メッセージWW 2002/10/14

使徒の働き 注解
by チャールス C. ライリー
(The ACTS of the Apostles )


1、背景

使徒の働きの重要性

使徒の働きに書かれている歴史的事実は疑う余地がありません。
キリストの後、最初の一世紀において、キリスト教に関する事実はこの使徒の働きが主な事実になっています。
しかし、同様に重要な教理の本とも言えます。
後に手紙において、展開されていった教理の種とも言えるものが使徒の働きには書かれています。
その種は育成され、いのちへと形を変えてゆきます。
使徒たちの教理は組織的に宣言され成長していったというよりも、いのちにあって実証されたものです。
つまり、現実が教理なのです。
このように、使徒の働きは復活されたキリストの力にあって私たちに何ができるのかを示しています。
イエスがこの地上において始められたこれらのことがどのように継続されていったのかが使徒の働きには記録されているのです。
キリストは教会のかしらなのです。
同時に私たちに伝道と奉仕の働きの原則を与えています。
つまり、教会という集まりにおける統括の原則を示しているのです。
教会は単に固い土台の上に建てられているだけではなく、迫害下においても広がり続けてきたことを見ることができます。
使徒の働きは何世紀もの間、迫害下の教会のためにもあるのです。

2、著者
医者であるルカは明らかにギリシャ人でユダヤ人ではありません。
コロサイ人への手紙4章12〜14節ではルカは割礼が必要とされる人たちから区別されていました。

「愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。」
新改訳聖書 コロサイ人への手紙4章12〜14節

ルカの生まれた場所は私たちには知らされていません。
しかしながら、シリアのアンテオケ、そして、ピリピなどがたびたび提示されています。
当然のことながら、アレキサンドリア、アテネ、もしくは、タルソのその時代においてもっとも国際的な三つの町のどこかの町でルカは医者としての訓練を受けたのでしょう。
私たちはルカが信じた状況についても知ることができません。
ルカが主なる伝道活動に参加していたことを私たちは認識できるはずです。
しかしながら、ルカは何度も医者としての自分を思い出しています。
ルカの福音書を構成してゆく中で、ルカは自分の働きについても書いています。
彼にはこのように書く資格があったのです。
しかし、ルカは同様に宣教の働きを行っていました。
マケドニア人はルカによって答えを得て、同様にパウロにも答えをもらったのです。
(使徒の働き16章13節、17節参照、使徒の働きの中で、何度も「私たち」という複数の表現が使われています。あきらかに著者であるルカを含んだ表現です。)
ルカはおよそ6年間ピリピの町において、働きに預かっていました。
そして、後にローマにおいて語っています。

「私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。 」
新改訳聖書 ピレモンへの手紙 24節

ルカはパウロの2回目のローマにおける投獄の間もパウロとともにいました。

「ルカだけは私とともにおります。」
新改訳聖書 テモテへの手紙第二4章11節

3、書かれた年代

使徒の働きはパウロがローマに到着して、ローマにて囚人として監禁された記録にて終わっています。
ゆえに、ある人はパウロが最初にローマにて投獄されたていた間、つまり使徒の働きが書かれたのはおよそAD63年頃だと判断されています。
もし、それ以降に書かれたのならば、なぜ、ルカはローマの大火災、パウロの殉教、エルサレムの崩壊のような極めて重大な出来事のことを述べていないのか説明することが難しくなります。
もし、これらの出来事の後に書かれたというのなら、AD70年以降に書かれたことになります。

4、原作者

手短に言うのであれば、使徒の働きの原作者はルカであることが証明できます。
おそらく、3つの線に沿って作成されたと思われます。

(1)はっきり言えることは、使徒の働きの著者はパウロの同伴者であることです。
使途の働きの中で、私たちという表現で始まる箇所があります。
つまり、複数の集まりであり、重要な人物が著者であり、その著者はその時において、パウロの同伴者でなければなりません。
(使徒の働き16章10〜17節、20章5〜21章18節、27章1節〜28章16節)

(2)削除してして考えてゆくのなら、その同伴者はルカということになります。
この箇所で、同伴者を一人一人削除して考えてゆきます。
シラス(15章40節)、テモテ、ソパトロ、アリスタルコ、セクンド、ガイオ、テキコとトロピモ(使徒の働き20章4節)、そして、牢獄書簡においてルカが同伴者であることが示されています。

「愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。 」
新改訳聖書 コロサイ人への手紙 4章14節

「私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。 」
新改訳聖書 ピレモンへの手紙 24節

(3)「私たち」と言っている部分の同じ著者が使徒の働きの残りの他の箇所も、同じ様式をもって書いています。

ルカが著者であったという結論は、使徒の働きの中で医学用語が多く使われていることによって実証されます。
(1章3節、33節、13章11節、28章1〜10節)

5、情報源

ルカはルカの福音書1章1〜4節において、ルカがどのように探求したか、その方法について宣べています。
したがって、ルカの目的は福音書と使徒の働きの両方を歴史的観点から書くことでした。
ですから、注意し調べて書く必要があったのです。
つまり、私たちはルカの著作において書かれた出来事についての説明が正確なものであったと確信することができるのです。
著者によって注意深くすべてのことが調べられた結果に付け加え、聖霊の支配された働きによって、私たちの持つ記録の正確さが保証されているのです。
ルカは使徒の時代に起きた歴史的なさまざまな情報源を使っています。

(1)出来事のいくつかはルカが個人的に目で目撃したことでした。
使徒の働きの中で「私たち」ということばが使われている箇所は、ルカが個人的に参加した出来事が含まれています。
(使徒の働き16章10〜17節、20章5節〜21章18節、27章1節〜28章31節)
パウロとの2回目の伝道旅行でトロアスからピリピに至る旅程における出来事と、3回目の伝道旅行においてピリピからローマに至る旅程における出来事、カイザリヤにおける2年間、ローマにいた2年間がルカの個人的な経験として含まれていることが示されています。
そして、これらの出来事すべては個人的な記憶として思い出され、また、日々可能な限り記録されていたはずです。

(2)ルカは使徒の働きが書かれる前に5、6年間はパウロとともにいました。
パウロはルカに以下の箇所の情報を提供することができました。
(使徒の働き7章、9章、11章25〜30節、13章1節〜16章8節、17章1節〜20章4節)

(3)ルカも他の証言者たちとともに集まり、著作のための材料を集めていました。
シラス、テモテ、テトス、アリストコス、ヤコブ、ピリピ、そしてピリピの娘たちとともにそのための証言を集めていたのです。
(使徒の働き19章29節、20章4節、21章8節、18節 コロサイ人への手紙4章10節、ピレモンへの手紙24節)
ルカはこれらの事実を集めた後に、このように宣言しました。

「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。」
新改訳聖書 ルカの福音書1章3節

ルカは事実を綿密に調べたことを意味していますが、それ以前にすでに彼が厳選された事実を記録し、正確な出来事としてすでに書かれていたことを示しています。
医者の持つ特徴的な技術は、正確な歴史的な説明を書くことの準備において資料となる情報を厳選することに適応されたのです。
そして、もちろん、このすべての働きにおいて、ルカは神の聖霊に導かれていました。
神が私たちに知るべきとする、使徒は詳細な歴史的事実を正しく記録しているのです。


2、復活の主

使徒の働き1章1〜26節

たびたび言われているですが、使徒という名称は「復活された主の使徒」という意味で使うべきです
なぜ、このように考えの変えるべきかは、この最初の章の導入部分において言えることなのです。

「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。 」

新改訳聖書 使徒の働き1章1〜3節

前の記録(ルカの福音書)において、ルカはテオピロ宛に書いています。
はっきりわかるようにテオピロはクリスチャンに改心した貴族です。
ルカはイエスの制限あるからだを持って行い始めたことを記録しました。
この記録(使徒の働き)において書かれているのはキリストの働きの続きです。
キリストは復活のからだを持って40日間、使徒たちによって目撃されたのです。
復活された主の三人の使徒たちがこの章において記録されています。

1、復活された主が弟子たちの考えを修正する。

使徒の働き1章4〜7節

A、奉仕についての修正

「彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

新改訳聖書 使徒の働き1章4〜5節

キリストと弟子たちの会話は40日間、知らされた復活の職務について語られました。
主は神の御国に関連したことを話しています。
明らかに弟子たちは大いに熱狂しました。
そして、弟子たちが主への奉仕を始める前に、主は聖霊が来ることをエルサレムで待つように弟子たちに促しました。
聖霊の働きは弟子たちには知らされていませんが、実際、彼らはそれを経験したのです。

「その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書14章17節

「そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 」」
新改訳聖書 ヨハネの福音書20章22節

しかし、聖霊の働きであるバプテスマを弟子たちはまだ経験していなかったのです。
ゆえに主は言われています。

「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
新改訳聖書 使徒の働き1章5節

弟子たちはすでに奉仕をする準備が出来ていたのです。
(もちろん、この約束が受け取られた後で、弟子たちはそれ以上エルサレムにとどまる必要はありませんでした。)

B、時期に関する修正(6、7節)

「そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。」

新改訳聖書 使徒の働き1章6、7節

ユダヤ人の心はメシアの王国から来ることに期待し長い間惑わされてきました。
ナザレのイエスが歴史の場面に現れた時、多くの殖民地化されたユダヤ人は希望に満ちてイエスに目が釘付けになりました。
しかし、これらの希望はカリバリの丘の石によって打ち砕かれ、ユダヤ人たちはイエスを十字架に付けるため支配者に引き渡したのです。
今、キリストは死者の中からよみがえられ、弟子たちの希望は復興したのです。

「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
新改訳聖書 使徒の働き1章6節

この質問が燃え上がりました。
これは王国(御国)に対する質問であり、主が暗示しています。
その問題の答えは王国が来る時についてです。
しかし、主は答えようとはしていません。
たしかに、王国について多くのことを知ることは必要なことです。
しかし、主はこのように答えています。

「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。」
新改訳聖書 使徒の働き1章7節

2、復活された主の働き

使徒の働き1章8〜11節

A、その働きの性質(使徒の働き1章8節)

王国が来るべき時まで、弟子たちに主を証しするように働きが与えられました。

1、力

その働きの力は聖霊なる方御自身です。
その方はペンテコステの日に弟子たちの上に来られ、彼らにバプテスマを授けました。

2、働き人

その働きは弟子たちによって実行され、すべての者が「わたしの証人」なのです。
(「私に対しての証人」と訳するのが正しいでしょう。)

3、計画

その働きは全世界に出てゆきました。
エルサレムでの使徒たちの証しの記録は1章から7章までです。
そしてユダとサマリアでの記録が8〜12章、当時の世界の果てと言われる場所における記録は13章〜28章です。

B、働きのための必要
この働きは主の昇天を見ている中で与えられました。
9節と10節の中でこの昇天が三つの違った単語によって表現されています。

「こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ(taken up (epaireo))、雲に包まれて(received (hupolambano)---受け入れられ)、見えなくなられた。
イエスが上って行かれる(went up(poreuomai))とき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。」

新改訳聖書 使徒の働き1章9、10節

キリストが昇天される時に、2人の御使いが現われ、キリストの再臨の約束を知らせます。
2人の御使いは同じ方が、同じ方法で帰ってくることを宣言します。
マルコの福音書13章26節では次のように書かれています。

「そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです」
新改訳聖書 マルコの福音書13章26節

このことは将来、成就することです。
この時、主はハルマゲドンの戦いの間に帰って来られ、千年王国と永遠の御国の準備をします。

「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。
その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。
その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。
天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。
この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。 」

新改訳聖書 黙示録19章11〜16節

「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」
新改訳聖書 ゼカリヤ書12章10節

3、復活された主の選び

使徒の働き1章12〜26節

A、選びの必要性

主の昇天の後、弟子たちはオリーブ山の近くからエルサレムに帰って行きました。
(安息日の道程は1マイル未満です。)
2階の部屋に弟子たちは集まっていました。
多くの人はヨハネ・マルコの母、マリアの家だと理解しています。
11人の弟子たち、イエスの母とイエスの兄弟とその他の数人の女性たちを含む、およそ120人の人がともに集まっていました。
イエスの兄弟たちは復活の後に至るまで彼らはイエスを信じていませんでした。

「兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書7章5節

彼らはキリストの昇天から聖霊が来られるまでの10日間の間、祈り、求め続けました。
彼らが祈っていたように、ペテロは立ち上がり、裏切り者ユダの後継者を選ぶことにこころが満たされました。
旧約聖書にはユダの裏切りが預言されていました、ペテロは彼らにそのことばを思い出させたのです。
そして、ユダに代わる者を誰か、選ばなければならなかったのです。

「私が信頼し、私のパンを食べた親しい友までが、私にそむいて、かかとを上げた。 」
新改訳聖書 詩篇41章9節

B、選びの性質(1章21〜26節)

最初にペテロは使徒に必要な資格について宣言しています。

使徒は復活の証人であり、キリストの公の地上の生涯全体において、主とともにいた者でなければなりません。

「ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
新改訳聖書 使徒の働き1章21、22節

二人の候補者が指名されました。
バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤのふたりです。
彼らは主のためではなく、選択することについて祈りました。
しかし、その選びは主がすでに知っておられたことです。
二人の名前がくじに書かれ、そのくじはつぼの中に置かれました。
つぼから最初に落ちてきた名前が、主の選択とみなされたのです。
このくじは旧約聖書の記録と一致しています。

「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る。」
新改訳聖書 箴言16章33節

しかし、この方法はもはやクリスチャンには必要はありません。
クリスチャンには内住された聖霊の働きがあるのです。

「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」
新改訳聖書 ローマ人への手紙8章14節

「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。 」
新改訳聖書 ヤコブの手紙1章5節

このくじはマッテヤの方に落ち、その時から彼は12弟子に加えられたのです。
ここで加えられたのはパウロではありません。

「そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。」
新改訳聖書 使徒の働き2章14節

「そこで、十二使徒は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。 」」
新改訳聖書 使徒の働き6章2節

明らかにマッテヤがマタイの福音書19章28節、黙示録の21章14節の約束に加えられたのです。
しかしながら、のちにパウロは12人の弟子たちと同等の権威が与えられたのは言うまでもありません。


3、ペンテコステ-教会の誕生

使徒の働き2章1〜47節

1、ペンテコステの預言

ペンテコステはレビ記23章に預言されている神の計画による出来事です。
イスラエルは毎年行われる祭りの一番最初に行われるのが過越の祭りであり、イスラエルの子孫のために新しい始めることが教えられています。
これはキリストの型(TYPE)であり、私たちのために過越(犠牲)になってくださったキリストを表わしています。

「新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。」
新改訳聖書 コリント人への手紙第一5章7節

二つ目の祭りはたねなしパンの祭りで7日間続けられます。
この祭りは世から分離して歩み続けるクリスチャンの型です。

三つ目の祭りは初穂の祭りであり、これはキリストの復活の型です。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書12章24節

「しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。」
新改訳聖書 コリント人への手紙第一15章23節

この祭りの50日後にペンテコステの祭りが続けて行われ、週の祭りとも呼ばれています。
それは初穂の祭りの7週間後に行われるからです。

キリストの復活からおよそ50日目の出来事として、ペンテコステ日が使徒の働き2章に記録されています。

1、ペンテコステの力

ペンテコステの力は聖霊なる神の力です。

ペンテコステの力は誰にでも、そしてどんな時にも隠されることのなく働く力です。
ペンテコステの日に、聖霊は来て弟子たちはキリストのからだの中にバプテスマされました。
このようにクリスチャンは復活された教会のかしらに結び合わされたのです。

「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」
新改訳聖書 コリント人への手紙第一12章13節

これはクリスチャンがキリストを信じた瞬間に一度だけ、何かしら個人的に覚えることなのです。
あるクリスチャンのグループはキリストのからだに入れられてから(信じた後に)、聖霊によってバプテスマされると言いました。

「そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。
私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる。』と言われたみことばを思い起こしました。 」

新改訳聖書 使徒の働き11章15、16節

しかし、このバプテスマは個人的に一度だけ覚えるものなのです。
(上記のコリント人への手紙第一12章13節の「バプテスマを受け」はアオリスト形であり、過去に一度だけの行為が示されています。)

ペンテコステの日に弟子たちは聖霊に満たされました。

「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。 」
新改訳聖書 使徒の働き2章4節

時々、弟子たちは繰り返して聖霊に満たされることがあります。

「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」
新改訳聖書 使徒の働き4章31節

「この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び...。 」
新改訳聖書 使徒の働き6章5節

「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て...。」
新改訳聖書 使徒の働き7章55節

「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
新改訳聖書 使徒の働き9章17節

ペンテコステの日には、ヨハネの福音書14章17節に記録されている救い主の約束が成就され、聖霊がすべてのクリスチャンの中に住み、聖霊との永遠の交わりが始まったのです。
まさに本当の意味にあって、聖霊の時代が始まったのです。

A、聖霊の来られた証拠

聖霊の来られた証拠が、風、火、そして、舌によって表わされました。
正確に言うのであれば、この家の中に満ちたのは響き、反響でした。
2節にはこのように書かれています。

「激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。」
新改訳聖書 使徒の働き2章2節

舌が弟子たちは分けたので、この舌が炎のように見えたのです。
そして、舌が彼ら一人一人の上にとどまりました。
ペンテコステの祭りのためにエルサレムにいたさまざまな国からきた者たちによって話される、そして理解される、弟子たちにとって新しい現実のことばをもって、弟子たち一人一人が話し出したのです。
これらの節を自然に理解するのならば、舌というのは特殊なことばではなく、現実にある言語です。
そして、この奇跡はこれらの言語を聞く者たちには理解できたのですが、話すものたちにはその能力が与えられていませんでした。

B、聖霊が来られたことによる影響力

このような驚くべき、不思議な現象は人の目を引くものです。
すぐに多くの人が集まってきました。
ペンテコステは過越の祭り、仮庵の祭りともに三つの祭りの一つです。
この祭りは律法では神殿でユダヤ人が守るように要求されています。
エルサレムは人でいっぱいになっています。
実際、20万人の人たちが神殿の周りに集まってきました。
バビロニア、シリア、エジプト、ローマ、クレタ島とアラビアから集まってきたユダヤ人が彼らの母国語で神のすばらしい働きを耳にしました。
最初に人々は驚きました。
7節にあることばをそのまま訳すのなら人々は「驚きを大きく開いた」のです。
彼らは困惑してしまい、自分たちが何を見ているのかわからなくなってしまったのです。

「人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。 」
新改訳聖書 使徒の働き2章12節

人は「自分たちがどこに行くのか知らない」ということを知っています。
ゆえに、無知はいつも人のこころに吹き荒れ、人はすぐに批判に走りたがるのです。
無知な人たちの出した答えは弟子たちが酔っ払っているという結論です。

「ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。」
新改訳聖書 使徒の働き2章13節

「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。 」
新改訳聖書 エペソ人への手紙5章18節

3、ペンテコステのメッセージ(2章14〜47節)

A、14節から36節にて語られているメッセージは12弟子の代表としてペテロが語っています。
弟子たちが酔っ払っているという疑いがかけられ、ペテロは人々にイエスを語るチャンスを得ました。

1、導入-説明(2章14〜21節)

このメッセージはこの不可解な出来事に対する説明から始まりました。
この出来事は朝の9時から酔っ払っているのではなく、
シナゴーグに仕えているユダヤ人たちは、祭りの日、10時、もしくは正午まで食べたり、飲んだりすることを控えていました。
これは酔っ払っているのではなく、この光景は聖霊の働きによるのだとペテロが語っています。

「今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。」
新改訳聖書 使徒の働き2章15節

聖霊がこのようなことを起こしたことの証明として、ペテロはヨエル書の2章28〜32節までを引用しています。
この預言はイスラエルが自分の国帰り、再建され、千年王国の間に成就することです。
ペテロはペンテコステの日にこの預言が成就した、もしくは一部だけ成就したとは言っていません。
聖霊にこのようなことが起こせる力があることを語ったのです。
ペテロは単純にユダヤ人たちに聖霊の働きであることを認めさせるためにヨエル書を引用したのです。
そして、ペテロは21節に記録されているこの救いの招待を認めさせる目的をもって、ヨエル書から語り続けました。

「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」
新改訳聖書 使徒の働き2章21節

2、テーマ-イエスはメシアである。(22〜35節)

英国の読者にとっては、イエスがメシアまたはキリストであると言うことは小さいことかも知れません。
イエス・キリストとは私たちは苗字、そして名前だというかも知れません。
しかし、ユダヤ人にとってはキリスト、もしくは、メシアという意味は旧約聖書においてはっきりと定義されています。
ですから、ユダヤ人がナザレのイエスという表現を好んで使ったのは、最近、多く現われている単なる一人の人間、もしくは宗教的リーダとして彼らが見ていたからです。
ですから、イエスがキリストというのは彼らにとって冒涜でした。
ペテロが試みていたのは、ユダヤ人たちが良く知っているナザレのイエスが彼らのメシアであることを聞き手である彼らに語っていたのです。
旧約聖書の預言からペテロはメシアの描写を思い出させました。
そして、今起きているこの事実から、ユダヤたちもイエスの姿を描写させ思い出させました。
ペテロはこの二つの描写を互いに重ね合わせて、イエスがキリストであることを証明しました。
そして、この論争の焦点は復活です。
最初にペテロはイエスの復活を宣言しました。

「イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。
それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。
あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。
しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」

新改訳聖書 使徒の働き2章22〜24節

それから、ペテロは詩篇16編8〜11節から復活の預言を思い出させました。

「ダビデはこの方について、こう言っています。『私はいつも、自分の目の前に主を見ていた。主は、私が動かされないように、私の右におられるからである。
それゆえ、私の心は楽しみ、私の舌は大いに喜んだ。さらに私の肉体も望みの中に安らう。
あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。
あなたは、私にいのちの道を知らせ、御顔を示して、私を喜びで満たしてくださる。』
兄弟たち。先祖ダビデについては、私はあなたがたに、確信をもって言うことができます。彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあります。
彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていたのです。」

