。
喜びと真心は、真実な信者の二つの偉大な特質です。
良い働きは続きます。
さらに多くの人が集会に加わりました。
彼らは、現代のように「教会員」を増やすためにさまざまな手段を講じて努力に加わるのではなく、主が集まりに加わえてくださりました。
主だけが、かしらであるそのからだに必要なものを与えることができるのです。
「主も毎日、救われる人々を仲間に加えてくださった」と訳す人もいますが、そのように訳す必要はありません。
正しくは「救われるべき者たち」です。
主によって日々加えられた人々は皆、真実な信者であり、それゆえに救われていました。
しかし、彼らもまた救われるはずの人たちです。
裁きの暗雲はエルサレムと国の上に急速に集まりつつあります。
このように集会に加えられた人々は皆、間もなくその国に下る裁きから救われるのです
このように偉大で祝福された章は終わります。
これは聖霊の降臨と教会の励ましの歴史的記録です。
3章
地上の教会に聖霊が注がれた後、使徒ペテロが行った二度目の説教の記録がこの章にあります。
この言葉はユダヤ的かつ国民的なものであり、すなわち、悔い改め、拒まれたイエスをキリストとして受け入れるよう国民に呼びかけるものです。
この厳粛な呼びかけと結びついているのは、国民の祝福の約束です。
ペテロは神の御霊によって「安らぎの時」と「万物の更新」を約束しています。
これらの言葉は旧約聖書においてイスラエルに約束された神の国を描写する二つの表現です。
ペテロによるこのバプテスマの祝福の約束の条件は、国民の悔い改めと改心です。
使徒パウロは主イエスの再臨についても同じ様に述べています。
再臨は、清めと万物の回復をもたらします。
このもう一つの証しは、足の不自由な人の癒しによってもたらされました。
私たちはこれらのことすべてをもっと詳しく見なければなりません。
この章は明確に2つの部分に分かれています。
*足の不自由な人のいやし
*ペテロの住所
4章の最初の節は3章に属します。
したがって、次のように区分します。
Ⅰ.足の不自由な人のいやし(使徒の働き3章1~11節)
Ⅱ.ペテロの演説と訴え(使徒の働き3章12~26節)
Ⅲ.彼らの逮捕(使徒の働き4章1~3節)
Ⅳ.与えられた証言の祝福された結果(使徒の働き4章4節)
これらの各セクションを個別に取り上げて、主な特徴のいくつかを紹介します。
Ⅰ.足の不自由な人のいやし
「ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。
この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。」
(使徒の働き3章1~3節)
これがいつ起こったのかは記されていません。
聖霊が降臨した日と同じ日だとは考えにくく、その後しばらく経っていたはずです。
再び、ペテロは指導者として前面に登場します。
ヨハネも彼と共にいましたが、ヨハネが言葉を述べたという記録は残っていません。
その後、ヨハネがペテロとともにサマリアへ行ったときのことをもう一度読みます。
もし人間の筆によって使徒の働きが書かれていたら、間違いなくヨハネはくり返して述べていたはずです *
* 使徒たちに関する伝承を集めた古い著作である「奥義としての使徒の働き(The Mythological Acts of the Apostles)」にはヨハネのことが多く記されています。
ペテロは割礼を受けた人々に福音を宣べ伝え、国民にこの新しい悔い改めのメッセージを伝えるために選ばれた器です。
ペテロは使徒の働き前半全体を通して中心的な人物です。
ペテロとヨハネは共に神殿に入りました。
聖霊が降臨し彼らを満たし、彼らをユダヤ人という国家から分離させ、新たな立場を与えられました。
それでも、彼らは依然としてユダヤの慣習と儀式を続けています。
神の哀れみがエルサレムに留まっている間、これらすべてことには目的がありました。
彼らが登ったのは午後9時、つまり午後3時。これは通常、ささげ物を捧げ、祈りを捧げる時間でした。
民はこの目的のために、神殿の「女の庭」と呼ばれる場所に集まりました。
なぜなら、女性はその場所までしか行くことが許されていなかったからです。
135キュビト四方のこの中庭は午後9時にはいつも人でごった返していました。
その庭への入口は、青銅で覆われた壮麗な門でした。
そして、使徒たちはこの場所へ行きました。
ちょうどその時、生まれつき足の不自由な男が、その美しの門に向かって運ばれてきました。
人々は彼を無力な状態で横たえ、中に入って来る人々に物乞いをさせようとしました。
彼は毎日、人目につく存在でした。
おそらく何年もそこにいたと思われます。
そして、主が神殿で、奇跡を行なわれる姿も見ていたはずです。
しかし、この無力な物乞いは癒されていません。
彼は、五つの回廊に横たわりいまいした。
私たちは主が癒されたもう一人の足の不自由な男を鮮やかに思い起こします。
(ヨハネの福音書5章)
続く章から、神殿の門にいたこの足の不自由な男が40歳であったことがわかります。
彼の状態と立場は、当時の国の道徳的な状況を型として表しています。
この男のように、イスラエルは美しい宗教儀式をすべて執り行うことができず、外に横たわっていて、中に入る力もありません。
足の不自由な人の年齢にも同じことが適応されます。40は試練の数字です。
したがって、この足の不自由な男は、国民が無力で、神の法令や法律を遵守できず、力もなく、孤立し、乞食となっている状況を余すところなく表しています。
「男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。
すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、
彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。
人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。
そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。」
(使徒の働き3章5~11節)
物乞いは二人の使徒から何かを受け取ろうと手を伸ばしました。
ペテロとヨハネが、同じように物乞いをしていた多くの人々の中で、なぜこの足の不自由な男に目を留めたのかは、理由は何も記されていません。
ある人たちは、彼の目に特別な表情と魅力があり、それが主のしもべ二人を惹きつけたのではないかと推測しています。
もしかしたら、この足の不自由な男は、以前ナザレのイエスの弟子として神殿を訪れた際に、二人を見覚えていたのかもしれません。
ペテロとヨハネが、主を見つめるように導いたのは聖霊であったと私たちは信じています。
栄光を受けたキリストは、その恵み深い力によって行動していました。
今、主の御霊に満たされた二人の使徒は、主が選び、進んで用いた器でした。
ペテロの言葉は「私たちを見なさい」でした。
足の不自由な男は従順に彼らに目を留めました。
物乞いは彼らの手から何らかの助けを期待していました。
確かに何かを受け取ることになります。
それは彼が想像していたよりもはるかに大きな贈り物です。
ペテロは銀や金はないと言い、代わりに何か別のものを用意していました。
ペテロは今、他のすべての名にまさる祝福された御名、ナザレ人イエス・キリストの御名によって立ち上がり、歩みなさいと語ります。
その時、足の不自由な男は、その御名によって信仰を働かせました。
神の力はすぐに現れました。
ペテロが彼をつかんで起こすと、ゆっくりではなく、一瞬の猶予もなく、すぐに彼の足と足首の骨は強くなりました。
尊い御名に応えて神の力がこの足の不自由な男に臨み、彼は瞬く間に癒されました。
そして、彼は歩き、跳び上がり、礼拝者として美しの門をくぐり、神殿に入り、神を賛美しました。
これは驚くような素晴らしい光景です。
しかし、なぜこの時にこの奇跡が起こったのでしょうか?
それは、不信仰な人々にとって、彼らが拒絶し異邦人の手に引き渡したナザレのイエスこそが救い主であり、彼らの王であることを示す新たなる証拠として起きました。
それは、十字架にかけられ墓に葬られたイエスが天で生きていること、そして彼らが理由もなく憎んでいたその名に対しての応答として神の全能の力が明らかにされた証拠でした。
神はその民イスラエルに王国を約束しています。
この祝福と栄光を預言者たちが次々と告げてきました。
それは霊的な王国ではなく、義の王が彼らの間で統治する、文字通りの王国です。
旧約聖書にある偉大な王国預言の一つにも、足の不自由な人について語られています。
「そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。」
(イザヤ書35章6節)
王、ダビデの子、インマヌエルが彼らの中に現れ、御国の到来が近づいていることを宣べ伝えた時に、主は王としての聖なる力を現わさせてくださいます。
すると、盲人は見え、耳の聞こえない人は聞こえ、足の不自由な人は歩けるようになります。
しかし、人々は主を拒みました。
そして今、再びその御国が人々に差し伸べられます。
使徒ペテロが主から受けたメッセージを伝える前に、御父の御座に座した主は、再び御力を現し、足の不自由な人を癒されました。
この足の不自由な男は完全に癒され、一人で歩くだけでなく、賛美の歌を口ずさみながら飛び跳ねて神殿に入っていきました。
ゆえに、主は民を癒す用意ができており、そのみこころをも持っています。
足の不自由な男が見事に癒され、跳ね回りながら神を賛美する姿は、将来、自分たちが突き刺した神を国民全体が仰ぎ見るときの姿を象徴しています。
「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。
彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」
(ゼカリヤ書12章10節)
神の彼らへの約束は、まだ成就されていませんがこのように記されています。
「わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。」
(エゼキエル36章27節)
その時、神の民の残された民は歌い出します。
「その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」
見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」
(イザヤ書12章1、2節)
「主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。
楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。」
(イザヤ書35章10節)
この奇跡が起こった後、神殿は大騒ぎになりました。
間違いなく、癒された男は群衆によく知られていたはずです。
彼らはすぐに彼だと分かりました。
神殿の門で何度も見てきた、あの見慣れた顔でした。
驚くべき変化が起きました。
彼の無力感は完全に消え去り、彼は飛び跳ねています。
物乞いの悲惨な叫び声の代わりに、彼の唇は神への賛美を歌っています。
大勢の群衆が集まり、大いに驚きました。
そして今、ペテロが口を開き、人々に語りかけています。
Ⅱ.ペテロの第二の演説
「ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。
なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの先祖の神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。
あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。
そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。
しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。
そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。
イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。」
(使徒の働き3章12~16節)
ペテロのこの二度目の説教は、非常に冷静な様子で語られています。
ペテロは、驚愕する群衆の興奮に流されることはありません。
足の不自由な男に起こった出来事に、なぜ彼らが驚かなければならないのか、彼は理解していません。
盲人の癒しよりも大きな奇跡が、以前から彼らの間で行われていました。
悪霊を叱り、盲人の目を開き、あらゆる病気を治し、死者を甦らせた方が、彼らの間を歩いたのです。
なぜ彼らは、足の不自由な男の癒しに、それほど驚かなければならないのでしょうか?
彼らは治癒した物乞いを驚きの目で見つめただけではなく、使徒たち自身も、まるで彼ら自身の力や価値によって治癒を行ったかのように、不思議そうに見つめていました。
ペテロはこのことを否定しています。
この男を癒すことにより、神のしもべイエスに栄光を与えたのは神御自身です。
聖霊の息吹によってペテロが発する言葉の一つ一つは、その演説の中でユダヤ民族的性格をありのままに表しています。
使徒パウロは神を主イエス・キリストの父としてではなく、アブラハム、イサク、ヤコブの神として語っています。
これは、神の契約の民と結びついた神の御名です。
新約聖書の残りの部分でこの神の御名を探しても無駄です。
私たち信者にとって、神の御名は「私たちの神、そして私たちの父、私たちの主イエス・キリストの神、そして私たちの父」として啓示されています。
次にペテロは主を「御子イエス」と呼んでいます。
ペテロは確かに主を生ける神の御子として知っていました。
なぜなら、彼はピリポ・カイザリヤで主をそのように告白していたからです。
永遠の栄光と神の子たる身分、すなわち死者からの復活による栄光と子たる身分を、完全な形で明らかにするのは、別の使徒、すなわち使徒パウロを通してです。
主イエス・キリストが神の御子として初めて説教されているのは使徒の働き9章20節で、改宗したタルソのサウロが説教者です。
この地と神の民イスラエルとの関係において、主は神のしもべです。
イザヤ書(53章)や他の預言者たちは、主をそのように預言し、描写されてました。
そのしもべは神の民の中におり、ナザレ人イエスがそのしもべでした。
彼らの父祖の神は、足の不自由な人を癒すことによってそのことを証しされました。
そのことを通して神はしもべイエスに栄光を与えています。
では、ユダヤ人たちは主のしもべに一体何をしたのでしょうか?
今、ユダヤ人たちの罪がすべてあぶり出されています。
ユダヤ人たちはイエスを引き渡し、異邦人が彼の無実を確信して解放しようとしたにもかかわらず、彼を否定したのです。
神のしもべであるイエスは無実どころか、聖なる義なる方です。
彼らはそのような方を否定し、代わりに殺人者を選びました。
ユダヤ人たちは生命の創始者、ギリシヤ語で言うのであれば、いのちの起源である方を殺害しました。
ユダヤ人たちの邪悪と罪のすべてが、聖霊によって簡潔に語られ、ユダヤ人たちの心に深く刻み込まれます。
ユダヤ人たちの中に、これらの歴史的事実を否定できる者がいるでしょうか?
ユダヤ人が主イエス・キリストの十字架刑の責任を他の者に転嫁しようと、現在も多くの試みを行っています。
これは、特筆すべき事実です。
不思議なことに、主の死においてユダヤ人が果たした役割についての新約聖書の記録を否定しようとするラビたちが、福音派教会に受け入れられ、クリスチャンに自分たちの主張を展開することがありました。
最近、あるラビから小冊子を受け取りました。
その中では、当時のユダヤ人はキリストの死に何ら関与していないことを示そうとしています。
彼らは、国家の罪と聖なる方を拒んだ罪を告白する代わりに、自分を正当化しようとしています。
しかし、いつか彼らが、ひとり子を失ったように、真に主のために嘆き悲しむ日が来るのです。
(ゼカリヤ書12章11~13節)
ペテロも同様に復活について述べています。
神はイエスを死から甦らせ、彼らはイエスの復活の証人でした。
そして、イエスの御名が、イエスを強くし、完全な健全さを与えた力として語られています。
ですから、神の力は彼らによって証しされました。
ここで、この種の癒しが、ここでの説教と関連して適切であった事実について簡単に触れておきます。
教会において癒しの賜物が継続されるべきとは、どこにも書かれていません。
今もなお、主が癒しの力を持っておられ、御名がこれまでと変わらず力強いものであることは、誰も疑う余地がありません。
「ですから、兄弟たち。私は知っています。あなたがたは、自分たちの指導者たちと同様に、無知のためにあのような行ないをしたのです。
しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。」
(使徒の働き3章17、18節)
この言葉には、驚くべき柔和さと哀れみが息づいています。
ペテロは彼らを兄弟と呼んでいますが、教会の書簡で使われている「兄弟」という言葉とは異なる意味です。
ペテロは彼らを同じ国民の一員としてこのように呼び、哀れみを差し出しています。
ユダヤ人の罪は否定できるものではありません。
ペテロが今言ったことはすべて真実です。
しかし、神はその偉大な憐みによって、彼らの大罪を無知の罪として扱う用意ができていました。
主は十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか知らないのです」と祈られました。
そして今、神はこの祈りに答える用意ができているのです。*
* 無意識のうちに人を殺してしまった者が逃げることができる逃れの街の適用は、簡単にできます 。
(ヨシュア記20章)
彼らは「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」(マタイの福音書27章25節)と叫びました。
しかし、神は哀れみ深く、彼らの盲目なままに口にしたこの恐ろしい願いの実行を遅らせました。
もし彼らがこの差し出された哀れみを受け入れたなら、彼らの罪はすべて消し去られたはずです。
だが、もし拒否して、自分の行ったことを悔い改めないならば、かれらは故意に神と神が遣わされた方に逆らうことになります。
そして、ペテロは今、神に訴え、神の哀れみを約束します。
「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。
このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。」
(使徒の働き3章19~21節)
これらは非常に興味深く、非常に重要な言葉です。
これらの言葉が誰に向けられたのか、つまり異邦人ではなくユダヤ人に向けられたものであるという事実を見失わなければ、正しく理解することができます。
これらはこの説教の核心であり、神から国民に与えられた呼びかけであり、約束でもあります。
もしこの点を見失えば、この言葉は本来の意味を失ってしまいます。
彼らに求められている悔い改めとは、聖にして義なる方を否定した過ちを認めること、そして生命の創造主を殺したという血の罪を告白することです。
当然のことながら、彼らの改心と、国民としての罪を消し去ることに繋がります。
かつて、この神はこの民に約束しておられます。
「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」
(イザヤ書43章25節)
これが成就される栄光の日、まだ来ていない日を想定し、預言者は次の栄光の言葉を語りました。
「わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。
わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
天よ。喜び歌え。主がこれを成し遂げられたから。地のどん底よ。喜び叫べ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。林とそのすべての木も。主がヤコブを贖い、イスラエルのうちに、その栄光を現わされるからだ。」
(イザヤ書44章22、23節)
二度目の説教でペテロが聖霊の賜物についてこれ以上何も語っていないことは重要です。
これは彼の演説の趣旨と完全に一致しています。
国民的なテーマであるため、まずその民の罪の消し去られが言及され、次に、天に迎え入れられた同じイエスの再臨と、安らぎの時が語られています。
聖霊は、キリストのからだである教会に力を与えるために与えられたのです。
ペテロのこの説教は、国家とその将来にだけ関係しており、ペンテコステの日に降臨した聖霊については何も述べられていません。
しかし、将来その国家に聖霊が注がれるという約束は、「慰めの時」という約束の中に含まれています。
この言葉は、神の地上の民のために用意されている将来の祝福の時を意味します。
使われているもう一つの表現、「あの万物の改まる時」は、実質的に回復の時と同じ意味です。
聖霊は、この二つの表現において、神のさまざまな預言者を通して与えられた何百もの約束を集約しています。
それは、神の民と、彼らを通して世界の諸国民に与えられる大いなる祝福の時代についてです。
これらの約束のすべて、そして万物の刷新と回復の時代がどのようなものなのかを全て挙げることは不可能です。
来たるべき時代、神の国の時代、あるいは私たちがその期間が千年であることから千年王国と呼ばれる時代は、旧約聖書の預言の中で詳細に描写されています。
国が祝福されるだけでなく、エルサレムは偉大な街となり、国は回復され祝福の大きな中心地となります。
地上の国々は祝福を受け、うめき声をあげる被造物は、そのうめき声とのしかかる呪いから解放されるのです。
もし私たちが預言の言葉を文字通りに解釈し、それを霊的に解釈するのを拒むのなら、すべてのものが新たにされる回復の時代の完全な意味を私たちが理解することにも、何の困難もなくなります。
後者の言葉は、邪悪な死者の回復、つまり救われないままこの世を去った者たちに二度目のチャンスを与えられることは含まれていません。
誤った教えは、この聖句を、ソドムとゴモラさえも含む邪悪な死者の回復を主張する論拠の一つとして用いています。
しかしながら、神の預言者が邪悪な死者の回復について説いたことはありません。
預言者たちは万物の回復を預言しましたが、その回復とはこの地上を去った後の存在ではなく、地上の万物に関するものとして明確に定義されています。
旧約聖書には、イスラエル、諸国、そして被造物に何が起こるのかが記されているだけでなく、新約聖書の他の箇所にも、このすべてのものの回復と再生の時代が明確に示されています。
マタイの福音書19章28節、ローマ人への手紙8章19~23節、エペソ人への手紙1章10節などをご覧ください。
しかし、イスラエルが悔い改め、彼らの受けるべきものは何かというこの二つの約束の言葉の間には、もう一つの事実があります。
それはイエス・キリストの再臨です。
これはキリストの再臨という偉大な教義の根幹を成す重要な一節です。
ペテロは神がイエス・キリストを遣わすと宣言しています。
これは再臨を意味しています。
確かに、天はイエスを受け入れました。
しかし、永遠にとどまることはありません。
このことを明確に教えるために、ペテロはこのように付け加えています。
「このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。」
(使徒の働き3章21節)
キリストの再臨は、すべてのものを新しくし、回復の時代をもたらします。
もちろん、この出来事はイエスが地上の民を救い祝福するために、昇天したオリーブ山に、目に見える栄光のうちに再び地上に戻ってくることです。
使徒パウロを通してテサロニケ人への手紙第一4章13~18節で明らかにされたように、主が教会のために来られることは、この目に見える地上への再臨とは区別されなければなりません。
復活した聖徒たち、そして、生きている聖徒たちは、共に雲の中に引き上げられ、空中で主と会見します。
主は、御自身の民への約束を果たされる時、空中に降りてこられます。
「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」
(ヨハネの福音書14章3節)
ペテロがこの証しを国民に語った時、彼はこのことについて全く理解していなかったのです。
彼が語っているのは、キリストが力と栄光のうちに来臨し、御民の中に御国を築き、それが全地に広がることです。
主の栄光の知識が深淵を覆うように、地を覆います。
預言者たちはこの来臨について繰り返し語ってきました。
実際、預言の言葉において、イスラエル、諸国、創造物に約束された祝福と、すべての王の王として栄光のうちにキリストが来られることとを切り離すことは不可能です。
キリストの再臨以前には祝福の時代も、千年王国も、存在し得ないことはすべて明白です。
千年王国以前にキリストが到来するという教えを理解しないでいる人はいないと思います。
しかし、最も博識で聖書解説者の一人であるジョン・ライトフット博士は、天が受け入れたキリストの文字通りの到来を、難解に解釈しようと躍起になりました。
この博識な人物の言葉は、私たちがこれまでに目にした中で最も説得力に欠けています。
彼は著書「ヘブル書」の中で、この箇所について次のように述べています。
「私たちが十字架につけたイエスは、真実なキリストだったのだろうか?
ペテロの話を聞いた後に、ユダヤ人たちはこのように尋ねました。
では、メシアによる慰めへの私たちの希望は、すべて消え去ってしまったのでしょうか?
なぜなら、メシア自身が消え去ってしまったからです。
では、イスラエルの慰めに対する私たちの期待も、私たちの慰めとなるべき方が死んでしまったからです。
しかし、そうではないとペテロが言っています。
もしあなたが悔い改めるなら、メシアと、彼による慰めは、あなた方のもとに回復されます。
しかし、キリストは天に留まっています。
もしあなたが悔い改めるなら、彼は、慰めと慰めの言葉と、その恵みによって、あなた方のもとに遣わされます。」
この偉大な学者は、神のみことばに関して大きな自由を自分に与え、ペテロが国民に語ったこととは全く逆のことを教えています。
ペテロを通して神が示した提示と、彼が国民に伝えたメッセージには、旧約の昔から預言者たちの口を通して語られてきた、神の偉大な啓示された目的が含まれています。
時々、「もし国民が悔い改めていたらどうなっていたのでしょうか?」と問われることがあります。
確かに、すべてが成就したと思います。
預言者たちに記されている主の再臨に先立つすべての出来事が次々と起こり、そして主が来られ、万物が回復されたはずです。
しかし、これは神の目的ではありません。
主はイスラエルがこの提示を拒否することを知っておられました。
主はそれを預言しておられました。
預言者たちは、イスラエルの離散と彼らに下される長い裁きの期間について語っています。
この期間とは現代であり、イスラエルは国家として区別され、同時に神は異邦人の中から神の御名のために民、すなわち教会を召し出しました。
これはいつ終わるか分かりません。
私たちは今、この現在の世界の速やかな終焉を告げる兆候に囲まれた、重要な時代に生きています。
教会が完成し、地上から取り去られた後、イスラエルは再び御国に関するメッセージを聞くことになります。
そして、残された民の悔い改め、主イエス・キリストの再臨、そして主の来臨の結果として、万物の回復と回復の時代が訪れます。
「モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』
また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。
あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。
神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」」
(使徒の働き3章22~26節)
次にペテロはモーセについて語っています。
国民はモーセを非常に尊敬しており、今でも「私たちの教師であるモーセ」と呼ばれています。
モーセは申命記の中で、主が立てるもう一人の預言者について語っていました。
神はその預言者の口に御言葉を授けると約束されました。
「わたしの名によって彼が告げるわたしのことばに聞き従わない者があれば、わたしが彼に責任を問う。」
(申命記18章19節)
モーセが語った、彼自身よりも偉大な者とは、他でもないキリストのことです。
預言者は語りましたが、彼らは聞き入れてことはありません。
主の脅迫的な言葉は、国民としての彼らの上にありました。
また、これらの言葉は、サムエルから始まる預言者たちの証しを彼らに思い起こさせます。
彼らは皆、この時代に告げ知らせていました。
最後に、ペテロは彼らが預言者と契約の子らであり、神がまず彼らのためにそのしもべを立てることを告げ、彼らに訴えかけます。
神は彼らを祝福し、すべての人を罪から立ち返らせようと準備しておられます。
ペテロのこの二度目の説教は、ペンテコステの日に彼が語った説教よりずっと短いものです。
それでも、数分かけて語られたその短い言葉には、最も偉大な真理が含まれています。
ペテロは主の名を7つの異なる形で述べています。
*神の御子
*聖なる者
*正しい方
*いのちの君
*神のキリスト
*預言者
*アブラハムの子孫
悔い改め、改心、罪を消し去ること、キリストの再臨、来たるべき時代とその祝福、そして主イエス・キリストの苦しみ、死、そして復活が述べられています。
彼らはこの厳粛な言葉に耳を傾けるでしょうか?
*群衆が「私たちはどうしたらよいでしょうか。」と叫んでいるのが聞こえるでしょうか?
*彼らは本当に悔い改めるのでしょうか?
聖霊が記録に残していないペテロの演説とヨハネの言葉は、中断されましたがまだ終わっていません。
彼らがまだ話している間に、ある出来事が起こりました。
これは4章の冒頭の次の段落に書かれています。
Ⅲ.彼らの逮捕
「彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、
この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、彼らに手をかけて捕えた。そして翌日まで留置することにした。
すでに夕方だったからである。」
(使徒の働き4章1~3節)
群衆の存在、足の不自由な男が癒されたという知らせ、そして二人の男がソロモンの玄関で人々に話しかけているという知らせは、祭司たちと神殿の司令官たちの注目を集めました。
後者は神殿内で大きな権威を持つ指導的人物であり、大祭司に次ぐ立場にあったと考えられます。
今、敵は行動を開始し、国に対する神の哀れみの提示が受け入れられないという最初の兆候が示しました。
聖霊は語られた御言葉を通して力強く働いておられましたが、これらの教会指導者たちは神の御言葉と御霊に対して心をかたくなにしています。
彼らが屈服しているサタンの力によって、祝福された御名に対する憎しみが再び燃え上がりました。
やがて、盲目が彼らの運命となることが明らかになりました。
そして、サドカイ派も現れました。
復活については語られていませんが、これらの合理主義者、あるいは今日私たちが「高等批評家」と呼ぶ人たちは、イエスと復活を説いたために混乱しました。
次のステップは二人の使徒の逮捕と投獄です。
荒々しい手が彼らを捕らえ、迫害が始まりました。
使徒たちについては、これ以外に何も書かれていません。
使徒たちはこれらのことに従いました。
そして、聖霊の力が今、新たな形で彼らに現れました。
彼らは苦しみに耐え、おそらくは大きな喜びと完全な平安の中で、自分が連れ去られることを受け入れました。
Ⅳ.証言の結果。
「しかし、みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。」
(使徒の働き4章4節)
彼らの労苦は無駄ではありません。
神の力は御言葉に伴われ、残りの者たちはそれを聞いて信じました。
人々は数えられました。
これはユダヤ教特有のものであり、神の国の特徴です。
改宗者の数が数えられるのは今回が最後です。
この教会時代においては、数を数えることはできません。
キリストのからだを構成する者の数を知っているのは神だけであり、その数は神の御国においてのみ数えられます。
福音書には、奇跡的な魚の捕獲が2回記されています。
ルカによる福音書では、十字架にかけられる前の網が破れ、魚の数が数えられなかったという奇跡は、現代を表しています。
ヨハネの福音書では、キリストの復活後、ペテロが先導し、網が破れず、魚の数が数えられたという奇跡は、神の御国を表しています。
4章
使徒たちの逮捕の記録であるこの章の最初の数節については、本来は3章に属するものとして解説しました。
ペテロとヨハネがその後どうなったか、教会の権威者たちの前に現れ、最終的に解放され、元の仲間に戻ったことは、この章の残りの部分で述べられています。
私たちはこの章を5の部分に分けて、簡単に黙想します。
Ⅰ.指導者、長老、律法学者、大祭司の家族の前に立つペテロとヨハネ(使徒の働き4章5~7節)
Ⅱ.ペテロの大胆な証言(使徒の働き4章8~12節)
Ⅲ.サンヘドリンの驚き、使徒たちの釈放(使徒の働き4章13~22節)
Ⅳ.彼ら自身の仲間とともに、彼らの賛美と祈り(使徒の働き4章23~31節)
V.一つの心と一つの魂となった救われた群衆(使徒の働き4章32~37節)
Ⅰ.指導者たちの前に立つペテロとヨハネ
「翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。
大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。
彼らは使徒たちを真中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。」と尋問しだした。」
(使徒の働き4章5~7節)
彼らの前に現れた集まりはサンヘドリンであり、主の前にも彼らが現れています。
彼らはエルサレムに集まりました。
おそらく、町から少し離れた場所にいた他の議員たちも町に招集されたはずです。
アンナスとカヤパのほかに、ヨハネとアレキサンデルの名前も挙げられています。
この二人については確かなことは何も分かっていません。
彼らは大祭司の親族であった可能性が大いにあります。
別の見解では、言及されているヨハネは、当時有名だった司祭、ラバン・ヨハナン・ベン・ザッカイであると言われています。
彼は長生きし、エルサレム滅亡の40年前、神殿の門がひとりでに開いた時、神殿が火で滅ぼされることを預言したと伝えられています。
主が彼らの前に立たれた時、皆が主の御顔を見つめていたこの一行の前に、二人の使徒が現れました。
主が、愛する弟子たちが迫害を受けるとくり返し預言しましたが、ここで初めてこのことが実現しました。
「しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。」
(ヨハネの福音書15章20節)
「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。
人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。」
(マタイの福音書10章16、17節)
「だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。」
(マルコの福音書13章9節)
彼らはこれらの預言を成就するために議会に出席しなければなりません。
そして後に彼らは殴打されました。
5章には、十二人全員が彼らの前に連れてこられ、殴打されたこと(使徒の働き5章40節)、そして後に彼らに対して他の暴力行為が行われたことが記されています。
しかし、主のこれらの預言はその当時、そして、この時代全体を通して成就しました。
そして、マタイの福音書10章とマルコの福音書13章の文脈からわかるように、特別な終末の成就はまだ来ていません。
この時代が終わり、大患難時代の間、ユダヤ人の弟子たちは、最初に目撃したことを目撃します。
その後、使徒たちやユダヤ人キリスト教徒たちと同じように、再び苦しみを受けることになります。
ペトロとヨハネは、不在の主が語られたこれらの言葉をすべて覚えていたはずです。
聖霊がこれらのことを思い起こさせ、喜びと平安で満たされました。
主が御姿を現された建物の中庭に立つこと自体が、大きな特権だったのです。
そして、祭司長や長老たちが主に尋ねたのと同じ質問が、今、同じ人々によって彼らに投げかけられます。
(ルカの福音書20章1、2節)
Ⅱ.ペテロの大胆な証言
「そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、
皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。
この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。
『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。
この方以外には、だれにも救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」」
(使徒の働き4章8~12節)
ここで主が言われたことがまた一つ実現しました。
「彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」
(マルコの福音書13章11節)
まさにこの場面です。
ペテロは立ち上がって答えると、聖霊に満たされました。
聖霊が彼を満たし、彼を通して語りました。
本書に記されているペテロのこの三度目の説教は、これまでの説教と同様に大胆で明快です。
そのはずです。
なぜなら、彼は神の第三神格である聖霊なる神の代弁者だったからです。
これは最も簡潔な演説であり、ギリシヤ語でわずか92語しか含まれていません。
わずか数分で演説が終わりましたが、その内容は実に包括的です。
私たちは次の7つのことに気づくことができます。
1.ペテロはすぐに、病人を癒したという、すでに行われた行いについて語っています。
これが彼らが逮捕された原因であり、彼は今、この人がどのようにして癒されたのかを知らせなければなりません。
彼はその行いを「良い行い」と呼んでいます。
彼らは何も悪いことをしていません。
彼らが逮捕されるような理由は全くありません。
2.次に彼は主の名について述べています。
彼は主を「神の御子」ではなく「ナザレ人イエス・キリスト」と呼んでいます。
この三つの言葉の意味は単純でありながら、興味深いものです。
*イエス - それが彼らの間を歩いていた彼の名前でした。
*キリスト - 彼はそのような存在であり、今も神の右に高められています。
*ナザレ人 - 彼は自分の同胞に拒まれた者として名付けられ、その拒絶は国の指導者たちにも降りかかりました。
そして今、ペテロは聖なる大胆さで、集まったサンヘドリンに対し、彼らが主イエス・キリストを十字架につけたと非難します。
「あなたがたが十字架につけ、」
(使徒の働き4章11節)
これは真実です。
なぜなら、サンヘドリンは主を非難したからです。
ペテロに驚くべき変化が起きています。
少し前、彼は大祭司の女奴隷と対面しました。
その女が彼を主イエス・キリストの弟子だと非難した時、彼はイエスを否定しました。
そして今、聖霊に満たされた彼は、大祭司の前でサンヘドリン(ユダヤ最高評議会)を告発し、彼らがイエスを十字架につけたと主張しています。
あの女奴隷を恐れていたペテロとは対照的です。
3.この証言の中で、再び主イエス・キリストの復活について述べられています。
これが使徒たちの説教の大きな目的でした。
「神が死者の中からよみがえらせた」のです。
4.病弱な男は、彼らが十字架につけたイエス・キリストの名によって、身体が健康になりました。
足の不自由な男の癒しは、十字架につけられた方が生きておられ、キリストであることを示す証拠となりました。
足の不自由な男は使徒たちと共にそこに立っていました。
これは、彼らが逮捕された時、癒された男も彼らと共に牢獄に入れられたことを示しています。
なぜなら、彼はペテロとヨハネと共にサンヘドリンの前に立っていたからです。
5.次にペテロは神のみことばを引用します。
聖霊は、指導者、長老、祭司長たちに、主が彼らの前で語ったのと同じ聖書の箇所を示しています。
「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか」と、同じ人々がイエスに尋ね、今度は弟子たちに尋ねました。
主は彼らにたとえ話で答えられました(マタイによる福音書21章23~41節)
マタイによる福音書によれば、二番目のたとえ話の終わりに、主はペテロが今彼らの前で使っている言葉を引用しています。
「イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。」
(マタイによる福音書24 章42~45節)
拒まれた石の聖句が引用されている詩篇118篇は、マタイによる福音書26章30節で述べられている讃美に含まれています。
「そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。」
(マタイの福音書26章30節)
これはユダヤ教の儀式の一つで、「大ハレル」という名で知られ、ユダヤ人が過越の祭の際に今も用いています。
しかし、現代のユダヤ教解説者も、古代の解説者も、拒まれた石について記された言葉を、約束のメシアであるキリストに適応していません。
ある者は、これは拒まれた石であったダビデ自身を指していると主張し、またある者は、今は拒まれているものの、諸国の礎石となる運命にある国民を指していると主張しています。
しかし、主は既にこの詩篇で述べられている拒まれた石は御自身であると彼らに告げています。
ここで聖霊は同じ真理を彼らの心に深く刻み込まれたのです。
彼らは、主がその聖句を引用された時、主が自分たちを指して、主を拒絶する建築者たちを指して言われたのだと知っていました。
彼らはその預言を成就するためにそのように行ったのです。
ペテロの言葉は彼らに向けられたものです。
「あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。」
(使徒の働き4章11節)
6.捨てられた石が礎石となったのです。
彼らが引き渡し、追い払った方が、礎石としてすべてのものの礎石となり、建物を一つにまとめる礎石として、重要な位置をが与えられました。
礎石としてのこの方に関する真理は、エペソ人への手紙の中で完全に明らかにされています。
そこにはこのように記されています。
「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエス御自身がその礎石です。
この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」
(エペソ人への手紙2章20~22節)
聖霊は彼らの良心に向けられました。
彼らは、聖なる方を拒んだという恐ろしい過ちを聞き、認めるでしょうか?
足の不自由な人を癒すというこの衝撃的な出来事は、拒まれた石が今や礎石であることを彼らに確信させるでしょうか?
7.ペテロは、救いは彼らが軽視したイエスによってのみ得られると述べて終わっています。
人間に与えられた救いの名は、この足の不自由な人を癒した方の名以外にはありません。
救いはすべての者に必要です。
指導者、長老、祭司長たちも救わなければなりません。
しかし、神はこの方によってのみ、すべての人々に無償で完全な救いを与えてくださいました。
そして、この方を信じる者は皆、この方によって救われるのです。
この救いは、主を拒んだこれらの統治者たち、建築者たちにも提供されたのです。
Ⅲ.サンヘドリンの驚き、使徒たちの釈放
「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。
そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。
彼らはふたりに議会から退場するように命じ、そして互いに協議した。
彼らは言った。「あの人たちをどうしよう。
あの人たちによって著しいしるしが行なわれたことは、エルサレムの住民全部に知れ渡っているから、われわれはそれを否定できない。
しかし、これ以上民の間に広がらないために、今後だれにもこの名によって語ってはならないと、彼らをきびしく戒めよう。」
そこで彼らを呼んで、いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない、と命じた。
ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。
私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
そこで、彼らはふたりをさらにおどしたうえで、釈放した。
それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので、人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
この奇蹟によっていやされた男は四十歳余りであった。」
(使徒の働き4章13~22節)
役人たち、長老たち、律法学者たち、そして大祭司たちは驚きました。
しかし彼らは、聞いたことに驚いたのではありません。
彼らは、貧しいガリラヤ人を通して彼らに語りかけた神の声を不思議に思っていません。
この記述全体は、これらの教会指導者たちが心をかたくなにし、他のすべての名にまさる、あの祝福された御名をいかに軽蔑していたかを示しています。
彼らが驚いたのは、ペテロとヨハネの大胆さです。
全国民から尊敬されていたこの大会議の面前で、二人の男に激しい非難を浴びせました。
彼らは、無実であるだけでなく、長く約束されていたメシアである者を十字架につけたと非難しました。
すると彼らは、使われた言葉と聖書の引用に驚きました。
彼らは自分たちが無学で教育を受けていないことを知っていました。
では、ペテロのような人が、どうしてあんなに短い期間で、これほど素晴らしい言葉を語ることができるのでしょうか?
彼らはペテロがイエスと共にいたことを認識していました。
これは、よく言われるように、彼らが柔和な態度や霊性で知られ、主と交わりを持っていたという意味ではありません。
イエスが苦しみを受け、亡くなる前のエルサレムでの最後の一週間、ペテロが主イエスと共にいたことを認識していたのです。
しかし、彼らの葛藤はまだまだ続きます。
癒された40歳を超えた男がそこに立っていました。
奇跡が本物ではないことは否定できずに。彼らは何も言い返すことができません。
言葉が見つかったとしても、それは外へ出て、自分たちの事件と現状について話し合うように頼むためでした。
彼らには悔い改めの兆しも、これほど強烈に突きつけられた事実を受け入れようとする意志もありません。
男たちはどんどん速く外側の暗闇へと突進してゆきました。
ペテロとヨハネ、そして癒された男は警備員に付き添われて外に出て、中では自分たちの事情を話し合いました。
彼らが何を話したかは誰が知ったのでしょうか?
どのようにしてそれが知られるようになったのでしょうか?
これは、神のみことばの中にある、御霊が示した多くの出来事の一つとして知られたのです。
あの会議の場で何が起こったのか、またこの書に記されている他の秘密の出来事について報告する者は誰もいません。
しかし、見聞きした唯一の方、聖霊が、御自身が選んだ器、愛する医師ルカにこれらの秘密が明らかにされています。
このように何が起こったのかが分かります。
彼らは奇跡が否定できません。
奇跡が起こったのです。
彼らはそれを否定できません。
もしあの男が癒されたことを否定する方法があったなら、彼らはそのようにしたはずです。
さらに、彼らの邪悪で悔い改めない様子が見て取れます。
彼らはキリストという存在について一言も語りません。
彼らが聞いた力強い証言について考える声は一つも聞こえません。
彼らが主の御名について述べられているのは、弟子たちが話す時や教える時にその御名を用いることを禁じる時だけです。
彼らは弟子たちに、二度とその御名に言及しないように命じました。
二人の使徒の勇気ある言葉については、これ以上の説明は必要ありません。
彼らは大胆にも、人間の言葉よりも神に従うと宣言しました。
この聖なる勇気は、内在する聖霊の賜物でした。
そして愛する読者の皆さん、私たちもまた、不在の主の証人として、このような勇気を必要としています。
しかし、神の民のうち、そのようなものを持っている人はほとんどいません。
彼らはしばしば人間を恐れ、教会組織や指導者に屈服します。
このように、教会組織や指導者は、これらの支配者や律法学者と同じように、神の聖なる方を否定しています。
神が信仰のために熱心に戦うよう呼びかけているこの終わりの邪悪な時代に、聖霊は私たちにさらに大きな大胆さを与えてくださいます。
学識ある統治者や律法学者たちが唯一できた答えは、もう一度脅すことでした。
彼らは彼らを罰することができなかったことを残念に思ったはずです。
民衆のせいで、彼らに手を下す勇気はありません。
何が起こったのかを知っている者はあまりにも多く、足の不自由な男が癒されたのを目撃した者たちは神を讃えました。
偉大な会議こそが臆病者だったのです。
Ⅳ.彼ら自身の仲間とともに、彼らの賛美と祈り
「釈放されたふたりは、仲間のところへ行き、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告した。
これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。「主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。
あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの先祖であるダビデの口を通して、こう言われました。『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。
地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』
事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。
主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」
彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」
(使徒の働き4章23~31節)
彼らは大きな喜びで、自分たちの仲間が集まっている場所へと向かっていきました。
この表現は使徒たちだけを指しているのではなく、実際にははるかに大きな集まりになっていました。
ペテロとヨハネの逮捕の知らせは、事件発生後すぐに彼らに届いたはずです。
ヘロデがペテロを投獄したとき、会衆はペテロのためにますます祈りを捧げていました
(使徒の働き12章5節)
そして、後に教会の「おもだった者」(ガラテヤ人への手紙2章)と呼ばれた二人の使徒のためにも、彼らは祈り続けていたと考えられます。
彼らが再び現れた時、大きな喜びがありました。
何が起こったのか、そして祭司長たちと長老たちが彼らに何を要求したのかが報告されています。
無駄な議論は続きません。
主の名によって語ることを禁じるこの命令をどう扱うか、策略や計画も立てられません。
彼らははるかに偉大で素晴らしいことを成し遂げたのです。
善良な王ヒゼキヤは、アッシリア王セナケリブの代弁者ラブシャケの脅迫の言葉(列王記第二19章)を受けた後、そのすべてを主の前に差し出しました。
そこで、この一行は困惑し、主に祈りを捧げました。
それは神とそのキリスト、その聖なるしもべイエスの預言とも言える表現がされています。
彼らは仕え、あるいは苦しみを受けることによって、喜んで神に栄光を帰しました。
集まった指導者たちには、沈黙を守ることはできず、沈黙するつもりもないと明言していたが、今、彼らは主に助言を求めていました。
この事実から得られる貴重な教訓と教えを見出すことは何も難しくありません。
聖霊は祈りへと導き、祈りは主への信頼の表現です。
彼らは声を合わせて神に祈りを捧げます。
これは、皆が同時に祈ったという意味ではありません。
もし、そうならば混乱を招いていたはずです。
集会における混乱、つまり、大勢の人が同時に騒々しく話し、外見的な振る舞いをすることは、聖霊が導いていないことの証拠です。
「それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。」
(コリント人への手紙第一14章33節)
おそらくペテロが祈りの言葉を発し、残りの者たちも心の中でそれに従ったはずです。
神は、主(マスター)、そして天と地と海とその中にあるすべてのものを造られた神として呼びかけられます。
後に、神の御子の福音が完全に啓示された後、祈りは私たちの主イエス・キリストの神であり父である方に捧げられるようになりました。
現在、これが神に呼びかける正しい方法です。
この本には、聖霊に捧げられた祈りはどこにも見当たりません。
また、書簡の中にも、神の三位一体における第三位格に捧げられた祈りや、聖霊が来られることを祈るよう勧める箇所はどこにもありません。
聖霊に、あるいは聖霊が内住する者(すべての真実なクリスチャンがそのようでであるように)が聖霊のために祈ることは、聖書的ではありません。
また、使徒の働きのどこにも、使徒たちや他の弟子たちがいわゆる「主の祈り」、つまり「主の祈り」を唱えたという記述はありません。
この祈り方は、弟子たちに限られた期間だけ与えられたものでした。
イエスは彼らのもとを去る前に、いわばこの祈り方を廃止しました。
「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。
求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」
(ヨハネの福音書16章24節)
祈りは神の御霊の力によって神の御名においてなされるべきです。
使徒の働きに最初に記録されているこの祈りの根底にあるのは、神のみことばです。
聖霊は彼らの心に御言葉を導き、彼らはその御言葉を心に念じながら、祈りを唱えます。
これこそが真実な祈りの方法です。
ダニエルも他の者たちと同じ様にこのように祈りました。
ここで述べられている聖句は詩篇2篇です。
新約聖書全体を通して、霊感を受けた祈りと賛美の歌を集めた偉大な詩篇集の重要な預言が見られます。
詩篇2篇は偉大な預言です。
詩篇自体には題名も、与えられた道具としての名称もありません。
この祈りの中で、聖霊によってダビデがこの詩篇の作者であることを知ります。
この詩篇は、異邦人が主と、主が油を注がれた者、すなわちキリストに敵対する預言で始まっています。
そして、ここで私たちはこの預言の一部の成就を目にします。
ヘロデ、ポンテオ・ピラト、異邦人、そしてイスラエルの民は、主の御手と御計画によって予め定められたことを行うために、まさにその街に集まりました。
主が油を注がれた者は拒まれ、拒まれました。
そして、異邦人も同じように与えられました。
イスラエルの人々の指導者たちは、神の祝福された御名を二度と口にしてはならないと命じました。
すべては神によって予め定められていましたが、もちろん、それによって彼らの責任と罪が免除されたわけではありません。
興味深いことに、詩篇2篇の本文には、神の民イスラエルがその拒絶に加担するはずだったとは記されていません。
しかし、このことは詩篇2篇の預言的な意味がすべて網羅されたわけではありません。
この時代の初めに異邦人とイスラエルの民が神のキリストを拒んだことは、この時代の終わりに主がより大きく拒まれることの前兆にすぎません。
その時、地上の王たちは大きな同盟を結成し、このように言うのです。
「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」」
(詩篇2篇3節)
これに続いて、詩篇2篇に明確に示されている偉大な出来事が起こります。
それは、これらの国々を支配し、鉄の杖で彼らを打ち砕く王の到来です。
拒まれたキリストは、聖なるシオンの丘で王として即位します。
主は彼について死者からの復活においてこのように宣言されています。
「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」
(詩篇2篇7節)
その時、初めて詩篇2篇は成就します。
祈りの中で聖霊によって心が開かれ、その言葉が彼らの前にあったので、彼らは大胆に主のもとに来ることができるのです。
彼らは主に、自分たちの脅しを見てくださるよう懇願しています。
主はすべてをご存知でした。
しかし、彼らの祈りは敵が滅ぼされることでも、さらなる攻撃から救われることでもありません。
彼らの祈りは、大胆に御言葉を語ることでした。
彼らは恵みと助けを求めて主に身を委ねました。
そして、彼らは当然のごとく占領していた立場によって、主の御手が差し伸べられ、癒しがもたらされ、聖なるしもべイエスの御名によって奇跡と不思議が起こるように祈りました。
主とその栄光だけを願う祈りが、聞き届けられないことはありません。
すぐに答えが来ました。
その場所は震え上がり、人々は聖霊に満たされ、大胆に神のみことばを語りました。
彼らが集まっていた場所が震え上がったことが、外的な兆候です。
主なる神、創造主が御力を現されました。
確かに地が震え、詩篇2篇の預言と関連して、同様に重要な意味を持ちます。
その場所が震え上がったように、将来、地上の王たちと諸国が神とそのキリストに完全に敵対する時、王の王が再臨される時、天と地は震え上がるのです。*
*ペンテコステの日に起こった外的な兆候と、その場所が揺れ動いたことを、列王記第一19章11、12節と比較してください。
主がエリヤのそばを通ったとき、風、地震、火、そして静かな細い声という4つの外的な兆候がありました。
シナイ山でも同様です。
聖霊に満たされることは、新たな注ぎやバプテスマではありません。
主は彼らを新たに満たしてくださいました。
「御霊に満たされなさい。」
(エペソ人への手紙5章18節)
この聖句はは私たちへの言葉であり、私たちが言葉と行いで主イエス・キリストを讃えることを常に目指すなら、聖霊は私たちを満たしてくださいます。
聖霊に満たされたことは、彼らが神のみことばを大胆に語ることによって明らかになりました。
彼らは主の祝福された御名によって福音を宣べ伝える際に、大きな勇気と自由を持っていました。
V.一つの心と一つの魂となった救われた群衆
「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。
使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。
彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、
使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。
キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」
(使徒の働き4章32~37節)
エルサレムの集会の様子が新たに垣間見られます。
最初の描写は2章の終わりにありました。
3章と4章に記された偉大な出来事の後、私たちは再び、信じた群衆の平安な状態を目にします。
これはまたしても貴重な描写です。彼らの間には聖なる一体感があります。
2章では彼らが財産や持ち物を売ったと記されていますが、ここでは誰も自分の所有物だとは言っていないと記されています。
彼らは、自分たちの真実な所有物がもはや地上ではなく、天にあるという、より良い場所にあることを知っています。
ユダヤ人の地上の召命と希望から天の召命と天の希望への驚くべき変化が起こりました。
確かに、天の啓示はまだ完全には与えられていなかったが、キリストとその復活、そして神の右座について彼らが知ることは、彼らを地上の事柄から切り離すのに十分でした。
聖霊が彼らにとってこれを非常に現実的なものにし、その力によって彼らは真理をこのように証しすることができました。
これらの節で主イエスの復活が再び述べられていることは、この偉大な出来事が彼らの心の中でいかに重要であったのかを示しています。
この出来事こそが彼らを分断し、彼ら全員に大いなる恵みが与えられました。
ここで、復活され尊い主の栄光を明らかにする使徒の手紙の実践的な部分の冒頭で述べた次の言葉を私たちはよく思い出しましょう。
「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。」
(コロサイ人への手紙3章1~3節)
キリストの復活と昇天という偉大な真理、そして私たちがキリストと共に復活し、キリストのいる場所に属しているという真理は、ただ一つのことしかできません。
それは、私たちを地上の物事から引き離すことです。
主の再臨が間近に迫るこの終わりの時代に、この真理は真実であるべきはずです。
すべてのものを共有しているため、彼らの間に欠乏や貧困は存在していません。
すべての人の必要は満たされました。これらすべてには目的がありました。
それは国民への偉大な証しです。
しかし、それはほんの短い期間しか続きません。
再び同じ出来事は見当たりません。
次の章は「ところが」という言葉で始まり、この甘美な光景がアナニヤとサッピラの罪によって損なわれたことを示しています。
6章には、互いに不平を言い合った記録があります。
このように、すぐに失敗が訪れました。
異邦人の地では、これらの節に記されているような状況はどこにも見当たりません。
特に述べられているのは、使徒たちから「慰めの子」と呼ばれていたヨセフ・バルナバです。
彼はキプロス島生まれのレビ人でした。
裕福な人で、エルサレムにも親戚がいました。
マルコとも呼ばれるヨハネが従兄弟でした。
神の恵みにより、彼は所有していた土地を売却することができました。
彼はどのように豊かに祝福され、主が彼を道具として選ばれたのか、そのことは後に明らかになります。
5章
この章の内容は次のとおりです。
Ⅰ.教会において現れた悪、アナニヤとサッピラ(使徒の働き5章1~10節)
Ⅱ.使徒たちの手によるしるしと不思議(使徒の働き5章11~16節)
Ⅲ.使徒たちの二度目の逮捕と奇跡的な救出(使徒の働き5章17~25節)
Ⅳ.会議の前で使徒たちの弁明、ペテロの新たな証言(使徒の働き5章25~34節)
V.ガマリエルの助言(使徒の働き5章34~39節)
Ⅵ.殴打され、評議会から解任された使徒たちは、教え続け、福音を宣べ伝え続けました。(使徒の働き5章40~42節)
Ⅰ.教会において現れた悪、アナニヤとサッピラ
「ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、
妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。
そこで、ペテロがこう言った。
「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。
なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。
青年たちは立って、彼を包み、運び出して葬った。
三時間ほどたって、彼の妻はこの出来事を知らずにはいって来た。
ペテロは彼女にこう言った。「あなたがたは地所をこの値段で売ったのですか。私に言いなさい。」彼女は「はい。その値段です。」と言った。
そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
すると彼女は、たちまちペテロの足もとに倒れ、息が絶えた。はいって来た青年たちは、彼女が死んだのを見て、運び出し、夫のそばに葬った。」
(使徒の働き5章1~10節)
この章まで、私たちは、信じた人々の集合と彼らの交わり、そして使徒たちの大胆な証しの中に、聖霊の働きの美しい光景を見てきました。
聖霊の力強い働きは、新約聖書の出エジプト記である2章、3章、そして4章において十分に示されています。
そして同様に、ペテロとヨハネの逮捕において、敵がどのように行動し始めたかを見ました。
この章では場面が変わります。
前章の結末は実に美しい。バルナバは自分の土地を売り、その金を使徒たちの足元に置きました。
バルナバはこの結末を通して、ユダヤ人に約束されている地上の財産を手放すことで、信仰を持つユダヤ人としていかに天の分け前を受け取ったかを、印象的な証しで示しました。
この章は「ところが」という重要な言葉で始まります。
それは失敗と衰退の言葉です。
全ては明らかに完璧で、かけがえのない友情の光景を汚すものは何もありません。
しかし、この小さな言葉から悪の物語が始まります。。
敵は外部からの攻撃によって完全に敗北したことを悟り、今度は群れの中に入り込み、内部で活動を始めます。
証人はアナニヤとサッピラという夫婦でした。
二人とも財産を持っていましたが、それを売却しました。
売却で得た金の一部だけを手放し、残りは自分たちで取っておくことに事前に同意していました。
それは彼らが意図的に企てた偽善です。
その背後には不信仰がありました。
彼らは信仰において、神御自身が聖霊の御姿において、彼らが属する集会の中に住まわれたことに気づいていません。
聖霊が降臨し、集まった人々の中に存在していたという驚くべき事実を、彼らは考えていません。
しかし、その動機は何だったのでしょうか?
バルナバが行った財産の放棄は、完全に自発的なものでした。
アナニヤとサッピラに同じことをするように頼んだ人は誰もいません。動機は自己中心です。
バルナバは聖霊に従うという善行を行い、そのことで称賛と祝福を受けたことは間違いありません。
アナニヤとサッピラはこれに嫉妬し、同じ名声を得たいと願いました。
しかし、彼らの心は貪欲で、地上のものを愛し、購入資金を全額手放すことを望んでいません。
アナニヤとその妻の破滅は、人間の栄光と金銭にかかっていました。
彼らは二心を持っていました。
神の御霊は偉大な力で働いていましたが、彼らが示したのは偽善、そして嘘でした。*
*イスラエルが約束の地に入った後に報告された最初の失敗であるアカンの罪と、アナニヤとサッピラの罪との間には興味深い一致点があります。
サタン自身がアナニヤの心を満たし、その肉体を使って聖霊に嘘をつくという罪を犯したのです。
サタンは集まった人々の真ん中で働き始め、主を信じた者たちの肉体を通して働きました。
そして、彼らの地上での存在に関して、速やかに裁きが下されました。
彼らは死によって断ち切られました。
彼らが犯した罪は「死に至る罪」であり、刑罰である肉体の死が直ちに執行されました。
ペテロはまだ前面に出ています。
ここで、ペテロが主を神の御子であると告白した後に、主がペテロに語られた言葉を思い出さなければなりません。
「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」
(マタイの福音書16章19節)
主が縛ることと解くことに関する同じ言葉が、すべての弟子たちに語られました。
「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」
(マタイの福音書18章18節)
縛ることと解くことは、地上における懲らしめを指しています。
罪の赦しや永遠の救いとは全く関係がありません。
ペテロはここでこの権威を主張した最初の懲らしめでした。
同様に、これらの出来事がユダヤ王国の地で起こったことを忘れてはなりません。
その証しは依然として国民に向けたものでした。
アナニヤとサッピラに下された突然の裁きは、イスラエルの聖なる主、主が、この残された民の中に住まわれ、民が拒んだ方を信じておられることを、民に力強く証明するものでした。
地上に王国が樹立され、主イエス・キリストが義によって統治される時、すべての罪は速やかに死によって裁かれます。
なぜ、そのような裁きがもはや起こらないのかと問われれば、私たちは、当時は聖霊は悲しんでいたが、現在は不誠実さのゆえに聖霊が悲しんでおらず、神はもはや教会における御自身の存在を証しするためにこのような行動をとらない、と答えます。
これに加えて、神の臨在のこのような現れが今後も続くであろうとはどこにも述べられていない。
もし神が、二心、不忠実、聖霊に対するさまざまな罪において裁きを下すならば、それはこの現代社会の大きな特徴の一つ、すなわち「沈黙の天」に反することになります。
ペンテコステの時代に戻り、ペンテコステを受け、新しい言語を話し、異言と奇跡を行う賜物が回復され、今や再び「使徒の時代」にいると信じている多くの誤った導きを受けた人々も、自分たちの間でそのような裁きが下されることを覚悟すべきです。
この厳粛な出来事から、私たちが無視することのできない重要な教訓がいくつか得られます。
(1)信者の中に肉が存在するという事実です。
アナニヤとサッピラは信者でした。
彼らは肉に従うようになり、サタンがその力で彼らを誘惑しました。
「聖霊のバプテスマ」を受けることで古い性質が消滅するという教義は聖書に反しています。
このアナニヤとサッピラの事例は、ガラテヤ人への手紙に書かれており、その言葉によって十分に実証されます。
「なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。」
(ガラテヤ人への手紙5章17節)
(2)この出来事において、サタンの力が明らかにされました。
アナニヤとサッピラの行いは、サタンがそそのかしたからです。
彼らの心には虚栄心が宿り、名声と人からの称賛を得るために、彼らは傲慢さを追い求めました。
彼らは心の中にあらゆる悪の根源である「金銭への愛」を宿し、それに屈しました。
このように肉において行動していた時、サタンがやって来て、彼らに偽りをほのめかしました。
すると彼らの目は盲目にされました。
主がイスラエルのただ中に住まわれたように、彼らのただ中おいても、集会のただ中においても「完全な知識」を持つ方が住まわれるという、彼らがよく知っていた偉大な真理を見失ったのです。
(3)この出来事は、聖霊が単なる影響力ではなく、神聖な位格、つまり神であるという事実を証明しています。
アナニヤは聖霊に嘘をつきました。
ペテロは彼にこのように言っています。
「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
(使徒の働き5章14節)
聖霊を誘惑することは神を誘惑することであり、聖霊に嘘をつくことは神に嘘をつくことです。
(4)クリスチャン信者の罪はすべて聖霊に反するものです。
聖霊は信者の内に宿りますが、信者が聖霊ではなく肉に歩み、肉の思いに囚われている時、聖霊に反する罪を犯していることになります。
サタンはその時、信者に対して優位に立つことになります。
しかし、神の恵み深い備えに感謝します!
私たちは自分自身を裁き、聖霊ではなく神に罪を告白することができます。
そして、神は私たちを赦し、清めるために忠実で正しい御方です。
(5)聖霊の臨在は悪から離れることを要求します。
信者が偉大な真理を認識し、聖霊が自分たちの内に宿っていることを完全に信じるなら、彼らは聖霊に従って歩み、悪から離れることができます。
聖霊について歌い、教え、そして聖霊の教義に関する聖書文献は数多くあります。
しかし、神の聖霊の臨在を現実に受け入れ、聖霊に導かれている信者はごくわずかです。
主に属する者は、さまざまな形の悪から遠ざけられなければなりません。
よくこのように言われています。
「聖霊の初めの日に、イエスは御自身を辱めるものを取り除かれました。
後の日に、イエスは集会に行動を促し、パン種をきよめ、邪悪なものを「取り除く」ように命じられました」
「新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。」
(コリント人への手紙第一5章7節)
全体が律法主義、世俗主義、偽善、好色、儀式主義、合理主義で満たされているこの終わりの時代に、忠実な者たちは彼らの中から出て離れてゆくべきです。
いかなる悪とも混じり合うことのない純粋な心で主を呼び求める者たちと共に正義、信仰、愛、平和を歩むべきです。
イスラエルにおいて、主は初めに、即座に、そして厳しく裁かれました。
このように書かれているからです。
「聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。」
(詩篇93篇5節)
しかし後日、すべての人が離れ、主を敬う者が少なくなった時、彼らは家全体から離れるように言われました。
信仰を告白する集まりの状況は変化するかもしれませんが、偉大な原則は変わりません。
主の臨在の聖さは、私たちを悪から排除し、分離するのです。
審判が間近に迫るこの厳粛な時代に、神の民が、パウロの最後の手紙、すなわち現代の背教をありのままに描写しているテモテへの手紙第二において、聖霊の呼びかけを聞くことができます。
それは悪から離れるようにという主の呼びかけです。
「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。
また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。
ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。
すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」
(テモテへの手紙第二2章20、21節)
「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」
(テモテへの手紙第二3章5節)
Ⅱ.使徒たちの手によるしるしと不思議
「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。
また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行なわれた。みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。
ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。
そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。
ついに、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにするほどになった。
また、エルサレムの付近の町から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて集まって来たが、その全部がいやされた。」
(使徒の働き5章11~16節)
使徒たちはしるしと不思議を行ないました。
彼らの常駐していた場所はソロモンの玄関でした。
誰も彼らに加わろうとはしていません。
権威の座たちは公の宣教は禁じていましたが、彼らは再び目立つ立場に戻りました。
人々も彼らを慕っていました。
そしてもう一つの結果として、信者が増えました。
どのような集まりに人が増えたのでしょうか?
エルサレムのヘブル人クリスチャンの輪に加えられたのでしょうか?
ユダヤ人クリスチャンの集まりの輪に加えられたのでしょうか?
いいえ、彼らは主に加えられたのです。
信じる罪人は救われ、聖霊を受け、主と結ばれ、主と一つの霊となり、主をかしらとするからだの一員となるのです。
使徒たちは奇跡と不思議な業を行ないました。
病人は癒され、汚れた霊は追い出されました。
近隣の地方から大勢の人々がエルサレムに集まり、病人を連れて来ました。
そして皆癒されました。
街路はまたもや不思議な光景でした。
至る所で病人が寝床や椅子に横たわっていました。
人々はペテロがこれらの街路を歩き、その影が彼らの誰かに落ちるのを待ち望んでいました。
これらは神の力の偉大な現れでした。
主が語られた言葉は成就しました。
彼らは主が行われた業を成就したのです。
しかしながら、これらのしるしと不思議が、この時代を通して永続しているかどうかは、どこにも記されていません。
それらはこの時代の始まりにだけ起こり、恵みの福音と、過去の時代に隠されていた奥義が完全に明らかにされた後、消え去りました。
最近、このように言われました。
「神の賜物と召命とは変わることがありません。」
(ローマ人への手紙11章29節)
それゆえに神は、この章でイスラエルへの証しに関連して示されたしるしの賜物と特別な力を、取り消してはいない、とされています。
読者は、神の賜物と召命に関するこの聖句はローマ人への手紙11章に記されており、この時代とは関係なく、イスラエルへの召命について言及していることを忘れてはなりません。
神は、この世の終わりにこれらの賜物が回復されると約束しておられません。
御言葉の偉大な教師を自称する人々が「後の雨」、つまりこの世の終わりにもたらされる偉大な霊的祝福について語る時、彼らはただ無知を露呈しているに過ぎません。
そのような約束はどこにも見当たりません。
新約聖書における聖霊の証しは、賜物の回復を示すものではなく、むしろ背教、信仰からの離脱、そして惑わしについて語っています。
世の終わりには「しるしと不思議」が起こります。
しかし、これらのしるしと不思議は、聖霊の力の最も恐ろしい模倣です。
しるしと偽りの不思議は、サタンの働きを通して預言されています。
これらのことは既に始まっていますが、サタンの本当の働きは、真実な教会が地上から取り除かれた後に始まります。
(テサロニケ人への手紙二2章)
Ⅲ.使徒たちの二度目の逮捕と奇跡的な救出
「そこで、大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕え、留置場に入れた。
ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい。」と言った。
彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮にはいって教え始めた。
一方、大祭司とその仲間たちは集まって来て、議会とイスラエル人のすべての長老を召集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を獄舎にやった。
ところが役人たちが行ってみると、牢の中には彼らがいなかったので、引き返してこう報告した。
「獄舎は完全にしまっており、番人たちが戸口に立っていましたが、あけてみると、中にはだれもおりませんでした。」
宮の守衛長や祭司長たちは、このことばを聞いて、いったいこれはどうなって行くのかと、使徒たちのことで当惑した。
そこへ、ある人がやって来て、「大変です。あなたがたが牢に入れた人たちが、宮の中に立って、人々を教えています。」と告げた。」
(使徒の働き5章17~25節)
聖霊の驚くべき兆候と奇跡の現れは、敵の新たな、より厳しい行動を引き起こしました。
勇敢な証人たちの二度目の逮捕は、最初の逮捕よりもさらに激しい憎しみと暴力によって特徴づけられています。
使徒たちは一般の犯罪者と同様に扱われ、公共の牢獄に投獄されました。
復活と奇跡を否定するサドカイ派は、この二度目の逮捕に最も深く関わっています。
彼らのみじめな不信仰は超自然的な現象によって危機に瀕していました。
しかし、これらの現象は、彼らが否定していた偉大な真理、主イエスの復活を改めて完全に証明しています。
彼らは嫉妬に満たされました。
しかし、神の力はもう一つ新たに現れました。
夜、主の御使いが牢獄の扉を開き、彼らを連れ出しました。彼らは、神の力による天の使者による介入によって救出されました。
批評家たちはこれを否定しています。
最近、ある批評家は「主の御使い」という表現は「神の介入を意味するヘブル語表現であり、その方法は定義されておらず、役人の黙認、あるいは友人の助けだったのかもしれない」と述べています。
このような根拠のない主張には答える必要はありません。
私たちは再び天の使者を目にすることになります。
ピリポを導き、ペテロを牢獄から解放し、ヘロデが神を冒涜した際に打ち殺したのは、主の御使いでした。
(使徒の働き12章)
旧約聖書には「主の御使い」(マラハ・エホバ)が登場しますが、これは創造されていない御使い、つまり主御自身です。
しかし、ここでは天の使者です。
その者は、主の昇天の時の二人のように、間違いなく人間の姿で現れました。
御使いのこのような顕現は当時としては極めて当然のことであり、使徒の働きの冒頭に記されている他の王国の特徴とも完全に一致しています。
しかし、超自然的な現れはすぐに止みました。
現代においても、何百何千もの人々が投獄され、地下牢に閉じ込められ、ゆっくりと拷問を受け、壁に囲まれてゆっくりと死に、害虫に食われています。
すべては義のためです。
しかし、御使いは彼らの扉を開けて彼らを導き出すために来ていません。
だからといって、御使いが私たちに対してもはや働いていないと言っているのではありません。
それは聖書に反しています。
「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」
(ヘブル人への手紙1章14節)
しかし、天の使者の目に見える現れは、奇跡的なしるしの賜物のように、もはや現れません。
しかし、いつまでもそうであるわけではありません。
再び天は語りかけ、御使いを通して裁きに関する驚くべき現れが起こります。
そして、来たるべき時代の始まりとともに、再び御使いたちが現れ、神の力と栄光が目に見える形で示されます。
救いの御使いは使徒たちに、すべての民に命の御言葉を語るよう命じました。
彼らは早朝、直ちにその言葉を伝えました。
集まった議会は、牢獄が空っぽになっているのが見つかり、男たちが再び神殿に立って民を教えているという知らせが届くと、非常に困惑しました。
しかし、この明らかな奇跡にも関わらず、彼らはひざまずいて神の力を認めようとはしません。
Ⅳ.会議の前で使徒たちの弁明、ペテロの新たな証言
「そこで、宮の守衛長は役人たちといっしょに出て行き、使徒たちを連れて来た。しかし、手荒なことはしなかった。人々に石で打ち殺されるのを恐れたからである。
彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただして、言った。「あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。」
ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。
私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。
そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、御自分の右に上げられました。
私たちはそのことの証人です。神が御自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」
彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。」
(使徒の働き5章26~33節)
役人たちは臆病な恐怖を抱きながら、使徒たちを評議会の前に連れて行きました。
彼らは暴力をあえてふるっていません。
なぜなら、使徒たちの言葉を喜んで聞いていた民衆から、あからさまな暴動が起こる可能性があったからです。
現在、彼らに対して二つの容疑がかけられています。
彼らは公会議の命令に違反しました。
彼らはこの御名において話すことを禁じられていましたが、その命令を完全に無視して続けたのです。
これは最初の告発であり、確かに真実でした。
二番目の告発は、彼らの良心の呵責に過ぎません。
彼らは、その男の血の責任が自分たちにあるものとして非難しました。
弟子たちの教えに煽動された人々が、ナザレのイエスを告発したとして自分たちを非難するのではないかと恐れたからです。
しかし、この恐怖の背後には別の事実があります。
その時、民は「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」と叫びました。
この恐ろしい言葉の責任は民の指導者たちにありました。
彼らはこの言葉を忘れず、民衆の側からの公然たる復讐によって、この言葉が間もなく現実のものとなることを恐れていました。
彼ら自身が主の名を口にしていないことも注目すべき事実です。
彼らは主を「あの人」や「あの名」と呼んでいます。
再び使徒たちの証言の記録が現れます。
それは、以前に与えられた大胆で力強い証言と変わりません。
「人に従うより、神に従うべきです」という声明の後、ペテロが述べた3つの重要な事実が見られます。
1.彼らがその名を口にすることを嫌がり、神が復活させたイエスを、彼らは殺し十字架にかけました。
これによって彼らの罪は完全に証明されています。
血の罪が再び彼らの良心に突きつけられたのです。
2.次にイエスの昇天について述べられています。
死からよみがえり、神の右に高められたイエスは、君主であり救い主です。
イエスの御名によって、イスラエルに悔い改めと罪の赦しが与えられます。
3.この簡潔かつ論理的な弁明の三つ目の部分は、神の第三位格である聖霊についてです。
彼らはこれらの出来事の証人であり、聖霊もまた証人でした。
今、この聖霊は神に従う者、すなわち神を信じる者に授けられています。
聖霊は彼らの上に、彼らの内に、そして信仰の仲間として彼らと共にいます。
この証しは、本書の冒頭ではっきりと示された三つの重要な事実、すなわちイエスの死、イエスの復活、そして聖霊の臨在に関するものです。
主イエス・キリストは栄光を受け、高く上げられました。
このようにして、父、子、聖霊が言及され、福音が述べられています。
罪の赦し、聖霊の賜物は、神が君主、救い主として高く上げられた聖霊に従い、信じる者たちに与えられています。
これは確かに、主が未来の出来事として弟子たちに預言された時に語られた言葉の成就です。
「人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。」
(マタイの福音書10章19節)
では、聖霊の力による使徒たちのこのもう一つの力強い証言は、どのような結果になったのでしょうか?
彼らは謙虚になったのでしょうか?
使徒たちを牢獄から解放するという神の介入に支えられたこの感動的な証言は、彼らに深い思慮を与えたのでしょうか?
証言は心に突き刺さり、心に突き刺さりました。
しかし、彼らは悔い改めるどころか、彼らを殺そうと相談しました。
彼らの主の物語は繰り返されます。
彼らは主の証言を封じるために、彼らも殺害しようと相談しました。
主の支配下で、初めから殺人者である彼らはさらなる血を流す覚悟ができています。
もし、ガマリエルが立ち上がらなかったらどうなっていたか、誰にも分かりません。
おそらく、後に彼らはステパノを殺害するために襲撃したように、彼らに襲いかかる準備ができていました。
V.ガマリエルの助言
「ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。
それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。
というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。
その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。
そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。
もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。
しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。
もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」」
(使徒の働き5章34~39節)
ガマリエルは、議会の邪悪な策略を抑制するための神の道具でだったことは間違いありません。
では、ガマリエルとは一体何者なのでしょうか?
その答えは、聖書にあります。
偉大な人物であり、律法の教師であった彼は、ヘブル語文献では「ラバン・ガマリエル」と呼ばれています。
彼の名は「神から授かった者」を意味します。
彼は、ヒレルの息子である父ラバン・シメオンにちなんで、評議会の議長を務めました。
タルソスのサウロが足元に座った偉大な教師です。
彼はエルサレム滅亡の18年前に亡くなり、パリサイ人として生涯を終えました。
ここでのガマリエルの助言は使徒たちを優遇しているように思われます。
しかし、その後の彼の経歴を見ると、彼が同時代の人々の邪悪な策略に従ったことがわかります。
後に、主を信じる者たちを異端者と呼び、彼らにに対する祈りが会堂で朗読されるよう定められ、彼はそれを全面的に承認し、それを推奨しました。
彼が与えた助言は知られ、言葉も簡潔なので、これ以上の解説は不要です。
彼のアドバイスは、彼らを放っておくことでした。
このような問題が上げられました。
*もし、それが神からのものであれば、あなたは神に反抗することになります。
*もし、それが人間によるものであれば、以前の同様の運動と同様に、それは無駄になります。
神は自分の名誉を守ってくれるので、彼らが干渉する必要はありません。
神は最高の権威を持つ者です。
しかし、このアドバイスには別の側面もあります。
結局のところ、それは問題自体が明るみに出るのを待って、問題を回避しようとする卑怯な手段に過ぎません。
現在に至るまで、それ以来人々はガマリエルの知恵の背後に身を隠してきました。
疑わしい運動や、神の啓示に反する誤った教えを含む運動が起きるならば、人々は結論が出るまで待っていると言います。
もし、その運動が神によるものであれば存続し、人間によるものであれば消滅することになります。
しかし、その間はどうなるのでしょうか?
それが神からのものなのか、それとも敵からのものなのかがすぐには分からないのなら、偉大なユダヤ人教師のこの賢明なアドバイスに従う必要はありません。
私たちは神の完成された御言葉を持っており、御言葉によってすべてを吟味しなければなりません。
二つの意見の間で立ち止まる必要はありません。
悪は見破られ、裁かれなければなりません。
しかし、公会議が偽善的にこれに基づいて行動したことは、後に続く出来事から明らかです。
しかし、神がガマリエルのこの政治的助言を用いて、弟子たちをあの重大な危機の時に守られたという事実を見失ってはいけません。
Ⅵ.殴打され、評議会から解任された使徒たちは、教え続け、福音を宣べ伝え続けました。
「使徒たちを呼んで、彼らをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放した。
そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。
そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。」
(使徒の働き5章40~42節)
使徒たちはガマリエルが説教している間、外にいたため、このことを一切知りません。
聖霊はルカを通して、隠れて行われたことのすべてを記しています。
評議会は同意しました。
しかし、同意したのであれば、なぜ使徒たちを殴ったのでしょうか?
