第四章 教義と規律 |
アンリ8世の治世に、高名な医師でありながら偏屈なローマ主義者であったリナサーが新約聖書を初めて手にし、しばらく読んだ後、彼は耐え切れずに新約聖書を放り投げ、大声で誓いました。
「この本は真実なのか?それともわたしたちはクリスチャンではないのか?」
彼はすぐにローマのシステムと新約聖書のシステムが真っ向から対立していることを見抜いました。
そして、この2つのシステムを公平に比較しても、それ以外の結論は出てきません。
聖書から「カトリックの礼拝書(ブレヴィアリー)」移るのは、光から闇へ移るようなものです。注)
注)ブレヴィアリー(Breviary) カトリック教会において、1日に7回設けられた祈りの時間に使用される礼拝書です。 特に司教、司祭、助祭が聖務日課(すなわち、教会法定時刻、キリスト教徒の毎日の祈り)で日常的に使用する公開祈祷書または教会法定祈祷書、賛美歌、詩篇、朗読、注釈が含まれています。 |
聖書は「崇高なる神への栄光、地上の平和、人への善意を説く」のであるのに対し、「カトリックの礼拝書(ブレヴィアリー)」は「至高の神に不名誉なこと、人類の道徳的・精神的幸福をすべて台無しにする」ことを教え込みます。
なぜそのような有害な教義や「しきたり」が教皇制度に取り受け入れられたのでしょうか?
聖書があまりに不明瞭であいまいであるために、人々は聖書がその内容と正反対のことを信じ、実践することを要求していると思い込むという誤りに自然におちいってしまったのでしょうか?
違います!
教皇制度の教義と規律は決して聖書に由来したものではありません。
権力のあるところはどこでも同じです。
天からの愛という最高の贈り物を中に投げ込むか、鍵の下に閉じ込めてしまうか、鍵をかけて閉じ込めているという事実自体が、それを証明しています。
しかし、さらに決定的に証明できることがあります。
教皇制度の主要な柱をひと目見れば、その教義と規律がすべての重要な点がバビロンに由来していることが十分に理解できるはずです。
ここでは読者にその証拠を読み解いてもいましょう。
次は、第四章 教義と規律、第一部 バプテスマによる新生
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