新改訳聖書 使徒の働き2章25〜31節

ペテロは墓からよみがえったのはダビテではないことを示しました。
ゆえに、この箇所でダビテが語っているのは、誰か他の者です。
そうです、メシアのことです。
詩篇でダビテがキリストの復活を前もって語っていたペテロは主張しているのです。
キリストの復活を宣言し、メシアはよみがえることを示したのです。
ペテロはイエスの復活を証明し、用いて、自分の主張していることをより強く証明したのです。

「神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。
ダビデは天に上ったわけではありません。彼は自分でこう言っています。『主は私の主に言われた。
わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』
ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」 」

新改訳聖書 使徒の働き2章32〜36節

ペテロはユダヤ人たちに目で見た奇跡を思い出させました。
そして、私たちはペテロがこの町に住み人々に、わずか2ヶ月にも満たない前に起きたことについて語っていることを思い出す必要があります。

2番目に、ペテロはイエスが神の右の座に上げられたことを引用しています。
これは二つの否定的な問題に対する答えです。
単なる人間がそのような誉ある場所に行くことができますか?
もしくは、死んだ人が誉れを受けることができるのでしょうか?
3つ目の復活の証明は聖霊が注がれたことです。
それはイエスが単なる人間ではなかった証拠です。
そして、イエスは本当の意味おいて死んではいないのです。
それはイエスがメシアである証拠なのです。

3、結論-その適応(36節)

メシアの描写とイエスの描写と一致します。
イエスの復活の事実について、反論の余地はありません。
そして、ペテロは真正面から自分の語っているメッセージは決定的な真実であること聞き手に宣言したのです。

B、その結果

1、確信

「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。 」
新改訳聖書 使徒の働き2章37節

「刺され」と訳されているのはことばの意味は「ピアスされ」です。
ちくりと鋭く、唖然とするほど、打たれたのです。
聖書以外では、馬がひずめで地面をくぼませるという時に使います。
人々のこころは鋭くみことばが語られることによって打たれたのです。
彼らのこころにこのような質問が起きました。

「私たちはどうしたらよいでしょうか。」
新改訳聖書 使徒の働き2章37節

2、変化(38〜41節)

ペテロの答えはこれです。

「「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」
新改訳聖書 使徒の働き2章38節

ここには二つの方面から見た要求があります。
一つは自己(考え)に対する変化、もう一つは交わりにおける変化です。
自己(考え)に対する変化とはつまり、「悔い改め」です。
その悔い改めは単なる罪に対する悲しみを言っているのではありません。
もちろん、そのことも含んでいるでしょう。
もしくは、事実に対して精神的な同意を求めているのでもありません。
このような種類の自己(考え)に対する変化は、いのちにある(生活における)変化に至るでしょう。
おそらく、「こころの変化」という表現が一番良いかも知れません。
ローマ人への手紙2章5節では「悔い改めのない心」として、「自己(考え)を変えないこころ」を描写しています。

「ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。」
新改訳聖書 ローマ人への手紙2章5節

これらの人々への悔い改めはナザレのイエスについての考え方全体を変えなさいということです。
それはイエスが単なる大工の子ではなく、もしくは宗教的に騙そうとしている者でもなく、今、キリストを主(神)として、キリストとして受け入れなさいということです。

次の変化は彼らの交わりに関係することであり、バプテスマによって証しされるものです。
これは悔い改めの目に見える証しです。
バプテスマにいくつもの種類があるのではありません。
バプテスマはイエスキリストの御名によって行われるのです。
(しかし、バプテスマのヨハネに働きについてのバプテスマと、ユダヤ教に改宗した者たちが受ける儀式の一つとしてのバプテスマは、ここにいる人たちには良く知られていることでした。)
ゆえにバプテスマは、メッセージ、集まり、個人がバプテスマの権威を認める行為なのです。
イエスキリストの御名によってバプテスマされるということは、ユダヤ教の交わりから切り離されることを意味し、そして、イエスについてのメッセージとイエスにある人たちと結びつくことを意味しています。
バプテスマ、それは区切りの線なのです。
今日においても、ユダヤ人はクリスチャンの証しを受け入れたり、クリスチャンに目を向けたり、もしくは新約聖書を受け入れたりしません。
つまり、水のバプテスマを受け入れるということはユダヤ人社会からの締め出し、そして、クリスチャンとして切り離されることを意味します。
このことは慣習上の強要である事を説明しています。
41節では同じ日に3000人の改心者が起こされたことが書かれています。
それはエルサレムには120人の弟子たちの助けとともに、救われるべき非常に多くの者たちがすでに存在していたということを教えています。
このバプテスマは「罪を赦していただくため」に行なわれたのです。
しかし、私たちがバプテスマを行うのは罪が赦されるためではないことをはっきりしておかなければなりません。
新約聖書のどこを見ても、私たちはキリストにある信仰の結果として罪は赦されたのです。
バプテスマの結果ではありません。
しかし、ここにあるバプテスマは「罪を赦していただくため」に行われているのです。

ギリシャ語の前置詞"eis"は「なぜなら(という理由で)」という意味があるます。
この用法で使われているのはここだけではなく、マタイの福音書12章41節においても使われています。

「なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。」
新改訳聖書 マタイの福音書12章41節

決して、「その目的のために」という用法では使われていません。
「その結果に至る」という意味なのです。
悔い改めはペンテコステの日にあって、群衆に罪の赦しに至らせました。
それは彼らが悔い改めを受け入れ、バプテスマを受け、キリストをメシアと認め、ユダヤ教から切り離され、キリストにある信仰を受け入れ、罪の赦しへと至ったからなのです。
(38節にあるギリシャ語は優れた教科書である"Robertson's Word Pictures in the New Testament, III P35-36"の中で教えられています。)

3、教会(42〜47節)

「教会」ということばは使徒の働き5章11節において、初めて明らかにされることばです。
そのクリスチャンの教会である交わりの形は、ペンテコステの日において初めて形成されました。
2章27節には「仲間」という表現(KJV訳では"church")がありますが、教会ということばではありません。
この集まりは4つのことにおいて特徴付けられています。

(1)使徒たちの教育
この教育はイエスが生きておられる間、何を教え、現実に何が起きたかを中心に教え、成されていました。

(2)交わり
この意味はキリストにある霊的な祝福と生活に必要な物質を分かち合うことを示しています。

(3)パン裂き
このパン裂きは主の晩餐において主を覚えることを目的としています。

(4)祈り

その交わりの結果として4つのことがあげられます。
(1)誰の上にも恐れがありました。

「そして、一同の心に恐れが生じ...。」
新改訳聖書 使徒の働き2章43節

これはクリスチャンの健全な感情に起きる、通常の思いです。

「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。 」
新改訳聖書 ペテロの手紙第一2章17節

使徒たちの行う驚くべきしるしによって、多くの者たちがはっきりと勇気付けられたことにより、彼らの思いが健全であることが証明されます。

(2)物質的な交わりは、初代のクリスチャンたちの喜びとなりました。

「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」

新改訳聖書 使徒の働き2章44〜47節

疑うことなく、ペンテコステの祭りにエルサレムに残った多くの巡礼者がいたことがわかります。
彼らはキリストにある新しい信仰をより学ぼうとしていたのです。
そして、そこに経済的な必要が生じたのも言うまでもありません。

(3)すべての人々ともにこの新しい集まりによって喜びが生じました。(47節)

(4)主によって毎日救われる人々をこの仲間に加えられ、この集まりはその御業を促進しました。
ペンテコステは過ぎました。
教会はまた、別のペンテコステを必要としていません。
今は、すべての聖霊の力を可能とすることができます。
教会の必要はよりクリスチャンが熱心になることです。
彼らは使徒の教え、交わり、パン裂きと祈りを固く守っているのです。


4、なえた人のいやし

使徒の働き3章1〜26節

使徒の働き2章43節には使徒のしるしと驚くべきこと行われたと述べられていますが、その一つが3章の中に詳細に描写されています。
このしるしが選ばれ記されたのは、公に行われたしるしであり、初期の教会の前進に大きくかかわっていたからです。

1、奇跡(1〜11節)

A、状況(1〜3節)

この奇跡が取り囲んでいる状況は二つの習慣がかかわっています。
ペテロとヨハネの持つ習慣の一つには神殿に行く(未完了時制)ことでした。
また、他の者たちは足のなえた人を神殿に哀れみを請うために運ぶ(同様に未完了時制)ことでした。
新しい教会が形造られたのに、弟子たちは神殿に礼拝に捧げ続けていたのです。

「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。 」
新改訳聖書 使徒の働き2章46〜47節

B、特徴(4〜7節)
この奇跡は予想外の出来事でした。(4〜6節)
そして、哀れみを求める男に対しての哀れみでした。
いやしは受け取られたのです。
その奇跡はイエスキリストの御名によって行われました。(6節)
名前はその人を主張します。
ゆえに、キリストの御名には、キリストの力があるのです。
奇跡は瞬時に行われ、完全でした。(7節)

「彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。 」
新改訳聖書 使徒の働き3章7〜8節

その男は部分的に癒されたのではありません。
完全にです。
「強くなり」とは聖書の言語("esterewyhsan")では医学用語です。

C、この奇跡の結果として三つのことが起こりました。

最初にこの男は喜びで満たされました。
その男は自分の足と骨が強くなったことを理解するとすぐに飛び跳ねました。
次に、神は賛美を受け入れているということです。
その男はペテロとヨハネともに神殿に入ってゆき、神が行った御業のゆえに神を賛美しました。
彼ははっきりとこの御業の根源がどこにあるのかを認識していました。
三番目に回りにいる人たちへの証言です。
この男は周りにいる人たちに良く知られていました。
彼は何年もの間、同じ場所で物乞いをしていた男だからです。
その男が今、飛び跳ね、歩いているのです。
このことは神殿にいた人たちに驚きを起こしました。
すぐに群衆は神殿の南側、東端の中庭に集まってきてきました。
その中庭はソロモンの廊として知られている場所です。
この肉体的な癒しは、正しく霊的な癒しの描写として見ることが出来ます。
この足なえの男は助けのない、希望のない罪人の優れた描写として用いることが出来ます。
この男はただイエスキリストの御名には希望があることを信じただけです。

「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 」
新改訳聖書 ローマ人への手紙5章6節

「そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。 」
新改訳聖書 エペソ人への手紙2章12節

クリスチャンがキリストに信仰を置く時、同時に救いが完成され、罪人に喜びが至り、神を賛美し、他の者たちに証しをします。

2、メッセージ(12〜26節)

A、導入(12節)

ペンテコステの日のように、ペテロはその起きた状況を用いました。
もしくは、ペテロは癒された男を実物教育の材料として、集まってきた人たちへのメッセージの導入として使いました。
ペテロは彼らが何が起きたか驚いたからではなく、彼らがどのようの起きたかの無知さゆえに彼らを非難しました。
ペテロやヨハネにはこのような奇跡を行う力がないからです。

B、テーマ(13〜18節)

ペンテコステの日にペテロの語ったメッセージのテーマは、あなたがたの殺したイエスはメシアだということです。
そして、最も注意する点は、ペテロが癒したこの足なえの男が姿を変えたということです。
この同じペテロが2ヶ月前にイエスを否定し、今、イエスに立ち向かう同じ群衆に対して立っているということです。
このメッセージのテーマは主を語ることにより、キリストについての五つの方法と五つの声明によって構成されています。
この五つはこのように構成されています。

(1)しもべ(13節)
この表現は旧約聖書のしもべとしてもメシアが、ナザレのイエスであることがすぐにでも理解できる表現です。
(イザヤ書42章1〜9節、49章1〜13節、52章13〜53章12節)
そして、ペテロの強調点は国を支配する支配者としてではなく、苦しむしもべとして強調しているのです。

「しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。 」
新改訳聖書 使徒の働き3章18節

(2)イエスはメシアとして紹介していますが、彼はこの群衆にも良く知られたナザレの人でした。

(3)&(4)聖い方として、神と同等の方として紹介され、イエスの神性が語られています。

(5)いのちの君という意味はいのちに権威者、指導者という意味があります。
(ヘブル人への手紙2章18節、12章2節参照)

「いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。 」
新改訳聖書 使徒の働き3章15節

「そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。 」
新改訳聖書 使徒の働き5章31節

ここにある主についての声明は次のことです。

(1)イエスは栄光を受けました。

「そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。」
新改訳聖書 使徒の働き3章13節

(2)人々が引き渡したのはこの方です。

「あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。 」
新改訳聖書 使徒の働き3章13節

(3)この方は偽の訴えを受けました。

「そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。」
新改訳聖書 使徒の働き3章14〜15節

(4)この方は殺されました。

(5)しかし、私たちが知っている通りに神は死者の中からこの方をよみがえらせました。

「いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。 」
新改訳聖書 使徒の働き3章15節

ペテロはその時、これらの答えを引き出した後で、根本的な問題について答えました。
どのようにして、このなえた人が癒されたのか?
それはイエスの御名を信じる信仰を通して、この奇跡が実現したということです。

C、結論(19〜26節)

ここにある悔い改めの命令は避けられないことであるとの証明が、唯一の結論なのです。
ここにいるユダヤ人はイエスについての考えを変える(悔い改める)ように求められたのです。
彼らは永遠の命を得る方法を変えなければなりません。
それは主に立ち返ることなのです。
ペテロはここで、もし彼らが悔い改め、彼らの罪が赦されることを、そして、主がイスラエルに成された約束である王国を立て上げるために帰って来られることを約束しました。
ゆえに、王国について約束が、いくつかの違った問題が引き起こしました。
「もし、彼らは悔い改めるのなら王国が来るのですか?」という問題です。
その答えは与えられる必要がありません。
疑うことなく、その時にはイスラエルの人々は悔い改めるのです。
しかし、それは神の計画によるのであって、逆説的な問題にしてはならないのです。
さらに、イスラエルの人々の悔い改めが罪の赦しに至るのであれば、彼らは最終的に王国への案内役となるのです。

20節にある「回復の時」と21節にある「改まる時」は同義語であり、千年王国であることを証明しています。
しかし、その王国は私たちの上には来ません。
個人的な悔い改めと切り離して考えなければなりません。
ここで言われているのは、ユダヤ人がキリストの宣教を拒むことがどういうことかを話しているのです。

「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
新改訳聖書 マタイの福音書4章17節

そして、この日、同じことが、ペテロの宣教を拒否することにより行われたのです。


5、迫害の始め

使徒の働き4章1〜37節

使徒たちの教会において迫害とは祝福でした。
11年の間に5回、エルサレムある教会を悩ませるために迫害の手が伸ばされました。
この章は、いくつかの迫害の中の最初の迫害が、教会の力を増加させる結果になったことを記録しています。
AC30年代前半、場面はエルサレムです。

1、迫害

A、ろうや(1〜4節)

パリサイ人の反対は福音書において主要な出来事です。
使徒の働きにおいて、クリスチャンに反対するのは主にサドカイ人です。
それはサドカイ人が復活の教理を信じていないからであり、使徒たちはその教理を力強く語っていたのです。
どれほどの激しい憎しみがあったのでしょうか?
サドカイ人が使徒たちを逮捕するために、神殿の高い地位者たちを連れてきたことによってわかります。

「彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが...。」
新改訳聖書 使徒の働き4章1節

使徒たちがメッセージを語ることは、彼らが死の味を経験することでした。
しかし、それは他の多くの者たちにとって、それはいのちの味であり。エルサレムにおいて、総数5000人ものクリスチャンが増えていったのです。
このような数が記された、最後の記録です。

B、メッセージ(5〜12節)

権威を持つ聴衆は、この時にペテロのメッセージを聞きました。
アンナス、彼はユダヤ人の目から見てアロンの代表者とも言える立場にありました。
そして、現実に大祭司として力を持っていました。
カヤパ、彼はアンナスの義理の息子であり、ローマによって任命された大祭司でした。
ヨハネ、アレキサンデル、彼らは際立った人物だったのでしょう。
民の指導者、長老、学者たちが現われました。
これらの人たちはエルサレムにおいて宗教的に上級社会の人物だったのです。
ゆえに、彼らはコントロールされ、そして祭司として裕福な者たちでした。
彼らの質問は簡単な質問です。
どのように足のなえた人が癒されたかです?
神の聖霊はペテロに満ち、ペテロを通してメッセージを語りました。
そのメッセージギリシャ語の92のことばを使って語られました。
この時、ペテロはサンヘドリンに対して、反撃を加えました。
この短いメッセージはこの奇跡は犯罪ではなく、良い行いであること認めさせようとするものでした。
ペテロはこの奇跡が起きたのは彼らが憎んでいるナザレ人の名によって行われ、彼らが十字架に架けた責任を強く問いかけたのです。
そして、神はキリストを死人の中からよみがえらせたのです。
ペテロはメシアが拒まれることが旧約聖書に預言されているという事実に目を向けさせました。(詩篇114編22節参照)

「あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。」というのはこの方のことです。」
新改訳聖書 使徒の働き4章11節

そして、ついに、同じ御名において、彼らに救いを提供したのです。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
新改訳聖書 使徒の働き4章12節

C、刑罰

ペテロとヨハネが不在になった間、サンヒドリンでは彼らの行った奇跡が否定できないことを認識しなければならない状況になっていました。
サンヒドリンにいる者たちが問題にしているのは、キリストの復活の教えが広がないようにすることでした。
彼らはペテロとヨハネがこれ以上キリストの御名によって語らないように要求することでした。
使徒たちの答えは単純です。

「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
新改訳聖書 使徒の働き4章19、20節

13節にある「無学な、普通の人」という意味は単にラビの神学校で正式に訓練されていないということです。
同じ節にある「ふたりがイエスとともにいた(いる)のだ、ということがわかって来た」というのは、霊的にいっしょにいることを言っているのではなく、肉体的にいっしょにいたということを述べているのです。
実際、彼らはキリストの生涯の最後の週まで交わりがあったのです。

2、力(23〜37節)

23〜31節において、祈りを使うことは正しいことです。
弟子たちが脅された後、祈りのために自分たちの集まりに帰ってゆきました。
最初に彼らは「主」としての神をついて述べています。
ここで使われている「主」ということばは、たびたび使われていることばではなく、君主という英語からきた「主」です。
ここではしもべと師との絶対的な関係を示すために使われています。
(テモテの手紙第一6章1〜2節、テトスの手紙2章9節、第一ペテロ2章18節参照)
二番目に彼らは神の力を彼らが認識したことを示しています。
三番目に彼らは神の計画と知り、あえてその計画を受けたのです。
彼らが祈っていると聖霊は詩篇2編の意味を彼らに明らかにしました。
その詩篇はキリストの十字架を表わしているのです。

「なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。
地の王たちは立ち上がり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。」

新改訳聖書 使徒の働き4章25、26節

ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民の行った責任が問われます。
そして、人間としての責任はあらかじめ定めれた神の計画に組み込まれていました。

四番目に彼らは懇願を神に表わしました。

「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。
御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。」

新改訳聖書 使徒の働き4章29、30節

さらに、この切迫した状況において、単なる懇願ではなく、祈りが賛美とともに満ちたのです。
しかし、彼らは大胆さを求め、奇跡によって大胆に確信したのです。
彼らは主にこの脅しを取り去ってください、もしくは悪口が言われないようにとか求めていません。
しかし、彼らは大胆さを求め、証し続けられること、また、しるしと驚くべきことによって、彼らのメッセージに確信が持てることを求めたのです。
その答えは聖霊のもう一つの満たしとともに与えられました。
その時、聖霊は彼らのいる場所を揺るがすことにより、目に見える証しをなさったのです。

「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。 」
新改訳聖書 使徒の働き4章31節

その時、彼らはもう一度聖霊に満たされ、神の言葉を大胆に語りだしたのです。
(それはペンテコステの日のようです。)

B、金銭の正しい使い方(32〜37節)

「お金はものを言います!」
それは初代教会において起きました。
交わりは増えてゆき、個人的な同意によって共通のものを持ついう必要が生じました。
これはキリスト教的共産主義ではありません。
財産を売るということはまったく個人的な行為です。

「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。 」
新改訳聖書 使徒の働き4章34、35節

物を所有するという権利は別に廃止されたわけではありません。
個人的に使徒たちに差し出すまで、この共同体はお金をコントロールしていたのではありません。
この分配は均等に行われたのではなく、必要に応じてなされたのです。
このことはクリスチャンの施しのもっとも素晴らしい描写となりました。
この良き交わりの大きな部分を担いだ一人にバルナバがいます。
彼はキプロス人で、裕福な者であることが証明されており、使徒とも呼ばれていました。

「これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて...。」
新改訳聖書 使徒の働き14章14節

そして、バルナバの持つ霊的な賜物は奨励されるものです。
しかし、バルナバはここでキリストに支配されこころの持つ愛の優れた実例として、他の兄弟たちに気をかける者として写し出されています。


6、純度、清め、そして迫害

使徒の働き5章1〜42節

1、純度(1〜11節)

「なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。」
新改訳聖書 ペテロの手紙第一4章17節

悪魔は教会の外から攻撃し、復活のメッセージを妨害しようと試みていますが、成功はしていません。
ですから、悪魔は教会の内から攻撃を始めたのです。
しかし、神は教会のメンバーの弱い者から清めることにより、証しの清さを保とうと介入したのです。
時には、増えることより、減ることが良いということも有るのです。

