第七章 - 歴史的、預言的に考えられる2つの展開
第二部 - 海からの獣

私たちが注目する次の大きな敵は「海からの獣」です。

「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。」
(ヨハネの黙示録13章1節)


この獣にある7つの頭と10本の角は、大いなる竜と同様、本質的に同じ獣であることを力によって示しています。
それも、状況的に変化しています。
太古のバビロニアのシステムにおいて、火の神への崇拝の後に、すぐに水、もしくは海の神への崇拝に続いてゆきました。
かつて、世界が焼き尽くされる危険にさらされているように、今回も同じ様に水の危険にさらされています。
実際にメキシコの物語では、そのように語られています。
メキシコ人は、まず火によって破壊され、次に水によって破壊されたと言っています。引用1)

ドルイド人の神話にも同じ説明があります。
というのは、詩人たちは地球を引き裂いたあの恐ろしい大火のあとに、すぐにライオン湖が決壊したと断言しています。
その時、深淵の水が流れ出し「全世界を覆い尽くした」のです。引用2)

ギリシャでも全く同じ話に出会います。
ディオドロス・シクルス氏は、かつての時代について私たちに語っています。
「炎を吐く「アイギデス(Aegides)」と呼ばれる怪物がフリュギアに現れました。
火災はタウルス山に沿って広がり、インドに至るまですべての森を焼き尽くしました。
そして、対岸の道をたどって、レバノン山の森を横断し、エジプトとアフリカまで伸びて行きました。
最後は、「ミネルヴァ」によって止められました。
フリュギア人はこの大火災と後の洪水をこのように記憶しています。」引用3)

オヴィッド氏も、キクノスの変貌の寓話の中で、拝火崇拝の後にすぐに水の崇拝が続くという同じ事実をはっきりと暗示しています。
彼は、「ファエトン」の愛しい友人であり、その結果として拝火崇拝を行っていたキクノス王を表しています。
しかし、友人の死後、火を憎み、恐怖によって水という反対の要素を取り入れ、白鳥に姿を変えました。引用4)

インドでは、大洪水は神話の中で非常に重要な立場を占めています。
ノアの物語と混同されていますが、明らかに同じ象徴的な意味を持っています。
というのは、その大洪水の時に「失われたヴェーダ」、つまり神聖な書物が偉大な魚の形の神によって回収されました。
明らかに「失われたヴェーダ」は神々にとって恐ろしい災難が起こった時に起きたです。
「プラーン」によれば、この時、神々の大敵である「ドゥルグ」が「すべての宗教的儀式を廃止し、バラモンは恐怖のあまりヴェーダを読むのをやめ、火はその力を失い、おびえた星は見えなくなった」と述べています。

言い換えれば、偶像崇拝、拝火教、天の軍勢への崇拝が制圧された時のことです。
バビロンに目を向けるなら、実質的に同じ記述があることが分かります。
ベロソス氏によると、大洪水はアロロス、あるいは「火の神」、つまり「ニムロデ」の時代の後に来るものとして描かれています。
ここでもこの大洪水が象徴的であったことが示されています。
さて、この大洪水の中から、魚の神、もしくは海の神である「ダゴン」が現れました。
ベロソス氏が示しているように、ダゴン崇拝の起源は次の伝説に基づいています。
「人類が蛮行に沈んでいた遠い過去の時代に、紅海、もしくはペルシャ湾から「オアンネス(Oannes)」と呼ばれる獣がやってきました。
この獣は「半人半魚」です。
この獣はバビロニア人を文明化し、彼らに芸術と科学を教え、政治と宗教を教えました。
「ダゴン」の崇拝は、まさにこの者たちによって取り入れられました。
――もちろん「ニムロデ」は除かれています。
――「ダゴン」はかつて、世界を拝火崇拝に誘惑したことがあります。
それは仕掛けられた「隠された奥義」の中で準備されました。

最初の例では、疑いもなく、定められた火の崇拝に対して大きな反感を表明していました。
彼らは大洪水の恐ろしい場面を描写することで影響力と権力を取り戻そうとしました。
その中ではノアは、「ダゴン」、もしくは魚の神の名で紹介されています。
この出来事の性質からしても、人類の第二の父との共通のつながりからしても、人類全員が深い関心を抱かずにはいられません。
これらの秘儀の考案者たちは、どんな形であれ、人々を再び偶像崇拝に戻すことができれば良いと考えました。
彼らはすぐに偶像崇拝を利用して、廃止されたすべてのシステムを実質的に再建することができたのです。
このようにして、道がすぐに整えられました。
すると、タンムズは人類の利益のために自分が殺されることを許した者として取り入れました。

良い蛇と悪い蛇は区別されました。
ある種類は「アガトダイモン(Agathodaemon)」の蛇、つまり善の神として表されました。
そして、別の種類の蛇は「カコダイモン(Cacodaemon)」、もしくは邪悪な神として表されました。引用5)
エジプトでは「ウラエウス」、もしくは「セラステス」は善の蛇であり、「アポフィス」は邪悪な蛇でした。

たとえ、外見はまったく反対であっても、だんだんと信じるように人々を導くことは簡単なことでした。
タンムズは、悪い意味での蛇崇拝の守護者ではありません。
実際には「アポフィス」、すなわち有害な大蛇の大敵でした。
その蛇は人間の幸福をねたみ、実は自分こそが蛇の頭に打ち砕く運命にある女の子孫としたのです。
輪廻転生の意味において、「ニムロデ」とノアを識別するのは簡単でした。
偉大な家長が、愛すべき子孫の姿になって、新しく生まれ変わることを潔く認めたように見せかけたのです。
ダゴン」は、「ニムロデ」が殺されたときに失った祝福を、人々に再びもたらしたのです。
確かに、「ダゴン」は、カルデアの神秘主義が確立された場所ではどこにおいても、人間と魚どちらを代表する特徴において崇拝されました。
引用6)


