メッセージ 2001/9/5
反キリストについて by H.A.アイアンサイド
(An excerpt from H. A. Ironside's commentary on Daniel)



「思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。
この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。
定められていることが、なされるからである。」

新改訳聖書 ダニエル書11章35、36節

ダニエル書11章35節と36節の間には多くの時代の隔たりがあります。
北と南の王の歴史は、現在終わっています。

訳者注)ダニエル書の11章全体は神がダニエルに与えた、ペルシャ、エジプトを中心とする預言箇所です。

紀元前世界において、歴史の年表を比較するように預言は成就しました。
しかし、35節で年表の比較と合わなくなっているのです。
神の預言は成就しなかったのでしょうか?
いいえ、その預言は中断され、その預言は「終わりの時(11章40節)」に続いています。

そこにもう一人、別の人物が現れます。
「アンテオコス・ステファノス」です。
彼は名前こそ、この節の中で紹介されていませんが、35節と36節の両方に現れ、35節には「アンテオコス・ステファノス」本人として、また36節以降の時代の前触れとして、型として現れています。
彼は強情な王であり、36節以降の終わりの時代に現われる反キリストの性格として見ることが出来ます。
使徒ヨハネが言っています。

「小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、...。」
新改訳聖書 ヨハネの手紙第一2章18節

続いて、ヨハネはこのように「今や多くの反キリストが現われています」と言っています。
ここでヨハネが言っている「反キリスト」とは、最終的に現れる邪悪な人物である反キリストではなく、終わりの時代に多く出現する背教のこと言っており、はっきりと区別しています。
ヨハネは預言の中で反キリストが不法と神への冒涜の受肉であると繰り返して述べていますが、ヨハネの手紙第一2章18節の中では反キリストの名で背教のことを指しています。
私は聖書の持つ洞察力を持って預言を研究する教師がわずかながらも存在していることを知っています。
彼らの問題は、私たちに現在示されているこの反キリストについての聖書箇所をどのように理解するかです。
その唯一の問題は反キリストの誰であるかということです。

多くの違った重要な答えが提唱されましたが、多くの者たちは一致しています。
やがて現れる強情な王の前触れが、アンテオコス・ステファノスの中に成就されてしまったと解釈しています。
しかし、他の者たちは35節と36節の間に多くの時代の隔たりがあると認識し、この節を黙示録13章と比較して考えてました。
彼らは最初にクリスチャンを迫害したローマ皇帝ネロに適応しました。
また、多くの者は使徒の働き8章に現れる、詐称者、魔術師シモンが反キリストだと考えました。
あるローマカトリックの医者は、アラビアの偽預言者であるマホメッドに適応させようとしました。
一方、ルターの宗教改革から現在に至るまで、多くのプロテスタントの聖書解説者がローマ教皇についての描写だと考えました。
また、そこには他の考えを持つ人たちがいます。

彼らの判断は私にとって修正される必要があるように思えます。
彼らの判断だけでは反キリストの性格を十分に現わすことが出来ないからです。
したがって、反キリストは未来に起こるべき人物であり、まだ現れていないのです。
そして、反キリストは終わりの時代に登場してくるのです。

この反キリストという項目において、私はローマ皇帝が反キリストのことだとか、また、クリスチャンを迫害してきた人物をとって、その者が反キリストだとか、そのような仮説を私は拒絶する理由をはっきりさせたいという希望があります。
ゆえに、今、私はこれらの節の教えていることをはっきりとさせるために、私の考えていることを話そうと努力しようとしています。
最初に、世界に訪れようとしているこの偉大な危機の中で、反キリストによって果たされる事を理解するために、私は来ようとしている時代に目立った働きをするさまざまな支配者たちを示そうと思います。
私たちはすでに後の時代のことは知っています。
その時、罪を犯すものたちは彼らの持つ最大限の力を示すためにやってくるのです。
ローマ皇帝は10の王国が存在する状態で復活するでしょう。

10のヨーロッパの力は一つの連合に結ばれるのです。
それは社会主義的に、そして帝国主義な方針をもって結び付けられることが告げられています。
これらの10の王たちの一人はヨーロッパの最高権威を持ちます。
黙示録13章1〜8節、そしてその他の箇所で、この支配者たちのかしらは「獣」と呼ばれています。
ダニエル書の7章の中で、ダニエルには西にある「小さな角」のように見えました。
この終わりの時代にあってこの「小さな角」は「獣」です。
この獣はローマに自分の座を持っているのです。

