メッセージBF 2025/1/23

ダニエル書講義
ジョン・F・ウォルフォード
John F Walvoord


序文

聖書の偉大な預言書の中でも、ダニエル書ほど歴史の広範な動きを、総合的、かつ年代順に、そして、預言的見解を提供しているものは他にありません。
聖書に啓示されている、諸国民、イスラエル、そして教会の進路を説明している三つの預言的な計画のうち、ダニエル書だけが諸国民とイスラエルの両方に対する神の計画の詳細を明らかにしています。
エレミヤをはじめとする他の預言者たちも諸国民とイスラエルに多くのことを語りました。
しかし、ダニエル書は聖書の他のどの部分よりも、これらの重要な預言テーマを一つにまとめ、お互いに関連づけています。
このため、ダニエル書は預言の構造に不可欠であり、旧約聖書全体の預言的啓示の鍵となっています。
旧約聖書の偉大な書の一つであるダニエル書の研究は、この書の啓示を解明する観点から重要であるだけではありません。
さまざまな完全な終末論体系を構築するための不可欠な予備研究でもあります。

20世紀には、ダニエル書に関する重要な注解書は比較的少数しか出版されていません。
確かに、20世紀の学者たちは、ヒエロニムス氏や、ジャン・カルヴァンに始まり、モーゼス・スチュアート氏、E・B・ピュージー氏、オットー・ゾックラー氏といった後代の著作を含む、過去の偉大な注解書の遺産を受け継いでいます。
これらに加えて、SP・トレゲレス氏、ナサニエル・ウェスト氏、ジョセフ・A・セイス、ウィリアム・ケリー氏による注解書も挙げられます。
古くからある巨匠の一つは、C・F・カイル氏による注解書で、現在でも標準的な書となっています。
ダニエル書は紀元前2世紀の贋作とする批判的研究は、後世のダニエル書の扱いに大きな影響を与えました。
ロバート・H・チャールズ氏、F・R・ドライバー氏、F・W・ファーラー氏による著作、そしてジェームズ・A・モンゴメリ氏の国際批評注解集に収録された記念碑的な著作が、この分野を席巻してきました。
その後のリベラルな批評家、例えばアーサー・ジェフリー氏の「インタープリターズ・バイブル」やノーマン・W・ポーテウス氏の近著などは、リベラルな学問を現代風に引き上げました。

ダニエル書の解説は、敬虔で保守的な学者たちの手によって豊かにされ、H・A・アイアンサイド氏、アルノ・C・ガエベライン氏、ルイス・タルボット氏らによる解説書などの人気著作が発表され、また、多くの類似の著作がダニエル書の説教解説書として用いられてきました。
ロバート・カルバー氏は、預言的解釈に関するダニエル書の神学的解説書を寄稿しています。
H・H・ロウリー氏やロバート・ディック・ウィルソン氏らによる専門的研究は、20世紀におけるダニエル書の信憑性に関する学問的議論を先導してきました。
H・C・リューポルド氏とエドワード・ヤング氏の重要な著作は、ダニエル書の標準的な解説書ですが、無千年王国主義説だけを提示し、出版から20年が経っています。
しかしながら、これらの著作の中には、千年王国前再臨主義を支持する保守的な観点からの徹底した解説書は未だ発表されていません。

全体として、リューポルド氏とヤング氏の研究以来、保守派の視点からダニエル書に関する完全な解説は書かれていません。
近年の学術的議論と相当数の追加の考古学的証拠を鑑み、20世紀前半に発表された保守派とリベラル派の双方の学術研究の成果として、今こそ徹底的に検討・再評価されなければなりません。
ダニエル書に関するクムラン写本は未だ出版を待っていますが、ダニエル書を真正な書物とする保守派の解釈は弱まるどころか、むしろ支持する兆候があります。
近年の発見によって明らかになった、紀元前605年のエルサレム占領、ベルシャザルの治世、そしてバビロン陥落に関する詳細の解明は、ダニエル書のあらゆる解釈に新たな光を投げかけています。
D・J・ワイズマン氏の研究と、ジョン・C・ウィットコム氏によるメディア人ダリヨスに関する最近の研究は重要な貢献をしています。
メリル・アンガー氏、レイモンド・ハリソン氏、グリーソン・アーチャー氏による序論分野の研究もまた、非常に貴重です。
したがって、千年王国前再臨主義の解釈を提示しつつも、あらゆる代替的見解を考慮に入れた、保守的な観点から書かれた逐語的な解説書が長らく待たれていました。
本研究が、聖書の中で最も重要な預言書の一つであるダニエル書の理解に、建設的な貢献を果たすことを期待させています。
本書は、現存する文献、近年の聖書研究、そして拡大を続ける考古学的発見に照らし、本文の詳細な解説に必要なすべての必須情報を提供する解説書を提供することを目指したものです。

ダニエル書の解釈においては、通常の預言の意味で解釈しつつ、同時にその啓示の終末論的な特徴を認識する原則が継承されています。
ダニエル書を偽造とする批判的学説にも十分な注意が払われています。
ダニエル書の真実性を否定する主張は、ダニエル書の預言の真実性を裏付ける内部証拠と考古学的発見によって反論しています。

英語訳のくりかえしを避けるため、各節の冒頭ではKJV英訳聖書を引用しています。
正確な意味を表現するためにKJV英訳聖書の改訂が必要な場合は、その差異について注意を促しています。
ブラウン氏、ドライバー氏、ブリッグス氏共著の「旧約聖書ヘブル語・英語辞典」を標準辞書として使用していますが、他の辞典も引用しています。
主要な出典としては、現代の批判的見解を代表するモンゴメリ氏の注釈書、古い保守的な見解を解説するカイル氏の注釈書、そして保守的な無千年王国論を支持するエドワード・ヤング氏とリューポルド氏の注釈書などがあります。
ダニエル書を学ぶすべての研究者は、これらの記念碑的な著作に負うところが大きいことを認めなければなりません。
著作権のある資料の出版社の皆様には、代表的な部分の引用を快く許可していただき、感謝申し上げます。

ダラス神学校のセム語・旧約聖書解釈教授であるブルース・K・ウォルケ博士には、計り知れないほどのご協力をいただきました。
ウォルケ博士による写本の綿密な検討と改善のためのご指摘は、本研究全体を計り知れないほど向上させるものでした。
ヘブル語とアラム語のテキストに対するウォルケ博士の深い造詣、そして幅広い読書と現代文学に関する学識は、本研究を豊かなものにしてくれました。

この注解書を執筆するにあたり、著者は、先に著したヨハネの黙示録注解書の姉妹編を執筆する目標を掲げました。
ダニエル書に関するこの新たな注解書では、神の御言葉を注意深く研究する者に対し、この重要な書の啓示を正確に理解し、組織神学、特に終末論全体に関連付けるために必要なツールと情報を提供することを目指しました。
ダニエル書が示す歴史の見通しと非常によく合致する現代の世界情勢を踏まえると、この種の研究は現代の問題に極めて関連性があり、他の聖書箇所に裏付けられることで、終末がそう遠くない希望を与えてくれます。
読者が本書を通して、神の預言的計画への理解を深め、現代の出来事への洞察を深め、未来への明るい希望を持つことができれば、著者の意図は達成されたと言えるはずです。

導入

日付と著者
ダニエル書は、その証言によれば、紀元前605年、ネブカドネザルによるエルサレムの最初の征服後、バビロンへ連行されたユダヤ人捕虜ダニエルの生涯と預言的啓示の記録です。
この出来事の記録はクロス帝の治世3年(紀元前536年)までさかのぼり、約70年間を網羅しています。
ダニエル自身は紀元前530年頃まで生きていた可能性があり、ダニエル書は彼の生涯の最後の10年間に完成したと考えられます。

ダニエルは7章まで自分のことを一人称で語っていませんが、この書がダニエルを著者とすることは疑いようがありません。
このことは書の後半で使用され、特に12章4節で述べられています。
ダニエルという名の一人称の使用は、書の後半でくりかえし見られます。
(7章2節、15節、28節、8章1節、15節、27節、9章2節、22節、10章2節、7節、11節、12節、12章5節)
リベラル派、保守派を問わず、多くの解説者がこの書を一つのまとまりとして捉えており、ダニエルがこの書を書いた主張は否定する人々によっても認められています。[1]

異教徒ポルフィリウス(紀元3世紀)による攻撃を除けば、伝承上紀元前6世紀という年代、預言者ダニエルの著者、その真実性については、この書が書かれてから2000年以上も後の17世紀に高等批評が盛んになるまで、どのような疑問も提起されていません。
ダニエル自身の史実性を裏付ける重要な証拠は、エゼキエル書の3つの箇所にあります。
(エゼキエル書14章14節、20節、28章3節)
これは、ダニエルがバビロンの王宮で重要な地位に就いた後に書かれたものです。[2]
保守的な学者にとっても説得力のあるのは、オリーブ山の説教(マタイの福音書24章15節、マルコの福音書13章14節)におけるキリストの「預言者ダニエル」のことを述べています。

高等批評家は通常、旧約聖書と新約聖書における書物の伝統的な著者と年代に疑問を提示し、ダニエル書自体の証言を否定し、エゼキエルによるダニエルへの言及に異議を唱え、新約聖書におけるキリストの支持を軽視しています。
しかし、保守的な学者たちは、ダニエル書がネブカドネザルに捕らえられたダニエルが紀元前6世紀に書いた真正な書物であることをほぼ普遍的に認めています。
高等批評家の主張は、後の「保守的な見解の根拠となるダニエル書の真実性に関する議論」にて考察します。

聖書における立場

ダニエル書は、主要な預言者の中で最後に書かれ、英訳聖書においても主要な預言者の中でこの順序で登場しています。
ヘブル語の旧約聖書(律法、預言者、諸書の3部から成り、ヘブル語では「ケトゥビム(Kethubim)」、ギリシア語では「ハギオグラファ(Hagiographa)」とも呼ばれます)では、ダニエル書は3番目の部分である諸書に含まれています。
しかし、七十人訳聖書、ウルガタ訳聖書、ルター訳では、ダニエル書は主要な預言者書に含まれています。
ヨセフスもまた、ダニエル書を「ハギオグラファ(Hagiographa)」ではなく、ユダヤ教正典の二番目にある預言者に含めています。
このように、ダニエル書の預言的な特徴は広く認識されています。

ダニエルの使命は預言的なものではあったものの、他の主要な預言者とは特徴が異なっています。
そして、ユダヤ人がダニエルを旧約聖書に含めたのはこのためだと考えられます。
ロバート・ディック・ウィルソン氏が指摘するように、その理由はユダヤ人がダニエルを劣ったものと見なしていたからでも、正典の預言が既に出来上がっていたからでもありません。
ウィルソン氏は次のように述べています。
「ダニエルは「預言者、ナビナー(na„bhi„á)」ではなく、「先見者、ホゼ(ho„zeh)」であり「賢者、ハカム(ha„kha„)」であるために、この書がヘブル正典に置かれた可能性が高くあります。
ユダヤ正典の二部は「預言者、ナビナー」の著作以外は入れられず、三部は、「先見者、ホゼ」、「賢者、ハカム」、司祭による異質な著作、あるいは預言者の名前や働きが述べられていない著作、あるいは詩的な形式の著作のために確保されています。」[3]

J・B・ペイン氏はこのように述べています。
「キリストはダニエルの役割を預言者として語りました。」
「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの「荒らす憎むべき者」が、聖なる所に立つのを見たならば、」
(マタイの福音書24章15節)


しかし、ダニエルの立場は奉仕する預言者というよりは、政府の役人であり、霊感を受けた著者でした。
「兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。」
(使徒の働き2章29、30節)」
[4]

いずれにせよ、ユダヤ人は三部を霊感の少ないものとは考えず、単に異質なものとしてみなしていました。
これは、ヨブ記、詩篇、箴言、歴代誌第一・第二の歴史書、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記といった由緒ある書物に加え、律法書や預言者書とはみなされていない他の書物も三部に含めていた事実に明確に示してています。
ユダヤ人がダニエル書を敬虔な偽造書とみなしていたことを示す証拠は、古代文献のどこにも見当たりません。

目的

イスラエル捕囚の暗黒時代、エルサレムとその神殿の悲劇的な破壊という状況下で、神の偉大な摂理の力を証明するための新たな証言が必要とされました。
ダニエル書はまさにその証しを与えています。
ダニエル書の目的は、ダニエルの生涯を詳細に記述することではないことは明らかです。
彼の家系、年齢、死といった重要な詳細は記されておらず、ダニエルの長い生涯における散発的な出来事が語られているに過ぎません。
イスラエルの歴史や、バビロンに捕囚されたユダヤ人の運命については何も語られていません。
ダニエル書は、エステル記と同じ様に、神が民イスラエルが裁きを受けている間も、彼らの中で働き続けていたことを明らかにしています。
この枠組みの中で、異邦人の時代とイスラエルに対する神の計画に関する驚くべき啓示が展開されました。
これらの預言がダニエルの生前、捕囚民自身にとって励みとなるほど十分に知られていたのかは疑わしいものがありますが、ダニエル書は神殿と都の復興のために帰還したユダヤ人たちに希望を与えたことは疑いようがありません。
特にマカベア朝の迫害においては助けとなっています。
神の目的は、ダニエルに再臨に至る神の計画の全体的な啓示を与えることであったのは明らかです。
したがって、この預言的啓示は、オリーブ山の説教(マタイの福音書24、25章)とヨハネの黙示録を理解する鍵であり、新約聖書におけるヨハネの黙示録は、旧約聖書におけるダニエルの役割を果たしていると言えます。

終末的な特徴

ダニエル書は一連の超自然的な幻がその性質上、ギリシア語の「アポカリプシス(apokalypsis)」によって暗示され、そして、成就することが現わされています。
まさに、黙示的な書物として分類されるべきです。
「アポカリプシス」とは、隠されていたであろう真実を明らかにすることを意味しています。
聖書以外にも黙示的な作品は数多く存在しますが、聖書の中には比較的少ないものです。
新約聖書では黙示録だけが黙示的な書物として分類できます。
旧約聖書ではダニエル書に加えて、エゼキエル書とゼカリヤ書も黙示的な書物として分類できます。

ラルフ・アレクサンダー氏は、この文学ジャンルの研究において、黙示録文学の正確かつ全体的な定義を提供しました。
彼は黙示文学を次のように定義しています。
「黙示文学とは、弾圧的な状況下で創作された象徴的な幻想的預言文学です。
その出来事は作者が見た通りに記録され、神の解釈を通して説明され、その神学的内容は主に終末論的です。」[5]

アレクサンダー氏はさらに黙示文学の範囲を定義しています。
「この定義に基づいて、黙示文学の全体像が定められました。
聖書および聖書外の黙示文学の箇所には、新約聖書のヨハネの黙示録、エゼキエル書37章1~14節、40~48節、ダニエル書2章、7章、8章、10~12章の幻、ゼカリヤ書1章7節~6章8節、エノク書第一90章、エズラ記第二、バルク書第二、そして「新しいエルサレムの記述」が含まれることが示されています。」[6]

聖書以外の黙示文章は偽典に含まれ、その多くは紀元前250年頃に出現し、使徒時代以降も制作され続けました。
偽典の多くは聖書のヨハネの黙示録のスタイルを模倣しようと試みています。
通常、当時の状況を嘆きながらも、聖徒への祝福と悪人への裁きという輝かしい未来を預言するというテーマが展開されました。
聖書以外のヨハネの黙示録では、通常、本当の著者名は明かされていません。
旧約聖書に正しくに含まれる黙示文章は、啓示、著者の特定、そして聖書の真理全体への貢献されています。
また、控えめな性質を持つ点において、偽典とは対照的です。

偽典に分類される黙示的作品には、イザヤの昇天、モーセの被昇天、エノク書、ヨベル書、ギリシア語版バルクの黙示録、アリステアスの手紙、マカバイ記3巻と第4巻、ソロモンの詩篇、エノクの秘密、シビュラの神託、シリア語版バルクの黙示録、十二族長の遺言、アダム、エリヤ、ゼパニヤの黙示録、アブラム、イサク、ヤコブの遺言などがあります。

高等批評は、象徴的な形態をとった超自然的啓示に何度も反対してきました。
聖書中の黙示文章を軽視し、時に支離滅裂で極端な象徴主義を帯びる偽典[7]と同一視する傾向があります。
しかし、何の正当性もありません。
一般の読者でさえ、聖書に基づく黙示文章と非聖書的な黙示文章の質の違いを見分けることができます。
しばしば、聖書中の黙示文章には神の解釈が伴い、それによって意図された啓示を理解する鍵となります。
文章が黙示的である事実は、必ずしもその啓示が不明瞭または不確かであることを意味していません。
保守的な学問は、神とのコミュニケーションの真実な手段としての黙示的啓示の正当性を認めてきました。
文脈上の解釈的啓示に細心の注意を払えば、黙示録は辛抱強い解釈者に確かな結果をもたらすことができます。

言語

ダニエル書の特異な点は、中央部分(2章4節から7章28節)が、カルデア語(「シリア語」)とも呼ばれるアラム語で書かれていることです。
同様のアラム語の使用は、エズラ記4章8節から6章18節、7章12節から26節、エレミヤ記10章11節、そして創世記31章47節の複合語「エガル・サハドゥタ」の2語にも見られます。
当時の共通語であったアラム語の使用は、この書の内容がイスラエルではなく異邦人世界に直接関係していたことと関係しています。
聖書の他の箇所にも同様の箇所があることから、ダニエル書のアラム語部分には異常な点や疑問の余地がないことが明らかです。
ブラウン・リー氏が指摘したように、ダニエル書におけるヘブル語からアラム語への変換とその逆の変換は、クムラン氏のダニエル書に見られ、英語の翻訳で一般的に使用されているマソラ本文の特徴の正当性を裏付けています。

S・R・ドライバー氏[10]によって広められた、ダニエル書のアラム語は西洋のものです。
バビロンでは使われていなかった主張は、後の考古学的証拠によって明らかに誤りであることが証明されています。
マーティン氏はドライバー氏の主張に関して次のように述べています。
「ドライバー氏が執筆した当時、入手可能な唯一の資料は時代遅れで、関連性がありません。
その後、R・D・ウィルソン氏は、当時発見されていた初期の資料を用いて、キリスト教以前の時代には東アラム語と西アラム語の区別は存在しなかったことを証明しました。
これはその後、H・H・シェーダー氏によって十分に裏付けられています。」[11]

グリーソン・L・アーチャー氏はアラム語の問題について次のように述べています。
「ユダヤ人はエズラ記のアラム語部分に異議を唱えていません。
大半は、紀元前520年から460年頃にかけてパレスチナの地方自治体とペルシャ帝国の宮廷との間でアラム語で交わされた書簡の写本です。
エズラ記が紀元前5世紀半ばの真正文書として認められるならば、その多くの章が主にアラム語で書かれているにもかかわらず、ダニエル書の6つのアラム語の章が、それよりも紀元前2世紀後の年代とされなければならないのかは理解しがたいものがあります。
ダニエルが住んでいたとされる紀元前6世紀後半のバビロンにおいて、この大都市の多様な住民が話していた主要な言語はアラム語であったことを注意深く観察すべきです。
したがって、その街の住民が回想録の一部をアラム語で書いたとしても不思議ではありません。」[12]

主要な分裂と統一

ダニエル書を伝統的に二部(1~6章と7~12章)に分けるのは、通常、最初の6章が歴史的であり、最後の6章が黙示的、あるいは預言的である理由で正当化されてきました。
この区分は、1章を導入章と見なすことも多く、多くの点で賛同できます。

7章の解説で示されているように、アラム語の部分が重要であることを認識した別のアプローチでは、この書を3つの主要な部分に分けます。
(1)序論(ダニエル書1章)
(2)アラム語で示された異邦人の時代(ダニエル書2章~7章)
(3)ヘブル語で示されたイスラエルと異邦人との関係(ダニエル書8章~12章)
この見解は、カール・A・オーバーレン氏にならい、ロバート・カルバー氏によって提唱されています。[13]
この見解は保守的な学者の大多数には受け入れられていません。
しかし、神の異邦人に対する計画とイスラエルに対する計画を区別し、7章の終わりで区切りをつける利点があります。
ロバート・ディック・ウィルソン氏は、この両方の区分原則を認めています。[14]

分割の原則については議論の余地があります。

しかし、最も重要なのは、リベラル派、保守派を問わず、大多数の解釈者がこの書の統一性に同意しています。
17世紀のスピノザ氏をはじめとする一部の解釈者は、他の見解を持っています。
例えばモンゴメリ氏は、批評家の間でも少数派の見解を示しています。
1章から6章は紀元前3世紀に未知の筆者によって書かれ、7章から12章はマカバイ時代、紀元前168年から165年に書かれたものでとしています。
この書の統一性を否定するすべての人は、紀元前6世紀の著作としての真実性も否定していることは重要です。
ダニエル書の2つの部分は特徴が異なっていますが、ダニエル書の統一性を支持する明らかな歴史的連続性があります。[15]
1章で紹介されている同じダニエルが、12章に3回登場しています。
この証拠は、ダニエル書の統一性を支持しており圧倒的です。

外典の追加

ダニエル書のギリシア語版には、現在私たちが所蔵するヘブル語やアラム語のテキストにはないいくつかの追加事項が記されています。
その中には「アザリアの祈り」、「三人の聖なる子供たちの歌」、「スザンナ」、「ベルと竜」などが含まれています。

「アザリアの祈り」と「三人の聖なる子らの歌」には、ダニエル書3章で燃え盛る炉の中でダニエルの3人の仲間が捧げた祈りと賛美が、詩篇148篇の言葉と共に記されています。
「スザンナ」は、ダニエルに守られた女性が、彼女を誘惑しようとした罪で有罪判決を受ける物語です。
これらの裁判官はモーセの律法に従って処刑されました。
「ベルと竜」には、ダニエルがベルの像を破壊し、竜を殺し、そして6日間獅子の穴に閉じ込められながら預言者ハバククから食物を与えられた3つの物語が含まれており、これはダニエル書6章の詳細な記述です。
物語は、ダニエル書にふさわしくないとして聖書から排斥されました。[16]

本物

ダニエル書が紀元前6世紀に預言者ダニエルによって書かれた真実性は、古代世界では紀元後3世紀まで疑問視されていません。
当時、異教徒の新プラトン主義者ポルピュリオス氏は、この書を紀元前2世紀の贋作であると主張して攻撃しました。
ポルピュリオス氏の15巻からなる「キリスト教徒への反論」は、ヒエロニムス氏を通してのみ知られています。
ポルピュリオス氏の攻撃は、すぐに初期の教父たちによるダニエル書支持のきっかけとなりました。

ジェローム(紀元347~420年)はダニエル書の序文で、当時の状況を次のように要約しています。

ポルピュリオス氏はダニエルの預言に反論する12巻を著作しています。
(A)ダニエル書は題名に挙げられている人物によって書かれたのではなく、アンティオコスの治世にユダヤに住んでいたエピファネスという異名を持つ人物によって書かれたと主張しています。
さらに彼は、「ダニエル」は未来を預言したよりは過去を語ったに過ぎず、最後に、アンティオコスの治世までのダニエルの語りは真実の歴史を反映したものであるが、それより先の推測は未来を予見することは不可能であるゆえに、偽物であると主張しました。
カイサリア司教エウセビオスは、これらの主張に対し、18巻、19巻、第20巻の3巻で非常に的確な反論を行いました。
アポリナリウスも同じ様に、26巻という1冊の大きな本で反論を行いました。

(B)これらの著者に先立ち、メトディオスは部分的な反論を行いました。
「序文で強調しておきたいのは、この預言者ダニエルほどキリストについて明確に語った預言者は他にいないことです。
なぜなら、彼は他の預言者たちと同じ様に、キリストの到来を断言しただけでなく、到来の時をも明確に示しているからです。
さらに、歴代の王を順に挙げ、その具体的な年数を述べ、将来起こる出来事の最も明確な兆候を事前に告げています。
ポルピュリオス氏はこれらすべてが成就したことを知り、その事実を否定できなかったため、この言い逃れに頼ることで、歴史的正確さの証拠を覆しました。
そして、世の終わりに反キリストについて預言されていることはすべて、アンティオコス・エピファネスの治世に成就したと主張しました。
なぜなら、彼の時代に起こった出来事といくつかの類似点があるからです。
しかし、この反論こそが、ダニエルの正確さを証明しています。
預言者の預言の信憑性はあまりにも衝撃的であったため、不信者にとっては未来の預言者ではなく、むしろ過去の出来事の語り手として映りました。
そこで、私は本書の解説を進める中で機会があれば、彼の悪意ある非難に簡潔に答え、彼が真実を覆そうとし、見せかけの策略によって私たちの目に明らかなものを消し去ろうとする哲学的技巧、あるいはむしろ世俗的な悪意を、簡潔な説明によって反論しようと努めるつもりです。[17]

ヒエロニムス氏のこの発言は、17世紀に高等批評が台頭するまで、教会が一貫して保持していた姿勢と解釈できるかもしれません。
当時、ポルフィリオス氏の提唱が真剣に受け止められ始め、ダニエル書の年代を紀元前2世紀とする議論がされてきました。
まず(1)この理論が反キリスト教的な起源を持つこと、
(2)教会の従来の判断を変えるような新たな事実が特定されていなかったこと、
(3)高等批評家によるポルフィリオス氏の支持は、聖書に対する彼らの全体的なアプローチの一部であったこと、
そして、そのアプローチは、ほぼ例外なく伝統的な著者の否定に傾倒し、書物は何度も複数の著者によって書かれ、多くの改訂が行われたと主張しています。
そして、最も重要なこととして、聖書の無誤性と逐語的・完全な霊感という伝統的な教義を高等批評家がほぼ全面的に否定していること、を指摘しておく必要があります。
ダニエル書への攻撃は、歴史批評的手法を用いた聖書全体への攻撃の一部です。

これらの反論は、大部分が疑問視されるような高い次元の批判的前提に基づいています。
そして、非常に多くの詳細を含んでいるため、完全に答えるには一冊の本が必要となります。
ここではせいぜい、問題とその解決策の要約を検討することしかできません。
一般的に言えば、特定のテキストに対する批判的反論は、ダニエル書の解説において、テキスト中に現れる箇所が既に扱われています。
しかしながら、ダニエル書の真実性に対する批判的攻撃の主要な特徴をここで要約しておくことは適切だと考えます。

トーマス・S・ケプラー氏は、批判的な反論を10項目にまとめています。
しかし、ネブカドネザルの時代に生きていたダニエルがダニエル書の著者であることを困難にする要因がいくつかあります。

(1)紀元前200年頃、律法に預言者が加えられ、ユダヤ教の「聖書」が編集されました。
しかし、ダニエルは預言者の中には含まれていません。
ダニエルはユダヤ教の「聖書」が完成された西暦90年頃に聖典に加えられました。

(2)ダニエル書は紀元前140年までユダヤ文献には登場せず、シビュラの神託(3章397~400節)の中で述べられています。
バルク書1章15節~3章3節(紀元前150年頃執筆)にはダニエル書9章4節以降と似た祈りがあります。
また、マカバイ記第一2章59節以降(紀元前125年頃執筆)でもダニエル書が述べられています。
マカバイ記第一、シビュラの神託、エノク書(紀元前95年頃執筆)にはダニエル書が164回登場します。
(3)紀元前190年頃、イエス・ベン・シラ氏はユダヤ史における偉人の名を列記しています。
(伝道者の書44章1節~50章24節)
しかし、その中にダニエルの名前はありません。
(4)ダニエル書にはバビロニア語、ペルシャ語、ギリシア語からの借用語が登場しています。
(5)エレミヤは預言者として述べられており (9章2節)、彼の著作についても述べられています。
(6)エレミヤの時代 (ネブカデレザルの時代でもある)には、カルデア人は国家または民族として語られており、バビロニア人を指しています。
しかし、ダニエル書では、彼らは占星術師、魔術師、真実の占い師として知られています。
(7)ダニエル書は、部分的にアラム語で書かれています。
アラム語は紀元前2世紀のユダヤ人の間で普及していた言語ですが、ネブカデレザルの時代には普及していません。
(8)著者は、アレクサンドロス大王の時代以降、特にマカベア戦争中の史実については優れた見解を持っています。
しかし、バビロニア時代とペルシャ時代の史実については多くの不正確な点が見られます。
(9)死者の復活に関する神学や御使いに関する考えから、著者がネブカデレザルの時代よりも後の時代に生きていたことがわかります。
食事、断食、儀式的な祈りに対するダニエルの関心についても同じことが言えます。
(10)ダニエル書が黙示文章として持つ構造と目的は、ネブカドネザル時代からユダ・マカバイとアンティオコス4世の時代までの歴史を再解釈するものでした。
紀元前165年に書かれたとすれば、ネブカドネザル時代に書かれ、その後450年間の未来を預言するものと見なすよりも、ダニエル書の構想と目的によりよく適合しています。[18]

これらの批判的な反論は、すでに部分的に回答されています。
これらは、ダニエル書本文の解説でさらに検討されていますが、6つの項目に分類できます。
(1)正典性の否定
(2)詳細な預言の否定
(3)奇跡の否定
(4)本文の問題
(5)言語の問題
(6)歴史的に不正確
とされる点です。

正典性の否定

聖書におけるダニエル書の立場は既に説明したように、この書は旧約聖書の預言書ではなく、三部である諸書に含められています。
メリル・アンガー氏は、このことに対する誤った批判的見解を次のように定義しています。
「ダニエルの預言は、ヘブル語正典の二部の預言者ではなく、三部の書物に含められています。
なぜなら、ダニエルの預言は、預言者正典が閉じられたとされる紀元前300年から200年の間には存在していないからです。」[19] 既に説明したように、ダニエルが含められなかったのは、彼の著作が他の預言者の著作とは特徴が異なっていたためです。
主にダニエルは政府の役人であり、例えばイザヤやエレミヤのように、人々に説教して神の御言葉を口頭で伝える任務は与えられていません。
彼の著作が生前に配布されたかどうかは疑問です。
さらに、諸書がこのように分類されたのは、ヨブ記や歴代誌第一・第二といった後代の著作を含んでいるためではなく、内容の分類に基づいて分類されたからです。
最も重要なのは、諸書が律法や預言者と同様に霊感を受けた、神の御言葉であるとみなされていたことです。
これは、ダニエル書が他の霊感を受けた著作と共に七十人訳聖書に含まれている事実からも明らかです。
また、ダニエル書が真実に霊感を受けた著作とみなされていたことを示しています。

ダニエル書が紀元前6世紀に存在していた主張は、エゼキエル書におけるダニエルへの言及(エゼキエル書14章14節、20節、28章3節)と、ダニエル書自体に記されたさまざまな証拠を無視することになります。
リベラルな批評家は、エゼキエル書におけるダニエルへの言及を無視する傾向があります。
例えば、ジェームズ・モンゴメリ氏は「ヘブル語旧約聖書には、歴史上の人物としてのダニエルへの言及はない」と述べています。[20]
モンゴメリ氏は、エゼキエル書が言及しているのは別の人物であり、その人物を「明らかに伝統的な聖徒の名」と表現されていると主張しています。[21]

しかしながら、モンゴメリ氏が言及する「伝統的な聖徒」とは、紀元前1400年頃に生きていたと思われる「ダニエル」のことです。
モンゴメリ氏が注解を書いてから数年後の1930年、古代ウガリット(現在のラス・シャムラ)を発掘していた考古学者たちが、ダニエルという名の男の父であるアクハトという名のカナン人の伝説を詳しく記した粘土板を発見しました。
粘土板ではダニエルは未亡人や孤児の友人であり、並外れて賢明で正しい判断を下す人物として描かれています。
モンゴメリ氏が主張するように、このダニエルはエゼキエル書14章14節と20節でノアやヨブと同等の立派な古代の人物として述べられています。
しかし、アクハトの息子ダニエルはバアルの崇拝者であり、バアルに祈りを捧げ、バアルの宮で食物を食していました。
彼は祖先の神々を崇拝し、偶像に供物を捧げたと描写されています。
また、敵を呪い、神への真実な希望を持たずに罪を犯していました。[22]
霊感によって書いたエゼキエルが、このような人物を敬虔な人の例として挙げたとは想像できません。
そのような判断は事実とは矛盾しています。[23]

もし、エゼキエル書の記述が不十分だったとしても、マタイの福音書24章15節におけるダニエルへの真実なキリストの明確な証言は、確実に有効であると認められます。
バストノワー氏は次のように述べています。

さて、このダニエル書についての、何がキリストの証しなのでしょうか?
なぜなら、キリストの教師としての立場、好み、また、ダニエルが生きた時代から、キリストが真実を知っていることは明らかだからです。
また、キリストの尊い道徳観から、私たちはキリストがすべての真実だけを語ってくれると確信しています。
批評家たちが偽名の題名を持つ宗教的な小説と見なしています。
預言部分をユダヤの黙示録、つまり後に書かれた福音と見なす書を、キリストはどのように扱ったのでしょうか?
答えは、この書こそキリストが尊んだ書であることです。
キリストにとって、この題名は偽名ではなく、実在の人物、「預言者ダニエル」の名です。
「預言者」とは、神の霊感を受けて未来を預言し、「これから起こること」を預言する者という意味です。
私たちの救い主は、ご自身の偉大な再臨預言――マタイの福音書24節――の中で、この書を扱っておられます。[24]
—イエスの死の前夜に発せられたこの言葉は、ダニエル書を三度も引用しています。
[マタイの福音書24章15節,21節、 ダニエル12章1節、 マタイの福音書24章30節、 ダニエル7章13節と比較してください。][24]

クムランにおける最近の発見は、詩篇や歴代誌第一・第二といった書物の年代を後世にさかのぼるための流れに弾みをつけています。
ブラウンリー氏は、最近の発見に基づき、詩篇のマカバイの時代の著作説はもはや支持できないことを示しています。
「もしこれが真実ならば、正典詩篇のいずれかがマカバイの時代のものであるという考えは捨て去るべきです」と述べています。[25]
マイヤーズは、エレファンティネ資料の出版以来、歴代誌第一・第二をマカバイの時代(紀元前333年以降)とする説は妥当ではないことを示す十分な証拠を示しています。
彼は、歴代誌第一・第二はペルシャ時代(紀元前538~333年)に書かれたと見なすべきであると結論付けています。[26]

旧約聖書のこれらの部分がより古い時代に書かれたとする傾向は、ダニエル書の年代を後期とする主張の矛盾をも示しています。
最近発見された巻物に基づいて、詩篇と歴代誌がもはやマカバイの時代の作品であるとみなすことができないのであれば、同じ種の証拠に基づいて、ダニエル書もペルシャ時代以前の作品として認識される必要があります。
レイモンド・K・ハリソン氏は「執筆時点では、クムランのダニエル書写本はまだ出版も評価もされていません。
しかし、学者が、現在の知識に照らしても、いわゆる後期詩篇のマカバイの時代の著作であることを放棄しています。
それでも、ダニエル書について、このような修正の根拠が同じでありながら衰えることなく主張するのは無理があります」と述べて、この結論に至りました。[27]
ハリソン氏は、ダニエル書のクムラン写本がすべて写本であると指摘しています。
もし、クムラン派が実際にマカバイの時代に起源を持つとすれば、ダニエル書の原本は少なくとも半世紀前のものであったと必然的に示されます。
それはダニエル書がマカバイの時代に書かれたとされる時代よりも前のものになるからです。
批評家が他の写本を評価し、従来受け入れられていたよりもはるかに古い時代に属するものとする原則をダニエル書に適用するのであれば、ダニエル書は紀元前紀元前2世紀の著作であるリベラルな批評的立場は不可能になります。
不思議なことに、リベラルな批評家たちは、マカバイの時代以前の著作を示唆すると思われるクムランのダニエル書断片について、公表や論評を行っていません。
現在、研究者が直面している事実は、ダニエル書の年代を後期とするリベラル派の主張を打ち砕く傾向があります。
ダニエル書の正典性を否定する証拠は裏付けがありません。
さらに、マカバイの時代に生きたユダヤ人が、ダニエル書が正典化される以前の歴史を知らなかったら、ダニエル書を受け入れたかどうかは極めて疑わしいものがあります。

詳細な預言の否定

ポルフィリオス氏がダニエル書に最初に反論した際に、預言は不可能であることが前提が置かれていました。
これは有神論全般の否定、保守的な学者たちが聖書において、通常想定されている超自然的啓示の教理の否定、そして未来の出来事すべてを予知する神の全知性を無視することに基づいています。
預言の可能性を支持すること自体、キリスト教信仰の完全な弁明と関連性において、聖書を扱う上で不必要です。

しかしながら、ダニエル書が黙示的であるため、預言として真剣に研究するに値しない理由で、より具体的な攻撃がなされています。
旧約聖書時代とキリスト教時代の両方において、偽の黙示的著作が多数存在することは容易に認められます。
偽造書の存在は、偽造ドル紙幣によって、本物のドル紙幣が存在しない証拠と同じように、真実な黙示的啓示の可能性に反する正当な議論にはなりません。
もし、ダニエル書が聖書全体の中で唯一の黙示的著作であるならば、この議論はより真剣に受け止められることになります。
しかし、旧約聖書の他の黙示的な部分と、新約聖書の頂点を成す預言的著作であるヨハネの黙示録は、神が預言的真理を明らかにするために黙示的な手法を用いた十分な証拠として一般的に考えられてきました。

さらに、ダニエル書において注目すべき点は、黙示的な部分が人間の解釈に委ねられておらず、啓示と共に神の解釈が与えられていることです。
これにより、聖書の黙示的な部分は、偽書に何度も必要となる曖昧で不明瞭で主観的な解釈から解放されます。
実際、ダニエル書における問題は、黙示的な部分が不明瞭であることではなく、批評家たちがそこに提示されている明確な預言的真理に異議を唱えていることにあります。

ダニエル書の時代、紀元前6世紀にはまだ黙示的な書物が始まっていなかった議論が時折、提起されます。
しかし、もちろん、同時代のエゼキエル書と、そのような沈黙に基づく議論の根本的な弱点によって反論されます。
実際には、黙示的な書物は長い期間にわたって書かれていました。
したがって、保守的な学問は、ダニエル書の黙示的な特徴を認めながらも、これを紀元前6世紀の著者、ひいてはダニエル書の真実性を疑う正当な根拠としては否定しています。

奇跡の否定

ダニエル書が奇跡を描いているという理由で偽書とみなされるならば、聖書の大部分も霊感を受けた有効な書物として排斥されることになります。
奇跡に対する反論は、一部の批評家が本質的に自然主義的な視点を持っていることを示しています。
ダニエルの奇跡は、福音書でキリストに帰せられている奇跡や、モーセ五書でモーセとアロンに帰せられている奇跡と比べても珍しいものではありません。
聖書の啓示に関連する超自然現象を除けば、ダニエル書3章におけるダニエルの三人の仲間の救出、そしてダニエル書6章におけるダニエル自身の救出は、キリストが崖から突き落とそうと脅迫する暴徒の間を通り抜けたこと(ルカの福音書4章29、30節)や、ペテロが牢獄から救い出されたこと(使徒の働き12章5~11節)と比べても、それほど珍しいものではありません。
聖書の文脈において、奇跡的な出来事を理由に書物を否定することは、無効と判断されなければなりません。

本文上の問題

批評家たちはダニエル書について、数え切れないほどの本文上の問題を提起してきました。
しかし、それらは互いに矛盾しており、これらの批評が主観的な特徴を持っていることを示しています。
批評家たちは特にアラム語部分に焦点を当て、本文に多くの編集や様々な程度の改ざんがあったと主張していますが、彼らの結論には大きな隔たりがあります。
ダニエル自身がこの部分を当初ヘブル語、もしくはバビロニア語で書き、その後当時の共通語に書き換えたという考えは、必ずしもダニエル書に現在見られる最終的な形がどのような霊感を受けたかを反映しているわけではありません。

おそらく中東の古代言語の権威とされるロバート・ディック・ウィルソン氏は研究結果を次のように要約しています。

しかしながら、私たちは、「(Dnl)」の複合アラム語は、紀元前9、8、7世紀の北セム碑文のアラム語および紀元前5世紀のエジプトのパピルスのアラム語とほぼすべての点で正書法、語源、統語法が一致しています。
「(Dnl)」の語彙には、紀元前5世紀のパピルスと同様にヘブル語、バブ語、ペルシャ語の単語が混ざっていると主張します。
一方、ペルシャ語、ヘブル語、バブ語の単語がなく、アラビア語の単語でいっぱいのナバテア人のアラム語や、ペルシャ語の単語が1つか2つしかなく、ヘブル語やバブ語がないパルミラ人のアラム語とは構成が異なります。[28]

ウィルソン氏は、テキスト上の問題は、真実性が問われていない他の書物の問題と何も変わらないと結論づけています。
旧約聖書の他の多くの書物と同じ様に、ダニエル書にもテキスト上の問題はそれでも存在しています。
これらの問題自体は、ダニエル書の現在のテキストが信用できなくなるほどの事実的証拠によって裏付けられているわけではありません。
ダニエル書に対する他の多くの反論と同じ様に、これらの反論に至る高等批評家の前提自体が疑わしいものです。
そして、テキスト上の問題の性質と範囲に関して批評家自身の間で広く意見の相違が生じていることも、それらの前提が無効である結論を裏付ける傾向があります。

言語の問題

批評家たちは、ダニエル書に様々なギリシア語やペルシャ語の単語が見られることを、あたかも後世の記録であるかのように反論してきました。
しかし、ダニエル書3章の解説で明らかにされているように、これらのペルシャ語やギリシア語の単語が数多く見られることから、近年の考古学的発見に照らし合わせると、この反論はもはや妥当ではありません。
ダニエル書の100年前、ギリシア人傭兵がエサルハドン(紀元前683年)率いるアッシリア軍や、ネブカドネザル率いるバビロニア軍に従軍していたことが証明されています。[29]
ロバート・ディック・ウィルソン氏が指摘するように、もし、ダニエル書が紀元前2世紀に書かれていたなら、現在見られる数少ないギリシア語の単語よりもはるかに多くのギリシア語の単語が使われていたはずです。[30]
また、ヤマウチ氏もダニエル書におけるギリシア語の単語に対する批判的な反論は根拠がないことを実証しています。[31]

ダニエル自身がペルシャ帝国の初期に生き、主要な役人の一人として仕えていた事実を考えると、ペルシャ語の使用は決して不思議なことではありません。
ダニエルが3章で様々な役人について当時のペルシャ語で描写したのは当然なことです。
これは、紀元前539年のペルシャによるバビロン征服後に生きる人々のために、これらの役職に関する理解を深めるためでした。
ダニエル書がギリシア語とペルシャ語に基づいた紀元前6世紀の文書であるという主張には、合理的な学術的裏付けがありません。
考古学的証拠に照らし合わせると、ますます支持できない立場になっていると結論されなければなりません。

歴史的に不正確であるとされる点


ダニエル書には、これらの不正確であるとされる点は、解説の中で扱われています。
ダニエル書の記述の歴史的正確性に疑問を投げかけて解釈できるような写本は発見されていないことが示されています。
一方で、現在私たちが所有している本文やその他の資料が当時入手できなかった可能性を考えるのであれば、紀元前2世紀の著述家がダニエル書に示されたバビロニアの歴史に関する詳細な知識を有していたとすれば、それは極めて異例なことです。

ダニエル書1章1節に含まれる年代に関する批判的な反論に対する適切な回答は、この節の解説の中で扱われています。
ベルシャザル(5章)の身元確認の難しさは、ベルシャザルの名前が古代文献に出てこない理由でダニエル書の正確性に対して多くの批判的な異論の原因となっていました。
しかし、ナボニドゥス年代記によって提供される正確な情報によって解決されました。

このことも解説で考察されていますが、メディア人ダリウスの正体については引き続き疑問が投げかけられるかもしれません。
しかし、批評家の議論は沈黙に基づくものです。
ダリウスはクロス自身の別名、もしくはクロスに任命されたメディア出身で「メディア人」と呼ばれていた人物である結論に矛盾するものは。歴史上何も見つかっていません。
メディア人ダリウスの正体についてもそれらしい解決策がいくつかあります。
しかし、古代文献による裏付けがないことを理由とするダニエル書の記述に対する異議には正当な根拠がありません。
明らかに、聖書には完全に裏付けることのできない歴史的事実が何百もあります。
また、十分に確立された事実によって疑問が生じるまでは聖書の証言は正当な古代写本とみなされなければなりません。

ダニエル書が紀元前2世紀に書かれた批判的な考えに基づき、メディア・ペルシャ帝国とギリシア帝国に関する「預言」は不正確であることが多いと主張されています。
特に、ダニエル書はペルシャ王国に先立つ独立したメディア王国について教えている主張がなされていますが、これは歴史的には正確ではありません。
ここでの問題は、まず最初に批評家たちがダニエル書の記述を故意に曲解して、彼が教えていないこと、すなわち独立したメディア帝国について教えているように見せていることです。
二番目に、預言とその成就の間にあるとされている矛盾は、批評家の頭の中にあります。
保守的な学者たちは、紀元前6世紀にダニエル書によってなされた真実な預言の正確な歴史的成就を困難にすることなく見つけ出しています。
ここで批評家たちは、疑わしい結論につながる誤った前提に基づいた循環論法の罪を犯しています。
ダニエル書の預言の解釈というより大きな問題は、預言自体が不正確であることが証明されない限り、それ自体ではダニエル書の真実性を無効にするものではないということです。
しかしながら、批評家たちは今日に至るまで、このことを証明できていません。

全体として見れば、ダニエル書に対する批評家の主要な反論、そして一般的に提起される多くの詳細な疑問は、聖書全体や超自然的啓示の教理に対して投げかけられる反論と同種のものです。
これらの反論は、批評家自身の理論、すなわちダニエル書が紀元前2世紀の著者説に合致しない批判から生じることが多くあります。
この状況で顕著なのは「沈黙からの議論」です。
これは、反証されるまではダニエル書は誤りを犯していると彼らは想定するものです。

ダニエル書研究において提起された広範な歴史的疑問は、ロバート・ディック・ウィルソン氏によって解明されてきました。
ウィルソン氏は、批評家たちが自分の理論や結論を十分に裏付けていないことを実証しました。[32]
ウィルソン氏は、ダニエル書に反する事実は発見されていないため、問題は事実にあるのではなく、循環論法によって支えられている理論にあると指摘しています。
今日に至るまで、批判的な議論は事実によって裏付けられておらず、信仰によっても受け入れなければなりません。
保守的な解説者にとっては、マタイによる福音書24章15節でキリストご自身がダニエル書を裏付けていることを考えると、信仰によってダニエル書を受け入れる方がはるかに望ましいと考えます。

解釈

当然のことながら、ダニエル書の解釈上の問題は本文の解説において検討されてきた。
ダニエル書が真正の聖書であり、ダニエル書に見られるような未来の詳細な預言が真正であると認められる前提が認められています。
ゆえに、解釈上の問題は、本文が実際に何を述べているかを判断することに戻ります。

ダニエルの幻のような黙示録文学の解釈には、特別な技能と、そのような啓示に適用される解釈学への細心の注意が必要です。
例えば、アレクサンダー氏はこの問題に関する啓発的な研究の中で、旧約聖書黙示録文学の解釈に用いられる23の規則を提示しています。[33]
しかし、一般的には、特に解説者が現在利用できる歴史における成就の助けを借りれば、テキストの意味を解明することができます。

歴史の記録はダニエル書に好意的であり、ダニエルの預言の成就を十分な証拠で示しており、批評家たちはダニエル書の記述を出来事の後に置くことを望むほどです。
解説で指摘されているように、ダニエル書は、ダニエルがバビロンに始まる四大世界帝国に関する真理を提示しています。
ゆえに、第四帝国は紀元前2世紀の観点から見ても明らかに預言的であるという解釈を支持します。
2章の解釈は、まだ未来の段階にある第四帝国に関する特別な啓示を有する7章と、メディア・ペルシャ帝国とギリシア帝国に関する8章で追加されたかなり詳細な記述によって裏付けられています。
8章の大部分、あるいは全ては、ダニエルの死から紀元前27年のローマ帝国の正式な成立までの500年間の歴史の中で成就しました。

ダニエル書11章36節から12章13節に集約された預言は、キリストの再臨直前の時代である「終わりの時」について詳細に論じているものと捉えるのが妥当です。
イスラエルの歴史を概観するダニエル書9章24節から27節は、再臨直前の時代におけるイスラエルの役割に関する預言であるダニエル書9章27節を除けば、20世紀の観点から成就したと見なすことができます。

ダニエル書の解釈は全体として、ダニエル書からキリストの再臨に至るまでの異邦人に対する神の計画、そしてダニエル書9章24節と同時期、ネヘミヤの時代から始まるイスラエルに対する計画の大まかな概要を示しています。
これらの解釈を支持する見解は、本解説の中で示されいます。

神学

ダニエル書は、その広範な啓示において、旧約聖書の他の箇所で見られるのと同じ神観を示しています。
すなわち、主権を持ち、愛に満ち、全能で、全知で、義であり、哀れみ深い神です。
神はイスラエルの神であると同時に、異邦人の神でもあります。
この二つの主張は、ダニエル書の内容によって十分に裏付けられています。

ダニエル書はメシア預言を主に扱っていませんが、ダニエル書9章26節ではキリストの初臨、すなわち十字架上の死とエルサレムの滅亡が予期されています。
キリストの再臨については、7章と12章でより具体的な啓示が与えられています。

ダニエル書では御使いの教義が明確にされ、ガブリエルとミカエルが名指しされ、書中の出来事において活躍しています。
この点において、ダニエル書は旧約聖書の教義を発展させていますが、ダニエル書がバビロニアとペルシャの文献から借用したリベラルな批判には根拠がなく、本文においても裏付けられていません。[34]

ダニエルは、人間についての教義の中で、人間の堕落と、人間に対する神の正しい裁き、そしてあわれみと恩寵の可能性について十分に証言しています。
これは4章のネブカドネザルの改心で示されています。

ダニエル書12章における復活に関する明確な証言は、批評家たちによって、時代遅れの異教の文献から借用され、ダニエル書に続く小預言者たちには見過ごされているといった理由で反論されてきました。
これらの主張はすべて十分な根拠を欠いています。
復活の教理は、通常の解釈によれば、ヨブ記19章25、26節で明確に示されています。
イスラエルの復活はイザヤ書26章19節で述べられています。
エゼキエルの枯れた骨の谷の幻(37章)は、イスラエルの国家的な復興に言及していますが、その目的を達成するにはイスラエルの個々の復活が必要です。
また、旧約聖書には、出エジプト記32章32、33節という早い段階において、復活と関連した生命の書、あるいは記憶の書への言及が深く刻まれています。
旧約聖書におけるメシアの教義には復活の教義が伴っており、このテーマは言うまでもなく創世記3章15節から始まっています。
一方、外典では義人と悪人の復活について何も触れられていません。
アーチャー氏は十二族長の書にのみ述べられていると述べています。
さらにアーチャー氏が指摘するように、復活を暗示する最後の審判の教義は、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキといった小預言者や多くの詩篇など、預言においてくりかえし取り上げられるテーマです。
したがって、モンゴメリ氏や他の批評家による、ダニエルの復活の教理は紀元前6世紀には不適切であり、異教の情報源から借用され、またはダニエルの後に書いた小預言者には気づかれなかった反論は、十分な裏付けがまったくなく、聖書の事実と矛盾しています。[35]
神がこれらの真理を紀元前6世紀のダニエルに明らかにできなかった十分な理由はありません。
興味深いのは、ダニエルが「終わりの日に」、つまりキリストの再臨の時に復活すると信じていたことです。

「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」
(ダニエル12章13節)


ダニエル書が終末論に大きく貢献したことは明らかです。
その主要なテーマは歴史の流れとイスラエルとの関係であり、キリストの再臨に至る点にあります。
全体として、ダニエル書は聖書の一般啓示に沿いつつも、旧約聖書の啓示における明確な前進を成すものとして、神学に多大な貢献を果たしています。

結論

多くの点で、ダニエル書は旧約聖書の中で最も全体的な預言的啓示であり、バビロンからキリストの再臨に至るまでの世界史を唯一、包括的に描き出しています。
また、異邦人の歴史と預言をイスラエルに関わるものとしてお互いに関連付けています。
ダニエル書は預言の全体的な解釈の鍵を提供し、千年王国前再臨主義の主要要素であり、黙示録の解釈に不可欠です。
神の主権と力に関するこの啓示は、ユダヤ人と異邦人の両方に、神がこの世と永遠においてその主権的目的を成就される確信をもたらしています。

[1]Cf. H. C. Leupold, Exposition of Daniel, p. 8.

[2]Cf. 同上、 pp. 5-7.

[3]Robert Dick Wilson, “Book of Daniel,” ISBE 2:783.

[4]J. Barton Payne, “Book of Daniel,” Zondervan Pictorial Bible Dictionary, p. 198.

[5]Ralph Alexander, Abstract of “Hermeneutics of Old Testament Apocalyptic Literature,” doctor’s dissertation, p. 1.

[6]Ibid.

[7]Cf. H. H. Rowley, The Relevance of the Apocalyptic, pp. 29-55; and Stanley B. Frost, Old Testament Apocalyptic, pp. 178-209.

[8]Cf. W. J. Martin, “Language of the Old Testament,” The New Bible Dictionary, pp. 712-13.

[9]William H. Brownlee, The Meaning of the Qumran Scrolls for the Bible, p. 36.

[10]S. R. Driver, The Book of Daniel, pp. 59-60.

[11]Martin, p. 712; cf. Wilson, 2:784.

[12]Gleason L. Archer, Jr., A Survey of Old Testament Introduction, pp. 377-78.

[13]Cf. Robert D. Culver, Daniel and the Latter Days, pp. 95-104; and Carl August Auberlen, The Prophecies of Daniel and the Revelations of St. John, pp. 27-31.

[14]Wilson, 2: 783-84.

[15]Cf. 同上、 p. 784.

[16]Cf. 同上、 p. 787.

[17]Jerome, Commentary on Daniel, pp. 15-16.

[18]Thomas S. Kepler, Dreams of the Future, pp. 32-33.

[19]Merrill F. Unger, Unger’s Bible Dictionary, p. 238.

[20]James A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, p. 3.

[21]同上、 p. 2.

[22]James B. Pritchard, ed., Ancient Near Eastern Texts Relating to the Old Testament, pp. 149-55.

[23]Cf. W. A. Criswell, Expository Sermons on the Book of Daniel, 1: 54.

[24]Charles Boutflower, In and Around the Book of Daniel, pp. 287-88.

[25]Brownlee, p. 30.

[26]Jacob M. Myers, The Anchor Bible, 1 Chronicles, pp. LXXXVII ff.

[27 Raymond K. Harrison, Introduction to the Old Testament, p. 1118.

[28]Wilson, 2:785.

[29]Leupold, p. 143.

[30]Robert Dick Wilson, “The Aramaic of Daniel,” in Biblical and Theological Studies, p. 296.

[31]Edwin M. Yamauchi, Greece and Babylon, pp. 17-24.

[32]Robert Dick Wilson, Studies in the Book of Daniel, 402 pp.

[33]Alexander, abs. p. 2.

[34]Cf. Rowley, pp. 56-57.

[35]R. D. Wilson shows that the Egyptians believed in resurrection more than 3000 years before Daniel and that Babylonians also commonly believed in a doctrine of resurrection (Wilson, Studies, pp. 124-27).

Cf. Montgomery, pp. 84 ff.; and Archer, pp. 380-81.


1章 バビロンにおけるダニエルの幼少期

ダニエル書1章は、ダニエルとその仲間たちがバビロンで過ごした初期の日々を美しく、感動的に描いた物語です。
簡潔かつ凝縮された形で、書全体の歴史的背景を記録しています。
さらに、イスラエルにおける神の代弁者であった他の主要な預言者たちの預言的なアプローチとは対照的に、本質的にはダニエルとその経験の歴史として、書全体の基調を定めています。
預言者として正しく分類されているにもかかわらず、ダニエルは主に政府のしもべであり、神とのかかわりを忠実に記録した人物でした。
イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書といった預言書よりも短いものですが、ダニエル書は旧約聖書のどの預言者によっても記録された最も全体的で広範な啓示を現わしています。
序章では、ダニエルがどのように召され、備えられ、成熟し、神に祝福されたかが説明されています。
モーセとソロモンを除けば、ダニエルは旧約聖書の中で最も博学な人物であり、歴史と文学における重要な役割のために最も徹底的に訓練されていた人物です。

ユダの捕囚

1章1、2節ユダの王エホヤキムの治世の三年に、バビロンの王ネブカデネザルはエルサレムに攻め入り、これを包囲しました。
主はユダの王エホヤキムに神殿の器物の一部をネブカデネザルの手に渡されました。
彼はそれをシナルの地にある自分の神の神殿に運び、その器物を自分の神の宝物庫に納めました。

ダニエル書の冒頭の節は、バビロニア人によるエルサレムの最初の包囲と占領を含む歴史的背景を簡潔に示しています。
ダニエルによれば、これは「ユダの王エホヤキムの治世の三年」、つまり紀元前605年頃に起こりました。
同様の記述は列王記第二24章1、2節と歴代誌第二36章5~7節にも見られます。
エルサレムの占領と、ダニエルとその仲間を含むユダヤ人のエルサレムからバビロンへの最初の移動は、イスラエルが神に対して犯した罪のために、将来起こる災害について預言者たちが何度も警告してきたことの成就です。
イスラエルは律法を捨て、神との契約を無視していました。(イザヤ書24章1~6節)
彼らは安息日と安息年を無視していました。(エレミヤ書34章12~22節)
事実上、捕囚の70年間はイスラエルが破っていた安息日を神が主張し、その地を休ませた期間でした。

イスラエルもまた偶像礼拝に陥っていました。
(列王記第一11章5節、12章28節、16章31節、18章19節、 列王記第二21章3~5節、 歴代誌第二28章2、3節)
偶像礼拝のゆえに神の裁きが彼らに臨むと厳粛に警告されていました。
(エレミヤ書7章24節、8章3節、44章20~23節)
偶像礼拝に身を委ねたイスラエルの民は、その罪ゆえに、偶像礼拝の中心地であり、古代世界で最も邪悪な街の一つであったバビロンに捕囚されました。
バビロン捕囚の後、偶像礼拝がイスラエルにとって再び大きな誘惑とならなかったことは、意義深いことです。

律法を破り、神への真実な礼拝から離れたイスラエルは、ひどい道徳的背教に陥っていました。
このことについて、さまざまな預言者はくりかえし語っていました。
イザヤの冒頭のメッセージは、預言者たちのテーマソングとも言える型です。

「ああ。罪を犯す国、咎重き民、悪を行なう者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。
あなたがたは、なおもどこを打たれようというのか。反逆に反逆を重ねて。頭は残すところなく病にかかり、心臓もすっかり弱り果てている。
足の裏から頭まで、健全なところはなく、傷と、打ち傷と、打たれた生傷。絞り出してももらえず、包んでももらえず、油で和らげてももらえない。」
(イザヤ書1章4~6節)

ここでも、神の皮肉な裁きは、イスラエルが罪のゆえに邪悪なバビロンに捕囚されようとしているというものです。
エルサレムの最初の占領と最初の捕虜は、ダビデとソロモンによって栄華を築いたエルサレムの終焉の始まりでした。
神の御言葉が無視され、冒涜されるなら、遅かれ早かれ神の裁きは避けられません。
捕囚という冷酷な事実に込められた霊的な教訓は、今日の教会が深く考えるべきものです。
彼らは往々にして、敬虔な外見を持ちながらも、その力を理解していません。
世的な聖徒は世界を捕らえるのではなく、むしろ世の捕虜となっています。

ダニエル書1章1節によると、バビロン王ネブカデネザルによるエルサレムの決定的な包囲と占領は、「ユダの王エホヤキムの治世の第三年」に起こりました。
批評家たちは、この記述と、バビロン王ネブカデネザルの治世第一年はエホヤキムの治世第四年であったエレミヤの記述(エレミヤ記25章1節)との間に明らかな矛盾があることを指摘しました。
例えば、モンゴメリ氏はこの記述の史実性を否定しています。[36]
この年代学的誤りは、ダニエル書が捕囚の出来事を実際に知らない人物によって書かれた偽書である一連の主張の最初の証拠として挙げられています。
しかしながら、説得力のある説明もいくつもあります。

最も単純かつ明白な説明は、ダニエルがここでバビロニアの計算法を用いているというものです。
バビロニア人にとって、王の治世の最初の年を即位年とし、その翌年を最初の年と呼ぶのが慣例です。
カイル氏らは、聖書に前例がないとしてこれを否定しています。[37]
しかし、カイル氏の見解はこの点に関して現代の学問とは大きく異なります。
例えば、ジャック・フィネガンは、エレミヤ書における「ネブカドネザルの元年」という表現は、実際にはバビロニアの計算法における「ネブカドネザルの即位年」[38]を意味していることを証明しました。
タドモル氏はこの説を最初に支持した一人で、現在では十分にこの点は確立されていると言えます。[39]

カイル氏が無視しているのは、ダニエルが極めて異例な例であることです。
なぜなら、預言者の中で唯一、バビロニアの文化と観点を徹底的に学んだ人物だからです。
人生の大半をバビロンで過ごしたダニエルが、バビロニア式の年表を用いるのは当然なことです。
一方、エレミヤはイスラエル式の年表を用い、その年の一部をエホヤキムの治世の初年とみなしました。
この単純な説明は、納得のいくものであり、想定される矛盾を説明するのに十分です。
しかし、他にも説明はあります。

例えば、リューポルド氏は、列王記第二24章1節でエホヤキムがネブカデネザルに3年間服従するとされている追加の記述を考慮して、別の解釈を提示しています。
一言で言えば、聖書の他の場所には記録されていませんが、かつてエルサレムへの襲撃があった仮定であり、それがダニエル書1章1節で暗示されているということです。
イスラエルの歴史におけるこの重要な時期の出来事の年代の鍵となったのは、紀元前605年5月から6月にかけてのカルケミシュの戦いです。
この日付は D・J ・ワイズマン氏によって明確に確定されています。[40]
そこでネブカデネザルはファラオ・ネコに会い、エジプト軍を壊滅させました。
このことは「エホヤキムの治世の第四年」に起こりました (エレミヤ書46章2章で彼は、カルケミシュがネブカドネザルにとって無視できない要塞とする説に基づき、カルケミシュを迂回してエルサレムを征服することは不可能だった通説は、実際には事実を裏付けられていないことを指摘しています。
なぜなら、決着に至った戦いの直前まで、エジプト軍がカルケミシュに十分な戦力を有していた証拠がないからです。
この場合、ダニエルの捕虜は1年前、紀元前606年頃となります。[41]

しかし、現在の聖書年代学では、これは時期尚早です。[42]
聖書年代学の現代の権威者であるフィネガン氏とティーレ氏[43]はともに、ユダではヨアシュからホセアまで即位年による年代決定システムが用いられていたという仮説を受け入れています。
ティーレ氏は、ダニエルがユダの旧暦、すなわち秋のティシュリの月(9~10月)に始まる年を使用し、エレミヤが春のニサンの月(3~4月)に始まるバビロニア暦を用いたと仮定することで、この矛盾を解消しています。
バビロニア年代記によると「ネブカドネザルは、シリア全土と南はエジプト国境までの領土を含むハッティ地方の全域を、紀元前605年の晩春か初夏に征服した」というものです。
これはニサン暦によればヨヤキムの治世4年目、ティシュリ暦によれば3年目にあたります。

リューポルド氏も言及している第三の見解[44]は、ダニエル書1章1節の「来た」という語は実際には「到着した」ではなく「出発した」という意味であると示しています。
同様の用法として以下の聖句を引用しています。
(創世記45章17節、民数記32章6節、列王記第二5章5節、ヨナ記1章3節)
ヘングステンベルク氏らにならい、カイル氏もこの説明を支持しています。[45]
しかしながら、この議論は「出発した」(ヘブル語の「(bo’)」を「出発した」と訳す)という翻訳に依存しています.

しかし、引用されている例が決定的なものではないため、説得力に欠けています。
2節では、同じ語が通常の「来た」の意味で使われています。

リューポルド氏が代替案として提示した説明はどちらも、フィネガン氏とティールが提示した調和の方法よりもはるかに納得のいくものではありません。
おそらく、ワイズマン氏の見解が正しいはずです。
つまり、ダニエルは紀元前605年の夏、エルサレム陥落直後に捕虜として連れ去られたことです。
いずれにせよ、証拠はダニエル書の年代情報が不正確である主張を全く支持できないことを示しています。
むしろ、それは聖書以外で入手可能な情報と完全に一致しており、ダニエル書が真正な書である見解を裏付けています。

ダニエル書によれば「バビロンの王」と称されるネブカドネザルがエルサレムを包囲し、成功を収めました。
もし、これがカルケミシュの戦い以前の出来事であれば、まだネブカドネザルは王ではありません。
このような称号を前もって用いることは一般的であり(例えば「ダビデ王は少年時代、羊飼いであった」という記述のように)、深刻な問題を引き起こすことはありません。
しかし、ダニエル書はエホヤキムが征服され「神の宮の器の一部」が「シナルの地の彼の神の宮に運び込まれた」という事実を記録しています。
「シナル」はバビロンを指す言葉として用いられ、信仰に敵対する場所というニュアンスを持っています。
ニムロデ(創世記10章10節)と関連付けられ、バベルの塔の所在地となり(創世記11章2節)、悪が追放される場所でもあります。
(ゼカリヤ書5章11節)

ネブカドネザルが運んだという表現は、船のことだけを指し、捕虜の移送については言及していないと解釈するのが最善です。
批評家たちは、ダニエルとその仲間がこの時に連れ去られたと明確に述べられている箇所は他にはどこにもないため、この点も不正確だと非難しています。
明白な答えは、捕虜の移送については後続の節で詳細に論じられている文脈から考えるのであれば、言及は不要だということです。
二度言及する必要はありません。
ネブカドネザルの神マルドゥク[46]の家に船を運ぶことは、バビロニア人がイスラエルに対して勝利したことをバビロニアの神々に帰する自然な宗教的行為でした。
後に他の船もコレクションに加えられ(歴代誌第二36章18節)、それらはすべてダニエル書5章のベルシャザルの祝宴の運命の夜に現れました。
エホヤキム自身は移送されず、後に亡くなり、息子のエホヤキンが後を継ぎました。
エホヤキムは、送られた兵士の集団に悩まされたにもかかわらず、包囲は成功していません。
(列王記第二24章1、2節)

訓練のために選ばれたユダヤ人の若者

「王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。
その少年たちは、身に何の欠陥もなく、容姿は美しく、あらゆる知恵に秀で、知識に富み、思慮深く、王の宮廷に仕えるにふさわしい者であり、また、カルデヤ人の文学とことばとを教えるにふさわしい者でした。
王は、王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当て、三年間、彼らを養育することにし、そのあとで彼らが王に仕えるようにした。
彼らのうちには、ユダ部族のダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤがいた。
宦官の長は彼らにほかの名をつけ、ダニエルにはベルテシャツァル、ハナヌヤにはシャデラク、ミシャエルにはメシャク、アザルヤにはアベデ・ネゴと名をつけた。」
(ダニエル書1章3~7節)


ダニエルとその仲間がバビロンへの道を見つけた経緯を説明する中で、ダニエルは王が「アシュペナズに命じて」と記しています。
王はイスラエルの民の何人かをバビロンに連れてきて王の従者として訓練させるよう命じました。
ジークフリート・H・ホーン氏によれば、アシュペナズの名は「ニップルのアラム語呪文文書に「(SPNZ)」として現れ、楔形文字の記録ではおそらく「アシュパズドンダ」として確認されている」とのことです。
ホーン氏はさらに、アシュペナズを「ネブカドネザル王の宦官の長(ダニエル書1章3節)」としています。[47]
アシュペナズの名の意義については多くの議論がなされてきましたが、ヤング氏の「語源は不明である」という見解に同意するのが最善です。[48]

宦官とは、王の重要な家臣、例えば既婚者のポティファル(創世記37章36節)を指している可能性が高くあります。
ヨセフスが想定しているように、ユダヤ人の若者たちが実際に宦官になったとは記されていません。[49]
イザヤは何年も前にこれを預言していました。(イザヤ書39章7節)
ヤング氏は、宦官を貴族と訳すイザヤ書の箇所をタルグム訳したことにより、宦官のより広い意味を支持しています。[50]
しかし、「サリス(saris)」という言葉は「廷臣」と「去勢する」の両方の意味を持つため、両方の意味が意図されているかどうかについては学者の間で意見が分かれています。
モンゴメリ氏は「ヨセフが「彼らのうちの何人かは宦官にした」と示しているように、若者たちが宦官にされたという結論を導く必要はありません。
また、テオドトス以降の言及をイザヤ書39章7節の成就と結びつける必要もない」と述べています。[51]
チャールズ氏はダニエル書1章4節の「欠陥もなく」という描写について、「ここで主張されている完全性は、レビ記21章17節にあるように、肉体的な完全性です。
そのような完全性は宦官にはあり得ない」と述べています。[52]

「アロンに告げて言え。あなたの代々の子孫のうち、だれでも身に欠陥のある者は、神のパンをささげるために近づいてはならない。」
(レビ記21章17節)


しかし、イザヤ書56章3節で「宦官」と訳されている「サリス(saris)」は去勢された者を指すという点では皆が同意しています。
最終的には解釈者に委ねられるが、前述のように「廷臣」という考えを支持する人もいます。

王の奉仕に選ばれた者たちは「イスラエル人の中から、王族か貴族を」と記されています。
イスラエル人(イスラエルの子)という言及は、彼らが既に捕囚となっていた北王国から選ばれたという意味ではなく、選ばれた者たちが確かにイスラエル人、すなわちヤコブの子孫であったという意味です。
しかし、条件は彼らが王の子孫、文字通り「王国の子孫」、つまり王族、あるいは「君たち」、つまりイスラエルの貴族階級の出身でなければならないというものです。

君主を意味するヘブル語はペルシャ語の「パルテミム(partemim)」であり、ダニエル書の年代が後期であることの別の証拠として挙げられています。
しかし、ダニエルは晩年、ペルシャ政府の高官として生活していたため、時折ペルシャ語が出てくることは何も不思議なことではありません。
実際、その語源が不明瞭であるため、厳密にペルシャ語であるかどうかさえ明らかではありません。[53]

ネブカドネザルは、バビロンの宮廷で教育を受けるためにこれらの若者たちを選ぶことで、いくつかの目的を達成しようとしていました。
捕虜となった者たちは、ユダ王国の王族の統制を保つための人質として十分に機能するはずです。
また、彼らが宮廷にいることは、バビロニア王にとって自身の征服と戦功を思い起こさせる良い機会となりました。
さらに、彼らを入念に訓練し、仕えるよう準備させることは、後のユダヤ統治においてネブカドネザルにとって大きな助けとなったのです。

選ばれた人々の条件は4節に詳しく列挙されています。
彼らは「身に何の欠陥もなく」、「容姿は美しい」者でなければなりません。
また、知的にも優れ、「あらゆる知恵に秀で」ある者でなければなりません。
さらに、王族や貴族の子女に与えられるような教育を以前に受けていたかどうかも、選考の要素の一つでした。
「科学」を理解する能力は、現代的な意味で捉えるべきではなく、むしろ当時のあらゆる学問分野における技能と捉えるべきです。
つまり、彼らの総合的な身体的、個人的、知的能力、そして文化的背景が選考の要素となりました。
しかし、彼らの訓練は、彼らをそれまでのユダヤ文化と環境から切り離し「カルデヤ人の文学とことば」を教えるものでした。

カルデア人とは、カルデア人全体を指す場合もあれば、ダニエル書2章2節に見られるように、「カスディム(kasdi‚m)」と呼ばれる特別な学識者を指す場合もあります。
国民全体と特別な学識者の両方に同じ言葉が使われているのは紛らわしいものの、必ずしも珍しいことではありません。
ここでの意味は、カルデア人の一般的な学識と、占星術師などの賢者の学識の両方を含んでいる可能性があります。
最も重要なのは、ダニエルとその仲間たちがネブカドネザルの夢を解き明かす究極の試練に直面した際、カルデア人の学識が何の役にも立たなかったことです。
彼らが訓練を受けた当時の年齢は明記されていませんが、おそらく10代前半だったと思われます。

このような教育自体はユダヤ人の若者の宗教的良心に反するものではありません。
彼らの環境と境遇はすぐにいくつかの大きな課題をもたらしました。
その一つが、王の食卓から毎日食物とぶどう酒が供給されていた事実です。
古代文献にはこの慣習に関する記述が数多く残されています。
A・レオ・オッペンハイム氏は、古代文献において王室の扶養家族の生活のための油の供給を列挙しています。
ネブカドネザル2世の治世10年から35年にかけての粘土板には、ユダ王の息子たちへの食料について具体的な言及があります。[54]
このような食料は「定められた」、あるいは「割り当てられた」もので、数量的な配分という意味で用いられました。[55]

ヘブル語で「日ごとの糧」という表現は、文字通り「その日における一日の一部」を意味しています。
「肉」を意味する語(ヘブル語(pathbagh))は、リューポルド氏によれば、「サンスクリット語(pratibagha)」からのペルシャ語の借用語です」。[56]
この語が具体的に「ごちそう」を意味するかどうかは議論の余地があるが、ヤング氏はこれを「割り当て」を意味すると考えています。[57]
しかし、王室の食事は豪華で「豊かな食物」と呼ぶのが適切だとする暗示は確かにあります。[58]

王の惜しみない施しは、彼らに3年間の教育を受けさせるのに十分な食料を与えることを目的としています。
「三年間、彼らを養育する」という表現は、文字通り子供に与えるような教育を指しています。
彼らの目的は、彼らを知的に成熟させ「王に仕える」、つまり王の召使いとなり、責任ある地位に就くことにまで導くことです。

6節では、ダニエルとその三人の仲間、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤが捕囚人の中にユダの子たちとして含まれていることが記されています。
捕囚された人の中では彼らだけが物語の後半で登場し、他の名前は記されていません。
バビロンの腐敗した影響力は、他の者たちにとって強大でした。
しかし、これらは神の御手の中では無力なのです。

ダニエルという名は聖書の中でありふれた名前です。
預言者ダニエル以外にも少なくとも3人の人物に用いられています。
(歴代誌第一3章1、ダビデの子、エズラ記8章2節、イタマルの子、ネヘミヤ記10章6節、祭司)
しかし、保守的な学者たちは、エゼキエル書14章14節、20節、そして28章3節に預言者ダニエルへの言及を見出しています。
序文で指摘したように、通常、批評家たちはエゼキエル書がダニエルをその書の著者と同一人物として言及しているかどうかに異議を唱えます。
これは、ダニエル書が紀元前2世紀の偽造であるとする彼らの主張に反するからです。
しかし、前述のように、捕虜であったエゼキエルが、同じ捕虜でありながら王に次ぐ権力を持つ地位にまで上り詰めた同胞の一人について言及することは、非常に意義深く自然なことだったと言えます。
捕虜となったユダヤ人たちは、ダニエルを英雄としてだけでなく、敬虔な模範としても見ていたのです。
エゼキエルがラス・シャムラ文書(紀元前1500~1200年)に登場する神話上の人物について言及している批評家の主張は、ヤング氏が述べているように「極めて疑わしく思えます」[59]。

ダニエルとその三人の仲間の名前の変化は、彼らのヘブル語とバビロニア語の名前の両方の意味に注目を集めています。
学者たちは一般的にダニエルという名前が「神は裁き主」あるいは「私の裁き主は神」あるいは「神は裁かれた」という意味であることに同意しています。
聖書の他の箇所でも他の人物を指して名前が出てくるハナニヤ(歴代誌第一25章23節、歴代誌第二26章11節、エレミヤ36章12節など)は「ヤハウェは恵み深い」という意味だと解釈されています。
ミシャエル(出エジプト記6章22節、ネヘミヤ書8章4節)は「その者は神なのか?」[60] あるいは「神とは誰か?」[61]という意味だと理解できます。
アザリヤは「主は助けてくださる」[62] 、あるいは「ヤハウェは助けてくださった」と解釈できます。
ダニエルの仲間のヘブル語の名前はすべて、旧約聖書の他の書で同じ名前の仲間に関連づけられ再び登場します。
注目すべきことに、彼らのヘブル語の名前はすべて、イスラエルの神との関係を示しており、当時の慣習においては敬虔な両親を暗示しています。
おそらくこれが、他の若者たちとは対照的に、彼らが神に忠実であると認められた理由を説明してくれています。
彼らは幼少期に敬虔な家庭で育ったのです。
イスラエルが背教した時代にも、エリヤの七千人に相当する、バアルにひざまずかなかった人々がイスラエルには存在していました。

しかしながら、4人の若者全員に新しい名前が与えられます。
これは、人が新しい立場に入ったときの慣例でした (創世記17章5節、41章45節、サムエル記第二12章24、25節、列王記第二23章34、24章17節、エステル記2章7節を参照にしてください。)[63]
ダニエルとその仲間に与えられた異教の名前は、ヘブル語の名前ほど簡単には解釈できません.
おそらく、イスラエルに対する勝利をバビロンの異教の神々の功績とし、これらの若者たちをヘブル人の背景からさらに切り離す意図で与えられたものです。
ダニエルにはベルテシャザルという名前が与えられています。
これはベルシャザルと同じで「彼の命を守ってください」という意味です。[64]
あるいは、「ベルが彼の命を守ってくださいますように」というほうが適切だと考えます。
(ダニエル書4章8節を参照にしてください。)[65]
ベルはバビロンの神です。
(カナン人の主、神バアルを参照にしてください。)

ハナニヤはシャドラクという名を与えられました。
リューポルド氏はこれを「命令」を意味するスドゥルと月神アクの複合語であると解釈しています。
したがって、この名は「アクの命令」を意味することになります。[66]
ヤング氏は、この名はバビロンの主、神マルドゥクの歪曲であると考えています。

ミシャエルはメシャクという名を与えられました。
リューポルド氏はこれを「ミシャアク(月の神)とは誰なのか?」という意味の「ミシャアク」の短縮形と解釈しています。
モンゴメリ氏はシュレーダー氏とトーリー氏にならい、「ミシャエル」の最初の部分は「救い」を意味するが、現代の多くの注釈で採用されている「神とは誰なのか?
」という別の訳は否定しています。[67]
モンゴメリ氏はおそらく正しいと思われますが、ヤング氏はこの名前の特定だけでは定義を与えるのに十分ではないと考えています。[68]

アザリヤはアベデ・ネゴという名を与えられました。
おそらく「ネボのしもべ」を意味し、ネボが訛ってネゴになったものと考えられます。
カイル氏はシャドラクやメシャクの意味については意見を述べていないが、アベデ・ネゴの解釈には同意しています。[69]
ネボはバビロニアの神ベルの息子と考えられていました。

ダニエルは後期の著作において、大体において自身のヘブル名を好んで用いていますが、仲間のバビロニア名をくりかえし用いています。
しかし、ヘブル人の若者たちに異教の名前が与えられた事実は、ヨセフの場合と同じ様に、彼らがヘブルの信仰から逸脱したことを示すものではありません。
(創世記41章45節)

ダニエルの目的は自分を汚さないことです。

「ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。
神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。
宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている。もし王さまが、あなたがたの顔に、あなたがたと同年輩の少年より元気がないのを見たなら、王さまはきっと私を罰するだろう。」」
(ダニエル書1章8~10節)


ダニエルとその仲間たちは、王から与えられた食物を食べるという問題で妥協を迫られました。
王の食物が彼らに与えられたことは、惜しみなく与えられ、王の好意を示すためのものであったことは疑いありません。
しかしダニエルは、自分を汚さないことを「心に定め」、あるいは文字通り「心に留めた」のです。
(イザヤ42章25節、47章7節、57章1節、11節、マラキ書2章2節を参照にしてください。)

問題は二つあります。
最初に、与えられた食物はモーセの律法の規定を満たしていません。
つまり、規定に従って調理されておらず、禁じられた動物の肉が含まれていた可能性があります。
二番目に、律法にはぶどう酒を飲むことについての完全な禁令はありません。
しかし、ここで問題となるのは、バビロンの慣習に従って、ぶどう酒も肉も偶像に捧げられていたということです。
それを食べることは、偶像を神々として認めることになります。

ダニエルが自分を汚さないという決意とよく似た記述は、トビト記(1章10、11節)に見られます。
北イスラエル部族の捕囚についてこのように記されています。
「私がニネベに捕囚されたとき、私の兄弟や親族は皆、異邦人の食物を食べていました。
しかし私は、心を尽くして神を思い起こしていたので、それを食べませんでした。」
同様の記述は、マカバイ記第一(1章62、63節)にも見られます。
「しかし、イスラエルの中には、汚れた食物を食べないと心に決め、堅く立っていた者が多くいました。
彼らは食物によって汚されることや聖なる契約を汚すことよりも、死を選び、そうして、死にました。」[70]

ダニエルとその仲間たちが王から与えられた食物を食べるべきなのかという問題は、律法への忠誠心を測る究極の試金石でした。
おそらくは、この問題に関して妥協しそうな他の捕虜たちからダニエルとその三人の仲間たちを区別するという目的もあったはずです。
この決断はまた、神がイスラエルを捕囚にしたのは律法を守らなかった結果だとするダニエルの理解を示しています。
ダニエルがこの問題をどのように扱ったかが、ダニエル書全体の霊的な基調を決定づけています。

ケール氏はこの問題を次のように要約しています。

若者たちに王の食卓の食物と酒を与えるという王の命令は、ダニエルと友人たちにとって、主とその律法に対する彼らの忠誠心を試すものでした。
それは、ヨセフがエジプトで受けた試練と同様、彼が置かれた状況に応じて、神に対する彼の忠誠心を試すものでした。
(創世記39章7節以下)
王の食卓から運ばれてきた食物を食べることは、律法で禁じられていたため、彼らにとって汚れた行為でした。
それは、食物がレビ人の定めに従って調理されていなかったからでも、あるいはイスラエル人にとって汚れていた動物の肉を含んでいたからでもありません。
なぜなら、この場合、若者たちは酒を控える必要がないからです。
彼らがそれを拒絶した理由は、異教徒が祝宴で食物と飲み物の一部を神々への供物として捧げるような宗教儀式による食事とは聖別していたからです。
そのような食事に預かった者だけでなく、肉とぶどう酒全体が偶像のささげ物の「肉とぶどう酒」でした。
使徒の言葉(コリント人への第一の手紙10章20節以下)によれば、それを取ることは悪魔にささげ物を捧げることと同じです。
彼らがそのような飲食を控えたことは、モーセの律法を超える厳格主義を示すものではありません。
この傾向はマカベア朝時代に初めて現れました。
したがって、ダニエルがそのような汚れた食物を控える決意は、律法への忠実さです。
また、「人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる」(申命記8章3節)という信仰への揺るぎない信念から生まれたものでした。[71]

ダニエルがこの困難な状況に対処した方法は、彼の優れた判断力と常識を反映しています。
反抗して罰を受ける代わりに、彼は宦官の長に、良心を汚す食物を口にすることを免除してほしいと丁重に願い出ます。
(コリント人への手紙第一10章31節)
批評家たちはこの禁欲を狂信と同一視し、マカベア時代と結び付けようとします。[72]
しかし、ダニエルがこの状況をうまく処理したため、そのような非難は正当化されません。
ロイポルド氏は、ダニエルが彼らに与えられた異教徒の名前にも、彼らの宗教観を含む異教徒の学問を含む教育にも異議を唱えなかったことを指摘しています。[73]
これはユダヤの律法に直接反するものではありません。
ここでダニエルは、正しく重要な事柄においても正しい良心を働かせていました。

ダニエルが宦官の長に願い事を告げたとき、神はダニエルを宦官の長の好意とあわれみの中に導いてくださったことが語られています。
RSV英訳聖書は、これがダニエルの願い事より前の出来事であったことを示しています。
ヘブル語の直訳「神はダニエルに好意を示された」などからわかるように、願い事が伝えられた時点で起きた可能性が高くあります。
ヤング氏が述べているように、「この一連の考えは歴史的です。」[74]
「好意」ヘブル語「ヘセド(hesed)」という言葉は親切または善意を意味しています。
「優しい愛」ヘブル語「ラハミム(rahami‚m)」という翻訳は、深い同情を表す複数形です。
神がダニエルの願い事の道を備えるために介入したことは明らかです。

しかし、宦官の長であるアシュペナズは、ダニエルに「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている」と答えたのは、決して軽率な発言ではありません。
実際、もし彼が自分の役割をきちんと果たさなければ、首を切られるかもしれないと言っても過言ではありません。
バビロンでは命は安く、王の気まぐれに左右されていました。
そのため、王子は捕虜の食事に関する王の命令を変更したことを知られたくありません。
もし、後に捕虜に何らかの悪影響が現れ、調査が行われれば、彼に責任が問われます。
「元気がない」(つまり、見た目が劣る、比較して見劣りする)という表現は、危険な病気を意味するものではなく、単に仲間と比べて青白い、あるいは痩せているといった外見の違いを意味しています。
王子はダニエルの要求を即座に拒否することもできましたが、アシュペナズは問題を説明しました。
これで、対案への道が開かれました。

ダニエルの10日間のテストの要請

「そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。
「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。
そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」
世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。」
(ダニエル書1章11~14節)


ダニエルの次の行動は、ダニエルとその仲間たちを直接管理していた執事に10日間の試練を申し入れることでした。
モンゴメリ氏はこのように述べています。
「ダニエルはその後、ヘブル語で「監視人」を意味する下級の役人に内密に願い出ます。
彼は若者たちの世話と食事の世話を任されていました。
伝統では、この役人と宦官長を正しく区別していました。」[75]

RSV英訳聖書は、この願いはメルザル(ヘブル語「ハメルサル(Hamelsar)」)に向けられたとしています。
おそらくこれは固有名詞ではなく、単に「執事」または侍従長を意味すると思われます。[76]
七十人訳聖書はここで本文を改変し、ダニエルが実際には「ダニエルの宦官長に任命されていたアビエズドリ」に話しかけたとしています。
チャールズ氏などの批評家は、これを根拠にダニエル書のテキストに疑問を提示し、ダニエルは執事ではなく宦官長との会話を続けたのではないかと推測しています。
しかし、カルヴァンに倣ってヤング氏はこの考えを否定し、ダニエルの行動は完全に自然であり、状況に合致するものだと主張しています。[77]
食生活の恒久的な変更を許されなかったダニエルは、当然のことながら、次の行動として短期間の試みを試みることにした。
モンゴメリ氏が言うように、「部下であれば、発覚を恐れることなく恩恵を与えることができる」のです。[78]
首席執事は、宦官の王子ほど王に近い立場でも責任ある立場でもなかったため、危険を冒す余裕がありました。

提案は10 日間の試験期間を設けるというものです。
これは食事を試すのに妥当な期間であり、それでいて王の怒りを買うリスクが大きすぎないものでなければなりません。
「豆類」つまり「野菜」を食べるという要求には、幅広いカテゴリーの食品が含まれていました。
ヤング氏もドライバー氏と同じ様に、これは食事をエンドウ豆やインゲン豆に限定するのではなく、地面から育つ食品、つまり「蒔かれたもの」に限定するものです。[79]
カルヴァンの考えでは、ダニエルがこの許可を求めるにあたり神から特別な啓示を受けており、そのために若者は10日の終わりに顔色、あるいは容貌を調べてそれに応じて判断を下すよう提案したのかもしれません。[80]
管理人は彼らの要求を認め、試験が始まりました。

ダニエルの要求は認められました。

「十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。
そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。」
(ダニエル書1章15、16節)


試練の終わりに、ダニエルとその仲間たちは、王の食物を食べ続けていた者たちよりも、容姿が良くなっただけでなく、肉付きも良くなっていました。
神の祝福は彼らにありましたが、ここで神の超自然的な行為を想像する必要はありません。
彼らが食べていた食物は、実際には彼らにとってより良いものでした。
試練の結果、彼らの願いは聞き入れられ、彼らは野菜中心の食事を続けられました。

ダニエルとその仲間たちへの神の祝福


「神はこの四人の少年に、知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵を与えられた。ダニエルは、すべての幻と夢とを解くことができた。
彼らを召し入れるために王が命じておいた日数の終わりになって、宦官の長は彼らをネブカデネザルの前に連れて来た。
王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。
王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。
ダニエルはクロス王の元年までそこにいた。」
(ダニエル書1章17~21節)


ダニエル書1章の最後の部分は、3年間の熱心な学習と、4人の忠実な若者に対する神の祝福の成果を要約したものです。
「少年」という言葉は「若者たち」と訳した方が適切です。
彼らが教育を終えた頃は、おそらく20歳近くになっていたはずです。
彼らの生まれ持った知的能力と、学問への明らかな熱心な取り組みに加えて、神は恵みを与えられました。
英訳聖書では、神の名の前に冠詞が付けられていることは、神が真実な神であることを意味しています。
知識と知恵とは、彼らがカルデア人の学問に精通していただけでなく、その真実な意味を理解していたことを示しています。

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。
そうすればきっと与えられます。」
(ヤコブの手紙1章5節)


カルヴァンは、彼らがカルデア人の特徴であった宗教的迷信や魔術を学ぶことを禁じられていたと推測していますが、これはおそらく誤りです。[81]
彼らが将来の人生の課題に十分対応できるようになるためには、当時の宗教的慣習を深く理解する必要があったはずです。
しかし、ここで神の恵みが働き、彼らに理解力を与え、真実と偽りを見分けられるようにされました。
彼らは知識だけでなく識別力も持っていました。

「あらゆる文学を悟る力と知恵」という表現は、文学と文学を理解する知恵を指しています。
カイル氏が述べているように、ダニエルは「かつてモーセがエジプトの知恵に通じていたように、カルデアの知恵に深く精通する必要がありました。
神の隠された知恵によってこの世の知恵を辱めることができるからです。」[82]

「モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。」
(使徒の働き7章22節)


4人の若者は皆、カルデア人の文学をよく理解し、真実と偽りを賢明に区別することができました。
しかし、ダニエルだけが「すべての幻と夢」を理解することができました。
これは愚かな自慢ではなく、続く章で預言者としてのダニエルの役割を理解するために必要な現実です。
この点で、ダニエルは真実な預言者として仲間とは異なっています。
彼の幻と夢を識別し解釈する能力は、主に他人の夢と幻を解釈することを念頭に置いていました。
これには2章でダニエルが熱心に祈った後にのみ得たネブカドネザルの夢を知る能力が含まれていません。
また、必ずしもこの時点では、まだダニエルが7章以降で見たような幻と夢を見る能力が与えられていません。

ダニエルの能力には、真実の夢と啓示的な意味のない夢を区別すること、それを正しく解釈することが含まれていました。
神の手は、何世紀も前にサムエルに与えられたのと同様、若いダニエルにもすでに与えられていました。
モンゴメリ氏やその他の批評家は、ダニエル書が二世紀に書かれた仮定に基づいて、ダニエル書における預言的な賜物の意味と重要性を軽視しています。
しかし、この書が進むにつれて、ダニエルが主要な預言者たちと多少異なっていたとしても、ダニエルの貢献は同様に重要でした。
実際、旧約聖書の他のどの書よりも広範囲であることが非常に明らかになります。[83]
広大な範囲において、異邦人とヘブル人の将来の歴史が、同じ精度で明らかにされたことは、他の誰にもありません。

18節では、彼らの準備期間の終わりがネブカドネザル王との面会によって示され、宦官長が彼らを王の前に招き入れました。
「日数の終わり」という表現は、3年間の期間の終わりを意味しています。
この時、訓練中の若者全員が王によって試練を受けました。

ネブカドネザルの鋭い質問に対し、ダニエルと三人の仲間はヘブル名で呼ばれ「彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっている」と評価されました。
これは、彼らが研究していた事柄において高い知性と鋭い洞察力を持っていたことを意味しています。
「十倍もまさって」という表現、文字通り「十倍」という言葉は、一見大げさに聞こえるかもしれませんが、彼らが際立って異なっていたことを示しています。
しかし、この称賛でさえ、率直に、そして明らかに神の恵みによるものとして述べられており、ダニエルは傲慢という非難からも解放されています。
彼らの率直な特徴と誠実さ、そして、学問の真実な意味に対するこれらの若者たちの深い洞察力は、知恵よりも狡猾でずる賢かった宮廷の賢人たちとは、際立って対照的に写っていたはずです。
偉大な功績によって明らかになったように、並外れた知性を持つネブカドネザル自身も、これらの聡明な若者たちにすぐに反応しました。

1章は、ダニエルがクロス王の治世の第一年まで働き続けた簡潔な記述で締めくくられています。
ダニエル書10章1節によれば、批評家たちはダニエルに啓示が与えられたのはクロス王の治世の第三年であり、不正確だと批判しています。
この記述が引き起こした大騒ぎは、空論に過ぎません。
明らかにダニエルにとって重要なのは、彼の宣教活動がバビロニア帝国全体に及んでいました。
そして、クロス王が世に現れた時、まだ彼が生きていました。
この箇所は、ダニエルがクロス王の治世の第一年以降も働き続けなかったとは述べておらず、示してもいません。
実際、ダニエルは働き続けました。

チャールズ氏のコメントに示されているように、20節と21節の両方を2章の末尾に置こうとする試みは、ヤング氏によって満足のいく回答を得ています。[84]
チャールズ氏は、「もし王が、ユダヤ人の若者たちがバビロンのすべての賢者よりも十倍もまさっていると知っていたなら、当然、バビロンの賢者たちに先立って彼らに相談し、2章16節で彼らが進んで解き明かしをするまで、王は待つことはなかったはず」だと論じています。[85]

「ダニエルは王のところに行き、王にその解き明かしをするため、しばらくの時を与えてくれるように願った。」
(ダニエル書2章16節)


しかし、これは本文の主観的な変更です。
2章の出来事が1章の末尾に時系列で続くならば、彼らは学問の熟達度を示しただけで、2章のように夢を解釈する能力を示したわけではありません。
1章には、彼らが直ちに首席賢者の地位を与えられたことを示す記述はありません。
したがって、彼らは2章の夢を解釈するために呼ばれていません
同様の状況は5章にも見られ、ダニエルは夢や幻を解釈した実績があるにもかかわらず、他の人々が解釈に失敗するまで呼ばれてもいません
批評家たちは、自分たちの解釈に合うように聖書の本文を変えることに熱心すぎるのです。

ダニエル書2章1節の考察で指摘されているように、ダニエル書2章の幻と夢の解釈は、ダニエルが修行を始めて3年目、つまり4人の若者が王に正式に紹介される前に起こった可能性が十分にあります。
これでダニエル書1章20節の記述に関するすべての反論を解消されます。
なぜなら、ダニエルの卒業はダニエル書2章の出来事の後になるからです。
ダニエル書が厳密に年代順に書かれていないことは、5章と6章が7章と8章の前に置かれていることから明らかです。
これらは年代順ではありません。
いずれにせよ、ダニエルの記録を主観的に批判する正当な理由はありません。

物語は美しく完結しており、イスラエルの歴史における暗黒の時代における神の力と恵みを雄弁に物語っています。
ダニエルと仲間たちの忠実さは、イスラエルの捕囚と背教という状況下において、より一層輝きを増しています。
どの時代においても、神はご自身に用いられる者を求めておられます。
ここには、誘惑に遭うすべての聖徒にとって力の源となってきた4人の若者がいました。
ダニエルは祈りの人です。
ダニエルが妥協を許さない道徳心を備えていなかったら、神の預言者、神の啓示の媒介者として認められることはなかったはずです。
神はダニエルにふさわしい栄誉を与えました。
ダニエルとその仲間たちは、背教と神の裁きの暗黒の時代においても神の証しを守り抜いた、イスラエルの敬虔な残された民を代表しています。
これらの若者たちの高潔な模範は、終わりの時にイスラエルが大きな試練に遭う際に、彼らを励ますものとなります。

[36] J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, pp. 113-16.

[37] Carl Frederick Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 60.

[38] Jack Finegan, Handbook of Biblical Chronology, p. 202.

[39] Hayim Tadmor, “Chronicle of the Last Kings of Judah,” Journal of Near Eastern Studies 15:227.

[40] D. J. Wiseman, Chronicles of the Chaldean Kings, pp. 20-26.

[41] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, pp. 47-54.

[42] Finegan, pp. 194-201.

[43] Edwin R. Thiele, Mysterious Numbers of the Hebrew Kings, p. 166.

[44] Leupold, pp. 54-55.

[45] Keil, pp. 62-71.

[46] Edward J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 38.

[47] Siegfried H Horn, Seventh Day Adventist Dictionary of the Bible, p. 83.

[48] Young, p. 39.

[49] Flavius Josephus, The Works of Flavius Josephus, p. 222.

[50] Young, p. 39.

[51] Montgomery, p. 119.

[52] Robert H. Charles, The Book of Daniel, p. 7.

[53] *In his discussion, Leupold observes correctly, “Critics should use uncertain terms with proper caution” (Leupold, p. 59).

[54] A. L. Oppenheim, “Babylonian and Assyrian Historical Texts,” in Ancient Near Eastern Texts Relating to the Old Testament, p. 308.

[55] Montgomery, p. 127.

[56] Leupold, p. 62. See Montgomery, pp. 127-28 for a complete discussion; cf. Brown, Driver, and Briggs, Hebrew and English Lexicon to the Old Testament, p. 834.

[57] Young, p. 42.

[58] The privilege of sitting at the king’s table is discussed by Roland de Vaux, Ancient Israel, Its Life and Institutions, pp. 120-23.

[59] Young p. 274.

[60] Leupold, p. 64.

[61] Keil, p. 79; Young, p. 43.

[62] Keil, p. 79.

[63] Cf. Young, p. 43.

[64] Ibid.

[65] Cf. Leupold, p. 65.

[66] Ibid.; cf. Montgomery, p. 128.

[67] Montgomery, pp. 128-29; Brown, Driver, and Briggs, p. 567; Horn, p. 724.

[68] Young, p. 43.

[69] Keil, pp. 79-80.

[70] Cf. Tudith 12:1-4; Book of Jubilees 22:16; and the interesting account in Josephus, Life 3 (14), where we hear of certain Jewish priests in Rome who avoided defilement with Gentile food by living solely on figs and nuts (cf. Montgomery, p. 130).

[71] Keil, p. 80.

[72] Young, p. 45.

[73] *Leupold credits Kliefoth as expressing this concept (Leupold, p. 66).

[74] Ibid.

[75] Montgomery, p. 131.

[76] Cf. Leupold, p. 70; Keil, p. 81.

[77] Young, pp. 45-46.

[78] Montgomery, p. 131.

[79] Young, p. 46; cf. Montgomery, p. 132.

[80] John Calvin, Commentaries on the Book of the Prophet Daniel, 1:105.

[81] Calvin, 1:112.

[82] Keil, p. 83.

[83] Montgomery states, “Dan.’s specialty in visions and dreams does not belong to the highest category of revelation, that of prophecy; the Prophets had long since passed away, 1 Mac. 4:46, and the highest business of the Jewish sage was the interpretation of their oracles” (Montgomery, p. 132). Montgomery rejects, of course, a sixth century B.C. date for Daniel, well before the last of the prophets. For refutation, see Young, pp. 49-50.

[84] Young, pp. 52-53.

[85] Charles, p. 12.


