キリストの復活  

私はこのページを始めて開いて下さった皆様に「さあ、キリストは死人の中から復活しました。信じなさい。」とは簡単には言う気はありません。
しかし、次のことは歴史的に事実として十分に認められることです。

1、紀元一世紀半ば近く(AD32年)、イエスキリストといわれる人物が現在のイスラエルの首都エルサレムの都の郊外でローマにより十字架刑にされ死なれたこと。
2、イエスキリストが、死後三日目に復活したとエルサレムの都でまず信じられ、イエスキリストの弟子たちによって宣伝されたこと。
3、その直後、クリスチャンに対する大迫害が起こった。そして多くのクリスチャンが殉教した。しかし、キリストの信者の数は増え続けた。

前記の三つのことを疑う人は、どの百科辞典でも良いから調べてください。
そうしたらこれらの三つの事が歴史的事実であることがわかるでしょう。
さらに聖書ではこの事件を次のように語っています。

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。
その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。
そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。
新改訳聖書 コリント人への手紙 第一 15章3〜8節


週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
見ると、石が墓からわきにころがしてあった。
はいって見ると、主イエスのからだはなかった。
そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう。」
女たちはイエスのみことばを思い出した。
新改訳聖書 ルカによる福音書 24章1〜8節


さて、これらの事から何が推測されるでしょうか。

 1、聖書の言っている通りにキリストは「死者」の中からよみがえられた。
 2、聖書の言って事は「うそ」で「死人」はよみがえるわけはない。

クリスチャンが迫害された事実を見てください。

1、ローマ帝国は皇帝を神として崇拝していました。
 キリスト信者は創造主を神として、皇帝崇拝を拒否しました。
 ローマ帝国にとってキリスト信者は有害な者です。
 ローマ帝国はキリスト信者を迫害し、殺しました。
 
2、当時のイスラエルの宗教はユダヤ教です。
 キリストが神であるというのは非常に具合いの悪いことです。
 ユダヤ人はクリスチャンを除外しました。

 このキリスト信者の信仰をうち倒すには(簡単です!)、キリストの復活を否定する材料を出せばよいのです。
それもイエスキリストが復活したといわれる朝に、ローマの軍隊はイエスキリストの墓を守っていたのですから、死体を出せばよいのです。
 ところが「墓の中から死体がなくなったという事実だけで、復活を否定する材料がありませんでした。」
 ただ、ローマ帝国はクリスチャンを迫害し、殺すしか方法はなかったのです。

では、どうしてキリストの墓から死体がなくなったのでしょう。
1、真実にキリストが復活された。
2、誰かがキリストの死体を盗んだ。

まず誰かがキリストの死体を盗んだとしましょう。犯人は誰でしょうか。
1、キリストを十字架につけたものたち。(ローマ、ユダヤ人)
2、キリストの弟子たち。
3、そのどちらでもない者たち。

 1、はありえません。(彼らはキリスト信者を殺すしかなかったからです。)
 3、復活したとされる朝、キリストの墓の回りにはローマの兵隊が見張りをしていました。
  利益のないことのためにローマ軍の中に死体を盗むに行くでしょうか。ありません。
 2、キリストの弟子たちは命をかけてイエスキリストの復活を宣べ伝えました。
  それは「死んだ後の永遠の命」があることを信じて行ったのです。
  もし、弟子たちが自分たちでデッチ上げの復活で迫害され、命を捨てるでしょうか。
  それも一人や二人ではありません。
  この二千年間のキリスト信者の殉教者は何億人でしょうか。
「ヨセフス「ユダヤ古代史」第十八巻(紀元95年ごろ)

さてこのころ、イエスという人物において、その他の災難の種が生じた。彼は人を驚かすようなことを行った賢人、奇妙なことを喜んで受け入れる者たちの教師であった。
彼は多くのユダヤ人を誘いだし、異邦人の多くの者をも誘いだした。彼はキリストと呼ばれていました。

ピラトゥスが我々の中の長たちから提供された情報に基づいて行動し、彼に十字架刑の判決を下した時、最初、彼に従ったものたちは、厄介ごとを起こすことをやめませんでした。
そしてキリスト教徒(クリスチャン)---彼らは彼にちなんでこの名前を持っている。---の仲間は今日も消滅していない。
タキトォス「年代記」(紀元115〜117年)

しかし、元首の慈悲深い援助も惜しみない施与も、神々に捧げた贖罪の儀式も、不名誉な噂で枯らせることはできなかった。
民衆は「ネロが大火を命じた」と信じて疑わなかった。
そこでネロは、この風評をもみけそうとして、身代わりの被告をこしらえ、手の込んだ罠の加えたのです。