彼は最高の異端者であり、神を恐れるというすべての権利を捨ててしまいます。
そして、唯一神として礼拝をうけるのにふさわしい者だとして、自分をそこに置くのです。
その背教化したキリスト教世界は大きな反教会的な者たちを滅ぼした後に、彼に対して敬意を払います。

「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」
新改訳聖書 黙示録17章5節

この礼拝は人の中に神が住まわれていることを承諾したものではありません。
同様にそれは神と人が一つになったものだとする冒涜的な教義を承諾したものです。
それは「クリスチャンサイセンス」と「ニューエイジ」いう団体、もしくは集まりによって、現在受け入れられている教義です。
獣は知恵による力と光の現れであり、国々が長い間、待ち続けていた比類なき人間です。
ナポレオンボナパルテのように、彼の超人間的な能力と比べることの出来ない成功を知るならば、国々は彼によって驚嘆させられるでしょう。
そして、人は彼にその栄光によって「運命の人」という称号を与え、彼自身がその称号を偽って名乗りました。
東方において、私たちが8章で見たように、その時、別の力が卓越された獣の勢力に対抗して現れます。
それは小さなアジアの角です。

終わりの時に現れる異邦人支配者の国々は、現在トルコによって支配されていますが、その支配者は預言を成就させた者の一人です。
彼は自分が7章においてローマ帝国から起きる角とともに、世を混乱させることを理解していないでしょう。
8章の小さな角は偉大なアレキサンダー大王の国が分裂した一つの国から起こるでしょう。
彼はイザヤ書10章24〜25節に出てくるアッシリアと同一視されると信じています。
その国は終わりの時において、ユダヤ人に対して特別な敵になります。
イザヤ書において、イスラエルの残りの民が自分たちの国へ帰ってくるという預言の後のことが書かれています。

「それゆえ、万軍の神、主は、こう仰せられる。
「シオンに住むわたしの民よ。アッシリヤを恐れるな。
彼がむちであなたを打ち、エジプトがしたように杖をあなたに振り上げても。
もうしばらくすれば、憤りは終わり、わたしの怒りが彼らを滅ぼしてしまうから。」

新改訳聖書 イザヤ書10章24〜25節

私たちはこの破壊の方法について、イザヤ書10章24〜25節から知ることができます。

「万軍の主は誓って仰せられた。
「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。
わたしはアッシリヤをわたしの国で打ち破り、わたしの山で踏みつける。
アッシリヤのくびきは彼らの上から除かれ、その重荷は彼らの肩から除かれる。」

新改訳聖書 イザヤ書10章24〜25節

過去において、この預言のことばが成就したアッシリアに対する破壊はありません。
終わりの時において、イスラエルがパレスチナに再建された後にこのアッシリアの失敗が起こるでしょう。
これは、神が東における問題を解決して下さる方法を示しているのです。
私たちはこの小さな角が大きな怒りを持ってユダヤ人に反抗して立ち上がることを学びました。

しかし「彼の力は強くなるが、彼自身の力によるのではない」と聖書に書いてあります。
新改訳聖書 ダニエル書8章24節

彼はより強い国の助けを持っています。
そして、その日、神の人々を滅ぼすための邪悪な努力をし、自己的な目的のためにそのより強い国を助けます。
エゼキエル書38〜39章の中で私たちは見つけることができます。
私はそのことを疑うことはありません。

そこではその力が十分に説明されていて、このように述べられています。
「メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグ」と書いてあるのを私たちは読みました。
学者たちは一般的に「大首長」の代わりに「ロシュの首長」と読むことに賛成しています。
そして、私たちは「ロシュ」の意味していることことが「ロシア」ではないかという疑問を持つことができます。
「メシェクとトバルの大首長であるマゴグの地のゴグ」、それはロシア全体を支配する最後の権力者であることは、私は明白なこととして受けとめています。
ある者たちは「メシェクとトバル」が現在の「モスクワとトバルスク」と同じだと思っています。
モスクワは古代ヨーロッパの一部であり、トバルスクはスラブ帝国におけるアジアの中心地です。
この支配者が獣の要求に反対し、トルコのイスラム教リーダと結びつくようになるように思われます。
私たちはこの傾向をすでにヨーロッパの中に見ることができます。
そこには西と東の連合ができ、パレスチナは彼らとの間の論争の骨格となるのでしょう。