A、機会

バルナバの寛大さは教会の中において、疑いなく賞賛されるべきものでした。
この設定はアナニヤとサッピラとに考えを起こさせたのです。
この二人はわずかに土地を持ち、そして、賞賛を欲しがりました。
彼らは財産を売り、単純にすべてを売ったかのように見せたのです。
彼らはそのすべてを受け取り、教会に持ってきたのです。
その罪は偽善です。
別にその総額を差し出しように要求などありませんでした。
彼らは正直に知らせることを決断すべきでした。
彼らは単純に自分たちが行ったこと以上に、キリストに対して献身的に見せようとしたのです。
ゆえに、彼らは裁かれたのです。

B、手術

神はこの集まりにあるガンを手術し、切り出しました。
ペテロは神によってなされたことを教え、さばきだとは呼んでいません。
しかし、罪を指摘しています。
ペテロは聖霊に対して逆らうことを罪として診断しています。
神は肉体的な死によってさばいたのです。
すべての罪はさばかれます。
しかし、神は常に同じ方法を使って、さばきを選ぶとは限りません。
神が静かにしているのは、決して神が同意しているのではありません。
神は人々の罪を憎んでいます。
このこの実例を憎んで実践したように、今日においても実践されています。
だとしても、新約聖書の時代においても、肉体的な死は通常ではありえないさばきの結果としてみることができます。

「そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。 」

新改訳聖書 コリント人への手紙第一11章30、31節

「だれでも兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば神はその人のために、死に至らない罪を犯している人々に、いのちをお与えになります。死に至る罪があります。この罪については、願うようにとは言いません。
不正はみな罪ですが 、死に至らない罪があります。」

新改訳聖書 ヨハネの手紙第一4章17節

C、結果

この清めの結果として、すぐに起きた三つの結果があります。
最初に、教会の純粋性は無傷で守られました。
次に、健全と、神を恐れることが浸透した集まりとなりました。
まっすぐな歩みを喜びとしないということは、キリストに従う者にとって非常に危険なことです。
三番目に新しい力はクリスチャンによって経験されました。
しるしとおどろきは実践され、多くの人々が主へと加えられました。

「そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。」
新改訳聖書 使徒の働き5章14節

教会のいすが罪を犯したクリスチャンで満たされたことがあるかもしれませんb。
しかし、教会の証しの力が活力を持つということはありえません。
個人的に純度を保つということ意外に教会の活力を保つ方法はありません。
しかし、それにはコストがかかるのです。

2、迫害(12〜42節)

A、序曲(12〜16節)

いくつかの教会の外で起きたことは、二番目の迫害を導きました。
一つは奇跡が使徒たちの力によって働いていることです。
もし、このメッセージを証明しようとするならば、サドカイ人の攻撃の的となりました。
もう一つのクリスチャンたちとは一致していたが、クリスチャンから離れて身を置く者でした。。

「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。」
新改訳聖書 使徒の働き5章12節

三つ目はクリスチャンの仲間に加えられ成長する集まりです。
このことはユダヤ人の指導者たちを警戒させました。

B、留置場(17〜21節)

再び、サドカイ人たちは復活のメッセージを聞いて怒りました。
彼らは使徒たちを留置場に投げ込みました。
翌朝、サドカイ人たちはともに集まり、使徒たちを試み、そして滅ぼしてしまおうと集まって相談していました。
しかし、神には別の計画があったのです。
主の御使いを留置所の扉を開けるために送り、もう一度メッセージを語るように命令しました。
まさに、彼らにそのことをさせるために留置所の中に入れたのです。
使徒たちは十分に服従しました。
翌朝、早く、使徒たちに宮に入り、再びメッセージを語ったのです。

C、メッセージ

サンヘドリンが囚人を迎えに行きましたが、留置場にはだれもいませんでした。
しかし、そこにいた者は囚人たちは自由になり、宮で再び教えていると言ったのです。
パリサイ人たちは彼らをもう一度捕まえ、二つのことを言い渡しました。
一つは、「イエスの御名によって教えてはならない」と言った、命令に不従順であったこと、二つ目は「サンヘドリンにイエスの死についての責任を負わせようとしている」という不満でした。
これに対して、ペテロの答えは単純に、「人に従うよりも、神に従うほうが優先する」とl答え、彼はもう一度、彼らにメッセージを語り機会を得たのです。

「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。」
新改訳聖書 使徒の働き5章29節

また、32節にある言葉はある特別なクリスチャンの集まりのことを指しているのではなく、信じることにより従うすべての者に聖霊が与えられているのです。

「私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」
新改訳聖書 使徒の働き5章32節

「ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。」
新改訳聖書 ローマ人への手紙1章15節

聞き手に対する影響は怒りという形で表われました。
これは悔い改めではありません。
昨夜、牢獄において、神は超自然的な方法を使いました。
今、神はごく普通の方法を使っています。
この評議会の一人は最も著名な律法の教師です。
ガマリエルは使徒たちへ害を加えようとする行為から彼らを守りました。
いずれにしても、ガマリエルは手を出すべきではないと言いました。
彼は使徒たちの語るメッセージが何を要求しているのかを探求し、この問題を避けようとしたのです。
ガマリエルは過去にあった二つの出来事を思い出しています。
先ごろチゥダが立ち上がり、彼らが神から出たのではないので散らされたことを思い出し、イエスも同様に散らされると結論付けました。

D、滅び
サンヘドリンはその意見に賛成しましたが、前に使徒たちへ命令したことを守らなかったゆえに、彼をむち打ちました。

「もし、その悪い者が、むち打ちにすべき者なら、さばきつかさは彼を伏させ、自分の前で、その罪に応じて数を数え、むち打ちにしなければならない。
四十までは彼をむち打ってよいが、それ以上はいけない。それ以上多くむち打たれて、あなたの兄弟が、あなたの目の前で卑しめられないためである。 」

新改訳聖書 申命記25章2、3節

そして、サンヘドリンは使徒たちを自由にし、使徒たちはそれぞれの家、そして、宮において、日々、福音とキリストの教えを語り続けました。
彼らは主のために苦しむ価値を喜んでサンヘドリンを離れて行ったのです。
復活された主の偉大な働きを果たすことは、重要な目的を持つ事を使徒たちは学んだのです。


7、神とともに働く

使徒の働き 6章1〜7節

A、理由 1〜2、4節

旧約聖書は律法において、やもめは常に神からの特別な心遣いを得ていました。
彼らの多くはキリストを信じ、新しい教会に対する責任を担いました。
ヘレニズム文化の影響を受けたあるユダヤ人たち(彼らは元々、パレスチナの外からきたギリシャ語を話すユダヤ人です)と他のパレスチナに住むユダヤ人たち(彼らはヘブル語を話し、ユダヤ教の習慣に従っていました)がその教会にはいました。
前者のグループはやもめが日々の生きてゆくための金銭の分配において、無視されてことに気がつきました。
律法にかなおうと、かなうまいとその訴えは働き人に付加された重荷の一つになりました。
使徒たちに降りかかった仕事は増大し、重荷となっていましたが、やもめたちの問題がその重荷と結びつきました。
使徒たちはみことばの働きとやもめたちを守るために働きを続け、主のために必要な新しい働き人を任命しようと提案しました。

B、資格

五つの資格が要求されています。

(1)この仕える人(執事)という言葉はギリシャ語で特定の意味があり、男性を示す言葉です。

(2)彼らはクリスチャンでなければなりません。
「兄弟たち。あなたがたの中から」ということばが使徒の働き6章3節にあります。
部外者は教会の政治にかかわることはできません。

(3)彼らは評判の良い人でなければなりません。
この意味は「素直な報告」という意味です。
外から見ても彼らは素晴らしい性格を持つ者でなければなりません。

「また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。 」
新改訳聖書 テモテの手紙第一3章7節

「良い行ないによって認められている人、すなわち、子どもを育て、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、すべての良いわざに務め励んだ人としなさい。」
新改訳聖書 テモテの手紙第一5章10節

「監督は神の家の管理者として、非難されるところのない者であるべきです。」
新改訳聖書 テトスの手紙1章7節

(4)彼らは聖霊に満たされている者でなければなりません。

これは当たり前のことですが、教会の見方が不確かな者であってはいけません。

(5)彼らは賢い者でなければなりません。
彼らは知的な性格を持つものであり、同様に聖霊の知恵を持つ者でなければなりません。

C、結果

たくさんの者が使徒たちによって、公にされた資格によって満足され、7人の男たちを選びました。
7人の者すべての名前がギリシャ名です。
しかし、彼らすべてがヘレニズム(ギリシャ文化に影響を受けた非ギリシャ人)のユダヤ人であるとは限りません。
彼らは不満を持つヘレニズムのユダヤ人に興味を持たれ、選ばれたのは事実でしょう。
使徒たちが命令し、選んだのも事実でしょうが、使徒たちは多くの者が選び、7人の者が最終的に残されました。
使徒たちは、働きにおいて彼らと交わりを持つ証しとして、彼らの上に手を置きました。

「その人はささげ物の頭の上に手を置き、会見の天幕の入口の所で、これをほふりなさい。そして、祭司であるアロンの子らは祭壇の回りにその血を注ぎかけなさい。」
新改訳聖書 レビ記3章2節

この行為を通して、使徒たちは自分たちと同様に七人の働きを見るようにと自覚を促したのです。
神の働きの結果として、単純に多くの人が増えてゆきました。
それは使徒たちが多くの時を祈りに費やしたからです。

「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。 」
新改訳聖書 使徒の働き6章7節

多くの者が教会に加えられてゆき、その中に祭司たちの集まりも含まれていました。

たしかにこの節は最初の執事が選ばれ記録していることが理解できます。
それは、この2節にある「仕える」ということばは私たちが使っている名詞「執事」ということばの名詞から来ている動詞なのです。
しかし、どのようであっても、このことばが執事の集まりが建て上げられたことを巧みに示しているとか、使徒たちに繰り返し仕える者として通常は使われているということを示しているかは問題です。
(1章17、25節、6章1、4節、11章29節、12章25節、19章22節、20章24節、21章19節 参照)
おそらく、この7人は執事の集まりというよりは助け手と呼ばれていたはずです。
しかし、この集まりはパウロの最初の投獄によってはっきりと前進的に歩んだのは知られるところです。

「キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。」
新改訳聖書 ピリピ人への手紙1章1節

8、最初の殉教者

使徒の働き6章8節〜8章1節

今、私たちの目は七人のうちの一人であるステパノに目を向けます。
彼の名前の意味ははっきりと「冠」であり、彼は最初の殉教者の冠をかぶる最初の者となりました。
また、ステパノはペテロとパウロをつなぐ、歴史的な結びつかせる役を果たしました。
ステパノの石打の場面において、パウロのことが最初に述べられているからです。

1、民の暴動 6章8節〜7章1節

ステパノは執事でしたが、同様に神のみことばに仕える働きに責任を持っていました。
また、そのことは不思議なわざとしるしによって確証されています。
ステパノの働きははっきりしており、特にエルサレムにいるヘレニズムのユダヤ人にみことばを伝えることでした。
9節を見るのならば、約5つのシナゴーグにこのユダヤ人たちがいたことがわかります。

「ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。」
新改訳聖書 使徒の働き6章9節

これらの信じていないユダヤ人は人々にいろんな方法を用いて、暴動を起こさせることが可能な人たちであり、サンヘドリンへとステパノを訴えることのできる人たちでした。
二つの方面から訴えられています。

(1)ステパノは宮に反抗したことを話している。
(2)彼はモーセの律法を変えようとしている。
この二つの訴えはステパノに冒涜者としてのレッテルを張りました。
ステパノがその答えを持つものとして、御使いのように彼の顔が輝いたのです。

「それから、モーセはシナイ山から降りて来た。モーセが山を降りて来たとき、その手に二枚のあかしの石の板を持っていた。彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。
アロンとすべてのイスラエル人はモーセを見た。なんと彼の顔のはだが光を放つではないか。それで彼らは恐れて、彼に近づけなかった。

新改訳聖書 出エジプト記34章29、30節

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 」
新改訳聖書 コリント人の手紙第二3章18節

2、ステパノのメッセージ 7章2〜53節

このメッセージは使徒の働きにおいて記録されているもっとも長いメッセージです。
そして、パウロの三つのメッセージと同様に長いメッセージであり、イエスキリストに対しての要求を主張することができるものです。
しかしながら、イエスキリストの名は52節だけに使われています。
このメッセージの目的は51節に見ることができます。

「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。 」
新改訳聖書 使徒の働き6章51節

ステパノは単純にユダヤ人の歴史の事実を引用し、証明しただけのことです。
このクライマックスはこの時代において、イエスキリストを拒んだということです。
ステパノは最初にアブラハムの歴史から引用しました。(2〜8節)
アブラハムのゆえに、すべてのユダヤ人がアブラハムを知っており、その子孫に対する約束がアブラハムに与えられているからです。
次にステパノはヨセフの歴史へと移りました。
それはヨセフがキリストの良きタイプとして表わされているからです。
ヨセフはねたまれ、売られました。
しかし、神はヨセフとともにいました。

「ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。 」
新改訳聖書 マルコの福音書15章10節

「それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。 」

新改訳聖書 使徒の働き10章38節

ヨセフの時代に飢饉がありました。
これはイエスの時代の状態をよく表わしています。
そして、次にヨセフが兄弟たちの前に現れた時、まさにこれは私たちの主が地上再臨されることを表わしており、この時、イスラエルはキリストを認めるのです。
それから、ステパノはモーセについて話しました。(17〜38節)
ステパノに対する訴えはモーセに関連し、ステパノにレッテルを貼られていたからです。
ステパノはモーセがいかに、最初に彼自身、この民に拒まれながら、救う者として立てられたのか、そして、いかにモーセがキリストが来られることについて預言したかでした。
しかし、モーセに続いて、この民は背教へと至るのです。
その一方モーセは律法を受け取りますが、民は金の子牛を作っていました。
そして、彼らは「モロクの幕屋とロンパの神の星」を拝んでいました。

「そのころ彼らは子牛を作り、この偶像に供え物をささげ、彼らの手で作った物を楽しんでいました。
そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の星に仕えるままにされました。預言者たちの書に書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣と供え物とを、わたしにささげたことがあったか。
あなたがたは、モロクの幕屋とロンパの神の星をかついでいた。それらは、あなたがたが拝むために作った偶像ではないか。」

新改訳聖書 使徒の働き6章41〜43節

ステパノはソロモンとその神殿の時代へと話を進めました。
それは、彼が宮を中傷したという訴えのゆえです。
ステパノは人々に神は人の手によって作られた宮などに住まない事を思い出させました。

「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」
新改訳聖書 列王記第一8章27節

「主はこう仰せられる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。わたしのために、あなたがたの建てる家は、いったいどこにあるのか。わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。
これらすべては、わたしの手が造ったもの、これらすべてはわたしのものだ。――主の御告げ。――わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。 」

新改訳聖書 イザヤ書66章1〜2節

最後にメッセージをサンヘドリンに適応し語りました。
ステパノは言いました。

「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。
あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。 」

新改訳聖書 使徒の働き6章51、52節

ステパノは「聖霊に対する罪である」と訴え、この民の上にキリストを殺した責めを置いたのです。

3、ステパノの石打 7章54節〜8章1節

ステパノが真理を語りました。
議会のメンバーは人殺しになり始め、不従順になったのです。
ついに多くの者が確信に満たされ、ステパノの弁護に中断させ、彼へと殺到しました。
彼らはステパノに対して怒りを燃やし、文字通り、飢えた獣のように歯ぎしりをしました。
彼らはステパノのメッセージを聞くことをやめ、彼を町の外に追いやり、彼を石を投げつけました。
サンヘドリンは死を宣告する力など持っていなかったので、そこには承認とか、投票などというものは行われませんでした。
この混乱の真ん中で穏やかなステパノの姿がありました。
この姿は神の右の座に立っておられる復活された主によって支えられていたのです。
このキリストの立場は、イスラエルのためにとりなしを与えておられるメルキゼデクの祭司(創世記14章18節)としての働きをしているイエスの姿を示しています。
キリストの贖いの御業は完成されたのです。
このように働きが終わっているのならキリストは座られているはずなのです。
しかし、ここでキリストは立って働き続けているのです。
そして、このステパノへの石打ちが彼にひざをかがめさせ、主へと霊を受け取ってくださるように、そして、ユダヤ人たちの罪を訴えを置かないように願いました。
ルカ23章24節と比較してください。

「そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」」
新改訳聖書 ルカ23章24節

この祈りは直接、三位一体の神の第二人格へ祈りとして珍しい実例です。
その時、ステパノは眠りにつき、彼の救い主の面前へと案内されました。
しかし、ここで物語が終わっているのではありません。
次の章の、最初において、このことが完成されているのです。
ステパノは死にました。
しかし、神の働きは生きていて、すぐにサウロという人物のいのちを通して運ばれました。
サウロはステパノの殉教のときに、証人たちの着物を守るために、そして、ステパノの死に同意する者として立っていたのです。
新しい前進は、悲劇の中から始まります。
ステパノは出て、パウロが来たのです。


9、新たなる展開

使徒の働き8章1〜40節

この大きな働きはエルサレムに限定されていたわけではありません。
ユダヤ、サマリア、地の果てまでもが含まれているのです。
その教えているところは神は良き知らせをエルサレムを超えて広げたのは4回目の迫害(1〜4節)を通してなされたのです。
その結果サマリヤにおける証し(5〜25節)、そしてガザの路上(26〜40節)にまで至ったのです。

1、エルサレムにおける迫害(1〜4節)

エルサレムにおいてステパノの死の結果によって意見ははっきりと分かれました。
何人かの献身的なユダヤ人はこのことが行われたのは正しいことが行われた見ていません。
彼らはステパノが葬られるのを見ました。
他の者たちにとって彼の死は悪意に満ちた欲望を刺激するだけでした。
そして、彼らはクリスチャンを迫害する意識を強めました。
この時は、なんと使徒たちは直接、攻撃されていないのです。
弟子と呼ばれる者たちだけが散らされたのです。
この迫害者のリーダの一人にサウロがいました。
そして、この男は使徒の働きの本を支配し始めています。
サウロの攻撃の激しさは次の節に表われています。

「サウロは教会を荒らし、家々にはいって、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」
新改訳聖書 使徒の働き8章3節

ムチ打ちと財産の損失は余儀なくわれたでしょう。
11章9節によれば、これらの者たちはフェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも散らされ進んで行ったのです。

2、サマリヤでのメッセージ(5〜25節)

もう一人の執事であるピリピは今、私たちの目を引かせます。
ピリポはキリストを語るためにサマリヤに行きました。
このメッセージを聞いた一人にシモンがいました。
彼は魔法使いであり、彼は人々をだましことを求めていました。
そのシモンが信じ、バプテスマを受けたのです。

「シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。」
新改訳聖書 使徒の働き8章13節

しかし、シモンの信仰は救いへと至っていないことが、次の節によって証明されます。

「「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。」
新改訳聖書 使徒の働き8章19節

「私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。 」
新改訳聖書 ヤコブの手紙2章14節

シモンはイエスは神からの偉大な力を持っていたことを単に信じていたのであって、キリストを救い主として受け取っていなかったのです。
彼はキリストの事実を信じていたかも知れませんが、キリストをたましいの問題として委ねてはいなかったのです。
エルサレムにいた使徒たちは何が起きたかを聞き、この知らせを確認するためにペテロとヨハネを送りました。
彼らがサマリヤ人の上に手を置いた時、ユダヤ人たちがペンテコステの日に受け取った聖霊の賜物がサマリヤ人の上にも同様に分け与えられました。
この偉大な出来事を見て、シモンは自分の魔法を強めようと金で売ってもらおうと願い出ました。
しかし、ペテロはシモンのこころの中にある真実な思いを見極め、シモンの邪悪な思いを悔い改めるように求めたのです。
なぜ、聖霊の賜物がペテロとヨハネが来るまで遅れたのでしょうか?
その答えはサマリヤ人はどのような者かを思い出す必要があります。
サマリヤ人はユダヤ人と外国人の混血によって生まれました。

「アッシリヤの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そして、セファルワイムから人々を連れて来て、イスラエルの人々の代わりにサマリヤの町々に住ませた。それで、彼らは、サマリヤを占領して、その町々に住んだ。 」
新改訳聖書 列王記第二17章24節

もしくはエズラ記4章、ネヘミヤ記6章、ヨハネの福音書4章を見てください。
サマリヤ人はユダヤ人に対抗する宗教組織を持っていました。

「ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。」
新改訳聖書 、ヨハネの福音書4章9節

もし、ピリピが語って、サマリヤにおいて聖霊が与えられたのなら、サマリヤ人はユダヤ教と区別されたキリスト教というブランドだと考えるでしょう。
彼らは実際にユダヤ教と区別して礼拝を捧げていたからです。
このように、ピリピによってすぐに聖霊が下ったのなら、すぐに教会は二つに分かれてしまったでしょう。
しかし、エルサレムから来たペテロとヨハネが手を置いたことにより、聖霊が与え、まだ幼い教会の統一を図ったのです。
サマリヤで起きたことはユダヤにおいても確認されました。
コルネリオの家において、聖霊の賜物は遅れることなく与えられることが証明されました。

「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。 」
新改訳聖書 使徒の働き10章44節

それは異邦人にも、ユダヤ人と同じ基礎の上に教会が建てられたことが表わされるためです。

3、ガザの路上におけるメッセージ

ガザという町は本来、エジプトへの路上にある要塞都市でした。
紀元前96年にその町は完全に滅ぼされました。
しかしながら、新しい町はそのそばに建てられました。
古い要塞都市の間をエジプトへの道が通り抜けていて、その町は滅びたままにされていました。
エチオピヤ人の女王カンダケの高官がこの道を旅していました。
エチオピアとはエジプトを南側に持ち残りのアフリカ全体の範囲です。
明らかに彼はユダヤ人の集まりに出入りが禁止された改宗者であり、エルサレムへの巡礼をしていたことがわかります。