それは、日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ「クリストォス信奉者」と呼ばれていたものたちである。
この一派の呼び名の起因となったクリストォスある者は、ティペリオスの治世下に、元首属史ポンティウス・ピラトォスによって処刑されていました。

その当座は、その有害きわまりない迷信も、一時、鎮まっていたのだが、最近になって再び、この禍悪の発生地ユダヤにおいてのみならず、世界中からおぞましい破廉恥な行為がことごとく流れ込んでもてはやされていたのです。

そこでまず、信仰告白していたものが審問され、ついでその者らの情報に基づき、実におびただしい人が、放火の罪というよりむしろ人類敵視の罪と結び付けられたのである。
彼らは殺される時、野獣の毛皮をかぶされ、犬に噛み裂かれて倒れる。
あるいは十字架に縛りつけられ、あるいは燃えやすく仕組まれ、そして日が落ちてから夜の灯火代わりに燃やされたのです。

ネロはこの見世物のため、カエサル家の庭園を提供し、その上、戦車競技まで催して、その開中、戦車敗者のよそおいで民衆の間を歩き回った歩き回ったり、自分でも戦車を走らせたりした。
そこで人々は不憫の念を抱きだした。なるほど彼らは罪人であり、どんなにむごたらしい懲罰にも値する。
しかし彼らが犠牲になったのは、国家の福祉のためではなくネロ一個人の残忍性を満足させるためであったように思われたからである。

キリストの復活を否定するために次のような説もある。

1、キリストは死んだのではなく意識を失っただけ。

a)通常、十字架刑には検死官たるものがついており、十字架刑を行って死んでいなかった場合はローマの権威にかかってくる。イエスキリストが十字架刑になり墓に収められた状態で死んでいなかったというのは非現実的である。
b)イエスキリストの死体は亜麻布でミイラのようにぐるぐる巻きにされ、ガム上の香料をその上からられた。
 イエスキリストが十字架上で死んでいなかったとすれば、彼は三日間(実際には二日間)飲まず食わずの状態でその包帯を取り、2トンもある墓石を動かし、外にいるローマ兵と戦って出来たとは決して思えない。
2、「弟子たちがキリストの復活の幻を見たにすぎない」という説
3、「キリストの復活物語は、後の教会の創作である。」という説


ならば、墓は空っぽにはなりません。
次に、何百人も同時に見るような幻覚はありません。
最近流行のカルトの洗脳ならば、復活の預言もなければ、四十日の期限もありません。
また、復活物語の統一性もありません。
(複数の人間の幻であれば、また創作であれば必ずストーリーは食い違いが現れます。)
4、墓を間違えたという説
5、人間違いの説
6、双子の兄弟説

いずれもありますがここで説明するのはやめておきます。

1930年代、イギリスの法律家であったフランク・モリソンはキリスト信仰の土台が復活であることに気づき、これが迷信だと、世界中に暴露しようと努力しました。
しかし、時代は変わり、彼は「動いた墓石」という本を書いたのです。
その第一章”どうしても書けなかった本”の中で彼は、「証拠を調べていくにつれ、自分の意志に反して肉体の復活の事実を信じざるを得なかった」と述べています。

わずかなページで納得させることは難しいかもしれません。
しかし、イエスキリストの存在と十字架は歴史の証明するところであり、その復活はそれ以上の論証ができるのです。

多くの攻撃が聖書にありました。特に復活です。
この二千年間、キリスト信仰はなくなってはいません。

結論

イギリスの最高裁判所長であったダーリング卿は次のように結論をしています。
「このようのいかなる知的な審判員も、復活の物語は真実であると評決を下さざるをえない、積極的、及び消極的証拠、事実の証拠と状況証拠という、圧倒的な証拠が存在するのである。」

私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。
新改訳聖書 コリント人への手紙 第一 15章19〜21節


 聖書はキリストが神であり、私たちの罪の身代わりに死なれた救い主であることを示しています。
人間は愚かです。永遠の命があるといっても信じられないのです。
神の御子キリストご自身が死者の中からよみがえりその証明をされたのです。
 イエスキリストの復活は、私たちの永遠の命の証なのです。

またイエスキリストは初穂と言われています。
初穂によって、その年の産物の評価がわかります。
初穂が聖ければ、その年の産物すべてが聖いのです。
「初穂 = その年」の産物なのです。
 私たちはイエスキリストの復活により、永遠の命が保証されているのです。

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