2章 ネブカドネザルの偉大な像の幻

異邦人の覇権とイスラエルへの裁きの時代における神の計画の壮大な概要が初めてダニエル書2章で提示されています。
トレゲレス氏はダニエル書2章の序文で次のように述べています。
「ダニエル書は、異邦人の手に委ねられた時代の世界の権力について述べている聖書箇所です。
同時に、神の旧約の民であるイスラエルの民が罪のゆえに裁きを受けている時期について述べています。」[86]

ダニエル書全般に言えることは、特に2章に適応されています。
ダニエル書7章を除けば、聖書の中で、ダニエルの時代(キリストの600年前)からキリストの再臨による終焉に至るまでの世界史について、これほど包括的に描写されている箇所は他にありません。
ダニエル書が、キリストが「異邦人の時」(ルカの福音書21章24節)と呼ばれる時代の推移についての広範な啓示を受けただけでなく、エルサレム再建からキリストの再臨に至るまでのイスラエルの歴史に関する年代順の預言も与えられたことは注目に値しています。

「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」
(ルカの福音書21章24節)


ダニエル書の二つの主要な焦点は、ダニエル書がイスラエル国家について述べられた概略的な世界史である一般的な説明を弁護していることです。

ダニエル書、特に2章の解釈は、大きく分けて二つのカテゴリーに分かれます。
ダニエル書を紀元前2世紀の贋作とする高等批評家たちは、2章の預言的な意味をことごとく否定し、筆者は単に歴史を記録しているだけだと主張しています。
もし、彼らの主張が正しいのであれば、この章の解説は、不思議ですが、特に重要でない文書の無意味な解釈となります。

一方、敬虔な学者たちは、この書物が紀元前6世紀にダニエルによって書かれた神の御言葉の真正な一部とする信憑性を一貫して支持してきました。
ダニエルを真実な預言者として位置づけ、ダニエル書を霊感を受けた聖書とみなしています。
もし、この2番目の見解を採用した場合にだけ、この章で詳述されている広範な預言について合理的な説明を与えることができるのです。

この章を真実な聖書とみなす人々の中は、さらに二つのグループに分けられます。
(1)無千年王国主義説、または千年王国後再臨主義の観点からこの幻を解釈する人々です。
(2)千年王国前再臨主義の観点からこの幻を解釈する人々です。
この違いはこの像がどのように破壊されるか、そしてこの啓示が現代、およびキリストの二度の再臨との関連性の見解の違いによって決まります。
聖書の中で、この章ほど預言の原則と内容の両方を確立する上で決定的な役割を果たす章はありません。
したがって、この章の研究はすべての預言解釈体系にとって極めて重要なものなのです。

ネブカドネザルの夢

「ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは、幾つかの夢を見、そのために心が騒ぎ、眠れなかった。」
(ダニエル書2章1節)


ネブカドネザルの夢とその解釈の重要な出来事は「ネブカデネザルの治世の第二年」という記述によって始まります。
この記述は1章で記されているダニエルと仲間たちの3年間の訓練とどのように関係しているのか、疑問が生じています。
強調のために文頭に置かれているこの時間指定は、「今、接続詞(waw)」によって前の章と繋がっています。
これは連続した情報であることを示していますが、必ずしも、時系列的な連続性を意味するわけではありません。

「ネブカデネザルの治世の第二年」という記述は不正確だと批判する声もありますが、説明は比較的容易です。
ネブカドネザルはカルケミシュでエジプト軍に勝利した直後、ダニエルとその仲間を連れ去りました。
カルケミシュでの勝利は紀元前605年5月から6月にかけて行われたと推定されます。[87]
ワイズマン氏はこのように述べています。
「バビロニアの勝利の影響は即座に広範囲に及びました。
「その時」とカルデア王年代記の著者は記録しています。
「ネブカドネザルはハッティ地方全域を征服しました」」。
この地理的用語「ハッティ」には、当時シリアとパレスチナ全域が含まれています。[88]

ワイズマン氏によれば「ユダへの影響は、ネコの家臣であったヨヤキム王がネブカドネザルに自発的に服従し、預言者ダニエルを含む一部のユダヤ人が人質としてバビロンに捕らえられていた」と述べています。[89]
これは紀元前605年6月から8月のことです。
したがって、ダニエルとその仲間たちはその後すぐにバビロンで訓練が開始されました。
おそらく、紀元前605年9月7日、父ナボポラッサルの死によりネブカドネザルが王位に就いた後のことだと考えられます。
こうした一連の出来事を踏まえ、リューポルド氏は「「2年目に」という表現は無害であり、反論の余地もない」と結論付けています。[90]
現在の計算では、実際には3年目にあたります。
リューポルド氏は続けてこのように述べています。
「バビロニア人の王の治世の計算法では、亡くなった君主の最後の年の残りの部分を新しい王の治世の初年とみなすのではありません。
新しい君主の支配の最初の完全な年をその年とみなしています。
王は原則として、治世の最後の年の終わりに亡くなることはなかったので、通常、治世の間には数ヶ月の空白があり、そのことによって本章の冒頭の文言が適切となる十分な余裕が生まれています。」[91]
つまり、ネブカドネザルの治世の初年は数えられていません。
これが、なぜこの夢が二年目に起こり、ダニエルの修行の3年間の後に起こったという、可能性のある説明を与えています。
エドワード・ヤング氏はドライバー氏にならい、ヘブル語の慣習からの例証によって、ダニエルの修行の3年間が必ずしも完全な3年間ではなかった考えを支持しています。[92]

ワイズマン氏、ティール氏、フィネガン氏[93]の主張に従った年代順は、次のような出来事の順序である必要であります。

*紀元前605年5月~6月、カルケミシュでバビロニアがエジプトに勝利します。

*紀元前605年6月~8月、エルサレムがネブカドネザルに陥落し、ダニエルと仲間が捕虜となります。

*紀元前605年9月7日、軍の将軍ネブカドネザルは父ナボポラッサルの死後、バビロンの王となります。

*紀元前605年9月7日からニサン(3月~4月)まで、紀元前604年ネブカドネザルが王として即位した年に、ダニエルの訓練が最初に行われた年となります。

*紀元前604年ニサン(3月~4月)から紀元前603年ニサン(3月~4月)、ネブカドネザルの治世の1年目、ダニエルの訓練の2年目です。

*紀元前603年ニサン(3月~4月)から紀元前602年ニサン(3月~4月)、ネブカドネザル王の治世2年目、ダニエルの訓練3年目、ネブカドネザル王の夢の年です。

モンゴメリ氏[94]らは、ダニエル書1章20節から2章1節の記述が絶望的な矛盾であると主張しています。
しかし、これはダニエル書の史実性に対する明らかな偏見に基づいています。
ロバート・ディック・ウィルソン氏のような学者たちは、これらの反論に満足のいく回答を示しています。
そして、ダニエル書の記述や他の記述と、矛盾が肯定されるような証拠は存在しないことを示しています。[95]

起こった重要な出来事は「ネブカデネザルは、幾つかの夢を見た」という記述に簡潔に表現されています。
「夢」は複数形であるため、彼がいくつかの夢を見ました。
しかし、その夢の意味に悩まされて眠れなかったことを意味しています。
「夢を見た」というヘブル語は過去完了、すなわち過去に「夢を見た」と理解できます。[96]
これは、その夢が1章の一連の出来事のどこかで起こったのか、今になって詳細が述べられていることがわかります。
したがって、その夢の解釈はダニエルが3年間の訓練を終え卒業する前に行われたと結論付けることができます。
注解者は一般に夢の複数形に気を取られすぎになり、動詞が軽視されてきました。

ヘブル語で「悩ます」は、不安を誘発する深い動揺を意味しています。
ネブカドネザルは、これが単なる夢ではなく、ダニエル書2章29節で後に述べられている未来に関する彼の問いかけに対する返答であると察知しました。
その結果、「眠れなかった」のです。
この動詞の受動態から、リューポルド氏は文字通り「終わった」と訳しています。[97]
あるいは、モンゴメリ氏は「目をさました(his sleep brake from him)」と訳しています。[98]

ジェフリー氏・R・キングは、この件に関する長い解説の中でこのように述べています。
「よくあることだが、昼間の心配事が夜の心配事になっていたと思います。
ネブカドネザルは、神を信じる者なら決して夢にも思わなかったことでした。
ネブカドネザルは問題を寝床に持ち込んだのです。」[99]
しかし、ネブカドネザルはクリスチャンではありません。
結論として、状況と夢は神ご自身によって摂理的に引き起こされたものです。
聖書には他にも、神が異邦人の支配者に啓示を与えるために夢を用いている例があります。
例えば、アビメレク(創世記20章3節)やファラオ(創世記41章1~8節)のケースは、ネブカドネザルの経験と興味深い類似点を示しています。
また、不眠症も神の摂理において目的を持っています。
例えば、エステル記6章のアハシュエロスの場合、ハマンの処刑とイスラエルの救いにつながる一連の出来事の始まりとなりました。
ネブカドネザルの経験は明らかに神によって命じられたものでした。

召喚されたさまざまな知者

「そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた。彼らが来て王の前に立つと、
王は彼らに言った。「私は夢を見たが、その夢を解きたくて私の心は騒いでいる。」」
(ダニエル書2章2、3節)


王は動揺したため、ここで「呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人」と表現されている4つの分類の知者全員を直ちに召集しました。
「知者」という呼称は2節には出てきませんが、27節に見られます。
ダニエル書全体を通して、同様の記述が数多く見られます。
(1章20節、2章10節、27節、4章7、5章7節、11節、15節)
知者とは、明らかに全員を総称したもので、単独でくり返し述べられています。
(2章12、13、14節、18節、24節、48節、4章6節、18節、5章7、8節)
また、他の箇所でカルデア人についても述べられています。
(1章4節、2章4節、3章8節、5章11節)
魔術師とは、リューポルド氏によれば、スタイラスやペンを語源とするヘブル語の翻訳語であり、通常の意味での魔術師というよりは学者を指している可能性があります。[100]
占星術師は「魔術師」とも訳され、リューポルド氏によれば降霊術や死者との交信の力を指しています。[101]
しかし、ヤング氏はこれを「占星術師」と理解しています。[102]
この翻訳は、未来を預言するために星を研究することを示しています。
しかし、ヤング氏は占星術師を具体的に定義していません。
魔術師とは、魔術や呪文を唱える者です。
しかし、最も重要な用語はカルデア人です。
これは通常、占星術師の集団を指すと解釈されています。
しかし、その名前は南バビロニアに住み(創世記11章28節を参照)、ネブカドネザルの父ナボポラッサルが王だったときに、最終的にアッシリアを征服した民族を指しています。

「ハランはその父テラの存命中、彼の生まれ故郷であるカルデヤ人のウルで死んだ。」
(創世記11章28節)


征服者たちが知者たちのレベルに自分の立場を置くことは当然のことでした。
カルデア人へのこの言及を不正確だと捉える正当な理由はありません。[103]
4つの階級の知者すべてを暗唱する明らかな目的は、王が彼らのさまざまな貢献を通じて自分の夢を解釈できることを望んだからです。

王は知者たちを前にして夢を見たと宣言しています。
「夢」の単数形を使用することで、多くの夢のうち、本当に預言的に重要なものは1つだけであることを示しています。

王が要求した夢の啓示とその解釈

「カルデヤ人たちは王に告げて言った。
――アラム語で。――
「王よ。永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべたちにお話しください。
そうすれば、私たちはその解き明かしをいたしましょう。」
王は答えてカルデヤ人たちに言った。「私の言うことにまちがいはない。もし、あなたがたがその夢とその解き明かしとを私に知らせることができなければ、あなたがたの手足を切り離させ、あなたがたの家を滅ぼしてごみの山とさせる。
しかし、もし夢と説き明かしとを知らせたら、贈り物と報酬と大きな光栄とを私から受けよう。
だから、夢と説き明かしとを私に知らせよ。」」
(ダニエル書2章4~6節)


カルデア人たちは、グループの代弁者として王に語りかけます。
「アラム語で」という表現は、4節から7章まで、ヘブル語ではなくアラム語で書かれた長いセクションの始まりを示しています。
この簡潔な記述をめぐっては、多くの議論が巻き起こってきました。[104]
この言及の明白な理由は、ダニエルがここからアラム語を使用しているからです。
アラム語はヘブル語に似てはいますが、ヘブル語とは異なる言語です。
ドライバー氏[105]のような批評家の中には、紀元前6世紀のバビロンでアラム語が話されていたかどうか疑問視する人もいます。
しかし、ダニエルにとってアラム語は馴染みのある言語であり、バビロンのユダヤ人がヘブル語の代わりに一般的に使用していた言語だったと推測するのが妥当な考えです。
このことからアラム語が正式な宮廷語であったと推論する必要はありませんが、カルデア人が王に語りかける際にアラム語を使用していない確かな証拠はありません。
ダニエル書のアラム語部分は、異邦人やダニエルの時代にとって最も重要な預言を扱っています。

近年の研究成果を踏まえると、ダニエル書のアラム語を主観的に否定することはもはや妥当ではありません。
K・A・キッチン氏は次のように述べています。
「この主題は、S・R・ドライバー氏、R・D・ウィルソン氏、G・R・ドライバー氏、W・バウムガートナー、H・H・ロウリー氏、J・A・モンゴメリ氏、H・H・シェーダー、F・ローゼンタール、その他多くの現代の学者によって、この数世代にわたって綿密に研究されてきました。
しかしながら、今だに、現在においても再評価の余地は十分に残されています。
そして、古代アラム語、帝国アラム語、そして後期アラム語の碑文資料は絶えず増え続けています。」[106]

キッチン氏はさらに、聖書で使われている大部分のアラム語をダニエルが使用しています。
そして、「単語のの十分の一は、紀元前5世紀かそれ以前のテキストで確認されている」と述べています。[107]

紀元前6世紀のテキストが不足しており、発見されたものの多くが5世紀のものであるが、ダニエルのアラム語が紀元前5世紀に使用されていたとすれば、紀元前6世紀にも使用されていた可能性が高くあります。
ドライバー氏らが、ダニエル書は紀元前2世紀の偽造である前提と、入手可能な資料の不足に基づいて議論した結論はとても明白です。
しかしながら、現在では資料が明らかになり、ドライバー氏の見解と矛盾しています。
最近の発見が認められれば、ドライバー氏の立場はもはや維持できません。

カルデア人は王を喜ばせようと熱心に、オリエント特有の丁寧な礼儀正しさで王に呼びかけます。
「王よ。永遠に生きられますように。」
(列王記第一1章31節、ネヘミヤ書2章3節、ダニエル書3章9節、5章10節、6章21節を参照)
彼らは、もし、王が夢を語ってくれるなら、その解釈を授けると確信を持って宣言しています。

カルデア人への返答で、王は「私の言うことにまちがいはない」と言いました。
使用されている語 (azda) がこの箇所と8節にしか出てこないため、翻訳が難しいことは全員が同意しています。
フランツ・ローゼンタール氏はこの語を「公に知られている、定められたものとして知られている」と訳しています。[108]
旧約聖書のギリシア語訳(七十人訳)では、この語は若干の変更を加えて夢が忘れられたことを意味する動詞形になっています。
つまり、夢が忘れられたことを意味する動詞形になっており「私から消え去った」という意味になっています。
ただし、この動詞は「私が定めた」という意味で「出て行った」という意味にもなります。
カイル氏[109]、ロイポルド氏[110]、ヤング氏[111]などの解説者は、王が実際には夢を忘れていなかったことに同意しています。
ヤング氏はこの語を「確かな」、あるいは「確実な」という意味に翻訳していますが、この定義はシリア語によって支持されており、この語がペルシャ語起源である仮定に基づいています。[112]
したがって、翻訳は「私の言うことにまちがいはない」、あるいは「完全に決定されている」となります。

王が実際に夢を忘れていたかどうかという議論は、現時点での調査では最終的に結論付けることはできません。
王が夢を忘れていたという説を支持する論拠としては、王は夢の解釈を知りたくて、知者たちに夢を明かし、彼らがどのような解釈をしてくれるか尋ねたはずだという主張が挙げられます。
これは「その夢は私から消え去った」という翻訳と整合しており、それも可能性として残っています。

しかし、王が顧問たちにこのような極端な要求を突きつけ、神々と実際に接触し、秘密を明かす能力を試した理由はいくつか考えられます。
王は軍事征服において驚異的な成功を収めた若者であり、間違いなく強い自信を身につけていました。
知者たちはネブカドネザルの父に仕えていたため、王よりもはるかに年上だった可能性も十分に考えられます。
王が以前からこうした年配の顧問たちに多少の不満を抱いており、彼らを排斥して自分で選んだ若い顧問たちと交替させたいと強く願っていたのも無理はありません。
ネブカドネザルは彼らの誠実さ、誠実さ、能力を疑い、さらには彼らが自分に忠実であるのかさえ疑問に思っていたのかもしれません。
また、彼らの迷信的な慣習にも疑問を抱いたかもしれません。

助言者たちへのいら立ちと、夢の意味が不明瞭であることからくるいら立ちが重なり、ネブカドネザルが知者たちへの態度を突然強め、夢の解釈だけでなく、夢そのものを述べるよう要求した可能性は十分にあります。
君主のこのような気まぐれな行動は、彼の特徴と立場に合致しています。
それは、その場の感情に駆られた衝動的な決断だったのかもしれません。
あるいは長年にわたる知者たちへのいら立ちのせいだったのかもしれません。
ダニエルやその仲間たちのような若い知者たちがその場にいなかったことは、重要な意味を持ちます。

ネブカドネザルは、夢とその解釈の両方に対する要求を強めるため、知者たちを「手足を切り離させ」、彼らの家を「滅ぼしてごみの山」にすると宣言しています。
これは単なる脅しではなく、ネブカドネザルのような暴君に期待される残酷さに合致します。
犠牲者がバラバラにされて処刑されるのは一般的であり、彼らの家が文字通り肥溜めにされるのか、それともヤング氏とモンゴメリ氏が主張するように単に「廃墟」にされるのか[113]は、実際には問題ではありません。
ドライバー氏は、「脅迫された処罰の暴力性と強引さは、東方の暴君の手による処罰に期待される」ことと合致します。
特にアッシリア人とペルシャ人は残忍な処罰で悪名高かった」[114]lことを述べています。

しかし、知者たちが王の要請に応じることができれば、「贈り物と報酬と大きな光栄」が約束されました。
君主が家臣たちに満足すると、高価な贈り物と大いなる名誉を惜しみなく与えるのが慣例であり、聖書はヨセフ、モルデカイ、そしてダニエル自身の例のように、この慣習を一貫して証ししています。
「報酬」とはペルシャ語の翻訳で、複数形ではなく単数形で、「贈り物」という意味を持ちます。[115]
これを受け取るには、知者たちは王に夢とその意味を告げるだけでした。
明らかに、知者たちは自分たちの超人的な主張に対する究極の試練に直面しました。
もし、彼らが夢を解釈する真実な超自然的能力を持っていたなら、その内容を明らかにする力も持っているはずです。

繰り返される国王の要求

「彼らは再び答えて言った。「王よ。しもべたちにその夢をお話しください。そうすれば、解き明かしてごらんにいれます。」
王は答えて言った。「私には、はっきりわかっている。あなたがたは私の言うことにまちがいはないのを見てとって、時をかせごうとしているのだ。
もしあなたがたがその夢を私に知らせないなら、あなたがたへの判決はただ一つ。あなたがたは時が移り変わるまで、偽りと欺きのことばを私の前に述べようと決めてかかっている。だから、どんな夢かを私に話せ。そうすれば、あなたがたがその解き明かしを私に示せるかどうか、私にわかるだろう。」」
(ダニエル書2章7~9節)


王の最終通達に直面した知者たちは、夢を解き明かしてほしいと再度要求し、改めて解釈の能力を主張しました。
もし、王が本当に夢を忘れていたなら、知者たちは何らかの答えを示そうとしたはずです。
しかし、彼らがそうしなかった事実は、王が故意に夢に関する情報を隠していた説を裏付けるものです。
たとえ、王が夢の詳細を曖昧に覚えていて、解釈の根拠となるほど十分に思い出せなかったとしても、知者たちが完全に捏造したと見抜くことができました。
いずれにせよ、彼らはそのような言い逃れを試みていません。

しかし王は、彼らが時間を稼ごうとしているだけだと確信し、突然彼らの言葉をさえぎりました。
「はっきり」という表現は強調のために文頭に置かれています。
王は知者たちが「あなたがたは私の言うことにまちがいないのを見てとって」、「時をかせごう」、文字通り「時間を買おうと」していると非難しています。
この最後の表現は、同じ解釈の問題を抱えた5節の記述と重複しています。
「あなたたちは、その事が私にとって確かなものだと見ているからだ」あるいは「私によって定められたものだ」と訳すこともできます。
ネブカドネザルの非難は、彼が夢の主要な事実を十分に記憶しており、知者たちがどんなに作り話の解釈をしようとも見抜くことができることを示しています。
ケイル氏はこれについて次のようにコメントしています。

王が夢を忘れていたわけではなく、夢を見たという重苦しい記憶だけが残っていたことは、9節で王がカルデア人にこのように言っていることから明らかです。
「もしあなたがたがその夢を私に知らせないなら、あなたがたへの判決はただ一つです。
あなたがたは時が移り変わるまで、偽りと欺きのことばを私の前に述べようと決めてかかっているのです。
だから、どんな夢かを私に話しなさい。
そうすれば、あなたがたがその解き明かしを私に示せるかどうか、私はわかるはずです。」
このように、ネブカデネザルは知者たちから夢の内容を聞きたかったのです。
ならば、彼らが与えるはずの解き明かしの正確さを保証できるからです。
もし、王が夢を完全に忘れ、夢を見た暗い不安だけが心に残っていたなら、彼はこのように彼らに話すことはできません。
ゆえに、彼は夢を告げたことに対して多額の報酬を与えることも、告げなかったことに対して厳しい罰、あるいは死によっても脅すようなことはありません。
なぜなら、王はカルデア人に真実を犠牲にしてまでも、どんな夢でも解釈と共に告げる機会を与えていたからです。
しかし、その場合、王が脅迫や約束をすることは賢明ではありません。
知者たちの目には、王の要求に従えない自分たちの無力さは理解しました。
もし、王が本当に夢を忘れていたなら、彼らが勝手に思いついた夢とその解釈を告げたとしても、彼らは命の危険を恐れる必要はありません。
なぜなら、そうであれば、王は彼らを偽りと欺瞞で告発し、その理由で罰することはできません。
逆に、王がまだ自分を悩ませていた夢の内容を知り、その内容をカルデア人から聞き、彼らの解釈を信頼できるかどうか試してみたかったのであれば、王の要求も、その行為の厳しさも不合理ではありません。[116]

全体の文脈から明らかなように、ネブカドネザルは夢の安易な解釈を受け入れようとはしていません。
部下たちが通常の知識を超えた神聖な情報源を持っている証拠を求めていました。
また、彼らが時間を稼ごうとしていること、そして自分の機嫌が悪くなるのを期待していることも察知していました。
単に、自分が決心したことを彼らに知ってほしかったからです。

却下された知者たちの最後の嘆願

「カルデヤ人たちは王の前に答えて言った。「この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデヤ人に尋ねたことはかつてありません。
王のお尋ねになることは、むずかしいことです。肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません。」
王は怒り、大いにたけり狂い、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。
この命令が発せられたので、知者たちは殺されることになった。また人々はダニエルとその同僚をも捜して殺そうとしました」
(ダニエル書2章10~13節)


カルデア人は夢の解釈はできると自信満々に主張していたものの、夢そのものを語るよう要求されたことには困惑しました。
彼らはできる限りの礼儀を尽くして、ネブカドネザルに要求は理不尽であり「いかなる王、領主も、支配者も」知者たちからそのような啓示を期待することはないことを伝えようとしました
「王の前に」という表現は、彼らが絶対的な支配者の前に立っている意識を繊細に表現しています。
彼らは、王の要求は、たとえ自分たちが持つことのできる知識でさえも超えていることを認めています。
さりげないお世辞を交えて、彼らは王を「王」「偉大な」「権力者」と呼びました。
ヤング氏が示唆するように、これら3つの言葉を組み合わせれば「偉大な権力のある王」と訳すことができます。[117]
ネブカドネザルのような偉大で強力な支配者は、家臣たちにこのような知識を期待するほど偉大な人物ではないはずというのが彼らの考えでした。
王が要求するものは「まれ」であり、「難解」であり、神々だけが明らかにできる事柄です。
「肉なる者とその住まいを共にされなず」という表現は、人間との繋がりを超越した神々と、人間の姿をとって現れる神々とを区別しているのかもしれません。
しかし、おそらくその意味は、夢のような秘密を明らかにできるのは人間ではなく、神だけであるということです。
人間の知恵の破綻を反映したこの言葉こそが、ダニエルの神の啓示の舞台を定めています。

知者たちの謙遜と抗議は無駄に終わりました。
どうやらそれは、彼らが無能であり、王を本当に助けることはできないという王の疑念を強めるだけでした。
それは王の怒りをさらに募らせるだけでした。
「たけり狂い」という言葉は、ファラオの怒りを表すヘブル語の語源と似た語源から来ています。
(創世記40章2節、41章10節)
ゆえに、この布告は「バビロンの知者をすべて滅ぼせ」と発せられました。[118]
「知者」とは、彼より前にいた4つの階級だけでなく、ダニエルとその仲間たちなど、他のすべての人々も含んでいました。
バビロンは帝国全体を指す可能性もありますが、この布告はバビロン市に限定されていたと考えられます。
(ダニエル書2章49節、3章1節)

13節からは、処刑人が博士たちをその場で殺害したのか、それとも公開処刑のために集められていたのかは完全には明らかではありません。
後の聖書箇所でダニエルが質問をする時間があったことから、おそらく後者だったと考えられます。
モンゴメリ氏はこのように記しています。
「それはシチリアの夕拝の時ではなく、適切な役人のもと、定められた場所で正式な処刑が行われることです。
したがって、役人たちの第一の目的は、死刑囚を集めることでした。」[119]

ダニエルとその仲間が知者たちに含まれていた事実は、彼がバビロンの異教の宗教組織の一部としてみなされてた誤った非難を引き起こしています。
聖書にはこれを裏付けるものは何もありません。
1章で彼が受けた訓練は、彼を祭司にしたわけではなく、単に王の顧問にしたに過ぎません。
このようにダニエルは知者という広い範囲に含まれていたのです。

求められたダニエルの夢の解釈の時間

「そのとき、ダニエルは、バビロンの知者たちを殺すために出て来た王の侍従長アルヨクに、知恵と思慮とをもって応待した。
彼は王の全権を受けたアルヨクにこう言った。「どうしてそんなにきびしい命令が王から出たのでしょうか。」それで、アルヨクは事の次第をダニエルに知らせた。
ダニエルは王のところに行き、王にその解き明かしをするため、しばらくの時を与えてくれるように願った。」
(ダニエル書2章14~16節)


ダニエルが王の勅令を知らされたとき、ダニエルは「王の侍従長アルヨクに、知恵と思慮とをもって応待した」と記されています。
知者たちが無礼だったとは到底考えられません。
しかし、ダニエルの問題へのアプローチには、より一層の威厳と冷静さが感じられます。
カイル氏が表現するようにダニエルがアリオクと賢明に会談したことで、王の勅令の執行は中断された可能性があります。[120]

アリオクは王の護衛隊長として、死刑執行長も務めていたが、知者を殺害する責任は彼自身にはなかったかもしれません。
当時の残酷さに慣れていたアリオクは、王の布告に疑問を呈することはなかったようです。
しかし、ダニエルが「どうしてそんなにきびしい命令が王から出たのでしょうか」と質問すると、議論が続き、ダニエルは状況の全体像が知らされました。
アリオクが既に死刑を宣告されている者に時間をかけて説明しようとしたことは、ダニエルのアプローチと、アリオクがダニエルを尊敬していたことを物語っています。
ダニエルがその布告を「そんなに」あるいは「きびしい」と表現したことは、彼の思慮深さと矛盾すると考える者もいます。
しかしながら、王と話す機会も与えられなかった知者を処刑するという布告が、厳しく、苛酷なものであり、アリオクに説明を迫られたことは明らかです。

16節は、実際に何が起こったのかが簡潔にまとめられているだけです。
ダニエルはアリオクに夢の解釈ができる可能性を伝え、王の前に出るにあたってアリオクの協力を得たことは間違いありません。
特に王の気分が高揚していた時に、ダニエルが予告もなく、正式な手続きも踏まずに王の前に出るのは適切とは言えません。
おそらく、この頃には王の怒りも少し冷めていたのはずです。
いずれにせよ、ダニエルは謁見の機会を与えられ、時間をくれるよう求め、王に解釈を示すことを約束しました。
他の知者たちは恐怖に駆られ、何の計画もなく、もはやこれ以上の時間は与えられていません。
しかし、ダニエルは年長の顧問たちに対する王のいら立ちに加担していなかったため、その願いは聞き入れられました。
ダニエルが、神は助けてくださると静かに確信していました。
そのことが、王に、媚びへつらう年長の顧問たちとは正反対の、誠実さと高潔さを印象付けたのかもしれません。

ダニエルとその仲間たちは知恵を求める祈

「それから、ダニエルは自分の家に帰り、彼の同僚のハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤにこのことを知らせた。
彼らはこの秘密について、天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚が他のバビロンの知者たちとともに滅ぼされることのないようにと願った。」
(ダニエル書2章17、18節)


ダニエルはすぐに自分の家へ行き、三人の仲間にそのことを伝えました。
ダニエルの目的は明白です。
神が秘密を明らかにしてくださるよう、彼らと共に祈ることです。
危険を共に経験した彼らは、執り成しにも共に携わることができました。
彼らは「天の神のあわれみ」、あるいは「あわれみ」を求めるべきでした。
これは時に人間のあわれみや同情(ダニエル書1章9節、ゼカリヤ書7章9節)、あるいは一般的には神のあわれみ(ネヘミヤ書9章28節、イザヤ書63章7節、15、ダニエル9章9節など)を指しています。[121]
神のあわれみやあわれみは、ネブカドネザルが無あわれみな知者を死刑に処した布告とは対照的です。

「「天の神」という表現は、星空を崇拝していたバビロニア人の宗教的迷信とは明らかに対照的です。
ダニエルの神は天の神であり、天そのものではありません。
この語はアブラハムが創世記24章7節で初めて用いており、その後の聖書にもくりかえし登場しています。
(エズラ記1章2節、6章10節、7章12節、21節、ネヘミヤ書1章5節、2章4節、詩篇136篇26節)
この4人の敬虔な若者たちは極限状態にありました。
しかし、彼らが神の前にひざまずき、神が自分たちの必要を満たしてくださると心から信じていた姿が目に浮かびます。
彼らはパニックに陥る代わりに、祈りました。
この極めて危機的な時に備えて、彼らは信仰が以前に試されており、十分に備えられていました。
(1章を参照にしてください。)
結果は予想通りでした。

「義人の祈りは働くと、大きな力があります。」
(ヤコブの手紙5章16節)


彼らは明らかに、命を救いたいという願いに突き動かされていました。
必要とあらば死ぬこともいとわなかったことは、3章で明らかにされています。
彼らの願いは、バビロンのすべての知者に下された死刑の布告に自分たちも含まれないようにという願いでした。
18節は必ずしも他の知者が既に滅びていたことを示しているわけではありませんが、その可能性は否定できません。
ダニエルの最終的な救いは、他の知者にも及んだ可能性がおおきくあります。

かなえられたダニエルの祈り

「そのとき、夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに啓示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。
ダニエルはこう言った。「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。
神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。
神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。
私の先祖の神。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。
あなたは私に知恵と力とを賜い、今、私たちがあなたにこいねがったことを私に知らせ、王のことを私たちに知らせてくださいました。」」
(ダニエル書2章19~23節)


ダニエルとその仲間たちは、夜の幻という形で救いを受けました。
これは明らかに夢ではなく、ダニエルが目覚めている間に与えられた超自然的な啓示です。
おそらく、ダニエルと仲間たちは夜遅くまで祈り続け、ダニエルが起きている間にこの幻が与えられたことが考えられます。
この啓示の性質上、イメージは視覚的な概念であったため、幻とその解釈の両方が必要でした。
神は預言者たちに夢や幻の中で秘密を明かすことが多かったとはいえ、夢よりも幻の方が適切です。
これが神の啓示の低級な形で行われたという批評的な主張には根拠がありません。
現代の批評は、夢を幻よりも低級な形の啓示と見なす傾向があり、したがってネブカドネザルの夢を軽視しています。
その理由は、夢は自然現象であるのに対し、幻は超自然的な体験であり、それゆえ啓示のより良い媒体だったからです。
例えば、モンゴメリ氏はダニエルの幻について、このように述べています。
「それは7章と同様に夜に起こりました。
異教徒にとって下等な伝達手段である夢ではなく、「幻」として起こったのです。」[122]
啓示の価値をその媒体によって分類しようとするのは的外れです。
唯一の問題は、啓示が神からのものかどうかであり、その重要性は啓示の手段ではなく、その幻の作者に由来します。

最も重要なのは、ダニエルが祈りに答えてくださった天の神を祝福し、即座に賛美の歌を捧げたことです。
この賛美歌は、ダニエルの敬虔な感謝の念だけでなく、彼の信仰の深さと理解をも表しています。
詩篇の冒頭の「神の御名がとこしえにほめたたえられますように」という一節は、詩篇全体と同じ様に、ダニエルが詩篇や旧約聖書の他の聖句に見られる賛美の歌に精通していたことを反映しています。
「神の御名」を賛美することで、ダニエルは神の啓示された御性質について語っています。
W・H・グリフィス・トーマスはこのように記しています。
「聖書において、御名は神の本質、あるいは啓示された御性質を表すものであり、単なるラベルや称号ではありません。
旧約聖書では、人間との関係において神ご自身と同義語としてくりかえして用いられています。
そして、新約聖書においても、同様の用法が明確に用いられています。」[123]

グリフィス・トーマス氏は、使用例として箴言18章10節、詩篇74篇10節、118篇10節、マタイの福音書28章19節、ヨハネの福音書1章12節、2章23節、3章18、5章43節、10章25節、17章6節、26節、ピリピ人への手紙2章10節を挙げています。
そして、モンゴメリ氏は次のように付け加えています。
「聖徒は神の御名、すなわちご自身を啓示する神を、人類史において明らかにされた全知全能の特徴ゆえに賛美します。
(ダニエル書5章21節)
神の力は、「時と季節」「モファット(Moffatt)」、「時と時代」に対する摂理、そしてあらゆる政治的変化に対する主権的決定において示されています。
この表現には、バブ氏の天体宗教の宿命論への挑戦が込められています。
この特徴は、ギリシア・ローマ世界で長きにわたって影響力を与え続けられていました。」[124]

この賛美歌に類似する箇所は、詩篇113篇1、2節と103篇1、2節にも見られます。
ダニエルはヨブ記12章12、13節、16~22節で神の知恵と力を、また歴代誌第一29章11~12節で神の力についてくりかえし述べられています。
また、ダニエルの神は「神は季節と時」とも述べており、これは主権の証しです。
(ダニエル書7章25節を参照にしてください。)
詩篇作者ダビデは「私の時は、御手の中にあります」(詩篇31篇15節)と宣言しています。
ここでもダニエルは、太陽、月、星の動きによって時と季節を定めたとされるバビロンの神々と、自分の神を対比させています。
ダニエルの神は、これを変える力を持っていました。

ダニエルの信仰はまた、王よりも偉大な神、つまり王を廃位したり王を立てたりできる神を思い描いていました。
これはバビロンの宿命論ではなく、無限の力を持つ人格として行動する主権者である神のことです。
そのような神はまた、知恵のある者に知恵を与え、知識を受け入れる者に知識を与えることができます。
バビロンの賢人たちはそれほど賢くありません。
なぜなら、彼らは神の知恵の受容者ではないからです。
しかし、ダニエルの神を信頼するほど賢明で、バビロンの宗教の迷信を見抜くだけの洞察力を持った者たちには、神の理解を得る可能性がありました。
王に対する神の力はヨブ記12章18節 と詩篇75篇6、7節 で称賛されており、神の聖なる知恵は聖書でくりかえし取り上げられています。
ソロモンはこの同じ神に、理解する心を求めました (列王記第一3章9、10節)
聖書には、「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。」(列王記第一4章29節)と記されています。
ダニエルもまさにそのような経験をすることになりました。

ダニエルは神の偉大さを次のように描写しています。
神は知識と知恵だけでなく、御心を行う力もお持ちであることを強調しています。
ダニエルの神は歴史を支配しており、それゆえ王の夢のように未来を明らかにできます。
この神の描写は、ダニエル書7章25節と対照的です。
そこでは、将来の世界の支配者である小さな角が「時と法則を変えよう」、つまり「時と季節を変える」(ダニエル書2章21節)のです。
そして神に取って代わろうとしています。
ダニエルは後に、ダニエル書2章30節で、人間が知恵を得るために神に完全に依存していることについて述べています。

神の秘密を明らかにされる力は、22節で具体的に述べられています。
これはヨブ記12章22節など、他の聖書箇所でも証明されています。
(コリント人への第一の手紙2章10節も参照にしてください。)
ダビデが詩篇139篇12節で述べているように、闇は神から何も隠すことはできません。
神は闇の中にあるものを知りながらも、光の中に住まわれる特質を持っています。
詩篇36篇9節では「私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです」と宣言されています。
つまり、神の光は、人が見る光として示されています。
ヨハネの福音書では、「ロゴス(logos)」であるキリストは、世の光として表現されています。
(ヨハネの福音書1章9節、3章19節、8章12節、9章5節、12章46節)

ダニエルは、神に無限の知恵、力、主権、そして知識といった特質を帰し、秘密を啓示してくださった神に直接感謝を捧げています。
死からの救いについては何も触れられていませんが、明らかにこのことが含まれています。
ダニエルは神の無限の知恵と力は持っていませんが、神から授かった知恵と力、すなわち夢を解き明かす知恵と能力を持っています。

「私の先祖の神」という表現は旧約聖書でよく使われますが、ここではヤハウェではなくエロヒムが神を指して使われています。
(創世記31章42節でも、イスラエルの神の固有の名前であるヤハウェではなく、神の一般的な名前であるエロヒムが使われています)
リューポルド氏が指摘するように、「私の先祖」という表現は、ダニエルが「聖書の物語の中で昔の父祖たちが証言しているのと同じ、神のあわれみを経験している」ことを示しています。[125]
また、23節で「私はあなたに感謝し」と強調し、神を第一にしたい願いを込めて、あなたが最初に来ている事実も重要です。
これもまた、ダニエルが偽物だと知っているバビロニアの神々とは対照的です。
代名詞について注目すべき点があります。
すなわち、啓示はダニエル個人に与えられたものの、「私たち(複数)が望んだこと」であり、ダニエルを通して王の秘密が「私たち」、つまりダニエルの仲間たちに「知らされた」ことです。
ダニエルは自身の祈りに特別な効力があるとは考えていません。

秘密の啓示を報告するダニエル

「それからダニエルは、王がバビロンの知者たちを滅ぼすように命じておいたアルヨクのもとに行き、彼にこう言った。「バビロンの知者たちを滅ぼしてはなりません。私を王の前に連れて行ってください。私が王に解き明かしを示します。」
そこで、アルヨクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った。「ユダからの捕虜の中に、王に解き明かしのできるひとりの男を見つけました。」
それで王は、ベルテシャツァルという名のダニエルに言った。「あなたは私が見た夢と、その解き明かしを私に示すことができるのか。」
ダニエルは王に答えて言った。「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。
しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。あなたの夢と、寝床であなたの頭に浮かんだ幻はこれです。」
(ダニエル書2章24~28節)


ダニエルは状況を完全に掌握し、アリオクにバビロンの知者を滅ぼさないように報告しています。
これは、布告がまだ執行されておらず、知者たちが集められようとしていることを改めて裏付けるものです。
ダニエルは自分の要請を裏付けるように「私が王に解き明かしを示します」と宣言しています。
アリオクに王の命令を実行しないようにと遠慮なく告げるダニエルの落ち着きは、ダニエルが神の手が自分の上にあること、そして自分が提供した情報に対して王から豊かな報いを受けるであろうことを十分に理解していたことを示しています。

アリオクもまた、この出来事の重大さをすぐに察知し、ダニエルを王に紹介する自分の立場を利用して、秘密を解き明かせる人物を見つけた功績を、この状況下で可能な限り最大限に得ようとしました
「ユダからの捕虜の中に、王に解き明かしのできるひとりの男を見つけました」という彼の発言は、明らかに報奨を期待させるためでした。
アリオクが解き明かしの功績を神ではなく「ユダからの捕虜の中にひとりの男」と認めたことは理解できます。
ダニエルを紹介したことで、以前王の怒りを買った知者たちから彼を切り離すことにもなりました。
ダニエルが以前王に会ったことについては何も書かれていませんが、当時は王はおそらく少ししか耳を傾けなかったと思われます。
しかし今、熱心な王はダニエルに即座にこのように問いかけています。
「あなたは私が見た夢と、その解き明かしを私に示すことができるのか。」
この文の形式から、夢を知っていることが質問の主たる部分となっています。
当然のことながら、ダニエルのバビロニア名であるベルテシャザルが適切な識別の手段としてここに使用されています。

ダニエルの答えは、問題を正しい光に照らし出し、神に栄光を帰す傑作です。
ダニエルに超自然的な力が宿っていると想像する誘惑があった可能性はあります。
しかし、ダニエルは即座に、自分に啓示されたことはバビロニアの知者でさえも解き明かすことのできなかった秘密であることを断言しています。
「王が求められる秘密は、知者、呪文師、呪法師、星占いも王に示すことはできません。」
(創世記41章16を参照にしてください。)
あらゆる階層の知者がくりかえし登場しており、バビロニアの宗教的迷信のいかなる派閥も、王の要求を満たすことはできなかったことを示しています。
知者を描写する際には「星占い」を表す新しい言葉が用いられています。
占星術師は天の様々な部分に特別な意味や力があると考えていたという考えに由来しています。
この特定の言葉を使用することで、ダニエルは自分の神を全天の神として紹介する準備をしています。[126]
知者たちが秘密を明かすとは期待できないと述べることで、ダニエルは事実上、王の怒りから彼らを守りながら、同時に彼らの無力さを肯定しています。

知者たちによる問題の解決策をすべて断念したダニエルは、今や自分の神を讃える機会を捉え、同時に、夢の解釈が自身の生来の力によることを否定しています。
ダニエルはこのように断言しています。
「しかし、天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終わりの日に起こることをネブカデネザル王に示されたのです。」
これは、ダニエルの神がバビロニアの神よりもはるかに優れており、秘密を知るだけでなく、それを明らかにすることもできる神であることを示しています。

すべての解説者にとって特に興味深いのは「終わりの日」という表現です。
モンゴメリ氏はドライバー氏の言葉を引用し、この表現を紀元前2世紀の偽ダニエル書とされる人物に視点をおいて引用しています。[127]
ドライバー氏は次のように述べています。
「[終わりの日]は文字通り、日々の終わり(終わりの時)を意味しています。
この表現は旧約聖書に14回登場し、著者の視野の範囲内では常に未来の終わりの時期を表しています。
したがって、この表現によって表される意味は絶対的ではなく相対的であり、文脈によって異なります。」[128]
このことは、事実上、新約聖書におけるメシアの到来までは至らないものとみなされています。
しかし、ドライバー氏は続けてこのように述べています。

「他の箇所では、この語は、現存する事物の秩序の終わりに続くものとして考えられた理想の時代もしくはメシアの時代を指して用いられています。
ホセア書3章5節、イザヤ書2章2節(ミカ書4章1節)、エレミヤ書48章47節、49章39節、23章20節(30章24節)を参照にしてください。
ここでも、後続の記述が示すように、この語は主に神の王国の樹立の時代を指し示しています。
(詩篇34篇、35篇、44篇、45篇)
しかし、第四王国の終焉期(40~43節)も含まれる可能性があります。」[129]

リューポルド氏は、メシアに関する内容のいかなる黙示的な制限に反対して次のように唱えています。
「この時点において手短に終わらせ、この箇所自体にメシア的意義があることを否定することは誤解を招くことになります。
内容によって未来がどの程度まで含まれるかは決まりますが、すべての箇所を注意深く評価することは、創世記49章1節に使われている「終わりの日」という表現が最初に使われているから、メシアの未来が常に関係していることを示しています。
この箇所では、メシア的要素が際立っていることが分かります。」[130]

「ヤコブはその子らを呼び寄せて言った。「集まりなさい。私は終わりの日に、あなたがたに起こることを告げよう。」
(創世記49章1節)


通常、保守的な学者は、この表現がメシア時代全般を含むものとみなしますが、その時代の終わりを指すと考える学者もいます。
「後の日に」あるいは「終わりの日に」と訳されているアラム語の表現は、旧約聖書によく見られるヘブル語表現をほぼ音訳したものです。
ダニエルがこのアラム語表現をヘブル語の対応する表現と同じ意味で用いていることは疑いようがありません。
したがって、その定義はヘブル語の用法に基づくべきです。
この表現は創世記49章1節でヤコブが息子たちの将来を預言する場面に早くも見られます。
この用語は、バラムによって民数記24章14節で、モーセによって申命記4章30節と31章29節で、イスラエルの将来に関連して用いられています。
これらの預言を調べると現在が、この「終わりの日」には歴史となる多くの事柄が含まれていることが分かります。
しかし、メシア時代における終焉について、エレミヤはこの表現をイエス・キリストの再臨される時代のクライマックスを指すために何度も用いています。
(エレミヤ書23章20節、30章24節、48章47節、49章39節)
エゼキエルはゴグとマゴグの侵攻の時を「終わりの日」としています。(38章16節)
この表現は小預言書にも見られ(ホセア3章5節、ミカ4章1節)、メシア時代について述べられています。

聖書の用法に基づけば、「終わりの日」とは、それぞれの預言の完成とみなされる長い期間であることは明らかです。
したがって、ロバート・カルバー氏の定義は正確であり、この表現は「神が人類と関わる未来を指し、メシアの時代に歴史的に完成され、完結する」としています。[131]
さらに、彼は「終わりの日」には約束の地におけるイスラエルの分裂など、すでに歴史となった出来事も含まれています。
しかし、この表現は常に地上におけるメシアの王国の最終的な樹立を念頭に置いていると指摘しています。
旧約聖書の用法に基づけば、この表現はメシアの時代よりはより広い範囲に及んでいます。
しかし、その完成には常にこの要素が含まれていると結論付けることができます。
新約聖書では、使徒の働き2章17~21節において旧約聖書の概念への言及が見られます。
(ヨエル書2章28~32節を参照にしてください。)
その他の箇所における「終わりの日」を下記に羅列します。
ヨハネの福音書6章39、40、44、54節、7章37節、11章24節、12章48節、使徒の働き2章17節、テモテへの第二の手紙3章1節、ヘブル人への第一の手紙1章2節、ヤコブの手紙5章3節、ペテロの手紙第二3章3節などです。
また、「終わりのとき」については下記に羅列します。
ペテロの手紙第一1章5、20節、ヨハネの手紙第一2章18節、ユダの手紙18章などです。
この「終わりのとき」への言及は文脈に応じて解釈する必要があります。
これは「終わりの大いなる日」(ヨハネの福音書7章37節)と必ずしも同じ概念ではありません。
イスラエルにとっての「終わりの日」は、教会にとっての「終わりの日」と同じではありません。
旧約聖書は現代を考慮せずに、現代までを網羅しているからです。

旧約聖書と新約聖書の両方の用法を総合すると、イスラエルにとっての「終わりの日」は、国土が十二部族に分割された時点(創世記49章1節)から始まり、キリストの最初の降臨と二度目の降臨を含まれることが明らかです。
教会にとっての「終わりの日」は、教会の携挙と復活で最高潮に達し、イスラエルの終わりの時とは関係がありません。
カルバー氏が次のように記すのは、新約聖書の啓示をはるかに超えています。
「「終わりの日」の解釈は、最初の降臨とメシアの将来の王国の到来を伴う二度目の降臨だけでなく、私たちが今生きている、これらの降臨の間にある時代も含まなければなりません。
私たちは今、そしてイエスが来られて以来ずっと、「終わりの日」に生きています。」[132] ダニエル書は実際には、終わりの時を除いて、二つの降臨の間にある時代については触れていません。
新約聖書もそれを現在の教会時代について明確に用いていません。
しかしカルバー氏は、ダニエル書11章35節にある「終わりの時」は「終わりの日」と同一ではないと正しく結論付けています。

「思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。」
(ダニエル書11章35節)


ダニエル書2章の文脈において、「終わりの日」とは、ネブカデネザルが受けたすべての幻を含み、紀元前600年からキリストの地上への再臨までを包含しています。
ダニエル書10章14節でも同様に用いられています。
メディア・ペルシャ王国の残りの部分に関する広範な啓示、11章に見られるアレクサンドロスの帝国に関する多くの詳細、そしてダニエル書11章36~45節で「終わりの時」と呼ばれる終末が含まれています。
これらの預言は、ネブカデネザルへの啓示には含まれていなかった詳細を補足するものです。
大まかな目的を述べた後、ダニエルは「終わりの日」に何が起こるか、すなわち、四大世界帝国の壮大な行進、そしてそれらの滅亡と、第五の帝国である天の王国による置き換えを明らかにしました。
ネブカデネザルの夢と、彼が夢の中で見た幻が、今や明らかにされます。

夢の目的

「王さま。あなたは寝床で、この後、何が起こるのかと思い巡らされましたが、秘密をあらわされる方が、後に起こることをあなたにお示しになったのです。
この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることによって、あなたの心の思いをあなたがお知りになるためです。」
(ダニエル書2章29、30節)


ネブカドネザルは、古代世界の偉大な征服者、そして君主の一人として、華々しく権力を掌握していました。
父の存命中から輝かしいキャリアをスタートさせていましたが、父の死後、彼は急速にその勢力を固め、バビロニア帝国の絶対的な支配者となりました。
西南アジア全域を支配下に置き、当時、彼に匹敵する者はいませんでした。
このような状況下では、ネブカドネザルがこれから何が起こるのかと自問自答するのも当然です。
彼がこの件について熟考したことは、その後に見た夢と混同されるべきではなく、むしろ神の摂理によります。
また、これから起こることへの準備であったと言えるはずです。

この文脈において、ネブカドネザルは夢を見ました。
ダニエルがここで「秘密をあらわされる方」(事実上、神の新しい称号)と呼んでいる神は、その夢を媒介としてネブカドネザルの問いへの答えを明らかにされました。
ネブカドネザルが並外れた人物であったように、その夢もまた並外れた啓示でした。
ダニエルは、夢の秘密を知りたがる王の関心を惹きつけながら、その夢が神の啓示であり、神がバビロニアの王に際立った栄誉を与えた事実を強調しています。

しかし、夢の話に移る前に、ダニエルは再び、その秘密が生まれつきの知恵や蓄積された知恵から得たものではなく、神が摂理によってネブカドネザルを夢の受け手として、ダニエルをその解釈者として選び、ネブカドネザルと他の人々がこの啓示を受けるようにされた事実を強調しています。
「解き明かしが王に知らされることによって」という表現は、受動態、すなわち「王に解釈が知らされるように」と訳した方が適切です。
この構文は実際には非人称的です。[133]
このようにダニエルは夢そのものの話に移ることができます。

明らかにされた夢

「王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。
その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、
すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。
あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。
そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」
(ダニエル書2章31~35節)


ダニエルはまず、王が「大きな像」を見たと述べています。
王にとってこれは大きな関心事でした。
もし、王が夢を覚えていたとすれば、ダニエルが正しい道を歩んでいたことは明らかになります。
ここで言う「像」とは、ヒッツィヒ氏[134]が言うような偶像ではなく、人間の形をした彫像のことです。
「大きな」とは、形が巨大である、あるいは大きいという意味であり、その大きさ自体が、その力を暗示する圧倒的なものです。
絶対君主であったネブカドネザルでさえ、これを自分よりも偉大なものと認識していました。

像は巨大な大きさに加え、その輝かしい外観も際立っていました。
光を反射しているようで、その「その輝きは常ならず」、つまり並外れた輝きを放っていました。
像は遠くからではなく、ネブカドネザルのすぐ近くに「あなたの前に立って」見えました。
像の全体的な印象は「恐ろしい」ものでした。
恐れを知らぬ男であったネブカドネザルでさえ、この異様な光景に身を縮めたのです。

ダニエルは、像がネブカドネザルに与えた印象を明らかにした後、すぐに像の金属的な特徴、すなわち頭は金、胸と腕は銀、腹部と腿は青銅(すなわち青銅または銅)、脚は鉄、足は一部が鉄で一部が粘土または陶器でできていることを描写します。
主要な金属と像の形状には、明らかな象徴性があります。
カイル氏がクリーフフォート氏の言葉を引用して述べているように「最初の部分である頭だけで統一された全体を構成しています。」[135]
銀は腕と胸に分かれています。
青銅は明らかに腹部から大腿部または腿まで伸びています。
もちろん脚も、足のつま先で終わる区画を構成し、さらに細分化されています。

金属の貴重さは、上部の金から足元の粘土へと低下し、それに応じて比重も低下しています。
つまり、金は銀よりもはるかに重く、銀は青銅よりも重く、青銅は鉄よりも重く、足元の粘土はあらゆる素材の中で最も軽いものです。
金のおおよその比重は19、銀は11、青銅は8.5、鉄は7.8です。
金の頭部は、同量の他の金属の2倍の重さです。
青銅の重さは、銅に加えられる錫または亜鉛の量によって変化しています。
素材の重量は減少しますが、足元の粘土を除いて硬度は増しています。
この像は明らかに上部が重く、足元が弱いのです。[136]

ダニエルが明らかにしているように、王は夢の中で、「人手によらずに切り出され」と描写されている石が、像の足元、つまり像の中で最も弱い部分を打ち、足が砕けるのを見ました。
その後、像全体が次々と崩れ、夏の脱穀場のもみがらのように小さな破片に砕け散ります。
そして、風がもみがらを吹き飛ばし、像の破片は完全に消え去ります。
像を破壊した石は、大きな山となり、全地を満たしました。

ダニエル書2章45節の後半では「一つの石が人手によらずに山から切り出された」と記されています。
しかし、リューポルド氏が推測するように、石が山を転がり落ちた証拠はありません。[137]
明確な記述がないため、石は飛び道具のように空中を飛び回っていた可能性があります。
いずれにせよ、石は恐ろしい力で像を叩きつけました。

ダニエルの記述は、簡潔でありながらも完璧な叙述の傑作です。
リューポルド氏が述べているように、「ダニエルの記述と記述全体には、無駄な言葉は一つもありません。」[138] ネブカドネザルはダニエルへの啓示の明白な正確さに魅了され、一言も口を挟むことができません。
これにより、ダニエルはすぐに解釈に進むことができました。

金の頭バビロンの解釈

「これがその夢でした。私たちはその解き明かしを王さまの前に申し上げましょう。
王の王である王さま。天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、
また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です。」
(ダニエル書2章36~38節)


ここで、ダニエルは夢そのものからその解釈へと明確な移行を見せます。
「私たち」という表現については、注釈者たちから多くの注目が集まっています。
ダニエルが「私たち」という言葉で指したのは、神と自分自身のことだったのでしょうか?
それとも、リューポルド氏が示唆するように[139]、カイル氏[140]に従って、共に祈りを捧げた三人の仲間のことだったのでしょうか?
それとも、ヤング氏が「メッセージはダニエル自身のものではないため、ある種の謙虚さをもって用いられ」編集する上で使われた複数形に過ぎないのでしょうか?[141]
様々な解釈の中で、「私」という表現よりも謙虚さを示すために編集の上での複数形が、最も適切な説明であるように思われます。

ネブカドネザルは「王の王」と呼ばれていますが、ダニエルはこの権力の地位を「天の神」からの賜物であるとしています。
それゆえ、ネブカドネザルの王国は力と強さと栄光の王国です。
批評家たちは、これはバビロン王への適切な言及ではないと主張してきました。
ヤング氏は、特にペルシャ王アリヤラムナ(紀元前610~580年)の碑文が「王の王」と呼ばれている事実を考えるのであれば、このような批判を裏付ける十分な証拠がないと指摘しています。[142]
ネブカドネザルのような王が臣民からどのように呼ばれるかについての明確な証拠はありません。
しかし、そのような称号がふさわしくないという反論もありません。
実際には、それは正確でした。
というのも、ネブカドネザルは実際に同世代の王たちの上に立つ至高の君主だからです。
興味深いことに、エゼキエルはエゼキエル書26章7節でネブカドネザルにまったく同じ称号を与えています。

ダニエルがネブカドネザルに至高の権威を授けたこと以上に重要なことがあります。
それはネブカドネザルの権力はすべて天の神にかかっており、天の神がダニエルにこの秘密を明かした、ダニエルの大胆な宣言です。
これは他の知者たちが示した従属的な敬意とは大きく異なります。
ここには、ネブカドネザルでさえも従順に受け入れなければならない真実の声があります。

しかし、ダニエルはネブカドネザルの役割を軽視せず、38節で「人の子ら、野の獣、空の鳥」に対する彼の普遍的な支配を描写しています。
彼はそれを要約してこのように述べています。
「これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です。」
ネブカドネザルは実際には全地と全地の人々、獣、鳥を支配していたわけではありません。
ゆえに、これは誇張表現だと解釈する人もいます。
しかし、明らかにここで意味されているのは、彼が人間として可能な限りの最高の権威を握っていることです。

ベンツェン氏の指摘に従い、ヒートン氏は、ネブカドネザルが人間と自然の両方に対して持つ権威に言及していることは、バビロニアの新年祭が反映されていると考えています。
ヒートン氏は次のように述べています。
「37節以下に記されている、人々とすべての生き物に対する彼の支配権の広範な表現は、バビロニアの新年祭の要素を反映している可能性が高くあります。
その祭では、支配する王が毎年、神の地上における代表として即位し、天地創造の叙事詩が朗唱されました。
ネブカドネザルが野の獣と空の鳥を支配しているとされたことは、創世記1章26節に描かれている、神から与えられた人間の地位を思い起こさせます。
このように、この章自体がバビロニアの天地創造叙事詩と密接に関連しています。」[143]
儀式の決められた要素として、彼らは創造神「マルドゥク(Marduk)」に敬意を表して天地創造叙事詩を朗唱しました。
王は「マルドゥク(Marduk)」の代表者と考えられていました。
ダニエル書のこの記述とその他の記述から、ダニエルが著者であることが示されています。
なぜなら、著者は3年間の研究とバビロニア人の生活との密接な接触から、バビロニアとそれに関連する神話について深い知識を持っていたからです。

金の頭がネブカドネザル王と同一視されているのは、帝国がその君主に擬人化されていることを示しています。
ヤング氏が指摘するように、批評家たちはこの表現を解釈しようと躍起になっています。
しかしが最も単純な意味、つまり帝国の象徴としての王を指していると解釈しない確固たる理由はありません。[144]

第二の王国と第三の国が続く解釈

「あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。」
(ダニエル書2章39節)


ダニエルは、上半身と下半身で表わされる第二王国と第三王国について、ごく簡単にしか言及していません。
この言及が簡潔であるにもかかわらず、批評家たちは、ダニエルがここでメディア・ペルシャとギリシアという帝国を念頭に置いている一般的な解釈に、即座に異議を唱えました。
これらの王国は、後にダニエルが名指しで言及するものです。
(ダニエル書5章28節、8章20、21節、11章2節)
第二王国が「劣る」という記述は、質が劣っているという意味であり、必ずしもすべての点で劣っているという意味ではありません。

ペルシャは実際には古代バビロンよりも領土が広く、ギリシア帝国はペルシャ帝国よりも強大でした。
ローマ帝国は、その領土において最も強大でした。
しかし、後続の王国の地理的範囲が広大だったからといって、それらが「劣っていた」わけではないと推論することは、夢の意味とダニエルのそれに関するコメントの両方に誤解を招くことになります。
ダニエルは、頭が体よりも大きかったとは言っていません。
しかし、金という金属の性質は、明らかに劣った金属である銀や青銅よりも貴重でした。
歴史は確かに、メディア・ペルシャ帝国、そしてそれに続くアレクサンドロス帝国には、バビロニア帝国の特徴であった中央集権と優れた組織が欠けていたことを裏付けています。
このイメージとダニエルのそれに関するコメントは極めて正確です。
ダニエル自身も後続の帝国が劣っていたからといって、広範な地理的支配が妨げられたわけではないことを示していると考えます。
なぜなら、彼は「第三の王国」が「全土を治める」と明言しているからです。

四つの金属の価値が下降していく様子は、創世記4章で暗示されているように、人類が時代を超えて退廃していくことを示しています。
ヘシオドス氏(「仕事と日々(Works and Days)」109~201年)やオウィディウス一世(「メタモルフォーゼ」(Metamorphoses)89~150年)といった古典作家たちは、このように歴史を捉えています。
この概念は、進化論者による人類史の解釈と矛盾しています。
神は、人間が塵から始まり純金で完成する代わりに、異邦人の時代に人間が純金から始まり塵で終わることを明らかにしています。

しかし、金属の価値が下がることで、金属の強さが増し、異邦人の時代に軍事力が増大し、ダニエル書が言及するヨハネの黙示録16章と19章の最終的な世界紛争に至ることを示しています (11章36~45節)

ファラー氏が熱烈に支持する、第二の王国をメディア王国、第三の王国をペルシャ王国、それに続く第四の帝国をギリシアと見なすように区分しようとする試みは明らかに預言的要素を最小限に抑えたい願望から生じています。[145]
これらの批評家によれば、たとえ紀元前2世紀に生きた偽ダニエルであっても、将来のローマ帝国を正確に預言することはできなかったはずです。
そして、バビロニア帝国、メディア帝国、そしてギリシア帝国については報告できたはずだとしています。

批評家たちは、ローマが既に西地中海を占領し、ギリシアと西アジアの一部を征服していた事実を考慮に入れていません。
紀元前2世紀の著述家がローマを第四帝国と推測したかもしれないと主張するのは当然のことかもしれません。
しかし、彼らは、たとえ偽造されたダニエル書が紀元前2世紀の著作であってもローマ帝国に言及していたことを認めることはしません。
なぜなら、預言的な洞察力なしには、ダニエル書が預言するような形で帝国の規模とその滅亡を預言することは不可能だったからです。
彼らは、四つの帝国とはバビロン、メディア、ペルシャ、そしてギリシアの帝国であり、ダニエルが「預言」したすべての出来事は、実際にマカベア朝時代に既に歴史化されていたと主張しています。
リューポルド氏が指摘するように、ロバート・ディック・ウィルソン氏はメディア・ペルシャ王に関する議論の中で、メディアとペルシャが第二と第三の帝国である説に反論しています。[146]

R・D・ウィルソン氏は、保守派の学者が通常受け入れている4つの帝国の特定を実証する中で、(おそらくは紀元前2世紀のダニエル書の説を支持する)ダニエル書に関するダニエルの心の中のいわゆる「混乱」は、批評家の心の中にあるのであり、ダニエルの中にあるのではないと指摘しています。[147]
簡単に言えば、ウィルソン氏は、批評家たちはダニエル書によって提供されたデータに対する異議を裏付ける十分な証拠を持っていないと指摘することができます。
彼らの問題の多くが、ダニエル書が間違っていると仮定しています。
ダニエル書に記録されているバビロン陥落の記述に対する同様の異議にも、同じ答えがあります。
これらの異議は、批評家たちの証明されていない仮定に基づいています。
残る問題は、明白な矛盾からではなく、記録が不十分であることから生じています。

ウィルソン氏は、批評家がダニエル書の正確さを攻撃した際の、多くの詳細な批判について論じています。
多くの場合、それらは誤った解釈から生じています。
例えば、ダニエル書7章6節の四つの翼、四つの頭の獣に関するダニエルの描写はペルシャの正確な描写ではないという批判などがあります。
保守的な学者たちは、それがペルシャではなく、歴史的事実と完全に一致するギリシアを指すと主張しています。
クセルクセスとダリヨス・ヒスタスピスの混同疑惑も、第三の獣をペルシャと同一視した同様の誤った点から生じています。[148]
根本的な問題は、批評家たちが第四の王国がローマであると認める必要があり、そのためには紀元前2世紀のダニエルに真実な預言が属させなければならなければなりません。
ウィルソン氏が何度も辛抱強く指摘するように、根本的な問題はダニエル書自体ではなく、批評家たちのダニエル書の解釈にあります。
ダニエル書を偽預言ではなく、預言として正しく評価すれば、多くの問題は解消されます。
2章の啓示は、王国を完全に特定するのに十分な詳細を与えていません。
しかし、この啓示を7章から8章の啓示と組み合わせると、その識別は明確かつ間違いのないものになります。

ダニエル書は、心臓を包む胸や、腹部を包む下半身の象徴的な意味については何も述べていません。
このことから、ペルシャ人クロスはイスラエルに対して多少の同情心を持った高貴な人物だったと推論し、オリエントの慣習に倣って、腹部が愛情の座とみなされています。
しかし、その根拠を結論付けるのは、聖書を深読みしすぎているはずです。
より重要で意義深いのは、第三の帝国が脚の上部、つまり太ももで終わっていることです。
これは、第三の帝国が東西両地域を領土的に含むことを示しています。
これは、ダニエル書では名前は出ていませんが、明らかにローマである次の世界帝国を分析する上で、非常に重要な意味を持っています。

ローマが第四の帝国とする解釈

「第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。
その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。
あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。
その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。
鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。
しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。
この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。
その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。
あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」」
(ダニエル書2章40~45節)


ネブカドネザルの夢の中で、像の脚と足で表された第四の王国は最も重要なものとなります。
ダニエルは、それ以前の三つの王国を合わせたよりも、この第四の王国に多くの注意を払っています。
預言的解釈の様々な派閥には、それ以前の三つの王国よりも第四の王国について多くの見解の相違があります。
その上で、ダニエルが実際に何を語っているかに特に注意を払う必要があります。

第四王国の解釈の第一の側面は、鉄の脚の強さ、そしてあらゆる抵抗を打ち砕き、屈服させる力を強調しています。
言うまでもなく、これはまさに古代ローマの特徴です。
リューポルド氏は次のように述べています。
「ローマ軍団は鉄の踵であらゆる抵抗を粉砕する能力で知られていました。
ローマ法、ローマの道路、そしてローマ文明にもかかわらず、この帝国の計画には建設的なものは何もありません。
なぜなら、破壊的な行為が何よりも重要だからです。
なぜなら「打ち砕いて、絶滅して」という二重の動詞が使われているからです。」[149]

40節のローマの描写は非常に的確であるため、多くの保守的な注解者はそれがローマ帝国を表していることは一致しています。
ダニエル書の年代を後代と認め、未来を詳細に預言することは不可能である原則に基づいて論じる批評家たちは、前述のように矛盾した見解を示しています。
これらの4つの王国をバビロン、メディア、ペルシャ、アレクサンドリア王国としています。
こうすることで、彼らは、ダニエル書の年代を紀元前2世紀とすることによって、未来預言が含まれることは認めずにいます。
ダニエル書を預言者ダニエルによる紀元前6世紀の著作と認める人々は、預言の妥当性という概念をすでに受け入れています。
ゆえに、第四の王国がローマの王国であると受け入れることにそれほど困難を感じていません。
しかしながら、このように一致していても、像の足が何であるか、そして人の手によらずに切り出された石によって全体が破壊されたかについては、深刻な意見の相違があります。

像の足の意味については正統派の解釈の間でも違いがあります。
そのため、ダニエルがこれに特別な注意を払っていること、そして実際に、像の足について、足の上の像全体についてと同じくらい多く語っていることは、さらに重要です。

ダニエルは、足とつま先が陶器の粘土と鉄でできている事実について、長く説明しています。
この事実に基づいて、ダニエルは王国が分割されることを述べています。
「打ち砕く」という言葉の意味については、これまで多くの議論がなされてきました。
ヤング氏は、これは単に複合材料を指しているだけだと考えています。[150]
ここでは、少なすぎるものから多くのものを作っているように思われます。
ダニエルが示しているのは、像の足の部分を形成する材料がすべて同じ種類ではなく、鉄と粘土でできており、それらは互いにうまく接着していません。
これはダニエル自身がその後の説明で明らかにされています。

しかし、足に鉄があることは、ダニエルが「鉄の強さがある」と述べているように、強さの要素です。
粘土は明らかにまだ柔らかい状態ではなく、モンゴメリ氏が主張するように、瓦のように固められています。[151]
モンゴメリ氏は粘土について次のように述べています。
「この素晴らしい工芸品の説明において唯一の障害は、「粘土」と訳されている言葉です。
ヘブル語を除くすべてのセマティック語系譜において、音韻的な変化を伴って現れるこの言葉(h¬asap)は、完全な器の、破片、すなわち陶片であり、常に成形された陶器を意味しています。
そして、古代の校訂版聖書では、この言葉を普遍的にこのように訳しています。」[152]

モンゴメリ氏はさらに、生の粘土には全く異なる言葉が使われているとこのように説明を続けています。
「バビロンにおけるタイルの使用については、「古代バビロニア建築でタイル細工が使われていました。
ギリシア美術にはテラコッタのレリーフがあり、サラセン美術にはタイル張りがあり、現代ペルシャのタイル張りの塔は、この古代の建築様式の証しです。」[153]
本質的に金属製の建築物にタイルが使用されていることは、装飾的ではあるかもしれないが、弱さの象徴的な意味を持っています。
カイル氏はそれをこのように表現しています。
「鉄が王国の堅固さを示すように、粘土はそのもろさを示します。
鉄と粘土を混ぜることは、2つの異なる別々の素材を結合して1つの全体にしようとする試みが無益で全く無駄であることを表します。」
この弱さは像の両足にまで及んでいます。[154]
したがって、王国が分割されたことを示す分割は、2本の脚と足の分割に反映されているだけでなく、足がさらにつま先に細分化されていることにも反映されており、鉄と粘土の混合物の弱さがより明らかになります。

このことは42節で明らかにされています。
そこでは足の指は一部が鉄、一部が粘土であると述べられています。
そして、ダニエルはこれを、王国は鉄の存在ゆえに部分的には強く、陶器の脆さゆえに部分的には壊れやすいことを示していると解釈しています。
ダニエルによるこの像と夢の描写は言葉が少なく、凝縮された傑作です。
しかし、足の描写では同じ箇所を何度もくりかえしており、批評家はこれを冗長だと指摘しています。
例えばモンゴメリ氏はこのように述べています。
「40節と同じ様に、ここにも不必要なフレーズのくりかえしがあります。
ここではさらにひどいものとなっています。
ヤーン氏とローア氏はこの何気ない、くりかえしに注意しています。
筆者も42節についてはこれらの批評家に同意します。」[155]

この箇所でのくりかえしはどれも、理解を深め、強調するためのものであることは明らかなので、この批評はダニエルに対して公平とは言えません。
鉄と粘土の意味については、その固有の弱さを除けば、明確な解釈は43節に示されたもの以外には与えられていません。
ここでは、二つの物質が混ざり合うとは「鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません」という意味であると述べられています。
この記述が完全に明確ではなく、注釈者たちは想像力を働かせる余地が残されています。
カイル氏が指摘するように、「それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう」(43節)は、多くの解釈者が君主たちの婚姻政策について語っています。
カイル氏はこの異人種間結婚の原理から生じる多くの説明を反論しています。[156]
粘土と鉄の混合物の意味に関するもう一つの一般的な解釈は、独裁制に対抗する民主主義など、多様な統治形態を指しているというものです。
例えば、H・A・アイアンサイド氏はこれを「帝国主義と民主主義の融合を試みることを意味する」と定義しています。[157]

A・C・ガエベライン氏も同様の解釈をしています。
「しかし、粘土は何を表しているのでしょうか?
粘土は土の産物です。
それは、この大像には全く属さないもの、持ち込まれた異質な材料を象徴しています。
金属は君主制を象徴するが、粘土は民主的な支配、つまり人民による支配を象徴しています。」[158]

本文が実際には何も語っていないことを考えるのであれば、おそらく最も安全な方法は、カイル氏の議論に従い、先行する三王国における金属の意味から解釈を得る必要があります。
カイル氏はこれに従って次のように書いています。
「先行する三つの王国において、金、銀、青銅がこれらの王国の物質、すなわちその国民と文化を象徴しているように、第四の王国においても鉄と粘土がこの王国の分裂から生じた王国の物質、すなわちそれらの王国を構成する国民的要素を象徴しています。
それらは王国の中で混ざり合うであろうし、また混ざり合わなければなりません。」[159]
異民族間の結婚が一要素となることはあっても、必ずしも主要な考え方ではありません。
カイル氏はこのように結論しています。
「種による混合という比喩は、畑に種を混ぜ合わせることに由来し、支配者たちがさまざまな民族を結合させるために用いるあらゆる手段を指し、その中でも婚姻[異民族間の結婚]は最も重要かつ成功した手段としてだけ語られています。」[160]
王国の最終形態には、人種、政治的理想主義、あるいは地域的利益のいずれを指すにせよ、多様な要素が含まれることになります。
そして、このことが王国の最終形態が真実な統一性を持つことを妨げることになります。
もちろん、これは、ダニエル自身がダニエル書11章36節から45節で描いているように、世の終わりに世界帝国が巨大な内戦へと分裂し、南、東、北の勢力が地中海の支配者と覇権を争う事実によって裏付けられます。

二本の脚に描かれている第四の王国の重要な側面は、解説者たちによって何度も見落とされています。
それを歴史の中に正確に適応させることが難しいことと、この側面に特別な意味があると感じない人もいるからです。
この問題のために、第四の帝国が本当にローマであるのかどうか疑問視する者もいます。
この解釈者のジレンマは、ジェフリー・R・キング氏のコメントによく表れています。
キング氏は、最初の三つの王国あるいは帝国は「歴史によって証明されている」と主張しています。
しかし、第四の帝国のこの証明を辿ることは困難だと考えています。[161]
キング氏は次のように書いています。

ここで、私は一般的に受け入れられている解釈に異議を唱えざるを得ないことに気づきました。
この像の二本の脚はローマ帝国を表しているという説を何度も耳にしました。
なぜなら、西暦364年にローマ帝国は二分されたからです。
コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国と、ローマを首都とする西ローマ帝国がありました。
二本の足です。
そうです。
でもちょっと待ってください!
そもそも、分裂は鉄の部分に到達する前に起きています!
二本の脚は銅の下から始まっています。
この像は不思議なものなのでしょうか?
ネブカドネザルは、人間の脚がどこから始まりどこで終わるかなど、未来的でグロテスクな現代の彫刻については何も知りません!
しかし、これは簡素で率直、そして正真正銘の人物像であり、足は正しい位置にあります!
つまり、この二本の脚では何もできないのです。
これは人間です。
人間が二本の腕を持つのと同じように、二本の脚を持つことは避けられません。
なぜ、銀の二本の腕で何も作らないのでしょうか?
二本の脚には何の意味もないと思います。
もちろん、ローマ帝国の二つの部分を二本の脚で表そうとするならば、西ローマ帝国は数百年しか続かなかったのに、東ローマ帝国は1453年まで続いたため、困難なことになります。
この像は、多くの時間、片足で立っているようにしなければなりません!」[162]

キング氏はさらに、像の足の部分が未来の復活したローマ帝国であるという解釈に疑問を提示しています。
そして、「今、それを注意深く研究した結果、私はそのすべてから手を洗うべき」だと結論付けています。[163]
そして、キング氏は、像の足の部分が、現在、私たちが知っているイスラム教の政府であると特定し、反キリストをイスラム教徒であると特定しています。[164]

ロバート・カルヴァー氏は、この難解な解釈問題に対し、さらに別のアプローチを提示しています。
それは、この像全体が異邦人の主権の「継続した継承」、「段階的な分裂」、「段階的な衰退」を示しているものです。[165]
カルヴァー氏は、この像の分裂が、金の頭、あるいは単一の支配者から始まり、メディア・ペルシャ帝国の二元性、アレクサンドロス大王の帝国の四分割、そして足の段階を経てさらに十本の足指へと分割されていく様子を描いています。[166]
カルヴァー氏の分析は、像に関する限り、高く評価すべき点が多く、アレクサンドロス大王の王国の四分割を反映しているわけではありません。
むしろ、第三の帝国の最後の部分は二本の足の上部です。
歴史上、最終的にシリアとエジプトがアレクサンドリア時代の二大構成要素として台頭することで、その役割は成就されます。
(マケドニアも時として強大でした。)
実際には、足の段階に達するまで、二本の腕と二本の足以外に、主権の多様性を示すものは何も見当たりません。

この問題に対する最良の解決策は、ダニエルの預言は実際には現代、つまりキリストの初臨と再臨の間、より具体的にはペンテコステから教会の携挙までの期間を含んでいる、よく知られた教えだとすることです。
旧約聖書の預言は、キリストの初臨と再臨に関する預言を、その間の千年王国を考えずに一まとめにしていることが多く、このような解決策は特別に不思議なものではありません。
(ルカの福音書4章17~19節、イザヤ61章1、2節を参照にしてください。)

この解釈はまず最初に、像の足の10本の指はいまだに歴史上成就していません。
それでも。預言的であるとする証拠に基づいています。
多くの注釈書で見られるように、像の足の10本の指の段階を紀元前5世紀、6世紀に見出そうとする試みは、歴史の事実とは一致していません。
いまだに、足の10本の指の段階を成就しているものはありません。
ダニエルの預言によれば、足の10本の指は同時進行であり、つまり、二つの王国は隣り合って存在し、突然の壊滅的な一撃によって滅ぼされます。
未だかつて、このようなことは歴史上起きていません。

もし、この像の脚の段階が歴史の中で成就したとすれば、それは明らかにキリストの時代からローマ帝国が滅亡するまでの千年以上の期間には該当しません。
キング氏が正しく指摘したように、この期間の大部分において、像は片足で立っていなければならなくなります。

したがって、この図像を理解するためのこの解決策は、シンプルでありながら効果的な方法です。
脚の上部は、アレクサンドリア帝国末期の二段階、特にユダヤ人、すなわちシリアとエジプトを象徴しています。
この二段階は、東西二つの大陸、あるいは二つの主要な地理的領域を包含しているため、二段階構造を提示しています。
ローマ帝国はこの二段階の区分を継続し、地中海全域と西アジアにまでその支配を広げました。

通常の歴史において、エジプトは西アジアと政治的、商業的に長年にわたり結びついていた関係から、シリアと共に東方に属するとされるのが通例でした。
対照的に、ヨーロッパのマケドニアは西方と考えられていました。
神の視点、特にダニエルの像に象徴される預言的な見方からするならば、アフリカ大陸に位置するエジプトと、マケドニアを含むヨーロッパ諸国は、西方区分と見なすことができます。
最終的にはアジア西部の地中海地域全体を含むように至りました。
この像は、ローマ帝国の繁栄と、東西の地理的包摂を予見した神の視点を描いています。
これは、西暦364年にウァレンティニアヌス1世によって東西の政治的分割が最終的に認められた際に認識されました。
ダニエルは「再臨の時代」そのものを扱っていませんが、キリストの初臨の時点で、ローマが既に地理的に東西に広がっていたことは事実です。
預言的に、これは終わりの時にローマが再び東西両国を含むことを示しています。

したがって、二本の脚の意味は、国籍の問題というよりも地理的な意味合いを持ちます。
様々な帝国の領土拡大を比較すると、バビロニア帝国とメディア・ペルシャ帝国は主に西アジアに広がったが、エジプトも征服されていたことがわかります。
アレクサンドリア帝国では、西方分割が本格的に形を整え始め、シリアとエジプトの間で権力が分割されました。
ローマ帝国ははるかに広大な領土を領有し、西方分割は東方分割に匹敵するほど強力になりました。
そして、この二本の脚はそれを象徴しているようです。

この政治的・地理的状況はキリストの時代まで続いています。
ダニエルの幻がここで終わり、世の終わりに再び同じ状況が繰り返されるのであれば、両足が同じに見られるのも理解できます。
像の足の部分は最終段階を表し、かつて古代ローマが支配していた東西の地域も同等に含まれます。
ダニエルの像にはキリストの時代から現在までの出来事を描写していないものとしてえ考えるならば、足の段階を未来と見なして、少なくとも主要な要素において歴史的事実と一致していることを象徴とする解釈が理にかなっています。

象徴的な幻全体の解釈の核心は、天の神が建てる王国の預言にあります。
44節によれば、この王国は決して滅ぼされることがなく、決して他の民に渡されることもなく、以前の王国を滅ぼし、粉々に砕き、永遠に存続しています。
さまざまな解釈者たちの間で、滅ぼされない王国こそが神の王国である点について、だいたいにおいて意見が一致しています。
しかし、この重要な点については意見が一致しているものの、王国の性質、以前の帝国の滅亡の性質、そして提示されている時間要素については、解釈者たちの間で大きく意見が分かれています。

一般的に、解説者は千年王国前再臨主義と無千年王国主義説に分けられ、千年王国後再臨主義は無千年王国主義説の一形態として含まれています。
無千年王国主義説と一部の千年王国後再臨主義の両方にとって、ここで述べられている神の国とは、キリストが最初の来臨の際に導入されたものとされています。
もちろん、これは後世の教会によって神の像が破壊されることを前提としています。
この見解は、あたかも歴史に裏付けられているかのように、自信をもって提示されています。
例えば、ロイポルド氏は、ローマ帝国の崩壊には多くの要因があったことを認めつつも、次のように述べています。
「歴史を学ぶ者なら誰でも、キリスト教会がローマ帝国の瓦礫の中から、保持すべき価値のあるさまざまな要素から救い出されたことを認めるはずです。
そして、キリスト教会が異教ローマの権力を打ち砕いたこともまた事実です。
崩壊し腐敗した帝国は、内部からの腐敗だけではありません。
好色なローマを糾弾したキリスト教の健全な道徳と生活の影響によっても崩壊しました。
表現的には、キリスト教は罪深いローマに対する神の裁きでした。[167]

主な難点は、実際にはキリスト教がローマ帝国を崩壊させた決定的な力ではなかったことです。
その理由は、帝国内部の衰退とそれを取り巻く政治情勢でした。
さらに、ローマ帝国の衰退はキリストの初臨後から千年以上も続きました。
言い換えれば、時間的要因はネブカドネザルからキリストまでの期間よりも長かったのです。
石が像の足を打ち、もみがらが風に吹き飛ばされる象徴的な表現を見るならば、これほど長い期間が描写されることは、歴史的事実とは完全に一致しません。
像が先行する歴史を非常に正確に描写していることを考えるならば、石による破壊を含む像の足の段階は、まだ未来の出来事です。
いまだ実現していないとする結論は合理的かつ自然なものです。
キリストの死後2000年が経過した現在、神の王国が全世界を征服した証拠は確かに存在しません。
現在においても、キリストの初臨が私たちと共にある異邦人の世界の力の失墜を引き起こしたという聖書の証拠が見出すことはありません。
キリストの再臨に関連した預言は、まさに異邦人の力の壊滅的な敗北を描いています。
誰もがキリストの再臨を描いていると認めるヨハネの黙示録19章11~21節は、イエス・キリストが王の王、主の主として指揮権を握る時を明確に示しています。
その時「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される」(ヨハネの黙示録19章15節)と宣言されています。
もしダニエルの像を、福音による世界の段階的な征服という無千年王国主義説と千年王国後再臨主義の概念に何らかの形で一致させる必要がありました。
でなければ、ネブカドネザルの夢の中で石で打たれたことが、今や2000年以上も続いていることになります。
そして、未だに完了には程遠い長い過程を描いているとは、誰も想像できないはずです。

ヤング氏は、キリストの再臨において像の破壊が成就すると考えることに対する自身の反論を詳細に述べています。
彼は、この解釈は「象徴性を重視しすぎている」と反論しています。[168]
ヤング氏は、ダニエル書2章には像に十本の足指があるとは記されていないと反論しています。
しかし、ダニエル書7章24~27節では十人の王が異邦人の権力の最終段階であると述べられていることは認めています。
さらにヤング氏は、像が打たれたのは足であって足指ではないと主張しています。[169]
もちろん、こうした詳細な批判は主要な問題としては無関係です。
なぜなら、足と足指は明らかにすべて同じ時代のものだからです。
事実、ヤング氏の解釈は、像を打った石の破滅的な性質について、何も合理的な説明を与えていません。

預言的解釈を判断する唯一の基準は、その解釈が成就と一致しているかどうかです。
キリスト教が始まって2000年を経て、この石が教会、あるいはキリストが初臨の際に築かれた霊的な王国を反映するものならば、異邦人の権力が滅ぼされる舞台の中心を占めるものではないことは、何よりも明白です。
実際、20世紀において、教会は世界の出来事は衰退の潮流となってきました。
教会が政治的に世界を支配する点において、何の進歩もありません。
もしこの像が異邦人の政治的権力を象徴しているのであれば、それは揺るぎない地位にあるはずです。

したがって、「この王たちの時代に」という表現は、異邦人の権力の最後の時代に支配する王たちを指している解釈が強く支持されています。
確かに、このことは像のつま先に直接関係しているわけではありません。
しかし、事実上、滅びは最後の世代の支配者たちによってもたらされます。
他の箇所では終末の十人の王について具体的に述べられていること、つまり、ダニエル書7章24節、ヨハネの黙示録17章12節の聖句は、これは王国の最終的な状態と最後の支配者たちを指していると考えることは不合理ではありません。

「十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。」
(ダニエル書7章24節)

「あなたが見た十本の角は、十人の王たちで、彼らは、まだ国を受けてはいませんが、獣とともに、一時だけ王の権威を受けます。」
(ヨハネの黙示録17章12節)


「一つの石が人手によらずに山から切り出され」たという描写は、時にシオンの山を指して述べられていることがあります。
しかし、これは政治的主権の象徴的な描写と捉える方が適切です。

この石は神の主権の不可欠な部分であり、効果的な表現となっています。
この象徴は、これが人間ではなく神に由来することを明確に示しています。
その結果、第五の王国、すなわち神の王国は、以前の王国の痕跡をすべて完全に置き換えます。
この預言は、文字通りの意味で、キリストが地上を支配することによってだけ成就するのです。
事実、像の破壊を歴史の中に成就させようとする無千年王国主義説は、この箇所を合理的に説明ができません。
この出来事をキリストの再臨と一致するものと見なす千年王国前再臨主義の立場だけが、像の破壊に伴う象徴を文字通り成就させることができます。

ダニエルは解釈の結論において、夢の成就が絶対的に確実であることを改めて断言し、その解釈は神から来るものであり、夢は確実であり、その解釈は確実であると改めて述べています。
全体として見ると、これは神が地上を究極的に支配することが、千年王国のみならず、新しい天と新しい地における神の主権の継続的な現れにおいて成就することを保証しています。

ネブカドネザルはダニエルを礼拝し、そして、ダニエルの昇進

「それで、ネブカデネザル王はひれ伏してダニエルに礼をし、彼に、穀物のささげ物となだめのかおりをささげるように命じた。
王はダニエルに答えて言った。「あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ。」
そこで王は、ダニエルを高い位につけ、彼に多くのすばらしい贈り物を与えて、彼にバビロン全州を治めさせ、また、バビロンのすべての知者たちをつかさどる長官とした。
王は、ダニエルの願いによって、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに、バビロン州の事務をつかさどらせた。しかしダニエルは王の宮廷にとどまった。」
(ダニエル書2章46~49節)


ネブカドネザルは、この像の計り知れない意味と、ダニエルの神が彼が崇拝するどの神よりも偉大であることの証しに圧倒され、ひれ伏してダニエルを拝み、ささげ物と香ばしい香りを捧げるよう命じました。
批評家たちは、ダニエルがこれを神と同一視したとして、即座に批判しました。
しかし、その後の王とダニエルの会話から、ネブカドネザルはダニエルを単に神の立派な祭司、あるいは代表者とみなし、そのように敬意を表していたことは明らかです。
これは、王がダニエルに述べた「あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ。」という言葉に表れています。
言い換えれば、王でさえ、ダニエルが神の使者であり代表者であって、神自身ではないことを理解しています。
ダニエルが王の行為を許したのは、おそらくこのためです。
いずれにせよ、このような状況下でダニエルが抗議して王の話を遮るのは、適切ではありません。

ヨセフスの記録には、アレクサンドロス大王がユダヤ人の大祭司にひれ伏した事例が記されており、興味深い類似点が見られます。
将軍の一人パルメニオンが、通常であればすべての者がアレクサンドロス大王にひれ伏すのに、なぜユダヤ人の大祭司にひれ伏したのかとアレクサンドロスは問いました。
「私がひれ伏したのは彼の前ではなく、大祭司を務める栄誉を授けた神にひれ伏すのです。」[170]
ダニエルがこれまでに何度もくりかえし述べたことや、ネブカドネザル自身が47節で述べたことを考えるのであれば、ダニエルが神性や神の力を主張していないことは疑い余地がありません。
再び、ネブカドネザルがダニエルを崇拝しなかったことも明らかです。

ダニエルの神を崇拝する過程で、ネブカドネザルはダニエルの神に深い敬意を払っています。
最も重要なのは、ダニエルの神は「神々の神」であり、多神教において一般的に崇拝されている他のどの神よりも優れている点です。
その点を除いて、適切な啓示を与えなかった神々については一切言及していません。
この時点では、ネブカドネザルはダニエルの神への真実な信仰を欠いていました。
しかし、ダニエルの神が秘密を明かすことができ、神が夢の作者であった証拠は、ダニエルの神よりも偉大な神は他にいない事をネブカドネザルに印象づけました。

ダニエルを敬うべきとする王の願いと約束通り、ダニエルは高く評価され、たちまち偉大な人物となりました。
多くの貴重な贈り物が与えられ、バビロン全土の支配者、そして知者たちの総督の長という高位に就きました。
批評家たちはユダヤ人にとってこの地位は好ましくないとして非難します。
しかし、ダニエルは占いや異教の儀式など、通常この職務に付随する事柄への関与を避ける方法を見つけ出したからではないでしょうか?
しかし、ヤング氏が指摘するように、もし、ダニエルが紀元前2世紀、ユダヤ人の間で厳格な律法主義が蔓延していた時代に生きていたとしたら、異教徒の王からこのような栄誉を受ける描写は存在していなかったはずです。[171]

王からこのように大きな栄誉を受けたダニエルは、秘密が明かされるよう共に祈った三人の仲間への公平さをも期待して、彼らにもバビロン州で権力と影響力のある地位を与えてほしいと願い出ました。
ダニエルは大きな権限を持っていましたが、王の許可なく役人を任命することはできませんでした。
王はダニエルの願いを聞き入れ、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州の政府における責任ある地位に任命しました。
ダニエル自身も「王の宮廷」で名誉ある地位に就いていました。
もし、1章で妥協していたら、他の多くの人々と同様に歴史から忘れ去られていたはずです。
無名のユダヤ人捕虜であったダニエルは、今や大きな栄誉と権力の地位に高められました。
エジプトのヨセフのように、ダニエルはその後の世代の歴史において重要な役割を果たす運命にあったのです。

[86] Samuel P. Tregelles, Remarks on the Prophetic Visions in the Book of Daniel, p. 6.

[87] D. J. Wiseman, Chronicles of the Chaldean Kings (626-556 B.C.), p. 25.

[88] Ibid.

[89] 同上、 p. 26.

[90] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, p. 81.

[91] 同上、 p. 82.

[92] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, pp. 55-56; and S. R. Driver, The Book of Daniel, p. 17. Cf. previous discussion of Dan 1:1.

[93] Wiseman, pp. 25 ff.; E. R. Thiele, The Mysterious Numbers of the Hebrew Kings, pp. 159 ff.; and J. Finegan, Handbook of Biblical Chronology, p. 38.

[94] J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, pp. 140-41.

[95] R. D. Wilson, Studies in the Book of Daniel, 402 pp.

[96] For support for the pluperfect see P. Paul Jouon, S. J., Grammaire de V Hebreu Biblique, p. 322, para. 118 d.

[97] Leupold, p. 83.

[98] Montgomery, p. 141.

[99] Geoffrey R. King, Daniel, p. 49.

[100] Leupold, p. 75.

[101] 同上、 p. 76.

[102] Young, p. 57. See also p. 51.

[103] See Leupold’s discussion, pp. 83-86; and Young, pp. 271-73.

[104] Cf. Young, pp. 58-59; and Leupold, pp. 86-88.

[105] S. R. Driver states dogmatically, “The author, it seems, must mean to indicate that in his opinion Aramaic was used at the court for communications of an official nature. That, however, does not explain why the use of Aramaic continues to the end of ch. 7; and it is besides quite certain that Aramaic, such as that of the Book of Daniel, was not spoken in Babylon” (Driver, p. 19). Driver takes for granted a second century date for Daniel.

[106] K. A. Kitchen, “The Aramaic of Daniel,” in Notes on Some Problems in the Book of Daniel, eds. D. J. Wiseman, et al., p. 31.

[107] 同上、 p. 32.

[108] Franz Rosenthal, A Grammar of Biblical Aramaic, pp. 59, 76.

[109] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, pp. 90-92.

[110] Leupold, p. 89.

[111] Young, p. 60.

[112] Ibid.

[113] Young, p. 60; Montgomery, pp. 145-47.

[114] Driver p. 20.

[115] Leupold, p. 90.

[116] Keil, p. 89.

[117] Young, p. 62.

[118] 同上、 p. 63.

[119] Montgomery, pp. 149-50.

[120] Keil, p. 96.

[121] Brown, Driver, and Briggs, Hebrew and English Lexicon to the Old Testament, p. 933.

[122] Montgomery, p. 156.

[123] W. H. Griffith Thomas, “The Purpose of the Fourth Gospel,” Bibliotheca Sacra 125:262.

[124] Montgomery, p. 157.

[125] Leupold, p. 101.

[126] 同上、 p. 105.

[127] Montgomery, p. 162; cf. discussion by Leupold, pp. 105-6.

[128] Driver, p. 26.

[129] Ibid.

[130] Leupold, p. 105.

[131] R. D. Culver, Daniel and the Latter Days, p. 107.

[132] 同上、 p. 108.

[133] Young, p. 71; Keil, p. 102.

[134] Keil, p. 102.

[135] 同上、 p. 103.

[136] Charles, with insufficient warrant, thinks that the order of mention, “iron, clay, brass” in verse 35 is wrong and should be “clay, iron, brass” as in verse 33, in reverse order. As Charles admits, the KJV rendering is supported by the LXX and the Vulgate, and in any case no rigid order is observed in the passage as a whole, as illustrated in another order in verse 45, where “clay” comes after “brass” (R. H. Charles, The Book of Daniel, pp. 24-25).

[137] Leupold, p. 110.

[138] Ibid.

[139] 同上、 pp. 111-12.

[140] Keil, p. 104.

[141] Young, p. 72.

[142] 同上、 p. 73.

[143] Eric W. Heaton, The Book of Daniel, p. 131, cf. pp. 169-72.

[144] Young, pp. 73-74.

[145] Frederic W. Farrar, The Book of Daniel, pp. 154-160; cf. Leupold, pp. 115-16.

[146] Leupold, p. 117; Wilson, pp, 128-295.

[147] Wilson comments, “When one asserts that the author of Daniel has ‘confused’ events or persons, it is not enough for him to affirm that the author was thus confused. This confusion is a matter of evidence. With all due deference to the opinion of other scholars, I am firmly convinced that no man to-day has sufficient evidence to prove that the author of Daniel was confused. There are no records to substantiate the assertions of confusion” (Wilson, p. 128). Wilson then deals with the major criticisms of the critics. The most important of these concerns Darius the Mede (Dan 5:31). For further discussion of this problem see the introduction of chapter 6.

[148] Wilson, p. 264.

[149] Leupold, p. 119.

[150] Young, p. 77.

[151] Cf. Young’s discussion, pp. 76-77; and Montgomery, pp. 167-68.

[152] Montgomery, p. 167.

[153] Ibid.

[154] Keil, p. 108.

[155] Montgomery, p. 176.

[156] Keil, pp. 108-9.

[157] Henry A. Ironside, Lectures on Daniel the Prophet, pp. 36-37.

[158] Arno C. Gaebelein, The Prophet Daniel, p. 31.

[159] Keil, p. 109.

[160] Ibid.

[161] King, p. 72.

[162] 同上、 pp. 72-73.

[163] 同上、 p. 73.

[164] 同上、 pp. 75-76.

[165] Culver, pp. 115-20.

[166] Ibid.

[167] Leupold, p. 121.

[168] Young, p. 78.

[169] Ibid.

[170] Josephus, “Jewish Antiquities,” in Josephus, 6:476-77.

[171] Young, pp. 81-82.