かつてのシステムでは、清めの壮大な方式は火によるものでした。
さて、人間が清められるのは水でした。
その時にバプテスマによる新生の教義が始まりましたが、これはこれまで見てきたように、ノアが洪水の水の中を通過したことに関連しています。
それから、聖なる泉、聖なる湖、聖なる川を崇めるようになりました。
これらは地上のあらゆる場所にあるものです。
パルシー人は火を崇拝するだけではありません。
ゼレパランカード、すなわちカスピ海をも崇拝しています。 引用7)

また、ガンジス川の清らかな水を崇拝するヒンドゥ教徒では、ガンジス川の流れに死にかけの親族を置き去りにしてガンジス川の水で窒息させることが、天国への壮大なパスポートとされています。
それは、今日でも教皇派アイルランドにおいて、聖なる泉に対する普遍的な崇拝や、祝福された水で罪を洗い流すためのダグ湖への毎年の巡礼において、完全に現わされています。
そして英国に住む、私たちの間にも明らかに残っています。
有名なバーンズの一節に光り輝く、魔女についてのよく知られた迷信の中にもあります。
――「流れる小川を渡ることはできません。」

水への崇拝はここまでにします。
しかし、水の崇拝とともに、太古の拝火崇拝もすぐに再び組み込まれました。
秘儀において、両方の清める方式が結合されました。
水のバプテスマは新生のために行われたが、それでも火による清めは必要だと考えられました。注)

  注)「タンムズ」という名前は、「ニムロデ」や「オシリス」に適用される場合、「アロルス(Alorus)」、もしくは「火の神」に相当し、火による偉大な清める者として、その名が彼に与えられたのです。
「タンムズ(Tammuz)」とは「完璧にする」という意味の「(tam)」と、「火」という意味の「(muz)」から派生しており、「完璧な者を撃つ者」、もしくは「完璧な火」を意味しています。
この名前の意味、そして神々の父としての「ニムロデ」の特徴について、ゾロアスター教の聖句は次のように述べています。
「すべてのものは一つの火の子孫である。
父はすべてのものを完成させて、人のすべての国を第一の者と呼ばれる第二の者に引き渡しました。」 引用8)

ここで火はすべての父であると宣言されています。
なぜなら、万物はその子孫であると言われており、またそれは「万物の完成者」とも呼ばれているからです。
第二の者は明らかに「ニムロデ」の像を崇拝の対象として置き換えた子供のことです。
それでも、最初の神々であり、火の神である「ニムロデ」の代理は、人間を「完璧にする」ために必要だと考えられました。
疑いもなく、煉獄の火が最後に人の魂を「完全に」する必要がありました。
また、彼らが持っていた一切の罪を、目に見えない世界に清めるなのです。

このように、バプテスマによる新生が確立されてから長い年月が経った後も、子供たちは「モロクのために火をくぐらされた」のです。
この火と水による二重の清めは、メキシコのウォダン信者の間で行われていました。 引用9)

また、この二重の清めは、古い異教のローマ人の間でも一般的に行われていました。 引用10)
やがて、異教の世界のいたるところで、「ニムロデ」の拝火崇拝と蛇崇拝が行われるようになりました。
廃止されていたものが、新しい形で再建され、古いものはすべて、さらにその上に積み重なり、多くの忌まわしいものが付いてきました。

状況証拠から結論への厳密な帰納法によって導かれた後では、それは私にとって少なからず興味深いものでした。
火による清めは、アドンやタンムズの火崇拝に由来しています。
水はノアの大洪水に述べており、オーヴィド氏の中に明確な記述を見つけることができました。
これが彼の時代のローマで実際に信じられていたことです。
上の引用文で述べられている一節で、火と水による二重の清めについてのさまざまな空想的な理由に述べてきた後、彼は次のように結論付けています。
ある者は、一方は「ファエトン」を記念するものであり、もう一方は「デウカリオン」の洪水を記念するものであると述べています。
それでもなお、古代世界において、ノアが崇拝され、天の女王とその息子の崇拝と混同されることはありえないと考える人がいるかも知れません。
今の時代、1856年にイタリアで起きている、族長とローマの天の女王への崇拝について目を開かせてほしいのです。
以下のものは、ジョン・スコット公が親切にも私に送ってくれたもので、これらのページで提示された見解の確認として、1855年10月26日のモーニングヘラルドに掲載しています。

「ノア総主教に対する大司教の祈り ー トリノの教皇
この病気が蔓延した結果、数年連続してトスカーナではワインはほとんど全滅しています。

フィレンツェ大司教は、神ではなく族長ノアに祈りを捧げるよう指示することで、この疫病を阻止するという考えを思いつきました。
そして、大司教は、古代の契約のこの著名な人物に宛てた、8つの形式の嘆願を含む文集を出版したところです。

