すべての人が罪を犯しました。
聖書の中でイエスは民にこのようなことを言われました。
(先に言っておきますが、イエスはこれを人間が完全に行えることを前提に語ってはおられません。)
昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって
『能なし。』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。
『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。
マタイによる福音書 5章21、22節 27〜30節
最初にイエスは、人殺しという一つの基準を使って民に語りかけました。
人殺しが罪だということは誰もが知っています。
イエスも人殺しは裁かれるものだとと語りました。
しかし、生と死のカギを握り、絶対者である方はこのように言われました。
「自分の兄弟(友人、隣人)に向かって『能なし。』というものは最高議会に引き渡されます。また、『ばか者。』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」
つまり、『能なし。』 『ばか者。』と言ったことのあるものは地獄です。
また、それを言ったことがないとしても天国だとも言ってません。
次にイエスは「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と言われました。
それを免れる方法があるのであれば、「右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。
もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。」と言われました。
つまり、私たちの性質が地獄に行くしかない、失われた罪人だということを、イエスは語っていたのです。
罪とは、行為のみだけではないのです。
聖書は次のようにすべての人間が罪人であり、争い続けるものだと書いています。
「それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
「彼らの足は血を流すのに速く、
彼らの道には破壊と悲惨がある。
また、彼らは平和の道を知らない。」
「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」」
ローマ人への手紙 3章9〜18節
聖書は、行いは結果で、人間の罪は性質だと責めています。
あなたは、今の環境にいるから、平凡に働き、もしくは学校に行って、平凡に生活しています。
しかし、あなたが突然、どこかの国の王様になって、すべての権力を手に入れたらどうでしょうか?
あなたは平和に、国民のために身を犠牲にして仕えるでしょうか?
残念ながら、そのような王は歴史上、存在せずにあなたも同様なのです。
あなたという性質、性格は突如として、凶暴になり、自分の権力の維持のために、もしくは自分の欲望のために、人の命など惜しむことなどないでしょう。
それは歴史と社会がそれを証明しており、あなたもその一部なのです。
人間は原罪をもっており、神に裁かれるだけの存在なのです。
また、神は人間を次のように強く責めました。
「なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。
彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。」
ローマ人への手紙 1章19〜25節
神(創造主)はおられます。---ここをクリック
このことははっきりと解ることでありこの罪は見逃されるわけはありません。
私たち罪人は神を認めないどころかこの神をあなどりました。
神が人間を造られたのに、人間は「木や石」(像)で神を創りそれを拝み仕えたのです。
(それが神でないことはだれでも知っています。宗教心がこの罪をかきたてます。)
それは創造主に対する侮辱です。
世界中に宗教はたくさんあるかもしれません。
どうして多くの宗教が木や石の像を拝むのでしょうか。
日本ではタヌキ、キツネ、人間(戦争で人殺しをした者)などの像を神にして仕えているのです。
真剣にその中に神がいるのでしょう。いると思っているなら愚かです。
そんなことをしている人間は、神からすればごみです。
罪人という、ごみは神に無用なものです。
あなたの机の上は、いつも片付いているでしょうか。
もし、机の上に汚いごみがあったなら、あなたはそれをごみ箱に入れて処分しないでしょうか。
そのごみは決められた日に集められて、清掃車によってごみ焼却場に持っていかれます。
そして、ごみは焼かれます。
これが罪人の道です。
神は全宇宙を造り維持しています。
はるかかなたの名前さえない惑星の砂粒一個さえも神はそれを造り維持しておられます。
また、目に見えない遺伝子の世界さえも神はそれを設計し維持しています。
人間が神と対決できるでしょうか。
この罪人が何を偉そうなことを言っているんでしょうか。
私たちは神の前にひれ伏しその罪を認めなければならないのです。
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」
ローマ人への手紙 3章22〜23節
救いの道--- ここをクリック
|