「こうがんのつぶれた者、陰茎を切り取られた者は、主の集会に加わってはならない。」
新改訳聖書 申命記23章1節

この旅の帰り、この宦官はピリピと出会った時、彼はイザヤ書を読んでいました。
ピリピの歩みが聖霊の働きの要求をはっきりさせました。
サマリヤにおいての働きにおいて、最も成功した福音伝道の働きにピリピは従事したのですが、聖霊はその働きを中断して、ガザへの路上に行くように命じたのです。
それはピリピが聖霊に従い、聖霊が直接、エチオピアの戦車(馬車)といっしょに行くように次の行動を示したからです。(29節)
どのくらい多くの馬車がその前を通り過ぎたか知ることは出来ません。
しかし、ピリポが宦官を導くときまで、彼は道の脇で待っていたのでしょう。
ピリポが宦官に話しかけた時、彼は宦官のプライバシーを大胆に侵害し、聖書から賢く話しました。
そして、ピリポはその聖書箇所を結びつけて語ったのです。
ピリポはイザヤ書で語られている人物について語りました。
キリストはナザレのイエスのことです。
すでにエチオピアの宦官はエルサレムで起きた大きな出来事について聞いていたのです。
ピリポははっきりとバプテスマについて語りました。
すぐに彼らは水を見つけ、エチオピアの宦官はピリポにバプテスマを要求したのです。
すぐに聖霊はピリポをアザトへと連れ去りました。
そして、ピリポは語り続け、カイザリヤの北へと道を取り、そこが最終的なピリポの家になったのです。

「翌日そこを立って、カイザリヤに着き、あの七人のひとりである伝道者ピリポの家にはいって、そこに滞在した。 」
新改訳聖書 使徒の働き21章8節

しかしながら、ピリポは個人的にパレスチナにたどり着いたのではありません。
それはピリポが聖霊の導きに敏感に反応したからです。
福音は今、エチオピアに届きました。
そこはまさに地の果ての一部なのです。


10、パウロの改心

使徒の働き9章1〜31節

この人物がこの時から、使徒の働きの登場人物として支配してゆきます。
私たちは使徒の働きの立ち返り点にたどりついたのです。
使徒の働きにはパウロの改心について三回の記述がありますが、この章はその最初の記述を述べています。
(22章1〜16節、26章9〜18節参照)

1、改心 1〜9節
パウロはこのように決断し、燃えていた人物でした。

「主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて...。」
新改訳聖書 使徒の働き9章1節

パウロは軍馬のように戦う場所を常に持ち、さらに支配する場所を探し続けていたのです。
(「燃えて」というのは文字通り息をしているという動詞です。
ギリシャ語で"empivw"、KJVでは"breathing"と訳されています。)

パウロが北のほうへ目を上げてみると、そこにはダマスコがあり、そして、クリスチャンの大きな集まりがありました。
おそらく、何人かはペンテコステの日のゆえにエルサレムにとどまっていたのでしょう。
そして、その日の新しい出来事を持って帰ってきたのです。
ここにいるクリスチャンたちは迫害されることがありませんでした。
それは彼らがユダヤ人のシナゴークから離れようとはしなかったからです。
しかし、パウロには考えがあり、そのすべてを変えたのです。
パウロは、ダマスコにいるクリスチャンを裁判にかけるためにエルサレムの町に連れて来るようにエルサレムにいる大祭司にその権威を求めていたのです。
でも、神には別の計画がありました。

パウロの改心について、四つの事柄が強調されています。
最初に次の主のことばが強調されています。

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 」
新改訳聖書 使徒の働き9章5節

それはもっともパウロが確信していたことに対して語られたのは明白です。
パウロは熱心に迫害しようと良心に強くせきたようとしていました。

次にパウロの改心です。
天から声がしました。

「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」
新改訳聖書 使徒の働き9章4節

ナザレのイエスがメシアであり、主であることはパウロにとって夜明けとなったのです。

そして、パウロのいのちは真実へと変わり、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである 」という声を聞いた時、パウロは確信しました。
その瞬間、パウロはイエスをメシアとして認識し、信仰をイエスに置いたのです。
そして、パウロはキリストにおいて、新しい人となったのです。

三つ目に献身の思いです。
パウロは自分のたましいの問題が解決したのと同時に、日々の礼拝の問題(交わりの問題)が解決できた、まれな人物なのです。

サムエルの場合を見てみましょう。

「それで、エリはサムエルに言った。「行って、おやすみ。今度呼ばれたら、『主よ。お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げなさい。」サムエルは行って、自分の所で寝た。」
新改訳聖書 サムエル記第一3章9節

パウロの場合、このように尋ねました。
「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。」
新改訳聖書 使徒の働き22章10節

パウロは自分のいのちすべてを主に捧げ、迷い無しに仕えたのです。
四つ目に、パウロは三日間の間、見ることも出来ず、食べることも、飲むこともしませんでしたが、パウロには主を求めるこころと、交わりを持っていたのです。

2、年月 10〜31節

A、ダマスコ 10〜22節

この場面において、アナニアという人物が記録されていますが、この場面以外において、現われることはありません。
アナニアはまだ幼いクリスチャンでるパウロを導くために用いられた神の道具なのです。
パウロの側から見るのであれば、この問題はパウロの働きという問題であり、バプテスマ、そして聖霊に満たされるための条件でした。
パウロの肉的な必要は食べることでしたが、主にあっては交わりの問題でした。
数日後、パウロはダマスコのシナゴーグでキリストを語り始めました。
人々は自分たちの聞いたことを信じることは出来ませんでした。
それはここで迫害者のリーダだった者が、今は信仰を語っているのです。
彼は滅ぼすことをやめたのです。

B、アラビア、ガラテア1章17節

この節において、パウロが自分の改心の後、すぐに事実を明らかにしています。
パウロは使徒に会う目的でエルサレムに行く前に、彼はアラビアで三年間過ごしました。
この予備的な期間は使徒の働きの次の個所によってのみ、はっきりと語られています。

「多くの日数がたって後...。」
新改訳聖書 使徒の働き9章23節

使徒はアラビアのある特別な場所で行きましたが、私たちは知ることは出来ません。
しかし、そこは荒れた場所、もしくは、パレスチナの南にある町々の一つに行ってきたのでしょう。
だとしても、私たちはパウロが何の目的を持って過ごしたかを知るならば、どこにいたのかいくつかのきっかけを知ることが出来ます。
しかし、パウロは自分自身と、パウロの持っていた神学をダマスコの路上で経験した光にあって見直そうとしていたのです。
パウロはガマリエルのラビの神学校で完全なトレーニングを受けていましたが、神はパウロに3年間、いやそれ以上の働きのために準備する期間を必要としていると考えていたのです。

C、ダマスコ 23〜25節

ダマスカスのシナゴーグにおけるパウロの証しは、彼がアラビアにいた時もはるかに強力なものとなっていました。
そして、パウロの命をねらい、策力を立てていたユダヤ人たちも同様に強力でした。
そして、弟子たちはパウロが殺されてしまうのではないかと思い、かごを使って町の城壁伝いにつり降ろし、逃げるのを助けました。

D、エルサレム26〜29節

(ガラテア人への手紙1章18〜19節参照)
パウロがエルサレムに来た時、弟子たちはパウロを恐れました。
それはかつてパウロは主に従うものではなかったからです。
しかし、バルナバはパウロを保証し、パウロは15日間ここにとどまりました。
パウロはかつて、ヘレニズムのユダヤ人たちとともに協力し、ステパノの死に協力しましたが、今はヘレニズムのユダヤ人たちに特別な証しをしているのです。
しかし、この証しをなすことにより、パウロのいのちは再び、危険な場所に置かれたのです。

E、タルソス 30,31節

パウロの弟子たちは、パウロに対する策略を見つけ、パウロをカエサレアの港へと連れて行きました。
そして、彼はタルサスへと帰ったのです。
アンテオケの働きにおいて、パウロがバルナバに呼ばれる以前に彼はおそらく、10年間ちかくそこにいたはずです。
この期間はラビとして学んだ時と、大きな違いを持った時になったはずです。
今、パウロはクリスチャンの弟子として立ち返ったのです。


11、教会の中の異邦人
使徒の働き 9章32節〜11章18節

1、メッセンジャーとしての準備
使徒の働き 9章32節〜11章18節

A、ペテロのリーダ
9章32節〜43節

場面は再び、ペテロへと帰ってきました。
ペテロは良き成長を成したパレスチナの教会を訪ねました。

「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。 」
新改訳聖書 使徒の働き9章31節

ペテロがルデアに行った時、彼はアイネヤという人を癒しました。
アイネヤは、すでに八年間も中風だったのです。
これは信じない者のことを良く表わしている型です。
アイネヤの中風の状態はその地域においてよく知られたことでした。
アイネヤの驚くべき癒しは、主に立ち返る多くの者へのきっかけとなりました。
その一方、海岸の近くにあるヨッパでは、女の弟子であるドルカスは貧しい者に服を作り、生涯を良き働きに費やしていました。
そのドルカスが死んだのです。
その弟子たちが、ペテロがわずか10マイル離れたルデアの町にいることを聞き、彼らは使いを送りました。
ペテロが来て、彼はやもめたちと出会いました。
このやもめたちはおそらく、ドルカスから服を作ってもらっていたのでしょう。
彼女らはドルカスの遺体の置いてある屋上の間で泣いていました。
ペテロはヤイロの家で主の行われたことを模範にしてこのように行ったのです。

「イエスは群衆を外に出してから、うちにおはいりになり、少女の手を取られた。すると少女は起き上がった。」
新改訳聖書 マタイの福音書9章25節

ペテロはすべての者を外に出し、祈り、ドルカスにいのちが得るように命令しました。
彼女はペテロを見て、座りました。
そして、ペテロは彼女に助け、待っている人たちに彼女が生きていることを現わすようにいいました。
この結果、アイネヤの癒しのように、このことは近くに住む人たちは知られ、多くの人たちが主に立ち返る要因となりました。
そして、ペテロは皮なめしのシモンという人の家にとどまりました。

B、学ぶ者としてのペテロ

場面はカイザリヤに変わりました。
この町は海岸から27マイル離れた場所にあります。
そして、私たちはこの場所において、イタリア部隊の100人の兵士たちを指揮する優秀な百人隊長のことを知らされることになります。
この人は、異邦人でしたが、とても信仰のある人でした。
彼はおそらく、ユダヤ教の組織には属していない、改宗者だったのでしょう。
つまり、彼はユダヤ教の神とその支配を信じていたのですが、十分な改宗者となるステップをまだ踏んでいなかったのです。
彼は寛容な、祈りの人だったのです。

「彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが...。」
新改訳聖書 使徒の働き10章2節

たとえそうだったとしても、彼はいまだ救われていません。
それでも、彼は宗教的な人だったと言えます。
ある日、彼が祈っていると、神の御使いが現われ、彼に皮なめしのシモンの家にいるペテロの所へ人を送るように言われました。
何も疑うことなく、コルネリオは二人のしもべをヨッパに送りました。
その翌日、コルネリオの使いがヨッパの町に近づきました。
ペテロは昼の食事を待って、シモンの家の平らな屋根の上で祈っていると、天から大きな敷布のような入れ物が降ってきました。
その中には儀式的にいろいろな汚れた動物でいっぱいでした。
そして、突然、声がして、このように言いました。

「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。」
新改訳聖書 使徒の働き10章13節

ペテロはすぐにこれが主から来た、目的のあることだと理解しました。
しかし、ペテロはこの命令が主が正しいことを語っているのだと理解することができませんでした。
これを「ほふって食べる」ということは律法によって禁じられているからです。
ペテロの答えは大きな矛盾を感じていました。

「主よ。それはできません。」

新改訳聖書 使徒の働き10章14節

もし、主が、もしくは、誰かがこのようなことを言わなかったのなら、ペテロは主に対して「それはできません」と返事はしなかったでしょう。
しかし、神は「これらの動物はすでに清められた」こと、そして、この行為を三回繰り返すことにより、ペテロに確信させました。
コルネリオのしもべが現われ時、主はペテロに彼らとともに行くべきことを語り、ペテロはその通りにしたのです。
いつも、ペテロはこの幻の意味を考えていました。
それは単純に、清くない異邦人が今や、キリストの福音によって清められたということを意味していたのです。
そして、異邦人はユダヤ人クリスチャンと同じ基礎の上にある教会に至ることを教えていたのです。

2、語られたメッセージ
10章23節〜11章18節

彼らがカイザリヤのコルネリオのところへ着いた時、コルネリオは彼らを親族や親しい友人たちとともに待っていました。
コルネリオはこれらの人々とともに集まっていましたが、彼らに語られたメッセージとは何とも奇妙なものだったのです。
コルネリオはまぼろしの中にペテロの所へしもべを送るように語られました。
それはペテロに清くない動物がいっぱいになったふろしきのような幻を見てから三日目のことでした。
この三日間、ペテロは福音の祝福の中に異邦人が来たことについて、また、神がペテロにこのことを語ろうと試みていたことを納得しました。

「彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。 」
新改訳聖書 使徒の働き10章28節

このように、最初に異邦人に語られたメッセージはコルネリオの家から始まったのです。
ペテロは今、神がえこひいきなどしない方であることを理解し、宣言することにより、旧約聖書において、繰り返し確信されてきた事実を語り始めたのです。

「あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、 みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。」
新改訳聖書 申命記10章17、18節

「この方は首長たちを、えこひいきせず、貧民よりも上流の人を重んじることはない。なぜなら、彼らはみな、神の御手のわざだから。 」
新改訳聖書 ヨブ記34章19節

「今、主への恐れがあなたがたにあるように。忠実に行ないなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。」
新改訳聖書 列王記第二19章7節

神のメッセージはすべての人々に対する、イエスキリストの平和です。

「神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。 」
新改訳聖書 使徒の働き10章36節

ペテロはキリストのいのちと死は重要な事実であることを述べました。
キリストは御自身のいのちにおいて証明されたこと(38節)、キリストが十字架に架けられたこと(39節)、キリストは昇天され、あらかじめ定められた者たちによって目撃されたこと(40、41節)、そして、キリストはある日、生きている者、死んだ者をも裁くことをペテロは語りました。
そして、ペテロはこれらの異邦人(だれでも)をキリストを信じ、罪の赦しを受け取るようにと招きました。

「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
新改訳聖書 使徒の働き10章43節

ペテロはメッセージを現実には終えていません。
このメッセージを信じた人たちの上に聖霊が下ることをペテロは語っていたのですが、現実に彼らの舌は異言を語り、聖霊が来られたことが証明されたのです。
このことは、もちろん、ユダヤ人の兄弟とペテロをも驚かしました。
23節において、ペテロは、証人たちを賢く取り扱っていることに注意してください。
神がユダヤ人と同じ基礎の上に異邦人を置いただけではなく、交わりの中へと入れてくださったことをはっきりと教えています。
しかし、全体として、この記事がユダヤ人と離れて行われたことに注意してください。
異邦人の改心において見られるように、救いの瞬間に聖霊が来られることが通常のパターンです。
そして、ユダヤ人へのしるしである異言は神の働きの現れです。
水のバプテスマはその後に続き、ペテロと他の者たちは新しい改心者とともに、数日の間そこにとどまりました。
異邦人はキリストにあって一つにされたことを喜びとし、この幸いな時を、そして貴重な交わりを持たなければなりません。
しかし、すべての者が異邦人の改心を喜んでいるわけではありません。
エルサレムにいる兄弟は何が起きたかを聞き、そして、割礼を受けていない異邦人とともに食事をすることによって、ユダヤ人の律法が壊されているとペテロを訴えました。
彼らは清くない動物でいっぱいになったふろしきのようなもののレッスンをいまだ学んではいません。
彼らはいまだに、キリストを信じる信仰がユダヤ人クリスチャンだけのためにあると考えているのです。
ペテロはこれから起きる出来事のリハーサルを行ったのです。
ペテロは彼らに大きなふろしきのこと、異邦人になされたバプテスマによって行われた聖霊の働きを語りました。
これはまさにペンテコステの日にユダヤ人になされたことと同じでした。

「そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。
私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる。』と言われたみことばを思い起こしました。」

新改訳聖書 使徒の働き11章15、16節

これらのことが、ペテロとともにカイザリヤへ行った6人のユダヤ人の兄弟たちの前で行われたことを述べました。
その時、ペテロは彼らに尋ねることにより、彼らに沈黙を与えました。

「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
新改訳聖書 使徒の働き11章17節

指導者たちはこれらの事実を聞き、ともに神を賛美しました。
神は異邦人にも永遠の命をお与えになったからです。
最初のテストは成功し、合格しました。
しかし、教会はユダヤ人と異邦人の問題を再び取り扱うようになります。


12、アンテオケの教会 
使徒の働き11章19〜30節

1、教会の設立
使徒の働き19〜21節

今、ルカはステパノの迫害によって散らされた弟子たち、それに続く時に戻ります。
彼らはフェニキヤ、キプロス、アンテオケぐらい遠い場所に追いやられていました。
(フェニキヤはツロとシドンのある場所です。)
しかし、彼らはユダヤ人だけに限りを置いて、メッセージを語っていたのです。
おそらく、ここで記録されている出来事はコルネリオの家で語られた時よりも前に起きたことでしょう。
これらの散らされた者たちは、神が御自身の異邦人を含めて救おうとする計画をまだ聞いていなかったのでしょう。
多くのユダヤ人たちは福音を聞いて、信じ主に立ち返りました。

2、教会の前進22〜26節

改心したユダヤ人の言葉はエルサレムに帰ってゆきました。
そして、それは先に救われた者、場所、使徒とのつながりの結果により、母教会へと導かれました。
バルナバは何が起き、前進しているのかを見るためにこの教会へと送られたのです。
彼は、おそらく多くの新しい改心者のようにヘレニスト(非ユダヤ人)ゆえに選ばれたのでしょう。
そして、彼は多くのメッセンジャーのようにキプロス人であり、このような働きのために、霊的な質と必要を持っていました。
ゆえに、彼は良き人(霊的にとがめることのない人)であり、信仰と聖霊に満たされた人なのです。
アンテオケに来て、バルナバはここでクリスチャンのいのち(生活)が変えられたのを知り、神の恵みを見ました。
そして、彼らに主の側に分けられることを勧めています。
13章12節において、もう一つの行動において、教えの実例が示されています。

「この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。 」
新改訳聖書 使徒の働き13章12節

バルナバは、ここで適切な働きを続ける助けが必要であることを、二人目の人物に見たのです。
バルナバはタルソにいるサウロを呼びました。
エルサレムの使徒たちはバルナバがサウロを呼び寄せる権威を持っていました。
そして、バルナバがエルサレムを離れる前にすでにこのような働きのために二人の人を送る習慣があったように思われます。
ですから、このようなことが可能だったのです。
少なくとも、この二人は一年間は教会において、勧め、そして、教えるために働いていたのです。
アンテオケにおいて、弟子たちは最初にクリスチャンと呼ばれました。
この言葉は新約聖書において、使徒の働き26章28節、ペテロの手紙第一4章16節、そして、この箇所においてのみ現されている言葉です。
この言葉は神が彼らに与えたり、もしくは彼らが自分たちに与えた言葉でもありません。
しかし、この言葉は異邦人が彼らに付けた名前なのです。
これは決してふさわしい言葉ではありません。
ユダヤ人たちはキリストともにある者たちにいくつかの名前を付けましたが、これはそのうちの一つです。
この言葉の意味はキリストの一派、もしくはキリストの集まりに所属する者という意味です。
このように、この働きはバルナバとサウロの働きにあって、適切に賜物を動かし前進して行ったのです。
そして、彼らに付けられた新しい名前によって信じる者たちがはっきりと区分けされていったのがわかります。

3、教会の機能27〜30節

すぐに教会は彼らは受け取った霊的な働きを発揮するために、医療(生活)面において働きを持つ機会が与えられました。
預言者がエルサレムからアンテオケにやってきました。
預言者の中の一人であるアガポは飢饉が来ることを預言し、実際にクラウデオの治世に起きました。
クラウデオはこの一帯を飢饉の時代において短い期間、支配していたのです。
教会がそのことを聞いた時、彼らは預言者の言ったことを信じませんでした。
しかし、彼らは安心のために金銭を集め、エルサレムに送ったのです。
バルナバとサウロはこの好意の献金を送るために選ばれました。
彼らは長老と呼ばれています。
使徒の働きの中でこの長老ということばがここで最初に使われています。
ですから、疑うことなく、この集まりはユダヤ人シナゴーグから出てきた集まりです。
つまり、教会の中に形式的な働きがあるということを、ここから言うことはできません。
このことは注意してみる価値があります。
お金を管理することは教会の中で高い役割を持つものにだけに託された仕事です。
つまり、教会の中で重要な役割を持つ二人の教師へと送ったということは大変、重要なことだと考えます。

13、ヘロデ家の迫害
使徒の働き12章1〜25節

1、ヘロデ家の悪行
1節

迫害によって、エルサレムの教会が迫害されるのは今回で5回目です。
4章にある迫害は「祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人」によってなされました。
次の迫害は最初に通じるもので、復活のメッセージゆえに、サドカイ人からきたものでした(5章)。
三回目はベルテンの会堂に属する人々によるもので、ステパノの裁判に至らせたものです(6章)。
エルサレムにおいて、サウロが先頭に立ち、彼らは教会を熱心に迫害しました。
そして、使徒たち以外の多くの者が散らされました(8章)。
この五回目の迫害はヘロデによって扇動されました。
これはパウロとバルナバがユダヤにある教会を訪ねている時と同じ時です。
このヘロデは、ヘロデアグリッパ1世です。
グレード・ヘロデの孫です。
このグレード・ヘロデはキリストの生まれた時の支配者です。
そして、このヘロデアグリッパ1世はユダヤ人の習慣を良く観察し、また、ユダヤ人の集まりに好意を示し、ユダヤ人たちにこころにかなった人でした。
彼は非宗教的に支配することをこころに決め、自由主義的に、さらに野心的な支配者であることが描写されています。