その理由は明らかに合意に反していたからです。
彼らに手を下すことなく解放すべきだったのですが、問題はその後に起こります。
もしこれらの男たちの言うことが正しかったとしたら、ガマリエルの言葉によれば、彼らは神に敵対していたことになります。
これは事実です。
鞭打ちは申命記25章2節と3節に記されています。
彼らは悪人として扱われ、定められた回数の鞭打ち、つまり40回のうち1回だけ残された鞭打ちを受けました。
肉体的な苦痛と恥辱は、この刑罰方法と結びついています。
これは、他のすべての名に勝る御名のために使徒たちが実際に受けた最初の苦難です。
その後、彼らは去っていきます。
それは彼らの勝利の旅立ちです。
彼らは勝利者以上の存在でした。
もし、私たちが彼らの血の流れる背中を見ることができたなら、私たちは反抗と苦痛に満ちた顔を見ることはありません。
後にパウロとシラスが獄中され歌い、賛美したように、彼らの喜びに満ちた表情と賛美の言葉を口から聞くことができたはずです。
聖霊は彼らを満たし「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたこと」を喜こびました。
その後、聖霊はペテロを通してキリストの苦しみについてとても爽やかな方法で語っています。
「むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。
もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」
(ペテロの手紙第一4章13、14節)
このように主の御霊が彼らの上に宿り、彼らは喜びました。
現代において、このような経験を私たちが知ることはほとんどありません。
しかし、彼らは進み続けました。
何も彼らを止めることはできません。
彼らには揺るぎない聖い信仰心がありました。
それは彼らの内に聖霊が宿っていたからです。
彼らがキリストを崇め、大いなるものとしたので、聖霊は悲しまれていません。
彼らは素晴らしい活動が展開されました。
確かに評議会が言っていることは真実です。
エルサレム全体が彼らの教えで満たされました。
彼らが絶えず行っていた働きは、奇跡を行うことでも、異言を話すことでもありません。
現代の惑わされたクリスチャンの中には、こうした外的なしるしこそが世の初めに最も重要なものであったと考えている者もいるようです。しかし、そうではありません。
奇跡を行ったり異言を話したりすることよりも重要なのは、キリストのからだを集め、高めることです。
これは福音を宣べ伝え、御言葉を教えることです。
彼らはこれらを行いました。
彼らは、イエスがキリストであるという福音、すなわち喜びのおとずれを教え、宣べ伝えることを続けました。
6章
この章は2つの部分から成り立っています。
*最初の部分(使徒の働き6章1~7節)には、ヘブル人に対するギリシヤ人の不平と、この困難がいかに克服されたかが記録されています。
*第二部(使徒の働き6章8~15節)では、選ばれた7人のうちの1人であるステパノが前面に出てきます。
この部分は、次の章に属しており、そこでは、ステパノが公会議で行った偉大な演説と彼の栄光ある殉教が明らかにされています。
Ⅰ.ヘブル人に対するギリシヤ人の不平
「そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。
そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。
そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、
この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。
こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。」
(使徒の働き6章1~7節)
もう一つの失敗が私たちの前に現れました。
敵は再び行動を起こしました。外からも内からも、サタンは神から出たものを圧迫しました。
主イエス・キリストと聖霊が恵みと力をもって働かれる間に、敵はそれを妨害するために入り込んできました。
今もなお、それは変わりません。
扉が開かれるたびに、多くの敵が現れます。
「というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。」
(コリント人への手紙第一16章9節)
肉はつぶやきとして現れました。
集会は貧しい人々の世話をしました。
特に困窮していた未亡人たちは、日々の奉仕の対象でした。
ユダヤ人自身も会堂と連携して、彼女たちのために特別な資金を用意していました。
彼らは初期の教会においても、認められたグループを形成してました。
(テモテへの手紙第一5章9、10節)
この奉仕は、4章35節に記されている配給することです。
群衆は非常に多く、おそらく数百人の未亡人も含まれていたため、この仕事は大変な重労働でした。
不平が起こりましたが、それは不信仰の結果である嫉妬から生まれたものです。
それは弱さと失敗の最初の兆候です。
これは、出エジプト記に記されているイスラエルの不平を思い起こさせます。
救われ、聖霊に宿り、一つに結ばれた信者たちの集まりの中にも、昔ながらの不平、すなわち変わらない肉が姿を現します。
この不平はギリシヤ人の側からのものでした。
彼らは、ギリシヤ人の未亡人たちが見過ごされているとヘブル人に不満を抱きました。
ギリシヤ人は、一部の人が教えるように異邦人ではなく、パレスチナ以外の国で生まれたギリシヤ語を話すユダヤ人のことです。
ゆえにヘレニスト、あるいはギリシヤ人と呼ばれていました。
この二つの階級、すなわち現地で生まれたユダヤ人と外国生まれのユダヤ人の間には、大きな嫉妬がありました。
この対立は集会でも持ちあがり、ヘブル人の配給する者たちはギリシヤ人を見落としていると非難されました。
しかし、不平はすぐに止まりました。
そこには、完全な知恵を持つ聖なる御方、聖霊がおられました。
聖霊は彼らの中にあっても心を痛めることなく、すぐに集会の必要を満たしました。
不平はそれ以上広がらず、人々を分裂させる有害な働きも果たせませんでした。
後に聖霊は不平を言うことに対して警告を与えます。
「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。」
(ピリピへの手紙2章14節)
不平は肉の働きに属し、ガラテヤ人への手紙5章で述べられている「そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ」につながります。
この点において、現在のキリスト教会の状況はなんとも悲しむべきところにいます。
信者が謙遜に、自己を裁き、他者を自分より高く評価し、キリスト・イエスに宿っている御霊によって支配されているならば、このようなことは何も起こらないはずです。
肉の弱さから生じる不平は、聖霊によって直ちに断ち切られます。
前の章で報告されているように、神の御霊は二人の罪人を排除することによって裁きの働きをし、今や神の恵みの働きをしているのです。
十二使徒は集会を招集しました。
荒野でのイスラエルの不平が主に神によって任命された指導者であるモーセとアロンに向けられたのと同様に、ここでの不平もある程度は使徒たちに向けられたものでした。
そして、彼らの足元には売られたものの代金が置かれていました。
使徒たち側から叱責の言葉は出てきません。
彼らが何らかの議論を展開したという記述もありません。
彼らは聖霊の導きに従って行動したのです。
彼らの偉大な召命と賜物は、御言葉を伝える奉仕です。
彼らは多かれ少なかれ食事の世話をすることを義務付けられていました。
彼らはすぐに、主が彼らにこの二重の奉仕に召されたことではないことに気づきました。
ここに教会の存在を示すもう一つの証拠があります。
ペンテコステの日に彼らを一つのからだへと結びつけた聖霊が、今やその体における秩序を示し始めています。
体の各構成員に与えられたさまざまな賜物に関するすべてことは、ここでは明らかにされていません。
しかし、教会の奉仕が委ねられていた使徒パウロの異邦人への教理的な手紙の中に見出されます。
聖霊が使徒たちを通して指示し、集会の中から7人の男性が選ばれることになりました。
3つの条件が挙げられます。
*彼らは評判の良い人たちでなければなりません。
*彼らはその性格ゆえにすべての人から尊敬されなければなりません。
*彼らは聖霊に満ち、知恵を備えていなければなりません。
使徒たち自身はこのように宣言しました。
「私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」
聖霊はこのように、霊的な事柄に奉仕するために召された賜物を、現世的な事柄の奉仕から分離されました。
この点に関して、現在、信仰を告白する教会において多くの混乱が生じていることは指摘するまでもありません。
この使徒の言葉には、祈りと御言葉の宣教に関する重要な言葉が含まれています。
彼らは、御言葉の宣教、教え、説教を第一に考えていません。
彼らは祈りを第一に考えています。
祈りが先行しなければ、効果的な宣教、福音と聖書の教えの効果的な説教はあり得ません。
祈りは神への依存の表現です。
御言葉の宣教は主に完全に依存していなければなりません。
だからこそ、祈りはそのための準備として最適なものなのです。
そして、群衆、つまり全会衆がその7人を選び、使徒たちはその選択を承認しました。
最初に述べられているのはステパノで、彼は信仰と聖霊に満ちた人として描かれています。
その後、ピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、そしてニコラオという他の人物の名前が続きます。
ニコラオは改宗者、つまり割礼によってユダヤ教に改宗した人で、アンテオケ出身でした。
このニコラオが後に特別な教派を形成し、邪悪な教義を教えたという歴史的証拠は全くありません。
彼の名前は、ヨハネの黙示録2章6節と15節に登場するニコライ派とは全く関連がありません。
ステパノとピリポを除いて、これらの人々と彼らの奉仕については何も知られていません。
しかし、彼らの名前がすべてギリシヤ語であることは興味深い事実です。
ここに神の恵みが美しく表れています。
ギリシヤ人は不平を言った人たちであり、ヘブル人よりも数は少なかったことは間違いありません。
現代の教会の集会であれば、両派から同数の委員を選出することが提案されます。
しかし、ここではそうではありません。
この行為には、天からの恵みと知恵が表れています。
7人全員が、不平を言った者たちの中から選ばれました。
これは叱責による恵みの祝福でした。
弱さと失敗は、このような恵みを引き出す機会となります。
不平を言った者たちの手に、資金の分配が与えられました。
これにより、不平はたちまち静まりました。
それから七人は使徒たちの前に立たされ、祈りを終えると使徒たちは彼らの上に手を置きました。
使徒の働きの中で按手が見られるのは初めてです。
この「按手」はあまりにも誤解されており、権威、力、祝福が授けられる行為とみなされています。
ここで簡単に触れておきたいと思います。
私たちは神のみことばを読み、解釈する際には、解釈すべき用語や事柄が聖書の他の箇所で使われていないか確認し、それらを通じて正しい意味を確かめることが常に適切です。
手を置く行為はレビ記に初めて記されています。
その書の冒頭の章には、ささげ物を捧げる者がささげ物の頭に手を置くべきことが記されています。
和解のささげ物については、「ささげ物の頭の上に手を置き」(レビ記3章2節)とあります。
これは、イスラエル人がささげ物そのものと同一視されることを意味します。
そして、使徒たちの側から按手が行われた唯一の意味はこれです。
彼らは、自分たちが選ばれた働きにおいて、自分たちと集会を彼らと同一視しました。
それは、彼らとの交わりを示すための、非常に単純かつ適切な行為でした。
按手についてこれまで述べられてきたその他のことはすべて創作です。
現代のキリスト教世界では、福音を宣べ伝えたり、神のみことばを教えたりするために「任命」されなければならないという聖書の記述はありません。
この点については、本書の他の部分で改めて触れます。
神のみことばは増大しました。
聖霊が力を与え、この勝利の後、敵が不平を唱えて集会を混乱させようとした時、神は大きな力を発揮しました。
弟子の数も大きく増加し、特に祭司の大きな集まりが信仰に従順であったことが記されています。
これは明らかに新しいことでした。
いままで祭司について言及されていません。
裂けた垂れ幕は、主イエス・キリストを信じるこの大集団の祭司と何か関係があったと思われます。
彼らはイエスの血によって、至聖所への新しい、生きた道を見出したのです。
七人の弟子たちの職務は短期間で終わりました。
それはすぐに最悪の迫害が始まり、弟子たちは散り散りになってしまったからです。
Ⅱ.ステパノ、彼の宣教と逮捕
「さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた。
ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。
しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。
そこで、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせた。
また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行った。
そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。
『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」
議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」
(使徒の働き6章8~15節)
ステパノとともに、私たちはこの本の重要な段階に到達します。
ステパノは最も印象的な証しを国民の代表者に伝えるために選ばれた人物です。
イスラエルに対する証言はすぐに終了しました。
この偉大な人物の経歴については、私たちは何も知りません。
既に述べたように、彼の名前は彼がギリシヤ語であったことを示しています。
ステパノとは「冠」を意味します。
そして、主が授賞の座に着き、聖徒たちが主の前に現れる日に、彼は確かに偉大な冠を得ることになります。
彼が信仰と聖霊に満ちていたことは、以前学びました。
彼はいわばペテロとパウロをつなぐ架け橋です。
最も重要なのは、ステパノの偉大な証言の終わり、神の栄光と神の右に立つイエスの幻を見た後に、サウロという名の若者が登場し、「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた」(使徒の働き8章1節)と記されていることです。
6章では、ステパノが「恵みと力とに満ち」、信仰の力によって聖霊に満たされていたことが記されています。
ステパノは使徒ではない弟子の中で、人々の間で偉大な奇跡と奇跡を行った最初の人物です。
次に、リベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤの会堂の人々がステパノと議論しているのが分かります。
彼らもまたギリシヤ語を話し、外国で育ったユダヤ人で、非常に学識がありました。
当時エルサレムには多くのシナゴーグがありました。
正統派ユダヤ教徒の間では今でも慣習となっているように、その会堂は信者の出身地の名で呼ばれていました。
この会堂は当時、リベルテン派、すなわちローマ出身のユダヤ人で構成されていました。
彼らはキレネとアレクサンドリアのユダヤ人として知られていたからです。
*これらの「リベルテン」を自由思想家と呼ぶのは誤りです。
ユダヤ人は奴隷としてローマに連れて行かれました。
解放された彼らの子孫はリベルテン、つまり解放奴隷と呼ばれていました。
彼らはエルサレムでそのように知られており、「リベルテンのシナゴーグ」という名前もそこから来ています。
ステパノはこの会堂に属していた可能性があり、もしそうであれば、彼がそこにいた理由は簡単に説明できます。
ステパノの心に満ち溢れた恵みは、彼らにも及びました。
これらのユダヤ人はステパノと論争し、ステパノも彼らと論争しました。
キリキアとアジアのユダヤ人についても述べられています。
キリキア出身のパリサイ人中のパリサイ人、タルソのサウロという若者が、この論争者たちの中にいたと思われます。
彼らのあらゆる優れた学識も、これほど力強い証人の前では役に立ちません。
聖霊が証しし、彼らは彼の知恵と聖霊によって語られる言葉に抵抗することができません。
彼らはこの哀れみ深く力強い証人の証言を受け入れようとせず、他に道は残されていません。
彼らはステパノに対して悪魔的な憎しみに満ちており、祭司長たちが主に対して行ったように、ここにいるこの偽善者たちもステパノを冒涜の罪で告発しました。
告発内容は「モーセと神に対する冒涜」です。
彼らは民衆、長老たち、そして律法学者たちを扇動することで、悪魔的な行為に成功しました。
ステパノは逮捕され、議会に引き出されます。
そこで再び告発され、彼らは三つのことを述べました。
ステパノが聖なる場所、律法、そして「あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。」という言葉を言ったと彼らは絶えず口にしています。
「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」
(使徒の働き6章15節)
皆の目はこの素晴らしい光景に釘付けになりました。
彼らは、彼がやがて招かれようとしている主の栄光を映し出すその栄光の御顔をじっと見つめました。
サウロという名のあの若者も、そこにいて、その顔を見ていたのではないでしょうか?
あのタルソの若いパリサイ人の暗い顔も、間もなく同じ栄光の光を見ることになります。
そして、栄光の福音を世界に告げ、このように告げることになります。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
(コリント人への手紙第二3章18節)
7章
7章は全巻の中で最も長く、最も興味深く重要な章の一つです。
議会全体が、まるで御使いの顔のように、輝く顔をじっと見つめました。
前の章の最後の節にこのように記されています。
「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」
(使徒の働き6章15節)
ステパノがそこに立っている間、どれほどの時間がすぎ、彼らはステパノを見つめていたのかは分かりません。
おそらく数分間の沈黙の後、嵐の前の静けさのような不吉な沈黙の後、大祭司の声が聞こえました。
「大祭司は、「そのとおりか。」と尋ねた。」
(使徒の働き7章1節)
ステパノは神から与えられた偉大な証しを始めます。
しかし、それを最後まで語り終えることは許されていません。
人々は一斉にステパノに襲い掛かり、町の外に追い出し、石を投げつけました。
したがって、この章は2つの部分に分かれています。
Ⅰ.ステパノの演説(使徒の働き7章2~53節)
Ⅱ.ステパノの殉教(使徒の働き7章54~60節)
Ⅰ.ステパノの演説
我々は彼が公会議で述べた証言の全文を引用するつもりはありません。
ただ、読者には彼の言葉を注意深く読んで欲しいのです。
使徒ペトロによる以前の説教とステパノの説教との間には、すぐに大きな違いがあることに気づきます。
ペトロの証言は、ペンテコステの日もその他の機会も、非常に簡潔でした。
ステパノの説教は、新約聖書に記されている説教の中で最も長いものです。
ペトロのすべての説教において、イエスの名が際立っています。
イエスが人々に拒まれ、十字架につけられ、そして復活し、悔い改めが要求された事実が、ペトロの説教の主要な特徴でした。
ステパノは、キリストという人格と、キリストの拒絶を証言のテーマとしながらも、イエスの名についてはいっさい触れていません。*
*イエスの名は45節に出てきます。また、ヘブル人への手紙4章8節と同様に、ヨシュアのことを指しています。
演説の終わりに、ステパノは彼らが裏切りや彼らが殺した正しい方について語っています。
ステパノはモーセと神、そして神殿と律法に反抗したとして告発されました。
ステパノはこれらの告発について答えるよう求められました。
議会でステパノが述べたことは、これらの告発が全くの虚偽であることを明白に示しています。
彼の演説は部分的には弁明的なものでしたが、同時に、彼が引用する歴史的出来事から特定の真理を示すという点で、教訓的なものでした。
そして、彼が証言を終える前に、被告人は国民の告発者となり、裁かれる者は裁判官となります。
実際、神によって導かれたステパノの偉大な回想の中で、過去の歴史を素早く語る証言は、国民にとってだけでなく、国民に反する最も力強い証言となりました。
もう一つの印象的な点は、彼が二人の人物を前面に押し出していることです。
それはヨセフとモーセです。
これらがステパノの演説の中でなぜそれほど重要な位置を占めているのかについては、後ほど説明します。
この演説の特徴的な点に触れる前に、もう一つ簡単に触れておかなければならないことがあります。
ステパノの御言葉を注意深く読み、旧約聖書の記録と比較するならば、ステパノが以前の記録にはないいくつかの点を付け加えていることが分かります。
また、他にもさまざまな相違点があります。
これらはしばしば矛盾と呼ばれ、聖書の霊感を否定する証拠として用いられます。
しかし、それらは決して矛盾ではありません。
聖霊はステパノを通して、既存の記録にいくつかの詳細を付け加えているのです。
ステパノはヘレニスト、つまりギリシヤ語を話すユダヤ人であり、おそらくギリシヤ語で話し、その後、旧約聖書のギリシヤ語訳(七十人訳聖書)の本文を用いて、これらの矛盾点のいくつかを説明しています。
その他の点については、話が逸れてしまうため、ここでは説明しません。
それでは、ステパノの演説に目を向け、そのさまざまな部分を検証してみましょう。
1.アブラハムの歴史(使徒の働き7章2~8節)
ステパノは国の偉大な父アブラハムについて語り始めます。
この演説の冒頭は非常に意味深いものです。
「私たちの父祖アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて」
同じ表現が詩篇29篇3節にも使われています。
「栄光の神は、雷鳴を響かせる。」
(詩篇29篇3節)
*エペソ人への手紙1章17節「栄光の父」
*コリント人への手紙第一2章8節では、私たちの主は同じ称号「栄光の主」と呼ばれています。
*そしてペテロの手紙第一4章14節には「栄光の御霊」とあります。
ステパノはこの美しい言葉で語り始め、証言を終えると、まさにこの主の栄光を目の当たりにし、彼が証しした方、燃える柴の中でアブラハムとモーセに現れた方を目にしました。
この始まりは、主のより偉大な栄光にとって重要な意味を持っています。
イエス・キリストの御顔に宿る神の栄光の知識の光は、神の栄光の福音を託された選ばれた器、使徒パウロを通して、まもなく明らかにされます。
ヨシュア記24章2節から、アブラハムが偶像崇拝の地にいて、自分も偶像崇拝者であったときに、栄光の神がアブラハムに現れたことが分かります。
「ヨシュアはすべての民に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムとナホルとの父テラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住んでおり、ほかの神々に仕えていた。」
(ヨシュア記24章2節)
神は恵み深くアブラハムをそこから召し出し、アブラハムは信仰によってどこへ行くのか知らずに出発しました。
そして、神は彼をカナンの地へと導きました。
その約束についてステパノはこのように述べています。
「ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。
それでも、子どももなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。」
(使徒の働き7章5節)
アブラハムは約束を信じ、信仰によって義とされました。
これらすべては神の恵みの現れです。
それは無償の恵みでした。
アブラハムはこれらすべてを得るために何もせず、また何もしていません。
当時、誇るべき神殿も、守るべき律法もありません。
約束と契約は律法よりも先に存在していました。
彼らは律法を誇りましたが、律法を守れず、神殿も誇りました。
パウロが後に書いたように、当時の会議にもそれが適用されます。
「というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」
(ローマ人への手紙10章3、4節)
彼らには義と恵みが与えられていたにもかかわらず、彼らはそれを拒んでいたのです。
ここで展開されている議論は、パウロがガラテヤ人への手紙3章で述べられている議論と似ています。
タルソ出身の若いパリサイ人サウロがステパノの話を聞いたとすれば、彼はまだ盲目であったにもかかわらず、改心後に神の御霊が彼を通して明らかにされた偉大な真理を初めて聞いたのです。
そして、ステパノは、アブラハムに啓示されたイスラエルの異国の地での滞在についても語っています。
400年間、彼らはひどい仕打ちを受けました。
「また神は次のようなことを話されました。『彼の子孫は外国に移り住み、四百年間、奴隷にされ、虐待される。』
そして、こう言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしがさばく。その後、彼らはのがれ出て、この所で、わたしを礼拝する。』」
(使徒の働き7章6、7節)
これは、イスラエルがその地を所有する前の苦難を物語っています。
イスラエルの歴史において明確に示されたキリストの苦難と、それに続く栄光という偉大な真理を暗示していることは間違いありません。
神の御霊は、父祖アブラハムのこの歴史的概要を通して、再び彼らの良心に臨みました。
ああ、彼らの心は閉ざされてしまったのです。
2.ヨセフとその兄弟たち。(使徒の働き7章9~16節)
ステパノは、その霊感を受けた証言の中で、イサクとヤコブの歴史全体を省略し、代わりにヨセフについて重点的に述べています。
ヨセフの物語の伝え方、その包括的なスタイルは実に素晴らしいものがあります。
ヨセフの苦難と栄光、屈辱と昇栄の完全な歴史が、わずかな文章で描写され、神のみことばのこの興味深い部分を非常に明確に照らし出しています。
ヨセフを直ちに彼らの心の前に引き寄せ、ヨセフに何が行われたか、神がヨセフをどのような立場に引き上げたかを思い起こさせ、聖霊は神のみことばに含まれるキリストの最も立派で完全な型の一つを明らかにします。
ステパノの証言の主な問題は、ヨセフの歴史とともに私たちの前に表現されています。
「族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。」
(使徒の働き7章9節)
彼の兄弟によって、理由もなく憎まれたために、異邦人の手に売られたのです。
その代価は銀貨20枚でした。
この意味は非常に明白であり、集まった議会は、その意味を完全に理解できたはずです。
祭司長たちと長老たちは、肉親の兄弟である別の人を憎んでいました。
そして、その憎しみはねたみから来ていました。
ピラト自身もこのことを知っていました。
「ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。」
(マルコの福音書15章10節)
ナザレのイエス――彼らがあれほど憎んでいた名前――は、銀貨三十枚で売られたのです。
ヨセフがエジプトに売られたように、イエスの民は彼を異邦人の手に引き渡したのです。
次に、「しかし神は彼と共におられた」という短い文を読むことができます。
同じ表現は、コルネリオの家の人々に説教したペテロがイエスについて述べた際にも使われています。
「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」
(使徒の働き10章38節)
議会は、自分たちが非難した方が神と共におられることを完全に知っていました。
彼らの仲間の一人、ニコデモは、彼らが軽蔑し、妬んでいた方のもとへ行き、このように宣言しました。
「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行なうことができません。」
(ヨハネの福音書3章2節)
ヨセフの昇進については次のように述べられています。
「あらゆる患難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で、恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王の家全体を治める大臣に任じました。」
(使徒の働き7章10節)
次に、ヨセフの兄弟たちを苦しめた飢饉についての簡潔な記述があります。
彼らは、拒んだ兄弟のもとへパンをもらいに行かなければなりません。
再び、ヨセフが兄弟たちのことを知らされたのは、この時でした。
型としての意味は明白です。神は、人々に拒まれ十字架につけられたイエスを救い出されました。
そして、ペテロが宣べ伝えたように、イエスを死から甦らせ、主またキリストとされました。
ここには、偉大なる神学的予兆が示されています。
ヨセフのように、拒まれた者は異邦人に受け入れられます。
御自分の民のもとに来られた方を拒んだ民には、飢饉と苦難が待ち受けていました。
ヨセフの兄弟たちが苦しんだように、彼らも苦しまなければなりません。
「ヨセフは兄弟たちに、自分のことを打ち明け」とは、主の再臨を指しています。
ヨセフは兄弟たちの救いでした。
3.モーセは拒まれた救い主。拒まれた者は支配者であり救い主でした。(使徒の働き7章17~38節)
これはステパノの演説の中で最も大きな部分です。
彼らは絶えずモーセを誇りとしていました。
彼らは彼を律法の制定者、先祖たちを奴隷の家から導き出した力ある人、栄光の神が偉大な奇跡を行った者として誇りに思っていました。
彼らは彼を「モーゼ、我らの先生」と呼び、正統派ユダヤ教徒は今でもこのように呼んでいます。
彼はどのような経験をしたのでしょうか?
先祖たちはすぐに彼を受け入れたのでしょうか?
救いに来た時、彼らは彼を受け入れたのでしょうか?
彼はどのように扱われたのでしょうか?
神の記録が彼らの心の前に開かれ、評議会にとって馴染み深い歴史がくり返し語られます。
モーセもまたキリストを予表しています。
彼の経験は、モーセよりも栄光にふさわしいとされるキリストの経験を説明しています。
「家よりも、家を建てる者が大きな栄誉を持つのと同様に、イエスはモーセよりも大きな栄光を受けるのにふさわしいとされました。
家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。
モーセは、しもべとして神の家全体のために忠実でした。それは、後に語られる事をあかしするためでした。」
(ヘブル人への手紙3章3~5節)
ステパノはこのように語っています。
「神がアブラハムにお立てになった約束の時が近づくにしたがって」
(使徒の働き7章17節)
神は御言葉を心に留められました。民はエジプトで奴隷状態に陥り、救い主を必要としていました。
約束の時が近づいたため、神は救い主を備え、その救い主を通して約束が成就されました。
すべてのことに意味が満ちています。
救い主の到来という約束の時は確かに近づいていました。
神が民を救うために遣わした救い主が現れました。
モーセは受け入れられたのでしょうか?
モーセが拒まれた物語は、ナザレのイエスの物語において、より大きなスケールで繰り返されました。
最初にモーセについての記述を見ることができます。
主は、まさに迫害が激しかった時代に生まれました。
「このようなときに、モーセが生まれたのです。」
(使徒の働き7章22節)
それと全く同じようにこのように記されています。
「しかし定めの時が来たので、神は御自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。」
(ガラテヤ人への手紙4章4節)
モーセは「非常に美しい」人でした。つまり「神に美しい」ということです。
彼は非常に愛らしい人でした。
栄光から来られた方、父なる神の独り子である主は、さらに愛らしく、美しい人だったのです。
*モーセはエジプト人のあらゆる知恵を学びました。
(使徒の働き7章22節)
キリストは知恵です。
*モーセは働きと行為において強力でしたが、キリストはそれをはるかに超えて、民の間で神の力と恵みを現しました。
モーセについて次に言われていることは、「彼は追放された」ということです。
これをキリストに適応させる方法については、詳しく述べる必要はありません。
モーセが成人して40歳になった時、彼は兄弟であるイスラエルの民を訪ねたいという思いに駆られました。
モーセは奴隷状態からの解放者として彼らの前に現れました。
しかし、モーセについてはこのように記されています。
「彼は、自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていましたが、彼らは理解しませんでした。」
(使徒の働き7章25節)
モーセは救うために来ましたが、人々から拒まれました。
「誰がお前を我々の支配者、裁判官にしたのだ?」と、嘲笑の声がモーセに浴びせられました。
モーセは異国の地へ逃れ、40年間も異邦人の中で過ごさなければならなかったのです。
そして、今、民衆の真っ只中で、同じようなことが繰り返されます。
救い主が現れました。
モーセは自分の民を訪れ、自身を彼らに示しました。
「自分の手によって神が兄弟たちに救いを与えよう」
しかし、モーセの民はモーセを受け入れていません。
彼らは理解せず、モーセを追い出し、否定しました。
ヨセフのように、モーセも異邦人のところへ行き、民に拒まれました。
キリストへの応用は簡単に行ないことができ、私たちはそれを詳細には追及しません。
しかし、モーセは戻って来て、かつて彼らが拒絶し知らなかったその救出者が、結局は彼らを救い出し、連れ出した者となったのです。
「『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、支配者また解放者としてお遣わしになったのです。
この人が、彼らを導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ないました。」
(使徒の働き7章35、36節)
聖霊はこれらの偉大な予兆を心に刻みつけました。
彼らはペテロが以前語った言葉を思い出すことはありません。
「私たちの先祖の神は、あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。
そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。」
(使徒の働き5章30、31節)
「『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。」
(使徒の働き4章11節)
聖霊によって良心にもたらされた彼らにとって馴染み深い言葉が今、彼らが誇りとしていたモーセの歴史的記録を通して、同じ真理が再び彼らの前にひらめきます。
「このモーセ」――拒まれた者――「この者を神は遣わされた」とは、「あなたがたが十字架につけたこのイエス――神が遣わし、君主、救い主とされたこの者」を意味しています。
燃える柴の出来事もまた重要です。
「『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、支配者また解放者としてお遣わしになったのです。」
(使徒の働き7章35節)
この御使いを通して奇跡としるしが行われました。
評議会はこの創造されていない御使いが主御自身であることを理解していました。
しかし、当時広く知られ、受け入れられていた伝承では、この御使いはメシアと呼ばれていました。
この同じ主が彼らの中に存在し、奇跡としるしによって主の臨在を示されたのです。
聖霊はまた、くり返し啓示された真理をここで証言しています。
それは、将来キリストが再臨される時、国民は、以前は拒絶していたキリストを知り、受け入れるということです。
これは型として見るのであれば、ヨセフの歴史における二度目に相当します。
モーセの歴史はキリストの歴史の前兆です。
彼らはモーセを信じ、それを誇りにしていました。
彼らはステパノがモーセに反論したという非難をしました。
ステパノの証言は、ステパノがモーセを信じていることを証明しています。
しかし、議会は本当にモーセを信じていたのでしょうか?
被告人は告発者になります。
彼らはモーセと彼の言葉を信じませんでした。
「このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。』と言ったのです。」
(使徒の働き7章37節)
もし、彼らがモーセの預言を信じていたなら、モーセが約束した預言者の到来を待ち望んでいたはずです。
ペテロは二度目の説教で、主イエス・キリストにおいてその預言が成就したと述べています。
「モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる。』」
(使徒の働き3章22、23節)
しかし、彼らは信じなかったのです。
4.彼らの背教と恥ずべき物語(使徒の働き7章39~53節)
エジプトを出て、奇跡と奇跡を目撃した後も、彼らはモーセに従わず、彼を拒絶し、心は再びエジプトに戻ってしまいました。
つまり、彼らはキリストにも従わず、キリストを拒んだのです。
続いて、彼らの恥ずべき歴史が簡潔に語られます。
彼らは偶像崇拝に陥り、天の軍勢を崇拝し、荒野の旅の途中でモレクとレンファンにささげ物を捧げました。
「イスラエルの家よ。あなたがたは、荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣とささげ物とをわたしにささげたことがあったか。
あなたがたはあなたがたの王サクテと、あなたがたのために造った星の神、キウンの像をかついでいた。
わたしはあなたがたを、ダマスコのかなたへ捕え移す。」とその名を万軍の神、主という方が仰せられる。」
(アモス書5章25~27節)
そして、彼らに捕囚が告げられました。
モーセよりも偉大な方、モーセが告げた方を拒んだために、より大きな背教と離散が必然的に起こったのです。
それから彼は、モーセが見た様式に従って作られた荒野の証しの幕屋について語っています。
また、彼はその幕屋がどのようにしてその地から追い出された異邦人の所有物としてヨシュアの手に渡ったかを語っています。
(使徒の働き7章44~45節)
ダビデについては簡単に触れられています。
彼は神の恵みを受け、ヤコブの神のために幕屋を建てたいと望みました。
しかし、ソロモンが神の宮を建てました。
しかし、いと高き方は人の手で造られた場所には住まわれません。
ソロモン自身もこのことを宣言してます。
「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」
(列王記第一8章27節)
預言者イザヤも同じ真理を述べています。
「主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。
これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。
――主の御告げ。――わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」
(イザヤ書66章1、2節)
さらに、かつて神殿に住まわれた栄光と栄光の主は去ってしまいました。
そこには「イカボド(Ichabod)」(栄光は去った)と記されていました。
それ以上に、幕屋に存在し、その栄光で神殿を満たし、かつて主が彼らの中に現れたにもかかわらず、主を追い出し、栄光の君主を殺したのです。
では、彼らが告発の中で述べているように、あの神殿はもはや「聖なる場所」と呼ぶことができません。
このようにして、国家の背教の物語は、国家の記録から語られました。
しかし、いよいよ総括の時が来ました。
おそらく、講話全体を通して、評議会側からの不満の兆候が見られたはずです。
もし、彼らに余力があれば、もっと早くこれらを止められたはずです。
しかし、彼らは聞くことを余儀なくされました。
別の力が、彼ら自身と国家に対する非難を聞かざるを得なかったのです。
いよいよクライマックスです。
彼らは既に歯ぎしりを始めていました。
彼らの暗く不気味な表情は、サタンの怒りと苦々しさを物語っています。
彼らは良心に傷を負っています。
誰かが立ち上がり、混乱を起こしてもおかしくない状態です。
ステパノは回想をやめました。
聖霊が彼らに直接語りかけています。
被告のステパノは判決を宣告する裁判官の代弁者となります。
「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。
あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。
あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」
(使徒の働き7章51~53節)
一言一句真実でした。証言はどれも疑う余地がありません。
頑固で割礼を受けておらず、聖霊に抵抗し、キリストについて預言した預言者たちと義なる方を殺害した者たちが迫害しています。
これが彼らの状態でした。
これでステパノの証言は終わり、さらに、国民への証言もこれで終わりです。
エルサレムへの提示はもはや行われません。
Ⅱ.ステパノの殉教。
「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、
こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。
そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。
こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」
そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。」
(使徒の働き7章54~60節)
そして今、恐ろしい嵐がやってきました。
神の御霊の力によって放たれた神の真理の矢は、彼らの心を切り裂き、彼らは歯ぎしりしました。
狂乱のあまり、彼らは言葉を失いました。
サタンが彼らの頑固で不信仰な心を燃え上がらせた激しい憎しみを、言葉で表現することができません。
狂乱の中で彼らにできることは、ただ歯ぎしりすることだけでした。
これは突然の爆発ではありませんでした。
時制からするとむしろ長引いたものだったことがわかります。
もはや議会ではなく、殺戮の暴徒となったこの邪悪な群衆の真ん中に、ステパノは立っていました。
証言の初めに彼の顔が御使いのように輝いていたとすれば、今、おおいなる栄光が彼の上に宿っていたはずです。
間もなく彼が入ろうとしていた天の栄光が、彼の顔に驚くほどに輝いていたはずです。
ステパノについては三つのことが言われています。
*ステパノは聖霊に満ちていました。
*ステパノはじっと天を見つめ、神の栄光を見ました。
*ステパノはイエスが神の右に立っておられるのを見ました。
ステパノの上に聖霊が満ちあふれていました。
ステパノは聖霊を通して証し、人々が歯ぎしりし、ステパノを捕らえ、最初から殺人者であるサタンの力の限り従おうとしていました。
その時、ステパノは非常に落ち着いて平安の中に立っていました。
聖霊はステパノを完全に支配し、ステパノの視線を地上から天へと向けさせました。
ステパノはしっかりと天を見つめています。
これは聖霊に満たされ、心が天にあるものに満たされる状態の一つです。
それ以上に彼が見たのは、神の栄光と、神の右に立つイエスでした。
言い尽くせない栄光が天の深淵から輝き、その栄光の中で、ステパノは神の右に立つイエスを見ました。
ステパノはイエスについて素晴らしい証しをしました。
その生涯と言葉によってその祝福された御名を讃え、そして間もなく勝利の死においてその栄光を讃えるイエスをステパノは見たのです。
使徒の書簡では、主が神の右に座ったと記されています。
これは御業を成し遂げられたことを示す姿勢で主が立っておられたと記されています。
これは矛盾ではありません。
主が座っておられるのはイスラエルの悔い改めを待ち、再臨の準備をされていたからだと考えます。
主が立っておられるのは、忠実な殉教者を御前に迎えるために、御座から立ち上がられたからです。
これは、記録に残る栄光を受けたキリストの最初の現れです。
これはたった3つしかありません。
*主はステパノの前に現れました。
ああ、なんと驚くべき恵みでしょう!
すると主はサウロに現れ、サウロはステパノの死を認めました。
サウロは真昼の太陽よりも輝く栄光の中で主を仰ぎ見、主の声を聞きました。
*栄光を受けたキリストが最後に現れたのは、パトモス島のヨハネに対してです。
栄光を受けたキリストのこの三度の出現は、キリストの再臨の三つの側面を私たちに示しています。
*まず、主は御自身の民を御前に迎え入れるために来られます。
そして、私たちは空中に昇り、そこで愛する共同相続者たちと会うのです。
これは、ステパノに最初に現れ、立ち上がって彼を迎え入れたことに表れています。
*そのとき、イスラエルは主を見ます。
タルソのサウロが主を見たように主を刺し通した者たちは主を見るのです。
*その時、ヨハネが見たように、義をもって地を裁く方が現れます。
そして今、この偉大で栄光に満ちた幻の後、ステパノはそのことを証ししています。
ステパノは主を「人の子」と呼び、このように叫びました。
「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
(使徒の働き7章56節)
これは、福音書の記録以外で、主のこの称号が出てくる唯一の箇所です。
(ヘブル人への手紙2章にある旧約聖書の記述を除きます)。
この言葉は狂乱した議会にとって馴染み深いものではありません。
しかし、似たような言葉を語る方を聞いたことがあるはずです
数週間前、彼らは憎み、妬んでいた方を見つめていました。
柔和で謙遜な方の姿が、まさにその瞬間に彼らの目の前に浮かんだはずです。
そして、まさにこの議会の前で、主はこのように言われました。
「しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」
(ルカによる福音書22章69節)
ここに、聖なる方が断罪された原因となった厳粛な言葉の反響があります。
しかし、これは単なる反響ではありません。
人の子が神の右に座しているという証しなのです。
その後の秩序ある裁判については何も書かれていません。
さまざまな秩序は放棄され、混沌が支配しました。
彼らは大声で叫び、耳を塞ぎ、一斉にステパノに駆け寄りました。
耳を塞ぐことは、正統派ヘブル人の間ではよくあることです。
私たちは彼らの何人かと話をしたことがあります。
イエスのメシア性について議論を続けた後には、まるでそれ以上の議論を遮断するかのように、両手を耳に当てていました。
サンヘドリンは、神の証人を殺害しようと決意し、狂暴で激怒した悪魔に取り憑かれた暴徒に変貌しました。
彼らが行ったことの一つは、律法に従ったものです。
彼らはステパノを町から追い出しました。
主イエス・キリストのように、彼は「門の外」で苦しむことになっていたのです。
律法はこのように命じています。
「あの、のろった者を宿営の外に連れ出し、それを聞いた者はすべてその者の頭の上に手を置き、全会衆はその者に石を投げて殺せ。」
(レビ記24章14節)
「すると、主はモーセに言われた。
「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」」
(民数記15章35節)
彼らはそこでステパノを石打ちにしました。
しかし、この行為は法律違反でした。
なぜなら、彼らはローマ当局に対し、このように証言していたからです。
「そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」」
(ヨハネの福音書18章31節)
しかし、彼らは法律を守っているように見せかけました。
申命記17章7節にはこのように記されています。
「死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。
こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。」
(申命記17章7節)
証人たちがまずステパノに石を投げつけ、恐ろしい行為を開始しました。
そして、キリキア出身の若いパリサイ人がこの恐ろしい場面で重要な役割を果たしました。
彼はその中の重要な人物でした。
前面にタルソのサウロが立っていました。
十分にあり得ることですが、もし彼が議会の一員であったとしたら、彼はすべてのステパノの証言を聞いて、彼の死に同意したはずです。
使徒の働き22章20節には、彼が「私もその場にいて」と言ったと記されています。
これは、彼がこの出来事を指揮していることを意味していました。
確かなことは、彼が証人たちと親しかったということです。
彼らは激しく打つことができるように上着を脱ぎ、サウロの足元にその上着を置きました。
そして石打ちが始まりました。
ステパノが最初にしたのは祈ることでした。彼は主なる神に呼びかけました。
ステパノの祈りは、彼が自分の霊をその手に委ねた主イエスに向けられたものでした。
それから彼はひざまずき、大声でキリストの愛を示し、自分を殺した者たちを許しました。
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」
この祈りは、サウロという名の若者の改心によって答えられました。
なぜなら、彼は死に同意したため、責任と罪を負っていたからです。
「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。」
(使徒の働き8章1節)
それからステパノは眠りに落ちました。
偉大な証人は地上で目を閉じました。
ステパノはその栄光に満ちた御人格を見つめました。
ステパノの霊を受け入られた時、それは御手の中にステパノの霊を委ねた瞬間でした。
神の恵み深い提示とキリストは、今や国民に完全に拒まれました。
最後の証しを述べたステパノは、キリストの変革の力の驚くべき証拠です。
ステパノは主に似た者とされたのです。
ステパノは聖霊に満たされ、信仰と力に満ち、主のように人々の間で偉大な奇跡と不思議な御業を行いました。
キリストのように、モーセと律法と神殿に反抗し、神を冒涜した者として、偽りの告発を受けました。
彼らはステパノを同じ議会に召喚し、主に対して行ったことと同じことをしました。
偽りの証人を立ててステパノを告発しました。
ステパノは、議会で主がの右に座しているという真実の告白をしました。
ステパノはそこで主を仰ぎ見たのです。
主イエスは御自身の霊を父なる神の御手に委ねたように、ステパノは主イエスが御自身の霊を受けられるように祈りました。
そして、主のように、敵の赦しを祈りました。
この同じ力によって、私たちすべてを同じ姿に変えてくださります。
8章
ユダヤの指導者たちへの最後の証言が与えられました。
しかし、拒まれ、聖霊に満ちた使者は殺されました。
このように最後の提示は完全に拒まれ、福音は間もなく遠く異邦人へと伝えられます。
遠くにいる者たちが近づくことになります。
8章は移行章です。福音はサマリアで宣べ伝えられます。
その使者はペテロでもヨハネでもなく、ピリポです。
この章は5つの部分に分かれています。
Ⅰ.最初の大迫害(使徒の働き8章1~3節)
Ⅱ.散らされた信者たちの伝道、そして、サマリアのピリポ(使徒の働き8章4~8節)
Ⅲ.サマリアでの出来事(使徒の働き8章9~24節)
Ⅳ.サマリアの多くの村々への福音の伝道(使徒の働き8章25節)
V.ピリポとエチオピアの宦官(使徒の働き8章26~40節)
Ⅰ.最初の大迫害。
「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。
敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。
サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」
(使徒の働き8章1~3節)
この章の冒頭の文は、前の章に属します。
本書ですぐに重要な位置を占めることになる若いパリサイ人は、ステパノに対して犯した恐ろしい行為に完全に同意し、歓喜していました。
そして、ステパノの死を心から容認し、喜びを感じていました。
論争が起こった瞬間から、町の外で石がステパノに降りかかり、血が流されるまで、ステパノの苦しみのすべてを目撃していました。
後にパウロはその場面について述べています。
その場面を記憶から消すことはパウロにとって不可能だったのです。
「また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。」
(使徒の働き22章20節)
サウロに関して、主はアナニヤにこのように言われました。
「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
(使徒の働き9章16節)
ステパノに行われたことは、サウロにも行われました。
ユダヤ人とサウルは私たちが信じていることを、会堂でステパノとサウロを論争し、抵抗しました。
ユダヤ人たちはパウロと論争し、抵抗し、彼の証言を拒んだのです。
*ステパノは冒涜の罪で告発されました。
パウロも同じです。
(使徒の働き19章37節)
*ステパノはモーセと聖所と慣習に反対する発言をしたとして非難されました。
パウロも同じです。
(使徒の働き21章28節、24章6節、25章8節、28章17節)
*彼らは一斉にステパノに襲い掛かり、彼を捕らえました。
パウロにも同じことが起こりました。
(使徒の働き19章29節)
*ステパノは町から引きずり出されました。
パウロも同じです。
(使徒の働き14章19節)
*ステパノはサンヘドリンの前で裁判にかけられました。
パウロもサンヘドリンの前に出廷しました。
*ステパノは石打ちにされました。
パウロもリストラで石打ちにされました。
*ステパノは殉教しました。
パウロもローマで殉教しました。
それでも、パウロは耐え忍ばなければならなかったさまざまな苦しみの中においても、喜びにあふれていました。
彼の目は、聖霊に満たされたステパノが栄光のうちに見た、あの栄光に満ちた姿が絶えず注がれていました。
後に、パウロがローマの獄中で叫んだ声が聞こえます。
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、」
(ピリピへの手紙3章10節)
それから、エルサレムの教会に対する最初の大規模な迫害が起こりました。
主が御自身の民について、彼らは苦しみを受け、憎まれるであろうと語られた言葉は実行されました。
サウロが指導者であったことは明らかです。
おそらく彼は、まさに流血の現場から、血を見た虎のように、群衆を率いて出て行ったはずです。
迫害の詳細な記録はありません。
彼らはエルサレムから追放され、家々に押し入られ、男女が引きずり出され、牢獄に入れられました。
ヘブル人への手紙は、この最初の大迫害について述べています。
「あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。
人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。
あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。」
(ヘブル人への手紙10章32~34節)
彼らは辱められ、鞭打たれ、財産を奪われ、町から追い出されました。
しかし、彼らはこのすべてに喜びながら立ち向かいました。
ローマの法律に訴えたという記録は残っていません。
現代において、どれほどの信者がこのような迫害に耐えているでしょうか?
しかし、これはほんの始まりに過ぎません。
その後数百年にわたり、数え切れないほどの人々が拷問を受け、地下牢に投げ込まれ、餓死させられ、生きたまま焼かれ、鋸で切られ、野生動物の前に投げ出されました。
考え得る限りの残虐行為がクリスチャンに対して行われました。
しかし、吠える獅子は敗北し、退却せざるを得ませんでした。
サウロはこの大迫害の主導者です。彼は教会を荒廃させ、破壊しました。
彼が後に自分の行いについてこのように述べられているのを聞くと、驚くべき恵みの奇跡を見ることができます。
「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。」
(使徒の働き22章4節)
「主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。
また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。」
(使徒の働き22章19、20節)
「そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。
また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。」
(使徒の働き26章10、11節)
パウロは自分の事を冒涜者、迫害者と呼んでいます。
「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。」
(テモテへの手紙第一1章13節)
偉大な使徒のこれらの告白は、この章の短い記録にどのような光を当てているでしょうか?
ガラテヤ人への手紙とコリント人への手紙第一の中で、彼は神の教会を迫害したと宣言しています。
「私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。」
(コリント人への手紙第一15章9節)
「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。
私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。」
(ガラテヤ人への手紙1章13節)
これは、パウロが教会に関する啓示を受けるまでは教会は存在しないという、最近広まった新しい教えを一掃します。
教会がペンテコステの日に始まったという考えはしばしば否定されます。
しかし、もし教会が全く存在していなかったとしたら、どうしてパウロは教会を迫害できたのでしょうか!
次に、ステパノが横たわる場面が描かれます。
傷ついたステパノの遺体は敬虔な人々によって安息の地へと運ばれ、ステパノの霊は主の御前にありました。
これらの敬虔な人々とは、アリマタヤのヨセフやニコデモのような人々でした。
彼らの嘆きはユダヤ人特有のものです。
彼らは栄光の希望を知りませんでした。
後に、テサロニケのクリスチャンたちでさえ、希望を失った他の人々と同じように悲しみました。
「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。」
(テサロニケ人への手紙第一4章13節)
その時「祝福された希望」が明らかにされました。
それは神の民の悲しみと嘆きを永遠に消し去るものでした。
しかし、使徒の働きの初めの頃は、この希望については知られていません。
Ⅱ.散らされた信者たちの伝道、そして、サマリアのピリポ
「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
群衆はピリポの話を聞き、その行なっていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、大ぜいの中風の者や足のきかない者は直ったからである。
それでその町に大きな喜びが起こった。」
(使徒の働き8章4~8節)
彼らは各地に散らされました。
使徒たちだけがエルサレムに残りました。
「使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」
(使徒の働き8章1節)
これは十二使徒側の失敗だと説明されてきましたが、それは誤りです。
神が彼らを導き、そこに留められたのです。
彼らが逮捕されず、投獄もされなかったのは、彼らがヘレニズムに通じた人々ではなく、その地の住民であったという事実によって説明できます。
迫害はギリシヤ系ユダヤ人に対して最も厳しかったと思われます。
そして今、初めて私たちは「殉教者の血は教会の種である」ということを学びます。
「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」
(使徒の働き8章4節)
神は、苦難に苦しむ聖徒たちによって、御自身の御言葉の尊い種が今、広く世に広められるよう、これらすべての苦難を許されました。
主は、彼らがエルサレムだけでなく、ユダヤとサマリアにおいても、主の証人となると仰せになりました。
そして、主は御自分の民の苦しみを通して、これを成し遂げられました。
彼らがエルサレムから北へ向かった時、驚くべき光景が見られたのです。
残忍な男たちの手によって肉体的な苦痛に苛まれ、持ち物を奪われた男、女、子供たちが、街の門から流れ出ていくきます。
彼らはかつてないほど主に身を委ね、主は彼らの心にとってより現実的なものとなりました。
そして、今、彼らは宣教に出かけるのです。
誰もが説教者でした。
教会の偉大な長であり、彼らを叙任し権威を与えた教会会議や委員会ではなく、主御自身が彼らを御自身の証人として遣わしたのです。
悲しいことに人為的な規則、固定化された形式、叙任、承認などを伴う今日の教会制度とは、対照的です。
主が門の外で苦しみを受けるために導き出された、このような町からの脱出は、教会の歴史の中で幾度となく繰り返されています。
そして、御言葉の種を撒くという恵み深い結果をもたらしています。
ここではワルド派とユグノー派についてのみ触れます。
最初の大迫害はサタンの勢力によって引き起こされました。
しかし、敵の怒りは主を賛美せざるを得ません。
これらすべての出来事を通して、主御自身に栄光がもたらされるのです。
ここでピリポが登場します。
彼は使徒ではなく、貧しい人々を助けるために選ばれた七人の一人、ギリシヤ系ユダヤ人でした。
最初の偉大な宣教活動は、使徒の権威や指導力、あるいは使徒会議の布告によって成し遂げられたのではなく、主御自身によって成し遂げられました。
主は御自身の器を選び、ピリポを宣教地へと導きました。
イエスはピリポを、御自身も行かれたサマリア、まさにそのサマリアの町、スカルへと導かれました。
イエスはかつてそこで疲れ果てた旅をされ、「井戸のそばに座っておられた」(ヨハネの福音書4章)場所です。
主イエス・キリストのしもべも同じ道を歩みました。
しもべが疲れている時、主がその疲れをご存知であることを思い出すことは慰めです。
サマリア人は全くの異民族ではありませんが、イスラエル人の血を引いていました。
彼らは真実な律法と神殿を所有していると主張していました。
その結果、分裂が生じ、彼らは憎まれました。
ヨハネの福音書にはこのように記されています。
「ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。」
(ヨハネの福音書4章9節)
しかし、そこの土地は整備されていました。
大勢のサマリア人がヤコブの井戸で主が忘れ難い会話を交わした女の言葉によって主を信じました。
彼らは主に留まるよう勧め、さらに多くの人々が主を信じました。
そして彼らは女に言いました。
「もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。
自分で聞いて、この方がほんとうに世の救い主だと知っているのです。」
(ヨハネの福音書4章42節)
この民の中にピリポが現れ、キリストを宣べ伝えました。
彼らは皆、心を一つにしてこれらの教えに耳を傾けました。
もし、ピリポが何か他のことを宣べ伝えていたら、このようにはならりません。
偉大な教えは、やはりキリストを宣べ伝えることです。
奇跡も起こりました。
汚れた霊は追い払われ、多くの中風の者や足の不自由な者が癒されました。
そのため、その町には大きな喜びがもたらされました。
サマリアで起こったこれらの奇跡は特別な意味を持っています。
そのことについては続く聖句で述べます。
ピリポは福音の宣教に関連して奇跡を行いました。
特に汚れた霊について述べられています。
彼らは、取り憑かれていた多くの人々から出て行きました。
ユダヤと同様、サマリアも悪霊にとりつかれてひどく苦しめられていました。
ピリポが説教し、奇跡が行われた町は大いに喜びました。
「それでその町に大きな喜びが起こった。」
(使徒の働き8章8節)
当時は神のみことばがまだ完成していなかったため、奇跡は当然のことでした。
神の啓示が完成した今、奇跡はもはや必要はありません。
信仰は奇跡ではなく、神のみことばに基づいています。
続く聖句は、ピリポがサマリアで行った奇跡に特別な意味があったことを示しています。
Ⅲ.サマリアでの出来事
「ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行なって、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。
小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ。」と言っていた。
人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。
しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行なわれるのを見て、驚いていた。」
(使徒の働き8章9~13節)
この歴史的記述に邪悪な人物が登場します。
シモン・マグス(シモン・マグス)と呼ばれるサタンの道具です。
おそらく、サマリア人を暗闇に閉じ込め、そこで成し遂げられた主の御業(ヨハネの福音書3章)を阻止するために、特別な方法で利用されていたと思われます。
彼はさまざまな迷信に深く染まっていたサマリア人を惑わしました。
この民族的な迷信はポンティウス・ピラトの失脚を招きました。
西暦35年頃、サマリアに詐欺師が現れ、聖なる器はモーセによってゲリジム山に隠されており、シモンがそれを見つけたと主張していました。
非常に多くの群衆がシモンに従ったが、ピラトも兵士たちを率いて、群衆を追い払いました。
その多くが殺されました。
サマリア人はシリアの総督ウィテリウスに訴え、ウィテリウスはピラトを裁判にかけるためローマへ派遣しました。
シモンは、あらゆる悪と禁じられたことを説いた多くの一人です。
彼は邪悪な魔術で人々を罠にかけました。
紀元2世紀前半に生きたローマの歴史家スエトニウスは、当時東方諸国全体があらゆる種類の奇跡を行う者、占星術師、治癒師、降霊術師であふれていたと記しています。
その中でも最も偉大な人物の一人がティアナエウスのアポロニウスで、彼は西暦97年頃に死んでいます。
彼は偉大な魔術師であり、奇跡を行う者でした。
彼の生涯と奇跡とされるものは、しばしば我らの主と比べられました。
サタンは福音の到来を予期し、この男を用いてサマリア人を束縛し、神の力を偽装し、真理に抵抗しました。
シモンは魔術を用い、この魔術行為でサマリア人を驚かせていました。
サタンは彼を通して自分の力を現し、シモン自身も自分が偉大な存在、おそらくは高い次元の存在の化身であると主張しました。
サマリアの人々は彼とその偽りの奇跡を信じ「神の偉大な力」とさえ呼んでいました。
彼は偽預言者であり、彼が行なうしるしと奇跡は邪悪な源から生じました。
これらすべてには深い意味があります。
サタンは今もなお神の力を偽っています。
この世の終わりには、あらゆる力としるしと偽りの不思議をもってサタンが現れることが預言に記されています。
「不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、」
(テサロニケ人への手紙二2章9節)
時代が終わりに近づき、主イエス・キリストが力と栄光をもって再臨されるのが近づくにつれて、サタンは悪魔の軍勢を率いてますます活発になり、人々を罠にかけ、福音を拒む者を盲目に導きます。
福音記者ピリポの時代と同様に、今やサタンは人々を道具として利用しています。
シモン・マグスは、惑わされながらも自分を偉人と主張する人々の中だけでなく、心霊術、クリスチャン・サイエンス、千年王国黎明主義(エホバの証人)といった体系の中に現代においても再現されています。
ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について御言葉を宣べ伝え、サマリア人には救いの時が訪れました。
数々のしるしと偉大な奇跡が起こり、サマリア人は信じてバプテスマを受けました。
これらの奇跡は神の力を現わし、ピリポによる福音の宣教を証明し、シモンの偽りの力を暴くために行われました。
シモンは、エジプトの魔術師たちと同じように、これが神の力であることを認めざるを得ませんでした。
シモンは偉大な奇跡を目の当たりにして驚嘆しました。
それ以上に、シモンは信仰を持ち、バプテスマを受け、そしてピリポと共に歩み続けました。
しかし、シモンの信仰は神のみことばによるものではありません。
神のみことばだけが、人に信仰を生み出すことができるのです。
なぜなら、信仰は聞くことによって生まれ、聞くことは神のみことばによって生まれるからです。
シモンは自分が見た奇跡に魅了されました。
彼は、ヨハネの福音書2章に出てくる多くの人々と同じように信じました。
「イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。」
(ヨハネの福音書2章23節)
これは真実な信仰だったのでしょうか?
これは救いに至る信仰だったのでしょうか?
信じるには奇跡が必要なのでしょうか?
ヨハネの福音書2章の最後の2節は、これらの疑問に答えています。
「しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。
なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。」
(ヨハネの福音書2章24、25節)
イエスは、彼らがイエスを信じる信仰が真実ではないことをご存じです。
だからこそ、シモン・マグスは奇跡を信じたのです。
そして、ピリポの手による水のバプテスマも受け入れました。
このことは、水のバプテスマが救いの儀式であり、この行為によって新生が起こるという聖書に反する教えを完全に否定することができます。
シモンはピリピと続けました。
これもまた重要なことです。
「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。
ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。
彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
使徒たちが手を置くと聖霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、
「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。
ペテロは彼に向かって言った。「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。
あなたは、このことについては何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。
だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。
あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。」
シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」」
(使徒の働き8章14~24節)
ペテロとヨハネは使徒たちによってエルサレムからサマリアへ遣わされました。
サマリア人には聖霊が与えられていません。
二人の使徒が彼らのために祈り、彼らの上に手を置いた後、彼らは聖霊を受けました。
ペテロとヨハネの祈りの後に聖霊が与えられたという事実は、誤った教えを生みました。
儀式主義的なキリスト教世界は、聖書に根拠のない使徒継承とさまざまな儀式という伝統的な教えを擁護するためにこの一節を利用しています。
使徒の働きに関する最近の解説では、これらの節について次のように述べられています。
祈りと按手によって聖霊が与えられると考えていました。
彼らの期待は適切なものであり、教会はこれを通常の方法として受け入れてきました。
ルカは、聖霊の注ぎについて全部で4つの記述を残しています(2、8、10、19節)。
2つの機会(ペンテコステとコルネリオ家の人たち)では、聖霊の賜物自体が特別なものでした。
他の2つの機会(エペソのサマリア人と弟子たち)は通常のもので、賜物は祈りと按手によって伝えられました。
これらの按手は使徒によるものです。
1つはペテロとヨハネ、もう1つはパウロです。
使徒の働きのどこにも、この点に関して使徒以外による按手は記されていません。
この出来事から、ピリポは預言者であり、7人の使徒の一人であり、御言葉を宣べ伝え、バプテスマを授けていたにもかかわらず、この力を持っていないことは明らかです。
ですから、ルカが述べているように、使徒たちの按手を通して聖霊が与えられるのです。
ゆえに、教会の確認の儀式の始まりをここに見出すことは当然のことです。
儀式主義は、他の人を通じて任命され、同様に任命を受けた人たちが手を置くことによって、聖霊の贈り物を与えるために使徒時代に戻ることを主張しています。
もう一つの誤った教えは、使徒たちがこれらの新しい信者たちに聖霊を伝えたという教えに基づいています。
これがくりかえし広まり、誠実なクリスチャンたちの間で大きな混乱の原因となっています。
この歴史的記述から、人は聖霊を持たなくても信者になれると教えられています。
聖霊を受けることは、改心とは全く異なる行為であると主張されています。
クリスチャンは、長い間救われていても、聖霊を全く受けていないことがあります。
聖霊を受けるためには、信者は聖霊の経験を求め、聖霊を受けなければならない、という教えは広く信じられています。
この教えを裏付けるために、サマリア人の事例がしばしば引用されます。
使徒の働きのこの部分が神学的な性格を持つことを認識していれば、こうした誤った解釈や教えはすべて避けられたはずです。
この箇所には、聖霊とその受容方法に関する教えは一切ありません。
聖霊の教理、そして信者がどのように聖霊を受け入れ、信者の中で聖霊が働くかは、使徒の働きでは教えられていません。
これは歴史的な記述であり、この記述と、サマリア(ヨハネの福音書4章19~24節)がエルサレムと争っていたという事実を念頭に置くならば、使徒たちがエルサレムから来たこと、そしてペテロとヨハネが到着するまでサマリア人から聖霊が与えられなかったことは、すぐに明らかになります。
サマリアの信者たちはエルサレムの信者たちと同一視されなければなりません。
サマリアとエルサレムの間には分裂があったため、なおさらです。
サマリアはエルサレムの都と神殿の両方を否定していました。
これはもはや容認できずに完了させなければなりません。
それゆえ、神の御心は、二人の使徒がエルサレムから来るまで、彼らへの聖霊の賜物を差し控えるよう命じたのです。
これはエルサレムを認めることを意味しています。
もし聖霊がすぐに彼らに与えられたなら、いままでの対立が継続する結果となります。
そしてペテロはそれを前提にして、ペンテコステの日にユダヤ人に対して、そして後に異邦人に対して行ったように、ここでサマリア人に対して鍵を用いています。
キリスト・イエスにおける偉大な救いの真理と祝福が明らかにされている教会の書簡には、按手によって聖霊を受けることや、キリストを信じて新しく生まれた者が、その後、聖霊の賜物を求めるべきであるといった言葉はどこにも見当たりません。
この本の19章に到達したら、このことについてさらに詳しく説明します。
聖霊の賜物が異言のような外的なしるしを伴っていたという記録はここにはありません。
シモンは使徒たちの手によって聖霊が与えられたことを「見た」ことから、何らかの現れが賜物に伴っていたはずです。
そして、同じ賜物を授ける力と引き換えに彼らに金銭を差し出したことで、彼の心の邪悪さが露呈しました。
今、彼は完全に正体を明かされました。
彼の魂には神の働きが全く生み出されていません。
そうでなければ、彼はあのような邪悪な言葉を口にすることはなかったはずです
彼の唯一の望みは権力を手に入れ、その代償を払うことでした。
彼は神の賜物を商品とし、すべては自分の利益と虚栄心のためだったのです。
そして、「聖職売買」と呼ばれてきたこの罪は、今もさまざまな形で生き続けています。
ここで、現代の「クリスチャン・サイエンス」と呼ばれる運動におけるシモンとの関連について考えなければなりません。
この体系は、間違いなくオカルト的なものを用いており、哲学的な思索を含んでいます。
それは魔術師シモンにとっても未知のものではありません。
しかし、優れた治療師になるには、ある程度の金額を支払わなければなりません。
治癒力の秘密が売られているのです。
この罪のより巧妙な形態について、他に何が言えるでしょうか?
そして今、二人のシモン、シモン・ペテロとシモン・マグスが立ち向かっています。
ペテロはすぐに、神の敵が語った男の邪悪な心を察知しました。
聖なる憤りと非難のあまり、ペテロは叫びました。
「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。」
(使徒の働き8章20節)
邪悪な心を持つ魔術師は、神の賜物は金で買えると考えました。
その目的は福音そのものです。
救いと、聖霊を含め、それと結びついたすべてのものは、神の賜物であり、金銭も代価もなく、稼ぐことも買うこともできません。
魔術師はこのことに何の関わりも持ちません。
これは堕落した心の中で、自分の行いによって神の力を得ようと考えるすべての人に適応されます。
シモンは、外面的には信仰を告白し、バプテスマを受け、ピリポと関係があったにもかかわらず、自分自身が「苦い胆汁と不義のきずな」の中にさらされ、露わになっているのを感じるのです。
ペテロは彼に対してこのように激しい非難の言葉を語りながら、悔い改めと祈りをも勧めています。
シモン・マグスは、背教的で自己中心的で利己的なキリスト教世界の型であり、「滅びの子」、つまり反キリストの人格を体現しています。
シモンはこのように答えています。
「シモンは答えて言った。「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」
(使徒の働き8章24節)
シモンは恐怖に震えていました。
信じて震える悪霊のように、シモンは震えていました。
シモンの口からは告白の言葉も、自責の念もありません。
主への信頼を示すことも、赦しを求めることもありません。
悔い改めではなく、ただ恐れに突き動かされたのです。
神のみことばの中で、シモンについてこれ以上の記述はありません。
魔術師シモンについては、最古の資料、いわゆる教父たちの著作に多くの記述があります。
サマリア出身で、その約100年後に生きた殉教者ユスティノスは、シモンがグノーシス主義の教義に仕え、サマリア人が彼を神として崇拝していたと伝えています。
グノーシス主義は現代のクリスチャン・サイエンスに見られるものと同じです。
エピファニオスは、サマリア人の間で自分が神であると主張し、救世主を偽装していたと宣言しています。
他の資料によると、彼はその後、真理のより大きな敵となり、サマリアでの威信を失った後、ローマへ行き、そこで邪悪な運動を起こしました。
それはローマの真実な信者たちにとって苦痛と憎悪の種となりました。
シモンがローマでペテロと再会し、そこで最期を迎えたというのは単なる伝説に過ぎません。
シモンが悔い改めなかったことは確かです。
しかし、福音の流れは止まりません。
敵の行為は無に帰しました。
サンヘドリンで示された吠えたげる獅子、最初の迫害、そして偽りの魔術師シモンによるより狡猾な偽善、これらはすべて無に帰しました。
Ⅳ.サマリアの多くの村々における福音伝道
「このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた。」
(使徒の働き8章25節)
使徒たちは使命を果たし、帰路につきました。
その旅路で、使徒たちはサマリアで神の証人となるという神の使命を果たしました。
多くの村々が彼らの口から福音を聞き、喜びにあふれて福音を告げ知らせました。
多くの歓喜が起こりました。
使徒たちはサマリアを通られた主に従いました。
そして、この二人のユダヤ人が福音を告げ知らせ、サマリアの村々は大きな喜びに包まれたのです。
これが使徒の働きの中でヨハネについて記されている最後のことです。
ガラテヤ人への手紙以外では、彼の名前はヨハネの黙示録でしか出てきません。
V.ピリピとエチオピアの宦官
「ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。
「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」(このガザは今、荒れ果てている。)
そこで、彼は立って出かけた。
すると、そこに、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピヤ人がいた。
彼は礼拝のためエルサレムに上り、いま帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。
そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」と言った。
すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう。」と言った。
そして馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。
彼が読んでいた聖書の個所には、こう書いてあった。
「ほふり場に連れて行かれる羊のように、また、黙々として毛を刈る者の前に立つ小羊のように、彼は口を開かなかった。
彼は、卑しめられ、そのさばきも取り上げられた。
彼の時代のことを、だれが話すことができようか。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
宦官はピリポに向かって言った。
「預言者はだれについて、こう言っているのですか。どうか教えてください。自分についてですか。
それとも、だれかほかの人についてですか。」
ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。
「ご覧なさい。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。
水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。
それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。」
(使徒の働き8章26~40節)
この章の最後の部分には、ピリピの行為に関する興味深い記述が含まれています。
エルサレムでの働きを終えた後、教会の長であるペテロからサマリアへ伝道者として召されたペテロは、福音を宣べ伝え大いに用いられました。
救われた人の数については記録がありません。
ペテロがエルサレムで福音を宣べ伝えた当時、人数について言及されています。
(使徒の働き2章41節、4章4節)
それは、約束された王国に関連して、ユダヤ民族への提示であったからです。
しかし、エルサレムがその提示を拒否し、福音がサマリア、そして異邦人へと伝えられた今、人数についてはもはや述べられていません。
この時代において、福音を受け入れ、キリストのからだである教会の一員となる人の数は不明です。
現代の福音伝道のセンセーショナルな特徴の一つは、どれほどの改宗者が出たか、どれだけの人がカードに署名したか、あるいはより良い人生を送ることを約束したかといった報道です。
こうした方法がどのような偽りやその他の悪に陥るのかについては、ここで追及する必要はありません。
ピリピの働きは大いに祝福されました。
主に依存して、謙虚に、主のもとで行われるすべての働きは用いられことができます。
ピリポは、これほど成功を収めた伝道地を前に、定住して新しい改心者たちを力づけ、サマリアの他の地域にも働きかけることもできました。
しかし、福音伝道者の務めは、各地を巡り、福音を宣べ伝えることです。
ピリポは証しの場所を変えるように命じられます。
この命令は主の御使いによって彼に伝えられました。
それは、彼の道を導くために用いられた天からの使者でした。
御使いはピリポに目に見える形で現れたわけではありません。
なぜなら、聖書には御使いがピリポに話しかけたことが記されており、それ以外のことは何も書かれていないからです。
御使いのメッセージは、ピリポが進むべき道を告げました。
後の記述で、霊的な教えを伝え、宦官に対処するという問題では、御使いではなく聖霊がピリポに語りかけます。
御使いの指示により、ピリピは楽しい働きの場から離れて、寂しい砂漠の道へと導かれます。
ピリポはそのような呼びかけにどれほどの反対をしたはずです。
なぜピリポは、大勢の人々が喜んでピリポの話を聞き入れたサマリアの人口密集都市や村々を離れ、人の住まない地域、廃墟の町へと向かう旅に出て行かなければならないのでしょうか?*
*当時、ガザは廃墟となっていました。
ガザはパレスチナ最南端の要塞でしたが、紀元前4世紀にアレクサンダー大王によって破壊されました。
大王によって破壊されなかった部分は、紀元96年にマカバイ王国の王子アレクサンダーによって完全に陥落し、文字通り砂漠となりました。
しかし、ピリピはしもべとしての自分の立場を理解し、しもべの仕事は主人に従順であることだと理解していました。
主はサマリアにおられ、ピリポは主が蒔かれたものを刈り取りました。
しもべは、自分が労苦を惜しまずに刈り取るために遣わされたのです。
(ヨハネの福音書4章36~38節)
そして今、主の呼びかけに応え、しもべは従いました。
しもべは立ち上がって出発しました。
主に従うことは素晴らしいことであり、必ず祝福をもたらします。
このように言えるしもべは幸いです。
「わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。」
(ヨハネの福音書6章38節)
これが私たちの姿勢であり、心からの願いであるならば、主は私たちを導き、進むべき道を示してくださいます。
主に頼り、主に従うこのような生き方は真実に偉大であり、豊かな実りをもたらします。
従順なピリポは、この国の象徴とも言えるのです。
いつの日か、イスラエルの残された民は主の呼びかけに従って出陣し、良い知らせを伝えます。
その時、イザヤ書に記されていることが成就するのです。
「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。
聞け。あなたの見張り人たちが、声を張り上げ、共に喜び歌っている。彼らは、主がシオンに帰られるのを、まのあたりに見るからだ。」
(イザヤ書52章7、8節)
主は労苦に励むしもべに目を留め、彼を正しい道へと導いたと同時に、ガザへと向かう道を旅する、探究心と飢えた魂をも知っているのです。
その心と真理への渇望を知り、ピリポをこの魂と出会わせ、ピリポを通して宦官に光と祝福を恵みとして与えました。
そして、主はこのようにして今もなお働いておられます。
ああ、もっと子供のように主の導きに信頼を置きたいものです。
主の導きを見守り、些細なことにも主の御手を見ることは、幸いなことなのです。
ガザへの道を、おそらく隊商の一員として旅をしていたのは、エチオピア出身の男でした。
彼はエチオピアの女王カンダケのもとで大きな権威を持つ宦官であり、女王の財務官でもありました。
彼は礼拝のため、おそらくペンテコステの祭りに出席するためにエルサレムに来ており、馬車の中で預言者イザヤ書を読んでいました。
カンダケ女王がどのような人物であったか、また彼女の王国がエチオピアのどの地域に存在していたかは、ローマの作家プリニウスとギリシヤの地理学者ストラボンから知ることができます。
どちらの記録も、エチオピア人を統治した同名の女王が複数いたと記しています。
彼女の王国の長はメロエでした。
宦官は、光と祝福を求めてエルサレムに向かい、礼拝していた人々の一人です。
彼は満足することなく、依然として探求者であり続けました。
宦官であった彼は律法によって追放されており、イスラエルの会衆に入ることができません。
しかし、彼が読んでいたまさにその書物の中で、宦官にも祝福が約束されていました。
「主に連なる外国人は言ってはならない。「主はきっと、私をその民から切り離される。」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ。」と。
まことに主はこう仰せられる。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。」
(イザヤ書56章3~5節)
すると御霊がピリポに馬車に乗るようにと告げました。
エチオピア人はイザヤ書を声に出して読み上げ、ピリポは彼にこう尋ねました。
「あなたは、読んでいることが、わかりますか。」
彼は、あの極めて重要な53章のギリシヤ語訳を読んでいました。
羊のように屠殺場へ連れて行かれ、口を開かなかった方について読んでいました。
宦官は質問することで、聖書に対する無知を露呈しました。
彼は、その箇所が主のしもべ、イスラエルのメシアについて述べられていることを知らなかったのです。
「エルサレムにいた間、イエスについて何も聞かなかったとは不思議です。
あるいは、イエスについて知ったきっかけは、この時期にイザヤの預言の一節を学んだからでした。」*
* ライトフットによるヘブル語とタルムードによる使徒の働きの解釈があります。
その時、あの一人の道でピリポは彼にイエスの教えを説きました。
彼は同じ聖書から始めました。
それは実に良い出発点でした。
このように、ピリポが説いたメッセージは、イエスこそこれらの預言が成就した方であることを示すものでした。
この求道者の宦官はすぐに受け入れました。
律法によってイスラエルの会衆から排除されていた彼は、今や別の会衆に受け入れられ、主と結ばれ、救われた仲間に加えられました。
彼は信じてので、バプテスマを妨げるものは何もなく、自分からバプテスマを受けたいと願いました。
この聖句によってエチオピア人の口から語られた信仰告白は、パウロの先駆けとなりました。
キリストが神の御子であると初めて宣べ伝えられたのは、使徒の働き9章20節です。
「そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。」
(使徒の働き9章20節)
ペテロは、ナザレの拒まれたイエスが死から甦ったと宣べ伝え、ピリポはただイエスを宣べ伝えました。
神の御子の福音の完全性を宣べ伝えるのはパウロの役割であり、彼はガラテヤ人への手紙の中でその福音についてこのように書いています。
「私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」
(ガラテヤ人への手紙1章12節)
バプテスマが行われました。
ピリポと宦官は二人とも水の中に入り、水から上がると主の霊がピリポを連れ去り、宦官は彼を二度と見ることがありません。
ピリポの使命は達成され、今、奇跡的な出来事が起こります。
これは興味深い出来事です。
「取り去る」という意味のギリシヤ語は新約聖書の中で何度も使われており、それぞれ力による行為を意味します。
新約聖書には11回出てきます。
マタイによる福音書11章12節、13章19節、
ヨハネの福音書6章15節、10章12節、28節、
使徒の働き13章39節、23章10節、
コリント人への手紙第二12章2節、4節、
テサロニケ人への手紙第一4章17節、
ユダの手紙23節
ヨハネの黙示録12章5節です。
パウロが第三の天に携挙された記述の中で、また主が聖徒たちのために来られるという神の啓示(テサロニケ人への手紙第一4章17節)においても、この言葉が用いられていることは興味深いことです。
御業が成し遂げられた後にピリポが携挙されたことは、神の偉大な力によっていつの日か起こること、すなわち、すべての生きている信者が現在の働きの場から取り去られることの、小さな予兆です。
「雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです」とは、神のすべての子供たちにとって祝福された、差し迫った未来です。
この宦官はどうなったのでしょうか?