四番目に考えられることは、これらの危機の中でとても重要な注目すべき事柄を引き起こす運命にある者がいます。
その者は南の王です。
彼は将来、終わりの時に他から孤立してしまったエジプトの支配者です。
彼は反キリストに反抗しているにもかかわらず、世々にわたる敵であるトルコに反抗して獣に結びつくような行動にでます。
ヨハネの黙示録の中で使徒はユーフラテス川の水がかれてしまうことを話しています。

「第六の御使いが鉢を大ユーフラテス川にぶちまけた。
すると、水は、日の出るほうから来る王たちに道を備えるために、かれてしまった。」

新改訳聖書 黙示録16章12節

ユーフラテス川の水がかれるということは、トルコ人の力による開拓事業が行われるということを意味してように思われます。
ナイル川がエジプトを表わしているように、ユーフラテス川はオスマントルコを表わしています。
「日の出るほうから来る王」とは遠い東の国々をよく表わしている言葉だと思います。
私たちがこのように未来を予見する努力しても、聖書に不適切な解釈を加える可能性があります。
それでもはっきりとわかることを言うのであれば、この最後の時代の偉大な脚本には、異邦人からでてくる支配者がいるということです。
私たちは皇帝 - 西の王、北の王、南の王、そして東の王の同盟国の所在を見つけ出しました。
これらの軍隊すべてがほぼ同じ時にパレスチナに進んでゆきます。

主の国は恐ろしいハルマゲドンの戦いのための戦場となります。
このようにパレスチナは、千年王国が来る前に最後の戦争として、人々にあらゆる恐怖と破壊を味わうために示されるのです。
ユダヤ人に与えられた恐怖を彼らは少しづつ理解してゆきます。
それは非常に多くのユダヤ人が東と南ヨーロッパから昔の住んでいた場所に今、帰ろうとしています。

訳者注)アイアンサイド氏は1951年に昇天されています。
おそらく、このテキストはそれよりもずっと前に書かれていたはずです。
つまり、1948年に起きたイスラエル再建や中東戦争以前に書かれたはずですので、そのようなことが反映されていないと思われます。
また、アイアンサイド氏は反キリストがユダヤ人の中から出ると主張しています。
私はアイアンサイド氏の見解は素晴らしいものだと賞賛していますが、いくつかの見解において私たちとは食い違う点があります。
残念ながら、人は聖書を自分の理解できるようにアレンジをしてしまい、見解の違いが生じるでしょう。
しかし、これからの歴史は聖書が私たちの予想以上に神のことばであることを教えるでしょう。


ユダヤ人たちは彼らの祖先たちのした恐ろしい祈りに答えられたことを知るでしょう。

「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
新改訳聖書 マタイの福音書27章25節

哀れな判断を誤った人々 - 放浪の歴史を持つ国 - 彼らはついに迫害から守られ、危険から保護された場所が彼らに提供された避難場所だと想像するでしょう。
しかし、彼らは気が付かないでしょうが、そこには神の激しい怒りの大きな酒ぶねが準備されているのです

その「血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった」と書かれています。
新改訳聖書 黙示録16章20節

教会が天へと昇げられた後(空中再論)、エルサレムの町の中に自分自身を預言者たちによってずっと約束されていたメシアとしてユダヤ人に現わす者が出てきます。
イスラエルの国で背教化した者たちはすぐに彼の言っていることを認めます。
彼らは彼に「あなたは聖書に記されている通り、私たちがずっと待ち続けていたメシアです」と言うでしょう。
私は始めにトルコ政府がユダヤ人への特権を保証してゆく中で、この反キリストが大きな助けを担うと判断しています。
それはユダヤ人たちがが自分の国で安住したいという思いがあるからでしょう。
その後、この反キリストはローマの獣との連盟を形成し、ユダヤ人とイスラエルの国の間に七年間の契約を結ぶでしょう。
これは偉大なシオニズムリーダーのザングウィルによって説明された計画です。
そのユダヤ人煽動者マックスノルダウは少し前にこのように言っています。
「私たちは私たちのメシア(救い主)として何人かの人を準備しています。
彼らは私たちの祖先たちの国の中に再び私たちを立て上げてくれるでしょう。」
私はこのことを疑いません。