「最も聖なる族長ノアよ!
これらの祈る者のうちの一人の言葉です。
「あなたは長い間、ぶどうの木を耕し、のどの渇きをいやし、力を回復させる貴重な飲み物で人類を喜ばせてきました。
私たちのぶどうの木を大切にしてください。
それは、あなたの例にならって、私たちがこれまで育ててきたものなのです。
そして、一方であなたは、果実が収穫期を迎える前に破壊されるような悲惨な出来事によって、それらが衰え、損なわれているのを見ています。
それは、私たちが犯した多くの冒涜やその他の大きな罪に対する厳しい罰の結果だったのです。
そして、神の子供たちに地の果実と豊かなトウモロコシとぶどう酒を約束された神の高き御座の前にひれ伏して、私たちに代わって神に祈り求めてください。
私たちの名によって神に約束してください。
神の恵みによって、私たちは悪と罪の道を捨てます。
私たちはもはや神の聖なる賜物を乱用しません。
神の聖なる律法と、私たちの聖なる母であるカトリック教会の律法を忠実に守ります」などと書かれていました。

この文集は、聖母マリアに宛てた新しい祈りで終わります。
聖母マリアは次の言葉で呼びかけられています。
「おお汚れなきマリアよ!
私たちの畑とブドウ畑を見てください。
そして、あなたが私たちに大きな恩恵に値する思われるなら、ここにとどまってください。
お願いします。
この恐ろしい疫病は、私たちの罪のために加えられ、私たちの畑を実りのないものにします。
そして、ぶどうの木からワインの栄誉を奪ってしまいます。」
この著作には、大主教からの通知だけでなく、ワイン園の運営を統括する家長ノアを表すスケッチが含まれています。
また、問題の祈りを敬虔に唱えるすべての人に40日間の免罪符を与える大司教からの通知が含まれています。
クリスチャンの時代にこの異教主義の記事を見るならば、確かに世界は逆転しており、太古の神「バッカス」の崇拝が間違いなく復活しているのです。」

この海の神の崇拝がしっかりと再確立され、すべての手ごわい反対勢力が鎮圧されると、偉大な戦争の神としても崇拝されるようになりました。
この神は人類のために死んだのです。
復活した今こそ、絶対に無敵だったのです。
すでに見てきたように、この新たな受肉を記念して、クリスマスの日である12月25日を異教のローマでは「征服されない太陽の誕生の日」「ナタリス ソリス インヴィクティ(Natalis Solis invicti)」として祝ったのです。
引用27)

同じ様に、私たちは戦争のローマの神の名前そのものが「ニムロデ」の名前であることも見てきました。
というのは、ローマの軍神のよく知られた名前である「マルス(Mars)」と「マヴォール(Mavors)」は、明らかにカルデア語の「マル(Mar)」または「マヴォール(Mavor)」、つまり反逆者のローマ語形にすぎないのです。
注)

  注)ギリシャ人は自分たちの軍神として「アリオケ(Arioch)」または「ニムロデ」の孫「アリウス(Arius)」を選びました。 引用11)

「ニムロデ」が海からの獣「ダゴン」として再び現れた時、「ニムロデ」はそれほど恐ろしく無敵でした。
読者がヨハネの黙示録13章3、4節で述べられていることを見ると、まったく同じであることがわかります。

「その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、そして、竜を拝んだ。
獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。
(ヨハネの黙示録13章3、4節)


あらゆる点で、預言の御言葉と古代のバビロニアの型とが一致しています。
ローマ帝国の太古の異教主義が崩壊した後のローマ帝国の宗教史の中に、これに相当するものがあるでしょうか?
すべての点で一致しています。
異教が法的に廃止され、ヴェスタの永遠の火が消され、古き蛇が長い間、安住していた権力の座から投げ落とされるとすぐに、自分の影響力と権威を取り戻すために、最も強力な手段を試みたのです。

この蛇は、キリスト教を迫害することによっては、太陽の服を着た女(ヨハネの黙示録12章1節)に象徴される教会を破壊することにはならないことが理解したのです。
蛇は別の策を講じました。訳者注)

「ところが、蛇はその口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。」
(ヨハネの黙示録12章15節)


  訳者注)冒頭でも述べていますが、以降の黙示録は翻訳者の解釈とは違います。
聖書は御言葉は奥深く、象徴的な2次的、3次的な解釈として成り立つ場合もあります。
たしかに、2000年間の教会時代にもバビロンが忍び込んでいます。
直接的に、この個所での女は患難時代のイスラエルを指しています。
ただし、サタンのやることは、教会にも、イスラエルにも同じことをするという意味で適応することができます。
個人宛、もしくは特定の集会宛に書かれた新約聖書の手紙を我々に適応するのと同じです。
必要なところを抽出して、取り入れることが必要です。
特に水という表現は聖書の中で軍隊を指す場合が多いです。
つまり、患難時代におけるイスラエルへの迫害を示してます。
また、ヨハネの黙示録12章1節にある太陽の服を着た女とは、創世記の「女の子孫」の女であり、キリストを生み出す象徴です。
教会ではなく、イスラエル国家と見るべきです。

ここでの象徴は確かに注目に値します。
これが火の竜であるならば、良く知られた神話によって、女の後に火を吐くという表現が期待されたかもしれません
しかし、そうではありません。
蛇が口から吐き出したのは大水だったのです。
竜の口から水が出たとは、どのような意味なのでしょうか?
――それは教義、もちろん、偽りの教義を意味するものです。
でも、これ以上具体的なものはないのでしょうか?
太古のバビロニアの型を一目見れば、蛇の口から放たれる水がバプテスマの新生の水に間違いないことがわかります。
さて、太古の異教が弾圧されたこの貴重な時、かつてからキリスト教会で機能していたバプテスマによる人間の新生の教義が、ローマ帝国全体に大洪水のごとく広がる恐れがありました。
注)