女王のもとへ行き、財務官の職を辞して、エチオピア全土を改宗させた偉大な伝道者になったのでしょうか?
伝承ではこれらのことを伝えていますが、神の記録は何も語っていません。
このようなことが詩篇にあります。
「使節らはエジプトから来、クシュはその手を神に向かって急いで差し伸ばす。」
(詩篇68篇31節)
この時について、その時も、その後も来ていません。
この成就は、キリストが地上を治める千年王国にのみ約束されています。
聖霊は宦官について、ほんの短い一文を述べています。
しかし、それは真理の知識を受け入れ、福音を信じたエチオピア人について、聖霊が語られた最も貴重な言葉です。
「喜びながら帰って行った。」
(使徒の働き8章39節)
彼にはキリストがおり、言葉に尽くせないほどの喜びと栄光に満ちた旅立ちが当然でした。
そして、愛する読者の皆様、この一文はすべての真実な信者の経験を言い表しています。
もし私たちがキリストを所有し、キリストのものであり、キリストが私たちのものであるなら、もし私たちが救われ、安全であり、私たちの前に栄光だけが待ち受けていることを知っているなら、私たちも喜びながら旅立ち続けるのです。
そうです、たとえ試練と困難が私たちの道を囲んでいても、主にある喜びこそが私たちの分け前でなければなりません。
それを失うことは、主と福音をはずかしめることです。
ピリポはガザの北約32キロ、アゾトスで発見されました。そこから彼は福音を宣べ伝え始めました。
多くの都市に彼の声が届きました。
これらの沿岸都市には多くの異邦人が住んでおり、ヤムニア、リダ、ヨッパ、アンティパトリスといった大都市も含まれています。
キリストの日は、この偉大な福音伝道者の働きと報いを明らかにされいます。
その後、彼はカイザリヤに来ました。
しかし、そこで止まったのでしょうか?
それは分かりません。
20年後、私たちは彼をカイザリヤで見つけ、パウロがピリポの客人であったことを知ります。
9章
前の章の主要部分は注意書きとして見ることができます。
記録は今、7章の終わりへと戻り、そこで起こった大惨事に関わった人物が、私たちの前に大きく取り上げられています。
その悪行の目撃者たちは、サウロという名の若者の足元に衣服を置きました。
この注目すべき人物について言及されるのはこれが初めてです。
また、彼がステパノの死に同意していたことも分かります。
彼は教会を荒廃させ、男女を問わず多くの人々を投獄しました。
散らされた信者たちがユダヤ全土に福音を伝えていましたが、ピリポはサマリアに下り、大きな成果をあげながら福音を宣べ伝えていました。
そして、ペテロとヨハネがサマリアの村々で宣べ伝えていましたが、サウロは迫害の働きが続けて行われていました。
このことは、この章の冒頭の詩から分かります。
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、」
(使徒の働き9章1節)
この偉大な迫害者の改心と、復活して栄光を受けた主から異邦人への使徒となるよう召されたことが、次に記されている出来事です。
これは、ペンテコステの日に聖霊が注がれたことに次いで、使徒の働きに記録されている最も大きな出来事です。
サウロの改心に関する最も重要な記述を解説し、そこから得られる非常に興味深い教訓を指摘する前に、使徒の働きの残りの部分で主導的な役割を果たす若者について簡単に説明しておくのが適切だと思います。
サウロはキリキアの首都であり、古い街であったタルソスで生まれました。
その都市には、主に哲学の研究に特化した大きな大学がありました。
ヨセフスはユダヤ文献と一致して、この都市をヨナが逃亡を試みたタルシシュと同一視しました。
サウロはしばしば「ヘレニスト」、つまりギリシヤ系ユダヤ人と呼ばれてきました。
しかし、これは彼の言葉「ヘブル人の中でのヘブル人」によって容易に説明できます。
彼はパリサイ派に属しており、彼の父親も同様の階級に属していました。
サウロは「私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です」と呼んでいるからです。
(使徒の働き23章6節)
サウロはユダヤ教の厳格な戒律に従って育てられました。
律法の遵守と長老たちの伝統はすべて、サウロにとって良心的なものでした。
サウロはガラテヤ人への手紙の中で、福音の偉大な後押しを記した際に、この事実を念頭に置いています。
「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。
また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。」
(ガラテヤ人への手紙1章13、14節)
サウロはまた、ピリピ人への手紙の中で、神の恵みと力によって改心する前の自分の生活についても証言しています。
「私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」
(ピリピへの手紙3章5、6節)
この若いパリサイ人は、イスラエルの神とその約束、そしてイスラエルの運命を強く信じていました。
この信仰は、神への熱意という形で外に表れていました。*
* パウロが肉に従って兄弟たちを捕らえたと語っているのと同じ熱意によって、彼も捕らえていました。
「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。
というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。」
(ローマ人への手紙10章1~3節)
このように、サウロは人種の誇りと神に対する熱意に満ちていました。
知識はなく、義を達成し、律法の条文を遵守し、それを成就しようと努めていた。
しかし、律法に対して不忠実であると彼が考えていたものに対しては激しい憎悪を抱いていました。
故郷タルソスで、サウロはギリシヤの習慣、生活、文学、芸術、哲学に深く精通しました。
タルソスの地場産業は天幕作りで、天幕はヤギの毛で作られていました。若きサウロはこの技術を習得しました。
少年たちに特定の技術を教えるのは、古代ユダヤの慣習です。
サウロの家系は非常に影響力があり、裕福だったと考えられます。
エルサレムに住む既婚の妹がおり、彼女は非常に強いコネを持っていたはずです。
「ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた。」
(使徒の働き23章16節)
タルソのサウロはローマ市民権も持っていました。
これは大変な名誉であり特権でした。多額の金銭で買うこともできました。
パウロは鞭打ちを受けようとした時、自分がローマ市民権を持っていることを口にしました。
ギリシヤ人であるクラウデオ・ルシヤという名の千人隊長はこのように言っています。
「すると、千人隊長は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ。」と言った。そこでパウロは、「私は生まれながらの市民です。」と言った。」
(使徒の働き22章28節)
囚人は隊長よりも高い名誉を受けていました。
クラウデオ・ルシヤが恐れたのも無理はありません。
彼の家族は、何らかの優れた功績に対する功績の証、あるいは褒賞として、ローマ市民権を授けられていたと思われます。
サウロはエルサレムで宗教教育を受けました。
彼自身の言葉をもう一度聞いてみましょう。
「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町(エルサレム)で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」
(使徒の働き22章3節)
ガマリエルはパリサイ派の最も偉大なラビであり、サンヘドリンの長でした。
彼はシモンの息子であり、高名なヒレルの孫でした。
彼の名前は既に第5章で見受けられます。
彼はその学識によって高く評価されていました。
タルムードには「彼が死ぬと、トーラー(律法)の尊厳は失われ、純粋さと信心深さは消滅した」と記されています。
この偉大で学識のある人物の足元には、タルソのサウロが座っていました。
サウロがエルサレムで非常に尊敬され、民の指導者たちと親しかったことは、彼に託された手紙やダマスコへの使節団の派遣から明らかです。
彼は評議会のメンバーでもあったかもしれません。
「彼は投票した」と記されているからです。
「そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼ら(クリスチャン)が殺されるときには、それに賛成の票を投じました。」
(使徒の働き26章10節)
彼の外見について少し触れておくのは興味深いかもしれません。
彼はしばしば背が高く、ハンサムな男性として描かれてきました。
しかし、コリント人への手紙第二10章10節には、そうではないことが記されています。
コリントの人々はギリシヤ人の運動能力の高い体型に慣れていました。
彼らはパウロについて、このように言っていました。
「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」
(コリント人への手紙第二10章10節)
1世紀末に遡る非常に古い外典「アクタ・パウリとテクラ」には、彼の人物像に関する興味深い記述があり、おそらくは真実だと思われます。
「中背の男で、髪はパサパサ、脚は曲がっており、青い目、大きくひきつった眉、そして長い鼻を持ち、時に人間のように見え、時に御使いのように見えました。」
さて、それでは目の前の章に移りましょう。
この章は5つの部分に分かれています。
Ⅰ.ダマスコへの道における栄光の幻(使徒の働き9章1~9節)
Ⅱ.アナニヤへの召命(使徒の働き9章10~16節)
Ⅲ.サウロは聖霊に満たされ、バプテスマを受け、イエスが神の御子であることを宣べ伝えました。(使徒の働き9章17~22節)
Ⅳ.サウロは迫害され、エルサレムに戻ります。(使徒の働き9章23~30節)
V ペテロのさらなる働き(使徒の働き9章31~43節)
Ⅰ.ダマスコへの道における栄光の幻
「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、
ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。」
(使徒の働き9章1~9節)
その時、私たちは、主の弟子たちに対する憎しみの頂点に達したこの若いパリサイ人の姿を見ることができます。
このパリサイ人は脅迫と殺戮の言葉を吐いています。
彼の目的は、すべてのユダヤ人を絶滅させたいと願ったアガグ人ハマンとほぼ同じです。
同様に、サウロは主を信じる者たちを絶滅させることに固執していました。
サウロがダマスコへ送る手紙を大祭司のもとに求めたという事実は、彼がエルサレムにおける迫害と散らしの働きはほぼ完了したと考えていたことを示しています。
ダマスコには大きなシナゴーグがいくつかありました。
この町はエルサレムと常に連絡を取り合っていたため、ダマスコのユダヤ人たちは、つい最近エルサレムで起こった驚くべき出来事について、多くのことを耳にしていたはずです。
ペンテコステの日には、おそらく多くのダマスコのユダヤ人がエルサレムに集まり、ペテロの口からメッセージを聞いた人もいたと思われます。
福音は瞬く間に広まり、信者たちはローマにも早くから現れました。
その中には、パウロの改心以前からキリストにあったアンドロニコとユニアスもいました。
「私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。」
(ローマ人への手紙16章7節)
ダマスコには、イエスをキリストと信じるユダヤ人が相当数いたと思われます。
しかし、彼らは会堂から離れることはしていません。
彼らの指導者はアナニヤだと思われます。
パウロは後に彼について、このように述べています。
「すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。」
(使徒の働き22章12、13節)
サウロが主イエス・キリストを信じる者を逮捕するよう命じられたという知らせは、彼にもすでに伝わっていました。
純粋にアナニヤは主にこのように告げました。
「彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
(使徒の働き9章14節)
きっと、彼らはこの大迫害者からの救いを熱心に祈ったはずです。
純粋には手紙を受け取り、燃えるような憎しみに満ちた心で旅に出ました。
そして今、神の驚くべき恵みと救いの力が現れます。
イスラエルは国家として救いの提示を拒否し、ステパノの死は、寛大な提示の終焉を告げました。
しかし、神はさらに豊かな恵みと偉大な愛を示されます。
サウロはキリストを拒否した国民に属していただけでなく、この拒絶にも加担していました。
いわば、彼は神のキリストに対するあらゆる憎しみと悪意の先頭に立っていました。
サウロは全国民の盲目、不信仰、そして憎しみを具現していました。
まさに敵であり、最大の敵であり、罪人の首謀者でした。
このような者を救えるのは、確かに恵みのみです。
それは、タルソのサウロの改心において示された恵みであり、サウロが栄光を受けたキリストの幻によって初めて知ることのできる恵みであり、その後も宣べ伝え、他の人々に伝え続けられる恵みです。
ゆえに、パウロはこのように言うことができたのです。
「しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。」
(テモテへの手紙第一1章16節)
そして、ダマスコへの道で起こった驚くべき出来事を、ステパノの死に際の祈りに対する直接の答え、そして最初の殉教者の血の最初の実として見ることもできます。
ステパノは天が開くのを見ました。イエスが神の右に立っておられるのを、そしてその栄光を見ました。
先ほども述べたように、若いパリサイ人サウロはそばに立っており、天の栄光を映し出す、御使いのような顔を見ました。
サウロはステパノがこの偉大な幻について証言するのを聞き、降り注ぐ石の雨の下にひざまずいた時、ステパノは若いパリサイ人サウロの暗い顔を見たのかも知れません。
ステパノは、この邪悪な行為に加担したすべての人々のためにキリストのような祈りを捧げました。
「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」
(使徒の働き7章60節)
そして今、天は再び開かれました。
罪人のかしら、敬虔なユダヤ人、イエスの名とイエスを信じるすべての者を憎んだ彼が、今、開かれた天を見つめ、自分が迫害した方の栄光と御人格を見るだけでなく、その御声を聞くことになります。
驚くべき無限の恵みがここにあります!
神の聖徒ステパノは開かれた天と主イエス・キリストを見ました。
次に天が開かれ、主を仰ぎ見、その御声を聞く者こそ、罪人のかしらです。
ダマスコへの道で起こった出来事は特異なものでした。
サウロの改心は、他のいかなる改心とも異なります。
そして、それ以来、このような出来事は起こっていません。
預言の言葉は、将来、より大規模に繰り返されることを保証しています。
天は再び開かれます。
開かれた天からは、万王の王、万主の主の栄光が再び輝き出します。
主は、その栄光のうちに、再び姿を現します。
そして、イエスが天の雲に乗って来られる時、地上にはまだ盲目の民、残された者たちがいて、サウロのように栄光ある幻を見るのです。
その時、ゼカリヤ書12章10節に書かれていることが成就します。
「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」
(ゼカリヤ書12章10節)
主が二度目に現れた時、彼らはトマスが見たように、釘の跡と刺し貫かれたわき腹を見るのです。
その再臨についてこのように記されています。
「見よ、彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。」
(ヨハネの黙示録1章7節)
これは未来の出来事です。
イエスを刺し貫いた者たち、つまりイエスの民は、その日にイエスを見るのです。
そしてそれは、その時代に生きる全イスラエル、全国民にとって素晴らしい救いとなります。
ヨハネの福音書19章には、主が十字架につけられた時に成就した箇所が数多くあります。
「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見」という聖書の言葉については、聖霊は成就という言葉を避けこのように置き換えています。
「また聖書の別のところには、「彼らは自分たちが突き刺した方を見る。」と言われているからである。」
(ヨハネの福音書19章37節)
したがって、サウロの改心はイスラエルの人々の国家的改心の偉大な型です。
ダマスコへの途上でサウロに突然現れた幻は、聖書全体の中でも最も偉大な幻の一つであり、不信仰者を困らせてきました。
あらゆる種類の異教徒、ルナンのようなフランスの合理主義者、改革派の合理主義的ユダヤ教徒、そして最悪なことに、破壊的な聖書批評の支持者たちは、この出来事を何らかの自然な方法で説明しようと試みてきました。
ルナンは著書「使徒たち」の中で、神経が張り詰めた良心の呵責、旅の疲労、灼熱の太陽で目が焼け、突然の発熱が幻覚を引き起こしたと述べています。
そして、このナンセンスは今日まで語り継がれています。
他の批評家たちは、彼を襲ったのは雷雨で、稲妻が彼の目をくらませたのだと主張しています。
この稲妻の中で、彼はキリストを見たと想像しています。
この話は、説教壇に立つ批評家たちによって説教されています。
また、他の人々は、サウロの幻を何らかの身体的な病気で説明しようとしました。
ユダヤ人をはじめとする人々は、サウロがてんかんを患っていたと主張しました。
ギリシヤ人はこれを「聖なる病」と呼んでいます。
この病はサウロを恍惚状態に陥らせ、それが異邦人の聴衆に大きな感銘を与えたのではないかと彼らは言います。
そのような発作の中で、サウロは幻を見、声を聞いたと想像したのです。
こうした意見やその他の意見はすべて、偽りの父なる神から語られた幼稚な作り話です。
実際、サウロの改心はキリスト教の偉大な奇跡であり、その証拠の一つなのです。
タルソのサウロの改宗の重要性と意義、またその出来事の典型的かつ預言的な側面を学んだ後、今度はその出来事を詳しく調べることにします。
9章には、ダマスコへの道で起こった出来事の完全な記録は含まれていません。
使徒パウロ自身も、22章5~16節と26章12~18節で自身の経験を二度述べています。
また、コリント人への手紙第一15章8節、ガラテヤ人への手紙1章15~16節、テモテへの手紙第一1章12~13節でも、自身の改心について簡潔に述べています。
サウロの改心に関する三つの記述には意味がないわけではありません。
私たちの前にある9章は最も短く、歴史として使徒の働きに具体化された出来事の歴史的記述にすぎません。
22章の記述は、パウロによってヘブル語で語られました。
これは最も長い記述であり、ユダヤ人に宛てられたものです。
26章の記述は、ローマ総督フェストとユダヤ王アグリッパの前で語られ、ユダヤ人と異邦人の両方に宛てられています。
しかし、これら3つの記述には矛盾や意見の相違があるのではないでしょうか?
まさに聖書の霊感を否定する人々は、このように主張してきました。
相違点はあっても、内容の相違はありません。
これらの相違点自体が、霊感の証拠です。
しかし、相違点は、出来事の事実が提示される方法での違いに過ぎません。
これらの記述について考察する際に、この点を指摘しておきます。
ダマスコ近郊で、突然、天からの光が神の教会の大迫害者の周囲を照らしました。
この記録には、それが起こった時刻については何も記されていません。
この書の3番目の記述の中で、使徒はそれが起こった日の出来事について次のように述べています。
「その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。
それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。」
(使徒の働き26章13節)
太陽が最も明るく輝く時間帯でした。
まばゆいばかりの光線が、サウロとその仲間たちが旅する道を照らしました。
サウロは狂気に駆られ、憎しみをさらに露わにする街へと辿り着くことを切望しながら、突き進んでいました。
その時突然、真昼の太陽の光よりもはるかに明るい光が、彼と仲間たちの周囲を照らしました。
その光は天から降り注ぎ、栄光の主の栄光でした。
ベツレヘムの野原では主の栄光が羊飼いたちの周りを照らしていました。
しかし、ここでは死んで復活した方の栄光、天に入って神の右に座した方の栄光が輝いています。
サウロはその栄光の光の下で地に倒れました。
人間には耐えられないほどでした。
彼は地面に平伏しました。彼と一緒にいた者たちも同様に倒れました。
パウロは彼ら全員が地に倒れたと記しています。
「私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。
『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』」
(使徒の働き26章14節)
これが矛盾点の一つとされています。
パウロは自分の記述の中で、一行が全員倒れたと述べていますが、この記録では、パウロと一緒に旅をした男たちが声も出ずに立っていたと述べられています。
「同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。」
(使徒の働き9章7節)
この章では、パウロの仲間たちが立っている場面が描かれていますが、パウロは後に彼らが倒れたと述べており、食い違いだと主張されています。
ディーン・アルフォード氏のような注意深い解説者でさえ、この点に難しさを感じているようです。
しかし、そもそもなぜこのような難しさがあるのでしょうか?
パウロが記した出来事には、彼の身に起こった出来事のすべてが記されています。
彼は、天から栄光の光が輝いた時、皆が地に倒れたと語っています。
この事実は、この歴史的記述では省略されています。
サウロと共に旅をしていた人々が、主が彼に語りかけられた後、言葉を失い立ち尽くしていたことが分かります。
光が彼らの上に輝いた時、彼らが立っていたとは書かれていません。
そんなことはあり得ません。
園で主を捕らえるために追いかけた一団が、屈辱の人である主が荘厳な「わたしはある」(ヨハネの福音書18章6節)と声を上げました。
その時、後ずさりしたのであれば、天の栄光が彼らの上に燦然と輝いた時、彼らは地に倒れたはずです。
この聖句は、パウロの仲間たちが起こったことに驚き、一時的に言葉を失ったことを物語っています。
彼らは地に倒れましたが、今や立ち上がり、言葉を失いました。
サウロはその明るい光の中から声を聞きました。
その声はヘブル語で話していました。
これは、フェストとアグリッパの前でパウロが行った演説から分かります。
その声はサウロの名を呼びました。
天から語る方は、サウロのことを完全に認識していました。
サウロが悪事を働き、迫害し、キリストを信じる者たちに憎しみを向けてきた間、その目はサウロを見守り、追っていたのです。
サウロは沈黙を守っていました。
サウロの悪行に干渉することもしていません。
しかし今や、沈黙は保てません。
しかしそれ以上に、サウロは主を見たのです。
開かれた天の中で、周囲を照らす大いなる光の中で、サウロは、語られた方、栄光の中の人を見ました。
主イエス・キリストがサウロに現れました。
御父の栄光の中の神の御子がサウロに示されました。
この記録は実際の幻については何も語っていませんが、他の聖書箇所からこれらが事実であることは明らかです。
アナニヤは後にサウロにこのように語りかけました。
「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。」
(使徒の働き9章17節)
この章の別の節ではバルナバがこのように言っていることが分かります。
「彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、」
(使徒の働き9章27節)
そして26章16節では、主御自身がサウロにこのように語られました。
「わたしがあなたに現われたのは、」
(使徒の働き26章16節)
より直接的な証言として、コリント人への手紙第一15章を見ることができます。
そこでパウロは、復活のさまざまな証人について言及した後、次のように述べています。
「そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。
私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。」
(コリント人への手紙第一15章8、9節)
パウロは主の復活の栄光を目にし、直接の召命に加え、これによって使徒とされました。
なぜなら、彼は今やイエス・キリストの復活のふさわしい証人となったからです。
「私には自由がないでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。」
(コリント人への手紙第一9章1節)
サウロは地上を歩いていた時、主を直接知っていたのでしょうか?
当時サウロはエルサレムにいたので、そこで主を見たはずです。
コリント人への手紙第二5章16節は、このことを示していると思われます。
「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。
かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」
(コリント人への手紙第二5章16節)
地上であれほど優しく語りかけたのに、彼が聞くことを拒んだ声が、栄光の中から彼に語りかけました。
「彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
(使徒の働き9章4、5節)
ダマスコへの道で、驚くべき出会いが起きました。
国民のために命を捧げた主(ヨハネの福音書11章51節)と、国中の憎しみの頂点にいた、理由もなく主を憎む者が、今、互いに顔を合わせました。
*サウロの目は栄光のその姿を見ました。
*サウロの耳は彼の唇から出た言葉を聞きました。
*天から降ってきた言葉は、厳格な裁判官の言葉ではありません。
それは哀れみ深く慈愛に満ちた救い主である主の声です。
かつて園で堕落した人間に「あなたはどこにいるのか」と呼びかけた方と同じ声です。
神の教会を迫害したサウロは当然の怒りを受けるべき者でした。
裁きと怒りの代わりに、恵み、無限で計り知れない恵みがサウロを迎えました。
サウロは、これから先、その限りない豊かさを宣べ伝えるために選ばれた器です。
サウロはその恵みを、まず味わわなければなりません。
復活し栄光を受けた救い主から流れ出る恵みは、まずサウロの中に現れました。
恵みの可能性、恵みの豊かさは、ダマスコへの道における偉大な出来事において、まさに完全に実証されました。
その後、彼は勝利の雄叫びを上げ、このように宣言しています。
「「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。」
(テモテへの手紙第一1章15、16節)
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」
天から声が聞こえました。
サウロはどのようにその問いに答えたのでしょうか?
答えようがありません。
若いパリサイ人の震える唇から「主よ。あなたはどなたですか」という問いが聞こえました。
サウロが目にした、かつてイスラエルのただ中に宿っていた栄光の光に包まれ、天から輝いているその方は、他でもない主です。
そこで、ひれ伏したサウロは主を「主」と呼びました。
すると主は愛に満ちた恵みをもって彼に答えられました。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
震える質問者の頭上に、恐るべき真実の全貌が今、明らかになります。
善を行い、悪魔に苦しめられていたさまざまな人々を癒したイエスがいます。
「このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」
(使徒の働き10章38節)
十字架につけられたイエス、国民に拒まれたイエスがいます。
サウロは、ステパノが死に際に自分の霊を託したイエスを憎み、そして、ステパノを憎み、残酷に弟子たちを迫害しました。
彼らの主張していたイエスこそが主です。
十字架にかけられ、悪人の一人に数えられ、恥ずべき死を遂げたその方は、今も生き、栄光のうちに神の右に座しておられます。
そして、倒れた迫害者に「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という簡潔な答えが突きつけることは、驚くべき啓示です。
律法を遵守していると豪語していた彼は一体何者だったのでしょうか?
律法に関してはヘブル人の中でもヘブル人、パリサイ人、パリサイ人の息子であるサウロは一体何者だったのでしょうか?
まさに神の敵であり、罪人のかしらだったのです。
天からの栄光、そして御自身を主イエスと宣言し、語りかけたその声は、イスラエルと肉の盲目さ、邪悪さ、そして敵意が、完全に明らかにされました。
もし、これをさらに詳しく述べるならば、パウロの手紙に収められている、神の息吹を受けた福音の教えのすべてを網羅する必要があります。
パウロが説いた福音、彼が「私の福音」と呼んだこの恵みと栄光の福音は、この使徒を通して書かれた偉大な教義の書簡の中で聖霊が祝福して教えているものです。
すでにダマスコへの道での出来事に要約されています。
パウロは後にガラテヤ人への手紙の中で、この福音書の素晴らしい擁護について次のように書いています。
「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」
(ガラテヤ人への手紙1章11、12節)
彼が受けた福音は、天からの栄光の閃光の中で初めて啓示されました。
それは祝福された神の栄光の福音です。
人間はそれに何ら関与することも、分け前を得ることもありません。
すべてが神のものであり、すべてが神の恵みなのです。
しかし、コロサイ人への手紙1章でパウロは、自分が福音の使徒であるだけでなく、神のからだである教会の使徒職というもう一つの使徒職が自分に与えられていると述べています。
恵みの福音と教会に関する真理、そして昔から隠されていた奥義の二つが一体となり、分かちがたく結びついています。
神はこの二つを通して、キリスト・イエスにおける神の恵みの完全さと豊かさを語っておられます。
「豊かな手紙」と称されるエペソ人への手紙において、聖霊は福音と教会の真理という二つのものを一つの素晴らしい宝石へと融合させているのです。
ここで、選ばれた器である道の埃の中にいる人は、自分が伝えるべき偉大な啓示を初めて知ることになります。
パウロがローマの牢獄から書いているのを聞いてください。
「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。
あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。
先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私に知らされたのです。
それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよくわかるはずです。
この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。」
(エペソ人への手紙3章1~5節)
その奥義とは、キリストのからだとしての教会です。
信じる罪人は皆、キリストのからだの一員です。
道でサウロに語りかけた栄光の主キリストは、そのからだ、教会のかしらです。
キリストは御自身の体の一つ一つの中に宿り、そこに御自身の命があります。
そして、信じる者は皆、キリストの中にいます。
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」
(ヨハネの福音書15章4節)
そして、この偉大な隠された謎は、この素晴らしい出来事の中で初めて明らかにされたのです。
「彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
狂気のユダヤ教徒、タルソのサウロによってエルサレムから追放され、牢獄に入れられ、死刑に処された、貧しく、憎まれ、軽蔑されていたナザレ派の人たちは、栄光のうちに主と一つです。
彼らは主と一体であり、主も彼らと一体でした。
彼らの迫害は主の迫害を意味し、彼らの苦しみの中で主も苦しまれています。
彼らは主のからだの一部であり、そのからだは存在しています。
「立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへ連れて行った。
彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。」
(使徒の働き9章6~9節)
何年も前、ある貧しい盲目のユダヤ人が福音集会に出席していた時のことを覚えています。
彼は新約聖書が矛盾していると主張し、その中でサウロの仲間についての記述と、次の箇所を引用しました。
「私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。」
(使徒の働き22章9節)
彼はこれを意見の相違と呼びました。
彼よりもはるかに盲目な高等批評家たちも同じ主張をしています。
しかし、意見の相違などありません。
ルカは簡潔な記述の中で、人々が声を聞いたと述べています。
しかしパウロは、彼らが「私に語っている方の声」を聞いていないと述べています。
彼らは会話を聞き取っていませんが、声の音は聞こえました。
その声そのものを彼らは理解していません。
ヨハネの福音書12章28、29節はそのことを完璧に説明しています。
「そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」
そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ。」と言った。」
(ヨハネの福音書12章28、29節)
父が言ったことを聞き取ったのは御子だけでした。
つまり、人々は声の音は聞き取れましたが、何を言っているのかは聞き取れません。
サウロだけが天の声を聞いたのです。
するとサウロは立ち上がり、すぐに従順になりました。
それは、主の驚くべき恵みによって奴隷となった彼にとって最初の従順の行為です。
しかし、目が開かれると、そこには誰もいません。
主とその栄光の幻が彼の目を覆い、仲間たちが彼の手を取り、導かなければならなかったのです。
驚くべき大きな変化が起きました。
ダマスコへと突き進んでいた、自己満足と誇りに満ちたパリサイ人は、まるで子供のように無力になっていました。
人々を導く者が、今や導かれる義務を負うことになりました。
彼が大祭司から持ってきた手紙はどうなったのでしょうか?
もしかしたら、すぐにサウロはそれを投げ捨ててしまったのかもしれません。
サウロに降りかかった盲目には、霊的な意味合いもあります。
それは、サウロの人生における栄光の幻を見た結果を示しています。
サウロは地上の物事に対して盲目だったのです。
ある天文学者が太陽の光を長時間見つめすぎて失明したという話があります。
しかし、彼を包んでいたのは暗闇ではなく、天空の輝く太陽の球体が常に彼の目の前に輝いていました。
どこを見渡しても太陽が見えました。
真夜中に目が覚めても、燃えるような太陽の球体が彼の目の前にありました。
そして、栄光を体験したパウロにとって、彼の目的はただ一つ、栄光の中のあるキリストとキリストの栄光でした。
イエスは変貌の山にいた弟子たちのように、「だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった」(マタイの福音書17章8節)のです。
神の御子の恵みと栄光の福音は、私たちの目に見えるものから目をくらませなければなりません。
サウロは三日間、目が見えなくなり、食べることも飲むこともできません。
ヨナのように、墓場を通り抜けているようなものでした。
この三日間、サウロはどんな思いと経験をしたでしょうか?
暗闇に閉じ込められ、大きな魂の鍛錬を受けたと思います。
しかし、サウロは神の御手の中に安らかに守られていました。
そして、間もなくサウロは「私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子」(ガラテヤ人への手紙2章20節)を証しすることになりました。
Ⅱ.アナニヤへの召命
「さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。
彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
しかし、アナニヤはこう答えた。「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
しかし、主はこう言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。
彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」」
(使徒の働き9章10~16節)
今、ダマスコへの道でサウロに恵みをもって出会った主は、彼に先立って町へ向かわれています。
そこには、律法に忠実で敬虔な弟子が住んでいました。
彼は律法に忠実で、その町に住むすべてのユダヤ人から良い評判を得ていました。
「律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人」
(使徒の働き22章12節)
主イエス・キリストのこの敬虔な信者は、サウロを心配させる幻を見ました。
ある人はこのように言いました。
「家の主人である主イエスはサウロを自分の家族に加えるための準備は完了していました。」
とても大きな変化です! いつか主の御前で、隠されていたすべてのことが明らかにされています。
その時、サウロの憎しみは特にダマスコの集会の指導者であったアナニヤに向けられていたことがわかると思います。
サウロはアナニヤと主の名を呼ぶ者たちすべてを縛り、牢獄に入れようとしていました。
しかし、今、アナニヤは自分たちを捜し迫害するために来たサウロを捜しに行くようにと告げられます。
幻の中でアナニヤに語りかけたのは主です。
この弟子が主に与えた子供のような落ち着いた答えは、彼の祈りの生活が簡素で現実的であったことの証拠です。
主はアナニヤに、サウロの居場所を指示されました。
「まっすぐ」と呼ばれる通りにあるユダの家で尋ねるように示されました。
しかし主はさらに、サウロにも幻があるとアナニヤに告げられました。
「そこで、彼は祈っています」というのは、主がアナニヤについて与えられた心温まるメッセージでした。
それはサウロにおける新しい命の現れです。
サウロの祈りは、おそらく光と救いを求める祈りだったと思います。
主はその祈りに応えて彼に幻を与えました。
サウロはアナニヤがやって来て、彼に手を置くと、見えるようになるのを見ました。
「この場合のアナニヤとサウロの幻のように、互いに一致する一対の幻は、裏切りの幻想の疑いをすべて取り除くことができたのです。」*
* NTのベンゲル・ノーメン
アナニヤがこの使命に選ばれたことは非常に意義深いことです。
7章で学んだように、サマリア人はペテロとヨハネがエルサレムから来るまで聖霊が彼らに降りるまで待たなければなりません。
タルソのサウロの場合にも、使徒たちが必要だったことは明らかです。
しかしながら、ペトロ、ヨハネ、そして他の使徒たちは、サウロの改心、バプテスマ、そして聖霊の賜物に関して述べられていません。
彼らに代わって、謙虚で無名の弟子が主から召命を受け、行動を起こしました。
しかし、サウロは使徒と呼ばれ、使徒の中で最も偉大な者として選ばれたのです。
使徒継承と権威を主張する儀式主義的なキリスト教世界にとって、これは説明が困難です。
パウロの使徒職について、このように述べられているからです。
「私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。」
(ガラテヤ人への手紙1章1節)
エルサレムとそこにいた使徒たちは、彼の事件とは全く関係がありません。
タルソのサウロに手を置くために選ばれたのは、使徒でもなく、聖書にもその名前が二度と出てこない人物でした。
ここに、パウロの使徒職がどのようなものになるのかが初めて示されています。
彼がペテロに会うためにエルサレムへ行ったのは、この出来事から3年後のことです。
それは、パウロの使徒職を確認するためではありません。
アナニヤは主に答えました。
サウロの悪評はダマスコにまで広まっていきました。
エルサレムを去らざるを得なかった苦難に苦しむ信者たちの中には、ダマスコに避難所を見出した者もいました。
そして、アナニヤは、そのすべてを素朴で自然な口調で主に告げました。
彼に課せられた任務はあまりにも重すぎると思われ、彼はこの男について聞いたことを主に伝えました。
これは愚かな行為だったと断言されています。
もちろん、主はサウロのことをすべてご存知でした。
アナニヤが知ることなど到底及ばないほど、サウロが行った悪行を主はよくご存知でした。
さらに、主はアナニヤにサウロが祈っていることを告げておられました。
なぜ、アナニヤは呼びかけに抵抗し、全知の神に向かってこのように語ったのでしょうか?
そこには不信仰も含まれ、肉体の弱さも明らかになっています。
しかし、同時にそれは私たちの心に喜びをもたらすものでもあります。
主は哀れみ深く、アナニヤの不信仰な返答を叱責されません。
主は御自分のしもべの弱さを忍び、祈りを捧げるサウロの将来の運命を彼に知らせてくださいました。
私たちもまた、全能全知の主である神に祈りを捧げる時、疑いと恐れに駆られ、その恵み深い指示に疑いなく従うことをためらってしまいます。
祈りを怠ってしまうこともよくあります。
アナニヤのように、私たちも神の愛と寛大さに気づいていないのかも知れません。
主は御自分のしもべを信頼し、サウロのこと、そして彼の将来について告げられました。
サウロは選ばれた器であり、あらゆる名にまさる御名を、異邦人、王たち、そしてイスラエルの子らに知らせる者となりました。
イスラエルの民が最後に述べられ、異邦人が前面に出ていることは重要です。
使徒パウロはユダヤ人に説教し、彼らの会堂にも行きましたが、異邦人の使徒として、彼の使命は異邦人に向けられました。
御名のために彼が受けた苦しみも、主によって同じように告げられています。
そしてここで忘れてならないのは、サウロとその生涯についてすべて知っていた同じ主が、私たちの主でもあり、私たちを知っており、私たちのための計画をも知っておられることです。
サウロは自分を「罪人のかしら」と呼ぶことを喜びとしています。
この事実から、私たちは大きな慰めを得ることができるのです。
Ⅲ.サウロは聖霊に満たされ、イエスにバプテスマを施し、イエスが神の御子であると宣べ伝えました。
「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、
食事をして元気づいた。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。
そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。
これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。「この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。」
しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。」
(使徒の働き9章17~22節)
主はアナニヤに「尋ねなさい」と言われました。
アナニヤは主の道を進みました。
彼は主の指示に従い、幻で示された場所で、傷ついたサウロをすぐに見つけました。
タルソのサウロとアナニヤの二人は、今、顔を合わせています。
サウロはまだ目が見えなく、訪問者の姿は見えません。
しかし、主が彼の来訪についてすべてを告げ、名前まで明らかにしておられたので、辛抱強く待っていました。
そしてアナニヤは、かつて神の教会を迫害していた者(ガラテヤ人への手紙1章13節)が、無力な状態に陥っているのを目の当たりにしました。
二人は互いに紹介される必要などありません。
主がそのようにしてくださったのです。
アナニヤがサウロに話しかける方法は非常に貴重です。
「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。
「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。
あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」」
(使徒の働き9章17節)
アナニヤは彼を「兄弟」と呼びました。
御業は成し遂げられ、主を見た若いパリサイ人は、まさに今や「愛する兄弟」となりました。
神の恵みは、この中に鮮やかに描かれています。
アナニヤへの告白も、叱責も、告発も、タルソのサウロからの何ものもありません。
恵みは彼を救い、主にある兄弟とされました。
そして今、按手によって彼の盲目は取り除かれ、彼は視力を取り戻しました。
パウロがこの場面について記している22章では、その時に何が起こったのか、さらに詳しい情報が記されています。
ここでの記録は簡潔です。
主の弟子*であるサウロに手が置かれた瞬間は、サウロの目が開かれただけでなく、聖霊に満たされた瞬間でもあったと考えています。
*博識なライトフット博士は著書「ヘブルの教え」の中で、次のような疑問を投げかけています。
しかし、これらことには答えていません。
「では、アナニヤは聖霊を授けることができたのでしょうか?
これは使徒たち特有の特権と思われています。
では、個人的な弟子が使徒にこれを行うことができたのでしょうか?
手を置くことで、異言や預言の賜物を授けることができるのでしょうか?」
アナニヤは、サウロが聖霊に満たされるべきだというメッセージを彼に伝えており、この満たされたことが彼の目が開かれたことと関連しています。
すぐに起こったとはここでは直接述べられていませんが、そのように起こったと仮定するのは正しいと思われます。
私たちは聖霊に満たされるさまざまな方法を発見します。
ペンテコステの日には誰にも手が置かれませんでしたが、その時述べられた声明は、このようなものでした。
「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
(使徒の働き2章38節)
サマリア人はバプテスマを受けていました。
しかし、私たちの解説で述べられていますが、特別な理由により、ペテロとヨハネがエルサレムから来て彼らに手を置くまで待たなければならなかったのです。
コルネリオとその家族は、聖霊が彼らに降ったとき、バプテスマも受けておらず、手も置かれていません。
エペソの弟子たち(使徒の働き19章)はバプテスマを受け、パウロが彼らに手を置いた後に初めて聖霊が彼らに降りました。
パウロはまず聖霊を受け、それから立ち上がってバプテスマを受けました。
なぜ、このように異なる方法があるのでしょうか?
もし、すべての場合に統一性があったなら、聖霊を受けるためには、同じ統一された方法に従わなければならないという信念が生まれたはずです。
これは避けるべきことです。
使徒の働きに記されたこれらの事例はすべて、移行期にあったという点で特異なものであったことを忘れてはなりません。
しかし、使徒の書簡では、主イエス・キリストを信じる者すべてが聖霊を受けると教えています。
そして、これが現在の順序となります。
「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。」
(エペソ人への手紙1章13節)
この後、サウロはダマスコにいる弟子たちと数日を過ごしました。
彼らが主のもとでどれほどの至福を味わったのでしょうか?
誰が語れる者がいたのでしょうか?
サウロの救いを見事に示した主の豊かな恵みに対し、どれほどの賛美の歌を捧げられたことでしょうか?
「そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。」
(使徒の働き9章20節)
「すぐに」という言葉は私たちに何かを教えてくれます。
この言葉は、キリストが完全なしもべであることを示す福音書、マルコによる福音書の中で約35回出てきます。
「すぐに」という言葉は、主が父なる神に速やかに、そしてたゆむことなく尽くして仕えたことを示しています。
そしてサウロは主への証しを「すぐに」という言葉で始めています。
使徒たちの中で、彼は最も迅速に奉仕に取り組み、他の誰よりも精力的に働きました。
ダマスコへの道で見た栄光の幻、栄光の中の御方を目にし、啓示によって彼に知らされました、
御方との一体感は、教会を迫害していた改心した彼の人生において、この驚くべき奉仕を生み出しました。
私たちも、もし主を常に心に留めるなら、私たちは「すぐに」奉仕することができます。
そして、イエスが会堂から会堂へと回ってメッセージを伝えた時、大きなセンセーションが巻き起こりました。
おそらく、会堂に入った時、兄弟たちは心から歓迎されたはずです。
彼らの目には、サウロはエルサレムで素晴らしい働きをしていたように見えました。
彼らもその名を憎んでおり、サウロがキリストを信じる者たちを縛っていました。
そして、エルサレムに連れてきて国の祭司長たちに処罰させるために来たことを喜んでいました。
しかし、名高いパリサイ人であり迫害者であった彼が、彼らが軽蔑し憎んでいたまさにその名を口にした時、彼らは動揺したはずです。
会堂でこの働きを続けるうちに、彼の力は増していきました。
サウロが行った証しは彼を強め、彼自身の魂にとって祝福となりました。
ダマスコに住むユダヤ人の数は非常に多く、彼らは困惑しました。
彼の説教は、十字架につけられた主イエスに関することだけであり、彼はこの方がまさにキリストであることを証明していました。
イスラエルに約束されたメシアに関する問題は、当時すべてのユダヤ人の心を揺さぶるものでした。
それは、今も律法と預言者を信じるユダヤ人の間でも変わりません。
サウロは偉大な説教者でした。
彼は旧約聖書について驚くべき知識を持っていました。
聖霊がサウロを満たし、メシアに関する多くの預言を照らし合わせ、聖霊の力によって、人々がその名を受け入れることを拒んでいたイエスこそがメシアであり、成就されたと解釈されました。
パウロはダマスコの会堂で、偉大な証しの御業を始めました。
後に、私たちは彼が効果的に使った方法について学んでみましょう。*
「パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。」
(使徒の働き17章2、3節)
*これは現在でもユダヤ人と議論する正しい方法です。
まず、聖書からキリストに関する預言を示すこと、そして、次にそれらが主において成就したことを示すことです。
そして、この聖書に基づく論証に加えて、彼自身の経験に基づく力強い論拠が加わりました。
サウロは主を見ました。
十字架にかけられ、三日目に墓が空っぽになったのが発見され、受難の後、弟子たちに見られ、死から甦ったと告げられ、地上を去り、天に昇り、聖霊の降臨と多くのしるしと奇跡によってその復活が完全に証明された主を。サウロは主を見、その声を聞いたのです。
だからこそサウロは、イエスが神の御子であると宣べ伝えたのです。
この時まで、復活した主の名は宣べ伝えられていません。
かつて、ペテロがカイザリヤ・ピリピで「あなたは、生ける神の御子キリストです」(マタイの福音書16章16節)と告白したことを引き合いに出すのはきわめて自然なことだったでした。
しかし、ペテロがこのようにイエスを宣べ伝えることは不可能でした。
サウロは、拒まれたイエスが栄光のうちに現れたのを見ました。
これはイエスが死から復活し、福音の偉大で祝福された根底にある真理によって神の御子であることの証明となったのです。
Ⅳ.サウロは迫害され、エルサレムに戻る。
「多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、
その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。
そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。
サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間にはいろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。
ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコに行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。
それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。
そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。」
(使徒の働き9章23~30節)
聖霊は23節で述べられている「多くの日数」について、私たちに記録を与えてはいません。
この多くの日々の間に、サウロはアラビアへ旅をしていました。
ガラテヤ人への手紙1章はこの事実を語っています。
「先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。」
(ガラテヤ人への手紙1章17節)
聖書の中で、パウロのアラビアへの旅について述べられているのは、この箇所だけです。
サウロがそこでどれくらいの期間過ごし、何をしたのかは明らかにされていません。
サウロがアラビアで3年間過ごしたというのは誤りです。
ガラテヤ人への手紙には、ダマスコに戻ってから3年後にエルサレムへ行ったと記されています。
これは、サウロがアラビアに3年間滞在したという意味ではありません。
おそらく他の偉大な神の人々が砂漠に行ったように、サウロも同様にアラビアを求めました。
静寂、黙想、そして祈り。ダマスコへの再出現は、サウロに対する反乱の合図となりました。
アラビアへ入る前にユダヤ人を混乱させていたサウロは、今やさらに大きな力を得て、神から与えられた教えを伝え続ける準備ができていました。
そこでユダヤ人たちはサウロを殺そうと相談しました。
これは、キリストのために苦しまれたこの素晴らしい生涯において、サウロが受けた迫害と苦難の最初の出来事です。
主がサウロにこのように言われた言葉から始まっています。
「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
(使徒の働き9章16節)
しかし、この陰謀はサウロに見破られました。
サウロは自分が主の手の中にあることを悟っていました。
イエスが見た栄光に満ちた主は、イエスの盾となり、イエスはしもべを守り、今もその力でしもべたちを守っておられます。
この陰謀はサタンの仕業です。
サタンは、主が迫害者を闇の力から御自身の御国へと移し給うという大勝利を収めたことに憤慨しています。
(コロサイ人への手紙1章)
サタンはサウロをキリストから引き離すことができず、ここでの彼の証言を黙らせようとしました。
しかし、サタンにはそれができません。
ユダヤ人たちは門を警備していましたが、夜になると彼は籠に入れられて城壁から降ろされました。
パウロは後にこのことについてこのように述べています。
「ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました。
そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。」
(コリント人への手紙第二11章32、33節)
パウロが自身の苦難を記した章で述べられているように、逃亡者としてダマスコを去らなければならなかったこの経験は、非常に屈辱的なものでした。
教会を迫害するためにエルサレムを離れ、ダマスコへの入城を期待していたパウロが、ダマスコからエルサレムへ逃亡した時のこととは全く対照的です。
エルサレムへの最初の訪問は、彼の改心から3年後のことです。
なぜ彼はすぐに再訪しなかったのでしょうか?
確かに、生身の人間がそう思ったはずです。
彼は勇敢な人でした。
パウロにとって、これほど愛した町にすぐに戻り、かつて軽蔑していた御名を宣べ伝えること以上に喜ばしいことはないはずです。
しかし、パウロは血肉の者たちと協議することも、エルサレムに上って自分より先に使徒であった人々のもとに行くこともしていません。
「異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、
先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。」
(ガラテヤ人への手紙1章16、17節)
パウロがエルサレムとは別に使徒職を担っていたことを証明するために、そのようにする必要がありました。
これが、この歴史的記述がガラテヤ人への手紙1章に盛り込まれている理由です。
その手紙に含まれる福音を擁護する中で、彼はまず自分が使徒であること、そしていかにして使徒となったかを明らかにしています。
エルサレムの十二使徒はそれとは全く関係ありません。
しかし、彼がエルサレムに到着すると、彼は疑いの目で見られました。
ダマスコで彼が忠実に語った証しは、明らかにエルサレムの教会では十分に知れ渡っていなかったのです。
わずか3年前には市内の信者たちを散らし、投獄し、あらゆる方法で虐待し、殺害したこの若いパリサイ人が、今や真実な信者であったと言えるでしょうか?
この不信感は確かに弟子たちの弱さの表れでした。
彼らはサウロに力強く働いた神の恵みを信じていました。
しかし、かつて自分たちを迫害した者が、かつて破壊した信仰を今や宣べ伝えていることを喜ぶどころか、彼らはサウロを恐れました。
このことはサウロを深く謙虚にさせたはずです。
しかし、そのような恵みを受け、自分を罪人のかしらと呼ぶことを喜ばれたサウロは、恵み深く、弟子たちの不信感についてサウロ側から不満を漏らすようなことはありません。
ここで再びバルナバが登場します。これは4章の最後の節で読むバルナバと同じ人物です。
「慰めの子」を意味するバルナバは、サウロにとってまさに名前の通りでした。
バルナバはサウロを連れて使徒たちに紹介し、恵みの物語をより詳しく語りました。
しかし、私たちは再び、ガラテヤ人への手紙1章にある使徒自身の言葉に含まれる歴史的記録を検証しなければなりません。
そこで私たちは、この訪問の詳細を知ることができます。
彼は使徒全員に会ったわけではなく、ペテロと主の兄弟であるヤコブだけに会ったのです。
他の使徒には会いません。この詳細な記述は、(当時の教会規則によれば)サウロが使徒職の承認、いわば叙任を受けるために使徒会議に出席する必要があったにもかかわらず、使徒会議が招集されなかったことを示しています。
彼にはそのような必要はありません。主が彼を召し、叙任したのです。
彼は人によってではなく、人によってでもなく、イエス・キリストによって使徒となったのです。
サウロはペテロの家に泊まり、ペテロの客人でした。
サウロは特にペテロと親しくなるために来ていたのです。
おそらくペテロに、主のこと、主から聞いた祝福の言葉、主が行われた奇跡について語ってもらいたかったのだと思います。
当時は福音書はまだ存在していませんでした。
二人は平安な時間を過ごしたのです。
サウロはペテロのもとに15日間滞在しました。
エルサレムでの滞在は有意義に活用されました。
主イエスの名において大胆に語り、ヘレニズムを唱えるユダヤ人たちとも議論しました。
サウロはステパノが議会に招かれた際に行っていたのと同じ働きを行いました。
キリキア州タルソ出身のステパノが探し求めたのも、まさにその会堂でした。
そして、6章の解説で示したように、サウロがステパノと論争した者の一人であったとしたら、その同じサウロが、ステパノが主の御前に出るために残した偉大な業を永続させるために立ち上がった時、会堂は大騒ぎになったはずです。
しかし、ステパノの運命はサウロを脅かしました。
彼らは「サウロを殺そうとねらっていた」のです。
兄弟たちはそれを知り、彼をカイザリヤに連れて行き、彼の故郷であるタルソスへ送り出しました。
サウロがこれに快く同意した理由は、使徒の働き22章17~21節から分かります。
「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、
主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』
そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。
また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』
すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」」
(使徒の働き22章17~21節)
彼はその時、恍惚状態のメッセージの中で任務を受け取りましたす。
彼の活動の場となるのはエルサレムとユダヤではなく、その地の外の領土でした。
サウロは、ユダヤ人の使徒ではなく、異邦人への使徒となるよう命じられました。
「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。」 後にパウロが、主が去るように命じられた地域に我がままに足を踏み入れた時、彼は大きな困難に陥り、囚人となりました。
サウロの改心の結果、31節には諸教会は「平安を保ち」とあります。しかし、複数の意味の「教会」という言葉は単数形の「教会」に書き換えられなければなりません。
「教会」を複数形に訳すのは、後の写本に基づいています。
ユダヤには多くの地方教会や集会がありましたが、現在では教会は一つしかありません。
当時、教会は安息を得ていました。信者たちは主を恐れ、聖霊に慰められて歩んでいました。
信者の増加はこの平安な状態の特徴です。
V.ペテロのさらなる行為
「さて、ペテロはあらゆる所を巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。
彼はそこで、八年の間も床に着いているアイネヤという人に出会った。彼は中風であった。
ペテロは彼にこう言った。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。
立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると彼はただちに立ち上がった。
ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返った。
ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。
ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。
ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、「すぐに来てください。」と頼んだ。
そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。
やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。
ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい。」と言った。
すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。
そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。
このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。
そして、ペテロはしばらくの間、ヨッパで、皮なめしのシモンという人の家に泊まっていた。」
(使徒の働き9章32~43節)
9章は使徒ペテロの更なる行為で終わります。
ペテロはさまざまな場所を巡り、何かの目的があって訪問を行っていました。
この訪問に関連して二つの奇跡が起こりました。
アイネアの癒しと、死んでいたタビタの復活です。
これらの奇跡のうち一つは、祈りが叶ったという点で重要です。
一つは癒しと回復であり、もう一つは死からの復活でした。
どちらの奇跡も深い象徴的な意味を持っています。
福音は異邦人へと伝えられようとしていました。
ペテロは再び天の国の鍵を用いてコルネリオの家の人々に宣教しました。
その前に二つの奇跡が起こりました。
異邦人が福音を聞くという偉大な出来事の始まりにおいて、これらは重要な意味を持ちます。
しかし、ここでなぜ重要なのかを考えてみましょう?
これらの奇跡についてある注釈者はこのように述べています。
「この二つの記録から、これらの奇跡の中でルカは、前兆である偉大な出来事、すなわち異邦人に命に至る悔い改めの賜物(使徒の働き10章18節)の二重のしるしを見ていたことが推測できます。
なぜなら、これらの奇跡は互いに補い合うものだからです。
1.アイネヤの癒しは活動の回復を意味し、主の類似のしるしとしてカペナウムの中風の男の治癒と罪の赦しは関連しています。
2.ドルカスの復活は、命の賜物を象徴しています。
そして、ドルカスのような敬虔な人々、そして主が復活させたヤイロの娘のような純真な人々には、命の必要性を訴えていますす。
アイネヤにおいては、罪に病む異邦人の癒しが象徴されていると言えます。
ドルカスにおいては、善行に満ちていながらも「彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています」(エペソ人への手紙4章18節)異邦人に命が与えられることを象徴しています。
しかし、これら二つの奇跡はイスラエルに適応されることが適切です。
「賛美」を意味するアイネアは、ヨハネの福音書5章の五つの回廊下の病人や使徒の働き3章の美しの門の足の不自由な人のように、麻痺した状態にある者の姿はイスラエルの型であり、アイネアの無力な状態は民の状態を表現しています。
美しの門の足の不自由な人がイエス・キリストの名によって生き返ったように、アイネアも癒され、イスラエルもいつの日か癒されます。
地上で賛美するどころではないアイネアの民も、いつの日か麻痺から癒され、主の恵みと哀れみの奇跡となります。
そして、ルダとサロンの場合のように、彼を見たこれらの地域の住民が主に立ち返りました。
そのように、イスラエルが癒される時、異邦人も完全な祝福を受けて主に立ち返ります。
ドルカスに関する興味深い記述を詳細に追うこ必要はありません。
私たちはドルカスもイスラエルを代表しており、ドルカスの復活はイスラエルの来たるべき復活の預言的な型と言うことができます。
タビタ、あるいはドルカスとも呼ばれた彼女の善行、施しの行い、彼女が他の人々に与えた祝福は、イスラエルがすべての国々を祝福するという召命を思い起こさせます。
そして、ドルカスは亡くなり、もはや施しの行いを行うことができません。
このようにイスラエルは霊的にも国家的にも死んでしまいました。
ペテロは弟子たちに召されてルダからヨッパへ行きました。
彼はひざまずいて祈り、遺体の方を向いて「タビタよ、起き上がりなさい」と呼びかけました。
するとドルカスは目を開けて起き上がりました。
ペテロは彼女に手を差し伸べ、ドルカスを抱き上げ、聖徒たちと未亡人たちの前で生きていることを示しました。
この奇跡によって多くの人が信じました。
イスラエルもいつの日か死からよみがえり、大いなる祝福の源となります。
ペテロが祈っていたように、私たちもイスラエルの回復を切望し、祈るべきです。
いつの日かイスラエルは立ち上がり、今や国が失った命を受け取りますす。
「エルサレムの平和のために祈れ。」
(詩篇122篇6節)
「主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」
(イザヤ書62章7節)
イスラエルとエルサレムのための祈りは、神の民の間で知られることはありません。
それは父なる神に今もなお愛されている民の偉大な運命に対する、クリスチャンの間に蔓延している無知のせいです。
ペテロはヨッパの皮なめし職人シモンの家に滞在しました。
彼はユダヤ人の律法と慣習に違反しているのでしょうか?
皮なめしには汚れた動物の皮を扱う必要があり、そのためユダヤ人にとって皮なめしは汚れた仕事とみなされていました。
しかし、ペテロが異邦人に神の国の扉を開くという偉大な仕事を成し遂げるためには、特別な方法で準備する必要制がありました。
10章
エペソ人への手紙2章11~18節には、異邦人に対する神の恵みについての祝福の言葉が記されています。
「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。
すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。
このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。
敵意は十字架によって葬り去られました。
それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。」
(エペソ人への手紙2章11~18節)
使徒の働きのこの箇所まで、私たちはこの恵み深い目的、すなわち十字架上で成し遂げられたキリストの御業の祝福された結果について何も見ていません。
エルサレムで最初に福音を聞きました。
再び、神の国の福音が宣べ伝えられ、ユダヤ人への完全な赦しが約束されました。
神は彼らの罪を消し去り、国に約束したことをすべて成就しようとされました。
エルサレムでは、彼らが十字架につけた命の君の復活したことを示す多くのしるしと奇跡が行われました。
この書の7章が、エルサレムへの特別な賜物の終わりを告げていることを私たちは見てきました。
ステパノの死後すぐに、福音はユダヤとサマリアに伝えられました。
サマリアの人々は喜びの知らせを聞いて受け入れました。
彼らは混血で、割礼を行い、律法の一部を守っていました。
9章にはパウロの改心が記されており、主は教会を迫害していたパウロが異邦人の前に御名を担うために選ばれた器であることが明らかにされます。
しかし、異邦人への扉を最初に開くために選ばれたのはパウロではなく、割礼の使徒であるペテロでした。
ペテロには新たな仕事が与えられました。
それはユダヤ人にとって実に不思議な仕事であり、ユダヤ人が汚れているとみなしていた異邦人のところへ行くことです。
ユダヤ人が異邦人と交わることは禁じられていました。
彼らを隔てていたのは、乗り越えられない壁が存在していました。
エペソ人への手紙から引用した言葉を読むと、異邦人は「イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人」でした。
このため、ユダヤ人は異邦人を汚れた、卑しい者とみなし、彼らを犬のように呼び、彼らと交わりを持つことを拒みました。
ペテロがヨッパに留まったことは興味深いことです。
この古都から、彼はコルネリオとその家族に福音を宣べ伝えるために遣わされたのです。
何世紀も前、別のユダヤ人が神からの厳粛なメッセージを携えてヨッパにやって来ました。
彼はそれを遠く離れた異邦人に伝えるよう任命されていました。
預言者ヨナはヨッパから船に乗りましたが、神の召命に従うことを拒みました。
しかし、ここには天の幻に従い、自由で完全な救いの良い知らせという、より高いメッセージを異邦人に伝える人がいます。
割礼の使徒ペテロがこの偉大な使命に選ばれたことは、境にある隔ての壁が取り壊され、信仰を持つユダヤ人と異邦人が一つの新しい人を形成することを現わす重要な暗示でした。
ペテロが異邦人のもとに行く道を開いた彼が見た幻と、コルネリオとその家族が信じて聖霊が彼らに降りたときに目撃した素晴らしい成果を見ることができますが、使徒ペテロは後にアンテオケで、ペテロが壊されたと知っていたのと同じ隔ての壁を築くことになります。
「なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。」
(ガラテヤ人への手紙2章12節)
ペテロは破壊したものを再び建て直そうとしました。
10章の出来事は神によってあらかじめ準備されていました。
福音を聞くことになるコルネリオと彼と共にいた人々と使者であるペテロはそこで準備を整えていました。*
*ペテロは神によって準備され、行くように指示されました。
神の御心によって、遣わし、聞く準備が整えられたのです。
この章は4つの部分に分けられます。
Ⅰ.カイザリヤのコルネリオとパウロの準備(使徒の働き10章1~8節)
Ⅱ.ペテロの使命の準備し、恍惚状態で幻を見ました。(使徒の働き10章9~16節)
Ⅲ.カイザリヤのコルネリオとペテロ(使徒の働き10章17~33節)
Ⅳ.異邦人に福音を宣べ伝えるペテロ(使徒の働き10章34~43節)
V.中断されたメッセージ(使徒の働き10章44~48節)
Ⅰ.カイザリヤのコルネリオと福音を聞くためのパウロの準備
「さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。
彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、
ある日の午後三時ごろ、幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。御使いは彼のところに来て、「コルネリオ。」と呼んだ。
彼は、御使いを見つめていると、恐ろしくなって、「主よ。何でしょうか。」と答えた。
すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。
さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。
この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。」
御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリオはそのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ、
全部のことを説明してから、彼らをヨッパへ遣わした。」
(使徒の働き10章1~8節)
コルネリオが住んでいた街が最初に述べられています。
その古代都市について何かの情報を付け加えることは決して不適切なことではありません。
これを、福音書に記されているもう一つのカイザリヤ、ピリポ・カイザリヤと混同してはなりません。
このカイザリヤはヨッパとドラの間に位置していました。
皇帝アウグストゥスはこの都市をヘロデに与え、ヘロデは莫大な資金を投じて、この都市を非常に美しい都市へと変貌させました。
そこには多くのユダヤ人も住んでいましたが、異邦人の都市でもありました。
コルネリオは百人隊長で、「イタリア隊」という名で知られる部隊の指揮官でした。
ローマ軍の軍団は6000人で構成されていました。各軍団は600人ずつの10個大隊に分かれており、さらに各大隊は6つのセンチュリー(100人ずつ)に分かれていました。
コルネリオは百人隊長であり、大隊のこれらの小部隊の1つを統括していました。
福音書には、もう一人の百人隊長について記されています。
彼はコルネリオとよく似た性格でこのように記されています。
「この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」
(ルカの福音書7章5節)
福音書との関連で、二人の百人隊長という高位の兵士がこれほど大きく取り上げられているのは驚くべきことです。
聖霊は、この二人の異邦人兵士に恵みの働きを行ったのです。
コルネリオは権威ある人物でした。
彼の名前がそれを物語っています。
彼はスキピオ家やスッラ家と同じ家系に属していたからです。
彼はユダヤ民族全体によく知られていました。(22節)
「百人隊長コルネリオという正しい人で、神を恐れかしこみ、ユダヤの全国民に評判の良い人が、あなたを自分の家にお招きして、あなたからお話を聞くように、聖なる御使いによって示されました。」
(使徒の働き10章22節)
コルネリオはカイザリヤには多くの友人がいました。
そして、彼には良い評判以上のものがありました。
彼は敬虔な人で、家族全員と共に神を畏れ、施しと祈りによってその深い信仰を示しています。
彼は「いつも神に祈りをして」いました。
彼は、聖霊に照らされて偶像崇拝から神に立ち返り、真実で生ける神に仕えるようになった異邦人の一派に属していました。
ペテロが彼のもとを訪れ、彼の家で福音を宣べ伝える以前から、彼は敬虔で改心した人でした。
つまり、この章で述べられている出来事をコルネリオの改心と呼ぶのは誤りです。
また、彼は割礼を受けてユダヤ教を受け入れた改宗者でもありません。
コルネリオは、主イエス・キリストによる自分の救いと救いの祝福された保証について何も知りません。
コルネリオが神の訪れを受けたのは、午後9時のことでした。
コルネリオがが祈っていた時、明るい衣をまとった人が彼の前に立ちました。
「四日前のこの時刻に、私が家で午後三時の祈りをしていますと、どうでしょう、輝いた衣を着た人が、私の前に立って、」
(使徒の働き10章30節)
コルネリオはユダヤ教の祈りの時間を守っていました。
午後9時とは、夕べのささげ物を捧げる午後3時のことです。
御使いの出現はコルネリオを恐れに包みました。
御使いは、神が彼の祈りを聞いてくださり、コルネリオの善行が神に喜ばれているという確信をコルネリオに与えました。
それらは信仰から生まれたものです。
御使いはまた、ペテロに人を遣わす方法、ペテロの居場所、誰の家に泊まっているか、そして宿泊先がどこにあるかを教えました。
ペテロはコルネリオに何をすべきかを告げなければなりません。
このことから、彼が神に光と導きを求めて祈ったことが分かります。
まさに、この祈りは驚きと祝福に満ちた、慰めに満ちた祈りでした。
主はこの敬虔な百人隊長を見つめ、彼の祈りを聞かれました。
ペテロにも目を留め、彼の行動をご存知でした。
そして今もなお、主の愛に満ちた目は、御自分のものとなったすべての人々に注がれています。
今も、主は主に委ねる者たちを導いておられます。
このような主に仕えることは、光栄なことです。
しかし、私たちの貧しく弱り果てた心は、このような働きに何も関わっていません。
信仰があれば喜び、賛美すべき時に、私たちは疑い、恐れているのです。
コルネリオはすぐに二人の召使いと一人の敬虔な兵士を呼び寄せ、自分が受けた神の教えと指示を伝えた後、ヨッパへ遣わしました。
彼らは予定通り目的地に到着しました。
彼らが海辺の皮なめし職人シモンの家を尋ねていた時、選ばれた使者は幻を見ました。
Ⅱ.ペテロの使命の準備し、恍惚状態で幻を見ました。
「その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時頃であった。
すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。
見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。
その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。
そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」という声が聞こえた。
しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」
こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。」
(使徒の働き10章9~16節)
使者もコルネリオと同様に準備が必要でした。
ユダヤ人として聖霊に満たされていたにもかかわらず、彼を異邦人のもとへ遣わすには特別な啓示が必要だったのです。
ペテロはペンテコステの日にこのように宣言しています。
「なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
(使徒の働き2章39節)
「遠くにいる人々」とは異邦人のことです。
ペテロは当時、この言葉の深い意味を理解していません。
そして、主御自身の口から、すべての造られた者に福音を宣べ伝えるという大いなる使命を聞いた時、それが異邦人を指していることを理解していません。
この出来事が起こる前に、もし誰かがペテロに突然、異邦人と交わり、彼らの家に入り、キリストについて語るように要求したなら、彼は恐怖とは言わないまでも、驚きのあまり後ずさりしたかもしれません。
しかし今、隔ての壁が確かに崩れ去ったことを理解する時が来ました。
ペテロはヨッパに何日も滞在しました。
彼がその町でその後どのような奉仕をしたかについては何も語られていません。
彼は主の導きを待っていました。
コルネリオの使者たちがヨッパに近づいていた頃、ペテロは午後1時頃、屋上に上がって祈りを捧げました。
彼はまだユダヤ教の戒律を守っていました。
まだ断食を終えておらず、平らな屋根の上で恍惚状態に陥りました。
彼が見た幻は、開かれた天から大きな布のような器が出てくるというものです。
四隅が合わさって、布は地面に垂らされていました。布の中には清い動物と汚れた動物が入っていました。
天からの声はペテロに、殺して食べるように命じました。
そして、地上にいた時、ピリポ・カイザリヤで主が来るべき受難を告げられた後、「そんなことが」と主を叱責したペテロは(マタイの福音書16章22節)、ここでもカイザリヤの屋上で同じ言っています。
「主よ。それはできません。」
彼は、清くないもの、汚れたものを食べたことがないと断言しました。
すると、二度目に声が聞こえ「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」と告げられました。
同じことが三度繰り返され、するとすぐに器は天に上げられ、元の場所に戻りました。
この意味は何でしょうか?
*器は教会の型です。
*4つの角は地の4つの隅を表しています。
*そこにいた清い動物たちとはユダヤ人たちのことです。
*汚れたものとは異邦人のことです。
しかし、その器の中のすべての者は清められます。
主イエス・キリストにある神の恵みは、キリストにある者たちを清めました。
「あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。」
(コリント人への手紙第一6章11節)
ユダヤ人と異邦人は信じる者、血によって贖われ、恵みによって救われ、洗われ、聖化され、一つのからだとされます。
異邦人への偉大な使徒がエペソの信徒に書き送ったことが、幻を通して明らかにされています。
「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」
(エペソ人への手紙3章6節)
その敷布は天から降りてきて、天に消えました。
これは教会の天的な起源と天的な運命を明らかにしています。
教会は天からの啓示であり、器が天で消え去ったように、教会もいつの日か天に引き上げられ、天の目的地へと導かれるのです。
この幻が明確に教えているのは、まさにこの教訓です。
Ⅲ.カイザリヤのコルネリオとペテロ
「ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、その門口に立っていた。
そして、声をかけて、ペテロと呼ばれるシモンという人がここに泊まっているだろうかと尋ねていた。
ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。
さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」」
(使徒の働き10章17~20節)
ペテロはその幻について疑問に思いました。
それはどういう意味なのでしょうか?
清い動物と汚れた動物の区別がすべて廃止され、モーセを通して神から与えられた食事に対しての戒律が放棄されるという意味なのでしょうか?
おそらく、主が「外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない」(マルコの福音書7章18節)と言われた時の言葉が、ペテロによみがえって来たのかも知れません。
ペテロは、その幻の深い意味を知りたいと、深く心を躍らせていました。
そして、主御自身がペテロのために、その幻の解き明かしを用意しておられます。
ちょうどその時、海辺のシモンの家への道を尋ねていたコルネリオの使者たちが門に到着しました。
神は細部に至るまですべてを整えておられます。
神の目的と計画は、決して失敗することはなく、これからも決して失敗することはありません。
成し遂げられるべきものを妨げるものは何もありません。これは現在でもそうなのです。
神の計画の中にいるなら、私たちは失敗を恐れる必要も、心配する必要もありません。
人々がペテロという名のシモンがそこに泊まっているかどうか尋ねていた時、ペテロはまだあの幻のことで深く考え込んでいました。
門のところで人々が呼ぶ声は聞こえませんでした。
しかし、別の方からペテロに語りかけました。
「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。
さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」
(使徒の働き10章19、20節)
聖霊は今、指示を始めます。
その言葉は、聖霊の本質を印象的な方法で明らかにしています。
「彼らを遣わしたのはわたしです」と聖霊が宣言しています。
そして、ペテロをカイザリヤに呼び寄せるために三人を遣わした方は、ペテロにも、立ち上がって、ためらうことなく彼らと一緒に行くように命じました。
「そこでペテロは、その人たちのところへ降りて行って、こう言った。「あなたがたのたずねているペテロは、私です。どんなご用でおいでになったのですか。」
すると彼らはこう言った。「百人隊長コルネリオという正しい人で、神を恐れかしこみ、ユダヤの全国民に評判の良い人が、あなたを自分の家にお招きして、あなたからお話を聞くように、聖なる御使いによって示されました。」
それで、ペテロは、彼らを中に入れて泊まらせた。明くる日、ペテロは、立って彼らといっしょに出かけた。
ヨッパの兄弟たちも数人同行した。」
(使徒の働き10章21~23節)
門のところで突然三人の異邦人を目の当たりにしたペテロは驚ろきました。
しかし、このような幻を見た後に、ペテロは疑うことができたでしょうか?