3章 ネブカドネザルの金の像

デュラの平野に建てられた金の像に関する記述は、ネブカドネザルが2章の啓示において金の頭によって象徴されたことに対応した反応を記録しています。
像を崇拝することを拒んだダニエルの仲間たちの驚くべき勇気と救いは、同様の試練の時代に神の民を鼓舞させました。
しかしながら、この章全体は、この時代の特徴に関する歴史的洞察を提供しているに過ぎないとくりかえして考えられています。
ダニエル書の預言研究に捧げられた著作は、S.P.トレゲレス氏[172]やロバート・D・カルバー氏[173]のように3章の考察を完全に省略しています。
一方、ジェフリー・R・キング氏などは、この章を歴史としてだけでなく、寓話や預言としても解釈しています。[174]

3章で異邦人の時代を描いた大きな像の夢を見たネブカドネザルの直後に、ネブカドネザルの金の像が登場します。
この寓話的な意味合いが無視されているとしても、明らかにこれは一般的な霊的真理だけでなく、異邦人の時代の特質を伝えることを意図しています。
この研究は霊的な洞察をもたらすだけでなく、ダニエル書の預言の全体的な表現にも貢献しています。

金の像

「ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。
そして、ネブカデネザル王は人を遣わして、太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官を召集し、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に出席させることにした。
そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。
伝令官は大声で叫んだ。「諸民、諸国、諸国語の者たちよ。あなたがたにこう命じられている。
あなたがたが角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝め。
ひれ伏して拝まない者はだれでも、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。」
それで、民がみな、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民、諸国、諸国語の者たちは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ。」
(ダニエル書3章1~7節)


ネブカドネザルによる金の像の建立は、ダニエル書3章12節でダニエルの仲間がバビロン州の事務を統括する任命について述べられていること、そして、ダニエル書3章30節がダニエル書2章49節の後に起こったことを示しており、明らかに2章の出来事の後に起こったと言えます。
しかしながら、金の像の建立の正確な日付については議論があります。
七十人訳聖書とテオドシウス訳聖書は、この出来事をエルサレムの滅亡と結び付けており、列王記第二25章8~10節とエレミヤ書52章12節によれば、この出来事はネブカドネザル王の治世19年に位置付けられています。
しかしながら、エルサレムの滅亡と金の像の建立の間に関連性があるかどうかは定かではありません。
ただし、全体的な物語とダニエルが明らかに留守にしていた事実から、相当の時間が経過していたことが示されます。
しかしながら、2章と3章の間には20年が経過していた可能性は十分に考えられます。[175]

金の像は高さ60キュビト(90フィート(27m))、幅6キュビト(9フィート(2.7m))と描写されており、ドラの平野に建てられ、それは印象的な光景でした。
ヘブル語で「像」を意味する言葉は、リューポルド氏が述べているように、「最も広い意味での像」を意味し、おそらく人間の形をしていますが、その比率は通常の姿から見るとあまりにも狭すぎます。[176]
聖書はこの問題を解決してはいないが、多くの注釈者は、古代のこの種の像は通常の人間の比率とは異なっていたことに同意しています。
像は台座の上に置かれ、像の上部だけが人間の形に似ていた可能性があります。
明らかに、像の特別な特徴よりも大きさで印象づける目的がありました。
リューポルド氏は、バビロンの神殿のゼウス像、ベルス神殿の頂上にある金の像 (そのうち1つは高さ40 キュビト)など、数多くの古代像を挙げています。
また、ロドスの巨像は高さが70 キュビトでした。[177]
この大きさの像は珍しいものでしたが、決して唯一のものではありません。
また、その寸法の歴史的正確性に疑問を抱く理由はありません。

ネブカドネザルは莫大な富を持っていたため、純金でこの像を建てた可能性もあったが、慣習通り木に金を張って作られた可能性が高くあります。
モンゴメリ氏は次のように述べています。
「金で作られた祭壇についても、J・D・ミカエル氏のような不合理性を非難する者と、オリエントの伝説的な富を根拠とする弁護者など、広範な議論が巻き起こってきました。
しかし、バビロンの黄金の偶像に関するヘロドトス氏の記述は、十分な背景情報を提供しています。
(アントニーが略奪したアナティスの金の像に関するプリニウスの記述、歴史(Hist, nat., xxxiii, 24)を参照にしてください。)
金は板で覆われていました。
その証拠は古典文学だけでなく、聖書にも豊富に残されています。」[178]
「金の祭壇」(出エジプト記39章38節)は実際には木に金が張られたものでした。
(出エジプト記37章25、26節)
金で覆われた偶像はイザヤ書40章19節と41章7節にも述べられています。
エレミヤも同じ過程を記しています。(エレミヤ書10章3~9節)
しかし、その像の外観は純金と何も変わりませんでした。

像に金が用いられたのは、2章でダニエルがネブカドネザル王に、自分が金の頭であると告げた時の、ネブカドネザル王の以前の経験に由来している可能性があります。
ネブカドネザル王は意図的にそうしたわけではありません。
しかし、幅6キュビト、高さ60キュビトという大きさは、聖書において人間の数として重要な6という数字を発想させます。
(ヨハネの黙示録13章18節を参照にしてください。)
しかしながら、ネブカドネザル王の視点から見たこの像の意図された意味については議論の余地があります。
バビロンの神ベルかマルドゥクへの敬意を表したものだった可能性もあります。
しかし、この場合は神の名を挙げるのが自然だと思われます。
ネブカドネザル王はこの像を神の力の体現者である自身を表すものと見なし、像を崇拝することは自身の権力を認めることに繋がると考えたのかもしれません。
4章で論じられている彼の自尊心を考えるのであれば、これは妥当な説明となります。

この像は「バビロン州のドラの平野」に設置されました。
リューポルド氏がこのように述べています。
「「ドラ」という表現は「メソポタミアではかなり一般的な名称であり、城壁で囲まれたあらゆる場所に適応されます。」」
また、カイル氏が指摘するように、この名称を持つ場所は数多く存在します。[179]
カイル氏とヤング氏は共に、バビロンから遠すぎるため除外されたと思われる2つの候補地を挙げています。
ヤング氏は次のように述べています。
「ドラという名称は古典文献にも見られます。
ポリュビオス5章48節、アムネスティ・マルコ23章5節,8節、24章1,5節には、カボラス川がユーフラテス川に注ぐ河口にドラがあったと記されていますが、これがバビロン州にあるとは考えられません。
また、ポリュビオス5章52節、アムネスティ・マルコ25章6節、9節には、ティグリス川の向こう側、アポロニアからそう遠くない場所にドラがあったと記されています。
これもまた遠すぎます。」[180]

保守的な学者の間では、最も可能性の高い場所はバビロンの南東6マイルに位置する、レンガ造りの大きな正方形の塚だという意見で一致しています。
この塚は、ネブカドネザルが建立したような像の土台として理想的であったと考えられます。
モンゴメリ氏は以前、オペルトの調査結果に基づいて同じ結論に達しました。[180]
バビロンに近いことから利便性は高いが、谷間の平野に位置することからその高さは印象的です。

その土地には特別な名前が与えられています。
これらの名前には紀元前6世紀のバビロンの私的な知識が含まれています。
ヤング氏が指摘しているように、バビロンの地質学的な知識を前提としており本物である証拠です。[182]

聖書の記録によると、像が建立されると、ネブカドネザルは帝国の主要な役人を奉献式に招集しました。
古代世界にも、サルゴンがドゥル・シャルキンに宮殿を建て終えた際に催した祝宴など、同様の事例が見られています。[183]
そのことから前進派・保守派を問わず、この儀式は時代の流れに合致するものであるとして意見で一致しています。
このような役人の参列は、一方ではネブカドネザル帝国の権力を誇示する喜ばしい行為でした。
他方では、彼らの考えでは勝利の責任を負っている神々を認める点で意義深いものでした。
像への崇拝は、宗教的迫害を意図した行為ではなく、政治的連帯とネブカドネザルへの忠誠の表明を意図したものです。
これは事実上、国旗への敬礼でしたが、宗教的忠誠心と国家的忠誠心はお互いに関連していたため、宗教的な意味合いも持っていた可能性もあります。

この行事のために集められた役人たちのリストは、バビロニア語ではなくペルシャ語の用語が使われていることから、議論を呼んでいます。
なぜ、ペルシャ語の用語を使うべきなのかという憶測は、単なる空論に過ぎません。
ペルシャ政府が権力を握った後にこの文章を書いたか、少なくとも編集した可能性のあるダニエルが、ペルシャ語の表現を使って様々な官庁をの呼び名を更新したとすればごく自然なことです。
ダニエルがこれらの役職に精通していた事実は、彼が紀元前6世紀に生きていたことのもう一つの証拠となります。
ダニエル書3章2、3節で使われている公式の称号は、この書が紀元前6世紀にさかのぼることを証明しており、批評家たちが紀元前2世紀としている説に反論するのに役立ちます。
七十人訳聖書(古ギリシア語訳とテオドシオン(The-odotion)訳)[184]は、「顧問官(drgzr)」、「会計係(gdbr)」、「法律官」(dtbr)、「治安判事、警察署長(t(y)pt)」の訳語は、推測に過ぎず、全くの不正確です。

キッチン氏はこのように指摘しています。
「もし、ダニエル書の最初の重要なギリシア語訳が、およそ紀元前100年から紀元後100年の間になされ、翻訳者がこれらの用語の正しい意味を再現できなかったとすれば、別の結論が自からと導かれます。
すなわち、翻訳者が作業に取り掛かる前から、それらの意味はすでに失われ、忘れ去られていたか、少なくとも大幅に変更されていたことになります。
もし、ダニエル書(特にアラム語2~7章)が紀元前165年頃の産物だとすれば、連続した伝統の中にある1世紀ほどの期間は、小アジアの基準から考えるなら、意味の喪失 、もしくは変化が生じるのに十分な間隔として考えるのであれば不十分です。
したがって、このような理由から、この日付よりはるか以前に、できれば、ペルシャ支配の記憶の範囲の中で、すなわち最大紀元後539年から、ペルシャがマケドニアに陥落してから約50年経過を考慮して紀元前280年の中にそのような節の原文を探すのが望ましいと考えます。
[185]
各官職の具体的な機能は明示されていませんが、7つの役職の階級が定められています。
官職名とその現代的な意味は以下のとおりです。

RSV英訳聖書 アラム語(単数形) 意味

princes áa†hashdarpan 総督、副次的な支配者
governors sÿgan 支配者たち
captains peha 支配者
judges áa†darga„zar カウンセラー、顧問
treasurers gÿda„bar 会計係
counsellors dÿta„bar 法律家、 裁判官
sheriffs tipta„y 行政官

カイル氏はさまざまな用語について最も詳しく説明しています。
(princes)とは、行政官、守護者、監視者、そして王の最高代表者であり、ギリシア語の「サトラップ(satrap)」という表現に相当しています。
(governors)とは、指揮官または軍の長です。
(captains)とは、民政の大統領または知事を指しているようです。
(judges)とは、政府の顧問または主席調停者です。
(treasurers)とは、国庫の管理者です。
(counsellors)とは、法律家または法律の守護者です。
(sheriffs)とは、より厳密な意味での裁判官、つまり正当な判決を下す政務官です。
(rulers)とは、総督に従属する各州の知事であった下級役人です。[186]

2節に述べられている役人のリストは3節にも繰り返されており、その一部は27節でも繰り返されています。
彼らは、この重要な行事に参加するために、ネブカドネザルから遣わされた使者によって召集されました。

3節によると、彼らは像の前に集まり、使者の叫び声によって合図される普遍的な礼拝への呼びかけを待っていました。
使者を意味する語(ka„ro‚z)はギリシア語の(ke„rux)に酷似しており、ダニエル書におけるギリシア語の面白い問題を提起しています。
5節に挙げられている楽器のいくつかもギリシア語起源と思われます。
これは、ダニエル書がギリシアによる西アジア支配の時代に書かれたことを裏付けるものだと主張されています。

アーチャー氏らは、これらの語が実際にギリシア語であるかどうかに異議を唱え、ブラウン氏、ドライバー氏、ブリッグス氏の辞典ではギリシア語に分類されている「使者(karoz)」)が、ケーラー・バウムガルトナーのヘブル語辞典などの最近の著作では「呼ぶ者」を意味する古代ペルシャ語の(khrausa)に由来すると指摘しています。[187]

保守的な聖書学は、ダニエル書の正確さと史実性を問う批評家の反論に十分に答えています。[188]
たとえば、ロバート・ディック・ウィルソン氏は、もしダニエル書がギリシア時代に書かれたのなら、あちこちに出てくる数少ないギリシア語の単語よりもはるかに多くのギリシア語の単語が存在するはずです。
この議論は実際にはブーメランであると指摘されています。[189]

事実として考えるのであれば、バビロニア人とギリシア人との接触があれば、バビロニア文化にギリシアの影響が多少あっても不思議ではありません。
ギリシアの商人は紀元前7世紀以降、エジプトや西アジアでよく見られています。[190]

様々な国の兵士として活躍したギリシアの傭兵は、ダニエル書より100年以上も前に、例えばエサルハドンのアッシリア軍(紀元前682年)やネブカドネザルのバビロニア軍の中にも見られました。[191]
ギリシア人はセム語世界に影響を与えただけでなく、アッシリアとバビロニアの影響はギリシア語にも現れています。[192]

ダニエル書3章に記されている楽器に関するT・C・ミッチェル氏とR・ジョイス氏による最近の研究では、これらの楽器が紀元前6世紀に存在した説が支持されています。[193]

ヤマウチ氏によるさらなる研究では、ダニエル書に記されているギリシア語は予想外のものではなく、古代世界における文化の交流を指しているとされる結論が支持されています。[194]

これらの楽器の同義語を探そうとしても、実際にはそれらの正確な特徴についての情報がないため、あまり役に立ちません。
T・C・ミッチェル氏とR・ジョイス氏は、6種類の楽器すべてについて、9つの異なる翻訳における対応する訳語をまとめた表を提供しています。
しかし実際には、これらの代替用語はどれも、ダニエル書3章5節に示され、7節、10節、15節にも繰り返されている用語と比べ、あまり改善されていません。
これらの楽器は、バビロンで編成可能な最も充実したオーケストラを構成していたと考えられます。

コルネット(角笛)は明らかに角笛の一種で、その語源は楽器を作る際に用いられることもあった獣の角に由来しています。
フルート(二管の笛)はおそらく葦で作られ、横笛に似た音色を発していました。
ハープ(立琴)は弦楽器の一種です。
サックバット(角琴)は弦が張られた三角形の板だったと考えられます。
プサルタリー(ハープ)は、20本の弦を持つ弦楽器です。
ダルシマー(風笛)は管楽器です。
これらに加えて、「もろもろの楽器」と表現されている楽器もありました。[195]

音楽が鳴り響くと、集まった人々は皆「ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ」のです。
つまり、地面にひれ伏して敬意を表することでした。
この像が神、あるいは偶像であったことの証拠だと解釈する者もいます。
しかし、カイル氏らは、彼らが帝国の権力の象徴を認めたに過ぎず、異教の神々を認めることはあっても、それが彼らの敬意の具体的な対象ではなかった点で、正しいと考えられます。[196]

カイル氏は次のように述べています。
「王国の神々への敬意を拒むことは、彼らにとって王国とその君主に対する敵意の行為とみなされました。
同時に、誰もが自国の国家の神を敬うことができました。
王国の神々の方が強力である承認は、あらゆる異教徒によって認められました。
したがって、ネブカドネザルは宗教的な観点から、役人として全員が譲れないです。
ネブカドネザルにとって、ユダヤ人の拒否は、彼の王国の偉大さへの反抗として映ったのです。」[197]
したがって、ダニエル書のこの物語の背景としてリベラル派が挙げるアンティオコス・エピファネスの迫害との間に直接的な類似点は存在しません。
アンティオコスはユダヤ教を滅ぼそうとしていましたが、ネブカドネザルの目的はそれではありません。
ダニエル書3章の状況を公平に分析すると、この問題は宗教的より政治的なものでした。
しかし、ダニエルの3人の仲間にとっては、これらの事柄が宗教的に不快なものであったと言えます。

伝令官は、ひれ伏して礼拝せよという命令に従わない者は、直ちに燃え盛る火の炉に投げ込まれると明言しました。
モンゴメリ氏は、この炉について「私たちの一般的な石灰窯に似ており、上部から垂直の竪穴が伸び、下部には溶融石灰を取り出すための開口部があったはず」だと述べています。
ベンジンガー著 『ヘブル考古学(Hebr. Archaologie)」の65頁、またはオリエントの「タンヌール(tannur)」、もしくは「タブーン(ta‚bu‚n)」の図解、もしくは「ハウプトの解説(Haupt’s description)」
(AJSL 23, 245)参照にしてください。
「ハウプトの解説(Haupt’s description)」では、ペルシャにも犯罪者処刑用の同様の炉が存在したシャルダンの記述「「ペルシャへの旅」ラングルス編、6巻、18章末、303頁(Voyage en Perse, ed. Langles, 6, c. 18, end, p. 303)」からの引用」の存在を述べています。[198]
この記述は、犠牲者が炉に投げ込まれた方法と、王が炉内で何が起こっているのかその状況の両方を説明しています。[199]

「ただちに」という表現には「すぐに」という概念が含まれています。
しかし、炉がすでに燃えていたと結論付けるほどには推し進めるべきではありません。
生きたまま焼かれて処刑されることと、音楽が鳴り響くと一同をひれ伏させて礼拝させることは十分な脅威です。
どうやら唯一の例外はダニエルの三人の仲間だけでした。
このこととダニエル自身とどのように関係しているかを推測するのは無意味です。
そして、ダニエルは良心に反しない政治的行為と見なしていたのでしょうか?
それとも、ダニエルは礼拝をせず、高い地位にあったため敵に告発されることがなかったのでしょうか?
もっとも可能性が高いのは、ダニエルが何かの理由で不在だったということです。
このように、三人の忠実なユダヤ人の裁判の舞台が整いました。

カルデア人に告発されたダニエルの仲間

「こういうことがあったその時、あるカルデヤ人たちが進み出て、ユダヤ人たちを訴えた。
彼らはネブカデネザル王に告げて言った。「王よ。永遠に生きられますように。
王よ。あなたは、「角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞く者は、すべてひれ伏して金の像を拝め。
ひれ伏して拝まない者はだれでも、火の燃える炉の中へ投げ込め。」と命令されました。
ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」」
(ダニエル書3章8~12節)


ダニエルがかつて記した歴史的記述には、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが金の像にひれ伏さなかったとは記されていません。
しかし、宮廷占星術師であったカルデア人たちは王のもとへ行き、告発を行いました。
ネブカデネザルによってバビロン州の管理を任されたこれらのユダヤ人は、異民族であり捕囚民であったため、彼らに憤慨していたことは間違いありません。
カルデア人たちにとっても、ユダヤ人がバビロンの神々を崇拝しておらず、実際には政府内の異質な存在だったことは明らかです。
彼らは、ユダヤ人が像を崇拝しなかった事実を、訴える好機と捉えました。
「訴えた」という表現は、セム語族に共通するアラム語の翻訳で、文字通りには「彼らは自分の分け前を食べた」という意味であり、つまり少しずつむさぼり食うことを意味しています。
これは、告発された者を少しずつむさぼり食う、中傷や悪意のある告発を暗示しています。

カルデア人はネブカドネザル王に、慣例の礼儀をもって近づき「王よ。永遠に生きられますように」と呼びかけました。
彼らは王に布告の内容と不服従に対する罰を念押ししました。
こうして告発の舞台が整うと、カルデア人はシャドラク、メシャク、アベデ・ネゴに対して三つの告発を行いました。
最初に、彼らは王を敬っていませんでした。
二番目に、彼らは王の神々に仕えていません。
三番目に、彼らはネブカドネザルが立てた金の像を崇拝していません。

この告発の形式は、王自身への叱責に近いものです。
カルデア人はユダヤ人に対して根深い恨みを抱いており、王がこれらの異国人に高官職を託したことは重大な過ちだと考えていたことは明らかです。
彼らは王に対し、これらの人々はユダヤ人であり、バビロニア人とは人種も文化も異なることを指摘しています。
王は彼らをバビロン州の事務を管轄する役人に任命しました。
バビロン州は帝国で最も重要な州であり、王国全体の政治的安全保障の要です。
このような役人の個人的な忠誠心は疑うことができません。
このようにカルデア人が指摘するように、シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴは王に敬意を払っていません。

彼らがネブカドネザルの神々に仕えていない二つ目の非難は、単なる宗教的相違以上のものです。
像の崇拝が表現していた政治的忠誠という概念は、ネブカドネザルの神々が彼に味方し、勝利を与えたという考えと密接に結びついていました。
ネブカドネザルの神々に異議を唱えることは、ネブカドネザル自身に異議を唱えることであり、告発された三人の政治的誠実さに疑問を投げかけることになりました。
彼らは疑惑の証拠として、ダニエルの三人の仲間が金の像を崇拝していないと非難しています。
この主張は、ネブカドネザルの怒りをかき立て、三人の失脚を招き、カルデア人に政治においてより大きな権限を与える可能性を狙ったものだと思われます。

像を崇拝することを拒否したダニエルの仲間たち

「そこでネブカデネザルは怒りたけり、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来いと命じた。それでこの人たちは王の前に連れて来られた。
ネブカデネザルは彼らに言った。「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。あなたがたは私の神々に仕えず、また私が立てた金の像を拝みもしないというが、ほんとうか。
もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。
しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。
もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」」
(ダニエル書3章13~18節)


カルデア人の議論と非難はネブカドネザルに重大な影響を与えました。
彼はシャドラク、メシャク、アベデ・ネゴの不服従を、自身の政治的安全保障への脅威であるとしただけでなく、個人的な侮辱とみなしました。
彼らがおそらく長年職務を遂行し、その職務を効果的に遂行していた事実を考慮し、ネブカドネザルは怒りながらも、より身分の低い者たちには与えられなかったと思われる二度目のチャンスを彼らに与えました。
激怒したネブカドネザルは、彼らを自分の前に呼び出すよう命じ、二つの質問をしました。
最初に「あなたがたは私の神々に仕えず?」、二番目に「また私が立てた金の像を拝みもしない?」というものでした。

神々に仕えることと像を拝むことはお互いに関連しています。
ネブカドネザルが両者を区別した事実は、彼らが彼の神々を崇拝していない事実が非難されるべき事実であるにもかかわらず、崇拝が政治的な意味を持っていたという考えを裏付けているように思われます。

ネブカドネザルは彼らに礼拝の命令に従う機会を与え、音楽の描写とひれ伏して礼拝する義務を再び述べています。
そして、彼らが「ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」という代替案を明確に示しています。
この勅令のくりかえしは、明らかに誇張して行われたものです。
そして、おそらくネブカドネザルはカルデア人の嫉妬をよく知っており、考慮に入れていました。
しかし、それでも像を礼拝する以外に選択肢はないことを明確に示しています。

ネブカドネザルが14節で尋ねた質問は、KJV英訳聖書とRSV英訳聖書では「ほんとうか」と訳されていますが、ASV英訳聖書では「それは目的のあることですか」と訳されています。
この箇所の正しい読み方と結果として生じる翻訳については学者によって意見が分かれていますが、モンゴメリ氏とローゼンタールはRSVとKJV英訳聖書の「ほんとうか」という翻訳を支持しています。[200]

ネブカデネザルが「どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう」という挑戦的な問いかけを加えてくることは、驚くべき事です。
彼は2章で夢を解き明かす中で、ヘブル人の神がバビロニアの神々よりも優れていることを十分に認識していました。
しかし、このような状況下でユダヤ人の神がこの3人を自分の手から救い出すことができるとは信じていません。
実際、ネブカデネザルは自分の力が至高であると感じており、いかなる神も介入することを期待していません。
ラブシャケもヒゼキヤ王を脅迫した際に、同様の傲慢で冒涜的な主張をしました。(イザヤ書36章13~20節)
自分は人間の力に対してあまりにも大きな力を持っており、被害者が助けを求めることのできる神の力などいないというのが主張です。

通常、シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴが王に返答するには、なぜ像を崇拝しないのかを説明するのに長い説教が必要だったはずです。
しかし、彼らには、それらはすべて無駄でした。
問題は、彼らの神が彼らを救えるかどうかであることは、王は認識していました。
そこで、彼らは神への信頼をあらわにし「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません」と王に答えています。
このような返答は、王に対する傲慢で無礼な行為とみなされるかもしれません。
しかし、説明と併せて考えるならば、彼らは自分たちの問題はもはや自分たちの手に負えないと感じていることは明らかです。
「必要は」と訳されているアラム語の「ハシン(hashhin)」で、「必要」を意味する専門用語と考えられます。
したがって、この発言は「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません」と訳されています。[201]
さらに困難なのは、「ネブカドネザル」という表現がマソラ本文では呼び格になっていることです。
ヤング氏は、彼らがどのような正式な挨拶をしたかは省略し、ここでは単に「ネブカドネザル王に、この件について、あなたの前で弁明する必要はありませんと言いました」と記録されていると全文を翻訳しています。[202]
モンゴメリ氏は、失礼な目的はなかったと主張しています。
「大衆におけるこの無礼な呼び方は、礼儀上、失礼なものではありません。
ただし、著者の精神に反していました。」[203]

ネブカデネザル王への挨拶全体が省略されているように見えます。
しかし、ダニエルは返答の要点を述べており、そうすることで、14節で王が尋ねた「ほんとうか」という質問に答えています。
実際、彼らが行ったことについては疑いの余地はありません、
しかし、従わない目的が疑問でした。
彼らが従わなかった目的は、バビロンの神々を辱め、ネブカデネザルに背くことが目的だったのでしょうか?
彼らの説明ではその答えについて疑問の余地はありません。
彼らは、自分たちの神は火の燃える炉から自分たちを救い出すことができると断言しています。
英訳聖書における17節の「火の燃える炉」の前の冠詞は省略されるべきです。
その結果、神は目の前にある炉だけでなく、どの火の燃える炉からでも自分たちを救い出すことができるという意味になります。
彼らは、自分たちの神にはそれだけでなく、神が自分たちを救い出すとも断言しています。

しかし、三人の男たちは、神が彼らを救ってくれない可能性にも直面しています。
「しかし、もしそうでなくても」という表現は、神の力のことではなく、救われることの意味を指していると理解すべきです。
彼らは、忠実な者たちを殉教から救うことが神の御心ではない場合もあることを考慮に入れています。
たとえ、神が彼らを救ってくれなかったとしても、バビロンの神々や金の像を崇拝しない彼らの決意は変わりません。
リューポルド氏は的確にこのように述べています。
「この三人の男たちが示す静かで謙虚でありながら、非常に前向きな信仰の態度は、聖書における神の御心に完全に身を委ねた信仰の最も尊い例の一つです。
彼らは奇跡を求めず、何も期待しません。
彼らの信仰とは、ヨブ記に示されている信仰です。

「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。」
(ヨブ記13章15節
)[204]

炉に投げ込まれるダニエルの仲間たち

「すると、ネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに対する顔つきが変わった。彼は炉を普通より七倍熱くせよと命じた。
また彼の軍隊の中の力強い者たちに、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを縛って、火の燃える炉に投げ込めと命じた。
そこで、この人たちは、上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
王の命令がきびしく、炉がはなはだ熱かったので、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを連れて来た者たちは、その火炎に焼き殺された。
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人は、縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。」
(ダニエル書3章3章19~23節)


ネブカドネザルへの三人の返答は、バビロンの神々に仕え、その像を拝まない彼らの強い決意をはっきりと示していました。
このことは出エジプト記20章4~6節で禁じられていました。

「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」
(出エジプト記20章4~6節)


ネブカドネザルは、彼らの決意を、カルデア人による告発の完全な証拠と同時に、彼自身に対する不忠の証拠としても捉えました。
「怒りに満ち」という表現にもあるように、ネブカドネザルの怒りには限界がありません。
ネブカドネザルはいかなる状況下でも可能な限りの怒りを露わにし、顔は歪み、プライドは深く傷つけられ、まるで苦痛を増すかのように、炉を通常の7倍熱くする愚かな命令を下しました。
実際、ゆっくりと燃える炎の方がはるかに苦痛だったはずだと、ジェフリー・キング氏はこのように述べています。
「そして、ネブカドネザルはカッとなりました!
それは常に小心者の特徴です。
ネブカドネザルの炉は熱かったが、彼自身もさらに熱くなりました!
そして、人は激怒すると愚かさであふれます。
この世にカッとなった者ほど愚かな者はいません。
そしてネブカドネザルは愚かなことをしました。
もし、彼らを傷つけたかったのなら、炉を7倍も冷やせばよかったのです。
ところが、怒りに任せて7倍も熱しました。」[205]

ネブカドネザルはシャドラク、メシャク、アベデ・ネゴに、像の前でひざまずくことを拒否する機会を再び与える代わりに、即座に彼らの処刑を命じました。
軍勢の中で最も強い者たちが選ばれ、シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴを燃え盛る炉に投げ込む前段階として縛りました。
聖書には、彼らが「上着や下着やかぶり物の衣服を着たまま縛られて」と記されています。
通常、犯罪者は処刑前に裸にされますが、処刑の形式と全体の急ぎ具合を考えると、服を脱がせることに特に意味はありません。
これは後に、神の救済力のさらなる証しとなります。

男たちが処刑の準備をしている間、炉は極度に熱せられました。
これは必ずしも長い時間を要するものではありません。
群衆がおそらく静まり返って待つ間、状況全体に緊張感をもたらしたはずです。
炉が適切な温度に達すると、王は命令の即時執行を命じました。
3人の男を炉に投げ込むと、これを実行した屈強な男たちは、命を奪おうとする燃え上がる炎に照らされて死にました。
布告通り、彼らは炉の真ん中に投げ込まれることになっており、処刑は実行されました。

七十人訳聖書は「アザリヤの祈り」と「三人の若者の歌」を、いくつかの補足説明とともに挿入しています。
保守的な学問的見地からは、これは聖書本文の一部ではない点で一致しています。
しかし、敬虔な信者であったこれらの人々が、もし時間が許せば、同様の祈りを捧げた可能性もあるはずです。
本文23節についても、チャールズ氏は異論を唱えています。
彼は、これは21節の挿入であり、不必要な重複であり、その一部が失われたと主張しています。[206]
実際には、物語はそのままでも十分に読みやすく、反論には正当な根拠がありません。
一般的な物語においても、重要な事実が、複数回繰り返されることがあります。
今やネブカドネザルは目的を達成し、布告を遂行したので、自分の権威と神々に挑んだこれらの人々を焼き尽くす任務を炉に委ねることができたのです。

炉からの奇跡的な救い

「そのとき、ネブカデネザル王は驚き、急いで立ち上がり、その顧問たちに尋ねて言った。
「私たちは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えて言った。「王さま。そのとおりでございます。」
すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。
しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」
それから、ネブカデネザルは火の燃える炉の口に近づいて言った。
「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい。」そこで、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは火の中から出て来た。
太守、長官、総督、王の顧問たちが集まり、この人たちを見たが、火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。」
(ダニエル書3章24~27節)


ネブカドネザルは、安全な距離から炉の中を観察できるように座っていました。
しかし、彼が目にしたものは、彼を完全に驚かせました。
ネブカドネザルは自分の目が信じられず、興奮のあまり立ち上がり、顧問たちに、三人の男は縛られて火の中に投げ込まれたのではないのかと尋ねました。
ネブカドネザルが尋ねたきっかけは、彼が見たものでした。
三人ではなく四人の人が見えました。
縛られているどころか、彼らは自由でした。
炎の中で苦しみに身をよじるどころか、彼らは火の中を歩き回り、出ようともしません。
さらに、彼らに怪我がないことは明らかでした。
そして何よりも驚くべきことに、彼は「第四の者の姿は神々の子」という印象を受けました。
これらの宣言を聞いて、ネブカドネザルの顧問たちも立ち上がり、炉の中を覗き込みました。
彼らは、ネブカドネザルに導かれて、奇跡的な救いを見ようとできる限り近づきました。

現代の学者の多くは「神の子」という表現を「神々の子」と訳しています。
燃え盛る炉の中にいた4人目の人物が本当に神の子であった可能性は十分にあります。
しかし、ネブカドネザルが預言的な洞察力を持っていなかった限り、このことを理解できたかどうかは疑わしく思えます。
アラム語の「エラヒン(elahin)」は複数形であり、ダニエル書のアラム語の箇所で使用されている場合は常に複数形であるように思われます。
真実な神を指す場合は単数形が用いられるからです。
ダニエル書6章20節でダリウスが真実な神に言及している箇所にテキスト上の問題があります。
キッテル氏は、その言葉を複数形ではなく単数形として支持しています。[207]
この一貫した用法に基づくと、「神々の子」という訳語はより好ましく、ネブカドネザルの経験におけるこの時点での理解と一致しています。
それでもなお、炉の中に4人目の人物がいたことは、ネブカドネザルが目撃した奇跡に対する彼の驚きを一層深めました。

ネブカドネザルは火の燃える炉の中で三人の忠実な男たちに語りかけ「シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。いと高き神のしもべたち。すぐ出て来なさい」と言いました。
シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴの神がバビロンの神々よりも偉大であることは、ネブカドネザルだけでなく、見守っていた他の人々にもすぐに明らかになりました。
「いと高き神」という表現を用いたのは、ネブカドネザルが自分の神々を否定したのではなく、行われた驚くべき奇跡に基づいて、イスラエルの神がより高位であることを認めただけのことであり、「いと高き神」という表現が用いられました。

ネブカドネザルの命令により、偶像崇拝において王の命令に従うことのできなかったシャドラク、メシャク、アベデ・ネゴは、この時、ためらうことなく命令を遂行しました。
王の最高幹部に率いられた群衆は、神の救いの力の証人となりました。
もちろん、大群衆全員が十分に近づいて何が起こったのかを正確に見ることはできなかったはずです。
しかし、聖書には「太守、長官、総督、王の顧問」がこの出来事を目撃したと記されています。
偉大な奇跡が行われたことに疑問の余地は何もありません。
3人のヘブル人の髪は焦げず、彼らが身にまとっていた衣服は変化せず、火の臭いさえ残っていません。
リューポルド氏は上着を「靴」と訳しています。
これは彼らが熱い灰の上を歩いていたことを考えると、非常に注目すべきことです。[208]
火は彼らの衣服に何も損傷を与えませんでした。
彼らを縛っていた縄、ネブカドネザルの不信仰と怒りの象徴だけが炎の中で破壊されました。

ネブカデネザルの支配が異邦人の時代全体を象徴するように、ダニエルの三人の仲間の救いは、異邦人支配下にあったイスラエルの救いの型です。
特に異邦人の時代の終わりには、イスラエルは激しい苦難に見舞われます。
しかし、イザヤがこのように預言しています。

「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。
あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」
(イザヤ書43章1、2節)


ネブカドネザルの勅令

「ネブカデネザルは言った。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。
それゆえ、私は命令する。諸民、諸国、諸国語の者のうち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を侮る者はだれでも、その手足は切り離され、その家をごみの山とさせる。このように救い出すことのできる神は、ほかにないからだ。」
それから王は、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴをバビロン州で栄えさせた。」
(ダニエル書3章28~30節)


ネブカデネザルがダニエル書2章の終わりでダニエルの神を認めたように、ここでネブカデネザルはシャドラク、メシャク、アベデ・ネゴの神の力を認め、この出来事を記念する中東的な勅令を発布しています。
まず、彼は「王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。」彼らの神の救いの力を認めます。
異教の神々が使者を用いて目的を成し遂げられる事は広く信じられており、ネブカデネザルもこの出来事を同じように分析しています。
シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴと共に炉の中にいた4人目の人物が実際に神または御使いであった明確な証拠はありません。
私たちが持っているのは、ネブカデネザルが自分の目撃に基づいて下した結論だけです。
しかし、シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴの守護者は御使いの姿で現れたキリストご自身であった可能性は十分にあります。
「神々の子」(3章25節)という表現は、アラム語の「バル・アエラヒン(bar áela„hin)」の翻訳であり、「神のような存在」を意味しています。
ネブカドネザルは28節でこれを「マラーク(maláak)」、つまり「御使い」と解釈しています。
神が彼らを守るために力強い御使いを遣わした解釈も妥当であり、聖書の他の箇所とも一致しています。

ネブカドネザルはシャドラク、メシャク、アベデ・ネゴの神を認めただけでなく、たとえ、約束を変える結果となったとしても、彼らの神への信頼を遅ればせながら称賛しました。
彼は、自分たちの神以外を崇拝しない、彼らの至高の義務を認めました。
これは、ネブカドネザルのような立場にあった王にとって、驚くべき告白でした。

この前置きを述べた後、ネブカデネザルは勅令を発布しています。
勅令の中で、彼は自分の神々を軽視するのではなく、シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴの神の力を認めています。
彼は領土内のすべての民に対し、この神について悪口を言わないよう、もし口を開かなければ切り刻まれ、家々は汚物の山と化すと脅迫しています。
王にそうする力があることは誰の目にも明らかでした。
彼の勅令の根底にあるのは「このような救いをもたらす神は他にいないから」という簡潔な言葉です。
この時点で、ネブカデネザルは深く感銘を受けていましたが、イスラエルの神に信頼を置く段階にはまだ至っていなかったことは明らかです。

この奇跡をもたらした一連の出来事は、シャドラク、メシャク、アベデ・ネゴのバビロン州における主要な役人としての地位を確固たるものにしました。
彼らの以前の地位や権限がどうであれ、彼らは今や昇進しました。
おそらく同じ役職に就いていたにもかかわらず、彼らはいかなる反対からも解放され、その活動において王の特別な好意を受けていました。

リューポルド氏の詳細に行われた議論で指摘されているように、この裁判と迫害の性質は、紀元前2世紀のアンティオコス・エピファネスの裁判と迫害とは全く異なっています。
紀元前2世紀にダニエル書を偽ダニエルが書いたという考えを支持するために類似点を引き出そうとする学者たちは、実際には何の根拠もありません。
ネブカドネザルは少なくともイスラエルの神を尊敬していましたが、アンティオコス・エピファネスの場合は全く真実ではありません。[209]
神の御言葉に記録されているように、神への服従と人への服従の間に緊張が生じるのは異邦人の時代の特徴です。
これは将来の大患難のときに頂点に達し、地上の支配者への服従と神への服従の間の緊張が再び生じ、多くの殉教者が生み出されます。

3章全体を読むと、厳しい試練の中でも神に忠実であり続けた若者たちの感動的な物語が展開されます。
道徳的、精神的な妥協を正当化する一般的な言い訳、特に当時の環境の影響を非難する言い訳は、これらの若者たちの忠実さによって完全に否定されます。
両親との別離、バビロニアの宗教の腐敗した影響、政治的圧力、そして不道徳にもめげず、彼らは試練の時に揺らぐことはありません。
ダニエルがこの章を通してイスラエルにおける偶像崇拝の悪と、人ではなく神に従うことの必要性を思い起こさせる目的があったと批評家たちが考えるのは、おそらく正しいと考えます。
しかし、この箇所の主旨は、批評家たちが推測するように、実際には起きていない作り話の道徳的な物語ではなく、捕囚下であっても民に忠実であり、神に信頼を置く者をいつでも救い出す用意のある神の姿を示すことです。
イスラエルの神とバビロンの偶像の対比は、異邦人の支配の背後にあるこの世の神が、主権者である神の手によって裁きを受ける運命にあることを思い起こさせます。
これはバビロンの滅亡、そしてそれに続くメディア・ペルシャ、ギリシア、ローマといった帝国の滅亡に示されています。
これらの国の滅亡は、ユダ族の獅子が再び支配の始まる異邦人の時代の終わりを予兆しています。

個人を扱った4章のうち最初の章である3章は、ネブカドネザルの改心を描いた4章への準備として明確に位置づけられています。
ダニエルの忠実な3人の仲間の救いにおいて、ネブカドネザルは、3人を処刑する自身の命令を無効にすることができる神の卓越した力に直面しています。
これは、4章で彼が学ぶことになる教訓、すなわち、彼のすべての力は神から委ねられており、神の意志によって取り消される可能性がある教訓への準備です。
この章でダニエルの3人の仲間が登場するのはこれが最後です。
これから後の彼らの経験についてはこれ以上何も触れられていません。

[172] S. P. Tregelles, Remarks on the Prophetic Visions in the Book of Daniel.

[173] R. D. Culver, Daniel and the Latter Days.

[174] G. R. King, Daniel, p. 78.

[175] For a full discussion see C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, pp. 114-15.

[176] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, pp. 136-37.

[177] 同上、 p. 137; cf. E. J. Young, The Prophecy of Daniel, pp. 83-85; and Keil, pp. 118-19.

[178] J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, p. 195.

[179] Cf. Leupold, p. 137; and Keil, p. 119.

[180] Young, p. 85.

[181] Montgomery cites Oppert, Expédition scientifique en Mésopotamia, 1:238 ff., expressing the belief “that a massive square of brick construction found in situ, 14 metres square by 6 high, is the pedestal of Neb.’s image” (Montgomery, p. 197).

[182] Ibid.

[183] 同上、 p. 86.

[184] Montgomery, pp. 199-200.

[185] K. A. Kitchen, “The Aramaic of Daniel,” in Notes on Some Problems in the Book of Daniel, p. 43. For entire discussion see pp. 35-50.

[186] Keil, pp. 120-21.

[187] G. L. Archer, Jr., A Survey of Old Testament Introduction, p. 375.

[188] Concerning Greek loan words, see Kitchen, pp. 44-50. Of particular interest is the presence of a Greek money term, stater, in the Aramaic papyri from Egypt in documents of c. 400 B.C.

[189] R. D. Wilson, Biblical and Theological Studies, p. 296. Cf. Leupold, p. 143; also the discussion on “The Greek Words in Daniel” in Edwin M. Yamauchi’s, Greece and Babylon, pp. 17-24.

[190] William F. Albright, From the Stone Age to Christianity, p. 259.

[191] Leupold, p. 143.

[192] Ibid.

[193] T. C. Mitchell and R. Joyce, “The Musical Instruments in Nebuchadnezzar’s Orchestra,” in Notes on Some Problems in the Book of Daniel, pp. 19-27.

[194] Yamauchi, pp. 17-24.

[195] For a complete description of these instruments see Leupold, pp. 144-45; Mitchell and Joyce, pp. 19-27; and Keil, pp. 122-24.

[196] Keil, p. 124; cf. Leupold, p. 145.

[197 Keil, p. 124.

[198] Montgomery, p. 202.

[199] Cf. the account of a young slave being thrown into a furnace, cited by Emil G. Kraeling, Rand McNally Bible Atlas, p. 323.

[200] Montgomery, pp. 205-7; F. Rosenthal, A Grammar of Biblical Aramaic, p. 40.

[201] Cf. Montgomery, pp. 208-9; and Rosenthal, pp. 24, 84.

[202] Young, p. 90.

[203] Montgomery, p. 208.

[204] Leupold, p. 153.

[205] King, p. 85.

[206] R. H. Charles, The Book of Daniel, p. 35.

[207] Rudolph Kittel, Biblia Hebraica, 2:1270.

[208] Leupold, p. 159.

[209] 同上、 pp. 163-64.


4章 ネブカドネザルの傲慢と罰

ダニエル書の大部分を占めるこの章は、神がいかにして高慢な者を貶めるかの深遠な物語にとどまっていません。
間違いなく、これはネブカドネザルの霊的伝記のクライマックスと言えます。
ダニエルとその仲間たちの卓越性を認めることから始まり、2章の偶像の夢の解釈へと続き、ダニエルの3人の仲間との経験によってさらに進展してきました。

この記述の背景には、長年仕えてきた預言者ダニエルへの明らかな配慮があります。
祈りの人であったダニエルは、ネブカドネザルのために祈り、神が彼の心に働きかけている証拠を熱心に求めていたことは間違いありません。
4章におけるネブカドネザルの経験はダニエルが予想していたものとは異なっていましたが、結果はダニエルの最大の望みに近いものとなりました。
カルヴァンの後継者であるリューポルド氏のように「王の経験が改心につながったのかどうかを疑問視する」人もいます。[210]
しかしこの章はネブカドネザルをダニエルの神に信頼を置く境地に導いたと言えるはずです。
神の御手の中にある人の霊的成長を描いた教訓としてだけでも、この章は文学的に貴重な逸品です。

ダニエル書2章で始まる異邦人の権力の広範な範囲についての啓示を踏まえると、ネブカデネザルの経験は、神による異邦人の権力の屈辱と、世界を神自身に服従させるより大きな意味を帯びているように思われます。
バビロンとその最終的な滅亡について預言的に語る聖書の他の箇所、例えばイザヤ書13章と14章を例に挙げると、神とネブカデネザルの争いは、神が全人類、特に被造物としての傲慢さと神の主権を認めない異邦人世界とどのように関わっているかを広く示していることが明らかになります。
ダニエル自身が王の夢の解釈の中で述べているように、この章の主題は、神がネブカデネザルとどのように関わっているか「いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります」(ダニエル書4章25節)ということです。
神の主権が示されるだけでなく、バビロニアの知恵の破綻が新たなモチーフを形成しています。
この章が、続く5章でバビロン自体の滅亡に先行しているのは、明らかに意図的なものです。
しかしながら、ダニエル書の年代を後期とする根拠として、これをアンティオコス・エピファネスに特化させ極端に推し進めることに何の弁解も必要ありません。
この一節を紀元前2世紀と結びつけるものは何もありません。
実際、ダニエル書5章に記されているバビロン滅亡の、紀元前539年10月の運命の夜にこそ完全に適応されると言えます。

この章の内容は、ネブカドネザルの夢、ダニエルの解釈、そしてその後のネブカドネザルの経験を記した勅令の形をとっています。
ネブカドネザル自身によって書かれたのか、もしくは彼の口述による筆記者の一人によって書かれたのか、また、あるいは王の指示によるダニエル自身によって書かれたのかはともかく、ダニエル書にこの章が収められたのは神の啓示によるものです。
批評家たちは、この章を真正、かつ妥当な正確さで受け入れることに対して、数々の信じ難い反論を唱えてきました。
しかし、実際には物語は非常に理にかなったものであり、それらの反論は些細で根拠のないものに思えます。[211] [212]

ダニエル書4章を例外なく否定する人々は、その記述が聖霊の霊感によるものではなく、ネブカドネザルの経験のようなことは本質的に信じ難いことであり、真正な歴史の記録よりは神話であると仮定しています。
こうした反論は明らかに、高等批評によってダニエル書を紀元前2世紀の偽造と断定するのが正しいことだと想定しています。
この結論は、それを支持する誤った推論だけでなく、批評家自身の基準に基づくとダニエル書が紀元前2世紀よりはるかに古いものであることを要求するクムランのダニエル書テキストの文書証拠によって挑戦を受けていましたが、現在では疑問視されています 。(「序文」を参照にしてください。)
保守的な学問の世界では、この章はダニエル書の他の部分と同様に神の御言葉の真実な一部であると宣言することで一致しています。

ネブカドネザルの布告の序文

「ネブカデネザル王が、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに書き送る。あなたがたに平安が豊かにあるように。
いと高き神が私に行なわれたしるしと奇蹟とを知らせることは、私の喜びとするところである。
そのしるしのなんと偉大なことよ。その奇蹟のなんと力強いことよ。その国は永遠にわたる国、その主権は代々限りなく続く。」
(ダニエル書4章1~3節)


冒頭の節がネブカドネザルの勅令の導入であることは明らかです。
しかし、様々な訳によって聖句が異なり、マソラ本文では勅令は3章の終わりから始まります。
七十人訳聖書の4章の翻訳は、英訳KJV聖書に用いられたヘブル語・アラム語本文と大きく異なります。
チャールズ氏はこれらの違いを次のように要約しています。

マソラ本文(テオドシオン、ウルガタ、ペシット訳に続く)では、物語全体はネブカドネザルが役人全員に送った勅令、あるいは書簡の形で記されています。
それは「全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たち」への挨拶で始まり、至高者がネブカドネザルに行われたしるしと奇跡を彼らに知らせたい王の願いを述べています。(ダニエル書4章1~3節)
次に、ネブカデネザルは悩まされた夢を語り、その解釈を知らせるために魔術師、カルデア人、占い師を召集した経緯を語っています。[213]

チャールズ氏はこれを七十人訳聖書と対比させています。

さて、七十人訳聖書に目を向けると、まず最初に、マソラ本文の最初の3節に相当する記述が七十人訳聖書にはないことに気づきます。
この3節は、続く34節を勅令へと変容させます。
七十人訳聖書では、この章は簡潔に「ネブカドネザルは治世の18年に宣言し、私、ネブカドネザルは我が家で安らかに眠っていました」という言葉で始まり、その後、同じ物語の形式で33節が続きます。
これらの節の最後には、王の霊的・心的経験の結果としての勅令が記されています。
その中に4章1~3節の多くのフレーズが具体化されています。
本文と訳本を綿密に研究した結果、私は、アラム語ではなく七十人訳聖書に、より古い形式のテキストが保存されているという結論に至りました。
この結論の完全な根拠は、私のより詳細な解説書に記載されています。[214]

リベラルな批評家たちは概してこの章を低く評価し、紀元前2世紀の偽ダニエル書に属するだけでなく、本文自体も疑わしいものであり、七十人訳聖書のギリシア語訳を支持する証拠は不十分としています。
ダニエル書を真正な聖書とは見なしていないモンゴメリ氏でさえ、七十人訳聖書が現在のアラム語本文よりも古い本文である見解を否定しており、アラム語本文も以前の本文の改訂版であると考えています。[215]
こうした様々な不信の根拠は実際には何もありません。
この章は、超自然的な啓示の記録ではあるものの、表面上は信憑性があります。
一般的に、ダニエル書の年代を紀元前6世紀とする人々は、この章も多かれ少なかれそのまま受け入れています。

4章の最初の節は、そのような布告の自然な形式であり、送り主の名前、送り先の民、そして一般的な挨拶で始まります。
「全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たち」という送るべき規定は、ネブカドネザルが地球上のすべての地理を支配下に置けないことをよく理解していたことを証明しています。
それでも、彼の帝国の広大な性質と矛盾していません。
これは、ダニエル書3章29節の「諸民、諸国、諸国語の者」に宛てられた広範な布告と似ています。
モンゴメリ氏は明らかに偏見に基づいて判断を下しています。
「この文書は勅令として歴史的に不合理であり、王の改心の歴史にも古代の勅令にも類似例がありません。」[216] この種の反論の愚かさは、モンゴメリ氏が他の文献に一つでも例を見つけていれば批判は無効になるにもかかわらず、ダニエル書3章と6章の類似点を全く無視していると感じている点に表れています。
この場合、よくあるように、批評家たちは記録に何も書かれていないと主張しています。
しかし、確かに古代文献は断片的なものに過ぎません。
この章は、他の異例の神の啓示と比べても、信じるのが難しいわけではありません。

「あなたがたに平安が豊かにあるように」という祝福の言葉は、パウロの書簡に出てくる挨拶の一部と驚くほど似ていますが、古代世界では一般的な表現形式でした。
4章1節に非常によく似た挨拶はダニエル書6章25節にも見られ、ダリヨスがほぼ同じ文言で同様の勅令を記しています。
ダニエル自身が書いたわけではないとしても、形式に影響を与えた可能性はあります。
なぜなら、どちらの箇所でも彼は高い権威を持っており、どちらの勅令も彼の指示の下で発せられた可能性があるからです。
いずれにせよ、勅令は実際には「平安」という言葉で始まっています。
それは、前にあったのは呼びかけの言葉だったからです。

次にネブカドネザルは、自分の人生で「いと高き神」によって行われた驚くべきしるしと不思議は非常に意義深いものであるため、それを国全体に伝えるべきであると判断したと宣言して、自分の経験を説明する舞台を整えています。
「しるしと奇蹟」という表現は、リューポルド氏が指摘するように、多くの箇所で使われた聖書のよく知られた慣用句です。
(申命記6章22節、7章19節、13章1,2節、26章8節、ネヘミヤ記9章10節、イザヤ記8章18節などを参照にしてください。)
これは非常に聖書的であるため、高等批評家から疑問視されてきましたが、実際にはバビロニアの詩篇と聖書の詩篇には多くの類似点があり、この句に技術的な意味はありません。[217]
「いと高き神」という表現は、ネブカドネザルがイスラエルの神を尊いものとみなしていたもう1つの証拠です。
しかし、それ自体は彼が真実な神だけを信じる一神教徒であることの証明にはなりません。

ネブカドネザルが神の偉大さと、そのしるしと奇蹟について語った言葉は、実に正確であり、彼の経験と合致しています。
彼の生涯において行われたしるしは実に偉大であり、神の不思議は実に力強いものでした。
彼の結論は、神の国は時代から時代へと続く永遠の王国というものであり、彼の経験に基づく論理的なものです。
ネブカドネザルは神の真実な姿を明らかにしています。(詩篇145篇13節を参照にしてください。)

夢を解釈できない知者


「私、ネブカデネザルが私の家で気楽にしており、私の宮殿で栄えていたとき、
私は一つの夢を見たが、それが私を恐れさせた。私の寝床での様々な幻想と頭に浮かんだ幻が、私を脅かした。
それで、私は命令を下し、バビロンの知者をことごとく私の前に連れて来させて、その夢の解き明かしをさせようとした。
そこで、呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちが来たとき、私は彼らにその夢を告げたが、彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった。」
(ダニエル書4章4~7節 )


ネブカドネザルの体験記には、夢を見る前の宮殿での安全で繁栄した生活が描写されています。
治世初期、彼は軍事征服に積極的に取り組んでいました。
広大な領土は確保され、ネブカドネザルはバビロンを古代世界で最も壮麗な街の一つにすることを念願に実現させようとしていました。
彼はすでに美しい宮殿での生活を楽しんでおり、夢を見た時は5節と10節にあるように、自宅の寝床にいました。
「宮殿で栄えていたとき」と自分を描写する際に、彼は木の緑の葉が生い茂るなど、「緑である」という意味の言葉を用いており、これは後に続く夢を明らかに予期していました。
富と権力の象徴に囲まれた安全で繁栄した生活の中で、ネブカドネザルは恐怖を感じる夢を見ました。
5節の「夢を見た」という箇所と「寝床での様々な幻想」という箇所、そして「頭に浮かんだ幻」という箇所は、まず夢を見て、それからまた幻であり、その夢から目覚めた後、彼の思いが彼を悩ませたことを暗示しています。
「私を脅かした」という表現は、原文では実際にははるかに強い意味を持ち、極度の恐怖や不安を表しています。

ダニエル書2章で説明されているように、知者たちは夢を告げられても、その解釈を王に知らせませんでした。
彼らは解釈を知らせなかっただけでなく、知らせることができません。
ロイポルド氏はこの表現を「彼らはその解き明かしを私に知らせることができなかった」と正しく訳しています。[218]
夢が不吉なもので、ネブカドネザルに告げるのに問題が生じる可能性があったとしても、彼らが夢を理解していたなら、おそらく彼に何かの説明をしようとしたはずです。

王の夢を語ったダニエル

「しかし最後に、ダニエルが私の前に来た。――彼の名は私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ、彼には聖なる神の霊があった。――私はその夢を彼に告げた。
「呪法師の長ベルテシャツァル。私は、聖なる神の霊があなたにあり、どんな秘密もあなたにはむずかしくないことを知っている。私の見た夢の幻はこうだ。その解き明かしをしてもらいたい。
私の寝床で頭に浮かんだ幻、私の見た幻はこうだ。見ると、地の中央に木があった。それは非常に高かった。
その木は生長して強くなり、その高さは天に届いて、地の果てのどこからもそれが見えた。
葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があった。その下では野の獣がいこい、その枝には空の鳥が住み、すべての肉なるものはそれによって養われた。
私が見た幻、寝床で頭に浮かんだ幻の中に、見ると、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来た。
彼は大声で叫んで、こう言った。「その木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせ。獣をその下から、鳥をその枝から追い払え。
ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、地の草を獣と分け合うようにせよ。
その心を、人間の心から変えて、獣の心をそれに与え、七つの時をその上に過ごさせよ。
この宣言は見張りの者たちの布告によるもの、この決定は聖なる者たちの命令によるものだ。それは、いと高き方が人間の国を支配し、これをみこころにかなう者に与え、また人間の中の最もへりくだった者をその上に立てることを、生ける者が知るためである。」
私、ネブカデネザル王が見た夢とはこれだ。ベルテシャツァルよ。あなたはその解き明かしを述べよ。私の国の知者たちはだれも、その解き明かしを私に知らせることができない。しかし、あなたにはできる。あなたには、聖なる神の霊があるからだ。」」
(ダニエル書4章8~18節 )


説明のつかない何かの理由で、ダニエルは王が夢を語った時、他の知者たちと一緒にいません。
遅れて到着したダニエルに、ネブカデネザルはすぐに個人的に話しかけ、夢の解き明かしをさせようとしました
8節でダニエルがダニエルと呼ばれているだけでなく、「私の神の名にちなんでベルテシャツァルと呼ばれ」という表現が加えられている理由について疑問が生じています。
ダニエルが目立つ記録の一部である事実を考えるのであれば、なぜ二重の名前が使われているのでしょうか?

しかし、答えは至ってシンプルです。
この布告は王国中に広まり、多くの人々はダニエルをバビロニア名ベルテシャザルで知られていました。
ダニエルの神が彼の夢を解き明かす者であることを知った王は、ダニエルをヘブル名で呼びます。
ヘブル名の最後の音節はイスラエルの神エロヒムを指しています。
ネブカドネザルは、ベルテシャザルという名前は「私の神」、つまりベル神の名にちなんで与えられたものだと説明しています。
この文脈と説明から見て、この二重名は不自然ではありません。

ダニエルについては、「彼には聖なる神の霊があった」と述べられています。
「神々」が単数形か複数形かは議論の余地があり、どちらの意味にも翻訳できます。
ヤング氏は、モンゴメリ氏の豊富な証拠に基づき、これを単数名詞と解釈し、ダニエル王が「ダニエルの神は彼自身の神々とは異なる」認識を示したものとしています。[219]
この区別は「聖なる」という形容詞によって裏付けられます。(4章8節,18節、5章11節)
文献学的な証拠は単数形を支持していますが、リューポルド氏もドライバー氏と同じ様に、名詞とその形容詞は複数形であり、王の多神教を反映していると考えています。[220]
ドライバー氏は「同じ表現がシドン王エシュムナザル(紀元前3~4世紀)のフェニキア碑文の9行目と22行目にも見られる」と述べています。[221]
ヤング氏によると「「聖なる」という言葉は、道徳的純粋さを特に持つよりは、神である神々を指す」と述べています。[222]
この表現の最終的な判断は、ネブカドネザルがダニエルの神の本質をどれだけ理解していたかにかかっています。
彼は明らかにダニエルの神を深く尊敬していたし、イスラエルの神に真実な信仰を持っていたのかもしれません。
ネブカドネザルは、知者全員の中からダニエルを選んだことを正当化した後、ダニエルとの会話を勅令に記録しました。
その中には彼の夢の再現も含まれています。

異教の名で呼ばれるダニエルは、さらに「呪法師の長」と表現されています。
これはネブカドネザルがダニエルの才能を認める賛辞として意図したものでした。
ダニエルが神と親密な交わりを持ち、神の霊が彼に宿っていたことを既に述べた後、ネブカドネザルはダニエルがバビロニア占星術と宗教のあらゆる分野に精通していたことが述べられています。
リューポルド氏は、呪法師という語の真実な意味を伝え、単なる魔法という含意を避けるために、「学者」と訳すべきことを示しています。[223]

ネブカドネザルは過去の経験に基づき、神の霊がダニエルに宿っており、秘密は彼を悩ませない、つまりその意味を明言できると再び述べています。
興味深いのは、ツロの王子に関する次の記述です。

「あなたはダニエルよりも知恵があり、どんな秘密もあなたに隠されていない。」
(エゼキエル書28章3節)


批評家たちはこの記述を、紀元前6世紀のダニエルの記述を裏付けるものとして解釈しようと躍起になっています。
しかし、同時にダニエルの名声が広く広まっていた説も裏付けられています。

「私の見た夢の幻はこうだ。その解き明かしをしてもらいたい。」という表現によって、ネブカドネザルは明らかに、ダニエルに王が今語ろうとしている夢を解き明かしてほしいと考えていました。
10~12節は、テキストに多少の改変が許される限り詩的形式だとみなされています。
14~17節も自由詩とみなされていますが、強弱の均質性は欠如しています。[224]
多くの保守派は、詩の型に合わせるにはテキストに過度な改変が必要だとして、この点を無視しています。
形式は詩的でなくても、想いは詩的です。

ネブカドネザルは幻の中で、ある木がまるで孤立して立っているかのようで、その高さゆえに視界を支配しているように見えました。
ポーテウス氏は、ベンツェン氏が「ネブカドネザルの建築碑文に言及しており、バビロンは高く伸びる木に例えられている」と指摘しています。[225]
聖書では、象徴的な目的だけでなく、聖書外の物語においても、木がくりかえし用いられています。
(列王記第二14章9節、詩篇1篇3節、37章35節、52章8節、92章12節、エゼキエル書17章を参照にしてください。)
ネブカドネザルの夢と明らかな類似点はエゼキエル31章に記録されております。
そこではアッシリアのファラオとエジプトのファラオがレバノン杉に例えられています。
ヤング氏は、「注釈者の中でも特にヘーヴェルニック氏は、オリエント人が人間の権力の盛衰を樹木の象徴を用いて描写することに好意を抱いていたことを明らかにされている」と述べています。[226]
聖書外文献には、メディア王アステュアゲスの夢の話があります。
彼は娘マンダネの胎内からブドウの木が生え、やがてアジア全土を覆う夢を見ました。
ヘロドトス氏はこれをクロス王を指していると解釈しました。
もう一つ有名な例はクセルクセスの夢で、彼は世界中に広がるオリーブの木の枝に冠をかぶせられていました。
ヘーヴェルニック氏によれば、アラビア語とトルコ語の文献にも同様の暗示が見られると語っています。[227]
ネブカドネザルはおそらくその木が自分自身を表していると予想し、彼の懸念をさらに強めました。

ネブカドネザルが夢の中で述べたように、木は成長し、非常に強く、非常に高く成長して、ついには地上のどこにでも見えるほどになり、明らかに普通の木の限界を超えていました。
豊かな葉がその木の特徴であり、多くの実を結び、獣と鳥の両方に食料を与え、「すべての肉なるものはそれによって養われた」のです。
これは明らかにすべての獣と鳥を含んでいます。
これが文字通り人間に適応されたかどうかは疑問ですが、象徴的にはネブカドネザルの支配下には人類が含まれています。

ネブカドネザルがその光景を観察していると「ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来た」と描写されています。
この表現は多くの批判を呼び起こし、特にリベラルな批評家たちはこれを多神教の残影だと考えています。
カイル氏でさえ、「この概念は、聖書的なものではなく、バビロニアの異教徒的なもの」だと述べています。[228]
バビロニア人の宗教では「評議会の神々」を認めることが慣習であり、彼らは世界を見守るという特別な任務を負っていました。
この箇所で提起される疑問は、ネブカドネザルがこの異教徒の概念を用いているかどうかです。

モンゴメリ氏は、見張り人に関する詳細な注釈の中で、旧約聖書と旧約聖書の間の文献における「見張り人」の重要な役割、そしてザドク人断片におけるその出現の可能性について述べています。
彼は、この関連でマインホールド氏がエゼキエル書1章18節の「ケルビムの目」とゼカリヤ書4章10節の「これらの七つは、全地を行き巡る主の目である」という言葉に注目したことを引用し、さらにイザヤ書62章6節の「「見張り人」(sho„mÿri‚m)と「主に覚えられている者」(hammazkiri‚m áeth-Yahweh) との類似点をたどっています。[229]

神の御言葉の完全な啓示に照らし合わせると、最も自然な結論は「見張りの者、聖なる者」と表現されているこの人物は、御使いという言葉は使われてはいませんが、神から遣わされた御使いを指しています。
御使いが見張り、あるいはより正確には「用心深く、眠らずに見張っている」と訳される存在であることは、聖書における御使いの概念と無関係ではありません。
「見張りの者、聖なる者」という表現は、使者自身によって17節で述べられています。
ネブカドネザルは、この用語を彼が理解した異教的な意味合いで用いています。
ネブカドネザルは3章28節で自分んことを御使いという言葉を使っていますが、この文脈では御使いという言葉を使うことの意味を理解していなかったはずです。
この点に関するカイル氏の詳細な議論は、問題をそれほど明確にするものではありません。
しかし、彼の結論が完全に満足のいくものではないとしても、おそらく言えることはすべて述べていると言えます。[230]

天の使者は大声で叫びます。
文字通り「力強く」叫びます。
名も知らぬ聞き手に向かって、彼はその木を切り倒し、枝を切り払え。その葉を振り落とし、実を投げ散らせと命じます。
木の下にいる獣や枝にとまっている鳥は、追い払うように命じられます。
記録にはこの命令が実行されたとは記されていませんが、そのことが暗示されています。
根株に関しては特別な指示が与えられており、それは木が後に蘇ることを示しています。
根株は鉄と青銅の鎖で縛られます。
何かの形で保存に役立つのでなければ、その目的は明らかではありません。
しかし、現実には、そのような帯は根株の腐敗を防ぐことはできません。
そして、ここではおそらく、ネブカドネザルを苦しめ、現実でなくても象徴的に鎖で繋ぐことになる狂気を象徴しています。
根株は野の若草に囲まれ、天の露に濡れ、地の獣たちと共にその運命を担うことになっています。
この描写は、根株という象徴を超えて、ネブカドネザルの経験によって実際に成就されることは明らかです。
これは16節でより明確に示されており、そこに描かれている人物には人間の心ではなく獣の心が与えられます。
もちろん、このことは根株の特徴とは何の関係もありません。
預言は「七つの時をその上に過ごさせよ」という表現で締めくくられています。
これは7年間を指しているのかもしれませんし、単に長い期間を指しているのかもしれません。
おそらく最も一般的な解釈は、七十人訳聖書にあるように7年間と考えることです。
その期間は特定のものであり、7年を超えないことは確かです。

使者は、この布告は「見張りの者、聖なる者」から発せられたものだと結論づけています。
その目的は、世の人々が「いと高き方」と表現されている真実な神を認識し、神が「最もへりくだった者」を地上の諸王国の上に立てる力を持つ真実な支配者であることを認めることです。
神がの最もへりくだった者を権力の座に就けることは、聖書に共通する真理です。
(サムエル記第一2章7、8節、ヨブ記5章11節、詩篇113篇7、8節、ルカの福音書1章52節、そして、ヨセフの物語を参照にしてください。)
この記述は、ネブカドネザルが自分の功績と権力におごっていたことと真っ向から対立するものです。

17節の最大の問題は、この布告を発するかのように思われる「見張りの者、聖なる者」たちのことを述べています。
もし彼らが、実際には源である神の代理者として理解されるならば、この問題は軽減されます。
この節自体は、「いと高き方」である神が究極の主権者である事実に私たちの注意を喚起しており、使者たちがいかなる意味でも神から独立していることを示しているわけではありません。
したがって、この聖句がもたらす問題は、これを聖書の神の教義と矛盾すると考える人々によって、大きく誇張されています。

ネブカドネザルは夢に関する陳述の最後に、ダニエルにその解釈を求めました。
バビロンの賢人たちにはそのことができなかったとダニエルに説明しつつも、ダニエルへの信頼を表明し「彼には聖なる神の霊があった」(4章8節参照)と付け加えました。
このようにダニエルの解釈の舞台が整えられました。

ダニエルによる夢を解釈

「そのとき、ベルテシャツァルと呼ばれていたダニエルは、しばらくの間、驚きすくみ、おびえた。王は話しかけて言った。「ベルテシャツァル。あなたはこの夢と解き明かしを恐れることはない。」ベルテシャツァルは答えて言った。「わが主よ。どうか、この夢があなたを憎む者たちに当てはまり、その解き明かしがあなたの敵に当てはまりますように。
あなたがご覧になった木、すなわち、生長して強くなり、その高さは天に届いて、地のどこからも見え、
その葉は美しく、実も豊かで、それにはすべてのものの食糧があり、その下に野の獣が住み、その枝に空の鳥が宿った木、
王さま、その木はあなたです。あなたは大きくなって強くなり、あなたの偉大さは増し加わって天に達し、あなたの主権は地の果てにまで及んでいます。
しかし王は、ひとりの見張りの者、聖なる者が天から降りて来てこう言うのをご覧になりました。「この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、その根株を地に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて、野の若草の中に置き、天の露にぬれさせて、七つの時がその上を過ぎるまで野の獣と草を分け合うようにせよ。」
王さま。その解き明かしは次のとおりです。これは、いと高き方の宣言であって、わが主、王さまに起こることです。
あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれます。こうして、七つの時が過ぎ、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになります。
ただし、木の根株は残しておけと命じられていますから、天が支配するということをあなたが知るようになれば、あなたの国はあなたのために堅く立ちましょう。
それゆえ、王さま、私の勧告を快く受け入れて、正しい行ないによってあなたの罪を除き、貧しい者をあわれんであなたの咎を除いてください。そうすれば、あなたの繁栄は長く続くでしょう。」」
(ダニエル書4章19~27節)


カイル氏はダニエルが直面していた状況を次のように要約しています。
「ダニエルは夢の解釈をすぐに理解したが、あまりの驚きに、魂を揺さぶる思いに恐怖で言葉が出てきません。
王の幸せを願っていたにもかかわらず、今、神からの重大な裁きを王に告げなければならない驚きに、ダニエルは襲われました。」[231] ダニエルは夢の内容だけでなく、その解釈をネブカドネザルに適切に伝えなければならない思いにも心を痛めていました。

19節では、ダニエルの二つの名前が再び登場しています。
ヘブル語名によって、ダニエルがイスラエルの神の僕として行動していることを示すものでしたが、公式にはバビロニア語名で彼は知られていました。
ダニエルが夢の解釈に驚いた様子は、「しばらくの間、驚きすくみ、おびえた」という表現に示されています。
正確な翻訳は「しばらくの間、口がきけなくなった」(ASV)、または「しばらくの間、当惑した」はずです。[232]
RSV英訳聖書の「長い間」という訳はおそらく正確ではありません。
このような状況で、ダニエルは長い間、沈黙を保つことはつらいことだと思われます。

ネブカドネザルはダニエルを助け出し、夢のことで心を乱すなとさとしています。
この言葉は、ダニエルという人間、そして夢の解釈者としてのダニエルへの敬意を表しており、間接的に、ダニエル自身が王が何を明かそうとも恐れる必要はないという保証にもなります。

この励ましを受けて、ダニエルは典型的な中東的な礼儀正しさで、夢はネブカドネザルを憎む者たちに、その解釈は彼の敵に与えられるべきだと答えています。
リューポルド氏は、ダニエルがこの場合、単なるお世辞におちいり、夢の真実な意味を避けていることに倫理的な問題があると考えています。
彼はこの発言を、夢は王の敵を喜ばせる意味だと解釈しています。[233]
しかし、この表現はダニエルのこの件に関する願いを表していると考える方が自然なはずです。
この表現がどのような意味でもお世辞であるとは考えられないからです。
ダニエルはネブカドネザルを高く評価しており、夢の解釈が現状とは異なるものであってほしいと願ったことは間違いありません。

解釈を始めたダニエルは、王が既に語った内容を再び述べながら、ネブカドネザルの夢を詳細に描写しています。
夢の内容を目の前にしたダニエルは、22節の解釈へと進みます。
ダニエルはすぐに、その木がネブカドネザル王を象徴するものだと特定しました。
夢の中の木のように、王は成長し、力強くなり、大きく成長し、その支配力は天に達し、地の果てにまで及びます。
王が既に語った木の破壊の予告やその他の詳細を要約した後、ダニエルは24節の詳細な解釈へと進みます。
ここで彼が「いと高き方の宣言であって」と述べていることは重要です。
これは、17節の「見張りの者たちの布告によるもの、この決定は聖なる者たちの命令」という表現に対するダニエルの解釈です。
ネブカドネザルの説明は神の働きを直接的には示していませんが、これが24節のダニエルによる解釈であることは明らかです。

木が切り倒され、それに伴う状況が意味するところがここで明らかにされます。
ネブカドネザルは人々との通常の交わりから追放され、野の獣と共に暮らすことになります。
彼は牛のように草を食べ、天の露に苦しみ、神が人間に御心のままに支配する力を与えていることが理解できるまで、このような状態になります。
鉄と青銅の鎖で縛られた根株の解釈は、ネブカドネザルが王国を維持し、正気に戻った後に王国が回復されることを意味しています。
王国なしで正気を取り戻したとしても、それは空虚な勝利だからです。
ネブカドネザルは傲慢さにもかかわらず、神のあわれみ深さを知るべきでした。

「天が支配する」という表現は特に興味深いものです。
旧約聖書の中で「天」という言葉が「神」という言葉に置き換えられているのは、この箇所だけです。
この用法は、後の文献で顕著になり、マカバイ記1章や新約聖書のマタイによる福音書では「天の王国」が「神の王国」と同義語として使われています。
ダニエルは「天が支配する」という表現を用いるにあたって、バビロニアにある天体の神格化を受け入れていません。
4章25節で「いと高き方」は人格的存在であることが明確に述べられているからです。
おそらく、ダニエルは、神による、あるいは天の支配と、ネブカドネザルが行使したような地上の支配を対比させているだけです。
これは、ネブカドネザルの主権は「天」のそれよりもはるかに劣っていたことを暗示しています。

ネブカドネザル王に夢の解釈が明確に示された今、ダニエルは神の預言者として、王に厳粛な勧告の言葉を与えます。
ダニエルは最大限の礼儀をもって、もし神が王の平穏な期間を延ばしてくださるならば、王の罪を義に、不義を貧しい人々へのあわれみに置き換えるよう促しています。
ネブカドネザル王は確かに道徳的に邪悪で、支配する者たちに対して残酷でした。
ネブカドネザル王の関心は、貧しい人々の苦しみを和らげることよりも、自分の名を記念する壮大な街を建設することに置かれていました。
これらすべては神にとってもダニエルにとっても明白であり、その勧告はネブカドネザル王の領土全体に送られたこの勅令に忠実に再現されています。

この箇所は、ウルガタ訳聖書の誤訳により、論争を巻き起こしました。
「慈善の行いによってあなたの罪を消し、貧しい人々への親切の行いによってあなたの不義を消し去れ」と訳されています。
もちろん、これはダニエル書に記されている内容ではありません。
ネブカドネザルは善行や貧しい人々への施しによって赦しを約束されたわけではありません。
むしろ、もし彼が賢明で哀れみ深い王であったのであれば、彼の傲慢さゆえに、神が即座に裁きを介入させる必要性をあったことが問題だったのです。[234]

成就した夢

「このことがみな、ネブカデネザル王の身に起こった。
十二か月の後、彼がバビロンの王の宮殿の屋上を歩いていたとき、
王はこう言っていた。「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」
このことばがまだ王の口にあるうちに、天から声があった。「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。
あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなう者にお与えになることを知るようになる。」
このことばは、ただちにネブカデネザルの上に成就した。彼は人間の中から追い出され、牛のように草を食べ、そのからだは天の露にぬれて、ついに、彼の髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鳥の爪のようになった。」
(ダニエル書4章28~33節)


夢はすぐには実現しなかったものの、勅令は簡潔に「このことがみな、ネブカデネザル王の身に起こった」と要約されています。
12ヶ月後、彼は建築における最大の功績の一つであるバビロンの宮殿を歩き、大都市バビロンを見下ろしました。
その時、彼の誇りは頂点に達し、「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか」と自問しました。
ネブカデネザルは間違いなく、宮殿の平らな屋根から、晴らしい眺望を得ていました。
この発言は、当時ネブカデネザルが実際にはバビロンにいなかったという一部の批評家の主張と矛盾しています。
すべてがその逆を示しています。
彼が見渡した光景は実に印象深いものでした。
古代文献にはバビロンの壮大な建造物についてくりかえし述べられています。[235]

モンゴメリ氏は、ネブカドネザル王のこの描写が歴史的文脈に正しく適応されていると見ています。
「この場面の設定と、栄光のバビロンにおける王の自己満足は、歴史に驚くほど忠実です。
バビロニアを研究する者なら誰でも、ネブカドネザル王自身の新バビロン建国記録を読む際に、この誇らしげな言葉を思い出すはずです。

例えば、(Grotefend Cylinder, KB iii, 2, p. 39)では「そして私は宮殿を建てた。
そこは私の王権の座(e‚kallu mu‚sŒa‚b sŒarru‚ti‚a)、人類の絆、喜びと歓喜の住まいです」とあります。
また、(East India House Inscr., vii, 34, KB ib., p. 25)では
「私の愛する都市バビロンは、宮殿であり、人々の驚異の家であり、国の絆であり、輝かしい場所であり、威厳の場所であり、バビロンの中の威厳のある住まいです。
物語の言葉自体がアッカド語を連想させています。」
「大きな都」(ヨハネの黙示録18章)で記されたバビロンの栄光は、語り手たちの想像力を掻き立てるために長く維持されてきました。
考古学者の目に明らかにされた都市の壮大さについては、(R.Koldewey, Das wieder erstehende Babylon, 1913 (Eng. tr. Excavations at Babylon, 1915))、ネブの宮殿、寺院などの発掘で参照することができます。[236]

バビロンの建設はネブカドネザルの主要な事業の一つです。
約50の建築事業に関する碑文が発見されており、通常はレンガ造り、時には石造りでした。
ネブカドネザルが創造した驚異の中には、世界七不思議の一つとされる有名な「空中庭園」、セミラミスの庭園があります。
この庭園は建物の屋上に植えられ、建物を美しくするだけでなく、夏の暑さから涼しく保つ役割も果たしていました。
おそらくネブカドネザルの宮殿から見える場所に建てられました。
ネブカドネザルが建設した宮殿はすべてバビロンにありましたが、他の街にも数多くの神殿が建てられました。
しかし、バビロンの街はネブカドネザルの力と威厳の象徴とみなされ、彼はそれを世界で最も美しい街にするために、費用と努力を惜しまれていません。
規模、建築、公園、そして軍備において壮麗な大都市の建設が誇りの根拠とするならば、ネブカドネザルの行為は正当なものでした。
ネブカドネザルが忘れていたのは、神の絶対的な意志なしには、これら全ては不可能だということです。

ネブカドネザルがその傲慢さを表す言葉を口にした途端、天からの声が聞こえました。
「ネブカデネザル王。あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。」
その声は続けて、ネブカデネザルが人々から追い出され、時が満ちてのち、いと高き神を認めるまで、獣のような生活を送る預言を成就される様子を告げています。
ネブカドネザルは正気から狂気へと瞬時に移行し、試練の期間に入るために宮殿から追放されたときの反応も狂気へと変りました。
33節には、これまで述べられていなかったことが付け加えられています。
彼の髪は鷲の羽のように完全に手入れされずに絡まり、爪は鳥の爪のように伸びました。
神はあっさりと、権力と威厳の頂点に立つ人を獣のレベルにまで貶めることができたのです。
ネブカドネザルの優れた知性は、彼が支配した王国と同様、神の絶対的なみこころによってだけ、ネブカデネザルのものだったのです。

聖書にはネブカドネザルの試練の時期の詳細の多くが覆い隠されています。
ネブカドネザルは庶民の虐待から守るため、宮殿の庭園に留め置かれていたと考えられます。[237]
世話は受けていなかったものの、彼は保護されていました。
そして彼の不在中、おそらくダニエル自身が率いたであろう顧問たちが王国を効率的に運営し続けたはずです。
聖書は何も語っていないが、ダニエル自身がネブカドネザルへの親切な扱いと保護に大きく関与していたと推測するのが妥当です。
ダニエルは間違いなく顧問たちに、夢の結果がどうなるか、そしてネブカドネザルが正気に戻ることを告げていたはずです。
この点において、神はネブカドネザルの顧問たちの心を傾け、協力させたに違いありません。
これは、古代の政府で何度も見られている、わずかな弱さの兆候で支配者が残酷に殺害されたこととは全く対照的です。
ネブカドネザルは、彼と共に働いた人々から優れた王として非常に尊敬されていました。
ゆえに、このことが彼の回復のきっかけとなったはずです。

ネブカドネザルの狂気は超自然的に引き起こされたものでした。
しかし、その結果は、自然の原因によって引き起こされた場合に予想されたことと何も変わらないと考えられます。
人間が自分を獣と考え、獣の行動を真似るという形態の狂気は、前例がないわけではありません。
ケイルはこの病をインサニア・ゾアントロピカ(動物人間性狂気)と名付けています。[238] [239]

ヤング氏はこの病を「ボアンソロピー(いのしし病)」と名付け、つまり自分自身を牛だと思い込んでいたと述べ、ピュージー氏がこのような件に関しての多くのデータを収集したことを引用しています。
この段階の精神異常にある人は、内面的な意識は大きくは変化しませんが、外面的には非合理的な行動をします。
ヤング氏は次のように述べています。
「ピュージー氏は、ペレ・スリンという人物の驚くべき事例を挙げています。
彼は自分が何かに取り憑かれていると信じていましたが、神との交わりを保っていました。
したがって、ネブラスカ人がこの奇妙な病に冒されていたにもかかわらず、天を仰ぐことができていたという事実です。」[240]

レイモンド・ハリソン氏は、1946年にイギリスの精神病院で観察したネブカドネザルのケースに似た現代のケースについての個人的な経験を述べています。
ハリソン氏は次のように書いています。

多くの医師は、ダニエル書に記されているような熱狂狂の症例に一度も遭遇することなく、多忙な医師生活を送っていました。
筆者は1946年にイギリスの精神病院で実際に人間恐怖症の臨床例を観察できたことを大変幸運に思います。
患者は20代前半で、約5年間入院していたと伝えられています。
入院時には症状が顕著で、診断はすぐにわかり、確定的でした。
身長と体重は平均的で、体格も良好で、身体的健康状態も非常に良好でした。
その人の精神症状には顕著な反社会的な傾向が含まれていました。
そのため、彼は夜明けから日没まで一日中、病院の敷地内で過ごしていました。
彼の日課は、薄汚い病院の環境を飾る壮大な芝生を歩き回ることであり、歩きながら草をむしり取って食べるのが習慣でした。
観察してみると、彼は草と雑草を注意深く区別しているのが見られ、介護士に尋ねたところ、この患者の食事は病院の芝生の草だけだと聞かされました。
彼は他の入院患者たちと一緒に施設の食事をとることはなく、唯一の飲み物は水だけでした。
筆者はざっと彼を察したが、唯一の身体的異常は、髪の毛が長くなり、指の爪が粗く厚くなっていたことだけでした。
もし、施設でのケアがなければ、この患者はダニエル書4章33節に記されているのと全く同じ身体的症状を示していたはずです。
以上のことから、ダニエル書4章の著者は、かなり稀ではあるものの、実際に確認できる精神疾患を正確に描写していたことは明らかです。[241]

ネブカドネザルの体験は、リベラルな批評家たちによってクムラン文献の第4洞窟文書に収められた「ナボニドゥスの祈り」と比較されてきました。
この祈りは「アッシリアとバビロンの王、偉大な王ナボニドゥスが祈った祈りの言葉」として紹介されています。
祈りの中で、ナボニドゥスは「至高なる神の定めによる恐ろしい病」に冒され、アラビアのオアシス、テイマに7年間隔離されたと記されています。
名前の知られていないユダヤ人の預言者が、ナボニドゥスに悔い改め、かつて崇拝していた偶像ではなく神に栄光を捧げるよう助言したと言われています。
この記述とネブカドネザルの記述の類似性から、ダニエル書を紀元前2世紀に書かれたと考えるリベラルな学者たちは、ナボニドゥスの記述が原典であり、ダニエル書4章に記されている記述は、ナボニドゥスの名前をネブカドネザルに置き換えた伝承に過ぎないと結論づけています。

フランク・M・クロスは次のように述べています。
この新たな文書(ナボニドゥスの祈り)が、物語(ダニエル書4章)のより原始的な形態で保存されていると信じる十分な理由があります。
ナボニドゥスがテイマで長期間を過ごすために、息子ベルシャザルに王国の摂政権を譲ったことはよく知られています。
一方、聖書以外の資料から判断すると、ネブカドネザルは王位を譲っていません。
さらに、ベルシャザルの祝宴についての以下の伝説において、ベルシャザルの父がナボニドゥスではなくネブカドネザルに置き換えられていること(ダニエル書5章2節)が、この指摘で言われている通りです。
明らかに、伝承のより古い段階では、この物語群にはネブカドネザル(ダニエル書1~3章)、ナボニドゥス(ダニエル書4章)、ベルシャザル(ダニエル書5章)の物語が含まれています。[242]

ダニエル書が紀元前6世紀の書物として真正であると認める保守派の学者たちは、ダニエル書4章をそのままの形で受け入れることと、「ナボニドゥスの祈り」が外典ではあるが、ある程度の真実性を持つとすることに何も矛盾はないと考えています。
実際、ダニエル書5章に関する議論で明らかになっているように、ナボニドゥスがテイマに長期間住んでいたことは、伝承によって十分に裏付けられています。
また、ダニエル書5章においてベルシャザルがバビロンを支配していた理由を納得のいく形で説明しています。
ナボニドゥスについて霊感を受けていない物語を認めるために、ダニエル書の記録を否定する必要はありません。

ネブカドネザルの回復

「その期間が終わったとき、私、ネブカデネザルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻って来た。
それで、私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。その主権は永遠の主権。その国は代々限りなく続く。
地に住むものはみな、無きものとみなされる。彼は、天の軍勢も、地に住むものも、みこころのままにあしらう。
御手を差し押えて、「あなたは何をされるのか。」と言う者もいない。
私が理性を取り戻したとき、私の王国の光栄のために、私の威光も輝きも私に戻って来た。
私の顧問も貴人たちも私を迎えたので、私は王位を確立し、以前にもまして大いなる者となった。
今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。
また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」
(ダニエル書4章34~37節 )


ネブカドネザルは、それまでの物語では三人称で語られていましたが、ここで一人称に戻ります。
彼は、天を見上げた瞬間に理解力が戻った様子を記録しています。
これが同時的なものだったのか、それとも因果関係があったのかは明言されていません。
しかし、天を見上げたことが、彼が天の神を認識し、状況全体を冷静に捉えるための一歩だったのかもしれません。
ネブカドネザルは即座に、神を「いと高き方」と認め、賛美を捧げました。
このことが他の神々への信仰にどのような影響を与えたかは明言されていません。
しかし、少なくともネブカドネザルがイスラエルの神に真実な信仰を置いていた可能性を示しています。

神を賛美し、敬う中で、神は永遠に生きること、永遠の支配権を持つこと、そして時代から時代へと続く王国を導く特質を神に帰しました。
これらの永遠性と主権という特質は、バビロニアの神々に帰せられるものよりもはるかに偉大です。
神の主権ゆえに、神は地に住むすべての者を無に等しいものとみなしました。
神は天においても地においても、御心のままに行動することができ、誰も神の手を止めたり「あなたは何をされるのか」と尋ねたりすることはできません。
神にこれらの賛美の言葉を捧げた途端、彼は理性を取り戻しました。
彼の顧問たちは、何らかの形で彼を監視していたはずです。
そして、突然の変化について報告が寄せられました。
彼らはすぐに、ネブカドネザルを以前の名誉ある地位に戻すよう求めました。
明らかに、その変化はほぼ瞬時に起こり、ネブカドネザルは再び王国の地位を確立しました。
この役割において、彼は布告を発し、それに伴う公の告白を行うことができたのです。

ネブカドネザルは「天の王」への賛美と礼拝で幕を閉じ、その結論において「そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。
また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる」と述べています。
ネブカドネザルの経験は、地上で最も偉大な君主でさえも神の主権に完全に従属する、明白な霊的教訓をもたらしています。
モンゴメリ氏はこの章を簡潔に要約しています。
「ネブカドネザルは、天と人の王国において王である方から領地を守られています。」[243]

ネブカドネザルが霊的な意味で実際に救われたかどうかについての議論は未だ決着していません。
カルヴァン氏、ヘングステンベルク氏、ピュージー氏、カイル氏といった高名な学者たちは、証拠が不十分だと考えています。[244]
しかし、ヤング氏らが指摘するように、ネブカドネザルの霊的進歩を示す証拠は相当なものであります。
そして、そのクライマックスは4章です。
(ダニエル書2章47節、3章28節、4章34、35節を参照にしてください。)
ネブカドネザルダニエルの神を全能の永遠の宇宙主権者として認めていたことは疑いようがありません。(ダニエル書4章34、35、37節)
彼が幾分自尊心をくじくような勅令を発布し、「天の王」と称する神の力をひくつにも認めました。(ダニエル書4章37節)
そのことは、ネブカドネザルが真実な回心を遂げたと信じる根拠となります。
どの時代においても、信仰の観点は完全ではありません。
あるいは、信仰の内容において完全に正しくなくても救われる人がいます。
ネブカドネザルも聖徒の一人に数えられる可能性は十分にあります。

4章において、ネブカドネザルは新たな霊的洞察力に達しています。
狂気を経験する以前の彼の告白は、ダニエル書2章47節と3章28、29節に見られるように、新たな神々を加えることを許容し、多神教を信仰する異教徒でした。
しかし今や、ネブカドネザルは明らかに天の王だけを崇拝しています。
そのため、彼の自伝は真に注目すべきものであり、ダニエルが彼に与えた影響の豊かさ、そしておそらくダニエルが彼のために日々祈っていたことの豊かさが反映されています。
確かに神は人を差別せず、この世の高貴な者も卑しい者も救うことができるのです。

[210] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, p. 204.

[211] For the relation of the Qumran document designated the “Prayer of Nabonidus,” see later discussion on Daniel 4:28-33.

[212] Cf. R. H. Charles, The Book of Daniel, p. 39; and J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, pp. 220-23; 247-49.

[213] Charles, p. 37.

[214] Ibid.

[215] Montgomery, pp. 247-49.

[216] 同上、 p. 222.

[217] Cf. Leupold, pp. 170-71.

[218] 同上、 p. 173.

[219] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 99; Montgomery, pp. 225-26.

[220] Leupold, p. 176; S. R. Driver, The Book of Daniel, p. 48.

[221] Driver, p. 48, citing his “Hebrew Authority,” in Authority and Archeology, pp. 137-38.

[222] Young, p. 99; cf. Driver, p. 48.

[223] Leupold, p. 178.

[224] Montgomery, pp. 229-30.

[225] Norman W. Porteous, Daniel: A Commentary, p. 68.

[226] Young, p. 101.

[227] Cf. 同上、 pp. 101-2; Leupold, p. 180; and Montgomery, pp. 228-30.

[228] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 150.

[229] Montgomery, pp. 231-32.

[230] Keil, pp. 148-51.

[231] 同上、 p. 154.

[232] Young, p. 106.

[233] Leupold, p. 190.

[234] For further discussion of this, see Leupold, pp. 194-96.

[235] Keil mentions the statements of Berosus in Josephi Ant. x. 11, 1, and con. Ap. i. 19, and of Abydenus in Eusebii praepar. evang. ix. 41, and Chron. i. p. 59; also the delineation of these buildings in Duncker’s Gesch. des Alterth. i. p. 854 ff. (Keil, p. 159). See also the excellent description by Charles Boutflower, In and Around the Book of Daniel, pp. 66-67.

[236] Montgomery, pp. 243-44.

[237] Leupold, p. 201.

[238] *Keil notes that historical documents on this form of madness have been collected by Trusen in his Sitten, Gebr. u. Krank. der alten Hebräer, p. 205 f., 2d ed., and by Friedreich in Zur Bibel, i. p. 308 f. (Keil, p. 160).

[239] Keil, p. 159.

[240] Young, p. 112.

[241] Raymond Harrison, Introduction to the Old Testament, pp. 1116-17.

[242] Frank M. Cross, The Ancient Library of Qumran and Modern Biblical Studies, pp. 123-24; cf. Millar Burrows, More Light on the Dead Sea Scrolls, p. 400, and David N. Freedman, “The Prayer of Nabonidus,” Bulletin of the American Schools of Oriental Research 145:31-32. For a conservative evaluation, see Raymond K. Harrison, Introduction to the Old Testament, pp. 1117-21.

[243] Montgomery, p. 245.

[244] Young, p. 113.


5章 ベルシャザルの祝宴とバビロンの陥落

ダニエル書1章の出来事から70年近くが経過しました。
ネブカドネザル自身は紀元前562年に亡くなくなっています。
ダニエル書には彼の直系の後継者に関する記述はなく、聖書外文献もやや混乱しています。
ヨセフスが保存していた断片に見られるベロソスによる第三巻の記述は、紀元前562年のネブカドネザルの死から紀元前539年のバビロン陥落までの歴史を要約されています。

ベロススによれば、ネブカドネザルは43年間の治世の後、息子のエビル・メロダクが王位を継承しました。
彼の支配は主観的で、放縦だったので、わずか2年間の治世でネリグリサルに暗殺されました。
その後の4年間は、ネリグリサルが王位に就きました。
彼の死後、まだ幼かった息子のラボソアルコドは9ヶ月間支配しましたが、陰謀によって撲殺されました。
陰謀者たちはナボニドゥスを王に任命し、彼は17年間支配した後、ペルシャ人クロスに敗れました。
バビロンから逃れたナボニドゥスはボルシッパに向かいましたが、クロスに降伏を余儀なくされました。
ナボニドゥスは死ぬまでカルマニアでの居住を許されましたが、バビロニアへの渡航は許されていません[245]

ヨセフスによって保存されたベロソスの記述は、エウセビオスによって保存されたアビュデヌスの短い断片などの他の証拠によって裏付けられています。[246]

ナボニドゥスの円筒(ナボニドゥスについて書かれた考古学的な粘土製円筒碑文)が発見されるまで、ダニエル書がバビロン王と宣言するベルシャザルについて、聖書外文献では述べられていません。
そのため、ダニエル書の真実性と史実性を批判する人々は、ベルシャザルのような人物が実在したかどうかを自由に疑問視していました。
しかし、ナボニドゥスの円筒やその他の資料に基づいたレイモンド・ダハティ氏によるナボニドゥスとベルシャザルに関する学術研究が出版されて以来、ベルシャザルの史実性を全体的に疑問視する根拠はなくなり、聖書外資料によって検証されていない聖書の記述の細部だけが批判の対象となりました。[247]
モンゴメリ氏は、この物語は「非史実」であるものの、「それでもなお、実際の歴史を疑う余地なく想起させる」と述べています。[248]

一方、エドワード・J・ヤング氏のような慎重な学者は次のように述べています。[249]
「ベルシャザルの正体は長らく注釈者たちを悩ませてきました。
中には彼の史実性を否定する者もいます。
しかし、楔形文字文書に王の名が現れたことで、その史実性に疑問の余地はありません。
これが、この章が驚くべき正確さを示す最初に示された指摘です。」
ベルシャザルをめぐる論争は、広範囲にわたる調査と多岐にわたる発見のために、この書全体の中で最も複雑な問題の一つとなっています。
しかし、問題自体は比較的単純です。
ベルシャザルは本当にバビロンの王だったのか、そして、バビロンが征服された夜に本当に殺害されたのか?です。

この問題の解決は、この問題を扱う学者たちの前提に大きく依存してきました。
ダニエル書の信憑性と正確さに批判的な人々、特に紀元前2世紀の著者であることを証明しようと熱心な人々は、反証されるまではダニエルは間違っているはずだとする前提にのっとって議論を進めてきました。
ここでの議論は、批評家たち自身も意見の一致していません。
聖書以外の文献における矛盾する事実の迷路に迷い込んでいます。
このような古代の記録は不正確で、たいてい断片的であることは良く知られています。
批評家たちは、ベルシャザルの名前がどの古代の記録にも登場しないので、ベルシャザルは存在しなかったと論じました。
しかし、この欠落は、前述のように、後にナボニドゥスの円筒にベル・シャル・ウスル(ベルシャザル)の名前が発見され、彼はナボニドゥスの息子と呼ばれていることで修正されました。
批評家たちは、そのような人物は存在しない以前の立場から後退せざるを得なくなりました。
それ以来、現存するバビロニアの記録のどこにもベルシャザルに関連して「王」という言葉が登場しない点を攻撃の焦点としています。[250]
ナボニドゥスがベルシャザルの父、あるいは少なくとも継父であるとされたことで、批判的な反論の多くが打ち消されました。
しかし、ローリー氏は広範な議論の中で、ベルシャザルを王と呼ぶことは「それでも重大な歴史的誤りであると断言しなければならない」と主張しています。[251]

ローリー氏以降、リベラルな学者でさえ、ベルシャザルが父ナボニドゥスの下で摂政を務めた説明を受け入れる傾向にあります。
例えば、ノーマン・ポーテウス氏は次のように書いています。
「一方、ベルシャザルは歴史上の人物であり、最後のバビロニア王ナボニドゥスの息子で、バビロン陥落前の数年間、父がアラビアのテイマのオアシスに不在の間、摂政を務めたことが知られています。」[252]
つまり、ベルシャザルの摂政は、ナボニドゥスがテイマに赴いた紀元前553年頃に始まったことになります。
ダニエル書の記録だけでなく、外部証拠も、ベルシャザルの共同支配がほぼ疑問の余地がない結論を裏付けるのに十分です。
これは、外部証拠の欠如に基づく批判的な反論が、証拠が発見されると何度も覆されることを示すもう一つの例となります。[253]

ダニエル書5章の夜、ナボニドゥスがバビロンを離れていたことを示すさらなる証拠は、前述のベロソスの断片に示されています。
この断片は、ナボニドゥスがバビロンを離れたものの、戦いに敗れてボルシッパに逃亡したことを示しています。
これは、ナボニドゥスが普段はテイマに住んでいたものの、バビロン包囲の直前にバビロンを訪れ、バビロンが実際に包囲される前に出陣し、その後敗れたためにペルシャ人がバビロンを包囲することができた前提と関係しています。
このような状況下では、ベルシャザルは父の不在中にバビロンの王になったことになります。
ベルシャザルとナボニドゥスの関係についての問題点は、解説の適切な箇所で検討されます。
しかし、その中には、ベルシャザルの母がネブカドネザルの娘であり、したがって王家の血筋であるのに対し、ナボニドゥスは違った可能性も含まれます。
実際、ダニエルの記述には、引用された証拠によって裏付けられた、妥当な可能性が強く、反論の嵐を真剣に受け止めることは不可能だと思われます。[254]

バビロンの神々を称えるベルシャザルの祝宴

「ベルシャツァル王は、千人の貴人たちのために大宴会を催し、その千人の前でぶどう酒を飲んでいた。
ベルシャツァルは、ぶどう酒を飲みながら、父ネブカデネザルがエルサレムの宮から取って来た金、銀の器を持って来るように命じた。
王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちがその器で飲むためであった。
そこで、エルサレムの神の宮の本堂から取って来た金の器が運ばれて来たので、王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちはその器で飲んだ。
彼らはぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石の神々を賛美した。」
(ダニエル書5章1~4節)


ダニエル書1章に記されているエルサレムの陥落から約70年が経過していました。
ダニエルは2章の像の解釈において、ネブカドネザルに「あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります」(ダニエル書2章39節)と預言されていました。
今、5章において、この預言が成就しようとしています。
4章におけるネブカドネザルの屈辱的な経験の後、彼は紀元前562年に亡くなりました。
4章から5章までの間には約23年が経過しています。
この期間に、ネブカドネザルの後継者として、何人かの王がいました。
ベロススによると、ネブカドネザルの後継者は息子のエビル・メロダク(アメル・マルドゥクとも呼ばれる)で、紀元前560年に殺害されました。
その次はネブカドネザルの義理の息子でネルガル・シャル・ウスルとも綴られるネリグリッサルだったが、紀元前556年に自然死した。
その次はネブカドネザルの孫でラバシ・マルドゥクとしても知られるラボロソアルカドだったが、1年も経たないうちに暗殺されました。
ナボニドゥスは紀元前556年に王位に就き、紀元前539年にメディア人に征服されるまで支配しました。
ベルシャザルは彼の息子であると最も考えられており、その母親はネブカドネザルの妻か娘であり、それによってナボニドゥスの王位継承権が強化されました。
これは、ネブカドネザルの直系子孫であるベルシャザルがナボニドゥスの下で共同支配者として尊敬された理由を説明しています。
他の説明や年代の差異はあるものの、この王の継承と人物の特定には妥当性があるように思われます。
多くの解説者は、ベルシャザルをエビル・メロダクと同一視するカイル氏に反対し、カイル氏には入手できなかった後代の証拠に基づいて、ナボニドゥスの息子と同一視する説を支持しています。[255]
ロイポルド氏による同一視はより納得のいくものです。[256]

4章と5章の間の25年間に、7章と8章でダニエルに与えられたさらなる啓示が起こりました。
7章は「バビロンの王ベルシャツァルの元年」(ダニエル7章1節)にダニエルに啓示され、8章の雄羊と雄やぎの幻は「ベルシャツァル王の治世の第三年」(ダニエル章8章1節)に起こりました。
したがって、ダニエルが理解する限り、これら2つの幻に盛り込まれた情報は、年代的には7章と8章の後に起こる5章の出来事より前にダニエルに知られていました。
ベルシャツァルが支配を開始したのが紀元前553年で、ナボニドゥスがテイマに行った時だとするならば、7章と8章の幻は実際には5章の出来事より約12年前に起こったことになります。

ダニエル書5章1節では、バビロン王ベルシャツァルが千人の君主とその妻たちを招いて盛大な宴を催した事実が紹介されています。
ベルシャツァルのような君主がこれほど盛大な宴を催したことは、全く不思議なことではありません。
リューポルド氏は古代歴史家クテシアス氏の言葉を引用し、ペルシャの君主たちは毎日1万5千人の客を招いて食事をしたことが何度もあったと述べています。
[257]
マローワン氏は、紀元前879年にアシュシュナツィルパル2世が新たな首都カラ(ニムルド)を奉献した際に、6万9574人の客を招いて盛大な宴を催したことについて述べています。[258]

宴の規模はそれほど大きくないが、状況は非常に異例でした。
状況を再現することができれば、ナボニドゥスは以前、メディア人とペルシャ人との戦いにバビロンから出撃し、既に陥落していたことがわかります。
バビロン市とその周辺地域は既に全てが征服されており、巨大な城壁と要塞を有するバビロンだけが無傷のまま残っていました。
おそらく、バビロニアの神々への信仰を再確認し、自分の勇気を高めるために、この祝宴は祭りの形式で催されたと思われます。
バビロンの倉庫にはそれでも食料とぶどう酒が豊富にあり、この宴にもその両方が十分にあった証拠があります。
「千人の前で酒に酔う」という表現は、ベルシャツァルがおそらく他の客よりも高い位置の壇上にいて、彼らを率いて神々への乾杯をしていたことを示しています。
ベルシャツァルは、酒に酔いしれ、約70年前にネブカドネザルがエルサレムの神殿から奪った金銀の器を持ってこさせようと考えました。
「ぶどう酒を飲みながら」という節は、正気のベルシャツァルであればこのような冒涜行為は犯さなかったはずだと予想させています。

バビロンで特徴づけられたような酒宴は、ペルシャ人など他の民族にも広く見られました。
アテナイオスは「ペルシャ史」の著者であるクマエのヘラクレイデスを引用し、夕食後に過度の飲酒をする習慣を詳細に描写しています。[259]
飲食の贅沢さは、アテナイオスが高位のペルシャ人の夕食を次のように描写した際にも示されています。
「王のために毎日千頭もの動物が屠殺されます。
馬、ラクダ、牛、ロバ、鹿、そして多くの小動物も含まれています。
また、アラビアのダチョウ(大型の動物である)、ガチョウやにわとりも含む多くの鳥類も消費されました。」[260]

2節で「ベルシャツァルの父」とされているネブカドネザルとベルシャツァルの関係については多くのことが述べられています。
カイル氏ですらこの影響を受けてベルシャツァルを文字通りネブカドネザルの息子とみなしています。[261]
もちろん、これは全く不可能なわけではありません。
というのも、ロイポルド氏が示しているように、[262]ナボニドゥスはネブカドネザルの未亡人と結婚してネブカドネザルとの間に息子をもうけ、その後ナボニドゥスは王位を強化するためにその息子を養子に取ることができるからです。
ナボニドゥスが王位に就いたのは紀元前556年、ネブカドネザルの死からわずか6年後です。
もし、ベルシャツァルが紀元前553年にナボニドゥスと共同支配できる年齢であったとすればのことですが、ベルシャツァルはネブカドネザルが亡くなった当時、少なくとも10代であったと考えられます。
このことから、ベルシャツァルはネブカドネザルの実子であり、その母はネブカドネザルの死後、ナボニドゥスと結婚した可能性があります。
しかし、これは推測に過ぎず、ベルシャツァルをナボニドゥス自身の息子とみなす方が自然です。

ベルシャツァルの正確な正体については議論が続くかもしれませんが、入手可能な事実はダニエル書がベルシャツァルを王と称した説を支持するものです。
「父」という表現は「祖父」と解釈できます。
ピュージー氏が述べているように「ヘブル語にもカルデア語にも、「祖父」や「孫」に相当する言葉はありません。
先祖は「父」あるいは「父の父」と呼ばれます。
しかし、祖父、あるいは先祖が一人だけの場合は、「父の父」と呼ばれることはなく、常に「父」とだけ呼ばれます。」[263]

エルサレムから持ち去られた聖なる器は、ネブカドネザルの時代からこの祝宴の時まで、冒涜的な用途に使われることなく保管されていました。
今、これらの聖なる器は群衆に配られ、ぶどう酒を飲む器として使われます。
2節には「王とその貴人たち、および王の妻とそばめたちがその器で飲むためであった」と記されています。
そして、この事実は3節の実際の行為においても再び述べられていますが、そこでは金の器についてだけ述べられています。
ウルガタ訳に倣ったRSV英訳聖書は、3節に「銀の器」を加えています。
この冒涜行為は、バビロンの神々を称える意図的な宗教的行為であり、重要度の高い順に「金、銀、青銅、鉄、木、石の神々」と記されています。
ベルシャツァルが自分の行為が冒涜的な性質を持つことをよく知っていたことは、ダニエル書5章13節と22節から明らかです。
彼はダニエルを知っており、ネブカドネザルが神の裁きを受けた経緯も知っていました。
ある人々は、述べられている6つの原料の中に「神に敵対するゆえに裁きを受けるべき世の者たち」が型として述べられていることを見いだされました。[264]
原文では、金と銀の神々は接続詞「そして」で区切られていますが、青銅、鉄、木、石の神々が列挙されている箇所では、あたかも神々が2つの階級に分かれているかのようには見えません。
この区別はケイル氏によって裏付けられます。[265]

彼らの神々への誇りは、バビロンの街そのものの壮麗さによってさらに高められていたかもしれません。
それは、彼らの神々の力の証拠と解釈されていました。
ヘロドトス氏は、バビロンがネブカドネザルの天才の記念碑であり、間違いなくすべてのバビロニア人にとって大きな誇りの源であったことを熱く描写しています。
ヘロドトス氏によれば、バビロンは約14マイル四方で、厚さ87フィート(約27メートル)、高さ350フィート(約100メートル)の巨大な外壁を持ち、城壁には100の大きな青銅の門がありました。
内壁と外壁、そして城壁の間には水堀が巡らされていたため、街は非常に安全に守られていました。
城壁は非常に広く強固で、4列に並んだ戦車が頂上を巡行できたほどでした。
ヘロドトス氏は、城壁の頂上からさらに100フィート(約30メートル)の高さまで届く数百の塔が、適切な間隔を置いて建てられていたと描写されています。[266]

現代の解釈者たちは、ヘロドトス氏の数字は大きく誇張されており、実際の規模はヘロドトス氏の主張する約4分の1に過ぎないと考えています。
外壁の周囲は約56マイルとヘロドトス氏が主張したが、実際には17マイルしかなかったようです。
塔や門の数もはるかに少なく、塔の高ささえ100フィート(約30メートル)以下だったと思われます。
規模には疑問の余地があるものの、街の壮麗さはそれほど誇張されていたわけではありません。[267]

大河ユーフラテス川は街の中央をほぼ南北に流れ、両側は城壁で囲まれ、川からの攻撃から街を守っていました。
城壁の内側には美しい並木道、公園、そして宮殿がありました。
多くの通りには3階建て、4階建ての建物が並んでいました。
これらの建物の中には、8階建てのベル神殿や、実際には建物群であった壮麗な王宮などがあり、現在では発掘調査が行われています。
ユーフラテス川には大きな橋が架けられ、街の東部と西部、つまり新市街地を結んでいました。
この橋は後に、ディオドロスが言及しているトンネルによって補強されました。
バビロンの有名な「空中庭園」は、樹木を植えられるほど広大でした。

バビロンは部分的にしか発掘されておらず、元の街のごく一部しか発見されていないものの、現在の街の境界を示す塚の体系はある程度示されています。
ユーフラテス川の流路の変化と水位の上昇により考古学的調査は複雑化していますが、1万点以上の碑文が発見されています。

バビロンは、その建築美と巨大な城壁と要塞の堅牢さの両方において、多くの点で古代世界で最も素晴らしい街でした。
バビロニア人にとって、愛する街を包囲していたメディア人とペルシャ人でさえ、要塞を突破したり、長年の包囲に耐えられたはずの物資を使い果たしたりするとは考えられません。
神々への信頼は、街への信頼によってさらに強固なものとなっていました。

壁に書かれた文字

「すると突然、人間の手の指が現われ、王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に物を書いた。王が物を書くその手の先を見たとき、
王の顔色は変わり、それにおびえて、腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた。
王は、大声で叫び、呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させた。王はバビロンの知者たちに言った。「この文字を読み、その解き明かしを示す者にはだれでも、紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけ、この国の第三の権力を持たせよう。」
その時、王の知者たちがみなはいって来たが、彼らは、その文字を読むことも、王にその解き明かしを告げることもできなかった。
それで、ベルシャツァル王はひどくおびえて、顔色が変わり、貴人たちも途方にくれた。」
(ダニエル書5章5~9節)


祝宴が開かれ、酒を飲み、バビロンの神々を称える声が響く中、突然、男の手の指が現れ、宮殿の漆喰の壁に文字を書き始めました。
指だけが見えるこの光景は、たちまち人々の注目を集めました。

ネブカドネザル王の宮殿の遺跡では、考古学者たちが幅56フィート、長さ173フィートの大きな王座室を発見されています。
おそらくここでこの宴会が行われたと思われます。
入口の向かい側の長い壁の中ほどには、王が座っていたと思われる隙間がありました。
興味深いことに、この隙間の後ろの壁はダニエル書に記されているように白い漆喰で覆われており、このような書物の背景として最適だったはずです。[268]
もしこの場面を再現できれば、宴会はたいまつで照らされていた可能性が高くあります。
たいまつは煙を出すだけでなく、不規則な光で大広間を部分的にしか照らすことができません。
ダニエル書によれば、その文字は「王の宮殿の塗り壁の、燭台の向こう側の所に」書かれていたため、部屋の他の部分よりも明るい場所に現れ、より多くの注目を集めた可能性があります。

王とその側近たちは即座にその影響を被りました。
ダニエルによれば、王の顔色は一変しました。
つまり、血色が変わり、青ざめたのです。
ネブカドネザルが略奪し、バビロンの神々の力の象徴と思われる器で飲んだ酒によって、かつてはあったはずの勇気も、今や消え去りました。
王は恐怖に満たされ「腰の関節がゆるみ、ひざはがたがた震えた」ほどです。
興奮のあまり、座ることもできず、立っているのもやっとでした。
おそらく宴会場での雑談が収まる前に、王は「呪文師、カルデヤ人、星占いたちを連れて来させた」と大声で叫び始めました。
知者の階級は3つしか述べられていませんが、8節で「王の知者たちがみな」と述べられていることから、どの階級が意図的に省略されたのかは疑わしいものです。
星占いとは実際には魔術師のことです。
カルデア人はバビロニア人の伝承に精通した学者や博識家の幅広い階層であり、占い師は現代の占星術師の概念に近いが、魔術も行っていた可能性があります。
バビロニア帝国の衰退期には、知者の数はネブカドネザル王の治世下よりも少なかった可能性があります。
いずれにせよ、カイル氏が論じた知者の分類がダニエルを意図的に除外していた説を裏付ける証拠はありません。
カイル氏が指摘するように、ダニエルは書物を解釈できる者なら誰にでも耳を傾けていました。[269]

適当な数の知者が集まると、王は彼らに演説しました。
もし、彼らのうちの一人でも、その文字を読み解き、その解釈を示すことができれば、緋色の衣をまとい、首に金の鎖を巻き、王国の第三の支配者となる報酬を与えると言ったのです。
緋色の衣をまとい、首に金の鎖を巻くことは、王の寵愛を示す特別な印であり、知者なら誰もが欲するものです。
彼が彼らに「王国の第三の支配者」の地位を与えた表現については、多くの憶測が飛び交っています。
アラム語が具体的に「第三の支配者」を指しているかどうかについては疑問があります。
序数はダニエル書2章39節の「ティリタ(tÿli‚ta„y)」ですが、ここでのアラム語は実際には「タルティ(talti)」です。
この用語の正確な意味については学者の間で意見が一致していません。
しかし、必ずしも語の意味と正確に一致しない名誉職の称号であった可能性が暗示されています。
カイル氏は次のように述べています。
「この文書の解釈者に約束された君主的地位がどのようなものであったかは、必ずしも明確ではありません。
それが三番目の数の序数ではないことは、ハヴェルニック氏以来、現在では一般的に認められています。」[270] しかし、近年の研究では「第三の支配者」という訳語が支持される傾向にあります。
例えば、フランツ・ローゼンタール氏は「三分の一(支配者)、三人組」と自信を持って訳しています。[271]

言葉に問題があるにもかかわらず、ベルシャツァルが提示した名誉とは、第三の支配者になる可能性が高い存在です。
ナボニドゥスの下でベルシャツァルは第二の支配者とみなされており、第三の支配者の地位は彼にとって最高のものでした。
ベルシャツァルは明らかに交渉する気はなく、恐怖に震え、その言葉の意味をどうしても知りたかったのです。

しかし、提示された多額の報酬は無駄に終わりました。
集まった知者たちは、その文字を読むことも解釈することもできません。
これは二重の困難を示しています。
一部の人々は、その文書が言語を明確に示していないと主張しています。
例えば、チャールズ氏は、その文字は馴染みのない表意文字で書かれていたことを示しています。[272]
しかし、これは単なる推測に過ぎません。
おそらく、その文字はアラム語で書かれており、知者たちにとって未知のものではありません。

いずれにせよ、ダニエルはそれをアラム語として読み、その言語に語呂合わせが含まれている指摘点はアラム語に基づいています。
知者たちがその文字を読むのに苦労したのは、母音が補われていないアラム文字で書かれていたためかもしれません。
もし楔形文字で書かれていたなら、母音が含まれていたはずです。
ダニエルは壁に書かれた文字を読むのが難しかった理由を説明していないが、問題はこの文字が奇妙な言語だったことではなく、むしろその言葉が預言的に何を意味しているかなのです。
さらなる議論については、ダニエル書5章25~27節の解説を参照にしてください。

知者たちが文字を解読できなかったことで、ベルシャツァルの不安はますます深まりました。
エルサレムの神殿から奪った器物を用いた彼の悪行の真価がようやく理解され始めたのかもしれません。
あるいは、バビロンを包囲する軍隊の存在に対する抑えていた恐怖が、今になって表面化したのかもしれません。
彼の不安は、集まり全体によって共有されていました。

ベルシャツァルの窮状は、神の力と知恵を前にしたこの世の支配者たちの不安と無力さを改めて示すものです。
神は、神に逆らって計略を立てるこの世の支配者たちを、どれほど嘲笑しているのではないでしょうか!

「なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」
天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。」
(詩篇2篇1~4節)


ベルシャツァルも、先代のネブカドネザルのように、間もなく神の裁きを受けることになります。
しかし、それは幸せな結末ではありません。

解釈者として提案されるダニエル

「王母は、王とその貴人たちのことを聞いて、宴会の広間にはいって来た。王母は言った。
「王よ。永遠に生きられますように。おびえてはいけません。顔色を変えてはなりません。
あなたの王国には、聖なる神の霊の宿るひとりの人がいます。あなたの父上の時代、彼のうちに、光と理解力と神々の知恵のような知恵のあることがわかりました。
ネブカデネザル王、あなたの父上、王は、彼を呪法師、呪文師、カルデヤ人、星占いたちの長とされました。
王がベルテシャツァルと名づけたダニエルのうちに、すぐれた霊と、知識と、夢を解き明かし、なぞを解き、難問を解く理解力のあることがわかりましたから、今、ダニエルを召してください。そうすれば、彼がその解き明かしをいたしましょう。」」
(ダニエル書5章10~12節)


知者たちが壁に書かれた文字を解読できなかったことで生じた危機は、「女王」と表現された人物の入場によって迎えられました。
この人物の正体については、ベルシャツァルの血筋という大きな問題に関係するため、多くの憶測が飛び交っています。
カイル氏とロイポルド氏はともに、彼女をネブカドネザルの妻であり、ベルシャツァルの母であると考えています。[273]
諸侯の妻たちと王自身が宴会に出席していたことは以前に述べられていたので(3節)、「女王」の役割を担っていたのはベルシャツァルの母である可能性が非常に高いはずです。
彼女は宴会には出席していません。
彼女が高齢で、ネブカドネザルの未亡人であったならば、このことは理解できます。
彼女が捕虜となっていたナボニドゥスの妻であったならば、おそらく一人で来ることを望まなかったはずです。
宴会で異様な騒ぎを聞き、息子の苦悩を知ると、彼女は自分の地位ゆえに自由に宴会場に入り、王に話しかけることができました。
「王よ。永遠に生きられますように」という彼女の呼びかけは丁寧でしたが、要点を突いていました。
母親のように、彼女は息子に、きっと何か解決策があるはずだから、しっかりしなさいと告げたのです。
彼女ほどの地位にある者は通常、高く評価され、敬意をもって扱われていました。
ゆえに、彼女は他の誰にもできない方法で率直に意見を言うことができたのです。
親を敬うことはイスラエル人の特質でした。
(出エジプト記20章12節、列王記第一2章13~20節、列王記第二24章12~15節)
異邦人世界でも同じことが適応され、王妃は招待されずに宴会場に入ることができました。

モンゴメリ氏は、王妃がベルシャザールの妻である考えに反対し、「また、この女性の堂々とした登場は、王妃というよりはむしろ王妃の母を象徴している」とコメントしています。[274]
ジェフリー氏も同じ様に「彼女はベルシャザールに父親について語りかけるが、それは妻が夫に話しかけるよりは、母親が息子に話しかけるような口調である」と書いています。[275]

王妃が提案した解決策は、ネブカドネザルによって知恵の人として見出されていた預言者ダニエルを招き、その言葉を解釈させることでした。
王妃は、おそらくネブカドネザルが語ったまさにその言葉を用います。
(ダニエル書4章8,9節,18節)
王妃によれば、ダニエルは「聖なる神の霊」を持っていました。
王妃が「あなたの父上」と呼ぶネブカドネザルの時代に、ダニエルは神々の知恵と「光」、すなわち悟り、「理解」あるいは洞察力、そして全般的に神々の知恵に匹敵する知恵を持っていることが認められていました。
ダニエルの才能は非常に優れていたため、ネブカドネザルは彼を知者たちの「主」、つまり長に任命しました。
これはカルデア人ではない者にとっては驚くべき地位でした。
ダニエルに与えられたこの栄誉は、ネブカドネザルがダニエルの能力を信頼していたことを証明していました。
前述のように、ベルシャツァルの父としてネブカドネザルが述べられている箇所は、おそらく祖父または曽祖父のどちらかであるはずです。
なぜなら、どちらの呼称でも同じ用語が使われるからです。
しかし、この記述はベルシャツァルがネブカドネザルの子孫であることを示しています。

ダニエルの優れた特質は「すぐれた霊」、並外れた知識と理解力、夢を解き明かす能力、難解な文章を解読する能力、そして「難問を解く」、つまり問題を解決する能力に現れています。
疑念を表す言葉「キティリン (qitÿri‚n)」は、実際には結び目、節目、難問を意味しています。
ダニエルが他の知者たちと集まっていなかったのは、おそらく半ば引退状態にあり、もはや知者の長ではなかった可能性があります。
しかし、王妃は、今こそ彼を呼び寄せて、目の前の問題を解決させるよう強く勧めました。

王の前に召喚されたダニエル

「そこで、ダニエルは王の前に連れて来られた。王はダニエルに話しかけて言った。「あなたは、私の父である王がユダから連れて来たユダからの捕虜のひとり、あのダニエルか。
あなたのうちには神の霊が宿り、また、あなたのうちに、光と理解力と、すぐれた知恵のあることがわかった、と聞いている。
先に、知者、呪文師たちを私の前に召して、この文字を読ませ、その解き明かしを私に教えさせようとしたが、彼らはそのことばの解き明かしを示すことができなかった。
しかし、あなたは解き明かしができ、難問を解くことができると聞いた。
今、もしあなたが、その文字を読み、その解き明かしを私に知らせることができたなら、あなたに紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけさせ、国の第三の権力を持たせよう。」」
(ダニエル書5章13~16節)


ダニエルが王の前に連れてこられたとき、王はダニエルの正体を確かめるために当然な質問をしました。
ベルシャツァルがダニエルについて何かを知っていたことは明らかです。
13節の彼の呼びかけ方は、母から得た情報を超えています。
例えば、ダニエルがユダの捕囚の身であり、ネブカドネザルがエルサレムから連れ出した捕虜の一人であったことを、ベルシャツァルは知っていました。
ダニエルの血筋と宗教的信念を知っていたため、ベルシャツァル自身がダニエルを降格させていたのかもしれません。
ベルシャツァルは、この男の才能を駆使して言葉を解読させようと躍起になっていました。
14節でベルシャツァルは、母がダニエルの知恵についてくりかえし語っています。

ベルシャツァルはダニエルに、知者たち全員がその書を読むことも解読することもできないことを告げています。
そして、ベルシャツァルは、他の知者たちに約束したのと同じ約束をダニエルにも与えます。
それは、緋色の衣をまとい、金の鎖を持ち、「王国の第三の支配者」、すなわち三冠政治を持つことをダニエルに提案します。
ダニエル書2章と4章で既に述べたように、この世の知恵は主要な問題を解決できず、現在も未来も理解できないことがここでも示されています。
神の預言者であるダニエルは、神の啓示がもたらされる媒介であり、窮地に陥ったベルシャツァルは喜んでその言葉に耳を傾けました。

ベルシャツァルのように、世は往々にして、自分の破綻が明らかになるまで神の知恵を求めようとしません。
そして、ベルシャツァルの場合のように、助けを求めるのが遅すぎです。
そもそも、危機を引き起こした罪と不信仰の積み重ねが、破滅のきっかけとなっています。
ベルシャツァルの目の前の状況は、壮大なドラマの要素をすべて備えていました。
ダニエルは80歳を過ぎた老人で、その振る舞いには敬虔な生き方の痕跡がはっきりと表れていました。
群衆の酒に赤らんだ顔とは、際立った対照をなしています。
この驚きと不安、そして恐怖の渦巻く雰囲気の中で、ダニエルの表情だけが、神とその啓示への信頼に基づく神の深い平安を映し出していました。

ダニエルによるベルシャツァルへの叱責

「そのとき、ダニエルは王の前に答えて言った。「あなたの贈り物はあなた自身で取っておき、あなたの報酬は他の人にお与えください。
しかし、私はその文字を王のために読み、その解き明かしをお知らせしましょう。
王さま。いと高き神は、あなたの父上ネブカデネザルに、国と偉大さと光栄と権威とをお与えになりました。
神が彼に賜わった偉大さによって、諸民、諸国、諸国語の者たちはことごとく、彼の前に震え、おののきました。
彼は思いのままに人を殺し、思いのままに人を生かし、思いのままに人を高め、思いのままに人を低くしました。
こうして、彼の心が高ぶり、彼の霊が強くなり、高慢にふるまったので、彼はその王座から退けられ、栄光を奪われました。
そして、人の中から追い出され、心は獣と等しくなり、野ろばとともに住み、牛のように草を食べ、からだは天の露にぬれて、ついに、いと高き神が人間の国を支配し、みこころにかなう者をその上にお立てになることを知るようになりました。
その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。
それどころか、天の主に向かって高ぶり、主の宮の器をあなたの前に持って来させて、あなたも貴人たちもあなたの妻もそばめたちも、それを使ってぶどう酒を飲みました。
あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした。」
(ダニエル書5章17~23節 )


ダニエルは王に話しかける際、例えばダニエル書6章21節でダリウスに「王さま。永遠に生きられますように」と述べるような、正式な挨拶で始めていません。
ダニエルはベルシャツァルが聖なる器を冒涜したことを軽蔑していたことは疑いありません。
しかし、ここでの物語は要約された形で考えなければならず、ダニエルはおそらく正式な方法で王に話しかけたはずです。
同様の例はダニエル書2章27節で、ダニエルはネブカデネザルに正式な挨拶をせず、ダニエル書4章19節ではネブカデネザルに「わが主よ」という表現で答えています。
いずれにせよ、これはダニエルがダリウスに「王さま。永遠に生きられますように」と言ったような表現でベルシャツァルに挨拶していません。
実際、ベルシャツァルの死期が迫っていたのです。
その代わりに、18節で彼は彼を王として認めますが、その後すぐに非難の預言的なメッセージを伝えます。

ダニエルはまずベルシャツァルに、神がネブカデネザルにその偉大な王国とそれに伴う名誉を与えられたことを思い起こさせています。
ダニエルは19節で、いかにネブカデネザルが恐れられ、民の生殺与奪の絶対的な権限を有し、したがって絶対的な君主であったことを生き生きと描写しています。
しかしながら、ヤング氏が指摘するように、神からネブカデネザルに委ねられたこの絶対的な権限の性質そのものが、ネブカデネザルに責任を負わせるものでした。[277]
このことはダニエル書4章でネブカデネザルが経験した狂気によって実証され、裏付けられます。
ダニエルはそれを「彼はその王座から退けられ、栄光を奪われました」と表現しています。
次にダニエルはネブカデネザルの狂気の特徴を詳細に列挙し、彼が野獣と共に暮らし、牛のように草を食べ、天露に濡れていたことを述べています。
これらすべては、神がネブカドネザルよりも偉大であり、彼の権威に責任を負わせたことを証明しました。
ネブカドネザルが適切に謙遜になったとき、神は彼を「栄光と王国」に回復させました。

これらの事実はベルシャツァルの状況に深く関わっています。
ダニエル書5章22節で「その子であるベルシャツァル。あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした」と記されているように、誰もが知っていることです。
ネブカドネザルの絶対的な権力とベルシャツァルの極めて限られた権力との対比も明らかです。
ベルシャツァルは王国の最初の支配者でさえなく、バビロンが包囲され、周囲の諸州に対する権力を既に失っていた事実に屈辱を感じていました。

ベルシャツァルの置かれた状況と、ネブカドネザルの屈辱を知っていたベルシャツァルが、エルサレムで主の宮から奪った器々を奪い取り、バビロンの神々を賛美するために酒を飲んだことは、なおさらの冒涜的行為でした。
ダニエルは、ベルシャツァルとその家臣、妻妾たちがこれらの聖なる器から酒を飲み、「あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しましたが、あなたの息と、あなたのすべての道をその手に握っておられる神をほめたたえませんでした」と雄弁に嘲笑しています。[278]

聖書は明確に述べてはいないものの、ダニエルが王に伝えたメッセージは、おそらく一同の耳に届いたはずです。
ダニエルが王に報告している劇的な状況下で、一同が話し続けるのは、不適切だったと考えられます。
当然のことながら、彼らはダニエルの言葉を聞きたがっていたはずです。
ダニエルの預言的な発言を前に、死のような静寂が訪れました。
その響き渡る言葉が、轟く雹のように響き渡る中、すべての耳に届いた時の緊張感は、容易に想像できます。
ここには、人を恐れず、神だけを畏れる者がいました。
ダニエルは、聖なる神の目に冒涜と映るものを、落ち着いた口調で非難しました。
しかしながら、ダニエルの王への言葉には、傲慢さや失礼さは一切なく、告発内容は事実に基づき、客観的に述べられていました。
いずれにせよ、ダニエルの言葉が王の心にさらなる恐怖と不安をもたらしたとはいえ、王はダニエルと議論する立場にはいません。

ダニエルによる聖書の解釈

「それで、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。
その書かれた文字はこうです。「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。」
そのことばの解き明かしはこうです。「メネ」とは、神があなたの治世を数えて終わらせられたということです。
「テケル」とは、あなたがはかりで量られて、目方の足りないことがわかったということです。
「パルシン」とは、あなたの国が分割され、メディヤとペルシヤとに与えられるということです。」」
(ダニエル書5章24~28節)


ダニエルは、壁の文字の説明を始めるにあたり、最初に文字を読んでいます。
そして、この章の本文に初めてその言葉が登場しています。
英語に写字するのであれば「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン(MENE, MENE, TEKEL, UPHARSIN)」となります。
この碑文の意味については、多くの終わりのない批判的な議論があり、その解釈は多くの要素によって複雑になっています。[279]
ダニエル書では、その言葉はアラム語で示されていますが、これに疑問を呈する人もいます。[280]
ただし、アラム語で書かれていた場合は、子音だけが現れた可能性があります。
楔形文字であれば、母音も含まれています。
通常の会話では、母音の欠落は比較的簡単に補うことができますが、このような謎めいた発言では、母音の追加が問題となります。
壁の文字は「(MN’ MN’ TQL UPRSN)」として現れた可能性があります。
もちろん、アラム語の文字の順序はこれと逆、つまり右から左になります。
ヤング氏は、一部のラビにならって、文字は縦書きだった可能性があると示しており、その場合、アラム語の順序では次のようになるはずです。

PTMM
RQNN
SL’’

もし、既知の言語であるアラム語の複雑さに加えて、なじみのない形式が文字に使用されていたとしたら、適切な説明と解釈を与えるには確かに神の啓示が必要だったはずです。
それは文章の読みにくさが原因であったのかもしれません。

子音だけで識別できる単語の多様性から、別の説も提唱されています。
「メネ(MENE)」はエゼキエル45章12節、エズラ2章69節の「メネ」に相当すると考えられます。
「テケル(TEQEL)」はヘブル語のシェケルを表すと考えられます。
「パルシン(PERES)」は「(PERAS)」、つまり「(half-maneh)」と読むことができますが、この認識には疑問があります。
この解釈によれば、この文章は「(A maneh, a marieh, a shekel, and a half-maneh)」と読めることになります。
しかしながら、この結論に至ったとしても、それが何を意味するのかはまだ確定されていません。
ヤング氏はこの点に関する議論の中で、「メネ」はネブカドネザル、シェケル(はるかに低い価値)は、ベルシャツァル、そして「(half-maneh)はメディア人とペルシャ人を指すという指摘について、J・ダイメリー・プリンス氏[282]の功績を認めています。[283]
それでも、ダニエルの説明ははるかに説得力があり合理的であり、ダニエルが示す以外の意味を示すものではありません。

「メネ」という言葉は「数えられた」という意味で、ダニエルは26節でこれを「神はあなたの王国を数え、それを成し遂げられた」と解釈しています。
これは、人の日が数えられている考えと一致しており、この語を2回繰り返すのはおそらく強調するためです。
他の単語と同じ様に、受動態の分詞です。

「テケル(TEQEL)」は「量られた」という意味で、ベルシャツァルは秤にかけられて不足、つまり実際の重さに達していないことが考えられています。

「パルシン(PERES)」は「分割された」という意味で、25節の「ウ・パルシン(UPHARSIN)」の別形に過ぎません。
「ウ・パルシン(UPHARSIN)」は英語の(And)に相当し、「パルシン(PHARSIN)」は(PERES)の複数形です。
リューポルド氏は「パルシン(PHARSIN)」の母音を「ペルシャ人」と読み替えれば[284]、ダニエル書の「メディア人とペルシャ人に与えられた」という説明が示しているように、二重の意味を持つ可能性があることを示しています。
この3番目の単語には語呂合わせが意図されているのかもしれません。
「分割された」という意味に解釈された後、ペルシャ人を意味するアラム語への言及とも解釈され、ペルシャ人がバビロンに勝利することを暗示しています。

このダニエル書の解釈は明確で、一部の解説者が提示した解釈よりもはるかに納得のいくものです。
ベルシャツァルはバビロンがメディア人とペルシャ人に渡されることを理解させられました。
ダニエルが壁の文字を解釈している間にも、メディア人とペルシャ人がバビロンに押し寄せ、預言は成就し続けていました。

ダニエルの報酬と預言の成就

「そこでベルシャツァルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を彼の首にかけさせ、彼はこの国の第三の権力者であると布告した。
その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され、
メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。」
(ダニエル書5章29~31節)


壁に書かれた文字とその解釈をめぐる劇的な出来事は、ベルシャツァルが約束を守ったことで成就しました。
ダニエルは緋色の衣をまとい、首には金の鎖を巻き、王国の第三の支配者となる布告が出されました。
しかし、ダニエルが知っていたように、これらの栄誉は何も長続きするものはなく、無益であり、この世の栄誉の型です。
バビロニア帝国は勢力を増す中でエルサレムを征服し、住民を捕虜にし、美しい神殿は略奪され、都は完全に破壊しました。
この帝国にとって最後の公式な行為は、これらの捕虜の一人を称えることでした。
この捕虜は神の啓示によってバビロンの滅亡だけでなく、人の子が天から降臨するまでの異邦人の時代の流れをも預言します。
人間が最初の言葉を発するかもしれませんが、神が最後の言葉を発しているのです。
ヘロドトス氏はバビロン占領をめぐる状況について興味深い記述を残しています。

クロスはバビロンに向けて進軍しました。
バビロニア軍は戦場に出て、クロスの到着を待ち構えていました。
クロスがバビロン市の近くまで進軍すると、バビロニア軍は戦闘を開始しましたが、敗北して街に閉じ込められました。
そして、彼らはクロスの落ち着きのない精神態度をかつてから知っていました。
クロスがいままでさまざまな民族を同じように攻撃してきたことを知っており、長年にわたり食料を備蓄し、包囲される攻撃の心配はありません。
一方、クロスは困難に直面していました。
時間が経過し、事態は全く進展していないからです。
そこで、困り果てたクロスにある者が提案をしました。
もしくは、クロス自身がこの計画を考案したのかも知れませんが、次のような策略を行いました。
軍の主力をバビロンに流れ込む川の流点付近に配置し、さらに別の部隊を市街地の向こう側、川の出口に配置しました。
そして、川が渡航可能になったらすぐに市街地に入るよう部隊に命じました。
クロスは軍を配置し、これらの指示を与えると、自分は効果のないと思える軍勢を率いて進軍を開始しました。
湖に到着すると、クロスはかつてバビロニアの女王が行ったのと同じことを川と湖に対して行いました。
運河を使って川の流れを湖へと転じさせ、以前は沼地だった川を水没させることで、かつての水路を浅瀬に渡れるようにしたのです。
このことが起こると、川の水位が人のももの真ん中ほどまで下がりました。
すると、川の流れの近くにいて、任務に就いていたペルシャ人たちは、この通路を通ってバビロンに入城しました。
もし、バビロニア人が事前にこのことを知っており、クロスの企てを知っていたのならば、彼らはペルシャ人たちが町に入るのを許さず、ペルシャ人たちを徹底的に滅ぼせたはずでした。
なぜなら、川に通じる小さな門をすべて閉じ、川岸に沿って伸びる城壁を登り始めれば、バビロニア人は網ですくうようにペルシャ人たちを捕らえることができたからです。
そのように、ペルシャ人たちは彼らの不意を突いて襲いかかりました。
この広大な街に住んでいた人々は、端にいた人々が陥落しても、中心部に住んでいたバビロニア人はそのことを何も知ることができません。
それは、ちょうどその日は祭りだったからかも知れません。
彼らは、その時踊ったり、楽しんでいましたが、ついに真実で確かな情報を得ました。
このように、初めてバビロンは陥落しました。[285]

カイル氏は、ヘロドトス氏の記述とクセノポン氏の記述(類似の著作「キュロパエディア」)の両方について詳細に論じ、クラニヒフェルト氏がこれらの記録を軽視した理由を要約しています。
カイル氏以降の発見は、メディア王ダリヨスの記述を考慮に入れていないものの、ヘロドトス氏とクセノポン氏の主張を支持する傾向にあります。
この戦いは、ヘロドトス氏の記録とほぼ同じ形で行われたと考えられます。[286]

バビロン陥落を予期する預言は、何年も前に書かれたイザヤ書とエレミヤ書の両方に見られます。
イザヤとエレミヤは、ダニエル書が記録しているような祝宴の夜にバビロンがメディア人の手に陥落することを預言していました。
(イザヤ書13章17~22節、21章1~10節、エレミヤ書51章33~58節を参照にしてください。)
これらの預言の中には、将来、最終的に成就するものがあるのかもしれません。(ヨハネの黙示録17、18章)
メディア人の侵攻について、イザヤはより具体的にこのように記しています・

「上れ。メディヤよ、囲め。すべての嘆きを、私は終わらせる。」
(イザヤ書21章2節)


彼らの動揺を描写した後も、イザヤこのように続けています。

「私の心は迷い、恐怖が私を震え上がらせた。私が恋い慕っていたたそがれも、私にとっては恐れとなった。
彼らは食卓を整え、座席を並べて、飲み食いしている。「立ち上がれ、首長たち。盾に油を塗れ。」」
イザヤ書21章4、5節)


そして、最後にこのような知らせが伝えられます。

「「倒れた。バビロンは倒れた。その神々のすべての刻んだ像も地に打ち砕かれた。」と。」
(イザヤ書21章9節)


エレミヤは明確にこのように述べています。

「「わたしは、その首長たちや、知恵ある者、総督や長官、勇士たちを酔わせる。彼らは永遠の眠りについて、目ざめることはない。
――その名を万軍の主という王の御告げ。――」
万軍の主はこう仰せられる。「バビロンの広い城壁は、全くくつがえされ、その高い門も火で焼かれる。
国々の民はむなしく労し、諸国の民は、ただ火に焼かれるために疲れ果てる。」」
(エレミヤ書51章57、58節)


クロス自身がバビロン陥落について書いた記述が、粘土の樽の碑文の中に発見されました。

「偉大なる君主であり、民である崇拝者たちの守護者であったマルドゥクは、クロスの善行と清廉なる心を喜び、ゆえにクロスにバビロンへの進軍を命じた。
彼はクロスをバビロンへの道へと進軍させ、真実な友のように共に歩ませた。
彼の広大な軍隊――その数は川の水のように数え切れないほど――は武器を片付け、歩いた。
彼は戦闘を一切行わず、クロスをバビロンへと入城させ、バビロンに災いをもたらさなかった。
そして、マルドゥクを崇拝しなかった王ナボニドゥスをクロスの手に引き渡した。」[287]

ダニエル自身も、預言の成就を「その夜、カルデヤ人の王ベルシャツァルは殺され」と簡潔かつ生き生きと記録しています。
英語の聖句によるこの章の最後の節は、メディア人ダリウスが62歳でバビロンの支配者となった経緯を記しています。
この征服者の正体は、聖書以外ではこの名前で知られておらず、尽きることのない論争と議論を引き起こしてきました。
この点については次の章で考察されています。

バビロニア帝国を滅亡に導いたこの出来事に捧げられた長い章は、バビロニア帝国に関する預言の歴史的成就としてだけでなく、邪悪な世界に対する神の対処の型として、神の御言葉に正しく記録されています。
バビロンの滅亡は、不信仰な世界の滅亡を象徴しています。
多くの点で、現代文明は古代バビロンによく似ています。
建築上の勝利を象徴する建造物に彩られ、人間の手と創意工夫によって可能な限りの安全を確保しながらも、時が来るならば神の裁きに対して無防備なのです。
現代文明は、人間の傲慢さを助長する多くのものが存在しており、人間の安全をもたらすものは何もない点で、古代バビロンに似ています。
ナボニドゥス年代記[288]に記されているように、バビロンが紀元前539年ティシュリの月16日(10月11日または12日)に滅亡したように、主の日が来るときも、世界は災いに見舞われることになります。

「兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。
主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。
人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」
(テサロニケ人への手紙第一5章1~3節)


しかし、世界の災難は神の子たちを襲うことはありません。
ダニエルは粛清を生き延び、6章で新しい王国の長官の1人として勝利を収めています。

[245]ベロソスの残した実際のテキストは次の通りです。

「私が述べた城壁の建設を開始した後、ナブコドノソルは病に倒れ、43年間の治世の後に亡くなり、王国は彼の息子エヴィルマラドゥクに渡されました。
この王子は勝手で放縦な支配をしていましたが、陰謀に陥り、2年間の治世の後、妹の夫ネリグリサルに暗殺されました。
彼の死後、彼を殺害したネリグリサルが王位を継承し、4年間の支配が続きました。
彼の息子、ラボロソアルドクは少年でしたが、9ヶ月間王位に就いたが、彼の堕落した性質のために陰謀が企てられ、友人たちに殴り殺されました。
彼が殺害された後、陰謀家たちは会議を開き、全員の同意を得て、バビロニア人で彼らの仲間の一人であるナボネドゥスに王国を授けました。
彼の治世中、バビロンの城壁はクロスは治世17年目に大軍を率いてペルシャから進軍し、王国の残りの地域を征服した後、バビロニアへと進軍しました。
クロスの到来を知ったナボネドゥスは軍を率いて迎え撃ち、敗北しました。
そこで彼は少数の従者と共に逃亡し、ボルシッパの町に籠城しました。
クロスはバビロンを占領し、その恐ろしく威圧的な様相を提示していました。
そのため、その外壁を破壊するよう命じた後、ボルシッパへと進軍しナボネドゥスを包囲しました。
包囲を待たずに降伏したナボネドゥスはクロスに厚く遇され、バビロニアから追放されたが、居住地としてカルマニアを与えられました。
ナボネドゥスはそこで余生を送り、そこで亡くなりました。

Flavius Josephus. “Against Apion,” in Josephus 1:221-25. For discussion of Josephus’ account, see Keil, pp. 164-71.

[246] Eusebius, Praeper. Ev. 9:41, cited by C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 164.

[247] See Raymond P. Dougherty, Nabonidus and Belshazzar.

[248] James A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, p. 249.

[249] According to J. A. Brinkman, “Probably the first recorded mention of Belshazzar, Prince of Babylonia under Nabonnedus” is in a cuneiform text 135 in a collection at the Archaeological Museum in Florence published in 1958-60 by Professor Karl Ober-huber of the University of Innsbruck. The text is definitely from the sixth century B.C. This text indicates that a person known as Bel-sarra-usur was a res sarri, an officer of the king, under Neriglissar who came to the throne in 560 B.C., as had been earlier pointed out in a text YBC 3765:2 published by R. P. Dougherty in 1929 in Nabonidus and Belshazzar, pp. 67-68. This, no doubt, prepared the way for the co-regency under Nabonidus which probably began 553 B.C., supporting Daniel 5. (Cf. J. A. Brinkman, “Neo-Babylonian Texts in the Archaeological Museum at Florence,” Journal of Near Eastern Studies 25:202-9.)

E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 115.

[250] Cf. H. C. Leupold, Exposition of Daniel, p. 210; and George A. Barton, Archaeology and the Bible, p. 481 ff.

[251] H. H. Rowley, “The Historicity of the Fifth Chapter of Daniel,” Journal of Theological Studies 32:12.

[252] N. W. Porteous, Daniel: A Commentary, p. 76.

[253] The new evidence confirming the theory that Nabonidus was absent is found in the statement in the “Prayer of Nabonidus” that Nabonidus was at the oasis of Teima in Arabia at this time. See J. T. Milik, “ ‘Priere de Nabonide’ et autres ecrits d’un cycle de Daniel,” Revue Biblique 63:407-15. Although it is possible to question the historicity of portions of the “Prayer of Nabonidus,” as it is undoubtedly apocryphal, the consensus of both liberal and conservative scholarship seems to take the account as repeating in the main a true story. Cf. Norman Porteous, Daniel: A Commentary, p. 76.

[254] For further discussion of this problem, see Young, pp. 115-19; Keil, pp. 162-79; and Leupold, pp. 208-14. Cf. the interesting discussion of Belshazzar by C. Boutflower, In and Around the Book of Daniel, pp. 114 ff.

[255] Keil, pp. 165-76.

[256] Leupold, pp. 208-13.

[257] Montgomery mentions a marriage feast of Alexander with 10,000 guests (Montgomery, p. 250).

同上、 p. 214. See also Keil, p. 179, citing Athenaeus, as does Young, p. 118.

[258] M. E. L. Mallowan, “Nimrud,” in Archaeology and Old Testament Study, p. 62.

[259] Athenaeus, Deipnosophistae IV, 145.

[260] 同上、 p. 165.

[261] Keil, pp. 174-75.

[262] Leupold, p. 211.

[263] Edward B. Pusey, Daniel the Prophet, p. 346. See also Leupold, pp. 216-17, who discusses this quotation from Pusey.

[264] Otto Zockler, Daniel, Commentary on the Holy Scriptures, p. 126.

[265] Keil, p. 181.

[266] Herodotus, History of the Persian Wars, 1:178-83.

[267] Cf. Merrill F. Unger, Unger’s Bible Dictionary, pp. 115-16; and T. G. Pinches, “Babel, Babylon,” in International Standard Bible Encyclopedia, 1:350. For a map of Babylon in sixth century B.C., see D. J. Wiseman, “Babylon,” in The New Bible Dictionary, pp. 117-20. For pictures and further details, see R. K. Harrison, “Babylon,” in The Zondervan Pictorial Bible Dictionary, pp. 89-93.

[268] Cf. Montgomery, p. 253, citing Koldewey, Das wieder erstehende Babylon; and E. G. Kraeling, Rand McNally Bible Atlas, p. 327.

[269] Keil, pp. 182-83.

[270] 同上、 p. 184.

[271] F. Rosenthal, A Grammar of Biblical Aramaic, p. 71.

[272] R. H. Charles, The Book of Daniel, pp. 57-59; cf. Keil, pp. 184-85.

[273 Keil, p. 185; Leupold, pp. 224-25.

[274] Montgomery, p. 258.

[275] Arthur Jeffery, “The Book of Daniel, Introduction and Exegesis,” in The Interpreter’s Bible, 6:426.

[276] G. R. King, Daniel, p. 148.

[277] Young, p. 124.

[278] There is a remarkably close parallel to the language of 5:23 in the “Prayer of Nabonidus” found in Qumran Cave 4:See J. T. Milik, pp. 407-15.

[279] In the end, even the critics accept either the interpretation of Daniel (mene, “numbered”; tekel, “weighed”; peres, “divided”); or the reading, “ a maneh, a maneh, a shekel, and a half-maneh,” see exposition.

[Cf. Montgomery, pp. 262-64.

[280] Charles, pp. 57-59; Keil, p. 126.

[281] Young, pp. 125-26.

[282] Since Prince, who wrote his commentary in 1899, many others have followed the suggestion of Clermont-Ganneau (Journal Asiatique) 1886, that the inscription contained a string of weight names. E. G. Kraeling (“The Handwriting on the Wall,” Journal of Biblical Literature 63 [1944]: 11-18) assuming that five kings are in view—i.e., mene is given twice and the upharsin equals two half-minas—suggests that the five kings following Nebuchadnezzar were intended, viz., Evil-Merodach, Neriglissar, Labashi-Marduk, Nabonidus and Belshazzar. D. N. Freedman (“Prayer of Nabonidus,” Bulletin of the American Schools of Oriental Research 145 [1957]: 32) identifies the three kings as Nebuchadnezzar, Nabonidus and Belshazzar. Freedman cites H. Louis Ginsberg (Studies in Daniel, pp. 24-26) as holding that only three kings are referred to, viz., Nebuchadnezzar, Evil-Merodach and Belshazzar.

[283] 同上、 p. 126; cf. Montgomery, pp. 263-64.

[284] Leupold, p. 235.

[285] Herodotus, 1:190-91.

[286] Keil, pp. 171-72.

[287] J. B. Pritchard, ed., Ancient Near Eastern Texts Relating to the Old Testament, pp. 315-16.

[288] John C. Whitcomb, Jr., Darius the Mede, p. 73.


6章 獅子の穴のダニエル

ダニエルが獅子の穴に投げ込まれた物語は、旧約聖書の中で最もよく知られている物語の一つです。
このような出来事が、7章に記された世界史の概観図と同等のスペースを割かれていることから、神の視点から見れば、これはダニエルだけでなく、聖書を学ぶすべての人にとって重要な出来事であることが結論づけられます。

しかし、聖書学の観点からは、ダニエル書そのものの出来事よりも、当時のバビロン王であったメディア人ダリウスに注目が集まります。
その理由は、ダニエル書に関する批判的な不信の多くは、明白な歴史的誤りであると主張されているものに基づいているからです。
つまり、歴史上、そのような人物は存在していないと主張されているからです。
この誤りは、ダニエル書の年代が紀元前2世紀だと証明するために用いられた別の重要な論拠であり、その時点から400年前の真実は不明瞭でだと考えられます。
この問題は多くの学者の関心を集め、関連する疑問を論じた書籍が次々と出版されています。

この問題に関する最も重要な学術研究の一つを執筆したH.H.ローリー氏は、その論文の冒頭で次のように述べています。
「ダニエル書におけるメディア人ダリウスへの言及は、この書の中で最も重大な歴史的問題を提起していると長い間認識されてきました。」[289] ローリー氏が述べている問題とは、ダニエル書には、メディア人ダリウスが62歳でベルシャツァルの死後、王国を受け継ぎ(ダニエル書5章31節)、「カルデア人の王国の王となったメディア人の子孫アハシュエロスの子」 (ダニエル書9章1節)であることが記されている点です。
6章では、ダリウスが「王国全体」を組織し、120人の王子と3人の大臣を立て、ダニエルがその初代大臣であったことが分かります。
七十人訳聖書はダニエル書6章28節を、ダリヨス1世の死後、ペルシャ王クロスが権力を握ったと訳しています。
このことは、ダリヨス1世の治世下でメディア王国が成立し、その後クロス1世の治世下でペルシャ王国が成立したことを示しています。
しかし、聖書以外の資料は、これが事実ではないことを明確に示しています。

D・J・ ワイズマン氏がナボニドゥス年代記に基づいて調査結果を箇条書きしており、実際の出来事はおおよそ次のようです。[290]
バビロンは、クロスの軍を率いてベルシャツァルの祝宴の夜にバビロン市に入ったグティウムの総督ウグバルによって征服されました。
ベルシャツァルの父ナボニドゥスは前日にバビロンから逃亡したものの捕らえられ、後に亡くなりました。
紀元前539年10月11日にバビロンがウグバルの手に落ちたとき、クロス自身はオピスに他の軍と共に留まっており、18日後の紀元前539年10月29日にようやくバビロンに到着しました。
グバルという名の男がクロスによってバビロンの支配者に任命されました。
クロス到着の8日後、ウグバルは亡くなりました。
バビロン陥落後の出来事に関するこの正確な歴史が正しければ、メディア人ダリウスがバビロンを支配する余地はなかったことは明らかです。

いくつかの説明がありますが、最も有力なのは次の3つの説です。
まず、ダニエル書には歴史的に誤りがあり、筆者はメディア人ダリヨスを他の重要人物と混同しています。
この説明を最も強く主張する人物の一人がH・H・ロウリー氏です。
彼はメディア人ダリヨスを、最後のメディア王アスティアゲス[291]、アスティアゲスの息子キュアクサレス[292]、バビロン征服軍を率いたゴブリアス(グバルまたはウグバルの別名)[293]、そしてクロスの息子カンビュセス[294]と同一視する説をすべて否定しています。
ロウリー氏はこれらの説がどれも妥当ではないことを徹底的に証明し、ダニエル書にのみ述べられているように、メディア人ダリヨスという人物が実在した確かな証拠は存在しないという結論を支持しています。
ロウリー氏は、ダニエル書の著者がこの支配者をダリヨスと名付けたのは、紀元前520年のバビロン陥落と関連づけられているヒュスタスペスの子ダリヨスと混同したことを示しています。
つまり、ロウリー氏はダニエル書におけるメディア人ダリヨスへの言及は歴史的に信頼できないと考えています。
これはまた、紀元前6世紀の預言者ダニエルは正確な情報を持っており、ダニエル書を記すことは不可能だったという説を裏付けるものでした。

保守派の学者たちは二つの解釈を提示しています。
どちらも、メディア人ダリウスがダニエル書6章で与えられた役割を果たした実在の歴史上の人物であることを認めています。

人気のある説明の1つとして、メディア人のダリヨスが、クロスによってバビロンの総督に任命されたグバルと同一人物とするものです。
この見解は、ロバート・ディック・ウィルソン氏[295]をはじめ、フリードリヒ・デリッチ氏、C・H・H・ライト氏、ジョセフ・D・ウィルソン氏、W・F・オルブライト氏[296] など多数の研究者によって強く支持されています。
ジョン・C・ホイットコム・ジュニア氏はこの見解を復活させ、ロウリー氏の意見に答えようと試みました。[297]
ホイットコム氏は、ナボニドゥス年代記のいくつかの翻訳で両者ともゴブリアスと呼ばれているグバルとウグバルを区別しています。
ホイットコム氏は、ナボニドゥス年代記で以前にグティウムの総督とされていたウグバルがクロスの軍隊をバビロンに導き、1か月も経たないうちに亡くなったと考えています。
しかし、ホイットコム氏は、グバルを、クロスの権威の下にあったバビロン王、メディア人のダリヨスと同一視しています。
聖書以外の資料ではグバルはメディア人やバビロンの王とは呼ばれていません。
また、年齢も記されておらず、世の記録とダニエルがメディア人ダリウスについて述べていることには実際に矛盾はありません。

保守派の学者D・J・ワイズマン氏が唱える三番目の見解は、簡潔さという点で有利です。
彼は、メディア人ダリウスはペルシャ人クロスの別名であると主張しています。
これはダニエル書6章28節のアラム語訳に基づいており、そこには「ダニエルはダリウスの治世、すなわちペルシャ人クロスの治世に栄えた」と記されています。[298]
君主が複数の名前を持つことは古代文献では一般的であり、ワイズマン氏の見解はダニエル書におけるこの問題に対する別の保守的な説明を提供しています。

メディア人ダリウスの問題を論じる者は皆、必然的に事実資料の相対的不足を論拠としなければなりません。
批評家は何度も沈黙を有利な論拠として持ち出し、あたかも断片的な記録に事実がないことが決定的であるかのように言います。
聖書を信じるクリスチャンの多くは、これに反する圧倒的な証拠がない限り、聖書外の断片的な記録や、具体的には記録の欠如よりも、聖書の記録そのものを重視すべきだと感じています。
K・A・キッチン氏は、この決定的ではないが、否定的証拠の性質を要約し、これがダニエルが間違っている全体的な結論を支持するものではないことを実証しました。[299]
ダリウスが既知の支配者の別名であるならば、メディア人ダリウスという名の人物がバビロンを支配していたことを否定している確立した事実は存在しないことを強調しなければなりません。

ダリウスに高められたダニエル

「ダリヨスは、全国に任地を持つ百二十人の太守を任命して国を治めさせるのがよいと思った。
彼はまた、彼らの上に三人の大臣を置いたが、ダニエルは、そのうちのひとりであった。
太守たちはこの三人に報告を出すことにして、王が損害を受けないようにした。
ときに、ダニエルは、他の大臣や太守よりも、きわめてすぐれていた。彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。
そこで王は、彼を任命して全国を治めさせようと思った。」
(ダニエル書6章1~3節)


ダリヨスがバビロンとその周辺地域の征服に成功した今、法と秩序の観点、そしてそれによって可能となる課税の恩恵の両面から、新たな王国を組織することが適切でした。
このような組織においては、かつてバビロニア王国で仕えた有能な人材を活用することは不適切ではありません。
征服者たちは、支配下にあった民との友好関係を築くために可能な限りの努力をしました。
ベルシャツァルは殺害されましたが、その父ナボニドゥスはその後も数年間生き延びました。
バビロンの神々の一部さえも、征服者たちは崇拝しました。[300]

新しい王国の組織は、6章の冒頭の数節に詳述されています。
120人の太守、すなわち「太守」が任命されました。
この数字は不正確だと主張する人もいます。
例えばモンゴメリ氏は「120人の太守(satraps)(AV英訳聖書では(princes))は誇張、あるいは少なくとも不正確です。
モンゴメリ氏の[odotus]3章89節には、ダリヨスが20の太守を創設したと記録されています。
また、王の碑文にはそれらの数が21、23、29と順に記されています」と述べています。[301]

しかし、モンゴメリ氏は、エステル記1章1節には127の州があったことを認めながらも、ダニエル書の記述は不正確だと主張しています。
モンゴメリ氏はまた「三人の大臣」の存在が他に類を見ないとして異議を唱えています。[302]
事実、これほど広大な領土を支配するために120人の官吏を任命し、さらにその上に三人の大臣を任命することは、不合理なことではありません。
彼の領土が正確に120の区画に分かれていたかどうかは示されていないが、これほどの数の太守が必要であったことは明らかです。

ダニエルの物語にこれらの事実を盛り込む目的は、ダニエルの名誉ある地位を確固たるものにするためです。
ダニエル自身は、120人の君主たちの仕事を調整する3人の大臣の一人に任命されました。
彼らには、財務報告を行い、王の利益を守ることが求められていました。
このような役割において、領土と課税問題に精通した誠実で有能な行政官は、ダリヨスにとって計り知れない利益をもたらしたはずです。
3節によれば、ダニエルは他の者よりも優れており、「すぐれた霊」を持っていたため、王はすべての君主を彼の下に置こうと考えました。
これらすべては非常に理にかなっており、後にダニエルが受ける最大の試練の舞台が設定されています。

ダニエルに対する陰謀

「大臣や太守たちは、国政についてダニエルを訴える口実を見つけようと努めたが、何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。
そこでこの人たちは言った。「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。」」
(ダニエル書6章4、5節)


ダニエルの卓越した働きと誠実さは、すぐに彼と関係のあった王子や長官たちの野望を阻む障壁となりました。
ダニエルの誠実さはいかなる腐敗も不可能にし、ダリヨスの寵愛は同僚の役人たちの嫉妬を招きました。
このような状況下では、彼らはダニエルよりずっと若く、出世に焦っていたはずです。
そして、ダニエルを処分する方法を探ろうとするのは当然のことです。
ダニエルは忠実であったため、彼らはダニエルの職務遂行におけるいかなる誤りや過失も指摘できません。
ダニエルを排斥するには、別の方法を見つける必要がありました。
役人たちは、ダニエルを陥れる唯一の方法は、公的な規則とダニエルの良心、そして神の律法の遵守との間に矛盾を生じさせることだと結論づけました。
聖書はダニエルの背後で行われた陰謀の全てを明らかにしていませんが、幾度となく協議が行われ、ついに陰謀が企てられました。

陰謀者たちによる祈りの禁止

「それで、この大臣と太守たちは申し合わせて王のもとに来てこう言った。「ダリヨス王。永遠に生きられますように。
国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施してくださることに同意しました。
すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。
王よ。今、その禁令を制定し、変更されることのないようにその文書に署名し、取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のようにしてください。」
そこで、ダリヨス王はその禁令の文書に署名した。」
(ダニエル書6章6~9節)


陰謀者たちは計画を思いつくと、すぐに実行に移しました。
彼らは王の前に堂々と姿を現し、自分の願いを述べました。
6節は彼ら全員が出席していたことを示しています。
これは極めて異例な出来事でした。
彼らの代弁者はダリウス王に丁重に語りかけた後、7節で彼らが名指ししたすべての長官やその他の役人たちが彼らの嘆願に同意したことを王に伝えました。
この記述には、おかしな話ではないにしても、極めておかしなことだと異論を唱える者もいます。
しかし、これより奇妙な出来事は実際に起きています。
モンゴメリ氏は「三十日間、神にも人にも王以外の者に願い事をしてはならない布告に王が署名するよう求める、一見すると名誉ある嘆願は、多くの注釈者にとって不合理に映り、おそらくこの理由から[七十人訳聖書]はこの項目を省略しています」と述べています。[303]
しかし、モンゴメリ氏自身も次のように付け加えています。
「しかし、これらの物語はおおよそ妥当です。
この願い事の条件は、風刺的な誇張表現として意図されている可能性があります。
ヨナ書3章8節では、ニネベの王が人と家畜の両方に荒布を着るよう命じています。

「人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行ないとを悔い改めよ。」
(ヨナ書3章8節)


「Behr.’s[Behrmann]」の意味は、この物語の含意は宗教的な嘆願「Bev. [Bevan]」を意味しています。
この王が当面の間、唯一の神の代表者とみなされるべきであり、理にかなったものです。」[304]
彼らが王に請願した内容は30日間、王以外のいかなる神にも人にも請願を捧げることができない布告を発令することでした。
不服従の罰は、獅子の穴に投げ込まれることでした。
ダリヨスを称え、神の力を認めるために、これほど大勢の役人たちが集まり、異例の請願を提出したことによる心理的衝撃を受けて、ダリヨスは文書と布告に署名しました。
そして、それは変更不可能な法律となりました。
エステル記(1章19節、8章8節)とシケリアのディオドロス(17章30節)もまた、メディア・ペルシャ法において王の勅令は撤回できないと規定されていた事実を立証しています。
8節、9節、10節で「署名する」(rshm)と訳されている動詞は、「描く、書き起こす、刻み込む、書く」という意味で、「下書きする」とも理解できます。
これは単に署名するよりも全体的な意味になります。[305]

ヤング氏らが指摘するように、異教の神々に捧げられるような崇拝をペルシャ王に帰することは、何も不思議なことではありません。
ヤング氏は「ダリヨスの行為は愚かで邪悪でした。
なぜ、彼が大臣たちの要請に屈したのかは推測するしかありません。
おそらく、多くのペルシャ王が主張した神格化の主張に大きく影響されちました」と述べています。[306]

スチュアート氏はこの状況を次のように正当化しています。
ペルシャのゾロアスター教徒の子孫である「「パルシズム(Parsism)」は、人々に王を本来の神として崇めることを要求したのではなく、ゾロアスター教の最高神「オルムスド(Ormusd)」の代表として王に最高の敬意を払うことを要求しました。
このような状況であれば、廷臣や貴族から懇願された際のダリヨスの行動には、特に不自然な点がないことは容易に理解できます。」[307]
おそらくダリヨスはこの行為を、自身への忠誠の誓約であり、彼の権威を最大限に尊重したい彼らの意思の表れと見なしたのです。

ダニエルの試練における忠実さ

「ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。
――彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。――彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。
すると、この者たちは申し合わせてやって来て、ダニエルが神に祈願し、哀願しているのを見た。」
(ダニエル書6章10、11節)


この命令に対するダニエルの驚くべき忠実さは、3章で燃える炉に立ち向かう3人の仲間たちと似ています。
記録によると、ダニエルはその文書に署名がされていたので、発見と処刑は避けられないことを知っていました。
しかし、それでもなお、まだ廃墟となっていたエルサレムの方向に窓を開けて心を向かせました。
「彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。」とあり、彼の窓が習慣的にエルサレムに向かって開いていたことを示しています。

それからダニエルは、祈りと感謝のために一日三回、自分の予定通りに神に近づき、ひざまずきました。
ダニエルは祈りの生活において、長老、祭司、預言者、そして捕囚の民すべてに宛てられたエレミヤの霊感を受けた教えに従っていたと思われます。

「預言者エレミヤは、ネブカデネザルがエルサレムからバビロンへ引いて行った捕囚の民、長老たちで生き残っている者たち、祭司たち、預言者たち、およびすべての民に、エルサレムから手紙を送ったが、そのことばは次のとおりである。」
(エレミヤ記29章1節)


エレミヤは彼らにこのように保証しました。

「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」
(エレミヤ記29章12節)


ダニエル書9章2節によると、エレミヤ書はダニエルの手中にありました。

「すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」
(ダニエル書9章2節)


エルサレムの神殿に向かって祈る習慣はソロモンによって取り入れられました。
(歴代誌第二6章34~39節を参照)
ヨハネの福音書4章20~24節でキリストがサマリアの女に与えた新しい教えまで続きました。
ダビデの詩篇には、一日三度の祈りが記されています。
(詩篇55章16、17節)
ダニエルの一貫した生き方と証言はダニエル書全体を通して明らかですが、ここではその内なる秘密が明らかにされます。
多忙な支配者として多くの要求に時間を割くプレッシャーにもかかわらず、ダニエルは一日三度家に引きこもり、エルサレムの平和と自身の必要のために祈りを捧げていました。
これは殉教を願うような行為ではなく、彼の長い人生で表現され、継続して行われていた忠実な祈りの行為でした。
聖書は、彼が以前と同じようにこのように行っていたと述べています。

特に興味深いのは、彼の祈りの生活に関する詳細です。
エルサレムに窓を開けたことは、イスラエルの民がいつの日かこの神の都に帰還できる彼の希望を象徴しています。
9章の後半で、ダニエルの効果的な祈りは、ゼルバベルの支配下での帰還の前兆となりました。
祈りにおける彼の姿勢もまた、嘆願者として神に頼っていたことを示しています。
彼がこれを朝晩だけでなく、1日1回でもなく、1日に3回行っていた事実もまた、非常に啓発的です。
ダニエルは、窓を開けて祈ることについて、このような考えも抱いていたはずです。
なぜ、秘密時に祈って王の布告に違反しないでいられなかったのでしょうか?
もし、このように隠れて祈るのであれば、ダニエルにとって明らかに言い逃れになります。
彼は祈りにおいて通常の習慣から少しも逸脱していません。

重要なのは、ダニエルの敵でさえ、これがダニエルの反応であることは予想していました。
彼らは確信を持って集まり、彼の祈りを目撃し、王の前でダニエルを告発する根拠を得ようとしました。
11節によると、彼らは事前に取り決め、ダニエルを観察し、声を聞くことができる場所に集まりました。
たとえ、ダニエルが命を犠牲にしても神に忠実であることを、敵でさえ知っていたことは、ダニエルの素晴らしい証しの結果となりました。

ダリウスの前で告発されるダニエル

「そこで、彼らは王の前に進み出て、王の禁令について言った。
「王よ。今から三十日間、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれるという禁令にあなたは署名されたではありませんか。」
王は答えて言った。「取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のように、そのことは確かである。」
そこで、彼らは王に告げて言った。
「ユダからの捕虜のひとりダニエルは、王よ、あなたとあなたの署名された禁令とを無視して、日に三度、祈願をささげています。」
このことを聞いて、王は非常に憂え、ダニエルを救おうと決心し、日暮れまで彼を助けようと努めた。
そのとき、あの者たちは申し合わせて王のもとに来て言った。
「王よ。王が制定したどんな禁令も法令も、決して変更されることはない、ということが、メディヤやペルシヤの法律であることをご承知ください。」」
(ダニエル書6章12~15節)


共謀者たちは、ダニエルが法令に違反したという証拠を持って、再び王の法廷に押し寄せた。英訳聖書の12節のの句読点と翻訳は、改訂標準版の「禁令については、「王よ!」」よりも優れている。改訂標準版は、文章の冒頭で王に言及する必要があるという理論に基づいている。

陰謀家たちは、ダニエルが勅令に違反した証拠を手に、再び、王の宮廷に群がりました。
12節の「王の禁令について(concerning the king’s decree)」の句読点と翻訳は、RSV英訳聖書では文章の冒頭で王に言及する必要があるという理論に基づいています。
つまり、RSV英訳聖書の「禁令について、「王よ」(concerning the interdict, ‘O king!’)」という訳よりも適切です。
いずれにせよ、聖書に記録されているのは、会話の要約です。
KJV英訳聖書の神は「神」、つまりあらゆる神々と訳されるべきです。
彼らは、まず禁令が署名されたかどうかを尋ねました。
王は、禁令は正式に執行され、「取り消しのできないメディヤとペルシヤの法律のように」、その禁令が国の法律であると彼らに保証しました。
彼らはこのように保証した上で、ダニエルを非難し始めました。
ダニエルは名誉ある地位にある大臣としてではなく、「ユダからの捕虜のひとり」として紹介されています。
彼らはダニエルが王とその禁令を無視し、一日三回神に祈りを捧げたと非難しました。

彼らがこの告発に自信を持てたのは、そもそもこの勅令の正当性があったからです。
聖書には、ダリヨス王と勅令を求めた役人たちとの会話がすべて記録されているわけではありません。
彼らは、この勅令によって王国中のすべての民がダリヨスを支配者として認め、ダリヨスの名において神々に祈りを捧げるよう強いる手段として、この勅令を正当化したのかもしれません。
多神教を崇拝する異教徒にとって、この勅令に不快感を与えるような要素は何もありません。
王国内でそれでも王に反抗している者を特定するのに有効な手段だったのです。

しかし、今、ダニエルに罠が仕掛けられた王はすぐに布告の真意を見抜きました。
ネブカドネザルがダニエルの仲間たちに怒りをぶつけたように、王はダニエルに怒りをぶつけるどころか、自分の過ちを認め、あらゆる法的手段を講じてダニエルを救う抜け道を探ろうとしました
しかし、その努力は徒労に終わりました。
その日の夕方、再び王の前に集まった役人たちは、自分たちの慣習や信仰によって法律を変えることはできないことを王に念を押しました。
神々の代表者として、布告した以上、王は布告を執行しなければなりません。
ダニエルを獅子の穴に投げ込めという命令を下す以外に道はありません。

獅子の穴に投げ込まれたダニエル

「そこで、王が命令を出すと、ダニエルは連れ出され、獅子の穴に投げ込まれた。
王はダニエルに話しかけて言った。「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように。」
一つの石が運ばれて来て、その穴の口に置かれた。王は王自身の印と貴人たちの印でそれを封印し、ダニエルについての処置が変えられないようにした。」
(ダニエル書6章16、17節 )


ダリウスは、署名した禁令に従い、ダニエルを獅子の穴に投げ込むよう正式に命令を出しました。
しかし、その執行に先立ち、王がダニエルにこのように言ったことは特筆に値しています。
「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように」これは「あなたがいつも仕えている神が、必ずあなたを救い出してくださる」とも訳すことができます。
これは、RSV英訳聖書の「あなたの神が…あなたを救い出してくださるかも知れません(May your God… deliver you.)」という訳よりも正確です。
つまり、王は「私はあなたを救おうと試みたが、失敗しました。
今、あなたの神が汝を救ってくださるはずです」と言っています。[308]
ダリウスのこの確信からわかることは、ダニエルの個人的な敬虔さと神への忠実さが王に深い感銘を与え、この感銘によって、ダニエルの神が窮地に陥ったダニエルを救ってくれるというダリウスに確信が生まれたことです。

しかし、布告は執行されました。
ダニエルは獅子の穴に投げ込まれ、その穴の入り口には、布告の執行と履行の証として王の印が押された石が置かれた。
ダリヨス自身でさえ、いかなる人間の手も介入することは出来ません。

カイル氏は、近代に発見された獅子の巣穴についての興味深い記述をしています。
カイル氏は次のように述べています。
「古代人が獅子の洞窟を建設した記録は残っていません。
ゲ・ホスト氏はフェズとモロッコに関する著書77ページで、モロッコで発見された獅子の洞窟について記述しています。
彼の記述によると、洞窟は地下の大きな四角い洞窟で、中央に仕切り壁があり、扉が備え付けられており、飼育係が上から開閉できます。
餌を投げ入れることで獅子を一方の部屋からもう一方の部屋へ誘い込み、扉を閉めてから空きスペースに入り、掃除をします。
洞窟の上部は開いており、入り口は1.5ヤード(約3.5メートル)の高さの壁に囲まれており、その壁越しに洞窟の中を見下ろすことができます。
この記述は、本文で獅子の洞窟について述べられていることと完全に一致します。」[309] カイル氏はさらに、洞窟を囲む壁に扉があり、飼育係と獅子はそこから出入りできたと説明しています。
石が据え付けられている間を除いて、獅子は城壁の中に入ることができました。
そのため、石が門から取り除かれる前にダリウスはダニエルと自由に会話することができました。

ダニエルに対する王の嘆き

「こうして王は宮殿に帰り、一晩中断食をして、食事を持って来させなかった。また、眠けも催さなかった。
王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。
その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。
「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」」
(ダニエル書6章18~20節)


ダニエルの三人の仲間が火の炉に投げ込まれた時、ネブカドネザルが彼らに全く同情を示さなかったのとは対照的に、ダリウスは並外れた懸念を示しました。
彼は残虐な行為や犯罪者の処刑に慣れており、普段はこのような問題を深く考えるような人物ではありません。
この場合はダニエルに関する何かが王の感情を揺さぶりました。
16節で王はダニエルに「あなたがいつも仕えている神が、あなたをお救いになるように」と述べていますが、ダニエルの救いを心から信じていたわけではありません。
王にとって、初期のバビロニア史のダニエルの仲間が脱出した話や、イスラエルの民が奇跡的に救い出された話から生まれた、かすかな迷信に過ぎなかったことは明らかです。
ダニエルへの深い悲しみに顧みて、聖書は王が断食し、いつもの「食事(楽器?)」も断ち、眠ることができなかったことが記録されています。

英訳聖書にある「楽器(instruments of music)」という表現は、その意味が不明確であるため、疑問視されています。
ローゼンタール氏は「テーブル」という訳語を提案しています。
これはアラビア語訳と「ラシ(Rashi)」(注釈)によって裏付けられます。[310] [311]
その意味は、食事を盛り付けるテーブルです。
現在の知識では、RSV英訳聖書の「娯楽なし」という訳語が、曖昧ですが、最善の解釈です。
いずれにせよ、王がこのような形で夜を過ごすことは極めて異例なことでした。
おそらく、王は生涯でこのような経験をしたことがなかったはずです。

夜が明け、早朝の薄暗い光の中、王は急いで獅子の穴へ向かいました。
おそらく、早朝の光と獅子の穴の影で何も見えなかったかも知れませんが、王はダニエルに呼びかけました。
その呼びかけ方も実に興味深いものです。
王はダニエルを「生ける神のしもべ」と呼んでいます。
そして、再び「あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか」と問いかけています。
王がそれを可能だと考えていたことは、彼が早朝に獅子の穴へ行き、ダニエルを呼んだ事実によって裏付けられます。
しかし、彼が実際には何も信仰を持っていなかったことは、ダニエルを呼んだときの「悲痛な声」から分かります。
「悲しげな」というアラム語は「アアシブ(àas£i‚b)」で、「悲しい」という意味です。
そのため、RSV英訳聖書では「苦悩の口調(tone of anguish)」と訳されています。
彼は、自分の呼びかけに応じて沈黙と獅子のうなり声だけが返ってくるのではないかと恐れていたのです。

ダニエルの救い

「すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。
私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。
それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」
そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出されたが、彼に何の傷も認められなかった。
彼が神に信頼していたからである。」
(ダニエル書6章21~23節)


王の問いかけに応えて、驚愕する王の耳に、獅子の穴からダニエルの穏やかな声が響き渡りました。
いつものように丁寧な挨拶です。
「王さま。永遠に生きられますように。」
ダニエルのような窮地に陥った大抵の人は、獅子からの救いを求めて即座に叫ぶはずです。
しかし、ダニエルは挨拶の後、神から遣わされた御使いによって獅子の口が閉じられ、獅子は王を傷つけることができなかったと王に伝えています。
ダニエルはこれが神の力だけでなく、ダニエルが神に対しても王に対しても罪を犯していない事実にも帰しています。

聖書には、王が寵愛する助言者の救いに大いに喜び、ダニエルを獅子の穴から引き上げるよう直ちに命じたと記されています。
聖書は明確に述べていませんが、このことは、獅子が逃げ出さないように、まず、獅子を洞窟の別の場所へ誘い出すという必要な前処置をしながら、石を取り除く時間を取らずに、ダニエルがロープを使って、直接穴から引き上げられたことを意味していると思われます。
王とその家臣たちの不信仰な目には、ダニエルは神への信仰ゆえに何の害も受けていないように見えたのです。

「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました」
(ヘブル人への手紙11章33、34節)


3章で炎がダニエルの仲間たちに火の匂いさえももたらさなかったように、獅子は神の預言者に触れることを許されません。

滅ぼされたダニエルの敵

「王が命じたので、ダニエルを訴えた者たちは、その妻子とともに捕えられ、獅子の穴に投げ込まれた。
彼らが穴の底に落ちないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。」
(ダニエル書6章24節)


ダニエルを告発した者たちの悲惨な結末は、神の預言者の敵に対する神の義の行為として記録されています。
聖書によれば、ダニエルを告発した者たちは妻子と共に獅子の穴に投げ込まれ、たちまち獅子に食い尽くされました。
このような蛮行は古代世界では珍しくありません。
ダタン、アビラム、コラとその家族が地震に飲み込まれた際に主が下した裁き(民数記16章)に見られるように、悪人に対する神の裁きにも類似点がないわけではありません。
この処罰は、律法における偽証の扱いに関する戒め(申命記19章16~21節)に則っています。
この「連帯責任」の原則は、ハマンの例にも示されています。(エステル記7章9~10節)

批評家の中には、120人の役人とその妻子を一つの獅子の穴に投げ込むことなど不可能だと嘲笑する者もいます。
例えばモンゴメリ氏は、この「悲劇的な結末」と物語全体を「実に不条理」だとみなしています。[312]
七十人訳聖書は、この批判に対抗するためか、ダニエルと共に大臣を務めた二人の男、つまりダニエルを告発した主たる人物だけを犠牲者としています。[303]
聖書自体は、すべての君主や大臣が獅子の穴に投げ込まれたとは述べておらず、ダニエルを告発した者、つまり首謀者だけが投げ込まれたと述べています。
これは、もしダニエルに対して陰謀を企てようとする者がさらに現れれば、彼らも王の怒りと神の裁きを受けるかもしれないという警告となります。
ダニエルを偽って告発した人々の経験は、神がアブラハムの子孫を祝福した者を祝福し、彼らを呪う者を呪うと約束したアブラハム契約の基本に対する神の忠実さを示す別の例証となります。(創世記12章3節)

ダリヨスの勅令


「そのとき、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。「あなたがたに平安が豊かにあるように。
私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。
この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇蹟を行ない、獅子の力からダニエルを救い出された。」
このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた。」
(ダニエル書6章25~28節)


ネブカデネザルが3章と4章で行ったように、ダリヨスは全領土に勅令を発布し、あらゆる場所で人々にダニエルの神を畏れるよう呼びかけました。
「全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たち」に宛てた勅令の碑文は、ダニエル書4章1節と非常によく似ています。
どちらの場合も、ダニエルが王の命令に従って実際に筆記者として行動していたのかもしれません。
もしくは、身元不明の筆記者が通常の手紙の書き方に従っていたのかもしれません。
どちらの場合にせよ、王は世界が自分の足元にあることを当然のことと考え、宛名の中で全世界を包括するような大胆な言葉遣いを使っています。
「あなたがたに平安が豊かにあるように」という表現はダニエル書4章1節に見られるものと同じり、新約聖書にあるパウロの手紙の一つを彷彿とさせます。

この勅令は簡潔で要点を突いており、ダリウス王国中の人々に「ダニエルの神の前に震え、おののけ」と呼びかけています。
ダニエルの神は生ける神、揺るぎない神、その王国が滅びることなく、その支配が終わりまで続く神として描写されています。
「永遠に堅く立つ方」よりも、RSV英訳聖書の「永遠に続く」と訳す方が、正確に訳されています。
重要なのは、メディア・ペルシャ人がバビロニア人を打ち負かすという急速に変化する状況においても、神は変わらないことです。
これもまた、ダニエル書4章3節と非常によく似ています。
この主権と力が属することの裏付けるものとして、神は救い出し、救出する力のある方、天と地の両方でしるしと不思議を行う力のある方、そしてダニエルを獅子の力から救い出すことによって実証した方として描写されています。
原文では26、27節は賛美歌の形をとっています。
ダニエルの時代の世界中に、再び、生きて、力強く、永遠であり、異教徒の神々よりも偉大な偉大な神についての知らせが伝えられました。

この章は、ダニエルがダリヨス王とペルシャのクロス王の治世下でも繁栄を続けた簡潔な歴史的記述で締めくくられています。
ここでも批評家たちは不正確さを主張しようと試みています。
考えられる説明としては、既に指摘されているように、ダリヨスはクロス王の下で総督を務め、後におそらくクロス王の死の際に王国をクロス王に譲った、あるいはダリウスとキュロスがこの言葉で呼ばれる同一人物です。
もしくは同じ立場として理解されたかのいずれかだと考えられます。

この章は、神が奇跡を起こしてご自分の僕たちを死から救い出すことができると力強く主張しています。
これは聖書に疑問を抱きがちな人々の不信を掻き立てるような言葉で表現されています。
この章は神がご自分の民をいかに大切に思っておられるかを深く示しています。
歴史的な出来事であり、文字通りの描写として受け止めるべきものです。
3章と同様に寓話的な側面も持ち、異邦人の時代の終わりに起こる大患難時代に、イスラエルの民が迫害者たちから最終的に救い出されることを予示しています。
最終的にキリストの再臨において神の力が示される時、イスラエルを迫害する者たちと神の敵たちは、ダニエルの敵たちと同様に裁かれ、滅ぼされます。
しかし、ダニエルのように、迫害を受けている神の民は、どんな犠牲を払おうとも忠実であり続けなければなりません。

[289] H. H. Rowley, Darius the Mede and the Four World Empires in the Book of Daniel, p. 8.

[290] D. J. Wiseman, “Some Historical Problems in the Book of Daniel,” in Notes on Some Problems in the Book of Daniel, pp. 9-18.

[291] Rowley, pp. 30-36.

[292] 同上、 pp. 37-43.

[293] 同上、 pp. 19-29.

[294] 同上、 pp. 12-18.

[295 R. D. Wilson, Studies in the Book of Daniel, pp. 128 ff.

[296] Rowley, p. 19.

[297] J. Q. Whitcomb, Jr., Darius the Mede.

[298 Wiseman, p. 14.

[299] K. A. Kitchen, Ancient Orient and the Old Testament, pp. 30 ff.

[300] Wiseman states that the temple ritual was restored when agreement for the surrender of Babylon was reached (Ancient Orient and O.T., p. 10).

[301] J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, p. 269.

[302] Ibid.

[303] 同上、 pp. 269-70.

[304] 同上、 p. 270.

[305] F. Rosenthal, A Grammar of Biblical Aramaic, p. 96.

[306] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 134.

[307] Moses Stuart, A Commentary on the Book of Daniel, p. 171.

[308] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 216.

[309] The concept of “must deliver” is derived from the imperfect tense which in the Aramaic may be used in a way identical to the use of the imperfect in Hebrew to denote obligation (for the Hebrew usage, see P. P. Jouon, Grammaire de L’ Hebreu Biblique, p. 305). The tense is imperfect, not jussive as the RSV translators have construed it, because when the form is imperfect the suffix is preceded by -(i)nn, as it is here, whereas in the jussive imperative the suffix is attached directly to the verb (see Rosenthal, pp. 54-55).

[310] Rosenthal comments, “other traditional guesses consider the word a pi. fem.: concubines, food, musical instruments, perfume” (Grammar, p. 81).

[311] Rosenthal, p. 81. For further discussion, see Montgomery, pp. 277-78.

[312] Montgomery, p. 278.

[313] Ibid.


7章 ダニエルの未来の世界史の幻

聖書預言の解釈において、ダニエル書7章は特異な立場を占めています。
保守的な解釈によれば、ダニエルの幻は旧約聖書の中で最も包括的かつ詳細な未来の出来事に関する預言となっています。
その解釈は多岐にわたりますが、例外は少ないものの保守的な学者たちは、ダニエル書がバビロン、メディア・ペルシャ、ギリシア、ローマという四大世界帝国の軌跡を描き、世界史のクライマックスであるイエス・キリストの再臨と、天からの5番目の最後の王国として表現される神の永遠の王国の成立に至るという点で、少数の例外を除いて保守的な学者の間では、おおむね一致している事柄です。[314]

このように解釈されるならば、この章は未来の出来事の大まかな概要を形成しています。
そして、ダニエル書と新約聖書、特にヨハネの黙示録において、後ほどさらに詳細が述べられることになります。
このような未来の出来事の全体像は、預言を研究する者にとって非常に重要です。
なぜなら、それは他のすべての預言的出来事が関連する大まかな概要を提供するからです。
保守的な解釈者たちは、これが真実な預言であり、未来を預言するものであり、ダニエルの視点から見た未来の出来事と関連しており、その頂点はキリストがもたらす王国であることで一致しています。

ケイル氏は「四つの世界王国」の議論の序文で、7章で取り上げられている問題をうまく要約しています。
彼は次のように書いています。

ネブカドネザルの像(2章)と、ダニエルの海から四つの獣が立ち上がる幻によって象徴されている歴史上の世界王国とは一体何なのでしょうか?
この疑問がいまだに残っています。
多くのさまざまな解釈者は、これら二つの幻は同じ解釈であることを理解しています。
「頭から足まで、人間の像の異なる部分によって象徴される四つの王国あるいは王朝(2章)は、海から立ち上がる四つの巨大な獣によって象徴された王国あるいは王朝と同じ存在です。」[315]

カイル氏は続けています。
「一般的に教会で受け入れられている解釈は、これらの四つの王国とは、バビロニア王国、メディア・ペルシャ王国、マケド・ギリシア王国、そしてローマ王国です。
ルターは、「この解釈と見解は全世界で一致しており、歴史と事実がそれを十分に裏付けてられている」と述べています。
この見解は前世紀末頃まで広く信じられていました。
というのも、それ以前の解釈者たちによる反対意見は受け入れられてこなかったからです。
しかし、聖書預言の超自然的起源と性質に対する信仰が自然科学と合理主義によって揺るがされた時代以降、ダニエル書の真実性が否定され、第四王国がローマ世界君主制を指していることも否定されてきました。」[316]

保守派の学問は、四番目の王国をローマ王国と解釈し、二番目の王国と三番目の王国をメディア・ペルシャ王国とギリシア王国とみなす確固たる根拠を持っています。
カイル氏が指摘し、ルターも支持しているように、正統派の有力な見解は初期教会以来、常にこの立場をとってきました。
紀元前3世紀にキリスト教に反対し、偽ダニエルが紀元前2世紀にダニエル書を書いた説を考案したポルピュリオス氏は、近代高等批評が盛んになるまでキリスト教からの支持が得られていません
したがって、紀元前2世紀に書かれ、その時点で成就したダニエル書を預言ではなく歴史とみなす試みは、正統派からは支持できないことです。
それに伴い、四番目の王国がローマではなくギリシアであるという見解も、ダニエル書によって裏付けられていません。
新約聖書や歴史的成就とも矛盾するとして、保守派の学者たちから否定されてきました。

キリストご自身がマタイによる福音書24章15節で、ダニエル書12章11節の荒らす憎むべき者は過去ではなく未来の出来事として預言されました。
1世紀後半に書かれたヨハネの黙示録の預言も、ダニエル書にある類似した預言の成就を未来として先取りしています。
たとえば、ヨハネの黙示録13章はダニエルの四番目の帝国の最終段階と並行しています。
したがって、これは紀元前2世紀に成就した出来事を指しているわけではありません。
ダニエル書9章26 節では、メシアが断たれ、エルサレムの町が破壊されると預言されていますが、これはローマ時代に起こった出来事です。
1世紀末頃に生きていたエズラ記第二の著者は、ダニエルの幻の四番目の王国をローマ帝国であると明確に特定しています。
(エズラ記第二12章11、12節)
批評家たちの異なる見解は、ダニエル書の預言の詳細が批評家の理論と実際には一致していません。
そのため、ダニエル書の預言がいくつかの箇所で事実誤認であるとみなされる場合にだけ支持されてきました。
このような理由から、保守的な学者たちは、ダニエル書7章における四つの帝国を2章と同様に伝統的な方法で特定することに固執しています。

しかし、保守的な解釈は、未来の出来事に関するこのような詳細な預言の妥当性について、激しい批判に直面してきました。
一般的に、批判的な反論は、ダニエル書が紀元前2世紀の信心深い贋作であるという前提に基づいています。
批評家たちは、ダニエル書の真実な著者はアンティオコス・エピファネス(紀元前175~164年)による迫害の時代に生きていたと考えています。
ゆえに、紀元前2世紀の視点からそれ以前の4世紀を振り返り、彼にとって重要な方法で歴史を体系化し、当時進行していたマカバイの迫害のクライマックスを予期していると主張しています。
したがって、偽ダニエル書はアンティオコスをこの世の権力の邪悪さの象徴であると考え、それは間もなく神によって裁かれ、神が介入して、アンティオコスの下での圧政の支配をいと高き聖徒たちの支配に取って代わることとして信じていました。
もちろん、この解釈はダニエル書の多くの記述を、事実に基づかず、実際には全く聖書の預言ではないと解釈する必要があります。
彼らの見解は全体として、聖書を敬虔かつ信仰をもって研究した結果ではなく、ポルフィリオス氏の不信仰を拡大したものです。

批評家たちは、ダニエル書に対してある程度、論理的にアプローチしています。
つまり、将来の特定の出来事の預言とは信じ難いものであると想定しています。
したがって、ダニエル書の年代が後期であることを求め、これは預言ではなく歴史であると主張しています。
しかし、これは何度も H・H・ロウリー氏などの学者によって否定され、彼は次のように述べています。
「われわれが達した結論は、正確な預言を論理的に信じない思いから生まれたものではありません。
正確な預言を持っていない事柄の後から生じた実証から生まれたものです。」[317]
それでも、批判的な見解が展開されるにつれて、ダニエル書の内容自体が批判的な考えに非常に不快感を与えるものでした。
したがって、ダニエル書のさまざまな事実は、性質上または外部で確認する証拠がないため真実ではない漠然とした主張がなされていることは極めて明白です。

ダニエル書全体、特に7章の解釈にはさまざまなバリエーションがあることは、この分野の文献を読む人なら誰でも明らかです。
しかし、H・H・ロウリー氏によって定義された批判的見解がその代表例と言えます。
批評家によれば、ダニエル書2章と7章に登場する四つの帝国とは、バビロン、メディア、ペルシャ、ギリシアの4つの帝国のことです。
彼らの主張は多くの細部を包含していますが、その理論には二つの大きな裏付けがあります。
最初に、ダニエル書ではメディア王国のメディア人ダリヨスについて述べられています。
(ダニエル書5章31節、6章1節、6節、9節、25節、28節)
そのことから、実在していたことが示されています。
実際には、紀元前539年のバビロン陥落時にはメディア帝国は存在していません。
既に紀元前550年までにペルシャに併合されていたからです。
さらに、近年の発見は、ペルシャの王クロス自身がバビロン陥落の18日後、ベルシャツァルの祝宴の夜にバビロンに入ったという説を裏付けています。[318]

しかし、メディア人ダリウスについて誤りとされているものとして、ダニエル書には実際には存在しない教えを載せてあるとするものです。
ダリウスがメディア人であった事実は、ダリウスの民族を示すものですが、その帝国がメディア人のものであるかを意味することではありません。
ダニエル書6章は、当時メディア人ダリウスがバビロンで支配していた王国が「メディア人とペルシャ人」の王国であったことを明確に述べています。
(ダニエル書6章8節、12節、15節)
言い換えれば、ダニエル書自体が、この時点ではメディア人帝国ではなく、メディア・ペルシャ帝国であったことが明確に述べられています。
誤りは批評家の解釈にあり、ダニエル書の実際の教えではありません。

二番目の批判的議論は、四番目の帝国はギリシアであり、偽ダニエルが二世紀にこの書を書いた時点ですでに歴史上存在していたとするものです。
ならば、二番目、三番目の帝国はそれぞれメディアとペルシャとなります。
ダニエルによるこれらの帝国の「預言」が歴史的事実に合わないというのならば、それは偽ダニエル書の誤りとされます。
ここでの批判的アプローチの弱点は、H・H・ロウリー氏の議論において無意識ながら認識されています。
ロウリー氏は、四番目の帝国をギリシアと特定しようとする試みに多くの重点を置いています。[319]

ロウリー氏の著作ほど学識と研究の成果を誇張できるものは何もありません。
ダニエル書の保守的な解釈者は、ロウリー氏の解釈が聖書以外の情報源を強調し、不明瞭な小さな点を誇張し、ダニエル書自体の明白な記述を無視する傾向があることに気づいています。

モンゴメリ氏はロウリー氏よりもさらに極端な解釈を採用しています。
モンゴメリ氏はダニエル書を紀元前2世紀の著者に帰するだけでなく、ダニエル書の最初の6章は、7章から12章とは異なる著者によって、異なる時期に書かれた立場を取っているとするものです。
モンゴメリ氏は次のように述べています。
「ダニエル書の統一性に対する批判は17世紀に始まり、アラム語とヘブル語という言語の区別が注目されました。
スピノザ氏は1~7章と8~12章という2つの文書を発見し、後者をダニエル書の疑いのない著者に述べ、前者の起源については無知であることを認めています。」[320]
この主張を裏付けるために、モンゴメリ氏は7章が元々は現在のアラム語ではなくヘブル語で書かれたと主張しています。[321]
しかし、モンゴメリ氏は次のことを認めています。
「しかし、言語の多様性に基づく批判的な区別は、現在では一般的に否定されています。
ダニエル書の史実性を支持する者と批判する者がそれぞれとった極端な立場は、大きな論争を巻き起こしてきました。」 「批評家の大多数は、ダニエル書全体を紀元前6世紀か紀元前2世紀のどちらかに属しているものとして、通常、批評家側では複合的な起源の可能性については、全く議論されていません。
実際、多くの批評家は、その問題を無視しています。」[322]
モンゴメリ氏は、1つの偽ダニエル書という通常の批評的見解を超えて、少なくとも2つの偽ダニエル書が存在し、どちらも紀元前2世紀の作家であり、より古い資料を使用した可能性があるとする仮説にまで踏み込んでいます。

モンゴメリ氏は、このような見解はアイザック・ニュートン公が初めて提唱したものだとしています。
モンゴメリ氏は次のように述べています。
「「物語」と「幻」の区別は、アイザック・ニュートン公によって初めて提唱されました。
「ダニエル書」は、複数回、執筆された論文集です。
最後の6章には、ダニエル自身が複数回、執筆した預言が収められています。
最初の6章は、他の著者によって書かれた歴史的論文集です。
そして、1章、5章、6章は、ニュートン公の死後に執筆されました。」[323]
最終決定は、どの見解がダニエル書本文を最も納得のいく形で説明できるかという点においてのみ下されます。
ダニエル書7章に対する保守的解釈と批判的理論との固有の整合性は、各王国に関する解釈の項で検討されています。
ダニエル書が真正な聖書であるならば、もちろん保守的解釈を支持する傾向があります。
批評家が主張するようにダニエル書が偽書であり、その預言が実際には歴史であるならば、ダニエル書は多くの聖書解説者にとって全く意味をなさなくなります。
ローリー氏は、「採用されてきた批判的見解は信仰を破壊するのではなく、信仰に合理的な根拠を与える点で信仰を強化する」とする空虚な主張を展開しています。[324]
実際ローリー氏が言っているのは、選択は誤りに対する信仰と「真実な見解」、つまり批判的解釈に対する信仰との間である事柄です。

最初のダニエルの四つの大きな獣の幻

「バビロンの王ベルシャツァルの元年に、ダニエルは寝床で、一つの夢、頭に浮かんだ幻を見て、その夢を書きしるし、そのあらましを語った。
ダニエルは言った。「私が夜、幻を見ていると、突然、天の四方の風が大海をかき立て、
四頭の大きな獣が海から上がって来た。その四頭はそれぞれ異なっていた。」
(ダニエル書7章1~3節)


7章の冒頭で、ダニエルはバビロン王ベルシャツァルの治世元年に起きた「一つの夢、頭に浮かんだ幻」という驚くべき体験について述べています。
これは紀元前553年、バビロン陥落の14年前のことと思われます。
紀元前556年からバビロンの実質的な王となったナボニドゥスは、ベルシャツァルを共同支配者に任命し、アラビアでの軍事演習を指揮していました。[325]
ネブカドネザル自身はベルシャツァルが支配を始める9年前の紀元前562年に亡くなっているため、7章の出来事はダニエル書4章と5章の間に起こったことは明らかです。

ダニエルは、特定の時期の幻について言及することで、自分が受けた幻が紀元前6世紀の歴史的背景に起きたものとして、意識的に、意図的に根拠を置いています。
8章の幻は、ベルシャツァルの治世3年に日付が付けられています。
ダニエル書第9章1、2節によると、ダニエルはメディア人ダリウスの治世1年に、70年間の捕囚に関するエレミヤの預言を発見し、同章の後半で3回目の幻を見ました。
10~12章のダニエルの4番目の幻は、クロスの治世3年に起きました(ダニエル書10章1節)
11章には、御使いがメディア人ダリウスの治世1年に彼を力づけた以前の活動について触れられていますが、これはダニエルの預言的な部分に関連するもう一つの歴史的出来事として記されています。
これらはごく自然に導入され、物語に不可欠な要素となっており、ダニエル書が紀元前6世紀に起きた年代を裏付けています。

7章の冒頭で、ダニエルは自身の体験を夢と幻として語り、夢の中で幻を見たことが示されているのです。
ダニエル書の中で初めて、ダニエルに直接幻が与えられ、2節ではダニエルが一人称で引用され、夢の体験とその解釈を語っています。

ダニエル書全体との関係において7章の重要性については、これまで多くの議論がなされてきました。
保守派と革新派の解釈者の両方が抱く見解の一つは、ダニエル書が2つの部分に分かれており、最初の6章が1つの単位となり、次の6章が二つ目の単位となるものです。
世界史の観点から見ると、この見解には大いに評価すべき点があります。
なぜなら、7章のダニエルの幻は、特に2章のネブカドネザルの幻において以前に啓示されたことの要約であると同時に、ダニエル書の後半部分が中心的に扱っている世界史の概略でもあるからです。
最初の6章では、一般論が明らかにされています。
最後の6章では、異邦人の時代の終わりの詳細や、大患難の時代に言及しながらイスラエルと世界史との関係など、具体的なことが示されています。

文学的な観点から見ると、ダニエル書を物語(1~6章)と幻(7~12章)に明確に区分することは十分に裏付けられます。
さらに、7章には2章で示された期待をより明確に表現した、半詩的な表現が含まれています。
終わりの章で示された説明と散文的な詳細を踏まえると、ダニエル書を2つの部分に分けることは、保守的な学者の大多数が結論づけているものです。

ロバート・カルヴァー氏が強く主張する別の見解は、ダニエル書が三つの主要な部分に分かれるというものです。
すなわち、
(1)序論、ダニエル書1章、
(2)異邦人の時代、これは当時の異邦人の共通語であったアラム語で述べられている、ダニエル書2~7章、
(3)異邦人に対するイスラエルの関係、これはヘブル語で書かれているダニエル書 8~12章です。[326]
カルヴァー氏はこれをオーベルレン氏の見解だとしています。[327]
この見解には称賛すべき点が多く、旧約聖書における神の二つの主要な計画、すなわち異邦人に対する計画とイスラエルに対する計画を区別している点で特に神学的に洞察力に富んでいます。
しかし、どちらの見解をとるにせよ、7章はダニエル書の啓示のハイライトであり、ある意味では、7章に先立つ内容も、この章に続く内容も、この章の詳細な啓示を中心に展開しています。

7章の導入部で注目すべきは、ダニエルに与えられた幻と2章でネブカドネザルに与えられた幻との鮮明な対比です。
2章では、邪悪で異教徒の王が神の啓示の媒体として用いられ、世界の歴史を人間の姿をした堂々としたイメージが描いています。
7章では、この幻は敬虔な預言者ダニエルを通して与えられ、世界の歴史は4匹の恐ろしい獣として描かれ、最後の1匹は何も描写できないほどです。
2章では、ダニエルが解釈者です。
7章では、御使いが解釈者です。
2章では、人間の視点から世界の歴史を壮大で堂々とした光景として考察されています。
7章では、神の視点から世界の歴史をその不道徳、残忍性、堕落性について考察されています。
預言の詳細については、7章は2章をはるかに超えており、ある意味では以前の啓示の解説となっています。

批評家たちはダニエル書7章の信憑性に対して最も厳しい批判を集め、多くが軽蔑的に扱ってきました。
しかし、そうすることで、彼らが神の啓示を判断する人為的な基準を明らかにするだけです。
その一方で、保守的な学者たちは、7章を聖書の偉大な預言の1つであり、バビロンからキリストの再臨に至るまでの神の計画全体への鍵として称賛されてきました。
批評家たちは、この章の原形はヘブル語で、後にアラム語に翻訳されたと主張しています。[328] しかし、ダニエル書自体が偽造である前提を除けば、これを正当化したり、文書で裏付けたりすることは実際には何もありません。
文学的な観点からすると、ダニエル書のアラム語部分は異邦人世界を扱っており、当時共通語として一般的に使用されていたアラム語で書かれているのはごく自然なことです。

ダニエルは2節から、1節で「あらましあらましと呼んでいるもの、つまり彼が「見た」と述べている幻の詳細を記録しています。
(7章7、13節を参照にしてください。
「見た」は7章4、6、9、11、21節を参照にしてください。)
「私は見た」と「私は見ていた」という言葉は、アラム語では同じ動詞 (h£a„ze„h ha†we‚th) であり、「私が見ていた時」と訳すことができます。
7章8節の「考える」という動詞は別の言葉です。
この幻の中で、四つの風が大海原でかき立てられているのが見られます。
象徴的に、海は人類の集まり、あるいは世界の諸国民を表していると考えられます。
マタイによる福音書13章47節とヨハネの黙示録13章1節でも同様です。
(イザヤ書8章6~8節、エレミヤ書46章7、8節、47章2節、ヨハネの黙示録17章1節、15節を参照にしてください。)
7章17節では海は地と同一視されており、明らかに象徴的です。
海の荒波は、異邦人の歴史における争いを表していると考えられます。
(イザヤ書17章12、13節、57章20節、エレミヤ書6章23節)[329]

カイル氏は次のように述べています。
「大海とは地中海ではありません。
そのような地理的な言及は文脈にそぐいません。
大海とは大洋であり、その嵐は「民の騒乱」、世界の諸国間の騒乱を象徴しています。
これはエレミヤ書17章12節、46章7節以降の預言的な比較に対応しています。
「獣は世界権力の形態を象徴しているから、海はそれらが生じたもの、すなわち異教世界全体を象徴しています。」(ホフマン)」[330]

カイル氏は続けてこのように述べています。
「天の風は、神が世界の国々を動かす天の力と勢力を表しています。」[331]
カイル氏はまた、4という数字には、地球の4隅すべて、つまりすべての民族とすべての地域の人々を表す象徴的な意味があることを見出しています。[332]
しかし、海は、この後に続く幻の背景に過ぎません。
ダニエルは、海からそれぞれ異なる4つの大きな獣が出てきたことを記録しています。

リューポルド氏[333]のような注釈者たちは、カイル氏の見解に同意し、この幻の冒頭の主要な要素、すなわち天の四つの風、大海、そして四つの大きな獣が普遍性を示しています。
海は諸国民を、四つの大きな獣は後に啓示される四つの大世界帝国を象徴していることは明らかです。
もしそうだとすれば、四つの風は何を意味するのでしょうか。

聖書は何も述べていませんが、風が世と争うことは、神の主権が人と争うことの象徴です。(創世記6章3節、ヨハネの福音書3章8節)
預言的な意味は、神の主権が罪深い人間と対立することかもしれません。
神は何度も風を、ご自身の目的を達成するための手段として用いられました。
(創世記 8章1、出エジプト記10章13~19節、14章21節、15章10節、民数記11章31節、列王記第一18章45節、19章11節)
ヨブ記1章19節でサタンが風を用いていることと比較してみてください。
聖書には風に関する記述が120回以上(旧約聖書で90回以上、新約聖書で約30回)ありますが、その半分以上は神の主権と力を反映する出来事や思想に関連しています。
ダニエル書において、風は常に神の主権を表すために用いられており、この書の視点です。
異邦人の歴史は、神が諸国民と闘い、最終的にキリストが再臨して支配される際に彼らを服従させる記録です。(詩篇2篇)

最初の獣。バビロン

「第一のものは獅子のようで、鷲の翼をつけていた。見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。」
(ダニエル書7章4節)


ダニエルは、最初の獣は獅子のようでありながら鷲の翼を持つと記しています。[334]
ダニエルが「見ていると」、あるいはリューポルド氏の言葉を借りれば「見続けていた」、つまりじっと見ていた時ということになります。[335]
ダニエルは獣の翼が引き抜かれ、獣が地から引き上げられ、人間のように立ち上がらされ、人の心、すなわち人間の霊や性質を与えられたのを見ました。
ダニエル書の解釈者たちは、リベラル派であれ保守派であれ、おおむね7章は2章の要約であり、同じ4つの帝国を扱っている点で一致しています。
同じ様に、最初の帝国はネブカドネザルの治世、あるいは新バビロニア帝国を表す点においても意見が一致しています。
この特定について、ローリー氏は次のように述べています。
「この点については何も異論はありません。
ダニエル書2章38節には、ダニエルがネブカドネザルに「あの金の頭です」と具体的に告げたことが記されています。
したがって、この章における最初の王国とは、ネブカドネザルの治世、あるいは彼が代表する新バビロニア帝国のいずれかであることに疑いの余地はありません。
少数の者は前者の見解をとっていますが、大半の者は後者の見解をとっています。[336]

ロウリー氏はまた、少数の例外を除けば、2章と7章の第一王国の特定については学者たちの意見が一致していると指摘しています。
ロウリー氏によると、例外の一つは「ヒッツィグ(Hitzig)」で、彼は2章の最初の二つの帝国をネブカドネザルの王国、ベルシャツァルの王国と考えましたが、7章では最初の獣をベルシャツァルと同一視しています。[337]
ロウリー氏はまた、7章の最初の獣はエジプトを表すとするアードマンス氏の見解と、メディア帝国を表すとするコンリング氏とメルクス氏の見解を引用しています。[338]
彼はさらに、「しかし、そのような稀な例外を除けば、新バビロニア帝国が再び意図されている点については完全に合意されている」と述べています。
7章の最初の獣の特定については、この章の他のどの点よりも多くの意見が一致しています。[339]
啓示の要素は極めて重要です。
獣は鷲の翼を持つ獅子に例えられています。
獅子は王権の象徴としてよく用いられます。
例えば、ソロモンは王座に続く階段の両側に12頭の獅子を置きました。
(列王記第一10章20節、 歴代誌第二9章19節)
翼のある獅子はバビロニアの王宮の門を守っていました。
獅子はまさに獣の王です。
同じ様に、鷲は空の鳥の王でした。
エゼキエル書17章3節と7節では、大きな鷲がまずバビロンを、そしてエジプトを象徴するものとして用いられています。

鷲の翼を持つ獅子の象徴が示す力にもかかわらず、ダニエルは幻の中で、翼をむしり取られ、獅子が人間の心を持つ獅子として人間のように立ち上がるのを見ます。
これは4章におけるネブカドネザルの経験を象徴的に表現したものだと一般的には解釈されています。
ネブカドネザルは神の前で謙虚になり、偉大な支配者ではあっても人間に過ぎないことを悟りました。
ネブカドネザルの獅子のような特徴、つまり王権は、神の御心によってだけ与えられたものでした。
この象徴は正確であり、歴史的事実と一致しています。
リューポルド氏は次のように述べています。
「これは間違いなく、4章で詳細に語られているネブカドネザルの経験のことを述べています。
この出来事は、獣が人間のようになることが可能な限り、バビロンが獣のような性質を失ったことを意味しています。」[340]
この幻の中でダニエルはバビロン陥落については詳しく述べられていません。
このことは5章で詳しく述べられています。
そして、バビロンの衰退とメディア・ペルシャ帝国の台頭は暗示されています。
他の預言者たちもバビロン陥落について詳細に語っています。
創世記11章でバベルの塔のことが述べられて以来、主要預言者イザヤ、エレミヤ、エゼキエルがバビロンの将来について語るまで、聖書にはバビロンについての言及はありません。
イザヤはバビロンの陥落をソドムとゴモラの陥落に似ているものとして描写しています。
(イザヤ書13章1~22節)
特にメディア人についてはイザヤ書13章17~19節で述べられています。
イザヤ書13章20~22節では、キリストの再臨におけるバビロンの滅亡が示されています。
(ヨハネの黙示録17章を参照)
バビロンに関するもう一つの長めの預言はイザヤ書47章にあります。

バビロニア人によるエルサレムの占領を目の当たりにしたエレミヤは、預言書全体を通してバビロンについて言及しており、その中で最も重要な箇所はエレミヤ記25章11~14節、29章10節、50章1節から51章62節です。
エレミヤ記の最後の3章は、すべてバビロンに捧げられています。
捕囚の身となったエゼキエルもバビロンのことで頭がいっぱいで(エゼキエル記17章12~24節)、エレミヤと同様にバビロンによるエジプト征服について預言しています。
(エゼキエル記29章18~20節、30章10~25節、32章1~32節)
後にダニエルが著述し、バビロンに関するこれらの預言に結び付けています。

第二の獣、メディア・ペルシャ

「また突然、熊に似たほかの第二の獣が現われた。その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。
するとそれに、「起き上がって、多くの肉を食らえ。」との声がかかった。」
(ダニエル書7章5節)


ダニエルの幻に出てくる第二の獣は、熊に相当すると描写されています。[341]
ダニエルが観察していると、熊は片側に起き上がり、その口の中に3本の肋骨があるのに気づきます。
ダニエルは熊に「起き上がって、多くの肉を食らえ」という命令が与えられるのを聞きます。

最初の獣をバビロンと同一視する意見の一致とは対照的に、第二の獣の解釈には多様性があります。
モンゴメリ氏[342]、ロウリー氏[343]、R・H・チャールズ氏[344]といった批評家、事実上、すべてのリベラルな高等批評家は、第二の獣をメディア帝国と同定しています。
ロウリー氏は、この同一視を圧倒的に支持する根拠を挙げており、それはダニエル書の「ペシタ(Peshitta)訳」、「エフライム・シルス(Ephraem Syrus)」、そして「コスマス・インディコプレウステス(Cosmas Indicopleustes)」に見られています。
また、マイの「(Scriptorum Veterum Nova Collectio)」に収録されている匿名の注釈者にも見られています」[345]と述べています。
ロウリー氏は、この長らく忘れ去られていた説が18世紀に復活したことを指摘しています。

その現代の信者の中で、彼は次のような印象的な学者グループを挙げています。
アイヒホルン氏、デヴェット氏、デレザー氏、フォン・レンゲルケ氏、マウラー氏、バーデ氏、ヒルゲンフェルト氏、ブリーク氏、ウェストコット氏、デイヴィッドソン氏、カンプハウゼン氏、クラニヒフェルト氏、グラーフ氏、デーリッチュ氏、クーネン氏、ロイス氏、ヴァトケ氏、これらの者たちをローリー氏は、彼らを古代学者としています。
また、シューラー氏、マインホルト氏、ベーヴァン氏、ベーアマン氏、フォン・ガル氏、カーティス氏、ビュール氏、プリンス氏、ドライバー氏、マルティ氏、ベルトレー氏、シュトイナーゲル氏、アンドリュース氏、ハラー氏、バウムガルトナー氏、モンゴメリ氏、チャールズ氏、ウィレット氏、オビンク氏、アイスフェルト氏、ローリー氏はこれらの者たちを、近代の学者して挙げています。[346]

(Eichhorn, deWette, Dereser, von Lengerke, Maurer, Bade, Hilgenfeld, Bleek, Westcott, Davidson, Kamphausen, Kranichfeld, Graf, Delitzsch, Kuenen, Reuss and Vatke, whom Rowley designates as the older scholars, and the more recent scholars, Schurer, Meinhold, Bevan, Behrmann, von Gall, Curtis, Buhl, Prince, Driver, Marti, Bertholet, Steuernagel, Andrews, Haller, Baumgartner, Montgomery, Charles, Willet, Obbink, and Eissfeldt.)