  注)西暦360年頃から、ユスティニアヌス帝の時代である550年頃まで、私たちはこの教義が公布されたこと、そしてついにこの教義がクリスチャンを告白する人々に深く定着した証拠を持っています。
引用12)

私たちの主イエス・キリストが、はっきりと「ダゴン」と同じものとして見られるために「イクソス(ΙΧΘΥΣ)」、つまり「魚」と一般に呼ばれ始めたのはこの時でした。
4世紀の終わりに、そしてそれ以来、バプテスマ盤で洗われた人はそれによって生まれ変わり、処女の雪のように純粋になったと教えられました。
この洪水のような出来事は単にサタン、つまり太古の蛇の口から出た問題ではありません。
しかし、ローマの異教徒たちにとっては、かつてのローマの異教の目に見える指導者と思われる者の口からでた問題だったのです。
私たちはローマの拝火崇拝が弾圧され、その異教の指導者である教皇マクシムスの職が廃止されたのを見てきました。
それは、炎のような竜の頭の「致命的な傷」だったのです。
しかしながら、その指導者の致命的な傷も負う間もなく、再び、癒され始めました。

異教徒の「ポンティフェクス」の称号が廃止されてから数年も経たないうちに、廃止した皇帝によって復活されました。
そして、その周りに集まっていた異教徒の団体といっしょに、ローマ司教に授けられましたものがあります。引用13)
それは、キリスト教を信仰する者に対して、最初にバプテスマによる新生、次に古代バビロンに由来する異教のあらゆる破滅的な教義を注ぎこむ偉大な代理人となったのです。
読者は、ローマの司教だけが大司教、つまり「ポンティフェクス(Pontifex)」と呼ばれているのに対し、他の教会の指導者は単に「エピスコピ(Episcopi)」と呼ばれていることに気づくはずです。

この異教の称号がローマ司教に授与された時、それは単なる意味のない名誉称号として授与されたのではありません。
そこには、この称号にある恐るべき力が付加されました。
「ポンティフェクス」は、イタリアに劣らずガリアにおいても、西欧の広い範囲の外国の教会の顧問、司教、さらには大都市の信者たちといっしょに「他の5人、もしくは7人の司教といっしょに」ローマ司教の新しい特徴の権威の下に服従しました。 引用14)

そして、教皇の決定に従うことを拒否した人々には社会的な苦痛が与えられました。
帝国の権威によって、このような権力がローマの司教に与えられました。
司教が偽りの教義の普及に喜んで身を捧げた時、真実と正義の大義に対する危険は大きなものでした。
この危険は恐るべきものでした。
しかし、その教会が西帝国の範囲内にあるならば、真実な教会、子羊の花嫁は、この危険から見事に守られたのです。

その教会が一時的に危機から救われたのは、熱心なメンバーの多くが山奥に隠れ家を見つけたからだけではありません。
彼らはヨヴィニアンヴィギランティウスヴァルデン、およびこれと同様の忠実な信者たちです。
彼らの多くが、コティア・アルプスの荒野やヨーロッパの人里離れた地方に住んでいます。
それだけではなく、神の摂理による仲介のシグナルを少なからず受けていました。
この介入は次の言葉で述べられています。

「しかし、地は女を助け、その口を開いて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。」
(ヨハネの黙示録12章16節)


「地が口を開いて」という象徴は何を意味するのでしょうか?
自然界では、地が口を開けると地震が起こります。
誰もが認めているように、黙示録の比喩的な言葉によれば、「地震」はまさに大規模な政治的混乱を意味しています。
さて、問題の時代の歴史を調べるなら、事実が予兆と正確に一致していることがわかります。
ローマの司教になってすぐに、教皇は、教皇として、異教を教会に取り入れようと熱心になりました。
しかし、このような政治的な激動はローマの民間帝国で始まりであり、よって帝国の枠組みが解体され、粉砕されるまでやむことはありませんでした。
しかし、教皇制度の精神的な力は、そのようなことが起きるはるか以前に西側諸国において、しっかりと確立されていたかもしれません。
ローマの司教ダマススが教皇の権限を受け取った直後に、予測された「背教」があったことは明らかです。
すでにローマにおいては、広く広がっていました。

「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、
結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。」
(テモテへの手紙第一4章1~3節)


ここである人たちは「結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。」注)

  注)聖職者の独身制はAD385年、ローマ司教シリキウスによって制定されました。引用15)

肉とぶどう酒を使うことに、同時期の教皇の偉大な支持者であるジェロームが反対しています。引用16)
それから、人々は偽りの罪の教理といっしょに、偽りの聖さも教え込まれます。
バプテスマを受けた人は必ず新しく生まれ変わると信じるようになりました。
もし、ローマ司教が西方ローマ帝国が一人の指導者の下にとどまり、その指導者の後ろ盾を得ているのであれば、すぐに帝国のあらゆる地域に身を捧げて広めた堕落した異教の教えに自ら汚染されてゆくはずです。
ヨヴィニアンと結婚と禁欲に関する異教の教義に反対したすべての人々が、帝国権力の恩恵を受けたローマ法王によって受けた残酷な扱いについて考えてみましょう。
もしこのような事態が自然な成り行きのままに許されていたら、西欧帝国の真実な大義にとってどれほど深刻な結果となっていたかは、容易に想像がつくはずです。
しかし今、教会の大いなる主が介入したのです。
「ゴート族の反乱」と410年のゴート族アラリックによるローマ略奪はローマ帝国に衝撃を与え、476年までに完全な崩壊と帝国権力の消滅をもたらしました。