割礼を受けていない、汚れた異邦人であるこの三人の男がそこにいたことは、あの幻の意味を説明するものだったのです。
聖霊はさらに、彼らが聖霊御自身から遣わされたこと、そしてペテロも彼らと共に行くべきことを告げていました。
さて、彼らは敬虔な百人隊長コルネリウスに何があったのか、神の御使いが彼をペトロに案内したことをペトロに話しました。
割礼の使徒は、まさにそのときはっきりと目覚めました。
ペトロは彼らを呼び寄せ、宿屋に泊めました。
これは明らかにユダヤの慣習を破る行為です。
翌朝、一行がヨッパを出発する場面が描かれています。
ペテロはヨッパから逃げたヨナとは異なり、神の召命に従い、兄弟たちとコルネリオの三人の使者と共に出発しました。
「その翌日、彼らはカイザリヤに着いた。コルネリオは、親族や親しい友人たちを呼び集め、彼らを待っていた。
ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝んだ。
するとペテロは彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と言った。
それから、コルネリオとことばをかわしながら家にはいり、多くの人が集まっているのを見て、
彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。
それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
するとコルネリオがこう言った。「四日前のこの時刻に、私が家で午後三時の祈りをしていますと、どうでしょう、輝いた衣を着た人が、私の前に立って、
こう言いました。『コルネリオ。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられている。
それで、ヨッパに人をやってシモンを招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれている。この人は海べにある、皮なめしのシモンの家に泊まっている。』
それで、私はすぐあなたのところへ人を送ったのですが、よくおいでくださいました。いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」」
(使徒の働き10章24~33節)
一行が町に向かって旅を続けている間、親族や親しい友人たちを呼び集めていたコルネリオは、天からの使者を待っていました。
コルネリオは、これから聞く祝福された真理を切望し、ペテロの到着を待ち望んでいました。
こうして、ペテロはやって来ました。
コルネリオはペテロを見るなり、その足元にひれ伏して礼拝しました。
これはコルネリオの家の外、おそらく家から少し離れた場所で起こりました。
コルネリオが最初にしたのは、使徒の足元にひれ伏し、神に敬意を表すことでした。
これは異教徒としての教えを裏切る行為です。
御使いの幻を思い出し、ペテロこそ最大の敬意に値すると考えました。
しかし、ペテロは一瞬たりともそれを許していません。
コルネリオを抱き上げ「お立ちなさい。私もひとりの人間です」と言いました。
コルネリオが行ったのは礼拝の行為です。
サタンが主イエス・キリストにひれ伏して拝むように要求した際に使ったのと同じ言葉です。
神だけが礼拝されるべきです。
コルネリオが示したような礼拝の念は、単なる人間にも御使いにも向けられるべきではありません。
(ヨハネの黙示録19章10、22章9節参照)
使徒ヨハネは、自分が見たものを御使いに見せられた時、その御使いの足元にひれ伏して「神を礼拝しなさい」と告げられました。
クリスチャンの中には、主イエス・キリストでさえ礼拝されるべきではないと主張する者がいます。
しかし、これは重大な誤りです。
主イエス・キリストは神であり、礼拝は主に属します。
「それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。」
(ヨハネの福音書5章23節)
しかし、ペテロとペテロの後継者を主張するローマの人々は対照的です。
キリスト教を堕落させ、邪悪な人間が作った聖職者制度は、人間に名誉と崇敬を要求します。
教皇と司祭たちは、主にのみ属するべき崇敬を人間から受け入れます。
ローマ教会、ギリシヤ教会、プロテスタント教会のいずれの形式であっても、儀式主義は常に人間を尊いものとし、罪深い人間を権威を持つ者、つまり尊敬と崇拝を受ける資格のある者とみなします。
「主の崇拝」「主の恵み」「主の尊厳」「主の高位」「主の聖性」などは、儀式主義的なキリスト教世界が人間に与えられた称号です。
これらはは神のみことばに何の権威もありません。
ここでのペテロの行動は、このすべてを否定するものです。
ペテロの手紙の中で、神の御霊によってすべての信者の祭司職について教え、他の信者よりも上位の立場にある自身については一度も言及していません。
これは、伝統的なキリスト教世界を完全に否定するものです。
実際、儀式主義は異教の慣習への回帰であり、偶像崇拝です。
ガラテヤ人への手紙4章9~11節では、まさにそのような教えのことを述べています。
「ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。
あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。
あなたがたのために私の労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。」
(ガラテヤ人への手紙4章9~11節)
それからペテロはコルネリオと一緒に家に入り、屋上で見た幻の中で神がどのようにペテロをユダヤ人の伝統的な偏見から救い出してくださったか、今や彼がユダヤ人ではない者の家に入る完全な自由を持ち、そのような行為を律法違反とは考えていないことをコルネリオに話しました。
百人隊長はコルネリオに、なぜ自分を遣わしたのか尋ね、祈った時に神が彼に与えた答えをもう一度繰り返しています。
そして、ペテロへの説教は、なじみの言葉で締めくくります。
「いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」
これらすべてはなんと美しく、心を慰めてくれる言葉です。
地上にいたころ、主はこのように言われました。
「わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。」
(ヨハネの福音書10章16節)
ここで、復活したキリストは、御自身の祝福された方法で、預言されたことを成し遂げられました。
他の羊とは異邦人であり、一つの囲い(群れ)*とは教会であり、主イエス・キリストはすべての羊飼いです。
* ユダヤ教は群れです。
クリスチャンは、新約聖書によれば、その群れのことは知られていません。
別の一つの群れが存在していました。
イエスはこの偉大な出来事の主役です。
コルネリオを引き寄せ、彼に語りかけました。
今もなお、主は羊の群れに羊を増し加えています。
そして、主は他の羊を召し出しています。
コルネリオとその親族は、その使者が神から遣わされた者であり、その使者が伝えるメッセージは神からのメッセージであることを知っていました。
ペテロは自分が遣わされたこと、そして人々がメッセージを聞く準備ができていることを知っていました。
常に、キリストのしもべが神から遣わされた使者として主を信頼していることを意識しているのなら、そして、聞きに来る人々が自分たちの魂のための神のメッセージを期待して来るならば、神の民の集会は祝福されたものとなります。
Ⅳ.異邦人に福音を宣べ伝えるペテロ
「そこでペテロは、口を開いてこういった。
「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。
神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。
このイエス・キリストはすべての人の主です。
あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。
それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。
このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。
私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。
人々はこの方を木にかけて殺しました。
しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。
しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。
イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」」
(使徒の働き10章34~43節)
ペテロの異邦人への演説と、以前に報告されたユダヤ人への演説の間には大きな違いがあります。
エルサレムへの証言の中で非常に目立った「悔い改め」という言葉は、全く出てきません。
ペテロのこの言葉は、三つの部分に分けることができます。
1.福音書の冒頭の発言
ペテロは、神は人を差別しない方だと認識していると宣言します。この言葉は旧約聖書で既に述べられています。
申命記10章17節、歴代記第二19章7節、ヨブ記34章19節を参照してください。
聖霊はペテロにこのことを思い出させます。
ペテロは以前、神は差別する方だと考えていましたが、経験を通してそうではないことを確信しました。
ローマ人への手紙の冒頭の数章には同じ真理が深く記されています。
これらの章は、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、違いはなく、すべての人が罪を犯し、神の栄光に達していないことを非常に明確に示しています。
ローマ人への手紙2章10節、11節にはこのようにあります。
「栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。
神にはえこひいきなどはないからです。」
(ローマ人への手紙2章10、11節)
ここでペテロは同じ真理を述べています。
「どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行なう人なら、神に受け入れられるのです。」
しかし、これは繰り返して言われるように、異教徒の生まれながらの光と身につけた道徳心が神の目に受け入れられることを意味するのではありません。
神への畏れと義の実践は、生まれながらの心の産物ではなく、神御自身の働きです。
こうした働きはユダヤ人の魂に限定されるものではなく、異邦人においても恵みを通して行われるのです。
これがこの言葉の意味です。
そして、ペテロは、見落とされがちなことを付け加えています。
イエスはコルネリオとその友人たちに、神がイスラエルの子らに遣わした御言葉、すなわち万物の主であるイエス・キリストを通して平和を宣べ伝えた御言葉を、彼らが知らなかったわけではないと告げます。
彼らはこのすべてを知っており、何らかの形でそれを聞いていました。
その祝福はイスラエルの子らが受け継ぐものです。
だからこそ、百人隊長はイスラエルという国を愛し、彼らに善行を施したのです。
しかし、コルネリオはイスラエルに宣べ伝えられたものが自分も受けるべきだと確信を持っていません。
ペテロも、神が異邦人もその恵みを受けるべきであると啓示されるまで、そのことに気づいていません。
2.ペテロはその言葉を説明し、ナザレのイエスに関する事実を簡単に説明します。
神は聖霊と力をもってイエスに油を注がれました。
神はイエスと共におられました。
このことはイエスの行いによって示されました。
イエスは巡回して善を行い、悪魔に苦しめられていたすべての人々を癒されました。
これらすべてを彼らは目撃していました。
ペテロは短い一文で、キリストの死、つまり人々がキリストを殺し、木に吊るしたことを述べています。
そして、キリストの復活を宣言しています。
神は三日目にキリストを復活させました。
しかし、キリストはすべての民に返り見られず、神に選ばれた者たち、すなわちキリストと共に食事をし、共に飲んだ者たちにだけ見出されました。
百人隊長と彼と共にいた人々は、この祝福されたメッセージを興味深く聞きました。
その多くは伝聞で彼らには知られていましたが、ここには、この出来事の目撃者の一人であるペテロが立っていました。
神から直接遣わされた者が彼らの前でこれらすべてを語りました。
しかし、これらの言葉を語ったのはユダヤ人ですた。
そして、彼らは異邦人でした。
彼らにとって、これらすべてはどのような意味を持つのでしょうか?
ペテロの説教の3番目の部分でそれが明らかになります。
それは、キリストの祝福された福音を彼らの心に深く届けられました。
3.次に、使徒はキリストが彼らに使命を与えたという事実について語ります。
イエスは彼らに、民に説教しました。
そして、生きている者と死者の審判者として神が任命されたイエスを証しするように命じられました。
しかし、百人隊長とその一行は、この説教に何の慰めも得ることはできません。
復活された方が宣教の命令を与えられたユダヤ人以外に他に誰がいたでしょうか?
聖霊はメッセージを別の言葉で表現することもできたはずです。
そうすれば、真理を大まかにも明らかにできたはずです。
主が「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」という使命を与えたと聖霊は言うこともできました。
彼らはそこから、私たちは神の被造物であり、ゆえに福音は私たちのためのものだと推論しました。
イエスは別の道、より尊い道、ペテロの心にも祝福をもたらす道を選ばれました。
ペテロが語るとすぐに、真理がペテロの心と心に閃きました。
ペテロはこのように宣言します。
「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
(使徒の働き10章43節)
ペテロと他の使徒たちがエルサレムに滞在していた時、彼らは主の命令に従っていません。
すなわち、異邦人の間に福音をすぐに広めることが主の御心にもかかわらず、その使命を遂行する代わりにエルサレムに留まったのだと主張する人もいます。
しかし、この見解は誤りです。
彼らは神の御心に従って行動していました。
ペテロは主の目的の真意を、適切な時が来るまで理解していません。
今は、神の力によって、それが彼に明らかにされました。
ペテロがこれらの言葉を語った時、確かに神は人を差別しないという啓示が彼に与えられました。
ローマ人への手紙3章22節で、イエス・キリストを信じる信仰による神の義は、ユダヤ人と異邦人を問わず、信じるすべての人々に対して与えられるという教義的に完全に啓示された真理は、神の啓示を通じて割礼を受けた使徒に突然現れました。
ペテロは祝福に満ちた尊い一文、「預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」ことを語りました。
そうです、「だれでも」です。
それは失われ罪深い世界にとって福音の意味を告げる言葉です。
「だれでも」―主御自身が十字架上での御業の祝福された結果を知ったの上で、この言葉を用いられました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネの福音書3章16節)
神が聖なる御言葉を最後のページで閉じられる時、神は罪深い世界に、神御自身の贖われた民がこれほどまでに愛する祝福に満ちた御言葉を、もう一度告げなければなりません。
「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」(ヨハネの黙示録22章17節)
初めて偉大な真理が語られました。
御名による救いという完全かつ無償の福音が、初めて異邦人にもたらされました。
その結果はどうなったでしょうか?
V.中断されたメッセージ
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。」
(使徒の働き10章44~48節)
ペテロのメッセージは突然中断されました。
彼は語り始めたばかりでした。
彼は語り続けるつもりでした。
「そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。」
(使徒の働き11章15節)
そして、彼らは捕らわれました。
聖霊は御言葉を聞いたすべての人々に降りかかりました。
コルネリオと彼と共にいた人々は、ペテロが明らかにしたこの事実を知りません。
彼らは、この救い、罪の赦しが自分たちのためにあると聞き、御言葉を聞いた瞬間に信じました。
そして信じた瞬間、この祝福されたメッセージを受け入れた瞬間に、聖霊が彼らの上に降臨したのです。
すると、聖霊の賜物は信仰を聞くことによって与えられるということが実証されました。
後に、異邦人の使徒は律法のもとに戻って恵みから落ちつつあった愚かなガラテヤ人たちにこのように書き送っています。
「ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。」
(ガラテヤ人への手紙3章2節)
そうです、この祝福された福音書においても、信じることによって聖霊による封印やその他多くのものが与えられます。
何か新しいことが起こったのです。
*ペンテコステにおいては、聖霊を受ける条件とは、水のバプテスマ(使徒の働き2章38節)と罪の赦しを意味しました。
*サマリアでは、使徒ペテロとヨハネは神の知恵に従って、手を置く必要がありましたが、ここでは水のバプテスマと手を置くことなく、聖霊が異邦人の上に降りました。
また、探求したり、屈服したり、自分を吟味したり、諦めたり、祈ったりする過程もなく、信仰を聞いて福音のメッセージを信じることで、聖霊が彼らに降りてきたのです。
ユダヤ人と異邦人の間のあらゆる障壁が取り除かれ、ペンテコステの日に信仰のあるユダヤ人に起こったことよりも劣るものが異邦人に与えられたわけではないことを示す必要がありました。
ゆえに、コルネリオとその親族や友人たちは異言を語り、神を賛美しました。
これは、割礼もバプテスマも受けていない異邦人がユダヤ人と同じように聖霊を受けたことの決定的な証拠です。
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」
水のバプテスマが続きます。
この章までは、水のバプテスマが聖霊の賜物に先行していました。
これは、水のバプテスマが恵みの土台がどのような位置を占めているかを示しています。
水のバプテスマは、恵みの福音の宣教において何ら位置づけられていません。
これは恵みの手段でも、聖礼典でもありません。
しかし、ペテロはバプテスマを軽視したり無視したりはしません。
「いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
それから主の名によってバプテスマを受けるように命じました。
これは、ペトロ自身がこの行為を行ったのではないことを示しています。
したがって、これは聖職者による行為ではありません。
これもまた、使徒継承を主張する「叙任された人々」によるバプテスマがどのように解釈されるべきかを予期して行われたわけでもありません。
ペテロは、この仲間たちと何日か平安に一緒に過ごすよう求められました。
きっと、ペテロは彼らの願いを叶えたはずです。
彼らは祝福された交わりの中を過ごしたのです。
11章
この章は4つの部分に分かれています。
Ⅰ.エルサレムにおけるペテロの弁明と結果(使徒の働き11章1~18節)
Ⅱ.アンテオケの教会の設立(使徒の働き11章19~21節)
Ⅲ.アンテオケに派遣されたバルナバ(使徒の働き11章22~26節)
Ⅳ.アガボの預言(使徒の働き11章27~30節)
Ⅰ.エルサレムにおけるペテロの弁明と結果
「さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。
そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、
「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。」と言った。
そこでペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。
「私がヨッパの町で祈っていると、うっとりと夢ごこちになり、幻を見ました。四隅をつり下げられた大きな敷布のような入れ物が天から降りて来て、私のところに届いたのです。
その中をよく見ると、地の四つ足の獣、野獣、はうもの、空の鳥などが見えました。
そして、『ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。』と言う声を聞きました。
しかし私は、『主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。』と言いました。
すると、もう一度天から声がして、『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』というお答えがありました。
こんなことが三回あって後、全部の物がまた天へ引き上げられました。
すると、どうでしょう。ちょうどそのとき、カイザリヤから私のところへ遣わされた三人の人が、私たちのいた家の前に来ていました。
そして御霊は私に、ためらわずにその人たちといっしょに行くように、と言われました。そこで、この六人の兄弟たちも私に同行して、私たちはその人の家にはいって行きました。
その人が私たちに告げたところによると、彼は御使いを見ましたが、御使いは彼の家の中に立って、『ヨッパに使いをやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます。』と言ったというのです。
そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。
私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる。』と言われたみことばを思い起こしました。
こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
人々はこれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」と言って、神をほめたたえた。」
(使徒の働き11章1~18節)
ペテロはカイザリヤで、この喜びに満ちた仲間たちと数日間を過ごし、主の生涯と奇跡、そして死と復活について語り続けました。
この交わりは祝福されたものでした。
それは、隔ての壁が打ち砕かれ、信仰を持つユダヤ人と異邦人がキリスト・イエスにあって一つになったことを、完全に証明しています。
彼の行動と異邦人が神のみことばを受け入れたという報告は、ユダヤの使徒たちと兄弟たちに届きました。
しかし、神の御業を喜ぶどころか、争いが起こり、分裂の危機が迫りました。
ここでも失敗が見られます。
以前にも不平が起こりました。
しかし、ここで初めて党派心が表に現れました。
肉のこの巧妙な働き(ガラテヤ5章20節)*は、兄弟たちの間に亀裂を生じさせようとしていました。
* ガラテヤ人への手紙5章20節で「敵意、分派」と訳されている言葉は、「論争、諸派」を意味します。
エルサレムとユダヤの集会は二つのユダヤ人の階級で構成されていたことを忘れてはなりません。
ギリシヤ人信者と厳格なパレスチナ系ユダヤ人です。
後者には、多くのパリサイ人と、信仰を持つ大勢の祭司が属していました。
彼らは皆、律法に熱心でした。
「彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。
「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。」
(使徒の働き21章20節)
彼らは依然として異邦人を汚れた者とみなしていました。
彼らの信念は、異邦人が救われるためには割礼を受け、ユダヤ人になる必要があるというものです。
数年後、エルサレムで開かれた最初の教会会議の記録には、彼らがこのことについて率直に発言したことが記されています。
彼らは公にこのように述べました。
「しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。」
(使徒の働き15章5節)
ここで党派心が芽生え、反対派は「割礼を受けた者たち」と呼ばれています。
これはユダヤ人の信者全員が割礼を受けていたにもかかわらず、彼らの中には割礼と律法を過度に押し付けた者がいたことを意味します。
彼らは徐々に教会内で強力な党派となりました。
また、後にペテロが「割礼を受けた者たちの使徒」と呼ばれ、後にカイザリヤでの出来事とは全く矛盾するアンテオケでの彼の行動が、異邦人の使徒を通して神の叱責をもたらしたことも特筆に値します。
「また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。」
(ガラテヤ人への手紙1章14節)
ここでの非難の焦点は、異邦人との食事でした。
「彼らは、何らかの詳細な状況説明なしに、ある報告者から事実を聞いたようでした。
報告者は、このようなケースではよくあることですが、問題の部分をことごとく強調しました。」*
* ディーン・アルフォードギリシヤ語新約聖書
ペテロの答えは非常に暗示に富んでいました。
彼は使徒としての権威について言及していません。
別のカイザリヤで、主が彼に「天の御国の鍵」を託し、その委任に基づいて行動したという事実を、ペテロは彼らに思い起こさせることができました。
しかし、ペテロはそのことについて全く言及していません。
また、仲間の使徒たちにこの件について話していません。
ペテロの弁護は、実際に起こった出来事を再現するものです。
前章で既に述べたように、ここで改めて述べる必要はありません。
ペテロの供述は、反論の余地がないものでした。
そして、そこには反論の余地のない事実がありました。
彼らはそれを聞いて、沈黙しました。
しかしそれ以上に、彼らは争いではなく賛美を始め、神を讃えました。
彼らは、神が異邦人に命に至る悔い改めを与えてくださったことに感謝しました。
時が経つにつれ、異邦人への扉が開かれた素晴らしい出来事は忘れ去られ、「割礼を受けた者たち」が強力な勢力となりました。
ペテロは使徒の働き15章でこの出来事について簡潔に言及していますが、ここで彼はそれを詳細に描写しています。
Ⅱ.アンテオケの教会の設立
「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」
(使徒の働き11章19~21節)
使徒の働き11章19節は8章4節と関連しています。
激しい迫害によって信者たちは散らされました。
ピリポはサマリアに福音を伝えるために選ばれた使者でした。
そのことは最初に報告される必要がありました。
さて、私たちは他の人々が何をし、どこで祝福された福音を宣べ伝えたのかを学ぶ必要があります。
彼らはフェニキアに行きました。
そこは約190キロにわたる海岸沿いの細長い地域です。
ツロとシドンはフェニキアの都市です。
そこで福音は宣べ伝えられ、祝福された結果をもたらされました。
そのことは本書の後半で述べられています。
(使徒の働き21章4~7節、27章3節)
キプロスはフェニキアと密接な関係があります。
フェニキアの港から多くの船が絶えずこの島へ出航していました。
バルナバとムナソン(使徒の働き21章16節)はキプロス島出身でした。
その後、他の伝道者たちは海岸沿いにアンテオケに着きました。
彼らは皆、ユダヤ人だけに福音を宣べ伝えました。
しかし、これらの伝道者の中にはキプロス島やキレネ島出身者もおり、彼らはアンテオケに到着すると、ギリシヤ人、つまり異邦人に主イエスの福音を宣べ伝えました。
彼らの多くは主に立ち返り、信じました。
アンテオケは、エルサレムに次ぐキリスト教のもう一つの大きな中心地として、その名が知られるようになりました。
異邦人への宣教はここで始まり、エルサレムの教会によって認められました。
ここから使徒時代の偉大な宣教運動が始まりました。
再び、ここでサウロは登場します。
彼はこれからは異邦人の使徒として指導的な役割を担うことになります。
さらに、アンテオケでは弟子たちが初めて「クリスチャン」と呼ばれました。
エルサレムではこの名称は知られておらず「ナザレ派」と呼ばれていました。
これらは、異邦人の地におけるキリスト教の中心地としての重要性を浮き彫りにしています。
この重要性から、アンテオケを教会の起源とする人もいます。
ペンテコステの日に教会が奉仕の力を与えられたという説は否定されますが、教会はアンテオケで始まったという主張があります。
これは無理のある説であり、聖書の裏付けがありません。
ペンテコステは教会が力を受けた日であったことは既に述べました。
アンテオケでは聖霊のバプテスマのような出来事は起こりませんでしたが、アンテオケはエルサレムで起こった出来事にあずかりました。
アンテオケの異邦人信者たちは、使徒と預言者を土台とし、イエス・キリスト御自身が礎石となられた教会に、同じ聖霊によって加えられました。
「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」
(エペソ人への手紙2章20節)
アンテオケ自体は、紀元前300年にセレウコス・ニカトールによって築かれた影響力のある街です。
オロンテス川沿いに位置する美しい都市で、素晴らしい景観を誇っています。
贅沢で官能的な都市でありながら、極度の不道徳に染まっていました。
ここで福音は、救いに至る神の力として現れたのです。
それは、この偉大な歴史書の前に書かれていることとは非常に対照的です。
アンティオキア人に福音を宣べ伝え、彼らの間に教会を設立するのに使われた手段が一切述べられていません。
この事実は、教会の真実な特質、すなわち、いかなる人間的、地上的な権威からも独立し、すべてのもののかしらである主に頼らなければならないことを示しています。
しかしながら、これから私たちが直接見るように、この新たな出発はエルサレムにおいて認められ、認識されなければなりません。
このように、異邦人も福音に預かれることを示すために、使徒たちが彼らの上に手を置いて聖霊を受ける必要がありました。
Ⅲ.バルナバはアンテオケに派遣されました。
「この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。
彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。
彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。
バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。
そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」
(使徒の働き11章22~26節)
アンテオケでなされた素晴らしい働き、主に立ち返った大勢のギリシヤ人を集める働きが、エルサレムの教会にバルナバを派遣するきっかけとなりました。
エルサレムの教会は、復活し栄光を受けた主の力の新たな証拠に対して責任を感じていました。
彼らはエルサレムで、その報告が真実であるかどうかを知りたかったのです。
そして、もし真実ならば、その集会はその事実を認められなければなりません。
これは、啓示によってまだ完全には明らかにされていないものの、教会の一体性が聖霊を通して実現されたことを示しています。
エルサレムの集会とアンテオケの集会には祝福された関係が存在していました。
ペテロがその都市を訪れた際に、キリストが私たちに与えてくださった自由の中で、ペテロがこれらの信仰深い異邦人とともに食事をし、交わりを楽しんだことからも分かります。
「ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。」
(ガラテヤ人への手紙2章11、12節)
バルナバはこの使命にふさわしい人物です。
しかし、彼は使徒の使者として、つまりバプテスマを施したり、按手を執り行ったり、あるいは新しい信者たちに何らかの交わりの場に迎え入れたりするために来たのではありません。
彼の使命は、単に「これらのことの知らせ」が真実であるかどうかを見極めることでした。
そして、もし真実であれば、異邦人の信者たちもそれを認めるしかありませんた。
バルナバは到着すると、神の恵みを目にしました。
聖霊の真実な御業が成し遂げられたことを目の当たりにし、喜びに満たされました。
彼は、心に決意を固めて主に付き従うようにと勧めました。
他に何も必要ありません。
異邦人の信者たちは主のものであり、それゆえに主に付き従うべきでした。
エルサレムの仲間の信者たちとの一致は、この教えによって認められました。
バルナバはアンテオケ滞在中、怠惰に過ごすことはありません。
聖霊は彼を大いに用いられました。
聖霊と信仰に満ちた善良なバルナバの勧めは、大勢の人々を主に加わらせました。
この後者の表現は、2章42節と47節で使われているものと同じものです。
そこには広大な収穫地があり、強い人が必要です。
御使いも天の啓示も、その人を指し示していません。
バルナバは彼を知っており、内在する聖霊に導かれ、慰めの子(バルナバとはまさにこの意味です)は、サウロを探すために近くのタルソスへと出発しました。
サウロはバルナバの仲間でした。
バルナバはサウロを使徒たちに紹介しており、バルナバがサウロの口から、そして経験から、彼が異邦人に説教するために主から召されたことを知っていたことは疑いようがありません。
バルナバはタルソでサウロを見つけました。
サウロは、人生の仕事を始めるべき時を辛抱強く待ち望んでいたはずです。
そして、その時がまさに今来ました。
二人がアンテオケで丸一年を共に過ごした様子が描かれています。
彼らは教会に集まり、多くの人々に教えました。
この短い文章から、主を信じるようになったこれらの異邦人が、アンテオケで初めてクリスチャンと呼ばれたことが分かります。
この運動は外部の人々の注目を集めました。
ユダヤ人がこの名称を使ったことは確かではなく、異邦人が考えだしたのです。
アンテオケは嘲笑や罵倒を頻繁に行うことで知られており、時事ネタに富んだ警句で知られていました。
そこで彼らは「クリスチャノイ」(クリスチャン)という新しい言葉を造りました。
この言葉はアグリッパの事例に見られるように、外部の人々によってのみ使われています。
(ペトロの手紙一4章16節も参照)
ユダヤ人も異邦人も同じように「クリスチャン」という名称で呼ばれました。
これは、ユダヤ人と異邦人がキリストにおいて一体であることを証しするためです。
Ⅳ.アガボの預言
「そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。
その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。」
(使徒の働き11章27~30節)
これらの節には、エルサレムの集会とアンテオケの集会に存在した交流と親睦のさらなる証拠が見ることができます。
預言者たちはエルサレムからアンテオケにやって来ました。
これは新約聖書で預言者について述べられている最初の箇所です。
彼らは使徒たちと共に、主から教会への賜物として遣わされました。
初期のキリスト教には多くの預言者がいました。
しかし、彼らの賜物は預言だけに限られてはなりません。
神との祝福された交わりにある満ち足りた心から神聖な事柄を語る者は、預言する者です。
これらの霊的な賜物は、エルサレムからアンテオケへと導かれ、そこで奉仕しました。
その中でも特に有名なのはアガボです。*
*使徒の働き21章11節に登場するアガボと同一人物です。
アガボは、間もなく大飢饉が来ると預言しました。
そして、それはクラウディウス・カエサルの時代に起こりました。
その後、教会の祝福された交わりと一致を改めて明確に示す貴重な行為が続きます。
弟子たちはそれぞれ自分の能力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の手を差し伸べようと決意しました。
エルサレムの教会は貧しく、アンテオケの弟子たちは地上の物はより恵まれていました。
そして今、彼らはそれぞれの能力に応じて、個人それぞれに賜物が与えました。
アンテオケの弟子たちはエルサレムから多くの霊的な祝福を受けていたため、物質的な贈り物をエルサレムに送りました。
バルナバとサウロは、エルサレムの集会の長老たちに交わりの品を届けました。
12章
この章で、使徒の働きの第2部は終わります。
エルサレムは神の国に関する二度目の提示を聞いており、命の君を殺害した者たちにさえも哀れみが示されました。
しかし、その提示は拒まれました。
ステパノの証言と殉教は、主が十字架にかけられたこの町への二度目の提示の終焉を告げるものでした。
その後、激しい迫害が起こり、使徒たちを除いて人々は散り散りになりました。
8章では、ユダヤとサマリアで福音が宣べ伝えられた様子を見ました。
前章では、エルサレムから追放された人々がフェニキア、キプロス、アンテオケで御言葉が宣べ伝えたことを知りました。
使徒の働きの第二部では、異邦人への使徒サウロの改心、ペテロの行為とコルネリオへの説教、キリスト教の第二の中心地としてのアンテオケ教会の設立などが報告されています。
使徒の働きのこの部分を締めくくる12章は興味深い章です。
そこに含まれているのは歴史的な情報だけでなく、ディスペンテーション的な予知を示すものとしても興味深いものがあります。
再びエルサレムに招かれ、大きな患難を目にします。
邪悪な王が都を支配していました。
ヤコブは剣で殺され、ペテロは投獄されましたが、奇跡的に救出されました。
神の力と崇拝を主張していた邪悪な王は、主の裁きによって突然打ち倒されます。
その後、バルナバとサウロはエルサレムからアンテオケに戻りました。
御言葉は成長し、増殖し、そこからすぐに大規模な宣教活動が行われました。
エルサレムでの出来事、ヘロデ王のもとでのヤコブの殉教、ペテロの投獄と解放、そして迫害する王の運命は、この世が終わる時代の出来事を予兆しています。
真実な教会が地上から取り去られた後、つまりテサロニケ人への手紙第一4章16、17節が成就した後、大患難が起こります。
大患難と裁きが全世界に臨む一方で、大患難は、一部が故郷に帰還したユダヤ人にも臨みます。
不信仰なユダヤ人の大群の中に、神を畏れるユダヤ人の残された者が見出され、彼らは改心して真理を証しします。
その時、邪悪な王、罪の人、偽りのメシアがエルサレムで権力を握ります。
その残された者の一部は殉教します。
これは反キリストの型であるヘロデによって殺されたヤコブに代表されます。
別の一部はペテロが救われたように救われます。
ヘロデの傲慢さと運命は、明らかに反キリストの運命を示しています。
(テサロニケ人への手紙二2章3~8節)
この章を詳しく研究する際には、これらすべてを念頭に置いておくとよいと思います。
Ⅰ.ヘロデ・アグリッパ一世による教会への大迫害(使徒の働き12章1~5節)
Ⅱ.ペテロの奇跡的な救出(使徒の働き12章6~17節)
Ⅲ.ヘロデ王の出すぎの態度と裁き。(使徒の働き12章18~23節)
Ⅳ.アンテオケに戻ったバルナバとサウロ(使徒の働き12章24、25節)
Ⅰ.ヘロデ・アグリッパ一世による教会への大迫害
「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。
ヘロデはペテロを捕えて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。
こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」
(使徒の働き12章1~5節)
第二の大迫害が起きました。
それは、前章の最後で述べた出来事が起こった頃です。
ここで述べられているヘロデ王は、歴史上ヘロデ・アグリッパ1世として知られています。
彼はヘロデ大王の孫です。
彼はまずピリポの領土を領有し(ルカの福音書3章1節)、次にヘロデ・アンティパスの領地、ガリラヤとペレアを領有し、最後に政治的策略によってユダヤとサマリアを王国に加えました。
彼はローマで多くの時間を過ごしました。
そこでは贅沢な暮らしをしていました。
エルサレムに到着すると、ユダヤ人の律法を外面的に遵守し、彼らの慣習を守ることで、あらゆる手段を講じて彼らの好意を得ようとしました。
教会に対する迫害は、ユダヤ人の支持を得たいという願望から生まれたものであることは疑いありません。
歴史的記録によれば、彼の憎しみは使徒たちに向けられ、ヤコブは剣で殺されました。
このヤコブは、福音書で特に述べられている三人の弟子の一人、ヨハネの兄弟でした。
ヤコブは弟のヨハネとペテロと共に、ヤイロの娘の復活を目撃し、変容の山とゲッセマネにも行きました。
使徒としてのヤコブの働きや裁判については何も記録されておらず、殉教の詳細も記されていません。
彼はバプテスマ者ヨハネと同様に、剣で斬首されて処刑されました。
この死刑はユダヤ人にとって最も不名誉な死とみなされていました。
タルムードはこのことについて述べています。
誰かが人々を惑わして他の神々を崇拝させた場合にこの罰が用いられたと伝えています。
これがヤコブに対する告発であったかどうかは分かりません。
ゼベダイの二人の息子、ヤコブとヨハネは、神の御国で右と左に座ることを願っていました。
主は、彼らが主が飲むべき杯を飲むことができると宣言した後、答えてこのように言われました。
「イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」」
(マタイの福音書20章23節)
そして、この預言はヤコブの生涯において成就したのです。
ヤコブは亡くなった最初の使徒であり、新約聖書の中でその死の記録が残っている唯一の使徒です。
ヤコブの苦しみと死についての詳細が記録されていないこともまた重要です。
ある人はこのように述べています。
「熱烈な信仰と主の速やかな再臨への期待に満ちた時代には、死は単なる状態の変化、眠りに落ちることとして、本来の立場に落ち着きました。
つまり、教会は殉教者の苦しみの痛ましい細部に病的な関心を抱くのではなく、彼らの血の収穫を喜びをもって刈り取るために前進したのです。
」*
* R.B.ラックハム(R.B.Rackham)
この血なまぐさい行為はユダヤ人を喜ばせ、邪悪な王はペテロに手を伸ばし、彼を牢獄に送りました。
ペテロはエルサレムに残された唯一の使徒でした。
これは17節から明らかです。
ペテロは、自分の救出が主の兄弟ヤコブと兄弟たちに知らされるよう願い求めます。
仲間の使徒である十人については、ペテロは何も言及していません。
彼らは当時エルサレムを離れていたのです。
十二使徒のうち一人が連れ去られ、ペテロを除く他の使徒たちはエルサレムにいなかったことは、彼らが国のために行っていた働きが終わったことを示しています。
ペテロは三回投獄されました。
4章に記されている同じ人の驚くべき救出は、多くのユダヤ人の心に今も鮮明に残っているはずで、この投獄に際しては細心の注意が払われました。
四人組の兵士が彼を警備していました。
彼は内房にいました。
両側に兵士が一人ずつ配置され、彼は二本の鎖で縛られていました。
扉の前にいる番兵が牢番をしていました。
このように彼は牢獄に閉じ込められたのです。
残酷なヘロデはナザレ人を根絶やしにしようとしており、ペテロはヤコブと同じ運命をたどることになりました。 *
* 新約聖書には4人のヘロデが登場します。
彼らは皆、反キリストの典型であり、サタンによって操られていました。
*ベツレヘムの子供たちを殺したヘロデ大王です。
*バプテスマ者ヨハネを殺したヘロデです。
*ヤコブを殺したヘロデです。
*パウロが立って説教したヘロデ・アグリッパです。
しかし、教会は「彼のために神に祈りを捧げ続けた」のです。
ヘロデはこのことを何も知りません。
残酷な暴君はこの事実を考慮に入れていません。
ヤコブのために祈られたという記述はどこにもありません。
おそらく彼の殉教は突然の出来事だったと思われます。
あるいは、聖霊がヤコブが死によって主の栄光をたたえることをすぐに示しました。
しかし、その時は彼の解放を求める祈りはできていません。
教会は祈祷会を開きました。
それは長時間にわたる祈祷会です。
それは熱心な祈祷会であり、当然ながら、絶え間なく続けられました。
後ほど見ていきますが、祈祷会は個人の家で行われています。
一人のが苦しみが全員の苦しみでした。
祈りは彼らの避難所であり、聖霊によって導かれました。
Ⅱ.ペテロの奇跡的な救出
「ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。
すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。
そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。
彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。
その時、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」
こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。
ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門を開けもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。
彼らは、「あなたは気が狂っているのだ。」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ。」と言っていた。
しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門を開けると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。
しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。」と言って、ほかの所へ出て行った。」
(使徒の働き12章6~17節)
ヘロデが邪悪な計画を実行しようとした数時間前に、教会の祈りが聞き届けられました。
ペテロは二人の兵士の間で眠っていました。
おそらく二人は鎖で繋がれており、二度と逃げ出すことは不可能だったと思われます。
では、なぜペテロはあんなに安らかに眠れたのでしょうか?
それは疲労による眠りではなく、主を信頼する穏やかな心の結果だったはずです。
彼は牢獄の中で、ティベリア湖畔で復活した主が彼に語りかけた言葉を思い出したのではないでしょうか?
「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
(ヨハネの福音書21章18節)
主はこのように語り、ペテロがどのような死を遂げて神に栄光を帰すべきかを示しました。
ペテロはまだ年老いていません。
ペテロは自分の主が貧しく惨めなヘロデよりも偉大であることを知っていました。
ペテロは主と、主の恵み深い言葉に安らぎを覚えました。
ああ!神の民は信仰の平穏な安らぎを知ることができます。
私たちの命は神の御手の中にあります。
神は私たちの上におられ、いかなる敵も私たちを傷つけることはできません。
神の御心なしに私たちに触れるものは何もありません。
御使いが現れ、ペテロを救い出しました。
彼の手から鎖が外れ、栄光の光が牢獄を照らしました。
ペテロは御使いに従い、夢の中にいるように従いました。
第一、第二の衛所を通り過ぎ、鉄の門に着くと、門はひとりでに開きました。
御使いは通りの外へ出て行きました。
その時、ペテロは主が御使いを遣わして自分を救い出してくださったことを悟りました。
この奇跡の詳細については、これ以上述べる必要はありません。
このようにさまざまな警戒にもかかわらず、ペテロは解放され、牢獄は再び空になりました。
地上の神の国には、依然として御使いの姿が見られていました。
今の時代では、御使いの働きは隠されています。
この書は、ローマのもう一人の囚人、パウロで終わります。
パウロを救い出す御使いは遣わされません。
その後も、神の子らがキリストと義のために苦しみ、説明のつかない牢獄が幾度となく存在していました。
しかし、天は沈黙し、干渉していません。
何千人もの人々が拷問を受け、死が彼らを解放するまで、獄中で悲惨な生活を強いられました。
彼らの解放を祈っても、何の答えも得られません。
これは少なからぬ人々にとって謎であり、不信仰に対する嘲笑の一つとなっています。
しかし、現代社会の特徴の一つは、天が閉ざされていることです。*
* 読者の皆様には、サー・ロバート・アンダーソンの優れた著書「神の沈黙」をお勧めします。
この本はこの問題を扱っています。
しかしながら永遠に閉じられるわけではありません。
ヤコブの死とペテロの救出は、患難時代にユダヤ人聖徒たちが死に、そして他の人々が奇跡的に救われることを予兆しています。
ペトロは再び自分の仲間のところへ向かいます。
彼らはヨハネの母マリアの家に集まっています。
ここでのマリアとはマルコとも呼ばれるヨハネの母のことで、使徒の働きの中で初めて登場します。
彼女はバルナバの叔母でした。
中庭があったことから、その家は大きかったはずです。
広々とした家の中には、かなりの数の信者が集まり、祈りを捧げていました。
ヤコブと兄弟たちは不在だったと記されているため、指導者はいません。
いわゆる非公式の集まりでしたが、聖霊が指導者でした。
おそらく、ペテロが入場を求めてノックした時、彼らはまだひざまずいていました。
召使いのロダは門へと急ぎました。
ペテロの声だと気づき、喜びで胸がいっぱいになりました。
喜びのあまり、門の掛け金のことなどすっかり忘れ、ペテロに門を開けるどころか、家へと駆け戻り、良い知らせを伝えました。
集まった人々の祈りを邪魔してしいました。
祈りは聞き届けられ、今こそ賛美の時です。
しかし、残念ながら、彼らからは返事がありません。
彼らはペテロが救われたことを信じる代わりに、ロダの幸せそうな輝く顔を見て「あなたは気が狂っているのだ」と言いました。
ペテロが釈放されたことを信じた者は、一行のうち誰一人いません。
ペテロだと信じたのはロダだけでした。
そして、この本に彼女の名前が記されているのは、間違いなくそのためです。
おそらく奴隷の娘だったこの貧しい女中は、信仰を持っており神を喜ばせました。
祈祷会では熱心な祈りが捧げられましたが、祈りが聞き届けられた時、彼らの不信仰が露呈しました。
それが本当にペテロであるというロダの信念が揺るがなかったため、一座はノックの音を霊的な方法で説明しようとしました。
「それは彼の御使いだ」と彼らは言いました。
これは一般に、彼の「守護の御使い」を意味していると考えられています。
「守護の御使い」信仰の多くは、この表現に基づいています。
しかし、それには無理があります。
彼らはこの表現では、ペテロの肉体から離れた霊を指していました。
彼らはペテロが殉教したと考え、これは一種の霊的な現れだと考えました。
しかし、ついに扉が開き、ペテロが無事に彼らの真ん中に立っていた時、彼らは驚きました。
ペテロは自分が救われたことを知らせてから、去って他の場所へ行きました。
主の兄弟ヤコブはエルサレムに残されました。
他の使徒たちは去り、ペテロも同様に急いでエルサレムを去りました。
これは確かにこの移行期の終わりを告げるものです。
ペテロはどこへ行ったのでしょうか?
私たちは知りません。
ローマ・カトリック教会は、ペテロがローマに行ったと主張しています。
それを裏付ける証拠は全くなく、全てがそれを否定しています。
ペテロはローマを一度も見たことがありません。
パウロは54年にローマ人への手紙を書きましたが、そこには当時、使徒がローマを訪れていなかったことが記されています。
15章ではペテロがエルサレムに戻っており、彼が異邦人の間で働きを行っていなかったことは明らかです。
彼は割礼の福音を堅く守り続けました。
「それどころか、ペテロが割礼を受けた者への福音をゆだねられているように、私が割礼を受けない者への福音をゆだねられていることを理解してくれました。
ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。」
(ガラテヤ人への手紙2章7、8節)
Ⅲ.ヘロデ王の出すぎの態度と裁き
「さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。
ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。
さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。
定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。
そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けた。
するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。」
(使徒の働き12章18~23節)
ペテロの逃亡はすぐに発覚しました。
ローマの法律に基づき命に責任を持つ兵士たちは当然のことながら大いに動揺しました。
ヘロデは捕虜を捜しましたが、手の届かないところにいました。
看守たちは王によって処刑されました。
彼はベツレヘムの子供たちを殺した残酷な祖父の轍を踏んだのです。
それから彼はエルサレムを離れ、壮麗な宮殿を持つカイザリヤへと向かいました。
ヘロデとツロとシドンの人々の間には、何らかの困難がありました。
フェニキアの諸都市は海岸沿いの細長い土地に過ぎず、食料をパレスチナに依存していたのです。
そのため、彼らは和平を余儀なくされ、友人であり王の侍従でもあったブラストスを通して和平が成立しました。
ブラストスの関心は、おそらく賄賂によって得たものだと思われます。
また、ヘロデはフェニキア人への食料供給を断ったのです。
彼らは物を買うことも売ることもできません。
このように彼らは王の前に屈服せざるを得なくなったのです。
こうしたことにおいて、ヘロデは罪人の典として現れ、ヘロデはその性格を予示しています。
そして、ある日、民衆の前で話すことが許される日が来ました。
王は王冠をまとって現れました。
ユダヤの歴史家ヨセフスによれば、王の衣はまばゆいばかりの銀で作られ、太陽の光を受けて群衆の目を眩ませました。
王はベマ(裁きの座)と呼ばれる玉座に座りました。
それから演説を行い、おそらくツロとシドンの使節たちに和解の意を伝えました。
その光景は、まさに輝かしいものでした。
民衆は王の壮麗な光景とお世辞に酔いしれ、「これは人間の声ではなく、神の声だ」と叫びました。
ヘロデ王の狙いは、まさにこの喝采だったのです。
ヘロデ王はすべてを計画していました。
ヘロデの栄光は頂点に達したかに見えました。
君主たちは神格化され、皇帝アウグストゥスも崇拝されました。
しかし、彼は神に栄光を帰さず、むしろその栄光を奪い取りました。
その結果、突然の審判が下されたのです。
ヘロデ王に何が起こったかはヨセフスによって記されています。
ヨセフスはヘロデ王の邪悪さを語り、そして王を擁護しようと試みています。
ヘロデ王は、劇場の天幕のロープの一つにフクロウが止まっていたのを見て、突然激しい痛みに襲われたと述べています。
神のみことばは真実を語っています。
主の御使いが彼を打ち、彼は虫に食われました。
非常に恐ろしく忌まわしい病気が彼を襲い、数日後には文字通り、彼は虫に食べられました。
「彼は激しい内臓痛に襲われ、宮殿に運ばれました。
そこで5日間、腸の不調の原因である虫に食われ、極度の苦痛に苦しみました。」
来たるべき反キリストもまた、神の栄誉を主張し、神に取って代わります。
その終焉は、ヘロデの悲惨な運命と、その向こう側にある「うじも死なない」場所に予兆されています。
Ⅳ.アンテオケに戻ったバルナバとサウロ
「主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。
任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。」
(使徒の働き12章24、25節)
神のみことばの勝利に満ちた前進を阻むものは何もありません。
言葉は成長し、増殖しました。
神の裁きによってヘロデが追放されたことは、真理に影響を与えました。
その後、エルサレムにいたバルナバはアンテオケに戻り、マルコとも呼ばれるヨハネも彼に同行しました。
最後の節は、この書の第三部分の冒頭と密接につながっています。
13章
13章は、この本の第3部の始まりです。
キリスト教の第二の偉大な中心地が前面に出てきます。
それはもはやエルサレムではなく、アンテオケの町です。
エルサレム、ユダヤ、サマリアで宣べ伝えられ、コルネリオとその家族が聞き、受け入れた福音は、今や特別な方法で、はるか遠くの異邦人へと伝えられました。
最初の偉大な異邦人教会が設立されたこの町が、出発点です。
使徒の働きの最初の12章で非常に重要な役割を果たしたペテロは、もはや主役ではありません。
使徒の働きのこの後半部分では、彼は一度だけ述べられています。
15章のエルサレム会議に関連して、彼の声が再び聞かれます。
天の御国に関する特別な御業、すなわちユダヤ人と異邦人への扉を開く働き(使徒の働き2章と10章)は、パウロによって成し遂げられました。
彼は割礼に関して使徒としての務めを果たし続けましたが(ガラテヤ人への手紙2章7節)、今や私たちの前から姿を消しています。
代わりに、異邦人の偉大な使徒パウロが登場し、彼の素晴らしい活動は本書の残りの部分で描写されています。
福音を拒み続けるユダヤ人の反対と盲目さは、この部分を通して完全に明らかになり、本書自体は彼らに対する証言で締めくくられています。
「ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」
(使徒の働き28章28節)
さらに、これらの章では、聖霊が選ばれた器たちを召し、遣わす際にどのように彼らを導き、満たし、扉を開き、罪人の救いと教会の設立においてその恵みの力を現されたかが記されています。
また、福音の進展を妨害し、歪曲する敵の働きも記されています。
この章は4つの部分に分かれています。
Ⅰ.神の選びと召命
働きのために分けられたバルナバとサウロ(使徒の働き13章1~3節)
Ⅱ.旅の始まりとキプロス島での最初の出来事(使徒の働き13章4~12節)
Ⅲ.ガラテヤにおける福音
会堂におけるパウロの説教(使徒の働き13章13~41節)
Ⅳ.異邦人へ返り、ユダヤ人は福音の拒否(使徒の働き13章42~52節)
Ⅰ.神の選びと召命
働きのために分けられたバルナバとサウロ
「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。
そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」
(使徒の働き13章1~3節)
時は46年の春頃でした。
この短い言葉で描かれた光景は、貴重であると同時に、非常に重要なものです。
新たな始まりが始まろうとしています。
集まり全体は、間違いなく神の御霊に動かされています。
まさに今、重要な業が開始されようとしているという事実に感銘を受けます。
ここに挙げられている人々は、集まりの中で主から賜物を受けた人々です。
5人の名前が挙げられています。
最初の人物はバルナバ、最後の人物はサウロですが、自分を「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私」と呼ぶことを喜んだ最後の人物が、神の恵みにより、最初の際立つ立場に就きました。
次に、キレネ人ルキオ、伝道者シメオン、ニゲルと呼ばれたシメオンがいます。
彼はエチオピア人でした。
シメオンと並んで、ヘロデの義兄弟で、最高位の立場で活動していたマナエンの名が挙げられます。
恵みは彼らを救っただけでなく、このように賜物が与えられました。
「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、」
(エペソ人への手紙4章12節)
彼らは待ち続ける集まりとして共にいました。
本書の冒頭で待ち続ける集まりを見るように、第二部の冒頭でも信者たちが待ち続ける姿が描かれています。
しかし、そこには大きな違いがあります。
1章で待ち望んでいた弟子たちは聖霊が来られることを待ち望んでいました。
聖霊はペンテコステの日に来られました。
アンテオケで待ち望んでいた人々は、聖霊が来られることを待ち望んでいたのではありません。
彼らの内に宿る聖霊が語りかけ、神の御心を知らせてくださるのを待ち望んでいました。
彼らは主に仕え、断食しました。
仕えることを表すギリシヤ語は「レイトゥルギア(Leitourgia)」で、そこから「リタジー(Liturgy)」という言葉が派生しました。
儀式主義は、礼拝において定められた形式を用いることの聖書的正当性を主張しています。
集まった人々はこのように一緒にいたとき主を思い出し、そのとき聖霊が語ったと述べられています。
儀式主義的な立場から主張するのならば、ギリシヤ正教会は今でも聖餐を「リタジー」と呼んでいます。
そこから、パンを裂くことで皆で主を思い起こしていたという結論が導き出されます。
もちろん、これには無理があります。
しかしながら、主の晩餐では、クリスチャンは言葉の最高の意味で主に仕えることは事実です。
聖霊の力によって真実な礼拝行為として行われる時、それは私たちの聖なる祭司職の働きです。
私たちは霊的なささげ物、すなわち神への賛美のささげ物、すなわち私たちの唇の実を捧げます。
私たちが主の死に至る愛を思い起こして慰められる時、主もまた私たちから分け前を受け取り、聖徒たちの中にある相続品を見つめ、このように私たちは主に仕えるのです。
ここに集まった人々にとって、主への奉仕とは、間違いなく賛美と祈りです。
彼らは主を待ち望んでいました。
主よ、読者の皆さんに、祈りとは栄光に輝く私たちの祝福された主への奉仕です。
私たちの弱い心と唇からこれらの奉仕を受けることを主は喜んでくださるということを理解すべきです。
彼らは新たな出発を急ぐつもりはありません。
計画を立てることも、委員会を設置することもありません。
悲しいことに、現代のキリスト教活動で際立つべきものがありません。
それは、この地上の教会の始まりについての書かれた偉大な書物の記述が失われているからです。
また、神の記録で最も必要な主への依存と聖霊による明確な導きも、現在では完全に欠けています。
今日の大きな運動では、人材、資金、方法が強調され、盛大な祝宴や大会では、自信と自立の表現にすぎない熱意がかき立てられます。
世の目には、アンテオケでのささやかな集会は大きな運動には映りませんでした。
しかし、聖霊がそれを始め、導いてくださり、偉大なものでした。
そして、聖霊は謙遜と自分を無にすることを愛しておられます。
もし、現代において、私たちがこれらすべてを再現できないとしても、主イエス・キリストに仕えるよう召された個人として、主御自身に頼り、聖霊の導きに信頼して仕え、歩むべきです。
ここで述べられている断食は、おそらく特別に定められたものだったと思われます。
彼らが主に仕えている時、聖霊が語られました。
これは、聖霊の個性と神性を学ぶ力強い聖句の一つです。
そして、もう一つの最も重要な事実がここに示されています。
霊的なクリスチャンは皆、聖霊による継続的な導きを切望しています。
聖霊に従って歩むなら、聖霊に導かれます。
これは単純な真理です。
しかし、神の子たちはしばしば困惑します。
ある人たちは、聖霊の声だと信じた印象や内なる声に従いましたが、彼らは騙されました。
ここでの重要なヒントは「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が言われた」ということです。
私たちが自分自身を主に頼り、主を待ち望み、主に仕える時、私たちは聖霊が語られることを確信を持ち期待を得るのです。
この機会に主が語られたことを通して、私たちは主が地上に教会の導き手として来られたことを学びます。
主は教会の諸事を管理するために来られました。
奉仕のために選び、召し、派遣する権利が主にあり、最優先されます。
すべての行為は聖霊に委ねられています。
主が語られた言葉は簡潔です。
「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」
集められた賜物のうち二つは、特別な働きを担うために主に分けられました。
真実なクリスチャンの奉仕とは、聖霊から来る霊的な賜物として使うことです。
その賜物を実際的に使用する際には、同じ祝福された御方の御手に委ねられます。
奉仕は、しもべの自己選択の手にも、教会の手にも委ねられず、聖霊に委ねられます。
聖霊がこのように語るとすぐに、彼らは神の呼びかけに従い、彼らに手を置いて去らせました。
この行為は、誤って叙任と解釈されてきました。
そのため、福音派キリスト教世界では、宣教師として宣教におもむく人、あるいは教会の牧師や伝道者として叙任するという教えと実践が存在します。
しかし、そのような叙任はここでは教えられていません。
新約聖書のどこにも教えられていません。
福音を宣べ伝える権威は、ある人から別の人に与えられるものではなく、このように記されています。
「人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、」
(ガラテヤ人への手紙1章1節)
新約聖書によれば、いかなる人間も、いかなる集まりも、神のみことばを宣べ伝える権威を与えることはできません。
それは神からの賜物であり、繰り返しますが、その賜物は聖霊の導きを通して働かなければなければなりません。
これが新約聖書の教えです。
信仰を告白する教会がこの教えからどれほど脱線し、そして私たちの周囲のキリスト教世界に多くの混乱と破滅がもたらされちることは明白です。
聖霊が召し、御自身のために聖別されたことのない多くの人々が、何らかの会合や会議によって叙任され、いわゆる「キリスト教聖職」に就いています。
そして、使徒継承という形の叙任によって人を教会の「司祭」の立場に就かせている教派においては、状況はさらに悪化しています。
このように、バルナバとサウロには、特定の職務を果たして御言葉を宣べ伝える権限を与える叙任儀式は一切必要ありません。
彼らは二人とも説教者であり、教師でもありました。
もし、長い間その職に就いていたのなら、どうして聖職に任命されることができたのでしょうか?
もし、預言者や教師の職よりも高い立場に任命されるのであれば、それは使徒の立場です。
しかし、それは不可能です。
なぜなら、パウロは既に使徒だったからです。
しかし、彼らが彼らに手を置いたのは、どのような意味があったのでしょうか?
彼らの中の一人が、聖霊の声を発しました。
集まり、あるいは教会はその呼びかけを聞きました。
彼らはそれを聖霊からのものとして受け入れ、従いました。
それから彼らは手を置くことによって、聖霊が召された働きをするために選ばれた二人との交わりと一体性を外面的に表現しました。
彼らは彼らの働きとは何の関係もありません。
しかし、その働きへの協力を示して主の祝福を祈りました。
これは3節の最後の文に見られます。
「彼らは、送り出した」です
教会、あるいは教会の長老たちは、彼らを送り出したわけではありません。
次の節にはそのような考えを戒める言葉があります。
それは「ふたりは聖霊に遣わされて」と記されているからです。
しかし、彼らは祝福を与えて送り出しました。
Ⅱ.旅の始まりとキプロス島での最初の出来事
「ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。
島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師に出会った。
この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいた。
この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた。
ところが、魔術師エルマ(エルマという名を訳すと魔術師)は、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした。
しかし、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、
言った。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。
おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。
見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」と言った。
するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回った。
この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。」
(使徒の働き13章4~12節)
彼らは、人間ではなく、この奉仕と神へと彼らを召した聖霊の導きのもとに出発したのです。
最初に挙げられる場所はセルキヤです。
この街はアンテオケから約15マイル離れた要塞都市です。
セルキヤで行われたいかなる活動についても報告はありません。
バルナバの故郷セルキヤの海岸から見えるキプロス島は、彼らが聖霊に導かれた場所でした。
セルキヤに最も近い港はサラミスで、彼らはそこに到達しました。
サラミスには多くのユダヤ人が住んでおり、バルナバとサウロは会堂で福音を語りました。
ヨハネとマルコは彼らの助手として同行していたと記されています。
彼が改宗者たちにバプテスマを授けたと考える人もいますが、それを裏付ける証拠はありません。
彼は単なる付き添いで、バルナバとサウロが妨げられることなく御言葉の宣教に専念できるよう、簡単な食事の準備やその他の世話など、さまざまな方法で彼らを助けたに過ぎませんでした。
サラミスでの証言の結果については何も記録されていません。
また、島中での彼らの働きについても何も語られていません。
聖霊がこの物語を私たちに与えてくださった際、彼らの活動の詳細は記されていません。
なぜなら、聖霊はパポスでの出来事を、使徒パウロの異邦人への最初の旅において最も重要な出来事として位置づけたかったからです。
そしてそれは重要な出来事です。
そこで彼らは、魔術師、偽預言者、サタンの偉大な道具である者を見つけました。
彼らは、異邦人に宣べ伝えられる福音に反対しようとしていました。
このような邪悪な人々、敵の特別な道具である者たちは、この書物の中で繰り返し登場し、福音が新たな地域に伝えられる際には必ず登場します。
*サマリアではシモン・マグスでした。
*マケドニアでは、霊媒師の乙女いました
*ここに魔術師バルイエスがいます。
彼はユダヤ人であり、その名は「イエスの子」を意味します。
キプロス名であるエルマスはギリシヤ語ではなく、「賢者」を意味しています。
パポスは悪名高い都市です。
壮麗な神殿で、アフロディーテ、すなわちヴィーナス女神が崇拝されていました。
そこはサタンの拠点であり、聖霊によって遣わされた神の使者に対抗するために、サタンはそこに部下を置いていました。
この偽預言者は、ユダヤ人でありながら東洋のオカルティズムの邪悪な行いを実践し、その国の代議士セルギオ・パウロと密接な関係を持っていました。
彼はおそらく代議士の家の者だったと思われます。
セルギオ・パウロは真理の探求者であり、二人の使徒に彼らの口から神のみことばを聞くよう呼びかけました。
すると、エルマ側からのサタン的な抵抗が露呈しました。
これは重要な瞬間です。
なぜなら、キリストの教義がローマ世界に初めて示されたからです。
サタンはエルマを通して使徒たちの証言に抵抗し、セルギオ・パウロを信仰から遠ざけようとしました。
すると、聖霊に満たされたパウロは、彼に目を留めました。
サタンの力が働き始めたまさにその時、聖霊が使者を満たし、偽預言者の邪悪な策略を打ち破り、彼に裁きを宣告しました。
シモン・マグスの時と同様に、ここでも聖霊は偽預言者の真実な姿を暴きます。
彼は悪魔の子であり、「バル・イエス」、救い主イエスの子ではありません。
彼は預言者を自称していましたが、実際にはあらゆる義の敵でした。
彼は主の正しい道を曲げ、この邪悪な働きを続けていました。
そして、エルマスに神の裁きが下されます。
「おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」
裁きは直ちに執行されました。
霧と暗闇が彼を覆い、彼は手を引いてくれる人を探し求めました。
セルギウス・パウロは主の教えに驚嘆し、信仰に入りました。
セルギウス・パウロが真に改心したことに疑いの余地はありません。
突然の裁きに驚いたと言うと疑問が生じますが、彼は主の教えに驚嘆しました。
しるしはユダヤ人のためのものですが、異邦人にはしるしは必要ありません。
この偽預言者、ユダヤ人バルイエス、魔術師エルマは、真理から離れ、福音を拒絶し、主の正しい道を歪めた背教したユダヤ教の一種です。
神の哀れみの提示を拒否した後に、このようなユダヤ教になったのです。
エルマがローマのセルギオ・パウロから神のみことばを隠そうとしたように、ユダヤ人も自分で拒んだ福音を異邦人から隠そうとしました。
魔術師に下された裁きも同様に重要です。
ユダヤ人は裁きによって盲目とされ、指導者を失った彼らは暗闇の中で手探りでさまよっています。
この裁きとしての盲目は、預言者たちによって繰り返し預言されていました。
イザヤ書6章9、10節にも述べられています。
「すると仰せられた。「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」」
(イザヤ書6章9、10節)
彼らの目は閉ざされるはずでした。
主はこの言葉を2度引用しており、それぞれマタイによる福音書13章15節とヨハネの福音書12章40節で、御自身の拒絶と関連づけて引用されています。
「この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。
それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』」
(マタイによる福音書13章15節)
「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。
それは、彼らが目で見、心で理解し、改心し、そしてわたしが彼らをいやす、ということがないためである。」
(ヨハネの福音書12章40節)
そして使徒パウロが新約聖書の中で最後にこの言葉を用います。
使徒の働き23章25~28節をご覧ください。
ユダヤ人が神の救いを受け入れることを拒否し、盲目にされた後、神の救いは異邦人に送られました。
しかし、その盲目は永久的なものではありません。
「その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、」
(ローマ人への手紙11章25節)
これに対応するのが、エルマの盲目であり、それは「しばらくの間」続くものでした。
イスラエルの時とは、この現在の世界です。
この時代が終わると、彼らの心を覆うベール、つまり裁きとしての盲目は取り除かれます。
この出来事が、偉大な宣教運動の始まりに最初に報告されるということは、使徒の働きの範囲と完全に一致しています。
パウロの名が初めて、そしてこの事件に関連して言及されたことは、同様に重要です。
彼がセルギオ・パウロに敬意を表してこの名を名乗ったと主張する人もいますが、それは誤りです。
パウロはローマ名で「小さい」という意味です。
後に彼は自分のことを「私は使徒の中では最も小さい者」と書いています。
彼は最も低い立場を占めていましたが、その象徴する名前が今や重要視されるようになりました。
バルナバが二番目に立場を占めています。
バルナバとサウロではなく、パウロとバルナバという順番です。
パポスでの重大な事件、すなわちエルマの裁きとしての盲目と、異邦人の代表者の主の教義への信仰の後、使徒パウロとその一行はパポスから出発しました。
「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。
ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。」(使徒の働き13章13節)
パウロは今や重要な位置を占めています。
ペルガに着くとすぐに、アンテオケから彼らと共に出ていた助手ヨハネは彼らを離れました。
これはまさに棄権です。
後に、彼がパンフリヤから彼らと別れ、働きに同行しなかったという記述が見られるからです。
「しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。」
(使徒の働き15章38節)
マルコとも呼ばれるヨハネがなぜ引き返したのか、理由は何も記されていません。
危険のためでしょうか、重労働のためでしょうか?
それとも臆病だったのでしょうか?
彼がエルサレムに戻った理由は、おそらく別の性質のものだと思われます。
彼は依然としてエルサレムに強い愛着を持っていました。
彼のヘブル語名はこの章にだけ述べらえており、異邦人、ローマ人、マルコの名前は出てきません。
おそらく彼は異邦人との完全な交わりを完全には受け入れることができず、割礼を受け「律法に熱心な」人々との交わりを持つためにエルサレムに戻ったと思われます。
動機が何であれ、彼は彼らを去りました。
それは彼の側の失敗であり、長い間、マルコとも呼ばれるヨハネはほとんど、あるいは全く奉仕をしなかったことは明らかです。
彼は役に立たなかったのです。
使徒パウロがテモテに宛てた第二の手紙から得られる情報は、私たちにとって祝福されたものです。
パウロはマルコにローマへの訪問を要請しました。
「マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」
(テモテへの手紙第二4章11節)
マルコは回復し、自分の過ちを認め、自分を裁きました。
疑うこともなく、マルコとも呼ばれるヨハネがマルコによる福音書の著者です。
この福音書には、神の完全な僕である主イエス・キリストが、揺るぎない奉仕の中で描かれています。
このことから、私たちは大きな励ましを受けることができます。
マルコは奉仕に失敗し、哀れみ深く回復され、そして「しもべの福音書」を書くために選ばれた人なのです。
Ⅲ.ガラテヤにおける福音
アンテオケの会堂におけるパウロの説教
「しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。
律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」
(使徒の働き13章14、15節)
彼らは別のアンテオケに到着しました。
それはピシデヤにありました。
彼らが福音を伝えた地域は、ガラテヤとしても知られていました。
この地域には、紀元前278 年頃に南ヨーロッパから去って小アジアの一部を占領したケルト人の侵略者であるガリア人が定住しました。
紀元前189年、彼らはローマに征服され、ガラテヤ王国が形成されました。
この王国はガラテヤ本体に加えて、ピシデヤを含む他のいくつかの州で構成されていました。
ガラテヤ人への手紙から、使徒パウロがそこで福音を宣べ伝え、さまざまな教会を設立したことが分かります。
パウロの訪問と働きの記録は13章と14章に収められており、ピシデヤのアンテオケから始まっています。
当時の他の都市と同様に、アンテオケにも多くのユダヤ人が住んでおり、会堂もありました。
彼らは安息日にそこへ行き、他の集まりの中に席を置きました。
今日の正統派の会堂で執り行われる礼拝の順序は、1世紀の会堂とほぼ同じです。
「聞け、イスラエルよ!」と呼ばれるいわゆる「シェマ」(申命記6章4~9の朗唱)、祈り、そしてモーセ五書の規定部分の朗読、そして「ハフトーラ」と呼ばれる預言者からの同様の部分の朗読が行われます。
これらの部分の朗読の後、勧告が行われます。
この時点で、指導者たちは、教師として聞いていた訪問中の兄弟たちに、勧告の言葉があれば話すように求めました。
指導者たちは彼らを「兄弟たち」と呼びました。
神を畏れる異邦人も同様に会堂に入ることができ、その安息日には多くの人が会堂に出席していました。
「そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を恐れかしこむ方々。よく聞いてください。
この民イスラエルの神は、私たちの先祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを強大にし、御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出してくださいました。
そして約四十年間、荒野で彼らを養われました。
それからカナンの地で、七つの民を滅ぼし、その地を相続財産として分配されました。これが、約四百五十年間のことです。
その後、預言者サムエルの時代までは、さばき人たちをお遣わしになりました。
それから彼らが王をほしがったので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間お与えになりました。
1それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。
『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』
神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。
この方がおいでになる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に、前もって悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていました。
ヨハネは、その一生を終えようとするころ、こう言いました。
『あなたがたは、私をだれと思うのですか。私はその方ではありません。ご覧なさい。その方は私のあとからおいでになります。私は、その方のくつのひもを解く値うちもありません。』
兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。
エルサレムに住む人々とその指導者たちは、このイエスを認めず、また安息日ごとに読まれる預言者のことばを理解せず、イエスを罪に定めて、その預言を成就させてしまいました。
そして、死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、イエスを殺すことをピラトに強要したのです。
こうして、イエスについて書いてあることを全部成し終えて後、イエスを十字架から取り降ろして墓の中に納めました。
しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。
イエスは、ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに、幾日もお現われになりました。きょう、その人たちがこの民に対してイエスの証人となっています。
私たちは、神が先祖たちに対してなされた約束について、あなたがたに良い知らせをしているのです。
神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。
詩篇の第二篇に、『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。』と書いてあるとおりです。
神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなたがたに与える。』というように言われていました。
ですから、ほかの所でこう言っておられます。『あなたは、あなたの聖者を朽ち果てるままにはしておかれない。』
ダビデは、その生きていた時代において神のみこころに仕えて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました。
しかし、神がよみがえらせた方は、朽ちることがありませんでした。
ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。
モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。
ですから、預言者に言われているような事が、あなたがたの上に起こらないように気をつけなさい。
『見よ。あざける者たち。驚け。そして滅びよ。わたしはおまえたちの時代に一つのことをする。それは、おまえたちに、どんなに説明しても、とうてい信じられないほどのことである。』」
(使徒の働き13章16~41節)
私たちの前には非常に興味深い記録があります。
これが使徒パウロの説教の完全な報告なのか、それとも要約された報告なのかは定かではありません。
しかし、私たちは、これがパウロが語ったことの完全な報告であると信じています。
これはペテロがユダヤ人に説教したこととさまざまな点で一致していますが、福音に関するペテロのメッセージとは異なっています。
すでに見てきたように、ペテロの説教はユダヤ人に向けたものであり、悔い改めてバプテスマを受ける人々に罪の赦しを約束しました。
しかし、パウロはペテロが明言しなかった真理を初めて語っています。
パウロはこのように言われました。
「モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」
彼が今説いているのは信仰による義認です。
記録に残る彼の最初の発言には、聖霊によって使徒パウロに口述された2つの偉大な手紙の基調部分、すなわち、教義的に重要なローマ人への手紙と、彼の福音を擁護する物議を醸したガラテヤ人への手紙が含まれています。
使徒の説教は3つの部分から構成されています。
1.演説の冒頭部分となる歴史的回顧
(使徒の働き13章17~25節)
2.神の御子の福音の宣教
(使徒の働き13章26~40節)
3.厳粛な警告
(使徒の働き13章40、41節)
イエスは、そこにいたユダヤ人を「契約の名」であるイスラエルと呼び、集まった異邦人を「神を恐れる者たち」と呼びました。
そして、これから宣べ伝える福音の背景となるイスラエルの民の歴史を、手早く語ります。
神は彼らの先祖を選び、民を高め、エジプトから救い出し、荒野を導き、彼らの慣習を受け入れました。
神はさらに彼らの敵を滅ぼし、彼らに相続物を与えました。
出エジプト記4章22節このように記されています。
「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。」
(出エジプト記4章22節)
また、ホセア書11章1節にはこのようにあります。
「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。」
(ホセア書11章1節)
使徒が簡潔に説明しているのは、イスラエルが長子として生まれたこの歴史です。
約束の地には、裁き人、預言者、そして王がいました。
パウロはシスの子サウロに言及し、彼の失敗を人々に思い起こさせつつ、神が立てた者、神の御心にかなう者、神の御心をすべて成就する者として、ダビデについてより深く語っています。
パウロはこのように述べています。
「御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、」
(ローマ人への手紙1章3節)
ダビデとのつながりは明らかです。
パウロがダビデに関して述べた3つの事実は、約束された救世主、ダビデの子において成就します。
*彼は神によって復活させられました。
(使徒の働き13章23、30、33、34節)
神はイエスにこのような証しを与えました。
「また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」」
(マタイの福音書3章17節)
*彼だけが「神のすべてのみこころを成就」することができたのです。
ですから、パウロは主イエス・キリストを、イスラエルのために救い主として復活させられた約束の御方として語っています。
この救い主が来られる前にヨハネがイスラエルのすべての民に悔い改めを呼びかけていた説教は、使徒パウロの説教の前半の結びの部分となっています。
演説の第二部では、パウロは彼らに福音をメッセージしました。
パウロは集まった集まりを「兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々」として語りかけ、また、そこにいた異邦人に対しても、「皆さんの中で神を恐れかしこむ方々」と述べました。
それからパウロはすぐに福音の事実を語りました。
「この救いのことばは、私たちに送られているのです。」
ナザレの会堂で主が「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」と言われた時のことを思い出させます。
集まった人々は、これから告げられることに熱心に耳を傾けたはずです。
キリストの十字架、約束の救い主の死、そしてその死の状況がすぐに告げられました。
キリストの十字架以外に救いはありません。
主が彼らに宣べ伝えたこの救いの言葉は、主イエス・キリストの地上での生活ではなく、十字架上での死に中心を置いていました。
ペテロと同様に、異邦人への使徒も、エルサレムに住む人々とその指導者たちがイエスを知らなかったという事実を強調しています。
彼らの無知の理由は、預言者たちの声を知らなかったからです。
書き記された御言葉に対する無知は、生ける御言葉を拒絶することにつながりました。
これは現在でもユダヤ教とキリスト教世界で同じです。
彼らは安息日ごとにメシア、メシアの拒絶、そしてメシアの働きに関する預言を読み、メシアを非難することでこれらの預言を成就しました。
したがって、十字架上でのキリストの死は聖書の成就でした。
キリストに死んだ理由は見出されません。
キリストは異邦人の手に引き渡されました。
キリストについて記されていたことはすべて異邦人によって成就されました。
神の小羊であるキリストの苦しみはすべて十字架上で成就しました。*
* ペテロは「木」という言葉を使い、パウロはガラテヤ人への手紙の中でこのように述べています。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。」
(ガラテヤ人への手紙3章13節)
イエスは降ろされ、墓に横たわせました。
十字架上でのイエスの死はこのように簡潔に語り手によって描写されています。
パウロは、墓に埋葬されたことによって完全に証明されたイエスの死の事実に続いて、神がイエスを死から甦らせたことを告げました。
パウロがここで従った順序は、後にコリント人への手紙を書くときにも使われます。
「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、」
(コリント人への手紙第一15章3、4節)
イエスが幾日もの間現れたという復活の証拠についても簡単に触れられています。
それからイエスは福音を宣べ伝えました。
福音伝道者として、イエスの死と復活によって成就したことを告げ知らせました。
これは、受肉によって復活し、死者の中から復活して神の御子となった御方についての、美しく簡潔な言葉です。
父祖たちへの約束は栄光のうちに成就しました。
詩篇2篇はこの復活を預言しています。
神は御子を世に遣わされました。
ある日、御子は子として世に来られました。
死後、御子は死者の中から最初に生まれた者となり、聖なるシオンの丘で王となり、諸国民を御自分の相続として受け入れる運命にありました。
御子は腐敗を見ることができません。
「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」
(詩篇16篇16節)
これもまた詩篇で預言されています。
パウロが最初に伝えたこの福音書のメッセージとペテロのメッセージとの類似性は、ここでも見られます。
しかし、パウロは、御子を敬虔な方、聖なる方、哀れみ深い方、そして今やダビデの忠実な憐れみが御子の中に見出される方として語っています。
そしてパウロはそのすべてを彼らの心と良心に深く刻み込んだのです。
「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。
モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」
(使徒の働き13章39、40節)
これは偉大なクライマックスです。
イエスは悔い改めという言葉を一度も口にしていません。
バプテスマについても何も語っていません。
最善を尽くすように、あるいは彼らが持っていた律法に従って生きるようにと勧めることもありません。
モーセの律法は彼らを正当化できません。
おそらくパウロの説教を聞いたアンテオケの人々が読んだであろうガラテヤ人への手紙は、この点を詳細に述べています。
「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。
ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」
(ガラテヤ人への手紙1章11、12節)
なんと単純なメッセージでしょう。
すべてはキリストによって成し遂げられました。
キリストは義なる者として不義なる者のために死なれました。
罪を知らない方が罪とされたのです。
ユダヤ人と異邦人のために、罪の赦しとすべてのものからの完全な義認が、今や義なる神の御前から用意されています。
神は、イエスを信じる者を義と認めることができるのです。
そして、この単純な福音、この完全な救いの道は今も宣べ伝えられています。
それは救いに至る神の力です。
パウロがピシデアのアンテオケの会堂で語った説教は、真実な福音の模範となります。
そして第三部、結びの言葉で、彼は厳粛な警告を与えています。
これはすべての真実な福音の証言に同様に付随しなければなりません。
この警告は預言者ハバクク書(1章5節)から取られています。
預言者はこれを「異邦人の中にいる人々」に語りかけています。
この箇所は不信仰に対して警告しています。
このメッセージは受け入れることも拒むこともできます。
ハバククの時代に神が行われた働きは、カルデア人の侵略による裁きでした。
それは信じなかった者たちに下りました。
もし彼らが信じず、福音の提示を拒むなら、裁きは必ず彼らに下るのです。
数年後、パウロはテサロニケ人への手紙の中でユダヤ人についてこのように書いています。
「彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。
しかし、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。」
(テサロニケ人への手紙第一2章16節)
エルサレムの破壊と民の離散は、信じない者たちに対する神の懲罰です。
福音を説くすべての説教者がこのように厳粛な警告を発するのは良いことです。
「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」
(ヨハネの福音書3章18節)
主イエスが力強い御使いたちを率いて燃える火の中を天から現れ、神を知らない者、そして主イエス・キリストの福音に従わない者への復讐を果たす時、信じないすべての者に対する裁きが下されます。
Ⅳ.異邦人へ返り、ユダヤ人は福音の拒否
「ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた。
次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。
そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。
「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。
なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」
異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。
こうして 、主のみことばは、この地方全体に広まった。
ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出した。
ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへ行った。
弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」
(使徒の働き13章42~52節)
提示はすでになされました。
離散中のユダヤ人たちは、福音を受け入れるべきでした。
それとも福音に抵抗し、その恵み深い招きを拒絶すべきだったのでしょうか?