保守的な学者は少数派ではあるものの、ダニエル書の正確さを主張する学者の大半が第二の王国をメディア・ペルシャ王国とみなしていることに注目に値します。
ローリー氏自身も、自身の見解が第四の王国をギリシア王国と特定することにかかっていることを認めています。
これは、既に述べたように、最初にダニエル書が偽書である結論、二番目に預言は未来の出来事について詳細に正確に述べることはできないという仮定に基づいています。

第二の王国をメディア・ペルシャ帝国と特定する説は、ロウリー氏自身も「伝統的な特定」と認めていますが、現代における最も偉大な旧約聖書学者の一人、ロバート・ディック・ウィルソン氏によって巧みに裏付けられます。
彼の著書「ダニエル書研究」は、リベラルな見解を徹底的に論破しています。
ロウリー氏はこの著作を辛辣に退けているにもかかわらず、ウィルソン氏の主張に実際に反論した者はいません。

近年の発見により、第二の帝国は実際にはメディア・ペルシャ帝国であったことが疑問の余地なく証明されました。
ペルシャの支配者クロス自身は1ヶ月足らずでバビロンを征服しており、この時代に独立したメディア帝国が存在した神話は事実に裏付けられていません。
リベラルな立場では、第二の獣の幻は歴史的事実と一致しない偽りの預言であると主張しなければなりません。
ダニエルの啓示が真実に神からのものならば、それは歴史自体が記録している事実と正確に一致しています。
ダニエル書6章では、8節、12節、15節のように、メディア人とペルシャ人の連合王国がくりかえし述べられています。
これらの言及だけでも、ダニエル書に誤った非歴史的なメディア王国に属するものとする批評家の口を閉ざさせるはずです。
ダニエルの記録は歴史と一致していますが、批評家の見解は一致していません。

ダニエルの啓示が真実な預言であるならば、熊の象徴は何でしょうか?
通常、この動物は旧約聖書における象徴とは関係がありません。
その意味は、第二の帝国が熊のように力強く、獰猛である(イザヤ書13章17、18節)ものの、威厳、俊敏さ、栄光は劣ることです。
ヨハネの黙示録13章の獣は、これまでのすべての獣の特徴をその力に集約し、熊のような足を持つと言われています。(ヨハネの黙示録13章2)

横たわっているように見える熊は、体を起こしているように描写されています。
もちろん、このような動作は熊のような扱いにくい動物に典型的なものです。
ドライバー氏が表現するように、「旧約聖書では、クマは獅子に次いでパレスチナで知られている最も恐ろしい猛禽類として語られています。
(サムエル記第一17章34節、アモス書5章19節、列王記第二2章24節、ホセア書13章8節を参照にしてください。)
同時に、力と外見では獅子に劣り、動きは重くて不格好です。」[347]
しかし、なぜこの獣は体を起こしているのでしょうか?
聖書は直接答えてはいないが、おそらく最も適切な説明は、それがペルシャ帝国とメディア帝国の一方的な統合を表しているものだと考えられます。
当時のペルシャは最後に繁栄したとはいえ、はるかに大きく強力であり、メディアを吸収してしまいました。
これは8章でも雄羊の二つの角によって表現されており、最後に伸びる角の方が高く、偉大です。
角の数が不揃いな雄羊は「メディヤとペルシヤの王」(ダニエル書8章20節)とされています。
この解釈は第二帝国のメディア・ペルシャ的特徴を裏付けるものであり、歴史的事実にも忠実です。

熊は口の中に3本の肋骨を持つと描写されています。
通常、熊は主に果物、野菜、根菜類を食べますが、空腹になると肉を食べ、他の動物や人間を襲います。
聖書は3本の肋骨の意味を明かしておらず、様々な説が提唱されています。
おそらく最も有力な説は、メディア、ペルシャ、バビロンをメディア・バビロニア帝国の3つの主要構成要素として表しているものです。
ヒエロニムス氏もこの説を提唱しました。[348]
ヤング氏は、バビロン、リディア、エジプトを象徴している別の見解を提示しています。[349]
ヤング氏はヒエロニムス氏の見解に異議を唱え、熊が自分を食い尽くすことになると主張しています。

しかし、熊は政治と軍事的征服の象徴であり、肋骨は征服された民衆です。
熊は征服を続け「多くの肉を食らえ」と命じられています。
これは明らかに、バビロン陥落後のメディア人とペルシャ人による更なる征服を指しています。
ヤング氏はこの命令を、熊の口の中に既にある3本の肋骨を単に食らえと解釈していますが、単に誤りです。
肉は肋骨と同じではなく、更なる征服を指していることは明らかです。
リューポルド氏は次のように表現しています。
「「起き上がって、多くの肉を食らえ」という命令は、肋骨の肉を食べることを意味しているのか、それとも、相当の征服を成し遂げた後に更なる征服を試みることを意味するのか疑問が生じています。
後者の解釈の方がより妥当であるように思われます。」[350]
征服されなかった国々の中には、リディアとエジプトが含まれています。
全体として、第二の獣の預言は、ダニエルの時代に始まり、紀元前336年のアレクサンダー氏大王の時代まで200年以上続いたメディア・ペルシャ帝国の特徴と歴史を正確に描写しています。

第三の獣、ギリシア

「この後、見ていると、また突然、ひょうのようなほかの獣が現われた。その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。
そしてそれに主権が与えられた。」
(ダニエル書7章6節)


ダニエルは次に、この幻を描写する際に、前述の二匹の獣とは異なる第三の獣を描きます。
第三の獣は豹に似ており、背中に四つの翼と四つの頭を持っています。
第三の獣は一般的にギリシア帝国とされています。[351]
この獣について語られているのは、支配権が与えられたことだけです。

「見ていると」という表現には、鋭い観察という意味合いが含まれています。
最初の獣である獅子と比較すると、ひょうは雄大さや威厳には劣るが、より機敏で、旧約聖書時代には猛禽類として非常に恐れられていました。
ひょうの速さは、ハバクク書1章8節で比較の基準となり、カルデア人の馬はひょうよりも速いと描写されています。
ひょうは獲物を待ち伏せします。
(エレミヤ書5章6節、ホセア書13章7節)
猛烈なスピードと敏捷性で襲いかかるのが特徴です。
ヤング氏は、並外れた大きさと力を持つひょうを表すために、「ひょう」ではなく「パンサー(panther)」という訳語を好んでいます。[352]
ひょうに備わる驚異的なスピード感は、背中の四つの翼によってさらに強調されます。
これらの翼は、最初の獣のように鷲の翼であるとは明言されていませんが、その存在はスピードという概念を強調しています。
重要なのは、獣の四つの頭に合わせて、正確には四つの翼があったという記述です。
一方、最初の獣では、翼の数は鷲のように二枚だけであると暗示されています。

4つの頭は明らかに獣の知的な指導を指し、頭が1つしかなかった以前の獣とは対照的に、第3の帝国には対応する頭を持つ4つの政府部門があることを示しています。

第三の帝国はペルシャであるという考えを熱心に推進するリベラルな批評家たちは、第三の獣をギリシアと同一視することに対して、多くの詳細な反論を持ち出しています。
そして、一見すると、アレクサンドロス大王統治下のギリシアの歴史は、ここで述べられていることと一致しているように見えます。

アレクサンダー大王は、ひょうの俊敏さで、マケドニアからアフリカ、そして東はインドに至るまで、文明世界の大半を征服しました。
彼の征服の電光石火の速さは古代世界に前例がなく、こひょうとその背中の四つの翼に体現されたスピードのイメージと完全に一致しています。

アレクサンドロス大王には4人の後継者がいたことは、歴史上周知の事実です。
カルヴァンはヒエロニムス氏にならい、プトレマイオス、セレウコス、フィリッポス、そしてアンティゴノスを後継者と考えました。[353]
カイル氏と現代の注釈書の多くは、イプソスの戦い(紀元前301年)でアンティゴノスが敗北した後、アレクサンドロス大王の死後約22年を経て登場した4人の王を称えています。
カイル氏によれば、これらの4人の王とその支配は、トラキアとビテュニアを支配したリュシマコス、マケドニアとギリシアを支配したカッサンドロス、シリア、バビロニア、そしてインドに至る東方の領土を支配したセレウコス、そしてエジプト、パレスチナ、そしてアラビア半島を支配したプトレマイオスのことです。[354]
6節の解釈は、ひょうをアレクサンドロス大王の王国、そして四つの翼と四つの頭をその四つの構成要素と特定するものです。
これはアレクサンドロス大王の死後に明らかになったものですが、他の見解においても提示されています。
保守派の学者ヤング氏は、第三の帝国がギリシアであることには同意するものの、四つの頭は地球の四隅を象徴すると考えています。
したがって、ヤング氏は、それが(カール大王とベヴァン大王に続く)ペルシャの四人の支配者、(ヒエロニムス大王とカルヴァン大王に続く)アレクサンドロス大王の四人の後継者、あるいはアレクサンドロス大王の征服地の地理的区分、すなわちギリシア、西アジア、エジプト、ペルシャを指しているわけではないと否定しています。
ヤング氏は「ここで四つの頭は地の四隅を象徴し、王国のエキュメニシティ(普遍性)を象徴している」と述べています。[355]
アレクサンドロス大王には後継者の将軍が4人おり、帝国を4つの地域に分割した明白な事実を考えるのであれば、四つの翼と四つの頭はギリシア帝国とその支配者を象徴していると解釈するのが最善の解釈だと思われます。
これは、第三の獣がギリシア帝国であるとの確証となります。
批評家たちが第二王国と第三王国をメディアとペルシャと特定していることについて、リューポルド氏は次のように述べています。
「私たちは、それら(四つの獣)がバビロン、ペルシャ、ギリシア、そしてローマであると、これまで以上に確信しています。
メディアが両王国の第二の王国である主張は説得力に欠けています。」[356]
四本の角をアレクサンドロスの王国の四つの分割に結びつける解釈は、預言的要素を排斥するためにこれをペルシャに関連づけようとする人々の解釈よりはるかに優れています。
ここでの問題は、ダニエル書でよくあるように、ダニエルが未来の出来事、この場合はギリシア帝国の四分割を、実際に起こる数百年前に正確に予見できるかどうかです。
これらの預言の解釈におけるリベラルな批評家の困難さは、彼らが誤った前提に立っていることのさらなる証拠です。
しかし、最初の三つの帝国の解釈論争は、ダニエルが見たように人類史の終わりまで続くことになります。
想像がたくましくしても、紀元前2世紀以前の歴史とは一致しない要素を多く含む第四世界帝国の解釈の問題と比較するならば、取るに足らないものです。

第四の獣、ローマ


「その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。
それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。
私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。
よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。」
(ダニエル書7章7、8節)


ダニエル書全体、特に7章の解釈において極めて重要な問題は、第四の獣の特定です。
この点について、リベラルな批評家は一般的に、第四の獣はギリシア、あるいはアレクサンダー氏大王の王国であると主張しています。
保守的な学者は、わずかな例外を除き、一般的に第四の獣はローマであると特定しています。

ローマの支配は、第一次カルタゴ紛争での勝利の結果、紀元前241年にシチリア島を占領したことに始まり、紀元前2世紀初頭までには地中海が急速にローマの湖と化してゆきました。
まず、スペインが征服され、続いて紀元前202年に北アフリカのザマの戦いでカルタゴが征服されました。
北イタリアの地域の制圧から始めたローマは、東に進軍し、マケドニア、ギリシア、小アジアを征服しました。
ローマの将軍ポンペイウスは、セレウコス朝(シリア)の残党を滅ぼした後、紀元前63年にエルサレムに侵攻しました。
その後、数十年の間に、ローマはライン川西側のイギリス南部、フランス、ベルギー、スイス、ドイツに支配権を拡大しました。
ローマ帝国は、それ以前の他の帝国の急激な台頭とは対照的に、4世紀以上にわたって徐々に成長を続け(紀元117年に最盛期に達した)、同様に3世紀から徐々に衰退してゆきました。
衰退は西暦5世紀に顕著となり、ローマ人は西暦407年にブリテン島から撤退し、410年には西ゴート族によるローマ略奪に見舞われました。
ローマ帝国、あるいはビザンチン帝国、最後の君主が戦死し、ムハンマド2世がコンスタンティノープルを征服したのは、西暦1453年のことでした。
この解説において問われているのは、ダニエル書がここで明らかに史上最大の帝国であったローマ帝国を描写しているのでしょうか?
ダニエル書の解釈者は、裏付けとなる証拠の評価、神学的な含意、そして、そこから導き出される預言的計画がほぼこの問いにかかっており、決断を迫られます。[357]

この問題においては、ダニエル書が真正な紀元前6世紀の文書か、もしくは紀元前2世紀の贋作かという問題が決定的な鍵となります。
ローリー氏は、第4王国はギリシアであるというリベラルな見解が偏見に由来するとする非難に強く反対し、保守派を非難する論拠を、自由主義を不当に非難するものとして転嫁しようとしています。
ローリー氏はチャールズ氏・H・H・ライトの言葉を次のように引用しています。
「ライトは次のように述べて、この問題に偏見を持ち込んでいます。
「現代学派が古い「ローマ」解釈に反対するのは、預言の預言的要素を何としても排斥し、旧約聖書と新約聖書の預言を古代の預言者の推測、あるいは事後ヴァティシニア(後世の預言)に過ぎないという立場にまで貶めようとする決意から生じています。」」
近代学派の成立以前、ギリシア的見解が長きにわたり、その支持者として多くの名を連ねていた事実が、この不当な発言に十分に反論しています。
批判学派の成立以来、ギリシア的見解が非難の余地のない正統派の学者たちによって支持され続けている事実は、この見解の根拠が偏見よりもはるかに確固とした根拠に基づいていることを十分に証明しています。[358]
リベラル派はこの問題に関して自分の偏見に気づいていないと言っても過言ではないと思います。
そこで、ロウリー氏自身も後の議論でその点を明らかにしています。
ローマ帝国とギリシア帝国の解釈を支持する、混乱を招くほど多様な見解を述べた後、ロウリー氏は次のように述べています。

したがって、ギリシア的見解を支持する人々の間では、この点に関して大きな意見の相違があります。
アンティオコス・エピファネスの時代までは、歴史解釈と幻は並行して行われていました。
両者は一体として考えられるものの、ここで預言に合致すると主張されるギリシア的見解の唯一の形態は、これらの章の構成を、現在、少なくとも私たちの目の前にある形では、マカバイ時代に位置づけるとする見解です。
この見解によれば、著者は神の霊に動かされ、同胞を励まし、アンティオコス・エピファネスによる同胞の宗教と文化への攻撃に抵抗するよう促した人物です。
もし、彼らが神に忠実であるならば勝利は彼らの手中にあると正しく認識していたはずです。
しかし、彼のメッセージは、実現しなかったメシア的希望に彩られていました。[359]
言い換えれば、ローリー氏自身は、ギリシアとする解釈を裏付ける唯一の合理的な根拠は、ダニエル書が紀元前2世紀に作られたことだと述べています。

第4の帝国をギリシア帝国と特定できるかどうかは、ダニエル書が紀元前2世紀の偽造である説に依存している重大な事実を認めていることだけではありません。
ローリー氏は、ギリシア帝国の解釈を信者の間で合意されたものにまったく裏付けることができていません。
彼の議論は、彼が拒否したり、単なる意見の問題として受け入れたりしている、交互の見解が入り混じる絶望的な迷路となっています。

この部分の解釈の多様性は、確かにこの聖書箇所を解説する者にとって混乱を招いています。
しかし、ダニエル書が紀元前6世紀の文書であり、したがって真実な聖書であるならば、ローリー氏が間接的に認めているように、ローマ帝国の解釈はギリシア帝国の解釈よりも一貫性があることになります。
これは特に、千年王国前再臨主義を信じる人々に適用されます。
ローマ帝国の解釈は、続く箇所の解釈によって裏付けられており、ダニエル書の預言は第四の王国をローマ帝国と特定することで、最もよく理解できる説明を与えることができます。

ダニエルは7節で、第四の獣を、彼が見つめた魅惑的な光景を描写しています。
第四の獣は「恐ろしく、ものすごく、非常に強くて」と描写されています。
この描写は、その巨大な鉄のきばによって裏付けられており、すでに知られているどのような動物とは一線を画しています。
ダニエルが見守る中、その獣は以前の王国の残骸を食い尽くし、打ち砕き、踏みにじる様子が観察されました。
ダニエルは、その獣がそれ以前のどの獣とも全く異なることを明言しています。

ここまでの獣の描写は、アレクサンダー大王の帝国よりは、ローマ帝国に適応されることは明らかです。
アレクサンダーは軍隊の迅速な移動によって征服を行い、征服した民を滅ぼすことは何もありません。
対照的に、ローマ帝国は文明と民族の破壊において容赦なく、数千人単位で捕虜を殺害し、数十万人単位で奴隷として売り飛ばしました。
これは、アレクサンダー自身、そしてその後に続いた彼の帝国の4つの分裂を描写するものとは言えません。
リューポルド氏は鉄のきばについて次のように述べています。
「それは間違いなく、並外れて貪欲で、残酷で、復讐心に溢れた世界大国を象徴しています。
ローマは征服に飽きることはありません。
カルタゴのようなライバルは、ただ打ち砕くだけでよかったのです。
「カルタゴは滅ぼされました。(Carthago delenda est)」
ローマは、征服した国々を高度な発展段階にまで引き上げることには全く興味がありません。
ローマの思想は帝国主義的でした。
「食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。」[360]
ダニエル書7章7節の描写は、マケドニア王国やその派生王国よりも、ローマ帝国にこそふさわしいものです。

第四の帝国をローマ帝国と解釈する上で最も決定的な論拠は、前述の通り、新約聖書がこの解釈に従っている事実です。
キリストが「荒らす憎むべき者」(マタイの福音書24章15節)について述べる際に、未来の出来事として預言されている神殿の冒涜をはっきりと描写しています。
たとえ、ヤング氏がこれを西暦70年[361]の神殿破壊と同一視するのが誤りで、これが大患難の始まりを告げるまだ未来の出来事である見解にならったとしても、それはローマの出来事であって、ギリシアの出来事ではありません。
なぜなら、ギリシアの見解では紀元前2世紀に成就する必要があったからです。
新約聖書はまた、ヨハネの黙示録のダニエル書の象徴を用いて、神殿破壊後も未来の出来事として提示しています。[362]
新約聖書のダニエル書へのこれらの言及は、第4の帝国がローマ帝国であることを要求しています。
(ダニエル書9章26節を参照にしてください。)
ならば、ローリー氏らがセレウコス朝の王たちの十本の角、あるいは少なくとも七本の角の説明しようとした複雑な説明を不要にしています。[363]
しかし、これをローマと特定する解釈は大きな問題を抱えることになります。
「十本の角を持っていた」という表現は、歴史的にローマ帝国とは全く対応していません。
このことと、それに続く事柄は、ギリシアの歴史にもローマの歴史にも全く対応していません。
この章の後半で示される幻の解釈は、この問題をさらに強調しています。

この章の解釈者で、ローマであることに同意するものの、これがローマ帝国とどう関係するかについて説明が三つに分かれています。
ヤング氏やリューポルド氏のような無千年王国論者の学者たちは、十と三という数字を両方とも霊的なものとみなす傾向があります。
したがって文字通りの成就を見つける必要性から逃れています。
彼らは両方とも、ローマ時代に同時に支配した十人の王はいないことから、文字通りの成就は不可能だと考えられています。[364]
しかし、ヤング氏は、成就は過去のローマ帝国であると考えており、それ以上の成就は必要はないと考えています。[365]
リューポルド氏は、究極の成就は過去の歴史ではなく、キリストの再臨にあると見ています。[366]
千年王国前再臨主義者は第三の見解を提示し、文字通りの成就として、将来の終末においては実際に十の王国が同時に存在していると述べています。

8節で、ダニエルが幻を見つめ続けると、獣の頭から別の小さな角が現れました。
その角を見ていると、最初の角のうち三つ、つまり前述の十本の角のうち三つを根こそぎにしました。
その小さな角は、人間の目のような目があり、大きなことを語る口を持つと描写されています。

もし、この箇所に解説がなく、解釈者が本文の記述のみに基づいてその意味を解釈するのであれば、小さな角は人間であり、その前に立つ十本の角も第四の王国における支配者である人間である結論が妥当です。
角に目と口がある事実は、人間の特徴を示しています。

注釈者たちは、8章にも小さな角が登場することをすぐに指摘しました。
保守的な解説者たちは、これをアンティオコス・エピファネスと同一視しています。
これは、ダニエル書7章の小さな角もギリシア時代またはマカバイ時代後期のものとする証拠にされています。
この点については、8章でさらに考察が加えられています。
そして、8章の小さな角は、7章の小さな角とは全く異なる文脈から来ていることに留意する必要があります。
どちらの角も「小さい」と表現されていますが、7章の角は8章の角のように成長するとは述べられていません。
しかし、最終的には8章の小さな角よりも大きな力を持つようになります。
両方の角が小さな角だからといって、両者が同じ角として仮定することは、矛盾を無視して、仮定された類似性に基づいて物事を判断することです。
アーチャー氏は優れた議論の中で、次のように述べています。

8章の小さな角がギリシア帝国の支配者、すなわちアンティオコス・エピファネスを指していることは疑いようがありません。
そのため、批評家たちは、同じ用語が使われていることから、7章の小さな角も同一人物を指しているに違いないと考えます。
残念ながら、これはまずあり得ません。
7章の四つの翼のひょうは明らかに8章の四つの角の山羊と対応しており、どちらもアレクサンドロス大王の死後4つに分裂したギリシア帝国を象徴しています。
唯一合理的な推論は、ダニエルの象徴的な幻には2つの小さな角が関わっていることです。
1つは第3の帝国から現れ、もう1つは第4の帝国から現れることになります。[367]
また、7章の角を表すアラム語が、8章の角を表すヘブル語と異なるのも事実です。
ただし、これは言語の違いに基づいて説明しており、それ自体が解釈を決定するものではありません。

年を経た方の幻

「私が見ていると、幾つかの御座が備えられ、年を経た方が座に着かれた。その衣は雪のように白く、頭の毛は混じりけのない羊の毛のようであった。御座は火の炎、その車輪は燃える火で、
火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。」
(ダニエル書7章9、10節)


聖書解釈のいかなる体系も、幻の結論について納得のいく解釈を提供しない限り、適切に主張することはできません。
9節から14節には、3つの主要な事実が際立っています。
最初に、9節と10節では、ダニエルは諸国民への最後の審判の時における天の幻を見ています。
二番目に、11節と12節では、異邦人の時代の最後の支配者を表す小さな角が滅ぼされ、共に彼の帝国も滅ぼされます。
三番目に、第五の王国、すなわち天の雲に乗って来る人の子の王国がもたらされ、神の永遠の支配が始まります。
これら3つの要素すべてが組み合わさって、本質的に破滅的で、根本的な変化をもたらす要約的な結論であることは明らかです。
第四の帝国がアレクサンドロスのものであるという批判的な説明は、これら3つの要素のどれについても合理的な説明がなく、ましてやすべてを説明することはできません。
もしこれが本物の預言であるならば、それは記録された歴史に関する限りギリシア帝国やローマ帝国では実現されなかった将来の完成についてです。

9節で、ダニエルは天に王座があり、そこに年を経た方が座っているのを見ます。
KJV英訳聖書の「御座は倒された」という表現は、「御座は据えられた」と解釈する方が適切です。
これは天の王座が破壊されたのではなく、据えられたことを意味しています。
この場面全体は、ヨハネが黙示録4、5章で見て記録した場面と一致しています。
年を経た方は父なる神に対応すし、ダニエル書7章13節で「人の子」として紹介され「子なる神」とは区別されます。

A・C・ガエベライン氏は、ヨハネの福音書5章22節を根拠に、「年を経た方は主イエス・キリストである」と断言し、ヨハネの黙示録1章12~14節に確証を見出しています。[368]

「また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。」
(ヨハネの福音書5章22節)

「そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。
その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。」
(ヨハネの黙示録1章12~14節)


このことを裏付けるために、ガエベライン氏は7章を、一般に考えられているようにひとつの幻ではなく、4つの別々の幻に分けています。
同じ章のダニエル書7章13節で年を経た方は明らかに父なる神であるならば、同じ章の他の箇所から年を経た方はイエス・キリストであると主張することは無駄です。
「年を経た方」という表現は、神のことを指してこの章でのみ使われており、13節と22節でその称号が繰り返されます。
神の衣は雪のように白く、髪の毛は混じりけのない羊の毛であると言われています。
強調されているのは年齢ではなく純粋さですが、神が永遠であることを暗示している可能性もあります。

年を経た方は、9節前半の複数形と後半の単数形の対比からわかるように、多くの王座の一つに座っていると描写されています。
最初に述べられている王座に誰が座っているかは示されていませんが、これは御使いの権威を指しているのか、三位一体の第二位格と第三位格を指しているのかもしれません。
王座の主な特徴は、燃える炎でした。
(元のアラム語にはない)
王座の車輪も、その意味が何であれ、燃えています。
(エゼキエル1章13~21節を参照にしてください。)
燃える炎として描かれる神の栄光は、聖書でよく見られる表現です。
火は審判の象徴であり、旧約聖書では神の現れと関連しています。
詩篇97篇2節には「義とさばきが御座の基である」とあります。
そして、「火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす」(3節)と啓示されています。
イエス・キリストの栄光に満ちた啓示においても、同様に描写されています。

「その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。
その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。」
(ヨハネの黙示録1章14、15節)


(出エジプト記3章2、申命記4章24、テモテ第一6章16、ヘブル人への手紙12章29節を参照にしてください。)

人の子であるキリストが年を経た方と同様の栄光を持つことは矛盾ではありません。
ダニエル書7章では両者の人格が区別されているにもかかわらず、その栄光は同じだからです。
この燃え盛る栄光の場面では、無数の聖徒と御使いが、一万倍の数で神に仕える姿が描かれています。
(申命記33章2節を参照にしてください。)

神の栄光に満ちた御前で、書物が開かれ、裁きが定められます。
世界の諸国家にとって、これが最終的な裁きの時であることは明らかです。
ダニエルは「書物」の概念について詳しく述べていません。
しかし、ヨハネの黙示録20章12節から、これは人間の行いの記録であることが暗示されています。
(悪行の記録についてはイザヤ書65章6節、善行の記憶についてはマイヤ書3章16節を参照にしてください。)
リューポルド氏がこのように述べています。
「そこに記されているのは、名前ではなく、人々の行い、すなわち彼らの不敬虔な行いの記録であり、その基準に基づいて彼らは裁かれます。」[369]
マタイによる福音書25章31~46節には、時系列的にここで描かれている裁きの後に続くと考えられる、対応する裁きが記されています。
ダニエル書では、この裁きは天で起こり、小さな角と獣に関連しています。
マタイによる福音書では、この裁きはダニエル書7章13、14節に描かれているキリストの再臨に続き、獣に対する最初の裁きを全世界にまで拡大しています。
聖書の他の箇所からの修正や説明がなくても、これが再臨の時代の終わり、そして異邦人の時代の終わりであることは明らかです。
したがって、この箇所の成就はまだ未来に起こることであり、歴史の中にこの箇所の成就を合理的に示すものを見つけようとすることは無駄なことです。

獣の崩壊

「私は、あの角が語る大きなことばの声がするので、見ていると、そのとき、その獣は殺され、からだはそこなわれて、燃える火に投げ込まれるのを見た。
残りの獣は、主権を奪われたが、いのちはその時と季節まで延ばされた。」
(ダニエル書7章11、12節)


ダニエルが目の前の幻を見つめ続けていると、場面は再び地上に戻りました。
ヤング氏は、モンゴメリ氏とカイル氏に倣って、「~ので」は「~の時から」と訳すべきだと主張しています。[370]
彼らの論点は、天の幻は小さな角の傲慢な言葉の直後に現れたことです。
預言者が8節の小さな角から発せられた偉大な言葉に耳を傾けると、獣が滅ぼされ、燃える炎に渡されるのを見ています。
この箇所は、神が最も強い人間をいかに速やかに処分できるか、また、人間がその邪悪さゆえに最終的に神の裁きを受けるかを示すことのできる別の例証となります。
批評家たちは、ここでの獣はセレウコス朝の権力全般を指し、口は紀元前164年の戦いで戦死したアンティオコス・エピファネスを指していると主張しています。
しかし、天からの神の国はアンティオコスの没落の後に現れてはいません。
マカベア人の反乱の後、ユダヤ王国は独立し、ローマ帝国による征服はそれから1世紀後の紀元前63年まで待たなければなりません。
そして、アンティオコスの最終的な受益者はローマでした。
しかしながら、獣の滅亡は、その全力を失うまでに何世紀もかかった歴史的なローマ帝国には適応できません。
これは、主要な支配者が殺害され、その政府が滅ぼされるという、突然の神の裁きの行為です。
しかしながら、この箇所は、キリストの再臨の時に獣と偽預言者が生きたまま硫黄の燃える火の池に投げ込まれるというヨハネの黙示録19章20節と明らかに類似しています。

「すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。」
(ヨハネの黙示録19章20節)


12節は、特にローリー氏のようなリベラルな批評家にとって、理解しがたい障害となっています。
彼らは、支配権を奪われたにもかかわらず、残りの獣の命がどのようにして延命されたのか理解するのに苦労しています。
もし初期の獣が第四の獣に取って代わられた帝国であるならば、第四の獣の後も、どのようにしてそれらの獣が延命されるのでしょうか?
ローリー氏は次のように述べています。
「さらに、第四の獣が滅ぼされたとき、他の獣は支配権を奪われたものの、しばらくの間は生き延びたと伝えられています。
しかし、この解釈の様々な形態によって想定されるある時期において、バビロン、メディア・ペルシャ、ギリシアがローマには認められなかった、一定の存続を享受していたと、どのように主張できるのでしょうか?」[371]
要点は、ここで述べられている第四の獣の滅びが、キリストの再臨と関連して、まだ未来の時を指していることです。
モンゴメリ氏は、「季節」と「時」という表現は意味的に同義だと述べています。
(ダニエル書2章21節、使徒の働き1章7節を参照にしてください。)
また、これは「定められた運命」を意味することを示しています。[372]
12節が述べているのは、バビロニア、メディア・ペルシャ、そしてギリシア帝国が、ある程度は後継者たちによって存続したことです。
つまり、異邦人の権力は支配権において移行しましたが、多かれ少なかれ同じパターンで存続したのです。
対照的に、キリストの再臨の際には、第四の獣は完全に滅ぼされ、天から来た全く異なる王国が第四の帝国に取って代わります。
最初の三つの獣の滅びについては、この章では直接述べられていません。
明らかに、最初の三つの獣は、彼らに取って代わる王国において、別の形で生き残り続けます。
ですから、「彼らの支配権は奪われ、命は、ある時期とある期間の間、延ばされた」のです。
これは2章のイメージによって裏付けられており、ドライバー氏は「石が足元(第4の最後の王国を表す)に落ちるまでイメージ全体はそのまま残り、その後全体が崩壊する」と述べています。[373]
メディア・ペルシャがバビロンの後継者となった時、バビロンの支配権は奪われました。
しかし、ある意味では、その支配者たちの命は延ばされました。
ギリシアがメディア・ペルシャの後継者となり、ローマがギリシアの後継者となった時も同様です。
しかし、第四の獣の終焉は劇的で、破滅的で、最終的なものになります。
支配者とそれに関わった人々は共に滅ぼされます。
この解釈は、キリストの再臨の時に獣が滅ぼされ、その支配者が火の池に投げ込まれると記されているヨハネの黙示録19章19、20節と一致しています。
また、マタイによる福音書25章31~46節では、キリストの再臨の時に諸国民が裁かれることが述べられています。

天からの人の子による第五の王国

「私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」
(ダニエル書7章13、14節)


ダニエルは今、幻のクライマックスを目の当たりにしました。
ここでも、地上ではなく天が視野に入っています。
13節は時系列的には10節に続いています。
11、12節は説明的なものであり、物語を進展させるものではありません。
ポーテウス氏は正しくも、「しかしながら、11節と12節の挿入は、作者の意図を表現するために必要」だと指摘しています。[374]
獣や小さな角とは明らかに対照的に、「人の子のような」と表現されている方が、天の雲に付き添われて、年を経た方の御座の前に来られます。
ここでは「その前に導かれた」とより適切に翻訳されています。
この天上への提示の目的は、14節で人の子に「主権と光栄と国」が与えられることで示されています。
この王国は「諸民、諸国、諸国語」を含む世界的な王国となります。
これまでの王国とは対照的に、それは滅びることなく滅ぼされることのない永遠の王国となります。
この王国は明らかに、神が宇宙の支配において明らかに最高位にある永遠の状態へと導入され、人間の状況を劇的に扱う神の支配の表現です。

保守派の学者たちは、人の子は御使いの代理ではなく、主イエス・キリストの似姿である点で意見が一致しています。
イエスがすべての国々を支配するにふさわしい存在であるという描写は、聖書の中でイエス・キリストの千年王国について述べている多くの箇所、例えば詩篇2篇6~9節 やイザヤ書11章 と明らかに一致しています。
ヨハネの黙示録4、5章 の場面のように、キリストは父なる神とは別の人格として描かれています。
イエスが「天の雲」に付き添われるという表現は、イエスの神性を暗示しています。

「次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
(テサロニケ人への手紙第一4章17節)


ヨハネの黙示録1章7節にも同様の記述があり、「見よ、彼が、雲に乗って来られる」とありますが、これは使徒の働き1章の成就です。
使徒の働きでは、イエスは昇天の際、雲に迎えられ(使徒の働き1章9節)、御使いたちは「のイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒の働き1章11節)と言っています。
聖書において雲は、神の啓示を象徴するものとしてくりかえし用いられています。(出エジプト記13章21、22節、19章9,16節、 列王記第一 8章10、11節、 イザヤ書19章1節、 エレミヤ書4章13節、 エゼキエル書10章4節、 マタイの福音書24章30節、26章64節、 マルコの福音書13章26節)
自由主義派の学者ドライバー氏は、雲を「超人的な威厳と威厳」を意味すると解釈しています。[375]
しかしドライバー氏は「人の子」という表現に異議を唱えています。
これは「人の子」と訳した方が適切であろう。[376]
アラム語には定冠詞がありません。
ドライバー氏は、これが正式な称号であるという考え方を好んでいません。
彼は、それは単に人間性を暗示しているだけだと主張しています。[377]
これが単に、イエスが外見上の人間であるという考え方には言語的裏付けもあります。
しかし、新約聖書においてイエス・キリストを指してこの語がくりかえし登場するのは、この表現に対する神の解釈です。
(マタイの福音書8章20節、9章6節、10章23節、11章19節、12章8節、32節、40節、13章37節、41節、16章13節、27、28節、17章9節、12節、22節などを参照にしてください。)

明らかに、「人の子」という表現は文脈によって解釈されるべきです。
13節では、彼は年を経た方の近くにいると示され、14節ではすべての民と国々を支配する権限を与えられます。
この方は御使いでも聖徒の集まりでもありません。
なぜなら、これはキリストがすべての国々を支配すると預言している他の聖書箇所(詩篇72篇11節、ヨハネの黙示録19章15、16節)と明らかに一致しているからです。
キリストだけが天の雲に乗って来られ、永遠にすべての国々の王の王、主の主なのです。
患難時代のキリストの裁きを生き延び、キリストの支配下に入るすべての国々が聖徒なのです。
それでも、人の子が聖徒だと言うのであれば、単なる言葉の重複ではないのでしょうか?
カイル氏はこの点について次のように述べています。
したがって、他のすべての解釈者と同じ様に、私たちは、天の雲とともに現れる者は天から地上に降り、人格を持った存在であり、世界を裁く神の前に連れ出され、支配権、威厳、そして王国を授かることを、固く主張しなければなりません。
しかし、「人として」という言葉は、彼が単なる人間であることを意味しているのではありません。
クラニヒフェルト氏が正しく指摘しているように、天の雲とともに現れる者は「現在の解釈によれば、イスラエルの神が雲に乗って来られるとみなされ、現れる者は外見上は人間の姿をしています」。[378]

ヤング氏は、一部の解説者が人の子をイスラエルの民の代表とみなしていることを指摘しています。
ヤング氏は「この見解は長年にわたる解説者たちによって採用されており、M(モンゴメリ氏)はその最新の代表者の一人である」と述べています。[379]
しかし、ヤング氏がさらに指摘するように、最も初期の解釈では、これはメシア的であり、キリストを指しており、この解釈は新約聖書においてイエス・キリスト自身がその称号を名乗った事実によって裏付けられています。[380]
14節の記述から、ダニエルは幻の中で視覚的に見たものに加えて、啓示も与えられたことが明らかです。
幻は人の子が権威を受ける様子を描写しているかもしれません。
しかし、その行為の目的、すなわち、人の子の支配権がすべての民の上にあり、その王国が永遠に続き、滅びることがないことを明らかにしています。
天からの王国は、あらゆる点で、四大世界帝国の先行する王国とは対照的であり、それらに勝り、最終的な答えとなります。

ダニエル書7節の「十本の角を持っていた」という句で始まり、14節まで続きます。
まだ、成就していない預言としてのダニエルの預言の未来的解釈では、なぜ、ダニエルが彼の預言計画の中にキリストの初臨と再臨の間の時代の出来事を含めなかったのかが自然に疑問が生じています。

解説者たちには主に三つの選択肢があります。
最初に、リベラルな学者たちのように、文字通りの成就を否定し、ダニエル書の誤りを主張することです。
二番目に、これらの預言は教会史において象徴的に成就したと見なすことです。
これは、千年王国後再臨主義や無千年王国主義説の一部が主張する見解です。
三番目に、これらの預言は明らかに未来のものであり、キリストの初臨、ローマ帝国の衰退、あるいは歴史的事実によっては成就しないものとして見なすことです。
第三の見解は、すなわち未来主義的解釈こそが、この預言の文字通りの成就の可能性を示す唯一の見解です。

教会は第五の王国であり、人の子の到来は地上への最初の到来であり、教会はローマ帝国の衰退の責任を負っている解釈は、好意的に唱えられ、熱狂的に支持されてきましたがが、教会史においてこの解釈ほど奇妙なものはありません。
ローマ帝国がキリスト教会から深刻な反対を受けたのか、あるいは教会の勢力拡大がローマ帝国の衰退に大きく寄与していたのかは疑問です。
エドワード・ギボン氏は、ローマ帝国に関する古典的著作の中で、千年以上にわたって続いたローマの崩壊の4つの主な原因としてこれらを列挙しています。
1、時間と自然の損傷
2、蛮族とクリスチャンの敵対的な攻撃
3、資材の使用と乱用
4、ローマ人の国内紛争[381]

衰退するローマ帝国で勢力を増していた教会の存在が歴史の要因であったことは疑いようがありません。
ギボン氏はローマ帝国の衰退と崩壊に寄与した詳細な要因リストに「キリスト教の台頭、確立、および教派」を含めています。[382]
しかし、教会が主要な要因ではなかったことは誰の目にも明らかであり、教会がローマ帝国の崩壊の突然の悲惨な原因であると特定することは決してできません。
中世において教会はヨーロッパを支配していましたが、15世紀、ローマ帝国が滅亡の危機に瀕していたまさにその頃、プロテスタント宗教改革によってその権力は揺らぎ始めました。
ローマ・カトリック教会の力と影響力は誰もが認めるところですが、ダニエル書7章23節の預言、「第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、「全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く」という預言は成就していません。
この預言を成就させるには、預言や歴史の事実との関連性をはるかに超えた比喩的な解釈が必要になります。

優れた解釈は、本文を尊重し、預言的啓示としての正確さを信じることを正当化する解釈をしています。
旧約聖書において非常に一般的なこの見解は、現在の教会時代は旧約聖書の預言的な予見には含まれていません。
キリストの初臨と再臨は、例えばイザヤ書61章1、2節のように、同時に何度も語られています。
ルカによる福音書4章18、19節では、キリストはそのことを解説しています。
注目すべきことに、キリストは初臨に関する部分だけを引用し、文の途中で引用を止めています。
なぜなら、文の最後の部分は、初臨から2000年以上も離れた再臨について述べているからです。
同じ様に、ダニエルは預言的な幻の中で、人類史をキリストの初臨、すなわちローマ帝国が支配していた時代まで遡らせ、そこから世の終わりへと飛躍させています。
預言の成就として、第四の帝国が復活し、キリストの再臨の際にキリストの手によって致命的な裁きを受けることです。
この解釈には問題点がないわけではありません。
しかし、この預言の正確かつ詳細な解釈を可能にしたのは、預言的な解釈です。

保守的な無千年王国論者に分類されるリューポルド氏でさえ、次のように述べています。

なぜ、この幻における歴史的王国の順序はローマ帝国以降までしか及ばないのでしょうか?
ローマ帝国の後に多くの発展があり、裁きの前にも続いてきたことは分かっています。
この点に関しては、私たちが妥当だと考え、概説されている状況に合致すると思われる意見を述べることしかできません。
念頭に置くべき点の一つは、ダニエル書9章の終わりを除いて、預言者たちはキリストの初臨と再臨の間にある時間的隔たりを全く見ていない事です。
つまり、歴史においてダニエルはキリストが肉体を持っていた時代、おそらくは初代教会に降りかかった迫害の時代を超えて見ていません。[383]
もし、ダニエル書7章が14節で終わっていたならば、ヨハネの黙示録をはじめとする聖句の助けを借りれば、その文言について合理的な説明ができた可能性は高く存在しているからです。
しかしながら、預言の複雑さと重要性を考慮し、この章は読者に神の啓示による解釈を与え続けています。
象徴を解釈する際には、それが明らかに寓話的、比喩的であっても、その解釈は文字通りに受け止めるべきであることを心に留めておくべきです。
したがって、この説明は、幻に込められた真理の事実に基づく解釈と捉えることができます。

四つの獣の解釈

「私、ダニエルの心は、私のうちで悩み、頭に浮かんだ幻は、私を脅かした。
私は、かたわらに立つ者のひとりに近づき、このことのすべてについて、彼に願って確かめようとした。
すると彼は、私に答え、そのことの解き明かしを知らせてくれた。
「これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。
しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々限りなく続く。」」
(ダニエル書7章15~18節)


幻の主要な特徴を詳細に語った後、ダニエルは自分の反応と、質問に対する解釈を述べます。
真夜中にこのような幻を見たことは、恐ろしい経験でした。
ダニエルにとって、これから起こるべき途方もない出来事のパノラマをはっきりと見たのです。
2章のネブカドネザルのように、ダニエルは預言者でありながら、幻の意味を理解できなかったことに悩みました。
彼は心の中で悲しみ、頭の中の幻に心を痛めていました。

ダニエルは「悩み」ことで自身の苦悩を示し、ここにある「霊、心」とは彼の人格全体を指し示しています。
「私のうち」という表現は、文字通り「さやの中に」という意味で、体の中にある魂をさやに納まった剣に例えています。
この表現は特異ではあるが、類似例がないわけではありません。
カイル氏は次のように述べています。
「ここで用いられている「鞘の中に」(EV英訳聖書「私の体の真ん中に(in the midst of my body)」)という比喩は、体を魂の鞘に喩え、鞘に納まった剣のように魂がそこに隠されていることを示しています。
これはヨブ記27章8節やラビの著作(cf. Buxt. Lex. talm. s. v.)にも見られます。
また、プリニウス(7:52)にも用いられています。」[384]
ドライバー氏やモンゴメリ氏[385] のような著述家はこれに多少の難しさを感じているものの、おおむねカイル氏の見解に同意しています。
七十人訳聖書は本文を「このため(on this account)」[386] と書き換えていますが、これは必ずしも必要ではありません。
ダニエルは単に、霊と体に影響を及ぼす「頭に浮かんだ幻」(ダニエル書7章1節)によって引き起こされた極度の不安を要約しているに過ぎません。

16節で、ダニエルは傍らに立つ、一般的に御使いと考えられている人物に質問を投げかけることで、この場面の登場人物となっています。
ダニエルがこの幻によって啓示された真理について尋ねると、解釈者はその幻の意味を明かしました。
ダニエル自身が幻を解釈できなかったため、この幻の側面は、ダニエル書を紀元前6世紀の預言書として受け入れない人々にとって批判的な疑問を増大させています。
しかし、この状況は特段異常なものではありません。
創世記28章にある、神がヤコブの幻の際に語りかける場面が類似しています。
出エジプト記3章では、神は燃える柴の中からモーセに語りかけます。
幻の中で現れた人々との会話は、エゼキエルの新しい神殿の幻(エゼキエル書40~48章)やゼカリヤの幻(ゼカリヤ書1~6章)にも見られます。
ヨハネの黙示録にもほぼ同様の類似点が見られ、ヨハネは幻を体験した際に、見たものについて解釈を与えられることがくりかえしてあります。
ヨハネの黙示録20章には、幻だけでなく、神によるその解釈も含まれています。
ヨハネの黙示録21章9節では、七人の御使いの一人がヨハネに新しいエルサレムについて説明しています。
ダニエルはダニエル書8章、10章、12章で、同じ幻とその解釈を経験しています。
これは異常な状況ではありません。

ダニエルの幻の解釈者は、まず17節と18節で全体的な解釈を与えます。
ダニエルの質問に答える節では、より詳細な説明が与えられます。
17節の要約は、大きな獣は地から起こる4人の王を表していることです。
リベラルな学者たちは、この節で獣が4匹であると2回述べていることを批判し、チャールズ氏は次のように述べています。
「「4匹である」という言葉は七十人訳聖書では省略されています。
それは確かに不要です。
なぜなら、予見者は王国の数を完全によく知っているからです。」[387] しかし、数字のくりかえしは、4匹の獣がそれぞれ個別に王を表していることを明確にするためです。
「4人の王」は明らかに4つの王国を指し、獣は王と王国の両方を表しています。

「地から起こる」という記述に対しても、あたかもこれが海から出てくる四つの獣(ダニエル書7章3)と矛盾しているかのように批判が向けられてきました。
例えばチャールズ氏はこのように述べています。
「「地から起こる」という言葉は明らかに誤りです。
7章3節によれば、それらは海から起こります。
(ヨハネの黙示録13章1節,4節、エズラ記11章1節)
さらに「七十人訳聖書とテオドシウス訳を注意深く研究すると、次の聖句にたどり着きます。
「これらの大きな獣は四つの王国であり、地上から滅ぼされます。」[388] チャールズ氏が考慮に入れていないのは、海は象徴的に地球を覆う国々を表していることであり、ダニエル書7章3節で象徴的なものはダニエル書7章17節では文字通りの意味だということです。

18節で、解釈者は「いと高き方の聖徒たち」が永遠に王国を受け継ぎ、所有すると述べています。
「聖徒たち」が具体的にどのような意味を持つのかについては多くの議論があります。
しかし、さまざまな時代に救われた人々だけでなく、「聖なる者たち」と形容される聖なる御使いたちも含まれています。
(ダニエル7章21,22節,25節,27節、 8章24節、12章7節、 詩篇16篇3節、34章9節、 ユダ14節を参照にしてください。)
「光の子らと闇の子らの戦い」において、忠実なユダヤ人の隊列には天の戦士たちが混在しています。[389]
18節の聖徒たちが「王国を受け継ぎ」という表現は、多くの改訂版やヤング氏訳と同様に「王国を受け入れる」とも訳すことができます。[390]
しかし、モンゴメリ氏はこれを「主権を受け継ぐ」と訳すことを好みでいます。[391]
これはダニエル書5章31節で推奨されている意味です。
ヤング氏はこのように考えています。
「彼らは自分の力で王国を建てたり、創設したりしてはならない」[392]
これは単なる受動的な受け入れ以上のものです。
これは「メディヤ人ダリヨスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ」(5章31節)という記述に暗示されており、彼が王国の支配権を確立するために積極的な行動をとったことを意味しています。
ダニエル書7章18節はさらに、聖徒たちが王国を永遠に所有することを強調し、第五の王国の永遠性を、やがて滅びゆくそれ以前の王国と対比させています。

「いと高き方」という表現は、アラム語のエリオニン語に由来し、「高い者」または「高い所」を意味する複数名詞の翻訳です。
しかし、ヤング氏はこれを神と特定し、その複数形は威厳を表現していると正しく述べています。
この表現はダニエル書7章22、25、27節にも繰り返されています。
この表現は似ていますが、エペソ人への手紙2章6節の「天の所に」座らせた者たちと混同してはなりません。
エペソ人への手紙2章6節の「天の所」は、現代の聖徒たちの特別な立場を指しており、神ご自身ではなく、場所や地位を指しています。
いと高き者の聖徒たちが所有する王国は、その特性と主権において永遠である一方、千年王国とそれに続く神の永遠の支配をも含んでいると言えます。

ダニエルが求めた第四の獣の解釈

「それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。
それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。
その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。
私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。
しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。」
(ダニエル書7章19~22節)


第四の獣に関する質問の中で、ダニエルに直接的に関心のあった点、特に第四の獣をそれ以前の獣と区別する点が要約されています。
18節で終末が告げられた後、第四の獣が滅ぼされた後、聖徒たちが永遠の王国を受けると述べられています。
19節では、そこに至るまでの争いと説明を要する点に再び注目が集まります。
その中には、鉄のきば、青銅(欽定訳では「真鍮」)の爪、他の獣の踏みつけ、十本の角、後に生じた別の角、倒れた三つの角、そして目と口を持ち、大きなことを語り、他の角よりも強そうに見える角など、恐怖を生じさせるものでした。
ダニエルはまた、その幻の朗読の中で以前には示されていなかった詳細、すなわち爪が青銅製であったこと、小さな角が他の角よりも強かったこと、小さな角が聖徒たちと戦い、彼らに勝利したこと(ヨハネの黙示録11章7、13章7節)、そしていと高き方の聖徒たちに裁きが下されたことを付け加えています。

ダニエル書がそれ以前の帝国ではなく第四の帝国について疑問を投げかけている事実は、批判的な学者たちによって、ダニエル書の時代が後期であることの別の証拠とみなされています。
彼らは、保守的な学者たちが主張するように、ダニエルが実際に紀元前6世紀に生きていたとすれば、彼は最初の三匹の獣についても興味を持っていたはずだと主張します。
例えば、モンゴメリ氏は「当時の預言者の関心は、これまで比喩の中に隠されていた最後の獣と裁きに対する彼の探究心によって明らかになっている」と述べています。[393]
しかし、この主張には実のところ何の正当性もありません。
ダニエルに与えられた幻は明らかに第四の獣を強調していたからです。
最初の三つの獣についてはわずか3節しか割かれていませんが、この章の残りの21節は第四の獣とその時代について述べられています。
ダニエルは幻を語る際に、その詳細を描写するために8節を費やしています。
もし、これが真実な預言であるならば、ダニエルが神の立場から見て重要な事柄へと摂理的に導かれていることも事実です。
人間の立場から見ても、聖徒たちの勝利を伴う世の終わりは、ダニエルにとって最優先事項だったはずです。
批評家の主張は、第四の王国は紀元前2世紀の筆者が記録した時点で既に歴史であったとする、彼ら自身の前提によって成り立っています。
もし、そうであれば、ダニエルの好奇心は、預言的な幻ではなく、歴史の解釈を求める偽りの好奇心でした。
ダニエルが第四の獣が歴史の中で既に成就したと考えていた証拠は、本文中には全く見当たりません。

22節の「いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行なわれ」という表現は、聖徒たち自身を裁く者とする意味ではなく、彼らに代わって裁きを行うことが与えられた、あるいは執行された意味です。[394]
カイル氏は次のように述べています。
「ヘングステンベルクはこのように考えています。 (Beitr i. p. 274)
「コリント人への手紙第一6章2節の「聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか」、すなわち裁き人の役割に言及して解釈すべきではありません。
この解釈は、神ご自身が裁きを執行し、その裁きによって神の民に正義がもたらされることを述べています。
すなわち、彼らは獣の不義な弾圧から解放され、御国を受けるという文脈に反しています。」[395]
前述のように、幻の啓示、第四の獣の滅亡、そして天からの第五の王国の発足は、聖徒たちが王国を所有する時として描写されています。
これは時代の終わりとイエス・キリストの再臨を示す明確な要素となります。

第四の獣の幻の解釈

「彼はこう言った。『第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
十本の角は、この国から立つ十人の王。彼らのあとに、もうひとりの王が立つ。彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそうとする。
彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼の手にゆだねられる。」
(ダニエル書7章23~25節)


幻の解釈者は23節で、第四の獣は第四の王国、すなわちそれ以前の王国とは異なる地上の王国を象徴し、全地を食い尽くす、すなわち全世界を支配する王国を象徴すると明確に述べています。
その過程で、その獣は以前の王国を踏みつけ、打ち砕きます。
この解釈によって、第五の王国が新しい天と新しい地における神の支配(ヨハネの黙示録21章と22章)を指すという考えと、現在の地上が神の王国として、説得によって徐々に支配力を強めてゆくとされる単なる霊的な王国を指す考えは排斥されます。

23節から27節の解釈は、その用語法によって、第五の王国が第四の王国に打ち勝つためには、その霊的な特徴が何であれ、基本的に主権と政治的権限を持つ王国でなければならないことを要求しています。
また、歴史上これに該当するものは何も存在せず、これが将来の成就するものしてと主張しています。

24節の幻における十本の角は、十人の王が出現することを表わしています。
彼らが同時に支配していることは明らかです。
なぜなら、そのうちの三つは、別の支配者である小さな角によって支配を乱されるからです。
しかし、この小さな角は、ここでは王の称号を与えられていません。
この小さな角もまた、最初の角、つまり十本の角とは別であり、そのうちの三つを征服します。

批判的な学者たちが、これらの十人の王をギリシア帝国の歴史の中に、あるいは後のローマ帝国の歴史の中に見出そうと試みる終わることのない説明が存在しています。
これらは彼らの間で意見が一致しないこと自体が、この聖句を過去の歴史として納得のいくように説明することが不可能であることを如実に物語っています。
もし十人の王が世の終わりに権力を握っているとすれば、これはヨハネの黙示録13章1節と17章12節の十人の王によっても裏付けられているように思われます。
しかし、彼らはまだ未来の人物であるはずです。
彼らがギリシア帝国の滅亡からずっと後に書かれたヨハネの黙示録に登場するという事実は、彼らがローマ帝国の終末期と明確に関連していることを示しています。

幻の中で第四の獣が特に強調されているように、預言的解釈においても小さな角、すなわち世の終わりに際立った人物に特別な注意が払われています。
この人物は天からの王国の発足とともに滅ぼされます。
この人物は「いと高き方に逆らうことばを吐き」、冒涜者です。
また「いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそう」とする、聖徒たちを迫害する者として描写されています。
またこの人物は「彼は時と法則を変えよう」とします。
つまり神を崇拝する者たちの特徴となるような宗教儀式や宗教的伝統の時代を変えようとする試みをします。
批評家たちはこれをアンティオコス・エピファネスに関連づけています。[396]
アンティオコスはダニエル書7章の小さな角の活動を予兆しているかもしれませんが、この完全な成就ははるかに過酷で大規模なものとなるはずです。

小さな角が聖徒たちと世界に対して持つ力の持続期間は「ひと時とふた時と半時の間」と描写されています。
この表現はダニエル書12章7節にも見られますが、モンゴメリ氏はこれをルカによる福音書21章24節の「異邦人の時」と誤って同一視しています。
しかし、モンゴメリ氏が指摘するように、この表現は3年半を意味するのが、一般的な伝統的な解釈です。
モンゴメリ氏は次のように述べています。
「正確な解釈を試みれば、4章13節(同上)の通常の解釈にならい、「時」は「年」と解釈できる。
「時」の伝統的かつ最も一般的な理解は、二重母音としての理解です。
この語は複数形として指摘されていますが、アラム語では後に二重母音の語法が失われ、マソラ本文ではバラム語でそれを無視する傾向があります。
したがって、1+2+1.5は3年半となります。
この語は9章27節の半年週(3年半)と同一です。」[397] この表現は、他の聖書箇所がなければ理解しにくいかもしれないが、ダニエル書4章25節では「時」が「年」に等しく、その意味は明らかに、地上に神の王国の最終形態をもたらすキリストの再臨に先立つ最後の3年半を指していると思われます。
3年半という計算は、ヨハネの黙示録11章2節と13章5節に記されている42か月、つまり3年半、そしてヨハネの黙示録11章3節の1260日によって裏付けられます。
ダニエルはまた、12章11節で1290日、そして12章12節で1335日と言及しており、この日には第五の王国の樹立と獣の滅亡が含まれてます。
これらすべての考察は、世界史のこの最終段階を未来的に解釈する根拠となっています。

第四の帝国の滅亡と永遠の王国の樹立

「しかし、さばきが行なわれ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。』
ここでこの話は終わる。私、ダニエルは、ひどくおびえ、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心に留めていた。」」
(ダニエル書7章26~28節)


以前、ダニエルが指摘したように、解釈者はここで、この幻の意味を確認しています。
それは、第四の獣とその支配者に対する裁き、その支配権の剥奪、そして最後には獣がどのようにして滅ぼされるか、つまり、終わりの時か、あるいは永遠に滅ぼされるかを描写しているとするものです。
第四の帝国が滅ぼされると、王国は「いと高き方の聖徒である民」の所有となります。
これは、神が支配しないという意味ではありません。
14節で、支配権は人の子に与えられると明確に述べられているからです。
しかし、それは、王国が、これまでの迫害の経験とは対照的に、聖徒たちの利益と福祉のためにあることを示しています。
神の裁きによって突然終焉を迎えた以前の王国とは対照的に、最後の王国は永遠の王国であり、そこではすべての勢力と民族が神に仕え、神に従います。

ダニエルはその後、幻の解釈に追記を書き加え「ここでこの話は終わる」と記しています。
モンゴメリ氏の翻訳によれば、「この時点での言葉の終わり」です。[398]
ダニエルは再び、自分の思いが彼を悩ませ、顔色が変わったものの、そのことを心に留め、つまり他人に明かさなかったことを述べています。
「ひどくおびえ、顔色が変わった」という表現は、おそらくモンゴメリ氏が示している通り「ゆえに、私の顔色が変わった」ということです。[399]
こうして、保守的な学問によって、紀元前6世紀にダニエルに啓示された未来の出来事のパノラマ的展望であると認められる、聖書の偉大な章の一つが終わります。

第四の帝国がギリシアであるという非常に初期の指摘は、紀元前2世紀のマカバイ時代直後に登場したシビュラの神託(3巻、397行目)に帰せられており、ロウリー氏はこれを、第四の帝国がギリシアであるという初期の解釈の証拠として挙げています。[400]
ロウリー氏はまた、近代批判学派の繁栄以前に第四の帝国がギリシアであるという解釈を支持する他の多くの著述家も引用しています。[401]
しかし、近代批判的解釈が盛んになるまでは、第四王国はローマであるという見解が大多数であったことも事実です。
ダニエル書7章には、第四の帝国がローマであり、その最終状態はまだ成就しておらず、それが人類史に対する神の計画に関する真実な預言的啓示である結論を変えるようなことは何もありません。
現代世界では、再び中東に注目が集まり、イスラエルが再びその地に戻ってきました。
これらの事柄は、将来を予期した現在の歴史の動きを理解する鍵となるため、単なる学問的な関心事以上のものとなっています。

[314] For an outline study of Daniel’s view of world history by the author, see The Nations in Prophecy, pp. 53-60.

[315] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 245.

[316] 同上、 pp. 245-46.

[317] H. H. Rowley, Darius the Mede and the Four World Empires in the Book of Daniel, p. 179.

[318] For Daniel the prophet, living in the sixth century B.C., to make such a palpable error as to teach a Median empire is considered incredible by the critics. Therefore, they consider this another proof that the book of Daniel was written by a second century B.C. writer who was confused about the facts in general and about Darius the Mede in particular (for previous discussion on Darius the Mede, see chapter 6).
D. J. Wiseman, “Some Historical Problems in the Book of Daniel,” in Notes on Some Problems in the Book of Daniel, p. 10.

[319] In this attempt he uses a total of 67 pages, whereas he devotes only 21 pages to proving that Daniel taught that the second and third kingdoms are the Median and Persian kingdoms (Rowley, Darius the Mede and the Four World Empires, pp. 70-137).

[320] James A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, p. 88.

[321] 同上、 p. 282.

[322] 同上、 pp. 88-89.

[323] 同上、 p. 88.

[324] Rowley, p. 179.

[325] D. J. Wiseman, “Belshazzar,” in The New Bible Dictionary, p. 139.

[326] R. D. Culver, Daniel and the Latter Days, pp. 95-104.

[327] C. A. Auberlen, The Prophecies of Daniel and the Revelations of St. John.

[328] Montgomery, p. 282.

[329] Arthur Jeffrey, “The Book of Daniel,” in The Interpreter’s Bible, p. 452.

[330] G. H. Lang argues at length that “the great sea” is the Mediterranean, citing a large number of Scripture references (Num 34:6-7; Jos 1:4; 9:1; 15:11-12; 15:47; 23:4; Eze 47:10, 15, 19, 20; 48:28). He concludes that the disturbance symbolized by the beast coming out of the sea prophesies that the origin of action would be the Mediterranean. This is, at least, a plausible interpretation (George Henry Lang, The Histories and Prophecies of Daniel, pp. 86-89).
Keil, p. 222.

[331] Ibid.

[332] 同上、 pp. 222-23.

[333] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, pp. 284-85.

[334] For a study of the prophecies concerning Babylon, see Walvoord, The Nations in Prophecy, pp. 61-69.

[335] Leupold, p. 287.

[336] Rowley, p. 67.

[337] Ibid.

[338] Ibid.

[339] The radical textual emendations of H. 50:Ginsberg (Studies in Daniel, chap. 2, pp. 5 ff.), have been successfully disposed of by H. H. Rowley (“The Unity of the Book of Daniel,” in Hebrew Union College Annual 23:233-73, and The Servant of the Lord and Other Essays on the Old Testament, pp. 250 ff.).

[340] Leupold, pp. 289-90.

[341] For a summary of the biblical references to and prophecies about the Medo-Persian empire, see Walvoord, The Nations in Prophecy, pp. 70-75.

[342] Montgomery, p. 283.

[343] Rowley, Darius the Mede, pp. 138-60.

[344] R. H. Charles, The Book of Daniel, p. 68.

[345] Rowley, pp. 144-45.

[346] 同上、 pp. 145-46.

[347] S. R. Driver, The Book of Daniel, p. 82.

[348] Jerome, Commentary on Daniel, p. 74.

[349] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 145.

[350] Leupold, p. 292.

[351] For a summary of Daniel’s prophecies about Greece, see Walvoord, The Nations in Prophecy, pp. 76-82.

[352] Young, pp. 145-46.

[353] J. Calvin, Commentaries on the Book of the Prophet Daniel, 2:18-19; Jerome, p. 75.

[354] Keil, p. 293.

[355] Young, p. 146.

[356] Leupold, p. 287.

[357] For a summary of the history of Rome, see Walvoord, The Nations in Prophecy, pp. 83-87.

[358] Rowley, p. 71.

[359] 同上、 p. 93.

[360] Leupold, pp. 297-98.

[361] Young, p. 293.

[362] Cf. ibid.

[363] Cf. 同上、 p. 290.

[364] Cf. Young, pp. 275-94; and Leupold, pp. 298-99.

[365] Young, pp. 148-50.

[366] Leupold, p. 308.

[367] G. 50:Archer, Jr., A Survey of Old Testament Introduction, p. 384.

[368] A. C. Gaebelein, The Prophet Daniel, p. 77.

[369] Leupold, p. 305.

[370] Young, p. 152.

[371] Rowley, p. 87.

[372] Montgomery, p. 302.

[373] Driver, p. 87.

[374] N. W. Porteous, Daniel: A Commentary, p. 110.

[375] Driver, p. 88.

[376] Cf. Young, p. 154; and Leupold, p. 307.

[377] Driver, p. 88.

[378] Keil, p. 236.

[379] Young, p. 155; Montgomery, pp. 317-24.

[380] The Jewish apocryphal Book of Enoch, which is earlier than Jude, attests that the term refers to an individual. See the excellent footnote in the Jerusalem Bible at Daniel 7:13 (p. 1437, O.T.) and Matthew 8:20 (p. 27, N.T.).
Young, pp. 155-56.

[381] Edward Gibbon, The Decline and Fall of the Roman Empire, 2:1441.

[382] 同上、 p. 1458.

[383] Leupold, pp. 313-14.

[384] Keil, pp. 237-39.

[385] Driver, p. 89; Montgomery, p. 306.

[386] Driver, p. 89.

[387] Charles, p. 79.

[388] Ibid.

[389] T. H. Gaster, The Dead Sea Scriptures, p. 275.

[390] Young, p. 157.

[391] Montgomery, p. 307.

[392] Young, p. 158.

[393] Montgomery, p. 309.

[394] Ibid.; Driver, p. 91.

[395] Keil, p. 240.

[396] Driver, p. 92; cf. also Montgomery, pp. 311-12.

[397] Montgomery, p. 312.

[398] 同上、 p. 316.

[399] Ibid.

[400] Rowley, Darius the Mede, p. 70.

[401] 同上、 p. 71.


8章 雄羊と雄やぎの幻

ダニエル書8章が新たな章の始まりとする重要な要素は二つあります。
最初に、この章から、ダニエル書2章4節から7章28節まで用いられていたアラム語ではなく、ヘブル語が再び用いられていることです。
二番目に、この言語の変化は、この章でもたらされた思想の変化と一致しています。
ここからダニエル書の終わりまで、預言は異邦人に関するものであるにもかかわらず、イスラエルと関連する人類の歴史に焦点を当てています。
そのため、多くの解説者がダニエル書を二つの部分(1~6章と7~12章)に分けていますが、ダニエル書を三つの部分(1章、2~7章、8~12章)に分けることにも十分な理由があります。[402]

ダニエル書7章に記録されているダニエル自身の最初の幻は、異邦人の時代を広く要約したもので、キリストの地上への再臨で最高潮に達する出来事に重点が置かれています。
8章から始まるダニエルの2つ目の幻は、ペルシャとギリシアの帝国とイスラエルの関係しています。
ペルシャ政府の下、イスラエル人は祖国とエルサレムの街を再建するために帰還しました。
ギリシアの支配下、特にアンティオコス・エピファネスの下で、街と神殿は再び荒廃しました。
ダニエル書9章では、エズラとネヘミヤの時代から、キリストの再臨による天からの王国の発足、その直前のイスラエルにとっての大苦難時代までのイスラエルの歴史が示されています。
10章と11章では、ペルシャとギリシアの帝国とイスラエルに関連する出来事が明らかにされ、特にイスラエルに対する異邦人による弾圧に重点が置かれています。
最後の部分、11章36節から12章13節は、世の終わり、ローマ帝国の復興、そしてイスラエルの解放について扱っています。
ダニエル書の最後の5章がイスラエルの言語であるヘブル語で書かれているのは、ふさわしいことなのです。

シュシャンの幻

「ベルシャツァル王の治世の第三年、初めに私に幻が現われて後、私、ダニエルにまた、一つの幻が現われた。
私は一つの幻を見たが、見ていると、私がエラム州にあるシュシャンの城にいた。なお幻を見ていると、私はウライ川のほとりにいた。」
(ダニエル書8章1、2節)


ダニエルの2番目の幻は、1節によると「ベルシャツァル王の治世の第三年」に起こったとされています。
つまり、7章の幻の約2年後です。
ベルシャツァルの治世に起こったため、7章と8章はどちらも、ベルシャツァルの祝宴の夜である5章よりも年代的に前に起こったことは明らかです。
考古学的発見によってベルシャツァルの歴史的人物像が裏付けられる以前は、批判的な解説者たちは8章の出来事が5章の直前に起こったと結論付けるのが一般的です。
最近の解説者たちもこの解釈に従っていますが、根拠はありません。
例えば、A.C.ガエベライン氏は「それは冒涜の祭りが催され、バビロンが陥落した年でした。
その時、神は忠実な僕を呼び、未来に関する新たなことを彼に明らかにした」と述べています。[403]
エドワード・ヤング氏も証拠なしに同様の年代順を仮定し、「いずれにせよ、この幻は5章の運命の夜の出来事の直前に起こった」と述べています。[404]
ゾックラー氏もまた、この章を「この王[ベルシャツァル]の終焉の直前」と位置付けています。[405]

バビロニア年代記に基づいて、ナボニドゥスが紀元前556年に支配を開始し、5章で述べられているように、ベルシャツァルが共同支配者になったのは3年後の紀元前553年、ナボニドゥスがテイマに住まいを構えたときだったことが現在では分かっています。
ベルシャツァルはそれ以前に、紀元前560年から他の王室の役職に就いていました。
したがって、7章の幻が紀元前553年に起きたとすれば、8章の幻は紀元前551年、つまり5章のベルシャツァルの祝宴の12年前に起きたことになります。
バビロニア年代記が発見される前の慣習的な年代記であったように、ダニエル書8章をバビロン滅亡の近くに位置付ける根拠はありません。
A・L・オッペンハイム氏は、ベルシャツァルが皇太子でありながら共同支配者として公式に認められていたことを指摘しています。
彼は、ナボニドゥス王とベルシャツァルの異形であるベル・シャル・ウツル王の第12および第13紀の法文書を引用しています。
しかしながら、楔形文字文献にはこれに相当するものは存在していません。[406]
これは、ベルシャツァルが共同支配者としての役割を担っていたことと、この幻の日付がベルシャツァルの死の日付である紀元前539年より前であったことを疑問の余地なく裏付けています。
この幻の日付がナボニドゥス王の第6年かつベルシャツァル王の3年にあたる紀元前551年である可能性を示しています。

8章の幻は、明らかに夢や夜の幻の中で起こったわけではないため、7章の幻とは性質が若干異なります。
ヤング氏が正しく述べているように「この幻は7章のような夢の幻ではありません。」[407]
カイル氏も同じ様に、「しかし、あれは夢の中ではなく、彼が目覚めている間に起こった」と述べています。[408]
ダニエルは、この幻の性質だけでなく、その時間も「最初に私に現れた幻の後」つまり7章の幻と区別するために注意深く、引用してています。

ダニエルが5章2節が示しているように、エラム州のシュシャンにあるウライ川沿いの宮殿にいたのか、それとも幻の中でそこへ運ばれ、実際には当時バビロンにいたのかは、解説者たちの間で大きな意見の相違があります。
古代スーサ(KJV英訳聖書ではシュシャン)は、現在のペルシャ湾の先端から北へ約150マイルに位置し、エクバタナとペルセポリオンの中間に位置し、後にペルシャ王たちの主要な居城の一つとなっていました。
ヨセフスによれば、ダニエルは実際にはエラムにいたと述べています。[409]
カイル氏は、ベルトルト氏とローゼンミュラー氏がダニエルが実際にはシュシャン(スーサ)にいたと解釈していることを指摘しています。
また、ベルトルト氏がこの点を用いて偽ダニエルに対する誤りの非難を裏付けていることも指摘しています。[410]

リベラル派であれ、保守派であれ、多くの解説者はダニエル書8章を、ダニエルは実際にはバビロンにいて、幻の中でのみシュシャンに移されたと解釈しています。
モンゴメリ氏は、ダニエルがそこにいたのは幻の中でのみであるというこの点について、圧倒的な学問的根拠を挙げています。
これはシリア語訳とウルガタ訳によって裏付けられ、ジャン・カルヴァンや多くの同時代の著述家によっても支持されています。[411]
エゼキエルもおそらく幻の中で移されたと考えられます。(エゼキエル書 8章3節、40章1節以下)

当時のバビロンが古代スーサを支配していたかどうかという問題は議論の余地がありますが、本質的な問題ではありません。
いずれにせよ、ダニエルの幻はペルシャ帝国とギリシア帝国の預言的な未来へと投影されています。

当時、バビロンはこの街や地域を支配していなかった可能性が高いため、ダニエルが幻について熟考し、自分がバビロンではなくこの場所にいることに気づいて驚いたのも、このためかもしれません。
「シュシャンの城」という表現は、ペルシャ帝国に関する歴史の記述にくりかえし登場します。(ネヘミヤ書1章1節、エステル記1章2節,5節、2章3節,5節)
城とはおそらく王の住居を指し、それは単に豪華な建物というよりも、城や要塞のような形をしていました。
それでも、ペルシャ帝国では、バビロンではなくシュシャンの城が首都となる運命にありました。
ダニエルにこの幻が与えられた当時は、古代にスサがエラム人の首都となっていたことは知られていませんでしたが、保守的な学者たちは、このスサへの言及に真実な預言として見出しています。

ダニエルはこの街の位置を具体的に特定する必要があると感じており、紀元前2世紀の偽ダニエルであれば、そのような試みは必要はありません。
一部の批評家は、エラムは当時バビロンの属州ではなかった可能性が高いため、ダニエルの誤りを証明しようと試みました。
しかし、ダニエル自身はエラムがバビロンの属州であったとは文字通りには述べていません。[412]
ダニエルはまた、「ウライ川」のそばにいたと述べています。
古代スーサ近郊のこの川について、モンゴメリ氏は次のように述べています。
「ウライ川は、コーステス川とコプラテス川を結び、スーサのすぐそばを流れていた人工運河と一致しています。」[413]
一言で言えば、ダニエルは、当時何も知られておらず、将来の栄華を予期していなかった町が幻の中に投影されたのです。
しかし、その町はペルシャの重要な首都、エステルの故郷、そして、ネヘミヤがエルサレムにその街からやって来る街となる運命でした。
幻の中で投影されていますが、その町はペルシャの重要な首都、エステルの故郷、そしてネヘミヤがエルサレムにやってきた街となる運命でした。
1884年以降、当時は大きな塚であった古代スーサの遺跡が調査され、多くの考古学的宝物が発見されました。
1901年にはハンムラビ法典がそこで発見されました。
ダニエル、エステル、ネヘミヤが言及する有名な宮殿はダリヨス1世によって建設が始められ、後の王たちによって拡張されました。
その壮麗な遺跡は今でも、現代のシューシュの街の近くに見ることができます。[414]
ダニエルが8章の冒頭の数節で詳細に描写したこの異例の舞台は、今や第二、第三の帝国の征服を象徴的に描いた壮大なドラマの舞台となっています。

二本の角を持つ雄羊

「私が目を上げて見ると、なんと一頭の雄羊が川岸に立っていた。
それには二本の角があって、この二本の角は長かったが、一つはほかの角よりも長かった。その長いほうは、あとに出て来たのであった。
私はその雄羊が、西や、北や、南のほうへ突き進んでいるのを見た。
どんな獣もそれに立ち向かうことができず、また、その手から救い出すことのできるものもいなかった。
それは思いのままにふるまって、高ぶっていた。」
(ダニエル書8章3、4節 )


ダニエルは幻の中で、二つの角が不揃いな雄羊を見ます。
角はそれぞれ高く、高い方の角は最後に雄羊から生えています。
ダニエルは見守る中で、雄羊が西、北、南へと進むのを見ます。
しかし、東へ向かう記述はありません。
雄羊の前に立ちはだかる獣は他に見つからず、人であろうと獣であろうと、雄羊の力から救い出すことのできる者は誰もいません。
ダニエルが要約すると、雄羊は自分の意志に従って行動し、高ぶっています。

ダニエル書8章20節には、雄羊はメディア・ペルシャを表し、2本の角は主要な王たちを象徴する解釈が示されています。
雄羊はメディア帝国とペルシャ帝国を別々の帝国としてではなく、統合された状態として象徴しています。
その事実は、批評家たちの誤りを示す重要な証拠です。
批評家たちは、メディア人ダリウスへの言及を根拠に、ダニエルが誤って2つの帝国、すなわち最初にメディア帝国、次にペルシャ帝国について教えたと主張しています。
もちろん、これは歴史と矛盾しており、批評家たちはダニエルの誤りを証明しようと試みます。
しかし、批評家たちはダニエルが教えていないことをダニエルに帰しており、問題は彼ら自身の誤った解釈にあります。
ヤング氏は「ダニエルは、ここにおいても、もしくは他の場所においても、一つの存在としてのメディア帝国を想定していない」と述べています。[415]
歴史的に、アレクサンダー氏大王が登場するまで、ほぼ200年間、メディア人とペルシャ人の連合は無敵であることが証明されています。[416]

メディア・ペルシャ帝国の二大勢力、すなわちメディア人とペルシャ人を象徴する二本の角の描写は非常に正確です。
最後に出現し、高い角で象徴されるペルシャ人は、より顕著で強大な勢力でした。
雄羊の征服を表す方向は、東を除くすべての方向を含んでいます。
ペルシャは確かに東へ拡大しましたが、主な動きは西、南北でした。
紀元前6世紀のダニエルが真実な預言を記した主張を受け入れようとしない批評家にとって、この描写の正確さこそが恥ずべき点であり、不正確さの指摘は適切ではありません。

その偉大な帝国を表すために雄羊が使われたことについて、カイル氏は次のように述べています。
「ブンデヘシュでは、ペルシャ王国の守護霊が、きれいな足と鋭い角を持つ雄羊の姿で現れました。
そして、ペルシャ王は軍の先頭に立つ時に、王冠の代わりに雄羊の頭をかぶっていました。」[417]
カイル氏が述べているように、獣への言及は「王国と国家を表しています。」[418]
旧約聖書では雄羊と雄やぎが権力の象徴として述べられているだけでなく、キュモントは天文学的地理学に基づいて黄道十二宮に異なる土地が割り当てられていたことを指摘しています。
この見解では、ペルシャは「雄羊」を意味する牡羊座の支配下にあり、ギリシアはセレウコス朝の主要な領土であったシリアと共に「雄やぎ」を意味する雄やぎ座の支配下にあったと考えられています。
雄やぎ座という言葉は、ラテン語の「(caper)」(雄やぎ)と「(cornu)」(角)に由来します。[419]
ドライバー氏は、全体として見ると、「この詩節は、特にパレスチナ、小アジア、エジプト方面へのペルシャ軍の圧倒的な進撃を描写しており、クロスとカンビュセスの征服に特に言及している」ことが述べています。[420]

西から来た雄ヤギ

「私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが、地には触れずに、全土を飛び回って、西からやって来た。
その雄やぎには、目と目の間に、著しく目だつ一本の角があった。
この雄やぎは、川岸に立っているのを私が見たあの二本の角を持つ雄羊に向かって来て、勢い激しく、これに走り寄った。
見ていると、これは雄羊に近づき、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折ったが、雄羊には、これに立ち向かう力がなかった。
雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。雄羊を雄やぎの手から救い出すものは、いなかった。」
(ダニエル書8章5~7節)


ダニエル書8章の解釈者たちは、一般的に、雄やぎ、すなわち文字どおりには「雄やぎ」[421]がギリシア王を表し、さらに詳しくは、ダニエル書8章21節にも記されているように、その目の間にある1本の重要な角が「最初の王」、すなわちアレクサンダー氏大王を表すことで意見が一致しています。
このやぎとその行動に関するすべての事実は、明らかにアレクサンダー氏のダイナミックな役割を予期しています。
アレクサンダー氏のように、雄やぎは「全土を飛び回って、西から」やって来ます。
つまり、ギリシアで始まった彼の征服は東へ進み、全土に及びます。
この夢で雄やぎが「地には触れず」と述べられているのは、アレクサンダー氏の征服の特徴を示すすさまじいスピードの印象を暗示しています。
通常の2本の角ではなく1本の大きな角という珍しい角は、アレクサンダー氏による単独の指導力を象徴しています。
ダニエルが考察しているように、雄やぎは雄羊を攻撃しています。
雄羊は、幻の中で川の前に立っていた雄羊と同一視されています。
雄やぎの攻撃の珍しい特徴は、「勢い激しく」行われることです。
ペルシャ人が以前ギリシアを攻撃した歴史的背景に基づき、かなり感情的に表れています。
今やギリシアがペルシャ人に対して報復する時が来ました。
それに応じて、雄やぎは「勢い激しく、これに走り寄った」のです。
つまり「怒り狂って」雄羊に突きかかり、雄羊の二本の角を折ります。
これは象徴的に、メディア・ペルシャ帝国の崩壊を示しており、その結果、雄羊は雄やぎの前に立つ力を失いました。
戦いは、雄やぎが雄羊を地面に投げ倒し、踏みつけることで終わります。

もちろん、これらすべては歴史の中で劇的に成就しました。
アレクサンドロス大王の軍勢は紀元前334年5月、小アジアのグラニコス川でペルシャ軍と初めて遭遇し、これを破りました。
これがペルシャ帝国全土の完全征服の始まりでした。
それから1年半後、地中海北東端近くのイッソス(紀元前333年11月)で戦いが起こりました。
そしてペルシャの勢力は紀元前331年10月、ニネヴェ近郊のガウガメラでついに打ち砕かれました。

一連の戦闘を記録した歴史と、ペルシャ帝国が一撃で滅亡したダニエルの記述との間には、矛盾はありません。
ダニエルは明らかに、細部ではなく結果を描写しています。[423]
この預言は、その範囲において正確であることは、多くの解説者が認めています。
ここでもまた、この預言と後の歴史との対応が非常に正確であるため、リベラルな批評家はこれを預言ではなく歴史として扱おうとしています。

ギリシアに対する神の見解は、世の歴史家たちの見解ほど賛美的ではありません。
例えば、タルンはアレクサンドロスを高く評価しています。
「アレクサンドロスは歴史上、最も肥沃な力を持つ人物の一人でした。
彼は文明世界を一つの溝から引き上げ、別の溝へと導きました。
彼は新たな時代を切り開き、何もかもが以前のようには戻りませんでした。
個別主義は「居住世界」、つまり文明人の共有財産という概念に取って代わられました。
これまで実質的にギリシア人だけに限定されていたギリシア文化は世界中に広まり、ギリシアの住民が用いるために、ギリシアの多くの方言に代わって、コイネー、つまり「共通語」として知られるギリシア語が生まれました。」[424]
ポーテウス氏はタルンの賛美について、「ダニエル書には、こうしたことの片鱗も見られません」と評しています。[425]
神の見解は人間の見解とは異なります。

折れた大きな角

「この雄やぎは、非常に高ぶったが、その強くなったときに、あの大きな角が折れた。そしてその代わりに、天の四方に向かって、著しく目だつ四本の角が生え出た。」
(ダニエル書8章8節)


ダニエルが幻の中で雄やぎの勝利を思い描いていると、思いがけない展開が起こります。
雄やぎが力の頂点に達したまさにその時、目の間にある大きな角が折れます。
そこから「天の四方に向かって」伸びる四本の目立つ角が生えます。
進歩派、保守派を問わず、解説者たちはこの節をアレクサンダー氏の早すぎる死と彼の帝国の四つの主要な分割を表わしていると解釈しています。
これまでのどの支配者よりも世界を征服したアレクサンダー氏は、自分自身を征服することはできません。
過酷な労働、放蕩な生活、高熱などが原因の一つで、アレクサンダー氏は33歳にもならないうちにバビロンで酒に酔って亡くなります。
彼の死により、広大な征服は有能な指導者のいないまま終わり、帝国がうまく分割されるまでに約20年かかっています。

しかし、ほぼすべての注釈者は、四つの角がディアドコイの四王国の象徴であると認識しています。
ディアドコイの四王国は、
(1)カッサンドロスがマケドニアとギリシアを支配下に置きました。
(2)リュシマコスがトラキア、ビテュニア、そして小アジアの大部分を支配下に置きました。
(3)セレウコスがシリアとバビロニアを含む東方の地を占領しました。
(4)プトレマイオスがエジプト、そしておそらくパレスチナとアラビア・ペトラエアも支配下に置きました。[426]
五番目の権力候補であったアンティゴノスはすぐに敗北しました。
このように、ダニエルは預言的な幻の中で、アレクサンドロスの帝国が三つ以下でも五つ以上でもなく、四つの王国に分割されることを驚くほど正確に預言しています。

小さな角の出現

「そのうちの一本の角から、また一本の小さな角が芽を出して、南と、東と、麗しい国とに向かって、非常に大きくなっていった。
それは大きくなって、天の軍勢に達し、星の軍勢のうちの幾つかを地に落として、これを踏みにじり、」
(ダニエル書8章9、10節)


雄羊と雄やぎの正体については比較的異論が少ないものの、この幻をめぐる論争は、9節と10節に記されている小さな角の意味をめぐって、ほぼすべてに集中しています。
ダニエル書によると、この小さな角は8節に記されている4本の有名な角のうちの1本から生えています。
初めは小さかったこの角は、南、東、そして美しい地の3つの方向に「非常に大きく」成長しています。
この基準となるのはシリアであり、「南」はエジプト、「東」は古代メディア・ペルシャまたはアルメニアの方向、「美しい地」または「栄光の地」はシリアとエジプトの間にあるパレスチナまたはカナンの地を指していることを示しています。
「麗しい国」の原語は実際には「美しい」という意味で、「国」という言葉はダニエル書11章に由来しています。
(ダニエル11章16節、41節、45節、エレミヤ書3章19、エゼキエル書20章6節、15節、マラキ書3章12節を参照にしてください。)
実際には、エルサレム特有のものかもしれませんが、ここで意味されているのは土地全般ではありません。

これらの征服は、言うまでもなくシリアの歴史、特にシリア王朝第8代王アンティオコス・エピファネス(紀元前175年から164年まで統治)の治世において確認されています。(マカバイ記第一1章10節、6章16節)
彼は生涯を通じて、これらの地域すべてに関して軍事遠征を行っています。
モンゴメリ氏は「麗しい国へ」という表現を「与えられた方角と照らし合わせると不合理な注釈」と見なしています。
しかし、「本書は方角に関しては驚くほど正確です」と述べています。[427]
そして、この部分全体におけるダニエルの視点から見ると、異邦人の時代がイスラエルとどのように関係しているのかが重要な問題となってきます。
そのため、本文からこの表現を削除する正当な理由はありません。
イスラエルの地はまさにシリアとエジプトの戦場となり、アンティオコス・エピファネスによる神に対する最も重大な冒涜行為のいくつかが行われた場所となりました。
マカバイ記第一1章20節(RSV英訳聖書)によると、アンティオコスはまずエジプトに侵攻し、その後にエルサレムに侵攻しています。
「エジプトを征服した後、アンティオコスは紀元143年に帰還し、イスラエルに攻め上って大軍を率いてエルサレムに来ました。」
アンティオコス・エピファネスを象徴する小さな角は、軍事的征服の結果、「天の軍勢に」成長すると言われています。
彼は天の軍勢と星々の一部を地に投げ落とし、踏みつける姿で描かれています。
この難解な預言は、モンゴメリ氏の預言のように、数ページにわたる多くの専門的な議論を巻き起こしてきました。[428]
星を異教の神々や七つの惑星と同一視するといった神話的な解釈を捨て、これを真実な預言とみなすならば、おそらく最も適切な説明は、この預言が神の民の迫害と滅亡、そして彼らの守護者である御使いの軍勢、そして、神自身の力への反抗に関係しているものとなります。
リューポルド氏はこのように述べています。
「神の民の数の増加についてアブラハムに語られた言葉(創世記15章5節、22章17節)を背景とすれば、星が神の聖なる民を象徴することは不思議ではありません。
ダニエル書12章3節においてもこれに加えられます。

「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」
(ダニエル書12章3節)


そこでは、「多くの者を義とした」人々に星のような栄光が差し伸べられています。
マタイの福音書13章43節も比較してみましょう。

「そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。」
(マタイの福音書13章43節)


もし世が、人間の活動の何かの分野で優れた人たちを星と呼ぶなら、神の民についても同様の表現がより適切となります。」[429]
リューポルド氏は、軍勢と星を並置して考察しています。
つまり、「軍勢は星そのもの」なのです。
アンティオコスが神と天の力を冒涜し、神の民であるイスラエルの民を迫害したことは、歴史から明らかです。
ドライバー氏でさえ、「星は忠実なイスラエル人を象徴する」と述べています。[430]
エノク書46章7節を参照にしてください。

神殿の荒廃

「軍勢の長にまでのし上がった。それによって、常供のささげ物は取り上げられ、その聖所の基はくつがえされる。
軍勢は渡され、常供のささげ物に代えてそむきの罪がささげられた。
その角は真理を地に投げ捨て、ほしいままにふるまって、それを成し遂げた。
私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。すると、もうひとりの聖なる者が、その語っている者に言った。
「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」
すると彼は答えて言った。「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」」
(ダニエル書8章11~14節)

ダニエル書8章11節までは、メディア・ペルシャ時代、アレクサンドリア時代、そしてアレクサンドリア後時代の歴史において、この幻の成就を見出すことは難しくありません。
しかし、11節以降については、この箇所の主要な意味がアンティオコス・エピファネスを指し、彼の生涯において完全に成就したのか、それとも、この箇所が第一義的あるいは副次的に世の終わり、すなわちイエス・キリストの再臨に先立つ大患難時代を指しているのか、解釈者の間で大きな意見の相違が生じています。
この解釈の相違はあまりにも大きく、ダニエル書の研究者を混乱させています。
モンゴメリ氏が述べているように、11節と12節は「ダニエル書の中で最も難解な短い箇所を構成しています。」[431]

多くの相反する見解を簡略化すると、3つの一般的な分類に分けられます。
最初に、ダニエル書は偽ダニエルによって書かれた紀元前2世紀の偽造であるとする批判的な見解では、この預言は事後に書かれた単なる歴史であり、アンティオコス・エピファネスで完全に成就したと見なしています。
もちろん、これは大多数の保守的な学者によって否定されています。
二つ目に、これは真実に紀元前6世紀の預言であるが、歴史的にはアンティオコス・エピファネスで完全に成就したという見解です。
エドワード ・J・ ヤング氏はこの解釈を強く支持しており、保守的な解釈者である多くの無千年王国論者を一般的に代表しています。
3番目に、この預言は真実な預言であり、紀元前2世紀に歴史的に成就したが、キリストの再臨前のイスラエル迫害の時代に神と異邦人の支配者との間で起こる最終的な衝突を型的に予見したものであるという見解です。
3番目の見解は、預言的解釈と型的解釈を混同したり、預言の両面が文字通り二重に成就していると主張したりすることがあります。
最終的な判断は、11節から14節だけでなく、20節から26節に示された預言の解釈に基づいて下されるべきです。

11節によれば、アンティオコス・エピファネスにおいて歴史的に成就した小さな角は、軍勢の長にまで自分を高めました。
これは、エピファネスという名に象徴されるように、神に属する栄光の現れを主張するほどに自分を高めたことを意味しています。
彼の主張はダニエル書7章8節と20節の小さな角と類似しています。
しかしながら、アンティオコスは明らかに神に対しても冒涜的な反抗を向け、神に反抗し、同時に神の栄光と誉れにまで達しようとしました。

この態度を具体的に示す、そして最も重大な行為として、彼が日々のささげ物を取り去り、聖所を汚したことが記されています。
11節の「彼によって」とは、文字通りに読むならば「彼から」、すなわち神からです。
これは、アンティオコスが朝夕のささげ物を中止させ、イスラエルの日々の礼拝のしるしであったものを神から取り去ったことを意味しています。[433]
「常供のささげ物」という表現は、ヘブル語の「タミド(tamid)」(「一定」を意味する)に由来し、日々のささげ物に適用されます。
(出エジプト記29章38節以下、民数記28章3節以下を参照にしてください。)
したがってヤング氏は、これは朝夕のささげ物に限定されるべきではなく、神殿の礼拝において慣習的に捧げられるすべてのささげ物を含むべきだと考えています。[434]
このことは、アンティオコス・エピファネスがモーセの律法の礼拝から離れるよう命じたことに言及している第一マカバイ記1章44~49節で明らかにされています。
「そこで王は使者に書簡を託してエルサレムとユダの町々に送り、その地の異国の慣習に従うように命じ、聖所での全焼のささげ物、犠牲、注ぎのささげ物を禁じ、安息日と祭りを汚し、聖所と祭司たちを汚し、聖域と神殿に偶像の祭壇を築き、豚や汚れた動物をささげ物にささげ、息子たちに割礼を受けさせないようにしました。
彼らはすべての汚れた俗悪なことで身を汚し、律法を忘れ、すべての定めを変えました。
そして、王の命令に従わない者はだれでも死ななければなりません。」(RSV英訳聖書)
「聖所の基はくつがえされる」という表現を、アンティオコスによる神殿そのものの破壊を意味するものと解釈する必要はありません。
しかし、第一マカバイ記4章42節以降では、聖所の清めに関連して、文字通り祭壇を取り壊して新しい祭壇を建て「彼らはまた、聖所と神殿の内部を再建し、中庭を聖別した」(第一マカバイ記4章48節)と記されていることは興味深いものがあります。
ヤング氏は「アンティオコスは実際には神殿を破壊していませんが、最終的には神殿を何も使用できないほどに冒涜した」と述べています。[435]