それゆえ、以前に開始された政策に従い、ローマ司教は445年の勅令によって正式に「西方のすべての教会の指導者」として承認されました。
そして、すべての司教は「ローマ司教が制定したり、命令したりしたことは喜んで、法として保持し遵守すること」を命じられていました。引用17)
しかし、帝国が動揺し、その後すぐに起こった帝国権力の消滅は、この勅令の破滅的効果をほとんど無効にしました。
「地が口を開いて」とは、ローマ帝国が多くの独立した主権に分裂したということとも言えます。
そのことは真実な信仰には有益です。
ローマに源を持つ誤りと腐敗の洪水が、このようにして流れと速さを変えたのです。
君主であるローマ教皇が頼りにしていた皇帝の意思が、各国の多くの異なる意思に置き換えられた時、ローマ教皇の影響力は大幅に無力化されました。
ギーゼラーは、帝国が分割された様々な王国におけるローマの影響力に述べています。
「このような状況下では、教皇は教会の問題に直接干渉することはできません。
そして、その国の確立された教会との交流はその国の王室に依存していました。」引用18)

教皇制度はついに地震の影響を克服しましたが、西方の王国は竜の口から出た誤りの洪水に飲み込まれました。
しかし、ローマの霊的専制を熱心に支えていた皇帝権力の転覆させられました。
そのことによって、西洋の真実な教会に、本来なら持ち得なかった比較的長く自由の期間が与えられたのです。
暗黒時代はもっと早く到来し、闇はより深かったはずです。
しかし、ゴート族とヴァンダル族、そして暴動に伴う政治的な混乱が続きました。
これらのことはは背教の組織を苦しめるために起こされました。
いと高き方の聖徒たちを迫害するために起こされたのではありません。
しかし、彼らもまた、時には、同じ苦悩に苦しむことになりました。
この、とてつもない危機的な瞬間に、地が口を開いて女を助けたように、摂理の手がはっきりと見られたかもしれません。
しかし、ここでローマ司教に教皇の称号が授与された記念すべき時代に戻りましょう。
異教徒の称号が教皇ダマスオに贈られた状況では、彼よりも優れた人物の信仰と誠実さを少なからず傷つけるものでした。
西ローマ帝国では異教は法的に廃止されたが、七つの丘の街では依然として異教が蔓延しています。
それをよく知っていたジェロームはまさにこの時期にローマについて執筆し、ローマを「あらゆる迷信の源」と呼んだいたほどです。引用19)

その結果、帝国のどこにおいても異教廃止の勅令は尊重されましたが、ローマでは大部分が空文化されました。
市の知事であるシンマコス氏と高い地位の貴族の家族、そして民衆は太古の宗教に熱狂的に傾倒していました。
したがって、皇帝は、法律にもかかわらず、ローマ人の偶像崇拝を黙認する必要があると判断しました。
ヴェスタの火が消えた後でも、異教が帝都に抱いていた勢力はいかに強かったのです。
そして、国家的な支援がヴェスタから撤回されたことは、読者はギボン氏の次の言葉から理解できるはずです。

「確かに、勝利の像と祭壇は元老院から撤去されました。
しかし、皇帝は神々の像を公衆の面前にさらすことを許しました。
いまだに、424の寺院や礼拝堂が人々の信仰を満たすために残っていました。
そして。ローマのあらゆる場所にある、キリスト教徒の気品は偶像崇拝のいけにえの煙りで不快な思いをさせられていました。」
引用20)


376年頃に国家の支援が撤回された後も、ローマでは異教主義が非常に強かったのです。
この先、50年後にどうなったかを見てみましょう。
異教の名前はほぼ完全に消えました。
若きテオドシウスが西暦423年に発布された勅令で次の言葉を使っているほどです。
「異教徒は残っているが、今は誰もいないと思っているかも知れません。」引用21)

この発言についてギボンの言葉は非常に印象的です。
異教に対して制定された帝国の法律にもかかわらず、「オウィド氏の寓話(Metamorphoses)を信じて受け入れた聖職者たち」には「特別な苦難」は課されなかったことを十分に認めながらも、福音の奇蹟をかたくなに拒みました。
テオドシウスは異教からキリスト教へローマ人の間で起こった革命の速さに驚きを表明しています。
テオドシウスは異教の滅びた」と述べています。
――そしてテオドシウスの時代は、ローマ司教が教皇に任命された西暦378年から395年までです。
――「テオドシウスの時代における異教の滅亡は、おそらく古代から知られている迷信が完全に根絶された唯一の例でしょう。
したがって、これは人類の歴史の中で特異な出来事に値するかもしれません。」
元老院の急速な改心について述べてきた後、彼は次のように続けている。
アニキア(Anician)家のキリスト教を受け入れるという教訓的な模範は、すぐに残りの貴族たちにも模倣とされました。

そこには自分たちの産業で生計を立てていた市民と、公共の自由に支えられていた民衆がいました。
ラテラノやバチカンの教会は、常にこのような敬虔な改宗者の群れで埋め尽くされました。
偶像崇拝を禁じた元老院の布告は、ローマ人の全面的な同意によって承認されました。
かつての王都の壮麗さは汚され、さびれた寺院は廃墟となり軽蔑されました。
ローマは福音のくびきに服従したのです。