2、ヤコブの死
2節

ヘロデはユダヤ人に好まれた裁判をすることが更なる目的としていました。
彼はヨハネの兄弟、ヤコブを殺しました。
ゼベダイの子はマルコの福音書10章39節の主の預言の通りに首が切られました。

「彼らは「できます。」と言った。イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。 」
新改訳聖書 マルコの福音書10章39節

この二人が決して切り離されることのない運命にあったことは非常に興味深いことです。
一人は最初の殉教した使徒(ヤコブ)として、もう一人(ヨハネ)も私たちの知る限り殉教したのです。

3、ペテロの救出
3〜19節

ヘロデはヤコブが殺され、ユダヤ人に喜ばれたのを見ました。
彼はペテロを捕まえることにより、教会の迫害の手を広げ続けました。

紀元44年の過越しの時、ニサンの月の14日から21日の種なしパンの祝いの時に彼は死にました。
しかし、ヘロデは過越しが終わるまでペテロを殺したくありませんでした。
それはユダヤ人たちが過越しの儀式に追われており、もし、その間にペテロを殺したのなら、ヘロデがユダヤ人のために何かしてあげたという思いを十分に示すことができないと考えたからです。
その間、教会は祈っていました。
そして、その祈りは聞かれ、その夜、神の計画が実行に移され、ペテロは救い出されました。
しかし、ペテロはその夜、眠っていたのです。
疑うことなく、彼は主の約束を信じていたのです。
それはペテロは年を取るまで生きることです。

「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
新改訳聖書 ヨハネの福音書21章18節

ヘロデの取った最も激しい警戒の中をもっても、この救いは主の御使いによってなされました。
二つの鎖と四人の兵士(二人はペテロの両脇に、あと二人は扉を守っていました。)はペテロの刑を遂行するまで彼を守っていました
ヘロデはかつて、ペテロに何が起きたかを知っていたのでしょう。
ヘロデはかつてのようなことが繰り返して欲しくなかったのです。

「使徒たちを捕え、留置場に入れた。
ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい。」と言った。

新改訳聖書 使徒の働き5章18〜20節

しかし、神の力はヘロデが考えているよりも偉大です。
鎖は落ち、留置場の扉は開き、ペテロは幻を見ているのかと思ったのです。
やがて、ペテロはいったい何が起きているのか理解できるようになり、その時、彼はもっとも現実的な問題に直面しました。
「誰のところへ行けば良いか」です。
ペテロは最初に教会に行くことを決めました。
教会はともに集まり、ペテロの救いのために祈っている場所です。
ペテロはヨハネと呼ばれるマルコの母、マリアの家に行ったのです。
少女が出ると、ドアにペテロを立たせたまま、彼女は走って他の者に伝えました。
この者たちは、彼らの祈りが答えられたことを信じませんでした。
それどころか、そこに立っているのが、ペテロの御使いと考えたのです。
ペテロは扉をノックし続け、ついにペテロは彼らに自分のことを確信させました。
ペテロはどのように自分が救い出されたかを彼らに語ったのです。
それから、ペテロは自分の安全を考え、誰にも知られない場所へと離れました。
もちろん、このニュースが知れ渡った時、ペテロがいなくなったことについて、誰かが代償を払わなければなりません。
彼を守っていた兵士たちは自分の命をもってその代償を払ったことは言うまでもありません。
このように、ヤコブの死、そして、ペテロが救い出されることによりこの五回めの迫害は終わりました。
神の方法は計り知れないものがあります。

4、ヘロデの滅び
20〜23節

ペテロの救い出された後、ヘロデはカエサレアに行きました。
そこでヘロデとフェニキアの主要な町々、ツロとシドンの間に和解が試みられました。
知られない要因があったのでしょう。
しかしながら、ツロとシドンはローマの配下における自由な町々でした。
ヘロデとともに良き関係が持たれました。
それはこれらの町々がヘロデの支配地に経済的に依存していたからです。
王の侍従ブラストはこれらの町々の仲介者でした。
この仲介は成功を治めました。
この公の宣言は祝日的な要素をはっきりと含んでいたことがわかります。
(おそらく、皇帝の誕生を記念していたように...。)
民衆はこのように叫び応答しました。

「神の声だ。人間の声ではない。」
新改訳聖書 使徒の働き12章22節

すぐに主の御使いがヘロデを打ちました。
それは民衆の喝采を彼が拒否せず、神の栄光に帰さなかったからです。
ヨセフスはヘロデが強烈な痛みが体の中から襲われ、彼が最後に死ぬまでの間、その痛みは5日間、続いたと記録されています。

5、みことばの散布
24〜25節
迫害者のみずぼらしい最後と神のみことばの据えられたということは非常に対照的です。

「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。 」
新改訳聖書 使徒の働き6章7節

「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。 」
新改訳聖書 使徒の働き9章31節

迫害はみことばを前進させるだけでした。
その間に、パウロとバルナバは自分の働きを達成し、ユダヤにある教会へ飢饉のために使うお金を運びました。
彼らはヨハネと呼ばれるマルコとともにアンテオケに帰ってきたのです。

14、最初の伝道旅行
使徒の働き13章1節〜14章28節
13章は「使徒の働き」における重要な区分点であることを最初に述べておきます。
12章の始めに福音がエルサレムとユダヤ、サマリアに広がったことが記録されています。
(11章19〜30節を除きます。)
今、三つ目の区分として、大きな働きが始まったのです。
福音が地の果てにまで伝えられようとしているのです。
1章から12章において、エルサレムからアンテオケへ福音メッセージが前進して行ったことが記録されています。
そして、13章〜28章において、この福音メッセージがアンテオケからローマへと伝えられることが記録されているのです。

1、アンテオケにおける出来事
アンテオケの教会において際立った二人の指導者が祝福されました。
バルナバとパウロのことはすでに前の章において述べられています。
付け加えるのなら、そこにはシメオン(アフリカ人)、ルキオ(おそらく11章20節に述べられているグループの一人)、マナエン(彼はアンテパス・ヘロデの宮にいた者でしょう。このヘロデはキリストの公生涯の間、支配していた者です。)がいました。
彼らが主に仕えているある日、聖霊が言いました。

「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」
新改訳聖書 使徒の働き13章2節

五人のうち、二人が、この地方教会の指導者たちの奉仕している他の奉仕から、この特別な働きへと導かれました。
教会は決してためらっていません。
しかし、断食と祈りの後で彼らの手をこの二人の上に置きました。
(これはこの二人の更なる働きと、彼らとの関係を示しているのです。)
そして、彼らはこの二人を送り出しました。
このようにして、最初の伝道者が出発しました。
そして、彼らがキプロス(バルナバのふるさと)に向かったということはごく自然なことなのです。

2、キプロスでの出来事
13章5〜13節

セラミスはキプロスの海岸の東にあり、その島に彼らは最初に止まりました。
その島にあるシナゴーグで語った後、そのグループ(ヨハネと呼ばれるマルコを含んでいました。彼は助け手として付き添っていました)は島全体を巡回しパポスに着きました。
この島にはローマの代理としての支配者がいました。
地方総督セルギオ・パウロです。
魔術師エルマはこのセルギオ・パウロが信じないように守ったのですが、エルマの与えたつまづきの後でこのセルギオ・パウロは改心しました。
パウロはエルマを悪魔の道具として識別していました。
パウロはエルマの行った邪悪のゆえに、エルマを一時的に盲目にしました。
また。パウロはここで自分のことをローマ名で呼び始めました。
それは今、彼が異邦人の環境にいるからです。
サウルとは彼のへブル的な名前です。
そして、パウロとは彼のユダヤ名です。
彼は生まれた時、その当時の習慣に従って、両方の名前をもらっていたのです。
確かに、二つの名前を持っていますが、別に二つの血統を持っているわけではありません。
しかし、単純に異邦人への働きを強調するために、彼は特別に強調してギリシャ名であるパウロを使っているのです。
キプロスを離れ、その集まりは地中海を渡り、ペルガへと着きました。
そこはヨハネと呼ばれるマルコが集まりから離れ、エルサレムに帰ろうと決断した場所です。
ここでは、マルコは自分を守るために何の言い訳もしていません。
何であろうと、その理由は満足のゆくものではありませんでした。

「しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。」
新改訳聖書 使徒の働き15章38節

3、ガラテアにおける出来事
13章14節〜14章20節

ピシデヤのアンテオケ
13章14〜52節

ピシデヤはローマがガラテアに与えられ分けられた植民地の一つです。
パウロとバルナバはペルガからタウルスの山々を越えてこの植民地に来ました。
この植民地は標高3600フィートの高さにあります。
パウロの習慣として、パウロは最初にシナゴーグにそこで、彼は話すように導かれました。
このメッセージはパウロの語ったものとして最も長いメッセージとして記録されています。
このメッセージはステパノのメッセージと似ています。

最初に歴史的な背景が語られました(17〜25節)。
出エジプトの出来事からダビテの時代へと広げられ、ダビテへと与えられた一人の子孫への約束へ特定されてゆきます。
そして、最後にバプテスマのヨハネは約束の成就ではないことを断言しました。

次に、パウロはこの約束の成就がイエスキリストによって成就されたことを語りました。

「モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。 」
新改訳聖書 使徒の働き13章39節

パウロはモーセの律法によっては誰も義とされることがないことを語り、このメッセージはここにいた人々を驚かせました。
しかし、キリストささげものはすべて信じる者を完全に義とすることが出来るのです。

三番目に、パウロはここで聞いているものが無知ではないことを警戒しました。
このメッセージが攻撃されたのはこの中に要因があるのです。
聖書が神のみことばであるという認識(この要因は旧約聖書のメシア預言に関することです)のない者は、今日でも同じように、神のみことばが生きているという認識がありません。
この証しの結果は、ある者は拒み、ある者は信じました。
だとしても、この町全体としては神のみことばを聞いたのです。

「次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。 」
新改訳聖書 使徒の働き13章44節

そして、さまざまな人がそこにはいましたが、ユダヤ人がパウロとバルナバに対してねたみを持って話していることを聞きました。
ここで二人は自分の働きに戻ったのです。
彼らは異邦人のほうへ態度を向けました。
今、みことばを信じた異邦人は永遠のいのちへと定められたのです。
しかし、その結果ユダヤ人たちは、貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバをイコニオムへと追いやりました。
それでも、恵みのみわざはすでに異邦人のこころに行われたのです。
そして、弟子たちは喜びと聖霊に満たされました。

B、イコニオム
14章1〜5節

不信仰とは常識的にも悪意のあるものです。
これはイコニオムおいて描写されています。
不信仰なユダヤ人は人々に分裂起こさせるために異邦人に暴動を起こさせました。
そして、この町から使徒たちを追い立てるために使徒たちを迫害しました。
福音はある者にはいのちの味がするものですが、他の者たちには死の味です。

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。 」

新改訳聖書 コリント人の手紙第二2章15、16節

使徒たちがこの計画された攻撃の強さを知っていたのなら、彼らはルステラとデルベへ逃げていたでしょう。

退却することは、特に価値のないことに続くものとは限りません。
退却することにより、さらに違った証しの機会を持つことがあります。

C、ルステラとデルベ
14章6〜20節

ルステラにおいて二つのことが起きました。
奇跡と石打です。
奇跡とは、生まれつき足なえの人のいやしです。

人々の間に激しい炎のようにニュースが広がり、驚きが起きました。
彼らはパウロとバルナバが神々だと考え、この二人に捧げるささげものを準備しました。
使徒たちが何が起きたかを理解した時、二人はこのことを話し会い、彼らを抑制しようと努力をしたのです。
パウロとバルナバは何が彼らにこのようなことをさせているのか理解できずにいたのは、彼らは自国語、ルステラの言葉で話していたからです。
そして、パウロとバルナバはとうぜん、この地域のことばを理解することはできません。
それでも、パウロは異言の賜物を持っていたことが記されています。

訳者注)この「異言」はギリシャ語で"allov ghlov"であり、直訳すると「別の舌」、つまり外国語を話す(話す本人が理解しない)ことを指しています。
つまり、現在の異言派のする異言は非聖書的としか言いようがありません。


「教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです。 」
新改訳聖書 コリント人の手紙第一14章19節

ここで語られたパウロの話は神のすばらしさについて非常に一般的な話です。
ここで語れたいることは神々と呼ばれているものと神をはっきりと区別していることです。
そして、パウロとバルナバは特別な存在ではなく、ただの人であることです。
次の出来事はアンテオケとイコニオムから来たユダヤ人が扇動し、パウロを石打ちにする事件です。
アンテオケとルステラは100マイル以上離れています。
彼らはパウロの裁判に付きまとい、人々を扇動させ、さらに、彼らは使徒たちに石打にしました。
おそらく、バルナバはリーダではなかったので逃げたのでしょう。
ある人はパウロのこの石打の経験をコリント人の手紙第二12章1〜5節で説明していると感じています。
一方、他の者たちはこの時のことを、ガラテア人の手紙6章17節において、パウロが受けたしるしについて話していると言っています。

「無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。
私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に――肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです。――第三の天にまで引き上げられました。
私はこの人が、――それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです。――
パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。
このような人について私は誇るのです。しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません。 」

新改訳聖書 コリント人の手紙第二12章1〜5節

「これからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。」
新改訳聖書 ガラテア人の手紙6章17節

たとえ、どうであったとしても、すぐ前までは、この人々は神だとしていた者をすぐにひっくり返し、悲しい不快なことを起こしたのです。
さらに、神はルステラにおいて、奇跡を行いました。
パウロがこの石打ちから立ち上がり、翌日、デルベの町にたどり着いたのです。
ある人たちは使徒が実際にここで死んで、よみがえったと信じています。
しかし、他の者たちは現実には死んでいないと信じています。
どちらにせよ、よみがえったとしても、単に癒しを得てよみがえったとしても、それは奇跡なのです。
たとえ、彼らがパウロに石打ちをしようが、彼がデルベの町へ行くことを防ぐことはできなかったのです。

4、旅の帰りにおける出来事
14章21〜28節

旅の旅程は、シリアのアンテオケに戻り、その足を逆に向けました(キプロスを省略しています)。
旅の帰りにおける仕事は、確認と働きを与えることでした。
あきらかに、多くの町においてさまざまな人が救われました。
彼らは迫害に苦しみ、パウロとバルナバは彼らを励まし、これらのことをいつも具現しようと決心していたのです。
さらに、まだ幼く形作られていない教会に長老を任命しました。
23節にある「選び」ということばは「授与」という意味ではなく、単に「指名」、「選ぶ」という意味です。

訳者注)ある人たちはこの箇所や、また聖書の他の箇所をとって、献身者と特別な職務を置き、特別な権威を持つことを主張します。
しかし、教理は型や、聖書を間接的に理解し作られるものではありません。
はっきりと書かれた聖書のみことば(間接的ではなく)を信じるべきです。
コリント人への手紙第一12章で語られている教会、もしくは他の手紙においても同様なのですが、特定の人物だけが教会の中で支配権を持ち(ある人は神に選ばれたと自分を推奨するでしょう)、また、他の人たちはその人たちに支配されなさいと聖書は語っているのでしょうか?
単純に文章を読む力があれば、すぐにわかるはずです。
もちろん、秩序の上で立てられた人は必要です。
しかし、もし、教会が神の教会ならば、すべてがクリスチャンがキリストのからだであり、教会のかしらは何であろうとキリストです。
たとえ、どんな経験を踏もうと、特別に祈りが聞かれ、知識が与えられたと主張しようとも、かしらは人間ではありません。


最後に彼らはアンテオケの母教会に着きました。
アンテオケの教会は神の祝福を知る者となりました。
神は異邦人への救いの扉を特別に開かれたのです。
神は最初の伝道旅行において、豊かに働いて下さったのです。


15、エルサレム会議
使徒の働き 15章1〜35節

1、意見の衝突
1〜6節

時間が過ぎてゆくように、教会に大きな問題が起きました。
異邦人が教会の中に来たのです。
ペテロは清くない動物で満ちたふろしきの教訓を持って学びました。
誰も、清いとか、清くないとか、さらに異邦人だからとかを求めてはならないことです。
最初にエルサレムの教会はコルネリオを受け入れ、割礼がなかったとしても、彼とともに信じた者たちをユダヤ人と同じ基礎の上に立つ者として認めました。
そして、救いの祝福の中に大人数の異邦人が入ってきたのです。
それは異邦人をユダヤ教の異邦人改宗者として受け入れるように、教会にいる多くのユダヤ人たちは異邦人にも割礼が必要であると主張しました。
ある者たちはエルサレムからアンテオケに来て、救いには、割礼をモーセの律法を守る必要性があると説きました。
もちろん、このユダヤ人たちは割礼のない異邦人たちがキリストを信じたとしても、決して、交わりを持つことはありません。
このことは問題を悪化させましたが、パウロとバルナバはこの問題は単に交わりの問題ではないということを認識していました。
これは「恵み」対「働きによる救い」の根本的な問題なのです。
彼らはこの問題をはっきりさせるためにエルサレムに行きました。
このことを踏まえて、彼らは最初の伝道旅行において異邦人が救われたことをはっきりと宣言しました。
彼らが通って来た町々の教会にこれらの異邦人クリスチャンが加えられていったのです。
そして、ついに、彼らがエルサレムに着いた時、パリサイ的な考えを持つ何人かのクリスチャンによってこのような教えが広められていたのです。
いつの時代においても、恵みによる救いに何かを付け加えたいのです。
この救いに割礼を付け加えたり、律法を守らせたり、また、何か他のものを付け加えたりするのも同じことです。
また、エルサレムの教会が直面している熱心ゆえの問題も同じことなのです。

2、議論 7〜18節

パウロとバルナバは公衆の前で議論を始める前に、エルサレムにいる長老たちに「このことは神のなさったことだとして」個人的に語りました。

「エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行なわれたことを、みなに報告した。 」
新改訳聖書 使徒の働き15章4節

公衆の前で議論はペテロ、ペテロそして、バルナバ、ヤコブによって多くの質問と声明とが伴いました。
その声明は理論的に語られ、そのユダヤ人を中心とする集まりは「異邦人への救いの扉を最初に開いたのはペテロであり、彼は神によって扱われた」ことを聞きました。
ペテロは単純に神がなさったことを語りました。

「しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。
激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。
そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。」

新改訳聖書 使徒の働き12章5〜10節

そこで、ペテロはユダヤ人が律法のくびきを異邦人にもたらしてはならないことを語り、宣言しました。

「私たち(ユダヤ人)が主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たち(異邦人)もそうなのです。」
新改訳聖書 使徒の働き12章11節

言い換えるのならば、信仰による救いは、ユダヤ人、異邦人の両方のグループに適応されるということです。
最後に主の肉の兄弟であるヤコブは、エルサレムの教会の指導者たちに認められ、問題がまとめられました。

「それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。」
新改訳聖書 使徒の働き12章17節

「次の日、パウロは私たちを連れて、ヤコブを訪問した。そこには長老たちがみな集まっていた。 」
新改訳聖書 使徒の働き21章18節

ペテロの証言が再検討されました。
ペテロの働きを通して、神は初めて異邦人を訪ねたのです。
ペテロは神の計画の中に目的を持った出来事であることを確信させるために、アモス書の9章11〜12節の預言から引用しました。

「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。
これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。」

新改訳聖書 アモス書の9章11〜12節

この目的は下記の通りです。
(1)神は異邦人を訪ねた。
(2)キリストの帰った来た後に...
(3)千年王国は建てられ、その王国において主は異邦人は主へと立ち返る。

言い換えるのならば、神は千年王国というイスラエルの王国を建て上げるという神の計画を放棄していないのです。
キリストの地上再臨の後に実現されます。
しかし、その間、主の御名のために、異邦人たちの中から寄せ集めているのです。

3、決定

この決定は以下の通りです。
「そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。 」
新改訳聖書 使徒の働き12章19節

その教えるところはこの集まりが恵みによる神の救いを確信したということです。
そして、この問題は異邦人に割礼を施すかということです。
救いに割礼は必要ないというのであれば、これは問題にはなりませんでした。
この問題について言うのなら、集まりにとってあいまいなことが言えないはずです。
つまり、それはこの議論が単純に教えの衝突ではないからです。
しかし、同様にこれはユダヤ人と異邦人との交わりの問題だったのです。
それは単純に異邦人クリスチャンに攻撃的なユダヤ人クリスチャンの嫌う事柄から身を控えるように勧めただけのことです。
また、ここに記された事柄はすべてのクリスチャンに許された事柄です。
しかし、ユダヤ人とともにいる時にこの事柄は嫌われる事柄となるのです。
ゆえに実際には異邦人クリスチャンには行われていましたが、交わりを壊すものとなったのです。
異邦人は偶像に捧げものを捧げる者という理解がユダヤ人にはあります。
偶像への捧げ物ユダヤ人にとっては汚れたものであり、食べてはならない物です。
しかし、クリスチャンにとって正しい知識はコリント人への手紙第一8章で書かれている通りです。
また、不道徳な者と書かれていますが、おそらく、特別な意味を持ち、レビ記の18章に書かれているユダヤ人の結婚を侵害することであり、一般的に言われている不法な性的関係を述べているのではないのでしょう。
また、絞め殺した物というのは血を残したまま食べることです。
血を避けるというのは、肉から分けられ取られた血、もしくは絞め殺した物と同じ意味を持つのでしょう。
ヤコブによる決定と提案は他の者たちに受け入れら、彼らは他の教会に手紙を書きことにより、この知らせを送り実行しました。
そして、パウロ、バルナバ、ユダとシラスはこれらの手紙を持って出かけたのです。
彼らは最初にアンテオケの教会に行きこの手紙を渡しました。
アンテオケの教会は喜んで受け取り、シラスは教会に残り、教会の奉仕をすることを選びました。
教会の中にある、危険な分裂の可能性は回避されました。
重要な教理の問題は解決されました。
そして、ユダヤ人と異邦人の交わりは調和のとれたものとして組み立てあげられました。
平安は保たれました。
しかし、一時的です。
ここにいる者たちは、信仰に割礼と考え、この決定を受け取っていません。
私たちはここにいるユダヤ主義者がパウロの行くところに付きまとったことを知っています。
異邦人の改心において、モーセの律法の必要性を力づくずくで強調したのです。