アンティオコス・エピファネスによる常供のささげ物の中止と、ダニエル書9章27節で預言されている、キリストの再臨の3年半前に起こる出来事との間には明らかな類似点があります。
一部の解説者は、ここに単にアンティオコスのことではなく、世の終わりを示唆する証拠を見出すに至りました。
しかしながら、この預言に関しては、アンティオコスにおいて完全に成就しました。

12節は、アンティオコス・エピファネスが神に背いた行為を要約したものです。
彼に聖餐が与えられた記述は、イスラエルの民が神の許しを得て彼の支配下にあった事実を指しています。
「常供のささげ物に代えて」という表現は「常供のささげ物と共に」と訳すことができます。
つまり、常供のささげ物も彼の支配下にあり、彼は異教の礼拝を代わりに用いることができたということです。
「そむきの罪」という表現は、この解釈の延長として理解されるべきです。
つまり、常供のささげ物は彼の支配下にあり、神に背くことを許すために与えられたことです。
その結果、アンティオコスは「真理を地に投げ捨て」、つまりモーセの律法の真理を自分の行為として実践し、一見繁栄したように見えました。
この節の翻訳は非常に困難ですが、保守的な学者たちは一般的に、イスラエルの民とその礼拝がアンティオコス・エピファネスの支配下におかれ、結果として神に対する違犯と冒涜が生じたと解釈しています。
律法からの逸脱の程度はRSV英訳聖書、マカベア記第一1章44~49節に示されています。

アンティオコス・エピファネスの不正な行為を記した後、ダニエルは二人の「聖徒」あるいは「聖なる者」、恐らく御使いたちの間の、聖所の冒涜の期間に関する会話を記録しています。
その問いは、「常供のささげ物や、あの荒らす者のするそむきの罪、および、聖所と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」というものです。

14節で与えられた答えは、ほぼ終わりのない解釈上の論争を引き起こしました。
ダニエルは、謎の答えが「二千三百の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す」と告げられます。
答えは「私に」、つまりもう一人の御使いではなくダニエルに与えられたとされています。
明らかにこれらの御使いたちはダニエルのために招かれ、その結果、ダニエルは答えを聞くことになります。
この箇所の解釈と成就は、ある意味でこの章全体の核心となっています。

セブンスデー・アドベンチスト派は、2300日とは、彼らの解釈によれば、キリストの再臨とともに1884年に頂点を迎える年を指していると理解しました。[436]
この解釈は、実際にキリストが1884年に来なかった事実によって、1日でこの理論は実際上排斥されました。

2300日を年ではなく日数とみなす場合、2つの基本的な説があります。
多くの人はこれを2300日、つまり24時間の日数と解釈しています。
この日は夕べと朝のいけにえの終結と関連しており、別の説では、この句は実際には1150日、つまりシリアのエフライムとヒッポリュトスが示した2300の夕べと朝を指していると考えられています。[437]
明らかに、この困難な期間の解釈は、解説者が歴史の中に、あるいは未来に関する類似の預言の中に成就を見出そうとする願望によって大きく左右されます。
一般的に、終末論的解釈の流派は異なっていても、これらの期間は文字通り2300日であるという考えに立脚しています。
また、ここで述べられている期間が1150日であるという考えは、ダニエル書9章27節などで預言されている大患難の3年半と一致すると考える人もいます。
しかしながら、実際には100日以上の差異があります。

ケイルは9ページにわたる議論の中で、次のように結論づけています。

ヘブル語の読者は、2300日の半分、つまり1150日という期間を、2300夕朝まで理解することは到底できません。
なぜなら、天地創造の際の夕と朝は、半日ではなく、1日を構成していたからです。
ましてや、「2300夕朝まで」という時間の指定において、「夕朝」が夕と朝のいけにえを指していると理解することは到底不可能です。
その言葉は1150まで夕のいけにえと1150の朝のいけにえが中止されることを意味するとは解釈することはできません。
したがって、私たちはこの言葉をそのまま、すなわち2300日として理解しなければなりません。[438]
カイル氏は、これを数々の論拠によって裏付けています。
例えば、「ヘブル人が週の一日を構成する要素である昼と夜を別々に表現したかった場合、両方の数字が表現されています。
彼らは例えば、40日40夜(創世記7章4,12節、出エジプト記24章18節、列王記第一19章8節)、3日3夜(ヨナ記2章1節、マタイの福音書12章40節)と述べており、80日6夜とは言っていません。
彼らは40日、あるいは3日間を言いたかったのです。」[439]
もし、それが文字通り2300日だとしたら、その成就とは何でしょうか?
これをダニエル書9章27節で述べられている異邦人の時代の最後の7年間と関連付けようとする試みは、解釈を助けるどころか混乱を招いています。
2300日は360日の7年よりも短く、その半分の1150日は大患難の3年半よりも短いのです。
解釈的に安全な方法は、アンティオコス・エピファネスに成就を見出し、そこにはさまざまな終末論的預言、あるいは未成就の預言が含まれているのかを検討することです。

2300日をアンティオコス・エピファネスの歴史と一致させるために、無数の説明が試みられてきました。
2300日の終点は、多くの解説者によって、アンティオコス・エピファネスがメディアでの軍事作戦中に死亡した紀元前164年とされています。
これにより、聖域の浄化とユダヤ教の礼拝への復帰が可能になりました。
この日付から2300日を逆算すると、始まりは紀元前171年になります。
その年、正当な大祭司であるオニアス3世が殺害され、偽りの祭司の一族が権力を握りました。
これなら、2300日がアンティオコスの死期に経過するのに十分間に合います。
しかし、神殿が実際に冒涜されたのは、神殿でのささげ物が強制的に中止され、神殿にギリシア風の祭壇が建てられた紀元前167年12月25日になってからでした。
神殿の冒涜は実際には3年ほど続きました。
この間、アンティオコスは「エピファネス」という称号を冠した貨幣を発行しました。
この貨幣には、彼が神の栄誉を体現したと記されており、髭を生やさず王冠を被った姿が描かれていました。[440]
さまざまな証拠を考えるのであれば、ダニエル書の2300日は紀元前171年から紀元前164年のアンティオコス・エピファネスの死をもって成就したというのが最良の結論です。
ささげ物が捧げられなくなった期間は、この長い期間の後半にあたります。
今日、入手可能な証拠は正確な日付の成就を示すものではありません。
しかし、明らかに概数である2300日は、アンティオコスの迫害によってユダヤ教が衰退し始めた時期、そしてその期間全体が彼の死をもって終結した時期を定義する上で、比較的正確な判断です。

代替理論は解決するよりも多くの問題を生み出しています。
日数を1年として考えることは、何の成就ももたらしません。
1150日という数字を使用することは、いかなる事象の体系にも当てはまらず、疑わしい根拠を持つため、より多くの問題を生み出すだけです。
これまでのところ、最も単純で聖書に忠実な解決法は、2300日が紀元前171年から紀元前164年までさかのぼるというものです。
この預言は今や成就したと安全に言え、将来の成就を予期するという意味では、それ以上の終末論的な重要性はありません。
ダニエル書8章1節から14節については、20世紀の観点から成就した預言という観点からのみ考える十分な理由はありません。
これは、メディア・ペルシャ帝国とギリシア帝国の歴史、特にアンティオコス・エピファネスの活動の中で十分に説明されます。

終わりの時の幻の解釈

「私、ダニエルは、この幻を見ていて、その意味を悟りたいと願っていた。ちょうどそのとき、人間のように見える者が私の前に立った。
私は、ウライ川の中ほどから、「ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ。」と呼びかけて言っている人の声を聞いた。
彼は私の立っている所に来た。彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。
「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。」
彼が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた。
しかし、彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ、
そして言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。」
(ダニエル書8章15~19節)


幻全体が記録され、ある程度の解釈も既になされていたため、ダニエルは幻に積極的に関与し、7章と同様に解釈を求めました。
15節によると、ダニエルは「意味を悟りたい」と思い、その願いに応えて、「人の姿で」と描写されている人物が前に立ち、明らかに御使いでした。
16節では、御使いガブリエルが具体的に言及され、ダニエルに幻の理解を導くために、人の声がガブリエルに語りかけられています。
人の声は大御使いミカエルのものか、あるいは神の声である可能性もありますが、本文では特定されていません。
カルヴァンは、話している人はキリストでだと考えています。[441]
ヤング氏は、15節の「人」を意味する言葉は「ガバー(ga„ber)」であり、ガブリエルと発音が似ており、力や権力を意味すると指摘しています。[442]
この言葉に「神」を意味する言葉「エル」が加わって、ガブリエルという名前ができています。

興味深いのは、これが聖書の中で聖なるこの御使いの名が初めて述べられている事です。
ガブリエルはダニエル書9章21節とルカによる福音書1章19節と26節にも再び述べられています。
そこではザカリヤに使者としてバプテスマのヨハネの誕生を告げ、処女マリアにイエス・キリストの誕生を告げています。
聖書の中でサタン以外で名が挙げられている御使いはミカエルのみで、ダニエル書10章13節と21節、12章1節、そして新約聖書のユダの手紙9章とヨハネの黙示録12章7節に述べられています。
聖書で御使いの名を限定的に挙げているのは、聖書以外のヨハネの黙示録文学における御使いの多用とは対照的です。[443]
幻の全体的な文脈、ガブリエルの力強い存在、そして神の声とも言える神秘的な声に、ダニエルは恐れ、パニックに陥り、ひれ伏しています。
これは、ヨハネの黙示録1章で栄光を受けたキリストの壮大な幻を見た使徒ヨハネの状況と何も変わりません。
ガブリエルの言葉はダニエルを安心させるもので、「人の子」という称号を用いてダニエルに指示を与え、この章全体で初めて、この幻に関して「終わりの時」が問題となっていることを示しています。

ダニエルは幻の前半では明らかに目覚めていたが、ガブリエルが話している間に、顔を地面に向けて深い眠りに落ちていたことが分かります。
モンゴメリ氏はそのまま「私は意識を失って、地に倒れた」と訳しています。[444]
いずれにせよ、それは自然な眠りではなく、17節に記されている恐怖の結果です。
エゼキエルの場合(エゼキエル書1章28節~2章2節)と同じ様に、ダニエルは目覚めています。
18節にあるように、ガブリエルは「彼は私に手をかけて、その場に立ち上がらせ」とあります。
ポーテウス氏は「ダニエルは距離を置いて、その場に立ち上がらせた」(18節)という表現を主張しています。[445]
19節でガブリエルは、17節で述べた終わりの時に関する説明をさらに進め、ダニエルに「終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、「終わりの定めの時にかかわる」ことを知らせるという自分の意図を明らかにしています。
続く節では、幻の解釈の詳細が与えられます。

文脈から判断すると、ここでの「憤り」は、イスラエルに対する神の怒りを指しているようです。
(ダニエル書11章36節を参照にしてください。この表現はここでも使われています)
イザヤの時代に神がアッシリアを懲らしめの杖として用いました。
(イザヤ書10章5節、25節)
そのように、神は憤りの中で、アンティオコスの暴政と、アンティオコスの命令を実行した「不法な者たち」を、御自身の矯正のために用いられました。
(マカバイ記第一1章11~15節を参照にしてください。)
いずれにせよ、重要なのは、神がこの迫害をイスラエルへの懲らしめとして許しておられることです。

「終わりの時」(ダニエル8章17節,19節)という用語の導入と、19節の「終わりの憤りの時」という追加の表現により、多くの学者はこの章がキリストの再臨における異邦人の時代の最終的な終結に言及していると考えています。
キリスト以前の数世紀の歴史の中で、14節までの預言が十分に成就していることはわかります。
しかし、終わりの時に関するこれらの言及はどのように理解できるのでしょうか?
ダニエル9章27節で異邦人の時代の終わりに明らかに関係することを述べています。
また、ここでも終わりの時について述べられていますが、ダニエル11章35節以降の箇所と、12章の追加的な言及により、問題全体が複雑になっています。
解説者は多数の選択肢を持っていますが、それぞれは評判の高い学識によって、ある程度は裏付けられています。

解釈の詳細には大きなばらつきがあるものの、4つの主要な見解が浮かび上がってきます。
(1)ダニエル書8章はすべて成就している歴史的見解です。
(2)完全に未来のことだとする未来的見解です。
(3)預言の二重成就の原則に基づく見解で、ダニエル書8章は、現在成就しているアンティオコス・エピファネスと、世の終わりおよび再臨前にイスラエルを迫害する最後の世界支配者の両方を意図的に預言的に指しているとする見解です。
(4)この箇所は預言であり、歴史的に成就していますが、世の終わりの同様の出来事や人物を意図的に典型的に表している見解です。

この章における歴史的成就を強調する千年王国前再臨主義者は、常に典型的な先見性に同意しています。
この歴史的見解は、主にリベラルな批評家と無千年王国論者によって支持されています。
例えば、リベラルな批評を代表するS・R・ドライバー氏は、「8章には「小さな角」が登場するが、これはアンティオコス・エピファネスを表すと誰もが認めており、その不敬虔な特徴と行為(8章10~12節,25節)は、7章の「小さな角」に帰せられ(7章8節、20節,21節,25節)と本質的に同一です。
デリッチ氏が指摘するように、描写がこれほど類似している場合、世界史の大きく異なる時代に生きた全く異なる二人の人物を指しているとは考えにくい」と述べています。[446]
ドライバー氏は、ダニエル書7章に登場する第四の帝国をギリシア帝国と特定しています。
これは、保守的な解説者の多くとは対照的に、リベラルな批評家がするのと同様です。
そして、ドライバー氏は二つの小さな角が同一であると見ています。
これに沿って、彼は終わりの時を、ダニエルの視点から「アンティオコスの迫害の期間と、彼の死の直前の数ヶ月間の短い期間(11章35節、40節)を意味すると定義しています。
これは、著者の見解では、現在が「終わりの時」であり、神の王国(7章14節、18節、22節、27節、12章2,3節)はその後すぐに樹立される」としています。
ドライバー氏はさらにこのように続けています。
「この「終わり」の意味は、おそらくアモス書8章2節、エゼキエル書7章2節では「もう終わりだ。この国の四隅にまで終わりが来た」とあります。
エゼキエル書7章3節、6節にもこの「終わり」ということばがあります。
また、エゼキエル書21章25節と29節、35章5節の「最後の刑罰の時」とあります。
ハバクク書2章3節はこのようにあります。

「この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。
もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」
(ハバクク書2章3節)


つまり、この「終わり」という言葉はこれらの用法に基づいて解釈されるべきなのです。[447]

エドワード・J・ヤング氏に代表される保守的な無千年王国論者は、7章の小さな角と8章の小さな角を区別しています。
第4の帝国の正体に関する自身の見解を要約して、ヤング氏は、「8章の角と7章の小さな角を比較すると、2つの角が異なるものを表わしていることは明らかです。
8章の角は明らかにアンティオコス・エピファネスを表しているのならば、7章の小さな角はアンティオコス・エピファネスを表していないことになります。」[448]
一言で言えば、ヤング氏は8章が歴史の中で完全に成就したと考えています。
この純粋に歴史的な見解の主な問題は、「終わりの時」という表現や、ダニエル書の中でそれを異邦人の時代の終わりとして使っている他の記述、そして幻の解釈で与えられている特定の詳細について、満足のいく説明がないことにあります。

歴史的解釈とは対照的に、第二の見解は、8章の小さな角への言及を7章の小さな角と同一視しつつも、預言全体が将来に成就すると考えるものです。
これは、二つの角を同一視する点ではリベラルな批判的見解に似ていますが、それを過去のギリシア帝国ではなく将来のローマ帝国に関連付ける点ではリベラルな批判的見解とは異なります。
この立場をとる著述家はごくわずかですが、G・H・ペンバーは「解釈の最初の手がかり」として「この幻はアンティオコス・エピファネスの預言ではありません」。
小さな角は、終わりの日に現れる、はるかに恐ろしい迫害者である」という前提を掲げています。[449]
トレゲレス氏も同様の結論を主張し、このように述べています。
「さらに、アレクサンドロス大王の帝国から分裂した4つの王国は、それぞれローマ帝国に編入されました。
しかし、この章の角はこれらの王国の一つから生じたものであり、したがって、彼がローマの土地に属していることは明らかです。
したがって、両章で語られる人物は同じ領土内に存在しています。」[450]
トレゲレス氏はさらに、7章の小さな角と8章の小さな角、そしてダニエル書11章36~45節における世界の最後の支配者についての記述との類似点を比較しています。
トレゲレス氏は、「これらすべてから、7章と8章の角は同一人物である結論は必然的に導き出されるように思われる」と結論付けています。[451]
しかし、千年王国前再臨主義の解説者の大多数はこの見解を採用していません。
なぜなら、8章ではローマ帝国が明確に述べられておらず、実際、多くの矛盾があるからです。
さまざまな世界帝国の領土は常に同じですが、だからといって出来事や登場人物が同一であるとは限りません。
そして、これがトレゲレス氏が無視している問題の核心です。

例えばピュージー氏は次のように指摘しています。
「ギリシア帝国において、小さな角は帝国自体からではなく、その四つの区分の一つから生じています。
アンティオコス・エピファネスはアレクサンドロス大王の後継者たちの四つの王国の一つから生まれ、その王国は彼の中に存在していました。
第四の角は小さな角から生じたのです。
しかし、第四の帝国においては、角は特定の角からではなく、帝国本体から生じました。
それは彼ら(角)の間に、彼らとは全く異なる形で現れ、そのうちの三つを滅ぼしました。
他の点では極めて類似しているシンボルにこれほど顕著な違いがあるのは、表現されている事実に違いがあるからです。」[452]
7章と8章の2本の小さな角には明らかな類似点がありますが、重要な相違点があります。
ダニエル書7章で表されている第4の王国がローマであるなら、8章のやぎで表されている第3の王国がローマではないことは明らかです。
これらの王国は異なる獣から発生し、角の数も異なり、最終的な結果も異なり、その特徴も大きく異なっています。
ダニエル書7章によると、メシアの王国は最後の世界帝国の後に樹立されるはずでした。
これは、8章のやぎの後の期間には適応できません。
類似点は同一性を証明しないよく知られた規則が、ここでも適応されます。
2人の人物または出来事は、多くの点で似ているかもしれませんが、1つの決定的な相違点によって区別されます。
この場合、2つの章とその内容を対照させる要素が多数あります。

純粋に歴史的な成就と純粋に未来的な成就という二つの問題を参考にして、多くの解説者たちは二重成就の可能性、すなわち過去に部分的に成就した預言が、その箇所を完全に成就する未来の出来事の前兆である可能性に興味がそそられてきました。
この解釈には様々なバリエーションがあり、ダニエル書8章1~14節は歴史的に成就し、15~17節は二重成就であるとする説もあります。
後者の見解はスコフィールド、レファレンス・バイブルによって広く知られるようになりました。
1917年版と1967年版はどちらも、8章を歴史的にはアンティオコスにおいて成就したと解釈しています。
しかし、預言的には、17節以降は世の終わりに再臨によって成就すると解釈しています。[453]
多くの千年王国前再臨主義者の著者はこの解釈に従っています。
例えば、ルイス・T・タルボット氏は次のように書いています。
「ここに記録されている幻がダニエルに与えられた時、そのすべては当時の預言的な出来事と関係しています。
しかし今日、私たちが振り返ってみると、1節から22節に記されているすべてが、すでに滅び去った人々や帝国について言及していることがわかります。
私たちはそれらについて、世界の歴史の書物の中で読んでいます。
しかし、この章の23節から27節は、「後の時代に」現れる「横柄で狡猾なひとりの王」(23節)と関係しています。
そして、この王はまさに来るべき反キリストです。
また、1節から22節は歴史に関するものですが、そこで語られている人々は、この章の最後の節でより詳細に描写されている、来るべき「罪の人」の影でした。」[454]
タルボット氏はこのパターンから多少逸脱し、1節から22節に典型的な成就を、23節から26節に未来の成就を見出しています。
厳密に言えば、これはここで示した区分のいずれにも当てはまりませんが、この箇所が2つの異なる意味で預言を与えていることを示しています。

他の多くの解説者たちも、8章がアンティオコス・エピファネスと未来の世界の支配者の両方について扱っていると述べています。
その中には、ウィリアム・ケリー氏[455]、ナサニエル・ウェスト氏[456]、ジョセフ・A・セイス[457]などがいます。

この見解を、J. ドワイト・ペンテコストがうまく要約しています。
ペンテコステは、7章から12章までの最も啓発的な全体像を次のように示しています。
「ダニエルの預言7章から12章を理解する鍵は、ダニエルが終末に出現する一人の偉大な支配者とその王国に目が向けられていることを理解することです。
ダニエルは歴史的な出来事に言及し、私たちにとって成就する出来事について言及しるのかも知れません。
しかし、ダニエルがこれらについて考えていることは、異邦人の世界の最終的な勢力と、地上を支配する支配者について、より詳細な情報を与えるためだけです。
ダニエル書8章にも、この出来事についての別の言及があります。
ダニエルは、メディア・ペルシャ帝国を征服しようとする王について述べています。
これはダニエルの生涯から数世紀後に起こった歴史的な出来事です。
ギリシア帝国から現れた人物で、イスラエル国家の大きな敵でした。
私たちは彼をアンティオコス・エピファネスとして知っています。
アンティオコス・エピファネスは、パレスチナ、ユダヤ人、そしてユダヤ教への軽蔑を示すために、アンティオコスはエルサレムの神殿に豚を携えて行き、屠殺してその血を祭壇に注ぎました。
この男は荒廃させる者、あるいは「荒らす者」として知られています。
しかし、ダニエル書8章のこの箇所は、アンティオコスによる荒廃と神殿の冒涜についてだけ語っているのではありません。
後に来る大荒廃者、ダニエル書7章で「小さな角」と呼ばれている者を予期しているのです。
ダニエル書8章23節には、この角とその働きについて記されています。[458]
ペンテコステは、ダニエル書8章23~25節の事実を、獣の描写として次のように要約しています。
(1)獣はイスラエルの歴史の末期に現れます。(ダニエル書8章23節)
(2)他国との同盟を通して世界的な影響力を獲得します。(ダニエル書8章24節)
(3)平和計画が彼の権力の台頭を助けます。(ダニエル書8章25節)
(4)非常に知的で説得力があります。(ダニエル書8章23節)
(5)サタン的な支配を特徴とします。(ダニエル書8章24節)
(6)イスラエルと君主の君主に対する強力な敵です。(ダニエル書8章24、25節)
(7)神からの直接の裁きによって彼の支配は終わります。(ダニエル書8章25節)[459]

多くの千年王国前再臨主義の解説者たちは、ダニエル書8章に二重の成就を見出していると結論づけているかもしれません。
彼らの中には、この章の前半を歴史的に成就したものと、後半を預言的に未来と区分することでこれを成就しているとする人もいます。
また、この章全体が、ある意味では歴史的にも未来的にも二重の成就を持つと見なす人もいます。
しかし、多くの解説者たちは、特に幻の解釈において、未来的な要素が強調されていると考えています。

この章の最後の部分が特に未来を描いている見解のバリエーションは、多くの点で称賛に値する解釈の中に見受けられます。
この解釈では、この章全体が歴史的にはアンティオコスにおいて成就したとされていますが、程度は様々ですが、典型的には、異邦人の時代の終わりに状況を支配することになる未来の世界の支配者を予兆するものになっています。
いずれにせよ、この箇所は意図的にアンティオコスの領域を超え、最終的な異邦人の支配者を預言的に予兆しています。

雄羊と粗野な雄やぎの共存


「その角が折れて、代わりに四本の角が生えたが、それは、その国から四つの国が起こることである。しかし、第一の王のような勢力はない。
彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。
彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。」
(ダニエル書8章20~22節)


20、21節に与えられている雄羊とやぎの幻の解釈は、これまでの解釈で想定されていたことを明確にしています。
最も重要なのは、メディアとペルシャが一つの帝国とみなされている事実です。
これは、ダニエルがメディア帝国はペルシャとは別のものであると教えたリベラルな考えに反論するものです。
そして、リベラルな人々は、この考えをダニエル書7章の第二、第三の帝国はメディアとペルシャであったとする解釈を正当化するために用いています。
歴史はこのことを裏付けていないことに誰もが同意しており、リベラルな解釈はダニエルが間違っていることと想定しています。
ここで、この問題はダニエル自身によって明らかにされています。
批評家たちはダニエルが教えていないことをダニエルに帰した罪を犯しているとしていることは明らかです。
「横柄で狡猾な」あるいは毛むくじゃらと表現されているやぎは「ギリシアの王」と呼ばれていますが、目の間にある大きな角が最初の王であることから、明らかに王国全体を指しています。
この角がアレクサンダー氏大王であることにほぼ全員が同意しています。

折れた大いなる角に取って代わった四つの角によって表される四つの王国は、やぎの国から生じた四つの王国だと特定しています。
これらの王国は大いなる角の力を持たないと描写されています。
適切な類似点がないため、ローマ帝国との関連を主張する解説者たちは別として、この四つの王国は明らかに、前述のようにアレクサンドロス大王が帝国を分割した四人の将軍のことです。
多くの解説者たちは、20節から22節は、メディア・ペルシャ帝国とギリシア帝国、そしてアレクサンドロス大王に続く四つの分割に関して、歴史の中で完全に成就したことに同意しています。
解釈上の問題は、続く箇所で生じます。

王国の末期

「彼らの治世の終わりに、彼らのそむきが窮まるとき、横柄で狡猾なひとりの王が立つ。
彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない。彼は、あきれ果てるような破壊を行ない、事をなして成功し、有力者たちと聖徒の民を滅ぼす。
彼は悪巧みによる欺きをその手で成功させ、心は高ぶり、不意に多くの人を滅ぼし、君の君に向かって立ち上がる。しかし、人手によらずに、彼は砕かれる。
先に告げられた夕と朝の幻、それは真実である。しかし、あなたはこの幻を秘めておけ。これはまだ、多くの日の後のことだから。」」
(ダニエル書8章23~26節)


ダニエル書8章のこの部分では、次のような特徴を持つ人物が預言的に描かれています。
(1)彼は「彼らの治世の終わり」、つまり22節の4つの王国に現れます。
(2)彼は「彼らのそむきが窮まるき」に現れるはずです。
(3)彼は「横柄で狡猾な王」、つまり強いまたは大胆な顔つきをしており、知恵のしるしである謎を解くことができる人です (列王記第一10章1節)
(4)彼は大きな力を持ちますが、その力は他のもの (神、サタン、アレクサンダー氏大王のいずれか)に由来しています。
(5)彼はイスラエルという強くて聖なる民を滅ぼすことを含む、偉業を成し遂げます。
(6)彼の政策によって「彼は悪巧みによって欺きをその手で成功させ」、常に陰謀を企てることに忙しく (マカバイ記第一1章16~51節)、邪悪を増大させます。
(7)彼はアンティオコス・エピファネスのように、自分を高めます。
(8)偽りの平和によって多くの民を滅ぼします。
(9)「君の君に向かって立ち」上がります。
(10)最終的に「人手によらずに、彼は砕かれ」ます。
(アンティオコスは悪病で亡くなった)、つまり、彼の権力は人為的な介入なしに滅ぼされます。
最後に、ダニエルは、この幻全体は真実ですが、その理解とその実現は多くの日数にわたって遅れることを警告しています。

これらの多くの点を注意深く検討すれば、アンティオコス・エピファネスにおいて歴史的に成就したこれらの要素全てを説明できる結論が正当化されます。
多くの要素は明白であり、主な難しさは「彼らの治世の終わり」という表現と、「君の君に向かって立ち上がる」という記述にあります。
アンティオコス・エピファネスは、言うまでもなくシリア王国の後期に登場した人物です。
しかしながら、17節と19節の「終わり」や、19節の「終わりの憤りの時」といった他の用語の使用は、アンティオコス・エピファネスの記述と調和させることが困難です。

また、W・C・スティーブンスがこのように述べています。
「アンティオコスの時代はこれらの王国の前の時代にあります。
彼の時代は、古代ギリシア帝国の後期にさえありません。
なぜなら、彼はギリシア帝国が滅亡する100年以上前に終焉を迎えているからです。
単純な解決法は、これらの4つの王国には「後の時代」が訪れることです。
つまり、異邦人の時代の終わりの日に、それらは再び4つの王国として領土として現れることです。」[460]
この「終わり」という表現は、ダニエル書9章26節、11章6節、27節、35節、40節、45節、12章4節、6節、9節、13節にくりかえし登場しています。

別の問題は、王が「君の君に向かって立ち上がる」という記述です。
H・A・アイアンサイド氏はこのような一般的な見解を述べています。
「君の君はメシア以外にありえません。
したがって、これらの言葉はアンティオコスの生涯と死においては成就していません。」[461]
しかしながら、この批判は反論不可能ではありません。
なぜなら、旧約聖書の冒涜者たちの特徴は、神、イスラエル、そして、メシア的希望全般に対する反対として「君の君に」に対して立ち上がる者として、十分に理解できるからです。
結論として、キリストは旧約聖書の時代に神として、ヤハウェの御使いとして、そしてイスラエルの支持者として存在していました。

全体として見るならば、アンティオコスにおいて完全に成就した預言として解釈する場合、この聖句の主要な問題は、時代の終わりを暗示していることです。
ダニエル書7章の全体像、つまりキリストの再臨で終わる部分を考えるならば、これらの言及をアンティオコスに関連づけて理解するのは困難です。
この理由と、この箇所に含まれる多くの詳細な点のために、多くの解説者は、この解釈が幻の域を超えていると考えています。
もし小さな角の幻自体がアンティオコス・エピファネスにおいて成就するのであれば、御使いによる解釈はアンティオコスを超えて、世の最後の支配者にまで及ぶものだと思われます。

しかし、千年王国前再臨主義の解釈者の中には、この幻の解釈が未来的な特徴を持つと確信している人たちがいます。
ここに出てくる人物をダニエル書7章の小さな角とは異なる未来の人物だと特定しています。
ダニエル書7章の小さな角はローマ人で未来の世界の独裁者だと特定されていますが、ダニエル書8章の小さな角は未来的な解釈では、ダニエル書11章6節から15節に出てくる北の王を指していると彼らは理解しています。
この北の王は「アッシリア人」(ミカ書5章5、6節)とも特定されています。[462]
しかし、現代の解説者たちは一般に、他の預言の箇所でアッシリアに言及している箇所を、アッシリアによる以前の聖地侵攻ですでに成就しているか、もしくは千年王国におけるアッシリアの描写であると解釈しています。
そうならば、これらの箇所はダニエル書8章とは関係がなくなります。

この難解な一節は、アンティオコス・エピファネスにおいて歴史的に成就した事柄を明らかに超えており、終末の世界の支配者と何度も称される未来の人物を予兆していると言えるはずです。
多くの点で、この支配者は、アンティオコスが歴史的に成し遂げたのと同じ様のイスラエル迫害と神殿の冒涜を続けます。
この幻の解釈は、預言の二重成就の例証と見なすこともできますが、アンティオコスを型として用いることで、終末の日にイスラエルに敵対する究極の王を描写する際に、型を超えたさらなる事実を明らかにすることも可能になります。
まさにその王は、イエス・キリストの再臨の時に「人手によらずに、彼は砕かれる」のです。

解釈の結論として、ガブリエルは、その幻がダニエルにすぐに理解できるものではなく、それが実現するまでに多くの日数を要するであろうことを明らかにしています。

ダニエルへの影響

「私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。
しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。」
(ダニエル書8章27節)


ダニエルは、与えられた驚異的な幻とそれによる疲労の結果、気を失い、その後、数日間病気になったと記録しています。
回復後、彼は王の執務を再開することができました。
ジェフリー氏は、ダニエルが王の執務を直ちに再開したことは、彼がずっとバビロンにいたこと、そしてスサにいたのは単なる幻であったことを証明していると指摘しています。[463]
ダニエルは、この幻の劇的な性質とその計り知れない意味合いを理解していなかったものの、その記憶に深く刻まれました。
しかし、その完全な解釈を与えてくれる者は誰も見つけられていません
この幻の意図は、ダニエル自身のためではなく、未来の世代のために預言を記録することにあったことは明らかです。
ダニエルが神の啓示を解釈した以前の例とは異なり、ここではダニエルは自分が書き記したり体験したりしたすべてのことを理解することなく、記録者となりました。

ダニエル書8章は、イスラエルに関する預言に重点を置いています。
そのため、小さな角は幻と解釈の両方において重要な位置を占めています。
異邦人の時代は、イスラエルが迫害された時代というわけではありませんでしたが、何度も大きな試練をもたらしました。
ダニエルが預言した四つの大世界帝国のうち、ペルシャ帝国だけがユダヤ人に対して比較的寛容でした。
キリストご自身がルカによる福音書21章24節で示唆されているように、異邦人の時代はエルサレムの踏みつけとイスラエルの民の征服と迫害を特徴としています。

「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」
(ルカによる福音書21章24節)


[402] Cf. R. D. Culver, Daniel and the Latter Days, pp. 95-104.

[403] A. C. Gaebelein, The Prophet Daniel, p. 94.

[404] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 165.

[405] Otto Zockler, “The Book of the Prophet Daniel,” in A Commentary on the Holy Scriptures, 13:171; cf. pp. 33-34.

[406] A. L. Oppenheim, “Belshazzar,” in The Interpreter’s Dictionary of the Bible, 1:379-80.

[407] Young, p. 165.

[408] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 285.

[409] Josephus is also the source of the story that Daniel built a building at Ecbatana in Media in which later the kings of Media, Persia and Parthis were buried. Cf. Montgomery’s discussion on the tomb of Daniel at Susa, and the tradition that Daniel built a tower at Ecbatana (The Book of Daniel, pp. 10-11, 325).
J. A. Montgomery, The Book of Daniel, p. 325. Cf. Josephus, The Works of Flavius Josephus, p. 320.

[410] Keil, p. 285.

[411] Montgomery, pp. 325-26.

[412] S. R. Driver, The Book of Daniel, p. 111.

[413] Montgomery, p. 327.

[414] Cf. M. F. Unger, Unger’s Bible Dictionary, pp. 1022-23.

[415] Young, p. 178.

[416] For a brief history of Medo-Persia, see Walvoord, The Nations in Prophecy, pp. 70 ff.

[417] Keil, p. 290.

[418] 同上、 p. 291.

[419] F. Cumont, “La plus Ancienne geographie astrologique,” Klio 9:263-73.

[420] Driver, p. 113.

[421] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, p. 339.

[422] Young, p. 169; cf. Walvoord, The Nations in Prophecy, pp. 76 ff.

[423] Young, p. 169.

[424] William W. Tarn, Alexander the Great, 1:145-46.

[425] N. W. Porteous, Daniel: A Commentary, p. 123.

[426] Young, p. 169; Leupold, p. 344; Montgomery, pp. 332-33.

[427] Montgomery, p. 333.

[428] 同上、 pp. 333-35.

[429] Leupold, p. 346.

[430] Driver, p. 116.

[431] Montgomery, p. 335.

[432] Young, pp. 165 ff.

[433] Montgomery, pp. 335-36.

[434] Young, p. 172.

[435] Ibid.

[436] Uriah Smith, The Sanctuary and the Twenty-three Hundred Days of Daniel 8:14, p. 119.

[437] Young, p. 173.

[438] Keil, p. 304.

[439] 同上、 pp. 303-4.

[440] See D. H. Wheaton, “Antiochus,” in The New Bible Dictionary, pp. 41-42.

[441] J. Calvin, Commentaries on the Book of the Prophet Daniel, 2:112.

[442] Young, p. 175.

[443] For extrascriptural mention of angels, see Montgomery, p. 345.

[444] 同上、 p. 346.

[445] Porteous, p. 128.

[446] Driver, p. 99.

[447] 同上、 p. 121. Bracketed material in the original.

[448] Young, p. 288.

[449] George H. Pember, The Great Prophecies of the Centuries Concerning Israel and the Gentiles, pp. 289-90; cf. Clarence Larkin, The Book of Daniel, p. 165.

[450] S. P. Tregelles, Remarks on the Prophetic Visions in the Book of Daniel, p. 82.

[451] 同上、 p. 83.

[452] E. B. Pusey, Daniel the Prophet, p. 135.

[453] Cyrus 1:Scofield, ed., Scofield Reference Bible, p. 913, and New Scofield Reference Bible, p. 911.

[454] Louis T. Talbot, The Prophecies of Daniel, p. 143.

[455] William Kelly, Lectures on the Book of Daniel, p. 132.

[456] Nathaniel West, Daniel’s Great Prophecy, p. 103.

[457] Joseph A. Seiss, Voices from Babylon: Or the Records of Daniel the Prophet, p. 221.

[458] J. Dwight Pentecost, Prophecy for Today, pp. 82-83.

[459] J. D. Pentecost, Things to Come, pp. 332-34. These points are a summary of an extended discussion.

[460] William C. Stevens, The Book of Daniel, p. 125.

[46] H. A. Ironside, Lectures on Daniel the Prophet, p. 150.

[462 ]Cf. Ironside, pp. 147-51; and A. C. Gaebelein, pp. 111-13.

[463] A. Jeffrey, “Daniel,” in The Interpreter’s Bible, 6:483.


第9章 七十週の預言

預言者ダニエルの3番目の幻は、7章と8章の2つの幻に続き、イスラエルに対する神の計画、すなわち彼らのメシアが地上に来臨して支配する結末に至ることに関するものです。
他の主要な預言者たちは諸国民と神の救済計画に関する詳細な情報を与えられました。
しかし、ダニエルだけに前の章でダニエルに啓示された異邦人のための計画と、ダニエル書9章24~27節に記録されているイスラエルのための計画の両方を包括的に与えられました。
ダニエルの預言は異邦人にもイスラエルにも包括的かつ構造的な性質を持っており、ダニエル書、特にこの章の研究は預言聖書を理解する鍵となります。
聖書の中で啓示された4つの主要な計画、すなわち御使い、異邦人、イスラエル、そして教会のための計画のうち、ダニエルは旧約聖書の2番目と3番目の計画を啓示する発信源となる特権を持っていました。

この章は、エルサレムの荒廃が70年続くエレミヤの預言で始まり、ダニエルの執り成しの祈りによって進められます。
この章は、御使いガブリエルを通してダニエルに与えられた第三の幻で終わります。
この幻は、聖書全体を理解するための最も重要な鍵の一つとなります。
多くの点で、これはダニエル書のハイライトです。
ダニエル書に記録されている異邦人の歴史と預言は、これまでイスラエルの民に関するものでしたが、9章では特に選民に適応される預言を取り上げています。

エルサレム荒廃の70年

「メディヤ族のアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤ人の国の王となったその元年、
すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。」
(ダニエル書9章1、2節)


9章の冒頭の節によると、ダニエルの3つ目の幻は「メディヤ族のアハシュエロスの子ダリヨスが、カルデヤ人の国の王となったその元年」に起こりました。
言い換えると、5章のベルシャツァルの祭りの出来事は、8章と9章の幻の間に起こったことになります。
6章がこの出来事の順序のどこに適応されるかは明らかではありませんが、ダリウスの治世の元年、9章の出来事の直前または直後に起こった可能性もあります。
ダニエルがベルシャツァルの祭りでの経験や獅子からの救出をすでに経験していたとしたら、神の主権と力のこれらの重要な証拠は、今まさに展開しようとしている素晴らしい啓示のための神による準備であった可能性があります。

しかし、この章の直接のきっかけは、ダニエルがエレミヤの預言の中で、エルサレムの荒廃が70年で成就することを発見したことです。
「主のことばによって」という表現は、「主のことばの中で」という意味と理解できます。
預言者エレミヤは、口頭での預言に加えて、エルサレムがバビロニア人の手によって滅ぼされる前の、その終焉の日々に預言を書き記していました。
エレミヤの最初の記録は既に破棄されていました。(エレミヤ書36章23節)
しかし、エレミヤは主の指示に従ってそれを書き直されていました。(エレミヤ書36章28節)
エレミヤ自身は、ネブカデネザルに反抗したユダヤ人によって捕虜にされ、不本意にもエジプトへ連れ去られ、異国の地の名もなき墓に埋葬されました。
しかし、彼が書き記した時代を超えた聖書は、砂漠や山を越えて遥か遠くのバビロンに伝わり、ダニエルの手に渡りました。
ダニエルがこれらの預言をどれくらいの期間持っていたかは不明ですが、ダニエルはエレミヤの預言を完全に理解し、預言された70年がほぼ終わりに近づいていることに気づいていたと考えられます。
ダニエル書9章に記録されている幻の時は紀元前538年で、エルサレムが最初に陥落し、ダニエルがバビロンへ連れ去られました。(紀元前605年)
その約67年後のことでした。

エレミヤの預言はこのようにあります。

「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。
七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民、――主の御告げ。――またカルデヤ人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」
(エレミヤ記25章11、12節)


その後にエレミヤはこの預言にこのように付け加えています。

「まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
わたしはあなたがたに見つけられる。
――主の御告げ。――わたしは、あなたがたの捕われ人を帰らせ、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々と、すべての場所から、あなたがたを集める。
――主の御告げ。――わたしはあなたがたを引いて行った先から、あなたがたをもとの所へ帰らせる。」」
(エレミヤ記29章10~14節)


これらの注目すべき預言に基づき、ダニエルはエルサレムの復興とイスラエルの民の再集結のために祈るよう励まされました。
ダニエルは高齢で、おそらくは自分がエルサレムに戻るには体力も衰えていたものの、最初の巡礼遠征隊の帰還を見届けるまで生き延びました。
これは「ペルシヤの王クロスの第一年」(エズラ記1章1節)に起こり、ダニエルは少なくとも「ペルシヤの王クロスの第三年」(ダニエル記10章1節)まで、おそらくそれ以上生きたと考えられます。

6章でメディア王ダリヨスについて論じたように、ダリヨスはクロスによってバビロン王に任命されていました。
ダニエル書9章1節の「カルデヤ人の国の王となったその元年」という記述は、彼が何かの高位の権威によって王権を授けられたことを示しています。
これは、彼がクロス大王によってバビロニアの副王に就任したという仮説とよく一致しています。
この任命は「王となった」(ヘブル語で「ホムラク(homlak)」)という動詞によって裏付けられますが、これはクロス自身を指す適切な表現ではないようです。
この点に関して興味深いのは、ベヒストゥン碑文においてダリヨス1世が父ヒュスタスペスも同様に王に任命されたと述べられていることです。

ロバート・アンダーソン公は、ダニエル書9章2節の「エルサレムの荒廃」という記述を研究する中で、捕囚の期間とエルサレムの荒廃の期間を区別しています。
アンダーソン公は、「奴隷状態、捕囚、そして荒廃という複数の裁きを区別できないことが、ダニエル書や聖書の歴史書の研究において、大きな誤りの原因となっている」と述べています。[464]
アンダーソン公はさらに、イスラエルの隷属と捕囚は神殿破壊よりはるかに以前に始まっていたと説明しています。
アンダーソン公の年代は現在の考古学的発見と一致していません。
捕囚が紀元前605年ではなく紀元前606年、神殿の荒廃が紀元前586年ではなく紀元前589年、クロスの勅令が紀元前538年ではなく紀元前536年となっています。
しかし、全体として、エレミヤの預言の成就に対する彼のアプローチは検討に値しています。
1章の解説で既に述べたように、捕囚はおそらく紀元前605年の秋に始まり、その時にダニエルとその仲間、そして王家の子供たちなど、少数の人々が人質としてバビロンに連行されました。
大規模な移送は約7年後に行われました。
ドナルド・J・ワイズマン氏によると、最初の大規模な移送の正確な日付は紀元前597年3月16日、バビロニア支配に対する短い反乱の後、エルサレムが陥落した直後でした。
当時、約6万人が移送されました。[465]
エルサレム自体は紀元前586年に最終的に破壊され、アンダーソン公によれば、これがエルサレムの荒廃の始まりであり、具体的にはエレミヤ書25章11節の預言です。
歴代誌第二36章21節とダニエル書9章2節にも記されています。

エレミヤ書25章11、12節の正確な預言は、バビロン王が70年後に罰せられることを預言しています。
エレミヤ書29章10節は、70年後の土地への帰還を預言しています。
これらの理由から、ダニエル書9章2を神殿自体の破壊を指しているとするアンダーソン公の評価が妥当制は疑わしいものです。
バビロンに対する裁きと土地への帰還は、言うまでもなく神殿自体が再建される約20年前に起こり、紀元前605年に始まった捕囚から約70年後のことでした。
したがって、最善の解釈は、ダニエル書9章2節の「エルサレムの荒廃」という表現を、バビロンに対する裁きについては紀元前605年から紀元前539年まで、土地への帰還については紀元前538年を指すと考えることです。

エルサレムの荒廃(ダニエル書9章2節)という表現のこの定義は、「荒廃(h£orbo‚t)」という語が複数形であることから裏付けられており、明らかにエルサレムの周辺地域も含んでいます。
同じ表現はイザヤ書51章3節(52章9節を参照)でも「そのすべての廃墟」と訳されています。
実際、かつてエルサレムの支配下にあった領土の破壊は、エルサレム陥落の605年よりも以前から始まっていました。

ダニエル書9章2節は紀元前605年から紀元前539年までの期間とみなすのが一般的ですが、アンダーソン公がイスラエル捕囚の期間とエルサレムの破壊の期間を区別しているのは正しいのかもしれません。
ゼカリヤ書1章12節は、神がユダの町々を70年間滅ぼしたことに言及しており、神殿が再建された時期にまで及ぶ可能性があります。
このことはゼカリヤ書1章16節でこのように述べられています。

「それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。
――万軍の主の御告げ。――測りなわはエルサレムの上に張られる。」
(ゼカリヤ書1章16節)


重要なのは、帰還が紀元前605年のエルサレム占領から約70年後であり、神殿の修復(紀元前515年)が神殿の破壊(紀元前586年)から約70年後であり、後者が前者よりも約20年遅いということです。
しかし、どちらの場合も、アンダーソン公が証明しようとしているように、成就はまさにその日に起こるという綿密な正確さをもって行われたわけではありません。
70というおよその数字から予想されるように、これは概算値であるように思われます。
したがって、紀元前605年から紀元前538年までの期間は約67年となり、紀元前515年3月の神殿の再奉献は、紀元前586年8月の神殿破壊から71年未満となります。

つまり、ダニエル書9章2節の記述が意味するのは、ダニエルがイスラエルの民が帰還できる時が近づいていることに気づいたことです。
70年間の捕囚はほぼ終わりに近づいていました。
イスラエルの民が帰還した後、神殿の破壊から70年が経過するまで、彼らは神殿の再建を成し遂げることを妨げられました。

ダニエルがエレミヤの預言に言及していることから、いくつかの原則が浮かび上がってきます。
最初に、ダニエルは70年を文字通りに解釈し、文字通り成就すると信じていました。
ダニエルは、神が預言的な出来事を概観するために時折用いる象徴的な啓示の形式を十分に理解していました。
しかし、エレミヤの預言の解釈は文字通りに、神が御言葉を成就することを期待していました。

二番目に、ダニエルは神の御言葉は祈りによってのみ成就することを理解しており、そのことがこの章に記されている彼の熱烈な嘆願のきっかけとなっています。
ダニエルは一方で、神の目的の確実性と、預言の言葉が必ず成就する神の主権を認識していました。
他方で、彼は人間の選択、信仰と祈りの必要性、そして神の計画に関わる人間の責任への緊急性を認識していました。
荒廃したままのエルサレムに向けて窓を開け放ち、一日三回祈るという彼の習慣は、神に対する彼の心とエルサレムへの懸念を明らかにしています。

第三に、ダニエルは回復への前兆として罪の告白の必要性を認識していました。
エレミヤを通して啓示された預言の計画、ダニエル自身の祈りの生活、そしてイスラエル国家の信仰的な中心地としてのエルサレムへの深い思いを背景に、ダニエルはアブラハム、イサク、ヤコブの神への告白と執り成しを表明する課題に取り組みました。

ダニエルは、ダニエル書9章2節で初めて「主」または「ヤハウェ」という言葉を使用しています。
そして、4節、10節、13節、14節、20節でその表現をくりかえしており、批評家たちはこれをこの一節とそれに続く祈りの信憑性に反する議論として用いてきました。[467]

ダニエルの祈りの準備

「そこで私は、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着、灰をかぶって、願い求めた。
私は、私の神、主に祈り、告白して言った。「ああ、私の主、大いなる恐るべき神。あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守り、恵みを下さる方。」
(ダニエル書9章3、4節)


エルサレムを回復する神のみこころを理解し、ダニエルは勇気づけられ、主への告白と嘆願を捧げるための十分な準備をしようと努めます。
準備には、考えられるあらゆる要素が含まれています。
まず、彼は「顔を神である主に向けて祈り」と述べられています。
これは、ダニエルが他の事柄から目を離し、主への祈りに集中する正式な始まりです。
それは信仰、献身、そして礼拝を暗示しています。
彼の祈りの行為には、「願い求めた」という言葉で表現される具体的な目的があります。
それは、彼が祈りの答えを得るための根拠を見出そうと望んでいることを予期しています。
ここで示された心構えと確固とした目的意識は、祈りと嘆願、すなわち一般的な祈りと具体的な嘆願によって補完されます。
これには、祈りを補助するあらゆる既知の手段が伴います。
すなわち、食物によって祈りからそらされないようにするための断食、極度の困窮を象徴する荒布を着るために普段の衣服を脱ぎ捨てました。
そして、悲しみと謙遜の伝統的な象徴である灰をかぶりました。
一言で言えば、ダニエルは祈りをより効果的で説得力のあるものにするために、あらゆる努力を惜しんでいません。
ネヘミヤ記2章4節の経験が示すように、神はどんなに短い祈りでも尊重されますが、効果的な祈りには、神の御言葉への信仰、心と霊の正しい態度、プライバシー、そして時間をかけた告白と嘆願が必要なのです。
ダニエルの謙遜さ、畏敬の念、そして真剣さは、効果的な祈りの特徴です。
ダニエルは主への祈りを始めるにあたり、神の尊厳と力の偉大さは、特に神が契約の約束を果たされ、神を愛し戒めを守る人々にあわれみを示されることにおいて示される事実に依存しています。
ネルソン・グリュックが「あわれみ(hesed)」という言葉の研究で明らかにしたように、「あわれみ」という言葉は、赦しだけでなく、イスラエルとの契約を守る忠誠心をも意味しています。[468]
神の契約に対するこの忠誠心は、イスラエルの人々の言い訳のしようのない不忠と対照的です。
ダニエルは祈りを始めるにあたり、神の偉大さと慈しみを確信しています。
彼の問題は、イスラエルの民が罪を犯し、契約を破り、神の忠実さゆえに約束どおりに下される神の裁きを受ける立場に自分を置いていることです。

ダニエルの告白の祈り

「私たちは罪を犯し、不義をなし、悪を行ない、あなたにそむき、あなたの命令と定めとを離れました。
私たちはまた、あなたのしもべである預言者たちが御名によって、私たちの王たち、首長たち、先祖たち、および一般の人すべてに語ったことばに、聞き従いませんでした。
主よ。正義はあなたのものですが、不面目は私たちのもので、今日あるとおり、ユダの人々、エルサレムの住民のもの、また、あなたが追い散らされたあらゆる国々で、近く、あるいは遠くにいるすべてのイスラエル人のものです。
これは、彼らがあなたに逆らった不信の罪のためです。
主よ。不面目は、あなたに罪を犯した私たちと私たちの王たち、首長たち、および先祖たちのものです。
あわれみと赦しとは、私たちの神、主のものです。これは私たちが神にそむいたからです。
私たちは、私たちの神、主の御声に聞き従わず、神がそのしもべである預言者たちによって私たちに下さった律法に従って歩みませんでした。
イスラエル人はみな、あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。そこで、神のしもべモーセの律法に書かれているのろいと誓いが、私たちの上にふりかかりました。私たちが神に罪を犯したからです。
神は、大きなわざわいを私たちにもたらすと、かつて私たちと、私たちをさばいたさばきつかさたちに対して告げられたみことばを、成就されたのです。
エルサレムの上に下ったほどのわざわいは、今まで天下になかったことです。
このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているように、私たちの上に下りましたが、私たちは、不義から立ち返り、あなたの真理を悟れるよう、私たちの神、主に、お願いもしませんでした。
主はそのわざわいの見張りをしておられ、それを私たちの上に下しました。
私たちの神、主のみわざは、すべて正しいのです。私たちが、御声に聞き従わなかったからです。」
(ダニエル書9章5~14節)

神の契約とあわれみを思い起こしたダニエルは、告白の祈りを始めます。
ダニエルは、旧約聖書の主要人物の中で、罪を負わされていない数少ない人物の一人です。
彼がここで問うているのは、個人的な罪ではなく、国家の罪、そして祝福の約束と神の裁きの警告の両方においてダニエル自身が共有する集団的責任への共感です。
ダニエルは告白において、自分自身と民を惜しんでいません。
ジャン・カルヴァンが解説の中で指摘しているように、彼らの罪の程度は四つの段階に分けられます。
最初に、彼らは「罪を犯した(h£a„t£a„ánu)」、つまり重大な犯罪または違法行為です。
二番目に、彼らは不義を犯した、つまり「不正を行ない」ました。
三番目に、彼らは不正なことをした、つまり「不正な振る舞い」をしました。
四番目に、このように罪を犯し、あなたの戒めから逸脱することによってさえ反抗した、つまり「反抗的になり、神の定めと戒めを放棄」しました。[469]

モーゼス・スチュアート氏はこのように述べています。
「この文のクライマックスの構成は明白です。
反逆者特有の心構えで、神のおきてへの服従からそむくことは不正の完成となります。
ダニエルがこのことを正しく考えていました
ここで使われている動詞の多様性は、話し手がさまざま種類の罪を完全に告白していることを示しています。」[470]

6節では、神が遣わした預言者を無視した事実によって、彼らの罪の凶悪さがさらに際立ちます。
預言者へのこの不敬と不服従は、イスラエルのあらゆる階層、すなわち王、君主、「先祖たち」と呼ばれる他の指導者、そして最終的には「一般の人すべて」に共通するものです。
ヒゼキヤ王の治世下のような復興の時代においてさえ、王の使者が国中を巡り、エルサレムでの過越の祭に人々を招いた時でさえ、聖書は多くの人々が「人々は彼らを物笑いにし、あざけった」(歴代誌第二30章10節)と記録されています。
5節で述べられているように、イスラエルが戒律と裁きから逸脱し、神の御言葉を無視したこと、そして預言者を無視したことは、「あらゆる道徳的混乱の始まり」であると、ロイポルド氏は表現しています。[471]

7、8節でダニエルは、神の義とイスラエルの面目失墜を対比させています。
神はイスラエルに対する裁きにおいて義であり、イスラエルの苦難が神の特質に反するものでは決してありません。
対照的に、イスラエルの面目失墜、すなわちそしりは、彼らを諸国民の嘲笑の的とさせましたが、それは神への反逆に対する正当な報いとなりました。
ダニエル書では特に関係する人々を列挙しています。
最初に、ユダの人々とエルサレムの住民、つまりバビロニア人によって捕囚されたユダ王国、二番目に「近く、あるいは遠くにいるすべてのイスラエル人」、つまり紀元前721年にアッシリア人によって連れ去られたイスラエル王国の十部族です。
イスラエルの子孫が「追い散らされたあらゆる国々」に散らされたのは、一つの罪によるのではなく、何世代にもわたって律法に従わず、預言者に留意しなかったからです。

8節では、恥じ入っている者たちが社会階層ごとに「私たちの王たち」「首長たち」「先祖たち」と列挙されています。
神の裁きは、いかなる階層にも容赦なく、彼らの罪と背きに応じて下されました。
この箇所では、ダニエルの以前の告白と同じ様に、ダニエルは言葉を濁すことなく、イスラエルの背きと罪について言及し、弁解しようとはしていません。

フレデリック・A・タットフォード氏はダニエル書9章5~8節を次のように要約しています。
「ダニエルが用いた表現の多用さには、同語反復は一切ありません。
むしろ、彼はあらゆる言葉を用いて、自身と民の罪と反抗の甚大さを表現しようとしました。
イスラエルは正義から逸脱して罪を犯し、故意に不敬虔に振る舞い、全くの不忠実さで不正な行いをし、故意に反抗し、神の戒めと定めに背きました。
イスラエルの罪の杯は満ちていました。
預言者たちが神のメッセージを持って遣わされたにもかかわらず、彼らが耳を傾けなかった事によって、彼らの罪はさらに重くのしかかりました。
支配者、指導者(もちろん「先祖たち」という言葉は文字通りの意味ではなく比喩的に用いられている)、そして民、すべてが関与していました。
神は完全に公正でしたが、彼らの恥ずべき顔つきは不敬虔さを提示しています。
ダニエルは民の罪を認め、そしりを与えました。
面目を失ったのはユダとエルサレムに限ったことではなく、世界中のイスラエル人すべてに適応されます。
実際、彼らの離散は神への不忠実さに対する刑罰です。
ダニエルは民と完全に一体となって彼らの過ちを認め、彼らのそしりは完全に正しい裁きによるものです。
イスラエル人は神に対して罪を犯したのだと率直に告白しました。[472]
神の義とイスラエルの罪を対比させた後、ダニエルは9節で神のあわれみと赦しをイスラエルの罪と対比させています。
ここでの「あわれみ」という言葉はダニエル書9章4節のものと異なり、正しく翻訳されています。
神は義の神であると同時に、あわれみの神でもあります。
もちろん、ダニエルはこの根拠に基づいて祈りを捧げています。
こうして彼は、二人称で神に直接語りかけるのではなく、三人称で神に語りかけています。
まるで聞くすべての人に真理を述べるかのようです。
この神学的事実が、祈りの残りの部分の根拠として提示されます。
スチュアート氏が指摘するように「これらの名詞の複数形「あわれみと赦し」は、これらの性質や属性の現れの強さ、あるいは継続的かつ長期的に行使されることを表しています。」[473]

神のあわれみと赦しを思い起こさせる一方で、ダニエルは10、11節でイスラエルの罪の重大さを語り始めます。
ここでもダニエルは、イスラエルが彼らの神である主の声に従わなかった事実をくりかえし述べています。
彼らは、主のしもべである預言者たちによって告げられた律法に従って歩んでいません。
10節で「律法」と訳されている言葉は、文字通り「戒め」を意味しています。
(イザヤ1章10節以下を参照にしてください。)
反抗は少数の者によるものではなく「イスラエル人はみな、あなたの律法を犯して離れ去った」のです。
彼らの絶え間ない失敗と神への反抗のために「神のしもべモーセの律法に書かれているのろいと誓い」がイスラエルに適用されました。

例えば申命記28章では、祝福と呪いの条件がイスラエルに詳細に示されています。
もし、彼らが従うならば、神から物質的にも霊的にもあらゆる祝福を受けるのです。
もし、彼らが従わないならば、神は彼らを滅ぼし、地上に散らされるはずです。
モーセは、イスラエルが主なる神に従わなければ、彼らの状況はまさに絶望的なものとなることをはっきりと示していました。
申命記28章の大部分はこれらの呪いを列挙することに費やされており、イスラエルの世界的な離散(申命記28章63~65節)と、その結果として個々のイスラエル人を特徴を与える、いのちと未来の不確実な預言的な警告で締めくくられています。

モーセの言葉はなんとも悲しいものです。

「かつて主があなたがたをしあわせにし、あなたがたをふやすことを喜ばれたように、主は、あなたがたを滅ぼし、あなたがたを根絶やしにすることを喜ばれよう。あなたがたは、あなたがはいって行って、所有しようとしている地から引き抜かれる。
主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中に、あなたを散らす。
あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。
これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。
主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。
あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる。
あなたは、朝には、「ああ夕方であればよいのに。」と言い、夕方には、「ああ朝であればよいのに。」と言う。
あなたの心が恐れる恐れと、あなたの目が見る光景とのためである。」
(申命記28章63~67節)


ダニエルが述べているのは、まさにこのような聖句や神の警告でした。

G・E・メンデンホール氏は、モーセの契約の形式が、ヒッタイト帝国の特定の宗主権条約(すなわち、大王とその家臣との間の条約)と密接な類似性を持っていることを示しました。
これらの条約における制裁は、レビ記26章14~39節と申命記27、28節にも示されているように、一連の祝福と呪いによって典型的に規定されています。
こうした警告は天と地によって証明されています。
(申命記4章26節とイザヤ書1章2節を参照にしてください。)、
その形式は旧約聖書の多くの箇所と類似しています。[474]
12~14節でダニエルは、神が彼らの罪の結果として彼らにもたらした災いを列挙しています。
このようにイスラエルに裁きを下すことによって、神は私たちと、私たちを裁いた裁判官たちに対して語られた御言葉を成就されました。
(イザヤ書1章10~31節、ミカ3章を参照にしてください。)
何よりも恐ろしい別の裁きは、エルサレムそのものの破壊であり、イスラエルの誇りと安全に決定的な打撃を与えました。

イスラエルは、以前のすべての罪に加えて、窮地に陥っても、主に向かって祈ることをしていません。
「私たちは、不義から立ち返り、あなたの真理を悟れるよう、私たちの神、主に、お願いもしませんでした。」
神の正しい裁きの恐ろしい現れのさなかでさえ、回復も神への立ち返りもありません。
支配者も民も同じように、不正な道を歩み続けました。
ダニエルが言っていることは、神は哀れみ深い神ではあっても、他に選択肢がなかったことです。
あわれみが拒絶されるとき、裁きは避けられないからです。
それゆえ、ダニエルは14節で結論づけています。
「主はそのわざわいの見張りをしておられ、それを私たちの上に下しました。
私たちの神、主のみわざは、すべて正しいのです。私たちが、御声に聞き従わなかったからです。」
ポーテウス氏は、「備えを怠らず」あるいは「用心深く」とも訳せる「見張り」という言葉は、神が御言葉を実行するためにどのように見守っていたかを語るエレミヤの言葉と同じだと指摘しています。
(エレミヤ書1章12節、31章28節、44章27節を参照にしてください。)
ヤハウェは祝福においても、呪いにおいても御言葉を忠実に守られました。
これは、捕囚の終わりを待ち望むダニエルにとって励みとなりました。[475]

ダニエルの赦しと回復の嘆願

「しかし今、私たちの神、主よ、あなたは、力強い御手をもって、あなたの民をエジプトの地から連れ出し、今日あるとおり、あなたの名をあげられました。私たちは罪を犯し、悪を行ないました。
主よ。あなたのすべての正義のみわざによって、どうか御怒りと憤りを、あなたの町エルサレム、あなたの聖なる山からおさめてください。私たちの罪と私たちの先祖たちの悪のために、エルサレムとあなたの民が、私たちを取り囲むすべての者のそしりとなっているからです。
私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いとを聞き入れ、主ご自身のために、御顔の光を、あなたの荒れ果てた聖所に輝かせてください。
私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。
主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行なってください。
私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。」
(ダニエル書9章15~19節)


ダニエルは、罪の告白と神の義とあわれみの認識によって土台を完全に築き上げ、思考を進展させながら、今や祈りの重荷を負っています。
この祈りは、神がその義とあわれみにふさわしく、イスラエルの民を赦し、回復してくださるようにという祈りです。
ダニエルは願いを捧げるにあたり、まず最初に、イスラエルの民をエジプトから救い出した神の力と赦しの啓示に訴えます。
そうすることで、神は赦しだけでなくその力をも示し、その偉大な力の実証によって諸国民の間で「名をあげられました。」
イスラエルの民をエジプトから救い出したことは、多くの点で、旧約聖書における神の力と、その民を救う神の能力の型的な例です。
これとは対照的に、新約聖書では、イエス・キリストの復活が神の力の基準となっています。
(エペソ人への手紙1章19、20節)
キリストの将来の千年王国において、力の基準となるのは、イスラエルの再集合と彼らの土地への復帰です。
(エレミヤ書16章14、15節)
イスラエルが三度、土地から離散し、再び集合したことは、イスラエルにおける力の重要な実証の一つです。
神は彼らがエジプトに行くことを許し、出エジプトにおいて彼らを救い出しました。
神は捕虜として彼らを罰しましたが、今、ダニエルは神に、神の民を彼らの土地と町に帰還させてくださるよう懇願しています。
千年王国における将来の最終的なイスラエルの再集合は、アモス書9章11~15節を成就する最後の行為です。
そして、イスラエルは再び離散することなく再び集合させられます。
離散と再集合の両方において、神の義、力、そしてあわれみが明らかです。

神がイスラエルをエジプトの地から救い出すという思いをダニエルに伝えた後、ダニエルは再び、イスラエルの邪悪さに圧倒され、それが回復の道を阻んでいるように思われます。
ダニエルは「罪を犯し、悪を行ないました」と付け加えています。
これは、この祈りのこの部分における彼のテーマです。
それでも、ダニエルはイスラエルの赦しと回復を祈り求めます。
スチュアート氏は15節を次のように要約しています。
「ここで語り手の嘆願が始まります。
少なくとも、この宣言はその準備段階です。
論旨はこのようです。
「しかし今、私たちの神、主よ、あなたはかつてあなたの民に驚くべき救いを成し遂げ、それによって栄光あるあなたの御名を得られました.。
――あなたの驚くべき御業をくりかえし、あなたがすでに得た栄光にさらに加えてください。
あなたが私たちをエジプトの捕囚から導き出したように、バビロンの捕囚からも導き出してください。」
――今この時における御名、すなわち、今、なおあなたに帰せられる御名、栄光、名誉です。
――私たちは罪を犯しましたなど、深い悔い改めの思いが、語り手から告白のくりかえしを強いています。」[476]
15~19節で祈願をする際に、ダニエルは神をアドナイとエロヒムと呼び、4~14節で用いた「ヤハウェ」という語はもはや用いていません。
不思議なことに、多くの注釈者はこの重要な呼び方の変化を無視しています。[477]
モンゴメリ氏は、批評的な枠組みの中では実際のヘブル語に注意を向けているにもかかわらず、自分の翻訳では「ヤハウェ」という語を挿入しています。[478]
その説明は、アドナイという語を用いることで、ダニエルが主として神に対する絶対的な主権を認めています。

ダニエルは16節で、具体的な嘆願を述べるにあたり、再び、主の義に深く訴えかけています。
イスラエルの復興の希望は神のあわれみによるものと予期しつつも、ダニエルはそれが「あなたのすべての正義のみわざ」でなければならないことを認識していました。
ここには、ささげ物による神との和解の仕組み全体が暗示されており、それはイエス・キリストにおいて完全に成就されました。
ダニエルは、神の義と、神のあわれみと赦しの間には、何も矛盾がないことを認識しています。
また、イスラエルに対する神の裁きを預言している同じ聖書が、彼らの復興も預言しているのも事実です。
そして、契約を守る神である神の真実性にかんがみれば、裁きを下すだけでなく、約束された復興をもたらすことも、また真実と言えます。
16節においても15節と同じ様に、ダニエルは祈りの冒頭で、イスラエルの民は「あなたの民」であり、彼の祈りは「あなたの町」であり「あなたの聖なる山」であるエルサレムの復興を訴えていると主張しています。
その訴えは、復興があわれみの行為であるだけでなく、神に誉れと栄光をもたらし、今やイスラエルが「そしり」となっている諸国民への証しとなる事実に向けられています。
ヤング氏はこのように表現しています。
「この祈りは悲劇的な罪の告白です。
エルサレムはすべての国々が向かう山であり、イスラエルは異邦人にとって光となるべきでした。
しかし、人々の罪のゆえに、エルサレムとイスラエルはそしりとなってしまったのです。」[479]
ダニエルは、答えが神の栄光となるという事実に基づいて嘆願するにあたり、さらにもう一つ付け加えています。
それは、神がささげ物を捧げる際に人と出会った場所である聖所自体が荒廃し、エルサレムとその神殿の破壊によってささげ物を捧げる制度全体が廃れてしまったことです。
したがって、17節で彼は神に「あなたのしもべの祈りと願いとを聞き入れ」と懇願し、ダニエルの嘆願に応えて「主ご自身のために、御顔の光を、あなたの荒れ果てた聖所に輝かせてください」と願っています。
結論として、ダニエルが求めていたのはイスラエルの復興でも、エルサレムや神殿の復興でもなく、ささげ物の祭壇と至聖所を備えた聖所の復興でした。

ダニエルの祈りの雄弁さは、今や最高潮に達しています。
神に忠実な僕が嘆願を捧げるのを聞いて、神の耳は喜ばせたからです。
ダニエルがこのように言うのを聞いて、神は心を動かされたはずです。
「私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。」
もし神への祈りが説得力のあるものならば、ダニエルの祈りはその通りの言葉としてもふさわしいものでした。
ダニエルの聖なる生活、神に近づくための周到な準備、妥協のない罪の告白、そして義でありあわれみ深い神の聖なる性質への訴えは、神が喜んで答えてくださる祈りを如実に物語っています。
神の霊に導かれたダニエルは、神が聞かれ、答えたいと願っていた祈りをまさに表現していました。
祈りの終わりに、ダニエルは再び神にこのように懇願しています。
「主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行なってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです」
タットフォード氏が適切に述べたように、「この祈りは聖書の中で最も注目すべき祈りの一つです。」[480]

ダニエルのこの祈りほど純粋な信仰に満ち、偉大な霊的内容を持つ聖書の箇所は他にありません。
しかし、チャールズ氏に代表される高位の批評家たちから容赦なく攻撃されてきました。
ダニエル書全体が紀元前2世紀の偽造であり、預言者ダニエルによって紀元前6世紀に書かれたものではないという前提に基づき、批評家たちはダニエル書のこの部分を、ダニエル書全体が預言者ダニエルによって書かれるはずがないとする特別な証拠として反論しています。
チャールズ氏は、この箇所を真正なものとして受け入れることに反対する7つの論拠を挙げています。[481]
保守派の学者を代表するリューポルド氏は、チャールズ氏の7つの論拠を要約し、適切に反論しています。[482]
モンゴメリ氏は批評家の反論を要約しています。
この祈りは「形式と表現において儀式的な宝石であり、文学的特徴においてはエズラ記やネヘミヤ記に見られるより冗長な型よりも優れています」と暫定的に認めつつも、「この祈りは、ソロモンの祈り(列王記第一8章)、エレミヤ記の祈り(エレミヤ記26章32節~44節)、そしてエズラ記・ネヘミヤ記の祈り(エズラ記9章、ネヘミヤ記1章9節)に代表される申命記時代以来の儀式的な型です」とモンゴメリ氏は主張します。
さらに「この祈りの大部分は、他の作文に見られる言葉で構成されている」と述べています。[483]
しかし、ダニエル書9章2~19節は元々は本文に含まれていなかった挿入句であるという説明を、すべての高等批評家が受け入れているわけではありません。
この複雑な議論は、賛成派と反対派の両方からモンゴメリ氏によって要約されています。
彼は次のように述べています。

フォン・ガル著「Einheitlichkeit」(123-126)は、ダニエルの祈りは挿入であるとの題目を展開していますが、彼の他の著作は儀式としての実質的な完全性を主張しています。
マルティ、チャとチャールズ氏[マルティ注解書(Marti’s Commentary)]がこれに続いています。
これらの学者が主張するように、祈りの主題が文脈と一致していないことは明白です。
文脈は、国家的大惨事についての儀式上の告白ではなく、啓示を求める祈り(2章20節以降)を必要とするように思われます。
さらに、ダニエルの即時の救済を求める祈りは、8章26節やこの章の末尾で見られる、その出来事が遠い昔のものである認識とは対照的です。
5章4節Aが5章3節をくりかえしていること、また、5章20節が5章21節で再開される主要な物語とつながっていることが指摘されています。
これは「私が語り、祈り、告白している間」「私が祈りを捧げながら話している間」というくりかえしを説明しています。
筆者はカンプ(Kamphausen)の意見に同意します。
これらの議論は決定的ではありません。
紀元前2世紀の著者は、信者を励ますために、時を数えることが彼らを励ますことを目的としていたように、信者を励ますために、自分もこのような祈りを本書に挿入したのかもしれません。
祈りのきめ細かい研究、その真実性を支持し、またそれが歴代誌記者によるものであることを論じる研究については、バイエル著「ダニエル書」1部、484頁を参照にしてください。

批評家の主張は、エレミヤの七十年とダニエル書9章24~27節の七十週は同じ誤った前提に基づいています。
ダニエル書がこの二つの期間を区別しており、この部分は改ざんであると主張されています。
間違っているのは批評家たちであり、ダニエル自身ではありません。
ダニエル、ネヘミヤ、バルクが共通の資料から書き写したという主張は、ダニエル書が最初に書かれ(紀元前2世紀ではなく紀元前6世紀)、ネヘミヤとバルクにはダニエル書が先立っていた事実によって適切に説明されます。
くりかえしますが、彼らの主張の根拠となっているのは批評家の理論であり、その理論自体が誤りです。
ダニエル書批評家たちは堂々巡りの議論をしています。
彼らはダニエル書の年代を紀元前2世紀と仮定し、ダニエル書が彼らの誤った前提と合致していないと批判しています。
この箇所の統一性と美しさは、このこと自体が支持の根拠となっています。

御使いガブリエルの到来

「私がまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、主の前に伏して願いをささげていたとき、
すなわち、私がまだ祈って語っているとき、私が初めに幻の中で見たあの人、ガブリエルが、夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近づき、
私に告げて言った。
「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。
あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。」
(ダニエル書9章20~23節)


ダニエルが主に祈りを捧げていた時、答えは既に天の使者、御使いガブリエルを通してもたらされていました。
ダニエルは20節で、祈りのまさにその冒頭で御使いが遣わされたことを暗示しています。
ダニエルが表現しているように、それは「私がまだ祈って語っているとき、私が初めに幻の中で見たあの人、ガブリエルが、夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近づき」その時に成就しました。
21節によると、ガブリエルは夕べのささげ物を捧げる頃にダニエルに告げました。
ここに記録されているダニエルの祈りは、おそらく詳細に続けられ、夕べのささげ物を捧げる時に最高潮に達したはずです。
そして、実際の口頭での祈りの要約に過ぎないことは明らかです。

「ガブリエルという人」という表現は、彼が御使いであることを否定するものではなく、ダニエル書8章15、16節の幻と彼を同一視するものです。
「人」(ヘブル語:áish)という語は、召使いという意味でも用いられています。[485]
8章で指摘されているように、ここには興味深い解釈が織り込まれています。
リューポルド氏は次のように述べています。
「「ガブリエル(Gabriel)」という語は「神の人」を意味するが、最初の語根である「ゲブヘル(gebher)は「強い者」としての「人」を意味しており、二番目の語根である「エル(‘el,)」は「強い神」を意味しています」。[486]
つまり、「ガブリエルという人」という表現は、「強い神の召使い、強い者」と翻訳できます。
名前による同一視に加え、ダニエルは「私が初めに幻の中で見たあの人」つまり、8章のことを付け加えています。
ダニエルによれば、ガブリエルは「すばやく飛んで来て」、夕方のささげ物の時間にやって来ました。
「すばやく飛んで」というヘブル語の意味は、すべての注釈者が指摘するように難しいですが、これが最も適切な翻訳であるように思われます。
つまり、神はダニエルが祈りを始めた直後にガブリエルにすぐに彼のもとへ行くように指示しました。
ガブリエルはすばやく飛びましたが、ダニエルの祈りが終わるまで到着しませんでした。

彼が夕べのささげ物の時間にやって来たのは、感動的な出来事です。
もちろん、紀元前586年に神殿が破壊されて以来、半世紀も夕べのささげ物は行われていません。
しかし、ダニエルは若い頃、神殿跡から午後の空に立ち上る煙を見て、神が罪深い民を、彼らのために捧げられたささげ物に基づいて受け入れてくださることを思い起こしていました。
このささげ物は普段なら午後3時頃に始まり、完全な一歳の子羊を全焼のささげ物として捧げ、穀物と飲み物のささげ物と共に捧げられました。
これは、汚れのない神の子羊として十字架上で捧げられるイエス・キリストの将来のささげ物を予表するものでした(ヘブル人への手紙9章14節)
ダニエルはささげ物について具体的には語っておらず、「夕べのささげ物」、すなわち穀物のささげ物と飲み物のささげ物についてだけ語っています。
もちろん、一方のささげ物の時間は、もう一方のささげ物の時間と一致していました。
夕べのささげ物の時間は祈りの時間とも定められていたため、ダニエルも祈るよう勧められました。
ある意味で、神は犠牲とささげ物のときに民の霊的な必要を満たしたように、ガブリエルはダニエルのこの時の必要を満たし、神のあわれみをダニエルに思い出させるために神によって遣わされました。

到着すると、ガブリエルはダニエルと会話し、自分が来た目的は「あなたに悟りを授けるため」だと述べています。
ダニエルの祈りは、神がイスラエルの人々とどのように関わっているかを理解する必要性に向けられたものではありません。
しかし、このことが彼の祈り全体の根底にある前提となりました。
一言で言えば、神はダニエルに、イスラエルの最終的な回復を含め、イスラエルに対するすべての約束を成就するという揺るぎない決意を保証したいと願っておられます。
23節でガブリエルは、20節で暗示されているように、ダニエルの祈りの冒頭でダニエルのもとに行くようにという指示を受けたことを確認しています。
この命令は明らかに神ご自身から与えられたものですが、大御使いミカエルによって遣わされた可能性も考えられます。
しかし、その後に続く啓示の重大さを考えると、神ご自身に帰する方が適切です。
ガブリエル自身の言葉によれば、彼はダニエルに、イスラエルの計画全体、特に続く節で述べられている七十週の幻を理解するために必要なことを示すために来ました。
ガブリエルは、ダニエルが「愛されている人」であり、イエスが愛した弟子である使徒ヨハネ(ヨハネ13章23節)のように、多くの霊的・道徳的特質において主と特別な関係にあったことを証ししています。
七十週という偉大な啓示に至る23節の長い前置きは、この啓示の重要性を物語っています。
こうしてガブリエルはダニエルに、イスラエルに対する神の目的、そしてキリストの再臨によって地上に御国が築かれるという最高潮の啓示がなされる舞台が整いました。

イスラエルの七十の7年間の啓示

「あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。
それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。」
(ダニエル書9章24節)


ダニエル書9章の最後の4節には、旧約聖書の中でも最も重要な預言の一つが含まれています。
預言全体は24節で示されています。
最初の69個の7は25節で描写されています。
六十九番目の7から七十番目の7までの間の出来事は26節で詳しく述べられています。
七十番目の7の最後の期間は27節で描写されています。
この預言についてはさまざまな解釈がなされてきましたが、それらはまずキリスト論的見解と非キリスト論的見解という2つの主要な分野に分けられます。

非キリスト教的アプローチは、リベラルな批判的見解と保守的な無千年王国主義説に分けられます。
リベラルな批評家は、ダニエル書が紀元前2世紀に書かれた偽書であると主張し、この章において偽ダニエル書がイスラエルの捕囚期間の70年間とガブリエルの幻の七十の7年間のを混同していることに注意を注いでいます。
モンゴメリ氏は9章の序文でこの件を次のように要約しています。
「ダニエルは、聖都が70年間荒廃するエレミヤ書の預言を知り、その期間の終わりが近づいていました。(1、2節)
そこで、民の罪の赦しと約束された救いを祈り始めました。(3~19節)
御使いガブリエルがダニエルに現れ(20、21節)、年を週として解釈し、遠い未来と神の御心の頂点を成す時期の詳細を告げます。(22~27節)[487]
つまり、モンゴメリ氏は、これは預言ではなく、偽ダニエルによって単に預言であるかのように提示されているだけだと言っています。
どのような成就があろうとも、この聖書が書かれた当時、すでに歴史が成就していたということです。
モンゴメリ氏は、七十週の解釈に関する長文の注釈の中で、預言の詳細がアンティオコス・エピファネスの生涯と迫害において大部分が成就したという考えを支持しています。[488]
要約の中で、モンゴメリ氏は次のように述べています。

70週の解釈の歴史は、旧約聖書批評におけるどんよりした沼地と言えます。
これらの数字を「合理主義的に」扱うことに伴う困難については甚大に扱うとしても、こちら側の批評家たちの間においても意見が一致していません。
しかし、2000年にわたる無限にさまざまな解釈の後、救いの歴史に正確に適応されるように年代記を得ようとする仮説や理論、そして努力の道なき荒野は、70週を明確な預言的年代記の決定することを不可能にしています。
既に見てきたように、初期のユダヤ教とキリスト教の解釈は、この日付を終末論的に解釈し、エルサレム陥落において成就したと結論づけました。
しかし、キリストの降臨という預言のテーマは、他の初期のテーマの存続とともに、教会にゆっくりと浸透していきました。
初期の教会は、この預言とされるものに対して何の主張もせず、むしろメシア主義に染まった神学的雰囲気の中で、このことを見事に無視してきました。
当然のことながら、偉大なカトリックの年代学者たちは、この主題に科学的な熱意を持って取り組んできました。
しかし、彼らの努力も、その後のすべての年代学者(偉大なスケーリンジャー氏やアイザック・ニュートン公を含む)の努力も、失敗に終わりました。[489]
言い換えれば、モンゴメリ氏は、解釈の歴史に関するあらゆる学識と知識にもかかわらず、結局は合理的な解釈をまったく行っていません。

しかし、エドワード・ヤング氏の注釈書に見られるように、一部の保守的な学者も、聖書を敬意をもって扱いながらも、預言の七十の7について満足のいく結論を見出せず、モンゴメリ氏と同じ様に、納得のいく説明をせずに放置しています。[490]
ダニエル書9章24~27節の保守的な解釈では、通常、時間の単位は年とされています。
しかし、この決定は必ずしも全会一致ではありません。
ヤング氏のように、これを終末論の体系に当てはめることに難色を示す無千年王国論者の中には、これを不確定な期間とみなす人もいます。
実際には、この箇所には「年」という言葉は使われておらず、不確定であるため、彼らはこの問題をやや曖昧なものとして捉えています。
さらに、ヤング氏が指摘するように、「7」という語は通常の女性複数形ではなく、男性複数形です。
明確な説明は与えられていませんが、ヤング氏は「7」という語が通常とは異なる意味で用いられていることに意図的に注意を喚起するためだったと感じています。[491]
多くの注釈者は、時間の単位が日ではないことに同意しています。
さらに、この章の前半で論じた70年間の捕囚期間があった事実は、ここで年も考慮されていることを示しているように思われます。
少なくとも「年「という解釈は「日」という解釈よりも好ましいものです。
ヤング氏は次のように述べています。
「490日という短い期間は、いかなる見解においても預言の要件を満たしていません。
したがって、筆者の知る限り、この見解はほぼ普遍的に否定されています。」[492]
ヤング氏は議論の末、最終的にカイル氏とクリーフフォスの見解は正しいと結論付けています。
「7」という言葉は必ずしも年週を意味するのではありません。
「7という数で測られる期間を意図的に不定に指定するものであり、その年代的な長さは他の根拠に基づいて決定されなければなりません。」[493]
この見解に、無千年王国論者のロイポルド氏も同意しています。
「天地創造の週以来、「七」は常に数の象徴において神の御業の印となってきました。
「七十」は7を10倍したものであり、これは端数であるため、完全、完成を意味しています。
したがって、「七十ヘプタド(heptads)」、つまり7×7×10は、神の御業が最も重大なものとなる期間となるのです。
聖書において数の象徴がいかにくりかえし重要な役割を果たしているかを熟知している解釈者にとって、これは奇抜でも異常でもありません。」[494]
しかし、無千年王国主義説を支持する人々の中には、最初の69週については文字通りの年単位を用いる一方で、最後の7年間については不確定な期間を用いる者もいます。
フィリップ・マウロ氏の場合がそうです。
(232~237ページを参照)
しかし、同章で述べられている捕囚期間70年という期間の正確さを考えるのであれば、文脈から、この啓示にはより文字通りの意味が込められていた可能性が高く存在しています。

ヤング氏の非キリスト教的解釈に加えて、正統派ユダヤ教の解釈では、この期間は西暦70年のエルサレムの破壊で終了すると結論づけています。
もちろん、これもテキストの適切な説明にはなりません。

しかし、学問の世界では圧倒的なコンセンサスがあり、時間の単位は年とみなすべきとされています。
ヘブル語の辞書学の権威者たちは、時間の単位を「7(日、年)の期間」や「ヘプタッド(heptads)、週」と定義するのが一般的です。[495]
19世紀、プロイセンのグライフスヴァルト大学の神学教授であったオットー・ツェックラー氏は、ダニエル書の内部証拠から、「週」と訳されているヘブル語は7年の期間を表していると長く論じています。

これは通常の意味での70週、つまり490日を指すことは到底不可能です。
なぜなら、この数字はエレミヤ書5章2節の70年と明らかに関連しており、490日という短い期間は、3年半という期間を神秘的に言い換えるには不適切だからです。
さらに、7章と8章の記述によれば、3年半は苦しみと弾圧の期間全体を指すのに対し、5章25節以降では、70週のうち後者のより長い区分(62週)は、比較的苦しみのない期間として特徴づけられています。
最後に、この3年半は、5章27節で、犠牲やささげ物が捧げられなくなる「半週」という形で再び現れています。
そして、70週の終わりのこの小さな部分が、前述の3年半の苦難の期間と明確に一致していることから、70週は70週年とみなされるべきです。
したがってエレミヤの70年を延長したものとみなされるべきであることに疑いの余地はありません。[496]
この箇所においてキリスト論的成就を全く見出さない様々な見解があることを考えるならば、解釈者は多少なりともキリスト論的解釈に注意を払わなければなりません。
しかしながら、この預言がイスラエルのメシアと何らかの関連があるという点でおおむね合意が得られているにもかかわらず、ここでも意見の相違が見られます。
キリスト論的解釈は、さらに大きく二つのカテゴリーに分かれます。
すべてのキリスト論的解釈は、最初の69の七年を文字通りに解釈する傾向があります。
この分裂は、七十番目の7年の解釈をめぐって起こります。
無千年王国主義説は、一般的に七十番目の7年は六十九番目の7年の直後に続くものであり、したがって歴史の中で既に成就していると考えています。
別の見解は、七十番目の7年はそれ以前の一連の年とは切り離され、キリストの再臨に先立つ7年間に将来成就するように予定されているとしています。
多くの細かな相違は見られますが、この箇所のキリスト論的解釈における主要な問題は、最後の7年間の成就の性質に関するものです。

ダニエル書9章24~27節のキリスト論的解釈では、示されている時間の単位は年であると一般的に想定されています。
英語の「週」という言葉は誤解を招きます。
ヘブル語では実際には7を意味する単語の複数形であり、それが日、月、あるいは年であることを特定していないからです。
しかしながら、この預言に文字通りの意味を与える唯一の解釈体系は、ユダヤ教の慣習に従って、360日を1年とする預言的な年とみなすことです。
ユダヤ教では、年は360日ですが、必要に応じて暦を修正するために時折追加の月が挿入されます。
したがって、70×7は490年であり、その始まりは25節にある「エルサレムを再建せよ、との命令」の時であり、その490年後の27節で頂点を迎えます。
ダニエルは、最初の483年間(69×7)に起こる出来事、六十九番目の7年間と七十番目の7年間の間に起こる出来事、そして最後の7年間を詳しく説明する前に、24節で全体像を説明しています。
この重要な基礎預言の正確な性質には、細心の注意を払う必要があります。

問題の預言的な期間は「定められている」と宣言されています。
これは、神の全体的な計画を前提としており、将来の出来事は確実になり、神によって実行される全体的計画の一部として捉えられることを意味しています。

冒頭で述べられている預言の非常に重要な側面は、問題の期間が「あなたの民」と「あなたの聖なる都」に関係していることです。
廃墟と化しても、エルサレムは神の心に聖別された都であり続けます。(9章20節)
ダニエルもこの都への愛を共有しており、それは神の過去と未来における御国のための計画の中心を成すものです。
ダニエル書2章、7章、8章の預言は主に異邦人に関するものでしたが、この章はダニエルが明らかに解釈したように、イスラエルの民のための神の計画を具体的に示しています。
これをユダヤ人と異邦人の両方から成る教会と同義にすることは、ダニエルの考えとは無関係な何かをこの箇所から読み取ることができます。
教会はエルサレムとも、イスラエルに特に与えられた、土地の回復と再取得に関する約束とも関係がありません。

この預言がイスラエルの人々と聖都エルサレムに関係していることが確立されるならば、24節で神の6つの重要な目的が明確に識別されます。
(1)「そむきをやめさせ」
(2)「罪を終わらせ」
(3)「咎を贖い」
(4)「永遠の義をもたらし」
(5)「幻と預言とを確証し」
(6)「至聖所に油をそそぐ」

ダニエル書9章24節の七十の7年間で完了するこれらの6つの項目は、本質的に全体的なものです。
ヤング氏のような解説者の中には「そむきをやめさせ」、「罪を終わらせ」、「咎を贖い」という3つの否定的な結果を見出そうとする人もいます。
これとは対照的に、肯定的な成果は「永遠の義をもたらし」、「幻と預言とを確証し」、「至聖所に油をそそぐ」といったものです。
これは明らかに主観的な区分です。
「咎を贖い」は否定的な行為ではなく肯定的な行為であり、逆に「幻と預言とを確証し」は肯定的な行為ではなく否定的な行為である可能性が高いからです。[497]
より好ましいアプローチは、それぞれの長所を個別に検討することです。

しかし、最初の3つは、罪を「そむき」、「罪」、「咎」という3つの方法で扱っています。
本文自体が用語の説明をしていないため、様々な解釈が可能ですが、大まかな考え方は把握できます。
七十の7年間の期間には、まず、そむきを終わらせるための計画が立てられます。
「終わらせる」という表現は、「終わらせる」という意味の「語根(ka„la)」の「動詞形(piel)」に由来し、終わらせるという意味です。
最も明白な意味は、イスラエルの背教と罪、そして地の上での放浪の歩みが七十の7年間で完了することです。
ダニエルが祈りの中で求めたイスラエルの回復は、最終的にこの概念において成就します。

プログラムの2番目の側面である「罪を終わらせ」は、罪を取り除く意味でも、罪を最終的な裁きに導くという意味でも解釈できます。[498]
テキストの読み方にはばらつきがあるため、「罪を封印する」と翻訳する可能性もあります。[499]
カイル氏はこの側面を「罪を封印する」と訳し、次のように述べています。
「封印の比喩は、ここでは牢獄に閉じ込めることと関連しています。
6章18節を参照にしてください。
王はより安全のために、ダニエルが投げ込まれた洞穴を封印しました。
同じ様に、神は人の手を動かせないように封印し(ヨブ記37章7節)、光を放つことのできない星を封印しました。(ヨブ記9章7節)
ここで罪が封印されたと表現されているのは、それらが神の御前から完全に取り除かれることです。」[500]
最終的な説明にはこれらすべての項目が含まれる可能性があります。
なぜなら、イスラエルの歴史の終末論的な結末は、確かに彼らの過去の罪に終止符を打ち、彼らの罪を裁きにかけ、また、赦しの要素も導入させるからです。

計画の第三の側面である「不義を和解させる」ことは、キリストがイスラエルと世界を自分と和解させた十字架を、かなり明確に描いているように思われます。

「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」
(コリント人への手紙二5章19節)


旧約聖書における和解の啓示に関して言えば、辞書編纂者や神学者たちは、罪に関連して用いられるヘブル語「キッペル(kippe)」を、「覆う」、「拭い去る」、「無害なもの、存在しないもの、あるいは機能しないものにする」、「(神の注意や配慮に関する限りにおいて)無効にする」、「神の前から退く」という意味で理解してきました。
これには、神の恵みに復帰させる、罪から解放する、聖性を取り戻すといった概念が付随しています。[501]
和解の基本的な準備は十字架でなされましたが、イスラエルに関する限り、その実際の適用は再びキリストの再臨と関連しています。
この段階と歴史的成就については終末論的な説明が可能です。

ジョージ・N・H・ピーターズ氏は、キリストのささげ物を王国に具体的に関連付けて次のように述べています。

御言葉に一歩ずつ従っていくと、ささげ物が神の国そのものの永遠の土台を形成していることが分かります。
なぜなら、ささげ物は神権的な王を救い主とし、律法を犯すことも軽減することもせずに罪から救い出すからです。
「義なる者が不義なる者のために」死んだのです。
そして、王としての資格が与えられ、死に至るまで従順であったことにより、すべての敵を支配し、すべてのものを回復する権威を与えられました。
ささげ物はユダヤ民族の回復に影響を与えています。
しかし、彼らが突き刺した方を仰ぎ見る幸いな時が来ると、そのささげ物への信仰もまた、彼らの中に義の平和な実を結びます。
諸国民の忠誠、そして千年王国と新エルサレムに関するすべての記述は「このささげ物が正当に評価され、感謝の念をもって、そして喜びをもって認められること」から生じる結果として実現されます。
それは、神の豊かなあわれみがそれによって贖われた世界へと流れ出る尽きることのない泉からわきだすのです。[502]
計画の4番目の側面は「永遠の義をもたらす」ことです。
これは、キリストが最初の来臨において、神が罪人を義と認めるための義の根拠を備えられた意味で、キリストによっても成し遂げられたと言えます。
しかしながら、キリストの再臨の時に義が地上に適用されると述べている多くのメシア的聖句こそが、究極の説明となります。
例えば、エレミヤはこのように述べています。

「見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。
その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『主は私たちの正義。』と呼ばれよう。」
(エレミヤ書23章5、6節)


メシア王国の正義の特徴はイザヤ書11章2~5節 に描かれています。
(イザヤ書53章11節、エレミヤ書33章15~18節 を参照にしてください。)

計画の第五の側面「幻と預言とを確証し」は、おそらく、幻と口伝預言による異例の直接啓示の終結を意味すると理解することが最も適切だと思われます。
確証するという表現は、それ以上付け加えられることはなく、預言されたことは実際の成就という形で神の確認と承認を受けることを示しています。
手紙は一旦封印されると、その内容は取り消すことができません。
(6章8節を参照にしてください。)
ヤング氏はこれを旧約聖書の預言者にのみ適用しています。[503]
しかし、口伝預言と聖書の執筆の両方に見られる新約聖書の預言の賜物の終焉もこれに含めることが好ましく思えます。
もし七十週目がそれでも終末論的であるならば、預言全体が成就したと解釈しようとするヤング氏は認めることのできない解釈の余地が生じることになります。

預言の第六の側面である「至聖所に油をそそぐ」は、ゼルバベルによって建てられた神殿の奉献、アンティオコスによって以前に汚された祭壇の聖化(マカバイ記第一4章52~56節)、さらには新しいエルサレム(ヨハネの黙示録21章1~27節)に至るまでさまざまなことが述べられてきました。[504]
ヤング氏は、これが聖霊によって油を注がれたキリストご自身を指していることを示しています。[505]
カイル氏とリューポルド氏は、これを新しいエルサレムの新しい至聖所(ヨハネの黙示録21章1~3節)に言及することを好んでいます。[506]
千年王国前再臨主義を表明したA・C・ガエベライン氏は、この聖句は「彼[キリスト]とは何の関係もなく、エルサレムの中央に建つ別の神殿における至聖所の油注ぎ」、すなわち千年王国の神殿であると信じています。[507]
これらの見解はいずれも正しい可能性があるため、ここでは教条主義的な議論の余地は全くありません。
カイル氏とロイポルド氏による、新しいエルサレムの至聖所を指している解釈には、多くの利点があります。
一方、他の項目はすべて再臨前に成就し、七十週目自体もその時に終了しています。
再臨前に成就が必要であるならば、カイル氏、ロイポルド氏、そしてガエベルライン氏は除外されるはずです。
ただし、千年王国における成就は再臨の一部と見なすことができます。
一方、6つの項目は年代順に並んでおらず、この預言が終末に関連していつ成就したとしても、本文に重大な違反はありません。
もし、完全な成就が、リベラルな批評家が結論づけるようにアンティオコス・エピファネスにおいて、あるいはヤング氏のような無千年王国論者が特徴を与えているようにキリストの初臨において見出されるならば、この観点は狭まります。
最後の7年間を終末論的に未来とするならば、キリストの再臨や、それに関連する千年王国神殿などの出来事まで成就の可能性が広がります。
リューポルド氏のように、時が不定であるとする無千年王国論者は、最終的な成就を永遠の状態にまで拡張することができます。

六十九週の七の成就

「それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、油そそがれた者、君主の来るまでが七週。また六十二週の間、その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される。」
(ダニエル書9章25節)


七十の7年間の詳細が啓示された冒頭で、ダニエルは預言の主要な事実を知り、理解するよう勧められています。(ダニエル書9章22節)
カルヴァンはこれを勧告ではなく「あなたは知り、理解するであろう」という事実の表明と解釈しています。[508]
しかし、ダニエルが実際にこれを理解したかどうかは疑問です。
ダニエルの預言の後半の部分のいくつかは、明らかにダニエルには理解していません。(ダニエル書12章8節)
しかし、神の神聖な目的に関する全般的な確信はダニエルを慰めました。
むしろ、これを勧告と捉える方が適切です。
これらの節の解釈の歴史は、この預言が難解であり、霊的な識別力を必要とする事実を裏付けています。

この箇所全体の解釈の鍵は「引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから」という表現にあります。
七十の7年間が始まる日付、つまり「終末期」という問題は、預言の解釈においても、適切な成就を見つける上でも、明らかに最も重要なものです。
その日付は、エルサレムを再建し、建て直せという命令が発せられた日付であるとされています。

この節の解釈の歴史が示すように、理論的には複数の解釈が可能です。
ヤング氏は、「引き揚げてエルサレムを再建せよ」という命令という表現を「引き揚げてエルサレムを再建せよという言葉の発せられたこと」、すなわち「この句は、ペルシャの支配者からではなく、神からの言葉の発せられたことに言及している」と解釈しています。[509]
ヤング氏はさらに、「命令」という表現は「言葉」(ヘブル語(da„ba„r)、歴代誌第二30章5節)と訳した方が適切であると主張し、ダニエル書9章23節でも神の御言葉として使われていることを指摘しています。
ヤング氏は「したがって、この2節後に、この事実に言及することなく、別の主題が導入されるとは考えることは困難」だと論じています。[510]
もちろん、24節で別の主題が持ち出されており、2つの戒めが全く異なっていることは明らかです。
23節の戒めはダニエルのもとにガブリエルが遣わされることに関するもので、25節はエルサレムの再建に関するものです。
しかし、ヤング氏は、25節で述べられている主の言葉は、ダニエル書9章2節で引用されている、イスラエルの民の捕囚からの帰還に関してエレミヤに与えられた言葉だとしています。
もちろん、これは全く異なる2つの預言を完全に混同しています。
1つは捕囚とエルサレムへの帰還に関するもので、もう1つは帰還後のイスラエルの将来に関するものです。
しかし、ヤング氏自身も、この説明は聖書箇所の説明を納得させるものではないことを認めています。
なぜなら、エルサレムが破壊された紀元前586年には主の言葉は発せられていないからです。
ヤング氏は、「しかし、紀元前586 年には、エルサレムを復興し、再建する発言は出ていなかったことは明らか」だと述べています。[511]
同じ反論が、異邦人の時代の始まりである紀元前605年という日付に対しても適応されます。

しかし、多くの解説者は、ここで述べられている言葉や戒めは、たとえ神の意志を反映し、預言の言葉と合致していたとしても、人間の戒めであることを認識しています。
聖書には、エルサレム再建に関する少なくとも4つの勅令が記録されています。
(1)神殿再建を命じたクロスの勅令(歴代誌第二36章22、23節、エズラ記1章1~4節、6章1~5節)
(2)クロスの勅令を追認したダリウスの勅令(エズラ記6章6~12節)
(3)アルタクセルクセスの勅令(エズラ記7章11~26節)
(4)ネヘミヤに与えられた、街再建を認可するアルタクセルクセスの勅令(ネヘミヤ記2章1~8節)

紀元前538年頃、クロスによって神殿再建の勅令が出されたことは、誰もが認めるところです。
問題は、この勅令が街の再建も認可したかどうかです。
歴代誌第二36章とエズラ記に記録されている3つの勅令の正確な文言は、神殿だけを対象としているように思われます。
街の再建はネヘミヤの時代まで実現しません。
ネヘミヤ記2章1~8節に記録されている勅令は、明らかに街全体を指し示しています。

エズラ記4章12~21節からは、その当時に城壁が再建されたことが示されており、エズラ記9章9節の「ユダの城壁」という記述は完成を意味しています。
城壁の再建が紀元前457年に承認された証拠はありません。
これらの箇所を注意深く検討しても、城壁が完成、あるいは着工されたことを明確に証明することはできません。
イスラエルの敵の非難は大部分が虚偽であり、証拠は彼らが神殿を建設していたことだけを明確に示しています。
ネヘミヤ記に記されているエルサレムの廃墟と、その12年後の城壁の規模から判断すると、紀元前586年のエルサレムの破壊とするのが最善の解釈となります。
城壁の再建時期を紀元前445年より前とする説は、証拠不十分に基づいています。[512]
しかしながら、この箇所の無千年王国主義説は、紀元前538年のクロスの勅令を、街と城壁の再建の勅令とみなしてきました。
歴代誌第二とエズラ記が街の再建を認可していないことは認められていますが、イザヤ書44章28節と45章13節の預言が参照されます。
これらは、クロスが登場する150年前に彼について与えられた注目すべき預言です。
イザヤ書44章28節にはこのようにあります。

「わたしはクロスに向かっては、『わたしの牧者、わたしの望む事をみな成し遂げる。』と言う。エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる。』と言う。」」
(イザヤ書44章28節)


イザヤ書45章1~4節にも、クロスに関するさらなる預言が記されています。
クロスについては特に述べられていませんが、イザヤ書45章13節をクロスへの別の言及と解釈する者もいます。

「わたしは勝利のうちに彼を奮い立たせ、彼の道をみな、平らにする。彼はわたしの町を建て、わたしの捕囚の民を解放する。
代価を払ってでもなく、わいろによってでもない。」と万軍の主は仰せられる。」
(イザヤ書45章13節)


ヤング氏はエズラ記4章12節の記述に確証を見出しています。
そこではイスラエルの敵がユダヤ人を「あの反抗的で危険な町を再建しています。その城壁を修復し、その礎もすでに据えられています」と非難しています。
また、「私たちの神の宮を再建させ、その廃墟を建て直させ、ユダとエルサレムに石垣を下さいました」という事実についてのあいまいな記述もあります。
しかし、この後者の記述は神殿そのものを指しています。

したがって、ヤング氏は次のように結論づけています。
「街の建設と神殿の建設をあまり明確に区別することは正当化されていません
確かに、人々が神殿を再建するためにエルサレムに戻る許可を得ていたのならば、そこには自分の住居を建てる許可も暗黙のうちに含まれていました。
人々がそのように布告を理解していたことは疑いの余地がありません。
(ハガイ書1章2~4節)」[513]
しかし、ヤング氏はハガイの預言の要点を完全に見落としています。
イスラエルの民が家を建てていたのは事実ですが、彼らはエルサレムにはいませんでした
快適な家に住みながら神殿を荒廃させておくことは神への冒涜であり、ゆえにハガイは彼らに神殿を建てるよう勧めています。
エルサレムが再建されたかどうかという疑問は、ヤング氏が言及していないネヘミヤの鮮明な描写、すなわち町が完全に廃墟と化した様子を描写することで答えられています。(ネヘミヤ記2章12~15節)
ネヘミヤは、城壁が破壊され、門が火で焼かれ、街路が瓦礫で埋め尽くされ、彼を乗せた馬が通り抜けられないほどになっていると描写しています。
ネヘミヤはイスラエルの民への挑戦の中でこのように言います。

「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。
さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう」
(ネヘミヤ記2章17節)

さらに、ネヘミヤ記11章では、10人のうち1人がエルサレムに移住して家を建てるようにくじを引くという手段が講じられています 。
(ネヘミヤ記11章1節)

さまざまな証拠を鑑みると、エルサレムが紀元前6世紀に再建されたわけではないことは明らかです。
神殿の再建は確かにイスラエル建国への第一歩であり、クロスに関する預言の中で予見されていたものです。
そして、そのことは歴代誌第二36章22、23節とエズラ記下1章1~4節にも明確に記されています。
重要なのは、歴代誌第二とエズラ記の預言のいずれにもエルサレムの街については述べられておらず、神殿についてだけ述べられていることです。
したがって、エルサレムの街再建に関する布告は、最初の捕囚民が帰還し神殿の建設を開始してから約90年後の紀元前445年にネヘミヤに与えられたものとするのが、最も妥当な説明です。

デレサー氏、ハヴェルニック氏、ヴァイグル氏など、古い注釈者の多くは、この戒律への言及は、紀元前465年から425年までペルシャを支配し、紀元前445年にエルサレムの再建を命じただけでなく、それ以前にはエズラに紀元前457年にエルサレムに戻るよう命じたアルタクセルクセス・ロンギマヌスの勅令を指していると解釈しています。(エズラ記7章11~26節)[514]
紀元前445年という日付は、ネヘミヤ記2章1節以下に、この勅令がアルタクセルクセス・ロンギマヌスの治世20年に発布されたと記されていることに基づいています。
彼の治世は紀元前465年に始まりましたので、その20年後は紀元前445年ということになります。
したがって、保守派、リベラル派を問わず、多くの学者は、ネヘミヤの勅令の日付を紀元前445年として受け入れています。

ヤング氏は自身の主張を巧みに展開しているものの、最終的な判断はある程度、預言全体の成就によって決定される必要があります。
ヤング氏の説明では、預言を紀元前538年のクロスの勅令から始めるため、この預言を文字通りに解釈することは不可能です。
紀元前538年に始まる483年は、69×7年で予期されるが、紀元前1世紀半ばに終わることになるが、その終わりを告げる重要な出来事は何一つ起こっていません。
ヤング氏の説明を説得力のあるものにするためには、年数が文字通りではなく、解釈も正確ではありません。
そして、実際には最初の69×7年は不確定な期間であり、実際には指定された期間よりもはるかに長いと仮定するしかありません。
ヤング氏が指摘するように「カルヴァン氏、クリーフフォート氏、カイル氏、そして近年ではマウロ氏も」[515]熱心に支持しているにもかかわらず、この解釈は正確な成就を不可能にしています。[516]
25節でダニエルは、連続する二つの期間について述べられています。
最初は七の7年間、つまり49年間の期間、そして次に六十二の7年間、つまり434年間の期間です。
この二つの期間を区別する理由については、ダニエルが「その苦しみの時代に再び広場とほりが建て直される」と付け加えていること以外、明確な説明がありません。

「壁」と訳されている語(harm)は、壁(homd)の通常の語ではありません。
「語根(haras)」は「切る、研ぐ、決める」という意味です。
「名詞形(harm)」はここだけに見られ、古代の解釈者によって「壁」と訳されています。
現代の辞書編集者の多くはこれを「溝」または「堀」と訳しています。
ツォックラー氏は、「それは、みすぼらしく、混乱し、散在し、無防備な家々の集合体ではなく、街路に配置され、要塞化された(壁と)溝で囲まれたものであった」と述べています。[517]
しかしながら、最初の49年間はヤング氏の説明と合致していません。
なぜなら、クロスの勅令 (紀元前538年)からダリヨスの勅令 (紀元前520年)までの期間は明らかに49年ではないからです。
最善の説明は、ネヘミヤの勅令と城壁の建設から始まり、エルサレムのすべての瓦礫を取り除き、繁栄した街として再建するのに丸々1世代かかったということだと思われます。
ならば、これが49年間の成就である可能性は十分にあります。
街路への具体的な言及は、街路が瓦礫で覆われ、再建する必要があったネヘミヤの状況に再び私たちの注意を向けさせます。
これが困難な時期に成就されたことは、ネヘミヤ記自体に十分に記録されています。
正確な成就は主要な項目ではなく、ごくわずかな詳細だけが述べられていますが、重要な点は69の七年が実際にいつ終わるのかという疑問であるように思われます。
ネヘミヤの勅令の日付である紀元前445年が「(terminus a quo)」 だとするならば、「(terminus ad quern)」 とは何でしょうか?