帝国方が発布された後に世に生じた世代はカトリック教会の領域に引き込まれました。
これは、急速でありながら静かな異教の堕落でした。
長老としてのオドシウスの死後28年しか経っていないのに、かすかな痕跡は、もはや議員たちの目には見えなかったのです。」
引用22)

さて、この偉大で急速な変革はどのように説明されるのでしょうか?
これは主の言葉が自由な道を歩み、栄光を受けたからでしょうか?
では、ローマ教会が今、新たな側面を見せ始めたのはどういうことなのでしょうか?
異教が教会の外から姿を消したのとまったく同じ変化を、教会の内においても姿を現したのです。
祭司たちには異教の衣装が、民衆には異教の祭りが、異教の教義やあらゆる種類の考えが至る所ではびこっています。
引用23)
ローマ人が福音への急速に改宗したこと決定的と語っていた同じ歴史家の証言は、この点においても決定的だと述べています。
ローマ教会についての記述の中で「異教の儀式の採用の仕方」という見出しで、彼はこのように語っています。
「信仰の対象が徐々に妄想の基準に縮小される中で、式典や儀式が導入されました。
これらは低俗な人の感覚に最も強く影響を与えるように思われました。
もし5世紀の初めに、テルトゥリアヌス氏やラクタンティウス氏が突然死からよみがえり、人気のある聖人や殉教者の祭りを助けたとしたら、彼らは、クリスチャンの純粋で霊的な礼拝を引き継いだ冒涜的な光景を、驚きと憤りをもって見つめることでしょう。
教会の扉を勢いよく開けた瞬間、彼らは線香の煙に腹を立てたに違いありません。
花の香りと、灯火やテーパー・キャンドルのまぶしい光が、真昼間に無駄で余計な、私たちに言わせれば冒涜的な光を放っているです。」
引用24)

ギボン氏は同じ効果についてもっと多くのことを語っています。
さて、これが偶然だったと信じられる人はいるのでしょうか?
いません!
それは明らかにあの無原則な政策の結果です。
すでに私たちは、この調査の過程で教皇側のこのような無数の事例を見てきました。
ギボン氏はこのようにはっきりと述べています。
「カトリック教会の神父たちは、破壊することを切望していた冒涜的なモデルを模倣していることを率直に告白しなければなりません。」
ダマスス教皇は、偶像崇拝が謙虚な都市でこれを見て、このように述べました。
「もし誰かが福音を純粋で完全なものとするには、イエス・キリストのよき兵士として、進んで十字架を負い、憎しみや敵意に直面し、苦難に耐えなければなりません。」

その一方で、誰かが同じように、とても長い期間、異教のあらゆる希望と熱情がその周りに結集された称号を持つならば、その者は、その称号の本来の精神に従って行動する意志があることを、その信仰者たちに信じさせる理由を与えなければなりません。
しかし、彼は名声と地位向上と栄光を当てにしていたかもしれません。
では、ダマスス教皇はどの選択肢を選ぶでしょうか?
その男は泥棒、強盗として、百人以上の敵対者の死体の上にローマの司教の館に入ってきました。
彼は自分がすべき選択に迷うことはしていません。引用25)

結果的に、ダマスス教皇が人格的に行動していたことを示しています。
それは異教徒の称号である「ポンティフェクス」を名乗る必要があったからです。
異教徒の目から見て、その称号が彼らの長い教皇の系譜を継ぐ正当な代表者であることを証明するために、どんな犠牲を払ってでも真実を明らかにする必要があるのです。
他の推定に基づいて事実を説明する必要はありません。
また、異教徒たちに彼とその後継者たちの特徴を受け入れられたことも明らかです。
彼らはローマ教会に群がり、新しい教皇の周りに集まって、自分たちの信条や崇拝を変えることなく、共に教会に持ち込んだのです。
読者は、ローマ教皇の保護の下、ローマ教会に取り入れられた太古のバビロニアの異教のコピーが、いかに完全で完璧であるかを見た来ました。

彼は、教皇システムがいと高き御子として崇拝している神の命令にもかかわらず、偶像崇拝であることを知ったのです。
人間の技と間の策略によって、公然と異教信仰が行われていた時代のように造られた像の形をとって崇拝されているのです。
その特徴は哀れみ深い深い救い主に属するものとは正反対のものであると考えられました。
その属性は正確に、火の神モロク、もしくは「とりでの神」アラ・マホジムに属するものでした。

「その代わりに、彼はとりでの神(アラ・マホジム)をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神(単数形)をあがめる。」
(ダニエル書11章38節)


ダマスス教皇が、ローマ司教が「ポンティフェクス」の異教の称号を授与されたまさにその頃に、救い主が「イクソス(ΙΧΘΥΣ)」、すなわち「魚」と呼ばれ始めたことは、すでに見ています。
それによって彼を「ダゴン」、もしくは魚の神と同一視します。
それ以来、状況が許す限り徐々に前進しながら、キリスト崇拝という名の元に行われてきたことは、同じバビロニアの神への崇拝に過ぎません。
まさに古代バビロンと同じように、あらゆる儀式や華やかな儀式が行われていました。
最後に、いわゆるローマ・キリスト教会の主権者である教皇が、4世紀末に授けられた称号を同じように行使していることをダマススは見てのです。
何世紀にもわたって、バビロニアの教皇は今も権威を保っており、、元々は彼らに与えられていた「冒涜の名」そのものです。注1)