確かのその日が来ています。
ある偉大なユダヤ人、おそらくそのユダヤ人は今生きています。
彼は国の回復を成し遂げるために多くのことを行ない、人々の前に出てくるでしょう。
彼はパレスチナの政治的リーダとして西側勢力によって認められるでしょう。
彼はダニエル書11章36〜39節に出てくる王です。

「この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。
定められていることが、なされるからである。
彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。
すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。
その代わりに、彼はとりで(戦争)の神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。
彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。」

新改訳聖書 ダニエル書11章36〜39節

私は反キリストがなぜパレスチナの国に住んでいるユダヤ人なのかを示したいと思います。
彼の座はエルサレムの中にあります。
そして、彼はイスラエルの国によって、ユダヤ人のメシアとして認められるのです。
こうした預言を見るならば、私はこの預言に出てくる人物がローマカトリック法王ではないと言う理由を示したいと願います。
今まで、ローマ法王はこれらの必要な条件を満たしてないし、これからも満たすことはないでしょう。
最初の言うべきこととして、反キリストという名前が単純に偽のメシアを表現していて、そのことに注意しなければなりません。
私たちの主イエスキリストが彼について述べています。

「わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。
ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。」

新改訳聖書 ヨハネの福音書5章43節

その時、反キリストはユダヤ人に受け入れられます。
このようなことはいままでローマ法王にはありませんでした。
そのようなことを言う、何かはっきりとした理由がいままでそこにあったのでしょうか?
ローマにおける教皇政治がこの長い期間ずっと存在していましたが、ユダヤの人々がいままで法王をメシアとして、ユダヤ国家の希望として認めたことがあったでしょうか?
メシアはユダヤ人に約束されたのです。
メシアはユダヤ人のために恵みをもって来たのです。
しかし、ユダヤ人はメシアを受け入れずにただ拒否しました。
偽のメシアが来る時、ユダヤ人は偽のメシアの要求とその出現を喜びをもって受け入れます。
イスラエルが偽のメシアによって欺かれます。
読者であるあなた(クリスチャン)はそこには含まれません。

テサロニケ人への手紙第二2章に、キリスト教的背教組織がイスラエルと同様に偽メシアの罠に陥ること書かれています。--この節については私たちは後に考える時を持ちましょう。
このローマの獣は西の市民の支配者です。
一方、反キリストは宗教的な支配者です。

その両者の持つ力の背後には「悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇」がいます。
新改訳聖書 黙示録20章2節

これは神に反逆した三位一体であり、悪魔、獣、偽の預言者によって構成されます。
地にあるすべての国々は彼らによって欺かれるのです。
ユダヤ人はローマ法王をメシアとして受け取ることはしません。
ローマ法王はイスラエルと7年間の契約を結びことはしません。
もしくは、ローマ法王はエルサレムに法王の座を設けたり、パレスチナの国の中に住んだりしません。
聖書の中に反キリストとローマ法王が同一視されているような表現は何も認められないからです。

誤解しないで下さい。
私は法王を認めているわけではありません。
私はローマ法王が邪悪な者だと信じています。
ただ、私は反キリストではないと言っているのです。
その時は反キリストは思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとするでしょう。
これらの神々は疑うことなく異邦人の偶像です。
ダニエル書にはこのように書かれています。

「この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。
定められていることが、なされるからである。
彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。
すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。」

新改訳聖書 ダニエル書11章36、37節

今、私は極端な誇張表現を使って、ローマ法王の悪口を言っているだけでしょうか?
彼らのある者たちは最もひどい冒涜的な説教によって、自分自身を容認しているというのは真実なことです。
カトリック-イエズス会の著者が「ローマ法王は私たちの主である神」であると大胆に話しているというのは真実です。
これはペテロの告白について彼への主の言葉を土台にして言っています。

「このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」
新改訳聖書 マタイの福音書16章17節

このことから、イエズス会はペテロが最初の法王であり、この法王が特別な教え導く力と御子によっては与えられることのない御父との秘密を持っていると主張しています。
彼らは法王が御子と同じ権利を持っていると宣言し、キリストに行くよりも法王の元に行くほうが安全だと信じています。
これらのことすべてが冒涜です。
確かに真実な献身的なたましいが起こされますが、このような教えの妄想に惑わされています。
しかし、ついにこの偉大な反キリストが起きる時、このことよりも更に悪い状態が起きます。
少なくとも、法王はすべての神々の上に立つとは証言していません。
法王は偶像崇拝に反論しています。
法王はキリストの代理だと呼ばれており、彼の特別な解釈において、地上を相続する神の相続人という立場を取っています。
彼は別の意味においてまさに反キリストですが、彼は他の神々を拒否しています。
彼は自分の名においてきて、父なる神の御名を完全に拒否します。
私たちはこのような表現により、どのような結論に到達するでしょうか?
つまり、反キリストはユダヤ人であることを意味しており、彼の肉の祖先はアブラハム、イサク、ヤコブでなければなりません。
このように旧約聖書の表現方法は変わることはありません。

私は反キリストがユダヤ人から出てくることを立証し、その主張を取ります。
ユダヤ人は彼らの祖先である神から離れ、背教化しています。
ユダヤ人はメシアをイスラエルの国家の上に置かれるということは、誰がどのように考えることができるでしょうか?
イスラエルの希望である反キリストがユダヤ人であり、ユダヤ人の気に入った国から出てくることは、聖書の中にはっきりと予測できることです。
私たちはダニエル書11章37節において同様に語られていることです。

それは彼が「女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない」ことです。
新改訳聖書 ダニエル書11章37節

彼はすべての者の上に自分を大いなる者とします。
今、「女たちの慕うもの」とはユダヤ人女性が慕っているものを実際に指しています。
メシアはユダヤ人女性を通してこの世界に生まれ、それが神のみこころであり、彼女らの希望である証拠と見ることができます。
彼は「女たちの慕うもの」を強調しています。

反キリストはそのことを全く無視し、自分が前もって預言された者であるかのように振舞います。
しかし、彼はそこで神を認め、その神は人間の人格、性質を表現しているだけなのです。

彼は「その代わりに、彼はとりで(戦争)の神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる」のです。
新改訳聖書 ダニエル書11章38節

この神は小さな角以外何ものでもありえません。
この神はローマの獣です。
私たちが見ているように、反キリストは彼のところに連合し、助けるために立ち返ります。
反キリストの一部である、獣は帝国市民の頭として認められ、その栄光が増し加えられるでしょう。
それは彼に多くのものを治めさせますが、他の点においては彼の権威を受け入れることはしません。
彼と反キリストは代価としてパレスチナの国土を分け与えます。
私はローマ法王がこのようなことに適応されるとは不似合いだと主張したいのです。
しかし、自然に理解して捕らえてみましょう。
すべてが明白なことであり、単純です。
ダニエル書の11章40節から11章最後まで、私たちは混乱した最後の時代が始まったことを描写的に記述していることを知っています。
南の王はエルサレムに対立して進撃します。
そして、北の王は旋風のようにおびただしい陸軍と海軍を連れて下ってきます。
王は栄光ある国と、エドム人、モアブ人、そしてアモン人によって占領されていた昔の国々を除いた栄光ある国と隣接した国へと侵入してきます。
王は最初は至る所で勝利を得ます。
エジプトはその勝ちほこった軍隊に対して立ち上がることは不可能です。
そして、王はパロの国、そしてリビア、そしてエチオピアに支配されるように主張します。
しかし、東と北からのニュースによって警告されるでしょう。
王は彼らの力に対抗するために大きな怒りをもって引き返します。
疑うことなく、獣と日の昇る方からの来る王たちです。
しかし、海の間にあるイスラエルの山々の上で彼の終わりが来ますが、彼を助ける者は誰もいません。
このように北の王、西の小さな角の最後は滅ぼされる結末が待っているのです。
ここで私たちは反キリストの破壊のことを読んでいません。
そのことについては黙示録19章20節で私たちに語られています。

「すると、獣は捕えられた。また、獣の前でしるしを行ない、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。」
新改訳聖書 黙示録19章20節