ロバート・アンダーソン公は、この期間の年代記の可能性について詳細な研究を行いました。
その研究は、ネヘミヤの勅令が発布された紀元前445年という確立された日付から始まり、キリストが十字架刑の直前にエルサレムに凱旋入城した西暦32年までを完結するものです。
ロバート・アンダーソン公は、七十の7年間は紀元前445年3月14日のニサンの月の1日に始まり、西暦32年4月6日のニサンの月の10日に終わったと説明しています。
この複雑な計算は、預言的な年を360日、合計17万3880日と仮定して行われています。
これは聖書の年代によれば、ちょうど483年となります。[518]
アルヴァ・マクレイン氏もアンダーソン公の見解に同意しています。[519]
ロバート・アンダーソン公が360日を1年とする考え方が正しいことは、聖書によって証明されていると考えられています。
ユダヤ人は1年を360日とする12か月とし、必要に応じて暦を修正するために13番目の月を挿入するのが慣例です。
1年を360日とする考え方は、大患難時代の42か月(ヨハネの黙示録11章2節、13章5節)が1260日(ヨハネの黙示録12章6節、11章3節)と等しいとされていることからも裏付けられます。
しかし、アンダーソン公の結論は議論が極めて複雑で、簡潔に言い換えることは不可能です。[520]
アンダーソン公の議論の詳細は議論の余地があるものの、紀元前445年から始まりキリストの死の直前までを究極的とする文字通りの解釈の妥当性は、この見解を非常に魅力的なものにしています。

主な難点は、アンダーソン公がキリストの死は西暦32年に起きたと結論付けていることです。
一般的に言えば、現在の証拠に基づくとキリストの死の正確な年については不確実性があるものの、多くの新約聖書年代学者はそれを1、2年早めており、アンダーソン公の年代を西暦30年に調整しようとする妥当な試みもなされてきました。[521]
しかし、近年の新約聖書の年代では、キリストの死の日付がもっと後になる可能性を考慮する傾向があり、今日ではロバート・アンダーソン公の計算が不可能であると断言できる者はいません。
したがって、69の七が終わった時期に関する最良の説明は、ダニエル書9章26節で六十九番目の7の後に予期されているキリストの死の直前に起きたものになります。
多くのすべての解説者は、キリストの死が六十九番目の7の後に起きたことに同意しています。

六十九番目の7の後の預言された出来事

「その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する。
その終わりには洪水が起こり、その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。」
(ダニエル書9章26節)


六十九番目の7の期間を要約すると、25節の期間は「油そそがれた者、君主の来るまで」であると述べられています。
多くの保守的な解釈者は、これをイエス・キリストを指していると解釈しています。
しかし、モンゴメリ氏は別の説明をしています。
「「メシア」は王、祭司(マカバイ第二1章10節)、預言者の称号であり、霊的な意味では族長(詩篇105篇15節)、そして「油そそがれた」であるクロス(イザヤ書45章1節)の称号でもあります。

最初の語を修飾する二番目の語「君主」は、様々な階級の役人について用いられています。
役人の長、特に神殿職員(例えば11章22節の大祭司)、貴族や君主(例えばヨブ記29章10節、31章37節)、そしてイスラエルの王の初期の称号として現れる王族(例えばサムエル記第一9章16節)、そして外国の王にも用いられています。
したがって、どちらの語も曖昧であり、その組み合わせは識別に役立ちません。
このため、3つの候補が提案されています。
クロス、イザヤ書45章1節の「油そそがれた者」、復興のメシアと讃えられたゼルバベル、そして同時代の大祭司ヨシュア・ベン・ヨセデクです。」[522]
モンゴメリ氏が非キリスト教的解釈を証明しようと躍起になっているのは明らかです。
ダニエル書を真正な書物と認める学者の大多数は、25節にイエス・キリストへの言及を見いだしています。
ヤング氏が述べているように「古来の福音主義的解釈こそが、この件の要件を満たす唯一の解釈です。
「油を注がれた者」とは、カルバリの十字架上での死によって絶たれたイエス・キリストのことです。」[523]
もし25節のこの解釈が正しければ、26節の「七十二週」、すなわち7週と62週を足した数週、つまり六十九番目の7週が終わった後に、メシアは「断たれ」と述べられている箇所の鍵となります。
「断たれ」と訳されている動詞は、「滅ぼす、殺す」という意味を持ちます。
例えば、創世記9章11節、申命記20章20節、エレミヤ記11章19節、詩篇37篇9節などでは、この語は「滅ぼす、殺す」という意味です。

26節の自然な解釈は、十字架上でのイエス・キリストの死を指していることです。
これは預言の年代順と関連しており、メシアは六十九番目の7の終わりに生きており、その終わりの直後に断たれる、つまり死ぬことを明確に示しています。

旧約聖書の預言においてメシアが際立って存在し、25節と26節の両方で述べられていることから、メシアの断たれることは、イスラエルと世界に対する神の計画が預言的に展開する中で、重要な出来事の一つとなっています。
約束の王が到来したにもかかわらず、彼が「断たれる」とは、なんとも悲劇的なことのはずです。
凱旋入城時の群衆の熱狂も、以前の彼の働きに心を打たれた人々の献身も、すべて無駄に終わりました。
イスラエルの不信仰、そしてキリストの主張を前にした宗教指導者たちの冷淡な無関心、そして異邦人の支配者たちの心の硬さが相まって、この出来事は最大の悲劇となりました。
キリストは確かに人々から、そして命から「断たれる」だけでなく、十字架上での叫び声によって、神に見捨てられたことを示しました。
「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という悲痛な叫びは、まさにその通りです。
イエスは神から離れることの恐ろしさを明らかにするだけでなく、その答え、すなわち贖いの目的も示しています。
英訳聖書には「彼自身のためではない」という追加の説明がありますが、「彼には何も残らない」と訳すのがおそらく最も適切なはずです。
しかし、イエスが他の者のために死んだことは事実です。
メシアなる君主としてイエスに正しく属する事柄は、当時のイエスには何も与えられていません。
イエスは完全な報いを受けておらず、王権を行使していません。
イエスは世の罪を取り除くために遣わされた神のささげ物の子羊です。
外見上は、悪が勝利したように見えました。

福音派の解説者たちは、これがイエス・キリストを指している点で意見が一致していますが、ここで述べられている出来事が、次の節で述べられている七十番目の7年間週の出来事なのか、それとも第六十九番目の7と七十番目の7年間の、中間的あるいは挿入的な期間に起こるのかについては意見が分かれています。
二つの説が提唱されています。
一つは、七十番目の7年間が六十九番目の七年の直後に続くとする連続成就説です。
もう一つは、六十九番目の七年と七十番目の7年間の間には一定の期間があるとする空白(ギャップ)説あるいは挿入説です。
成就が連続的であれば、七十週は既に過去の出来事となります。
もし空白があれば、七十週はまだ未来の出来事である可能性があります。
この点については、多くの議論がなされてきました。

この箇所の解釈と、継続的成就説とギャップ説のどちらを選ぶかという問題において、再び預言の成就によって私たちを助けてくれることになります。
26節の中央部分には「やがて来たるべき君主の民が町と聖所を破壊する」と記されています。
歴史的に、エルサレムの滅亡はキリストの死後ほぼ40年、西暦70年に起こりました。
ヤング氏[524]のような一部の解説者は、キリストの死によってささげ物は終結し、最後の7年間の半ばに成就したと考えています。
しかし、これは六十九番目の7年間の終わりから38年以上経ってから、出来事が成就していることを示していないのは明らかです。
ヤング氏をはじめとする継続的成就説を支持する人々は、六十九番目の7年間の終わりから約38年後に出来事が起こると仮定するのに十分な説明にできていません。
彼らの考えでは、それは実際には70週後に起こるはずです。
一言で言えば、彼らの理論は、テキストとその年代順について、通常の、あるいは文字通りの解釈を提供していません。

六十九番目の七年の後に、歴史的に成就するまでにほぼ40年を要した二つの出来事が介入したことで、六十九番目の七年と七十番目の七年の初めの間には、少なくとも大きなの期間の空白期間が必要となります。
「来たるべき君主の民」と呼ばれる人々は明らかにローマ人ですが、いかなる意味においても、これらの人々は君主であるメシアに属しているわけではありません。
したがって、二人の君主が存在することになります。
(1)25節と26節のメシア、そして (2)ローマ人と関係のある「来たるべき君主」です。
ローマ人の性質を持ち、ユダヤ民族を滅ぼす第二の君主が必要であることは、27節で確認されています。
(以下の解釈を参照にしてください。)
新約聖書では、この節がキリストの再臨(マタイによる福音書24章15節)に関連して成就されると宣言しています。

26節の最後の部分は、完全には明確ではありません。
しかし、都の滅亡は洪水による破壊と似ており、荒廃は終わりの時まで戦争と共に主権的に定められていることを示しています。
26節で「終わり」という言葉が2度使われていることから、文脈から判断すると世の終わり、そしてエルサレムの将来の滅亡を指していると考えられます。
ヨハネの黙示録11章2節の「彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる」は、再臨直前の大患難時代を指していると考えられます。
しかし、世の終わりにエルサレムが完全に滅亡することはありません。
ゼカリヤ書14章1~3節は、キリストが力と栄光のうちに再臨されるまさにその瞬間に、戦争によって滅ぼされますが、エルサレムが存在していることが示しています。
したがって、26節全体が歴史的に成就したと考えた方がよいと考えます。

ダニエル書11章10、22、26、40節、そしてイザヤ書8章8節では、同じ洪水が起こるという表現が、敵を滅ぼす好戦的な軍勢を指すのに使われています。
これは、エルサレムの都が滅ぼされた時から、イスラエルの民は苦難と戦争と荒廃を日常的に経験するようになり、27節で述べられている「終末」、すなわち第70の七年が終わる時にだけ終わる事実を一般的に指しているものと思われます。
歴史は確かにこの預言を確証しています。
エルサレムが滅ぼされただけでなく、六十九番目の七年が終わるとすぐにパレスチナのユダヤ人の文明全体が消滅し、この荒廃はこの時まで続くからです。
26節の預言された出来事は、25節の出来事と同様、すでに成就しており、預言の言葉の正確さの明白な証拠となっています。
25節の預言は、七十番目の七年の最初のエルサレムの復興について述べていますが、最初の七つの7年に続く六十二の7年はメシアによって頂点に達しています。
そして、メシアが断たれ、エルサレムが滅ぼされる預言は、イスラエルの歴史における重要な局面を示し、この難解な預言を理解する鍵となります。
25節と26節の成就は比較的明確ですが、27節は歴史上謎に包まれており、文字通りの成就は未来的な解釈によってのみ可能となります。

七十番目の七年

「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。
荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」
(ダニエル書9章27節)


ダニエル書9章24~26節の解釈については意見の相違が見られますが、主な争点は、成就がリベラル派が主張するように非キリスト教的か、もしくは多くの保守派の解釈のようにキリスト教的かという点です。
保守派の間では、無千年王国主義説と千年王国前再臨主義の解釈が大きな分かれ目となっています。
しかし、解釈の相違は27節で頂点に達しています。
ここでの選択は、69週と70週の間に空白期間を設ける未来的な解釈を必要とする文字通りの成就、もしくは27節を明確に成就させない他のいくつかの解釈という点に明確に分かれます。

未来的解釈に対して、少なくとも4つの見解が提唱されています。
(1)70週目の7年は、それ以前の69週目と同じ様に「マカバイ迫害後の出来事で成就する」というリベラルな見解です。
(2)70週目の7年は西暦70年の「エルサレムの滅亡で成就する」というユダヤ教学者の見解です。
(3)ダニエル書の70週はキリストから始まり、終わりまで続く不定の期間であるという見解です。
これは、ヤング氏やリューポルド氏などの無千年王国論者がくりかえし支持しています。[525]
(4)70週目の7年は、キリストの公の宣教活動から始まり、キリストの死後約3年半で終わる、文字通りの7年間であるという見解です。[526]

成就は過去に遡ると主張する4つの見解にはそれぞれ、裏付けとなる論拠があり、時には詳細に展開されています。
しかし、それらには共通の欠陥があり、それが解釈の最大の弱点となっています。
すなわち、いずれも預言の文字通りの成就が示されていません。
最初の見解であるマカバイ福音書の成就は、ダニエル書は偽書であり、預言は不可能であるという前提に基づいています。
二番目と三番目の見解は、問題を霊的解釈によってごまかされ、具体的な年代記を示されていません。
70の7という数的体系は単なる象徴的なものに過ぎないとしています。
四番目の見解であるフィリップ・マウロの見解は、最初の69週と半週は文字通り成就しているが、クライマックスはまだ成就していないというものです。

70週目の7年はキリストの再臨まで続くと考える無千年王国論者(第三の見解)のリューポルド氏でさえ、70週目の週の歴史的成就に異議を唱えています。
彼はこのように記しています。
「最後の週、すなわち70週目の週の成就として残されているのは、キリストの死後の7年という小さな日付だけです。
その日付に起こった出来事はあまりにも取るに足らないもので、解説者たちは何を指摘すべきか途方に暮れています。
この解釈は的外れです。
なぜ、このような輝かしい業の終焉が計算の終わりに選ばれるべきなのか、まだ納得のいく答えを提示した者はいません。」[527]

リューポルド氏は、26節の「来たるべき君主」を27節の契約に関わる人物と同一視することで、千年王国前再臨主義に近づいています。
彼は「契約を結ぶ人物として検討されているのは、反キリストである」と述べています。[528]
カイル氏は詳細に議論した後、リューポルド氏と同じ見解を提示し、契約を結ぶのは反キリストだと主張しています。
カイル氏は「したがって、考えるべきことはこのようになります。
不信心な君主が民衆に強い契約を強制し、彼らが彼に従い、彼を神として捧げるという契約である」と結論づけています。[529]
27節の「彼」の先行詞の決定は、この箇所の解釈の鍵となります。
先行詞は最も近い可能性であるという通常の規則に従えば、26節の「来たるべき君主」に遡ることになります。
これは、キリストの再臨直前の、再臨間時代の終わりに現れる反キリストと同一視される可能性のある未来の君主を指していると仮定していることになります。
これが通常の千年王国前再臨主義の解釈です。
この解釈は、カイル氏やロイポルド氏といった無千年王国主義説者、そしてゾックラー氏も支持しています。[530]
しかし、他にも多くの解釈が提唱されています。
モンゴメリ氏は、預言が紀元前2世紀に成就した自身の解釈に沿って、これはアンティオコス・エピファネスに言及していると考えています。
彼は「このように解釈された文の歴史的背景は明らかです。
アンティオコスがエルサレムにおいて、少なくとも貴族階級を含む世俗の大多数と巧みな外交交渉を成立させたことです。
注目すべきは、ユダヤ教の聖職者であるラシ、アエズ、エフェトが、この契約がユダヤ人とローマ人との間の条約として解釈することに躊躇していないことです」と述べています。[531]
したがって、モンゴメリ氏は、25節の「彼」を、26節に出てくる君主と同一視しています。

二番目の見解は、彼がキリストを指しているというものです。
これはヤング氏[532]とフィリップ・マウロによって支持されています。
マウロは次のように述べています。
「もし私たちが「彼」という代名詞を、前の節で述べられている「メシア」と関連付けるならば、新約聖書においてこの箇所の完全な成就、しかも最も顕著な形で示された成就を見出すことになります。
この代名詞は、私たちの意見では、キリストを指していると解釈すべきです。
なぜなら、
(A)この預言はすべてキリストに関するものであり、これがこのクライマックスであるからです。
(b)ティトゥスはユダヤ人といかなる契約も結んでいません。
(c)聖書には、将来の「君主」が彼らと契約を結ぶという記述は一言も出てきていません。[533]
もちろん、マウロは疑問を投げかけています。
なぜなら、これはイスラエルの七十の7年間について述べている唯一の箇所だからです。
議論されているのは、27節がキリストについて述べているかどうかです。
そして、「預言はすべてキリストに関する」ものだと断定的に言えることこそが、まさに問題となっている点です。
また、将来の支配者がイスラエルと契約を結ぶ可能性も考えられます。

三番目の見解はカイル氏によって提唱され、彼はこの文を「一週間で多くの人々に契約を確証する」と訳しました。[534]
カイル氏は、テオドシウス氏だけでなく、ハヴェルニック氏、ヘングステンベルク氏、アウベルレン氏、C・フォン・レンゲルケ氏、ヒッツィヒ氏を引用してこれを支持しています。
カイル氏は「しかし、この詩的な表現方法は、話し手の発言の中で扱われている主題が行為の後に来る場合にのみ許容されます。
契約の確証は時間の働きではなく、特定の人物による行為である」と述べています。[535]
この翻訳は、当時の解説者たちにはあまり受け入れられていません。

これらすべての解釈の難しさは、既に指摘されているように、ダニエル書の預言の最後の7年を成就した明確な7年間が歴史上存在しないことです。
フィリップ・マウロの説明[536]のように、彼をキリストと認める人々はキリストがエレミヤ書31章31~37節の新しい契約を実際に確認した、もしくはヤング氏の解釈「彼は多くの者と堅い契約を結び」[537]とあるように、既存の契約の再確認したかについて意見が分かれています。

結論として、すべての解説者が直面する問題は、どのような解釈が本文を最も自然かつ理にかなった解釈を与えているか、ということです。
もし、この預言を文字通りに解釈する必要がなく、また時間単位も文字通りでなければ、様々な解釈が即座に可能になります。
しかし、解説者が本文を綿密に追うことを望むのであれば、七十番目の7年間全体を未来と宣言する以外に選択肢はありません。
なぜなら、どれほど解釈に労力を費やしたとしても、預言の出来事として成就した7年間は存在しないからです。
最後の7年間を、さらに未来の解釈を可能にする不確定な期間とする人々は、通常はこのことを認めています。

要約すると、アンティオコス・エピファネスは、この箇所を聖書として受け入れる者にとって、その記述を充足するものではないことが結論付けられます。
キリストは27節の記述を満たしていません。
なぜなら、この箇所全体の成就となるキリストに関連する7年間の期間が存在しないからです。
このような状況下では、「彼」の通常の先行詞は「来るべき君主」であり、これはテトオスではなく、将来のイスラエルの民の敵であり、ヨハネの黙示録でまだ未来と預言されている大患難時代へと彼らを導く者とされます。
ヨハネの黙示録は、キリストの死後少なくとも60年、エルサレムの滅亡後20年を経て書かれました。

27節の正確な預言は、この人物が多くの者、文字通り「多くの者と」と契約関係を結ぶことを示しています。
(ダニエル11章39節、12章2節の「多くの者」を参照にしてください。)
これは明らかに、来るべき君主と同盟を結ぶ不信仰なユダヤ人を指しています。
彼らがユダヤ人であることは、24節の「あなたの民」によって示されています。
もし前述の年代記が文字通りの年数を含むと理解するならば、これも7年間であるはずです。
一言で言えば、この預言は、26節で来るべき君主として指名された政治的支配者と、ユダヤ人の代表者との間で将来、協定、あるいは契約が結ばれるというものです。
そのような同盟は、たとえそれが当初どれほど有望であったとしても、明らかに聖くない汚れた関係であり、最終的にはイスラエルの民にとって不利益となります。

預言によれば、7年間の半ばに契約を確定する者は「犠牲とささげ物」、すなわち血を伴うささげ物と伴わないささげ物をすべてやめさせます。
これはフィリップ・マウロが主張するように、十字架上でのイエス・キリストの死を指しているのではありません。[538]
実際には、ささげ物はそれから約40年後の西暦70年まで止まっていません。
ささげ物を止めたのはキリストではなく、神殿を破壊したローマ兵でした。
この預言で想定されているのは、アンティオコス・エピファネスによる神殿の冒涜に続く、まだ未来の出来事であり、マタイによる福音書24章15~26節でキリストが語った大患難時代の始まりです。
これはキリストの観点からは明らかに未来のことであり、紀元前2世紀のアンティオコスによる神殿の冒涜ではありません。

キリストの預言によれば、9章27節の言葉に類似した、荒らす憎むべきものと呼ばれる明確な出来事が、再臨の直前の時期に起こります。
キリストはこのように言われました。

「それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)
そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。」
(マタイによる福音書24章15、16節)

「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。」
(マタイによる福音書24章21節)


この預言の成就には、ユダヤの神殿におけるモーセのいけにえの制度の復活が必然的に伴います。
イスラエルによる現在のエルサレム占領は、モーセのいけにえの制度の復活への準備段階なのかもしれません。
明らかに、両方が機能していない限り、ささげ物を止めることはできず、神殿を冒涜することもできません。

27節の最後の部分は「荒らす忌むべき者が翼に現われる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる」という言葉で神殿の冒涜を描写しているように思われます。
「荒らす忌むべき者が翼に現われる」という表現は、「忌まわしいものの翼に乗って」、あるいはリューポルド氏が示唆するように「忌まわしい偶像の翼に乗って」と訳した方が良いと思われます。[539]
ヘブル語はマカバイ記第一1章54節、マタイによる福音書24章15節、マルコによる福音書13章14節で「荒廃させる忌まわしいもの」と訳されており、七十人訳聖書、テオドシウス訳、ウルガタ訳など最古の翻訳によって裏付けられます。
ダニエル書9章27節の表現をこれらの他の箇所、さらにはダニエル書11章31節と12章11節と同一視することで、ここでの意味は明らかです。
「翼」という言葉の用法については、多くの奇想天外な説明がなされてきた。
カイル氏はクリーフフォス氏の後に、翼を「偶像崇拝とその忌まわしい行いを指す」と解釈しています。
「なぜなら、それは破壊者と荒廃者を高く持ち上げ、運び、彼と共に地上を移動して荒廃させる力となるからです。」(クリーフ)[540]
ヤング氏は、他の多くの提案を排斥した後、より好ましい見解を示しています。
「この言葉は、神殿の頂上を指しているようですが、それはあまりにも冒涜され、もはや主の神殿ではなく偶像の神殿と見なされるようになっていることです。
神殿の翼(マタイの福音書4章5節、ルカの福音書4章8節)は、神殿の頂上そのものです。」[541]
マタイによる福音書24章15節でキリストが用いた「忌まわしいもの」という言葉は、ダニエル書11章31節のアンティオコスを暗示しているのかもしれません。
しかし、ダニエル書12章11節では、明らかにキリストの再臨の42か月前に日々のいけにえを捧げることが将来中止されることを指しています。
1290日、実際には43か月は、キリストの再臨を過ぎて千年王国の始まりまで続くように思われます。
紀元前2世紀にアンティオコスが小規模に行ったことは、将来の大患難時代にイスラエルに対する世界的な迫害と彼らのいけにえの中止の前兆となります。
ヨハネの黙示録13章によれば、将来の大患難時代の世界の支配者は、絶対的な政治的権力を握るだけでなく、全世界に礼拝を要求し、真実な神を冒涜し、聖徒たちを迫害します。(ヨハネの黙示録13章4~7節)
彼の大権の期間はキリストの再臨で終わります。
ダニエル書9章27節の荒廃は終末まで続くとされていますが、この箇所で述べられている荒廃も、ヨハネの黙示録19章で劇的に描かれている終末まで続きます。
その終末では、獣と偽預言者が火の池に投げ込まれます。
これはダニエル書の七十の7年間年周期の終焉であり、イエス・キリストが地上に再臨される時と重なります。

要約するならば、ダニエルの七十の7年間の偉大な預言は、紀元前445年のネヘミヤの時代からイエス・キリストの再臨までのイスラエルの歴史全体を包含していると言えます。
最初の七十の7年間では、街と街路が再建されます。
続く2番目の627年間では、メシアが現れ、その期間の終わりにはすでに存在しています。
六十九番目の7年間と七十番目の7年間の間には、少なくとも2つの主要な出来事が起こります。
メシアの断絶(キリストの死)と、西暦70年のエルサレムの破壊です。
実際には、現代全体がこの出来事に介入されています。

最後の7年間は、将来の「来たるべき君主」と「多くの民」であるイスラエルの民との間に契約関係が結ばれることから始まります。
この契約は将来の7年間の前半は守られますが、その後、イスラエルに与えられた特別な自由と保護は剥奪され、イスラエルは大患難の時代に迫害を受けるようになります。
ダニエル書の70番目の7年のうち最後の3年半の始まりは、将来の神殿の冒涜、犠牲の捧げ物の中止、そしてユダヤ教の荒廃によって特徴づけられます。
マタイによる福音書24章15~26節でキリストが大患難と呼ばれているのは、まさにこの期間です。

七十週預言全体の頂点はイエス・キリストの再臨であり、これはイスラエルの七十週目、そしてダニエル書に記された四大世界帝国に関する異邦人の時代を締めくくるものです。
この期間の大部分において、異邦人とイスラエルに関する二つの大きな預言は同時に進行し、どちらも同じ重要な出来事、すなわちイエス・キリストの再臨で終わります。
この時、弾圧されていたイスラエルは解放され、弾圧者である異邦人は裁かれます。
現在、既にイスラエルはその地に戻ってきています。
ゆえに、これらの預言の成就もそう遠くない事柄かもしれません。

[464] Robert Anderson, The Coming Prince, p. 3.

[465] Cited by Wilbur M. Smith, “Jerusalem,’ in Zondervan Pictorial Bible Dictionary, p. 421.

[466] Cf. D. F. Payne, “Jerusalem,” in The New Bible Dictionary, p. 616.

[467] “See discussion of Dan 9:15-19, pp. 211-12.
Cf. R. H. Charles, The Book of Daniel, pp. 96-97. Cf. also N. W. Porteous, Daniel: A Commentary, p. 137.

[468] Nelson Glueck, Hesed in the Bible.

[469] J. Calvin, Commentaries on the Prophet Daniel, 2:150.

[470] M. Stuart, A Commentary on the Book of Daniel, p. 258.

[471] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, p. 384.

[472] Frederick A. Tatford, The Climax of the Ages, p. 150.

[473] Stuart, pp. 259-60.

[474] G. E. Mendenhall, Law and Covenant in Israel and the Ancient Near East.

[475] Porteous, p. 138.

[476] Stuart, p. 261.

[477] J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, pp. 366-68; E. J. Young, The Prophecy of Daniel, pp. 188-89; Leupold, pp. 390 ff.

[478] Montgomery, p. 369.

[479] Young, p. 188.

[480] Tatford, p. 155.

[481] Charles, pp. 96-102.

[482] Leupold, pp. 395-99.

[483] Montgomery, p. 361.

[484] 同上、 pp. 362-63.

[485] Leupold, p. 400.

[486] 同上、 p. 105.

[487] Montgomery, pp. 358-59.

[488] 同上、 pp. 390-401.

[489] 同上、 pp. 400-1.

[490] Young, pp. 220-21.

[491] 同上、 p, 195.

[492] 同上、 p. 196.

[493] Keil, p. 339; Young, p. 196.

[494] Leupold, p. 409.

[495] Brown, Driver, and Briggs, A Hebrew and English Lexicon of the Old Testament, p. 988.

[496] Zöckler adds, “Such a prophetic or mystical transformation of the seventy years into many periods of seven years each is not unparalleled in the usage of the ancients; cf., e.g., the remarks of Mark Varro in Aul. Gellius, N.A. III., 10: ‘Se jam undecimam annorum hebdomadem ingressum esse et ad eum diem septuaginta hedomadas librorum conscripsisse;’ also Aristotle, Polit., Vii 6; Censorin., de die natali, C. 14. It was, however, peculiarly adapted to the prophet’s purpose, and was especially intelligible to his readers, inasmuch as the Mosaic Law (Lev. 25:2, 4 et seq.; 26:34, 35, 43; cf. 2 Chron. 26:21) had designated every seventh year as a sabbath of the land, and had introduced the custom of dividing the years into hebdomads, which thus became familiar to every individual in the Jewish nation during all subsequent ages. The thought that instead of seventy years, seventy times seventy were to elapse before the theocracy should be restored in all its power and significance, and that, consequently, an extended period of delay should precede the advent of the Messianic era, is ‘an integral feature in the mode of conception which prevails throughout the book’ (Kranichfeld)” (“The Book of the Prophet Daniel,” in Commentary on the Holy Scriptures, 13:194).
O. Zöckler, “The Book of the Prophet Daniel,” in Commentary on the Holy Scriptures, 13:194.

[497] Cf. Young, p. 197.

[498] Young, pp. 198-99; C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 342.

[499] The King James Version bases its translation to make an end on the Kere reading lÿha„te„m, the hiphil infinitive of ta„mam, meaning, “to finish, complete, perfect.” All the ancient versions follow this reading with the exception of Theodotion. The Kethib reading, followed by Keil, is lah£to„m, the qal infinitive of h£a„tam meaning “to seal, to seal up.” The textual confusion is due to easy interchange of letters. Since lah£to„m, “to seal up (the vision),” is found in the next line, it seems plausible to suppose that the scribe responsible for the Kethib reading was influenced by this word. In short, the Kere reading is the preferred reading, as followed in the King James Version, that is, “to make an end” or “to finish sins.”

[500] Keil, p. 342.

[501] S. R. Driver, “Propitiation,” in A Dictionary of the Bible, 4:131.

[502] George N. H. Peters, The Theocratic Kingdom, 3:455-56.

[503] Young, p. 200.

[504] Cf. Young, pp. 200-1.

[505] 同上、 p. 201.

[506] Keil, p. 349: Leupold, pp. 414-16.

[507] A. C. Gaebelein, The Prophet Daniel, p. 133.

[508] Calvin, 2:219.

[509] Young, p. 201.

[510] Brown, Driver, and Briggs, however, allow da„ba„r the meaning “word of command,” and translate it, edict (p. 182).
Ibid.

[511] 同上、 p. 202.

[512] For a brief explanation of the earlier view beginning the seventy weeks in 457 b.c, see G. L. Archer, Jr., A Survey of Old Testament Introduction, p. 387; J. B. Payne, “Daniel,” Zondervan Pictorial Bible Dictionary, p. 198; J. B. Payne, The Theology of the Older Testament, p. 521.

[513] Young, p. 203.

[514] M. F. Unger, Unger’s Bible Dictionary, p. 94.

[515] Young, p. 203.

[516] Calvin states, for instance, “Next, as to the going forth of the edict, we have stated how inadmissible is any interpretation but the first decree of Cyrus, which permitted the people freely to return to their country” (2:219).

[517] Zockler, p. 199.

[518] Anderson, p. 128.

[519] Alva J. McClain, Daniel’s Prophecies of the Seventy Weeks, p. 20.

[520] Cf. Glenn R. Goss, “The Chronological Problems of the Seventy Weeks of Daniel,” doctor’s dissertation.

[521] Leslie P. Madison, “Problems of Chronology in the Life of Christ,” doctors dissertation.

[522] Montgomery, pp. 378-79.

[523] Young, p. 207.

[524] 同上、 pp. 208 ff.

[525] Young, pp. 208 ff.; Leupold, pp. 431-40.

[526] Philip Mauro, The Seventy Weeks and the Great Tribulation, pp. 70 ff.

[527] Leupold, pp. 436-37.

[528] 同上、 p. 431.

[529] Keil, p. 367.

[530] 同上、 p. 373; Leupold, p. 431; Zockler, p. 202.

[531] Montgomery, p. 385.

[532] Young, p. 209.

[533] Mauro, p. 81.

[534] Keil, p. 365.

[535] Ibid.

[536] Mauro, pp. 81-83.

[537] Young, p. 208. Orig. in italics.

[538] Mauro, p. 83.

[539] Leupold, p. 431.

[540] Keil, p. 372.

[541] Young, p. 218.


10章 神の栄光の幻

ダニエル書の最後の3章には、聖書の他のどこにも類を見ない、預言的な未来についての広範な啓示が記録されています。
リューポルド氏が述べたように、「聖書の中でこれらの章、特に11章のような預言はありません。
言葉、幻、そして詳細な預言が組み合わさった方法は、聖書の他のどこにも見ることができません。」[542]
例えば、10章の内容全体は導入的なものであり、これに続く預言の広範な性質を示しています。
この導入は、実際には11章の最初の節まで続きます。
次のセクション、11章2節~12章4節は、2つの主要な部分に分かれています。
最初のセクション、11章2節~35節は、ダリヨスからアンティオコスまでの近い未来を扱っており、2番目のセクション、11章36節~12章4節は、キリストの再臨直前の終末の遠い未来を扱っています。
最後のメッセージと啓示は、12章5~13節でダニエルに与えられます。
最後の3章はダニエル書の4番目の幻を構成し、特に聖地とイスラエルの人々に関連する重要な預言の要点をまとめています。

ダニエルの第四の幻の舞台

「ペルシヤの王クロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、一つのことばが啓示された。
そのことばは真実で、大きないくさのことであった。彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた。」
(ダニエル書10章1節)


この章の最初の節のほぼすべての詳細は、注釈書において議論の対象となってきました。
幻の年代である「ペルシヤの王クロスの第三年(紀元前536年)」は、ダニエル書1章21節でダニエルが「ダニエルはクロス王の元年までそこにいた」と述べられていることとの矛盾として批判されてきました。
1章の解説で述べたように、ダニエル書1章21節は、ダニエルがクロス王の治世第一年に死んで、その生涯を終えたりしたとは述べていません。
また、メディアとペルシャの王国を樹立したこの重要な出来事まで活動を続けていたと述べています。
七十人訳聖書はダニエル書10章1節の記述を「第一年」と修正していますが、これは不必要な調整です。[543]
クロスをペルシャ王と称する表現に対しても、批判的な反論がなされています。
モンゴメリ氏は多くのリベラルな批評家と同じ様に、クロスを「ペルシャ王」と呼ぶのは当時の慣習ではありません。
ペルシャ王は「王」、「偉大な王」、「万王の王」、あるいはバビロニア帝国征服後には「バベルの王」、「諸国の王」と称されました。
(Dr. [Driver], Int., 345 f。[544]
クロスが「ペルシャ王」と呼ばれるようになったのは「後世になってヘレニズム時代に遡ってから」と述べています。
学者たちは、クロスが通常の状況下では単に「ペルシャ王」と呼ばれることは後世までなかったことに同意しています。
しかしながら、少なくともこの用語の同時代における用例が一つ見つかっています。[545]
そして、たとえそれがクロスを呼ぶ通常の方法ではなかったとしても、なぜクロスを「ペルシャ王」と呼ぶべきではないのでしょうか?
ヤング氏ははっきりとこのように述べています。
「クロスのこの呼称は、(モンゴメリ氏にもかかわらず)当時の慣習でした。」[546] 結論として、なぜ、聖典の呼称が古代の慣習に厳密に従わなければならないのでしょうか?。
この記述は非常に明確であり、幻の時代を正確に特定しています。

ペルシャ王クロスの治世第3年、ダニエルの治世の晩年、少年時代にバビロンへ連れ去られてから約72年後のことでした。
「一つのことば」、すなわち啓示がダニエルに啓示されました。
識別のために、彼のバビロニア名であるベルテシャザルが与えられます。
これは、彼が70年前にネブカドネザルによってベルテシャザルと名付けられたダニエルと同一人物であることを明確にするためです。

この啓示の全体的な性質は、以下の節で説明されています。
ダニエルはまず、神からの啓示に期待されるように、「事」あるいは「ことば」が真実であると断言しています。
KJV英訳聖書で翻訳されたこの預言に関する第二の事は「定められた時は長かった」ことです。
この極めて難解な表現は、多くの論評を必要としてきました。
ここで使われているヘブル語「サバガド(sa„ba„ ga„do‚,)」は、「大戦争」[547]や「大いなる任務」[548] 、あるいはより自由に「大いなる苦しみを伴う」[549] と様々に翻訳されてきました。
これは、ここで述べられている時代が、神の民にとって大きな争いと苦難を伴う、長く困難な時代であることを暗示しています。

ダニエルは、以前の幻とは対照的に「彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた」と述べています。
以前の幻はダニエルの心に疑問を残し、彼は見聞きしたことを忠実に記録していましたが、それらの疑問は完全には解決されていません。
ダニエルがその後の幻の全てを完全に理解したかどうかは疑わしいものですが、少なくとも彼はその大まかな特徴を理解しています。
例えばダニエル書8章27節で示されているように、広範囲にわたる幻のせいで体調を崩したような混乱状態に陥ることはありません。
しかし、この導入文だけでも、読者にこれから驚くべき啓示がもたらされることを警告するには十分です。

ダニエルの幻への準備

「そのころ、私、ダニエルは、三週間の喪に服していた。
満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。」
(ダニエル書10章2、3節)


「ごちそう」とは文字通りならば「喜びのパン、欲望のパン」であり、「苦しみのパン」(申命記16章3節)とは対照的です。
苦しみのパンとは、過越の祭で食べられた種なしパンのことです。
この期間中、ダニエルは基本的な栄養と水は摂取していたようですが、質素な食事を摂っていました。
自分に課した断食の経験は、何がきっかけで起こったのでしょうか?

この期間の長さは、ダニエル書9章24~27節の70週とは対照的に、明らかに3週間という日数で構成されています。
リューポルド氏は、ここでのヘブル語表現、文字通り「3週の日数」がダニエル書9章と対照的に用いられている考えに反対しています。
しかし、まさにそれがポイントなのかもしれません。
つまり、ダニエルはこの預言では通常の日数が念頭に置かれていることを明確にしたかったのではないでしょうか?
実質的に誰もが、結果として21日が意味することに同意しています。[550]
いずれにせよ、この3週間には過越の祭の通常の週が含まれていました。
これはダニエル書10章4節と比較すればわかることです。
過越の祭は第一の月の14日に行われ、その後7日間、種を入れないパンが食べられました。

ダニエルが断食したのは、ダニエル書9章の祈りの中で予期されていたように、2年前にエルサレムに帰還した巡礼者たちへの懸念からだったと考えられます。
エズラ記が明らかにしているように、イスラエルの民は土地に定住するために大きな困難に直面していました。
祭壇は築かれ、神殿の基礎は据えられていました。(エズラ記3章)
しかし、土地の人々の反対によって工事は中断されていました(エズラ記4章1~5節、24節)
これらすべてはダニエルにとって大きな懸念事項でした。
なぜなら、彼が遠征を奨励した主な目的は、神殿とエルサレムの町の復興だったからです。

人間的に言えば、不安の種です。
しかしダニエルは、エズラ記1章で捕囚民の帰還とともに終了した捕囚の70年が、エルサレムと神殿の荒廃の70年を成就するものではないことを理解していません。
荒廃にはさらに20年が必要でした。
つまり、ユダヤ人の最初の移住が行われた紀元前605年から、エルサレムが破壊された紀元前586年までの差があります。
神の視点から見れば、物事はまさに予定通りに進んでいました。
ある意味で、その後に続いた幻は、異邦人との関係におけるイスラエルの将来に対する神の目的に関するダニエルの疑問への答えでした。
これらの目的は、エズラ記とネヘミヤ記で成就されたものよりもはるかに広範な計画が含まれていました。
神の聖徒たちが、神の目的が達成されなかったように見える事態を憂慮するのは当然のことかもしれません。
しかし、苦難にあえぐ聖徒たちは、神の主権の威厳を決して忘れてはなりません。
その威厳は、最終的に「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ人への手紙8章28節)ことを証明するためです。
神の視点から見れば、私たちは祈るべきですが、同時に不安から解放されるべきです。
パウロが何年も後に述べたように(ピリピ4章6、7節)、断食期間は神の啓示への準備期間でした。
絶対に必要な飲食以外はすべて断ち、イスラエルの苦難に対する深い悲しみを示す注ぎ油を使っていません。
(アモス書6章6節、 サムエル記第二14章2節)
そのことは、ダニエルが偉大な経験に備える助けとなったはずです。

ダニエルの神の栄光の幻

「第一の月の二十四日に、私はヒデケルという大きな川の岸にいた。
私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。
また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。」
(ダニエル書10章4~6節)

4節によると、この幻が見られた時は第一の月、すなわち4月、もしくはアビブの月(出エジプト記23章15節)の24日で、後に旧約聖書ではニサン(ネヘミヤ記2章1節)として知られるようになりました。
聖書は21日間の喪がいつ始まったのかを明らかにしていませんが、その月の24日までに終了したことは明らかです。
新年は通常、新月の到来を祝う2日間の祭りで始まります。(サムエル記第一20章18~19節,34節)[551]
そして、その喜ばしい祭りが続く間、ダニエルが断食をするのには不適切でした。
ダニエルは恐らく14日目に過越の祭を、そして15日目から21日まで種なしパンの祭りを守っていたはずです。
もし、ダニエルがその幻を21日間の喪の直後に受けたのであれば、彼の断食は新月の祝いの直後に始まり、その幻が与えられる直前に終わったはずです。

幻の舞台は「ヒデケル川のほとり」と宣言されています。
ここで初めて、ダニエルがエルサレムに帰還した巡礼者たちに同行しなかったことが分かります。
これは10章の前半で暗示されています。
リベラルな学者たちは、ダニエルが許され次第、自動的に故郷に帰還するだろうと仮定し、ダニエルの史実性を否定する論拠としようとしています。
しかし、ヤング氏が指摘するように、もしダニエルが単なる架空の人物、マカバイ時代の作家によって創作された理想の人物であったならば、彼が故郷に凱旋する姿を描いた方がはるかに自然だったはずです。
ヤング氏は「ダニエルがパレスチナに戻らなかった事実は、この書がマカバイ時代の産物であるという見解に反論する強力な論拠となる」と結論づけています。[552]
ダニエルが戻らなかった理由は、彼がかなり高齢で、おそらく85歳でした。
そして、6章によれば、政府内で重要な地位を与えられており、他の者たちのように自由に去ることができなかったことは明白です。
おそらく彼は、年齢の制約の中でパレスチナに留まるよりも、自分の地位に留まる方がイスラエルにとってより有益だったのです。

幻がヒデケル、すなわちチグリス川で起こった記述も、2つの点で批判にさらされています。
まず、これは文字通りの地理的記述とみなすべきか、それとも幻の一部とみなすべきか疑問が提起されています。
ダニエル書8章では、ダニエルの幻は「私は、ウライ川の中ほどから」とあります。
ゆえに、文脈から、彼は幻の中でそこにいるだけで、現実にはそこにいないことは明らかです。
しかし、10章では、文脈と物語から、彼が実際にチグリス川のほとりにいることが明らかであり、続く節では、彼と一緒にいたが幻を見なかった男たちが逃げた様子が語られています。
しかし、モンゴメリ氏などのリベラルな学者は、「大いなる川」への言及は「ヒデケル」、またはチグリス川という特定と矛盾していると考えています。
ユーフラテス川は通常「大いなる川」と呼ばれているからです。
したがって、モンゴメリ氏はこれを本文の「初期の注釈」とみなし、「そうでなければ、筆者に誤記か重大な誤りがある」としか考えていません。[553]
シリア語版では、「ヒデケル」を「ユーフラテス」に置き換えています。
しかし、これはすべてまったく主観的です。
チグリス川を大河とも呼ばない理由はなく、一貫して表現がユーフラテス川を指すのであれば、写字生が「ヒデケル」を挿入することはなおさらに奇妙だからです。
保守的な学者たちは、その川がチグリス川であることに一般的に同意しています。[554]
ダニエルがこの地域に来たのは、政府の最高行政官としての職務に関連していた可能性が高くあります。
ここで長距離の旅を想定する必要はありません。
バビロンのすぐ上では、ユーフラテス川とチグリス川はわずか35マイルしか離れていないからです。

この状況において、ダニエルは栄光ある人の幻を見たと記録しています。
ダニエルは、その人が亜麻布をまとい、腰にはウファズの金の帯を締め、からだは緑柱石、あるいは貴かんらん石のようであったと記しています。
その顔はいなずまのようで、目は燃えるたいまつのようで、腕と足は磨かれた青銅のようで、声は群衆の言葉のように響きました。
すべての注釈者は、その人物は人間ではなく、栄光に満ちた御使いか、あるいは神の現れ、つまり神ご自身の現れであったことに同意しています。

リューポルド氏は、相当な議論の末、13節で述べられているミカエルの助けを必要とすることから、この人物は神性には適応されずに、強力な御使いであると結論付けています。
もし、御使いであれば、ダニエル書8章でガブリエルに現れた人物である可能性があります。
しかし、リューポルド氏は、ミカエルと同等の威力を持つ未知の御使いと同一視することを好んでいます。[555]
ヤング氏は、ヘングステンベルクが彼をミカエルと同一視し、ユダヤ人がこの人物を御使いとみなしていたことを指摘しています。[556]

保守的な学者の間でも議論の余地はあるものの、証拠はこれを神の現れと見なす方を支持しているように思われます。
この場合、10章5、6節の男は、10章10~14節の御使いや10章13節のミカエルとは区別されるべきです。
エゼキエル書やヨハネの黙示録などの他の幻のように、強力な御使いと神ご自身を区別することはくりかえし難しいことです。
しかし、10章5、6節に描写されている男とヨハネの黙示録1章13~15節の栄光を受けたキリストとの類似性から、ヤング氏やカイル氏といった保守的な解説者たちは、この男を真実な神の現れ、すなわちヤハウェの御使いとしてのキリストの出現と見なしています。[557]
ダニエル書の記述では、幻に現れた男は輝かしい容姿をしていたとされています。
亜麻布とは、祭司の衣服の特徴である白くて上質な亜麻布のことだと考えられます。
(出エジプト記28章39~43節を参照にしてください。)
また、天からの訪問者の衣服にも亜麻布が用いられています。
(エゼキエル記9章2、3節,11節、10章2節,6、7節を参照にしてください。)
キリストの墓の御使いたちは、亜麻布であるとは明記されていないものの、長くて光沢のある白い衣をまとっていたものとして描写されています。
(マルコの福音書16章5節、 ルカの福音書24章4節、 ヨハネの福音書20章12節、 使徒の働き1章10節を参照にしてください。)
帯も、純金で刺繍された亜麻布であったと考えられます。
「ウファズの純金」という表現は、聖書の中で他に1回しか見当たりません。(エレミヤ書10章9)
ウファズが地理的な意味合いを持つのか、詩的な意味を持つのかは明らかではありません。
明確な特定はなされていないが、シリア語版のエレミヤ書10章9でウファズの代わりにオフィルという言葉が使われていることに基づいて、ウファズをオフィルと同一視する人もいます。(イザヤ書13章12)[558]
帯が珍しい品質の純金で刺繍されていると見なせば十分です。

体が宝石のような「緑柱石(beryl)」のように見えるのは、ヘブル語の「タルシシュ(tarshish)」に由来し、七十人訳聖書では「クリソライト(chrysolite)」と訳されています。
ドライバー氏はこれをトパーズと見なしています。
彼は「現代のトパーズ、つまりきらめく石であり、プリニウスは「金のような輝きを持つ透明な石」と表現している」と述べています。[559]
同じ石が出エジプト記28章20節とエゼキエル書1章16節、10章9節にも述べられています。
スペイン氏原産であるかのように「タルシシュ(tarshish)」と呼ばれています。[560]
ポーテウス氏はこれを黄色のジャスパーと特定しています。[561]
ダニエルに与えられた印象は、幻の中の人の全身が、幻の残りの部分の輝きを映し出す巨大な透明な宝石のようだったというものです。

稲妻に照らされた顔と燃えるたいまつの目という描写は、ヨハネの黙示録1章14~16節のキリストの描写と非常によく似ています。
腕と足の磨かれた青銅は、キリストの「光り輝くしんちゅうのような足」(ヨハネの黙示録1章15節)に似ています。
そして稲妻は、ヨハネの黙示録1章16節で輝く太陽に例えられているキリストの顔に例えられており、エゼキエル書1章13、14節にも同様の記述があります。
栄光の視覚的イメージには、群衆の力強い声が伴っていました。
それは明らかに理解できる言葉ではありませんでしたが、大きな力を感じさせるものでした。
(ヨハネの黙示録1章15節を参照にしてください。)
ドライバー氏が表現しているように「この比較が示そうとしているのは、印象的ではあるが不明瞭な音のようです。」[562]
続く節で説明されているダニエルに与えられた全体的な印象は、非常に大きなもので、使徒ヨハネが栄光を受けたキリストを見たときの印象に似ていますた。
(ヨハネの黙示録1章17節)

ダニエルに対する幻の影響

「この幻は、私、ダニエルひとりだけが見て、私といっしょにいた人々は、その幻を見なかったが、彼らは震え上がって逃げ隠れた。
私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。
私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。」
(ダニエル書10章7~9節)


ダニエルが見た幻は、ダニエルだけに見え、同行した男たちには見えなかった。
その状況は、ダマスコへの道でパウロに同行した男たちの状況とある程度似ています。
(使徒の働き9章7節、22章9節)
ただし、この場合は男たちは何も見聞きしなかったが、どうやら非常に恐れる何かを感じ取ったようです。
ダニエルに同行した者たちが逃げて身を隠したとき、ダニエルは8節で述べているように一人残されました。
しかし、男たちが幻を見ることができなかったのは、リューポルド氏が示唆するように、単に彼らの霊的知覚力の欠如のためであるとは到底言えません。[563]
確かに、グループの中でダニエルだけが霊的に幻を受ける資格がありました。
しかし、誰が幻を受けるかは神の意志によって選ばれます。
ダニエルに同行した者たちはダニエルだけに向けられた幻を見ることは許されていなかったのです。

男たちが幻を見ずに逃げた事は、チグリス川付近で実際に起こった出来事であり、ダニエルが幻の中にいたわけではないことを明確に示しています。
ダニエルに同行した者たちは幻そのものには関わっておらず、彼らの出発によってダニエルはその後の経験を一人で経験する道が開かれました。

その幻を見たダニエルは肉体的に影響を受け、通常の体力が失われました。
また、「大きな幻」と表現されている幻の健康な容姿は、イザヤ書52章14節のキリストの容姿と同じような影響を受けました。
このヘブル語は「輝きもうせ」(ダニエル書10章8節)と「そこなわれて」(イザヤ書52章14節)を意味し、同じ語源から来ています。

ダニエルは力尽きて動けなくなったように見えましたが「ことばの声」は聞こえました。
しかし、それは彼の無力さをさらに増すばかりで、彼は顔を地面に向けて気を失いました。
(出エジプト記19章16~22節を参照にしてください。)
ダニエルの経験は、罪深い人間、たとえダニエルのような預言者であっても、神の栄光に出会うことの難しさを物語っています。
最も聖なる人でさえ、神の栄光に出会うことはできません。(ローマ人への手紙3章23節)
この弱さと意識のもうろうとした状態において、ダニエルは更なる啓示を受けるために力づけられることになりました。

御使いによって回復されたダニエルの力

「ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。
それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。
そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。」
(ダニエル書10章10、11節)


10節でダニエルは、一つの手が私に触れ、彼が両手と膝をついて休むほどに持ち上げられたと記しています。
もし、最初の幻が神の現れ、あるいは神の出現とするのであれば、これは別の御方、おそらく御使いであったことは明らかです。
御使いは「私をひざまずかせた」と記されています。
これは文字通り「私をひざまずかせた」という意味で、眠りから覚ます行為でした。

御使いはダニエルに語りかけ「神に愛されている人」という称号を与えました。
神は全世界を深く愛し、御子を救い主としてお与えになりましたが、神との特別な関係ゆえに、特別な神の愛を受ける特定の人々もいます。
ダビデは罪を犯したにもかかわらず、「主の心にかなう人」として主から求められました。(サムエル記第一13章14節、 使徒の働き13章22節)
使徒ヨハネは「イエスが愛された弟子の一人」でした(ヨハネの福音書13章23節)
親がすべての子供を愛し、特に一人、あるいは複数の子供を愛するように、神の心も、神を最も愛する人たちに応えます。

御使いはダニエルに、自分のメッセージを理解し、メッセージを受け入れるために立ち上がるよう勧めます。
これが御使いがダニエルのもとに来た目的なのです。
この勧めにより、ダニエルは震えながらも立ち上がることができました。
御使いのメッセージは、神が彼にこの幻を与えた目的はあわれみ深く愛に満ちたものであり、ダニエルには何も恐れる必要はないことをダニエルに確信させるものでした。

御使いの訪問の目的

「彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」」
(ダニエル書10章12~14節)


ダニエルは「恐れるな、ダニエル」という勧めによってさらに勇気づけられます。
御使いはダニエルの不安をさらに和らげるために、彼が執り成しを始めたまさにその三週間前から、神は彼の祈りに応え、御使いの使者を遣わすことを約束しておられたことを告げます。
ダニエルのように神に近づき、理解しようと心を定め、神の前に自分を戒めるなら、ダニエルのように神の応答、すなわち彼の言葉が聞き届けられ、使者が遣わされるという神の応答を経験できることは、心強いことはものです。
13節では、この遅れは「ペルシヤの国の君」の抵抗によって生じたと説明されています。
彼は「二十一日間、私に向かって立っていた」のです。
この「君」とはペルシャ王国の王ではなく、ペルシャの御使いの指導者であり、サタンの指揮下にある堕御使いです。
イスラエルを導き守る御使いの君主ミカエルとは対照的です。
ペルシャの「王子」と呼ばれる天使が邪悪な天使であることは、ダニエルへの御使いの使者に対する反対が21日遅れた理由として明らかです。

ダニエルが断食と祈りを捧げていた間、霊的な葛藤が続いていました。
このことは「主の一人」とされるミカエルの到来によって解決されました。
(ダニエル10章21節、12章1節、ユダの手紙9節、ヨハネの黙示録12章7節を参照
ミカエルは聖なる御使いの中で最も力強い存在と考えられ、彼の助けによってダニエルへの使者は解放され、使命を全うすることができました。
「私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき」という記述は、「私はペルシャの王たちと共にそこに残した」と訳すことができます。
これは、ペルシャの君主から解放された御使いの使者は、付き添いなしに旅を続けることを許されたことを意味しています。

ドライバー氏は、「そして私はそこに残した」という表現は、実際には「私はそこに余分だった」という意味として示しています。
なぜなら、より権力のあるミカエルが彼を交代させたからです。
「私は残った」と訳されているヘブル語(ndtarti)(yatarから派生)は、「後ろに残る」という意味ではなく、「上に残る、余分である」という意味です。
ドライバー氏はダニエル書10章13節について、「私は王たちのそばに残された(つまり、私にはもう何もすることがなかった)」と述べています。[564]
ゾックラー氏は、御使いの争いを御使いではなく地上の王との争いと解釈するカルヴァンらの見解に反論してます。
カルヴァンは「これらの言葉を過度に慎重に解釈すれば、御使いはペルシャ王のために戦ったのではなく、むしろ王と戦ったと容易に結論づけられます」と述べています。[565]
ゾックラー氏は、以下の考察に基づき、これが御使いの戦いであるという考えを支持しています。

(1)11章5節では(sar)が後者の意味で用いられていることは疑いの余地がないが、この箇所の関連性とは全く異なります。
この箇所では、直後に続く(hassa„ri‚m)は明らかに御使いの君主を指しています。
(2)一方、ペルシャの王たちは、この節の末尾で(malke‚ pa„ra„s)と呼ばれています。
(3)御使いと人間の王の対立という考えは非常に不適切であるように思われます。
(4)御使いミカエルは、5章21節、12章1節によれば、イスラエルの「君」、すなわち守護天使です。
これに対応して、ここで述べられているペルシャの君と、5章20節で述べられているグラエキアの君は、それぞれペルシャとヤワンの御使いであることに疑いの余地がありません。
(5)神権政治に対して友好的であろうと敵対的であろうと、全世界に守護天使がいるという考えは、さまざまな旧約聖書、特にイザヤ書24章21節、イザヤ書46章2節、エレミヤ書46章25節、49章3節(異教の神々が守護天使の代わりをしている)、申命記32章8節、詩篇96篇4節、70篇、またバルバロ書4章7、伝道者の書17章17節によって証明されています。
新約聖書のコリント人への手紙第一書8章5節、10章20節などについては言うまでもありません。[566]

神の御使いと堕御使いの間の目に見えない争いの全容は聖書の中で明確に明らかにされていませんが、この例のように、稀に垣間見られます。
このことから、世界の政治的・社会的状況の背後には御使いの影響、すなわち聖御使いによる善と、サタンの支配下にある御使いによる悪の影響があることは明らかです。
これは、パウロがエペソ人への手紙6章10~18節で言及している争いです。

カイル氏は「私は彼をペルシヤの王たちのところに共にそこに留まった」という表現を、かつてペルシャ王国を支配していた悪魔の勢力に対して大勝利を収め、その結果、ペルシャ王国は御使いの働きを通して神の導きの対象となったと解釈しています。
彼は「ペルシャの王たち」の複数形が、その後のペルシャの王たちすべてを指すと理解しています。
カイル氏は次のように述べています。
「この複数形は、ペルシャ王国の悪魔の征服によって、クロスだけでなく、その後のペルシャの王たちすべてに対する悪魔の影響が終焉し、ペルシャの王たち全員が、神から発せられ、イスラエルの繁栄を促進する霊の影響を受けるようになったことを意味しています。」[567]
また、ロイポルド氏は正しい解釈を次のように要約しています。

間違いなく、新約聖書で悪魔と呼ばれている邪悪な御使いがここで述べられています。
時が経つにつれ、これらの悪魔の力は特定の国家とその政府に非常に強い影響力を持つようになり、支配力を持つようになりました。
彼らはあらゆる手段を用いて神の働きを妨害し、神の目的を阻もうとしました。
私たちは世界史の舞台裏を垣間見ることができます。
啓示を無視する人々が想像するよりもはるかに大きな霊的な力が働いています。
歴史のページに記された争いの背後には、このような霊的な力が存在しています。[568]
しかしながら、御使いの使者がミカエルの助けを必要とした事実は、話し手がヤハウェの御使い、あるいは主ご自身であるとするヤング氏の解釈を反論するものとなります。[569]
たとえ、重要な御使いであってもミカエルの助けを必要とすることはあります。
しかし、旧約聖書において、受肉前のキリストが堕御使いに打ち勝つために御使いの助けを必要としたとは到底受け入れられていません
状況から判断すると、これは神の現れではなく御使いによるものでなく、10章5、6節の神の現れとは区別されます。

御使いはダニエルに、自分が来た目的は「あなたの民」、つまりイスラエルに「終わりの日に」何が起こるかをダニエルに理解させることだと説明しています。
御使いは、この幻には長い時間がかかることを説明しています。

「終わりの日」という表現は、ダニエル書で展開される預言の計画に関連する重要な年代学的用語です。
ダニエル書2章28節の解説で既に考察したように、この表現は、ヤコブが息子たちに「終わりの日にあなたたちに起こること」(創世記49章1節)を預言した時点から始まり、イエス・キリストの地上への再臨をもって頂点に達するイスラエルの歴史全体を指していると解釈されます。
「終わりの日」とは、イスラエルの歴史全体が再臨と地上の王国の樹立の頂点に達するという意味です。

ダニエルが民を案じ、それが三週間の断食と祈りを捧げた原因であると考えられますが、ダニエル書9章24~27節に既に記されている啓示に加え、ある具体的な啓示によって、その懸念はある程度は和らぎます。
この幻の詳細は、アンティオコス・エピファネスの時代にイスラエルが経験した出来事と、再臨直前の大患難時代にまで及びます。
ダニエルは詳細を理解していなかったと思われますが、神の計画が神の力による最終的な勝利に繋がることを確信しました。
預言は、イスラエルに対して強力な力が働き、彼らに多くの苦しみと損失をもたらすことを明らかにしています。
しかし、最終的には神の力が勝利し、イスラエルは国家として高められることを示していました。

再び御使いによって力づけられるダニエル

「彼が私にこのようなことを語っている間、私はうつむいていて、何も言えなかった。
ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに触れた。それで、私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた者に言った。「わが主よ。この幻によって、私は苦痛に襲われ、力を失いました。
わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう。私には、もはや、力もうせてしまい、息も残っていないのです。」」
(ダニエル書10章15~17節)


再び、ダニエルは弱さに圧倒され、言葉を失い、顔を地面に伏せます。
カルヴァンは、ダニエルが預言者としての職務を悔いている見解を否定し、「地面にひれ伏すことで畏敬の念を表し、口をきくことで驚きを表した」と述べています。[570]
ダニエルが実際に地面に倒れたかどうかは15節では明確に述べられていませんが、カルヴァンが示している通りの結果だったのかもしれません。

ダニエルは再び神からの力を得ます。
「人の姿をとった者」と描写されている人物が、神の現れ、すなわちヤハウェの御使いとしてのキリストなのか、それとも別の御使いなのかは明らかではありません。
おそらく、別の使者の御使いです。
力づけられ、話す能力が回復したダニエルは、再び自分の弱さと力のなさを告白しています。
新たな幻によって、再び、悲しみ、あるいは苦痛、そして力のなさが戻ってきたのです。
ダニエルは続けて、力と息がないため、話すのが困難だと説明しています。
モンゴメリ氏は、息とは「霊」であるべきだことを示しています。[571]
しかし、ダニエルの問題は霊のなさではなく、身体的な問題でした。
これらすべてが、ダニエルが「わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう」と述べているように、ダニエルにとって困難を招きました。
チャールズ氏はそれを次のように解釈しています。
「ティオウ(Tiow)」の意味は「私の君の召使が、私の主のような偉大な者と話をすることができるのでしょうか?」という意味です。[572]
ダニエルは御使いの使者と普通の会話を続けることに非常に苦労しています。

三度、ダニエルは強められます。

「すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、言った。
「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。
「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」」
(ダニエル書10章18、19節)


この章でダニエルは、三回、彼に触れた者によって超自然的に力づけられます。
リューポルド氏は、10節以降に述べられている御使いが、それぞれの場面でダニエルを力づける御使いであると信じています。[573]
しかし、御使いの働きが複数あるとすれば、ダニエルが複数の御使いの働きを受けられない理由はありません。
もし、御使いが一人だけであれば、16節の記述も18節の記述も不要なはずです。
しかし、18節と19節の文脈から判断すると、この御使いは11、12節でダニエルに語りかけた御使いと関連しているように思われます。

再び、御使いはダニエルに「神に愛されている人よ」という安心させる挨拶で、恐れることなく、神から平安を受け取り、強くあるようにと勧めました。
するとダニエルは力づけられ「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから」と言うことができました。

ダニエルのこの経験の詳細から、その後に続く啓示は途方もない規模であることが伺えます。
実際、その通りです。
この苦悩の経験におけるダニエルの三重の力は、ゲッセマネの園における主の誘惑と比較されることがあります。
(マタイの福音書26章39~44節、マルコの福音書14章35~41節、ルカの福音書22章39~44節)[574]
どちらの場合も、御使いが力の源です。(ルカの福音書22章43節)
これは、この幻の中でダニエルが御使いによって、さらなる力が供給を与えられた最後の場面です。

御使いの啓示の導入

「そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。
私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。
しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。
あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。」
(ダニエル書10章20、21節)


偉大な啓示の舞台が整い、御使いは再び「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか」と問いかけます。
批評家たちは、10章のこの結びの節が不必要にくりかえしが多く、混乱を招くと批判しています。[575]
モンゴメリ氏はこの箇所のテキストに欠陥があると確信しています。
しかし、こうした批判はダニエルの衰弱し混乱した状態を考慮に入れていません。
ダニエルが気を失い、話すことができなくなった経験の後では、御使いのメッセージの目的について考えるのはごく自然なことです。
御使いはダニエルが「ペルシヤの君と戦う」ため、そして暗に後に「ギリシヤの君がやって来る」ために再び戦う義務があることを明らかにしています。
これもまた、以前の勝利のために不必要だと非難されてきました。
しかし、その含みは、霊的な勝利には絶え間ない戦いがあり、御使いのさらなる注意を必要としています。
ペルシャとギリシアの両方に述べられていることは、ダニエル書11章1~35節の預言に登場する第二、第三の主要帝国にも私たちの注意を向けさせます。
このことから、この時代に関する多くの預言の背後には、神の御心が成就されるために御使いたちの勢力の間で繰り広げられた目に見えない争いがあることがわかります。

21節「真理の書」には、珍しい表現が見られます。
この言葉は文字通り「真理の書」(ケタベ・アエメト)であり、神の真理全般の記録を指し、聖書はその一つの表現です。
明らかにされるべき事実は既に神の記録の中にあり、今や聖書の一部となります。
神の計画は、聖書自体に明らかにされているものよりも明らかに偉大です。

21節は「しかし (áaba„l) 」という強い対立詞で始まり、20節で述べられている神権政治への恐怖に対する解毒剤を導き出す役割を果たしています。
御使いたちの戦いは、たとえ大規模であったとしても「真理の書」と訳されているものの影響を受けています。
ツェックラーは次のように述べています。
「正確には「真理の書」、すなわち「諸国(ヨハネの黙示録5章1節)と個人(詩篇139篇60節)の将来がまだ明らかにされていない(申命記32章34節)
運命が記されている」(Hitzig)神の文書です。」
7章10節の裁きの書、そして、真理の書の内容を簡潔に表す11章2節の( áe†met)という用語を参照にしてください。」[576]
「真実を書き記すこと」について、ジェフリー氏は次のように述べています。
「タルムード(Rosh-ha-Shana 16 b) には、新しい年に書物が開かれ、運命が記録されたことが記されています。
この書物の板は、ヨベル暦や十二族長の遺言書でくりかえし述べられています。
また、オリゲネスの「フィロカリア」23章15節に収められたヨセフの祈りには、「わたしは、あなたとあなたの息子たちに起こるすべてのことを天の板に読んだ」とあります。」[577]
聖書に啓示された神の計画に反映された神の主権は、この不確実で困難な時代にダニエルが確信したものです。
御使いの使者は、この信仰の根拠について述べています。

来たるべき啓示と、そこに記された霊的な争いについて、御使いの使者は並外れた責任が与えられており、その責任が与えられているのは超越する「あなたの君」と称されるミカエルだけです。
このようにしてダニエルは、神が生涯を通して、特にこの詳細な神の啓示の時期に、ダニエルに与えてくださった特別な御使いの務めを思い起こしています。
この章におけるダニエルの経験全体は、一方では人間の弱さと不十分さを思い起こさせるものでした。
他方では、この偉大な啓示を記録する責任ある任務を果たすためにダニエルを強めるための神の力を与えています。
この準備に丸々一章が割かれている事実は、後に続く啓示が、神の世界における目的の成就において重要であることを明らかにしています。

[542] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, p. 441.

[543] For discussion from the liberal point of view, see J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, pp. 137-39; 404-5.

[544] 同上、 p. 405.

[545] Leupold, p. 442.

[546] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 223. Young cites in support several articles by Robert Dick Wilson, such as “The Title ‘king of Persia’ in the Scriptures,” Princeton Theological Review, 15:90-145 and “Royal Titles in Antiquity: An Essay in Criticism,” Princeton Theological Review, 2:257-82; 465-97; 618-64; 3: 55-80; 238-67; 422-40; 558-72.

[547] Cf. Young, p. 223; Leupold, p. 443.

[548] Montgomery, p. 404.

[549] Leupold, p. 443.

[550] 同上、 p. 446.

[551] 同上、 p. 447.

[552] Young, p. 223.

[553] Montgomery, p. 407.

[554] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Old Testament, p. 409; Leupold, p. 447; Young, p. 224. Contrast Montgomery, p. 407.

[555] Leupold, pp. 447-48.

[556] Young, p. 225.

[557] Keil, p. 409; Young, p. 225.

[558] Montgomery, p. 408.

[559] S. R. Driver, The Book of Daniel, p. 154.

[560] Ibid.; Leupold, p. 449.

[561] N. W. Porteous, Daniel, A Commentary, p. 152.

[562] Driver, p. 155.

[563] Leupold, p. 450.

[564] Brown, Driver, and Briggs, A Hebrew and English Lexicon of the Old Testament, p. 451.

[565] J. Calvin, Commentaries on the Book of Daniel, 2:252.

[566] O. Zockler, “The Book of the Prophet Daniel,” in Commentary on the Holy Scriptures, p. 228.

[567] Keil, p. 419.

[568] Leupold, pp. 457-58.

[569] Young, p. 227.

[570] Calvin, 2:257.

[571] Montgomery, p. 413.

[572] R. H. Charles, The Book of Daniel, p. 116.

[573] Leupold, p. 463.

[574] 同上、 p. 464.

[575] Cf. Montgomery, pp. 416-18.

[576] Zockler, p. 231.

[577] A. Jeffrey, “The Book of Daniel,” in The Interpreter’s Bible, 6:510.


11章 ダリヨスから終末までの世界史

10章では、ダニエルに与えられた第4の最後の幻について詳細に説明されています。
しかし、11章では、メディア人ダリウス (紀元前539年)に始まり、終わりの時代の最後の異邦人の支配者に至るまでの重要な出来事が啓示されています。
11章は、当然のことながら、2つの大きなセクションに分かれています。

最初のセクション (1~35節)では、ペルシャ帝国の主要な支配者について説明し、次にアレクサンドロス大王に続く第三の帝国の主要な出来事のいくつかを詳細に記述され、アンティオコス・エピファネス (紀元前175~164年)で締めくくっています。
アンティオコス・エピファネスの死から終わりの時までの全期間は、現在の教会時代の出来事にはまったく触れずに省略されています。
2番目のセクション (36~45節)では、キリストが再臨されるときに権力を握る最後の異邦人の支配者について扱っています。
12章では、最後の1335日間、つまり大患難、再臨、そして第五千年王国の始まりを含む期間について、さらに預言が続きます。
ダニエル書11章1~35節ほど詳細な預言が記されている箇所は、おそらく聖書中に他にないと考えます。
そのため、この預言部分の信頼性を失わせようとする批評家たちから、最も激しい攻撃を受けています。

興味深いことに、約200年の歴史についての詳細な預言を記したダニエル書11章が、異教徒の哲学者ポルフィリオス氏(紀元後3世紀)がダニエル書を偽造だと攻撃するきっかけとなりました。
ポルフィリオス氏は研究の中で、歴史がダニエル書11章1~35節の預言的な啓示と密接に対応している事実を立証し、その対応が非常に正確であり、彼は誰もこれらの出来事を将来の預言とすることはできないと確信しました。
したがって、彼はダニエル書が出来事が起こった後、つまり紀元前2世紀に書かれた立場を取ることで、この問題を解決しました。
この攻撃がきっかけで、ヒエロニムス氏はダニエル書を支持し、独自の注釈書を出版しました。
この注釈書はその後1000年以上にわたってダニエル書の標準的な注釈書と見なされてきました。
ウィルバー・スミスはこのように述べています。
「教父たちが旧約聖書の預言書に関して著した最も重要な作品は、ヘブル語原文を解説し、執筆当時までに触れられていた主題に関する教会の文献すべてを完璧に把握していることを示しています。
その著作は間違いなく聖ヒエロニムス氏の「ダニエル書注解」です。」[578]
ヒエロニムス氏とポルフィリオス氏の論争は、前述の通り、ダニエル書をめぐる議論の大きな特徴となっています。
しかし、預言が詳細かつ具体的であり、成就が既に起こっていることから、この論争の境界線は明確です。
ダニエル書11章1~35節は、未来に関する最も正確で正確な預言であり、神の啓示を十分に示しています。
もしくは、ポルフィリオス氏が主張したように、まるで何世紀も前に預言された歴史を提示しようとするのは不誠実な試みとしているのかのどちらかです。
現代のダニエル批評家は、ポルフィリオス氏の基本的前提、すなわち、そのような詳細な預言は不可能としており、不合理で信じ難い前提から大きく逸脱するようなことはありません。[579]
ファラー氏は、批評家の視点を現代に当てはめて表現し、ダニエル書11章の冒頭で次のような要約をしています。

もし、この章がバビロン捕囚中の預言者の言葉とするのであれば、この出来事の400年近く前のことになります。
それは、世界史において比較的重要性の低い出来事が数多くあったにもかかわらず、ここではこれほど謎めいていながらも正確に描写されています。
ならば、この啓示は聖書全体の中で最も特異で不可解なものとなります。
それは、神の摂理のあらゆる方法、そして神が預言者たちの心に御心を現すあらゆる方法からの、突然、かつ完全な逸脱を意味するからです。
これまで預言されてきたあらゆる限界を放棄した、まさに異例の、唯一無二の存在となります。[580]

リューポルド氏は、ファーラー氏の批判は、彼が批判するはるか昔に、聖書の詳細な預言の多くの箇所を引用し、預言が詳細かつ具体的とする考えを少なくとも裏付けているヘングステンベルク氏や他の人々によって反論されてきたと指摘しています。[581]
好例の一つは、キリストの到来を何百もの細部にわたって預言したメシア預言全体です。
ユーフラテス川の枯渇とバビロンの酒宴の結果としてのメディア人によるバビロン征服は、エレミヤ書50、51章で詳しく預言されています。
(特に50章38節、51章32節、36節、39節、57節を参照にしてください。)
その他の例としては、イザヤ書13章17、18節、21章1~10節があります。
同じ様に、シリヤ、フェニキア、ティルス、ガザ、アスケロン、アシュドド、そしてピヒスタイ人に関する預言は、ゼカリヤ書9章1~8節に記されています。
実際に、問題は神が未来について全知全能であるかどうかについての明確な問題ゆえに、証明など必要ありません。
もし、そうなら、神が啓示を作成し選んだように詳細であるはずです。
そして、詳細な予言は、大まかな予測と同じように難しくも信じられないものではありません

カイル氏は、詳細な預言と一般的な預言を区別することで、懐疑論者と、これが詳細な預言である立場との間の仲介を試みています。
したがって、彼は預言の詳細が歴史と正確に一致するかどうかは重要ではないと考えています。
世の王国は存続せず、最終的に神の民が救われるという一般的な事実だけが、この箇所の要点だからです。
カイル氏は次のように述べています。

したがって、この啓示の目的は、異教徒の世界王国が永続的な安定を得ることはなく、神の民を迫害することによってのみ浄化が達成され、終末がもたらされることです。
そして、その破滅を通して神の民があらゆる弾圧から解放され、変容されることを示すことです。
このことを彼に明らかにするためには、厳しい患難によって完成へと導かれなければならないことを、やがて、異教徒の世界勢力において時の流れの中で起こる様々な出来事の完全な説明を彼が受け取る必要はありません。
また、彼らの敵意が第四世界王国から出現する最後の王のもとで初めて完全に現れするであろうことが特に強調される必要もありません。[582]
カイル氏は批評家たちに譲歩することで、記録が要求する以上のことを認めています。
本文が適切に解釈されれば、いわゆる歴史的誤りは消え去り、ダニエルの記録は正確かつ完全なものとなります。
しかしながら、あらゆる預言的な発言につきものの解釈上の問題がないわけではありません。
この聖書箇所の解説者は、この二つの相異なる見解の間で都合の良い妥協点を見出すことはできません。
これは真実な預言、もしくは違うのかのどちらかです。
この啓示が歴史と非常によく一致している事実は、批判の根拠となるのではありません。
むしろ、正しく理解された預言は歴史と同じくらい正確である驚くべき確証となるはずです。
先に指摘したように、ダニエルの預言に対する攻撃は常に不十分です。
完全な啓示の成就は、まだ見ぬ未来の状況を予期するものであり、紀元前2世紀のダニエルとされる人物の観点から見ても、歴史とはみなされません。

この部分の難解な解釈を試みるにあたっては、預言はある程度正確ではあるものの、選択的である一般原則を念頭に置くべきです。
この啓示には、その時代における歴史の全てが含まれているわけではなく、すべての支配者の名前も含まれているわけではありません。
ある事実が含まれ、他の事実が除外されている理由を必ずしも特定できるわけではありません。
しかし、第三の帝国時代を特徴づけた争いと混乱の全体像は、アンティオコス・エピファネスに特に言及することで描写されています。
この章では、ダニエルの活動がイスラエルの人々にとって重要であるため、他のどの支配者よりも多くの紙面が割かれています。

メディア・ペルシャの4人の重要な王

「――私はメディヤ人ダリヨスの元年に、彼を強くし、彼を力づけるために立ち上がった。――
今、私は、あなたに真理を示す。見よ。なお三人の王がペルシヤに起こり、第四の者は、ほかのだれよりも、はるかに富む者となる。
この者がその富によって強力になったとき、すべてのものを扇動してギリシヤの国に立ち向かわせる。」
(ダニエル書11章1、2節)


11章の冒頭の節は、くりかえし10章の終わりの節とみなされてきました。
その中で、10章18節に登場する御使いは、バビロンでの支配の始めからメディア人ダリウスを支持し、力づけることを宣言しています。
1節の御使いが「立ち上がった」という記述は、おそらくダニエル書10章13節にあるように、敵との軍事衝突において立っている意味で用いられています。
御使いの立場は通常、メディア人ダリウスを支持し、「彼を強くし、彼を力づけるために」と解釈されますが、「彼」はメディア人ダリウスではありません。
御使いはペルシャの王子と戦わなければならないため (ダニエル書10章13節)、彼が支持するイスラエルの王子ミカエルを指している可能性があります 。(ダニエル書10章21節)
メディア王ダリウスの治世元年、世界勢力がバビロニアからメディア・ペルシャに移動した時、御使いはイスラエルの守護者ミカエルの傍らに立ち、彼がこの新しい王国を敵対から好意へと転じさせるまで支え続けました。
ダニエル書6章の物語は、ダリウスの治世元年に、ダリウスをイスラエルに敵対させようとする試みがなされたことを示しています。
しかし、その時、神は御使いを遣わして獅子の口を閉じられました。(ダニエル書6章22節)
御使いによる奇跡的な救出により、メディア王ダリウスは政策を転換し、イスラエルに有利な立場に転じました。(ダニエル書6章24~27節)
したがって、5章でバビロンが陥落し、第二の大帝国が始まったことは、メディアとペルシャの軍隊による単なる軍事的征服や勝利以上の意味を持っていました。
それは、舞台裏で御使いたちが繰り広げる神聖なる戦争劇の新たな章であり、この変化は神の導きによるものでした。

11章の冒頭で述べられている歴史概観は、この預言がネブカドネザルの夢よりも後の時代を扱っているものの、8章の雄羊と雄やぎに関する預言と一致することを示しています。
ポーテウス氏はそれを次のように表現しています。

歴史の概観は、ネブカドネザルの夢(2章)やダニエルの獣の幻(7章)よりも少し後の時点から始まりますが、ダニエルの雄羊と雄やぎの幻(8章)と同じ時期にあります。
実際、この章では、その幻の詳細な展開が示されており、様々な王たちが紋章の獣の角に化けることなく、本来の姿で現れています。
魔女の洞窟のマクベスのように、ダニエルは次々と王たちが歴史の舞台に現れ、自分の役割を堂々とこなし、後継者に道を譲るのを見ることを許されているとされています。[583]
バビロニア帝国の滅亡に伴い、メディア・ペルシャ帝国の将来について当然の疑問が生じています。
これについて、御使いは「今、私は、あなたに真理を示す」と告げています。
これは、将来起こることの真理です。(「真理の書」10章21節を参照にしてください。)
ダニエルは、ペルシャに三人の王がいて、その後に他の王よりもはるかに裕福で偉大な四人目の王が続き、その力と富を用いて「ギリシヤの国に立ち向かわせ」と告げられます。
もちろん、この四人の王の正体については議論があり、モンゴメリ氏はこの預言の信憑性を証明するために、様々な組み合わせや解釈を用いています。[584]
しかし、最も自然な説明は、4人の王はメディア王ダリヨスに加え、ペルシャの最初の4人の支配者であるというものです。
重要なのは、後代のペルシャの支配者は重要性が低く、衰退傾向にあったことです。
4人の王全員が未来の人物だと仮定すると、メディア王ダリヨスとクロス2世(紀元前550~530年)として知られるクロスは除外される可能性が高いはずです。
預言には「見よ。なお三人の王がペルシヤに起こり」と記されています。
新バークレー訳では「ペルシャにさらに3人の王が立つ」と訳されており、これは未来のことです。
この預言はクロスの治世3年にダニエルに与えられました。(10章1節)
すると、四人の王とは、カンビュセス(紀元前529~522年、旧約聖書には記されていない)、偽スメルディス(紀元前522~521年)、ダリヨス1世ヒュスタスペス(紀元前521~486年、エズラ記5章、6章)、そしてクセルクセス1世(紀元前486~465年、エズラ記4章6節)となります。
この同一視することは、ペルシャ王を順番に考察し、ギリシアへの大遠征を率いたクセルクセス1世で頂点を極める利点があります。
クセルクセスは、一方ではペルシャの勢力発展の頂点を象徴すると同時に、他方ではその衰退の始まりを象徴しています。
別の保守的な解釈では、短期間しか支配しなかった偽スメルディスを排斥し、クセルクセス1世の後にアルタクセルクセス1世(紀元前465~424年、エズラ記7章11~26節)を4番目の支配者として加えています。
しかし、預言によれば、第4代の支配者はギリシアと争うことになりますが、アルタクセルクセス1世の場合はそうではありません。

ダニエル書によれば、ペルシャ支配の頂点はクセルクセス1世の時代でした。
彼は莫大な富と約4年間の歳月を費やし、数十万に及ぶ大軍を組織しました。
これは古代世界最大級の軍隊の一つです。
しかし、紀元前480年に彼がギリシアに対して開始した遠征は悲惨な結果に終わり、その後、クセルクセスは立ち直ることはありません。
エステル記1章に登場するアハシュエロスはクセルクセス1世と同一視される可能性があります。
この不運なギリシア遠征はエステル記1章と2章の間に起こったと考えられます。
ペルシャ帝国の詳細については、ここでは触れません。
イスラエルの人々と神の計画に関する限り、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記で十分に網羅されており、これらの記録は預言書ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書によって補完されているからです。
啓示はすぐに、神の御言葉の他のどこにも記されていない第三の帝国の詳細へと移ります。

アレクサンダー氏大王の興亡

「ひとりの勇敢な王が起こり、大きな権力をもって治め、思いのままにふるまう。 しかし、彼が起こったとき、その国は破れ、天の四方に向けて分割される。
それは彼の子孫のものにはならず、また、彼が支配したほどの権力もなく、彼の国は根こぎにされて、その子孫以外のものとなる。」
(ダニエル書11章3、4節)


クセルクセス1世によるギリシア攻撃の副産物の一つとして、彼がギリシアの絶え間ない憎しみを買ったことです。
モンゴメリ氏と一部の批評家は、これが第2節の「彼はすべてをかき乱すだろう」の最終的な意味だと考えています。

モンゴメリ氏はこれを「そして、彼はすべてをかき乱すだろう、具体的には(?)ギリシア王国を」と翻訳しています。
しかし、重要なことは彼がギリシアに対して、戦争を起こしたということではありません。
アジアに関する限り、ペルシャは紀元前449年のカリアスの和約においても愛人であり続けました。
それは、世界が王に対して憤慨したこと」だとコメントしています。[585]
この翻訳が正しいかどうかは疑問の余地があるかもしれませんが、事実はアレクサンダー氏大王がペルシャ帝国を征服することでクセルクセス1世に報復したことです。
アレクサンダー氏大王は確かに「強力な王」であり、ロイポルド氏はそれを「英雄王」と翻訳しています。[586]
残りの描写はアレクサンダー氏大王に完全に適応されます。
確かに彼は偉大な支配権を持ち、「自分の意志に従って」行動する絶対的な支配者でした。

ダニエル書8章8節で既に明らかにされているように、アレクサンダー氏は若くして亡くなりました。
4節の「彼が起こったとき」という表現は、「彼が力をつけている間に」、つまり権力がまだ高まっている間にと訳すことができます。
別の訳、おそらくより一般的なヘブル語は「彼が立ち上がるとすぐに」であり、アレクサンダー氏の支配期間が短かったことを示しています。
「起こった」という言葉は、前の節と同様に軍事的な意味合いを持っています。

御使いはダニエルに、彼の王国が四方に分裂し、天の四方の風にまで及ぶことを預言しました。
これは文字通り成就し、彼の死後、王国は四方に分裂しただけでなく、四人の将軍にも分割されました。
アレクサンドロス大王の帝国は彼の子孫に受け継がれませんでした。
アレクサンドロス大王の死の時に息子であったヘラクレス(母はバルシナ)は、ポリュスペルコンに殺害されました。
ロクサナの死後に生まれた幼いアレクサンドロス大王は、紀元前310年に殺害されました。
アレクサンドロス大王の帝国は、四人の将軍の手に落ちた後、アレクサンドロス大王の時代に持っていた栄光と権力を維持することはありません。
帝国の特徴であった強力な中央集権は、アレクサンドロス大王の死とともに消滅しました。
紀元前539年頃に書かれたダニエルの預言に記録されているこの出来事は、紀元前323年にアレクサンドロスが亡くなった時に成就しました。

プトレマイオス1世ソテルとセレウコス1世ニカトール

「南の王が強くなる。しかし、その将軍のひとりが彼よりも強くなり、彼の権力よりも大きな権力をもって治める。」
(ダニエル書11章5節)


5節から、南の王たち、すなわちエジプトと北の王たち、すなわちシリアの間の争いが始まり、ダニエルはこの預言の中で、アンティオコス4世エピファネス(紀元前175~164年)の時代、つまり約150年間の期間までを描いています。
8節では南の王はエジプトであるとされており、七十人訳聖書はこの箇所全体を通して南を「エジプト」と訳しています。
シリアという国名は述べられていません。
ダニエル書が書かれた当時、そのような国は存在せず、そのような言及は混乱を招いたからです。
エジプトとシリアの争いを辿る際、預言は選択的であり、すべての支配者について述べられているわけではありませんが、通常はその国名は明確にされています。

5節の南の王は、おそらくプトレマイオス1世ソテル(紀元前323~285年)です。
「ひとりが彼よりも強くなる」とされているのは、シリアの王セレウコス1世ニカトール(紀元前312~281年)です。
これらの君主は、紀元前306年に王の称号を得ました。
セレウコスはバビロンのアンティゴノスから逃亡し、一時的にプトレマイオス1世と同盟を結んでいました。
彼らは力を合わせてアンティゴノスを破り、こうしてセレウコスが小アジアからインドに至る全域を支配する道が開かれました。
そして、やがてセレウコスは、エジプトを支配したプトレマイオスよりも強力になりました。
したがって、聖書には、セレウコスが「彼(プトレマイオス)の上に強大な者となり、支配権を持ち、その支配権は広大である」とあります。
これは、前の節の「彼が支配した領土にふさわしいものではない」という記述によって限定されています。
プトレマイオスがエジプトの支配者となり、セレウコスがシリアとその周辺地域の支配者として台頭したことで、それぞれの国に二大支配者体制が築かれ、同時に両者がライバル関係に陥る状況が生まれました。
南の王もまた、5節が示すように強大な勢力を持っていました。
「将軍のひとりが彼よりも強くなり」という表現は、おそらく続く節で述べられているセレウコスを指していると思われます。
「彼の君主の一人は彼よりも強いであろう」と訳すことも可能です。[587]

エジプトの娘とシリア王の結婚

「何年かの後、彼らは同盟を結び、和睦をするために南の王の娘が北の王にとつぐが、彼女は勢力をとどめておくことができず、彼の力もとどまらない。
この女と、彼女を連れて来た者、彼女を生んだ者、そのころ彼女を力づけた者は、死に渡される。」
(ダニエル書11章6節)


「何年かの後」という表現は、「数年が経過した後」という意味です。
(歴代誌第二18章2節、ダニエル11章8節、13節を参照にしてください。)
時が経つにつれ、政治的な理由からエジプトとシリアの間で結婚が起こるのは当然のことです。
そのことが6節に描かれています。
関係者は、南の王プトレマイオス2世フィラデルフォス(紀元前285~246年)と彼の娘ベレニケで、ベレニケは紀元前252年頃にアンティオコス2世テオス(紀元前261~246 年)と結婚します。
述べられていないのは、アンティオコス1世ソテル(紀元前281~261年)です。
この結婚はプトレマイオス2世の要求により成立しました。
プトレマイオス2世は、この結婚を容易にするために、アンティオコスに自分の妻ラオデキア(またはラオディケ)と離婚するよう要求しました。
彼の意図は、文字通り、2つの国の間に「和睦」する合意の土台を提供することでした。
しかしながら、6節が示すように、この結婚は「彼女は勢力をとどめておくことができず」、つまり肉体的、もしくは政治的な力を保持できず、結婚した男はどちらも繁栄しなかった点で成功しません。
次のように暗示されています。
「彼女は勢力をとどめておくことができず、彼の力もとどまらない。
この女と、彼女を連れて来た者、彼女を生んだ者、そのころ彼女を力づけた者は、死に渡される。」 「彼女を連れて来た者」とは、「彼女を結婚で得た者」を意味しています。
結婚から数年後、プトレマイオス1世は亡くなり、アンティオコスは妻ラオデキアを取り戻しました。
しかし、復讐のためにラオデキアは夫と、そのエジプト人の妻ベレニケ、そしてアンティオコスとベレニケの幼い息子を殺害しました。
「彼女を生んだ者」とは、もちろんプトレマイオス2世を指し、彼の死がその後の殺人の引き金となりました。

プトレマイオス・エウエルゲテスとセレウコス・カリニクス

「しかし、この女の根から一つの芽が起こって、彼に代わり、軍隊を率いて北の王のとりでに攻め入ろうとし、これと戦って勝つ。
なお、彼は彼らの神々や彼らの鋳た像、および金銀の尊い器を分捕り品としてエジプトに運び去る。彼は何年かの間、北の王から遠ざかっている。
しかし、北の王は南の王の国に侵入し、また、自分の地に帰る。」
(ダニエル書11章7~9節)


6節の出来事の後、エジプトの新しい王プトレマイオス3世エウエルゲテス(紀元前246~221年)は、北の王セレウコス・カリニクス(紀元前247~226年)に軍事的に勝利しました。
そして預言が示すように、彼は「北の王のとりで」に侵入し、王子たちを人質として連れ去り、偶像の一部と金銀の貴重な器をエジプトに運び込みました。
「女の根から一つの芽が起こって」という表現は、文字通り「彼女の根が芽生え」、血統、つまりベレニケの直系の祖先を意味しています。
したがって、ここで述べられている人物は、彼女の両親の息子であり、実の兄弟であるプトレマイオス3世エウエルゲテスであり、プトレマイオス・フィラデルフォスの後継者です。

英訳聖書で「君たち(princes)」(11章8節)と訳されているヘブル語は「鋳像」と訳すことができ、偶像の移送は北王国の完全な征服を示唆しています。[588]
(イザヤ書46章1、2節、エレミヤ書48章7節、49章3節、ホセア書10章5節を参照にしてください。)
プトレマイオス・エウエルゲテスは自身の功績を記念して、メソポタミア、ペルシャ、スーサ、メディア、そしてバクトリアに至るまでのすべての国々を征服したことを誇示する記念碑「マルモル・アドゥリタヌム」を建立しました。
「北の王から遠ざかっている」という表現は、すなわち「北の王への攻撃を控える」(RSV英訳聖書)という意味として最もよく理解されています。

9節は「しかし、北の王は南の王の国に侵入し、また、自分の地に帰る」(ASV、RSV英訳聖書とも)と訳した訳が適切です。
ここでの登場人物は、南の王ではなく、前の節で述べられている北の王です。

ヒエロニムス氏は、その注釈の中で、プトレマイオス・エウエルゲテスによる征服について次のように記述しています。

彼は大軍を率いて北の王セレウコス・カリニクスの属州に進軍しました。
セレウコスは母ラオディケと共にシリアを支配していたが、カリニクスを蹂躙し、シリアのみならずキリキア、ユーフラテス川以遠の僻地、そしてアジアのほぼ全域をも手中に収めました。
そして、エジプトで反乱が起こっていると聞くと、セレウコス王国を略奪し、銀四万タラントと二千五百点に及ぶ貴重な器物や神々の像を戦利品として奪い去りました。
その中には、カンビュセスがエジプトを征服した際にペルシャに持ち帰ったものと同じ像もありました。
エジプトの人々は偶像崇拝に熱心でした。
というのも、彼が長年の時を経て彼らの神々を彼らの元に持ち帰ったとき、彼らは彼をエウエルゲテス(恩人)と呼んだからです。
彼自身はシリアの領有権を保持したが、キリキアを友人のアンティオコスに引き渡して支配させ、ユーフラテス川の向こうの属州は別の将軍クサンティッポスに引き渡しました。[589]
ダニエルが300年前に書いた預言の正確さは批評家の攻撃を招きましたが、実際にはその正確さは聖書の預言全体の正確さを裏付けるものとなりました。