16、第二次伝道旅行
使徒の働き15章36節〜18章22節

時はおよそ紀元50年ごろです。
場所はシリアにあるアンテオケです。
そして、この場面は論点の一つとなりました。

A、論争の理由

パウロとバルナバは最初の伝道旅行で建てあげれた教会に戻って励ましたいと願いました。
そして、バルナバは再び彼らとともに、ヨハネと呼ばれるマルコを連れてゆきたいと思いました。

B、論争の継続

37、38にある単語は未完了時制です。
つまり、この論争の継続されていることを示しています。

C、論争の特徴

この論争は意味のないものではなく、激しい反目となりました。

「そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。 」
新改訳聖書 使徒の働き15章39節

D、論争の結果

パウロはシラスを選んだ結果、エルサレムから手紙とともシラスがやってきたのです。
パウロとシラスはシリアを通り抜けて、キリキアに入り、他の者たちはキプロスに戻りました。
40節にある論争について、教会ははっきりとパウロの側についたのです。
しかし、この二つの伝道グループはその結果出て行ったのです。

2、教会の再訪問
15章41節〜16章5節

この旅の働きは三つの事柄を含んでいます。

A、確認
15章41節

確認、これはもちろん、この旅の最なる目的です。
ここには、新しい場所を開拓しようという考えはありません。
単純に最初の伝道旅行において建て上げられた教会を再訪問し、その教会の弟子たちの信仰を確認しようとしたのです。

B、割礼
16章1〜3節

パウロとシラスがルステラに行った時、若く、評判の良い弟子に仲間に加わるように頼みました。
テモテはパウロの最初の伝道旅行によって改心した者です。

「信仰による真実のわが子テモテへ。」
新改訳聖書 テモテの手紙第一1章2節

テモテは評判の良く、教会で語る賜物を持っていました。

「長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません。 」
新改訳聖書 テモテの手紙第一4章14節

「それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。 」
新改訳聖書 テモテの手紙第二1章6節

しかしながら、パウロはテモテが彼らとともに出てゆく前に、テモテに割礼を施すのが賢いと考えました。
テモテは母がユダヤ人、父がギリシャ人の混血でした。
ゆえに、ユダヤ人の集まりと交わるために、パウロはテモテに割礼を施すのがベストだと考えました。
それはテモテが証しをする時にも、彼はユダヤ人から攻撃されるようなことはありませんでした。
もう一つの実例として、パウロはテモテが異邦人であることを強調しています。
ですから、割礼は必要なかったのです。

「しかし、私といっしょにいたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼を強いられませんでした。 」
新改訳聖書 ガラテア人への手紙2章3節

C、交わり
16章4〜5節

パウロたちはいろいろな教会へ行き、エルサレム会議において決められたことを報告しました。
そして手紙には救いは信仰だけによること、また、調和のとれた生活を推薦していました。
その結果、教会は信仰において強くなってゆきました。
3章7、16節には同じ言葉があります。
そして、日々、多くの者が増えていったのです。

3、広がされた、幻
16章6〜11節

フリキアとガラテアで語った後、その集まりは小アジアへと行こうと試みました。
しかし、聖霊が禁じたのです。
彼らは北のビテニヤに帰りました。
しかし、聖霊によって妨げられました。
彼らはトロアスにおいて、更なる主の導きを待っていました。
アジアには福音が必要でした。
しかし、神の時ではなかったのです。
彼らの要求によって主の計画が成り立つわけではありません。
彼らは東から来て、南か北に行くことが赦されました。
しかし、主が彼らを西へと導いたと想像することは出来ません。
彼らは主の定められた方向を待っていたのです。
論理的に考えることだけが導かれる基礎ではありません。
トロアス、そこは古代のトロアスの近くにある場所です
主がマケドニア人の幻によって彼らに特別な導きを与えました。
ギリシャ人はその時代において、文化的な人間、素晴らしい文明を持つ者として代表される者でした。
しかしながら、ギリシャ人は神の真理についての知識に欠けていました。
そして、彼らは助け出される必要があったのです。
すぐにこの集まりはエーゲ海を渡り、ネアポリスに着きました。
ここはピリピから10マイルほど離れた港です
ここでルカはこの集まりと一緒になったのです。
10節にある「私たち」という表現に注意してください。

「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。」
新改訳聖書 使徒の働き16章10節

4、ピリピでの働き
16章12〜40節

マセドニアのピリピがその土地を手に入れるまで、古代のピリピの地名はクレニダスでした。
彼がその後、自分の名をその土地につけました。
そこから多くの温泉が沸き出たことが伝えられています。
紀元前168年にマセドニアの残りがローマへと引き渡され、その時にローマの植民地になりました。
そして、ローマの平和がその土地に訪れたのです。
また、紀元前42年にはブルータスとカシウスがアントニウスとオクタビアン(後のアウグストゥス皇帝)によって敗北させられた戦いがその近くで行われたこととしても知られる場所です。
ピリピとすべてのローマの植民地の市民はローマの持つ同じ市民権を、同じ法律を、同じイタリア人としての権利を楽しむことが出来ました。
使徒の時代におけるこのような植民地には、ピッサイダのアンテオケ、ルステラ、トロアス、プテロミー、コリントなどがありました。
ルカによってピリピは「主要な町」と呼ばれています。
この町は人口的にも、知名度においても、また、富においても重要な町なのです。

A、働きの始め12〜15節

ピリピにおける働きの初日は、遅れと失望が特徴付けられています。
パウロは安息日が来るまで待っていました。
その時、町のユダヤ人に川岸に集まるのでメッセージを語るために行きました。
明らかに、その行為は町にユダヤ人のシナゴーグを作るのに必要な10人の人がいなかったことを表わしています。
一握りのユダヤ人女性が祈りのために川のそばに集まりを持っていたのです。
それでも、パウロは彼らに福音を語り、主はルデアの心を開いたのです。
主の求めるままにパウロはヨーロッパに来たのです。
しかし、ここにはシナゴーグがなく、失望が待っているはずでした。
パウロはルデアに忠実に福音を語ったのです。
最初の改心者はルデアだけではなかったかもしれません。
なぜなら、教会を建てるには数人の男たちが必要だからです。
しかし、最初に記述された改心者はアジアにおけるテアテラの女性だったのです。
その他にも、他の改心者が記述されています。
ルデアの家族、彼女のしもべ、従者、彼らはテアテラにおいて、ルデアが家に帰った時におそらくルデアを通して改心したのでしょう。

B、みことばへの反対
16〜24節

パウロと他の者たちは証しを続けました。
そして、彼らの証しの衝撃はこの町全体に響き渡りました。
その時、悪魔は働き始め、悪魔に取り付かれた若い女奴隷が原因となり、証しへの反対が起きたのです。
彼女は叫びました。

「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」
新改訳聖書 使徒の働き16章18節

たとえ、この女奴隷が真実を語ったとしても、パウロの働きにダメージを与えたと想像するのはたやすいことです。
それは彼女は偽りの占いを行うことによって、人々の心にパウロの語っている真実なメッセージとこの占いと同じだという区分分けをさせるからです。
最終的にパウロは疲れ果て、悪魔にこの女から出てゆくように命じたのです。
この結果、彼女の主人たちの金儲けを根を切ってしまい、彼らはみことばに対し、反逆する言葉とともに、パウロの伝道を訴えを起こしたのです。

ここに出てくる長官はローマの植民地指導者として彼らの高い地位をとても意識していました。
彼はパウロとシラスをムチ打ちをし、牢屋に入れて、また彼らの足に足かせをして、この騒動を可能な限り静めようとしていました。
そして、パウロは自分がローマの市民であることを利用し、ムチ打ちと、正規の逮捕から免除されました。
しかし、次の朝までパウロはこの市民権を利用しませんでした。
おそらく、パウロは長官のいらだちにより、この特権を使う機会に恵まれなかったのでしょう。

C、働きの結果

今、パウロとシラスが証しをしました。
この二人は牢屋の中にいます。
(テモテとルカは明らかにこの出来事には含まれていません。)
しかし、パウロとシラスが神に捧げている間、神はさらなる働きをしてくださいました。
その時、地震が起き、ドアが開き、囚人の足かせが緩んだのです。
その時、牢屋の看守は何が起きたかを理解しました。
この看守はローマの兵隊であり、囚人を安全に守る責任があります。
もし、責任を守れないのであれば看守には死の苦痛が待っているだけです。
彼は剣を抜き、自殺しようとしました。
しかし、その時、パウロはドアの光の中に看守の影を見たか、もしくは剣を抜く音を聞いたのかもしれません。
パウロは看守に誰も逃げようとする者がいないことを断言しました。
おそらく、パウロは他の囚人たちを抑制していたのかもしれません。
その他に、他の囚人たちは長官がパウロたちに害を加えようと考えている時に地震が起きてしまい、唖然としてしまったのかもしれません。
たとえ、どのように考えたとしても、この看守は前もって語られた証しと、この夜の出来事を見て、大きな決心をすべき時がきていたのです。
看守は求めました。

「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」
新改訳聖書 使徒の働き16章30節

パウロたちの典型的な答えがこれです。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
新改訳聖書 使徒の働き16章31節

「信じなさい」という言葉は「信じるのなら」という意味で理解されなければなりません。
ですから、看守の家族は信じるのなら救われるのです。

訳者注)多くの人が家族の中で一人でも救われるのなら家族全員が救われるという教理を作り、そのように信じています。
しかし、聖書は救いについてそのようには書いていません。
イエスキリストを救い主として、罪の贖い主として信じる信仰によって(受け取る)救われるのです。
新約聖書の書簡やキリストの完全な約束を無視し、旧約聖書や、使徒の働きなど一箇所、もしくは数箇所を持ってきて牧師や、教団を教えを無理やりに作っています。
(教団維持のためでしょうか?)
また、聖書から離れていながらも、自分たちこそが聖書的だと信じ込みパリサイ人や律法学者たちのように他を非難しつつ、多くの者たちを聖書から遠ざけているのを見ることがあります。
この箇所は看守個人に宛てられた言葉であることを理解することができます。
看守の家族は信じて、救われたのです。


看守と家族は信じたのです。
彼らはまさにその夜にバプテスマを受け、そのことにより証明されています。
次の朝、長官は看守にパウロたちを行けせるように言葉を送りました。
それは前日の彼らの不法行為を許してもらうために、公に訴えでたからです。
パウロはローマの市民権を持っていることを役人たちに話したからです。
役人たちが彼らのローマの市民権を不法に扱ったことを理解し、長官はそれに従いました。
彼らは開放されました。
彼らがこの町を離れる前に、彼らはルデアを訪ね、牢屋での出来事を通してルデアの家族は慰められました。

5、テサロニケ、ベレア、そして、アテネ
17章1〜34節

A、テサロニケ
1〜9節

パウロの時代にあって、テサロニケは重要都市でした。
町の名前は紀元前315年にカッサンドルの妻(アレキサンダー大王の継姉妹)によって名付けられました。
町は20万人の人口を持つ、マケドニアの地方中心地です。
有名な商業中心地であり、民によって支配されている自由都市でした。
パウロの習慣として、最初にシナゴーグに行き、ナザレのイエスはキリストであることを語りました。
パウロは三つの安息日に渡って語り、その結果、多くのユダヤ人、異邦人、そして多くの貴婦人が救われました。
信じないユダヤ人は使徒たちを襲おうと試みましたが、ヤソンの家を襲うことしかできませんでした。
そして、彼らはヤソンを支配者たちの前に引っ張りだし、ヤソンと彼をかくまった人たちを反逆者としてを訴えました。
もう一人別のイエスという王がいる。
彼らはヤソンから保釈金を取りました。
おそらく、ヤソンはこっそりとパウロたちを送り出したところを見ると、彼らがこの町に帰ってきて再び、騒動を起こさないようにすることに役人たちに同意したのではないでしょうか。
下の箇所からも伺うことができます。

「それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました。」
新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第一2章18節

B、ベレア
10〜14節

ベレアはテサロニケから40マイル離れています。
シナゴーク、証し、信仰、そして、反対者、これらは繰り返しました。
しかし、ベレアには一つの大きな違いがありました。
ベレアの人たちは他の場所の人たちと違い、非常に貴族的な人たちでした。
確かに、ベレアの人たちの背景には貴族的な性格があり、自分たちの地位ゆえにここに書かれていることが行われていましたが、彼らは偏見があろうとなかろうと自由なのです。
ベレアの人たちは喜んで聖書を探し求め、パウロのメッセージを確かめています。
テサロニケのユダヤ人はパウロをバレアまで追いかけてきて、パウロはベレアを離れるように強いられました。
テモテ、そして、シラスはベレアにとどまりました。
彼らは、後にアテネにおいてパウロと合流したのです。

C、アテネ
15〜34節

パウロはシラスとテモテを待っていました。
そして、パウロはアテネで見た様子に憤りを覚えていました。
アテネのあらゆるところに偶像が満ちていたからです。
そして、同時に証しの場所もが満ちていました。
パウロはシナゴーグと市場において証しをしました。

すぐにパウロの証しはエピキュロス派の人たちに知られるようになりました。
主な考えとして、彼らは命の終わりを喜びとして考えています。
そして、ストア派の人たちにもパウロの証しが知られました。
ストアとは忍耐と自己満足を追い求めていました。
彼らはパウロから話を聞くために、パウロをマースヒルへと連れて行ったのです。
アレオパゴス、もしくはマースヒルはアテネの人たちにとって裁判の場所でもあったのです。
アクロポリスの西、アレスの丘の上で初期の時代より集まりを持っていたようです。

ここでは道徳的な問題、そして、法律的な問題などが扱われていました。
この時に語られたパウロのメッセージは非常に賢く語られたことがわかります。
パウロは非常に気を使い、人々が興味を持つ宗教的な問題から話し始め、次に彼らが知られない神として造られた像について興味を持ちました。
パウロはここでそのことについて語る続けています。
神とは創造主です。
主は神殿の中に据えられるような方ではありません。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。」

新改訳聖書 使徒の働き17章24〜28節

ゆえに、神によって人が造られたのなら、神は人よりも偶像よりも優れている存在でなければなりません。
神は、あらゆる場所において悔い改めることを命令しています。
神が死者の中から復活されたキリストによって人間を裁かれるゆえに、悔い改めは避けることの出来ないことなのです。
これらのことは復活の事実とともに語られました。
群衆は無関心となり、ある者はあざけり、また、他の者たちはその判断を先に延ばしました。
それでも、少なくとも二人の者が改心に至ったのです。

「しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。」
新改訳聖書 使徒の働き17章34節

6、コリント
18章1〜17節

長い間、コリントはアテネにとって商売と海軍の軍事力において競争相手となる街でした。
コリントは陸路において、北と南、水路において、西と東を結ぶ重要な拠点だったからです。
紀元前664年のはるか昔に多くの海軍がそこに置かれました。
そして、紀元前146年にはギリシャに支配されていたローマ時代に完全に打ち壊されてしまいました。
後の、紀元前46年にジュリア・スシーザーによって植民地として再び建てられ、紀元27年にアカネ地方の首都となったのです。
ゆえに、コリントは商売の重要拠点であり、多くのユダヤ人がそこに引き寄せられました。
そして、コリントは不道徳が広く広がった街として、悪名高い場所でもあったのです。

A、伝道
1〜11節

パウロはコリントに着いたのですが、そこで勇気を失ってしまいしました。
パウロの伝道はヨーロッパにおいて繰り広げられましたが、受け入れられることはありません。
ピリピ、テサロニケ、ベレア、そして、アテネ、またそれ以外の場所においても拒否され続けました。

パウロは自分の技能であるテント作りをしなければならない状況になったのです。
そして、パウロはアクラとピリスクラと接触を持ったのです。
彼らは紀元49年のクラウディスの勅令によってローマから追い出されてきた者たちでした。
パウロの勇気を無くした状態はパウロの友人たちによって、みことばによって、そして、主によって勇気付けられたのです。

「そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。」
新改訳聖書 使徒の働き18章5節

「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。」
新改訳聖書 使徒の働き18章9、10節

パウロの友であるシラスとテモテは合流し、パウロに良き知らせを伝えました。
その知らせはテサロニケのクリスチャンたちが固く据えられたという知らせでした。

「ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。」
新改訳聖書 テサロニケ人への手紙第一3章6節

このクリスチャンたちは物質的な助けを持ってきたのです。

「私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。」
新改訳聖書 コリント人への手紙第二11章8節

「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。」
新改訳聖書 ピリピ人への手紙4章15節

このことはパウロの持つ財政的な苦しみから、パウロを助けることが出来たのです。
ゆえに、パウロは自分自身をみことばのために捧げることができたのです。
パウロの信仰に基づくメッセージは反対者の耳にも至りました。
しかし、その夜、主は幻によってパウロに現れ、彼がコリントにとどまり、働きを続けることを確信させました。

B、伝道
1〜11節

述べられている通りに、パウロのコリントにおける働きは最初にパウロとともに働く者たちの上にありました。
アクラとプリスキラです。
そして、彼らに語ったようにシナゴーグにおいてもパウロは安息日ごとに語り続けました。
しかし、ユダヤ人たちはパウロのメッセージを拒み続けました。
そして、パウロは異邦人の方に顔を向けたのです。

「そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。
しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。」

新改訳聖書 使徒の働き18章5、6節

訳者注)この箇所をとって、ある神学者たちは一つの時代の区分として取り扱います。
しかし、神はこの箇所以前に、異邦人の方へとすでに目を向けるように仕向けていたのです。
使徒たちがそれに従わなかったと見ることができます。
ですから、これは人間側の問題であり、神の目から見た時代区分にはなりません。
教理、もしくは時代区分は神の目から見た時、単なる摂理、秩序、取り扱いの問題なのです。
(正しく学ぶべきです。)
しかし、人間は愚かにも聖書を、教理、神学の本としてしまい、神のことばとして、クリスチャンにとって道しるべ、真理の本として読むことを妨げています。


それでも聖書はそこに恵みの勝利品があることを語っています。
クリスパ、彼はシナゴーグの管理者です。
テテオ・ユスト、彼はシナゴーグのとなりに住む異邦人でした。

C、長官
12〜17節

ガリオの家族構成を説明してみましょう。
彼の父は長老セネカです。
その兄弟セネカは哲学者であり、ネロの家庭教師です。
そして、その孫ルカンは詩人として有名です。
ガリオは紀元51年にアカネの地方総督になりました。
彼は聖書以外の記述によると、大変好意的な、気のきいた、愛されるべき人物して描かれているのがわかります。

ユダヤ人たちはパウロが律法に反したことをしたと言って、ガリオに訴えようとしていました。
しかし、ガリオはユダヤ人の律法に関する問題について答えようとはしませんでした。
パウロはローマの法律に反したことは何もしていなかったからです。
ギリシャ人たちはガリオのユダヤ人に反した立場を取ることが有利だと考え、また、ガリオはソステネをムチ打ちを行い、ユダヤ人たちの怒りを買うことになりました。
シナゴーグの管理者だったクリスパによってソステネは成功しました。
彼は最終的にはクリスチャンになったからです。

「神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから...。」
新改訳聖書 コリント人への手紙第一1章1節

これらの出来事の後、わずかな間だったですが、パウロはこの町に残りました。
パウロは自由の権利を得て、また、ガリオの友好的な評決によって、パウロが余裕を持ったからです。

7、旅の終わり
18章18〜22節

アンテオケに帰る旅中において、さまざまな注意すべき出来事が起こりました。
最初にパウロがアクラとプリスキラを連れて、エペソまで来たことです。
そこで、彼らは住むべき家を手に入れたのです。
次にパウロがナジル人としての請願を示したことです。
彼はコリントの港であるケンクレヤのおいて、頭の毛をそりました。
この時のこの請願はパウロにとって大きな決断を伴っていたことがわかります。
少なくとも、30日間続けられる行為だからです。
パウロは長くエペソにとどまるようなことはしませんでした。
それは彼が過越しの祭りの時までにエルサレムに行きたかったからです。
ついに、パウロはカエサリヤに上陸し、エルサレムに上りました。
そして、その時、パウロは母教会であるアンテオケに帰りました。
このようにして二回目の伝道旅行が終わったのです。


17、第三次伝道旅行
使徒の働き18章23節〜23章17節

1、エペソ
18章23節〜19章41節

エペソにおけるパウロの働きを説明する前に、アクラとピリスクラの働きを見直すことによって時代の記録を考え直して見ましょう。
彼らはエペソに残りましたが、パウロはパレスチナに帰りました。
エペソにおける働き全体はアクラとピリスクラ、及び、パウロを通して成されました。
精神とそのいのちにおいて、みことばの力は見事に描写されているのです。