私は偽のメシアについての知識について、他の聖書のさまざまな箇所に注意することを願います。
ゼカリヤ書11章の中にある預言の後で、主イエスは良き羊飼いとして擬人化されています。
彼には銀三十の値が付けられ、ゼカリヤは愚かな牧者の道具を取るように語っています。

「見よ。わたしはひとりの牧者をこの地に起こすから。
彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。
かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。
ああ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。
剣がその腕とその右の目を打ち、その腕はなえ、その右の目は視力が衰える。」

新改訳聖書 ゼカリヤ書11章16、17節

これは神の言っていることです。
この偶像的な羊飼いはダニエル書11章の強情な王とはっきりと同じ者だと言えます。
彼はパレスチナの国の中に出現することになっています。
「この地」という表現はパレスチナの国についてのみ表現できることです。
疑うこともなく、その者は主イエスがヨハネの福音書5章43節で語っている者です。
父の御名によって来た真実な羊飼いは拒否されました。
しかし、ユダヤ人は自分の名によってきた偽の羊飼いを受け入れるのです。
私たちは黙示録13章に目を向けて見ましょう。
この章の前半分はローマの獣についての記述を知っています。
しかし、11節から私たちは地から、もしくは国から別の獣が昇ってくることも読んでいます。

「それ(別の獣)には小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。」
新改訳聖書 黙示録13章11節

すなわち、その者は自分自身を神の小羊のごとく見せ、現わしますが、彼は偉大な魂のペテン師として語ります。

「この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。
また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた」
と書かれています。
新改訳聖書 黙示録13章12節

このように獣は最初の獣を拝むように要求してきます。
この獣は自分の要求を認めさせるためにさらにおおきな驚くべきことを行います。

獣は人々をだますために「人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるし」を行います。
新改訳聖書 黙示録13章13節

獣は獣の姿を作る人々を起こし、「憎むべき荒廃をもたらすもの」を置きます。
この偶像をすべての者は死の苦痛をもって礼拝しなければなりません。
今まで私たちが学んできたすべてのことは、獣とダニエル書にある反キリストとはお互いに関係があるものとして、完全な調和を持っています。
獣のような小羊は地から昇ってきます。
彼はパレスチナの国の中に「憎むべき荒廃をもたらすもの」を置きます。
そのことについて主イエスによってそのしるしが与えられています。

獣が世界をだまそうとするそのしるしとおどろくべきこととは、テサロニケ人への手紙第二2章において語られていることです。
使徒がテサロニケにおいて働いている時に、使徒がテサロニケのクリスチャンに主の日の来る前に起きることについて語っています。

「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第一4章16、17節

この手紙を見るとテサロニケのクリスチャンの間で主の日がすでに来たといううわさが広まっていたと想定できますが、パウロはこの誤りを訂正するために第二の手紙を書いたと考えられます。
パウロは彼らの思いを揺り動かすことなく、もしくは主の来臨について恐れることなく彼らを励ましたのです。
パウロは彼らに背教が最初に起こり、罪の人が現れるまでその日が来ないことを語っています。

「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。
なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。
彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。」

新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第二2章3、4節

「あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。
不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。」

新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第二2章6、7節

パウロはここで妨げる(引き止める)者について話し続け、現在その者は悪の絶頂期を引き止めていると言っています。
その妨げる者とは地上の教会の中に存在しておられる聖霊です。
聖徒が空中再臨の時に、贖われた者たちすべてが「雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。」
同時に聖霊も天へと帰ってゆきます。
続いて次のことが起こるのです。

「その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息(霊)をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。
なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。
それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。」

新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第二2章8〜12節

私たちがすでに聖書の他の箇所で調べてきたことと完全に一致しています。
教会が地上にいる間にも不法の秘密はすでに働いています。
しかし、その悪の完全な現れはクリスチャンがこの地上にいる間には起きることはありません。
私たちはそのことを前提とし、「雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会う」時が最初に来るのです。
その不法の秘密はヨハネの手紙第一2章18節に出てくる反キリストと密接に関係しています。