KJV英訳聖書の9節は、南の王が自分の国に帰ることを暗示しているように思われます。
しかし、より適切な翻訳は、セレウコス・カリニクスが「彼の王国に入る」という動詞の主語であり、エジプト侵攻から数年後、セレウコスが紀元前240年頃にエジプトに反撃を仕掛けた事実に言及しています。
しかし、セレウコスは完全に敗北し、「自分の国に帰る」ことを余儀なくされました。[590]
もちろん、これは両国間のシーソーゲームの始まりに過ぎません。
このような背景資料を含めることで、10~19節の預言の重要な点、すなわちシリアがエジプトに対して優位に立ち、聖地がシリアの支配下に戻ることにつながることがわかります。
これが、この預言の21~35節の主要な関心事である、アンティオコス・エピファネスによるイスラエル迫害の舞台を整えたのです。

セレウコスとアンティオコス3世のプトレマイオス1世に対する争い

「しかし、その息子たちは、戦いをしかけて、強力なおびただしい大軍を集め、進みに進んで押し流して越えて行き、そうしてまた敵のとりでに戦いをしかける。
それで、南の王は大いに怒り、出て来て、彼、すなわち北の王と戦う。北の王はおびただしい大軍を起こすが、その大軍は敵の手に渡される。
その大軍を連れ去ると、南の王の心は高ぶり、数万人を倒す。しかし、勝利を得ない。
北の王がまた、初めより大きなおびただしい大軍を起こし、何年かの後、大軍勢と多くの武器をもって必ず攻めて来るからである。
そのころ、多くの者が南の王に反抗して立ち上がり、あなたの民の暴徒たちもまた、高ぶってその幻を実現させようとするが、失敗する。
しかし、北の王が来て塁を築き、城壁のある町を攻め取ると、南の軍勢は立ち向かうことができず、精兵たちも対抗する力がない。
そのようにして、これを攻めて来る者は、思うままにふるまう。彼に立ち向かう者はいない。彼は麗しい国にとどまり、彼の手で絶滅しようとする。
彼は自分の国の総力をあげて攻め入ろうと決意し、まず相手と和睦をし、娘のひとりを与えて、その国を滅ぼそうとする。
しかし、そのことは成功せず、彼のためにもならない。
それで、彼は島々に顔を向けて、その多くを攻め取る。しかし、ひとりの首領が、彼にそしりをやめさせるばかりか、かえってそのそしりを彼の上に返す。
それで、彼は自分の国のとりでに引き返して行くが、つまずき、倒れ、いなくなる。」
(ダニエル書11章10~19節)


セレウコス・カリニクスはエジプト攻撃に失敗しましたが、「その息子たち」と称される後継者たちはより大きな成功を収めました。
セレウコス3世(紀元前226~223年)は小アジアでの戦闘で戦死し、早すぎる死を迎えました。
しかし、その任務はアンティオコス3世(紀元前223~187年)によって見事に継承されました。
セレウコスの死去により、10節の前半の複数形は単数形に変更されています。
こうして、アンティオコス3世はエジプトに対して幾度か遠征を行うことができました。
そして、エジプトの支配者プトレマイオス・フィロパトル(紀元前221~203年)の怠惰さもあって、ガザ南部に至るまでの領土をシリアに回復させました。

エジプト本土にこれほど軍が接近したことで、エジプト王は奮起し、アンティオコスと戦うために大軍を召集しました。(11章11節)
紀元前217年、アンティオコスはラフィアのパレスチナ国境でエジプト軍と遭遇しました。
エジプト軍はプトレマイオスとその妹で妻のアルシノエが指揮を執り行いました。[591]
両軍の兵士はそれぞれ約7万人でした。
戦いはエジプトの完全な勝利に終わりました(11章11、12節)
ヒエロニムス氏の記述にあるように、「アンティオコスは全軍を失い、砂漠に逃げる途中でもう少しで捕らえられるところでした。」[592]
シリア軍がエジプトの手に渡るという預言が成就しました。
しかし、アンティオコスが逃げ延びたため、和平を結ぶ必要がありました。
12節が示すように、エジプト王は怠惰すぎて自分の優位を追求することが出来ません。
この戦いはシリアにとって悲惨なものでしたが、少なくとも一時的には両国の間に平和をもたらしました。[593]
一方、アンティオコスは東方征服に目を向け、大きな成功を収め、力と富を蓄えました。
紀元前212年から204年にかけて、彼は東はインド国境、北はカスピ海にまで進出しました。
プトレマイオス・フィロパトルとその王妃は紀元前203年に謎の死を遂げ、幼い息子プトレマイオス5世エピファネスが後を継ぎました。

紀元前201年、アンティオコスは再び大軍を編成し、13~16節に記されているように、エジプトへの一連の攻撃を再開しました。
「あなたの民の暴徒たち」(11章14節)という表現は、法と正義を犯す者を指しており、したがって彼らは「奪う者」あるいは「暴力を行う者」(RSV英訳聖書)です。
ツォックラー氏が述べているように、「この預言は、多数のユダヤ人がアンティオコス大王と共にエジプトに対する同盟を結び、エジプトに対する彼の軍事作戦、例えばエジプトの将軍スコパスがエルサレムの城塞に残した守備隊への攻撃に参加したことを指しています。」[594]
ツォックラー氏は次のようにコメントしています。
「神権政治を認める著述家は、シリア人に対するこの部分的な反乱を、犯罪行為、あるいは単なる略奪行為として厳しく非難しています。
なぜなら、以前のプトレマイオス朝によってユダヤ国家に多くの利益がもたらされたからです。」[595]

この幻を確立するための言及は、ダニエル書8章と9章にすでに記録されているアンティオコス・エピファネス支配下のユダヤ人の苦難を預言したものと思われます。
これらの苦難は、適切にもエジプト人がシリアに対して反乱を起こした結果としても捉えることができます。
シリアを脅かすローマの台頭に勇気づけられ、エジプトは反撃しました。
スコパス率いるエジプト軍は、ヨルダン川源流近くのパネアスで敗れました。
その後、アンティオコス3世は、シドンでスコパスを降伏させました。
シドンは「最も堅固な街」、文字通り「城壁のある町」と呼ばれ、セレウコス朝の王が紀元前199~198年に占領しました。
この勝利により、シリアはガザにいたるまでパレスチナ全土を占領することになりました。
「南の軍勢は立ち向かうことができず」という表現は、エジプトの三人の指導者、エロパス、メナクレス、ダモイエヌスが包囲されたスコパスをシドンから救い出そうと試みたが失敗したことを暗示しています。
しかし、ローマの脅威にさらされたアンティオコスは、紀元前192年に娘のクレオパトラを若き王プトレマイオス5世エピファネスに嫁がせることでエジプトとの外交的和解を成立させました。
こうして、彼は「娘のひとりを与えて、その国を滅ぼそうとする。しかし、そのことは成功せず、彼のためにもならない」という預言を成就させます。
英訳聖書の「彼女を堕落させる」(そのことは成功せず)という表現は「国を滅ぼす」という意味かもしれません。[596]
つまり、アンティオコス大王は幼い娘を7歳のプトレマイオスに婚約させることで、かつての敵であり現在の同盟国であるプトレマイオスを滅ぼそうとしました。
ヤング氏が述べているように、「しかし、この策略においてアンティオコスは失敗します。
なぜなら、クレオパトラは常に夫の側に付き、父に反抗するからです」[597]
この一連の出来事において、13節から17節の預言は正確に成就されました。
しかし、18節で示されているように、大アンティオコスは逆境に見舞われ始めます。
「ひとりの首領」と記された者は、ヤング氏の表現によれば「アンティオコスの敗北をもたらした」ローマ執政官ルキウス・スキピオ・アジアティクスを指しています。[598]
「そのそしり」とは、アンティオコスがリュシマキアでの会議でローマ大使たちを軽蔑的に扱ったことを指し、「アジアは彼らローマ人には関係なく、彼は彼らの命令に従わない」と軽蔑的に述べたことです。[599]
この敗北は、次のような経緯でもたらされました。
スコパスを破りエジプト征服に成功したアンティオコスは、次に西方からの脅威に目を向け、アレクサンドロス大王の征服に匹敵するギリシア征服を試みました。
しかし、この試みは大きく失敗に終わり、紀元前191年にはアテネ北方のテルモピュライで、そして紀元前189年にはエフェソス南東のメアンダー川沿いのマグネシアで、ローマ将軍スキピオ率いるローマとペルガモンの兵士たちに敗北しました。
これは18節と19節の預言を成就するものであり、歴史的観点から見ると、ヨーロッパからアジアの支配を取り除く上で重要な出来事でした。
これは後のローマの領土拡大への道を開くものとなりました。[600]

アンティオコス大王は、もしギリシアに手出しをしていなかったなら、古代世界の偉大な征服者の一人として歴史に名を残していたはずです。
しかし、19節の預言を成就し、敗北し打ちのめされた状態で故郷に帰還するしかなかったのです。
彼はエラムの神殿を略奪しようとして殺されました。
イスラエルの歴史の観点から、これは重要な出来事でした。
なぜなら、アンティオコス大王の後継者はセレウコス4世フィロパトル(紀元前187年~175年)であり、さらにその先にはダニエル書11章21~35節に詳細が記された、ユダヤ人を迫害した悪名高いアンティオコス4世エピファネス(紀元前175年~164年)がいるからです。
これらの預言は、適切に解釈すれば、この時代を正確に預言的に描写しており、たとえそれが歴史であったとしても、特筆すべきものです。
預言として、それは紛れもなく神の啓示の痕跡を帯びています。

セレウコス・フィロパトル、税を取り立てる者

「彼に代わって、ひとりの人が起こる。彼は輝かしい国に、税を取り立てる者を行き巡らすが、数日のうちに、怒りにもよらず、戦いにもよらないで、破られる。」
(ダニエル書11章20節)


アンティオコス大王とアンティオコス・エピファネスの時代の間に支配したセレウコス朝の王、セレウコス4世フィロパトルは、ここではイスラエルの民に対する課税による弾圧について述べられています。
ローマの勢力が増大したため、セレウコスは毎年千タラントの貢物をローマに納めざるを得なくなりました。[601]
この巨額の資金を集めるため、セレウコスは領土全体に課税しなければなりません。
その中には、エルサレムの神殿から財宝を奪ったヘリオドロスという収税吏がユダヤ人から徴収した特別税も含まれていました。(マカバイ記第二3章7節)[602]
ツォックラー氏が指摘するように、「ヘリオドロスが神殿略奪に派遣されて間もなく、セレウコス・フィロパトルは突如として不可解な形で解任されました。
このことが、「数日のうちに、怒りにもよらず、戦いにもよらないで、破られる」(11章20節)という記述の説明となり、おそらくヘリオドロスが毒を盛ったことだと考えられます。」[603]
これが、その後のアンティオコス・エピファネスによる恐ろしい迫害の舞台となったのです。

アンティオコス4世エピファネスの台頭

「彼に代わって、ひとりの卑劣な者が起こる。彼には国の尊厳は与えられないが、彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る。
洪水のような軍勢も、彼によって一掃され、打ち砕かれ、契約の君主もまた、打ち砕かれる。
彼は、同盟しては、これを欺き、ますます小国の間で勢力を得る。」
(ダニエル書11章21~23節)


21節から始まるこの章の大きなセクションは、比較的無名のシリアの支配者、紀元前175年から164年まで王位に就いていた人物に適応されます。
この人物は以前に「小さな角」(ダニエル書 8章9~14節,23~25節)と呼ばれていました。
彼はシリアの勢力が衰え、ローマが西に台頭していた時代に支配し、紀元前164年に亡くなったことで初めてローマによる屈辱を免れました。
聖書とダニエルへの御使いの啓示の観点から見ると、これが第三の帝国全体の最も重要な特徴となります。
アンティオコス4世エピファネスが目立った理由は、ユダヤの神殿と祭壇を冒涜し、ユダヤ人を激しく迫害したからです。
8章から始まるこのセクション全体に言えることですが、異邦人の支配は主にユダヤ国家の発展との関係から考察されています。
彼は前任者のセレウコス4世フィロパトルと比較され、「卑劣な人物」として評価されています。
「栄光ある」という意味を持つエピファネスという称号は、アンティオコスが神と認められたいという願望から自分に付けた称号です。
ここでの描写は、彼の不道徳な生活、迫害、そして神の民への憎悪から、神が彼をどのように見ていたかを示しています。
彼の人生は、陰謀、便宜主義、そして権力への渇望に特徴づけられ、名誉は常に二の次でした。

「国の尊厳は与えられない」者という表現は、彼が名誉ある方法で王位を得たのではなく、奪取したという事実に述べられています。
彼の前任者が亡くなったとき、王位継承者は数人存在していました。
おそらく、最も正当な支配者は、当時ローマでローマ人に人質として捕らえられていた兄セレウコス4世の幼い息子、デメトリオスでした。
また、セレウコス4世には、やはりアンティオコスという名の年下の息子がいて、シリアではまだ赤ん坊でした。
セレウコス4世の弟アンティオコス4世は、兄が亡くなったときアテネにいました。
そこで彼は、ダニエル書11章20節に預言されていたとおり、兄セレウコスがヘリオドロスに殺害された知らせを受け取りました。
「怒りにもよらず、戦いにもよらないで、破られる。」
モンゴメリはこれを「ブーツを履いたままで死んだ」と表現しています。
(「サウルの死」を参照にしてください。)[604]

アンティオコス4世エピファネスは、シリアにいた若きアンティオコスの後見人を装い、アンティオキアに赴き、様々な陰謀を巡らし、王位を掌握しました。
21節では「彼は不意にやって来て、巧言を使って国を堅く握る」と記されています。
一方、若きアンティオコスはアンドロニコスに殺害され、アンティオコス4世はアンドロニコスを処刑しました。
もっとも、アンティオコス4世自身が全ての陰謀を企てていた可能性もあります。
セレウコス4世を殺害したヘリオドロスは王位を掌握することができず、姿を消しました。
このようにアンティオコス4世は王位を安泰にし、エジプトとローマとの権力争いにおいて、軍事征服と陰謀を駆使した活発な生活を開始しました。

22節は、エジプトに対する幾度かの遠征を含む軍事行動について述べています。
預言は具体的なことを述べようとはしていませんが、様々な機会に軍隊が洪水のように滅ぼされ、「打ち砕かれる」様子を概説しています。
「洪水の軍勢」という表現は、自然の洪水ではなく、軍隊を指している可能性があります。[605]
つまり、彼は敵に勝利します。
彼が圧倒した軍勢は、ツォックラー氏が「その一部はアンティオコスがペルガモン同盟軍の支援を受けて敗走させたヘリオドロスの軍勢です。
また、その一部にはアンティオコスの即位直後にコイレ・シリアを奪おうとしたエジプト軍が含まれていました」と述べています。[606]
エジプト人が攻撃しようとしていることを知ると、アンティオコスは紀元前170年にエジプトに侵攻し、カシウス山とペルシウムの間で起きた戦いでエジプト軍を破りました。
ペルシウムは地中海南東岸の地域で、ガザとナイル川デルタの中間に位置しています。[607]
この戦場は現在ラス・バロンと呼ばれています。

「契約の君主」という表現は、紀元前172年にアンティオコスによって命じられた大祭司オニアスの殺害を預言しており、彼の治世における困難な時代を示しています。
大祭司は当時、事実上神権政治の長であったため、「契約の君主」という称号を有していました。
11章28節と32節では、「契約」という言葉はユダヤ国家を指して用いられています。

23節は、アンティオコスが他の諸国、特にエジプトと結んだ様々な同盟について記しており、そこには相当な陰謀と策略が絡んでいました。
当時、アンティオコスの甥であるプトレマイオス・フィロメトルとプトレマイオス・エウエルゲテスがエジプトの支配権を巡って争っていました。
アンティオコスはプトレマイオス・フィロメトルを支持しましたが、それはあくまでも自身の利益のためでした。
そのためにアンティオコス自身も力を増していきました。

アンティオコスの権力の拡大

「彼は不意に州の肥沃な地域に侵入し、彼の父たちも、父の父たちもしなかったことを行なう。
彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う。
彼はたくらみを設けて、要塞を攻めるが、それは、時が来るまでのことである。
彼は勢力と勇気を駆り立て、大軍勢を率いて南の王に立ち向かう。南の王もまた、非常に強い大軍勢を率い、奮い立ってこれと戦う。
しかし、彼は抵抗することができなくなる。彼に対してたくらみを設ける者たちがいるからである。
彼のごちそうを食べる者たちが彼を滅ぼし、彼の軍勢は押し流され、多くの者が刺し殺されて倒れる。」
(ダニエル書11章24~26節)


24節によると、軍事的策略や陰謀によって常に王国を拡大しようとしていたアンティオコスは、父祖たちと同じ様に、支配下にある国の最も豊かな場所を略奪しました。
「彼は不意に州の肥沃な地域に侵入し」という預言は、敵が予想していなかった「安全な時期」または「平和な時期」に敵を攻撃したことを意味しています。
父とは異なり、アンティオコス4世はこのようにして確保した富を個人的な利益のために使うのではなく、むしろ他者の好意を買い、協力を得るために使いました。
「彼は、そのかすめ奪った物、分捕り物、財宝を、彼らの間で分け合う」という表現は、彼が確保した富の分配を示しています。
マカバイ記第一3章30節には、「彼は、以前の王たちよりも惜しみなく与えていた支出や贈り物のための資金が、以前のようにはなくなるのではないかと恐れた」とあります。(RSV英訳聖書)

彼の軍事行動の中には、25節に示されているように、エジプトへの複数の遠征が含まれていました。
これがどの遠征を表しているのかは重要ではありません。
この預言は、アンティオコス4世の治世の特徴を概説しているに過ぎないからです。
戦いの結果は、南の王を指して「しかし、彼は抵抗することができなくなる」とあるように、エジプト王が敗北しました。
26節で明らかにされているように、彼を支持すべき者たちでさえ陰謀を企てました。
結果としては、アンティオコスはエジプト人に勝利しています。

アンティオコスの邪悪さ

「このふたりの王は、心では悪事を計りながら、一つ食卓につき、まやかしを言うが、成功しない。その終わりは、まだ定めの時にかかっているからだ。
彼は多くの財宝を携えて自分の国に帰るが、彼の心は聖なる契約を敵視して、ほしいままにふるまい、自分の国に帰る。」
(ダニエル書11章27、28節)


シリアとエジプトの争いは、様々な協定を結びましたが、どれも成功していません。
エジプトとシリアの支配者たちは27節にあるように、協定を誠実に守ることができていません。
「一つ食卓につき、まやかしを言うが、成功しない」
27節の最後の部分が明らかにしているように、アンティオコスはあらゆる陰謀にもかかわらず、預言を予定通りに成就させていました。

アンティオコスはエジプトから莫大な富を携えて帰還し、イスラエルの民への憎しみと神殿の財宝への貪欲さを露わにし始めました。
これは「彼の心は聖なる契約を敵視して」という記述に表れています。[608]

ユダヤ人を迫害する、ローマに反対されたアンティオコス

「定めの時になって、彼は再び南へ攻めて行くが、この二度目は、初めのときのようではない。
キティムの船が彼に立ち向かって来るので、彼は落胆して引き返し、聖なる契約にいきりたち、ほしいままにふるまう。
彼は帰って行って、その聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる。
彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、荒らす忌むべきものを据える。」
(ダニエル書11章29~31節)


エジプトに対する別の遠征では、「定めの時」、つまり神によって、彼はプトレマイオス・フィロメトルを捕らえることに成功しました。
しかし、最終的にはアレクサンドリアの街を奪取できなかったためエジプトから撤退するしかなかったのです。[609]
彼の成功は以前の遠征ほど大きくはなく「この二度目は、初めのときのようではない」と述べられています。
さらに別のエジプト侵攻が紀元前168年頃に起こったが、ここで彼はアレクサンドリアの近くでローマの執政官ガイウス・ポピリウス・ラエナスと会見し、ローマに攻撃される罰則を承知でエジプトを去るよう即座に要求しました。
ローマの執政官は王の周りに円を描き、円から出る前に決断を下さなければならないと王に告げたと伝えられています。
ローマと戦争する危険を冒すよりも、アンティオコスは大いに不満だったが、すぐにエジプトから撤退し、エジプトをローマの権力下に置きました。
預言的に、これは30節の「キティムの船が彼に襲いかかる」という記述によって示されています。
これは通常、「キティム(Kittim)」を越えて西から来たローマの勢力を象徴的に表すものと解釈されます。
キティムとは、彼の王国の西にあったキプロス島のことです。
ラエナスの艦隊は、紀元前168年6月22日ローマがマケドニアのペルセウス(テサロニケ南方のピュドナ近郊)に勝利した後、エジプトへ航海しました。
七十人訳聖書では、「キティムの船」という表現は「ローマ人」と訳されており、正確な翻訳ではないものの、意味は伝わっています。

エジプトでローマに敗北したことに不満を抱いたアンティオコス・エピファネスは、30節の「聖なる契約にいきりたち」という表現に示されているように、ユダヤの民に怒りをぶつけました。
この時代の歴史はマカバイ記第一と第二に記されています。
「聖なる契約を捨てた者たちを重く取り立てるようになる」という追加の記述は、彼がアンティオコスに味方した者たち、つまり彼の侍臣であり後見人となった者たちと親交があったことを示しています。
(マカバイ記第一2章18節、マカバイ記第二6章1節を参照にしてください。)

アンティオコスはユダヤ人に敵対する過程で、神殿の聖なる祭壇に雌豚を捧げ、日々のいけにえの継続を禁じることで、祭壇を汚しました(第一マカバイ1章44~54節を参照にしてください。)
また、ユダヤ人に礼拝をやめるよう命じ、聖所に偶像(おそらくゼウス・オリンピオスの像)を建てました。
これは、マタイによる福音書24章15節でキリストが言及した31節に述べられている「荒らす忌むべきものを据える」ことを意味しています。
ダニエル書8章23~25節の類似預言は、同じ一連の出来事を扱っています。

ユダヤ教の信仰に反するこの神殿冒涜は、マカバイ人の反乱の引き金となり、アンティオコスによって残酷に鎮圧され、数万人のイスラエル人が命を落としました。
しかしながら、イスラエルの迫害、神殿の冒涜、そして常供のささげ物の捧げ物の中止を含む一連の出来事は、アンティオコスによるイスラエル迫害において歴史的に成就した一方で、大患難時代をもたらす将来のイスラエル迫害を預言するものでもありました。
マタイの福音書24章15節でキリストが大患難時代の始まりを述べている箇所は、アンティオコスによる神殿の冒涜と類似するものとして結び付けられています。
このように、アンティオコスは将来の罪の人の型となり、彼の行為はイスラエルに対する究極の冒涜的な迫害と神殿の冒涜を予兆するものでした。

イスラエルに対する迫害の結果

「彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。
民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。
彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮深い人につく。
思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。」
(ダニエル書11章32~35節)


アンティオコスがユダヤ教に引き続き反対することは32節で預言されており、彼がいかに彼らを堕落させようとする試みを示しています。
しかし、ユダヤ人の強い反応は「自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう」という表現に示されています。
しかし、この衝突はイスラエルの民に多大な害をもたらしました。
ある程度の霊的復興をもたらしたとはいえ、33節で示されているように、多くの命が奪われました。
ユダヤ人の中には、王の媚びへつらいに屈し、アンティオコスに反抗する際に同胞のユダヤ人から離反する者もいました。
それは、真実と偽り、勇気ある者と臆病な者を区別し、浄化される時代でした。

ツェックラー氏は、ユダヤ人を浄化するために用いられた様々な過程について、フラー氏の言葉を引用して次のように述べています。
「ヤハウェの党派に所属する者を装い、誠実な追随者から離脱しようとする者だけでなく、殉教者たちが示した不屈の精神と自己否定の模範に感化されて、彼ら自身も、そして自分の中から不純なものをすべて追い出す結果になりました。
そして、心の中では彼らと同じ信念を持ちながらも、恐れと臆病さのために公然と彼らとの繋がりを告白することを阻まれてきたすべての人々を、彼らは味方につけたのです。
同じ様に、ニコデモとアリマタヤのヨセフは、キリストの十字架上の死によって、キリストへの忠誠を告白するよう促されました。
このようにアンティオコスは、ユダヤ人の中で神に献身している党派を根絶しようと試みるが、結局は彼らの浄化に貢献することにとどまります。」[610]
35節では、浄化の過程が「終わりの時まで」続くことが示されています。
この言及から、アンティオコスへの迫害は終わりの時を予兆するものではあるものの、終わりの時そのものではないことは明らかです。
しかし、35節の「終わりの時」という言及は、36節以降、預言が何世紀も先へ進み、異邦人の権力とその支配者たちに対する神の裁きの前の最後の時代へと至ることを示しています。
36節からは、まだ成就していない預言が展開されます。

この章の最初の35節には、驚くほど詳細な預言が記されています。
そして、約135の(すべて成就している)預言的記述が含まれています。
そして、36節から始まる未来の出来事への印象的な序文となっています。
一方では、この章はあまりにも正確であるため、出来事以前に書かれたとは考えられないと批判し、他方では、偽ダニエルは歴史家として不十分だという主張を裏付ける矛盾点を見つけようと試みる批評家たちがいます。
このように、実際に彼らはその両方の側面を同時に論じています。
実際、この35節のいかなる記述にも反論できる裏付けのある証拠は存在していません。
正確であるがゆえに預言的ではない主張は、預言書全体を揺るがすような仮定を含んでいます。
神の視点から見れば、この預言の言葉の正確さは、まだ成就していない預言が将来、同じように正確に成就することを裏付ける証拠となっています。
これは、ダニエル書11章36節で始まるダニエルのこの幻の未来的な側面に関係しています。

終わりの時の王

「この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。」
(ダニエル書11章36節)


36節から始まる預言は、35節の「終わりの時」という表現によって、大きく転換しています。
ここまで、ペルシャ帝国とギリシア帝国に関する預言は、細部に至るまで、驚くほど正確に成就してきました。
しかし、36節から始まる状況は全く異なります。
この章の残りの部分に正確な成就を見出すと主張する注釈者はいません。
ツォックラー氏らはダニエル書11章36~45節をアンティオコスに関連づけようと試みています。
しかし、聖書研究者の多くは、古代から別の王が述べられていることを認識しています。
例えば、イブン・エズラはこの王をコンスタンティヌス大王と同一視し、ラシとカルヴァンはローマ帝国全体を指し、ヒエロニムス氏、テオドレトス、ルターらは新約聖書の反キリストと同一視しました。[611]
前の節とは対照的に、歴史との具体的な対応関係は見当たりません。
したがって、通常、これを本物の聖典とみなす学者は、この部分は未来のものであり、実現されていないものとみなしています。

E・B・プージー氏が「聖ヒエロニムス氏の時代のユダヤ人でさえ、この預言はまだ成就していないと考えていました」と指摘しています。[612]
また、ダニエル書11章36節について、ヒエロニムス氏は次のようにコメントしています。
「ユダヤ人はこの一節が反キリストを指していると信じており、ユリアヌスのわずかな助けの後、一人の王が立ち上がり、自分の意志に従って行動し、神と呼ばれるものすべてに敵対し、神々の神に対して傲慢な言葉を吐く」と主張しています。
その者は神殿に座り、自分を神と称し、彼の意志は神の怒りが成就され続けます。
なぜなら、彼のうちに終末が起こるからです。
私たちも、このことが反キリストを指していると理解しています。」[613]

以前、ジェロームはアンティオコスが反キリストの単なる予兆であると指摘していました。
「救世主がソロモンや他の聖徒を降臨の型としたのと同じように、反キリストもまた、聖徒を迫害し神殿を汚した完全に邪悪な王アンティオコスを自分の型としていると信じるべきです。」[614]
さまざまな解釈が存在するが、一般的に、ダニエル書11章36~45節 の解釈は、次の3つの主なカテゴリーに分類されます。
(1)これは、アンティオコス・エピファネスで成就し、さらなる歴史的または預言的な記述とする。
(2)これはフィクション、つまり、歴史と正確には一致しない著者の希望的観測とする。
(3)また、これはまだ成就していない真実な預言です。

リベラルな批評家たちは、ダニエル書が紀元前2世紀の著者によって書かれた説に従い、この部分はアンティオコス・エピファネスの生涯と死において成就したとほぼ同様に主張しています。[615]
しかし、リベラルな学者たちでさえ、この部分は前の部分ほど正確ではないことに同意しています。
リベラル派は、モンゴメリ氏が主張するように、この一節をアンティオコス王の悲惨な最期の預言とみなすことで、これをアンティオコス王の死の正確な預言であるとみなしています。
しかしながら、モンゴメリ氏と同じ様に、保守派神学者の考えでは、これを彼の没落の実際の出来事の正確な預言と受け取ることはできません。
ローマの権力と世俗史の沈黙に直面した、(ローマの属州となる)キレナイカ島とエチオピアの征服を含む、エジプトとの最終的な勝利とされる戦争は、完全に想像上のものだ」とも認めています。[616]
言い換えれば、前半部分が驚くほど正確であるため預言ではなく歴史であると考えるリベラル派の学者でさえ、36節から始まる後半部分は歴史と一致しない明確な相違点を認めています。
これが、保守派の学者がこの歴史的解釈を拒否し、聖書の霊感を正当に考慮した上で、将来の成就を期待する理由です。

二つ目の可能性、すなわちこの一節がフィクションである説は、リベラルな学者でさえ真剣には取り上げてなく、彼はアンティオコス・エピファネスと同一視することを好んでいます。
ヤング氏が引用する、コンスタンティヌス大帝、ウマル・イブン・エル・ハッタブ、ローマ帝国(カルヴァン)、ローマ教皇、教皇制度、ヘロデ大王(マウロ)などと比較する解釈は、今日では一般的には現実的な選択肢とは考えられていません。[617]
36節から45節までの歴史的成就の説明が、それ以前の部分の正確な成就とは対照的に全く不十分であるため、保守的な解説者たちは、この箇所をキリストの再臨で最高潮に達する歴史のクライマックスと関連付けています。
もちろん、これはダニエル書の預言全体の趣旨と一致しており、ダニエル書の預言は、再臨時代の終わりと、人の子が再臨時に成就される天の王国の勝利をクライマックスとしています。
したがって、この箇所は、ダニエル書2章のクライマックス、つまりダニエル書7章の像の破壊と小さな角の破壊、つまりヨハネの黙示録6章から19章に描写されている時期と同時期に起こるものとみなされます。
したがって、ダニエル書11章36節から39節に描写されている王と、それに続く節の出来事は、紀元前2世紀とは全く関係がありません。
つまり、完全に未来の出来事であり、未成就な預言となります。

しかしながら、保守的な学者の間では、36節の王について2つの異なる特定がなされています。
一般的な特定は、J・N・ダービーによるもので、ダニエル書11章36の王は他でもない反キリスト、すなわち終わりの時にパレスチナに住む改心していないユダヤ人でありながらローマの世界支配者と結託している者とするものです。
ダービーはこの王の人種的背景は強調していないものの、この王をテサロニケ人への手紙第二2章3節から10節の罪の人、およびヨハネの黙示録13章11節から18節の偽預言者と同一視しています。[618]
A・C・ガエベライン氏は、この支配者がユダヤ人に受け入れられる偽の救世主であるというユダヤ人としての特徴をより具体的に強調して、同じ解釈を行っています。[619]
この見解の主な裏付けは、イスラエルの神として特定されている37節の「彼は、先祖の神々を心にかけず」という表現に見られます。
さらに、ユダヤ人は、たとえ偽りのメシアであっても、ユダヤ人の血統でなければ受け入れないことが想定されています。
背教者である彼は、メシアの希望である父祖の神を無視し、ローマ帝国の独裁者を神として崇拝しています。

しかしながら、王をより適切に特定する第二の見解は、彼をローマの世界支配者、つまりダニエル書7章の小さな角やヨハネの黙示録13章1~10節の海から出てきた獣と同一人物と関連付けることです。
しかし、慎重に検討した結果、ダービーの見解を支持する証拠は不十分であり、第二の見解が支持されます。

36節によると、王は「思いのままにふるまい」絶対的な支配者です。
ダニエル書12章1節で暗示されているように、これが大患難時代でローマの支配者が世界の支配者とする場合、特にパレスチナのようにローマの権力の中心地に近い地域で、絶対的な権威を持つ他の支配者を想定することは困難です。
この時代に自分の意志に従って絶対的に行う王は一人しか考えられません。
しかし、それはダニエル書7章23節にある「全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く」世界の支配者であるはずです。
ヨハネの黙示録17章12節の十の角やヨハネの黙示録13章11~18節の偽預言者など、他の支配者も彼と関連づけられますが、これらの誰も絶対的な支配者とは言えません。

さらなる証拠は、彼が完全な政治的支配権を握るだけでなく、神の役割も担う事実に見ることができます。
36節には「すべての神よりも自分を高め、大いなるものと」することが述べられています。
彼は死刑を宣告して、自分を神と認めるよう要求します。(ヨハネの黙示録13章15節)
そのことで、他のすべてのものに対する自分の優位性を明確に主張しています。
当時のパレスチナの支配者をこのような大げさな言葉で描写することは、全体的な状況と矛盾します。
36節には、彼は真実な神を冒涜し、しばらくの間は「憤りが終わるまで栄える」と記されています。

リベラルな解釈者たちはこの節を、この一節がアンティオコス・エピファネスと同一視される根拠として挙げています。
というのは、アンティオコスが、その国の貨幣やエピファネスの称号自体に神に属する特質が表れていると主張しています。
そのことによって神の力が現れしたとみなしていたことは周知の事実だからです。
例えばモンゴメリ氏は、「しかしエピファネスは自分の神性を真剣に受け止めていました。
彼は貨幣に「テオス」と記した最初の人物であり、「現れ」(実質的には「化身」)という語を付け加えたことは、自分が神と同一視されていることを示しています。
また、彼は先祖たちのように単なる神ではありません。
神性への執着がますます強まっていたことは、彼の貨幣の歴代名から明らかである」と述べています。[620]
しかしながら、この一節をアンティオコスと同一視するという説は、後続の節で預言が展開するにつれて崩れてゆきます。
これが本当にキリストの再臨の直前の終わりの時であるならば、王の描写はただ一人の人物、すなわち「憤りが終わるまで栄える」、つまり彼の冒涜的な行為が完了するまで繁栄するローマ人にのみ適応されます。

最後の世界宗教

「彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。
すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。
その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。
彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。」
(ダニエル書11章37~39節)


この王がユダヤ人である結論を支持する重要な論拠の一つは、37節の冒頭の「先祖の神々を心にかけず」という一節に見られます。
ガエベライン氏が述べているように、「反キリストの王は、先祖の神々を心にかけません」ここで彼のユダヤ人の血統が明らかになっています。
「先祖の神々」というのはユダヤ人の言葉であり、さらに彼が王でありメシアである偽りの主張を立証するには、彼はユダヤ人でなければなりません。」[621]
しかし、ガエベライン氏やこの見解を支持する他の人々は、ここでの「神」という言葉がエロヒムであり、これは一般的な神の名前であり、真実な神と偽りの神の両方に適応され、決定的な事実を見落としています。
もし、この表現がイスラエルの神、父祖のヤハウェを指す通常の表現であったなら、その特定は間違いなかったはずです。
聖書の中で、イスラエルの神は、彼らの先祖たちの「主なる神」ヤハウェとしてくりかえし描写されています。
(下記の聖書箇所を参照にしてください。
出エジプト記3章15、16節、4章5節、申命記1章11節、21節、4章1節、6章3節、12章1節、26章7節、29章25節、ヨシュア記18章3節、士師記2章12節、列王記第二21章22節、歴代誌第一29章20節、歴代誌第二7章22節、11章16節、13章18節、15章12節、19章4節、20章6節、21章10節、24章24節、28章9節、29章5節、30章7節、19、34章33節、36章15節、エズラ記7章27節、8章28節)

ダニエルはダニエル書2章23節で「私の先祖の神(エロヒム)」という語を用いていますが、これは聖書の他の箇所でよく使われていることを踏まえた上でのことです。
しかし、イスラエルの神を具体的に名指しする必要がある箇所で、ダニエルがヤハウェ(Jehovah)あるいは主(Lord)という語を省略したことは、大きな意味を持ちます。
この表現は、多くの改訂版が訳しているように「先祖の神々」、つまりあらゆる神と訳すべきです。

あらゆる神よりも自分を偉大に崇めるこの王の冒涜的な特徴にふさわしく、彼は父祖たちが崇拝していたさまざまな神々も無視しています。
神を表す一般的な言葉である「エロヒム(Elohim)」にふさわしく、「先祖の神々」という表現は、異教の神であれ真実な神であれ、あらゆる神々を指す一般的な表現になります。

彼はかつての神々への軽視にならい、いわゆる「女たちの慕うもの」にも敬意を払っていません。
この表現は、エヴァルト氏が「タンムズ・アドニス(Tammuz-Adonis)」と同一視したように、特定の異教の女神を指していると解釈されてきました。
モンゴメリ氏は、この表現はベヴァン氏の注解以来「一般的に受け入れられるようになった」と述べています。[622]

ベヴァン氏は論考の中でこのように説明しています。
「「女たちの慕う」とは、文脈から判断すると、女性の何かを対象に指しているはずです。
エフライム・シルス氏に倣う現代の解釈者の多くは、これをナナイア女神を指していると説明しています。
ナナイア王は死の直前、エリマイスにあったナナイア神殿を略奪しようとしました
しかし、この見解には二つの異論があります。
最初に、ナナイア神殿への攻撃は、紀元前164年までユダヤでは知られていません。
二番目に、ナナイアを女の欲望と呼ぶ理由はありません。
たとえ、ナナイアの崇拝が、これまで考えられてきたように官能的なものであったとしても、そのような呼称はまず生まれてきません。
したがって、エヴァルトが女の欲望をタンムズ(アドニス)と解釈する方がはるかに正しいと思われます。
タンムズ崇拝は、シリアにおいて太古の昔から、特に女性の間で盛んでした。」(エゼキエル書 8章14節)[623]
カイル氏に続くヤング氏のような他の人々は[624]、これを男性にとって自然な女性に対する通常の愛や欲望であると考えています。
この王が女性を軽視していることは非人間的であることを意味しているととしています。

ダニエルは具体的な説明をしていませんが、ダニエルのユダヤ人としての生い立ちを踏まえると、この箇所の妥当な説明は、この「女たちの慕う」という表現は、創世記3章15節で約束された女の子孫である約束のメシアの母となることを望むユダヤ人女性の自然な願望だとも言えます。
そして、この表現はメシアへの希望全般の象徴となります。
ガエベライン氏は次のように述べています。
「さらに興味深いのは、「女たちの慕うものも心にかけない。」という記述です。」ここで主イエス・キリストが念頭に描かれています。
「慕う」という言葉は、ハガイ書2章7節とサムエル記第一9章20節と同じヘブル語「ヘムダット(hemdat)」の構文で用いられており、「慕う」に続く名詞は客観的ではなく主観的であることを示しています。
したがって、これは「女性に望まれる」という意味であり、女性への欲望ではありません。
メシア以前の時代の敬虔なユダヤ人女性には、一つの大きな願いがありました。
それは、約束された女の種である主のために、母親になることでした。
イスラエルの敬虔な母親たちは、主の誕生を切望していました。
ですから、この王は神を憎み、その祝福された御子、主イエス・キリストを憎んでいるのです。」[625]
具体的にダニエルが述べていないため、これらの説明はどれも疑問の余地なく証明することはできません。
しかし、この王がメシアの希望に反対していることは明らかです。
そして、ダニエルの観点からすれば、これは重要な点です。
言い換えれば、彼は過去の神々だけでなく、天から来る約束の神の子も無視しています。

この支配者の冒涜的な特徴は明白であるものの、預言は彼が「どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ」と続けています。
彼の冒涜は二重です。
真実な神だけでなくあらゆる偽りの神々を拒絶すること、そして自分を神格化しています。
アンティオコス・エピファネスは、自分が神の資質を持つと認められることを望んでいました。
しかし、この箇所に関連して彼の歴史的成就を試みようとするリベラルな学者でさえ、この大まかな記述に当惑しています。
アンティオコスがそこまで踏み込んだという聖書以外の証拠はなく、未来的な解釈の方がはるかに理にかなっています。

自分を神とみなしながらも、彼の神学の特徴は38節で説明されています。
神が他の人々の思考の中で占める位置において、適切な翻訳によれば「とりでの神」を敬うと述べられています。
この神は、彼の父祖たちが知っていた神々とは明確に異なると述べられ、啓示は続いています。
「金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。」
ここでもまた、リベラルな学者は、アンティオコス・エピファネスの真実をはるかに超えている主張の広範さに当惑してしまいます。
彼が神性を主張したことは、過去の多くの支配者たちが共有していたことと何も変わりなく、武力に対する彼の自信も他の支配者たちと何も変わりはありません。
では、この「とりでの神」は、過去の神々とどのように異なるのでしょうか?

ガエベライン氏のように、この王を世の終わりに背教したユダヤ人と同一視する者たちも、同様に当惑しています。
なぜなら、「とりでの神」をローマの世界支配者と同一視しなければならないからです。
ガエベライン氏が述べているように「彼が敬うのは、最初の獣、小さな角に以外にはありえません。」[626]
しかし、もしこれが同一視を意図したものだとすれば、それは奇妙なものであり、聖書にあるローマ支配者の他のいかなる同一視とも全く異なります。
人間を神として崇拝することは歴史上多くの類似点があり、特異なものではありません。

すべての解説者は、この記述が何であるかを判断する際に、必然的にそれぞれの判断力を働かせなければなりません。
しかし、終末の世界宗教がこれまでと完全に異なるのは次の通りです。
(1)ヨハネの黙示録17章16節に象徴される、それ以前のすべての宗教の完全な破壊です。
(2)サタン以外のいかなる神的力にも頼ることなく、世界の支配者を崇拝することです。
すでに神を主張しているこの世界の支配者が、何かを至高のものだと認めていることは「とりでの神」が人格ではありません。
「とりで」という言葉に象徴される戦争の力であることを明確に示しています。
終末に関する他のすべての聖句を考察すると、最終的な世界の支配者の唯一の信頼は、「軍神」または「とりでの神」として擬人化された軍事力にあることが明らかになります。
言い換えれば、彼は、神的資質を主張した以前のすべての宗教やすべての人々とは対照的に、完全な唯物主義者です。
これは、人間の力と達成を称揚する究極的なものに対する冒涜です。
彼はサタンの傑作であり、イエス・キリストのサタンの身代わりとなった人間であり、それゆえに反キリストと正しく呼ばれます。
彼の活動は、その徹底した唯物主義に則り、戦争と、彼を敬う者への敬意を特徴とします。
協力する者たちには、「彼は彼らに多くの者を支配させる」という表現で示される従属的な支配権が与えられ、彼は「代価として国土を分け与える」、つまり征服欲に応じて領土を再分配します。
記録に残る限り、アンティオコスは彼に寝返った者たちに土地を分割しておらず、彼の賄賂に関する記述にもそのような記述は一切ありません。
(マカバイ記第一2章18節、3章30節以下)
もし、この預言がアンティオコスを指しているのであれば、このことは彼の歴史の記録における重要な脱落となります。

ダニエル書11章36~39節全体を読むと、この啓示は、物質主義、軍国主義、そして宗教の融合について鋭い分析を与えていることが明らかです。
これらはすべて、最終的な世界の支配者に体現されるはずです。
人類史の終焉を告げるこの啓示の光の中で、20世紀最後の3分の1の状況は実に驚くべきものです。
(現在は21世紀です。)
世界ではすでに世界教会と世界宗教の推進が活発化しており、それはまずヨハネの黙示録17章の象徴的な娼婦、つまり世界宗教の初期の形態において頂点に達し、その後、この王への崇拝が世界宗教の最終的な形態として取って代わられます。

現代世界における共産主義の台頭は、何度も主に政治運動と見なされることが多いものの、実際には哲学的唯物論の実際的な延長であり、この唯物論は神も超自然的な神も認めず、宗教的に見るのであれば終末の世界支配者の唯物論に類似しています。
共産主義と世界宗教という二つの力がこの王に結集するとき、現代世界に顕著な第三の力、すなわち世界政府への現在の潮流もまた頂点に達します。
国際連合はその前兆と言えるかもしれません。
ダニエル書のこの部分は、現代の潮流に照らし合わせるならば、現代の政治的、宗教的、そして唯物論的な哲学を一人の人物に統合し、サタンが王の王、主の主として指名する人物を出現させる事を示し、現在の世界の諸勢力の究極の終焉を教え導く預言的解説をしてくれます。
この展開は、ダニエル書第70週の後半、すなわちイエス・キリストの再臨直前の3年半にわたる大患難時代に頂点に達します。
しかし、彼の世界政府は、ヨハネの黙示録6章から18章に描かれている神からの破滅的な裁きによって襲われ、地球全体を支配することの本質的な困難は、ダニエル書11章の最後の部分で描写されている最終的な世界戦争という形で結論に達しています。

最終世界大戦の勃発

「終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、またアモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。
彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。
彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。」
(ダニエル書11章40~43節)


35節で述べられている「終わりの時」が、40節の冒頭部分でも再び述べられています。
これは、ここでの軍事闘争が世の終わりに特徴を与えるものであることを明確にしています。
この戦争の全体的な性質と場所も特定されています。
11章36~39節で述べられている王は、今や「南の王」と「北の王」の攻撃を受けます。
この章の前半で、南の王は一貫してエジプトを指し、紀元前3世紀と紀元前2世紀に既に成就した戦争を指しています。
ここでの南の王は、明らかに聖地の南からやってくる政治的・軍事的勢力の指導者です。
しかしながら、エジプトだけにとどまらず、アフリカ軍が関与している可能性も高いと考えられます。
マカバイ記やリウィウス、ポリュビオス、アッピアノスの著作にも、このような軍事行動については一切触れられていません。
歴史上、このような戦争は記述されていません。

北の王は、紀元前2世紀と3世紀に成就した預言の中でシリアとして特定されていますが、明らかに当時のシリアが所有していた小さな領土をはるかに超えており、おそらく聖地の北の国々の政治的および軍事的勢力のすべてを含んでいます。
したがって、この用語にはロシアだけでなく関連国も含まれる可能性があります。

当然の疑問として、この戦いとエゼキエル書38~39章に記されている、北から大軍がイスラエルの地を攻撃する戦いとの関係が挙げられます。
エゼキエル書の文脈では、この時期はイスラエルにとって平和な時代として描写されています。
(エゼキエル書38章8節、11節、14節)
これはおそらく、ダニエル書第70週の前半、イスラエルがローマの支配者と契約関係にあり、攻撃から守られていた時期と一致すると考えられます。
この平和な時代は、第70週の半ばで破られ、ローマの支配者が世界の支配者となり、イスラエルへの迫害とともに大患難時代が始まります。

ダニエル書11章36~39節の年代記世界支配の時代を指しており、したがってエゼキエル書38章と39章よりも後の時代です。
したがって、40節から始まるここで描写されている戦いは、エゼキエル書に描写されている戦いよりも数年後、後の展開であると結論付けることができます。
もし「北の王」という表現にロシア軍が関与しているのであれば、2つの戦いの間の時期に、ロシアは軍隊を再編成し、この大戦争に再び軍事的に参戦することができることを示しています。
いずれにせよ、この戦いはエゼキエル書の戦いとは全く異なります。
エゼキエル書の預言によれば、侵略者は北からのみ来るのに対し、この部分では聖地は北と南の両方から、そして後に東からも侵略されます。

前述の文脈、すなわち王が絶対的な支配者として描かれていること、そして当時の世界政府を描写する他の聖書箇所(ダニエル書7章23、ヨハネの黙示録13章7)と一致しています。
そのことを踏まえると、この戦争は王の指導力に対する反乱という性質を持ち、かつて権力を握っていた世界政府の崩壊を意味しています。
この戦いの始めの性質は極めて明確です。

40節の「彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く」という箇所は、解釈上の大きな問題があります。
問題は、「彼」が南の王、北の王、あるいは自分の帝国を守っているかつての世界の支配者を指しているかどうかです。
続く文脈を考えるのであれば「彼」は11章36節の王、つまり世界を支配する王を指していると解釈する方が適切です。

41節以降の行動の主体を11章36節の王と特定することは、最後の世界支配者を描いたこの箇所全体の趣旨に最も合致しているように思われます。
しかし、この箇所の意味を大きく変える可能性のある代替案も提示されてきました。
いくつかの見解を挙げることができます。
リベラルな解釈では、これはアンティオコス・エピファネスとエジプトとの歴史的な争いを指しているとされています。
しかし、ここでの預言をアンティオコスの治世末期の実際の出来事と比較することは非常に困難です。
そして、リベラル派でさえも、彼らの偽ダニエルが歴史的に不正確な点を犯していると非難するしかありません。[627]
実際には、ここには歴史との対応関係はありません。

未来解釈が受け入れられるならば、いくつかの選択肢が考えられます。
11章36節の支配者が脇役であり、世界の支配者ではないとすれば、H・A・アイアンサイド氏の解釈のように、この戦争を単なる交差紛争と見なす道が開かれます。[628]
この場合、この箇所全体が世界の支配者について言及しているわけではありません。
別の見解としては、北の王を反キリストと未来の世界の支配者と同一視するものがあります。
これはエドワード・ヤング氏の立場で、彼は次のように述べています。
「二人の敵は反キリストと南の王であり、南の王は敵を押す、あるいは突き合わせることによって戦いを始めます。
(8章4節を参照にしてください。)」[629]
しかし、最も優れた解釈は、11章36節の主役である王が、最終的な世界の偉大な支配者と同一視されるものです。
リューポルド氏はこの見解を支持し、この節全体が侵略軍の敗北と王の終焉までの勝利を示していると考えています。
リューポルド氏はこのように記しています。
「反キリストに対して用いられるであろう多様な資源、すなわち「戦車、騎兵、および大船団」は、終末における彼の力がどれほど強大なものになるかを示しています。
しかし、反キリストは攻撃を撃退するのに躊躇しません。
彼自身が「これらの地」、すなわち彼を攻撃した者たちの地に入り、「一斉に進軍して通り過ぎる」はずです。」[630] したがって、ここでの主要な啓示は、11章36節の王が激しい闘争を繰り広げながらも、イエス・キリストの再臨によって滅びるまで、状況を支配し続けることです。

攻撃してきた者たちへの反撃の結果、彼は彼らの国々に侵入し、「麗しい国」――聖地とエジプトを含む多くの国々――を占領します。
しかし、エドム、モアブ、アンモンの人々が脱出したと記されていることから、状況を完全に回復させたわけではありません。(11章41節)
彼の勝利は、金銀の財宝を大いに増やし、エジプトから貴重な品々を手に入れることになりました。
しかし、この時点以降、彼の権威は、軍事行動によって様々な国々を占領できた場合にだけ維持されています。
当時、異論のなかった布告によって始まったと思われる彼の世界帝国は、もはや完全には維持されていません。

最後の戦い

「しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くの者を絶滅しようとして、激しく怒って出て行く。
彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。」
(ダニエル書11章44、45節)


王が南北からの侵略によって直面した困難に加え、東方からの巨大な軍隊と北方からの新たな侵略の知らせが届きます。
この戦争は長期間にわたり、複数の戦闘が絡んでいることは明らかです。
東方からの知らせは、ヨハネの黙示録9章13~21節(16章12節を参照)に記されている巨大な侵略を指していると考えられます。
ヨハネの黙示録9章16節によれば、2億人の軍隊がユーフラテス川を渡り、聖地に侵攻しています。
このような軍隊の規模は驚異的であり、多くの解説者はその数字を文字通りのものではなく象徴的なものと考えていますが、現在のアジアの人口爆発において、2億人の軍隊はもはや不可能ではありません。
赤い中国だけでも、今日2億人の民兵を擁していると主張しています。[631]
この数字が象徴的なものとみなされるとしても、それは間違いなく巨大な軍隊を表しているはずです。

同時に、北から新たな侵略の知らせが届きます。
王はこれら二つの侵略者に対し反撃を開始し、多くの死者を出します。
そして「海と聖なる麗しい山との間」に本営の天幕を建設することに成功します。
これは地中海と死海の間に位置するエルサレムを指していると解釈するのが最も適切です。
実際、この戦いはゼカリヤ書14章1~4節に記されているキリストの再臨の日まで、絶え間なく続きます。
ダニエルはこの戦いのクライマックスにおける詳細には触れていません。

ダニエルによれば、軍事的な勝利にもかかわらず、最後の世界の支配者は「ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない」のです。
これをアンティオコスに関連付けるリベラルな解釈は、この箇所とは完全に一致していません。
なぜなら、アンティオコスはメディアの戦いで戦死し、死後すぐには目立った出来事は何もなかったからです。
もし、これが本当に終わりの時であり、この人が異邦人の時代の最後の世界の支配者であるならば、彼の運命を、ヨハネの黙示録19章17~21節に記されている、キリストの再臨と獣と軍勢の滅亡に関連付けることが最善です。
その箇所によれば、王と彼と関係のある偽預言者は生きたまま火の池に投げ込まれます。
互いに戦うために集結していたが、キリストの再臨に際して敵対するために団結した軍勢は滅ぼされます。
再臨の時が視野に入っていることは次の章で明らかにされています。
そこでは終わりの時がヨハネの黙示録20章4節から6節で述べられている大患難時代と死者の復活を含まれることが明確にされています。

ダニエル書11章36~45節全体は、異邦人の時代の終わりの日、特に世界支配者、世界宗教、そして唯物主義的な哲学を伴う大患難時代を描写しています。
サタンの支援にもかかわらず、世界政府は分裂し、派閥争いと大世界戦争へと発展し、キリストの再臨で最高潮に達します。
このように異邦人の時代は、それを率いていた邪悪な支配者たちの滅亡とともに終わりを迎えます。
詳細は次章で述べられています。

[578] W. M. Smith, Introduction to Commentary on Daniel, by Jerome, p. 5.

[579] For an interesting study of Porphyry, see W. A. Criswell, Expository Sermons on the Book of Daniel, 1:19 ff.

[580] F. W. Farrar, The Book of Daniel, p. 299.

[581] H. C. Leupold, Exposition of Daniel, pp. 471-73.

[582] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Book of Daniel, p. 429.

[583] N. W. Porteous, Daniel: A Commentary, p. 156.

[584] J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on the Book of Daniel, p. 423.

[585] Montgomery, p. 424.

[586] Leupold, p. 476.

[587] See discussion of this point by Young, p. 234.

[588] Brown, Driver, and Briggs, Hebrew and English Lexicon of the Old Testament, p. 651.

[589] Jerome, Commentary on Daniel, p. 123.

[590] O. Zockler, Daniel: Commentary on The Holy Scriptures, p. 242.

[591] Montgomery, p. 433.

[592] Jerome, p. 124.

[593] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 238.

[594] Cf. original account by Josephus, Works of Flavius Josephus, pp. 354-56.

[595] Zockler, p. 244.

[596] Brown, Driver, and Briggs, p. 1008.

[597] Young, p. 240.

[598] Ibid.

[599] Cf. Polyb. 18. 34; and Livy, 33. 19, 38, 40, as cited by Zockler, p. 246.

[600] Cf. Montgomery, pp. 434-35.

[601] Leupold, p. 492.

[602] 同上、 p. 493.

[603] Zockler, p. 246, citing Appian, Syr. C. 45.

[604] Montgomery, p. 445.

[605] ASV, “And the overwhelming forces shall be overwhelmed from before him.” RSV, “Armies shall be utterly swept away before him.”

[606] In support of this Zockler quotes Hitzig as follows, “For after the death of Cleopatra (v. 17), Eulaus and Lenaeus, the guardians of her son, Ptolemy Philometor, demanded the cession of Coele-Syria, the dowry which had hitherto been refused (Polyb. 28:1; Diodor., Leg. 18, p. 624 Wess.; Livy, 42:49). Antiochus, on the other hand, would not acknowledge that his father had promised such a dowry (Polyb., 28:17), and therefore refused to grant it” (F. Hitzig, Kuragefasstes exeget. Handbuch zum A. T.; 10th pamphlet, Das Buch Daniel, Leipsig, 1850).
Zockler, p. 247.

[607] Cf. Yohanan Aharoni and Michael Avi-Yonah, The MacMillan Bible Atlas, p. 117.

[608] A detailed description of the violent atrocities and murder of thousands of Jews by Antiochus while marching through Judea is found in 1 Maccabees 1:20-28 and 2 Maccabees 5:11-17.

[609] Montgomery, pp. 446-47.

[610] Zockler, p. 251, quoting John M. Fuller, An Essay on the Authenticity of the Book of Daniel.

[611] Zockler, p. 251.

[612] E. B. Pusey, Daniel the Prophet, p. 139.

[613] Jerome, Commentary on Daniel, p. 136.

[614] 同上、 p. 130.

[615] Montgomery, pp. 464 ff.

[616] 同上、 p. 465.

[617] Young, pp. 246-47.

[618] John N. Darby, Studies on the Book of Daniel, pp. 107-14.

[619] A. C. Gaebelein, The Prophet Daniel, pp. 180-95.

[620] Montgomery, p. 461.

[621] Gaebelein, p. 188.

[622] Montgomery, pp. 461-62.

[623] Anthony A. Bevan, A Short Commentary on the Book of Daniel, pp. 196-97.

[624] Keil, pp. 464-65; Young, p. 249. Leupold holds a similar view, pp. 515-16.

[625] Gaebelein, p. 188.

[626] Ibid.

[627] Cf. Montgomery, pp. 464-67.

[628] H. A. Ironside, Lectures on Daniel, pp. 222-23.

[629] Young, p. 251.

[630] Leupold. p. 521.

[631] Time, May 21, 1965, p. 35.


12章 終わりの時

10章から始まるダニエル書の第四の幻として描写されている内容は、12章の冒頭で述べられている大患難とそれに続く復活において最高潮に達しています。
これはダニエル書自体のクライマックスでもあり、異邦人とイスラエルの両方に関するダニエルの預言の目標でもあります。
これは、聖書最後の書のクライマックスであるヨハネの黙示録19章に匹敵しています。

11章の物語が12章の最初の3節に自然に展開されているため、この時点での章の分割は残念であると、さまざまな解説者が同意しています。
ポーテウス氏は次のように述べています。

12章の最初の4節は、10章から始まった長いセクションの完結です。
これらは、驚くほど簡潔な範囲と制限された言葉で、神が定めた終末がどのようなものになるかについての筆者の期待を述べています。
それはイスラエルを中心とするクライマックスであり、イスラエルの守護天使ミカエルが神に代わって決定的な役割を果たす事実からもそのことが分かります。
大患難は頂点に達しますが、イスラエル、すなわち命の書に名が記されているイスラエルのすべての人々は逃れます。
(詩篇69篇29、出エジプト記32章32節、後の箇所、ピリピ書4章3、ヨハネの黙示録3章5節を参照にしてください。)
神は既にご自身の民を知っておられます。[632]
以前の啓示に加えて、いくつかの重要な啓示がありました。
(1)終わりの時は「あなたの民の子」、すなわちイスラエルと特別な関係があります。
(2)イスラエルはその時に、神を礼拝するイスラエル人によって実現される特別な救済を経験します。
(3)終わりの時の頂点を成す復活の教理は殉教者たちの特別な希望であることです。

ダニエル書11章36節から12章3節までのセクション全体は、終わりの時の主な要素の啓示を構成され、次のように要約できます。
(1)世界支配者
(2)世界宗教
(3)世界大戦
(4)イスラエルの大患難時代
(5)患難の終わりに神の民が救い出されます。
(6)復活と審判
(7)義人が受ける報い
これらすべての要素がこのセクションで紹介されています。
聖書の他の箇所では、この終わりの時は「来たるべき君主」による契約の破棄とともに始まります。
(ダニエル書9章26、27節)
「終わりの時」は3年半続きます。
(ダニエル書7章25節、12章7節、ヨハネの黙示録13章5節)
終わりの時とは 、ヤコブの苦難と大患難時代と同じです。
(エレミヤ書30章7節、 マタイの福音書24章21節)
ヨハネの黙示録6~19章には、さらに多くの詳細が記されています。

12章の冒頭部分が明らかに終末論的に未来を指している事実は、11章36~45節にアンティオコス・エピファネスを見出そうとするリベラル派にとって大きな障害となります。
12章は当然のことながら、前の部分と関連していますが、明らかにアンティオコス・エピファネスではなく、世の終わりと聖徒たちの復活と報いを指しています。
これらの節の詳細な解釈が示すように、ダニエル書を完全に歴史書にしようとする試みは、この箇所ほど惨めに失敗している箇所はありません。

大患難時代

「その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。
国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。
しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。」
(ダニエル書12章1節)


12章の冒頭の「その時」という表現は、この箇所が前の文脈と同じ時期、つまり「終わりの時」(11章40節)について語られていることが明らかにされています。
1節のこの出来事は、前の出来事の後の出来事ではなく、時系列で一致しています。
11章では、主に終わりの時の政治的および宗教的側面を扱っています。
12章では、これをイスラエルの人々に関連付けています。
ここでは、これがイスラエルの人々にとっての苦難の時であり「国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る」ことが明確に述べられています。
「あなたの民の子」という表現をイスラエル以外の意味でとらえるとしたのならば、ダニエル書全体を通してあなたの民が一貫して意味していることを無視することになります。
関係する人々は国民、すなわちイスラエル国民です。

ここで述べられている前例のない苦難の時代は、旧約聖書と新約聖書の両方の主要なテーマです。
申命記4章30節には、イスラエルの民が「後の日に」に「苦難の中」にいることが早くも預言されていました。
エレミヤはこのように叫んでいます。

「ああ。その日は大いなる日、比べるものもない日だ。それはヤコブにも苦難の時だ。しかし彼はそれから救われる。」
(エレミヤ書30章7節)


キリストは、大患難時代は「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』」(マタイの福音書24章15節)から始まると述べられました。
これはダニエル書9章27節における契約の破棄と神殿の冒涜を指しています。
キリストは当時イスラエルの民に、「山へ逃げなさい」と警告し、衣服や食料を確保する時間を取らないようにしました。
キリストは、その時代を次のように生き生きと描写されました。

「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。」
(マタイの福音書24章21、22節)


終わりの時に関するこの描写は、ダニエル書の啓示を裏付けています。
終わりの時は、世界がかつて経験したことのない苦難の時代です。
もし、終末、すなわちイエス・キリストの再臨によって短縮されなければ、人類の絶滅に至るほどの苦難となります。
これは、ヨハネの黙示録6章から19章をさらに研究することで明らかにされます。
そこでは、封印が破られ、ラッパが吹き鳴らされ、神の裁きの鉢が空にされる大災害が世界を襲い、世界の人口が激減しています。
これらの聖書箇所はすべて、この終末の苦難には前例がない点で一致しています。
リベラルな解釈者でさえ、ダニエル書12章1節と紀元前2世紀のアンティオコス・エピファネスによる迫害を調和させることは不可能だと考えています。

ケイル氏がこのように指摘しています。
「1節の内容は、アンティオコス帝の迫害の時期とは一致していません。
迫害の規模について語られていることが、あまりにも強烈です。
アンティオコス帝がイスラエルにもたらした弾圧は極めて過酷であったかもしれません。
しかし、世界の始まり以来かつて経験したことのないほどの苦難であったと、誇張抜きで語ることができます。
確かにアンティオコス帝はユダヤ教を根絶やしにしようとしましたが、ファラオもまた、ヘブル人の男の子を誕生と同時にすべて滅ぼす命令によって、ユダヤ教を根絶やしにしようとしました
アンティオコス帝がギリシアのゼウス崇拝を、イゼベルもイスラエルの国教であるヤハウェ崇拝に代えてフェニキアのヘラクレス崇拝にしようとしました。」[633]

聖書にはこの時期に関する数多くの言及があり、それがイスラエルにとってまさに最大の試練の時であることを示しています。
ゼカリヤ書13章8節では、この時期についてこのように述べています。

「全地はこうなる。――主の御告げ。――その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。」
(ゼカリヤ書13章8節)


ゼカリヤ書はさらに、イスラエルの民が主を自分たちの神として認めるまでの精錬の過程を描いています。
続く節では、エルサレムをめぐる最後の戦いと、イスラエルを救うキリストの再臨が描かれています。
この苦難の時代は、ダニエル書11章40~45節に描かれている戦争と並行しています。

苦難に瀕したイスラエルの民は、大御使いミカエルによって特に助けられました。(ユダの手紙9節)
聖御使いの長として、ミカエルはイスラエルの民を守る特別な責任を負っています。
カルヴァンはミカエルがキリストの御子である解釈を好んでいます。[634]
しかし、ミカエルとキリストを混同する正当な理由はありません。
ダニエル書自体にも、ミカエルについて述べています。
そこでは、ミカエルが御使いたちの戦いに参加し、使者がダニエルのもとへ速やかに到着するのを妨げています。
ミカエルはまさに御使いたちの中で「偉大な君」であり、その活動はイスラエルの民が苦難の時代に向けられたものでした。

神の目的とミカエルの働きにより、ダニエルには「その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる」という啓示が与えられます。
これは明らかに患難時代の終わりを指しており、神の奇跡的な保護によって守られていたイスラエルの民の一部が、迫害者から救われます。
(ダニエル7章18、27節)
「あなたの民」という表現が1節に2度繰り返されていることから、ヤング氏とリューポルド氏がカルヴァンに倣って解釈したように、すべての聖徒ではなく、イスラエルの民に限定されると考えます。[635]
このことは、ダニエル書全体の趣旨と合致しており、ダニエルの民であるイスラエルを扱っています。
救いはイスラエル全体に及ぶのではなく、不信仰なイスラエル、あるいは背教したイスラエルは除外されます。
そして、ここでもキリストの再臨の時に実際に生きている人々だけが救われると述べられています。
なぜなら、他の多くの人々が殉教する可能性があるからです。
しかし、預言は、イスラエルの民を絶滅させようとするサタンの試みにもかかわらず、敬虔な残りの民がメシアの再臨を歓迎する用意ができていることを保証しています。(ゼカリヤ12章10節、13章8、9節)
ネブカドネザルの時代以来、異邦人の時代を耐え忍んできたイスラエルの民は「その時」に救われるのです。
この節ではこの表現が2回繰り返されています。

「この書に名が記されている者は皆」という表現は、救われた者たちの名が命の書に記される考えを伝えています。
(出エジプト記32章32,33節、 詩篇69章28、 ヨハネの黙示録13章8節、17章8節、20章15節、21章27節)
キリストの再臨の際、すべてのイスラエル人が霊的に主の再臨に備えているわけではありません。
これはエゼキエル書20章33~38で明らかにされており、再臨の際のイスラエルにおける反逆者たちの掃討が描かれています。
イスラエルは国家として迫害者から救われます。(ローマ人への手紙11章26節)
しかし、個々のイスラエル人は御国に入るための霊的な準備ができているかどうかについて、キリストの厳しい審判を受けることになります。
ユダヤ人にとっても異邦人にとっても、永遠の命を持っているのかが問題になります。

復活

「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。」
(ダニエル書12章2節)


前述の文脈で述べられている患難時代のクライマックスとして、2節は死者からの復活が訪れることを明らかにしています。
リベラル派、保守派を問わず、この箇所の主旨は、患難時代に苦しむ義人たちに究極の至福が約束されていることだと考えています。
モンゴメリ氏が述べているように、「不敬虔な暴君の終焉は、義人たちの至福によって肯定的に捉えられています。
エゼキエル書38章39節、ヨエル書4章3節など、旧約の黙示録にもこのように結論づけられています。」[636]
この一節をアンティオコスと結びつけようと努力するベヴァン氏は、それでもこのように述べています。

2節は死者の復活について述べています。
マカバイ時代以前のユダヤ人の間でこの信仰がどの程度存在していたかはここでは論じられません。
しかし、いずれにせよ、この箇所は、この信仰が明確に述べられている最も古い箇所です。
しかしながら、ここでの復活は普遍的なものではなく、「多くの」死者を含み、すべての死者を含むものではありません。
イスラエル人だけが復活するとは明確に述べられていません。
しかしながら、文脈から見てその可能性は高いと思われます。
目覚めた者たちは二つの階級に分けられ、これは11章32節の区分に対応しています。[637]

モンゴメリ氏はベヴァン氏の言葉を賛同して引用しています。[638]
モンゴメリ氏は復活の教理が試練にある聖徒たちの希望である点では正しいが、この聖句がこの信仰が明確に示されている最も古い箇所である点では彼とベヴァン氏は違っています。
アブラハムがイサクを捧げる際に死者の復活に信頼を置いていたことは明らかです。
(創世記22章5節、ヘブル人への手紙11章19節)
おそらく、モーセより前に生きていたヨブは、よく知られた聖句で自分の信仰を述べています。

「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。
私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。」
(ヨブ記19章25、26節)


ダニエルより一世紀以上も前に生きていたイザヤは、死人が生き返り、その体がよみがえると預言しました。

「あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。
ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は死者の霊を生き返らせます。」
(イザヤ書26章19節)


イザヤと同時代のホセアもこのように預言しました。

「わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。
死よ。おまえのとげはどこにあるのか。
よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。」
(ホセア書13章14節)


キリストの復活さえも、このような言葉で預言されています。

「それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。
まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」
(詩篇16篇9、10節)


ここでダニエルは新しいことを明らかにしているのではなく、聖徒たちが常に抱いてきた希望を明らかに示しています。
もちろん、これは新約聖書において、生きている聖徒たちの携挙という真理が加えられ、さらに拡大しています。

リベラル派と保守派の両学者は、この箇所が復活を預言している点でおおむね一致しているものの、預言の文言から、次のような疑問が生じています。
(1)出来事の性質
(2)出来事の時期
(3)出来事の包含

この箇所の解釈は、解釈者の一般的な終末論的立場に左右され、通常、千年王国前再臨主義と無千年王国主義説は多少異なる解釈をしています。

不思議なことに、千年王国前再臨主義支持者の中には、一般的な解釈においては保守的であるものの、この一節が実際に復活を教えているのかどうか疑問視する人もいます。
例えば、A・C・ガエベライン氏ははっきりとこのように述べています。
「この章の2節では、肉体の復活は教えられていません。
くりかえしますが、この箇所は肉体の復活とは何の関係もありません。
しかし、肉体の復活は、当時のイスラエルの国家的復興の象徴として用いられています。」[639]
ウィリアム・ケリー氏も全く同じ立場を取りこのように述べています。
、「この節は常に肉体の復活に適応されています。
そして、聖霊が、ここでイスラエルの復興を予兆するために用いられているこの象徴を、復活の上に築いているのは事実です。
しかし、この復活は、私たち自身にとっても、イスラエルにとっても、肉体の復活には全く言及していないことが分かります。」[640]
H・A・アイアンサイド氏もこの教えに同意し、このように述べています。
「2節は、私の考えでは、実際の肉体の復活について語っているのではなく、道徳的かつ国家的な復活について語っています。
これは、イザヤ書26章12~19節とエゼキエル37章で使われているのと同じ種類の言葉です。」[641]

この解釈の背後にある動機は、聖書の千年王国前再臨主義の解釈とキリストの再臨におけるイスラエル国家の復興を一般的に支持するだけではありません。
特にこの一節を、旧約聖書の聖徒は患難時代の前の教会携挙の時に復活し、後の時代にはこの世に復活しないという彼らの教えと調和させようとする熱意にあります。
現代の千年王国前再臨主義者の多くは、患難時代前再臨主義者でもあるため、このアプローチは不必要であり、実際にはこの一節を誤解していると考えています。

例えば、ロバート・カルヴァー氏はゲーベライン氏について次のように述べています。
「この解釈において全く受け入れがたいのは、ゲーベライン氏が、まさに私たちの反対者たちが用いている「霊的解釈」あるいは「象徴的解釈」の原則を、ゲーベライン氏と様々な千年王国前再臨主義者は、比喩的ではなく文字通りの意味とみなされている箇所において用いている点です。
彼はこの箇所において、ヨハネの黙示録20章における第一の復活について、千年王国後再臨主義論者と無千年王国論者が行っていることと全く同じことをしています。」[642]
ダニエル書12章2節の復活を霊的に解釈する解説者たちが、この節の前半をイスラエルの復興に適応させる解釈をする一方で、そしりと永遠の忌みに目覚める者たちに言及する後半部分を無視していることは注目に値しています。
確かに悪人は最後の審判のために文字通り死からよみがえらされます。(ヨハネの黙示録20章12、13節)
そして、この同じ動詞は義人の復活も意味しています。
どちらの場合も、「目覚める」の意味は復活です。
千年王国前再臨主義を支持するために、この節の本来の意味から無理やり押し解く必要はありません。
また、普通に理解する限り、この節には患難前期説と矛盾する点は何もありません。
また、この節を正しく理解することは、キリストの再臨におけるイスラエルの国家的復興と矛盾することもありません。
これは他の多くの預言的な節でも教えられています。

ここで示されているのは、死者が復活し、この回復の時代に生きる者たちと合流することです。
患難時代を生き残り、ローマ人への手紙11章26節に預言されている神の救いの対象となるイスラエル人たちは、死者の中から復活した旧約聖書の聖徒たちと合流しています。
これは大患難時代後、キリストの再臨の時に起こります。
実際には、旧約聖書の聖徒たちが教会が携挙される時に、つまり最後の患難時代前に復活すると教える聖書の箇所はありません。
したがって、彼らの復活は生ける国民の回復と同時に起こると考えるのが適切です。
その結果、復活したイスラエルと、キリストの再臨の時に解放されるまだ肉体を保持している者たちは、再臨後の千年王国の地にイスラエルを建てるために、共に働くことになります。
したがって、この箇所を実際にキリストの再臨の時に復活が起こることを啓示している解釈の方が望ましいのです。
同時に、直前の大患難で死んだ者たちも、ヨハネの黙示録20章4~6節で教えられているように復活します。

これが真実な復活であるならば、その出来事の時期はいつなのでしょうか?
ここでの解釈の違いは、無千年王国主義説と千年王国後再臨主義の解釈の異なる視点から生じています。
リューポルド氏やエドワード・ヤング氏のような無千年王国主義説の学者は、ある程度の限定ですが、これを永遠の状態に先立つ一般的な復活として見なしています。[643]
そして、千年王国前再臨主義に傾倒していない学者の中には、これが一般的な復活ではないことを認めている人もいます。
J・M・フラー氏は、これを「最後の一般的な復活ではなく、それに先立つ部分的な復活であり、ダニエルの民に限定されている」と考えています。[644]
ヤング氏は、究極の意味は暗黙のうちに一般的な復活であると主張しつつも「聖書はこの時点で一般的な復活について語っているのではない」と述べています。[645]

千年王国前再臨主義者は、キリストの再臨後に地上で千年王国が築かれる希望は、旧約聖書と新約聖書の多くの箇所で明確に教えられており、悪人の復活は千年王国の終わりに起こることを信じています。
では、千年王国前再臨主義者の見解は、この聖句とどのように調和しているのでしょうか?

ダニエル書12章2節を理解する上で、より正確な翻訳を参照することはいくらかの助けとなります。
実際、ヘブル語では復活の二つの種類が明確に区別されています。
トレゲレス氏は、初期のユダヤ教注釈者たちにならい、このように2節を訳しました。
「そして、地の塵に眠る者の中から多くの者が目覚めます。
彼らは永遠の命を得ます。
しかし、残りの眠り、すなわち、この時に目覚めない者たちは、そしりと永遠のそしりを受けます。」[646]
ロバート・カルバー氏は、セイスとナサニエル・ウェスト氏の注釈を裏付けとして、この翻訳を支持しています。[647]
イエス・キリストの再臨における義人の復活については、千年王国前再臨主義と無千年王国主義説がおおむね同意しているように、明らかに問題はありません。
千年王国の始まりまでに、すべての義人は既に復活しています。
患難時代前再臨主義者は、教会、すなわち現世の聖徒たちが患難時代前に復活すると信じており、旧約聖書の聖徒たちが患難時代前に復活しないとしても、彼らは患難時代後、千年王国の前に復活するのです。
したがって、義人がこの時点で復活する主張と矛盾することはありません。

しかし、この箇所では復活が「ある者はそしりと永遠の忌みに」と述べられている点が問題となります。
千年王国前再臨主義支持者は、ヨハネの黙示録20章で義人の復活が明らかにされた後「そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である」(ヨハネの黙示録20章5節)と述べられている明確な区別を主張しています。
悪人の復活、すなわち第二の復活は、ヨハネの黙示録20章12、13節で明らかにされています。
もし、ヨハネの黙示録20章5節と12、13節の復活が現実の復活であり、ダニエル書12章の復活預言を成就するものであれば、復活は複数回あることが非常に明確になります。
「二重の復活は聖書のどこにも教えられていない」[648]という、リューポルド氏のような無千年王国論者の自信に満ちた主張は、聖書の明白な違いを無視した判断をしています。

まず最初に、イエス・キリストは死から復活しました。
これは無千年王国主義説を唱える人々も認めるところです。
彼の復活は、明らかに最終的な復活とは時間的に分離されています。
キリストの復活の時、マタイによる福音書27章52、53節に記されているように、聖徒たちの象徴的な復活が起こっています。

「また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。
そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都にはいって多くの人に現われた。」
(マタイによる福音書27章52、53節)


これも真実な復活であるように思われます。
もし、患難時代前再臨主義者の預言の立場が正しいのであれば、大患難時代の前に教会の復活も起こることになります。
いずれにせよ、ヨハネの黙示録20章の自然で正常な解釈は、義人の復活は千年王国の初めに起こり、悪人の復活は千年王国の終わりに起こることを示しています。
(ヨハネの黙示録20章12~14節)

この一節を霊的に解釈し、最初の復活を信者の新たな誕生とすることによってのみ、義人と悪人の復活の真実な区別を否定することができます。
したがって、千年王国前再臨主義支持者は、ダニエルへの啓示を、大患難時代とキリストの再臨の後、義人と悪人を問わず多くの人が復活する事実を述べたものとみなします。
旧約聖書の預言において、あたかも互いに直接関連しているかのように、相当な時間的隔たりのある出来事が記されていることは、決して珍しいことではありません。
イザヤ書61章1、2節のような箇所に見られるように、キリストの初臨と再臨の間の時代、すなわち現在の世界全体が過ぎ去ることは、旧約聖書の解説者なら誰でもよく知っています。

「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、」
(イザヤ書61章1、2節)


ここにもう一つ例を挙げましょう。
この解釈によれば、義人は信仰と忠実さへの報いとして復活しますが、死んだ悪人は最後の審判について警告を受けます。
目覚めた多くの人々が二つの階級に分けられることは、推論によって、異なる運命を持つ二つの復活があることを前提としています。
この箇所は千年王国前再臨主義を明確に教えているわけではありませんが、千年王国前再臨主義の解釈と矛盾するものではありません。
この箇所の理解において、「多くの」という語の用法について、更なる難しさが生じます。
ここで解説者たちの間では、この語がまさにその通りの意味で「多くの、しかしすべてではない」という意味で使われているのか、それとも「すべての者がよみがえらされる」という意味で使われているのかによって、意見が分かれています。

リューポルド氏は、この箇所における「多くの」は実際には「すべて」を意味していると詳細に論じています。
リューポルド氏はこのように述べています。
「「多くの」と「すべて」が互換的に使われている例もいくつかあります。
前者は数的に多いことを強調し、後者はすべての者が関係している事実を強調している」[649]
リューポルド氏はさらに、マタイによる福音書20章28節、26章28節、ローマ人への手紙5章15節と16節を例として挙げています。[650]
しかし、事実は、場合によっては「すべて」が「多数」であることもある一方で、「多数」が「すべて」ではない場合もあります。
この場合、正確な解説者はテキストをそのまま解釈することを好み、テキストは「すべて」とは言いません。
「多数」を「すべて」と解釈するのは無千年王国主義説者にとっては自然な解釈ですが、同じく無千年王国主義説者であるエドワード・ヤング氏がこの立場を取らないのは興味深いことです。
彼は次のように述べています。

聖書は「すべて」を述べていると想定すべきです。
この難題を回避するため、一部の解説者は「多くの」言葉を「すべて」という意味に解釈しました。
これは無理があり不自然です。
正しい解決策は、聖書がこの時点で一般的な復活について語っているのではなく、むしろ、この時に起こる救いは生きている者だけでなく、命を失った者にも及ぶ考えを示しているように思われます。
もちろん、この言葉は一般的な復活を排斥するものではなく、むしろそれを暗示しています。
しかし、強調されているのは、大患難時代に亡くなった人々の復活です。[651]
ベヴァン氏自身も、前述のようにこのように述べています
「ここでの復活は普遍的なものではなく、「多く」の死者を含むものであり、すべての死者を含むものではありません。
イスラエル人だけが復活するとは明確に述べられていませんが、文脈から見てその可能性は高いと思われます。」[652]
教会の復活は患難時代の前に起こり、この復活に先立つとみなされ、患難時代前再臨主義者の解釈の立場からすれば、この箇所は文字通りに解釈できます。
実際、患難時代前再臨主義者預言解釈の立場が正しければ、キリストが再臨して支配される時点に、義人の大規模な復活が起こることになります。
「これが患難時代前再臨主義者預言を裏付ける」と断言するのは行き過ぎですが、この箇所はまさにこの解釈と一致しています。
同時に、ヤング氏が指摘したように、復活の希望はヨハネの黙示録20章4節で特に述べられている患難時代の殉教者たちにまで至ります。

義人の報酬

「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」
(ダニエル書12章3節)


義人の復活の後、彼らの証しにおける忠実さは報われます。
ここで悪人への刑罰については何も述べられていないことは重要です。
ヨハネの黙示録20章によれば、彼らの復活は千年後まで起こりません。
大きな白い御座における最後の審判には、キリストの再臨の際に不正に敵対し、滅ぼされる者たちへの裁きが含まれています。(ヨハネの黙示録19章17~21節)
ヨハネの黙示録20章の要点は、生きているか死んでいるかに関わらず、聖徒たちはキリストが再臨される大患難時代の終わりに栄光ある報いを期待できることです。

2節から、彼らは永遠の命を受けることが分かります。
ヤング氏が述べているように「この箇所は旧約聖書でこの表現が初めて登場しています。」[653]
永遠の命への復活にあずかる人々は、永遠の命そのものに加え、栄光という報いも受けます。
彼らは「賢い」と表現されていますが、彼らが同時代の不信仰と不正を見抜き、信仰の目に見えない永遠の価値に信頼を置くことができたからです。
彼らは賢明に行動しました。
つまり、神に従順でした。
このため、彼らの報いは、天と同じ栄光で輝き、「天は神の栄光を語り告げ」(詩篇19篇1節)という同じ役割を果たすことです。
ヘブル語の自然な並行表現では、彼らは「多くの者を義とした者」とも表現されています。
他の人々に信仰をもたらした人々の運命もまた、星のように永遠に輝きます。
その背景には、紀元前2世紀に成就した「民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる」(ダニエル書11章33節)という聖句と、同時代に生きたダニエル書11章35節に記された「思慮深い人」への述べられてがいることも挙げられます。
しかしながら、これをアンティオコス王の治世の人々に限るのは不当です。
なぜなら、彼らはあらゆる時代の忠実な聖徒たちの型だからです。

カイル氏はこの箇所の教えを次のように要約しています。
「終末がもたらす民の救いとは、死者の復活と、敬虔な者と不敬虔な者を分ける審判によって神の民が完成することです。
この審判によって敬虔な者は永遠の命へと甦り、不敬虔な者は永遠のそしりと軽蔑へとさらされます。
そして、この世の戦争や争いの中で多くの人々を義へと導いた民の指導者たちは、天の不滅の栄光の中で輝くことになります。」[654]

ヨハネの黙示録の結論

「ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」
(ダニエル書12章4節)


ダニエルは、ペルシャ王たちから始まり、マカバイ時代を経て、世の終わりと大患難時代へと飛び移り、義人の復活と報いまで及ぶ啓示の広範な範囲を経験した後、今や「このことばを秘めておき、この書を封じておけ」と命じられます。
この言葉から、啓示はダニエル自身にとっても啓発と安心を与えるものでした。
しかし、彼だけにこれらの出来事を解釈することを意図したものではなかったことが明確にされています。
こうして啓示された預言は、特に「終わりの時」に生きる人々に適用されています。
実際、啓示全体、ダニエル書11章35節まで既に成就した部分も含め、この時代の最高潮にある苦難の中で、主に信頼しようとする人々を助けるために意図されていました。
重要なのは、20世紀において2500年が経過したにもかかわらず、ダニエルの預言が歴史の流れと差し迫った未来の出来事を理解するための試みに大きく関連した出来事がなかったことです。

4節の「多くの者は知識を増そうと探り回ろう」という部分は翻訳が難しく、その正確な意味については解説者の間でも意見が一致していません。
この句は現代における旅行の増加を指している一般的な解釈は確かに理にかなっています。
世界史上、これほど多くの旅行があったことはかつてないからです。
しかし、文脈から判断すると、知識の探求が中心的なテーマであります。
モンゴメリ氏はアモス書8章12節の「彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせな」という箇所に照らして解釈しています。[656]
ジャン・カルヴァンはこれを「多くの人が調べ、知識は増す」と訳しています。[656]
リューポルド氏はこの節を「多くの人が熱心に調べ、知識は増す」と解釈しています。[657]
ヘブル語で「知識」は「ハダート(haddaáat)」で、文字通り「知識」、つまりこの長い預言の理解として意味しています。
この文は、神の御言葉を読む読者が「あちこち」と走り回る目を指していると考える人もいます。
(歴代誌第二16章9節を参照にしてください。)
物理的な放浪や旅を伴うかどうかはさておき、真理を理解しようとする試みには相当な努力が必要であることを暗示しています。

ヤング氏はモンゴメリ氏の意見に同意し、アモス書8章12節に鍵を見いだし「この動詞は知識を見つけるためにむなしく旅をする様子を表しているようだ」と述べています。[658]
ヤング氏はさらに説明を続けています。
御使いがダニエルに語っているのは、近い将来、これらの預言を理解しようとする試みはむなしいが、終わりの時にこれらの預言が重要になり、さらなる理解が与えられるということです。
したがって、20世紀のダニエル書の解釈者はこれらの預言をより明確に理解し、紀元前6世紀には不可能だった方法で歴史と関連づけることができるようになると言っても過言ではありません。
また、人々による絶え間ない知識の探求は、適切な場所では知識を求めていません。
そして、自分たちの直接に関係のない預言を理解するのに時と状況が一致しないために、報われないことが多いだろうという含みもあります。
疑いなく、終わりの時代に生きる人々は、これらの事柄について、現在、可能な範囲よりもはるかに深い理解を持つことができます。

終わりの時までの時間

「私、ダニエルが見ていると、見よ、ふたりの人が立っていて、ひとりは川のこちら岸に、ほかのひとりは川の向こう岸にいた。
それで私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」
すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。
「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」
私はこれを聞いたが、悟ることができなかった。そこで、私は尋ねた。「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」」
(ダニエル書12章5~8節)


幻の終わりに、ダニエルは10章と同じく川辺の光景を観察し、川の一方と他方にそれぞれ一人ずついる二人の人物に気づきます。
この川はヒデケル川(10章4節)[663]、すなわち、現代名のチグリス川であると考えられています。
ダニエルが観察した人物たちは、10章での彼の経験からすると、おそらく御使いのような存在です。
その一人が、直前の偉大な預言を踏まえれば当然の疑問を投げかけます。
「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。」
7節には「亜麻布の衣を着た人」について述べられていますが、これは10章5節と6節に出てくる人物と同一人物と思われます。

ダニエルが観察しているように、亜麻布を着た男は右手と左手を天に掲げ、「永遠に生きる方をさして」誓います。
これは間違いなく神を指しており、終わりの時における時間的要素は「ひと時とふた時と半時」であると誓います。
第二の御使いはこの啓示には関与していませんが、二人の証人が一つの点を立証する概念に沿っているのかもしれません。
(申命記19章15節、31章28節、 コリント人への手紙第二13章1節)
宣誓を行う者が両手を挙げている事実は、宣誓の厳粛さを示しています。
通常は片方の手だけが挙げられます。(創世記14章22節、 申命記32章40節)
このメッセージは明らかに神に代わって伝えられており、申命記32章40節の考えと類似しています。[659]

この啓示は、御使いが川岸に立っている事実と、川を表す特定の言葉が通常ナイル川に用いられる言葉である事実によって、さらに厳粛なものとなっています。
ヤング氏は次のように述べています。
「川と訳されている言葉の選択には、必ず理由があります。
すでに述べたように、ここではナイル川の一般的な呼称です。
おそらく、ダンに、主がかつて神の民に敵対した世界国家エジプトの上に立っていたように、今や主はナイル川、実際にはチグリス川によって象徴的に表される世界王国の上に立ち、再び御自分の民を救う用意ができていることを思い起こさせるために、意図的に用いられていると考えられます。」[660]
「ひと時とふた時と半時」という表現の意味は何でしょうか?
ダニエル書7章25節にも見られるこの表現は、終わりの時を終結させるキリストの再臨に先立つ最後の期間を指しています。
モンゴメリ氏はリベラルな学者でしたが、「5章7節では、7章25節の用語で、ヘブル語ではアラムの3年半に相当する」と記し、その意味を正しく述べています。[661]
つまり、ダニエル書9章27節に記されている7年間の最後の半分が再臨で頂点を迎えるのです。
「ひと時」という表現は一つの単位、「ふた時」は二つの単位、「半分」は半分の単位とみなされます。
これらの単位を足すと3.5になります。
明らかに、この表現は、他の箇所で与えられた補足的な情報や、この章で与えられたさらなる啓示がなければ、理解しにくいものです。
預言にあるように、3年半の期間が満了すると、「聖なる民の勢力を打ち砕く」、すなわちイスラエルの民に対する激しい迫害の時代が到来します。
「「打ち砕く」という言葉は「(彼らが)聖なる民の手(力の比喩)を砕き終えるとき」と訳すことができます。[662]
迫害が神の定めた時に終わりを迎え、「これらすべてのことが成就する」時、終わりの時は終わります。

ダニエルは預言をはっきりと聞いていたにもかかわらず、8節で理解できなかったと述べています。
ダニエルは6節で御使いが尋ねた元の質問を言い換え「わが主よ。この終わりは、どうなるのでしょう。」と御使いに問いかけています。
ダニエルは、終わりの時の成就に関する啓示を理解しようと努める中で、自分が困惑していることを述べています。

御使いの結論的な説明

「彼は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行ない、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。
常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。
幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」」
(ダニエル書12章9~13節)


再び、9節でダニエルは自分に与えられた啓示は終わりの時まで完全に理解されないことを告げられます。
ダニエルは好奇心を責められません。
彼が抱いた疑問を問うのは当然なことです。
しかし、この啓示の主な目的は、終わりの時代に生きる人々に知らせることでした。
最後の預言を理解するには、歴史と成就した預言を確証する解釈が必要です。

しかし、啓示された出来事の目的に関するダニエルの問いに対する部分的な答えとして、預言者ダニエルは10節で、終わりの時は二重の結果をもたらすと告げられています。
最初に、聖徒たちに清めがもたらされ、二番目に、人の心の邪悪さの本質が明らかになることです。
同じ様に、終わりの時の出来事は「思慮深い人々」には「理解する」ことができますが、「悪者どもは誰も理解しません。」
預言を理解するには、特に霊的な洞察力と聖霊の教えが必要です。
聖書は終わりの時を非常に詳細に描写していますが、悪者どもはこの神の啓示を利用しないことは明らかです。
しかし、神を真実に信じる者たちにとっては、それは慰めと導きの源となるはずです。
神の啓示は、霊的な心を持つ者には理解できるものの、悪者どもたちには隠された形として与えられることがよくあります。

11節と12節には、終わりの時の長さを明確にする二つの重要な啓示が与えられます。
11節によれば、日ごとのささげ物が取り去られてから終わりの時が満ちるまで、1290日が経過しています。
日ごとのささげ物が取り去られる時は「荒らす憎むべき者」と同一視されています。
この表現はダニエル書9章27節の啓示に由来し、7年間の期間の途中でささげ物が捧げられなくなることを指しています。
預言された出来事は、紀元前2世紀にアンティオコス・エピファネスによって神殿が荒廃させられた際に、対応する予兆を示しています。(ダニエル書8章11~14節)
この出来事が未来の出来事であり、アンティオコスによる歴史的な冒涜行為を指していないことは、マタイによる福音書24章15節のキリストの預言から明らかです。
そこでは、「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』」」が大患難時代の兆候として示されています。
これらの箇所から、終わりの時の最後の3年半を指していることは明らかです。

セイスはこの解釈を次のように要約しています。

この状態は数日、数週間、あるいは数ヶ月間ではなく、丸3年半続くのです。
旧約聖書と旧約聖書を含む預言書の中で、少なくとも六箇所、そしてほぼ同じ数の異なる方法で、このことが宣言されています。
それは「ひと時とふた時と半時の間」(ダニエル書7章25節)、「彼らは聖なる都を四十二か月の間踏みにじる」(ヨハネの黙示録11章2節)、「女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった」、つまり「一時と二時と半時の間」(12章6節,14節)、「四十二か月間活動する権威を与えられた」(13章5節 )です。
これらの聖句はすべて、反キリストによる弾圧と苦難の同一の期間を指しており、その期間はいずれも3年半であり、同盟の破綻と日々の捧げ物の停止から、イエス・キリストの啓示による獣の滅亡までとされています。
主は地上で3年半の働きを行い、反キリストも同じ期間、悪魔的な働きを行います。
[663]
しかし、ダニエル書9章27節の3年半は、ユダヤ人の慣習に従って、通常は3年半、つまり30日ずつの42か月と解釈されます。
これはわずか1260日です。
大患難時代の期間が42か月であることは、ヨハネの黙示録11章2節と13章5節で確認されており、これはダニエル書7章25節と12章7節の「ひと時とふた時と半時」に相当すると考えられます。
では、なぜ1260日に30日が加えられるのでしょうか。
この疑問は、12節で1335日に達した者には特別な祝福があると述べられていることでさらに複雑になります。
これは、11節の制限をさらに45日超えることになります。

ダニエルはこれらの様々な期間について説明していませんが、キリストの再臨と千年王国の樹立には時間が必要であることは明らかです。
1260日、つまり30日ずつの42か月は、再臨そのものをもって頂点に達すると見なすことができます。
その後、諸国民の裁き(マタイの福音書25章31~46節)、イスラエルの再集結と裁き(エゼキエル20章34~38節)といった神の裁きが続きます。
地上の被造物から始まり、獣を崇拝した不信者を一掃するこれらの大いなる裁きは、迅速に行われるとはいえ、時間がかかります。
再臨後1335日、つまり75日目までに、これらの大いなる裁きは成就し、千年王国が正式に発足しています。
この期間に達する者は、明らかに王国に入るにふさわしいと判断された者です。
ゆえに、彼らは「幸いな者」と呼ばれます。

いずれにせよ、モンゴメリ氏のようにこれをアンティオコス・エピファネスと結び付けようとする試みには正当性がありません。[664]
ゾックラー氏でさえこのように認めています。
「マカバイ時代の波乱に満ちた出来事は、3年半の歴史的相当期間の始まりと終わりの点として注目に値するかもしれないが、そのような揺らいだ預言の十分な根拠にはなりません。
なぜなら、その時代において、たとえ、その期間の期限がいくら定められようとも、その期間の正確な範囲は見出せないからです。[665]
ここでも、ダニエル書全体と同じ様に、「終わりの時」という表現は異邦人の権力の終わりを指しています。
それは明らかに現代を超えて、マタイによる福音書24章15~31節のキリストの預言で予期されている再臨にまで至ります。
ダニエル書を預言ではなく歴史として扱おうとするリベラルな学者のアプローチ全体は、ダニエル書の預言的予見の全体的な性質を理解するならば崩壊することになります。
終わりの時から第五の王国への移行を完了するために必要な追加の時間の説明は、ダニエルにとってあまり役に立たなかったことは間違いありません。
しかし、新約聖書の啓示に照らし合わせると、それは大患難時代から地上における平和と義の王国への移行の背景を示しています。

御使いはダニエルがこれらの追加の啓示を完全に理解できないことを予想し、彼に「あなたは終わりまで歩み」なさいと告げます。
御使いはダニエルが「休みに入れ」、つまり死んで「あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ」のです。
つまり、ダニエル書12章2節の復活において復活し、千年王国が発足する際にキリストの栄光ある勝利にあずかことを預言しています。
復活した聖徒たちはキリストと共に支配すると宣言されています。
(例えば、ヨハネの黙示録5章10節)
ネブカデネザルとメディア人ダリウスの下で支配したダニエルが、将来、地上のキリストの王国における執行責任を担うことになり、彼の地上での経験がその準備となることが考えられます。

ダニエルの預言におけるこの最終的な啓示は、それ以前のすべての驚くべき啓示の頂点として機能し、ダニエル書を旧約聖書の中で最も偉大で全体的な預言的啓示として確立しています。
新約聖書でこれに対応するのはヨハネの黙示録であり、世々の預言的計画に関する神の最終的な言葉を提供しています。
ダニエルの終わりの時の成就を予期しているかのような今日の世界情勢に照らし合わせると、歴史上かつてないほど現在はダニエル書を理解することが可能とされます。
大患難時代の試練の真っ只中にいる忠実な聖徒たちがこれらの聖書のページを開き、たとえ殉教の死を意味するとしても真実を貫く力と勇気をそこに見出す時が、そう遠くないかもしれません。

恵みの時代に生き、教会における神の御旨が終わりを迎えつつあるかもしれないこの困難な時代を理解しようとするクリスチャンにとって、ダニエル書はかつてないほど、そう遠くない未来に訪れる終末を予兆する現代の出来事に広い光を当てています。
もし、神がその民イスラエルを政治的に復活させ、教会が無関心と背教に陥り、諸国が政治権力の中央集権化に向かうことを許すならば、終わりの時が世界を覆うのもそう遠くないかもしれません。
主の再臨を待ち望む多くの人々は、異邦人の時代の終わりの日が満ちる前に、自分たちが地上から取り去られることを期待しています。

神の計画が完全に成就するとき、神が一言も地に落ちさせなかったことが、今よりもさらに明確に明らかになるはずです。
キリストが地上にいた時にこのように言われています。

「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。」
(マタイの福音書5章18節)


[632] N. W. Porteous, Daniel, A Commentary, p. 170.

[633] C. F. Keil, Biblical Commentary on the Old Testament, pp. 477-78.

[634] J. Calvin, Commentaries on the Book of the Prophet Daniel, 2:369.

[635] E. J. Young, The Prophecy of Daniel, p. 255; H. C. Leupold, Exposition of Daniel, pp. 528-29; Calvin, 2:371-72.

[636] J. A. Montgomery, A Critical and Exegetical Commentary on The Book of Daniel, p. 471.

[637] A. A. Bevan, A Short Commentary on The Book of Daniel, p. 201.

[638] Montgomery, ibid.

[639] A. C. Gaebelein, The Prophet Daniel, p. 200.

[640] W. Kelly, Lectures on the Book of Daniel, pp. 225-26.

[641] H. A. Ironside, Lectures on Daniel the Prophet, pp. 231-32.

[642] R. D. Culver, Daniel and the Latter Days, p. 172.

[643] Leupold, pp. 529-532; Young, p. 256.

[644] John M. Fuller, An Essay on the Authenticity of the Book of Daniel, p. 339.

[645] Young, p. 256.

[646] S. P. Tregelles, Remarks on the Prophetic Visions in the Book of Daniel, p. 162.

[647] Culver, p. 175.

[648] Leupold, p. 530.

[649] Ibid.

[650] Ibid.

[651] Young, p. 256.

[652] Bevan, p. 201.

[653] Young, p. 256.

[654] Keil, p. 484.

[655] Montgomery, pp. 473-74.

[656] Calvin, 2:379. Orig. in italics.

[657] Leupold, p. 534.

[658] Young, p. 258.

[659] Cf. Young, p. 259.

[660] Ibid.

[661] Montgomery, p. 475.

[662] Brown, Driver, and Briggs, Hebrew and English Lexicon of the Old Testament, p. 658.

[663] J. A. Seiss, Voices from Babylon, pp. 310-11.

[664] Montgomery, p. 477.

[665] O. Zockler, “The Book of the Prophet Daniel,” in Commentary on the Holy Scriptures, 13:267.


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2025/1/23


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