まるで深い感銘を受けたかのように、聖霊の力によってこれほど完璧で有能な説教を聞いた後では、違いました。
一週間後に再び説教するよう要請されました。
多くのユダヤ人と改宗者たちが二人の使者に従いました。
使徒たちが神の恵みに留まり続けるようにと勧めたことは、ある人々が福音の提示を受け入れたことを暗示しているように思われます。
しかし、その週の間、敵は働きかけを続けました。
次の安息日には、町全体が集まりました。
多くの異邦人が、その多くが会堂に入ったことのない人々も含めて、御言葉を聞こうと押し寄せました。
ユダヤ人にとって、これは耐え難いことです。
彼らの心は嫉妬と羨望で満たされ、激しい反対運動が起こりました。
パウロは再び説教者となりましたが、彼らはパウロが説く真理に反対しただけでなく、反論し、冒涜しました。
魔術師エルマが個人として、つまり盲目のユダヤ人の型として行ったことを、アンテオケのユダヤ人たちは行いました。
パウロは再びバルナバと共に、断罪の言葉を宣べ伝えます。
救いの提示は拒否され、ユダヤ人は不信仰によって自分たちは永遠の命に値しないと判断され、使徒たちはこのように言いました。
「私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。」
(使徒の働き13章46節)
聖書はこの行動において完全に異邦人の側にあることを示しています。
預言者はこのように宣言しています。
「わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。
あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。」
(使徒の働き13章47節)
ユダヤ人が冒涜し、拒絶する一方で、異邦人は喜び、主の言葉を賛美しました。
永遠の命に定められた者は皆、信じました。
ユダヤ人は永遠の命に値しないと判断されました。
しかし、永遠の命を望む異邦人は皆、信じました。
誰がそのように望んだのかはここでは明言されていません。
また、この箇所でこの言葉をこれ以上具体的に述べる必要もありません。
私たちは、信じる意志を私たちの内に働かせるのは神であり、心の準備は神によるものだと知っています。
しかし、この聖句に救われる命が予定されているという主張されていると見なすのは、言葉と文脈の両方に、本来含まれていない意味を無理やり押し付けることになります。
」*
*ディーン・アルフォードギリシヤ語新約聖書
信仰によって福音を受け入れる人は皆、永遠の命を得ます。
福音はガラテヤ全土に急速に広まりました。
しかし、この出来事は、不信仰なユダヤ人たちの嫉妬と激しい敵意をさらに発覚させました。
彼らは上流階級の女性たち、おそらく町の指導者たちの妻たちを利用しました。
彼女たちは敬虔で、会堂に通っていました。
これらの女性たちと町の指導者たちによって、使徒たちへの迫害が起こり、彼らは苦しみを味わうことになりました。
この箇所には苦しみについて何も記されていませんが、パウロはテモテにそのことを伝えています。
「またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。」
(テモテへの手紙第二3章11節)
彼らはその地域から追放されました。
追放された使徒たちは、迫害と足の塵を払い落とすという主の言葉を知っていました。
「もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。」
(マタイの福音書10章14節)
彼らはその言葉に従い、イコニオムへと旅立ちました。
後に残された弟子たちは喜びと聖霊に満たされました。
14章
この章には、使徒たちの最初の宣教旅行の最後の務め、彼らの苦難と証言、そして彼らの危険とアンテオケへの帰還についての出来事が記録されています。
Ⅰ.イコニオンでの活動と使徒たちの迫害(使徒の働き14章1~6節)
Ⅱ.デルベとリストラでの証言、無力な男の治癒とそれに続く出来事(使徒の働き14章7~18節)
Ⅲ.パウロの石打ちとその後の宣教(使徒の働き14章19~24節)
Ⅳ.アンテオケへの帰還(使徒の働き14章25~28節)。
Ⅰ.イコニウムでの活動と使徒たちの迫害
「イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。
しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。
それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、御恵みのことばの証明をされた。
ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。
異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、
ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、」
(使徒の働き14章1~6節)
イコニウムはリカオニアに隣接するフリギアの町です。
後に非常に影響力のある都市となり、リカオニアの首都となり、この地域におけるキリスト教の中心地となりました。
また、外典「パウロとテクラによる使徒の働き」によっても知られています。
主人公のテクラはイコニウムに住み、パウロの説教によって改心したと言われています。*
*この物語は創作です。
テルトゥリアヌスは、これは使徒パウロを深く敬愛していたある長老によって書かれた架空の物語であることを示しました。
この長老は、その著作のために懲戒処分を受けています。
使徒たちは再び会堂を訪れ、そこで福音を宣べ伝えています。
ユダヤ人とギリシヤ人が彼らの証言に耳を傾けていました。
彼らがそれぞれの会堂で神の国についてだけを宣べ伝えたという説は、無理があります。
使徒たちの説教についてはここでは記録されていませんが、使徒パウロがアンテオケの会堂で語った明確で簡潔な福音の証言が、イコニオムでも繰り返されたと考えることができます。
メッセージは驚くほど祝福され、神によって認められました。
彼らは語り、少数のユダヤ人だけでなく、大勢のユダヤ人とギリシヤ人が信じました。
しかし、すぐに敵の行動が起こりました。
彼は、これほど力強く、成功を収めた証しが妨げられることなく続けられることを許すことができません。
ここでも、不信仰なユダヤ人のエルマ的な性格が発覚しています。
彼らは会堂に共感を持たない異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意のある思いを抱かせました。
しかし、主の使者たちは証言を終えるまでその場から追い出されることはありません。
彼らがどれくらいの期間そこに留まったかは記されていません。
彼らは「長い間」そこに留まり、大胆に神のみことばを語りました。
そして主は、そのしもべたちの忠実な証言に御自身の印を付け加えられました。
彼らの手によってしるしと不思議な業が行われました。
これらの働きを通して、神は離散した不信仰なユダヤ人たちに、イエスがキリストであることを改めて示されました。
町全体が分裂しました。
実際の迫害が始まり、不信仰なユダヤ人と不信仰な異邦人の両方が彼らを石打ちにしようと準備し、陰謀が知れ渡ると、彼らはイコニオムを出てリストラとデルベに逃げました。
これは間違いなく主の御心であり、彼らは主の導きに従いました。
彼らが臆病や自己防衛のためではなかったことは、彼らがしばらくしてイコニオムに戻ったという事実から明らかです。
「彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、」
(使徒の働き14章21節)
Ⅱ.デルベとリストラでの証言、無力な男の癒しとその後の出来事
「そこで福音の宣教を続けた。
ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。
この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、
大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。
パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。
そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。
すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。
これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、言った。
「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。
そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。
過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。
すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」
こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。」
(使徒の働き14章7~18節)
ルステラとデルベという二つの街はリカオニア本土にあります。
これらの地に住んでいた人々は蛮人と呼ばれ、福音を聞きました。
リストラには会堂はありません。
ユダヤ人が少なかったため、会堂を建てることができません。
しかし、敬虔なユダヤ人女性がリストラに住んでいたことは知られていました。
彼女の名はユニケです。
彼女はギリシヤ人と結婚していましたが、男性は亡くなっていました。
彼女の息子はテモテで、彼女は母ロイスと共に暮らしていました。
使徒の働き16章1~3節から、ユニケが信者であったことが分かります。
母親もまた信者でした。
「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。
そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」
(テモテへの手紙第二1章5節)
ユニケは息子に聖書を教えました。
この章の記述からは、パウロがその後ユニケと接触したかどうかは分かりません。
使徒たちは彼女の家に泊まっていたのではないかと確信しています。
そして今、もう一人の足の不自由な人が神の力によって癒されました。
彼は母の胎内にいる時から足が不自由で、一度も歩いたことがありません。
彼は御言葉を聞きました。
聞くことによって彼の心に信仰が芽生え、使徒パウロは彼を見て、癒される信仰を持っていることを悟りました。
パウロが御言葉を語ると、主はそれに応えて足の不自由な人を癒し、彼は跳び上がって歩けるようになりました。
この奇跡は人々の間に大きな騒ぎを引き起こし、人々は自分たちの言語で「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と叫びました。
彼らは神話的な迷信にとらわれ、バルナバとパウロという二人の使徒を、人間の姿をした彼らの神々だと想像しました。
バルナバにはユピテル、そして最もよく話すパウロにはメルクリウスの姿を見たと想像しました。
しかし、二人の使徒はリカオニア語が理解できなかったため、この騒ぎが何を意味するのか理解していません。*
*そのため、彼らは奇跡的な言語の賜物を持っておらず、言われたことを理解できません。
これは、「異言の賜物」の回復を信じる人々が、異言を話すことは聖霊のバプテスマの証拠であると主張することへの答えとなります。
ユピテル神殿、あるいはギリシヤ語でゼウスと呼ばれる神殿は、街の外にあります。
そこから祭司たちは花輪をつけた牛を連れてきて、新たに発見された神々にささげ物を捧げる準備をしていました。
使徒たちはその時、そのことを聞き、衣服を引き裂き、民衆の間を駆け抜けて、彼らの愚かな行為を止めさせようとしました。
主イエス・キリストのしもべたちは、まるで偉人であるかのように人々から名誉を与えられることを望んでいません。
人々は彼らを偶像視しようとしましたが、この邪悪な行為を忌み嫌いました。
この背後には敵が潜んでいたことは疑いようがありませんが、神の恵みが使徒たちにはこのようことをする力を与えたのです。
現代において、このような偶像崇拝が多く蔓延しています。
主のしもべであると自称する人々が、人からの名誉と称賛を求め、それを愛し、あまりにも明白すぎて、言葉では言い表せません。
人からの名誉を求め、「宗教界」からの喝采を喜ぶことは、致命的な行為です。
なぜなら、それはすべての名誉と栄光を受けるべきキリストを辱めるからです。
現代にはこのようなものが多く存在してます。
これは、主イエス・キリストを第一としないことの結果なのです。
二人の神の人が貧しい異教徒たちに語った言葉は力強いものでした。
彼らが理解できないことを説教したのです。
彼らは彼らのレベルにまで降りて行き、被造物を創造主の立場に置く偶像崇拝の邪悪さを彼らに示しました。
そのメッセージは彼らの必要を満たし、福音の証言への道を開きました。
「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。
そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。」*
* 「特に主の御業に携わるすべての人々にとって注目すべき点は、使徒たちの説教の多様性です。
現代の福音宣教に見られるような堅苦しさは全くありません。
なんとも単調なのです。
誰に話しかけても、同じ決まりきったことです。
聖書には、人々がそれぞれの立場で扱われた様子が記されており、彼らの特有の境遇に合わせた良心に訴えかける言葉が見受けられます。
会堂での説教はユダヤ教の聖書に基づいていましたが、リカオニアの人々にとっては旧約聖書への言及は一切なく、誰もが見て知っているもの、すなわち神が古来より彼らの周囲に定めてこられた天と四季、そして神の自然の恵みによる絶え間ない恵みの賜物への明確な言葉で語られました。
その恵みは、どんなに冷淡な者でさえも感じ取ることができるものです。
」 - W・ケリー
しかし、このような激しい言葉をもってしても、人々が目的を遂行するのを止めることは不可能でした。
Ⅲ.パウロの石打ちとその後の宣教活動
「ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。
しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。
彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、
弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。
また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。
ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、」
(使徒の働き14章19~24節)
アンテオケとイコニオムのユダヤ人たちが、突如リストラに現れました。
使徒たちに反対し、自分の町で争いを巻き起こすだけでは飽き足らず、彼らはこの人たちを追いかけました。
リストラでの彼らの成功の知らせが彼らにも届いていました。
彼らはリカオニア人を扇動するためにやって来たのです。
彼らが神の二人のしもべに対してどれほどの悪口を言ったかは容易に想像がつきます。
彼らは民衆に自分たちは神ではないと説き伏せ、偽善者、あるいはそれ以上のレッテルを貼りました。
バルナバとパウロを崇拝しようとしていた群衆は、たちまち態度を変え、パウロを石打ちにしました。
おそらく、パウロが足の不自由な男を癒すのに尽力したため、怒りが彼に向けられました。
石が彼の上に落ちてきた時、彼はステパノのことを思い出したはずです。
そして、彼はステパノのように祈ったでしょうか?
彼らはパウロが死んだと思い込み、遺体を町の外に引きずり出しました。
しかし、彼にこのような苦しみを告げた主は、そのしもべを見守っていました。
神のすべての子が神の御手の中にあるように、彼も御自身の御手の中にあったのだ。
怒り狂う群衆の背後に立っていた敵は、彼らにささげ物を捧げようとした時と同じように、パウロを殺そうとしました。
しかし、彼はパウロの命に触れることはできません。
神のもう一人のしもべヨブの命に触れることは許されていなかったからです。
「主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」」
(ヨブ記2章6節)
主の全能の御手がパウロを守り、弟子たちが死体と思われたパウロを取り囲むと、パウロは立ち上がり、町に入って行きました。
この突然の回復は超自然的なものでした。
パウロはコリント人への手紙第二11章25節で、この石打ちについて「むちで打たれたことが三度」あると述べています。
「むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。」
(コリント人への手紙第二11章25節)
ルステラに関するもう一つの言及は、テモテへの手紙第二の中にあります。
「またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。
何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。」
(テモテへの手紙第二3章11節)
主の名は祝福されます。
主は今も変わらぬ主であり、主に信頼する者たちを救い出してくださいます。
翌日、パウロとバルナバはリストラから約50マイル離れた小さな町デルベに到着しました。
ここでパウロは町全体に福音を宣べ伝え、多くの人々に教えました。
使徒の働き20章4節にはデルベのガイオが出てきますが、彼はおそらくこの町における使徒たちの証しの賜物であったと考えられます。
彼らはデルベから恐れることなくリストラに戻り、イコニオムとピシデヤのアンテオケにも再び足を運びました。
その神の目的は、弟子たちを強め、確立することでした。
彼らはこれらの地で迫害を受けなければなりません。
そこで使徒たちは、信仰を持ち続けるよう彼らに勧め「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない」と保証しました。
しかし、「神の国」は「天の国」と混同してはなりません。
天の国は別の用語であり、別の意味を持っています。
彼らが自分の足跡をたどり、真理において自分たちを助け、信仰を強めるために、かつて信じていた人々を助けたことは、非常に重要なことです。
大きなことや大勢の人々を目標とする現代の伝道は、この点を見失っています。
現代において、同じ場所に戻って信者を助け、彼らの魂を強める伝道者はほとんどいません。
さらに、二人の使徒は集会の秩序についても配慮しています。
「彼らは「彼らのために教会ごとに長老たちを選び」ました。
使徒たちがこれらの場所で働き始めた頃には、長老の職にふさわしい才能と資格を持つ者を見極めるには時間が必要だったため、これは行われていません。
確かに使徒たちは個人的にこのことに尽力し、後にパウロはテトスとテモテに長老の任命を委任しました。
しかし聖霊は、時代を超えた教会のために、手紙の中で真実な新約聖書的な長老職の特質をも示しておられます。
教会の働きのために長老たちを召し、適任にするのは聖霊であり、教会が職務にふさわしいかどうかを示す聖書を持つ者は、それを認識しなければなりません。
多くの集会における混乱、分裂、無秩序は、しばしばこの事実を無視した結果です。
監督の賜物を持つ者は、この賜物を使わなければなりません。
彼らはこの重要かつ必要な仕事を成し遂げた後、祈りの中でも主に委ね、ピシデヤを通ってパンフリヤに着きました。
Ⅳ.アンテオケへの帰還
「ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。
そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行なわれたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。
そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。」
(使徒の働き14章25~28節)
ペルガでの伝道の成果については何も報告されていません。
彼らはそこからアタリア港へ行き、その後、出発点であるアンテオケに戻りました。
そこで彼らは働きを行うよう召命を受け、神の恵みによってその働きを成し遂げました。
彼らは約18か月間行方不明でした。
アンテオケの教会は、神の恵みと力の素晴らしい物語を聞くために集まりました。
パウロとバルナバが神の御業を語った時、彼らは祝福された時を共に過ごしました。
主が異邦人に信仰の扉を開かれたことを聞き、神の民の心と唇から賛美と喜びの叫びがこみ上げてきました。
そしてパウロとバルナバは、弟子たちと祝福された交わりの中に留まりました。
15章
教会にとって、今、極めて重大な時が到来しています。
重要な問いに決着をつけなければなりません。
異邦人も救われること、そしてその救いは異邦人にも及ばなければならないことが、完全に証明されたのです。
割礼の使徒ペテロは、神を恐れる異邦人の集まりに福音を宣べ伝えるために用いられました。
福音伝道者たちはアンテオケに行き、そこに偉大な異邦人のための機関が設立されました。
パウロとバルナバは偉大な宣教の旅を終え、恵みによって救われた異邦人の多くの集会が設立されました。
異邦人の救済という問題はもはや提起され得ませんでした。
しかし、この書の11章で、ペテロがエルサレムに戻った時、割礼を受けた者たちが彼と争ったことを私たちは覚えています。
彼らは、ペテロが割礼を受けていない人々のところへ行き、彼らと食事を共にすることに反対しました。
しかし、割礼を受けた者たちは、信者である異邦人の立場に完全に満足していません。
彼らの場合、割礼はどうなのでしょうか?
彼らも律法を守るべきではないのでしょうか?
言い換えれば、信者である異邦人と律法、そして割礼との関係という問題が明確にされなければなりません。
この疑問は、この時代の始まりにおける状況の当然の結論に過ぎませんでした。
これを明確にするために、別の箇所を引用します。
一方では、ユダヤ人は唯一の真実な神についての知識を有していました。
そして、古代世界に蔓延する腐敗、偶像崇拝、迷信の中で、この救いの知識は強力な魅力を発揮しました。
ユダヤ人の会堂は、実際に割礼を受けた改宗者であれ、単に神を恐れる異邦人であれ、真理を求める大勢の人々の中心地となりました。
他方では、この知識は律法に定められ、ユダヤ人に多くの独特の慣習や儀式が課されました。
これらは彼らを他の人類から隔離し、真実な融合を不可能にしています。
異邦人にとって特に衝撃的だったのは、ユダヤ教の礼拝において神の像や象徴を一切用いないこと、安息日を守ること、汚れた肉、特に豚肉を断つこと、そして割礼という四つの特徴でした。
この割礼自体が世界がユダヤ教を受け入れるのを阻止するのに十分でした。
しかしながら、汚れに対する律法は、ユダヤ人に異邦人を軽蔑させ、汚れた者とみなさせ、真実な交わりを事実上阻むものとなりました。
一方、異邦人はユダヤ人の排他性に、嘲笑と憎しみという大きな関心で応えました。
この異邦人に対する二重の関係は、ユダヤ人自身を二つの派閥に分けました。
一方には、共通の人類としての兄弟愛をある程度意識し、障壁を取り除き、ユダヤ教の信仰を最も霊的、かつ哲学的な側面で世界に示そうと努める人々がいました。
アレクサンドリアのヘレニストたちがその一人です。
他方、異邦人の救済は真実なヘブル人にとって想像もできないものであり、これがユダヤに蔓延していた霊的な態度でした。
そこでヘブル人はますます頑なになりし、律法の周りの柵を下げるどころか、むしろ高くし、ユダヤ人と異邦人の間の障壁を絶対に越えられないものにしようとしました。*
* R.B.ラックハム(R.B.Rackham)
この状況から、このことに直面しなければならない理由がいかに重要な問題であったかが容易に分かります。
同様に、使徒パウロの福音を神の霊感によって擁護した、大きな論争を巻き起こした手紙、ガラテヤ人への手紙が当時まだ書かれていなかったことを忘れてはなりません。
この手紙は、これから述べる章と関連して考察する必要があります。
興味深い記述は5つの部分から成ります。
Ⅰ.ユダヤからの偽教師たち、エルサレムに派遣されるパウロとバルナバ(使徒の働き15章1~5節)
Ⅱ.エルサレム会議(使徒の働き15章6~21節)
Ⅲ.知らされた結果(使徒の働き15章22~29節)
Ⅳ.アンテオケにもたらされた慰め(使徒の働き15章30~35節)
V.バルナバは別れるパウロ(使徒の働き15章36~41節)
Ⅰ.ユダヤからの偽教師たち、エルサレムに派遣されるパウロとバルナバ
「さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。
そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。
彼らは教会の人々に見送られ、フェニキヤとサマリヤを通る道々で、異邦人の改心のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。
エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行なわれたことを、みなに報告した。
しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。」
(使徒の働き15章1~5節)
それは、前の章の最後を飾ったアンテオケの平安に満ちた光景でした。
しかし、敵は神の民の幸福と平和を決して乱さずにいません。
その邪魔をしたのは、ユダヤから来たある者たちでした。
彼らの名前は公表されていませんが、彼らはサタンの道具でした。
この章の24節から、彼らがエルサレムから来たことが明らかです。
おそらくユダヤ教化を進める指導者の何人かが、彼らにこの使命を託したと思われます。
彼らがもたらしたメッセージは驚くべきものだったと思われます。
「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」
そこには、福音を受け入れ、信じて救われた大勢の異邦人がいました。
さらに、彼らの中には使徒、福音伝道者、教師といった賜物がありました。
聖霊は、成長を続ける集まりの中で、その祝福された力を何度も示されました。
そして今、こうした恵み深い祝福と救いの喜びのすべてを経て、ユダヤからこの人々が現れ、彼らに教えました。
「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」
彼らは、ユダヤとエルサレムのユダヤ人が信仰を持ち、割礼が神の定めた制度であるという事実を引用しました。
彼らは権威を主張する教師としてやって来たのです。
このメッセージを聞いた異邦人の信者たちは大きな動揺を覚えました。
しかし、パウロとバルナバは敵の巧妙な働きを察知しました。
少なからぬ不和と争いが起こり、多くの疑問が投げかけられました。
その時、パウロはガラテヤ人への手紙の中で、すでに偉大な言葉を力強く語っていました。
「私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。」
(ガラテヤ人への手紙1章9節)
パウロが説いた福音は律法や割礼とは全く関係がありません。
しかし、この問題はアンテオケ教会に持ち込まれ、議論を巻き起こしていたため、解決する必要がありました。
パウロとバルナバと他の何人かの者が、この問題について使徒たちと長老たちのところへエルサレムへ上って行くことが決定しました。
ここで考慮しなければならないのはガラテヤ人への手紙2章です。
そこにはエルサレムへのこの訪問に関する追加情報が記載されています。
「それから十四年たって、私は、バルナバといっしょに、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。
それは啓示によって上ったのです。そして、異邦人の間で私の宣べている福音を、人々の前に示し、おもだった人たちには個人的にそうしました。」
(ガラテヤ人への手紙2章1、2節)
このことから、パウロが父祖の都を前回訪れてから14年後、テトスがパウロに同行し、このエルサレム訪問について主から啓示を受けたことが分かります。
おそらく、パウロはエルサレムへ行くことをためらっていたのです。
彼の福音はエルサレムから与えられたものでも、エルサレムと結びついたものでもありません。
なぜ彼がその福音を守るためにエルサレムへ行かなければならなかったのでしょうか?
しかし、彼はガラテヤ人への手紙2章で、エルサレムへの旅は啓示によるものであったと述べています。
これは聖霊の強く示されたものか、あるいは主御自身の直接の言葉によるものかは分かりません。
パウロが連れて行ったテトスはギリシヤ人であり、純粋な異邦人であり、割礼を受けていません。
その理由は、神の恵みと聖霊の賜物が異邦人のために何を成し遂げられるかという例をテトスに示すためでした。
すべての集まりは彼らの旅に同意し、使節団を率いて出発しました。
エルサレムへの旅は無駄ではありません。
フェニキアとサマリアでは、至る所で異邦人の改心が宣言されました。
これは恐らく、彼らの偉大な宣教旅行において神が成し遂げられたことの予行演習でだったと思われます。
兄弟たちは至る所で喜びにあふれていました。
このことから、フェニキアとサマリアのクリスチャンの大多数が、パウロが説いた福音に全面的に共感し、ユダヤ教化を進める教師たちに反対していたことがはっきりと分ります。
エルサレムに到着すると、教会は代表者たちを迎え入れました。
使徒たちと長老たち、そして教会の他の会員たちも出席していました。
彼らは彼らの前で、神が彼らを通して何をなさったかを改めて語りました。
ガラテヤ人への手紙の中で、パウロはこのように書いています。
「それは、私が力を尽くしていま走っていること、またすでに走ったことが、むだにならないためでした。」
(ガラテヤ人への手紙2章2節)
これはこの章の歴史的記述と矛盾するものではありません。
パウロは使徒や長老たちに、啓示によって受けた福音について個人的に説明しました。
しかし教会では、主が彼らを導き、異邦人の間にこれほど大きな扉を開き、どれほど多くの人々が主イエス・キリストを信じたかということだけを語りました。
ユダヤ教化を進めるパリサイ人側から直ちに抗議の声が上がりました。
これらはアンテオケへ行った教師たち、そしておそらくアンテオケからエルサレムへ向かう使節団に同行した教師たちだったと思われます。
彼らは、彼ら(異邦人)に割礼を施し、モーセの律法を守るよう命じる必要があると主張しました。
この中断の直後に何が起こったかは、ガラテヤ人への手紙にあるパウロ自身の記述から知ることができます。
テトスもそこにいたはずですが、パリサイ人たちは彼が割礼を受けていない異邦人であることを理由に彼に反対しました。
しかし、パウロは彼らに抵抗し、見事に勝利しました。
「しかし、私といっしょにいたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼を強いられませんでした。」
(ガラテヤ人への手紙2章3節)
パウロはこれらのユダヤ教化しようとしていた教師たちを「にせ兄弟たち」と呼び、彼らに対する自分の反対について語っています。
「実は、忍び込んだにせ兄弟たちがいたので、強いられる恐れがあったのです。彼らは私たちを奴隷に引き落とそうとして、キリスト・イエスにあって私たちの持つ自由をうかがうために忍び込んでいたのです。
私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。」
(ガラテヤ人への手紙2章4、5節)
これに続いて会議が開かれ、律法によらない救いという重要な問題が検討されることになりました。
Ⅱ.エルサレム会議。
「そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。
激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。
そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
すると、全会衆は沈黙してしまった。そして、バルナバとパウロが、彼らを通して神が異邦人の間で行なわれたしるしと不思議なわざについて話すのに、耳を傾けた。
ふたりが話し終えると、ヤコブがこう言った。「兄弟たち。私の言うことを聞いてください。
神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。
預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。
『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。
それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。
大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』
そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。
ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」」
(使徒の働き15章6~21節)
ガラテヤ人への手紙2章6~10節に記されていることは、パウロとバルナバが使徒たちと行った個人的な会議の中で起こったことであり、ここに記されているような評議会の中で起こったことではありません。
エルサレム教会の三柱であるヤコブ、ケパ、ヨハネは、パウロとバルナバに交わりの右手を差し伸べました。
その後、より大規模な評議会が開かれました。
この最初に報告された教会会議は非常に興味深い出来事です。
政治的策略や仕組み、聖書に反して神の民を聖職者と信徒に分けること、法律や規則を制定すること、投票で決定することなどを伴う現代の教会会議とは違います。
使徒たちと長老たちだけでなく、群衆もそこにいました。(使徒の働き15章12節)
議論は完全に自由に行われました。
聖霊は、そこで行われた議論について私たちに報告することをお許しになりません。
ペテロは立ち上がり、評議会で最初の演説をしました。
これが使徒の働きの中で彼の名前が登場する最後の箇所です。
割礼の使徒として、そして異邦人に最初に福音を伝えるために用いられた彼は、まさに耳を傾けるべき人物でした。
パウロはすぐにこの事実を述べています。
聖霊は、信仰を持つユダヤ人に与えられたように、異邦人にも与えられました。
これらのよく知られた事実が群衆の前で述べられた後、ペテロは律法を、父祖たちも彼らにも負うことのできない軛として語ります。
「私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
(使徒の働き15章11節)
異邦人に割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせることは、神を試みることに他ならないとパウロは断言します。
割礼の使徒として認められたペテロは、聖霊によって用いられ、ユダヤ教化を進める教師たちの要求の誤りを明らかにします。
異邦人は福音を聞き、福音を信じ、そして神は彼らに、言い表せない賜物に次ぐ最大の賜物である聖霊を与えました。
律法は彼らとその先祖にとって重荷であり、彼らはそれに耐えることができません。
ユダヤ人として彼らは、律法の遵守や割礼ではなく、恵みによって救いを得ることを期待していました。
議論は完結しました。
律法と割礼は異邦人に課されるべきではありません。
キリストの十字架は律法を完全に終わらせました。
律法に戻り、私たちが救われる恵みと律法を混ぜ合わせることは悪です。
ペテロの演説の後、群衆は沈黙しました。
それは、ペテロの簡潔な言葉に誰もが心から同意した証拠でした。
ユダヤ教化を推進する勢力は完全に沈黙しました。
聖霊の導きによって、バルナバとパウロは立ち上がりました。
二人は異邦人の間での働きの興味深い物語をもう一度語り、神がどのような奇跡と不思議を行われたかを改めて語りました。
神の恵みによって異邦人がどのように訪れたかというさらなる証言を群衆が聞き終えると、再び沈黙が訪れました。
現代の教会の総会、そして大会に見られる騒乱と無秩序とは、対照的です。
キリスト教世界のこれらの会議では、誰もが自分の意見を通そうとし、指導者の座を狙う罪深い野心が蔓延し、時には最も忌まわしい策略にまで及ぶことがあります。
エルサレムでのこの集会を最初の教会会議と呼ぶなら、そこには議長さえいません。
議長は聖霊でした。
聖霊がこの重要な集会の運営を導き、指揮しました。
沈黙がどれほど長く続いたかは分かりません。
おそらく多くの人が、神の御業に感謝し、祈りと賛美に心を高らかに捧げました。
ヤコブの声が沈黙を破りました。
神の御霊を通して、彼は極めて重要な宣言をしました。
それは正しくも神の計画と呼ばれています。
エルサレムにおけるこの最初の大きな集会において、聖霊が神がこの現代においてどのように働くのでしょうか?
そしてこの時代における神の特別な目的が達成された後に何が起こるのか?という正確な計画を示されたことは、意義深いことです。
神のみことばを理解するために不可欠な、この偉大なるディスペンセーションの真理は、今日では何も知られていません。
ヤコブが語った神の計画が信じられていたら、キリスト教世界はどうなっていたでしょうか?
聖書全体を通して明白であり、ここに十分に述べられているディスペンセーションの事実が考慮されていたら、この偉大な教派の集会の働きは違っていたはずです。
この神の計画が忘れ去られ、無視されたために、世俗化、真理からの逸脱し、混乱が生じてきました。
ヤコブの言葉を分析します。
シメオンが彼らに語った言葉から、神が異邦人を訪れ、その中から御名のために民を選ぶことが十分に示されています。
さて、これが出発点です。
1.神は異邦人を訪れ、その中から神の御名のための民を選び出されます。
注目すべき事実は、ヘブル派の著名な指導者であるヤコブが引用文の中でヘブル語本文ではなく、異邦人への呼びかけをより深く伝える旧約聖書のギリシヤ語訳である七十人訳を用いていることです。
彼は明らかに聖霊に導かれてそのようにしました。
異邦人の中から御名のために民を呼び出すことこそ、この時代における神の特別な目的です。
ペテロの証し、それに続くバルナバとパウロの証しは、神がこの祝福された御業を始められたことを十分に示しています。
そして使徒パウロは後にこのように教えています。
「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」
(エペソ人への手紙3章6節)
福音によって召され、共に相続人となった異邦人が教会です。
「教会」という言葉はギリシヤ語でエクレシア(ecclesia)で、これは「外への召し出す」ことを意味しています。
この外への召し出しは今も続いており、教会が完成するまで続くのです。
現代において、一部の聖書教師たちの間では、あらゆることを可能な限りユダヤ的なものにしようとする傾向があります。
彼らは、福音書にも使徒の働きにも教会に関する記述は何もないと教えています。
彼らは、ヨハネの黙示録にある七つの教会のメッセージは現代とは何の関係もなく、これらの七つの教会は大患難時代に誕生するものだと信じ込ませようとしています。
また、オリーブ山の説教も現代とは何の関係もなく、すべてユダヤ人に関するものだと彼らは言っています。
しかし、これらの空想的な教師たちは、神のみことばから得たのではなく、神のみことばから得た推測的な理論によって、ヤコブの言葉を別の観点から読む必要があるとさえ主張しています。
ヤコブが預言したように、異邦人が主の名のために民を選ぶために訪れることは、この現代とも教会の形成とも全く関係がないものとされています。
この突飛な説によれば、ヤコブが約1900年前に語ったこの訪問は、未来に起こることになります。
このような斬新で奇抜な解釈を採用する善良な人々が混乱するのも無理はありません。
異邦人への訪問は、イスラエルが神の提示を拒否した後に始まりました。
コルネリオとその家族、そして福音伝道者たちが会見に訪れた人々(使徒の働き11章20節)、そしてパウロとバルナバの説教がここに描かれています。
異邦人の信者たちは皆、ユダヤ人の信者と共に一つのからだ、教会を構成しました。
恵みの福音を通して異邦人を訪れるこの働きは、今も続いています。
では、神の計画の次は何でしょうか?
2、「この後、わたしは帰って来て」という言葉がアモス書9章11、12節のヘブル語本文には見当たりません。
『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。
(使徒の働き15章16節)
「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。
これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。――これをなされる主の御告げ。――」
(アモス書9章11、12節)
ヤコブも、ギリシヤ語訳(七十人訳)から部分的に引用している箇所に、これらの言葉が記されているとは述べていません。
彼はこのように述べています。
「預言者たちの言葉は、こう書いてあるとおりです。
「この後、わたしはまた戻ってくる」」
主は「わたしはまた戻ってくる」という言葉で、御自分の民への再臨を告げておられます。
主が御自分の民イスラエルに恵み深く立ち返られるこの再臨は、預言者の一人に記されているのではなく、預言者たちによって記されています。
彼らは皆、この偉大な来るべき出来事を告げています。
さて、ヤコブの預言によれば、まず異邦人が訪れられなければなりません。
彼らから民(教会)が取り出されなければなりません。
これが成就し、教会を構成するすべての人が召し出された後、主は再臨されます。
テサロニケ人への手紙第一4章16~18節で啓示されているように、それは聖徒たちのための再臨ではなく、預言者たちが語る、力と栄光のうちに目に見える形で再臨されることです。*
*主が死から甦り、生きている信者たちとともに雲に包まれて空中で主に会う聖徒たちのために来られることは、旧約聖書の預言書のどこにも明らかにされていません。
教会の奥義を明かす任務を、パウロに委ねられています。
終わりの時に御国の福音が諸国民の間で宣べ伝えられます。
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」
(マタイによる福音書24章14節)
このことは、真実な教会が地上から取り去られた後に始まる働きであり、聖書の他の箇所でも明らかにされています。
しかし、大患難時代におけるこの働きがヤコブが唯一語っている働きであるというのは、極めて空想的な考えです。
異邦人は、神の御名を求める民を召し出すために、既に訪れており、また訪れ続けています。
そして、その後、主イエス・キリストの再臨が起こります。
3.次に、主の来臨の結果がどうなるかについて読みます。
「倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。」
(使徒の働き15章16節)
もちろんこれは主の再臨の結果の一つに過ぎません。
王国はダビデ契約で約束されたとおりに樹立されます。
その時、マリアに与えられた主に関する神のお告げは完全に成就するでしょう。
「その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。
また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」」
(ルカの福音書1章32、33節)
預言者たちは、イスラエルの回復、すなわち神権国家としての王国の回復が起こることを告げています。
すべての預言者は、主が天から目に見える形で現れることと関連して神の御国の確立と栄光を預言しています。
4.「それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。
大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。」
(使徒の働き15章17、18節)
ダビデの幕屋が築かれた後、異邦人、いや、すべての異邦人は主を知るようになります。
主が再臨された後、異邦人は主を求めます。
もはや「呼び求める」ことはなく、諸国民が主に立ち返り、水が海を覆うように、主の栄光が地を覆うのです。
ヤコブを通して与えられた神の計画のこの第4部は、イザヤが見た幻と一致しています。
「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る。」
(イザヤ書2章2節)
「その日、エッサイの根は、国々の民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のいこう所は栄光に輝く。」
(イザヤ書11章10節)
「そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、心は震えて、喜ぶ。海の富はあなたのところに移され、国々の財宝はあなたのものとなるからだ。」
(イザヤ書60章5節)
「すべての人が、わたしの前に礼拝に来る。」と主は仰せられる」
(イザヤ書66章23節)
神は世界の初めからこの素晴らしい計画を立てておられました。
ヤコブの言葉に含まれる重要な真理は次のとおりです。
「神は異邦人に福音をお与えになりました。
福音の宣教を通して、神の御名のために召し出された民がいます。
教会はこの召し出された民です。
主イエス・キリストは、この時代における神の目的が成就した後に再臨されます。
その結果、ダビデの幕屋、すなわち約束の御国が建てられます。
主が再臨された後、世界の諸国民は主を求めるのです。
エルサレム会議で定められたこの神聖な計画によれば、世界の改心は主が戻られるまで起こり得ません。
ヤコブも同様に、神に立ち返った異邦人たちは心配する必要はないと述べました。
律法の重荷を彼らに負わせるべきではなく、割礼にも一切関わるべきではありません。
ヤコブは異邦人が避けるべき4つの事柄を挙げました。
偶像崇拝による汚れ、淫行、絞め殺された物、そして血です。
これらのことは部分的には偶像崇拝、特に淫行と関連しています。
さまざまな偶像崇拝の根底には不道徳がありました。
しかし、これらの規定はモーセの律法に基づくものではなく、ノアと結ばれた契約に基づいています。
ゆえに、異邦人にも拘束力を持つものでした。
「しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。」
(創世記9章4節)
Ⅲ.知らされた結果
「そこで使徒たちと長老たち、全教会と共に、自分たちの仲間の中から選ばれた者たち、すなわち、兄弟たちの指導者であるバルサバと呼ばれるユダとシラスを、パウロとバルナバと共にアンテオケに派遣することにしました。
彼らは彼らを通して次のように書き送りました。
使徒たち、長老たち、兄弟たちは、アンテオケ、シリア、キリキアにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつを送ります。
私たちから出た者たちが、「割礼を受け、律法を守らなければならない」と言って、あなたがたを言葉で惑わし、あなたがたの心を惑わしているという話を聞いたので、私たちは、そのような戒めを彼らに与えたことはありません。
そこで、私たちは心を一つにして集まり、私たちの愛するバルナバとパウロと共に、私たちの主イエス・キリストの名のために命をかけた、選ばれた者たちをあなたがたのところに派遣することにしたのです。
そこで、私たちはユダとシラスを派遣しました。
彼らも、同じことを口であなたがたに告げるでしょう。
聖霊と私たちに、あなたがたに課せられたこれらの必要なこと以上の重荷は何もありませんように。
偶像に供えられた食物、血、絞め殺された肉、そして不品行を避けなさい。
これらを避けるなら、あなたがたは良い行いをするでしょう。
それでは、お元気で。」
「そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。
彼らはこの人たちに託して、こう書き送った。「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。
私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。
そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。
このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。
こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。
聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。
これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」」
(使徒の働き15章22~29節)
エルサレム会議で重要な決定が下された後、その結果は不安を抱える人々に知らされなければなりません。
これは、アンテオケ、シリア、キリキアの異邦人の兄弟たちに宛てた手紙という形で行われました。
この件に関しては全会衆が一致して意見を述べました。
バルナバとパウロは、他の選ばれた人々と共に、このメッセージを兄弟たちに伝える任務を与えられました。
選ばれた二人は、ヘブル人でバルサバスという異名を持つユダとシラスでした。
シラスは、シルワノというラテン語の名前から、ギリシヤ系ユダヤ人、ヘレニズムを学んだ人物でした。
また、彼がローマ市民権を持っていたことも分かっています。
これは、使徒の働き16章37節から分かります。
この文書は上から来る知恵を明らかにしており、その知恵は後にヤコブが手紙の中で語っています。
「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」
(ヤコブの手紙3章17節)
異邦人の兄弟たちに送られた手紙には、これらの祝福された印が付けられています。
実に素晴らしい文書であり、簡潔で非常に巧妙です。
偽教師たちを糾弾する中で多くのことが語られたはずですが、それらはすべて慎重に避けられ、最も本質的な点だけが提示されています。
それでもなお、それは決然として、決定的なものです。
今日の教会の規則や交わりの問題に関する手紙など、激しい党派心と兄弟に対する非キリスト教的な拒絶とは違います
ヘブル語は割礼と律法遵守は救いに必要ではないと述べられているにもかかわらず、ヘブル人の構成員は公会議の決定に腹を立てることはできません。
一方、アンテオケ出身の二人の兄弟、バルナバとパウロは、この行動を称賛しました。
「このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。」
(使徒の働き15章26節)
このような愛に満ちた承認は、ひどく動揺していたアンテオケの集まりに、大きな救いの手を差し伸べました。
すべては聖霊の導きによって行われました。
聖霊は、割礼を受けていない者たちに降り立ったので、異邦人にとって割礼は必要ではないと、かなり前から示されていました。
だからこそ、「聖霊と私たち」によって決められたのです。
Ⅳ.アンテオケにもたらされた慰め。
「さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。
それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。
ユダもシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた。
彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。
パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。」
(使徒の働き15章30~35節)
これらの聖句に描かれているのは、最も祝福された平安な場面です。
アンテオケの集まりは、パウロとバルナバが留守の間、熱心に祈りを捧げていました。
彼らは彼らの帰りを待ち望んでいました。
彼らが到着するとすぐに、大勢のクリスチャンが集まり、総会が開かれました。
手紙は朗読され、大きな喜びがもたらされました。
これほど愛に満ちたメッセージを受け取ることは、大きな慰めとなりました。
しかし、ユダとシラスは「口頭で同じ趣旨」(使徒の働き15章27節)で伝えるように命じられていました。
彼らは今、その使命を果たしました。
二人とも預言者であり、多くの言葉で兄弟たちを励ましたのです。
ここで預言者の賜物が描写されています。
それは、神の民を教えるために勧め、語ることです。
これらの勧めを通して、集まりは堅固にされ、より完全に確立されました。
彼らの主な勧めは、確実に「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」(エペソ人への手紙4章3節)でした。
彼らはしばらくアンテオケに滞在し、その後、おそらく別の集会の後、平和のうちに、あるいはむしろ平和のうちに、エルサレムの使徒たちのもとに戻ることを許されました。
ガラテヤ人への手紙2章10節からは、パウロが柱として書いているヤコブ、ケパ、ヨハネの3人に具体化されていない要求をしたという追加情報を得ることができます。
「ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。」
(ガラテヤ人への手紙2章10節)
おそらくこの要請は忘れられず、アンテオケの大集会と使徒たちへの送金によってエルサレムの貧しい人々が寛大に思い出されたはずです。
前の節は、ユダとシラスが使徒たちのもとに戻るために解放されたことを示しています。
しかし、シラスはアンテオケに戻りました。
なぜなら、この章の40節によると、彼はそこにいたからです。
パウロとバルナバの祝福された活動はアンテオケで再開されました。
彼らは多くの人々と共に主の言葉を教え、宣べ伝えました。
当時、彼らは多くの自由を享受し、主はこの働きを通して多くの恵み深い成果が与えられました。
しかし、論争は完全には克服されませんでした。
しばらく後、ペテロはアンテオケを訪れましたが、この訪問については使徒の働きには記されていません。
ガラテヤ人への手紙2章11~14節にそのことが記されています。
「ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。」
(ガラテヤ人への手紙2章11~14節)
その時、パウロもアンテオケにいて、ペテロが異邦人と一緒に食事をすることや、破壊したものを再建することを拒んだ際に、面と向かって反抗しました。
ペテロの訪問は、パウロとバルナバがアンテオケに戻って間もなく行われたものと思われます。
V.バルナバは別れるパウロ
「幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」
ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。」
(使徒の働き15章36~41節)
使徒パウロの二度目の大旅行は不幸な始まりでした。
それは、共に祝福され、その共同の働きを主が恵みをもって所有していた二人の分離から始まっています。
その根底には、人間の失敗と欠陥があります。
霊感を受けた記録から明らかなように、この新たな出発において、主を待つことも、聖霊の導きに委ねることもありません。
最初の旅とはまったく違います。
最初の時、全会衆が主に仕えていると、聖霊がこのように言われました。
「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」
(使徒の働き13章2節)
ここでは祈りについては触れられておらず、聖霊は二人の使者に対して新たな働きも示していません。
その結果二人は新たな働きのためにではなく、お互いに分離されています。
パウロは言いました。
「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」
(使徒の働き15章36節)
兄弟たちへの深い愛が、この行動を促しました。
彼は心から兄弟たちを慕っていましたが、それは彼自身の意志と願いによるものであり、聖霊の御心に従ったものではありません。
主がそのしもべに与えられた務めは、同じ道を巡るような視察旅行で、あらゆる場所を再訪することではなく、福音を他の地域に伝え、新しい都市や地方を福音化することでした。
バルナバと共に、すでに訪れた場所から再び巡回することはパウロの計画であり、主の計画は別にありました。
現代において、神への奉仕において、多くの自己選択が蔓延しています。
主を真実に待ち望み、聖霊に委ねる姿勢がどれほど欠けていることでしょうか?
福音を必要とされる地域に伝え、真理を欠く人々に御言葉を教えるべき多くのしもべたちが、限られた教会の輪の中に閉じこもり、そこで奉仕しています。
「兄弟たちのところに、またたずねて行って」とありますが、同じ教会の他の会員や、福音が切実に必要とされている多くの街々についてはどうでしょうか?
キリストのしもべである者は、伝道者であれ教師であれ、主のもとで、御霊の導きによってこの賜物によって働かなければなりません。
パウロはもう一人のしもべであるバルナバに、自分がすべきことを提案しました。
聖霊がバルナバに何をするようにと命じているのか、どうしてパウロが知ることができたのでしょうか?
バルナバはパウロの提案に喜んで従いました。
二人が共にひざまずき、まず主の前に、再び出発することが主の御心であるかどうかを尋ねたという記述はありません。
しかし、すぐにその行動が主の御心ではないことが明らかになりました。
バルナバは自分の意志で、マルコとも呼ばれるヨハネを連れて行くことを決意していました。
パウロはこの提示を断りました。
自分の奉仕に失敗した者と関わりを持ちたくなかったのです。
激しい口論が起こり、バルナバとパウロは引き離されてしまいました。
バルナバはマルコを連れてキプロス島へ航海に出ました。
彼らの奉仕がどのようなものであったかは、本書には記されていません。
愛する兄弟たちの間でこのような争いが起こり、分裂したのは、聖霊の働きによるものでは決してありません。
それは主の助言を求めなかった結果でした。
しかし、神は最終的にすべてを覆し、この失敗から良い結果をもたらしました。
それは、神の計り知れない恵みによってのみ可能なことでした。
この分裂には、別の理由が関係していました。
マルコとも呼ばれるヨハネとバルナバは、律法の遵守に関してヘブル人側に傾倒していた可能性があります。
一方、パウロはエルサレムで熱心に闘った目的をしっかりと守りました。
ガラテヤ人への手紙2章13節には、この可能性が示されています。
「そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。」
(ガラテヤ人への手紙2章13節)
しかし、奉仕における交わりの断絶、つまり敵の巧妙な働きは、永続的なものではありません。
パウロはコリント人への手紙第一9章6節でバルナバについて言及しています。
「それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。」
(コリント人への手紙第一9章6節)
マルコの回復とマルコに対するパウロの愛についてはコロサイ人への手紙4章10節とテモテへの手紙第二4章11節で読むことができます。
「といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。
バルナバのいとこであるマルコも同じです。
――この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。――」
(コロサイ人への手紙4章10節)
「ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」
(テモテへの手紙第二4章11節)
そこでパウロはシラスを選びました。
シラスはこの二度目の旅でバルナバの代わりに旅をしています。
集まりはパウロの選択を心から認め、兄弟たちは二人を神の恵みに委ねました。
パウロはまずシリアとキリキアを巡り、教会を堅信礼しました。
これはいわゆる人間が作った確認の儀式ではありません。
このように教会は真理において確かなものとされ、より深く教え、教会として確立されました。
16章
使徒パウロの第二回宣教旅行を追う前に、この選ばれた使者の生涯を、改心から第二回宣教旅行の終わりまで、年表にまとめておきましょう。
これは、異邦人への偉大な使徒の驚くべき活動を振り返り、9章から18章までの出来事を簡潔に理解するのに役立ちます。
西暦36年 タルソのサウロの改心 使徒の働き9章
西暦36~39年 ダマスコにて ― 会堂で説教しました。
アラビアへ旅立ち、ダマスコに戻り、そこから逃れます。
改心から3年後、初めてエルサレムを訪れています。
タルソに戻ります。使徒の働き9章23~26節、ガラテヤ人への手紙1章18節
西暦39~40年 ユダヤ教会に残っています。
使徒の働き9章31節
パウロはシリアとキリキアで福音を宣べ伝えます。
ガラテヤ人への手紙1章21節
長さは不明な期間。
この間に、パウロはコリント人への手紙第二11章に記されている多くの危険と苦しみを経験したと考えられます。
西暦40~43年 バルナバによってタルソからアンテオケへ連れて行かれ、そこで1年間滞在しています。
飢饉 使徒の働き11章26節
西暦44年 パウロが献金を持ってエルサレムに二度目に訪れます。使徒の働き11章30節
西暦45年 彼はアンテオケに戻ります。使徒の働き12章2~5節
パウロはバルナバと共にキプロス、ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、リストラへと最初の宣教旅行に出かけ、アンテオケ、デルベに戻ります。
西暦46~49年 アンテオケで長期間働きます。
割礼をめぐって意見の相違と論争が起こります。
使徒の働き14章、15章1、2節
パウロが改心から14年後、バルナバと共にエルサレムを3度目に訪れました。ガラテヤ人への手紙2章1節
西暦50年 彼らはエルサレムの会議に出席します。使徒の働き15章
パウロとバルナバ、ユダとシラスがアンテオケに戻ります。使徒の働き15章32~35節
パウロはシラスとテモテと共に第二回宣教旅行に出かけます。
アンテオケからシリア、キリキア、デルベ、リストラ、フリギア、ガラテア、トロアスへと旅立ちました。
ルカも同行しました。使徒の働き16章10節
西暦51年 福音はヨーロッパに伝わります。使徒の働き16章11~13節
パウロはピリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ、コリントを訪問します。
コリントで1年6ヶ月を過ごします。
使徒の働き18章11節節
西暦52 年、テサロニケ人への手紙第一が書かれます。
テサロニケ人への第二の手紙が書かれる。
西暦53年、パウロはコリントを離れ、エペソへ船で向かいます。使徒の働き18章18、19節
西暦54 年、祭りの日にパウロはエルサレムを4度目に訪れ、アンテオケに戻ります。
パウロの第二回宣教旅行はまさに今私たちの前に立ち、その神聖な記録は興味深いものに満ちています。
16章は、福音がアジアからヨーロッパへと広まっていく様子が示されています。
この章は4つの部分に分けられます。
Ⅰ.デルベとリストラにおいて、パウロに選ばれ、割礼を受けるテモテ(使徒の働き16章1~5節)
Ⅱ.聖霊はアジアにおける禁じられた御言葉のメッセージ(使徒の働き16章6~8節)
Ⅲ.マケドニア人の幻と旅(使徒の働き16章9~12節)
Ⅳ.ヨーロッパにおける福音。
ピリピにおける出来事(使徒の働き16章13~40節)
Ⅰ.デルベとリストラにおいて、パウロに選ばれ、割礼を受けるテモテ
「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、
ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。
パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。
さて、彼らは町々を巡回して、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守らせようと、人々にそれを伝えた。
こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。」
(使徒の働き16章1~5節)
最初の宣教旅行でよく知られているデルベとリストラに再び訪問されます。
パウロはリストラで足の不自由な人を癒し、そこでユダヤ人のユニケに出会いました。
ユニケは母ロイスと暮らしており、彼女の息子がテモテでした。
ユニケは信者であり、テモテの祖母も信者です。
「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。
そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」
(テモテへの手紙第二1章5節)
テモテは聖書によって育てられました。
「また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。
聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」
(テモテへの手紙第二3章15節)
若者はルステラとイコニオムの兄弟たちから素晴らしい報告を受けていました。
聖霊は使徒パウロに、テモテを同行させるよう促しました。
テモテへの手紙は、このことについてさらに詳しく述べています。
テモテへの手紙第一1章18節にはこのように記されています。
「私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。
それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。」
(テモテへの手紙第一1章18節)
テモテは預言の賜物を通して聖霊によって使徒の適切な仲間として選ばれました。
私たちが目にする記録には按手については何も記されていません。
しかし、テモテへの手紙には按手のことが記されています。
「長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。」
(テモテへの手紙第一4章14節)
「それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」
(テモテへの手紙第二1章6節)
長老たちと使徒パウロによるこの按手は、ルステラで行われました。
テモテの割礼が特に大きく述べられています。
パウロは彼に割礼を施しましたが、その理由は「その地方にいるユダヤ人の手前」です。
パウロのこの行為は、聖霊の御心にかなわない行為としてしばしば非難されてきました。
しかし、私たちはそうではないと考えています。
パウロがテモテに割礼を施したことが、異邦人クリスチャンの間で騒動を引き起こしたことは容易に想像できます。
しかし、割礼について彼らの心が動揺していたのはつい最近のことでした。
偽りの指導者たちのメッセージ、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒の働き15章1節)は、彼らの記憶にまだ生々しく残っていたからです。
さて、パウロはギリシヤ人を父とするテモテに割礼を施しました。
パウロの割礼に関する教えはよく知られていました。
パウロは無割礼の使徒でした。
この行為は、パウロを律法遵守者やユダヤ主義者の側に立たせたと考えています。
しかし、正しく見れば、これらの矛盾や律法への回帰という非難はすべて根拠を失ってしまいます。
律法は、混血結婚の子孫の割礼については何も規定していません。
混血結婚(つまり、ユダヤ人と異邦人の間)があった場合、律法はその子孫に対して何も規定しないことはよく知られていました。
「律法では、ユダヤ人の父親は異邦人の母親から生まれた自分の子供を所有することはできず、その逆も同様です。(エズラ記10章参照)。
テモテはそのような結婚によって生まれた子供であるため、たとえ割礼の許可があったとしても、権利を主張することはできません。
パウロは恩恵によって、より低い立場にある人々にへりくだり、彼らの口を最も効果的に封じました。」*
* ウィリアム・ケリー著「使徒の働き」序文より
当時の彼の行為は律法に従ったものではありません。
なぜなら、テモテの場合、割礼は命令されたものではなく、恵みに基づいて行われたからです。
彼はユダヤ人の道につまずきの石を置くことを望んでいません。
コリント人への手紙第一9章20節には、使徒のこの行為の完全な理由が記されています。
「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。
律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。」
(コリント人への手紙第一9章20節)
使徒の集まり、パウロ、シラス、テモテが、エルサレムの使徒と長老たちの定め、すなわち、異邦人の信者と律法との関係について合意された事柄を、さまざまな都市を巡って伝えているのが分かります。
このことはガラテヤの教会にとって必要だったのです。
これらのガラテヤ人は、生まれつきの性質を持つ気まぐれで不安定な人たちでした。
パウロが彼らと一緒にいた時、彼らは自分たちの目をえぐり出して使徒に引き渡そうと思っていたほどです。
「それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。
私はあなたがたのためにあかししますが、あなたがたは、もしできれば自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ったではありませんか。」
(ガラテヤ人への手紙4章15節)
しばらくして、彼らはユダヤ教化を推進する教師の言うことに耳を傾けるようになり、パウロは彼らに手紙を書かなければならなくなりました。
「私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。」
(ガラテヤ人への手紙1章6節)
使徒の働きとエルサレム会議の決定の発表の効果により、教会は強化され、メンバーも増加しました。
Ⅱ.聖霊はアジアにおける禁じられた御言葉のメッセージ
「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。
こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
それでムシヤを通って、トロアスに下った。」
(使徒の働き16章6~8節)
彼らはフリギアとガラテヤを巡り続けました。
ここでの働きに関する記録は残っていませんが、しかし彼らが怠惰で、群衆に証しをしていなかったわけではありません。
しかし、突然、聖霊の声によって彼らの福音伝道の計画は中断されました。
聖霊は彼らにアジアで御言葉を宣べ伝えることを禁じました。
彼らの目的は、繁栄した都市が点在する広大なアジア州に到達することでした。*
しかし、聖霊はこの計画に異議を唱えました。
*当時はエーゲ海沿岸の小アジアの広大な領土が「アジア」と呼ばれていました。
パウロは当時、アジアで御言葉を宣べ伝えることを望んでいません。
後にパウロは州都エペソで3年間過ごし、アジア全土で御言葉を聞きました。
その後、彼らは属州北部のミュシア地方に到着しました。
しかし、聖霊の声に従い、御言葉を語っていません
その後、黒海に面したビテニア地方に着くことを願っていましたが、イエスの霊はそれを許していません。
イエスの霊は彼らをそこへ行かせようとはしていません。
ビテニア地方は別の機会に御言葉を耳にしています。
ペテロの手紙第一では、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、そしてビテニア地方の異邦人に宛てられており、おそらくペテロを通して語られています。
2世紀初頭、その州ではキリスト教が非常に強くなり、偶像崇拝は深刻な影響を受けています。*
* ローマ総督プリニウスの手紙より知られています。
しかし、聖霊はこれらの州に福音を伝えるための独自の時と方法を持っていました。
これは、聖霊が奉仕において導き、指示しなければならないことを明確に示しています。
聖霊がどのようにして使者たちを捕らえ、彼らが先に進まないようにされたのかは記されていません。
彼らは聖霊の導きに従順に従いました。
伝道者であれ教師であれ、キリストのしもべにとって導きを得るために聖霊に委ねることは必要なことなのです。
主を待ち、そして主の御霊に導かれて出かけて行くことこそが、宣教を成功させる真実な道です。
聖霊は、尊い御言葉を語る道と場所と時を指し示さなければなりません。
聖霊の導きに謙虚に委ねることは、現代においては何も知られていません。
現代の大きな運動は、聖霊の臨在と導きよりも、組織、広い意味での宣伝手段、そして財政的支援を重視しているように思われます。
この邪悪な時代の終わりに福音と御言葉を宣べ伝える主イエス・キリストのしもべたちは、時代の初めの使徒と同じように聖霊の導きを必要としています。
そして聖霊は今日も、彼らがアジアとビテニアで宣教することをお許しにならなかったのは当時と全く同じです。
私たちはまた、「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」という真実な意味にも注目したいと思います。
祝福された主は聖霊の力によって地上を歩まれました。
そして今、地上で主を導いた同じ聖霊が、主の民を奉仕へと導き、導いておられます。
この御霊の働きによって、パウロは再び権威を行使しました。
しかし、すでに見てきたように、第二回宣教旅行の初めには、パウロが第一回宣教旅行に出たときほど、その権威は認められていません。
パウロは、当時訪れるべき場所ではない場所に自分で進んで行くことを思いとどまらなければなりません。
このようにビテニアでの宣教を断念した彼らは、海岸沿いのトロアスへと向かいました。
この港町はヨーロッパ大陸の対岸に位置し、マケドニアに最も近い州でした。
アジアでの宣教を許されず、ビテニアでの宣教も断念した使徒には、アンテオケに戻るか、ヨーロッパへ渡るかという二つの道しか残っていません。
Ⅲ.マケドニア人の幻と旅
「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。
パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。
そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。
それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。」
(使徒の働き16章9~12節)
主は、御霊によって彼らを、当時は到達不可能だった地方へ行かせないようにと止めておられました。
しかし、今や彼らがどこへ行くべきか、御心を明らかにしてくださいました。
この小さな一行を覆っていた不安と困惑は、今や全て解消されました。
深い魂の鍛錬と絶え間ない祈りがあったことは、容易に想像できます。
彼らは完全に主に身を委ね、そして主は今、彼らを導いておられます。
その夜、パウロは幻を見ました。
マケドニア出身の男が現れました。
服装などからマケドニア人だと分かりました。
パウロは彼に祈りました。
「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」
彼がその幻を見た後、彼らはすぐにマケドニアへ渡ることを決意しました。
彼らはまず霊的な知性によって、その幻の意味は主がその地で福音を宣べ伝えるよう彼らを召されたことだと理解しました。
これらすべては神のしもべにとって大きな励ましです。
私たちが主を待ち、信頼することを学ぶなら、主は私たちの歩みを導いてくださいます。
しかし、パウロが見た幻を、一般的な導きの手段と捉えたり、繰り返されるべきものとして捉えたりしてはなりません。
私たちは目に見えるものによってではなく、信仰によって歩むべきです。
信仰は目に見えるものを求めたり、主の御心を知るために幻を期待したりするものではありません。
夢や幻について述べられているヨエルの預言は、現代には全く関係がありません。
聖霊のより大きな注ぎの結果として、今、幻や夢を見ていると主張する人々は、常にではないにしても、大抵は惑わされている人々です。
クリスチャンが聖霊に完全に従順であり、神の御霊に満たされている時、幻や夢を望んだり必要としたりすることはありません。
パウロが見た幻は、並外れた出来事でした。
それは予期せぬ、そして求められてもいなかった出来事です。
いわゆるベザン文書によれば、彼らは翌朝港で出航する船を発見しました。*
*6世紀に書かれた福音書と使徒の働きのギリシヤ語写本です。
学者であり改革者でもあったベザの手に渡りました。
通常の本文とは多くの相違点があります。
おそらくそうだと思います。
聖書には、彼らの出発に遅れはなかったと記されています。
常に、主が礼拝に召されるときは摂理的に道を開いてくださいます。
10節は別の理由でも興味深いです。
代名詞が「彼ら」から「私たち」に変わっているからです。
このことから、愛された医師であり、この歴史書を執筆するに選ばれたルカが一行に加わったことがわかります。
彼は自分の名前を一切口にせず、完全に表舞台から姿を消しています。
この謙虚さの美しい模範から学ぶことがあります。
彼らはサモトラケからネアポリスへ、そしてそこからピリピへとやって来ました。
神の御子の福音が宣べ伝えられた最初のヨーロッパの都市ピリピは、マケドニアのその地域の主要都市であり、植民地であったことが描写されています。
「それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。」
(使徒の働き16章12節)。
この街は、マケドニア人の隣国であった粗暴なトラキア人を抑制するために、マケドニア王フィリッポスによって築かれました。
紀元前42年、ローマ内戦の最中に決定的な戦いが起こり、フィリッピはローマの植民地となり、兵士たちが定住しました。
ここには多くのローマ市民が居住していました。
また、この街は偶像崇拝に満ちていました。
ティアテラのルデヤの存在は、紫衣の取引が行われていたことを示しています。
この都市にはシナゴーグはありません。
ここで起こった出来事は詳細に記述されており、本章の残りの部分を占めています。
Ⅳ.ヨーロッパにおける福音
ピリピでの出来事として記録されている最初の出来事は、ティアテラ市の紫布の商人ルデヤの改心です。
「安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。
テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。
そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。」
(使徒の働き16章13~15節)
彼らは週のかなり早い時期に到着し、安息日を待っていました。
しかし、町には会堂がありません。
使徒とその仲間たちは、町に数少ないユダヤ人を見つけるために、祈りが捧げられていた川沿いの町を出て行きました。
その川とは、ガンギテス川という小さな川です。
ユダヤ人は川辺や海辺で祈りを捧げるのが習慣でした。
これはおそらく、律法で命じられたさまざまな清めの儀式のためだったと思われます。
このことについてはエズラ記(8章15、21節)にも既に記されています。
この習慣については、他にも多くの文献で述べられています。
使徒パウロとその仲間たちは、そこに集まっている女性たちの一団を見つけました。
パウロは幻の中で見た男性を探しました。
しかし、そこにいたのは男性ではなく、女性たちの集まりでした。
しかし、これらの使者たちは、ヨーロッパで福音を聞くために集まった最初の聴衆である謙虚な人々にも落胆していません。
彼らは彼女たちは小さなことを軽視せず、祈りのために集まっていた数人の女性たちに話しかける準備をしました。
パウロは彼らに語りかけました。
その言葉は記されていませんが、彼のテーマは一つ、恵みの福音であり、この福音と主イエス・キリスト、十字架上の死と復活について語ったことは確かです。
婦人の中には、紫布の商人ルデヤがいました。
彼女はアジア州テアテラ市出身で、町の戸は閉ざされていました。
ルデヤは神を礼拝する人で、真実な神に立ち返り、偶像崇拝を捨てていました。
彼女は真理を熱心に求める敬虔な魂の持ち主でした。
その敬虔さは、安息日に主を崇拝する人々を探し求める彼女の姿に表れていました。
彼女はコルネリオのように改心していました。
しかし、主イエス・キリストについて何も知らず、救いについては何も知りません。
そして主はルデヤの心を開かせました。
これは祝福された言葉です。
主御自身が、聞く者の心の扉を開かなければなりません。
人間の手には何もできません。
その力は主のみに属します。
主が先立って、真理を受け入れる心を備えさせ、扉を取り除いてくださらなければ、すべての努力は無駄になってしまいます。
福音を宣べ伝えるために出かける人々が、主に頼って、聞く人々の心を開いてくださいます。
尊い魂が真理を受け入れる時、福音伝道者ではなく、主に賛美と栄光を捧げるべきです。
悲しいことに、主が関与されない働き、主とその御霊が軽視されている働きが多く行われています。
ルデヤがテアテラ出身だったという事実にも特別な意味があります。
彼女が福音をアジアの故郷に伝えた可能性は十分にあります。
そこで集会が開かれ、テアテラへのメッセージにある主の言葉(ヨハネの黙示録2章18~29節)から、別の女がキリスト教を堕落させたことが分かります。
「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行なわせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。」
(ヨハネの黙示録2章20節)
テアテラには、このような女性が現れました。
この女は、素晴らしい経験とキリスト教的な人格を持つ温厚なルデヤとは正反対の人物です。
預言的に、テアテラのイゼベルはローマの「この女は紫と緋の衣を着て」いることを表しています。
彼女自身と家族はすぐにバプテスマを受け、心を開いた彼女は、今度はパウロとその一行に家を開きました。
彼女は彼らに懇願し、明らかに裕福な女性であった彼女は、非常に謙虚な態度を示しました。
「私を主に忠実な者とお思いでしたら、」
(使徒の働き16章15節)
そして彼らは彼女の家に滞在しました。
彼女は主の使者たちと完全に一体となり、彼らに深い親切を示しました。
彼女の家はパウロ、シラス、テモテ、ルカの住まいとなり、ピリピの集会の集合場所となりました。
「牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った」
(使徒の働き16章40節)
後にピリピから使徒パウロに交わりの手紙を送る際にも(ピリピへの手紙4章14~16節)、彼女はこのことに大きく貢献しています。
このように、聖霊の祝福された実が豊かに現れたのです。
「私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。
彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。
幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。」
(使徒の働き16章16~18節)
ピリピにおける二番目の出来事は、ピュトンの霊にとりつかれた乙女の救出です。
敵は今再び前線に迫っています。
福音書を携えてヨーロッパに足を踏み入れた敵は、抵抗を受けずに去ることができません。
そこで、サタンは活動を開始します。
光の御使いの姿で現れ、キリストのしもべたちの友として、使徒の目的を助ける用意があるかのように見える時があります。
若い奴隷の娘が、占いの霊、あるいは現地語でピュトンの霊に取り憑かれていました。
ピュトンとは、デルフォイでアポロンに倒された巨大な竜の名前とされています。
彼女は主人たちを従え、その占いで彼らに多大な利益をもたらしていました。
彼女は今日で言う霊媒師であり、悪魔に取り憑かれていました。
心霊術師の霊媒師は、完全な詐欺師であり、巧妙な策略で騙される者たちを欺く、そのような存在です。
現在においても、一流の教育者、大学教授、文学者、そしていわゆる聖職者さえ、悪魔に取り憑かれた少女や女性たちを追いかけ、彼女たちの忌まわしい行いに見合うだけの報酬を得ている者がいるというのは、驚くべき厳粛な事実です。
これらは「科学的調査」や「心霊研究」の名の下に行われています。
この少女は悪霊に取り憑かれていました。
これはピリピの人々も使徒も十分に認識していました。
「このような物語を合理主義の言い逃れでごまかそうとする試みは、これまで以上に無駄です。」*
*ディーン・アルフォードギリシヤ語新約聖書
使徒の働きの別の注釈によると、この少女は腹話術師だったのではないかと言われています。
この狡猾な悪魔を通して、サタンは主イエス・キリストのしもべたちと友好的な関係を装い、働きを妨害しようとしました。
彼女はパウロと3人の助手の後をついて回り、彼らがいと高き神のしもべであり、救いの道を示していることを彼らの前で宣べ伝えました。
彼女はこれを何日も続けました。
でも、この悪魔は真実を語っています。
しかし、キリストを主であり救い主であると告白することはできません。
この悪霊は、彼らを欺く者と呼び、彼らがもたらした福音に警告する代わりに、彼らを称賛しています。
公然とその働きを攻撃するのではなく、まるでお世辞を言うことで、その働きを助けようとしています。
サタンの企ては、この大声で宣伝することで福音の働きを表面的には支援し、同時にそれを傷つけることでした。
しかし、福音はそのような支援を必要としていません。
サタンが支配者、君主、そして神として君臨するこの世の支援は必要としていません。
この世の支援や喝采は福音を前進させるどころか、サタンがこれまでに編み出した最も偽善的な妨害です。
私たちは今、このようなことをどれほど多く目にしていることでしょうか!
