千年王国白い御座そして新しい天と地
黙示録 20〜22章

 聖書の言う天国
1、ユダヤ人の祝福(千年王国)

神はアブラハムと一方的に完全な約束をされました。
この約束はこの後、アブラハムの子孫イスラエルに与えられた律法によっても変わることのない約束です。

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。
あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」

新改訳聖書 創世記 22章17〜18節

神のアブラハムの子孫、ダビテへの約束は....。

あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。

新改訳聖書 第二サムエル記 7章12〜13節

神は信仰者アブラハムの信仰のゆえにアブラハムの子孫の祝福を約束し、アブラハムの子孫から王国ととこしえまでも堅く立てる王座が出ることを約束しました。
イスラエル王国は繁栄し大きくなったが「地のすべての国々から祝福を受ける」ようなものではなく、「とこしえまでも堅く立てる王座」なりたたずに王国は滅んでしまいました。
イスラエル王国に繁栄がなくなった後も神はイスラエルの祝福を述べ、その風景を描いています。

荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。
盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜わるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。
弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。
心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」
そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。
そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。
焼けた地は沢となり潤いのない地は水のわく所となり、ジャッカルの伏したねぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。
そこに大路があり、その道は聖なる道と呼ばれる。汚れた者はそこを通れない。これは、贖われた者たちのもの。旅人も愚か者も、これに迷い込むことはない。
そこには獅子もおらず、猛獣もそこに上って来ず、そこで出会うこともない。ただ、贖われた者たちがそこを歩む。
主に贖われた者たちは帰って来る。彼らは喜び歌いながらシオンにはいり、その頭にはとこしえの喜びをいただく。楽しみと喜びがついて来、嘆きと悲しみとは逃げ去る。

新改訳聖書 イザヤ書 35章1〜10節

エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つその災害が彼らに下る。
これが、エジプトへの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。

新改訳聖書 ゼカリア書 14章16〜19節

イスラエルの国は神から祝福を受け、イスラエルを祝福する国は祝福され、イスラエルを呪うものは呪われます。
これは罪に汚染された被造物の世界ではありえないことです。
ユダヤ人の待ちつづけているのは、この王国でこの文字とおりに地上に実現します。
黙示録の患難時代のあとに、イエスキリストが王となりこの地上を治めます。
これを千年王国と呼んでいます。


千年王国の出来事

黙示録は千年王国の終わりに起こる出来事を次の様に描いています。

また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。

新改訳聖書 黙示録 20章1〜6節

主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。
新改訳聖書 イザヤ書 2章4節

そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
新改訳聖書 イザヤ書 65章20節

旧約聖書の中には千年王国の預言は非常に多く語られています。
患難時代に悪魔は裁かれて底知れぬ所に閉じ込め、千年王国が終わるまで地上はイエスキリストを王とすると千年王国が完成します。
 
千年王国に入れる者は患難時代に反キリストに従わず患難時代を生き抜いた者、またユダヤ人たちを呪わずに協力した者たちです。(ダニエル書 70週の預言 参照)

ダニエル書 クリック

幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」

新改訳聖書 ダニエル書 12章12〜13節

「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」
新改訳聖書 マタイによる福音書 10章42節

また、患難時代に反キリストによって殉教の道を歩んだ聖徒たちは甦り、千年王国の王として過ごします。 
 
教会時代のクリスチャンは支配します。

あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。
私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。

新改訳聖書 コリント人への手紙第二 6章2〜3節

この時代がアブラハム、ダビテ、また預言者たちによって約束された王国です。

あなたの死人は生き返り、私のなきがらはよみがえります。さめよ、喜び歌え。ちりに住む者よ。あなたの露は光の露。地は使者の霊を生き返らせます。
新改訳聖書 イザヤ書 26章19節

千年王国の住人と王

誰が どのように どうして 体は 立場
患難時代のイスラエル 患難時代を通りぬけた。 メシアを待望して
(イエスキリスト)
贖われていない 祝福される側
住民
患難時代の異邦人 患難時代を通りぬけた。 イスラエルの救いの
おこぼれ(パンくず)
贖われていない 祝福する側
住民
患難時代の殉教者 第一の復活にて 旧約の約束通りに 贖われいる
第二の死は何の力も持たない。
王として
キリストとともに支配する。
旧約の聖徒たち 第一の復活にて 旧約の約束通りに 贖われいる
第二の死は何の力も持たない。
おそらく、王として
教会時代のクリスチャン
(住人ではない)
キリストと共に 世をさばくために 贖われいる 裁く側(支配側)もちろん
天ではキリストの花嫁


解き放たれるサタン

しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

新改訳聖書 黙示録 20章7〜10節

この平和な千年王国が終わりにもう一度悪魔は解き放たれます。
前にも書きましたがこの千年王国に入ったものはすべて信仰者ではありません。
偶然に反キリストに従わずユダヤ人を助けたという理由で千年王国に入った者もいます。
信仰のないものは悪魔に従います。
そして悪魔は最終的に捕まえられ火と硫黄との池に投げ込まれます。

彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける」
この事件により千年王国は終わりを告げ、現在の地球は焼き尽くされなくなります。


白い御座の裁き

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

新改訳聖書 黙示録 20章11〜15節

現在の宇宙と地球がなくなった後、残ったものはキリストと白い御座と言われる裁判の席に立ちます。
被告は悪魔に従い、神を無視した者たちです。
彼らは何も弁解することができず神の書物が開かれます。
それぞれ、自分の行いに応じて裁かれます。
死もハデス(人間が死んだ後、仮に置かれている裁きの場所)も死者を出し、神に従わなかった者(命の書に名の記されていない者)は永遠の火の池に投げ込まれました。
ルカによる福音書16章に出てくる「金持ちとラザロの話」で金持ちは苦しんでいます。
実はそこは本当の苦しみの場所ではないのです。(ハデス)
本当の裁きは火の池(ゲヘナ)です。


新しい天と地 

また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、
彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

新改訳聖書 黙示録 21章1〜7節

この新しい天と地が現在の教会、イスラエル、患難時代の信徒たちの最終目標です。
もはや、ユダヤ人と異邦人には何の仕切りもありません。

時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるもの(教会)も地にあるもの(イスラエル)も、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、
新改訳聖書 エペソ人への手紙 1章10節

神の幕屋とはイエスキリストのことです
何の注解も入りません。私が何か文章で介入すればこの素晴らしい天と地の価値が落ちてしまいます。
「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」これは地上にいる私たちクリスチャンの現在を生きるための希望です。
「死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」ただ、待ち望むのみです。


しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」
新改訳聖書 黙示録 21章8節

ここに突然、思い出すように滅び向かった者たちのことが描かれています。
現在なら、道の変更ができます。
それも患難時代を入ることなく、ぜひ今日という日に道を変えてください。
あなたは救われなければなりません。
 クリック


最後に新天新地の様子を書いている聖書の個所にて終わりにしたいと思います。

また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」
そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。
東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。
都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。
その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。
都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、
第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。
都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。
諸国の民が、都の光によって歩み、地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。
こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。
しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行なう者は、決して都にはいれない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、はいることができる。
御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。
------ 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。
------ これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

新改訳聖書 黙示録 21章9節〜22章抜粋

小羊の妻である花嫁----教会(イエスキリストを信じる者の集まり)


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