  1 注1)この著書の初版を見た読者は、上記の推論から次のように理解するでしょう。
その版で行われたように、異教徒に対する直接の権限を持つ法王グラティアヌスによる教皇としての正式な任命については、私は何も見つけることはできません。
それは、そのような約束がなされたとは信じていないからではありません。
現時点では、この称号には不明瞭な点があるからです。
バークロフト・ボーク牧師は、セイロンの英国国教会の学識のある牧師で、英国に滞在していた時に、この問題に関する研究を私に知らせてくれました。
そのために、ローマの司教がグラティアヌスによって異教徒に対して正式な権威を与えられたと主張するのをためらっています。
同時に、私は元々の声明が実質的に真実であると今でも確信しています。
故ジョーンズ(Jones)氏は、「季刊預言ジャーナル」の中で、そのような任命の証拠として、テオドシアヌス写本の付録に述べてきただけでなく、写本の言葉を解明する時に、法王の職をめぐる争いがあり、候補者が二人いて、一人は異教徒であるとはっきりと主張しています。

シンマコスは以前はヴァレンティニアヌス(Valentinian)の副官であり、もう一人はローマ司教でした。
「季刊預言ジャーナル」1852年10月では、この声明に対するジョーンズ氏の著作を私は見つけることができませんでした。
しかし、その発言はきわめて状況的なので、それを書いた人の真実性を疑わない限り、簡単に疑うことはできません。
ジョーンズ氏が指摘する点の間違いを発見しました。
しかし、大きな特徴を示す間違いはありません。
彼の性格からして、そのような推測はできません。
さらに、付録の文言は他の解釈を簡単に認めることができません。
ジーゼラーによって、グラティアヌス布告書の信憑性は認められているが、ダマスス司教が異教徒にまたがる教皇職に正式に任命されることはなかったにもかかわらず、その布告書によるならば次のことは明らかです。
彼は西側帝国において、あらゆる宗教問題の最高の霊的な権威者とされました。

それゆえ、400年に異教徒の司祭たちが、政治的な理由から、西側のキリスト教皇帝によって、「公職者として認められました。」
しかし、当時はローマ司教以外に宗教に影響を及ぼすあらゆる事柄を決定する法廷がありません。
ゆえに、必然的にこれらの異教の聖職者はローマ司教の管轄下に置かれました。
しかし、本文中では、これ以上は何も述べられていません。
読者も認めると思いますが、この議論は何もなくても決定的です。訳者注)

  訳者注)ここでも、著者のアレクサンダー・ヒスロップ氏との見解と訳者の見解が違っています。
私も教皇は黙示録の「宗教的な反キリスト」につながる者とみており、型としてみることは賛成ですが、文字通りの見解が必要だと認識しています。
ダニエル書の11章はギリシャ史にある「アンティオコス・エピファネス」の記述と患難時代に出現する反キリストの預言的な記述と見ることも出来ます。
繰り返しますが、サタンのやり方、神に敵対する者のやり方が、歴史的にも預言的にも一致していることに注目することができます。

さて、教皇がこのような権力の頂点に立ち、冒涜的な妄想状態を、ダニエルの預言と比較してみましょう。
この真理は、真理が欠けていたために理解されたことがありませんでした。
しかし、読者なら、ローマ教皇の歴史の中で、その預言がいかに文字どおり実現されてきたかがわかると思います。
私が暗示している預言は、ダニエル書11章36節とそれに続く節に記述されている、良く知られた「よこしまな王」と呼ばれるものを述べています。
「よこしまな王」は、福音の時代に、キリスト教国に生まれた王であることがさまざまな人に認められています。
しかし、一般的には、真理に反対するだけでなく、教皇にも反対する異教徒反キリストであると考えられています。
そして、あらゆることにおいて、キリスト教の名を装っています。
しかし、今、私たちのいままで検討されてきた事実に照らしてこの予測を読んでみましょう。
そうすれば、事態がいかに異なっているかがわかります。

「この王は、思いのままにふるまい、すべての神よりも自分を高め、大いなるものとし、神の神に向かってあきれ果てるようなことを語り、憤りが終わるまで栄える。定められていることが、なされるからである。
彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。」
(ダニエル書11章36、37節)


これらの言葉は、その誇り、冒涜、強制的な独身と、強制的な処女を施行する教皇の正確な描写をしています。
ここまでは、これに続く言葉を解説する者たちがどのように意味で解釈したとしても、教皇が意図的にしていたという説、もしくは、その他のあらゆる説にも同意することはありません。
しかしながら、これらを文字通りに解釈し、教皇の歴史と比較してみるならば、すべてが明確で、一貫性があり、調和がとれています。
霊感を受けた先見者は、キリスト教会において次のように宣言しています。
その者は高めることを目指すだけではありません。
実際に「思いのままにふるまい」ます。
彼の考えは、自分を人間と神のすべての法に対抗する最高の存在とすることです。
さて、もし、この王がガリラヤの漁師(ペテロ)の後継者であると仮定するならば、当然、次のような疑問が生じます。
彼がそのような権力の高いところまで昇り詰める手段を持っているのでしょうか?
これに続く言葉は、その質問に対する明確な答えを与えてくれています。

「どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。」
(ダニエル書11章37節)
注)

  注)読者は気が付くかもしれませんが、ここでは「どんな神々も心にかけない」と言われています。
つまり、禁止ではないということになります。
それはこの者が自分を高めることに最高の目的だからだと言われています。

しかし、彼は自分自身を確立するときに、「とりで」の神(アラ・マホジム)を尊敬するようになります。

「その代わりに、彼はとりでの神をあがめ、金、銀、宝石、宝物で、彼の先祖たちの知らなかった神をあがめる。
彼は外国の神の助けによって、城壁のあるとりでを取り、彼が認める者には、栄誉を増し加え、多くのものを治めさせ、代価として国土を分け与える。」
(ダニエル書11章38、39節)
注)

