第七章 歴史的、預言的に考えられる2つの展開 |
これまで私たちは、主に2つのバビロンの歴史を詳細に考察してきました。
ここで、これらを組織化されたシステムとして見ることができます。
古代バビロニアの偶像崇拝システムは歴史のさまざまな時期に、さまざまな段階を経てきました。
現代のバビロンに関する預言的記述において、明らかに時代によって異なる力の進展が見られます。
これら2つの展開には、互いに典型的な関係があるのでしょうか?
はい、その通りです。
古代バビロニア異教の宗教史が、ローマにおける偶像崇拝の組織的な働きを暗示し、預言的象徴を浮かび上がらせます。
そして、この見解は、これまで私たちが関心を寄せてきた見解と同じ様に、このテーマにおいても多くの光を与えていることがわかるはずです。
現代のバビロンで働いている不法の力については、ヨハネの黙示録の12章と13章に具体的に説明されています。
それらは次のとおりです。
第一部 大いなる赤い竜
第二部 海からの獣
第三部 地上からの獣
第四部 獣の像 注)
注)「底知れぬ所からの獣」(ヨハネの黙示録17章8節)についての考察は、あえて省略します。 この件に関する議論は私の著書である「赤い共和国(Red Republic)」に掲載されています。 |
「あなたの見た獣は、昔いたが、今はいません。しかし、やがて底知れぬ所から上って来ます。そして彼は、ついには滅びます。地上に住む者たちで、世の初めからいのちの書に名を書きしるされていない者は、その獣が、昔はいたが、今はおらず、やがて現われるのを見て驚きます。」
(ヨハネの黙示録17章8節)
これらのあらゆる点において調査してゆくならば、後継者と展開の順序から見るのであれば、旧約聖書のバビロンの異教は、まさに新約聖書の異教の型であることがわかります。
訳者注)訳者は聖書を文字通り読むという立場ですので、著者のヒスロップ氏とは黙示録の見解は違います。 ヒスロップ氏の解釈はルターに通じるもので、黙示録は歴史上の出来事だとするものです。 黙示録は最初の7つの教会は文字通り教会時代を型として描き、4章以降は世の終わりの患難時代、それに続く新天新地について描かれていると理解できます。 この教会時代の2000年間に黙示録を丸ごと適応するのは文字通りとは言えません。 ゆえに著者はこの書を「二つのバビロン」と命名し、未来のバビロンに結びつけることに失敗しています。 訳者としては「三つのバビロン」とし、将来の三つ目のバビロンを、黙示録に現れる宗教的反キリストこそが「ローマ・カトリック」そのものだと証明したいのです。 「あなたが見たあの女は、地上の王たちを支配する大きな都のことです。」 (ヨハネの黙示録17章18節) 注)地上の王たちを支配する大きな都 ― ヨハネの時代、現在形で王たちを支配している都、つまりローマです。 訳者はすべてを否定しているわけではありません。 この本を選んだのは、カトリックがいかにバビロンに通じるものであり、歴史的にも、現在の教会にもバビロンが忍び込んでいることを説明するのにふさわしいと判断したからです。 聖書の御言葉は奥深く、象徴的な2次的、3次的な解釈として成り立つ場合もあります。 使徒の働きでは、ヨエルによって語られた終末預言がペンテコステに適応されています。 「これは、預言者ヨエルによって語られた事です。 「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」 (使徒の働き2章16~21節) 訳者は、この教会時代にも、バビロンは忍び込んでいることも主張します。 |
次は第七章 歴史的、預言的に考えられる2つの展開、第一部 大いなる赤い竜です。
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