A、懲らしめにおけるみことばの力
18章23節〜19章7節

エペソは力の町です。
エペソは地方総督の支配するアジアの首都であり、市民は常にローマの支配の下にある地方総督によって支配され続けました。
エペソの町の位置はカイスタ川の河口の近くにあり、ローマと西側の間にある重要な貿易都市でした。
これらを要因として、エペソは使徒たちの時代において大きな商業都市へと変わっていったのです。
また、エペソは自由都市であり、議会政治を持っていました。
しかし、そこにはサタンの力が働いていました。
古代世界の七不思議の一つであるダイアナの神殿がエペソにはあったからです。
その神殿は127の柱を持ち、60フィートの高さ、425フィートの長さ、220フィートの幅をありました。
まさに、その地域における偶像崇拝の中心地だと言える場所だったのです。
私たちはアレキサンドリア生まれのユダヤ人、アポロという名の人に目を向けてみましょう。
彼はキリストの公生涯のいくつかの出来事について、はっきりと何かを聞きました。
しかし、キリストの生涯全体について、ペンテコステにおいて聖霊が来られた事など、アポロは知りませんでした。
彼はシナゴーグで雄弁に語りましたが、ヨハネのバプテスマしか知りませんでした。
ピリスクラとアクラはコリントにおいて、パウロの伝道によって救われた者たちです。
彼らはある日、アポロを捕まえて、クリスチャンとしての信仰を彼に、より詳しく話しました。
アポロがギリシャに行ったとき、彼は教会へと宛てられた手紙によって推薦されています。
私たちはこの手紙によって、アポロがコリントにおいてキリストに仕えていたことを知ることができます。(コリント人への手紙第一1章12節参照)
この手紙では、アポロがかつて福音を十分に理解できていなかった状態が訂正されていることが証明されています。

パウロがエペソの町に来た時、彼は12人の人たちを見つけました。
バプテスマのヨハネの弟子たちです。
彼らはアポロのようにヨハネのバプテスマしか知りませんでした。
パウロは、もし、キリストを信じる時のなら、その時に聖霊を受けることを彼らに知らせました。

「「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。」
新改訳聖書 使徒の働き19章2節

彼らは聖霊について無知であることが示されたのです。
パウロは彼らがヨハネのバプテスマしか知らないことを見つけ、聖霊を送った方こそがメシアであることを示しました。
パウロは彼らにこのことを説明し、そのことばによって彼らの考えが訂正されたのです。
彼らは主イエスキリストの御名によってバプテスマを受け、聖霊を受け取りました。
これは新約聖書の中で、唯一、再洗礼の実例として記録されています。
そして、このことは、実際の改心の時にバプテスマを受けることをはっきりと説明しています。

B、改心におけるみことばの力
19章8節〜19章10節

パウロはいつもの習慣として、シナゴーグに行き三ヶ月に渡って、ユダヤ人たちに証しをしました。
福音は当然の結果として、ある人たちを救い、またある人たちを頑なにします。
ある者たちが頑固になった時、パウロは弟子たちから離れ、毎日ツラノの講堂で論じました。
パウロはおそらく、日が昇ってから11時ごろまで天幕作りの仕事をしていました。
ツラノの講堂におけるツラノの弁論が終わった時。11時ごろから4時ごろまでパウロは弟子たちに一つの授業として教えていたのでしょう。
これは2年間続けられ、この時に教えられた者たちはパウロに代わり、福音伝道者となっていったのです。
これらの者たちは主のみことばを聞き、アジアの地方へと出て行ったのです。
すべての者たちが信じたわけではありませんが、すべての者がパウロの信仰に基づく証しを聞き、聖書の約束について教えられ、聖書の影響を持つ者とされていったのです。

C、確信を持つことにおけるみことばの力
19章11節〜20節

他の場所で神はエペソにおいてもしるしと奇跡によって、みことばのメッセージに確信を与えました。
そして、パウロに病気を癒すという特別な力が与えられました。
その結果、イエスキリストの御名の評判はますます広がってゆきました。
ある時、一つの家族から出た七人の悪霊払いがこのような奇跡を試みて、悲惨な結果になったことが記されています。
彼らは人から悪魔を追い出そうと試みて、イエスの御名による新しい癒しをしようとこころに決めたのでしょう。
彼らはイエスの御名によって悪魔をしかりつけました。
しかし、悪魔は彼らが何によって、これらのことをしているのかを尋ねられたのです。
悪魔は人から出て行き、この七人の悪魔払いに襲いかかったのです。
彼らは縛られ、捕まえられ、彼らは家から逃げたのですが裸にされました。
この場面はイエスの御名を間違って使うことを驚くほどに描写し、クリスチャンたちを恐れさせ、彼らの持つ誤った行いに対し、確信を持たせました。
エペソの人たちはこの悪霊払いが単なるマジックであることを知り、クリスチャンたちがこのような悪に満ちた行いから離れていることが明らかになりました。
彼らは大胆にこの悪い行いからの拒絶を証しするために、彼らの持つ占いの本や巻物を持ってきてこれらを燃やしました。
その後に、クリスチャンは主の正しさを持って彼らと交わりを持ったのです。

「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」
新改訳聖書 使徒の働き19章20節

D、反対者に対するみことばの力
19章21節〜40節

パウロはギリシャとパレスチナに帰り、それからローマに行くとという計画を立てました。
このことは21節において最初に述べられていることです。

「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。」
新改訳聖書 使徒の働き19章21節

エペソにおいてデメテリオに扇動され、敵対者たちは増えてゆきました。
また。銀で小さなアルテミス神殿の模型が流行してしており、人々はこの模型をダイアナの神殿を示す場所としていました。
多くの者たちがクリスチャンへと改心し、その結果、この模型を売る商売が成り立たなくなりました。
デメテリオは技能者たちを集め、反対活動を始めたのです。
彼の主張は銀の神殿の模型の商売が成り立たなくなったというだけではありません。
エペソの市民のプライドのために立ち上がり、クリスチャンたちにダメージを与えようとするものでした。
町全体が立ち上がり、劇場の周りに入りよってきました。
彼らは二時間ほどこのように叫び続けました。

「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」
新改訳聖書 使徒の働き19章28節

彼らはガイオとアリスタルコを捕え、パウロは自分の所に彼らを寄せ付け人々を抑制しようと試みました。
しかし、弟子たちはパウロを止め、ついに町は半分に裂けました。
エペソの支配者である役人はエペソ人であり、ローマ人ではありません。
彼らはこのような集まりに対して、良き行動を取る責任があります。
彼らは実際にクリスチャンたちは何も犯罪に当たることを何もしていない、そして、このような集まりがローマの法律に禁じられた集まりであることを思いださせ、この群衆を静かにさせました。
このことばは群衆の力に影響を与え、彼らの心に触れたのです。

「町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。
これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。
皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。
それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。
もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。
きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」」

新改訳聖書 使徒の働き19章35〜40節

2、ギリシャ
20章1〜5節

パウロがマケドニアを離れたのは、貧しいエルサレムの聖徒たちを守るためのマセドニアとアカヤにて集めた献金を集めるためにためでした。

「私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。」
新改訳聖書 コリント人への手紙第一16章2節

もしくはコリント人への手紙第二8〜9章を参照にしてください。
パウロはマケドニアにいたのと同じくらいの年月をそのことにために過ごしたのでしょう。

2節にある「ギリシャ」という単語は一般的にアカネを示すことがあります。
それはアカネがギリシャの南に位置していたからです。
ここで(コリントから)ローマ人への手紙が書かれたのです。
パウロは過ぎ越しの祭りまでにエルサレムに帰りたいと思っていましたが、彼は自分の命を狙う計画を知りました。
おそらく、船の甲板の上でパウロを捕まえる計画だったのでしょう。
パウロはアセドニアを通ってピリピから船に乗って帰ったのです。

3、小アジア
20章6〜38節

A、トロアスにおけるクリスチャンへのメッセージ

パウロはトロアスへと来ました。
彼は日曜日にパン裂きのために集まっていたクリスチャンたちと会いました。
おそらく、主の晩餐を兼ねてパン裂きが行われていたのでしょう。
パウロは彼らに夜中まで話し続けました。
トロアスにおいて使徒の話を聞く機会はたびたびあることではありません。
時間が遅く、一日の長い働きの後にもかかわらず、大勢の者が集まっていました。
彼らの多くは夕方の礼拝の前に仕事を持っていたのです。

そして、そこに多くのランプが燃えていました。
このランプが要因となって、この部屋の雰囲気を作っていました。
そして、この雰囲気がユテコの上にのしかかったのです。
ユテコは寝てしまい三階の窓から落ちてしまいました。
医者であるルカはユテコが三階から落ちて死んだと記録しています。

「ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。」
新改訳聖書 使徒の働き20章9節

パウロがユテコを抱きかかえると彼の命はよみがえったのです。

「パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言った。」
新改訳聖書 使徒の働き20章10節

B、ミルトスにおけるエペソの長老たちとの別れ
13〜38節

パウロはトロアスを離れ、アソスまで20マイルを歩いてゆく決心をしました。
一方、ルカとその他の者たちは船で向かいました。
彼らはエペソから30マイルほど離れたミルトスまで行かなければなりませんでした。
パウロがパレスチナに急いでいて、エペソには行くまいと決心していたからです。
そして、パウロはエペソの長老たちにミルトスに来るように手紙を送りました。
パウロはすでに過ぎ越しの祭りにまでにエルサレムに行こうとする計画をとがめられていたからです。
同時にパウロはペンテコステの日までエルサレムに滞在するような失敗はしたくなかったのです。

パウロの長老たちへの警告は三つの線に従ってなされました。
最初にパウロは自分の働きの特徴について彼らに思い起こさせました。
(18〜27節参照)

パウロの敵対者たちはパウロがいないのを見計らって、彼に攻撃をはっきりと仕掛けていたからです。
パウロは自分の働きを謙遜さをもって、涙をもって、そして、多くの自制をもって弁護したのです。
その弁護はいつも、公においても、個人的においても表われていることです。

「私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、
ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。」

新改訳聖書 使徒の働き20章19〜21節

また、その内容は悔い改めと、信仰と、神の御国(25節)、そして、すべてが神の御配慮であることが語られています。

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」
新改訳聖書 使徒の働き20章24節

次にパウロは長老たちに責任を与えました。

「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」

新改訳聖書 使徒の働き20章28〜31節

神がこれらの教会の上に長老たちを置きました。
それゆえにこの責任は単純にこれらの教会に注意を払うということでした。
同じ集まりがここでは監督、執事と呼ばれていますが、17節においては長老と呼ばれています。
もっと注意すべき点としては同じ節において、彼らは群れの監督と呼ばれています。
(牧師と同じことばとして...。)
それは牧師、執事、監督などが同じものであるように思われます。

28節には次のような節があります。

「神がご自身の血をもって買い取られた神の教会...」
新改訳聖書 使徒の働き20章28節

これは神ご自身が持つその(御子の)血をもって買い取られた教会と訳すべきでしょう。

三つ目にパウロは彼らを神に推薦しました。
(32〜38節)
その恵みのことばはどのような生活を中においても、建てられ続け、犠牲がそこにあるのです。
パウロは彼らの中で行われた働きを弁護するために別の言葉を使って話し続けました。
35節においてキリストの言われたことがあります。

『受けるよりも与えるほうが幸いである。』
新改訳聖書 使徒の働き20章35節

これは聖書の他の個所で引用されている個所はありません。
他の個所で同じ本質のものがあります。

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。」
新改訳聖書 ルカの福音書6章38節

「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」
新改訳聖書 ルカの福音書11章9節

しかしながら、実際には35節のことばと同じことがよく知られ、広く用いられていたのです。
パウロが
話し終えた時に、長老たちは気が進まずに、悲しみながら別れをしたのです。
それはパウロがこれらの警告を知り、そしてもうこれ以上彼らと会うことがないことを知っていたからです。

4、パレスチナ
21章1〜17節

A、ツロ
1〜6節

パウロにとってエペソの長老たちとの別れは大変つらいものでした。
パウロはフェニキアのツロに向かわなければならなかったのです。
(11章19節参照)
また、パウロはそこに知っているクリスチャンのいないことをはっきりと知っていました。
ゆえに、彼は船が荷おろしをしている間に知っているクリスチャンを探したのです。
そして、パウロは一週間、これらのクリスチャンと過ごし、聖霊によって彼らからパウロはエルサレムに行かないように警告を受けました。
しかし、パウロはいかなる方法をとっても、エルサレムに行かなければならないと感じていたのです。
これらのクリスチャンは船までパウロと同行し、そこで別れを告げました。

B、カエザリア
7〜14節

その船はすぐにトレマイ(現在のアクレ)に着きました。
パウロはそこで船から離れて帰路につき、カエザリヤに歩いて向かったのは明白なことです。
そこで、パウロとその同行者は伝道者ピリピ、そして七人の処女である娘たちの家に滞在しました。
この七人の娘たちには預言の賜物がありました。

次の記事を思い出してください。

「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。」
新改訳聖書 使徒の働き8章5節

すぐにこの場面にユダからの預言者アガポが現れました。
(11章28節)

そして、彼は聖霊を通して預言をしたのです。
パウロがエルサレムで縛られ、異邦人に渡されるという預言です。

「彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。」
新改訳聖書 使徒の働き21章11節

これらの警告にもかかわらず、パウロは使徒ゆえにエルサレムに行かなければならないと感じていたのです。

C、エルサレム
15〜17節

数日たったのち、この集まりは旅支度をしました。
16節には次のようにあります。

「カイザリヤの弟子たちも幾人か私たちと同行して、古くからの弟子であるキプロス人マナソンのところに案内してくれた。」
新改訳聖書 使徒の働き21章16節

おそらく、エルサレムにおいて伝道された初めのころ、宣べ伝えられた者たちをルカが世話をしていたのでしょう。
彼らはついにエルサレムに着きました。
このようにして3回目の伝道旅行が終わったのです。

18、ローマへの道
使徒の働き 21章18節〜28章31節

エルサレムの衰退
21章18節〜26節

この話は急にローマへの道へと転回してゆきます。
このローマへの道は始めから定まっていたことです。
また、この話はルカによって記録されつづけています。
エルサレムに戻ってみると、すべての者が平和に過ごしているのではありません。
ユダヤ人クリスチャンたちがパウロを訴えています。
パウロが異邦人クリスチャンたちに割礼を施すのを禁じていたからです。
これらの異邦人クリスチャンたちはパウロの働きによって救われた者たちです。
それでも、パウロはユダヤ人クリスチャンたちをなだめられることを願っていました。
異邦人クリスチャンの立場は最初のエルサレム会議によってはっきり定められていました。

「信仰にはいった異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」
新改訳聖書 使徒の働き21章25節

しかし、ユダヤ人クリスチャンたちに対して、パウロがモーセの律法に逆らっていないことが証明されなければなりません。
ヤコブはエルサレムの教会においてリーダとして認められていました。
エルサレムの教会においては、すでに12弟子としての存在は認められていなかったのでしょう。
長老たちはパウロによき結果を生み出すために次のような提案をしました。
その提案とはエルサレムに誓願(おそらく、ナジル人としての誓願)を立てた四人の者たちの面倒を最後まで見ることです。
その誓願である清めの儀式はこの者たちが頭の毛を剃る前に要求されていることです。
また、この誓願の儀式の期間の最後には多くの捧げ物が含まれており、重要な意味を持っていました。
ヤコブはパウロにこれらの捧げ物の費用を払い、パウロ自身がこの四人の者とともに清めの儀式に参加することを勧めました。
(パウロはこのような特別な時代にあったとしても、このような誓願の下にはいません。)
また、当時、このような誓願は一般的に行われていたのでしょう。
パウロの願いはすべての人のために、すべてのことを行うことでした。

ここに二つの興味深い質問が起きてきます。
一つ目は、パウロはこの誓願、もしくはローマの支配者から自分を守るため、また、ローマにおいて自分の家をあ2年間の借りるための費用をどこから工面していたのでしょうか?
おそらく、教会がパウロに献金をしていたのか、もしくはパウロの家族から何かしらの相続財産を受け取ったのではないでしょうか。
二つ目にこの行動は主のみこころにかなわないことをしたのではないでしょうか?
神だけがこのことに関して十分な答えを持つことができます。
しかしながら、パウロには人に喜ばれたいという欲望があり、人を恐れていたのではないかと思われます。
確かなことは、パウロはエルサレムに行くなという警告をはっきりと持っていたということです。

2、神殿における暴徒に対する弁護
21章27節〜22章30節

ナザレ人が清められる日までの七日間が過ぎようとしていました。
まさにその清めの期間が満ちようとしている時、アジアから来たユダヤ人が神殿において、異邦人の入ってはならない禁断の場所にパウロとともにエペソ人トロピモがいるのを見たと言ったのです。
この者たちはかつて、20章19節に語られているように、パウロに問題を投げかけた者たちです。

「ユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。」
新改訳聖書 使徒の働き20章19節

異邦人は異邦人の庭まで入ることができますが、それより先に入ることが出来ません。
しかし、注意すべき点があります。
それはギリシャ人と古代ローマ人が神殿の内庭に入ることが禁じられていました。
そして、先にうわさが先に広がり、群集はパウロを捕まえ、パウロを神殿から引きずり出してから、パウロを殺そうとした順序があります。
護衛(ローマの護衛)は神殿の柱の上から暴徒が起きてのを見ていたのでしょう。
そして、この護衛は百人隊長に、「パウロを捕まえ、縛るよう」にとの言葉をおくったのです。
百人隊長はなぜパウロがこのような暴乱が起きたのか、その理由を知るためにパウロを逮捕しました。
パウロは自分のことを語り、この群集に対して説明できるように百人隊長に願いました。
(この段階においてはこの百人隊長はパウロがローマの市民であることを知りません。)

パウロはこの人々に対して、律法とは、そして、神殿とは何かを、訴え、そして教えたのです。
パウロは自己弁護をし、自分が良きユダヤ人であること、そして、自分に主が現れたことを語りました。
そして、その現れははっきりと目に見える形で、自分の人生を変えてしまうほどの権威を持っていたことを主張しました。
これは決して不確かなことではありません。
ルカはこの日、パウロの弁護をこの群集の中で聞いたのです。
パウロは最初に真実なユダヤ人の立場を取り、彼らに説得したのです。
(1〜5節まで、参照)
これは自分がユダヤ人として生まれ、教育を受け、クリスチャンを迫害していたという事実をもう一度聞かせることにより、この真実を証明しようとしたのです。
パウロはダマスコの路上において、主が彼に現れたという出来事をもう一度語っています。
(6〜16節)
16節は文字通り訳すのならば、次のように訳すべきです。

原文
「立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」
新改訳聖書  使徒の働き22章16節

「立ちなさい(アオリスト分詞)。その御名を呼んで(アオリスト分詞)バプテスマを受けて、その結果として自分の罪を洗い流されなさい。」

つまり、立ち上がりなさい。
そして、次に主の御名を呼びなさい。
続いて、罪の赦しを得なさいと語っているのです。

訳者注)
この個所から、バプテスマを受けないと救われない、もしくはバプテスマを救いの条件として使いたがる人たちがいます。
聖書は常に一箇所から無理な引用は危険を伴います。
たとえば、バプテスマならバプテスマの個所を引用し、検討する必要があります。
もし、違うことが書かれているという疑いがあるのなら、その個所を調べて見て下さい。
必ず、その疑うが解けるはずです。


「バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」
新改訳聖書  ペテロの手紙第一3章21節

次に、パウロはエルサレムの神殿において、復活された主を見て信じたという幻を語っています。
そして、異邦人へと語ることがパウロに任されたのです。
(17〜21節)
また、この幻の記録は他の場所にはありません。

「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、
主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。」

新改訳聖書  使徒の働き22章17〜18節

この暴徒はパウロに対する反抗の嵐を爆発させる行動を取りました。
それは異邦人という言葉を述べたからです。
この百人隊長はパウロの話しているアラム語を知らなかったのでしょう。
百人隊長はパウロを取り調べるためにこの場面から移しました。
護衛たちはパウロを取り調べるために鞭打ちにしようとしました。
パウロはこのような取り扱いを逃れるために、自分の持つローマの市民権を主張したのです。
その時、この百人隊長はこの問題ゆえに、パウロをサンヘドリンに戻す準備をしたのです。

3、エルサレムのサンヘドリンにおける紛争
23章1〜10節

サンヘドリンの前に集まった集まりは嵐のようなものでした。
パウロは最初に自分の良心が神の前で潔白であることを証しました。
アナニアは悪名高い不謹慎な大祭司です。
47年に任命され、66年に暗殺されました。
アナニアはパウロを強制的に黙らせましたが、パウロはするどい口答えをして反抗しました。
やがて、パウロにアナニアが大祭司であることを告げられ、パウロは自分の言ったことを撤回しました。
なぜ、パウロがアナニアが大祭司であったことを認識できなかったのかその理由は述べられていません。
パウロの目が悪かったかも知れませんが、5節を注意深く読むのであれば、それはおそらく皮肉だったのでしょう。

「パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。」
新改訳聖書  使徒の働き23章5節

パウロは再び話し出しました。
パウロの持つパリサイ人的背景と自分の持つ知識によって、パウロはこの集まりを二つに分けることに成功しました。
彼は単純に死者の復活と希望に関することを話したのです。
このような騒然とした状況にによって、この集まりを二つにしましたが、百人隊長はパウロを殺してしまうか、もしくは助けだすかどちらかの選択に責められました。

4、陰謀からカエザリヤへの救出

サンヘドリンの前で行われた激しい集まりの後の夜、主は恵みをもってパウロに現れてくださり、パウロに確信させてくださいました。
パウロはローマにおいても主を証しなければならないのです。

「その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。」
新改訳聖書  使徒の働き23章11節

その翌日、40人以上のユダヤ人がパウロを殺すまで、飲み食いはしないという誓いを持って集まりました。
彼らの計画はサンヘドリンの議員たちに知られたのでしょう。
何であろうと、その計画をパウロの甥が聞いたのです。
その甥は牢獄の中にいるパウロに知らせました。
パウロはこの甥を千人隊長のところに送り、千人隊長はこの陰謀を妨害する計画を立てました。
この計画はまさにその夜に、パウロを護衛のもとに、カエザリヤにいる総督ペリクスのところへ送ることにより実行されました。
千人隊長はパウロを送る際に、ローマの法律のおいてはパウロの無罪であること、そしてこの問題全体の一部を担ってほしいことを手短に書いた手紙を添えました。
(24章7節でテルトロはまったく反対のことを報告しています。)