次に私たちはローマ法王が反キリストだという者と同意する点を主張します。
私たちは興味本位における論説においては全く同意する点がありませんが、私たちはローマカトリックの組織自体が反キリストだと主張できる点があります。
このことはキリストについての真実とただ救いだけを土台としているキリストの働きから離れさせようとするすべての組織について真実だと言えます。
クリスチャンサイエンスは反キリストです。
モルモン教は全く別のものです。
それらは、ある種の降霊術であり、昔からある悪霊的な多くの集まり、もしくは現代のカルトと一時的な熱狂にすぎません。
彼らを王として支配しているこの悪すべては、おそらく現在において自由神学として知られているものでしょう。
神のみことばからの服従から自由にされたことを誇りとする者たちによって、多くのメッセージが宣言されました。
彼らは聖書を。信用する価値のない神話として、もしくは作り話の収集品とする烙印を押すことをためらいません。
また、彼らは聖書よりも彼らが作り出した面白くも無い言葉に信頼を置くのです。

少しの間ですが、伝統的なクリスチャンのメッセンジャーが聖書にはいろいろと信憑性のないところを発見したと宣言したということを仮定してみましょう。
彼の無謀な主張はキリストのいない集会によって喜びをもって受け入れられます。
真にキリストに立ち帰ることのない告白者たちは聖書を信じる信仰から解放されたことを心から喜ぶのです。
彼らはこの世で生きている間、この教えが彼らの良心を痛めつけるのです。
そして、その者に自分の救い主として主イエスを現実に知り、主と交わりを楽しむ日が来るかもしれません。
その時、その者は聖書は真実ではなく、尊い福音の物語を人間の伝説だと信じることを無条件な意味のない証言によって強制させらていたことに気が付くでしょう。
あなたはその人に何が起こるか知っていますか?
その人の心は壊れてしまうです。

その結果、その者は決して浅はかな、空しい宗教家たちのから何かを得ようとはしません。
その者は理屈だけを追いかけ、いわゆる高等批評家と自由主義のメッセンジャーの教えに満足して黙従することができるようになるのです。
彼は深い悲しみの中でマリアとともに泣き叫ぶのが見るようになるでしょう。

「だれかが私の主を取って行きました。
どこに置いたのか、私にはわからないのです。」

新改訳聖書 ヨハネの福音書20章13節

しかし、それは偽りの告白をする者とは大きく違っています。
その告白者はキリストを語らないメッセンジャーが宣言する深い背信行為をじっくり味わいます。
これらの人たちが行う聖書の真実を拒む行為とは一体何でしょうか?
彼らは神への従順を束縛と感じ、いらだちました。
その時、彼らは聖書の霊感に関する教理を窓の外へ放り投げました。
彼らは人生において幸せである理由がありません。

神があなたの魂に明らかにした貴重な神のみことばを断念しなければならないと感じているあなたに、私は保証します。
愛する人々にキリストを実際に知って頂きたいのです。
彼らに生きている神の御子である方を紹介します。
他のものたちは単に神学を紹介するかもしれませんが、彼らはこのような理論が十分に取り除かれたことを感謝している者です。
しかし、これらの偽りの福音を語る者たちは現在の時代において反キリストだと言えるでしょう。
その時になると不法の人が現れ、彼らは最初に自分たちの不信仰な要求を認めさせます。
真実に対する愛を受け取らなかった全ての者は裁かれるために、神から送られた強い妄想によって欺かれるのです。
それはすでに強い妄想が始まったかのように見えることがあります。

私はキリスト教世界を通して広がっているこれら邪悪な者の持つ恐ろしい力より悲しいことは他にないということも知っています。
そして、それは道徳的な、もしくは宗教的には見えますが、教会にとってガンであり、教会の命を食いつくします。
あなたはカルトの恐ろしい深淵から戻ってきたたましいに出会うことは滅多にないかも知れません。
その理由は簡単です。
単に神の福音を聞き、福音を拒否し、拒んでいる人々を絶対的に制御しているサタンの力がそこに働いているからです。
しかし、神に感謝します。
そこには使徒の言葉が彼らに適応されるからです。

「しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。
主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。」

新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第二2章13節

神はそれぞれの者がこれらのみことばを読み、自分が神の子供として見つけることが出来るのなら、その者は聖霊とみことばによって生まれた者です。
その者は十字架の上で成就された栄光あるキリストの御働きによる贖いによって作られた平安の知識にあって喜びに満ちることが出来ます。

2001/9/22 終了


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