  注)この「城壁」という単語は、上記にある「とりで」と同じ言葉です。

このように預言されていますが、これを教皇に適応することができます。
いままで、自己拡大がこれまで教皇制度の大きな原則でした。
そして、自分自身を「確立」する時に、彼が尊敬したのはまさに「とりでの神」だったのです。
教皇はその神の崇拝をローマ教会に導入しました。
そうすることで、教皇の弱さの源となったであろうものを、まさに彼の強さの象徴に変えたのです。
――彼はローマの異教そのものを自分の権力の城壁としました。
かつて、教皇がキリスト教の名の元に異教を受け入れる意思があることが証明された時、異教徒と異教の司祭たちは教皇の熱心で断固たる支持者となったのです。
教皇がクリスチャンを支配し始めた時、教皇が推薦する人物は誰だったのでしょうか?
彼が名誉と権力を手にすることを望んでいるのでしょうか?
彼がキリスト教会に持ち込んだのは「奇怪な神への崇拝」に最も熱中していた人々でした。
感謝と私利私欲が同じ様にこれと結びつくました。
ジョヴィニアン、そして異教の思想と異教の「しきたり」に抵抗したすべての者は破門され、迫害されました。
心から背教に忠誠を誓う者だけが支持され、純粋な異教徒ほど優遇され、前進しました。
このような人々は、異教の支配を回復させるために、ローマからさまざま方向に、さらに英国にまで派遣されました。
彼らには高い称号を与えられ、彼らの担当の国々は分割され、すべてはローマ教皇に地の果てから「ペテロの報酬」をもたらし、ローマ教皇の「利得を促進する」ために行われました。
さらに、この自分を誇示する王は「金、銀、宝石をもって、先祖たちが知らなかった神を讃える」ようになるとも言われていました。
しかし、転換の基礎となった原理は疑いなくバビロニアの原理です。
しかし、その原則が教皇制度によって今までと同じように適用されたという証拠はありません。
確かに、ローマ教皇が崇拝しているようなウェハース・ケーキの神が、かつての異教のローマでは崇拝されなかったという証拠を私たちは持っています。
キケロ氏「かつてこれほど狂った人間がいただろうか」と述べています。
彼はローマの予言者であり司祭でした。
また「自分が食べているものを神だと思うほど、狂った人間がいるだろうか?」引用26)

もし、ローマでウェハース・ケーキ崇拝のようなものが浸透していたら、キケロはこんなことは言えなかったでしょう。
しかし、異教のローマ人にとっては不条理すぎることでも、教皇にとってはまったく不条理ではありません。
主人、もしくは奉献されたウェハース・ケーキはローマ教会の大いなる神です。
その主人は、金、銀、宝石で飾られた箱の中に安置されています。
このようにして、教皇の異教の「彼の先祖たちの知らなかった神(単数形)」が、預言の言葉が暗示しているとおりに、今日、はっきりと讃えられているのです。
このように、教皇に「ポンティフェクス」という異教の称号を授けられ、その称号が現実のものになったとき、900年以上前に記録されたダニエルの預言が正確に実現したのです。
ここで、黙示録的なシンボルに戻ります。
「炎の竜」の口から「洪水」が放たれました。
現在の教皇は4世紀の終わりには、地上のベルシャザル、つまり「ニムロデ」の唯一の代表者でした。
というのは、異教徒たちは明らかに彼をそのように受け入れたからです。
もちろん、彼はローマの「火の竜」の正しい後継者でもありました。
そして、「ポンティフェクス」の称号を得て、バプテスマによる新生という太古のバビロニアの教義を広めようとしました。
これは、大いなる火の竜が「その口から水を川のように女のうしろへ吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした」という神の言葉を、直接的、かつ形式的に実現したものでした。
彼とこの目的を達成するために協力した人々は、市民的にも霊的にも驚くような専制政治を築く道を切り開きました。
これは西暦606年にヨーロッパ全面に完全に立ち始めました。
嵐の海のように揺れる国々の動揺と混乱のさなか、ローマ教皇が普遍的な司教に任命されました。
ヨーロッパの10の主なる王国は、彼を地上におけるキリストの代理者、すなわち統一の唯一の中心であり、王位の安定の唯一の源であると認めたのです。
そして、彼自身が行ってきたこと、そしてローマの普遍的な異教の同意により、彼は実際の「ダゴン」の代表者となったのです。
今日、彼が頭に「ダゴン」の「ミトラ(冠)」をかぶっています。
彼がその時に行ってきたことを信じる理由があります。注)

  注)よく知られる1260日が数えられるのは、この期間からです。
というのは、今まで教皇が十本の角を持つ獣の長として、そして、普遍的教会の長として現れたことはないからです。
読者は、上記の獣が海を通り抜けたにもかかわらず、まだ太古の特徴を維持していることに気が付くはずです。
最初の背教の指導者はクロノスは「角のある者」でした。
背教者の「かしら」は今でもクロノスです。
彼は「7つの頭と10本の角を持つ」獣だからです。
ヨハネの黙示録の13章1~4節の預言が見事に成就しています。

「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。
私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。
その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、
そして、竜を拝んだ。」
(ヨハネの黙示録13章1~4節)


次は第七章 歴史的、預言的に考えられる2つの展開、第三部 地上からの獣です。

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