パウロは安全に到着しました。
パウロは初期に学んだことを確信していたのです。
そして、パウロはヘロデ大王によって建てられた宮殿に監禁されました。
また、40人の誓った者たちが飢えて死んだのかは残念ながら記録されていません。

5、カエザリヤにおけるペリクスの前の弁護
24章1〜27節

A、訴え
1〜9節

5日間で訴える者たちが到着しました。
彼らは大祭司によって編成され、権威が与えられた集まりです。
大祭司が関与することはもっとも不可思議なことです。
また、この集まりには長老たちが含まれ、弁護士テルトロが雇われました。
テルトロはユダヤ人とペリクスの持つ敵意を打ち消すために気にいられようと計算ずくで、ペリクスに要求しました。
テルトロはパウロに対する訴えを表しました。
この訴えは二つの方向性を持ってなされています。
一つはローマに反抗するナザレの一派の張本人として、政治的な方面からパウロを訴えています。
もう一つは神殿を冒涜したものとして、宗教的な面からパウロを訴えています。
この訴えはユダヤ人たちの心の中にあることなのです。

B、パウロの弁護
10〜21節

パウロの弁護において、パウロは自分に対してなされた政治的な側面について分け否認しています。
パウロはペリクスに自分がエルサレムにいたのは12日間だけであることを思い出させています。
つまり、ローマに対して反抗する者たちを率いるのには十分ではないことを主張しているのです。
そして、パウロがエルサレムにいた目的は礼拝を捧げるためだったのです。
パウロは宗教的な側面からの訴えに対して正確な答えを出したのです。
ゆえにパウロの敵が異端だと呼びながら、神に、聖書に、そして、救い(神に希望を置くこと)と未来における復活を信じているこの道に従っていることを認めたのです。
どうであろうと、この異端という言葉はここで特別な意味を持っているのは事実です。
また、パウロの主張は生きています。

「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」
新改訳聖書  使徒の働き24章16節

付け加えるのなら、パウロは神殿において暴徒を引き入れて働いたことを強く否定しています。
ゆえにパウロは群集をも、暴動をも引き起こしていないのです。
さらに、パウロはサンヘドリンがパウロの欠陥を何も見つけることができないことを主張しています。

C、ペリクスの結論
22〜27節

ペリクスは明らかにキリストに関する知識を持っていたのです。
24節見るならば、おそらく妻のドルシラから聞いていたのでしょう。
しかしながら、ぺルクスはパウロに対してなされた訴えがまったくの無罪であることを知りませんでした。
彼はその集まりを閉会しました。
それはエルサレムから来た代表者たちの影響力がどのようなものかを知っていたからです。
また、その方法はルデアからの意見を聞きたかったからゆえです。
けれども、ぺルクスはこのような状況にあっても、パウロに出来る限り自由を与えました。
パウロは二年間の間、この半監禁状態の中に置かれました。
ぺルクスとドルシラはその期間、パウロと何回もパウロの信仰について会見を持ちました。
また、ぺルクスの動機は賄賂です。

「それとともに、彼はパウロから金をもらいたい下心があったので、幾度もパウロを呼び出して話し合った。」
新改訳聖書  使徒の働き24章26節

しかし、それでもパウロはこの機会を使い、キリストを証しました。
後に、フェストがぺルクスを引き継ぎました。
しかし、それでも、ぺルクスはユダヤ人に気に入られる必要があるので、彼はパウロを牢屋の中に入れておいたのです。

4、カエザリヤにおける、フェストの前の弁護
25章1〜27節

A、フェストとパウロ
1〜12節

フェストがエルサレムに来た時、ユダヤ人のリーダーはフェストに、かつて、パウロを訴えた者として、彼はどうなったのかを尋ねました。
さらに、彼らはフェストにパウロを裁判のためにエルサレムに連れて来るように願いました。
彼らはその道でパウロを殺すつもりであることをフェストには話していません。
おそらく、この人たちの集まりは、かつてパウロの命を狙った計画を立てた同じ集まりであることがここで意味されています。
しかし、神はフェストが拒絶したことをもご自身が用いたことであることを示し、そして、パウロのすべてをも知り尽くしていたのです。
フェストは自分がカエザリヤに行き、この問題を見てくるようにユダヤ人たちに約束しました。
フェストは彼らと同伴しましたが、その時に彼らは再びパウロを訴えました。
パウロはカエザルに対する反逆罪と神殿を冒涜し、ユダヤ人の律法を破った、その両方の無罪を断言しつづけました。
フェストはパウロを解放することを願っていません。
フェストはユダヤ人に気に入られようとしていたからです。
彼はパウロに裁判を受けるためにエルサレムに行くように提案しました。
ここで、パウロはフェストに裁判に適切な場所はカエザリヤであることを思い出させました。
フェストはパウロが邪悪なものではないことを知っていました。
そして、パウロはカエザルに主張することによって自分が無罪であることを証明しようとしたのです。

「私はカイザルの法廷に立っているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。
あなたもよくご存じのとおり、私はユダヤ人にどんな悪いこともしませんでした。
もし私が悪いことをして、死罪に当たることをしたのでしたら、私は死をのがれようとはしません。
しかし、この人たちが私を訴えていることに一つも根拠がないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。
私はカイザルに上訴します。」

新改訳聖書  使徒の働き25章10、11節

フェストがユダヤ人への譲歩するように願っているのをパウロが見た時、彼はもはやこの裁判が公平に行われていないことを恐れました。
ゆえに、パウロはカエザルに訴えたのです。
この訴える権利は古代から非常に大事にされてきた権利です。
このローマの権利は紀元前509年に採用されました。
この訴えは下級裁判においての評決の後に使うことができます。
もしくは、このパウロの例のように訴訟手続きの初期において使うことができます。
しかし、その権利が使われたということは、この調査が直接ローマに移ったということであり、評決がローマ皇帝自身から直接されることが保証されます。
(この時の皇帝はネロでした。)
パウロはついにキリストを信じる信仰が、ユダヤ教から独立した合法的信仰であるかどうかを解決するために、カイザルに訴え、この権利を使用したのかもしれません。
いずれにせよ、フェストはユダヤ人との問題から離れられて安心したに違いありません。

B、フェストとアグッリパ

フェストはその場でパウロについての報告をしなければなりませんでした。
フェストはパウロが無罪であることを理解していました。
フェストの状況はアグリッパとベルニケの当たり前の訪問によって、幾分安全だと感じていたのでしょう。
(このアグリッパ王は12章に出てくるアグリッパ大王1世の息子です。)
フェストはカエサルにパウロの訴えに至った出来事を繰り返して言い、ローマの法律の関係している限り、パウロは無罪であることを再確認しました。
アグリッパの関心は引き起こされ、彼はパウロに尋ねました。
フェストがこのことをとても喜んだのです。
その翌日、パウロは多くの装飾品に囲まれた部屋に連れていかれました。
そして、フェストはアグリッパにパウロをカエザルへの手紙に書かれているような訴えが本当なのかを調べるように求めました。
「おそらく、彼らはパウロの鎖を見て哀れみの心を持ったのかも知れません。
しかし、キリストの偉大なしもべの心にはより哀れな心で満たされていたことでしょう。
パウロは彼らの地上のみすぼらしい虚飾で飾られた失われた魂を見たのです。」
(Gaebelein:使徒の働き、P401)

7、カエザリヤにおけるアグリッパの前における弁護
26章1〜32節

パウロはカエザルに訴え、実際にはアグリッパの前に自分を弁護することを要求しませんでした。
それにもかかわらず、パウロはこのユダヤ人の王へと証をする機会を得たのです。
これは注目すべき会話でした。
それによって、パウロは偉大な行為と礼儀を示し、さらに、この真実さえも彼らに示したのです。
そこには少なくとも王自身への4つの個人的な訴えがあります。
(2、13、19、27節)

A、パウロの改心前の生活
1〜11節

最初にパウロは熱心なパリサイ人としての生き方を話しました。
誠実なパリサイ人でした。
決して、偽善的ではありません。
それがパウロの生き方の基盤でした。
パウロは誠実なパリサイ人ゆえに、潔白な生き方をしようとしていました。

「私が最初から私の国民の中で、またエルサレムにおいて過ごした若い時からの生活ぶりは、すべてのユダヤ人の知っているところです。
彼らは以前から私を知っていますので、証言するつもりならできることですが、私は、私たちの宗教の最も厳格な派に従って、パリサイ人として生活してまいりました。」

新改訳聖書  使徒の働き26章4、5節

パウロは神がユダヤ人に与えた約束を信じていました。

「そして今、神が私たちの先祖に約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。」
新改訳聖書  使徒の働き26章6節

そして、パウロはイエスに従う異端の一派であるクリスチャンを熱心に迫害しました。

「以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。
そして、それをエルサレムで実行しました。
祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。
また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。」

新改訳聖書  使徒の働き26章9〜11節

これらすべてのことは誠実なパリサイ人してまったく矛盾のない歩みをしていました。
しかし。彼らはたとえ誠実であっても、悪人である可能性を指摘しています。
10節にある「賛成の票を投じました」ということばは公式に投じたという意味があります。
ならば、パウロがサンヘドリンの一員であることを示し、これらの者と固く結びついていたことが考えられます。

B、パウロの改心
12〜18節

ただダマスコの路上において何が起きたかを示すことにより、パウロは自分の生き方がどのように変わっていったを示しました。
そこでパウロは祖先たちになされた約束の成就として、ナザレのイエスをメシアとして認めたのです。
まさにここで、パウロは異邦人の方へ行くように言われたのです。

「わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」

新改訳聖書 使徒の働き26章17、18節

C、パウロの改心後の生き方
19〜23節

パウロの改心後の生き方は改心の時に与えられた職務へと従うものとされたのです。
パウロはもう一度、高貴な聴衆へとこの福音を繰り返し聞かせました。

「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。
そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。
すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」

新改訳聖書 使徒の働き26章22、23節

D、評決
24〜32節

フェストはパウロが狂っていると言いました。
そして、この評決はその発言によって中断されました。
パウロはまじめに、そして合理的にフェストに答えました。
狂人ではないことを態度を持って示しました。
主がパウロのこころに確信を与え、王への直接的な質問を説明したのだと、気がついた時から、パウロはアグリッパへの方へと立ち返りました。

「アグリッパ王。あなたは預言者を信じておられますか。」

新改訳聖書 使徒の働き26章27節

もし、アグリッパが「ノー」と言ったのなら、彼の持つ正統性ゆえに彼の評判は消滅したでしょう。
もし、アグリッパが「イエス」と言ったのなら、パウロの主張と同じ、一般的な立場を持つのです。
アグリッパはパウロが何を言ったか学術的な興味を持っているのです。
アグリッパの興味と、キリストを公に告白するということはまったく別のことです。
アグリッパは次のように答えることにより、その問題から身を引いたのです。

「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている。」
新改訳聖書 使徒の働き26章28節

パウロは再び厳粛に答えました。
しかし、次の言葉は少しことばの遊びとして取ることができます。

「ことばが少なかろうと、多かろうと(2、3の言葉であろうとたくさんの言葉であろうと、もしくは、やさしかろうと難しかろう)私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」
新改訳聖書 使徒の働き26章29節

その言葉の結果、王は目を覚まし、聴衆たちの人生の結果に対しての警告となりました。
この後に王はパウロの無罪を宣言したのです。
(23章29節、25章25節参照)

8、ローマへの旅立ち
27章1節〜28章16節

この章は新約聖書の中でもっとも文学的に描写された個所の一つであり、旧約聖書のヨナ書の一章と一致している個所です。
古代世界においては、航海は何か楽しむというものではありませんでした。
不定期な船、遅れるのは当たり前、そして、船が難破することを考えるのならば航海の楽しみを得ることはできません。
この場合、パウロは8月、もしくは9月にパレスチナを離れたのでしょう。
しかし、パウロがローマに着いたのは3月でした。
そして、その間にパウロの乗っていた船とパウロの所有物が失われたのです。

A、カイザリヤからミラへ
1〜5節

パウロはローマへの旅のために百人隊長ユリアス引き渡されました。
2節にある「私たち」という言葉に注意してください。
ルカは再びパウロと同伴しました。
シドンにてパウロは自分の友人たちが同伴することを許しました。
パウロはローマ市民として、礼儀正しく扱われ、カエザルによって裁判を受けるまでも無罪な者として考えられ、扱われていたのでしょう。
彼らはその時、東へと向かい、キプロスの北を通り、小アジアの南海岸にあるミラへと航海していました。
そこでパウロと他の者たちはエジプトから来た別の舟に乗り換えました。

B、ミラからクレタへ
6〜8節

ミラにおいてその集まりはアレキサンドリヤからローマに向かう船を見つけました。
彼らはその船に乗り込み、かろうじて良い港といわれるところへ着きました。
そこはクレタの海岸の南側にある小さな港でした。

C、クレタからマルタへ
9〜26節

時はすぐに過ぎてゆきます。
そして、すぐに海はすべての航海を閉じ込めてしまいました。
ルカは贖いの日のことを述べていると言うことは、すでに断食の季節は過ぎてしまったことを書いています。
この意味はこの季節がすでに10月であることを意味しており、11月が終わるまですべての航海を完全に閉じなければならないのです。
さらに、その季節は航海をするには非常に危険な季節でした。
パウロはユリウスに警告しました。
しかし、百人隊長であるユリウスは船の船長を信じました。
彼らは航海を続けました。
彼らは少なくとも、ピニクスで冬を過ごしたいと思っていました。
そこはクレテの南海岸にある良き港です。
その良き港は正体を現しました。
しかし、風は彼らを捕まえ、海岸に沿って航海をしたので、彼らは何もすることが出来ず、船は風とともに進んでゆきました。

「ところが、まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした。」
新改訳聖書 使徒の働き27章14、15節

彼らは通常は船尾にある小舟を船に引き上げ、備え綱で船体を巻きました。(17節)
船具をはずして流れるに任せました。
また、その翌日、彼らは積荷を捨て始め、船具までも投げ捨てました。

「私たちは暴風に激しく翻弄されていたので、翌日、人々は積荷を捨て始め、三日目には、自分の手で船具までも投げ捨てた。」

新改訳聖書 使徒の働き27章18、19節

38節を見るならば。積荷はさらに投げ捨てられています。
パウロはここで率直に話しています。
パウロは彼らにクレテを離れてはいけないと警告したことを思い出させています。
しかし、パウロは誰も命を失うものがいないことを彼らに確信させています。
神からの御使いがパウロにそのように語ったからです。
そして、パウロは彼らがどこかの島に打ち上げられると彼らに言いました。

D、難破
27〜44節

嵐が来てから14日目の夜が過ぎようとしていました。

「十四日目の夜になって、私たちがアドリヤ海を漂っていると、真夜中ごろ、水夫たちは、どこかの陸地に近づいたように感じた。」
新改訳聖書 使徒の働き27章27節

そして、彼らはいかりを下ろして日が昇るのを待ちました。
彼らは安全を確信していたからです。
その間、パウロはすべての乗組員を何かを食べるように勇気付けました。
彼らは丸二週間何も食べていなかったからです。
日が昇った時、彼らはゆるめていたいかりを切り離しました。
そして、岸の方へと船先を向けました。
しかし、船は座礁してしまったのです。

「ところが、潮流の流れ合う浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。へさきはめり込んで動かなくなり、ともは激しい波に打たれて破れ始めた。」
新改訳聖書 使徒の働き27章41節

船員たちは囚人たちを殺してしまいたかったのです。
しかし、ユリアスはそれを許しませんでした。
それどころか、これらの囚人たちで泳ぐことの出来る者は船外に飛び込むように命令されました。
その一方、他の者たちは船から板などにつかまって船から助かりました。
このようにして彼らは岸に安全にたどり着いたのです。
このようにすべての者が救われました。
しかしながら、船は失われました。
正確にパウロが預言したとおりです。
この旅全体のいたるところにパウロの平静さがあります。
そして、パウロは囚人であったとしてもリーダシップを持って支配しています。
これは注目すべきことです。
さらに、神の御手はすべての風、波、航海士、船員までもコントロールしていることは明白な事実です。
すべての状況は神の愛をもってコントロールされているのです。

E、マルタ
28章1〜11節

三ヶ月間(11月、12月、そして1月)の間、彼らはマルタにて過ごしました。
ここに記されている出来事はわずか二つの出来事です。
一つは上陸してすぐに起こりました。
民は火を起こしていました。
パウロはこれを助けましたが蛇がパウロの手に噛み付きました。
(2節にある「島の人々」という言葉は決して野蛮人を示しているのではありません。
これはルカの観点から書かれ、単に非ギリシャ人を示しています。)
現在、この島に毒蛇がいません。
しかし、その時代にそこに毒蛇がいたのです。
マルタ人たちはパウロが病気になるか、または、死ぬのではないかと思いました。
パウロにはそのようなことが起こりませんでした。
彼らはパウロが神ではないかと言い始めたのです。
次の出来事はポプリオの父のいやしです。
ポプリオこの島の主要人物でした。
そして、彼の父は高熱と下痢にて苦しんでいました。
8節にある熱病は赤痢という意味です。
パウロが祈り、そして、手を置いた後に彼は癒されました。
他の者たちはパウロと医者ルカを尊敬しました。
明らかにいくつかの癒しは超自然的な神の力を通してなされました。

「それで彼らは、私たちを非常に尊敬し、私たちが出帆するときには、私たちに必要な品々を用意してくれた。」
新改訳聖書 使徒の働き27章10節

これらの品々は彼らの医療的働きに対して払われたのでしょう。

全く正しく、癒やされるそれらは、彼らの医者に支払いました。
三ヵ月後、この集まりはアレキサンドリヤから来た、別の船に乗り込みローマに向かいました。

F、マルタからローマへ
12〜16節

彼らのローマへの旅が再開されました。

「シラクサに寄港して、三日間とどまり、そこから回って、レギオンに着いた。
一日たつと、南風が吹き始めたので、二日目にはポテオリに入港した。」

新改訳聖書 使徒の働き28章12、13節

ポテオリは南イタリアにあるもともとの港町であり、エジプトから放出された穀物のための主要港です。
そこに一週間パウロとともにいたクリスチャンがいたということは驚くに値しません。
ローマにいた兄弟たちもパウロの到着したのを喜びました。
そして、ローマから43マイル離れた、アピオ・ポロとトレス・タベルネまでパウロを迎えに旅して来たのです。
これは使徒に大きな励ましを与えました。
ついに、ローマにパウロは着きました。
そして、パウロはユリウスによって警備隊のキャプテンに引き渡されました。
そして、パウロはある程度自由が許されたのです。

9、ローマにおける留置
28章17〜31節

パウロはローマにおける働きにおいて無駄な時間を過ごしたのではありません。
そして、パウロは最初にユダヤ人に証をするといういつものパターンに従い、それから異邦人に証をしました。
(ローマ人へ手紙9章1、2節、10章1節参照)
ローマに住むユダヤ人たちに最初に面会している間、パウロは単純に自分の無罪を主張しました。
彼らはパウロに起きたことについて何も聞いていないと答えました。
ゆえに、彼らはパウロからキリストに関することを喜んで聞きました。
事実、彼らはパレスチナにいるユダヤ人からパウロについて何も聞いていません。
パウロの迫害者たちはパウロをもっと迫害しようとは言っていないようです。
おそらく、彼らはカエザルがパウロが悪人ではないと宣言しようとしていたことを理解していたからでしょう。
ローマにおいて裁判を進めようとはしていません。
彼らはパウロの取り扱いについて何もしようとはしません。
そして、ローマの法律はパウロの無罪が評決されるまで、18ヶ月間以上パウロをそこで守りました。
このようにパウロは活動することが出来ませんでした。
ユダヤ人たちはクリスチャンたちを非反逆な宗教として評決し、それを許し、危険を犯すようなことはしません。
(W. M. Ramsay著, The Teaching of Paul in Terms of the Present Day, 今日におけるパウロの教え。pp. 346-71)

2回目の会見において、パウロは主イエスについてさらに詳しく話しました。
ある者たちはパウロに賛成しましたが、ある者たちは反対しました。
彼らはパウロから離れ始め、パウロは彼らに預言者イザヤのことばを彼らに思い出させました。
彼らのこころは真実な言葉を聞くのによりこころを頑なになってゆきました。
パウロのメッセージを聞き、自由に異邦人は神に立ち返ることができたのです。
パウロは自分の家を借りることが許され、2年間そこで留置中でありながらもある程度自由に語ることが許されました。
パウロはおそらく2年間の間、そこに住み、自由に行き来することが制限されたのでしょう。
なぜ、使徒の働きはここで終わっているのでしょうか?
ルカがパウロの歴史を語るのをやめるように決めたのか、問題にする必要がないと私は思います。
しかしながら、ルカの目的を完全に理解できたというわけではありません。
パウロはローマに着いたというという終結をもって完成されるようにルカは考えたのでしょう。
このようにパウロは自由にされ、パウロの記録が閉じています。
(ルカの目的についての十分な議論は、新約聖書神学の権威(the author's Biblical Theology of the New Testament)pp. 103-107を見てください。)
さらに、ルカはこの二年間に使徒の働きを書くのを終えたのかも知れません。
そして、パウロが開放される前にこの使徒の働きを公布したかったのかも知れません。
少なくても、ルカは自分の目的を完成させ満足させたのです。
ゆえに、ルカはイエスキリストの復活とそれに続いて行われたことを記録したのです。
しかし、そこにはこの物語についての終わりがありません。

2002/12/7 終了


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