福音伝道運動は、壮大な計画を企てる中で、しばしば反キリスト教的な報道との同盟と援助を求め、福音の働きを世間の注目を集めることで支援を受けてきました。
他にも多くの事実があるが、それらについてはここでは触れません。
世は常に世であり、世との友好は神への敵意を意味しています。
サタンはまさにこれこそ、キリストのしもべたちと同盟を結び、彼らを滅ぼそうとした試みでした。
現在のキリスト教世界では、サタンは大きな成功を収めています。
しかし、パウロはこの証言を受け入れようとしていません。
彼はまずその試みを無視し、若い女性の激しい叫び声にも耳を貸さずにそのまま立ち去りました。
ついに彼は悲しみに暮れ、主イエス・キリストの聖なる御名によって、悪霊に彼女から出て行くように命じました。
すると、悪霊は即座に出て行きました。
「彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕え、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。
そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、
ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」
群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、
何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。」
(使徒の働き16章19~24節)
敵は狡猾な試みに失敗し、今や本性を現しました。
悪霊から解放された若い女性の主人たちは、悪霊に取り憑かれた少女と同じようにサタンの支配下に置かれていました。
サタンは彼らを通して、福音の進展を力ずくで阻止しようとしています。
パウロとシラスは役人たちの前に広場へと連れ出されます。
彼らは違法な宗教を教えているという理由で告発しました。
パウロの説教は、もちろんローマとアウグストゥスの偶像崇拝に向けられたものです。
少なくともこの点においては、告発は真実でした。
しかし、パウロとシラスが共にローマ人であると公表されたことで、二人の罪はさらに深刻なものとなりました。
異宗教を宣べ伝えることは、反逆罪と同義だったのです。
もちろん、裁判官たちの前で示された動機は偽りであり、単なる見せかけです。
しかし、サタンは群衆を扇動することに成功しました。
群衆は彼らに反抗して立ち上がりました。
裁判官たちもそれに加わり、主の二人の使徒の衣服を剥ぎ取りました。
これは大きな恥辱と侮辱とみなされ、彼らはそれを痛切に感じました。
パウロはテサロニケ人への手紙の中でこのことについて述べています。
「ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。」
(テサロニケ人への手紙第一2章2節)
そして、その状態で彼らは激しくむち打たれ、何度も打たれました。
これは、パウロがコリント人への手紙第二11章25節で述べられており、三度むちで打たれたうちの一つです。
「むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。」
(コリント人への手紙第二11章25節)
このむち打ちによる屈辱と激しい苦痛は、耐え難いものでした。
そして彼らは牢獄に放り込まれ、看守は彼らを安全に監禁する特別な任務を負いました。
看守は自分の責任を感じ、彼らをさらに安全にするために、彼らに足かせをかけました。
このように衣服は剥ぎ取られ、背中は裂傷と血だらけの彼らの足は、残酷な足かせに閉じ込められました。
このような苦しみを生み出す人間の残酷さは、敵の仕業です。
彼らは忍耐強く苦しみ、聖霊に満たされることで、不当な苦しみに耐える力が与えられました。
「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。
目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」と叫んだ。」
(使徒の働き16章25~28節)
夜が更け、真夜中になると地下牢から不思議な音が聞こえてきます。
呪いの言葉や下品な言葉、泣き声や歯ぎしりといったおなじみの音が悲惨なローマの牢獄に響き渡ります。
しかし、今、歌声が聞こえてきます。
祈りと賛美は、牢獄に捕らわれた二人の伝道師の独房から響いてきます。
真夜中、パウロとシラスは神に祈り、賛美の歌を歌いました。
囚人たちはそれを聞いています。
その祈りと賛美は、祝福された福音の教えと合致していたことは疑いありません。
彼らは、主イエスが彼らの罪のために苦しみを受け、救ってくださったことを神に賛美していました。
彼らは主が共にいることを知り、主の喜びが夜のほめ歌の中にあふれ出ていました。
「しかし、だれも問わない。「私の造り主である神はどこにおられるか。夜には、ほめ歌を与え、」
(ヨブ記35章10節)
彼らの出来事を通して、このことが実証され、素晴らしい証しとなりました。
彼らのような苦しみは、もはや私たちの知るところではありません。
そして悲しいことに、クリスチャンの中には、苦しみに遭ったり、小さな苦難に見舞われたりしても、喜び、主を賛美する代わりに、不平や疑いの念に駆られる者が少なくありません。
そして、突然答えが返ってきました。
主は、苦しむしもべたちの祈りに地震によって応えられました。
主はこのように常識では考えられない方法で彼らのために介入されました。
合理主義は、これを偶然の出来事であるかのように見せかけたり、地震を無視しようとしています。*
* 聖書研究者でもあったエルネスト・ルナンの「使徒パウロ」の中では地震について一切触れていません。
彼らがまだ神を賛美していた時、神はその場所全体を揺るがしました。
扉は開かれ、囚人たちの鎖は解かれました。
しかし、牢獄自体は倒れていません。
この牢獄は、他のローマの牢獄と同様に、岩だらけの丘陵に掘られた穴から構成されていたという事実によって説明できます。
囚人たちは壁に鎖で繋がれ、洞窟の独房は重いかんぬきのついた木製の扉で閉ざされていました。
扉が勢いよく開き、囚人たちの足かせが地面に落ちました。
主は囚人たちを解放したのです。
しかし、いままで、拷問にかけられ、舌は乾き、額は熱にうなされ、数え切れないほどの犠牲者がいました。
また、パウロやシラスのように祈り、賛美する囚人たちが多くの地下牢から連れ出されました。
しかし、彼らを救う答えは得られません。
扉を開ける地震もなく、彼らは殉教の死を遂げ、天は彼らの嘆願に沈黙しました。
神の啓示が完成した後、天は静まり返り、神は人々が御言葉を信じることを期待しています。
この世の苦難に、再び天からの介入がある日が来る日を期待しています。
看守は衝撃で目を覚まし、囚人たちが解放されたのを見て自殺しようとしました。
ローマ法によれば、看守は囚人たちの命をかけて責任を負っているからです。
しかし、パウロは大声で叫びました。
「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」
(使徒の働き16章28節)。
この言葉によって、看守が自分の剣で自分を刺すのを止めさせました。
サタンは看守を自殺させ、永遠の境地へと導こうとしました。
しかし、神は哀れなローマの異教徒のために別の道を用意されていました。
「看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏した。
そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。
看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。
そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。
それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。
夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、「あの人たちを釈放せよ。」と言わせた。
そこで看守は、この命令をパウロに伝えて、「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。どうぞ、ここを出て、ご無事に行ってください。」と言った。
ところが、パウロは、警吏たちにこう言った。
「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。
とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」
警吏たちは、このことばを長官たちに報告した。
すると長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて恐れ、
自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出して、町から立ち去ってくれるように頼んだ。
牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。」
(使徒の働き16章29~40節)
突然の出来事でした。
また、囚人たちが逃げていなかったという事実、囚人たちが全員そこにいるということをパウロは保証しました。
そしておそらく彼が聞いた使徒たちの歌声と祈り、これらすべてが彼の魂に確信をもたらしたからです。
私たちは使徒の足元にいる看守を、神の恵みのトロフィー、神の力の証人、そして敵の怒りが神を讃えることの証拠として見ることができます。
「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」
(使徒の働き16章30節)
それは、今や数少ない囚人や自身の肉体の命よりも、彼にとって何よりも大切な問いでした。
神の恵みは、哀れな看守を、完全に目覚めた魂へと変えたのです。
不安な心に対する答えはすぐにやって来ます。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
(使徒の働き16章31節)
そして、彼らは神のみことば、キリストの物語、十字架上で死んだキリストを信じるという祝福された福音を彼に語りました。
信じるだけで、何もする必要はありません。
なぜなら、神は御子においてすべてを成し遂げてくださったからです。
これが恵みの福音です。
罪人は主イエス・キリストを信じるだけで、無償で完全な救いが与えられます。
これは、当時も今も変わらない救いの道です。
それを否定し拒む者は皆、希望を持たず、失われた魂です。*
*そして、現代において、神の救いの道が拒まれていることを考えるのなら恐ろしくなってきます。
人格による救い、血を流さない福音が、現代における代替物となっています。
例えば、ある説教者は数か月前、人気のある月刊誌でこのように教えていました。
「救いとは、罪人が地獄からの解放と天国に入ることを保証する行為ではなく、生涯にわたる過程にすぎません。」
このような発言は、福音全体を覆ってしまいます。
そして、その約束は看守に対してだけではなく、彼の家族に対してもなされました。
これは祝福された真実ですが、悲しきことにくりかえしクリスチャンの両親たちによって誤った教えによって無視され、見落とされています。
もちろん、この約束には条件があります。
個人的な救い主への信仰によってのみ、誰も救われることができます。
新約聖書によれば、クリスチャンの家庭を通して多くのことが教えられています。
夫はキリストを代表します。
教会が主に従うように、妻は夫に従うべきであり、子供たちは主にあって両親に従うべきです
「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。」
(エペソ人への手紙5章22)
「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」
(エペソ人への手紙6章1節)
父親にはこのような勧めが与えられています。
「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。
かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」
(エペソ人への手紙6章4節)
私たちは子供たちを主のもとに連れて行くことができます。
また、神の勧告に従って育てるなら、彼らが救われる完全な確信を持つことができます。
主の言葉を聞いたのは看守だけではありません。
彼の家にいる全員、つまり妻子、そして彼に属するすべての人々も聞きました。
看守が彼らの傷を洗うと、彼自身も彼の家族も皆、すぐにバプテスマを受けました。
水のバプテスマには何の遅れもありません。
看守は彼らの傷を洗い、パウロとシラスを家に迎え入れ、食事を用意することで、信仰に伴う行いを示しました。
そして、信仰は彼の心に喜びをもたらしました。
彼は家族全員と共に神を信じ、喜びにあふれました。
朝、役人たちからこれらの男たちを解任せよという命令が下されました。
しかし、パウロは今、彼らの意見を要求しています。
役人たちは不当な扱いをしており、福音の権利だけでなく、自分の過ちも認めなければなりません。
パウロは、自分たちが無罪の罪で暴行を加え、しかもそのように仕向けた相手はローマ人だったため、自分で出向いて牢獄から連れ出すよう要求しました。
この知らせを聞いた役人たちは恐怖に陥りました。
キケロによれば、ローマ人を縛ることは犯罪であり、鞭打つことはスキャンダルであり、殺すことは殺人でした。
体罰を免れることは、ローマ市民権の最も貴重な特権の一つだったのです。
「civis Romanus sum(私はローマ市民だ)」という叫び声は、異邦人の蛮民の間でさえも助けと安全をもたらしていました。
そこで彼らは牢獄に出て、町から出て行ってほしいと懇願しました。
このように彼らは自分たちの犯した過ちを認めました。
しかし、急いで立ち去ろうとはしていません。
まずルデヤの家に入り、兄弟たちと会って慰め、それから立ち去りました。
ルカはピリピに残りました。
パウロとシラスの宣教の祝福された成果は、ヨーロッパでの最初の集会の始まりとなり、後に使徒パウロはローマからクリスチャン生活と経験についての貴重な手紙をこの集会に宛てて書き送っています。
17章
この章では、次に福音が宣べ伝えられた三つの都市が取り上げられています。
しかし、これら三つの都市には大きな違いがあります。
テサロニケでは、福音が成功した結果、激しい敵意が見られました。
ベレアには、より高貴なユダヤ人がいました。
彼らの高貴さは、聖書と神の御言葉への服従、そして素早い心構えにありました。
ユダヤ人と異邦人の間で、さらに大きな祝福がありました。
アテネでは、使徒パウロは偶像崇拝、無関心、そして嘲笑に遭遇しました。
Ⅰ.テサロニケにおける福音(使徒の働き17章1~9節)
Ⅱ.ベレアにおける福音(使徒の働き17章10~14節)
Ⅲ.アテネのパウロ(使徒の働き17章15~34節)
Ⅰ.テサロニケにおける福音
「彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。
パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。
彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。
ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。
しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。
それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」
こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。
彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。」
(使徒の働き17章1~9節)
テサロニケへ向かう途中で行われた働きについては記録されていません。
彼らは十字架の祝福された使者たちは聖霊の導きのもと、その州の有力な首都に向かいました。
そこには多くのユダヤ人がおり、説教できるシナゴーグがあることを彼らは知っていたからです。
テサロニケは当時最も影響力のある都市の一つでした。
今日でも人口は10万人近くに達し、今もなお古代の名称はヨーロッパ・トルコで第二の都市であるサロニキに受け継がれています。
エーゲ海に面した絶好のロケーションにあり、エグナティア街道という直通道路によってローマ帝国の首都と結ばれていました。
ローマ帝国の自由都市の一つであり、独自の憲法を有していました。
これは民主的な制度であり、その権威はデモス(民衆)に委ねられていました。
最高行政官はポリタルコス(街の長老)と呼ばれていました。
これは現代で言うところのその街の長老、あるいは統治者です。
この言葉はルカによる福音書6節、8節で使われています。
古典文学には全く見ることのできない記述をめぐり、一部の聖書批評家は使徒の働きの筆者を不正確だと非難し、その書の霊感を否定しました。
しかし、他のあらゆる批判と同様に、この非難は批評家たちに返ってきました。
現在、大英博物館には「ポリタルク」という言葉が刻まれた石版が所蔵されています。
この石版は1世紀にテサロニケに建っていた凱旋門から取り出されたもので、1867年に破壊されるまで保存されていました。
碑文が刻まれた唯一の石版が、かの有名な大英博物館に移されました。
碑文は次のように翻訳されています。
「クレオパトラの子ソパテル、ルキウス・ポンティウス・セクンドゥス、アウルス・アリウス・サビヌス、ファウストゥスの子デメトリウス、ニコポリスの子デメトリウス、メニスカスとも呼ばれるパルメニオの子フォイラス、カイウス・アギリウス・ポティトゥス。
彼らはこの街の政治家です。」
これらの名前のいくつかが使徒の働き20章4節に述べられていることを知るのは非常に興味深いことです。
「パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。」
(使徒の働き17章2節)
安息日三日間、あるいは欄外の記述によれば数週間、彼はユダヤ人に御言葉を説きました。
そして今、私たちは非常に興味深い記録を手にしています。
「そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。」
(使徒の働き17章3節)
このことから私たちは重要な教訓を学ぶことができます。
彼がここでも他の場所でもユダヤ人に接した方法は、説教や講義といった通常のメッセージではありません。
それは単なる会話であり、質問と答えを許し合う議論でした。
会話的な方法で教え、その土台は聖書でした。
もちろん、聖書という名称は旧約聖書を意味します。
なぜなら、新約聖書はまだ存在していなかったからです。
このような推論はユダヤ人の心によく合っていました。
今でも、福音をユダヤ人に伝える最良の方法です。
パウロがとった方法はとても優れています。
彼は聖書を解き明かしました。
律法、預言者、諸聖典は、神がユダヤ人に約束されたメシアに関してユダヤ人によって開かれました。*
*ヘブル語の旧約聖書は3つの部分に分かれています。
トーラ(律法)、ネヴィジム(預言者)、ケトゥヴィム(箴言、詩篇、ヨブ記などの聖書)です。
彼は偉大な救世主の預言を引用しました。
パウロは詩篇を開き、数々の預言が記されたこの聖なる書を開きました。
幕屋とその礼拝に示されたさまざまな予型、ささげ物と供え物、過越の祭とエジプトからの解放、青銅の蛇、その他の出来事が、彼によって繰り返し語られました。
しかし、その議論と推論は、すべてメシアという御方についてです。
パウロは、聖書が約束のキリストは苦しみを受け、死に、そして復活しなければならなかったと教えていることを示しました。
この事実を立証した後、約束のメシアが誰であるかとは関係なく、もう一つの事実、すなわち、彼が宣べ伝えたイエスこそがキリストであるということを強調しました。
この推論はとても力強いものでした。
聖霊のもとで、彼らの心に確信がもたらされました。
そして、ある者は信じました。
より大きな成功を収めたのは、偶像礼拝を捨て、会堂に通っていた敬虔なギリシヤ人たちでした。
多くの婦人たちの指導者を含む大勢の人々が信じました。
しかし、テサロニケ人への手紙から分かるように、これらのギリシヤ人の多くは偶像礼拝から直接改心し、このように述べられています。
「私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、」
(テサロニケ人への手紙第一1章9節)
使徒とその仲間たちは、しもべとしてこれらの会堂に入り、メッセージを伝える自由を持っていました。
この自由は今もなお、主イエス・キリストに仕えるすべての人々に与えられています。
キリストに仕える者たちは、主が福音を宣べ伝えるために扉を開いてくださるところならどこへでも行く完全な自由を持っています。*
*私たちがこの点を強調するしているは、教会を名乗って小さな教派を形成する過激な分離主義者がいるからです。
彼らは、自分の説教師や教師が他の教派の教会堂に入ることを禁じ、教会で福音を説いているという理由で、一部の人々を自分たちの交わりから排除することさえあります。
テサロニケにおける使徒の活動に関するもう一つの興味深い事実は、彼がしばらく後にテサロニケの人々に宛てて書いた二つの手紙から知ることができます。
これらの手紙から、使徒パウロが福音を宣べ伝えただけでなく、テサロニケの信徒たちに預言的な真理を教え、キリストの再臨とそれに関連する出来事を強調していたことがわかります。
第二の手紙の中で、パウロは口伝で教えた教えを彼らに思い起こさせています。
「私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。」
(テサロニケ人への第二の手紙2章5節)
イエスは彼らに、御子を天から待つべきこと(テサロニケ人への手紙第一1章10節)、主の日が来る前にまず背教が起こり、罪の人が現れること(テサロニケ人への手紙第二2章3~7節)、そして他の真理も告げました。
ですから、現代でよく言われるように、イエスは、これらの新しい改心者やキリストにあって幼子である者たちにとって、ディスペンセーション的な真理は難しすぎるとは考えてはいません。
新しく生まれ、聖霊に内住する者にとって、神のみことばのどんな内容も深すぎることはありません。
この使徒的方法は、神の真理を解き明かし、生まれたばかりの聖徒たちをその真理へと導くために絶対に不可欠です。
確かに救われている人々の間に今日見られる状況の一つは、使徒パウロがテサロニケにおける福音宣教と密接に結び付けていた、ディスペンセーション的な教えの欠如にあります。
すぐに敵は市内で目覚めました。
不信仰なユダヤ人を通して敵が行った行為が再び記録されています。
敵はピリピの時と同じ戦術を用いて、町の暴徒を煽動しました。
暴徒たちは、使徒パウロとシラスが宿泊していたヤソンの家を襲撃しました。
彼らの目的は、二人を民衆の前に引きずり出すことでした。
パウロたちを見つけられずに、彼らはヤソンと他の兄弟たちを政治長官たちの前に引きずり出しました。
するといつもの騒ぎが起こり、非難の声が上がった。
「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。
それをヤソンが家に迎え入れたのです。
彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。」
(使徒の働き17章6、7節)
敵はこの告発において、クリスチャンの力と影響力を証明しています。
彼らはカエサルの布告に反対し、別の者が王であると主張しているという告発です。
イエスの出現は、パウロが説いたディスペンセーション主義の教えが人々に歪められた結果に端を発しています。
迫害が始まり、テサロニケ人への手紙から、そこの教会が多くの苦難を経験したことが分かります。
事態は深刻化し、偽教師たちが患難に直面するとの噂を広めたため、テサロニケの人々はひどく動揺しました。
この問題について人々の心を落ち着かせるために、使徒パウロは第二の手紙を書きました。
テサロニケの指導者たちはヤソンたちから保証金を受け取った後、彼らを解放しました。
Ⅱ.ベレアにおける福音書
「兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。
ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。
ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。
そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。」
(使徒の働き17章10~14節)
パウロとシラスはすぐに夜のうちに追い出されました。
テモテはどうなったのでしょうか?
テサロニケへのこの訪問に関して、彼のことは全く述べられていません。
また、ルステラでパウロとシラスに合流して以来、彼からの情報は何も残っていません。
しかし、このことから彼が彼らのもとを去ったと結論づけてはなりません。
彼がテサロニケで彼らと共にいたことを示す十分な証拠があります。
テサロニケ人への手紙は両方とも、パウロとシルワノとテモテによって記されています。
(テサロニケ人への手紙第一1章1節、テサロニケ人への手紙第二2章1節)。
これは、彼がパウロとシラスと共にいたことを示す決定的な証拠です。
(シラスはシルワノと同一人物です。)
これらの書簡から、パウロとおそらく彼の仲間も自分たちの手で働いていたという情報も得られます。
(テサロニケ人への手紙第一2章9節、 テサロニケ人への手紙第二3章8節)
そして今、彼らはテサロニケから約64キロ離れたベレアの町にいます。
この町は山脈の麓という絶好のロケーションにあり、今でもかなり大きな町で、ヴェルナという名で知られています。
彼らは町に到着するとすぐに会堂へ行き、準備された場所を見つけました。
彼らが見つけたユダヤ人たちは「テサロニケにいる者たちよりも良い人たち」だったと記されています。
良い人という言葉は、ある人たちが言うように、貴族階級のような意味ではなく、主の使者が語ったことを聖書によって受け入れて検証する心構えがある人のことを意味しています。
彼らは日々聖書を調べ、それらが真実かどうか確かめました。
彼らは真理を知りたがり、御言葉を調べる際には聖書と聖書を比較しました。
悲しいかな、現代のユダヤ人にはこのような心の機転と聖書を調べる姿勢がほとんど見られません。
多くの人が自分の聖書を拒み、正統派ユダヤ人は神の御言葉について悲しいことに無知です。
一方、タルムードの格言、長老たちの口承、そしてパラフレーズは計り知れない害をもたらしてきました。
彼らの上に横たわる裁きとしての盲目、彼らの心を覆うベール(コリント人への手紙第二3章13~15節)が取り除かれるときだけ、彼らはモーセと預言者たちが語った方を見ることができるのです。
しかし、名ばかりのキリスト教世界においても、聖書の軽視は、それ以上に明白です。
私たちは日々聖書を探求する必要があります。
ですから、彼らは心を開いて聖書を調べたので、多くの人が信じたのです。
そしてベレア人の集会には異邦人も加わり「その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった」のです。
しかし、サタンは休むことを知りません。
有効な扉が開かれると、敵対者たちは動き始めます。
パウロとシラスがベレアで説教しているという知らせがテサロニケに届き、サタンは不信仰なユダヤ人たちを自分の道具としてベレアに送り込み、人々を扇動しようとしました。
兄弟たちは、主からの祈りと導きを受けて、パウロを追い払うのが最善だと考えました。
しかし、シラスとテモテはそこに留まりました。
Ⅲ.アテネのパウロ
「パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。
さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。
そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。
エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか。」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい。」と言った。
パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。
そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。
私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」
アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」
(使徒の働き17章15~21節)
パウロがたどった正確な道筋は定かではありません。
ベレアの高貴な兄弟たちが彼を案内し、主イエス・キリストのしもべであるパウロへの愛情と丁重な態度を示しました。
彼らが別れる際、使徒パウロは彼らを通してシラスとテモテに、至急来るようにと伝えました。
そして今、私たちは偉大な使徒を、ギリシヤの首都アテネという素晴らしい街で見ています。
ある人はよく言ったものです。
「アテネのパウロ、タルソスのユダヤ人パウロがペリクレスとデモステネス、ソフォクレスとエウリピデス、ソクラテスとプラトンの街にいました。
このような状況は、私たちの筆では到底描き切れません。
ローマ帝国におけるアテネの地位を適切に評価することも、同様に困難です。
当時のアテネは依然として世界の知的・芸術的首都だったからです。
そして、宗教的首都でもありました。
ギリシヤ神話の拠点であり、神々とその歴史に関する最も真正な記述として広く受け入れられていました。」
そこは偉大な街でした!
使徒の目には、芸術と建築の輝きが映っていました。
ここでは、建築と彫刻の巨匠たちの傑作を目にすることができます。
そして、過去の記憶、偉大な哲学者たち、そして彼らのさまざまな学派の記憶も存在していました。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスがこの都市に移り住み、教鞭をとり、誇り高きアテネ市民はそれぞれの哲学に基づきさまざまな学派を設立していました。
さらに、アテネは偶像崇拝に満ちた偉大な宗教都市でもあったのです。
クセノポンはアテネについてこのように述べています。
「街全体が一つの大きな祭壇であり、神々への一つのささげ物と奉納物になっています。」
ある芸術家は、街路や寺院を偶像で埋め尽くすことで、他の芸術家たちを出し抜こうとしました。
しかし同時に、この偉大な都市は衰退の道を歩んでいました。
アテネの人々は、芸術においても哲学においても、過去の栄光に生きていました。
このことを21節は鮮やかに物語っています。
「アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。」
(使徒の働き17章21節)
パウロは町の通りを歩き、そこが偶像崇拝に染まっているのを見て、ひどく心を揺さぶられ、憤慨しました。
でも、神殿や傑作をじっくりと眺めようと立ち止まることはしていません。
高く評価された傑作の背後に、人間の心の腐敗と邪悪さを見出していたのです。
パウロ自身の霊が奮い立っただけでなく、聖霊も彼を奮い立たせて、パウロに対照的な証言をさせました。
彼はまず会堂でユダヤ人や敬虔な人々、偶像崇拝から離れたギリシヤ人と論じ合い、毎日市場で出会う人々と語り合いました。
市場はアゴラ、つまり街の中心にある広場です。
その両側には、私たちが市庁舎と呼ぶ公共の建物、裁判所、そしてさまざまな神々の神殿が建っていました。
ここにも多くの店があり、田舎町と同じように、田舎から人々が商品を持ってやって来るので、売買の場となっています。
営業時間が終わると、噂話が始まります。
そこでは新しい意見が展開され、哲学者や旅回りの演説家が喜んで聴衆を得る場所になりました。
古典文学から、450年前のソクラテスがまさにこの地で活動し、人々に語りかけ、厳しい質問によって彼らの自信を打ち砕き、自分の哲学を説明していたことが分かります。
しかし、パウロはソクラテスよりも偉大な存在であり、アゴラを歩き回り、耳を傾ける者すべてに質問し、論理的に論じていました。
やがて彼はエピクロス派やストア派の人々に出会いました。
エピクロス派は唯物論者です。
彼らはある意味で神を信じていました。
しかし、その信仰の中には現代科学における原子論のようなものも含まれていました。
彼らは死後の世界を否定しました。
ストア派は至高の存在を信じていました。
彼らは宇宙には遍在する精神が存在し、人間の霊はその一部であると信じていました。
近代の汎神論は彼らの信条でした。
しかし、彼らは敬虔でしたが、極めて独善的で傲慢でした。
ストア派はパリサイ派に似ており、エピクロス派はユダヤ教のサドカイ派に似ています。
使徒パウロはこれらの哲学者の何人かと会いました。
彼らはパウロの話を聞いて、彼を「おしゃべりな人」と呼びました。*
* ギリシヤ語のスペルマロゴスは「種を拾う人」と訳されます。
これは、アゴラに頻繁に出入りし、鳥のようにあちこちで少しずつ種を拾う人々を表す俗語です。
もっと深刻な者たちは、ソクラテスを異教の神々を唱える者として非難しました。
まさにこのことでソクラテスは死刑に処されました。
しかし、私たちはパウロが何を説いたのかを知らないままでいるわけではありません。
彼が知っていたのはただ一つのテーマ、イエスと復活だけでした。
そこである日、彼らはパウロを捕らえてアレオパゴスに連れて行きました。
アレオパゴスはローマ元老院に相当する法廷です。
パウロはここで、哲学者、有力な市民、そして多くの噂話好きの人々といった代表的な聴衆を集めました。
彼らはただ新しいことを話したり聞いたりすることに時間を費やすだけの人たちでした。
まさに好機でした。
「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。
私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」
(使徒の働き17章19、20節)
アテネの宮廷アレオパゴスの前に立った彼は、自分に対する告発について、丁重な態度で弁明するよう命じられました。
「そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。
私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。
神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」
死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言った。
こうして、パウロは彼らの中から出て行った。
しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。」
(使徒の働き17章22~34節)
偉大な使徒の演説は、並外れた機転と知恵に満ちています。
パウロはユダヤ人に対してユダヤ人として接し、ここではギリシヤ哲学者に対して哲学者として接しています。
パウロはエピクロス派とストア派の哲学を可能な限り援用し、彼らをつまづかせる可能性のあるものは可能な限り避けています。
パウロは、遍在し内在する創造主、宇宙の支配者であり守護者である神への信仰から出発しています。
パウロはこれを、ギリシヤの詩人からの引用によって裏付けることができました。
こうした基礎構築の後、彼は来るべき審判について語り、審判者である神とその復活の事実を紹介しています。
この講演をそれぞれの部分から検証してみましょう。
講演は3つの部分から構成されています。
1.序文(使徒の働き17章22、23節)
2.「知られない神」とは誰なのでしょうか?(使徒の働き17章24~29節)
3.神からのメッセージ(使徒の働き17章30、31節)
1.序文
パウロはいつものフレーズ「アテネの人たち」という言葉で彼らに話しかけました。
パウロが彼らを非難したのは迷信のことではありません。
パウロが言っているのは、アテネ人は非常に信心深く、多くの神々を崇拝していたことです。
これは知恵ある発言です。
福音伝道者たちがそこから恩恵を受けると良いと考えます。
ローマの教会やユダヤ教徒に福音を宣べ伝える際には、彼らの慣習に敵対するのではなく、そうした論争を避けることが賢明です。
パウロはアテネで、「知られざる神に」という奇妙な碑文が刻まれた祭壇を見つけています。*
*他の古代の権威ある人たちも、アテナにそのような祭壇が存在したと語っています。
例えば、フィロストラトスとルキアノスです。
この祭壇がどのようにしてアテネに建てられたのかは不明です。
しかし、真実な神はアテネの人々にとって未知の神であった事実を証明しています。
この事実に使徒パウロは真実な出発点を見出しました。
人間の心は、人間の姿から始まり、鳥、四足動物、爬虫類の姿へと、神々や祭壇を造り上げることができました。
「不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」
(ローマ人への手紙1章23節)
しかし、真実な神は、人間の心の空虚な理性では見出すことができません。
神は啓示によってのみ知ることができるのです。
そしてパウロは今、この著名な聴衆の前に立ち、未知の神をはっきりと示そうとしています。
「神は」、そして、「命じておられます」とパウロは語りました。
2.「知られない神」とは誰なのでしょうか?
パウロは、神の人格的な真理を解き明かします。
神は人格を持つ神であり、ゆえに世界と世界に存在する万物を創造しました。
この真理は、エピクロス派やストア派には認めることはできません。
エピクロス派は原子論によって宇宙は自発的に形成されたと主張し、ストア派は冷徹な汎神論によってこの根本的な真理を否定しました。
この大胆な宣言は、これらの賢人たちの哲学的なたわごとを効果的に排除し、この短い言葉によって現代の唯物論者や汎神論者の問いに完全に答えています。
そして、次の一文でパウロは異教の愚かさを明らかにしています。
「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」
(使徒の働き17章24、25節)
この発言においてパウロは、神の本質は、自給自足であり私たちから何も必要としないと主張するエピクロス派の表現に傾倒しています。
しかし同時に、神はすべての命、息、そしてすべてのものに与えているということを示すことで、ストア派を叱責しています。
神は創造主であると同時に、維持者でもあるのです。
次にパウロは、神が人間を創造し、すべての民族が神によって一つの血から造られたことを示しています。
これは異教では信じられていません。
多神教は、異なる人種が異なる方法で存在するようになったという考えと密接に結びついています。
したがって、それぞれの人種には異なる民族の神々がいました。
ギリシヤ人は世界をギリシヤ人と蛮族の二つの階級に分けました。
彼ら、つまり誇り高きギリシヤ人が蛮族と同じ血統から生まれたという事実は、彼らを大いに謙虚にさせました。
そして、それは彼らの民族的自尊心を戒めるものでした。
使徒パウロが教養あるギリシヤ人、偉大な哲学者たちに語ったことはすべて初歩的なことでした。
神と人間の起源に関する最も単純な真理は、どんなに鋭敏な知性をもってしても発見することはできません。
これらすべてのことは、ローマ人への手紙にある神のみことばをどのように裏付けているのでしょうか?
「というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、」
(ローマ人への手紙1章21、22節)
さらにパウロは、神は諸国の統治者であり、彼らの居住地の境界を定められたと述べています。
被造物は主を求めるべきです。
「これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。」
(使徒の働き17章27節)
これらすべてのことは、私たちが主によって生き、動き、存在していることは、創造主である神、すなわち命と息と万物の与え主である神と結びついています。
被造物は神によって支えられています。
それから、これに関連して、彼は彼ら自身の詩人たちの言葉を引用します。
「あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。」
(使徒の働き17章28節)
ギリシヤの詩人、クレアントスとアラトスがこのように語りました。
アラトスはストア派の詩人でした。
そのため、パウロは自分の詩人たちの表現を自分から逆らうようにして用いました。
これらの詩人たちは哲学者よりも知恵に富んでいました。
パウロは詩人たちのこの言葉を引用することで、人間は本質的に神の創造物であり、神の似姿に創造されたという真理を強調しています。
人間はどこへ迷い込んでしまったのでしょうか?
偶像崇拝の邪悪で愚かな行為が暴露されました。
この神は人間の技巧と工夫によって刻まれた金や銀や石のように造られました。
それは、人々の理屈が彼らを導いてきた、悲惨な愚行を暴いています。
文化的なアテネにおいて、偉大な使徒が真理の最も基本的な事柄にまで踏み込まなければならなかったことに、意義深いものを感じさせられます。
3.神からのメッセージ
彼らの偶像崇拝の罪が明らかにされ、今、使徒パウロは彼らの心にメッセージを伝えます。
パウロは、彼らが誇る哲学と進歩の時代を「無知の時代」と呼び、神がそれを見過ごし、過ぎ去ったことを保証しています。
しかし今、神は悔い改めを呼びかけています。
パウロは彼らの良心に訴え、偶像から離れて真実な神に立ち返る必要性を気づかせようとします。
彼はユダヤ人であろうと異邦人であろうと、ギリシヤ人であろうと未開人であろうと、すべての人に悔い改めるようにという一つのメッセージを送ります。
そして、その理由を述べています。
神が義によって世界を裁く日が定められています。
神が裁くために用いるのは、神によって任命された人であり、この者の復活が宣言されています。
ここでの裁きの日とは、普遍的な裁き(聖書にはこの用語は見当たりません)や、大きな白い御座における裁きを意味するものではありません。
ここでの裁きは死者に関するものではなく、人が住む世界に対する裁きです。
それは、神が死者の中からよみがえらせた人、私たちの主イエス・キリストが再臨されるときに行われる裁きです。
キリストの復活は、その裁きを保証するものです。
では、なぜ使徒は福音を力強く伝え、罪の赦しについて語らなかったのでしょうか?
彼らはまだその準備ができていなかったからです。
使徒は彼らの良心を奮い立たせるために、哲学者のように彼らに語りかけました。
死者の復活の話を聞くと、ほとんどの者はもう十分だと思いました。
中には嘲笑し始めた者もいました。
彼らは、救いについてこれ以上聞くには程遠い状態にあることを明白に示しています。
ペリクスが後に言ったように、「このことについては、またいつか聞くことにしよう」と言う者もいました。
しかし、この証言さえも無駄ではありません。
ある者は彼に固執し、信じました。
パウロはこれらの者を区別し、神の救いの道について教えました。
その中には、アレオパゴスの一員であったアレオパゴスのデオヌシオが記されています。
伝承によると、彼はアテネ議会の指導者でした。
18章
パウロのアテネからコリントへ旅
ここはアカヤの首都で、アテネから近い場所にあります。
コリントは全く異なる都市です。
当時、コリントは大きな商業の中心地であり、国際的な特徴を持っていました。
使徒はここで1年6か月間定住し、シラスとテモテもここに加わりました。
当時、コリントは最も不道徳な街の一つでした。
宗教と結びついた、甚だしい不道徳がここで行われていました。
この章はさまざまな意味において興味深いものです。
天幕職人として働き、福音を説く傍ら、コリントで彼は霊感を受けて、テサロニケ人への手紙二通とローマ人への手紙一通を記しました。
Ⅰ.コリント、アクラとプリスキラと共にして、パウロの証しとユダヤ人からの分離(使徒の働き18章1~8節)
Ⅱ.幻における主からの励まし(使徒の働き18章9~11節)
Ⅲ.パウロとガリオ(使徒の働き18章12~17節)
Ⅳ.コリントからエペソとアンテオケへ、第二の旅の終了(使徒の働き18章18~22節)
V.ガラテヤとフリギアで弟子を建てる。(使徒の働き18章23節)
Ⅵ.アレクサンドリア人アポロ(使徒の働き18章24~28節)
Ⅰ.コリント、アクラとプリスキラと共にして、パウロの証しとユダヤ人からの分離
「その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。
ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、
自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。
そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。
しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。
そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。
会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。」
(使徒の働き18章1~8節)
ここで初めてアクラとその妻プリスキラが言及されています。
二人は書簡の中で重要な人物として登場します。
パウロは二人のもとに導かれ、共に暮らしました。
というのも、二人はパウロと同じく天幕作りをしていたからです。
天幕作りという職業は、神の子であるアクラの巡礼者としての性格を思い起こさせます。
アクラはポントス出身で、ローマに定住していました。
記録ではアクラはユダヤ人とされていますが、パウロが彼らに会った当時、彼と妻プリスキラは共に信者だった可能性があります。
もし彼らが使徒パウロと知り合って信者になったのであれば、その記録はこの章に記されているはずです。
おそらく彼らはローマで福音を聞いて信じたと思われます。
ローマではユダヤ人に対する迫害が勃発し、ユダヤ人は他の多くの人々と共にローマから追放されました。
ローマはユダヤ人を憎んでおり、その多くはローマに定住していました。
ティベリウスは、熱病で彼らを滅ぼすことを期待して、約4000人のローマ系ユダヤ人を不衛生な地域に送り込みました。
そして49年、クラウディウスは彼らをローマ帝国の首都から完全に追放しました。
ローマの伝記作家であり歴史家でもあるスエトニウス*は、クラウディウス帝の伝記の中で、クラウディウス帝の厳しい勅令の理由として、「ユダヤ人がクレストゥスという人物の扇動によって絶えず騒動を起こしていた」と述べています。
「クレストゥス」という言葉は、間違いなく「クリストス」、つまりキリストを意味します。
*スエトニウスは2世紀初頭のハドリアヌス帝の治世中に生存していました。
この興味深い夫婦はコリントに定住していました。
使徒パウロが彼らの家へ案内された時、大きな喜びを感じました。
共に働き、主について語り合った二人の交わりは、甘美なものだったのです。
同じ章で、パウロの宣教が終わった後、彼らがエペソへ行ったことが分かります。
「彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。」
(使徒の働き18章19節)
コリント人への手紙第一16章19節から、この手紙が書かれた当時、彼らはまだそこにいたことが分かります。
しかし、ローマ人への手紙の中で、パウロはこのように書いています。
「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。」
(ローマ人への手紙16章3節)
つまり、彼らはローマに戻り、ローマの集まりと幸せな交わりを保っていたということです。
テモテへの手紙第二4章19節には、彼らが再びテモテの住まいであったエペソに戻ったことが記されています。
「プリスカとアクラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。」
(テモテへの手紙第二4章19節)
彼らは確かに旅人であり、巡礼者でした。
しかし、彼らの旅が主によって導かれていることを知ることは幸いです。
プリスキラはアクラよりも先に言及されることがほとんどですが、そこから、使徒時代の他の著名な女性たちと同様に、彼女も「福音のために働いた」ことがわかります。
ここで使徒が天幕職人として働いていたことが特に強調されていることは重要です。
彼はテサロニケでもそのようにしていました。
「兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。
私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。」
(テサロニケ人への手紙第一2章9節)
「人のパンをただで食べることもしませんでした。か
えって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。」
(テサロニケ人への手紙第二3章8節)
パウロはエペソで働いています。
「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。」
(使徒の働き20章34節)
このことから、パウロが仲間の助け手たちをも支えていたことが分かります。
コリントは裕福な町でした。
パウロはコリントの人々から何も奪っていません。
パウロはそのことを、二つの手紙の中で彼らに思い起こさせています。
このようにして、パウロは神の賜物である福音が、金銭も代価も要らないことを、実に祝福に満ちた形で示しました。
これは、現代社会で見られる霊的な事柄の売買とは対照的です。
しかし、主が「福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得る」ように定められたことも、同様に真実です。
「同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。」
(コリント人への手紙第一9章14節)
パウロはテサロニケで行ったのと同じ働き方に従っていました。
まず、彼は安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を説得しました。
「パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。」
(使徒の働き18章4節)
これは完全に旧約聖書の教えに基づいており、キリストに関する神の預言を示しています。
シラスとテモテが到着すると、パウロは大いに心を動かされ、イエスがキリストであることをユダヤ人たちにさらに詳しく証ししました。
その祝福された実りは、コリント人への手紙から読み取ることができます。
パウロは自分でクリスポとガイオ、そしてステパナの家族にバプテスマを授けました。
「私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。
それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。
私はステパナの家族にもバプテスマを授けましたが、そのほかはだれにも授けた覚えはありません。」
(コリント人への手紙第一1章14~16節)
そして、イエスは彼らと共に弱さと恐れと、激しい震えの中にいました。
彼の言葉は、アテネの哲学者たちに語った時の言葉とは全く異なっていました。
「あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。」
(コリント人への手紙第一2章3、4節)
パウロの存在は彼らにとっておとなしいものでした。
「私は、あなたがたの間にいて、面と向かっているときはおとなしく、離れているあなたがたに対しては強気な者です。」
(コリント人への手紙第二10章1節)
コリントの信者たちは、パウロの肉体的な存在は弱々しく、言葉遣いも軽蔑すべきものだと言いました。
「彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」」
(コリント人への手紙第二10章10節)
パウロはひどく落ち込んでいました。
シラスとテモテはテサロニケ人からパウロに良い知らせを伝えました。
「ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。
このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました」
(テサロニケ人への手紙第一3章6、7節)
パウロはシラスとテモテが到着した直後にテサロニケ人への手紙第一を書きました。
彼らはまた、ピリピの聖徒たちからの交わりをパウロに伝えました。
それはパウロが去った後にテサロニケに届きました
「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。
テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。」
(ピリピへの手紙4章15、16節)
イエスがキリストであると大胆に宣言された後、ユダヤ人側からの反対が続きました。
彼らは福音を拒んだだけでなく、冒涜もしました。
悲しいことに、主イエス・キリストの主張がユダヤ人の良心に突きつけられるたびに、この冒涜は今もユダヤ人の間で聞かれます。
パウロは二度目に異邦人のところに行くと宣言します。
次に、異邦人の使徒が、敬虔な異邦人ユストの家にいる場面を見ます。
彼の家は会堂の隣にありました。
ここで主の特別な祝福が証しの上に注がれました。
会堂の長であるクリスポとその家族、そして多くのコリントの人々が主を信じたのです。
彼が受けたバプテスマ、そして使徒自身による他のバプテスマについては、すでに述べています。
Ⅱ.幻における主からの励まし。
「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」
(使徒の働き18章9~11節)
この励みとなる幻が起こった時の様子を見ることは、本当に感謝できます。
パウロはひどく落ち込み、コリント人への手紙第一に見られるように、恐れと震えに襲われていました。
テサロニケからの良い知らせはパウロを元気づけ、クリスポと他のコリント人たちの改心は彼を大いに勇気づけました。
しかし、彼には主からの直接の励ましが必要でした。
主は、忠実なしもべを待ち受けるすべてのことをご存じでした。
主は、彼を州知事の裁きの座に引きずり出そうとする陰謀をご存知でした。
主は、僕が不安に陥らないようにと願っておられ、誰も彼を襲ったり傷つけたりできないと保証されました。
また、コリントには多くの民がいることも告げられました。
もし、この時、この幻がパウロに与えられていなかったら、彼はコリントを去ろうという誘惑に駆られました。
しかし今、パウロは1年6ヶ月間留まる必要性を強く感じました。
そして、力強い集まりが開かれました。
コリント人への手紙については書いているのではないので、コリント教会の状況という最も興味深いテーマを追うことはしません。
しかし、手紙には信者の大多数が貧しい階級であったことが記されています。
別の階級では、かつて会堂の最高責任者であったクリスポが、客をもてなすことに熱心でした。
したがって、コリントの教会には裕福であったステパナとガイオ、多くの召使いを抱えていたクロエ、責任ある立場にあったエラストなどがいました。
当時、賜物にはさまざまな種類があり、異言の賜物は特に際立っており、ある種の混乱の原因となっていました。
使徒が去った後、分裂が生じ、虚栄心と世俗主義、さらには不道徳にまで至るパン種が入り込み、恐ろしい働きをしていました。
Ⅲ.パウロとガリオ。
「ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、
「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています。」と訴えた。
パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。
「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、
あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」
こうして、彼らを法廷から追い出した。
そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕え、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。」
(使徒の働き18章12~17節)
ガリオはアカヤの副領事、つまり総領事でした。
このことは、私たちの目の前にある記録の正確さを証明しています。
アカヤは紀元44年までマケドニア州に統合されていました。
しかし、クラウディウス帝はアカヤを属州として復活させ、独自の総督(プロコンスル)を置きました。
ローマの歴史家たちから、ガリオの人物像については多くのことが分かっています。
彼はローマ文学と社会において著名な立場を築いたスペインの名家の出身でした。
父アンナエウス・セネカは著名な修辞学者であり、ストア派の哲学者でネロの家庭教師を務めたセネカは兄、詩人ルカヌスは甥でした。
彼自身の名は元々M.アンナエウス・ノヴァトゥスです。
しかし、ルキウス・ユニウス・ガリオに養子として迎えられ、ガリオの名も名乗るようになりました。
ガリオは国家の最高位である執政官の立場に就いていました。
ガリオはその愛すべき性格で最もよく知られていました。
スタティウスは彼を「柔和なガリオ」と呼び、セネカは彼を「愛しても愛しきれない人物」と評しています。
ユダヤ人たちはパウロをこの男の前に連れて行き、律法に反して人々に神を崇拝するようそそのかしていると非難しました。
しかし、悪魔の企みは、その非難よりも、むしろユダヤ人たちが起こした反乱にありました。
彼らはユダヤ人社会全体を煽動し、ガリオに罪の重大さを印象づけようとしています。
そして、その非難も偽善的な言葉で表現されていました。
あたかもパウロがローマ法に違反する行為をしたかのような言い回しでした。
彼らがやろうとしていたことは、すなわち使徒パウロをローマ帝国の法を犯す者と仕立て上げることでした。
しかしガリオは彼らより鋭い感覚を持っていました。
すぐにガリオはそれが偽善であることに気づきました。
彼らが動揺していたのは、彼ら自身のユダヤの律法だけでした。
そこでガリオは、パウロ自身の言葉に耳を傾けることさえせず、巧みな言葉で即座に事態を収拾し、彼らを法廷から追い出しました。
すると、この一幕を目撃したギリシヤ人たちがユダヤ人に反旗を翻しました。
彼らの代弁者は、会堂の長であるソステネでした。
彼は主を信じたクリスポの代わりになっていました。
ギリシヤ人たちはソステネに襲いかかり、激しく殴打した。
ガリオは何も言えません。
そして、ソステネの仕打ちは当然の報いでした。
コリント人への手紙第一の冒頭に出てくるソステネが同一人物であるならば、彼は自分の経験から計り知れないほどの富を得ました。
パウロは彼を兄弟と呼んでいます。
私たちは彼が同一人物であると信じています。
なぜなら、神の恵みはそのような人物を喜んで受け入れ、彼らの中に恵みの力を示すからです。
Ⅳ.コリントからエペソとアンテオケへ、第二の旅の終了
「パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。
人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
それからカイザリヤに上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてからアンテオケに下って行った。」
(使徒の働き18章18~22節)
偉大な使徒はコリントを急がず、しばらくそこに留まりました。
「信者は急ぐことはしません。」
主の時が来ると、主は兄弟たちに別れを告げ、コリントの港ケンクレアからシリアに向けて出航しました。
同行者として挙げられているのはプリスキラとアクラだけです。
興味深いのは、誓いと髪を切ることに関する記述です。
これは誰のことを指しているのでしょうか?
誓いを立てたのはアクラだったのか、それともパウロだったのでしょうか?
多くの有能な解説者はアクラのことを指していると考えているが、誓いを立てたのはパウロだったと主張する者もいます。
アクラのことを指していると信じる人々は、彼の妻プリスキラの名が彼の名の前にあること、そしてこのようにしてアクラが誓いを立てた人物に注目しています。
しかし、読者がローマ人への手紙16章3節とテモテへの手紙第二4章19節を読んでみるならば、プリスキラが最初に名前を挙げられており、この議論は成り立たないことがわかります。
この記述では使徒パウロが主要な人物であるため、この記述は彼を指し示しています。
あらゆる誓願において、エルサレムの神殿への礼拝は必須でした。(民数記11章1~21節)
アクラはエペソに留まり、エルサレムには行かなかったことが分かります。
この誓約のせいで、使徒がガラテヤ人への手紙で十分に教えられている偉大な真理を破ったと非難する必要はありません。
パウロはユダヤ人にとってユダヤ人と同じ者となり、律法の下にある者になりました。
(コリント人への手紙第一9章19~23節)
この点においてパウロがある程度の譲歩をしたことは疑いありません。
クリスチャンの中には、この偉大な使徒の行動はほぼ絶対的なものとみなし、彼が間違いを犯したという考えを否定する者もいます。
パウロが書いた偉大な書簡は、聖霊がその著者であるため絶対的なものです。
しかし、パウロのクリスチャンとしての生き方と歩みは、そのような完璧さを主張することはできません。
パウロもまた「同じ情熱の人」であり、聖霊が彼の我欲による行動をいかに忠実に、そして優しく明らかにするかを、次の章で見ていくことにしましょう。
この旅の初めに神の権威によって封鎖されたエペソ(使徒の働き16章6節)に、使徒たちは今や到着しています。
ローマ帝国の属州アジア州の首都として栄えたこの街は、その盛んな商業活動だけでなく、アルテミス神殿の巨大な建造物でも知られていました。
この神殿の模型は、持ち運ぶために作られていました。
御守りとして、あるいは家の中に置くために持ち歩くものでした。
「それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、」
(使徒の働き19章24節)
エペソには非常に多くのユダヤ人が住んでいました。
彼らは裕福で影響力のある人々です。
ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、ローマ政府とエペソの住民が、彼らの慣習を自由に遵守する特別な特権を与えていた事実を述べています。
パウロはすぐに会堂に入り、ユダヤ人たちと議論しました。
もう少し滞在してほしいという願いは却下されました。
ここでは、落ち着いて主を待つのではなく、焦りが見て取れます。
パウロは留まることに同意せず、彼らに別れを告げ、神の御心ならば必ず戻ってくると約束しました。
パウロが急いだ理由は、この祭り、すなわちペンテコステを祝うためにエルサレムへ行きたかったからです。
なぜパウロがこのような機会を逃し、ユダヤ人たちにエルサレム訪問の絶対的な必要性を告げなかったのかは、実に不可解です。
その後の出来事は、彼がエルサレムで何をしたのか、何を成し遂げたのか全く記録されていないにもかかわらず、さらに急ぎ足で進んでいたことを示しています。
パウロはエペソから船で出航し、パウロに上陸してエルサレムに向かい、教会に挨拶をしてからアンテオケに下りました。
これで第二回宣教旅行は終わりました。
おそらく、エルサレムの兄弟たちへの強い愛、彼らへの深い願望が、彼をこの道へと導いたと思われます。
V.ガラテヤとフリギアで弟子を建てる。
「そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。」
(使徒の働き18章23節)
次にこの働きがパウロの心に課され、それとともに三度目の旅が始まりました。
この記述は非常に短いのですが、ガラテヤ人への手紙を読めば、この仕事がいかに必要かつ重要であったかがよく分かります。
ユダヤ化を推進する教師たちが、数多く設立された教会に侵入していました。
彼らの教えは極めて有害なものでした。
*彼らは、律法とその行いの遵守が救いに絶対的に必要であると教えました。
*彼らは恵みの福音を曲解し、十字架上でキリストが成し遂げた祝福された御業を無視するとして、神の呪いを受けた福音を説いたのです。
「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
(ガラテヤ人への手紙2章21節)
「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。」
(ガラテヤ人への手紙4章4節)
彼らの教えは非常に大胆です。
なぜなら彼らはエルサレムの会議に持ち込まれた偽りの教えを繰り返したからです。
「さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。」
(使徒の働き15章1節)
同時に彼らはパウロの使徒としての権威を非難しました。
ガラテアのクリスチャンたちは、パウロに対してとても愛情深く、優しく、もしできるなら自分の目をえぐり出してでもこの使徒に与えたいほどでした。
しかし、今や同じ人々がパウロと、彼が彼らに説いた福音に反発するようになりました。
ガラテヤ人への手紙は、使徒パウロがエペソを二度目に訪れた際に書かれたことは間違いありません。
この章に記録されている訪問の直後、ユダヤ化の勢力が強まった可能性を示しています。
おそらく、当時ガラテヤの教会を脅かしていた深刻な危機の知らせが、アンテオケのパウロに届いたと考えられます。
Ⅵ.アレクサンドリアのアポロ
「さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。
この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。
彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。
そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。
彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。」
(使徒の働き18章24~28節)
非常に美しい出来事です。
エペソのユダヤ人の間に、アレクサンドリアのアポロという新たな説教者が現れました。
彼は聖書の中で雄弁で力強い人物として描かれています。
アレクサンドリアでは、偉大なヘレニズム時代のユダヤ哲学者フィロンが活躍していました。
彼は紀元前20年頃に生まれ、紀元後40年以降に亡くなりました。
彼はユダヤ教にプラトン主義をもたらしました。
アポロンは彼の弟子の一人だったと思われますが、フィロンが信じていなかったものを受け入れました。
彼はおそらくバプテスマ者ヨハネの弟子たちと接触し、ヨハネの悔い改めのバプテスマを受けていたと思われます。
イエスがメシアであることを知り、イエスの地上での生活と、イエスが行った奇跡の事実を知っていました。
アポロはイエスの死と復活の意味を何も知らず、聖霊についても全く知りません。
恵みの福音の真理のすべてを彼は知りません。
彼は「主に関すること」、すなわちイエスに関することを熱心に教えました。
しかし、民の中に現れ、イスラエルのメシアであり王であると信じていたイエスについてのわずかな知識が、彼の魂を燃え上がらせました。
アポロは学識のあるユダヤ人が持つような聖書に関する深い知識をもって、会堂で大胆に語り、律法と預言者からイエスが救世主であることを疑いなく証明しました。
しかし、アポロのメッセージには限界がありました。
アポロの心にはさまざまな困難が生じました。
すべての疑問に答えることもできなかったのかも知れません。
アポロが信じていたあの祝福された方が姿を消してから、20年近くが経っていたからです。
ユダヤ人が王なるメシアに期待し、希望を抱いている王国は現れず、預言者を通して与えられた約束も成就していません。
それでもアポロはイエスに関する事柄について大胆に語り続けました。
しかし神はアポロを長くそのままの状態に放置していません。
主は彼アポロをエペソへ導き、同じ主がプリスキラとアクラがエペソに留まるように計らわれました。
アポロは二人のために働きをも用意していました。
プリスキラとアクラは二人ともアポロの話に耳を傾け、アポロの勇気ある証言に心を打たれました。
二人はすぐに、アポロが主について多くを知らないことを痛感し、彼から背を向けることなく、彼を探し出し、神の道をより完全に説き明かそうと招きました。
そして、群衆の口から雄弁に語りかける偉大な説教者は、天幕職人とその妻の足元に座り、彼らから教えを受けるほどに謙虚でした。
現代において、アクラとプリスキラの忍耐とアポロの謙遜さを目にすることはほとんどありません。
もし謙虚なクリスチャンが、偉大で雄弁な説教者のもとへ行き、神の道をより完全に教えられるとしたら、どのような答えが返ってくるでしょうか?
霊的な知識において劣る者に対して、よく教えられた者たちが忍耐を示さずにいることが多くあります。
真理を知らないそのような者を非難するのではなく、私たちは愛をもって彼らを探し出し、導くべきです。
主についてのより深い知識、十字架上の死の真実、そして神の右座における栄光の臨在が、エペソにおける彼の宣教を終わらせました。
大勢のユダヤ人が雄弁な人が聖書からイエスがメシアであることを証明したら、耳を傾けるかも知れません。
しかし、十字架の説教は大きな躓きとなります。
これは現代においても変わりません。
アポロはコリントに行き、そこの集まりにとって大きな祝福となりました。
アポロは聖書を通してイエスがキリストであることを公に示し、ユダヤ人を力強く説得しました。
コリント教会においてアポロがどれほど祝福された存在であったかは、コリント人への手紙第一の中で、聖霊がパウロを通して語った証言から明らかです。
「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」
(コリント人への手紙第一3章6節)
しかし、この偉大な説教者にちなんで「私はアポロにつく」と名乗るクリスチャンもいました。
その後、彼はコリントを離れ、エペソに戻りました。
パウロから招かれていたにもかかわらず、コリントに戻ることをためらっていました。
「兄弟アポロのことですが、兄弟たちといっしょにあなたがたのところへ行くように、私は強く彼に勧めました。
しかし、彼は今、そちらへ行こうとは全然思っていません。しかし、機会があれば行くでしょう。」
(コリント人への手紙第一16章12節)
アポロは非常に謙虚な人でしたが、人々が既に自分の側に集まってしまうことを恐れて、戻ることを拒んだのです。
19章
私たちがここまで読んだ章は重要であると同時に興味深いものです。
前景には、聖霊のもう一つの描写が描かれています。
聖霊がヨハネの十二弟子に臨み、彼らが異言を語った時のことです。
その後、並外れた祝福が与えられ、神の力とサタンの力が現れます。
この章では、聖霊とサタンの働きが明白に描かれています。
この章は、パウロがエルサレムへ向かう最初の一歩を踏み出したことが記録されているので、重要です。
この章は5つの部分に分けられます。
Ⅰ.パウロのエペソへの二度目の訪問、ヨハネの十二弟子(使徒の働き19章1~7節)
Ⅱ.使徒の継続的な働き、弟子たちの分離、アジアでの伝道。
(使徒の働き19章8~10節)
Ⅲ.神の力とサタンの力(使徒の働き19章11~20節)
Ⅳ.パウロはエルサレムに行き、ローマを訪問する計画
(使徒の働き19章21、22節)
Ⅴ.エペソでの反対と暴動。(使徒の働き19章23~41節)
Ⅰ.パウロのエペソへの二度目の訪問、ヨハネの十二弟子
アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、
「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。
そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。
これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
その人々は、みなで十二人ほどであった。」
(使徒の働き19章1~7節)
再びパウロはエペソに現れ、ある弟子たちと接触します。
彼らはエペソにおけるアポロの働きの成果であると考える者もいます。
もしそうであり、アポロが彼らを知っていたなら、彼は敬虔なプリスキラとアクラの教えを通して自分の魂が豊かに享受していた知識が、彼らにも伝えられていました。
エペソは大きな街だったので、パウロの最初の短い訪問の時には、12人の弟子が知られておらず、プリスキラとアクラも知らなかったのも不思議ではありません。
パウロはこれらの弟子たちに出会った時、彼らの中に何かが欠けていることに気づきました。
真実なクリスチャンの特徴であるはずの喜びと平安が、彼らには欠けていました。
そこで使徒パウロは、非常に重要かつ根本的な問いを投げかけました。
「信じたとき、聖霊を受けましたか?」
しかし、「とき」という言葉には、むしろ「いつ」という概念が込められています。
この「とき」という短い言葉に基づいて、一部の説教者や聖書教師たちは、聖霊は第二の経験を確実に受けなければならないという非聖書的な理論を構築しました。
彼らはそれを「第二の祝福」「聖霊のバプテスマ」などと呼んでいます。
これらの教師たちによれば、人はクリスチャンであり、真実な弟子であり、恵みによって救われているにもかかわらず、聖霊を全く受けていない可能性があると主張しています。
彼らは常に「信じたとき」という言葉を強調しています。
「信じたとき、聖霊を受けましたか?」
主イエス・キリストを信じ受け入れた後に聖霊を受けなければなりません。
そして、どのように服従し、聖霊を受けるべきかという多くの規則が与えられます。
これらはすべて間違っています。
「とき」という言葉を素直に理解すれば、この誤解は完全に消え去ります。
パウロは聖霊の賜物を真実な弟子であることの試金石としています。
彼らが真実な信者であったなら、信じた時、つまり主イエス・キリストを救世主として受け入れた時に聖霊を受けるのです。
もし彼らが聖霊を受けていなかったなら、それは彼らが信じていないことの証拠となります。
「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。」
(ローマ人への手紙8章9節)
しかし、パウロが出会ったこれらの弟子たちは、キリストの弟子だったのでしょうか?
そうではありません。
彼らはキリストについて何も知りません。
キリストという御方についての彼らの知識は、アポロが持っていた知識よりも限られていました。
使徒パウロの質問は、彼らが聖霊の賜物について全く知らず、ヨハネのバプテスマによって悔い改めのバプテスマを受けていたという事実を明らかにしています。
彼らの信条はここまででした。
彼らはキリストとその偉大な救済活動について何も知りません。
記録には記されていませんが、パウロは十二人の弟子たちにキリストと福音を宣べ伝えていました。
そして彼らは信じ、主イエスの名によってバプテスマを受けました。*
*これは使徒の働きに記録されている唯一の再バプテスマの例です。
彼らが以前に受けていた水によるバプテスマとは異なり、クリスチャンのバプテスマではないことに注目してください。
按手の後、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語り、預言しました。
これらは外的なしるしです。
その後、彼らは聖霊によって封印され、キリストのからだである教会の一員として加えられました。
これは、聖霊が与えられ、異言で話されたことが記された最後の箇所です。
この歴史書に記録されている、聖霊が信者のさまざまな集まりに伝えられたいくつかの出来事を振り返って見てみることは良いことです。
1.ペンテコステの日に、百二十人は聖霊に満たされ、他国の言語で話しました。
ここでは按手については述べられていません。
彼らは皆、その日に聖霊を受けたユダヤ人です。
(使徒の働き2章)
2.ペテロとヨハネはサマリアに行きました。
サマリア人は主イエスの名によって信じ、バプテスマを受けました。
しかし、聖霊は与えられていません。
その理由は8章の解説で説明されています。
ペテロとヨハネが彼らの上に手を置き、彼らは聖霊を受けました。
彼らが預言したり異言を話したりしたという記述はありません。
3.ペテロがコルネリオとその家族に福音を宣べ伝えている間、御言葉を聞いた人々に聖霊が降臨しました。
彼らは異言を語り、神を賛美しました。(使徒の働き10章)
4.この章が最後の記録です。
離散中のユダヤ人は、使徒パウロの按手によって聖霊を受けました。
いずれの場合も、それはペンテコステの日に天から降臨した父なる神の約束である同じ聖霊です。
サマリア人、異邦人、そして十二弟子がイエスを受け入れた時、聖霊が天から新たに降臨したと言うのは誤りです。
聖霊はペンテコステの日にこの地上に来られ、他の降臨は必要ありません。
聖霊の「もう一つの注ぎ」について語ったり、聖霊による新たなバプテスマを祈ったりすることは聖書に反しています。
しかし、さまざまな記録は、ユダヤ人、サマリア人、異邦人といったさまざまな集まりに、同じ聖霊がさまざまな形で現れたことを示しています。
これらすべてが繰り返されるべきではないことは明らかです。
使徒たちは按手によって聖霊を授けました。
使徒継承という、あの馬鹿げた、あるいは邪悪な教理を信じる者が消えない限り、もはや使徒も使徒の権威もありません。
ペテロとヨハネの按手によってサマリア人が聖霊を受けたのと同じように、パウロがここで按手し、この12人に聖霊が与えられたことは、パウロが彼らと同様に使徒であったことを証明しています。
これは驚くべきことです。
なぜなら、パウロの敵であるユダヤ教の教師たちはガラテヤの諸教会を堕落させ、使徒パウロの権威を激しく否定したからです。
もはや、聖霊はこのような特別な方法を使っていません。
いまや、信仰を聞くことによって伝えられます。
そして、神の子であるすべての人は、聖霊を内住の客として所有します。
私たちの努力は、聖霊をさらに求めることではなく、聖霊に私たちを所有していただくことです。
主イエス・キリストを信じた時、聖霊は私たちの心に来てくださいました。
いわゆる「異言の賜物」を、聖霊を受けている証拠として求めるのは、病的な状態であり、危険な願望です。
Ⅱ.使徒の継続的な働き、弟子たちの分離、アジアでの伝道
「それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。
しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。
これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。」
(使徒の働き19章8~10節)
パウロは会堂での働きを続け、事態はいよいよ最高潮に達しました。
3ヶ月間、彼はユダヤ人と論争しました。
その大きなテーマは神の御国です。
これは、イスラエルに約束され、いつの日か樹立される王国に関する教え以上の意味を持ちます。
使徒パウロとユダヤ人との論争に大きく関わったことは間違いありませんが、御国の側面にとどまるものではありません。
自分たちの聖書を信じ、ユダヤ人の希望を今も持ち続けているユダヤ人は、この希望の実現に関わる議論には喜んで耳を傾けます。
しかし、神の御国が食物や飲み物ではなく、義と平和と聖霊による喜びであると説かれると、彼らはこれに反対し、心をかたくなにします。
「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」
(ローマ人への手紙14章17節)
福音のこの深いメッセージは、ユダヤ人の大多数には受け入れられません。
彼らの中には心を閉ざし、不従順になり、そのやり方を非難する者もいました。
次のステップは、こうした不信仰で不従順な集まりとの分離でした。
このようにエペソの集会が結成されました。
エペソには多くの兄弟たちもパウロと共にいました。
パウロは自分の手で、また共にいる人々のために奉仕しました。
「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。」
(使徒の働き20章34節)
同じ情報は、パウロがエペソから自分で書き送ったガラテヤ人への手紙からも得ることができます。
「および私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。」
(ガラテヤ人への手紙1章2節)
パウロの同行者とは、テモテとエラスト、ガイオとアリスタルコ、テサロニケの二人の兄弟、テトス、テキコ、トロピモでした。
(使徒の働き19章22、29節、使徒の働き20章4節、コリント人への手紙第二7章6節)
その後、アクラとプリスキラ、そしてそこには多くの改心者がいました。
最初の実を結んだのは間違いなくエパネトでした。
「またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。」
(ローマ人への手紙16章5節)
またオネシポロとその家族です。
「オネシポロの家族を主があわれんでくださるように。彼はたびたび私を元気づけてくれ、また私が鎖につながれていることを恥とも思わず、」
(テモテへの手紙第二1章16節)
そして、ヒメナオ、アレクサンダー、フゲロ、そしてヘルモゲネスです。
ヘルモゲネスの悪い経歴については、テモテへの手紙一1章20節とテモテへの手紙第二1章15節に記されています。
集会には長老たちがいました。
彼らと使徒の忠実な働きについては、次の章で詳しく読むことします。
ここに記録されているように、この働きはツラノという人物の集まりで続けられ、大きな建物が確保されました。
おそらく、集会自体は別の場所で開かれました。
このように、エペソを首都とするアジア州全体が、ユダヤ人もギリシヤ人も、主イエスの言葉を聞きました。
福音宣教の祝福に満ちた働きが行われました。
Ⅲ.神の力とサタンの力
「神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。
パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。
ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。
そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。
すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。
そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。
このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。
そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。
また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった」
(使徒の働き19章11~20節)
エペソはサタンの拠点でした。
そこでは、迷信的で悪魔的な多くの邪悪な行為が実践されていました。
魔術やその他の不敬虔で禁じられた術の秘法を記した書物が、この町にはあふれていました。
ユダヤ人自身もこれらの邪悪な行為に染まっていました。
神はパウロの手を通して特別な奇跡を起こされることを喜ばれました。
彼が用いた手ぬぐいや前掛けは病人を癒し、悪霊を追い出しました。
合理主義者や高等批評家たちは、これらの奇跡は単なる迷信であると説明します。
「しかし、この物語や類似の物語において、キリスト教の信仰には何の困難も生じません。
すべての奇跡は神の直接の力が働かれたのであり、神がその通常の法則を停止したものです。
そして、神がこれを行なうために何らかの手段を用いるかどうか、あるいはどのような手段を用いるかは、奇跡における神自身の目的、すなわち、奇跡の受容者、見る者、あるいは担う者に及ぼされる影響に完全に依存しています。」*
*アルフォード・ギリシヤ語新約聖書
神は使者とそのメッセージに、彼らが神から来たものであることを証明するために、ここで並外れた力を現されました。
しかし、この力はパウロの中にはなく、そのような現れは続くこともありません。
それらは止まったのです。
ローマ教会に継承されていると主張するものは、ほとんどが偽造の聖遺物で、奇跡的な力があるという主張がなされています。
これらは、迷信と狂信以外の何物でもありません。
同じように狂信的なのは使徒的なペンテコステ派の賜物が復活しようとしているとする、現代のクリスチャンの一部の主張です。
このような間違った人々が偉大な使徒に関してここに記録されていることを真似して、実際に病気を治したと主張して手ぬぐいを送りつけているとしたら、控えめに言っても愚かです。
神の力がこのように驚くべき方法で現れたことは、エペソで活発に活動していた闇の邪悪な力を無にするためにも同じ様に必要だったことが、次のことから明らかになります。
ユダヤ人のサタンの道具である祭司長スケワの息子たち、魔術師や魔法を扱う男たちがエペソにいました。
このような悪魔の道具について読むのはこれで4回目です。
*最初はシモン・マグスでした。
この狡猾な道具は、自分が改心したと主張し、聖霊の力を金で買おうとしました。
*2番目はエルマ、またはバル・イエスです。
彼らは異邦人に向かって出て行き、福音に反対しました。
これは、私たちが解説で指摘したように、ユダヤ民族の反対と盲目の型です。
*ピリピでは、ピュトンの霊を持つ若い女がパウロの名を叫び求め、彼女を通して敵はパウロの働きを試みました。
*スケワの七人の息子たちは、パウロを通して示された神の力を真似しようとしました。
しかし、彼らは主イエス・キリストを知りません。
彼らはプロの悪魔払いで、各地を巡業して悪霊払いを説いていました。
彼らはさまざまな神秘的なものを用いていました。
しかし、特に悪霊払いには神のさまざまな名が用いられました。
いわゆるカバラやタルムードの多くの箇所には、こうした神秘的な魔術が満ちあふれています。
マタイによる福音書12章27節から分かるように、確かに現実に存在してました。
「また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人となるのです。」
(マタイの福音書12章27節)
スケワの子らは、悪霊に取りつかれた男に対してはイエスの名が用いられました。
「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」
(使徒の働き19章13節)
彼らはイエスの名だけを使い、主の名を避けています。
その結果は悲惨でした。
悪霊はイエスとパウロを知っていると認めました。
そして、このように尋ねました。
「けれどおまえたちは何者だ。」
(使徒の働き19章15節)
悪霊の超人的な力に駆り立てられた男は激怒し、二人を圧倒して服を引き裂きました。
二人は裸になり傷つき、家から逃げ出さざるを得なくなりました。
悪霊は彼らに襲い掛かりました。
他のすべての名前よりも優れた名前を、主の御名ではないのに使う人たちには、やがて、より悪い運命が降りかかります。
「そのとき、悪霊につかれた、目も見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、そのおしはものを言い、目も見えるようになった。
群衆はみな驚いて言った。「この人は、ダビデの子なのだろうか。」」
(マタイによる福音書12章22、23節)
スケワの息子たちに下された罰は町全体に深い印象を与え、他のすべての名よりも高く祝福された御名が高められました。
信者の多くは、これらの不思議な術、つまり魔術に密かに固執していました。
彼らはその罪を深く自覚し、闇の悪行を告白しました。
しかし、それ以上に、彼らは魔術の呪文、呪文、そして誓約を記した羊皮紙や巻物を持ってきました。
これらの呪文や護符は当時、世界中で評判が高く、「エフェシア・グラマタ」、つまりエペソの文字として知られていました。
彼らはそれらを集め、人々の前で燃やしました。
約8000ドル相当の書籍があっという間に炎に焼かれました。
邪悪な書物、オカルトや心霊術に関する書物、特に聖書や「クリスチャンサイエンス」の教科書「科学と健康」などと並んで置かれている邪悪な書物を積み上げて焼却すれば、さらに大きな炎になります。
しかし、火がこれらの闇の邪悪な業を焼き尽くす日が来ます。
サタンの力に対して大勝利を収めました。
「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」
(使徒の働き19章20節)
Ⅳ.パウロはエルサレムに行き、ローマを訪問する計画
「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。
そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。」
(使徒の働き19章21、22節)
私たちは今、偉大な使徒の働きにおける重要な局面に到達しました。
21節は重要な転換点です。
この歴史的記述に記されているパウロの行為の最終段階へと私たちを導きます。
ローマはパウロの前に迫りくる目標です。
「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」
確かに、パウロはローマを見ました。
しかし、それはパウロが心の中で決意したような方法ではなく、主の囚人としてでした。
パウロの旅は今、あの巨大な街に向けて始まり、本の終わりには、囚人についてこのように記しています。
「 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
(使徒の働き28章31節)
神の御霊によって何度も警告されながらも耐え抜いたエルサレムへの旅、エルサレムでの逮捕、ユダヤ人、ペリクス、フェスト、アグリッパ王の前での裁判と演説、ローマへの航海と難破、そしてローマ到着の物語が、本書の残りの部分の内容です。
福音の大勝利と使徒による異邦人への宣教の記録は突如として終わりを迎え、彼が宣べ伝えた福音はユダヤ教と律法主義、そして世界大国ローマの反対にさらされます。
神から与えられ、天から啓示された栄光の福音を携えた偉大な使徒は、ローマに閉じ込められます。
これは、福音に何が起こるかを預言した偉大な出来事に他なりません。
使徒の働きの最近の著者は、この部分を「パウロの死と受難」と呼んでいます。
その著者は主とパウロの間に共通点を見出しました。
私たちの主と同様に、パウロもユダヤ人から告発され、異邦人の手に引き渡されました。
主はパウロについてこのように言われたのを思い出します。
「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
(使徒の働き9章16節)
パウロは、その偉大な活動の年月を通して、さまざまな苦しみと苦難を経験しました。
コリント人への手紙第二の中で、彼はそれらのことを詳しく述べています。
「ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
(コリント人への手紙第二11章24~27節)
しかし今、パウロの特別な苦しみの時が近づいています。
聖霊はこの事実を直接証ししています。
「ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。」
(使徒の働き20章23節)
「彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。」
(使徒の働き21章11節)
パウロが御霊によってエルサレムへ戻る決意をどのように理解すべきかという疑問が、しばしば提起されてきました。
「霊(Sprit)」という言葉は大文字の「S」で書くべきでしょうか、それとも違うのでしょうか?
言い換えれば、パウロは長い祈りの後、神の御霊によってエルサレムへ向かうことを決意したのです。
では、聖霊は、貧しい聖徒たちのためにアカヤとマケドニアから集められた献金を、どのように父祖の町へ運ぶようパウロを導いたのでしょうか?
「ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。
それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。」
(ローマ人への手紙15章25、26節)
パウロが再びエルサレムへ向かうよう促したのは、神の御霊ではありません。
なぜなら、旅の途中、聖霊は彼にエルサレムへ行かないように何度も警告していたからです。
パウロはこれらの警告に耳を傾けませんでした。
しかし、それはパウロが自分の霊の中で決意していたことを決定的に証明しています。
彼は伝道に召され、栄光の福音を宣べ伝え続けるよう命じられました。
しかし、それは彼に託された偉大な使命から外れることでした。
しかし、エルサレムへ上るという彼の燃えるような願いの背後には、愛する兄弟たちへの強い愛という衝動がありました。
パウロは彼らを愛し、神の愛に満ちた彼の心は彼らを慕っていたのです。
この愛はローマ人への手紙の中で十分に表現されています。
「私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。」
(ローマ人への手紙9章1、2節)
「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。」
(ローマ人への手紙10章1節)
この聖なる愛と勇気は、再び兄弟たちが聖霊によって彼にエルサレムへ行かないように懇願した時、パウロにこのように言いました。
「するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。」
(使徒の働き21章13節)
そして、心の動機を知り尽くす主は、哀れみ深く、しもべの誤りをくつがえしました。
後にパウロはローマの獄中で、喜びに満ちたピリピ人への手紙を書いています。
「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、」
(ピリピへの手紙1章12、13節)
すべては、たとえ私たちの過ちでさえも、必ず善のために働くのです。
パウロのエルサレムへの最後の旅路をたどる前に、エペソで起こった暴動について考えなければなりません。
V.エペソにおける反対と暴動。
「そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。
それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、
彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。
ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。
これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」
そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び始めた。
そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって劇場へなだれ込んだ。
パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。
アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ。
ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。
ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。
しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と二時間ばかりも叫び続けた。
町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。
これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。
皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。
それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。
もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。
きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」
こう言って、その集まりを解散させた。」
(使徒の働き19章23~41節)
エペソの異邦人たちは、彼らの中に働く、空中の権威を持つ君、すなわち暗黒の霊の影響によって、激しく動揺しました。
「そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」
(エペソ人への手紙2章2節)
その結果、大暴動が起こったのです。
R・P・ラッカム(R.P.Rackham)氏は次のように書いています。
この事件を十分に理解するためには、エペソについてのより詳細な説明が必要です。
エペソには四人の権威者が集まりました。
1.ローマの最高権力は総督によって代表されています。
司法上の目的のため、属州は州(コンヴェントゥス)に分割され、それぞれに巡回裁判所が設けられていました。
アジア属州ではエペソが主要な巡回裁判所であり、そこでは総督によって司法が執行されていました。
「それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。」
(使徒の働き19章38節)
2.アテネと同様に、エペソには「自由」であり、形式的には民主的なギリシヤ憲法を維持していました。
元老院があり、帝政時代には権力が集中していました。
しかし、名目上はエペソは依然として、エクレシア(集会)に集まったデモス(民衆)によって統治されていました。
「パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。」
(使徒の働き19章30節)
エクレシアは月に3回開催され、これらの会合は通常の、あるいは通常の集会であったが、今回のように臨時の集会が招集されることもありました。
「ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。」
(使徒の働き19章32節)
帝国の諸都市のように、こうした集会の権限が純粋に家庭内や形式的な事柄に限定されていた場合、実質的な権限は書記官、すなわち集会の招集と解散、議事録の作成、議長としての役割を担う役人の手に委ねられました。
「「きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」
こう言って、その集まりを解散させた。」
(使徒の働き19章41節)
したがって、集会の書記官、あるいは町の書記官は、当然ながら街の有力者の一人でした。
「町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。」
(使徒の働き19章35節)
碑文からもそれらが明らかであり、書記官はしばしばアジアの大主教職のような最高位の役職も兼任していました。
3.アシア高官庁は属州庁でしたた。
各属州には主要都市の代表者からなる評議会が置かれていました。
評議会の主な任務は、属州における皇帝崇拝、すなわち崇拝の監督でした。
これは王権の試練であると同時に、帝国の結束の絆だったのです。
ローマと皇帝のための神殿と祭壇がいずれかの街に建てられ、属州共通の崇拝が競技や祭典によって祝われていました。
「共同評議会の議長は大祭司として行動し、自分の費用で催されたこれらの祝祭や競技を主催していました。
その見返りとして、州の支配者、属州長(アジア州を統治する者)、ガラタルク(ガラテヤを統治する者)などの支配者などの称号を享受していました。
31節のアジアの大祭司たちは、アジアの貴族階級と金権階級の高位の祭司たちです。
複数形の使用には困難があります。
なぜなら、原則として1つの州には1人の統治者しかいなかったからです。
この称号は、君主がその任期後も名誉称号として保持していたという説もあります。
しかし、より適切な説明は、アジアの並外れた繁栄に見出されます。
ディアナ(アルテミス)の偉大な神殿もエペソにありました。
この神殿は過去に発掘調査が行われ、数多くの碑文が女神とそれに関連する崇拝の証拠となっています。
これらの碑文に記された女神の名前は、まさに暴徒たちが用いた「偉大なるディアナ」でした。
これらの女神たちへの祈りは通常、「偉大なるディアナ」、あるいはギリシヤ語で使われる「アルテミス」と呼ばれています。
他の碑文では、彼女は「最も偉大な女神」と呼ばれています。
神殿自体は壮麗な建造物です。
一部は大英博物館で見ることができます。
その構造は長さ約120メートル、幅は約75メートルでした。
司祭、宦官、神殿守衛、乙女である巫女など、何百人もの人々が神殿に関わっていました。
神殿には金銀の宝物が豊かに納められていました。
街の大部分は、この巨大な神殿の存在と、偶像崇拝的な祭典や競技会に集まる何千人もの巡礼者によって生み出された商業で生計を立てていました。
銀細工師の組合があり、彼らはアルテミスの神殿や、神殿と女神の小さな模型など、あらゆる種類の土産物を製造していたと考えられます。
デメトリウスはこのギルドのリーダーで、招集した会合で銀細工師たちを前に、一見宗教的な工芸が彼らの富の源泉であることを彼らはよく知られていると述べています。
銀細工師のこの告白は素晴らしいものでした。
そして、キリスト教という名を被っている、この偉大な「世界宗教」においても同じことが言えます。
偶像崇拝の品、ロザリオ、ろうそく、彫像、祝福されたさまざまな品々、その他多くの品々が同じように売られ、宗教を隠れ蓑にして金銭を得ています。
また、デメトリウスも福音の偉大な影響力を証言しています。
「あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。」
(使徒の働き19章26節)
パウロは活動的に宣教していました。
彼の証しは神の力によって裏付けられています。
銀細工師の技術が大きな危機に瀕していただけでなく、タルソの天幕職人の説教によって、偉大なディアナと神殿も崩壊の危機に瀕していました。
銀細工師たちが激怒して会議から通りに飛び出し、大声で叫んだのは、綿密に計画された陰謀だったのです。
「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」
(使徒の働き19章28節)
町全体が騒然となりました。
パウロの仲間であるマケドニア人のガイオとアリスタルコは劇場に引きずり込まれました。
そこは約2万5000人を収容できる巨大な場所です。
パウロ自身は怒り狂った群衆に立ち向かう覚悟をしていました。
しかし、弟子たちは反対し、友好的なアジアの高官たちでさえ、そのような危険を冒すことを戒めました。
集まった人々は皆、無秩序な暴徒であり、おそらく大多数は自分たちが何のために来たのか知りません。
するとユダヤ人たちは、群衆に向かって演説する弁論家の一人、アレキサンデルを前に出しました。
しかし、彼は一言も発言していません。
彼はユダヤ人として知られており、ユダヤ人は偶像崇拝を憎んでいました。
悪霊に取り憑かれた群衆は2時間もの間、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び続けました。
すると町の書記役が現れました。
彼は非常に外交的なやり方でその問題全体を解決しました。
まず彼は、アルテミス像がユピテルから落ちてきたという民衆の迷信を述べました。
次に、静かにするよう人々に促し、賢明な助言を与え、彼らの暴動行為に対してローマの上級将校が責任を問う危険性を示した後、集会を解散させました。*
* 集会を意味するギリシヤ語はエクレシア(ecclesia)で、「召し出された者たち」という意味です。
この言葉は教会にも用いられます。
エクレシアは「エペソの群衆は銀細工師によって召し出された」という意味で、「主イエス・キリストは聖霊によって召し出された」という意味です。
もしパウロが自分から劇場に行っていたのならどうなっていたのかを、想像するしかありません。
神は哀れみ深くしもべたちを守り、悪魔の試みは完全に打ち負かされました。
次の章の冒頭では、使徒たちが再びマケドニアとアカヤにいることがわかります。
20章
この章では、使徒パウロのエルサレムへの波乱に満ちた旅を追いかけます。
この章は4つの部分に分かれています。
Ⅰ.マケドニアのパウロ(使徒の働き20章1、2節)
Ⅱ.ギリシヤでの滞在、トロアスへの訪問(使徒の働き20章3~12節)
Ⅲ.トロアスからミレトスへの旅(使徒の働き20章13~16節)
Ⅳ.エペソの長老たちへの別れ(使徒の働き20章17~38節)
Ⅰ.マケドニアのパウロ
「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。
そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。」
(使徒の働き20章1、2節)
私たちの前に記されている記録はごく短いものです。
使徒パウロが与えられた使命から外れたため、聖霊が何も報告しなかったからだと考える人もいます。
私たちはこの記録が正しいと信じています。
神の御霊の目的は、今、私たちを使徒パウロの最後のエルサレム訪問へと急いで導いています。
そのため、偉大な神の人のたゆまぬ奉仕と働きについては、多くのことが省略されました。
エペソでの騒動が収まった後、パウロは弟子たちを抱きしめ、マケドニアへ出発しました。
この思い出深い旅の最初の別れのシーンです。
パウロはピリピ、テサロニケ、ベレア、そしておそらく他の街も訪れています。
彼らに多くの励ましを与えただけでなく、エルサレムの貧しい聖徒たちのために彼らからの交わりを得ました。
これは、エルサレムの会議で出された要請をパウロが果たしたのです。
ヤコブ、ケパ、ヨハネはそこでパウロとバルナバにこのように頼みました。
「ただ私たちが貧しい人たちをいつも顧みるようにとのことでしたが、そのことなら私も大いに努めて来たところです。」
(ガラテヤ人への手紙2章10節)
パウロはマケドニアからギリシヤ(アカヤ)へと向かいました。
Ⅱ.ギリシヤでの滞在、トロアスへの訪問
「パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。
プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、
彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。
種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。
私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。
ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。
パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言った。
そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。
人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」
(使徒の働き20章3~12節)
パウロはアカヤで3か月を過ごしました。
しかし、そこでの彼の活動については何も語られていません。
パウロが滞在した場所はコリントです。
アカヤの代理人ガリオの前での敗北をよく覚えていたユダヤ人たちは、彼がシリアへ渡ろうとしていたときに待ち伏せしました。
「ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、」
(使徒の働き18章12節)
その陰謀はパウロの命を狙ったもので、おそらくケンクレアのコリント港から出港しようとしていた船上で実行に移される予定でした。
しかし、そこから出航する代わりに、パウロはマケドニアに戻りました。
7人の兄弟が彼に同行し、トロアスでパウロとルカを待つために先にアジアへ行きました。
ソパテル(ローマ人への手紙16章21節と同じ)はベレア出身でした。
テサロニケの集会からはアリスタルコとセクンドゥが2人、デルベ出身のガイオ、テモテ、そしてアジア出身のテキコとトロピモが2人いました。
最後に挙げられた人物はミレトスに病気で残されました。
「エラストはコリントにとどまり、トロピモは病気のためにミレトに残して来ました。」
(テモテへの手紙第二4章20節)
6節の「私たち」という短い言葉から、聖霊に用いられてこの書を記した愛すべき医師であり筆記者であったルカが、使徒パウロに加わったことが分かります。
ルカがパウロのもとを離れて約7年が経っていました。
「私たち」という言葉はピリピで最後に使われています。
「私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。」
(使徒の働き16章16節)
そして、このピリピでも再び使われています。
ルカがほとんどの時間をこの町で過ごしたことは間違いありません。
ピリピに短期間滞在し、五日間の航海を経てトロアスに到着した一行は、他の兄弟たちが先に到着していたことを知りました。
一行はトロアスで七日間滞在しました。
ここで興味深く重要な出来事が起こりました。
7節には、弟子たちが週の初めの日をどのように守っていたかが記されています。
使徒たちを含む弟子たちが週の初めの日に集まったという事実がここに記されています。
これは安息日の後の祝福された日であり、永遠に祝福された主が死からよみがえり、主が弟子たちに御自身を現し、彼らの中に現れた日です
「その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」」
(ヨハネの福音書20章19節)
このため、週の最初の日は「主の日」(ヨハネの黙示録1章10節)と呼ばれています。
注)訳者はこのことを支持していません。
新約聖書における礼拝の日を安息日でないとするのは正しいことです。
なぜなら、それは安息日ではないからです。
安息日は7日目であり、もし私たちが律法の下にあったなら、その日を厳格に守らなければなりません。
また、その日を「日曜日」と呼ぶべきでもありません。
太陽神にちなんで名付けられたからです。
しかし、「主日」と言うなら、それは聖書的に言っていることになります。
「主日」は祝福された特権の日です。
そして、その日にはなんと輝かしい思いが結びついています。
神の民が真実に御霊の中にいるなら、主イエス・キリストによる私たちの贖いについて、祝福された真理と事実がすべて、私たちの魂に押し寄せます。
主イエス・キリストはその日、死からよみがえられました。
この栄光に満ちた真理は、十字架を指し示しています。
主は義なる方が不義なる者のために死なれ、多くの人々の身代金として命を捧げられました。
主はよみがえり、生きておられます。
このことは、心を栄光の御座へと導きます。
そこで私たちは、神の右に座し、御使いたちよりも少し低くなられたイエスが、栄光と誉れの冠を授かっているのを見ます。
私たちが主のありのままの姿を見て、主のようになるという、祝福された希望は、このことと深く結びついています。
そして、これらの偉大な事実と素晴らしい真理こそが、真実なクリスチャンの礼拝の動機であり、目的なのです。
週の初めの日に、トロアスの弟子たちが集まりました。
集まったのはたった一つの集まりだけでした。
当時、分派や教派への悲しい分裂は全く知られていません。
しかし、なぜ彼らは集まったのでしょうか?
使徒パウロが彼らの中にいるという知らせが彼らを招いたのでしょうか?
神の力強い人が偉大な説教をするのを聞きに来たのでしょうか?
いいえ!
弟子たちはさまざまな人種が入り混じった群衆としてではなく、弟子としてパンを裂くために集まったと記されています。
これが、週の初めの日に彼らが集まった第一の目的でした。
パンを割くことは共に食事をすることを意味するということを、時々耳にします。
その言葉は、あまりにも表面的で根拠がないので、議論する必要はありません。
パンを割くことは主の晩餐を意味しています。
「わたしを覚えて、これを行ないなさい」― 祝福された主は弟子たちに命じられました。
そして、この願いは使徒パウロによって再び述べられました。
コリント人への手紙第一11章23~26節にはこのように記されています。
「私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」
(コリント人への手紙第一11章23~26節)
パウロはこれを主から直接の啓示として受け取り、それを主のメッセージとして教会に伝えました。
主イエス・キリストが裏切られた夜に制定されたあの祝福された記念の祝祭は、贖われた民によって「主が来られるまで」守られるべきものです。
これより尊いものはありません。
十字架に架けられる前に主が「わたしを覚えて、これを行ないなさい」と言われたその願いに応えて下さったことと比べれば、働きにおけるさまざまな働きとささげ物はどれほど価値があるのでしょうか?
神の御霊の力によってこの儀式が祝われる時、多くの思いが魂に満たされてきます。
私たちの贖いの驚くべき事実すべてが、主の食卓で宣言されます。
主の来臨、十字架上の死とその無限の価値、それによる成就こと、至聖所とされた新しい生ける道、主の復活、栄光の祭司としての主の臨在、主の再臨、これらすべて、そしてさらに多くのことが主の食卓の周りに集まります。
主の晩餐はどのくらいの頻度で執り行うべきかという疑問がしばしば提起されてきました。
この祝福された儀式をどのくらいの頻度で執り行うべきかについては、いかなる命令もありません。
使徒の働き2章から、教会の創立当初は毎日執り行われていたことが分かります。
すぐに聖霊は信者たちの心に主の願いを告げ、主への愛を強く感じ、彼らは毎日パンを裂くことで主を覚えていました。
この聖句は、弟子たちが週の初めの日に集まって主を覚える習慣があったことを示しています。
主日と主の晩餐は一体であり、初期の教会が毎週主日に愛の祝宴を祝っていたことは疑いの余地がありません。
もし、私たちがあの主の日にトロアスに居合わせていたなら、賛美と礼拝の集会を目撃したはずです。
弟子の一人がパンとぶどう酒への感謝を捧げた後、集まった人々に、主の偉大な愛の象徴であるこれらのパンとぶどう酒が回されました。
パンを裂くことが終わると、パウロは彼らに説教しました。
しかし、ここでの「説教」という言葉は「講話」と理解されなければなりません。
これは、救われていない集まりへの福音の説教ではありません。
なぜなら、彼らは主を思い起こすために集まっていたわけではないからです。
救われていない者は主の食卓に着くことができません。
パウロは信者だけがそこにいたので、彼らに語りかけたのです。
聖霊はこの講話を報告されることを望まれません。
主を思い起こした後、偉大な使徒は祝福された真理を説き明かしたのです。
その演説は、現代の15分から20分の「説教」のようなものではありません。
「パウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた」のです
集会場所は二階の部屋で、多くの灯りが輝いていました。
突然、ユテコという若者が三階から落ち、引き上げられましたが死んでいました。
彼は窓辺に座り、深い眠りに落ち、その高さから地面に落ちてしまったのです。
パウロの抱擁によって彼は生き返りました。
命は体から失われておらず、パウロは彼の命(魂)が自分の中にあることを宣言しました。
生命の機能が回復し、魂と体のつながりが再び確立されました。
この事件は寓話的によく使われています。
ユテコを、霊的に眠りに落ち、堕落し、そして回復した信者の型と見る人もいます。
また、この出来事を教会の歴史として見出す人もいます。
それからパウロはパンを食べ、夜明けまで長い間話して、その後立ち去りました。
11節でのこの食事は単にパンを食べることです。
もはや主の晩餐ではありません。
Ⅲ.トロアスからミレトスへの旅
「さて、私たちは先に船に乗り込んで、アソスに向けて出帆した。そしてアソスでパウロを船に乗せることにしていた。パウロが、自分は陸路をとるつもりで、そう決めておいたからである。
こうして、パウロはアソスで私たちと落ち合い、私たちは彼を船に乗せてミテレネに着いた。
そこから出帆して、翌日キヨスの沖に達し、次の日サモスに立ち寄り、その翌日ミレトに着いた。
それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。」
(使徒の働き20章13~16節)
一行は船に乗ってアソスへ向かいましたが、パウロは32キロ以上の道のりを徒歩で旅しました。
エリヤや他の人たちと同じように、パウロも一人になりたいと思っていました。
どんな思いが彼の心をよぎっていたのでしょうか?
どんな重荷が彼の心に重くのしかかってきたのでしょうか?
エルサレムへの訪問を前に、どんな不安が彼の胸をよぎったのでしょうか?
彼は歩きながら、同労者たちに邪魔されることなく、主との交わりの中で祈りを捧げていました。
私たちも彼の模範、そして他の偉大な神の人々の模範、とりわけ主の模範にならい、ただ神と一つでいることには素晴らしい意義があるのです。
これは、私たちにとってこのようなことはくりかえし賢明なこととなります。
人々から離れ、神と共に独りでいることで、私たちは、神について、自分自身について、そして神がご覧になる御業について考えることができます。
人々の前で活動的にいることではなく、独りでいることは神の御前に責任を感じることができる場所です。
神のしもべとして神との交わりは、神への祝福された信頼、善良さと恵みに満ちた神との魂の交わりを求め、祈る者を支えてくれます。
神の子の心は、神との親密な交わりを切望しています。
私たちの魂の敵は、私たちをこの親密な交わりから遠ざけようと常に試みています。
しかし、私たちが神の臨在を求め、独りになるために、選りすぐりの友人や聖徒たちの交わり、働きからも離れることがあるのは、当然の行為です。
彼らは使徒が到着する前にアソスに到着し、そこでパウロを受け入れました。
ここでは道順しか記されていません。
エペソが近づいています。
しかし、ペンテコステの日にエルサレムに到着しようと決意していた使徒にとって、愛するこの街を訪れることは不可能に思えました。
ミレトスに到着した時、彼はエペソからわずか30マイルしか離れていないからです。
Ⅳ.エペソの長老たちへのパウロの演説
パウロはミレトスからエペソに人を遣わし、教会の長老たちを呼び寄せました。
この章の残りの部分には、エペソの長老たち、そして彼らを通してそこにある教会に宛てたパウロの素晴らしい別れの演説が記されています。
この本ではこれまでに使徒による二つの素晴らしい演説が報告されています。
*最初はピシデヤのアンテオケのユダヤ人に宛てられたものです。
(使徒の働き13章16~41節)
*2番目はアテネの異邦人に宛てられたものです
(使徒の働き17章)
この章のテーマは教会です。
これは非常に大きな、そして異例なほどの関心と重要性を帯びています。
*パウロは自分について、自分の誠実さについて語り、彼らに自分の働きを思い出させています。
*パウロは、自分がこれから受けるであろう苦難と、自分の命を尊ぶことなく、喜びをもってその道を全うする決意を宣言しています。
*パウロは教会に対し、将来起こる背教と彼らの中に現れる偽教師たちについて警告しています。
私たちはその偉大な演説を詳細に研究しなければなりません。
「パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。
彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。
「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。
私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、
ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。
いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。
ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。
私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。
あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。
いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。
あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。
このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」
こう言い終わって、パウロはひざまずき、みなの者とともに祈った。
みなは声をあげて泣き、パウロの首を抱いて幾度も口づけし、
彼が、「もう二度と私の顔を見ることがないでしょう。」と言ったことばによって、特に心を痛めた。それから、彼らはパウロを船まで見送った。」
(使徒の働き20章17~38節)
この演説全体に、使徒パウロがくり返し用いている特徴的な表現が含まれています。
パウロ自身、あるいはパウロに関連して用いられたこれらの表現は、使徒の働きにもしばしば見られています。
* 「待ち伏せ、もしくはは陰謀を企てる」
(使徒の働き9章24節、20章3節、23章30節)
*家々にはいって(使徒の働き8章3節)
*キリスト・イエスを信じる信仰(使徒の働き24章24節、26章18節)
*するとたちまち(使徒の働き13章11節)
*御霊(使徒の働き19章21節)
*苦しみ(使徒の働き14章22節)
*一生(使徒の働き13章25節)
*私には責任がない。(使徒の働き18章6節)
*神のみこころ(使徒の働き13章36節)
*示し(使徒の働き19章21節)
*よこしま(使徒の働き13章8、10節)
*神の恵みの言葉(使徒の働き14章3節)テサロニケ人への手紙第一1章5節と9節をこの章の18節と比較してください。
*主に仕える(ローマ人への手紙12章11節)
*謙遜な心(コロサイ人への手紙2章18節)
*涙(コリント人への手紙第二2章4節)
*徳を高める(コリント人への手紙第一10章23節)
*ユダヤ人とギリシヤ人(ローマ人への手紙1章16節)
*私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え(ピリピへの手紙3章12節、テモテへの手紙第二4章7節)
*主にあって受けた務め
(コロサイ人への手紙4章17節、ローマ人への手紙1章5節、エペソ人への手紙3章7節、コロサイ人への手紙1章23、25節、
テモテ1章12節)
*主から(ガラテヤ人への手紙1章12節、コリント人への手紙第一9章23節)
*知ってほしい。
(コロサイ人への手紙2章1節)
*訓戒する。
(ローマ人への手紙15章14節、コロサイ人への手紙1章28節、3章16節)
*むさぼり(ローマ人への手紙7章7節)
*自分の手で働いています。
(コリント人への手紙第一4章12節、テサロニケ人への手紙第一2章9節、テサロニケ人への手紙第一3章8節)。
*労苦(テサロニケ人への手紙第一5章12節、テモテへの手紙第一5章17節)
*助け(テサロニケ人への手紙第一5章14節、コリント人への手紙第一12章28節)
*覚えていてください。
(ガラテヤ人への手紙2章10節、エペソ人への手紙2章2節、コロサイ人への手紙4章18節など)。
ミレトスに何人の長老(presbyters)が来たかは記されていません。
彼らの職務と働きは28節に記されています。
「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」
(使徒の働き20章28節)
彼らは監督(episcopi)であり、聖霊によって神の教会を養うために任命されました。
儀式主義の教会は、長老と監督である司教の職務は別個のものであると主張しますが、主張されているような区別は存在しません。
使徒がいなくなったからといって、長老もいなくなる、というのも誤りです。
これは、伝道者、牧師、教師の賜物がなくなったと言うのと同じくらい誤りです。
「司教(bishop)」という言葉は監督であり、長老の仕事を表しています。
「長老(presbyte)」という言葉は、年齢と経験が成熟した長老であり、初心者ではありません。
「また、信者になったばかりの人であってはいけません。
高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。」
(テモテへの手紙第一3章6節)
真実な教会が地上に存在する限り、これらの賜物と長老たちも存在し、認められなければなりません。
使徒パウロの説教は4つの部分に分かれています。
1.宣教における彼の誠実さと忠実さの再現(使徒の働き20章19~21節)
2.イエスがこれから受けるであろう苦しみとそれに耐える決意の告知(使徒の働き20章22~27節)
3.長老たちへの命令と警告(使徒の働き20章28~31節)
4.最後の言葉(使徒の働き20章32~35節)
1.宣教における彼の誠実さと忠実さの再現
使徒パウロは、自身の働きを過度に重視していたため、自己中心的であると非難され、その説教は霊感によって語られたものではないと非難されてきました。
しかし、それは全くの誤りです。
使徒パウロがさまざまな書簡を書いた際に、くりかえし個人的な要素が重要であったことが主張され、自己中心的であると非難されてもおかしくありません。
事実、神はこの偉大な人物があらゆる点で模範となることを喜ばれました。
パウロがこのように自分を称える時、聖霊に導かれ、主イエス・キリストの献身的なしもべとして、神の恵みを自分の人生に現していました。
彼がエペソに到着したのは、ちょうど4年前の51年の春です。
パウロは自分を「主のしもべ」と呼ぶのが好きでした。
しかし、教会の中で、主に仕えていました。
そして、パウロはどれほど主に仕えたことでしょうか!
パウロはこれらのことを、心の底から謙虚に語っています。
コリント人への手紙第二10章1節と10節から、イエスの肉体的な存在は魅力に欠け、卑しいものであったことがわかります。
謙虚な肉体的な外見と並んで、謙虚な心も存在していました。
パウロは聖霊によってこのように書き記しました
「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。
それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」
(ピリピへの手紙2章5節)
キリストの生涯が、謙遜さを特徴とするこの心を、偉大な使徒の中に生み出されていたのです。
パウロは多くの涙を流し、その中で共に過ごしたことについて述べています。
私たちの愛する使徒パウロは多くの涙を流す人でした。
パウロは多くの涙を流し、その涙で種に水を注ぎました。
パウロの心の愛情と苦悩は涙を流させ、そのような深い苦悩の中で彼は手紙を書いています。
「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。」
(コリント人への手紙第二2章4節)
キリストの十字架の敵について、彼は泣きながら語りました
「というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。」
(ピリピ人への手紙3章18節)
このようにパウロは誘惑と危険に囲まれながら彼らの間で奉仕をしました。
現代において、このような奉仕者がいるでしょうか? 偉大な奉仕者と呼ばれるのは、大規模なキャンペーンを組織し、何千もの人々に訴えかけ、常に大勢の聴衆に語りかけ、名声を築き、できるだけくり返し自分を描写できる人です。
これこそが、偉大な奉仕者の模範となります。
しかし、ここには神の御心にかなうキリストのしもべがいます。
謙虚な心で仕え、大いなるものを求めず、多くの涙と試練の中で愛をもって仕えています。
パウロは宣教において忠実であり、人格においてもキリストに似た者でした。
何も隠すことはありません。
神の計画を宣べ伝えることをためらっていません。
現代において、説教者や教師を自称しながらも、神の計画を宣べ伝えることを避け、真理を隠している多くの人々は、キリストのしもべではなく、人にこびへつらう者です。
使徒パウロは別の箇所でこのように言っています。
「もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。」
(ガラテヤ人への手紙1章10節)
これは繰り返してに語られてきました。
キリストの御国設立のための再臨や、関連するその他の重要な預言的展開は、神の計画の重要な部分であるにもかかわらず、しばしば脇に追いやられ、隠されています。
エペソに滞在していた間、彼は主日の説教だけにとどまらず、公の場でも家々を訪ねて働いていました。
また、特定の階層の人々だけに宣教を限定することもありません。
ユダヤ人とギリシヤ人に、神への悔い改めと主イエス・キリストへの信仰を証ししました。
悔い改めと信仰は互いに結びつき、切り離すことのできません。
パウロは、ユダヤ人と異邦人は失われた者であり、神の前に罪人として真実な立場を取り、主イエス・キリストを信頼すべきであると説教し、教えました。
福音が宣べ伝えられ、聞くことによって信仰が心に宿る時、真実な悔い改めがもたられます。
2.イエスがこれから受けるであろう苦しみとそれに耐える決意の告知
暗い予感がパウロの心を満たしています。
エルサレムに向かうパウロは、霊に縛られています。
それは聖霊ではなく、彼自身の霊です。
パウロの未来が暗く見えます。
彼の運命がどうなるのか、啓示は彼に届いていません。
そして、同時に、聖霊はあらゆる町で、彼を縛りと苦難が待ち受けていることを証ししています。
それでも、パウロはエルサレムを目指して突き進んでゆきます。
これから何が起こるのか全く不確かな状況の中、パウロは、エペソの愛する聖徒たちが二度と自分の顔を見ることはないという確信を抱いていました。
聖霊の警告を無視してこのような道を歩み続けたのは、主の御心だったのでしょうか?
そうではありません。
しかし、彼の魂は、エルサレムにいる親族、兄弟たちへの燃える愛と切なる願いで満たされていたからです。
では、もしパウロに束縛と苦難が降りかかったらどうなるでしょうか?
もし、パウロが父祖の町でキリストの苦しみの一部を分かち合うことできたのならばどうなったでしょうか?
彼の心はこのように切望していました。
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、」
(ピリピ人への手紙3章10節)
そして、後にパウロはこのように記しています。
「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。」
(テモテへの手紙第二4章6節)
この章の24節に息づくのは、まさに信仰の勝利です。
彼は自分の意志で道を歩み続けました。
しかし、信仰によってこのように言うことができます。
「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
(使徒の働き20章24節)
これらは信仰の言葉です。
そしてパウロは忠実に恵みの福音と神の御国を宣べ伝え、神の計画をすべて宣言することをためらうことなく、それゆえにすべての血の責任から清くされています。
注)「すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。」
KJV訳では「すべての血から清らか(pure from the blood of all)」となります。
パウロは真理を完全に説き、それでしもべの責任は終わります。
しかし、神の計画をすべて宣べ伝えないキリストのしもべは、恐ろしい責任を負うことになります。
ある人は「しもべには3つの種類があります」と言いました。
*パウロのような良きクリスチャン、良き働き者です。
*善良なクリスチャンだが、仕事が下手な人は、自分自身は救われるが、仕事は無駄になります。
*神の宮を堕落させ、破壊しようとする者は、その働きだけでなく、自分自身も滅びるのです。
当時すでに、信仰を腐敗させようとする邪悪な働き人たちが存在していました。
パウロはこの世にいた間、霊的な力によってこれらの邪悪な働きに抵抗し、打ち勝ちました。
パウロは、自分がこの世を去った後に何が起こるかを、説教の第三部で神の御霊によって明らかにしています。
3.長老たちへの命令と警告
使徒パウロが今伝えるのは厳粛な命令です。
同時に、そこには多くの指示が込められています。
監督として、彼らはまず自分自身に注意を払うよう命じられました。
後にパウロは、当時エペソにいたテモテに「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい」と書き送っています。
この方法によってのみ、彼らは厳粛な責任を果たすことができたのです。
「自分自身にも、教える事にも、よく気をつけなさい。あくまでそれを続けなさい。そうすれば、自分自身をも、またあなたの教えを聞く人たちをも救うことになります。」
(テモテへの手紙第一4章16節)
群れについて言及されていますが、それはキリストの羊と神の教会を意味しており、キリストのすべての羊はそこに属しています。
長老たちはこれらの監督者であり、教会を養うために召されています。
「聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会」というのは重要な表現です。
ここで、汚れのない小羊である私たちの主イエス・キリストの血は「神がご自身の血をもって」と呼ばれています。
これは大きな代償です。
御子において、神御自身が御業によって成し遂げられました。
もし私たちが、恵みによって贖われ救われた人々を、どこにいようとも、神の群れ、神の集会として思い描くのであれば、大きな愛と恵みが私たちを力づけ、すべての人々に対して大きな深い思いやりを抱くことできます。
そして、なぜそのような注意を払うべきなのかという理由が説明されています。
29節と30節には預言が記されています。
使徒は自身の退位について語っていますが、後継者については何も言及していません。
儀礼主義者の間で語られる使徒継承に関する議論はすべて全くの作り話であり、さらにひどいものです。
警告は、群れの中に入り込む凶暴な狼たち、そして自分たちの中に現れ、邪悪なことを語り、弟子たちを引きずり下ろす偽教師たちについて語られています。
この偉大な預言は、見事に実証されてきました。
そして、現在ほど明白に示されたことはありません。
羊の皮を被った狼たちが、エホバの証人やクリスチャン・サイエンスといった、最も忌まわしい異端を帯びて群れの中に入り込み、また内部からは偽指導者が現れ、アレキサンデル、ヒメナオ、ピレトの教えを広め、群れを分裂させています。
「その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。」
(テモテへの手紙第一1章20節)
「彼らの話は癌のように広がるのです。ヒメナオとピレトはその仲間です。」
(テモテへの手紙第二2章17節)
神が御業を始められた後、すぐに失敗が現れます。
過去もそうであったあり、現在も同じですが、狼たちと偽教師たちの背後に立つ神の敵が縛られるまで続きます。
これらすべてが、教会が力と義を増し、世界を改心へと導くという教えが偽りであることを証明しています。
パウロは地上の教会についてそのような預言をしていません。
真実は、力と拡大の増大を主張する者こそ、すでに健全な教理を捨て去った背教者であることを証明しています。
4.最後の言葉
パウロは最後の言葉で、信者たちを神と、神の恵みの言葉に委ねています。
神の恵みの言葉は、信者一人ひとりを成長させ、聖別されたすべての人々にあって相続財産を与えることができます。
そして、神の御名が祝福されますように!
背教が何をもたらしても、狼がどれほど悲惨であっても、偽教師たちが歪んだ理論でどれほど巧妙であっても、神と神の恵みの言葉は存続します。
何ものもこれに及ばず、御言葉は私たちを築き上げ、これからも築き上げ続けられます。
御言葉は私たちの魂の必要を満たす偉大な奉仕者であり、私たちが御言葉に委ねる時、私たちは必要が満たされ、信仰が強められ、霊的な命が力づけられることを知ることができます。
この時代に覚えておくべき祝福の言葉はこれです。
「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。
みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」
(使徒の働き20章32節)
失敗と神からの離脱が進む暗い時代にあって、神の子は誰一人として困窮する必要はありません。
今こそ、「わたしの杯はあふれている」と歌うことができるのです。
この模範的なキリストのしもべに関するもう一つの個人的な証しは次の通りです。
パウロは誰の銀や金や衣服もむさぼっていません。
「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。」
(使徒の働き20章34節)
このように言った時、パウロは両手をあげました。
弟子たちがパウロの手を見るならば、過酷な労働で荒れ果てた手を見ました。
このようにイエスは弟子たちに、彼らも弱い者を支え、使徒の労苦を通して美しく示された主イエスの言葉を心に留め、「受けるよりも与えるほうが幸いである」ことを思い出しました。
この教訓は、異教のアルテミス崇拝によって祭司たちが莫大な富を得ていたエペソにおいて特に必要でした。
贅沢な暮らしをし、富を蓄えるアルテミス(ディアナ)神殿の祭司や神殿奉仕者たちと、自分の手で苦労して働く謙虚な主のしもべとの間には、対照的な大きな違いがあったからです。
そして、この教訓もまた、現在の時代に必要とされています。
福音を説き、御言葉を教えるという地上で最も祝福された仕事は、一定の収入とサービス料を伴う職業に成り下がってしまいました。
神の言い尽くせない賜物と計り知れない愛を伝えるこのような奉仕に料金を請求することは新約聖書の教えとは相いれることはありません。
しもべは主に依存し、主に仕え、主はしもべのあらゆる奉仕において彼を支えてくださいます。
「受けるよりも与えるほうが幸いである」*
* 福音書に残されたものとは別に、初期の教会で広まった信仰告白の一つです。
使徒の働きに記されているので、本物であることが証明されています。
キリストの真実なしもべである者は、費やし、費やされ、与え、弱者を助けることによって、主の祝福を分かち合うことが求められていると宣言しました。
それは祝福された道であり、祝福そのものでもあります。
なぜなら、しもべである者は、自分が仕える主がどれほど哀れみ深い方であるか、主が自分を心に留め、あらゆる必要を豊かに満たしてくださるかを経験するからです。
この章は感動的な別れの場面で締めくくられます。
パウロはひざまずき、祈りを導きました。
これは素晴らしい祈りでした。
神の御前で心のこもった祈りでした。
皆、涙を流し、パウロの首に抱きつき、口づけをしました。
彼らの最大の悲しみは、パウロがもう二度と自分の顔を見ることはないと告げたことでした。
そして、彼らはパウロに付き添って船へと向かいました。
21章
使徒パウロとその仲間のエルサレムへの旅の最終段階、そして、彼に起こった出来事が、この興味深い章の内容です。
Ⅰ.ミレトスからツロとトレマイへの旅
(使徒の働き21章1~7節)
Ⅱ.カイザリヤにて(使徒の働き21章8~14節)
Ⅲ.使徒のエルサレム到着と神殿訪問
(使徒の働き21章15~26節)
Ⅳ.神殿での騒動、捕らえられるパウロ
(使徒の働き21章27~40節)
Ⅰ.ミレトスからツロとトレマイへの旅
「私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。
そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。
やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。
ここで船荷を降ろすことになっていたからである。
私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。
彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。
しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。
彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。
それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。
私たちはツロからの航海を終えて、トレマイに着いた。そこの兄弟たちにあいさつをして、彼らのところに一日滞在した。」
(使徒の働き21章1~7節)
旅、そのものについてはあまり語る必要はありません。
なぜなら、聖霊は、選ばれた目的地であるエルサレムに急いで向かう強い決意を持っていた使徒に繰り返し警告を与えたこと以外、何が起こったかについて何も記録していないからです。
コス、ロドス、パタラの記述があり、そこから船でフェニキアへ向かいました。
古代フェニキアへの上陸地はツロで、そこで積荷の一部が陸揚げされました。
船の目的地はトレマイだったため、おそらくさらに積荷が積まれたと思われます。
ツロでは弟子たちの一団を見つけ、7日間滞在しました。
この長い滞在は、使徒パウロの要請によるものでした。
彼らはツロの集まりと共に主日を過ごすことができました。
トロアス(20章6節)でも彼らは7日間滞在し、20章で学んだように、週の初めの日にパンを裂き、主の食卓を囲んで主を思い起こしました。
使徒パウロが同じ祝福された目的でツロの信者たちと会ったかどうかは記されていませんが、実際に会ったと推測できます。
そして聖霊はこれらの弟子たちを通して、使徒パウロに直ちにエルサレムへ行ってはならないと警告しました。
これは実に厳粛な警告です。
もしこれらの弟子たちが自分たちのことを語っていたとしたら、つまりパウロのエルサレムへの旅を心配していたとしたら、彼らは単に人間として語っていたと言っていたはずです。
しかし、記録には聖霊が彼らを通して語ったことが明確に示されています。
では、なぜ、使徒パウロはエルサレムへ行く際に、同じ聖霊の導きを受けていたのでしょうか?
前述のように、兄弟たち、親族への深い愛が彼の心に燃え上がり、エルサレムに行きたいという強い願いがあまりにも強く、パウロは御霊の声を無視しました。
使徒パウロが彼らの霊感を受けた警告にどう答えたかは記されていませんが、彼が目的を曲げなかったことは確かです。
この訪問にまつわる別れの場面は実に美しく、前章の別れを凌駕するほどです。
このように筆者は書いています。
「彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。」
(使徒の働き21章5節)
愛の心温まる描写です。
子供たちも、彼らの間に留まっていた偉大な神の人の最後の姿を一目見ようと集まってきました。
海岸での祈りの会は素晴らしいものでした。
次に到着したトレマイでは、兄弟たちは彼らに挨拶され、彼らと一緒に一日を過ごしました。
Ⅱ.カイザリヤにて
「翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。
この人には、預言する四人の未婚の娘がいた。
幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。
私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。
するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。
彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに。」と言って、黙ってしまった。」
(使徒の働き21章8~14節)
トレマイからカイザリヤまでの旅はおそらく徒歩で行ったものと思われます。
彼らがその町に到着すると、この書の前の章でよく知られている名前の人の家で歓迎を受けました。
彼らはピリポの家に入りました。
ピリポという名の使徒がいたことから(マタイの福音書10章3節)、聖霊は、それが使徒ピリポではなく、七人の使徒の一人である福音記者ピリポであったことを告げています。
「この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、」
(使徒の働き6章5節)
彼の歴史と偉大な活動については以前から知っていました。
最後に彼について読んだのは、8章の終わりでした。
ピリピは宦官の改心に大いに用いられ、聖霊によって引き上げられました。
その後、このように記されています。
「それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。」
(使徒の働き8章40節)
その20年後、家族と共にカイザリヤに定住した彼の姿を再び見ることができます。
福音伝道者としての賜物は、彼がこの年月を渡って働かれてきたことに疑いはありません。
主のしもべである彼の祝福された活動については記録が残されていませんが、来たるべき日に、彼の働きと、この偉大な福音伝道者の祝福された成果は、神の聖徒たちのすべての原多紀と同様に、明らかにされます。
預言の才能を持っていたピリピの未婚の娘4人について述べられています。
これは一部の人々を困らせています。
なぜなら、他の箇所では「女は教えてはならない」と述べられており、女性は集会で沈黙すべきであるとも述べられているからです。
そのため、この点を独断的に主張する一部の人々は、この四人の乙女はユダヤの王国、そして地上の王国と関係があると主張してきました。
しかし、これには無理があります。
女性は聖霊の賜物から排除されることはありません。
しかし、女性の賜物の働きは神から与えられた範囲に従って行われました。
この四人の娘たちは預言と教えの賜物を持っており、その賜物を活用しました。
しかし、公の場で説教したり教えたりしたのでしょうか?
もちろん、そうではありません。
もし、その賜物が活用されたとすれば、それは彼女たちの領域、つまり家庭、つまり父親の家の中でした。
パウロとその仲間たちが現れた時、これらの乙女たちが訪問者たちの前でその贈り物を用いたとは記されていません。
それ自体が非常に印象的です。
この興味深く時宜を得た問いについて、別の人が述べたことを引用したいと思います。*
* W.ケリー著「使徒の働き入門講義」145 ページ
女性が男性と同様に、この賜物や他の賜物を何も持たない理由はありません。
私は常に同じ種類の賜物があると言っているのではありません。
確かに神は賢明であり、男性にも女性にも、あるいは私が言おうとしていたように、子供たちにもふさわしい賜物を与えてくださいます。
主は主権者であり、現在信じるすべての人々をキリストのからだに導くように、また、御自身の恵みの目的にふさわしい働きを彼らに与える方法をご存知です。
確かに、神はピリポのこの4人の娘たちに非常に特別な霊的な力を着せました。
彼女たちは霊的な賜物の中でも最も尊い特性の一つ、すなわち預言の賜物を持っていました。
そして、もし彼女たちにこの力が授けられたのであれば、それは決して隠されるものではなく、働くべきものであったことは確かです。
唯一の問題は、どのように働いているかということです。
さて、もし私たちが従うならば、この点について聖書は非常に明確に述べています。
第一に、預言は明らかに教えの最高位に位置しています。
それは教えることです。
次に、使徒パウロ自身が、女に教えることを許さないと私たちに告げています。
これは明らかに決定的なことです。
もし私たちが、神の御心を伝えるために霊感を受けた使徒パウロに敬意を表するならば、クリスチャンの女性は教える立場にいないということを知るべきです。
パウロはこの主題について、コリント人への手紙第一11章ではなく、14章で語っています。
パウロはテモテへの手紙第一2章で男女の間に境界線を引いています。
後者の手紙は、女性に教えることを禁じています。
前者の手紙では、さらに近い言葉で、集会では沈黙するよう命じています。
コリントでは、敬虔な秩序と男女の正しい関係について、明らかに何らかの困難がありました。
なぜなら、コリントの人々は思索的な習慣を持つ人々であり、信じるのではなく、物事を理性的に考えていたからです。
ギリシヤ人の精神には、あらゆることを疑う傾向があります。
神が女性に男性と同じくらい良い賜物を与えたとしても、それを平等に用いるべきではないことを、彼らは理解できません。
私たちは皆、彼らの困難さを理解できます。
現在においても、このような理屈で考える人々は多く存在しています。
すべての問題は、神が顧みられることがないということです。
そして、実際にコリントの人々の心には神の御心がありません。
主が御心を確認するために、主を待つこともありません。
神が教会を創られたのであれば、それは神自身の栄光のために造られました。
神は教会に関して独自の考えと意志を持っています。
それゆえ神の恵みの賜物をすべてどのように用いるべきかを神のみことばの中で詳しく教えられています。
コリント人への手紙第一14章とテモテへの手紙第一2章は、女性の賜物が何であれ、その対照的な立場について、私には極めて明白に示されています。
これは、聖書によれば女性がその賜物を使うことが禁じられている、一つの範囲、つまり集会についてのみ規定していると言えるでしょう。
さらに付け加えると、当時、女性が公に出て御言葉を説教するなどという考えは、人々には思い浮かばなかったのです。
初期の状況は劣悪でした。
しかし、彼らは女性にもっと慎み深さを求めていたように私には思えます。
多くの女性が善意を持ってこのように説教してきたことは疑いようもなく、今もなおそうしています。
彼ら、あるいは彼らの友人たちは、一方では神の祝福に訴え、他方では至る所で滅びゆく罪人たちの切実な必要に訴えて自分の義を擁護する。
しかし、基準である聖書(が、彼らの行動方針について主からのいかなる正当性を与えていないことは確かなことではありません。
女性による公の福音宣教は、聖書の中で決して想定されていません。
コリントの信徒たちにとって、信者たちの中で説教できると考えること自体が好ましくなかったのです。
集会では女性たちは敬虔な男性たちに守られていたのかも知れません。
福音宣教では必ずそうでなければならないのだが、そこで世の人々の前で不快な思いをさせられるようなことはありません。
敬虔な人々の間では、多かれ少なかれ、いわば覆いが自分たちの上に引かれているのを想像すると思います。
しかし、現代では目的は手段を正当化すると考えられています。
コリント人のようにひどいものであったとしても、今日の計画は私にとってさらに悲惨で、言い訳の余地が何もないと告白しなければなりません。」*
*いわゆる「ペンテコステ派」やその他の「ホーリネス派」は、神の教えを完全に無視し、信者の古い性質を根絶すると主張する誤りを説いています。
彼らが主張するように、聖霊が完全な形で彼らの中に存在することはあり得ません。
前回の記録から名前が知られているもう1人が登場します。
同じように預言の賜物を持っていたアガボがユダヤからやって来ました。
11章27節で、彼は立ち上がり、大飢饉が起こると預言しました。
アガボは聖霊によってこの預言を行い、成就しました。
同じ様にアガボが来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛り、このように言いました。
「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」
(使徒の働き21章11節)
ここで、もう一つの警告が与えられました。
これは最後であり、これまでで最も強い警告です。
アガボは本当に聖霊によって語られたのでしょうか?
彼の預言が文字通り成就したことがその答えです。
同行者たちも、カイザリヤの信者たちも、一行全員が彼にエルサレムへ上らないよう懇願し始めた。
そしてパウロは最後の宣言をしました。
「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」
(使徒の働き21章13節)
使徒のこの言葉に息づく、驚くべき決意と心からの献身に、私たちは感嘆せずにはいられません。
パウロは確かに、どんな犠牲を払おうとも、エルサレムへ向かう決意を固めました。
聖霊が厳粛に警告し、彼がそれを拒んだとしても、主は御自身の恵み深い方法で、御自身の栄光のために、そして「福音の捕囚」とも言えるものを予兆するために、すべてを覆されました。
神は御自身の賢明な目的のために、これらすべてを許されました。
神は初めから終わりをご存知です。
使徒パウロに託された神の恵みと栄光の祝福された勝利を得るための福音は、人間とユダヤ教の歪曲された福音によってすぐに無視されることになりました。
そしてパウロ自身もエルサレムで逮捕され、異邦人の手に引き渡され、ローマへ送られます。
「主のみこころのままに」は、主がエルサレムへ上られる前に語られた最後の言葉でした。
そして、それは心に留めておくべき祝福の言葉です。
主の御心は、たとえどんな失敗を犯したとしても、主の民の人生において成就されます。
主の民の道はすべて、主御自身によって定められています。
この言葉を常に心に留めるなら、私たちの悩める心は安らぎを得ることができるのです。
Ⅲ.神殿での騒動、捕らえられるパウロ
「こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。
カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。私たちはそこに泊まることになっていたのである。
エルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで私たちを迎えてくれた。
次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。
彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。
彼らはそれを聞いて神をほめたたえ、パウロにこう言った。
「兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです。
ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。
それで、どうしましょうか。あなたが来たことは、必ず彼らの耳にはいるでしょう。
ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。
この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。
そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。
信仰にはいった異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」
そこで、パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮にはいり、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために供え物をささげる日時を告げた。」
(使徒の働き21章15~26節)
カイザリヤで過ごした日々の直後、使徒とその仲間たちはエルサレムに向かいました。
ユダヤ教の大きな祭りの一つが近づいていたため、パウロからエルサレム市街地への道は、大勢のユダヤ人が祭りに向かうため、賑わっていました。
パウロの弟子たちも彼らに同行しました。
しかし、エルサレムまでは約110キロあったため、旅は2日で完了しました。
そのため、彼らは初期の弟子の一人であるキプリア人ムナソンの家に宿泊しました。
エルサレムへの旅のこの最終段階については、他に何も記録されていません。
目的地に到着すると、兄弟たちは心からの歓迎を受けました。
使徒パウロは、囚人として去ることになる父祖の町に、どんな思いで再び足を踏み入れたのでしょうか?
その後に起こった出来事は実に壮大です。
翌日、一行はヤコブの家を訪問しました。
ヤコブの家には、パウロとその友人たちと会うために長老たちが全員集まっていました。
彼らはパウロがエルサレムに来る予定であることをよく知っていました。
使徒たちはどこにいるのでしょうか?
この記述には全く触れられていません。
つまり、彼らは不在だったと結論づけることができます。
そして今、使徒パウロは再び、ヤコブと長老たちの心に間違いなく最も深く刻まれていたこと、すなわち、神が神から与えられた異邦人への奉仕を通して成し遂げられたことを語っています。
それは非常に長い記述です。
なぜなら、パウロは主の偉大な御業の中で起こった出来事を具体的に「一つ一つ」語ったからです。
しかし、ヤコブは15章の集会の時のように、ここでは代弁者ではありません。
パウロが語った後に「神をほめたたえ」ました。
ここまでは順調に進んでいます。
しかし、今、大きな危機が急に訪れています。
集会はヤコブの家で招集され、長老たちだけが招集されたのには、十分な理由がありました。
パウロが異邦人の中にいるユダヤ人たちに、モーセを捨て、さらには子供たちに契約の印である割礼を拒否するように教えたという報告がエルサレムに届いていました。
噂を広めたのは、おそらくエルサレムの集会におけるユダヤ化分子、エルサレム会議で使徒の大胆な議論にすっかり打ち負かされた人たち、異邦人は割礼を受けなければ救われないと熱心に教えた人たちです。
(使徒の働き15章、ガラテヤ人への手紙2章)
これらすべてが誤りです。
最終的にパウロが善良なユダヤ人であることを群衆に納得させるにはどうしたらよいのでしょうか?
エルサレムの教会は強固なものとなり、会員数は「幾万」になっていました。
彼らは過渡期でした。
彼らは主イエス・キリストを受け入れたが、モーセの律法を固く守っていました。
彼らは皆、律法に熱心でした。
律法の規定をすべて守り、決められた食物を断ち、祭りを祝い、神殿に行き、誓願を立て、身を清めていました。
長老たちはパウロに、この大群衆が集まれば「あなたが来たことは、必ず彼らの耳にはいるでしょう」と言いました。
使徒に対する告発が相次いだため、大混乱は避けられません。
困難を解決し、危険を回避する方法を見つけるため、ヤコブの家に集まりました。
さて、確かにパウロに関する噂は事実です。
パウロは復活したキリストから与えられた福音をそのままを伝えました。
この福音には律法が認められていません。
パウロはキリストを信じる者の立場を教え、ゆえに信じるユダヤ人は律法から解放されていました。
ローマ人への手紙は、数年前に神の御霊を通して彼によって書かれたのです。
しかし、主はエルサレムに蔓延していたこれらの状況を忍耐強く耐え忍んでいました。
クリスチャンとユダヤ教の間に生じる断絶についての最も完全な教えはまだ与えられていません。
ヘブル人への手紙はこの論拠を提示し、過ぎ去った影にしがみつくのならば、福音が背教化するという重大な危険について厳粛に警告しています。
宿営の外へ出て主の非難を負うことは、この手紙の中でユダヤ人クリスチャンに与えられた偉大な勧めです。
使徒パウロはエルサレムの愛する兄弟たちにこの手紙を書きました。
パウロの心は彼らへの愛で満たされていました。
彼は心の中で、律法のすべての戒め、そして律法そのものがキリストの死によって廃止されたことを知っていました。
律法は十字架に釘付けにされました。
聖霊は、これから起こることを予見して、私たちが見てきたように、エルサレムに行ってはならないと警告しました。
パウロは都へ行き、それによって危険な道を歩み始めました。
パウロは神に召された道を離れ、兄弟たちへの尽きることのない愛が動機であったにもかかわらず、敵の罠にかかってしまったのです。
長老たちは、誓願を立てた四人の男がいたことを彼に伝え、彼らを連れて行って身を清め、費用を支払うようにと告げました。
彼らは、この行動は、報告が真実ではないことを示すだけでなく、異邦人の使徒であるパウロが「律法を守って正しく歩んでいる」ことを示すものになると考えました。
この誘惑をさらに強めるために、彼らは何年も前の教会会議の決定に従って、信者である異邦人の立場について合意されていたことを再び述べました。
これは非常に巧妙な罠でした。
パウロはこの行動によって、異邦人への説教を通して、自分が依然として善良なユダヤ人であり、父祖たちのすべての伝統に忠実であり、神殿に愛着を持っていることを示そうとしました。
誓願とは何でしょうか?
そして、それに伴う清めとささげ物とは何かを検証することもなく、使徒が罠に陥ったことが分かります。
記録に残る限り、彼はためらうこともなく長老たちの提案を受け入れ、数日間、律法の慣習に従って神殿に通っていました。
主からの祈りと導きはどこにあったのでしょうか?
ああ、彼は聖霊の警告の声に逆らって、自分の道を歩んでしまったのです。
使徒パウロが神殿に戻り、十字架の死によって完了した、あの死んだ儀式を執り行う姿は、実に不思議な光景です。
地上のあらゆる権威を否定し、律法からの解放と目に見えないキリストとの結合を説いた彼が、ガラテヤ人への手紙の中で「無力、無価値の幼稚な教え」と呼んだ、再び基礎的なものに屈服する姿は、実に不思議な光景です。
そして、信仰を告白する教会全体が、同じ罠に陥っていったのです。
この巧妙で邪悪な助言がどのような結果をもたらしたかは、次の段落で明らかにされます。
Ⅳ.神殿での騒動、捕らえられるパウロ
「ところが、その七日がほとんど終わろうとしていたころ、アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼に手をかけて、
こう叫んだ。「イスラエルの人々。手を貸してください。
この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。」
彼らは前にエペソ人トロピモが町でパウロといっしょにいるのを見かけたので、パウロが彼を宮に連れ込んだのだと思ったのである。
そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕え、宮の外へ引きずり出した。
そして、ただちに宮の門が閉じられた。
彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。
彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。
人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。
千人隊長は近づいてパウロを捕え、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。
しかし、群衆がめいめい勝手なことを叫び続けたので、その騒がしさのために確かなことがわからなかった。
そこで千人隊長は、パウロを兵営に連れて行くように命令した。
パウロが階段にさしかかったときには、群衆の暴行を避けるために、兵士たちが彼をかつぎ上げなければならなかった。
大ぜいの群衆が「彼を除け。」と叫びながら、ついて来たからである。
兵営の中に連れ込まれようとしたとき、パウロが千人隊長に、「一言お話ししてもよいでしょうか。」と尋ねると、千人隊長は、「あなたはギリシヤ語を知っているのか。
するとあなたは、以前暴動を起こして、四千人の刺客を荒野に引き連れて逃げた、あのエジプト人ではないのか。」と言った。
パウロは答えた。「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です。お願いです。
この人々に話をさせてください。」
千人隊長がそれを許したので、パウロは階段の上に立ち、民衆に向かって手を振った。そして、すっかり静かになったとき、彼はヘブル語で次のように話した。」
(使徒の働き21章27~40節)
これらの人々の誓願に定められた七日間がほぼ終わろうとしていた時、アジアにいたユダヤ人たちは神殿でパウロを見つけ、民衆全体を煽動し、パウロに手を下しました。
おそらくエルサレムではパウロはあまり知られていなかったと思われます。
町に住むユダヤ人でさえ、彼の顔を知りません。
しかし、町にはアジア、つまりアジア州から来た多くのユダヤ人が集まっており、エペソのユダヤ人たちが祭りのためにエルサレムに来ていたので、パウロは彼らの目に留まりました。
彼らはパウロを憎み、パウロだと分かると、注意深く見張り、危害を加える機会をうかがっていました。
町でその者がパウロだと分かったのは、エペソの著名な異邦人トロピモが同行していた時でした。
彼らは、使徒パウロがこの異邦人クリスチャンを神殿に連れてきたのだと考えました。
神殿の外庭は異邦人の庭と呼ばれ、誰もが自由に出入りできました。
そして内庭があり、イスラエルの庭として知られていました。
この庭は中間の壁によって外庭と隔てられていました。
そこには、ギリシヤ語とラテン語で碑文が刻まれた障壁と柱があり、異邦人が聖なる庭に入ることを禁じ、死刑に処すべきことを警告していました。
障壁の内側には、内庭を取り囲む高い壁があり、この壁には扉がいくつかありました。
「そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕え、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。」
(使徒の働き21章30節)
庭の東側は女性専用で、女性の庭の周囲には列柱が巡らされ、その角には部屋がありました。
そのうちの一つはナジル人の家と呼ばれ、ナジル人はそこで和解の供物を煮て、頭を剃り、髪を燃やしました。
おそらくアジアから来たユダヤ人たちは、軽蔑され憎まれていた使徒を発見したと思われます。
今、使徒を排除するという悪魔的な欲望を遂行する時が来ました。
彼らは使徒を捕らえ、「イスラエルの人々」という独特の言葉で助けを求め、非難の声を上げました。
「この男は、この民(ユダヤ人)と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。」
(使徒の働き21章28節)
この言葉は、ステパノについて読んだ箇所を思い起こさせます。
ステパノもまた、ユダヤ人から同じように告発されていました。
おそらくまさにその瞬間、パウロはステパノが告発に答えるために立ち上がった時、その場に居合わせていた記憶を呼び覚ましたのかも知れません。
そして、その時、ユダヤ人たちがパウロを捕らえた時、主の言葉がパウロの心に浮かびました。
「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
(使徒の働き9章16節)
パウロは過去に大きな試練を経験しました。
しかし、今、さらに大きな苦難の瀬戸際に立っていました。
しかし、アジアのユダヤ人たちがパウロを捕らえた主な理由は、偽りの告発です。
彼らは、パウロが割礼を受けていない異邦人であるギリシヤ人を聖なる場所に連れ込み、神殿を汚したと非難しました。
彼らはパウロがトロピモと一緒にいるのを見て、トロピモ、そしておそらく他のギリシヤ人も彼に従って神殿に入ってきたと当然のごとく考えました。
そして、恐ろしい光景が続きます。
その知らせは野の火のように広まりました。
ほんの数分のうちに神殿の境内や外の群衆にまで広まり、彼らの叫び声や身振りはたちまち人々を惹きつけ、町全体が騒然となりました。
パウロと神殿の汚損の名が、四方八方から叫ばれたはずです。
おそらく、当時年配のユダヤ人の中には、パウロをパリサイ人サウロとして覚えていた人もいたのかも知れません。
サウロは、はるか昔、エルサレムで重要な人物でした。
そして、神殿を汚すことは大罪でした。
彼らの律法では石打ちが罰であり、パウロにもその運命が迫っているように思えました。
彼らはパウロを神殿から引きずり出し、神殿の衛兵が扉を閉めました。
そして、彼らはパウロに襲いかかりました。
しかし、彼らはパウロがいた場所で石を投げつける勇気はありません。
そのためには、町の外の場所が確保されました。
そこで彼らは、神殿が再び汚されるのを避けるため、パウロを殴り始めパウロを殺そうとしました。
しかし、神はそのしもべを見守っておられます。
パウロの命は暴徒の手ではなく、主御自身の手の中にありました。
そして、それはすべての神の民に適用されます。
神殿の建物の近くには「アントニアの要塞」という名で知られる城がありました。
それは非常に険しい岩の上に建てられ、下の建物とは階段でつながっていました。
この要塞にはローマ軍の兵士たちが駐屯しており、そこには千人隊長(ギリシヤ語で(Chiliarch)、千人の兵士の指揮官)率いる一隊の兵士たちがいました。
下の中庭で大騒ぎが起こったため、この将校はすぐに注意を向け、部下を現場へ急行させました。
千人隊長は兵士たちと百人隊長たちと共に階段を降りて、彼らが現れたことでパウロの鞭打ちは終わりました。
そして次の出来事が起きました。
使徒の周りに二つの鎖がかけられました。
アガボの預言が成就しました。
パウロは今や捕虜となり、「主の囚人」となりました。
後にパウロは自分の事をそのように呼んでいます。
律法を熱心に守るヘブル人クリスチャンの不快感を晴らすために長老たちの助言を受け入れ、自分が律法を守る善良なユダヤ人であることを示そうと努めることによって、今のような境遇へとパウロを導きました。
最初から最後まで全てが失敗でした。
目的は達成されていません。
そして今、兄弟愛に満ちたパウロの偉大な心は、主が彼に告げられた悲しい教訓を学び始めなければなりません。
「人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。」
(使徒の働き22章18節)
鎖が彼にかけられ、傷つき、血を流した時、ユダヤ人の兄弟への愛が、主の道ではない道へとパウロを導いていたことに、彼は気づかなかったのでしょうか?
パウロの苦しみ、肉において兄弟たちから受けた仕打ち、そして彼の振る舞いを、主御自身が肉において生きていた時代に起こったことと比較することは、祝福された研究です。
そこには相関関係があり、それは非常に明白です。
このような比較は、パウロの中にある被造物としての弱さと不完全さと、御業において苦しみを通して完全にされた主の絶対的な完全さを明らかにします。
しかしながら、パウロを要塞へ移送する過程では、多くの困難が待ち受けていました。
千人隊長がパウロが何をしたのか?
そして、パウロは誰なのかと尋ねる?と、あれこれと叫んでいます。
群衆は何度も何度も「彼を除け!」と叫びました。
「彼を除け!」という言葉は、いのちの君を拒み、異邦人の手に引き渡した別の群衆を思い起こさせます。
群衆が非常に多かったため、パウロを兵士たちが持ち上げ、階段を使って岩の上の要塞へ運ばなければなりませんでした。
城内へ連れて行かれる際、パウロは千人隊長にギリシヤ語で話しかけました。
千人隊長はこれに失望しました。
パウロが4000人の殺人者を砂漠へ連れて行ったエジプト人だと思ったからです。
パウロはローマの将校に自分の家系を告げ「私はキリキヤのタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です」と述べ、憤慨する群衆に演説する特権を願い出ました。
これは許可され、彼は階段の上の目立つ場所、下にいる全員から見える場所に立ちました。
群衆に合図し、静かになったところで、パウロはヘブル語で演説しました。
ここで章が中断されているのは残念です。
次の章には、囚人パウロの最初の弁護の演説が記されています。
22章
なんとも壮観な光景です!
神殿の中庭と要塞の中間にある階段に、鎖につながれた使徒が立っていました。
その体には受けた暴行の跡が露わになっていました。
周囲には武装したローマ兵が立ち、その下には上を向いた群衆がまだ激しく身振りをして構えていました。
しかし、パウロの口からヘブル語で初めて言葉が発せられると、彼らは静かになりました。*
*当時ユダヤ人の間で広く使われていたアラム語の方言です。
この章には2つのセクションがあります。
Ⅰ.使徒の説教(使徒の働き22章1~21節)
Ⅱ.群衆からの返答とパウロのローマ市民権への訴え(使徒の働き22章22~30節)
Ⅰ.使徒の演説
これは本書に収録されているパウロの弁護の最初の演説であり、彼自身の人物と経験がテーマとなっています。
パウロは「私」という言葉を17回用いており、その言葉の中に彼の生涯の概略を見ることができます。
すべてが巧みに表現されており、使徒の優れた機転と知恵を示しています。
この演説は明確に区切られた3つの部分から構成されています。
パウロは自伝的な発言を最後まで続けることを許されていません。
しかし、ステパノの演説が途中で中断される何年も前と同じように、群衆に遮られました。
1.パウロがユダヤ人としての自分について語っています。
パウロに対する告発は「この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です」というものでした。
パウロは今、まず最初に過去のユダヤ人としての生活を証拠として示し、この告発に対処しようとしています。
長老たちの助言も、彼の演説の冒頭の言葉に反映されています。
彼らは彼に、律法を守り、秩序正しく歩んでいることを群衆に証明するよう告げました。
「「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。」
パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。
「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。」
(使徒の働き22章1~5節)
パウロは非常に賢明かつ巧みな発言で弁明を始めました。
下にいる群衆はパウロをひどく扱い、殺そうとしていましたが、パウロは「皆さん、兄弟たち、父たちよ」と呼びかけました。
これは彼らの注意を即座に引きつけ、自分の言葉で話すことを促しました。
しかし、この和解的な冒頭の言葉の中に、彼の哀れみ深さが表れているのを見ることができます。
以下の言葉は、彼が真実なユダヤ人として育てられ、模範的なユダヤ人としての人生を送ったことを示すために語られたものです。
まず、パウロは自分が故郷の外で生まれたという事実を述べています。
多くの人が故郷を離れて生まれ、教育を受けましました。
しかし、パウロはエルサレムの都で育ちました。
これは、パウロが父祖の宗教と慣習を重んじる、嫉妬深いユダヤ人階級に属していたことを示しています。
さらに、パウロは偉大で名声高く、高く評価されていたガマリエルを師としていました。
ガマリエルは律法学者であり、ユダヤ人の中で最も厳格な教派であるパリサイ派の偉大な指導者です。
このように、この語り手はパリサイ派の一員となり、長老たちの伝統に従うだけでなく、最も厳格な律法遵守の人生を送っていました。
次に、パウロは自身の熱意を証しします。
「今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」
(使徒の働き22章3節)
語り手の気配りと礼儀正しさには感嘆するほかありません。
パウロは神に対する自身の熱意について語っただけでなく、聞き手にも同様の熱意があることを認めました。
この言葉で、パウロは自分が特に懸念していた荒々しい光景さえも、神に対する彼らの熱意の表れであると宣言したのです。
ローマ人への手紙10章2節でパウロはこのように書いています。
「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。」
(ローマ人への手紙10章2節)
次に彼は、パリサイ人としての経歴の特徴であった、神に対する熱意を例証します。
集まった群衆と同様に、パウロも迫害者でした。
しかし、迫害した人々の名前を挙げて語るのを避けています。
「私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。」
しかし、誰もが「この道」という表現が何を意味しているか理解していました。
彼らにとってそれは、ユダヤ教に生じた新しい教派を意味していました。
パウロも同じ言葉を使徒の働き24章14節で使っています。
「しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。」
(使徒の働き24章14節)
パウロはイエスを信じるこの新しい道を歩む者たちをどのように迫害したのでしょうか?
彼は「男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせた」のです。
それはパウロの迫害に対する熱意に対する告白でした。
ガラテヤ人への手紙の冒頭に書かれているのと同じ告白です。
「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。
また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。」
(ガラテヤ人への手紙1章13、14節)
かつて、この道に対して同じ憎しみに突き動かされていたことを簡潔に述べた後、パウロは集まりに証人として訴えました。
パウロは、何年も前にダマスコの信仰深いユダヤ人を迫害するために受け取った手紙について述べています。
しかし、その手紙はパウロ自身によって届けられることはありません。
聴衆の中には、かつての若きパリサイ人、タルソのサウロのことを思い出した人も少なからずいたのではないでしょうか?
それからパウロは、波乱に満ちた人生の2章の短い概略を語り始めます。
2.パウロの改心の物語。
若いパリサイ人は突然姿を消し、迫害への熱意も唐突に消え去りました。
一体どうしてそうなったのでしょうか?
「ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。
私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。
そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。
私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。
ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。
すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、
私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。
彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。
あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。
さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』」
(使徒の働き22章6~16節)
この注目すべき出来事については、すでに9章で説明しました。
しかし、前者の記述はルカによって書かれた霊感を受けた歴史記録であり、ここではパウロ自身による非常に興味深い詳細がいくつか追加されています。
まず、驚くべき幻が彼の目の前に現れたのは正午であったことに注目します。
9章では天から彼の周りを照らす光について書かれていますが、ここではそれが大きな光であったとパウロは述べています。
そして26章13節では、それが「太陽の輝きよりも輝いていた」とパウロは記しています。
「その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。
それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。」
(使徒の働き26章13節)
この章の11節でパウロはそれを「栄光」と呼んでいますが、それはまさに復活し昇天した神の子の栄光でした。
使徒の働き9章には、主の声がパウロに「あなたが迫害しているイエス」と言ったと書かれていますが、ここでパウロはより詳しい説明をしており、そこから主が「ナザレのイエスだ」と言われたことがわかります。
パウロがその価値ある祝福された御名を口にした時、上を向いた人々の視線は暗く、脅迫的な表情を浮かべました。
そして、パウロの証言を通して、彼らは、自分たちが拒んだこのイエスこそ主であり、栄光のうちに生きておられることを知るのです。
パウロはアナニヤについて、弟子として語っているわけではありません。
むしろ、「律法を重んじる敬虔な人」であり、ダマスコのユダヤ人全員から良い評判を得ていた人物と呼んでいます。
これらすべてに、パウロの知恵が見て取れます。
また、パウロは「キリスト」という言葉を避けていますが、「義なる方」という言葉が誰を指しているかは皆が知っていました。
このように彼は、拒まれたナザレのイエスである主がどのようにして彼の前に現れたかを簡潔に説明したのです。
* ここでパウロが、仲間たちは光は見たが、彼に語りかけた声は聞こえなかったと述べられている点に、疑問を抱く人もいます。
9章では、彼らは声を聞いたと記録されています。
ここには矛盾はありません。
彼らは確かに声を聞きました。
しかし、語られた言葉を理解することができません。
彼らは誰も見ず、パウロだけが主を見ました。
3.聖なる使命。
次に彼は自身の経験におけるもう一つのエピソードに触れています。
ここで彼が述べている興味深い記述は9章には記されていません。
「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、
主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』
そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。
また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』
すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」」
(使徒の働き22章17~21節)
再び主はパウロに現れました。
パウロが神殿で祈りを捧げていた時、恍惚状態でした。
パウロの前に広がるこの同じ神殿で、これらのすべてのことが起こりました。
そして、彼が神殿へ行き、熱烈な祈りを捧げたことは、彼らにとってパウロの誠実さを現わす素晴らしい証拠となりました。
それから彼は主が彼に語られた言葉を繰り返します。
「急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。」
今、鎖につながれ、ユダヤ人の群衆の前に立っている彼自身が、この言葉の真実の生きた証人でした。
もし、パウロがこの言葉を覚えていたのなら、神の命令に完全に従っていたことになります。
その時、パウロは自分の民への愛に導かれて、答えを導きました。
パウロは主に愛する町の兄弟たちに証を述べる特別な資格があることを告げています。
彼らは、彼が主を信じる者たちを投獄し、殴打したことを知っていました。
殉教者ステパノの血が流された時、彼は傍観し、ステパノの死を承諾し、彼を殺した者たちの衣服を保管していたのです。
パウロが主と交わした親密な会話を綴ったこの簡潔な言葉を読むのは、実に美しく感じます。
パウロは主に、自分の罪と、主自身と主の民に対する憎しみをすべて打ち明け、かつて自分が受けた激しい迫害と、ステパノの死に自分が関わったことを改めて語ることができました。
ここに、清められ、すべてが正しいと知る良心の素晴らしい例があります。
パウロがこれらすべてを語るのは、自分の誠実さと同胞への愛を証明するためです。
主がその時彼に語られた最後の言葉は、使命の言葉でした。
「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。」
(使徒の働き22章21節)
それゆえ、主は彼を異邦人の使徒として召されました。
パウロの弁明は完璧でした。
パウロは、自分に対する告発が虚偽であること、自分が民を愛していること、そして主御自身が異邦人のもとへ行くよう彼を召されたことを十分に示しました。
Ⅱ.群衆からの返答とパウロのローマ市民権への訴え
「人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と言った。
そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、
千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。
彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」
これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ人です。」と言った。
千人隊長はパウロのところに来て、「あなたはローマ市民なのか、私に言ってくれ。」と言った。パウロは「そうです。」と言った。
すると、千人隊長は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ。」と言った。そこでパウロは、「私は生まれながらの市民です。」と言った。
このため、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。また千人隊長も、パウロがローマ市民だとわかると、彼を鎖につないでいたので、恐れた。
その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖を解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。」
(使徒の働き22章22~30節)
彼らはせっかちな聞き手だったが、「異邦人」という言葉で嵐は止みました。
再び大騒動が起こり、多くの声が「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」と叫びました。
まさに混乱の極みです。
皆が泣き叫び、激しく身振りをし、土埃が舞い上がりました。
アジア人が興奮するとよくあることだが、彼らは上着を脱ぎ捨てて土埃を撒き散らしました。
隊長はアラム語の方言を知らなかったので、パウロを城内に連れて行き、鞭打ちによる尋問を行うよう命じました。
なぜ彼らがパウロを非難しているのかを突き止めるためです。
拷問は彼に自白させるために行われました。
彼が連行され、残酷な扱いを受けるための準備がすべて整った時、囚人は言いました。
「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」
百人隊長はこれを千人隊長に報告すると、千人隊長はすぐに現場に現れました。
パウロが生粋のローマ人であり、千人隊長が多額の金を投じて得たローマ市民権よりも高い立場にあることを知ると、彼らはパウロに手を出せなくなくなり、千人隊長でさえ恐れを抱きました。
ローマ人を縛ることは極めて違法な行為だったのです。
こうして、パウロは恐ろしい拷問を逃れました。
使徒の生涯における大きな失敗として、これを指摘する者は少なくありません。
これらの批評家によれば、彼はローマ市民権を主張した際に重大な過ちを犯しました。
彼は沈黙し、不当で残酷な仕打ちを一言も不平を言わず受け入れるべきでした。
愛する使徒に対するこれらの厳しい批判者たちが同じ状況に置かれたら、どうするのでしょうか?
ある人がまさにこのように言ったとおりです。
「理論的に殉教者になるのは簡単だが、実際に殉教する人は滅多にいません。」
パウロには、無知な法官たちに自分が誰であるかを告げ、それによって法の甚だしく残酷な違反を防ぐ完全な権利がありました。
しかし、ピリピでのパウロの行動は異なっていました。
なぜ彼はローマ市民権を公表しなかったのでしょうか?
当時は聖霊の力が彼に宿っていました。
しかし、ここでは違います。
彼は聖霊の自由と平和の中で行動していません。
この事実は、次の章で彼がサンヘドリンの前に立つ場面でより明らかになります。
23章
前の章の最後の節には、千人隊長が祭司長たちと議会の全員を集めるよう命じたことが記されています。
それが終わると、パウロは連れて来られ、彼らの前に立たされました。
この章は4つのセクションに分かれています。
Ⅰ.サンヘドリンの前に立つパウロ(使徒の働き23章1~10節)
Ⅱ.主の幻(使徒の働き23章11節)
Ⅲ.パウロに対する陰謀と発覚(使徒の働き23章12~22節)
Ⅳ.カイサリアへ連行されるパウロ(使徒の働き23章23~30節)
Ⅰ.サンヘドリンの前に立つパウロ
「パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」
すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。
その時、パウロはアナニヤに向かってこう言った。
「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。
あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」
するとそばに立っている者たちが、「あなたは神の大祭司をののしるのか。」と言ったので、
パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。
確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない。』と書いてあります。」
しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。
「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。
サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。
騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかも知れない。」と言った。
論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた。」
(使徒の働き23章1~10節)
ユダヤ人の議会は、この書の中で最後に述べられています。
主イエスを信じる人々のために、これまで三度、サンヘドリン(最高議会)が召集されていました。
(使徒の働き2章5節、5章21節、6章12~15節)
ペトロとヨハネ、十二使徒、そしてステパノはサンヘドリンの前に出廷し、今度はパウロも同じサンヘドリンの前に立たなければなりません。
パウロは議会をまっすぐに見つめ、議事進行に伴う形式的な手続きを待たずに、集まったサンヘドリンを「兄弟たちよ」と呼びました。
この行動は、彼が自分を罪人として告発された者とは全く考えていなかったことを示しています。
そして彼が弁明を始めたときの言葉は不思議です。
「私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」
(使徒の働き23章1節)
彼はこのように自分の義を公然と宣言しました。
これは、彼がパリサイ人であった時の告白を思い起こさせます。
「ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。」
(ピリピへの手紙3章4~6節)
この自己正当は、彼が聖霊の導きに従って行動していなかったことを示しています。
この大胆な言葉は、大祭司アナニヤの怒りをかき立て、彼は傍観者に使徒パウロの口を打つように命じました。
パウロはためらうことなく、大祭司を「白く塗った壁」と呼び、パウロを打つよう求める厳しい言葉で反論しました。
確かに大祭司は「白く塗った壁」であり、神の裁きを受けるに値しました。
しかし、パウロはこのように語ることによって、自分が仕える者であった神の柔和さを示したのかも知れません。
もしパウロが聖霊の力の中にいて、主の御心を行なっているという確信を持っていたなら、口を開くことも、このような性急な行動を取ることもなかったはずです。
しかし、彼の言葉は成就しました。
しばらくしてアナニヤは暗殺されました。
パウロは我に返り、打つよう命じた大祭司を知らないと告白しました。
「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった」という言葉には、明らかに難点が含まれています。
議会の慣例に精通していた使徒パウロは、その立場と服装から大祭司を知っていたはずです。
使徒パウロは重度の眼病を患っていて、視力が鈍っていたのではないかと考える人もいます。
しかし、これは完全に証明できません。
「知らなかった」という言葉がこの難点を解決しているように思える。
この言葉はユダヤ人の間では「認める」あるいは「認識する」という意味も持ちます。
例えば、「あなた方の間で労苦している人々を知りなさい」という勧めにおいて、この意味が使われています。
したがって、パウロが大祭司を知らなかったというのは、彼がアナニヤを大祭司として認めたくなかった、あるいは認めることを拒否したという意味かもしれません。
そして、パウロは大祭司であることを知らなかったと述べ、議会の議長を無視して認めなかったという自身の過ちを認めました。
これで問題は解決したようです。
使徒の次の発言はさらに不思議です。
彼は再び議会の人々を「兄弟たちよ」と呼び、このように叫びました。
「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」
(使徒の働き23章6節)
これはパウロが主張する3度目のことで、いかに道を踏み外していたのかを示しています。
パウロはかつてユダヤ人であると主張し、次にローマ市民権を主張し、そして今、議会の前で、自分がパリサイ人であり、パリサイ人の子であることを改めて主張しています。
後にローマの獄中から、パウロはピリピ人への手紙の中で、これら全てを「ちりあくた」とみなすと述べました。
彼は以前にもそうしたことがありました。
これは間違いなく、パウロの逆戻りです。
彼がそうするに至った理由は、サンヘドリンがユダヤ教の二つの対立する派閥、サドカイ派とパリサイ派で構成されていることを知っていたからです。
鋭い洞察力と当時の状況に関する知識から、パウロは自分をパリサイ派と宣言することに利点があると考えました。
そうすれば、彼らを味方につけ、彼が深く関わることになった難題に終止符を打つことができるかもしれないと考えたのです。
パウロは、自分が著名なパリサイ派であることを告白するだけでなく、サドカイ派が激しく反対していたパリサイ派信条の条項を述べました。
彼は「希望」と「死者の復活」について言及していますが、これはまさに問題となっていました。
これは真実の記述です。
この希望とは、メシアの到来というメシア的な希望です。
メシアは主イエス・キリストという方として来られました。
しかし、それでもまだ「希望」であり、再び来られるからです。
死者の復活はキリストとその到来と密接に結びついています。
サドカイ派は合理主義者であり、霊の存在に加え、メシア的希望と死者の復活を否定しています。
両者の間で激しい議論が起こり、大騒ぎになりました。
パリサイ派に属する律法学者の何人かは、囚人を弁護するために大声で叫びました。
「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。
もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかも知れない。」
(使徒の働き23章9節)
後者の一文は、ガマリエルの助言をかすかに反映しています。
その後の光景は筆舌に尽くしがたいものです。
叫び声は凄まじく、パウロは議会の群衆に引き裂かれそうになりました。
隊長ルシヤは介入せざるを得なくなりました。
彼の命令で兵士たちが降りてきてパウロを救出し、城へと連れて行かれました。
パウロの機転が利いた行動によって、サンヘドリンの手から救い出す鍵となりました。
Ⅱ.主の幻(使徒の働き23章11節)
「その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。」
(使徒の働き23章11節)
主がこの混乱と失敗の現場に現れ、最大限の柔和さでしもべを慰め、元気づけてくださったことは、恵み深く祝福された事実です。
聖霊が、あの夜、城でパウロが何をしたのか、もっと詳しく私たちに語ってくれたらよかったと思うほどです。
パウロが逮捕されてから二日が経ち、波乱万丈の日々でした。
パウロの体は傷だらけで、痛みに満ちていました。
しかし、それ以上に彼の心は苦しんだはずです。
エルサレムへ上って行かないようにと、神の御霊が何度も発した警告が、彼の心に甦りました。
これらの警告に耳を傾けなかったこと、そして、パウロが味わった失望が彼に重くのしかかりました。
彼をエルサレムに導いたのは同胞に対する燃えるような愛情でした。
しかし、今や彼は同胞が彼の証言を受け入れないという完全な証拠を受け取りました。
自分の行いと失敗を思い返すと、使徒パウロはひどく謙虚になりました。
そして今、パウロは囚人となりました。
異邦人とユダヤ人の間で福音を宣べ伝えるという彼の使命は断たれたのです。
城に一人残されたパウロは、こうした思いやその他の思いが彼に押し寄せてきました。
彼は祈りの中で主に願い求めました。
城の中でパウロが祈った祈りはどのようなものだったのでしょうか?
主にすべてを語り、自分の失敗を告白し、失望を告げた時、どれほどの涙が流れ出たことでしょうか?
そしてその夜、御使いではなく、主が彼の傍らに立っておられました。
主の慈愛に満ちた腕がしもべを包み込み、彼を励まし、愛を確信させています。
主がパウロに語った言葉には、特に注目すべき点が三つあります。
主は「元気を出しなさい」という励ましの言葉でパウロを力づけられました。
新約聖書の中で、この慰めの言葉は主によってのみ用いられています。
そして、主の口から語られたこの言葉には深い意味があるのです。
「勇気を出しなさい。」
パウロの経験は心を痛め、彼の置かれた状況は複雑で、彼の未来は暗く謎めいていました。
しかし、主は彼に勇気を持つように命じました。
この言葉を聞いた使徒の心は、大きな力で満たされたはずです。
私たちも、困難や失敗のさなかにあっても、主からの励ましの言葉を聞くことができます。
主はあの夜も、今も変わらずおられます。
このような主が私たちの傍らにいてくださるなら、私たちは決して絶望することはありません。
すると主は、謙虚になったパウロの胸に平安を語りかけ、彼の心に湧き上がってきたすべての感情と疑問を静めました。
パウロは心の中で「私はユダヤ人たちに主と福音について語りました。
しかし、私の証しは、本来あるべきほど忠実ではありません。
しかし今、主は、彼がエルサレムで主について証しすると告げられた」ことが小さなことだろうと思ったはずです。
しかし、これは驚くべき恵みなのです。
主は、最後にパウロが主について証ししたのだ、とパウロに告げられました。
主はパウロの過ちや欠点、どうすれば避けられたかを思い出させるのではなく、パウロの忠実さを思い出させました。
主は、そのしもべたちを恵み深く扱われる時、このようにしておられます。
パウロの疑問はすべて終わりました。
パウロは主と自分の関係はすべてが良好であり、主の恵みと愛に満ちた守りの下にあることを悟りました。
そして主は、将来の奉仕についても彼に約束されます。
彼はまだその働きの終わりに達していません。
「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」
このようにローマがパウロの目標となり、主の囚人としてそこに到達しなければなりません。
これらの事が彼をどれほど安らぎに導いたことでしょうか?
主は彼と共におられ、彼をローマへ導いてくださいます。
そして、その主は私たちと共におられ、御自分のしもべたちを導き、養ってくださいます。
あの城での夜、パウロが経験した出来事によって、私たちの心が慰められ、励まされることができるのです
Ⅲ.パウロに対する陰謀と発覚
「夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。
この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。
彼らは、祭司長たち、長老たちのところに行って、こう言った。「私たちは、パウロを殺すまでは何も食べない、と固く誓い合いました。
そこで、今あなたがたは議会と組んで、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がそこに近づく前に殺す手はずにしています。」
ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた。
そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから。」と言った。
百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、「囚人のパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました。」と言った。
千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、「私に伝えたいことというのは何か。」と尋ねた。
すると彼はこう言った。「ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。
どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。四十人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾を待っています。」
そこで千人隊長は、「このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな。」と命じて、その青年を帰らせた。」
(使徒の働き23章12~22節)
パウロに対する陰謀は、当時の国の状況を反映しています。
エルサレムはまさに殺人者の町と化していました。
「どうして、遊女になったのか、忠信な都が。公正があふれ、正義がそこに宿っていたのに。今は人殺しばかりだ。」
(イザヤ書1章21節)
40人以上の者が、パウロを殺すという宗教的な誓いを立てていました。
計画は練られ、実行の準備はすべて整っていました。
しかし、彼らはパウロの主を顧みません。
パウロはユダヤ人や異邦人の手ではなく、すべてのしもべたちの命が主の全能の御手に委ねられているように主御自身の手にあります。
陰謀は発覚しました。
その陰謀の道具として選ばれたのはパウロの甥でした。
この箇所以外ではパウロの妹については何も知りませんが、息子は秘密会議のことを聞き、城にも入ることができたので、影響力のある人物だったのです。
千人隊長は若者の口から陰謀を聞き、パウロとその身の安全を深く心配しました。
これは、この千人隊長がパウロがローマ市民であることを知った結果でした。
この記録についてはこれ以上の言及は不要です。
これから起こることはすべて、パウロがローマで神のために証しをすると約束した神の支配下にあります。
Ⅳ.パウロはカイザリヤに連れて行かれる。
「そしてふたりの百人隊長を呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ。」と言いつけた。
また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。
そして、次のような文面の手紙を書いた。
「クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下にごあいさつ申し上げます。
この者が、ユダヤ人に捕えられ、まさに殺されようとしていた時、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。
それから、どんな理由で彼が訴えられたかを知ろうと思い、彼をユダヤ人の議会に出頭させました。
その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました。
しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りし、訴える者たちには、閣下の前で彼のことを訴えるようにと言い渡しておきました。」
そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、
翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。
騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。
総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、
「あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう。」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。」
(使徒の働き23章23~35節)
主の囚人は今や異邦人の手に引き渡されました。
パウロを守るために大勢の兵士が同行し、馬も使徒に供給されました。
危険は甚大であったため、今名前が挙がっているクラウデオ・ルシヤという長官は、細心の注意を払いました。
もし私たちがパウロの心を読むことができたなら、そこにキリストの平安を見ることができます。
主の言葉は、忠実で献身的なパウロの心の中に今も響き渡っているのです。
「勇気を出しなさい。」
クラウデオ・ルシヤが総督フェリクスに宛てた手紙には興味深いものがあります。
ルシヤは、パウロがローマ人であったため、パウロを救出した功績を全て自分のものだと主張しています。
彼はパウロの無罪を主張しながらも、総督の手に引き渡しています。
40人の陰謀者たちがどうなったのか、知りたい人もいると思います。
もし彼らがパウロを殺すまで飲食を断つという誓いを守っていたなら、餓死したはずですが、実際にはそうではありません。。
無事にパウロに到着し、パウロは総督の手に引き渡されました。
総督は告発者たちが到着次第、審問を開くと約束しました。
今やエルサレムは彼の背後に永遠に横たわり、ローマが彼の前にあります。
24章
この章では、総督フェリクスの前での使徒パウロの裁判と、この裁判がどのように完了したかが報告されています。
Ⅰ.パウロに対する告発(使徒の働き24章1~9節)
Ⅱ.使徒の弁明(使徒の働き24章10~21節)
Ⅲ.フェリクスが処理したこの事件(使徒の働き24章22、23節)
Ⅳ.フェリクスに語りかけるパウロ(使徒の働き24章24~27節)
Ⅰ.パウロに対する告発
「五日の後、大祭司アナニヤは、数人の長老およびテルトロという弁護士といっしょに下って来て、パウロを総督に訴えた。
パウロが呼び出されると、テルトロが訴えを始めてこう言った。「ペリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を与えられ、また、閣下のご配慮で、この国の改革が進行しておりますが、
その事実をあらゆる面において、また至る所で認めて、私たちは心から感謝しております。
さて、あまりご迷惑をおかけしないように、ごく手短に申し上げますから、ご寛容をもってお聞きくださるようお願いいたします。
この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人という一派の首領でございます。
この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕えました。
閣下ご自身で、これらすべてのことについて彼をお調べくださいますなら、私たちが彼を訴えております事がらを、おわかりになっていただけるはずです。」
ユダヤ人たちも、この訴えに同調し、全くそのとおりだと言った。」
(使徒の働き24章1~9節)
パウロがエルサレムから追放された後、ユダヤ人が彼を告発していなかったら、彼は解放されていたはずです。
彼が何年も前にダマスコへ行き、そこのクリスチャンを迫害したように、今、ユダヤ人たちは彼を追ってパウロへ行き、ローマ総督の前で告発されようとしています。
彼らは明らかに時間を無駄にしていません。
エルサレムからの強力な使節団がパウロに現れたのは、ほんの数日後のことです。
パウロへの激しい憎しみに満ちた大祭司は、自分から進んでやって来ました。
アナニヤほどの立場にある人物がエルサレムを離れるのは異例だったのです。
彼は一人ではなく、長老たちとローマの法律家テルトロを連れて来ました。
起訴の計画は巧妙に練られていたはずで、大祭司は自身の出席と雇われた弁護士の雄弁さに大いに期待していました。
しかし、神は完全に除外されていました。
テルトロの演説はローマ人に似ています。
フェリクスに賛辞を捧げているが、それは的外れです。
この役人は、こうした賛辞の空虚さをよく知られていました。
テルトロが神の偉大な人物に対して使った言葉は極めて卑劣で、獣の遠吠えをありのままに物語っています。
彼は彼を「ペストのような存在」と呼び、社会から排除すべき人物と呼んでいます。
起訴状には3つの罪状が記載されています。
まず最初に、政治的な告発です。
ローマの高官の前では、これは極めて重要な問題です。
ローマ政府に対するいかなる陰謀も死刑に値する罪でした。
このように、使徒は直ちに扇動罪または反逆罪の容疑をかけられました。
テルトロがパウロに対して提起した二つ目の罪状は、宗教的な性質のものでした。
テルトロはナザレ派をユダヤ人の一派と称し、その指導者としてユダヤ教の平和に反する行為を助け、不穏な要素を持ち込んだだけでなく、未承認の宗教分派の導入を禁じるローマ法にも違反したと訴えたのです。
第三の罪状は神殿の冒涜でした。
もしこの最後の罪状がパウロに不利に立証されていたら、パウロは死刑判決を受けていたはずです。
テルトロの演説は、おそらく全文が記録されていません。
この表現には難点があります。
「この男は宮さえもけがそうとしましたので、私たちは彼を捕えました。
閣下ご自身で、これらすべてのことについて彼をお調べくださいますなら、私たちが彼を訴えております事がらを、おわかりになっていただけるはずです。」」
(使徒の働き24章6~8節)
最古の写本の中には、これらの語句が見当たらないものもあります。
また、これらの語句が見られる写本の中には、語形に差異が見られるものもあります。
批評学派はこれらの語句を除外しています。
テキスト上の難しさ以外に挙げられる主な理由は、ユダヤ人がルシヤを告発するはずがなかったからです。
私たちは、これらの言葉は本物であり、本文にふさわしいものだと信じています。
もし省略されているとすれば、このような言葉がパウロに適用されます。
「私たちが告発するこれら全ての事柄が誰によるものか、あなた方が検証することによって知りことができるはずです。」
しかし、裁判官が囚人に尋問するというのはローマの慣習に反していました。
もし省略されていないとすれば、テルトロはルシヤ自身を尋問すべきだという意味だったことになります。
22節でこの難問は解決しました。
フェリクスはルシヤが到着するまで決断を延期すると言いました。
テルトロが演説を終えると、ユダヤ人たち、アナニヤ、そして長老たちは、彼らの弁護士の発言を全面的に支持しました。
Ⅱ.使徒の弁護
「そのとき、総督がパウロに、話すようにと合図したので、パウロはこう答えた。「閣下が多年に渡り、この民の裁判をつかさどる方であることを存じておりますので、私は喜んで弁明いたします。
お調べになればわかることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上って来てから、まだ十二日しかたっておりません。
そして、宮でも会堂でも、また市内でも、私がだれかと論争したり、群衆を騒がせたりするのを見た者はありません。
いま私を訴えていることについて、彼らは証拠をあげることができないはずです。
しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。
私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。
また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。
その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。
もし彼らに、私について何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。
でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。
彼らの中に立っていたとき、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです。』と叫んだにすぎません。」」
(使徒の働き24章10~21節)
パウロがローマの高官に語りかけるのは、本書では三度目です。
ガリオとセルギオ・パウロもその一人です。
パウロの弁明は見事です。
狡猾な告発者たちと裁き主たちと向き合った今、神の御霊がパウロを助けました。
パウロはお世辞を一切使いません。
いかなるお世辞もクリスチャンにふさわしくありません。
単なるお世辞は蛇の舌です。
* 「へつらう口は滅びを招く。」
(箴言26章28節)
* 「自分の友人にへつらう者は、自分の足もとに網を張る。」
(箴言29章5節)
* 「主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように。」
(詩篇12章3節)
パウロは、フェリクスが長年にわたり国を統治する裁判官であったという事実に従って述べています。
彼の無実は、彼が弁明を始める際の明るい態度から明らかです。
彼の説明には次の内容が記載されています。
*最初の告訴の否認
*2番目に関する告白と自白
*神殿冒涜の告発の完全な無罪証明
パウロはまず、エルサレムに到着してからわずか12日しか経っていないこと、そしてローマ当局に対する反乱を起こすためにではなく、礼拝のためにエルサレムに行ったという事実を指摘しています。
群衆を集めたり、ステパノのように公然と議論したり、会堂や市内のユダヤ人を扇動して反乱を起こしていません。
パウロは、ユダヤ人が自分を政治犯として非難する証拠を全く持っていないことを大胆に主張しています。
しかし、テルトロの起訴状の第二項は異なっていました。
ここで彼は、彼らが異端と呼ぶ「道」、すなわちキリストへの信仰こそが、父祖の神を崇拝する自身の方法であることを認めています。
しかし、告発文が示しているように、この道によって律法と預言者への信仰が変わることはなかった。
次に彼は、神への希望、死者の復活、義人と不義人の両方の復活について語ります。
また、信者としての人生と歩み、そして神に仕えた方法についても証します。
パウロは自制心によって、神と人に対して罪のない良心を持ち続けました。
パウロが信じ、そのために投獄された偉大な真理が、義にかなった人生へと導きました。
パウロは簡潔な言葉で、国民への愛を語り、エルサレムを訪れた目的の一つが、国民に施しと供物を届けることであったと述べています。
これらすべてが、なんと簡潔でありながら、見事に表現されていました。
しかし、最後の告発は反論されなければなりません。
テルトロが彼を告発した内容が虚偽であることを、厳選された数語で証明しました。
パウロは神殿にいたが、それを汚すためではありません。
群衆はいなかったし、パウロ側からも何の騒ぎもありません。
神殿を汚したという告発を裏付ける目撃者もいません。
パウロは公会議に出席した際に、アナニヤと長老たちに、自分に何か悪事が見つからなかったことを証言するよう訴えました。
パウロは復活について自分が発言したことを率直に認め、それが暴動の引き金となったのです。
パウロは告発の不当性を証明し、正直に告白することで自身の無実を証明しました。
Ⅲ.フェリクスが処理したこの事件
「しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう。」と言って、裁判を延期した。
そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した。」
(使徒の働き24章22、23節)
フェリクスは道についてより完全な知識を持っていました。
キリストとクリスチャンに関する真理を熟知していました。
しかし、彼自身は道を歩んでいません。
フェリクスは告発が真実ではないことを知っていました。
フェリクスは判決を拒否しました。
正義はパウロの釈放を要求しました。
しかし、フェリクスはそれをすべて、千人隊長ルシヤがパウロに来るまで延期しました。
しかし、ルシヤは結局現れません。
パウロは囚人として留置され、フェリクスの前で二度目の審問を受けることはありません。
しかし、この章の最後の段落で読むように、フェリクスはパウロの話を聞いています。
Ⅳ.フェリクスに語りかけるパウロ
「数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。
しかし、パウロが正義と節制とやがて来る審判とを論じたので、ペリクスは恐れを感じ、「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう。」と言った。
それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。
二年たって後、ポルキオ・フェストがペリクスの後任になったが、ペリクスはユダヤ人に恩を売ろうとして、パウロを牢につないだままにしておいた。」
(使徒の働き24章24~27節)
フェリクスは3度結婚しています。
ここで述べられている妻ドルシラは、ヘロデ、すなわちヤコブを殺害したアグリッパ1世の娘です。
ドルシラの兄弟は、本書の26章で述べられているアグリッパです。
ドルシラはエメサ王と結婚しました。
しかし、当時まだ20歳にもなっていないドルシラはフェリクスのために彼を捨てました。
ある権威者によると、使徒パウロがキリストの信仰について語るのを聞きたいと示したのは彼女だったようです。
主のしもべを嘲笑するためではなかったとしても、単なる好奇心からだったことは間違いありません。
どこで面会したのかは記されていません。
パウロはフェリクスとドルシラの過去を間違いなく知っていました。
囚人であったドルシラが裁判官となりました。
二人の好奇心を満たすどころか、彼は正義、節制、そして来るべき裁きに関する真理を大胆に語り、二人の悪行を暴き、フェリクスの良心に触れました。
フェリクスは自分の心が露わになり、来るべき裁きを垣間見て震え上がりました。
フェリクスは厳粛なメッセージを拒否し、パウロは彼に祝福された福音を伝えることができなかったのです。
しかし、パウロの説教は終わらなかった。
フェリクスはそれを中断し、数え切れないほどの魂を永遠の破滅へと導いてきたお決まりの言い訳で説教者を退けました。
「今は帰ってよい。おりを見て、また呼び出そう。」
フェリクスはパウロを何度も呼び寄せ、交わりを深めました。
しかし、それは生き方を学ぶためではありません。
自由を得させて、パウロから賄賂を受け取ることを期待していました。
使徒パウロは2年間、カイザリヤで囚人として過ごしました。
この間、聖徒たちとの交わりを楽しんだことは間違いありません。
ルカのほか、テサロニケ出身のマケドニア人アリスタルコもパウロと共にいました。
使徒パウロに与えられた自由によって、パウロが御言葉を宣べ伝える機会を数多く得たことは疑いありません。
おそらく、愛された医師ルカが、自分の名前を伏せて、テオフィロスに宛てた福音書の記録を書いたのも、この2年間のことだったと思われます。
フェリクスはユダヤ人に恩恵を与えようと考え、パウロを囚人として残しました。
フェリクスに代わって、ポルキオ・フェストが総督になりました。
25章
この章に記された出来事が起こる2年以上前、アントニア城でのあの忘れ難い夜に、主はパウロにこう語られました。
「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」
(使徒の働き23章11節)
この章で、本書の終わりに近づきます。
パウロは皇帝に上訴し、新しい総督はこのように答えました。
「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」
(使徒の働き25章12節)
アグリッパ王の前でのパウロの偉大な演説の後、パウロの旅、難破、ローマへの到着、そこでのパウロの存在が記録されています。
このように使徒の働きという偉大な歴史書は幕を閉じます。
Ⅰ.フェストとユダヤ人たち、皇帝に上訴するパウロ(使徒の働き25章1~12節)
Ⅱ.フェストを訪問するアグリッパ王(使徒の働き25章13~22節)
Ⅲ.王の前に連れて行かれるパウロ(使徒の働き25章23~27節)
Ⅰ.フェストとユダヤ人たち、皇帝に上訴するパウロ
「フェストは州総督として着任すると、三日後にカイザリヤからエルサレムに上った。
すると、祭司長たちとユダヤ人のおもだった者たちが、パウロのことを訴え出て、
パウロを取り調べる件について自分たちに好意を持ってくれるように頼み、パウロをエルサレムに呼び寄せていただきたいと彼に懇願した。
彼らはパウロを途中で殺害するために待ち伏せをさせていた。
ところが、フェストは、パウロはカイザリヤに拘置されているし、自分はまもなく出発の予定であると答え、
「だから、その男に何か不都合なことがあるなら、あなたがたのうちの有力な人たちが、私といっしょに下って行って、彼を告訴しなさい。」と言った。
フェストは、彼らのところに八日あるいは十日ばかり滞在しただけで、カイザリヤへ下って行き、翌日、裁判の席に着いて、パウロの出廷を命じた。
パウロが出て来ると、エルサレムから下って来たユダヤ人たちは、彼を取り囲んで立ち、多くの重い罪状を申し立てたが、それを証拠立てることはできなかった。
しかしパウロは弁明して、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません。」と言った。
ところが、ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは、パウロに向かって、「あなたはエルサレムに上り、この事件について、私の前で裁判を受けることを願うか。」と尋ねた。
すると、パウロはこう言った。「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。
もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカイザルに上訴します。」
そのとき、フェストは陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」」
(使徒の働き25章1~12節)
新総督フェストはカイザリヤに到着し、その後、首都エルサレムへと上っていきました。
ユダヤ人たちはパウロのことを忘れてはなく、フェリクスの前で再び告発しようとはしていません。
しかし、彼らはすぐに新総督に働きかけました。
新総督がエルサレムに現れるとすぐに、大祭司とユダヤ人の長老たちがパウロについて報告しました。
フェストはおそらく、その時までパウロのことなど聞いたこともなかったと思われます。
すでにアナニヤはもはや大祭司ではなく、イシュマエル・ベン・ファビがその職に就いていました。
エルサレムで実際に何が起こったのか、フェストは後にアグリッパに語ります。
アグリッパにパウロのことを紹介され、フェストはパウロについてこのように紹介しました。
「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。」
(使徒の働き25章24節)
フェストが姿を現した時、エルサレムは騒乱の場面が演じられました。
群衆はパウロの命を要求し、叫びました。
総督が難色を示していることに気づいた彼らは、別の計画を企てました。
彼らはパウロをエルサレムへ連行するよう要請し、その途中で彼を殺害しようとしたのです。
なぜフェストはこの提案に従わなかったのでしょうか?
パウロと面会した際、フェストはエルサレムへ上って裁きを受けるべきかどうかを尋ねました。
では、なぜ彼はユダヤ人の提案に同意しなかったのでしょうか?
彼はパウロに対する暗殺計画について何も知りません。
ユダヤ人の願いを叶えることを彼に禁じたのは神でした。
眠ることも休むこともないその目は、今もなお神の子たちすべてを見守り続けているように、パウロを見守っていました。
フェストは、その代わりに、何人かのユダヤ人がカイザリヤに来てパウロを告発し、パウロ自身でこの事件を審議するよう要求しました。
エルサレムに十日以上滞在した後、パウロはカイザリヤに戻りました。
パウロは裁判のために出廷し、エルサレムからユダヤ人たちが集まっていました。
しかし、再び騒動が起きました。
彼らはパウロに対して多くの痛ましい訴えを起こしましたが、何も証明できていません。
しかし、この失敗は、大きな騒動の種となりました。
その時、エルサレムで起こったことと同じことが再び起こったのです。
彼らはパウロをこれ以上生きさせてはならないと叫びました。
「ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。」
(使徒の働き25章24節)
しかし、その混乱の真っ只中にあって使徒は冷静に立っていました。
彼の言葉は簡潔で断言的です。
「私は、ユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、またカイザルに対しても、何の罪も犯してはおりません。」
(使徒の働き25章8節)
これは、パウロに対しても同じ告発がなされたことを示しています。
フェストは、ユダヤ人たちがかつてパウロをエルサレムに呼び寄せようとしたことを思い出しました。
彼らを喜ばせるため、パウロにエルサレムへ行くよう求めました。
パウロは彼らに引き渡されることを拒否しました。
皇帝に上訴し、パウロが有罪ならば、死刑も辞しません。
パウロは本当に悪いことをしたのでしょうか?
決してそうではありません。
パウロはローマで証しをしなければならないという主の御心を知っていました。
ローマこそがパウロの目の前にある目標でした。
パウロは神の御心に従って行動したのです。
フェストとアグリッパは後に、もしパウロが皇帝に上訴していなければ、釈放されていたかもしれないと宣言しました。
パウロが皇帝に上訴したのは信仰の欠如ではなく、主の御心への信仰と服従の証です。
フェストは評議会を招集し「カイザルのもとへ行きなさい」と宣言しました。
「あなたはカイザルに上訴したのだから、カイザルのもとへ行きなさい。」
(使徒の働き25章12節)
Ⅱ.フェストを訪問するアグリッパ王
「数日たってから、アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た。
ふたりがそこに長く滞在していたので、フェストはパウロの一件を王に持ち出してこう言った。
「ペリクスが囚人として残して行ったひとりの男がおります。
私がエルサレムに行ったとき、祭司たちとユダヤ人の長老たちとが、その男のことを私に訴え出て、罪に定めるように要求しました。
そのとき私は、『被告が、彼を訴えた者の面前で訴えに対して弁明する機会を与えられないで、そのまま引き渡されるということはローマの慣例ではない。』と答えておきました。
そういうわけで、訴える者たちがここに集まったとき、私は時を移さず、その翌日、裁判の席に着いて、その男を出廷させました。
訴えた者たちは立ち上がりましたが、私が予期していたような犯罪についての訴えは何一つ申し立てませんでした。
ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。
このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか。』と尋ねたところが、
パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」
すると、アグリッパがフェストに、「私も、その男の話を聞きたいものです。」と言ったので、フェストは、「では、明日お聞きください。」と言った。」
(使徒の働き25章13~22節)
アグリッパとベルニケは、新総督を訪ねました。
この王の父はヘロデ・アグリッパとして知られ、西暦44年に悲惨な状況で亡くなっています。
(使徒の働き12章)
父が亡くなった時、アグリッパはローマにいました。
アグリッパは父ヘロデの王国を継ぐには幼すぎました。
8年後、アグリッパの叔父であるカルキス王ヘロデが亡くなります。
彼はアグリッパの妹ベルニケと結婚しており、シーザーはカルキスをアグリッパに与えました。
後にアグリッパは王位を継承しました。
アグリッパ1世には、この息子の他に、ベルニケ、マリアンネ、そしてフェリクスの妻ドルシラという3人の娘が残されていました。
叔父の妻ベルニケは、叔父の死後、ローマで兄アグリッパのもとに合流しました。
彼女はケリキアの統治者と結婚しましたが、彼を捨てて再びこの兄弟と一緒にカイザリヤを訪れていました。
アグリッパ王の来訪により、フェストのジレンマは解決しました。
アグリッパは事件についてほとんど何も知りません。
いわゆる「委任状」の中で、事件の全容を明らかにすることが求められていました。
アグリッパはユダヤ人であり、同時に生粋のローマ人でした。
そのため、フェストは囚人に関する事実を知る上でアグリッパの協力を期待できました。
数日間にわたる面会の後、フェストはパウロの件をアグリッパに持ちかけました。
フェストの言葉については、これ以上の言及は不要でした。
彼はこの偉大な出来事をユダヤ人の迷信と呼び、ローマの異教徒として主イエスとその復活について無知であったことが発覚しました。
アグリッパはフェストの話を聞きたいと願ったので、フェストは喜んで王にこの恩恵を与えました。
Ⅲ.王の前に連れて行かれるパウロ
「こういうわけで、翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて講堂にはいった。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた。
そこで、フェストはこう言った。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。
私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。
ところが、彼について、わが君に書き送るべき確かな事がらが一つもないのです。それで皆さんの前に、わけてもアグリッパ王よ、あなたの前に、彼を連れてまいりました。取り調べをしてみたら、何か書き送るべきことが得られましょう。
囚人を送るのに、その訴えの個条を示さないのは、理に合わないと思うのです。」」
(使徒の働き25章23~27節)
パウロの献上は国家行事とされました。
アグリッパとその邪悪な妹ベルニケは豪華な装いで現れ、軍人や市当局者全員が出席した。
会見には、華やかな人々が集まっていました。
すべての者が入場し、それぞれの場所に着くと、鎖の音が聞こえ、パウロは集まった人々の前に連れ出されました。
確かに対照的に見えました!
鎖を見て、人々はパウロを哀れに思ったはずです。
しかし、キリストの偉大な僕であるパウロの心は、みすぼらしい土の飾りで飾られた、あわれな迷える魂たちを見て、さらに深い哀れみに満たされたのです。
フェストは国王と一同に語りかけ、自分が何に悩んでいるのかを率直に述べ、総督としてローマに送る声明を国王が示してくれることを期待していると述べました。
26章
「すると、アグリッパがパウロに、「あなたは、自分の言い分を申し述べてよろしい。」と言った。そこでパウロは、手を差し伸べて弁明し始めた。」
(使徒の働き26章1節)
王の前でのパウロの偉大な演説は、自己弁護というよりも、主と、主が彼自身に対して示してくださった恵み深い働きについて語っています。
パウロに関する主御自身の言葉が、再び成就したのです。
「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。」
(使徒の働き9章15節)
パウロは今、王の前で御名を証ししています。
Ⅰ.使徒パウロの説教(使徒の働き26章2~23節)
Ⅱ.フェストによる妨害と国王への訴え(使徒の働き26章24~29節)
Ⅲ.判決(使徒の働き26章30~32節)
Ⅰ.使徒パウロの演説
これは間違いなくパウロの演説の中で最も偉大なものです。
いくつかの部分から構成されています。
1.冒頭の言葉
「アグリッパ王。私がユダヤ人に訴えられているすべてのことについて、きょう、あなたの前で弁明できることを、幸いに存じます。
特に、あなたがユダヤ人の慣習や問題に精通しておられるからです。
どうか、私の申し上げることを、忍耐をもってお聞きくださるよう、お願いいたします。」
(使徒の働き26章2、3節)
哀れみ深い言葉です。
鎖につながれながらも、偉大な使徒は自分を幸福に思っています。
彼の幸福は、今、主と、自分に託された福音について、このような聴衆の前で証しできるという特権を得たという自覚にありました。
彼にとってこれは素晴らしい機会であり、自分が仕える主について語れることを喜ばしく思ったはずです。
彼はまた、ユダヤの慣習や問題に精通した王の前で語れることを喜びとし、短い言葉で王に敬意を表しました。
2.パリサイ人としての過去の生活の再述
「では申し述べますが、私が最初から私の国民の中で、またエルサレムにおいて過ごした若い時からの生活ぶりは、すべてのユダヤ人の知っているところです。
彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。
そして今、神が私たちの先祖に約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。
私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります。
王よ。私は、この希望のためにユダヤ人から訴えられているのです。
神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととされるのでしょうか。
以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。
そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。
また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。」
(使徒の働き26章4~11節)
同じ様な発言は、囚人として神殿でユダヤ人の群衆に語った最初の演説にも見られます。
「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。
この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。」
(使徒の働き22章3~5節)
しかし、ここでは、彼は自身に向けられた告発の本質についてより深く掘り下げています。
彼はパリサイ人として良心的に生きていました。
そのため、神が先祖に約束された希望を信じ、信頼していました。
十二部族、つまり神に仕えるイスラエル全体は、この約束された希望の実現を待ち望んでいました。
この希望は、国家の将来の栄光と祝福という国家としての希望です。
しかし、その中心はメシア、キリストという御方にあります。
キリストはイスラエルの希望であり、神の預言者たちを通して豊かに証しされています。
イスラエルの将来に関する彼らの証言は、常に聖なる方、贖い主、そしてイスラエルのただ中での御方の存在と結びついています。
このようにパウロは、神の約束の成就を待ち望む国民と、希望と霊において一つであるという事実を確立しました。
そして、この希望のゆえに、彼はユダヤ人として告発されたことを王に告げたのです。
パウロはすぐに主イエス・キリストの復活について触れています。
神が死者を甦らせることを、なぜあなたたちは信じられないと思うのでしょうか?
イスラエルの歴史全体が、神が死者から命を甦らせることができるという事実を証明しています。
国の起源そのものがそのことを証明しています。
サラの胎は死んでいました。
しかし、神はその胎から命を甦らせたのです。
過去の多くの約束は、死者を甦らせる神の力を証明しています。
国民は、霊的かつ国家的な死が霊的かつ国家的な命に取って代わられるという約束を受けていました。
(エゼキエル書37章1~15節、 ホセア書6章1~3節)
「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。
主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。
私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」
(ホセア書6章1~3節)
主イエス・キリストの復活は、主がイスラエルの聖なる方であり、希望であることを証明しています。
この意味で、ペテロは主の復活について語っています。
「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。
神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」
(ペテロの手紙第一1章3節)
弟子たちにとって、主イエスの死は彼らの国家的な希望の墓であり、主の死からの復活はこの希望の復活なのです。
使徒パウロは再び、自分がいかに聖徒たちを迫害し、ナザレのイエスの名に反する多くのことを行ったかを語っています。
これはパウロがここで自分の事について語る最も暗い描写です。
パウロは聖徒たちを牢獄に閉じ込め、死刑を宣告し、会堂で彼らを罰し、冒涜を強要し、彼らを罵倒し、異国の地で迫害することさえしました。
そしてその暗い背景の上に、今、パウロは自分の改心の物語を再び鮮やかに描き出すことができました。
3.天の幻
「このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、
その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。
私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。
『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』
私が『主よ。あなたはどなたですか。』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
起き上がって、自分の足で立ちなさい。
わたしがあなたに現われたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現われて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。」
(使徒の働き26章12~17節)
本書では最後に、パウロは驚くべき体験の記録をもう一度記しています。
既に解説済みですので、改めて述べる必要はありません。
さまざまな記録を比較すれば、幾度も主張されるように矛盾するものではなく、互いに補完し合っていることがわかります。
ここでパウロは特に、天からパウロの上に降り注いだ光の性質について語っています。
それは太陽の輝きをはるかに超える、パウロが地上で迫害してきた主の栄光の光です。
いつの日か、同じ栄光が再び輝き、将来、主が現れ、この民の改心の象徴となるのです。
パウロの経験は、これらすべてを象徴しています。
その後、パウロは神の使命を受けました。
パウロは、自分がこれまで見てきたこと、そしてこれから見ることの証人、働き者となるのです。
後者は、彼が主からその後に受けた啓示を指しています。
しかし、彼の特別な任務は「彼らのところに遣わす」という異邦人への働きでした。
4.福音のメッセージが宣言される。
「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」
(使徒の働き26章18節)
これは使徒の演説の中心とみなすことができます。
さて、この一行の前で福音のメッセージを述べるのにふさわしい時が来ました。
これは主が彼に託されたメッセージを簡潔に述べたものです。
福音の要素のすべてがこの聖句に含まれています。
まず、人間の生まれながらの状態があります。
目は盲目で、暗闇の中にあり、サタンの力に支配されています。
福音を通して目は開かれ、人は暗闇から光へ、サタンの力から神へと導かれます。
コロサイ人への手紙1章12~14節にも同じことが記されています。
「また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。
神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」
(コロサイ人への手紙1章12~14節)
これらは、改心による祝福、罪の赦しと相続、信仰はこれらすべての手段です。
そして、聖化、すなわち分離がもたらされます。
その時代、聖霊がこのメッセージを聞いた人々が祝福され、これらの祝福を信じる罪人たちに神の恵みが授けられたと考える人もいます。
そうなのかもしれません。
いつかその答えが明らかになる日が来ます。
5.天の幻への従順
「こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、
ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。
そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中で捕え、殺そうとしたのです。
こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。
すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」」
(使徒の働き26章19~23節)
パウロは天の幻に従順でなければなりません
それ以外ありえません。
パウロは全生涯を神への奉仕に捧げ、神の栄光を目の当たりにし、神の恵みによって救われました。
20節で、彼は自身の精力的な奉仕と生涯を要約しています。
ユダヤ人による暗殺未遂事件について、アグリッパ王が簡潔に語ります。
さらに、逮捕以来の暗い経験を通して、証しを続けることができた神に栄光を捧げます。
パウロの教えと説教はすべて、預言者たちの証言と一致しています。
キリストは苦しみを受け、死から甦り、その結果、民(ユダヤ人)と異邦人に祝福がもたらされることを説いていたのです。
Ⅱ.フェストによる妨害と国王への訴え
「パウロがこのように弁明していると、フェストが大声で、「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている。」と言った。
するとパウロは次のように言った。「フェスト閣下。気は狂っておりません。私は、まじめな真理のことばを話しています。
王はこれらのことをよく知っておられるので、王に対して私は率直に申し上げているのです。
これらのことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも王の目に留まらなかったものはないと信じます。
アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」
するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」と言った。
パウロはこう答えた。「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」」
(使徒の働き26章24~29節)
異邦人フェストは、パウロが祝福に満ちた宣言の多くを知らず、囚人の雄弁な熱意に深く感銘を受け、パウロの言葉をさえぎりました。
「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている。」
主御自身もこのように非難されたのです。
「イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ。」と言う人たちがいたからである。」
(マルコの福音書3章21節)
「彼らのうちの多くの者が言った。「あれは悪霊につかれて気が狂っている。どうしてあなたがたは、あの人の言うことに耳を貸すのか。」」
(ヨハネの福音書10章20節)
パウロは、驚いたフェストに丁重に答え、彼の言葉は狂人の言葉ではなく、真実と冷静さの言葉であることを告げました。
聖霊に導かれ、聖霊に満たされた人の言葉は常にそのようなものです。
それからパウロは王の方を向き、訴えました。
ユダヤの王は、自分が宣言したことが病んだ考えによる作り話ではなく、事実であることを知っていました。
パウロが語った事実は、人知れず片隅で起こったことではありません。
王はキリストの出現、その死、そしてその他関連する出来事をすべて知っていました。
この問題が目の前に直接突きつけられたことに王は不安を覚え、囚人に大胆な質問をさせました。
かつて自分の人生について尋問を受けていた者が、今度は質問者になりました。
「アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。もちろん信じておられると思います。」
(使徒の働き26章27節)
このように王は重要なメッセージと向き合わざるを得なくなり、決断が迫られました。
ユダヤ人の王である彼が、ユダヤ人と異邦人の聴衆の前で、自分の意志を表明できるでしょうか?
「もちろん信じておられると思います。」と、霊感を受けた使者は宣言しました。
アグリッパ王は預言者を信じていたという事実を否定することはできません。
パウロが述べた事実を受け入れ、信じていることを告白することもできていません。
これは彼が難局を逃れた巧みな言葉です。
「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」
(使徒の働き26章28節)
本来の意味は「もう少し説得すれば、私をクリスチャンになれるかもしれない」という意味です。
彼は確信に支配されていたはずです。
このように半ば嘲笑うような口調で、彼は使徒に答えています。
彼の後に何人の人が同じように発言し、救うために用意されていた恵みを拒んだのでしょうか?
そして、神の切なる愛に満ちた使徒パウロの偉大な心が、有罪判決を受けた王と一同への祈りの中で満ちあふれます。
「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」」
(使徒の働き26章29節)
これは記憶に残る出来事です。
アグリッパの前で、神の愛によって主の囚人を通してパウロが嘆願しています。
Ⅲ.評決
「ここで王と総督とベルニケ、および同席の人々が立ち上がった。
彼らは退場してから、互いに話し合って言った。「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない。」
またアグリッパはフェストに、「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに。」と言った。」
(使徒の働き26章30~32節)
会見は終わり、国王が立ち上がった。
それが一行の解散の合図となり、二度とこのような会合はなかった。
密談の決定は「あの人は、死や投獄に相当することは何もしていない」です。
ヘロデ・アグリッパはフェストに「この人は、もしカイザルに上訴しなかったら、釈放されたであろうに」と言いました。
パウロは皇帝に上訴していなければ、釈放されていたかもしれません。
彼がローマに上訴したのは主の御心によるものであったことは、すでに述べたとおりです。
そして、パウロはローマへ向かいました。
すべては哀れみ深い主の御心によるのです。
27章
今、この注目すべき本の終わりに近づいています。
ローマへの旅と、使徒パウロが囚人としてローマに留まったことで、この記録は終わりを迎えます。
難破と、この書の大部分の主人公である獄中での出来事によって、地上における教会の初期の物語は幕を閉じます。
歴史的記述の背後には、信仰を告白する教会の荒波のような航海、すなわち逆境、翻弄、そして難破が容易に見て取れます。
しかし、このような解釈には注意が必要です。
空想的で突飛な寓話的な教えに陥りやすいからです。
教会史以外にも、この物語はさまざまな形で応用されてきました。
ある解説者は、解釈の要点は34節の「救い」という言葉にあると主張しています。
「この言葉と類義語は、この章に7回登場します。
「救われることを望みます、あなたがたは救われない、完全に救われることを望みます、そして、その反面、傷つき、失い、捨てられ、滅び、殺され、捨てられるなどの表現がされています。
つまり、この歴史は、人が死を通して命へと導かれる偉大な救済の寓話です。
この章の出来事の中では教会史の概略を探ろうとはしていません。
ところで、この航海の記録から示されるいくつかの教訓に触れたいと思います。
主の囚人である中心人物こそが、何よりも私たちの関心を引きます。
古典文学において、この章ほど古代船の仕組みについて詳細な情報を与えているものは他に見当たらないと言われています。
批評家たちでさえ、この章は「疑うことのできない信憑性を備えている」ことを認めています。
「歴史研究と碑文は、本章で述べられた事実を裏付けています。
また、ルカの航海に関する観察の正確さは、彼が古代の航海術への理解に大きく貢献したことからも明らかです。
パウロの言葉の正確さを疑う者はいません。
それどころか、数行に及ぶ彼の記述から、難破の現状が特定されています。」*
* リチャード・b・ラッカムによる使徒の働き
この記述全体は、ヤコブ・スミスによる「聖パウロの航海と難破」に関する広い意味での研究によって最も明確に証明されています。
それでは、使徒のローマへの旅のさまざまな段階を簡単に見ていきましょう。
Ⅰ.パウロから良い港へ(使徒の働き27章1~8節)
Ⅱ.無視された警告、嵐、パウロの幻と安全の保証(使徒の働き27章9~26節)
Ⅲ.難破(使徒の働き27章27~44節)
Ⅰ.パウロから良い港へ
「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロと、ほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。
私たちは、アジヤの沿岸の各地に寄港して行くアドラミテオの船に乗り込んで出帆した。テサロニケのマケドニヤ人アリスタルコも同行した。
翌日、シドンに入港した。ユリアスはパウロを親切に取り扱い、友人たちのところへ行って、もてなしを受けることを許した。
そこから出帆したが、向かい風なので、キプロスの島陰を航行した。
そしてキリキヤとパンフリヤの沖を航行して、ルキヤのミラに入港した。
そこに、イタリヤへ行くアレキサンドリヤの船があったので、百人隊長は私たちをそれに乗り込ませた。
幾日かの間、船の進みはおそく、ようやくのことでクニドの沖に着いたが、風のためにそれ以上進むことができず、サルモネ沖のクレテの島陰を航行し、
その岸に沿って進みながら、ようやく、良い港と呼ばれる所に着いた。その近くにラサヤの町があった。」
(使徒の働き27章1~8節)
アグリッパの前での記念すべき演説と旅の始まりから、しばらく時間が経過していました。
おそらく、まず他の囚人たちが集められ、その後パウロは他の囚人と共に、アウグストゥス軍の百人隊長ユリウスに引き渡されたと思われます。
神の啓示の富を全てを備えた偉大な使徒は、今やローマの将校の監禁下にあります。
2節から、この書の著者であり、愛された医師であるルカに加え、アリスタルコも船に乗っていたことが分かります。
使徒の働き21章18節では、アリスタルコも使徒ルカと共にいたことが分かります。
「次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。」
(使徒の働き21章18節)
後にローマから書き送った手紙の中で、パウロはアリスタルコを囚人仲間として呼んでいます。
「私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。」
(コロサイ人への手紙4章10節)
しかし、必ずしもアリスタルコが囚人として連行されたことを意味するわけではありません。
アリスタルコが使徒パウロと共に逮捕されたと一部の人が述べているように、群衆が襲撃してきた時、神殿でパウロと共にいたと推測するならば、その旨の記述が以前になされていました。
ユリウスはパウロに非常に寛大な態度を取りました。
もちろん、ヘロデ・アグリッパがパウロに無罪の判決を下し、皇帝に上訴していなければ自由の身になっていたかもしれないことを知っていました。
上陸したシドンで、パウロは友人たちを訪ね、休息を取ることを許されました。
パウロはおそらく体力が衰えていたため、ユリウスはパウロに船を降りるよう願ったと思われます。
忠実な僕に対する主の哀れみ深く愛に満ちた配慮が、この物語に輝いています。
物語全体を通して、すべてが主の御手の中にあることがありのままに示されています。
船長、風、波、あらゆる状況が主の支配下にありました。
ここまではすべて順調に進んでいるように見えました。
しかし今、逆風が航海者たちを苦しめました。
船は大きく揺さぶられています。
もしこの船を信仰を告白する教会の象徴とし、パウロを筆頭とする小さな集まりを真実な教会と見なすことに、結論を見出すのに何の困難もありません。
大きく吹き荒れる風は、真理を抱き主との交わりの中で生きる人々を苦しめますが、信仰を告白する教会はもてあそばれます。
そしてミラに到着しました。
そこで彼らはアレクサンドリアの船に乗りました。
この記述から教会の歴史を辿ろうとする解説者たちは、この記述に多くのことを見出しています。
彼らは、これは信仰を告白する教会がローマへと向かう、より直接的な道程の型であると説明しています。
こうしたさまざまな型としての解釈は、しばしば無理やり押し付けられています。
彼らは幾日もゆっくりと航海を続けた後、「良い港」と呼ばれる場所に到着し、その後クレタ島に着きました。
ラサヤという場所は地理的に存在していた場所です
しかし、その港の名前は誤解を招いています。
「良い港」は平穏と安息からは程遠く、強風にさらされていました。
現在の邪悪な時代には、平和で静かな避難所はありません。
主イエス・キリストが戻ってこられるときにのみ、良い避難所に到達することができるのです。
Ⅱ.無視された警告、嵐、パウロの幻と安全の保証
「かなりの日数が経過しており、断食の季節もすでに過ぎていたため、もう航海は危険であったので、パウロは人々に注意して、
「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。」と言った。
しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。
また、この港が冬を過ごすのに適していなかったので、大多数の者の意見は、ここを出帆して、できれば何とかして、南西と北西とに面しているクレテの港ピニクスまで行って、そこで冬を過ごしたいということになった。
おりから、穏やかな南風が吹いて来ると、人々はこの時とばかり錨を上げて、クレテの海岸に沿って航行した。
ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、
船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。
しかしクラウダという小さな島の陰にはいったので、ようやくのことで小舟を処置することができた。
小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻いた。また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた。
私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、
三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。
太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。
だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。
「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出帆しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。
しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。失われるのは船だけです。
昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、
こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。
そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。
私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」」
(使徒の働き27章9~26節)
晩秋を迎え、航海は危険なものと考えられていました。
航海計器は未発達で、その他の知識も不完全だったため、当時の航海には大きな困難が待っていました。
晩秋には海上貿易はほとんど行われず、冬の間はさらに少なくなりました。
彼らは航海に危険がなくなるまで待ちました。
すでに過ぎていた断食とは、贖罪の日の断食のことです。
この記述から、パウロとその仲間たちが断食によって贖罪の日を守ったと結論づけることができます。
ある人々はこれを信じ、使徒パウロは儀式の律法のあらゆる遵守、さらには長老たちの伝統さえも守り続けたと考えています。
これは誤りです。
こうしたさまざまな祝祭日や祭日を、単に時を刻むためだけに覚えておくのが慣例でした。
ここで述べられているのは、まさにその意味があります。
おそらく、船長と船に乗っていた船主、そして百人隊長の間で協議が開かれ、パウロもそこにいたと思われます。
パウロは厳粛な警告を与え、用心するよう警告します。
これは、パウロが主と親しい関係にあったことを示しています。
彼は祈りの中で、この件すべてを主に打ち明け、主から答えを得て、それを権力者たちに伝えたのです。
彼らはそれを単なる推測とみなし、百人隊長はむしろ船長と船主の判断を信頼しました。
ここで私たちは、偉大な使徒を通して与えられた他の警告について考えることができます。
ここに霊的な危険、終わりの日の背教、危険な時代に関する警告、誘惑する霊と悪霊の教えに対する警告があります。
信仰を告白する教会は、神から与えられたこれらの預言を忘れています。
世はそれに耳を傾けません。
自分の知恵を信じ、与えられた警告を無視した船乗りたちのように、キリスト教世界はこれらの警告に全く注意を払っていません。
そのため、船は漂流し、あらゆる教義の風にもてあそばれ、長らく預言されていた難破へと急速に近づきました。
彼らの目的は、クレタ島のもう一つの港であるフェニキアに到着し、そこで冬を過ごすことでした。
しばらくは順調でしたが、突然、猛烈な嵐が吹き荒れました。
彼らを襲ったハリケーンはユーラクロンと呼ばれていた。
船は外洋に巻き込まれ、強風に流されました。
小さな島、クラウダが、かろうじて船を守りました。
船の後方に小舟が続いており、船上に引き上げられました。
船を支え、粉々に砕けないようにするために、人力で補強する必要がありました。
そして、さらに大きな危険が待ち受けていました。
浅瀬がすぐ近くにあったのです。
座礁を防ぐため、彼らは帆を巻き上げ、再び船は風に流されてゆきました。
これはすべて、キリスト教世界を一つにまとめるために人間が払った数々の努力を思い起こさせます。
主とその御言葉に従わなかったために力が失われ、物事は漂流し、沈没を防ぐためにあらゆる世的な手段と援助が用いられました。
パウロとその仲間たちは、海を創造し、波や風が従わなければならない主の手に自分たちが支配されていることを自覚していました。
彼らの苦難は始まったばかりです。
翌日、船を軽くするために積み荷の一部が船から降ろされました。
三日目には船の船具までも投げ捨てられました。
小麦は必要だったので、彼らはまだ取っておきました。
しかし後に、それもなくなってしまいます。
「十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。」
(使徒の働き27章38節)
太陽と星は何日も隠れており、絶望の中で人々は救いの希望をすべて捨てました。
ここで私たちは、継続的な風に代表されるサタンの影響と力、そして太陽と星が隠され、キリストに対する証しとキリストの民の側からの証しがすべて止んだと思われた教会史の時代について考えることができます。
絶望が頂点に達した時、再びパウロは姿を現しました。
すべてが絶望に陥った時、主の囚人であったパウロは希望と励ましの言葉を語りました。
パウロはまず、彼らの拒絶と不服従を思い起こさせます。
彼らに降りかかった災いは、警告に耳を貸さなかった結果です。
そして、神の御使いが再び、パウロに皇帝の前に立たなければならないことを告げました。
そして、神は彼と共に航海する者全てに与えたことを保証します。
沈むのは船だけであり、彼と共に航海するすべての者の命は救われるのです。
「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」
(使徒の働き27章25節)
そして今、彼らは喜んでイエスの教えに耳を傾けました。
彼らは自分の不従順を認め、神の導きを受けた使者から語られた、究極の救いを保証する励ましの言葉を信じなければなりません。
そして、少なくとも部分的には、流浪のキリスト教世界は使徒パウロに耳を傾けることができます。
もし、失敗、間違った道を認めれば、天から送られたメッセージを受け入れ、救いが保証されるのです。
Ⅲ.難破
「十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。
水の深さを測ってみると、四十メートルほどであることがわかった。少し進んでまた測ると、三十メートルほどであった。
どこかで暗礁に乗り上げはしないかと心配して、ともから四つの錨を投げおろし、夜の明けるのを待った。
ところが、水夫たちは船から逃げ出そうとして、へさきから錨を降ろすように見せかけて、小舟を海に降ろしていたので、
パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません。」と言った。
そこで兵士たちは、小舟の綱を断ち切って、そのまま流れ去るのに任せた。
ついに夜の明けかけたころ、パウロは、一同に食事をとることを勧めて、こう言った。
「あなたがたは待ちに待って、きょうまで何も食べずに過ごして、十四日になります。
ですから、私はあなたがたに、食事をとることを勧めます。これであなたがたは助かることになるのです。
あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。」
こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。
そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。
船にいた私たちは全部で二百七十六人であった。
十分食べてから、彼らは麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。
夜が明けると、どこの陸地かわからないが、砂浜のある入江が目に留まったので、できれば、そこに船を乗り入れようということになった。
錨を切って海に捨て、同時にかじ綱を解き、風に前の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。
ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。
へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。
兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと相談した。
しかし百人隊長は、パウロをあくまでも助けようと思って、その計画を押え、泳げる者がまず海に飛び込んで陸に上がるように、
それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。こうして、彼らはみな、無事に陸に上がった。」
(使徒の働き27章27~44節)
使徒とその仲間たちは、自分たちの安全が保証された後、冷静になりました。
恐ろしい風が吹き続け、船はさらに流されました。
彼らは安全だと確信していました。
神がそのように告げたからです。
しかし、船の乗組員は違います。
船員たちは大きな苦難に見舞われ、迫り来る災難を恐れて四つの錨を投げ落としました。
船員たちは巧妙な計略で逃亡を図りました。
パウロは彼らの計画を知り、百人隊長と兵士たちに言いました。
「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたも助かりません。」
神は船に乗っていた者全員をパウロに与えました。
夜明けが来ると、船員たちの働きが必要になりました。
兵士たちはパウロの言葉を信じ、ロープを切りました。
船員たちはロープを切って、船を漂流させようとしました。
そこでパウロは彼らに食べるように勧めました。
パウロはもう一度、誰の頭髪も一本も落ちないことを約束しました。
276人の一行の前で、パウロはパンを取り、神に感謝をささげました。
主はこの囚人を高め、苦悩する一行の指導者として際立った存在となりました。
みんながその言葉と行動に励まされました。
全てに教訓があります。
この食事は主の晩餐とは全く関係がありません。
それは、危険な時代、すべてが崩壊する時代に、命のパンを養うことがいかに大切であるかを型としてに教えています。
詳細な経緯はここでは述べていません。
兵士たちは囚人殺害を提案しました。
彼らは囚人全員の命に責任を負っていました。
もし逃亡者が出れば、その怠慢の罪で殺されるのです。
だからこそ、この利己的な理由で、彼らは囚人全員を殺害することを提案したのです。
百人隊長は彼らがこの邪悪な企みを実行するのを阻止しました。
そして船が砕け散った時、皆は無事に陸に上りました。
神は約束を忠実に守られました。
船が砕け散っても、神は救ってくださいました。
それでも神は約束を忠実に守られ、神の永遠の祝福を受けた御子を信じる者はすべてが救われ、安全であり、誰一人失われることはありません。
キリスト教を信仰する船は砕け散りつつあり、救うことはできません。
ローマへの旅と難破の物語は、再び敵の行為を明らかにしています。
敵は間違いなく、主の言葉と計画を成就するために使徒がローマに到着するのを阻止したいのです。
最後の試みは兵士たちを通して行われました。
しかし、神の目的を阻むことは誰にもできません。
すべてが主の御手に委ねられ、その愛は絶えることがなく、その力は決して衰えることがないことを知るなら、私たちは幸いです。
試練と逆境の風、人間の策略、敵の攻撃は、主自身の計画の成就において必ず助けとなります。
まことに、神を愛する者にとって、すべてのことは必ず益となります。
次の章では、旅の終わりとローマについて述べています。
28章
ローマへの旅の最終段階、使徒のローマ到着、そして彼がどのようにしてユダヤ人たちを集会に招集し、重要なメッセージを伝えたかの簡潔な記述が、この本の結末を構成しています。
Ⅰ.メリタ島にて(使徒の働き28章1節~10節)
Ⅱ.ローマへの到着(使徒の働き28章11~16節)
Ⅲ.ユダヤ人の指導者たちを招集そしメッセージを伝えるパウロ(使徒の働き28章17~29節)
Ⅳ.ローマにおける使徒の活動(使徒の働き28章30、31節)。
Ⅰ.メリタ島にて
「こうして救われてから、私たちは、ここがマルタと呼ばれる島であることを知った。
島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。
パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出して来て、彼の手に取りついた。
島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合った。
しかし、パウロは、その生き物を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。
島の人々は、彼が今にも、はれ上がって来るか、または、倒れて急死するだろうと待っていた。
しかし、いくら待っても、彼に少しも変わった様子が見えないので、彼らは考えを変えて、「この人は神さまだ。」と言いだした。
さて、その場所の近くに、島の首長でポプリオという人の領地があった。彼はそこに私たちを招待して、三日間手厚くもてなしてくれた。
たまたまポプリオの父が、熱病と下痢とで床に着いていた。そこでパウロは、その人のもとに行き、祈ってから、彼の上に手を置いて直してやった。
このことがあってから、島のほかの病人たちも来て、直してもらった。
それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。」
(使徒の働き28章1~10節)
「蜂蜜」を意味するメリタは、マルタ島のことです。
当時から航海に欠かせない場所であり、多くの船が越冬していました。
ルカは住民を「島の人々(Barbarians)」と呼んでいます。
これはギリシヤ人が自分たちの言語を話さないすべての人々を指す言葉です。
難破した一行は島の人々に略奪されることはなく、むしろ多くの親切を受け、降り注ぐ冷たい雨の中で快適に過ごすことができました。
これらすべてを寓話的に解釈する人は、このことに深い意味を見出しています。*
* 難破はしばしば、コンスタンティヌス大帝の治世下におけるキリスト教の世界による破壊を寓話的に表現するものとされています。
メリタ(蜂蜜)の名は、当時信仰を告白していた教会が「乳と蜂蜜の流れる地」に到達したと思われていたことの証しと解釈されています。
しかし、あまりにも多くの寓話的な意味があり、その多くは無理やりな解釈であるため、私たちはそのような解釈を全く考慮していません。
この記述の主たる意味は、パウロがどのようにローマに到達したのかという歴史を私たちに伝えることにあります。
難破した一行を神のしもべたちのために温かくもてなすよう、島民の心を動かしたのは神でした。
当時もパウロは活動的な人物でした。
難破と窮乏は、神の偉大な人の肉体にまで影響を及ぼしました。
それでも、パウロは焚き火用の薪を束ねて歩き回っています。
囚人として両手に鎖をはめていたことから、この働きは大変なものでした。
寒さで冬眠していた毒蛇が火の熱で甦り、パウロの手に巻き付きました。
毒蛇はパウロに何の害も与えず、パウロは毒蛇を火の中に投げ込みました。
毒蛇はそこで悲惨な最期を遂げました。
それは本物の毒蛇であったことは疑いようがありません。
マルタ島には毒蛇はいないという理由で、一部の批評家はこれを否定します。
しかし、それは当時毒蛇が存在しなかったという証拠にはなりません。
島の住民はパウロが死ぬことを予想しました。
無害な蛇だったなら、そのような予想はしません。
神の力はパウロのために現れました。
それはマルコによる福音書16章18節の約束の成就です。
「蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」」
(マルコによる福音書16章18節)
サタンはパウロがローマに着くのをどれほど妨害したのでしょうか?
サタンはどれほど神の御心と計画に抵抗しようとしたのでしょうか?
ユダヤ人の残忍な行為、海の嵐、兵士たちの囚人殺害の企て、そして今、毒蛇によってサタンは主の計画を挫折させようとしました。
しかし、神はそのしもべを守り、彼に何の害も及ぼされません。
その守りによって、すべての神の民が安らぎを得ます。
私たちは全能の主のもとに安全に守られています。
パウロの手に巻き付いた毒蛇は、あの古い蛇、サタンを思い起こさせます。
サタンは征服された敵です。
サタンは私たちを攻撃し、どこにでもしがみつこうとします。
私たちは悪魔に抵抗するように語られており、悪魔は私たちから逃げなければなりません。
信仰と意識をもってキリストと一つになるなら、サタンの攻撃はすべて無害となります。
そして、最後にはサタンは私たちの足元で砕かれ、蛇は火の池に投げ込まれるのです。
それから、島の住民に対する主の恵みの力が示されました。
島の長老であったポプリオも、使徒とその仲間たちに多くの親切を示しました。
ポプリオの父親は重病にかかっていました。
しかし、パウロは彼を見舞い、祈りと按手によって癒されました。
このことが知られるようになると、他の病人たちもやって来て癒されました。
主は、御自分の民に親切を示したしもべを尊び、善行を施されます。
使徒は病気の癒しとともに、祝福された福音を宣べ伝えたと思われます。
Ⅱ.ローマへの到着
「三か月後に、私たちは、この島で冬を過ごしていた、船首にデオスクロイの飾りのある、アレキサンドリヤの船で出帆した。
シラクサに寄港して、三日間とどまり、
そこから回って、レギオンに着いた。一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。
ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した。
私たちのことを聞いた兄弟たちは、ローマからアピオ・ポロとトレス・タベルネまで出迎えに来てくれた。
パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
私たちがローマにはいると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。」
(使徒の働き28章11~16節)
三ヶ月が過ぎました。
航海が停止していた冬の間です。
メリタの安全な港で冬を越していたアレクサンドリアの船が、一行を目的地であるローマの港、ポテオリへと運びました。
それは春の初めのことです。
シチリア島のシラクサに上陸し、三日間滞在した後、一行はメッシーナ海峡のレギオンに到着し、翌日にはローマ市から約140マイル離れたナポリ湾のポテオリに到着しました。
大きなユダヤ人入植地があったポテオリで、彼らは兄弟たちと出会い、一週間一緒に過ごすように願われました。
疲れ果てた主のしもべたちにとって、ここは祝福に満ちたオアシスだったのです。
彼らが共に楽しんだ祝福された交わりについて、聖霊がもっと詳しく私たちに伝えてくれたらと願わずにはいられません。
このようにして彼らはローマに到着しました。
ローマの兄弟たちは、何らかの形で彼らの到着を知っていました。
彼らはアピオ・ポロとトレス・タベルネまで彼らを迎えに来ました。
おそらく二つの別々の兄弟の集まりが彼らを迎えたと思われます。
第一の集まりはローマから約40マイル離れたアピオ・ポロで、二つ目の集まりはさらに10マイルほど離れたトレス・タベルネで彼らを迎えました。
使徒の到着の知らせは、ポテオリからローマに伝えられていました。
おそらく二つの集まりは、ローマの教会を構成するユダヤ人信者と異邦人クリスチャンを代表していたと思われます。
彼らは、顔を見たこともない使徒に会うことを待ち望んでいました。
神の愛する者、ローマの聖徒たちに宛てられた、聖なる使徒の手紙は、長年彼らの手元にあり、彼らの魂に計り知れない祝福をもたらしていました。
彼らは、手紙の冒頭にある彼の言葉をくり返し読んでいたはずです。
「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。」
(ローマ人への手紙1章11~13節)
パウロはローマに行ったことがありません。
ローマの集まりはパウロによって設立されたのではなく、ましてやペテロによって設立されたわけでもありません。
ローマの教会の起源は不明瞭で、聖霊はローマ教会の始まりの歴史を私たちに与えていません。
そして今、皆が愛し、その顔を見たいと切望していたパウロが、まさにローマへ向かっていたのです。
しかし、パウロは手紙を書いた時に予想していたのとは全く異なる形でやって来ました。
主の囚人としてやって来たのです。
それは素晴らしい出会いだったはずです
記録によれば、パウロはローマへ同行する途中で出会って大きな愛を示してくれた愛する兄弟たちを見て、神に感謝し、勇気を得たと記されています。
パウロが心の中で打ちのめされ、意気消沈していたことは明らかです。
どれほど多くの疑問がパウロの心に浮かんだと思われます。
ローマの集まりに関する不安も、パウロを苦しめました。
パウロはあらゆる面で困難に直面していました。
しかし、兄弟たちと彼らの愛の証しを見ると、暗雲は消え去り、パウロは神に感謝し、勇気づけられました。
再び、パウロは主に身を委ねました。
パウロの経験を通して現わされた、主の忠実さと力はあまりにも大きかったからです。
あらゆる憂鬱、不安、困難、そして障害に立ち向かうには、神に感謝し、勇気を持つこと、つまり主への信頼を持つこと以上に良い方法はありません。
トレス・タベルネを出発した後、アッピア街道はカンパーニャ地方を30マイルほど横断し、偉大な街、権力の都、世界の女王、七つの丘の都、奥義であるバビロンへと彼らを導きました。
パウロ、ルカ、アリスタルコがローマに入ったとき、彼らの心は感動で満たされたはずです。
創世記12章5節にはこのように記されています。
「カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。」
(創世記12章5節)
。
彼らはローマへ行こうとして出発し、ローマに到着しました。
主は彼らを無事に目的地へ導いてくださいました。
その後、ユリアスは囚人を正式な上司に引き渡しました。
しかし、パウロはローマ人の手ではなく、主の手の中にありました。
主がパウロを守っておられました。
パウロは兵士を伴って自分の家に住むことを許されました。
Ⅲ.ユダヤ人の指導者たちを招集そしメッセージを伝えるパウロ
「三日の後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集め、彼らが集まったときに、こう言った。「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。
ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。
ところが、ユダヤ人が反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。
このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」
すると、彼らはこう言った。「私たちは、あなたのことについて、ユダヤから何の知らせも受けておりません。また、当地に来た兄弟たちの中で、あなたについて悪いことを告げたり、話したりした者はおりません。
私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」
そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。
ある人々は彼の語る事を信じたが、ある人々は信じようとしなかった。
こうして、彼らは、お互いの意見が一致せずに帰りかけたので、パウロは一言、次のように言った。「聖霊が預言者イザヤを通してあなたがたの先祖に語られたことは、まさにそのとおりでした。
『この民のところに行って、告げよ。あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、その目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って、立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」」
(使徒の働き28章17~29節)
この本の最初は「まずユダヤ人に」に対して述べられており、この最後ではユダヤ人を集めています。
偉大な使徒がローマで最初に行った奉仕は、教会ではなく、まずユダヤ人の指導者たちを召集しています。
彼はユダヤ人に対して、心に恨みを抱いていません。
ローマ人への手紙の中で、パウロはこのように書いています。
「私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。」
(ローマ人への手紙9章1、2節)
「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。」
(ローマ人への手紙10章1節)
今、パウロが経験したすべての悲しい経験、身内から受けた仕打ち、彼らの悪意と深い憎しみを知った後でも、パウロの心には同じ愛が燃え上がり、彼らの救いに対して同じ切望がパウロを支配しています。
ローマにおいて彼はまず第一に、ユダヤ人の同胞に対する慈愛を示しました。
パウロはこれらのユダヤ人指導者たちに、自分はいかなる不正も犯していないと改めて証言しました。
パウロは簡潔に、自分の主張の全容と、なぜ皇帝に上訴せざるを得なかったのかを説明しました。
この件について彼らに話すために、パウロは彼らを呼んだのです。
それからおそらくパウロは、囚人の鎖がぶら下がっている手を上げ「私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです」と言ったはずです。
しかし、ユダヤ人たちはパウロの口からもっと多く聞きたがっていました。
「私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」
彼らはパウロがキリストを信じていることを知っていました。
しばらくして素晴らしい会合が開かれました。
多くのユダヤ人がパウロの宿に集まりました。
集会は朝から晩まで続きました。
再び、パウロは大勢のユダヤ人に神の国について証ししました。
また、モーセの律法と預言者の教えに基づいて、イエスについて彼らを説得しました。
パウロが神の御霊の力によってメシアに関する預言的な証言を展開し、パウロの口から素晴らしいメッセージが出てきたはずです。
では、結果はどうだったでしょうか?
信じる者もいれば、信じない者もいました。
ユダヤ人たちの意見は一致していません。
ユダヤ人に対する神の恵みの道は終わりを迎えました。
もう一度繰り返しますが、それはまずユダヤ人に向けられたものでした。
最終的な危機が到来しました。
今こそ、この国に裁きが下されなければなりません。
そして、長きにわたり続いてきた盲目状態が、異邦人の数が満ちるまで続きます。
「こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。」
(ローマ人への手紙11章26節)
若きサウロはステパノの死を目撃し、その死を承認しました。
ステパノはエルサレムでイスラエルへの裁きを宣告しました。
「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」
(使徒の働き8章1節)
それでも、神の哀れみが待っていました。
驚くべき恵みが若きパリサイ人サウロを取り上げ、異邦人への使徒とされました。
エルサレムに差し出された哀れみを完全に拒んだ後でさえ、主は選ばれた器であるサウロを通して、愛するイスラエルを探し求め続けました。
使徒パウロが聖霊から幾度となく警告を受けながらも、兄弟たちへの深い愛ゆえにエルサレムに戻ったことを、私たちは見てきました。
そして今、パウロはユダヤ人への最後のメッセージを伝え、最後の罪の赦しの言葉を語るために用いられています。
700年以上も前にイザヤに与えられた裁きのメッセージを、神の御霊が使徒を通してどのように引用しているかを見るのは興味深いことです。
神は忍耐強いお方なのです。
イスラエルに対して、限りない忍耐と哀れみを示しています。
イザヤは神の裁きを告げ、神はそれが成就するまで700年も待たれました。
イザヤ書6章のこの言葉は、新約聖書の中で以前に2度述べられています。
マタイによる福音書13章14、15節では、人々が主を拒絶し、パリサイ人が主を悪霊の頭ベルゼブルによって悪霊を追い出していると非難した後に、主がこの言葉を語られました。
彼らは父なる神が遣わされた主を拒んだのです。
主はまた、別の場面でもこの言葉を用いられています。
ヨハネの福音書12章37~41節では、それらは御子自身とその証言が完全に拒まれた後に適用されます。
「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見、心で理解し、改心し、そしてわたしが彼らをいやす、ということがないためである。」」
(ヨハネの福音書12章40節)
この聖句で、これらの言葉はこの最後に使われています。
拒絶はこれで完了し、その結果、国家は盲目の脅威にさらされています。
しかし、神の御霊がローマ人への手紙の中でこれらのすべてのこと告げておられることを忘れてはなりません。
11章はユダヤ人問題を解き明かし、これらすべてにもかかわらず、イスラエルの盲目は永続的なものではないことを保証しています。
神は、御自身があらかじめ知っておられたこの民を捨て去られたのではありません。
神は、残された民を御自身のもとに導き、彼らの罪を赦してくださいます。
神の賜物と召命には悔い改めは不要です。
パウロは、神の救いが異邦人にも送られ、異邦人もそれを聞くと宣言しました。
これは、異邦人の間で神の救いが世界規模で宣べ伝えられます。
それは、より大きな始まりを示すものです。
そして、ここで私たちが目にする「神の救い」という福音のおどろくべき祝福された描写です。
この状況は今も続いています。
神は異邦人の中から御名のために民を選び出されます。
福音が遠く離れた地域に宣べ伝えられ、韓国、中国、インド、そしてその他の国々でキリストのからだである教会に加えられる人々を、神が祝福されています。
しかし、やがて、異邦人への神の救いの提供も同じ様に終わります。
ローマ人への手紙11章18~22節には、聖書の中でも忘れ去られた偉大なメッセージの一つである厳粛なメッセージが記されています。
誇り高ぶる異邦人キリスト教世界はいつの日か切り落とされ、切り取られた枝は再び良いオリーブの木に接ぎ木されるのです。
キリスト教世界の背教、キリストの御人格に対する邪悪な拒絶、神の福音の絶え間ない、そしてますます増大する歪曲は、ディスペンセーションの変わり目が差し迫っていることの確かな兆候です。
Ⅳ.ローマにおける使徒の活動。
「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、
大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」
(使徒の働き28章30~31節)
ローマで囚人でありながら、活動的な彼は、ユダヤ教の地上的な側面である天国ではなく、神の御国を宣べ伝え、その尊い御名、祝福され、敬虔な御方である主イエス・キリストについて常に語り続けました。
この書の結末は悲しくもあり、喜びに満ちています。
偉大な使徒が、神から与えられた福音と共にローマに囚われているのを見るのは悲しいことです。
最後の節で主イエス・キリストと、妨げられることなく福音が宣教されることが述べられており、喜びに満ちています。
この書はエルサレムから始まり、ローマで終わっています。
これは信仰を告白する教会の行く末を預言しています。
この書は未完のまま終わります。
なぜなら、この書に記録されているキリスト、神の御霊、そしてサタンの行為はまだ終わっていないからです。
パウロについては、その後何も語られていません。
しかし、獄中から神の聖霊がパウロを通して祝福された手紙を送り、その中で神は私たちに最高の啓示を与えてくださったことを私たちは知っています。
これらすべてについて、多くのことが記されているのです。
2025/11/16
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